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小林&大西のデュオ メノッティの「電話」を楽しんだ

 2025年1月29日、東京オペラシティコンサートホールで、アフタヌーン・コンサート・シリーズ小林沙羅&大西宇宙デュオ・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏は河原忠之。

 前半には、「フィガロの結婚」や「セヴィリアの理髪師」、「ウェスト・サイド・ストーリー」からアリアや二重唱、後半はメノッティのオペラ「電話」。とても楽しいコンサートだった。

 バリトンの大西宇宙がやはり圧倒的に素晴らしい。見事な声。フィガロでは軽妙さもあり、ロッシーニの早口も、専門の歌手には劣るかもしれないが、とても見事。「私は街の何でも屋」は客席で歌い始めて、舞台に向かう間、私のすぐ横を通って行ったが、すぐわきを通る時の声量に驚いた。ソプラノの小林沙羅もチャーミングな容姿とあか抜けた歌いまわしがとてもいい。ただ、もう少し陰影がほしい気がするが、これらの曲目では仕方がないのだろうか。河原のピアノは自在に歌手に合わせて雰囲気を作っていく。さすがというしかない。

 メノッティの「電話」は、私の記憶が正しければ、実演を見るのは初めてだと思う。おしゃれな舞台でとても良かった。二人の演技もなかなかのもの。1950年前後のアメリカの雰囲気をうまく出している。男性が結婚を申し込もうとしているのに、女性が長電話するために、口を出す機会がなくなってイライラしながらも、最後にはめでたいめでたしという話なので、まあこれはこれでいいのだが、私としてはもう少し陰影があってもいいのではないかとは思った。あっけらかんとしているのもいいのだが、メノッティの音楽にはもう少し表情があるような気がする。

 アンコールは、「メリーウィドウ」の有名な二重唱。これもよかった。

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ネマニャ&ドゥーブル・サンス 音が躍り、跳ねる!

 2025年1月25日、かつしかシンフォニーヒルズ、モーツァルトホールでネマニャ・ラドゥロヴィチ presents ドゥーブル・サンスを聴いた。

 ネマニャのヴァイオリンは2009年に初めて聴いて大感動して以来、追いかけている。彼が率いる弦楽グループ、ドゥーブル・サンスとの共演も何度か聴いた。いずれも素晴らしい演奏だった。今回も期待して出かけた。

 まず、ベートーヴェン(ラドゥロヴィチ編)のヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」。ピアノのパートをドゥーブル・サンスが担当するものとばかり思っていたら、そうでもない。ヴァイオリン・パートはネマニャが担当していると思うのだが、ドゥーブル・サンスもまたヴァイオリン・パートを弾いている部分がある。どういう仕組みになっているのか? ただ、ピアノ伴奏と違って、同質の音の重なりなので、独特の魅力がある。まるで池の表面にさざ波が立つように音が連鎖し、変化していく。それが墨絵のような美しさを作り出す。それはそれで素晴らしい。柔らかくて初々しい魂の震えのようなものが伝わり、

 ネマニャの音はほかのヴァイオリンの音と明らかに違い、凛として気高く、さざ波の上に一筋の光がとおっているかのよう。

 とはいえ、やはり私としてはネマニャの音がほかのヴァイオリンに埋もれて明確に聞こえてこないことを少し残念に思った。オリジナル通り、ピアノとヴァイオリンのほうがベートーヴェンにふさわしい。

 休憩の後、バッハの「シャコンヌ」。私は何度かネマニャのシャコンヌを聴いている。魂を吸い取られるほど感動したことがある。が、今回は、実はちょっと残念だった。かつてのような近よれば切れるような殺気がない。かつては、ものすごい緊張感と躍動感があり、そこに研ぎ澄まされた音が縦横に走ったが、今回はもっと洗練され、もっと豊かになり、もっと余裕を持っている。それはそれで成長したということでもあると思うが、少し迫力をなくした感がある。私は以前の演奏のほうが好きだった!

 その後、バッハのヴァイオリン協奏曲ニ短調 BWV1052R(チェンバロ協奏曲のヴァイオリン版)。これもまたぴったりと息の合った演奏。この曲の演奏が最も音楽的に充実していると思った。徒にもりあげようとするのでなく、バッハ独特の深い呼吸の中で弦の音が動いていく。ドゥーブル・サンスもとても美しい音。まさに池のさざ波が美しく波立ち、揺らぎ、自然と一体となり、そこに魂が動いていく。

 アンコールはセドラー編曲による「アレクサンドル・シシッチへのオマージュ」、フリストフスキー「マケドニアの歌」、モンティ「チャルダーシュなど。シャープで躍動的なネマニャの音が躍り、跳ねる。最後には多くの客がスタンディングオベーション。

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ソヒエフ&N響のブラームスの交響曲第1番 しなやかで美しく格調高く

 2025年1月24日、NHKホールでNHK交響楽団第2029回 定期公演 Cプログラムを聴いた。指揮はトゥガン・ソヒエフ。曲目は前半にストラヴィンスキーの組曲「プルチネッラ」、後半にブラームスの交響曲第1番。先週は同じソヒエフ指揮でショスタコーヴィチの「レニングラード」を聴くつもりだったが、インフルエンザでダウン。今日はそのリベンジということになる。

 コンサートマスターは、篠崎さん(マロさん)。特別コンサートマスターの最後の公演だとのこと。

「プルチネッラ」については、実演を聴いたのはたぶん二度目か三度目。ストラヴィンスキーがなぜこのような曲を作ったのか、解説を読んでもまだ納得がいかない。演奏についてはとても清澄な音で、面白く聞くことができた。

 ブラームスはさすがに素晴らしい演奏! ソヒエフの指揮はあまり重厚ではない。あわてず騒がず、じっくりと演奏。こけおどしが一切なく、しなやかで深い。フレーズの処理がとても美しい。テーマが繰り返されるとき、表情が変わり、ぐっと深みが増す。そのあたりのニュアンスの移り変わりが見事。最初から観客をブラームスの世界に叩き入れようとするのでなく、徐々に徐々に音楽そのものがその世界に入っていく。音の重なりもとても美しい。透明感を失わない。管楽器がとても美しい。第二楽章のオーボエが本当に素晴らしい。

 明らかに第四楽章に力点がある。例のホルンのソロの美しいこと。まさに空が晴れて大きく視野が広がる感じ。そこから大自然が大きく広がっていく。目に見えるよう。一つ一つの楽器のニュアンスも見事。そして、大きく盛り上がる。格調高く、しなやかでスケールが大きい。緩やかに上昇していく。

 もう少し切迫して、もうちょっと悲劇的で、もうちょっと必死でもいいのか・・と思わないでもないが、きっとこれがソヒエフの音楽なのだろう。それはそれで、今日はとてもいいものを聴いた!という幸せな気持ちが強く得られる。素晴らしい演奏だった。

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新国立劇場「さまよえるオランダ人」 河野鉄平、素晴らしかった!

 2025122日、新国立劇場で、ワーグナー作曲「さまよえるオランダ人」をみた。指揮はマルク・アルブレヒト、演出はマティアス・フォン・シュテークマン。

 19日に続いて、今日も、オランダ人役のエフゲニー・ニキティンが体調不良のために降板し、代役は河野鉄平との連絡が届いた。私は何度かニキティンの実演を見て、その実力のほどを知っているのでとても残念に思って会場に到着。実は私は先週の金曜日(読響のコンサートの翌日)からインフルエンザで寝込んでおり(医師には診てもらっていないが、同居する孫二人が前日にインフルエンザの診断を下されたので、きっと私も間違いないだろう)、やっと全快し、インフルエンザだったとしても人にうつす恐れのない状態になって出かけたのだったが、ニキティンも同じような状態なのかもしれない。

 とてもいい演奏だった。アルブレヒトの指揮は序曲からかなり激しく高揚。東京交響楽団はホルンが何度か変な音を出したが、それ以外はとてもきれいにうねって、なかなかいい。ドラマティックで、歌にぴったりついて見事な指揮ぶり。

 歌手陣もそろっていた。まずは代役の河野鉄平を称えるべきだろう。外国人勢にまったく引けを取らない歌唱と演技。第二幕のゼンタ役のエリザベート・ストリッドとの二重唱は素晴らしかった。ニキティンに聴き比べると劣るかもしれないが、少なくともストリッドとは互角に歌っている! 音程もよく、声量も声の美しさも見事。感動した! ストリッド自身も、清澄な声で、しかも芯があって、とてもいい。

 そのほか、ダーラントの松位浩も素晴らしい。柔らかい声で、ダーラントにしてはちょっと繊細過ぎる気がしないでもないが、こんなやさしい父親のダーラントもいいだろう。舵手の伊藤達人もよく通る声で、コミカルな演技もおもしろい。マリーの金子美香もしっかりとした声で安定している。エリックのジョナサン・ストートンはなかなかの美声で声量豊かなのだが、後半、かなり声が割れていたのが残念。三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団は、いつもながらの素晴らしさだった。

 シュテークマンの演出はかなり穏健。登場人物はみんな、このオペラで見慣れた通りの扮装で登場する。船の舵と第二幕で登場する糸車の共通性が強調される。なるほど! オランダ人は終わりのないぐるぐる回りの運命に呪われており、ゼンタがそれに終止符を打つわけだ。最後、ゼンタがオランダ船に乗って舵を持つのは、そのような意味なのだろう。そのようなテーマを明確に打ち出している。とても良い演出だと思った。

 私は大いに感動した。第二幕の途中から涙が出てきた。ワーグナー作品の中では特に好きな作品ではないのだが、実際に上演をみると、やはり感動する。

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オーケストラに色彩が感じられなかったが、ネマニャのヴァイオリンは色彩的だった!

 2025年1月16日、サントリーホールで、読売日本交響楽団の名曲シリーズを聴いた。指揮は小林資典、ヴァイオリンはネマニャ・ラドゥロヴィチ。

 もちろん、私の目当てはネマニャ。確か、初めて聴いたのは2009年のナントでのラ・フォル・ジュルネだった。魂が震えるほどの感動を覚えて大ファンになった。それ以来、来日ごとに聴き続けている。

 が、その前にモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」が演奏された。小林資典の演奏を聴くのは初めてだと思う。海外で活躍しているという。大きな身振りでリズムをとってオーケストラをコントロールするのはいいのだが、なんだか音楽に表情がない。曲想が変わり、リズムや音量は変化するが、肝心の音楽の表情に変わりがない。一本調子の感じがする。後半のドビュッシー「海」に至ってはまったく色彩感がない。この曲こそ色彩感が命だろうに。まるで墨絵のような音楽。せっかく読響メンバーが華麗な音を重ねているのに、色彩が感じられない。これほど色彩感のないフランス音楽を私は初めて聴いた。退屈で仕方がなかった。

 それに引き換え、ネマニャはとても色彩的。ドヴォルザークの「我が母の教え給いし歌」(クライスラー編曲)、モンティ「チャルダーシュ」、マスネ「タイスの瞑想曲」。オーケストラが無彩色でもヴァイオリンが色にあふれている。ただ、ネマニャが無理やり色彩感を出そうとしたのか、あるいはオーケストラメンバーが色彩不足を感じて、それを補おうとしたのか、クラシック音楽にあるまじき極彩色になりがちなところが気になった。それまで色のないあまりに地味な音楽だったところ、突然、色物が出てきた感じになってしまった。

 ただ、ネマニャの音色はあいかわらず素晴らしい。素晴らしいというか、凄まじい。細身のシャープで清澄。そして、「タイスの瞑想曲」では極めて官能的。

 ラヴェルの「ツィガーヌ」は圧倒的だった。これは正真正銘素晴らしい! 華麗で諧謔にあふれ爽快。圧倒的な技巧を見せつけながら、音楽が躍動し、生命にあふれている。

 それにしても、この曲目の統一のなさはどうしたことだろう。ただ演奏してみたい曲を並べた・・・という感じ。コンサートというのは何かしらのメッセージがあるものだと思うのだが、この曲目にメッセージを読み取ることができなかった。

 もう一つ、ネマニャについての不満は、今日の演目のほんとどをたぶん私はネマニャの演奏でこれまで何度も聴いていること。彼の力量であれば、ほかにたくさんのレパートリーがあるはず。それらの曲を聴かせてほしいものだ。

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クァルテット・インテグラ ブラームスは私好みではなかったが見事な演奏!

 2025111日、第一生命ホールでクァルテット・インテグラの弦楽四重奏を聴いた。曲目は、円班にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第3番とバルトークの弦楽四重奏曲第3番、後半にブラームスの弦楽四重奏曲第3番。要するに、Bを頭文字に持つ三人の大作曲家の第3番の弦楽四重奏曲。

 クァルテット・インテグラは、三澤響果(ヴァイオリン)、菊野凜太郎(ヴァイオリン)、山本一輝(ヴィオラ)、パク・イェウン(チェロ)2015年に結成された若い団体。4つの楽器の音色と音程がぴたりと決まったシャープな演奏。まさにデジタルの雰囲気。このグループの演奏を聴いてしまうと、ほかの演奏がアナログに聞こえる。精妙な音で、しかも躍動感がある。

 ベートーヴェンは、シャープな音がぴったり。シャープながら叙情がある。第2楽章はとりわけ美しかった。音の重なりが本当に繊細で、かつ鮮やか。前期のベートーヴェンの初々しさもある。

 バルトークはとりわけ素晴らしかった。荒々しく躍動的。しかし、精妙でシャープなので、精神空間を魂が躍動しまわっている感じがする。それぞれの楽器の音ともに、私の魂も動き回っているかのよう。凄い!

 後半のブラームスも同じ雰囲気。だが、私は、ブラームスに関しては、実はあまり感動することはできなかった。ブラームスがシェーンベルク風になる。静寂の中で息をひそめて獲物にとびかかるのを待つかのような緊張感、そしてシャープな音、まるで魂の戦いのような楽器の音。かなり神経質な感じがする。うーん、これはブラームスではない! 私の好きなブラームスはもっと温かみがあり、真面目一方で愛嬌がないもののロマンティックで内に情熱を秘めている。そんなアナログな温かみが伝わってこない。

 アンコールは、ハイドンの弦楽四重奏曲第76番「五度」から。これはよかった。精妙でちょっとユーモラス。

 私の好きなブラームスではなかったが、全体的には素晴らしい技術と音楽性を持った弦楽四重奏団の見事な演奏だった。

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藤井一興のフォーレ 藤井さん、体調不良だが、素晴らしい音色 

 202518日、豊洲シビックセンターホールで、「天よりささやく万華鏡 ~フォーレの名曲の数々~ 藤井一興 フォーレ室内楽演奏会」を聴いた。

 出演は、藤井一興を中心に、紫園香(フルート)、秦はるひ(ピアノ)、横坂源(チェロ)、浜匡子(ヴァイオリン)。

 藤井さんがご病気だったとはまったく知らなかった。これまで藤井さんの演奏は何度か聴かせてもらったことがあり、フランス的な音に感銘を 受けてきた。今回もそれを期待して足を運んだのだったが、最初に登場なさったときの、元気のない表情とおぼつかない足取りに驚いた。

 ただ、音を出すと、さすがにフォーレの音! 素晴らしい音色。しかし、残念ながら、「シシリエンヌ」op.7も「パヴァーヌ」op.50もフルートとかみ合わない。フルートの音も素晴らしいのだが、きっと藤井さんの体調がよくなくて、リハーサルを十分にしていないのだろう。

 藤井さんがソロで弾く予定だった曲は、「演奏者の都合」ということで演奏されなかった。組曲「マスクとベルガマスク」 op.112では、藤井さんと秦さんのデュオ。FAZIOLIのピアノの明るい音色を見事に用いて、これはぴたりと合った。

 後半は、藤井さんのソロで藤井一興作曲の「ピアノのためのモン・サン・ミシェル」。神秘的な短いピアノ曲。日本フォーレ協会委嘱作品ということで、確かにフォーレ的な音。

 その後、横坂さんのチェロとピアノで「エレジー」 op.24.これは素晴らしかった。さすが藤井さん、だんだんと興が乗って来てフランス的な味わいがでてきた。

 その後、ピアノ三重奏曲ニ短調。これはあまりリハーサルができていなかったようで、それぞれの楽器の音はきれいなのだが、ただ合わせているだけになってしまって、音楽の方向がはっきりしない。藤井さんがリードすべきなのだろうが、やはり体調がよくないのだろう。

 最後に、フルートとピアノによって、幻想曲 op.79。これも、藤井さんが本調子でないのが残念。アンコールは、フルートとピアノによって「コンクール用小品」と「夢のあと」。

 藤井さんの素晴らしい音色を聴くことができたのはうれしかったが、やはり体調不良のために、十分の準備ができていなかったらしいのがとても残念。ぜひとも元気な姿で最高のフォーレをまた聴かせていただきたいものだ。

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オペラ映像「コジ・ファン・トゥッテ」「大洪水」「エジプトのマリア」

 引き続き、オペラ映像をみた。簡単に感想を記す。

モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」20133月 マドリード王立劇場

 いくつかのオペラ映像をみて、アネット・フリッチュの美声と美貌に惹かれてこのブルーレイディスクを購入。賛否は別れるかもしれないが、それはそれで素晴らしい上演だった。

 演出は映画監督ミヒャエル・ハネケ(私は何本かこの人の映画をみている)。指揮はカンブルラン。

 まず驚くのは、あまりに遅いテンポ! 私はこのオペラに関しては速いテンポで、登場人物の心理など無視してコメディア・デッラルテ風に演奏するのが好きなのだが、この上演は正反対。恐ろしく遅いテンポでじっくりと登場人物の心理を描いていく。

 レチタティーヴォもあまりに遅く、しかも無音になる場面もたびたびある。一般の舞台では避けるべき事態だが、さすがハネケ。沈黙が大きな意味を持っている。各登場人物の迷い、苦悩が浮き彫りになる。ドン・アルフォンソとデスピーナも過去にいきさつがあったようで、思い心情を抱いている様子がわかる。

 それにしても、歌手陣が歌もさることながら、演技もうまい! ハネケの演出が見事だということでもあるのだろうが、みんなの容姿も美しく、まさに上質の映画をみているかのよう。苦悩が伝わってくる。同時に、誘惑に陥いる人間の業も伝わってくる。最後、四人は心を引き裂かれて相手を選べなくなる。なるほど、リアルに考えれば、このストーリーの結末はこうならざるを得ない。

 フィオルディリージのアネット・フリッチュはやはり圧倒的。美声による繊細な歌と演技でこの役を演じる。ドラベッラのパオラ・ガルディーナの名前を初めて知ったが、まったく引けを取らず、美しい声と演技。フェランドのフアン・フランシスコ・ガテルはちょっと音程が曖昧だが、なかなかの美声。グリエルモのアンドレアス・ヴォルフは律儀な雰囲気がとてもいい。ドン・アルフォンソのウィリアム・シメルは圧倒的な存在感。デスピーナのシャシュティン・アヴェモはチャーミングでいわくありげな雰囲気を見事に出す。

 そして、カンブルランの知的な音もいうことなし。これほどのスローテンポだとむしろ情感を出しにくいと思うのだが、情緒に流されずに心情を描き出す。

 

ドニゼッティ 「大洪水」(ナポリ初演版、エドアルド・カヴァッリ校訂)20231117日 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 ノアの方舟を題材にとった物語。このディスクで初めてこのオペラの存在を知った。

 ノアの予言を周囲の人は信じない。セラはノアに従おうとするものの、土地の支配者である夫カドモの理解が得られず、信頼していた友人アダにも裏切られて、命を失う。その直後、雨が降りだし、ノアの予言が正しかったことがわかる。そんな物語。なかなかおもしろい。音楽も魅力的な歌が多く、ドラマティックでもある。

 この上演は、本格的なオペラというよりも、セミステージ。登場人物はドレスやスーツ姿。舞台にテーブルが置かれ、カドモの配下とみられる男女が大勢で食事をしている。欲望にまみれて享楽にふけっているということだろう。その背景に映像が流されるが、それ以外にはほとんど舞台装置はない。映像で流されるのは、環境破壊の状況や享楽的な食事の様子。

 歌手陣はレベルが高い。私が最も感銘を受けたのは、カドモのエネア・スカーラだ。堂々たる強いテノールで悪役を見事に歌っている。セラのジュリアーナ・ジャンファルドーニも美声で強い声。とてもいい。ノアのナウエル・ディ・ピエロも深いバスで見事。

 ドニゼッティ歌劇場管弦楽団を指揮するのはリッカルド・フリッツァ。きびきびしていてとてもいいのだが、第一幕の終わりの合唱の部分は、背景の環境破壊のしつこい映像のせいもあって、うるさく感じた。オーケストラの精度が少し不足するというべきか。

 とはいえ、全体的にはとても良い上演。このオペラの真価がわかった。

 

レスピーギ 「エジプトのマリア」2024310日 ヴェネツィア、マリブラン劇場

 このディスクによって初めてこのオペラの存在を知った。が、素晴らしい上演。素晴らしいオペラだと思う。

 ストーリーは、娼婦マリアがキリストの教えを知って、信仰に目覚め、苦しみ、最後には救われて死んでゆく話。70分ほどの短いオペラ。演出、美術、衣装はピエール・ルイージ・ピッツィ。プロジェクター・マッピングで穏やかな海の風景や神秘的な風景が映し出される。マリアの心象風景、そして信仰心が示される。

 マリア役のフランチェスカ・ドットが本当に素晴らしい。肉感的な娼婦が信仰に目覚めて苦しむ心を見事に歌う。ゾシモ修道院長を歌うシモーネ・アルベルギーニも余裕のある豊かな声が見事。

 知らない曲なので何とも言えないが、マンリーオ・ベンツィの指揮もしっかりとオーケストラを掌握しており、美しい音色を紡ぎ出している。文句なし。大いに感動した。

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オペラ映像「フィガロの結婚」「ジョコンダ」「魔弾の射手」「賭博者」

 2025年になった。昨年2024年は、世界では様々なことが起こったが、我が家では、それまでの数年に比べれば、ともあれ平穏だった。今年も我が家は平穏であってほしい。そして、国際社会に大事件が起こらないでほしい。起こりそうで怖い!

 昨年の秋から、本2冊分の原稿を書いていたため、時間に追われ、自宅でゆっくりとオペラ映像をみる時間も精神的余裕もなかった。20年ほど前には、必死になれば本1冊を1週間ほどで書いていた(まあ、大した内容ではないのだけど)が、今はその何倍もかかるようになっている。とりわけ今回は何度も壁にぶつかって時間がかかった。年が明けて、やっと少し落ち着いたので、購入済みのBD、録画したままになっていたNHKBSで放送されたオペラ番組をみた。簡単な感想を書く。

 

モーツァルト 「フィガロの結婚」20237月(ザルツブルク音楽祭)モーツァルト劇場

 演出のマルティン・クシェイは現代を舞台にしている。そのため、建物の調度品などが無機的。第1幕のケルビーノが隠れる「椅子」は登場せず、カーテン越しの別室。第2幕の伯爵夫人の部屋はまるで浴室。第3幕はホテルのバーのような場所。第4幕は草ぼうぼうの野原の雰囲気。あえて洗練された貴族の館という雰囲気を消している。

 歌手陣は高いレベルで充実している。さすがザルツブルク音楽祭! なかでもスザンナ役のサビーヌ・ドゥヴィエルが声のコントロールといい美声といい、まさに申し分ない。ただ、伯爵夫人役のアドリアナ・ゴンザレスは声は素晴らしいけれどもちょっと庶民的な風貌なので、スザンナのドゥヴィエルのほうが伯爵夫人のように見える。ちょっと違和感を覚える。

 アンドレ・シュエンのアルマヴィーヴァ伯爵は若々しくてとてもいい。フィガロを歌うクシシュトフ・ボンチクは悪くないのだが、あまりに大柄で、機敏で機転の利くフィガロといった雰囲気がない。ケルビーノのレア・デサンドレは、悪くはないのだが、私には声の面でも演技の面でもあまり魅力を感じなかった。そのほか歌手陣はまったく穴がなく、みんなが実に見事に役を歌っていると思った。

 ウィーン・フィルを指揮するのは、ラファエル・ピション。引き締まった高貴な音でまとまりがとてもいい。無理なく音楽を推進していく。素晴らしい演奏だと思った。

 

ポンキエッリ 「ジョコンダ」 2024年4月1016日 サン・カルロ劇場 (NHKBSで放送)

 ジョコンダをアンナ・ネトレプコが歌う。確かに素晴らしいが、ひと昔前のネトレプコと比べると、かなり声が重くなって、かつての澄んだ強靭な声が少し影を潜めた感じ。その分、低音の凄みが増していればよいのだが、それほどの迫力ではない気がする。とびぬけた歌唱を期待していたのだが、少しだけ期待外れ。

 エンツォを歌うのはヨナス・カウフマン。こちらも素晴らしいが、これまたイタリア・オペラを歌うには少し声がくぐもっている。バルナバのリュドヴィク・テジエ、バドエーロのアレクサンデル・クペツィは悪役が魅力的。ラウラのエヴ・モー・ユボーは声はきれいだが、歌が少し一本調子。

 指揮はピンカス・スタインバーグ。なつかしい名前! ちゃんと活躍していたんだ。ただ、手堅いとは言えるのかもしれないが、いかにも地味で、しかもちょっとオーケストラを把握しきれていないところがあるような気がするのだが。演出はロマン・ジルベール。かなり伝統的な演出だが、きれいでわかりやすい。

 

ウェーバー「魔弾の射手」 2024年7月121719日 ボーデン湖上ステージ ブレゲンツ音楽祭2024NHKBS

 そもそも音楽環境の良くない野外で、しかも湖畔。水を効果的に使う。この音楽祭でまともな演奏を期待する方が無理なので、まあエンターテインメントとしてみるしかなかろうと思っていた。思った通りの上演。ただ、そのわりに楽しめた。

 演出・美術・照明はフィリップ・シュテルツル。ストーリーはかなり改変。原作にはないプロローグがついており、そこではマックスが絞殺刑に処せられることになっている。ザミエルが語り手として、たびたび登場して話を進めていくが、そこでもストーリーはかなり原作と異なる。聞き覚えのある音楽がなかったりする。時間も2時間程度なので、かなり短縮されている。最後、実際にマックスは処刑されそうになるが、隠者が現れて、台本が書きかえられる、という趣向。

 先日のコンヴィチュニーの「影のない女」と同じような意味で、これもウェーバーのオペラというよりは、演出家シュツルテルの「魔弾の射手」。ただ、偉大なホフマンスタールの台本を改変されると激怒するしかないが、「魔弾の射手」の台本は、そもそも支離滅裂なので、このように整理して見せてくれるのはむしろありがたいと思うべきだろう。(逆に言うと、コンヴィチュニーさんは、ホフマンスタールの原作の深みをまったく理解できず、「影のない女」を「魔弾の射手」と同程度の台本としかとらえられなかったということだろう)。 

 演出は水をふんだんに使ったもので、歌手陣は川に飛び込んだり凝ったり、大変そう!

 歌手陣は悪くないが、録音(全員がマイクをつけている)のせいなのか平板な歌いっぷりで、まるでミュージカルのように聴こえる。

 アガーテのニコラ・ヒレブラントは伸びのある美声、容姿はまるで天海祐希! エンヒェンはカタリーナ・ルックガーバー。この二人はとてもよかった。カスパールのクリストフ・フィシェッサーもしっかりした声。マックスのマウロ・ペーターは演出のせいなのかちょっと生ぬるい歌い方だが、なかなかの美声。

 菅弦楽はウィーン交響楽団、指揮はエンリケ・マッツォーラ。演奏環境の悪い中で健闘していると思うが、それほど大きな感銘は受けなかった。 

 

プロコフィエフ 「賭博者」2024年8月1217日 ザルツブルク フェルゼンライトシューレ (NHK/BSにて放送)

 演出はピーター・セラーズ。ロシア・アヴァンギャルド演劇ふう演出(私は大学時代、ロシア演劇の講座でメイエルホリドの演出についてかなり教えられた!)。これまでこのオペラの映像を2本ほど見たが、どうもしっくりこなかった。今回見て納得。このオペラはこのような演出によってこそ本来の力を持つ。なるほど、プロコフィエフはこのような舞台を想定したのだろう。けばけばしい色彩の舞台の中で、論理的な脈絡を飛躍した不気味で激情的な演技によってストーリーが展開する。

 原作はドストエフスキーだが、結末は少し違う。が、ドストエフスキーの世界を壊していない。男声陣がみんな汗だく。もしかして、エアコンが切れていた? いや、もしかすると、ドストエフスキー的な激情を持ち、ルーレットに取りつかれた登場人物を表現するための手法なのか。

 歌手陣は最高度に充実している。アレクセイのショーン・パニカーはこの役にふさわしい熱演。声も美しい。そして、ポリーナのアスミク・グリゴリアンはもはや別格。こんな歌もこんなのものすごく歌えるのか!と改めて驚嘆。ドストエフスキーの登場人物(グルーシェンカやナスターシャ・フィリッポヴナ)にふさわしい女性を演じる。将軍のチェン・ペイシンも堂々たる深い声で賭博に取りつかれた廃人を歌う。おばあさまを歌うのはヴィオレタ・ウルマナ。これまたさすがの歌と演技。

 ウィーン・フィルを指揮するのは、ティムール・ザンギエフ。聞いたことのない指揮者だが、プロコフィエフの才能の爆発したようなこの曲を見事にコントロールし、色鮮やかに爆発させるところは本当に見事。

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