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イタリア映画「絆」「いつまでも君を愛す」「困難な時代」「八月の日曜日」「嫉妬」

 しばらく映画をみなかった。先日、久しぶりに「ゆきてかへらぬ」をみて、自分が映画好きだったことを思い出した。このところ、立て続けに映画館に足を運び、家でもDVDなどで映画をみている。購入して長い間放置していた安売りのイタリア映画のDVDセットを何本か見たので、簡単に感想を記す。

 

「絆」1949年 ラファエロ・マタラッツォ監督

 自動車修理工場を経営して幸せに暮らす一家。そこに、自動車泥棒が車を修理に出すが、その男は妻(イヴォンヌ・サンソン)のかつての恋人だった。男は、未練のある妻を脅して自分のものにしようとするが、それに気づいた夫(アメデオ・ナザーリ)が男を殺してしまう。妻は弁護士に言われて裁判ではあえて男の愛人だったとうその証言をして夫も無実にする。弁護士がのちに事実を語って、妻は元の家に戻る。

 ちょっとできすぎた話で、しかも、リアルに考えれば、妻がこのような事態になるのを避ける方法はいくらでもあると思うのだが、ともあれハラハラしながら見ることができ、最後はほっとする。妻役のサンソンは、自動修理屋の奥さんとしてはあまりに派手な美人なのがリアリティに欠ける気がするのだが、当時のイタリアの観客はそうは思わなかったのだろうか。

 

「いつまでも君を愛す」 1933年 マリオ・カメリーニ監督

 1942年に同じ監督がリメイクしたとのことなので、これは旧版ということになる。子どものころから過酷な人生をたどってきたアドリアーナ(エルサ・デ・ジョルジ)は恋人の子どもを産んだとたんに代理人を通して別れを告げられ、その後、シングルマザーとして生きることになる。働いている美容室でかつての恋人に再会して身勝手な復縁を迫られるが、それ以前から思いを寄せていた誠実な会計士に助けられ、愛し合うようになる。

 よくあるタイプのストーリーだが、1930年代のローマ(?)の状況が描かれ、美容室の様子、会計士の家庭などがリアルに描かれていてとてもおもしろい。70分に満たない短い映画だが、心情はしっかり描かれている。なかなかに良い映画だった。

 

「困難な時代」1948年 ルイジ・ザンパ監督

 とても良い映画だと思った。舞台はシチリア。ファシズムが台頭し、市役所に勤める初老のピシテッロ(ウンベルト・スパダーロ)は反ファシストの仲間たちと親しくしているが、ファシスト党に入党しなければ解雇されると脅されて従い、いやいやながら党員として活動する。国全体がムッソリーニ熱に浮かされるなか、長男(マッシモ・ジロッティ)とともに時代に抗しようとするが、長男はドイツ軍に殺害されてしまう。時代が変わって、ムッソリーニが失脚、アメリカ軍が上陸して、今度は国全体が反ファシストになる。国民の多くは、以前から反ファシストだったふりをする。ピシテッロは時代の空気についていけない。「私たちは卑怯者だ。投獄を恐れずに自分の意見を言っておれば、こんなことにならなかった」というようなことをピシテッロは語る。

 家庭内でも、家族がムッソリーニを崇拝するようになり、社会が分断され、理不尽が幅を利かせるようになる。そんな中、若者は恋をし、生活は続いていく。そのような状況がリアルに描かれる。家族や周辺の人々をわかりやすく描く。

 戦前、戦中、戦後に日本でも同じようなことが起こっただろう。ピシテッロの思いは、多くの良識ある人の終戦直後の思いだっただろう。

 ただ、マッシロ・ジロッティがあまりに輝かしく描かれ、兵役を終えて命からがら戻ったときも一人超然としている。大スターだったゆえの演出だろうか。少し奇異に思えた。また、反ファシストは教養あるタイプの人たちで、集まって余興にオペラ(「ノルマ」など)を歌うのに対して、ファシストはオペラを理解せず、歌劇場で「ノルマ」をみて、反ローマ的なセリフを知ってあわててカットを指示する様子が語られる。これは事実に基づくのだろうか。そして、ファシストは無教養という認識は正しいのだろうか。

 

「八月の日曜日」 1950年 ルチアーノ・エンメル監督

 戦争が終わってから、7年ほどたった8月の日曜日、ローマの人々は列車や車や自転車でこぞって大海水浴場オスティアにでかける。東京の人が湘南の海に出かけたように。その大勢の人々の朝から夕方までの1日の人間模様を描く。ローマの人々なので、にぎやかこの上ない。わいわいがやがやの中で若い恋や中年の恋が芽生えたり、不和が起こったり、恋が進展したり、犯罪が起こったり、大家族がともあれ楽しんだり。この映画の主人公は、まさにローマの人々! 庶民の哀歓が伝わる。手際よく人物を描く手腕にも驚く。これもネオリアリズムの一つの形だろう。

 オスティアは、私の大好きだった映画監督パゾリーニが殺害され、遺体を捨てられていた場所なので、1978年、ローマを訪れた折、タクシーでその場所まで行った記憶がある。知らない俳優ばかりだと思ってみていたら、真面目な警官役にマルチェロ・マストロヤンニが出てきた! このころから独特の雰囲気を持っている!

 

「嫉妬」 1953年 ピエトロ・ジェルミ監督

 無駄のない台本と隅々まで計算しつくされた映像。全体がびしりと決まって、きわめて論理的に物語が展開する。これぞ名匠ピエトロ・ジェルミの醍醐味。ある意味で定石通りの展開なのだが、緊迫感にあふれ、俳優たちの演技が見事なので、ぐいぐいと引き込まれる。

 イタリアの村を支配する侯爵(エルノ・クリサ)。親戚の圧力で、貧しい出の娘アグリッピナ(マリーザ・ベリ)と別れて、別の女性を結婚せざるを得なくなるが、忠実な男ロッコとアグリッピナを偽装結婚させて、関係を続けようとする。だが、ロッコが裏切りそうなのに気づいて、嫉妬のあまり殺してしまう。ロッコ殺しの罪でほかの人間が無実で捕らえられたために苦しんで神父に告解はするが、警察には伝えない。結局、無実の人間は殺され、侯爵はいよいよ苦しんで、死を迎える。最後までアグリッピナへの愛を貫く。

 狂ったように愛し合う身分違いの男女、嫉妬のあまり男を殺して良心の呵責に苦しむが、真実を語る勇気を持たない男。そのようなドラマティックな状況を見事に描いていく。まさにリアリズム。

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