映画「ジュテーム、ジュテーム」 不定形で不確定な世界
アラン・レネの監督作品はかなりみた。50年ほど前、周囲にはゴダール、トリュフォー好きが多かったが、私はこれらの監督よりもレネのほうが好きだった。特に、「二十四時間の情事」は圧倒的名作だと思っていた。「去年、マリエンバードで」も、少々退屈で意味不明ではあったが、おもしろいと思っていた。
そして、今回、レネの死から10年以上たって、1968年に作られた「ジュテーム、ジュテーム」が日本で初めて封切になった。レネを愛した人間としては観に行くしかない。
自殺に失敗して回復したクロード(クロード・リッシュ)が、タイムトラベルの研究所の実験の被験者に選ばれ、1年前に1分間だけ戻ることのできる不思議なタイムマシンの中に入る。ところが、機械は故障したらしく、クロードは過去の中に閉じ込められ、断片的な過去を繰り返し生きることになる。そうするうち、観客にも、クロードが恋人カトリーヌ(オルガ・ジョルジュ・ピコ)を愛していたが、事故か自殺か、あるいはクロードが殺したのか曖昧ながら、カトリーヌが死に、その不在のために生きる気力をなくしたクロードが自殺を図ったらしいことがわかってくる。クロードは、自殺を図った状態で現在に戻るが、すでに手遅れになってしまう。
「去年、マリエンバードで」をみた時とそっくり同じような印象を抱いた。主人公とともに観客までも時間の迷路のなかに閉じ込められた感覚に襲われる。カフカの「城」の世界に入り込んで出られなくなった雰囲気と言ってもいい。同じ場面が繰り返され、それが少しずつ変容し、いったい何が起こっているのかわからない、映画が何を言おうとしているのかもわからない。事実が事実でなくなり、すべてが不定形で不確定になる。確実なものはなくなり、すべてが意味不明になっていく。
アラン・レネはまさにそれを狙っているのだと思う。彼は言葉にすることのできない、繰り返しと意味不明と不確定な世界を感じている。それを観客に追体験させようとする。事実が解体され、世界が解体される。
おもしろい映画ではない。感動する映画ではない。退屈で意味不明。しかし、私もレネと同じようにしみじみと思う。世界って、実はこうなんだよなあ。こんなふうに不確定でねじれていて、歪んでいて意味不明なんだよなあ・・・と。
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