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映画「校庭」 ローラ・ワンデル監督 徹底的な視野の狭さによる凄味!

 2021年のベルギーの映画。子どもを扱った72分の映画だが、なかなか重くて凄い映画!

 7歳の少女ノラ。3歳年上の兄アベルとともに、どうやら転校してきたようだ。仲のよい兄と妹なのだが、不安なノラがアベルに頼ろうとして接近したことが原因で、アベルはいじめにあうようになる。ノラは父親にそのことを話して解決しようとするが、いっそういじめは悪化。父親も頼りにならない。理解を示してくれた先生は退職してしまう。兄の心はどんどんと離れていく。その後、父親が介入して、ともあれアベルへのいじめは沈静化するが、その後、ノラにまでもいじめは広がり、しかも、アベルは今度はいじめの加害者になって、もっと弱い子をいじめだす。

 ある意味で、学校ではかなりありふれた出来事だろう。この映画がすごいのは、このような子どもの世界を、子どもの目からリアルに描いている点だ。子どもの背丈にカメラが設定される。しかも、まさに子どもの視線はこうなのだろう、映像は視野が狭く、遠くは映されず、中心以外はぼやけている。子どもがみているであろう世界が描かれていく。場所の全体像も大人の全体像も映されない。子どもの目から、おとなへの絶望、身動きの取れない状況が描かれていく。

 明らかにハンガリーのラースロ―監督の映画「サウルの息子」(私は驚異的な名作だと思っている!)の影響を受けているだろう。「サウルの息子」は、アウシュヴィッツで、ユダヤ人でありながナチスの手先としてユダヤ人虐殺の当事者として活動する男サウルの狂気じみた世界を描いた映画だった。そこでも、サウルから見た視野の極端に狭い世界がスクリーン上に映し出されて、サウルの意識を描いていた。

「校庭」でも、極端に視野の狭い子どもの世界が同じような手法で描かれる。大人はみんながそれなりの善意を持っているが、それでも信用できない。子どもたちは屈託なく、しかも残酷。自分が何かをするといっそう事態は悪くなる。みんなが辛いのはわかっているが、どうにもならない。それが俯瞰的な視野を持てずに、目の前のことしか理解できない映像によって描かれていく。

 この映画では、いじめへの解決の道は示されない。この映画の原題はun monde。フランス語(≒ベルギー語)で「一つの世界」。まさに、子どもたちにとっての「世界」そのもの、しかもありふれたひとつの世界を描いている。

 それにしても、子どもたちの演技が素晴らしい。とりわけ、ノラを演じるマヤ・バンダービークの表情や動きに驚く。多感で兄思いだが、時に依怙地になり、時に怒りを爆発させる等身大の子どもを目の前に見せてくれる。観客はノラに感情移入していく。このあたりが、主人公への感情移入も許さなかった「サウルの息子」と違うところだが、描かれるのが学校なので、「校庭」では、感情移入が不可欠だっただろう。

 ところで、このところ、私のみる映画は中年以上の客がほとんど、60代、70代が中心の場合もある・・・という状態だったが、この映画は、客はまばらながら、ほとんどが20代、30代に見えた。60歳以上に見える人はひとりもいない! あれ、もしかして私は間違えて別のホールに入り込んでしまったかな、と不安に思ったほどだった。若者がこの映画をみて感銘を受けてくれると嬉しい。

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