GW前の京都の1日
2025年4月23日、私が塾長を務める白藍塾が立命館宇治中学校の小論文指導をサポートしているので、その仕事(現在、私は執筆活動と白藍塾の仕事のみ続けている)で京都に行った。立命館宇治の先生方、生徒さんたちのおかげでとても良い仕事ができたと思う。その日のうちに東京に戻ってもよかったのだが、1泊して、24日、京都で過ごすことにした。24日は晴天。最高気温が23℃くらい。過ごしやすい気候だった。
ところどころに修学旅行の生徒たちを見かけたが、まだ今の時期はそれほど多くはない。街には西洋系の観光客が目立った。西洋系の人たちの半分以上がTシャツ姿。中にはTシャツ短パンの人もいる。日本人のように長袖に上着を着ている・・・という人はゼロに近い。
23日の夜、四条のホテル近くのコンビニに寄ってお茶を買おうとしたら、そこにいた30人近い客の8割が白人で、しかも列を守らないために大混乱に陥っていた。新聞記事で「外国人がマナー違反」という文章を読むと、近年ではつい中国人が批判されているというふうに判断するが、少なくとも現在の京都については、これは西洋人(ドイツ語らしい言語やスペイン語らしい言語がやたらと耳に届く!)のことらしい。新幹線の列車内の予約の必要な荷物置き場でも、それを無視して予約なしに荷物を置く外国人が問題になっているが、それも西洋人がほとんどなのかもしれない。
中国の人たちは超有名な観光地に集中して団体で行動する傾向があるが、西洋人は個人や家族で行動してマニアックな寺院仏閣などを訪れる傾向にあるので、場合によっては西洋からの観光客のほうが日本人の生活の場に入り込んでいるのだろう。
が、もちろん私は彼らを非難する気はない。1970年代、80年代、「パリの観光客は日本人ばかり。女性客がブランド店の前に行列をなし、男性客は夜遊びをする」として、日本人の無作法を指摘されているころ、私はヨーロッパを何度か訪れ、かなり長期間の旅行をした。まあそれほど無作法なことはしなかったとは思うものの、ひどい貧乏旅行の中でフランスの人に迷惑をかけ、勝手がわからず顰蹙を買うようなこともしたという自覚がある。オーバーツーリズム対策は必要だとは思うが、「外国人は無作法」と思わずに、「彼らは日本の勝手がわからずに、自国での流儀をそのまま繰り返しているだけ」ということは理解してほしいと思っている。
ところで、今回、京都では長谷川等伯に縁のあるところを回ってみようと思った。
美術にも、日本史にも疎い私が等伯を知ったのは、20年近く前、京都産業大学客員教授という資格で京都に頻繁に行き来していたころだ。様々なことに忙しい時期でなかなか観光はできなかったが、たまたま訪れた智積院で等伯と息子の久蔵の絵に出合った。息をのむ凄さだと思った。それ以来、京都を訪れ、時間があったら智積院にまで足を延ばして、これらの絵を見る。東京で長谷川等伯展が開かれるときには足を運ぶ。安部龍太郎の小説「等伯」も読んだ。もちろん素人なので、専門的なことはわからない。そんなに熱心に等伯に入れ込んでいるわけではない。ともあれ、京都見物の一つの方法として、今回は等伯ゆかりの地を訪ねてみようと思った。
24日、四条のホテルに泊まっていたので、まず朝のうちに市バスで本法寺に向かった。等伯がかなり長期間滞在した寺で、確か安部の小説でもかなり細かく描かれていた。こじんまりした寺で、10時過ぎに着いたのでちょうどお寺の展示室を開いているところだった。最後まで観光客は私だけ。
巨大な涅槃図が壁面にかけられていた。ただし、これは精巧なプリントだとのこと(今回観た中にも、真筆は展覧会のために別のところにあったり、一定期間しか一般公開しないという個所がいくつもあった)だが、情報を十分に仕入れずに、仕事の都合で観光をしている身にしてみれば致し方のないことだ。私の知っている楓図とも晩年の松林とも異なる、まるで若冲のような作風で、日本にいるはずのない動物が多数描かれていた。
次は、また市バスで3つほど先の停留所にある大徳寺に向かった。大徳寺を訪れるのはたぶん3度目。気持ちよく歩いた。ここでも西洋系の人たちが静かに寺を楽しんでいた。
ただ、等伯の絵があるという場所は立ち入り禁止で、等伯由来の場所も見つからなかった。関係者に尋ねようとしたが、観光客数人しか周囲にいない。仕方がないのであきらめて別の場所に行くことにした。
が、広大な大徳寺を歩いているうちに、場所がわからなくなった。スマホで調べると、近くの駅や停留所までかなり歩かなければいけないようだ。寺の外に出たところでタクシーを見つけた(京都ではタクシーはなかなかつかまらないと聞いていたが、観光地では意外と見つけることができた!)。せっかくタクシーに乗ったからには、そのまま高台寺圓徳院に行くことにした。大徳寺で迷ったさいちゅうにスマホを調べて、そこに等伯の襖絵があることを知ったのだった(思ったよりもタクシー料金がかかったのは誤算だった!)。
高台寺は観光客でごった返していた。西洋人も多いが、日本人、中国人らしい人も大勢いた。さっさと圓徳院に行って、庭園を楽しみ、等伯の襖絵を見つけた。襖に墨絵のように松林を描いたものだった(ただし、これも複製とのこと)。襖の色が濃いので、絵がはっきりと見えない。少々失望。ついでに、高台寺の庭園や方丈も見た。
すでにかなりの脚の疲れを感じていたので、タクシーでなじみの智積院に向かった。2年前に完成した新しい宝物館で久蔵の「桜図」、等伯の「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」「雪松図」をみる。大好きな絵だ。しばらくゆっくりと大好きな絵をみた。
少し休んでから徒歩で京都国立博物館へ。「日本美のるつぼ」という特別展が行われていた。西洋に日本の美を知らせた作品、西洋の美術を取り入れてに日本人が描いた作品、日本にわたってきた中国や西洋の品など異文化交流を示す美術品が展示されていた。北斎の三十六景のいくつかや俵屋宗達の「風神雷神図」などがあった。面白く見て回った。
朝、ホテルで欲張って朝食を食べたので、お昼の食欲がわかない。夕食が早めなので昼は抜くことにして観光を継続。
タクシーで南禅寺に向かった。この寺はこれまで何度か訪れたことがある。案内の人に尋ねて、金地院(こんちいん)に等伯の襖絵があることを確かめて南禅寺の正面門の外にある金地院に入場。徳川家光を迎えるために作られた石を鶴亀の形に並べた部分を中心にした見事な庭園、その裏の東照宮をみて、その後、案内の人の説明を聞きながら方丈に入った。
その一部屋に等伯の猿の絵があった。先日の東京での展覧会で観たものだったが、こうして襖絵としてみるとなかなか趣がある。池に映る月に手を伸ばしているテナガザル。実体のないものを求める愚かさを描いているという。ふわふわした猿の毛を描いて見事。
そのほか、金地院の茶室などをみて、観光は終わり。その後、ホテルに戻って預けていた荷物を受け取って、京都駅へ。新阪急ホテルの地下にある贔屓の店・美濃吉で早めの夕食。筍の和え物と筍ご飯がとてもおいしかった。京都駅に移動して、新幹線で東京へ。
ともあれ、欲張って駆け足になったが、満足のできる京都の一日だった。
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