2025年5月21日から27日にかけて、ウズベキスタン・タジキスタンの旅に出かけた。
実はウズベキスタンについてほとんど何も知らなかった。元ソ連領内のイスラム教の国で、政治的に安定しているといったくらいの知識しかなかった。このところ、イスラム圏に魅力を覚え、これまでサウジアラビア、パキスタン、バングラデシュ、ブルネイなどを訪れたので、今度はウズベキスタンに行ってみるかと思ったに過ぎない。ついでに、隣の国タジキスタンをみられるツアーがあったので、それに申し込んだ。
これまで何度か利用している旅行会社のガイドさんのついた個人ツアーだ。頭の中では、これまでに行ったことのあるパキスタンのようなところを思い浮かべていた。実際に足を運んで、驚いた。私の無知を恥じた。まったく予想と違っていた。
例によって、写真をこのブログにアップさせる技術を持たないので、写真なしで旅の印象を記すことにする。
日程
5月21日早朝に家を出て、アシアナ航空で成田を出発。仁川を経由して夜にウズベキスタンの首都タシケント到着、22日にタシケントはほとんど見ないまま車で隣の国タジキスタンの国境の街ホジャンドへ。23日、ホジャンドからタシケントに戻って、24日にウズベキスタンの古都サマルカンドに列車で移動、25日もサマルカンドで過ごし、26日タシケントに戻って、夜、空港を出発、仁川経由で、27日夕方成田着という日程。
タシケント
私が到着したときは、夕方だったが、30℃くらい。翌日は最高気温38℃くらいになった。夜は20℃くらいになる。砂漠に近い環境なので乾燥していると聞いていたが、蒸し暑い日もあったし、一度はかなり本格的な雨にあった。ただ1時間もしないうちに青空が広がった。平均的には、毎日30℃前後だった。
タシケントの街は思っていたよりもずっと西欧風だった。フランスやイタリアの地方都市と雰囲気は変わらない。中央アジアの国、中東に近い国といった感じはしない。歩く女性にスカーフを巻いている人が西欧よりも多いのはすぐに気づくが、スカーフをしていない女性のほうがずっと多い。ざっと見たところ、スカーフをしているのは四分の一くらいではないか。ガイドさんに尋ねると、もちろん国民ほとんどがイスラム教徒だが、スカーフをしない女性も多く、それによって非難されることはないという。
中央アジアの国だけあって、様々な顔立ちの人がいる。多くの人が、私たちが中東の人としてイメージするような顔の人だが、チベットやモンゴルとして認識しているような顔立ちの人も多い。西洋人のような顔立ちもいる。中に日本の人にみえるような現地の人もいる.そのような人たちが違和感なく、ふつうに同じところを歩き、同じ店で働いている。
市街地の道路は整備され、建物も近代的で清潔。それほど高い建物はないが、もちろん、10階建て、20階建てのビルはあちこちに見える。中東で見かける露店もほとんどない。通っている車も新しい車が多い。日本の道路とほとんど雰囲気は変わらない。信号が少ないが、歩道や並木や緑地帯など、むしろ日本よりも整備されているのではないか。
日本車はほとんど見かけない。ざっと見たところ、金色の太い十字のエンブレムの車が圧倒的に多い。8割以上ではないか。知らない車なのでスマホで検索してみたら、シボレーのようだ。ウズベキスタンに工場があるらしい。私の乗っている車もシボレー。きわめて快適。トランプ大統領が日本にアメリカ車が入らないのを不満に思っているというが、少なくとも後部座席に座っている限りでは、なるほどこの車だったら日本でも十分に売れてしかるべきだとは思う。ほかは韓国車、中国車、まれにドイツ車や日本車。
交通ルールはみんなきちんと守る。私の乗る車の運転手さんは少し強引な運転をするが、横断歩道ではほとんどの車が歩行者を優先する。
タジキスタンへ行く道はほとんどが片側2車線だったと思う。周囲には麦、サクランボやリンゴなどの畑が広がっている。牧草地もあり、牛や羊も見える。これも、ちょっと生えている木などが違うだけで、ノルマンディーやブルターニュの牧草地と雰囲気は変わらない。
タシケントは1950年代に大地震があって、市の多くの建物が崩壊したという。そのために歴史的建造物は残されておらず、町全体が新しい。西欧に近い雰囲気があるのもそのせいだろう。1991年、ソ連崩壊によって独立したが、地下資源にも恵まれていることもあり、またカリモフ大統領の経済政策も成功したようで、経済的に安定しているようだ。現在は2代目のミルジヨエフ大統領が民主化を進めているという。
治安は悪くない。西欧よりも平和で安全だということのようだ。危険そうな地域もなく、危なっかしい人物に出会うこともない。
最終日には、ナヴォイ劇場を訪れた。太平洋戦争後、この地に抑留されていた日本人が建設にあたったために大地震でも倒れなかったといわれている。しばらく改修のために閉鎖されていたというが、再開されていたようだ。「トスカ」「エフゲニ・オネーギン」「仮面舞踏会」「椿姫」などのオペラ、「シェエラザード」などのコンサートの案内が出ていた(出演者は不明)。
地下鉄にも乗った。5分間隔くらいで走っている。これもパリのメトロとさほど雰囲気は変わらない。かなり混んでいた。私が乗り込むと、座っていた客が何人も立ち上がって、私に譲ってくれようとした。きっと私は間違いなくその周辺の最高齢者なのだろう。ヨーロッパでも中国でも競って席を譲ろうとしてくれる。知らんぷりされるのは日本だけ! 私よりもずっと年上の高齢者でも日本では席を譲られない。
モノの値段は日本よりも少し安い程度。チェリーなどの果物は圧倒的に安い。ただ、食事をして20万スム、博物館入場料が5万スムとか言われると、その桁の多さにびっくりする! 紙幣も0が多くついているので、初めのうちは紙幣価値がすぐに頭に入らない。
国境
5月22日、タシケントの都心から車で2時間ほどかけてタジキスタンとの国境にむかった。村があり、その外れに鉄の門を備えた施設があり、警官らしい人や係官らしい人が数人いた。雰囲気としては、人がめったに訪れない村はずれの広大な公園といった雰囲気。門の前には客待ちのタクシーや乗用車が何台も駐車しているが、運転手はどこかにいるようで姿は見えない。施設の中には、建物がいくつか見える。
車を降りて、ガイドさんと門を過ぎて、最初の建物に入った。外はがらんとしていたのに、中に入ると、中国人のグループや欧米人の観光客、仕事で行き来しているらしい現地の人が20~30人、私の前で行列を作っていた。そこで出国手続き。その後、手続きの終わった順に建物を出てスーツケースをごろごろ引きながら野外を歩いて次の建物に行く。そこでまた何やらして、次の建物に行く。そのたびにパスポートを見せる。そうこうするうちタジキスタン領内に入り、入国手続き、そして荷物検査。
初めに旅行会社から提示された予定では、ガイドさんとわかれて一人で国境を越えて、タジキスタンで別のガイドさん(しかも、英語ガイドだということで、私は大いに恐れていた!)と合流することになっていたが、幸い、私についてくれたガイドさんはタジキスタン語もできる人で、ずっと付き添ってくれた。ありがたい。荷物検査が厳しく、ところどころでどこに行けばよいのか迷うことがあったので、ガイドさんがいてくれたのはありがたかった。ひとりだと途方に暮れただろう。
建物を出て数分歩いたら、そこにはタクシーやバスが待っており、運転手に「タクシー?」などと声をかけられる。それを通り抜けてツアーの運転手さんと合流。国境を超えるのに合計30分ほどかかったと思う。
タジキスタンの国境の都市ホジャンド
ウズベキスタンとタジキスタンでは、外の風景ががらりと変わる。ウズベキスタンでは周囲に畑があり、緑が多かったが、タジキスタンに入ると、ほとんど荒野としか言えないような土地が広がる。はげ山が近くに迫っている。山にもほとんど緑は見えないし、道路わきにも畑は見えない。1時間ほど車で走って、ホジェンド(KHUJANDという綴りで、クジェンド、フジェンド、ホジャンドなどという表記もある)の市内に入った。
こちらでは、日本車を多く見かけた。だが、いかにも中古車の雰囲気がある。タシケントというウズベキスタンの首都と、ホジェンドというタジキスタンの地方都市という違いもあるのかもしれないが、かなりの経済的な差を感じる。タジキスタンは、私が思い浮かべる旧ソ連のイスラムの国そのもの。看板はキリル文字。スカーフをかぶる女性がこちらの国のほうがずっと多い。
この都市はシルクロードの要衝として栄えたという。また、かつてアレクサンダー大王の領内になった最果ての地でもあるとのこと。砦の跡、博物館などを見学。太古から近年までの様々な器具が展示されていた。歴史のある都市であることがよくわかる。実際にとても落ち着いた美しい街だと思った。私の知る中ではザルツブルクのような雰囲気がある。
大きな市場へ行った。屋外に売り子の女性がチェリーや杏、桑の実、キイチゴなどの果物、トマト、スイカなどの野菜を大きなたらいのようなものに入れて大量に並べていた。屋内では、肉や穀類や衣料品が売られていた。これまで見たことのある東南アジアやインド付近と同じような雰囲気だが、それよりも清潔で整然としている。ハエがたかるようなことはないし、盗難にあいそうだというような雰囲気もない。ただ、センスの良い建物の中で整然と市場が備えられているタシケントとはかなり雰囲気が異なる。どうも、ウズベキスタンよりもかなり物価は安いようだ。
あちこちにラフモン大統領の写真が飾られている。ウズベキスタンでは大統領の写真をみることはなかったが、タジキスタンでは、街の中、建物の中に大統領の大きな写真がある。ガイドさんに尋ねたところ、個人崇拝による独裁というほどのことはなさそうだが、様々な禁止事項があって、あまり自由な国ではないようだ。
要塞や神学校などをみた。豪華絢爛な要塞や博物館があった。そんなところにも大統領の写真がある。何かしら、大統領の威光を示す意図がありそうな気がしてくる。
夜のホジャンドはあちこちに電飾が施されている。なかなか立派な建物がある。ただ気のせいか、1990年代に訪れたピョンヤンを思い出した。ピョンヤンも建物に電飾がなされており、外見的には立派、古びていたり貧相だったりする建物を立派に見せているようだった。そこと同じような雰囲気を感じた。
街の背後に緑のない、「はげ山」というのがふさわしい土色の山並みが見える。日本にも山を背景に持つ都市はたくさんあるが、緑のないはげ山があるのは初めて見た気がする。砂漠気候ということだろうか。そうか、ムソルグスキーの「はげ山の一夜」の「はげ山」とはこういう山のことなのかとひそかに納得した。
ガイドさん、運転手さん
ガイドさんとはとても親しくなった。40歳くらいで真面目で社交的。日本語の発音は日本人とほとんど変わらない。日本に留学してITの勉強をしたとのこと。ただ、ガイドとしてはちゃんと仕事をしていないとは言えるかもしれない。まさに友だちとして案内してくれている感じ。ガイドだったら、街の案内、注意点などを話してくれるはずなのだが、必要不可欠な情報もあまり言ってくれない。時間にも少々ルーズ。しかも、信心深いためにお祈りを欠かさない。ガイドさんがお祈りをしている間、私は運転手さんと二人きり、あるいは一人きりでレストランや公園で待つこともあった。
だが、私にはそれはむしろありがたかった。暑いので、私としてもハードな観光はつらい。あまりに細かくガイドしてくれるのも鬱陶しい。このガイドさんのように、尋ねたことにはきちんと答えてくれて、様々なことに融通が利き、友だちのように接してくれる方がありがたかった。
タシケント、ホジャンド、サマルカンドで3人の運転手さんのお世話になった。タシケントとサマルカンドの運転手さんはガイドさんとおなじみらしく、ずっとおしゃべりしていた。40代の気のいい男といった人たち。タジキスタンのホジャンドの運転手さんとは初めて顔を合わせるようだった。
ホジャンドの運転手さんはおそらく30歳そこそこの若い人。もしかしたら20代かもしれない。こちらの人はみんなが時間にルーズだったが、この人はとりわけひどかった。30分くらい遅れてやってきたこともあった。しかも、自分の好きなポップな音楽をかけて運転。車はBYDの中国製電気自動車(初めて電気自動車に乗った!)。一緒に市場を歩いたが、どうやらほしいと思っていた服があったらしくて、ガイドさんと私を待たせて服選びを始めた。時間がかかるので、別のところで待ち合わせて、ガイドさんにつれられて市場見物をつづけたが、運転手さんは待ち合わせ時間にいつまでも現れない。30分以上待ってやっと現れたが、どうやらいったん自宅に買い物したものを置いてきた様子。ついでにいうと、ガイドさんも数日後に同じようなことをしていた。
それも含めて、私は国民性なのか、個人のキャラクターなのかわからないが、なかなかおもしろい思ってみていた。私は特に寛大な人間ではないが、友だちのような関係ができているので、お互い、少々のわがままは許容する雰囲気があって、私としては快適だった。
ホテル
タシケント、ホジャンド、サマルカンドの3つのホテルに泊まった。以前、私の利用する旅行会社のツアーでホテルに困ったことがあったので、スタンダードよりも1ランク上のホテルをお願いしたためか、タシケントとサマルカンドについては快適だった。
ホジャンドのホテルは、机はあるのに、室内に椅子が一つもなかったので困った。チェアもソファもない。冷蔵庫もない。ツインの部屋を一人で使う形だったが、ベッドとベッドの間に台があって、その下に二つの引き出しが備えられていた。ところが、その引き出しが開きっぱなしになっていた。いくら閉めてもすぐにすーっと出てくる。ガイドさんにお願いして椅子と冷蔵庫は入れてもらった。引き出しは直らなかったので、自分で紙きれを詰めて引き出しを固定した。
宗教
モスクをいくつも訪れた。金曜日のお祈りの日、ガイドさんがお祈りをする機会に、すぐ近くから見ることができた。モスク周辺では車は大渋滞。バスでも徒歩でも、男たちがやってくる。数百人がモスク内に入っていく。日本人からするとガタイがよく、怖そうな顔をした男たちが次から次と押しかけてくる。そして、洗い場で手足を洗って、祈りの場向かう。中に入りきれなかった人たちは、建物の外でもスピーカーから響くコーランに合わせて祈りをささげる。決まりがあるのだろうが、何度となくじゅうたんに頭をこすりつけて祈りをささげる。まさに厳粛な時間。
女性は祈りの場に入れないとのことで、別の場所にいるようだったが、私のいるところからは見えなかった。
女性がこの宗教をどう思っているのか、男性の私にはわからない。ただ、少なくともこの国では女性もふつうに働いているし、自由に買い物をしている。高い地位に就く女性もいるようだ。内情については、数日間観光をするだけではまったくわからない。
ただもちろん、信仰あつい人とそうでない人がいるようで、タジキスタンの若い運転手さんは、イスラム教徒には違いなかったが、祈りに参加しなかった。ガイドさんはそれを非難している様子もなかった。
料理
プロフという、肉と野菜入りのピラフのような料理が、このあたりの名物料理のようだった。3回、この料理が出てきた。ガイドさんの好みなのかもしれないが、これとサラダと羊肉や牛肉の串焼きといった料理がほとんど毎回出てきた。いずれもおいしかったが、ほぼ毎回同じようなものが出てくるので、4日目ころから私としては少々つらくなった。
ボルシチのようなスープも何度か食べた。一度はほとんどボルシチそのもの、もう一度は中にお米が入っていた。
緑茶を飲む習慣があるようだった。味は日本の緑茶とほとんど変わらない。紅茶もあるようだったが、緑茶の方が一般的のようだ。日本と同じように、食事の時にお茶を注文し、日本人と同じような飲み方をする。
3回は夕食がツアーに含まれておらず、自分で食べるしかなかった。タシケントのホテルの近くには一人で入りやすい店がなかったので、ホテルのレストランで食事をした。メニュをみて、チェリー・ジュースとサラダと牛肉のチーズ包みとスープを注文した。
まずジュースが出てきたところで嫌な予感がした。1リットルのパック入りのジュースだった! サラダもスープも肉も大量! 3人前はありそう! なかなかおいしかったので、必死の思いで半分ほど食べたが、どうにも食べきれずに残した。
きっとこれは一人前ではなく、数人で食べる分量だったのだろうと思っていたのだが、翌朝、朝食のためにレストランに行くと、前日給仕してくれたウェイターがなんだか深刻な表情で近づいてきた。「昨晩、かなり残していたようだけど、料理がまずかったのか」と英語で言っているようだった。「おいしかったけど、大量すぎて食べきれなかった」と答えた(実際には、あまりに恥ずかしい幼稚な語彙を使ったのだったが)。ウェイターはやっと安心したようで、にっこり笑った。どうやら、現地の人はこれを一人で食べるようだ!
言われてみれば、この土地の多くの人が屈強な体格をしている。身長はそれほど高くないが、体格はプロレスラーかラグビー選手のよう。腹の出ている人も多い。間違いなく、私の2倍か3倍は食べていると思った。
列車
タシケントとサマルカンドの間を列車で移動した。2時間と少しかかった。どういう事情かは尋ねなかったが、サマルカンドに向かう時は自由席、タシケントに向かう時は指定席だったようだ。窓はかなり汚れていて、少々古ぼけているが、日本やヨーロッパの列車とほとんど変わりはない。それほど高速ではないが、途中、3つくらいの駅しか止まらなかった。
牧草地や畑、そして地方都市、山が窓の外に広がった。馬や牛や羊も見えた。高いところも通るが、思うにトンネルはまったくなかった。なだらかな高原を越していく。
タシケントに向かう時はほぼ満席だった。日本人観光客も見かけた。帰りは前方に中国人の10人ほどのグループ、そしてスマホで大きな音でドラマや歌やニュースを流す現地の老人、そして何人もの幼児がいて、とても賑やかだった。
サマルカンド
サマルカンドという土地にそれほどのなじみはなかった。なんとなく聞き覚えがある土地という程度だ。日本人のほとんどがそんなものだと思う。だが、行ってみて驚いた。これは素晴らしい都市だった。フィレンツェや京都やチェンマイに匹敵する古都だと思った。
サマルカンドはティムール朝の祖であるティムールの活躍の場だった。そして、この地に一族とともに葬られている。
ティムール朝、ティムール帝国! うーん、そういえば高校時代(私にとって暗黒の時代!)、世界史の時間にそのようなことを学んだ記憶があるが、50年以上前のことなのですっかり忘れてしまった! ガイドさんの説明を聞き、ガイドブックを読んで久しぶりに思い出した。このサマルカンドは13世紀の初めにチンギス・ハンによって徹底的に破壊され、その150年ほど後にティムールによって栄えた土地だった。
最初に案内されたアミール・ティムール廟にまず圧倒された。何はともあれ美しい!青色の目立つ壮大な門、そして青色のドーム。サマルカンド全体が「青の都」と呼ばれているというが、青空の下に見える青を基調にした建物群には圧倒されるしかない。室内にティムールをはじめとする一族の墓が並べられている。
ティムールの妃であったビビハニムを記念するビヒハニム・モスクも美しかった。今ではモスクとしては使われていないが、かつては巨大モスクだったという。修復されてかつての美しさを取り戻している。これも青を基調にした幾何学模様のタイルが敷き詰められた巨大なアーチがある。
外だけでなく、内部も壮麗にして気品にあふれている。息をのむ。私はデザインだの美術などについて形容する語彙を持たないので、ただただ圧倒されるばかり。
そして、それよりももっと圧倒されたのがシャヒジンダ廟群だった。石段を上ると、狭い通路の両側にティムールゆかりの人々の廟がいくつも立ち並んでいる。いずれも青を基調にした幾何学模様のタイルがびっしりと敷き詰められている。それが青空の下に続く。それぞれの建物の中も壮麗。
ウルグベク天文台跡にも行った。ウルグベクというのはティムールの孫であり、ティムール朝の第四代君主にして天文学者。天文台で観測して1年の長さを割り出したが、なんとそれは現代の精密機械で測った時間と1分の差もないという。
そして、私が何より気に入ったのは、街の中央にある市民の憩いの場であるレギスタン広場だった。これまた壮麗なアーチと青いドームに囲まれた石畳の広場だ。遠くから見れば薄茶色の建物だが、それもびっしりと青や金色の幾何学模様で覆われている。昼間の青空の下のたたずまいも壮麗だが、ライトアップされた夜も壮麗。広場の周囲には広い公園があって、木々があり、ベンチが置かれ、芝生が敷かれて市民が楽しんでいる。子どもたちが遊び、観光客が家族づれ、カップルが歩いている。ハンバーガーショップなどの店もいくつかある。
暗くなると大音響の音楽がかかり、ライトショーが始まった。赤い光や青い光が建物を照らす。
ただ実を言うと、毎晩、19時からForklore Theaterが行われるという表示があったので、18時50分頃から広場全体が見渡せるテラスに陣取って何十人もの観光客とともに待っていたのだが、中止になったのか、いつまでたっても始まらず、20時10分を過ぎてやっとライトアップショーが始まったのだった。しかも、クラシック音楽好きの私からすると、スピーカーからの割れた轟音は拷問に近い。10分ほどで退散した。
帰国
5月26日、サマルカンドからタシケントに列車で戻り、タシケント見物をした後、空港に向かって、21時40分出発の仁川経由のアシアナ航空便で、待ち時間も入れて合計18時間近くかけて成田に着いた(仁川で8時間ほど過ごした。マッサージを受けたり本を読んだりして、さほど退屈はしなかった)。
私の中では、サマルカンドの美しさへの感動が大きい。外国から帰ってきたときに「また行きたい」と思うことは多いが、ほとんど数年たつと忘れてしまう。が、サマルカンドにはきっとまた行くだろう、という気がしている。
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