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ヴァイグレ&読響の「オルガン付き」 音の万華鏡に興奮!

 2025628日、東京オペラシティコンサートホールで読売日本交響楽団の土曜マチネーシリーズを聴いた。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ、曲目は前半にロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲とトランペットの児玉隼人が加わって、ヴァインベルクのトランペット協奏曲変ロ長調、後半にサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。石上真由子がゲストコンサートマスター。

「ウィリアム・テル」序曲はしなやかで繊細な音で始まり、「嵐」の場面や行進曲の場面ではスケールが大きくなって、とても見事な演奏だった。もともと10数分の短いながら交響曲のような趣を持っている曲だが、ヴァイグレが指揮すると、いっそうスケール感が高まる。微細なところまで完璧にコントロールされた、美しくも堂々たる演奏だった。読響の音も躍動感があってとてもいい。

 ヴァインベルクの協奏曲は初めて聴いたが、とてもおもしろかった。特に第3楽章では聞き覚えのあるメロディが出現。まさにコラージュの音楽。それにしても、ソロの児玉隼人はなんと16歳だという。信じられないようなトランペットのテクニック! トランペットのテクニックについて、私はまったく知らないが、へえ、トランペットでこんな音が出るんだ!と舌を巻きながら聴くばかりだった。強い音も弱い音も見事にコントロールされ、音が表情を持ち、切れがいい。凄い。

 が、なんといっても、サン=サーンスの交響曲第3番に圧倒された。豪華絢爛、色彩にあふれ、繊細にしてスケールが大きい。私はこの曲を聴くと、まさに「音の万華鏡」といった感想を抱く。様々な色の楽器が微妙に色を変えながら大きく動き回る。次から次へと壮大な色模様が変化して、花火のような世界になっていく。しかも、そこにブルックナーの交響曲にも似た法悦が生まれる。それをヴァイグレと読響、そしてオルガンの大木麻里がこの上ない形で展開していった。

 一分の隙もなく構成され、しかも自由で奔放な感じを与える。実は私はこれまで、第一部の後半については少し退屈だと思っていたのだったが、今日は、あまりの美しさに魂が震えた。弦のかすかなピチカートに乗ってたゆたう弦楽器のメロディはまさに天上の音楽に思えた。終楽章は興奮の連続。色彩が大きく流動し、広がり、爆発していく。読響の力量にも感嘆! 様々な音色が入り乱れているが、それぞれの楽器の音が美しく、濁らない。透明に爆発していく。興奮した。

 ヴァイグレはドイツ音楽の巨匠だと思っていたが、フランス音楽も素晴らしかった。そして、もともと好きな作曲家なのだが、改めてサン=サーンスの凄みも知った。満足だった。

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山下裕賀リサイタル 素晴らしいメゾ・ソプラノが現れたものだ!

 2025626日、紀尾井ホールで「明日への扉 第45回山下裕賀リサイタル」を聴いた。ピアノ伴奏は多田聡子。前半は、3人の作曲家によるジプシーにまつわる歌。まず、ニゼッティの「ジプシーの娘」、ブラームスの「ジプシーの歌」、ドヴォルジャークの「ジプシーの調べ」、後半にソプラノの宮地江奈とテノールの工藤和真が加わって、ベッリーニ:の「カプレーティとモンテッキ」ミニハイライト。素晴らしかった。

 山下裕賀はまずドニゼッティで、ベルカントの見事な歌を聴かせてくれた。リサイタルの最初の歌は音程が不安定になりがちになるが、まったくそんなことはない。最初から、ぴたりと音程のあった美声で、勢いがあり歌心がある。華やかにして躍動的。すべての音域で安定して声が出ている。

 ブラームスの「ジプシーの歌」は打って変わって、ドイツリートの世界。ただ、昔、ジェシー・ノーマンの録音でよく聴いていたが、ノーマンの歌に聴き慣れた耳からすると、あまりに軽やかで健康的なのにびっくり! 私はもっとジプシーらしい暗い情念にあふれた音楽だと思っていた。が、歌詞を読んでみると、確かに健康で溌剌として若々しい音楽という解釈でまったく問題ない。山下は、まさに魂の奥底にある生命力を歌っている!

 ドヴォルザークもブラームスと同じようなアプローチだといえるだろう。が、もっとしなやかでもっと初々しい。「母が教えてくれた歌」はしっとりして見事だった。今どきこんな言い方は流行らないかもしれないが、まさに日本人離れした歌唱! このコンサートのタイトルは「明日への扉」ということだが、この人にとっての「明日」は、世界トップのメゾ・ソプラノ歌手になることだろう。すでに世界のトップクラスを行く歌唱と言って間違いないと思う。素晴らしいメゾ・ソプラノが現れたものだと思った!

 後半は、工藤和真のテバルドの歌で始まった。工藤の実演を聴くのは初めてだが、冒頭こそ、少し声のコントロールが甘かったもののすぐに本調子になって、圧倒的な歌声を聴かせてくれた。日本人歌手によるこんなに本格的なイタリアオペラのアリアを初めて聴いた! 堂々たる美声、完璧なコントロール。

 山下のロメオも素晴らしい。前半では抑制していた強いドラマティックな声が見事だった。ジュリエッタの宮地江奈もきれいな声でとてもよかった。ロメオとジュリエッタの二重唱はぴたりと音があって心地よかった。ロメオとテバルドの二重唱も絶品。若い歌手たちが世界に羽ばたいているのを実感した。

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神奈川フィルの「ラインの黄金」 驚異的な演奏!

 2025621日、横浜みなとみらいホールで神奈川フィルハーモニー管弦楽団による「ラインの黄金」(コンサート形式)を聴いた。

 ただ、実は会場に向かっているとき、電車の中で、息子さんからの電話で50年来の友人が急逝したことを知った。私よりも年上の女性で、著名な方の奥様でもあったので30歳を過ぎてからは一緒に遊ぶといったことはなかった(あ、もちろん、遊ぶといっても仲間たちと一緒に遊ぶのであって、二人きりではありません。誤解なきよう!)が、このところ、ともに配偶者をなくしたということもあって、ときどき電話で話をし、メールのやり取りをしていた。大好きな人だった! 合掌!

 そんなわけで、会場についてからも、しばらくは大きな衝撃と悲しみのために音楽を聴くどころではなかったことを告白しておく。このような個人的な事情がなかったら、きっと私は心の底から感動し、興奮していただろうと思う。

 素晴らしい演奏だった。驚異的な演奏と言っていいかもしれない。神奈川フィルの実力に驚いた。音楽監督の沼尻竜典の求める音をしっかり出して、会場全体をワーグナーの世界に作り上げていた。弦も美しいし、管楽器も見事に鳴っている! ワーグナーらしいうねりがあり、強靭で豊饒な響きがある。マエストロの功績も大きいだろう。凄いワーグナー指揮者だと改めて思った。

 歌手陣もそろっていた。九嶋香奈枝(ヴォークリンデ) 秋本悠希(ヴェルグンデ) 藤井麻美(フロースヒルデ)の3人がまず見事な歌で観客をワーグナーの世界に引き入れた。アルベリヒの志村文彦はどす黒いこの役を見事に声にしていた。ヴォータンの青山貴は高貴な声でこの役にふさわしい。フリッカの谷口睦美は堂々たる歌。声のコントロールも声量も申し分なく、圧倒的に素晴らしかった。ドンナーの黒田祐貴も高貴な声、フローのチャールズ・キムも強い美声、巨人族の二人、妻屋秀和(ファーゾルト) 斉木健詞(ファフナー)も実に巨人らしく、ローゲの澤武紀行は、この変幻自在の不思議な役を見事に形象化している。ミーメの高橋淳は、まさにこの人にしかできないあくの強いミーメを披露してくれた。フライアの船越亜弥は清純な声、エルダの八木寿子は深々として声。全員が見事に役を歌っている。当たり前のことだが、これほどまでに全員がその役を歌いきっていることは珍しい。コンサート形式なのに、情景が完全に思い描かれる。それぞれの人物もくっきりと浮かび上がる。

 この後、「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」と続いていくのだろうか。そうであってほしい。

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シューマン・クヮルテットの「大フーガ」と第13番に感動

 2025年6月17日、サントリーホール ブルーローズでシューマン・クヮルテットのベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏の5日目を聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第5番と「大フーガ」、後半に第13番。

 第5番は、意外と「ふつう」の演奏だった。初日に聞いたのとかなり印象が異なるので戸惑った。おそらく、この後の「大フーガ」、そして、後半の第13番との対比を明確にしようという意図なのかもしれない。大きな起伏はなく、初日に感じたようなドラマじみた仕掛けはない。アンサンブルは見事、それぞれの楽器の音質も合っている。ただ、第一ヴァイオリンを中心に心を合わせて一つの起伏の大きなドラマを作っていくという雰囲気はない。悪い演奏ではなかったが、ちょっと物足りなく思った。

 つぎの「大フーガ」は打って変わって激しい音にあふれた。直線的な激しい音の重なりによって巨大世界を作っていく。とはいえ、第一ヴァイオリンの鋭くて強い美音、チェロの包容力のある暖かい美音を中心にして、音そのものがとても美しいので、粗削りという感じはしない。緻密で強靭で芯のある音によって世界が構築されていく。感動した。

 ただ、私の思い描いている「大フーガ」とは少し異なっているのを感じた。私は、諦めようとして、どんなに言い聞かせても沸き起こってくる生命力、心の奥にある生のエネルギー、従来の形式の中に押し込まれることのない音そのものの力といったものをこの「大フーガ」に感じるのだが、シューマン・クヮルテットはもっと別のものを描きたいようだった。もっと非人称的、もっと非人間的なものかもしれない。とてもよい演奏だと思いながら、少しとらえきれなかった。

 第13番はもっと素晴らしいと思った。初日に聴いたときと同じような印象を抱いた。完璧なアンサンブルによって、おそらくは第一ヴァイオリンのリードのもと、起伏に満ちたドラマを作っていく。波乱万丈にして、研ぎ澄まされ、スリリング。しかし、温かみがある。第3楽章スケルツォのきりりと引き締まったエスプリに感嘆! 第5楽章「カヴァティーナ」は、前半部分は私はもう少しニュアンスがほしいと思ったが、後半のヴァイオリンのすすり泣くような音の美しさには魂が震えた。そして、終楽章。「大フーガ」付きではなく、この終楽章のヴァージョンを選んだ理由がよくわかる。なるほど、祈るようなカヴァティーナの後に、明るくて開放的なこの終楽章が置かれると、まさに一つの世界が完結する! この楽章では私は明るいわくわく感に満たされた。

 私はこの四重奏団を素晴らしいと思った。これからもっと伸びていく四重奏団だと思う。これからが楽しみだ。

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沖澤&都響の「春の祭典」  色彩的で洗練された「春の祭典」

 2025年6月15日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京都交響楽団演奏会を聴いた。指揮は沖澤のどか。曲目は、前半にドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とフランク・ブラレイと務川慧悟が加わってプーランクの2台のピアノのための協奏曲ニ短調。後半はストラヴィンスキーの「春の祭典」。

「牧神の午後」が始まったとき、そのフランス的な響きに感嘆した。都響の力量と沖澤の音響センスの結果だろう。ふくらみのあるほんのりとした音で色彩感にあふれている。ただ、そうはいうもののドイツ音楽好きの私からするとこの音楽展開はあまりに不定形で、ちょっと退屈してしまった。

 プーランクの2台のピアノのための協奏曲は、とてもおもしろい曲。プーランクらしい、気まじめなのかとぼけているのかわからないような不思議な展開を聴かせてくれながら、限りなく純粋な精神を際立たせてくれる。二人のピアニストも、完璧なテクニックによってプーランクの世界を作り出していた。この二人、師弟関係のようだ。ピアノをあまり聴かない私にはよくわからないが、二人の奏法が似ているように感じたのはそのせいかもしれない。

 プーランクの2台のピアノによる「カプリッチョ FP155」がアンコールに演奏された。まったく知らない曲だったが、これも楽しめた。

「春の祭典」はもっと素晴らしかった。前半以上の色彩感。そして、躍動するようなリズム感。オーケストラの音そのものも美しいが、それを束ね、解きほぐし、積み重ねていく沖澤の手際の良さに感嘆する。濁ることなく、様々な音が鳴り響き、広がり、躍動する。スケールも大きく、会場全体、世界全体を巻き込むかのよう。しかも、音楽性にあふれているので、しなやかで自然。キャリアを積み始めてまだ間もない若い指揮者の手になるとは思えない、全体まで見通した見事な演奏。

 ただ、この曲の持つ原始性は欠けていたかもしれない。ないものねだりとわかりながら、私としては、もう少し原始的で野蛮で衝撃的で生々しくてもよいような気がした。沖澤と都響の演奏は洗練されすぎている気がする。1913年にパリでこの曲が初演されたときの騒ぎは有名だが、今回のような演奏だったら、そんな騒ぎにはならなかったのではないかとさえ思った。当時のパリでは、東方の野蛮な音楽の襲来と捉えられたと思うのだが、そのような衝撃力はなかった気がする。

 とはいえ、これが沖澤の個性なのだと思う。しなやかで洗練され、スケールが大きく、色彩にあふれている。それだけでも素晴らしい。

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葵トリオ 健康的だが説得力のあるショスタコーヴィチの第2番

 2025年6月13日、サントリーホール ブルーローズでサントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデン 葵トリオのコンサートを聴いた。曲目は前半にベートーヴェンのピアノ三重奏曲第5番「幽霊」とマルティヌーのピアノ三重奏曲第2番、後半にショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第2番。

 くっきりした音像による躍動的で明快な音楽。実はベートーヴェンの第1楽章は、席のせいなのか、秋元孝介のピアノの音がけたたましく響きすぎる気がしたが、耳が慣れたのか、第2楽章以降は気にならなくなった。小川響子の躍動感あるヴァイオリン、伊東裕の趣があって知的なチェロ。三つの楽器が見事に絡み合う。明快な音造りをするこのトリオなので、第2楽章の「幽霊」の部分も、脚がないような曖昧な雰囲気ではなく、明快な音で深みのある半音階的な和音の動きを作り出す。

 マルティヌーのピアノ三重奏曲第2番は初めて聴いたが、初めて聴いてもわかりやすいとても魅力的な曲だった。弦楽器の音のからみあいがとてもおもしろい。マルティヌーの室内楽で初めて面白いと思った!

 後半のショスタコーヴィチもとてもよかった。ただ、私の期待していたショスタコーヴィチではなかった。葵トリオが演奏すると、良くも悪くも健康的で若々しくなる。ショスタコーヴィチ特有のヒステリックといえるまでの神経の高ぶりが聞こえてこない。この曲は親友の死に触発されて作曲された追悼の曲であり、悲しみの曲なのだから、もっとそのような感情をたたきつける演奏を期待していたのだったが、まったくそうではなかった。第3楽章の悲しみのメロディも、終楽章の叩きつけるような音も、悲しみをかみしめ、人生の理不尽への怒りと絶望の爆発にかられる音に聞こえない。むしろ、純粋に器楽的な音の鮮烈なからみあいに聞こえる。もちろん、それはそれで非常に説得力がある。ショスタコーヴィチの精神が乗り移ったような演奏ではなく、楽器の持つ音の世界の挑戦とでいうか。音の世界が高揚してゆき、聞き手を音響的興奮に巻き込む。私としては期待とは違っていたものの、それはそれで十分に納得して聴いたのだった。

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シューマン・クヮルテット まるでドラマのようなベートーヴェンの1・7・16番!

 2025611日、サントリーホール ブルーローズでシューマン・クヮルテットのベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏の初日を聴いた。シューマン・クヮルテットは、ローベルト・シューマンの名前を取ったのだとばかり思っていたら、この名称は、第1、第2ヴァイオリンとチェロを担当しているシューマン3兄弟の名前に基づく。そして、この3兄弟、母上は日本人だとのこと。

 曲目は、前半に第1番と第7番(ラズモフスキー第1番)、後半に第16番。素晴らしかった。

 ちょっと味付けが濃いかもしれない。メリハリを明確にし、フレーズとフレーズの楽想の違いを鮮明にする。そして、しばしば大きく盛り上げ、ときに静かに、そして小さく音楽を作る。アンサンブルは完璧。音色もそろっている。そうやって音楽にドラマを作っていく。あざといといえばあざとい。しかし、第1ヴァイオリンの研ぎ澄まされていながらもヒステリックなところがなく、温かみがにじみ出る音、第2ヴァイオリンの知的な支え、そして、チェロのくっきりとして深みと温かみのある音、ヴィオラの歌心のある音によって、あざとさを感じない。説得力のある音楽として展開されていく。

 とりわけ、第1番の第2楽章の構築は見事だと思った。一つの物語を作ったといえるだろう。波乱万丈のドラマというべきか。サスペンスにあふれ、盛り上がっていき、大団円を迎える。それが音色のあった弦楽器で展開されていく。

 第7番もスケールが大きく、4つの楽章を通じてドラマが盛り上がっていく演奏。最後には、大きな喜びにあふれる。一つ一つの楽章の展開に説得力があり、まるでドラマをみている感じがして飽きることがない。

 第16番はことのほか素晴らしかった。この曲はまさにベートーヴェンの最後の境地だと思う。交響曲第9番の第4楽章のあの「喜びの歌」と同じような、他愛のない単純な旋律が高らかに歌われる。まさに最後にたどり着いた澄み切った単純な世界! それをこの4人は力を合わせて達成していく。そのさまが手に取るようにわかる。

 第1ヴァイオリンのエリック・シューマンがきれいな日本語で紹介があって、アンコールはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番の第3楽章。これも弾けるようで躍動感にあふれてすばらしかった。


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マリオッティ&東響 ロッシーニの「スターバト・マーテル」に興奮した!

 202568日、サントリーホールで東京交響楽団定期公演を聴いた。指揮はミケーレ・マリオッティ。曲目は前半にモーツァルトの交響曲第25番、後半にロッシーニの「スターバト・マーテル」。素晴らしい演奏! とりわけ、「スターバト・マーテル」は凄かった! 興奮した!

 モーツァルトの交響曲第25番は冒頭から勢いがあり、細かいニュアンスにあふれている。まさにモーツァルトの短調! 悲劇的ではあるが、躍動し、疾走する。第2楽章、第3楽章も管楽器の重なりが見事。東響のメンバーも素晴らしい。

「スターバト・マーテル」はもっとすごかった。この曲で歌われる、親しみやすく、かなり俗っぽいメロディでありながらも、まるで童心に戻ったかのような信仰心。それがきびきびとしてリズムと明確な音の重なりによって、ニュアンス豊かに歌われ、ドラマティックに盛り上がっていく。そうして、しなやかで躍動的なロッシーニの心が広がっていく。

 独唱陣はこれ以上は考えられないほどの歌手たちだった。ソプラノのハスミック・トロシャンは劇的で強い美声。第8曲のアリアの悲劇性は比類なかった。メゾ・ソプラノのダニエラ・バルチェローナも相変わらずの強い声で見事に歌う。テノールのマキシム・ミロノフ、バスのマルコ・ミミカともに、揺るぎのない明確な声で輝かしく、そして深く歌う。そして、特筆したいのは辻裕久合唱指揮による東響コーラスの合唱。ささやくような声から大きな声まで、完璧なハーモニーを聴かせてくれた。最後の15分くらい、私は感動に震えていた。

 最高の指揮と最高の独唱、そして大健闘のオーケストラと合唱。ロッシーニの「スターバト・マーテル」は好きな曲だが、これほどの感動を味わったのは初めてだった。

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練木&クヮルテット・インテグラ 勢いのあるブラームスのピアノ五重奏曲!

 2025年6月7日、サントリーホールブルーローズで、サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデンの初日、クヮルテット・インテグラ&練木繁夫の演奏を聴いた。

 曲目は前半にシューマンのピアノ五重奏曲、後半にブラームスのピアノ五重奏曲。

 クヮルテット・インテグラは言わずと知れた若手の室内楽のトップを走る団体で、サントリーホール室内楽アカデミーで学んできた。練木繁夫はそのアカデミーの講師だった。つまりは師弟による演奏。

 シューマンに関しては、私は少し違和感を覚えた。練木が若手を引き立てようとしすぎているのではないかと思った。あまりに若々しく、どちらかというと突っ走っていく演奏に思えた。「もう少しじっくり演奏するほうがいいだろうに! そんなに突っ走らないで、ゆっくり組み立てようよ!」と言いたくなるところが、多々あった。そのために、一本調子になっていたり、構築性が弱くなっていたりするのを感じた。とりわけ第2楽章はもっとリリックに演奏してほしいと思った。もちろん、勢いがあって、激しいロマンティックな気分があってとても感動的なところもあるが、全体的に少しだけ不満だった。

 ブラームスのほうはもっとずっと良かった。こちらも同じタイプの演奏だと思う。若さを面に出して、勢いよく強い感情を描いていく。しかし、こちらは曲自体がシューマンの曲に比べて構築的であるせいもあるのかもしれないが、音楽に深みがあり、単に若さだけでない奥行きが出ている。

 音程のよいシャープな音で正確なアンサンブル。そうした音で躍動的に演奏するので、スケールが大きくなり、感情の幅も広がる。私としては、こちらの曲でも、もう少しフレーズに表情の差をつけてもよいのではないかと思ったが、それよりも若い力による力感あふれる演奏を重視したのだろう。第3楽章はとりわけダイナミックで見事だった。

 今年もサントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデンでは素晴らしい演奏が続きそう。楽しみだ。

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映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」 仮面と仮面の輪舞!

 先日、テレビで放送された映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」をみた。何気なくみたのだったが、大変おもしろかった。漫画原作の映画を見慣れないせいかもしれないが、リアルと非リアルの自由な交錯に惹かれた。そこで展開される「黒の美」というテーマも興味深かった。今、上映中の「岸辺露伴は動かない 懺悔室」も薦めてくれる人がいて、出かけることにした。これもなかなかおもしろかった。

 原作は荒木飛呂彦、監督は渡辺一貴。

 有名漫画家・岸辺露伴(高橋一生)は文化イベントの招待を受けたのを機会に、マンガの取材のためにヴェネツィアに行く。そこで懺悔室にふと入って、神父と間違われ、仮面をつけた日本人男性(井浦新)から懺悔される。その男の懺悔によれば、かつてヴェネツィアで暮らし始めたころ、苦しむ日本人(戸次重幸)をいたぶって死なせてしまい、その男の霊に「幸せの絶頂で絶望に襲われる」という呪いを受け、それ以来、幸せにならないように工夫して生きているという。ところが、最愛の娘の結婚が近づき、幸せの絶頂になって絶望をもたらすのではないかと恐れている。露伴は、そうした父と娘にかかわる(ネタバレを避けて、これ以上は語らない)。

 露伴の不思議な服、ヴェネツィアという土地、ヴェネツィアンマスクなどの神秘的な様々な仕掛けによって、かなり不自然な設定が違和感なく受け入れられる。そのなかで、生と死の表裏、幸福と絶望の表裏が語られる。観客も不思議な世界に入り込む。ホラー映画的な要素もあり、演技者たちも説得力ある熱演。

 露伴と担当編集者の泉京香(飯豊まりえ)が小サロンでのピアノ伴奏版の「リゴレット」をみる場面がある。相手を殺すつもりで殺し屋を雇ったら、殺されたのはわが娘だったという場面。生と死、誠実と裏切り、虚と実、仮面と実像、そのようなものが入り乱れる。そして、「リゴレット」を変形する形でドラマは進んでいく。まさにヴェネツィアを舞台にした仮面と仮面の輪舞。

 ただ思ったのは、最高の幸せの中での絶望というのは、自分の命を失うことではなく、最愛のものを奪われることであるのは当然だろう。登場人物がそのことになかなか思い当たらないのは意外だった。

 それにしても、幸せは必ず失われる。幸せが大きければ大きいほど絶望も大きい、幸せと絶望はまさに表裏だと改めて思う。父親(この場面では大東駿介が演じている)がポップコーンを放り投げて口で受ける場面の不気味さは見事だった。

 ところで、映画の中のリゴレットとジルダの役を歌っていた歌手は誰なのだろう。ピアノ伴奏だったので、有名な録音からの抜粋ではないだろう。エンドクレジットに名前が出なかったので、有名歌手ではないのだろうか。しかし、かなりのレベルの歌だった。イタリアには、あのようなレベルの歌を歌える歌手がたくさんいるのだろうか。かなり気になった。

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オペラ映像「カルメン」「テオドーラ」「戦争と平和」「ノルマ」

 長嶋茂雄氏が亡くなった。誰もが語っていることについて、私が付け加えて語ることなど何もないが、こう見えて、私も子供のころは野球少年で大の長嶋ファンだった。私も同世代の多くの人と同じように、あらゆるところで「3」という数字のついた物を争って得ようとした一人だ。

 小学生から大学生までの私の学生生活と長嶋選手の現役生活はぴったりと重なっている。確か、私が小学校に入学した年に長嶋選手はプロ入りしたのだったと思う。そして、大学を卒業したものの就職できずに途方に暮れて、大学院にでも行くかと勉強を始め、そこでも壁に突き当たったころに、長嶋選手の引退試合があった。アパートの4畳半の部屋で友達からもらった白黒テレビで涙を流しながら引退試合、そして引退セレモニーを観たのを覚えている。合掌。

 何本かオペラ映像をみたので、感想を記す。

 

ビゼー 「カルメン」(ギローによるレチタティーヴォ補筆付グランド・オペラ版)20239月 ルーアン・ノルマンディ歌劇場

 初演時の版を用い、演出も資料に基づいて、初演時の舞台に近い形にしたのだという。むしろ台本から大きく離れて意味不明の最近の演出に比べて、こちらの方がよほど新鮮で感動的。なるほどこの時代の人たちはこんな格好で登場するよなあ…と納得する。

 音楽については、私が「カルメン」に実はあまりなじんでいない(50歳を過ぎるまで、ドイツ系のオペラ一辺倒だったため、実演はおろか映像全編を通してみたこともなかった。レコードはカラヤン指揮のものを購入したが、卑俗に感じて最後まで聴きとおせなかった)せいかもしれないが、聴いたことのない部分があった。のちにカットされたのだろう。

 演奏については、カルメンを歌うディーパ・ジョニーが突出していると思う。歯切れのいい歌、妖艶さはなくてかなり健康的ではあるが、強い声で、これはこれでとても魅力がある。オマーン出身だという。まさに容姿的に中東美人! シェエラザードのような趣がある。ドン・ジョゼのスタニスラス・ド・バルベラックは律儀な青年といったこの人物をうまく歌っている。エスカミーリョのニコラ・クルジャル、ミカエラのユリア・マリア・ダンは傑出してはいないが、しっかりと歌っている。

 ベン・グラスバーグ指揮のルーアン・ノルマンディ歌劇場管弦楽団は、明らかに世界一流のオーケストラとは異なる音がするし、指揮についても冴えたタクトさばきは感じられないが、手作り感があり、ぬくもりのある音が出てきて、とても好感が持てる。

 

ヘンデル オラトリオ「テオドーラ」 202227,12日 ロイヤル・オペラ・ハウス

 オラトリオをケイティ・ミッチェルの演出によってコヴェント・ガーデンでオペラのように上演したもの。しかも、ローマ時代の物語が現代に移され、本来はローマの神々への信仰を拒否して処刑された恋人たちの話だったはずのものが、ローマの神々を信仰する権力者に信仰を強要されたキリスト教徒がテロを企てる話になっている。「今、欧米の人々はイスラム教徒のテロを非難するけれど、キリスト教徒がかつてしたこともテロと同じだよ」というメッセージだろうか。それはそれでとても刺激的。歌手陣の演技もみごと、外見的にも違和感がない。もし私がヘンデル愛好者だったら怒り狂うかもしれないが、ヘンデルには思い入れはないので、納得してで観ていられる。

 演奏については言うことなし。本当に素晴らしい! ハリー・ビケットの指揮もきびきびしてとてもいい。コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団がヘンデルにふさわしい古楽的な音を出す! 歌手陣はまさに最高。テオドーラのジュリア・ブロックは豊かで伸びのある声で強く健気な女性を歌う。ディディムスのヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキは音程のよいカウンターテナーで、真面目で主義を通す男性を歌う。アイリーンのジョイス・ディドナートはさすがの歌唱。強くて躍動感のある声は健在。素晴らしい。セプティミウスのエド・ライオン、ヴァレンスのギュラ・オレントもとてもいい。

 バロック・オペラもなかなか面白い、とこのごろ強く思うようになっている。

 

プロコフィエフ 「戦争と平和」 20233月 バイエルン国立歌劇場

 ドミトリー・チェルニアコフの演出は、私には経費節減の苦し紛れの他愛のない思い付き演出にしか思えない。舞台はずっと同じ。おそらく戦闘による避難所。駅か学校のような広いところに、現代の服装の大勢の人々が着の身着のままの姿で集まっている。もちろん、貴族たちの豪華な服も、軍服もほとんど登場しない。みんながみすぼらしい恰好のまま避難所内で演技する。避難民は、初めのうちは静かにしているが、だんだんと荒れてきて、最後には殺し合いにまで発展するが、最後には避難所は勝利を祝って片づけられる。それだけ。

 アンドレイとナターシャの別荘での出会いも、宮廷の大舞踏会も、ナポレオンやクトゥーゾフ将軍の登場する戦場の場面も、すべてみすぼらしい服、あるいは道化じみた服の登場人物が同じ避難所内で歌う。これでは、登場人物の心情も「戦争と平和」のテーマも伝わらない。演奏会形式にしてくれる方がずっとイメージできてありがたい。

 大勢の人間が出てきてわっさわっさしているだけで、ただただ愚かしい。演出家はウクライナ戦争、ガザ戦争を前にして、何もできず、ただその世界から避難して、無責任なままでいるほか国の人々を揶揄しているつもりだろうか。他人事でいるうちに、世界は混乱してしまう。まあ意図はわからないでもないが、なにもそのようなことをこの「戦争と平和」の演出の場で主張することもなかろう。演出家の政治主張の場としてオペラを利用したに過ぎないと私は思う。

 ただ、歌手陣はそろっている。

 アンドレイを歌うアンドレイ・ジリホフスキーは気品ある歌。ナターシャのオルガ・クルチンスカも清純な声と若々しい演技がとてもいい。ピエールのアルセン・ソゴモニャンもしっかりした声で、まさにこの役を歌う。アナトーリ役のベグゾッド・ダヴロノフはいかにも世の中をなめきった育ちのいいならず者を美声で演じて、とても感心した。マリア・アフロシモワ夫人を歌うのはヴィオレータ・ウルマーナ、ボルコンスキー公爵を歌うのはセルゲイ・レイフェルクス。ベテラン健在!

 指揮はヴラディーミル・ユロフスキー。指揮についてどうこういえるほど、このオペラについては知っているわけではない。が、プロコフィエフらしい躍動感があり、猥雑さの中のリリシズムがあって、私はとてもいいと思う。tだ、この演出では、音楽に同化できないので、残念ながら、それ以上の感想はない。

 

ベッリーニ 「ノルマ」2025年2月1923日 アン・デア・ウィーン劇場 (NHKBSにて放送)

 アスミク・グリゴリアンが歌うというので、楽しみにして放送をみた。いやあ、思っていた以上に素晴らしい! 実を言うと、「イタリア・オペラなんかで浮気していないで、ワーグナーとシュトラウスとヤナーチェクのヒロインに専念して歌ってほしい!」と思っていたのだが、いやどうしてどうして、グリゴリアンのイタリア・オペラも言葉を失う凄さ! 高音から低音まですべての声が完璧にコントロールされ、しかも強くてしなやか。感情表現も素晴らしく、演技も見事。マリア・カラスに匹敵すると思う(ただ、そう思って、後でカラスの「清らかな女神よ」を聴き返してみたところ、やっぱりカラスは別格!)。

 アダルジーザのアイグル・アクメチナもとてもいい。初めて名前を知ったが、素晴らしい歌手だと思う。ノルマとの有名な二重唱も声がぴたりと合って美しくも壮絶だった。

 ポッリオーネのフレディ・デ・トマーゾは第1幕では少しだけ声がかすれるところがあったが、強い美声がとても魅力的だ。ただ、ノルマやアダルジーザを虜にする魅力的男性に見えないのが残念。オロヴェーゾのタレク・ナズミは安定した貫禄ある歌唱。

 アルノルト・シェーンベルク合唱団の合唱が素晴らしい。さすが。フランチェスコ・ランツィロッタの指揮するウィーン交響楽団も文句なし。ベッリーニのオーケストレーションにはかなり難があるが、それをうまくドラマティックに鳴らしている。

 問題はヴァシリー・バルカトフの演出だろう。このごろではイタリア・オペラでも読み替え演出がなされるようになったようだ。本来は、ローマ帝国支配下の異教の国の巫女ノルマの物語だったはずだが、舞台は現代の石膏工場に移され、ノルマは無理やり独裁者の石膏像を作らされている工場のオーナーという設定らしい。ポッリオーネは独裁者の手先ということだろう。こんな設定にすると、ローマ人と恋をする女たちの葛藤がまったく伝わらないし、最後の火刑の場のリアリティがなくなる。そのためか、ピッリオーネは火刑台(石膏工場のかまど)に向かうノルマを助け出して終わる。「なんのこっちゃ!」と言いたくなる。

 こんなたわけた演出でも聴く者を感動させるグリゴリアンの歌の凄みを改めて感じた。

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