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沖澤&都響の「春の祭典」  色彩的で洗練された「春の祭典」

 2025年6月15日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京都交響楽団演奏会を聴いた。指揮は沖澤のどか。曲目は、前半にドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とフランク・ブラレイと務川慧悟が加わってプーランクの2台のピアノのための協奏曲ニ短調。後半はストラヴィンスキーの「春の祭典」。

「牧神の午後」が始まったとき、そのフランス的な響きに感嘆した。都響の力量と沖澤の音響センスの結果だろう。ふくらみのあるほんのりとした音で色彩感にあふれている。ただ、そうはいうもののドイツ音楽好きの私からするとこの音楽展開はあまりに不定形で、ちょっと退屈してしまった。

 プーランクの2台のピアノのための協奏曲は、とてもおもしろい曲。プーランクらしい、気まじめなのかとぼけているのかわからないような不思議な展開を聴かせてくれながら、限りなく純粋な精神を際立たせてくれる。二人のピアニストも、完璧なテクニックによってプーランクの世界を作り出していた。この二人、師弟関係のようだ。ピアノをあまり聴かない私にはよくわからないが、二人の奏法が似ているように感じたのはそのせいかもしれない。

 プーランクの2台のピアノによる「カプリッチョ FP155」がアンコールに演奏された。まったく知らない曲だったが、これも楽しめた。

「春の祭典」はもっと素晴らしかった。前半以上の色彩感。そして、躍動するようなリズム感。オーケストラの音そのものも美しいが、それを束ね、解きほぐし、積み重ねていく沖澤の手際の良さに感嘆する。濁ることなく、様々な音が鳴り響き、広がり、躍動する。スケールも大きく、会場全体、世界全体を巻き込むかのよう。しかも、音楽性にあふれているので、しなやかで自然。キャリアを積み始めてまだ間もない若い指揮者の手になるとは思えない、全体まで見通した見事な演奏。

 ただ、この曲の持つ原始性は欠けていたかもしれない。ないものねだりとわかりながら、私としては、もう少し原始的で野蛮で衝撃的で生々しくてもよいような気がした。沖澤と都響の演奏は洗練されすぎている気がする。1913年にパリでこの曲が初演されたときの騒ぎは有名だが、今回のような演奏だったら、そんな騒ぎにはならなかったのではないかとさえ思った。当時のパリでは、東方の野蛮な音楽の襲来と捉えられたと思うのだが、そのような衝撃力はなかった気がする。

 とはいえ、これが沖澤の個性なのだと思う。しなやかで洗練され、スケールが大きく、色彩にあふれている。それだけでも素晴らしい。

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