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オペラ映像「アディーナ」「魔笛」「オルフェとウリディス」「仮面舞踏会」

 猛烈な暑さの中、何本かオペラ映像をみた。

 あ、そうそう、その前に、私的なことでは、2025724日の読売新聞のシングルスタイルという面に私のインタビュー記事が大きく取り上げられたことを付け加えておく。ただ、聞くところによると、私の出身地である九州ではこの面は掲載されていないらしい。九州の知人の多くは地方紙を購読していると思うので、いずれにせよ読んでくれる人は少なかったと思っていたが、少し残念!

 主として拙著「70過ぎたら『サメテガル』」(小学館新書)について語った。まあ、要するに、「年を取ったら、イエス・ノーをはっきりさせる必要はない。生産社会から脱して、サメテガル(どちらでもいい)と考えて、気楽に生きましょう」といったことを語っている。拙著では、インタビューでは語らなかったもっと深いことも多少は語っている!

 4本のオペラ映像の感想を記す。

 ロッシーニ 「アディーナ」 20188月 ペーザロ、ロッシーニ劇場

 ロッシーニ25作目のオペラ。90分に満たないファルサ(笑劇)。

 恩のあるバクダッドの太守に結婚を申し込まれたアディーナはそれを承諾したが、その後、死んでいると思っていた昔の恋人セリーモが現れる。セリーモと逃げようとしてとらえられるが、実はアディーナは太守の離れ離れになった娘だったことがわかって、めでたしめでたし、という筋立て。

 これは本当に素晴らしい上演! 歌手がそろっている。まず何よりも圧倒されるのが、アディーナを歌うリセット・オロペサだ。驚くべき美声! こんな美声、めったに聴けるものではない。しかも声の技術も完璧で、躍動感にあふれ、自由に歌いまくる。外見もこの役にふさわしい。

 セリーモのレヴィー・セクガパーネはアフリカ系の若いテノールだが、この人も素晴らしい。かつての声の輝きを失いつつあるフローレスに代わる次代のスターなのだろう。輝かしい高音で声のエネルギーがすさまじい。太守のヴィート・プリアンテはベテランだが、美声で軽妙、言うことなし。ムスタファのダヴィーデ・ジャングレゴリオもしっかりとしたバリトン、アリのマッテオ・マッキオーニも輝かしいテノール。よくもこんなに高いレベルの歌手がそろうものだ!

 ディエゴ・マテウスがロッシーニ交響楽団を指揮している。若い指揮者だが、これも溌剌としてとてもいい。演出はロゼッタ・クッキ。ロラン・ペリーのような雰囲気の軽快で色彩的な舞台になっている。太守の家はまるでデコレーションケーキ! まさにおとぎ話の世界を作り出す。歌手陣の動きも楽しい。

 

モーツァルト「魔笛」 ウィーン国立歌劇場 2025年2月1・4・7日(NHK/BSで放送)

 もちろんかなりレベルの高い上演ではあるが、私はそれほどの感銘は受けなかった。

 指揮のベルトラン・ド・ビリーは明確でくっきりした演奏。だが、その分、勢いが失われてもたついている感じがした。バルボラ・ホラーコヴァーの演出については、最後、夜の女王が放逐されるのではなく、ザラストロと和解して、登場人物みんなでミニチュアのグロッケンシュピールを鳴らす、という平和な結末になることをのぞいて、特に新解釈らしいところはなかった。

 歌手陣ではザラストロのゲオルク・ツェッペンフェルトが突出していると思った。タミーノのユリアン・プレガルディエンは不調だったのか、第1幕ではかなり声のコントロールが甘く、息苦しささえ感じた。夜の女王のセレナ・サエンツはきれいな声でしっかり歌うが、それを越す凄まじさは感じられなかった。パミーナのスラーフカ・ザーメチニーコヴァーは自然な発声の美声でとても好感は持てるのだが、ちょっとミュージカル風の平板な歌いまわしなのが気になった。パパゲーノのルートヴィク・ミッテルハンマーもなかなかの美声でしっかり歌っているが、あと少しの魅力がほしいと思った。

 

グルック 「オルフェとウリディス」2022421日 フィレンツェ五月音楽祭歌劇場

「オルフェオとエウリディーチェ」のフランス語版。これは素晴らしい上演! まず演奏がいい。指揮のダニエーレ・ガッティが高貴で歌心にあふれた演奏を聴かせてくれる。

 ピエール・オーディの演出も簡素にしてとても刺激的だ。大道具も小道具もほとんどない簡素な舞台、3人の登場人物はいずれも白の衣装を身に着けている。ただ動きと表情から、妻ウリディスの死後、オルフェはアムールに恋し、亡きウリディスがそれに嫉妬している様子がわかる。最後まで緊張感を孕んでいる。確かにこれだけで、亡くした妻をよみがえらせようという時にまで人間に付きまとう愛と嫉妬という業を描いている。

 歌手陣も見事と言うしかない。オルフェのフアン・フランシスコ・ガテルは外見こそちょっとこの役には老けすぎているが、声は高貴。この役にふさわしい。細かいところまで神経の行き届いた知的な歌唱。ウリディスのアンナ・プロハスカも潤いのある美声、アムールのサラ・ブランチは清らかな声で、しかも、確かにウリディスの嫉妬を招きそうな美貌なので、とても説得力がある。

 登場人物の心理を描くバレエも含めて、しみじみとした感動を誘う上演だと思った。

 

ヴェルディ 「仮面舞踏会」 2017年 バルセロナ、リセウ大劇場

 リッカルドを演じるピョートル・ベチャワが素晴らしい。私はこの人の歌うのは、実演や映像でかなり接してきたが、どんな役でも常にきわめて高水準。強い声で、しかも十分に叙情的。アメーリアのケリ・アルケマは色気のある容姿と声で、この役と少しイメージが異なる。カルロス・アルバレスがレナートを歌っているが、さすがの歌唱で、陰湿な悪役をみごとに歌う。ウルリカのドローラ・ザジックは不気味さを出し、オスカルのエカテリーナ・トレチャコワは美貌としっかりした声でとてもいい。

 レナート・パルンボの指揮はきわめてドラマティックで起伏がある。このオペラ、私はあまりなじんでこなかったので、ほかの演奏と比較することはあまりできないが、とてもよい演奏だと思う。

 演出はヴァンサン・ブサール。首を吊った女性(アメーリア?)の人形が舞台にかかっていたり、赤い車(ポルシェ?)のモデルカーが登場したりと、運命に操られる状況を暗示するが、比較的オーソドックスな演出だった。

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新国立劇場研修生の「スザンナの秘密」と「ルクレツィア」を楽しんだ

  2025726日、新国立劇場中劇場で、新国立劇場オペラストゥディオ(オペラ研修所)サマー・リサイタル 2025をみた。上演されたのは、ヴォルフ=フェラーリ作曲のオペラ「スザンナの秘密」とレスピーギのオペラ「ルクレツィア」。いずれもピアノ伴奏版。指 揮は松村優吾、演出は粟國淳、ピアノは岩渕慶子と髙田絢子。ともに、実演、映像ともに。これまで私は観たことがないと思う。

「スザンナの秘密」は、まるでアンジャッシュのコントのような筋立ての短いオペラ。煙草の匂いをさせる妻スザンナの浮気を伯爵は疑ってあれこれ鎌をかけ、その受け答えから浮気を確信する。が、実はタバコを吸っているだけだったという他愛のないオチ。スザンナを歌う渡邊美沙季、伯爵を歌う小野田佳祐ともに、自然な声で歌う。ところどころ声のコントロールが甘いところがあったが、演技も含めてとても好感が持てた。ただ、きれいなメロディがあるとはいえ、煙草賛美のように終わるこのオペラは、現代ではあまり説得力を持たないと思った。

「ルクレツィア」は、「ルクレツィアの凌辱」として知られる物語。私はブリテンのオペラであらすじは知っていたが、これは史実に基づくらしい。王政ローマの最後の王の息子セスト・タルクィーニオが部下の妻であるルクレツィアの貞操を試そうとして凌辱、ルクレツィアは自ら死を選び、王政の幹部たちは、タルクィーニオを憎み、王政をやめることを決意する。

 こちらは重めの声の歌手たちがそろって悲劇を歌い上げる。「声」(つまりはナレーターかな?)の後藤真菜美とルクレツィアの有吉琴美がとてもよかった。強い声で憤りをかみしめながら歌う。音程もいいし、声もよく出ている。セスト・タルクィーニオを歌ったのは賛助出演の青山貴。さすがの圧倒的な声と演技だと思った。そのほかの歌手たちも実に見事。ただ、このオペラも、卑劣で悲惨な凌辱を描くだけのような気がして、私にはそこに深みを感じることができなかった。オーケストラで演奏されていれば、もっと深い人間心理が描かれていたのだろうか。オペラとしての限界を感じざるを得なかった。

 とはいえ、若い人たちの健闘を目の当たりにして、とても楽しかった。ぐんぐんと日本のオペラのレベルが上がっているのを強く感じる。

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METライブビューイング「セビリアの理髪師」

 

 東銀座の東劇で、METライブビューイング「セビリアの理髪師」をみた。2025年5月31日上演のもの。若手を中心にしたキャスト。素晴らしかった。楽しかった。

 指揮のジャコモ・サグリパンティもかなり若い。序曲からして、猛烈に煽るタイプの演奏。この序曲でこんなに燃焼するのか!と驚いた。その後はそれほど煽ることはなかったが、それにしても最後まで溌剌として熱い演奏。ロッシーニらしくてとてもいい。

 演出はバートレット・シャー。ユーモアのセンスがあり、ニンマリするところがたくさんある。合唱を含む登場人物の動きがリズミカルで、しかも黙役のアンブロージョがパントマイムで大活躍する(きっと名のある俳優さんなのだろう)。その存在感もすごい。

 歌手陣は最高度に充実している。やはり圧倒的なのは、フィガロを歌うアンドレイ・ジリカウスキだ。「私は町の何でも屋」は言葉をなくす凄さ! すべての音を正確に出して、音程もよく溌剌とし、声も美しい。演技もまさにフィガロそのもの。

 アルマヴィーヴァ伯爵のジャック・スワンソンは20代に見える。貴公子然とした容姿で、第1幕ではハラハラするような出来だった(アジリータがうまくいかず、いくつもの音がきちんと出なかったようだ)だったが、第2幕最後のアリアは素晴らしかった。この容姿だと、これから大人気になってあちこちのオペラハウスで引っ張りだこになるだろう。

 ロジーナのアイグル・アクメトチナもかなり若いメゾ・ソプラノ。ちょっとドスの効いた声で、かなり強気のロジーナを見事に歌う。歌の技巧も見事で、この人もきっち引っ張りだこになるだろう。

 バルトロのピーター・カルマンはベテラのようだが、とてもうまい。声の技巧もさることながら、芸達者なので、実におかしみを醸し出し、敵役ながら愛嬌がある。バジリオのアレクサンダー・ヴィノグラドフ(調べてみたら、新国立劇場で「フィガロの結婚」のタイトルロールを歌ったことがあるらしいし、近年、大活躍しているようだ)も深い声でこの不思議な人物を歌う。

 メトロポリタンはほんとうにレベルが高い! そして、ロッシーニはほんとうに楽しい!

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ギルバート&都響のブラームス3・4番 今回も素晴らしかった!

 2025723日、東京文化会館で東京都交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はアラン・ギルバート、曲目はブラームスの交響曲第3番と第4番。先日の第1番・第2番に続き、ブラームス・チクルスの後半ということになる。今回も素晴らしかった。

 前回と同じようにしなやかで繊細な演奏。細かいところまで神経が行き届き、すべての音に表情があり、生命があるのを感じる。第3番冒頭から、よく聴くと弦がニュアンス豊かにうねっている! それがくんずほぐれつ。場合によっては大きく盛り上がり、時にぐっと音が鎮まる。その一つ一つの表現に説得力がある。こまかい表情付けを行っているが、少しもうるさくない。第1楽章は徐々に高揚、第2楽章は繊細、そして、第3楽章はまさに抒情。しかし、決して情緒に堕することがない。第4楽章は大きく盛り上がり、静かに波が引いていく。

 見事だった。ただ、曲のせいなのか、実をいうと、第1番、第2番ほど感動はしなかった。終楽章が盛り上がらないと、コンサートではどうしても印象が弱まってしまう。

 第4番は、第1楽章は意外と淡々とした始まりだった。もちろんニュアンス豊かではあるが、このメロディ特有の哀愁が期待していたほど濃くない。が、徐々に徐々に盛り上がっていく。きっと意図的にそのように組み立てているのだろう。第1楽章の最後は壮絶というべきか!

 第2楽章は一層ニュアンス豊か。都響の管楽器は本当に美しい! 第3楽章で大いに盛り上がって、第4楽章、パッサカリア。一つ一つの変奏の表情の重なりと切り替えが絶妙だと思った。もともとブラームスが信じられないほど巧妙に、変奏を重ねつつ連続していくように作曲しているわけだが、それが今出来上がっていくかのように目の前で展開していく。みごとだと思った。

 アラン・ギルバートはすでに巨匠だと思う。都響との相性もとてもいいのを感じる。とても満足だった!

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BCJのロ短調ミサ 素晴らしい演奏だったが・・・

 2025年7月20日、サントリーホールでバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会を聴いた。指揮は鈴木優人、曲目はバッハのミサ曲ロ短調。歌手陣は、櫻井愛子、森麻季(ソプラノ)、テリー・ウェイ(アルト)、吉田志門(テノール)、クリスティアン・イムラー(バス)。とてもよい演奏だった。

 まずはとてもしなやかな「キリエ・エレイソン」の冒頭に驚いた。深みのある音。まさにバッハのミサ曲にふさわしい。じっくりと深い思いを込めた演奏。バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーの一つ一つの音は限りなく美しく、オーケストラのアンサンブルも見事。合唱も精度が高い。ソリストもこの上なく充実している。すべての歌手がしなやかな美声で歌う。櫻井愛子は透明な声でしなやかに歌う。森麻季もまた清澄な声でありながら、少し華やかさを持った声。いずれもとても素晴らしい。アルトのテリー・ウェイは音程がよく、深みのある声。吉田志門は、ベネディクトゥスをしみじみと歌って感動的だった。クリスティアン・イムラーは堀の深い歌唱で、これも見事。

 ただ、バランスが取れ、無理なところのまったくない、きわめて成熟した音楽であって、それはそれでとてもよい演奏なのだが、私としては、少し不満を感じないでもなかった。もちろん、私は大のバッハ愛好者というわけではなく、バッハに関して大いに修行不足であるせいかもしれないが、私はもっと特別な演奏を期待していたのだった。たとえば、もっと信仰心にあふれた峻厳な音楽、あるいは宇宙的な深みを感じさせる音楽、あるいは若々しくて躍動的な音楽。そんな音楽を聴かせてくれるのではないかと期待していた。意外とふつうの名演奏だったと思ったのだった。

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東京二期会「イオランタ と くるみ割り人形」 両方の良さをなくしてしまった合体にがっかり!

 2025718日、東京文化会館で東京二期会公演「イオランタ と くるみ割り人形」をみた。チャイコフスキーの最後のオペラ「イオランタ」は、「くるみ割り人形」と同時期に作曲された。ともに童話を題材にしているので、似た雰囲気がある。そんなわけで、この2作を合体させて上演しようという試みだ。

 試みはおもしろいと思った。が、実際に見てみると、はっきりいって、つまらなかった。両方の良いところが台無しになっていると思った。

 どうも、この2作を合体させるのは、演出陣はあれこれと理屈をつけるかもしれないが、どうやら内的要因はないのではないかと思った。要するにこういうことではないのか!

・「イオランタ」はオペラとしては短い。1時間半ほどで終わる。観客は物足りなく思う。

・「イオランタ」は、チャイコフスキーにしては魅力的なメロディがあまり多くない。

・「イオランタ」の台本は、実はかなり無駄が多い。本筋と関係のない出来事が多く描かれていて、整理されていない。

・「イオランタ」は、考えようによっては障害者差別とみなされるようなセリフが散見される。

 以上の点を回避するために、演出のロッテ・デ・ベアは、親しみやすいメロディにあふれている「くるみ割り人形」をくっつけようと考えたのだろう。イオランタが空想するような場面に、「くるみ割り人形」の登場人物らしい人たちが登場して、その音楽に合わせて踊る。「くるみ割り人形」の世界観やストーリーがかかわっているわけではない。こうすることで、親しみやすいメロディを増やし、時間を長くし、「イオランタ」のストーリーのエッセンスだけを取り出して、「くるみ割り人形」でつなげようとした。

 その結果、つぎはぎだらけで、「イオランタ」の良さもなくなり、「くるみ割り人形」のよさもなくなった。両方がずたずたにカットされてしまった。ストーリーもわけがわからず、イオランタの心情も伝わらない。両方の音楽の良いところもたくさんカットされている。カーテンコールの際、演出陣が登場すると、あちこちからブーイングが上がっていたが、それも当然だろう。

 マキシム・パスカル指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏はとてもよかった。しなやかでリズム感にあふれた演奏だった。歌手陣については、イオランタの梶田真未、ヴォデモンの伊藤達人、エブン=ハキアの小林啓倫は健闘していたが、それほど感銘を受けなかった。ルネ王の狩野賢一はかなり不調だったのではないか。前半は音程が定まらず、不安定は歌唱だった。ロベルトの大川博も実力を発揮できていないように思えた。

 ちゃんとした「イオランタ」を観たかった!

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ギルバート&都響のブラームス1・2番 感動した!興奮した!

 2025年7月18日、サントリーホールで都響スペシャル、アラン・ギルバート指揮によるブラームスの交響曲第1番、第2番の演奏を聴いた。素晴らしい演奏だった。感動した。

 第1番、第2番ともに、まさに巨匠のような演奏。じっくりと、あわてず騒がず。しかし、細かいところまで神経が行き届き、構築性があり、ゆったりと構えながらも大きく盛り上がっていく。フレーズに合わせてテンポを変えるが、あまりに自然なのでぐいぐいと引き込まれていく。都響も見事な演奏。ホルン、そして管楽器が本当に美しい。アンサンブルがよく、一つ一つの楽器の響きがからみあいながらもくっきりとしている。

 第1番の第1楽章の盛り上がりも素晴らしかったが、それ以上に第2楽章のリリシズムにうっとりした。第3楽章からほとんど連続するようにして第4楽章が盛り上がっていく。最後、燃焼していくが、知的な輪郭は失われない。

 第2番は、意図的になのだろう、しなやかに、そして柔和に演奏。そうなると、魅力が薄れがちになると思うのだが、音色が美しいので、十分に耳をひきつける。そして、しなやかながらも大きく盛り上がっていく。こちらも第2楽章が実に美しい。ただ、第3楽章で、私はちょっと音楽の行方を見失ったが、きっとこれは私の修行不足が原因だろう。第4楽章は第1番と同じように燃焼。そして、第1番以上に、オーケストラの音の肌触りが美しい!

 私は大いに感動した。大いに興奮した。

(ただ、私はこの後、場所を変えて、東京文化会館に急いだので、ブログの文章もこのくらいにしておく)

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義太夫節演奏会 「東海道四谷怪談」と「夏祭浪花鑑」を楽しんだ

 2025年7月17日、ティアラこうとう小ホールで女流義太夫節演奏会「夏の妖しを楽しむ」を聴いた。演目は、「東海道四谷怪談」伊右衛門住家の段(浄瑠璃:竹本土佐恵、三味線:鶴澤駒清)、落語「死神」三遊亭ぽん太、「夏祭浪花鑑」長町裏の段(浄瑠璃:団七を竹本京之助、義平次を竹本越若 三味線:鶴澤弥々 鉦:竹本綾一 太鼓:鶴澤朔弥)。まさに夏にふさわしい怪しい話ばかり。

 誘ってくれる人がいて、数年前から時々楽しんでいるが、もちろん私は義太夫についてはまったくの初心者。つたない感想しか書くことはできない。

「東海道四谷怪談」は、そもそも話がとても面白いと思った。昔、学生時代に岩波文庫で鶴屋南北の作品を読んで大いに感動したのを思い出した。この場面だけでもとても惹かれる。そして、それを竹本土佐恵が見事に語る。お岩の語りは女流義太夫だからこそ出せる味だと思った。おぞましくなく、あくまでも切ない。男たちの語りについてもうまく使い分けている。三味線もここぞというときにびしりと鳴って、切迫した思いを盛り上げる。

 落語については、十分に楽しんだが、登場人物の語りわけ、雰囲気の作り方にまだ十分に成熟していない部分を感じた。全体を貫く雰囲気が定まらず、主人公と死神のキャラクターもあやふやだった。それが定まれば、もっともっと楽しめたかもしれない。

「夏祭浪花鑑」は、二人の会話の部分の多い場面だったので、わかりやすかった。竹本京之助のあまりの大声の迫力に驚いた。竹本越若もそれに負けじと声を出し、大迫力のやりとりになった。憎しみと敵意に満ちた会話が実にリアル。そして、そこに三味線が時折入って音を刻む。セリフだけだとリアルなだけで凄惨な感じなのだが、三味線が入ることで抽象世界になり、物語の輪郭が深まるのを感じた。三味線の出番は多くないが、重要な役を果たしていることが良くわかる。

 もちろんこれらは私の本当にプリミティブな感想でしかない。が、ともあれ、大変楽しむことができた。日本の古典芸能の面白さがやっと少しずつわかってきた気がする。

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ロッシーニの歌の饗宴を堪能した!

 2025713日、王子ホールで日本ロッシーニ協会の主催による「輝きの都ナポリ──王政復古の光と影」を聴いた。水谷彰良氏のわかりやすい解説によってナポリにまつわるロッシーニのオペラからの曲が歌われた。出演はメゾ・ソプラノの富岡明子、テノールの糸賀修平、小堀勇介、渡辺康。ピアノ伴奏は藤原藍子。

 曲目は、「オテッロ」「リッチャルドとゾライデ」「湖の女」「「グロリア・ミサ」「エルミオーネ」「ゼルミーラ」からアリアや二重唱、三重唱など。

 うーん、ロッシーニの歌は実に楽しい! ロッシーニをこれほどに歌える日本人歌手が次々出てきている! いやはやまさに声の饗宴! というのが率直な感想だ。

 糸賀修平ののっけからの全力の声にびっくり! 最初は加減をして歌うものだが、初めの声から見事な大声で、しかも音程はよく輝かしい。渡辺康も引けを取らず張りのある強い声。「オテッロ」のロドリーゴのアリアを歌った小堀勇介は、大ジャンプの着地に失敗したものの全体の完成度で圧倒的な高得点を取ったフィギュアスケートの羽生結弦選手を思い出すような演奏だった。高音で少し声が乱れたが、全体の声の輝きは凄まじい。後半では、小堀は調子を上げて、「グロリア・ミサ」の「クイ・トリス」は本当に素晴らしい歌唱だった。会場中にビンビンと躍動する美声が響き渡る! 装飾音もぴたりと決まり、声の輝きがものすごい。これぞロッシーニの醍醐味!!

「湖の女」の三人のテノールの饗宴も圧倒された。このオペラを聴くたびに、日本でこれほどの3人を集めるのは無理だろうと思っていたのだが、いやいやすでに3人いるではないか!と思った。

 メゾ・ソプラノの富岡明子も見事だった。とりわけ、最後の「ゼルミーラ」のアリアには圧倒された。私はこの歌はバルトーリの録音でたびたび聴いてきたが、それに匹敵するとは言わないまでも、それに肉薄する感動を覚えた。アジリータも素晴らしい。音程も完璧で、スケールの大きな躍動感! 日本にこのアリアをこれほど歌える歌手がいたとは!

 ただ無理やりこのコンサートに難癖をつけるとすると、私はこのようなオペラ・アリアのコンサートでしばしば感じる通り、今日も多くの歌手が声を前に出すことを何より重視しているのを感じた。野球でいうと、すべての投球を150キロ以上のストレートにしようとしている。できれば160キロ以上を出そうとしている。だが、私は変化球を加え、緩急や強弱をつけるほうが効果的だと思う。音楽も声を前に出すことばかりを考えるよりは、弱音を活かしてほしい。もちろん、このような場では、歌手たちはどうしても声の威力を聴かせたくなるのだろうと思うが、弱音を使うほうが奥行きが出ると思うのだ。

 とはいえ、ロッシーニの歌を堪能できた。繰り返すが、ロッシーニの歌は実に楽しい!

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アントネッロのバッハ・カンタータ 躍動感あふれる信仰心!

 2025711日、東京文化会館小ホールでアントネッロ公演を聴いた。指揮は濱田芳通。曲目はすべてヨハン・セバスチャン・バッハ。リコーダーを伴うカンタータを中心にしたプログラム。前半にカンタータ第106番「神の時は最上の時」、第182番「天の王よ、汝を迎えまつらん」、第152番「出で立て、信仰の道に」、後半にブランデンブルク協奏曲第4番とカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」。

 ブランデンブルク協奏曲と最後の曲を除いて、これまで実演で聴いたことはなかったと思う。いずれもバッハらしい信仰にあふれた宗教カンタータ。

 アントネッロは、バッハ・コレギウム・ジャパンとは異なって、あまり厳粛な雰囲気の演奏はしない。欧米で言えば、ミンコフスキの指揮するレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルのような演奏スタイルだと思う。アントネッロがバッハの信仰心あふれるカンタータをどう演奏するか関心があったが、さすがというべきか、まさに躍動感のある信仰心を聴かせてくれた。厳粛ではない。生き生きとして生命力にあふれている。「死」がしばしば歌われるが、決して暗くはならない。そこに生命力がある。これこそが信仰だと思えるような強い思いが歌われる。

 オーケストラも素晴らしいが、歌手陣もきわめて高いレベルで充実していた。中でも中山美紀が圧倒的な美声を聴かせてくれた。宗教曲にふさわしい清純な癖のない声で、透明感にあふれている。音程もよく躍動感も素晴らしい。バスの松井永太郎も安定した声で見事。テノールの中嶋克彦もしっかりした美声でしなやかに歌う。アルトの中嶋俊晴は、後半かなり良くなったが、前半、音程が定まらない気がした。やはりカウンターテナーは難しい!

 後半の最後の曲は、第4番(BWV4)ということなので、バッハごく初期の曲だろう。だが、とても魅力的な曲。このカンタータはすべての曲の最後でハレルヤが歌われる。第2曲のハレルヤの合唱は躍動感にあふれ、初々しい信仰心にあふれており、感動的だった。終曲のハレルヤはしみじみとして美しかった。

 BCJのバッハもいいが、アントネッロのバッハもいい。あえてどちらか一つを選ぶとすると、私はアントネッロのバッハを選ぶかもしれない。

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METライブビューイング「サロメ」 流麗で散文的な「サロメ」

 METライブビューイング「サロメ」をみた。2025517日にニューヨーク・メトロポリタン劇場で上演されたもの。

 指揮はヤニック・ネゼ=セガン。演出はクラウス・グート。私の大好きなオペラ、大好きな指揮者、かなり好きな演出家なので、大いに期待して出かけた。が、結論からすると、実はあまり私の好みの上演ではなかった。

 舞台は現代に移されている。王と王妃を中心とする豪華なパーティが行われているという設定で、ユダヤ人、ナザレ人などといった登場人物たちは給仕ということのようだ。

 どうやらグートはこのオペラを虐待を受けてきた女性の心理劇としているようだ。サロメと同じ扮装をした少女たち(人数は数えるのを忘れていたが、「7つのヴェールの踊り」の際に登場して次々とヴェールをはがしたので、7人だったのだろう)が登場。幼いころから、年を経てもなお王、あるいは男の象徴であるらしい羊の頭をかぶった人物にいわば捕らわれの身になっており、虐待を受けていたことが示される。そのため、残虐な心を持っている。そうした折、自分と同じように地下室で囚われの身になっているヨカナーンに純粋な愛を感じるが、男性を愛すのに残虐な方法しか知らない。ヨカナーンの生首を欲しがって愛そうとする。そういうふうに演出意図をまとめられるだろうか。

 最後、ヘロデはサロメを殺すことを命じるが、そうしたと同時にヘロデは発作を起こして倒れる(おそらくその場に死んだのだろう)ので、ヘロデの命令は実行されることなく、サロメは生き延びる。つまりはどうやらサロメの行為は、罰される必要のない愛の行動として描かれている。

 ネゼ=セガンの指揮もこの演出にふさわしい音楽になっているといえるだろう。このオペラの持つ表現主義的で先鋭的な面はかなり弱められている。むしろ「ばらの騎士」と同じように、官能的で流麗な面が強調されている。音楽はオーケストラの美しい音によって流麗に流れ、歌手陣はずっとしなやかに見事な声で歌い続ける。神話的で世紀末的で退廃的な雰囲気はない。先がどうなるかわからぬ不気味さや唐突感はない。散文的で心理小説的で、サロメの愛を歌い上げる。

 これはこれで悪い演奏ではない。このところのメトロポリタン歌劇場管弦楽団の力量も十分に発揮されている。そういう解釈もあるだろう。だが、私の好きな「サロメ」はこのようなものではない。神の世界の対極にある悪魔的で世紀末的な世界を体現するのが「サロメ」だと私は思っている。その意味では少し不満だった。

 歌手陣は見事だった。サロメを歌うエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーは圧倒的な声で、最後まで歌いきる。ただ、演出と指揮のせいだと思うが、演技を含めてあまりに心理劇的、つまりはあまりに人間的に感じた。もっと神話的、もっと非人間的に歌ってもいいのではないかと思うのだが。ヨカナーンはペーター・マッテイ。声も容姿もスタイルもあまりに立派なヨカナーン! これも文句なし! ミシェル・デ・ヤングのヘロディアス、ゲルハルド・ジーゲルのヘロデも見事に役になり切って、これも素晴らしい。

 7人の少女たちの演技にも感服! 最も幼い子どもだと小学校低学年程度の子どもだと思うが、手足や目の演技も含めて、実に見事。座っているだけでも存在感がある。

 とても良い上演だったが、私の好む「サロメ」ではなかった。その一言に尽きる。

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ひばり弦楽四重奏団 ベートーヴェンの四重奏曲 交響曲のようなスケール感!

 202578Hakuju Hallでひばり弦楽四重奏団演奏会を聴いた。ひばり弦楽四重奏団は、漆原啓子、漆原朝子(ヴァイオリン)、大島亮(ヴィオラ)、辻本玲(チェロ)という日本を代表する演奏家が結成した弦楽四重奏団。これまで5年をかけて、ベートーヴェンの弦楽四重奏の全曲演奏を続きてきたが、今回はその最終回。ただ、今回は第2ヴァイオリンは漆原朝子から直江智沙子に代わっている。本日の曲目は、前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番とドビュッシーの弦楽四重奏曲ト短調、後半にベートーヴェンの第8番 「ラズモフスキー第2番」。

 とてもよい演奏だった。気の合った仲間が自由に弾いて、いつの間にか心が一つになって盛り上がっていく、というような演奏。誰かが強く統率しているといった感じはなく、あくまでも自由意思によって音楽を作り上げていく。自由な雰囲気がとてもいい。そして、四人の気持ちが合致すると大きく熱く音楽が高まっていく。

 第4番の第1楽章にまず驚いた。あまりにダイナミックでスケールの大きな演奏だった。まるで交響曲のような盛り上がりだった。「エロイカ」や「皇帝」のような大きさを持っている。一人一人が強く弦を弾き、激しい音を出す。それが絡み合って大きな世界を作っていく。最終楽章もドラマティックでアクセントを効かせた演奏だった。大変面白い演奏。この曲でこのような盛り上がりはとても意外だった。素晴らしかった。

 ドビュッシーも、激しい思いこもった曲になっていた。シェーンベルクの「浄夜」を思うような演奏だった。官能や懊悩が激しく渦巻く。楽器が4台だけとは思えないような重層的な演奏だった。ドビュッシーにしては、あまりに直情的な感じがしたが、これはこれで感動的だと思った。

 ただ、実を言うと、ベートーヴェンの第8番については、前半の2曲ほどには感動しなかった。もともと規模が大きく、深い感情に基づく音楽であるだけに、むしろ奏者が前のめりになりすぎている感があった。奏者が音楽を掌握しきれずにベートーヴェンに振り回されているとでもいうか。それはそれでよい演奏なのだが、私は、「ベートーヴェンそのものがすごいのだから、そこまで頑張らなくてもいいのに…」と思ったのだった。

 アンコールはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番の第1楽章。クールダウンするようなすっきりとした演奏。これもとてもよかった。

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ピノック&紀尾井室内管&ドウガンのベートーヴェン第4番に感動

 74日、紀尾井ホールで、紀尾井ホール室内管弦楽団定期演奏会を聴いた。指揮はトレヴァー・ピノック、曲目は前半にラヴェルの「クープランの墓」と、アレクサンドラ・ドヴガンのピアノ独奏が加わって、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、後半にメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。なお、私はWEB版首都圏の「ぴあ」の水先案内を担当しているが、そのなかでまるでドウガンが「クープランの墓」を弾くような記述をしてしまった。ピアノ版が頭にあったのでそう書いて、すぐにオーケストラ版だと思いなおしたのだったが、文章を修正するのを忘れていた。ここでお詫びして訂正する。

 その「クープランの墓」はなかなかにフランス的な演奏だった。ラヴェルにふさわしい色彩的で繊細な音の重なりで、しかもそれがみごとに流動する。知的で硬質。日本のオーケストラも立派にフランスの音を出せるようになったのだ!と改めて感心した。

 ただ、最高に素晴らしかったかと問われると、ちょっとためらう。私としてはもう少し遊び心というか、しゃかりきにならない余裕というか、そのようなものがほしいのだが、あくまでも直線的な演奏だった。これにはピノックの音楽性と関係があるだろう。やはりかなり鋭角的な演奏だと思う。それはそれで鋭角的なラヴェルも悪くないとは思うものの、私の好きなラヴェルとは少し異なっていた。

 ベートーヴェンの協奏曲は文句なしに素晴らしかった。感動した。まずドウガンのピアノが素晴らしい。音の粒立ちが本当に美しい。繊細だが、強い音は強い。2007年生まれというからまだ20歳にもならない少女なのだが、恐るべきことにぴたりと音が決まり、ニュアンス豊かな起伏があり、歌心もある。第1楽章のカデンツァ(ベートーヴェン自身によるカデンツァが二つあるということで、今回は聴き慣れない方の長いヴァージョンだと松本學さんに教えていただいた)あたりからぐんぐんと乗ってきた。第2楽章後半のリリシズムも素晴らしい。第3楽章の躍動も見事。オーケストラもぴしりと決まって、重層的にピアノを支えた。第2楽章のオーケストラとピアノの掛け合いは実に美しかった。

 ピアノのアンコールは「テンペスト」の第3楽章。これも一分の隙もない、構築的でかっちりしながらもニュアンスにあふれた力強い演奏。素晴らしかった。

 後半の「イタリア」も期待したのだったが、実は私はあまり楽しめなかった。第1楽章は躍動的でわくわくした雰囲気があってよかったのだが、ちょっとバタバタした感じが強すぎる気がした。確かにこの第1楽章は、心はやる気持ちが出てもよい曲なのだが、それにしてもリズムが安定しない。いつまでたってもバタバタしている。それが第2楽章、第3楽章になっても続き、足並みがそろわないというか、リズムがぴたりと決まらない。

 アンコールはフォーレの組曲「ドリー」の「子守歌」。しなやかで優美な曲だが、これもじっくりと味わう雰囲気ではなく上滑りする感じがした。

 前半がとてもよい演奏だっただけに、後半、停滞した感じがしたのは残念だった。

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中国映画「紅い鞄」「ココシリ」

 DVDを購入して中国映画を2本みたので、簡単な感想を記す。

「紅い鞄」 2003年 ハスチョロー監督

「胡同の理髪師」(2006)などの名作を生みだしたモンゴル族出身のハスチョロー監督の作品。この監督については、私は「胡同の理髪師」に大いに感動したあと、それ以前に作られた「草原の女」(2000)をみて、あまりに陳腐な内容にがっかりしたのだった。今回観たのは、2003年の作品。なるほど、私の評価としても、ちょうど中間くらい。

 チベット奥地の墨脱(モォトゥオ)が舞台になっている。上海の老人がモォトゥオの山岳部で暮らす子どもたち(どうやら、チベット族とも異なるメンパ族の集落の子どもたちらしい)のために私財を投じて小学校を建て、そこで暮らしているという。上海の記者・ワンは、老人を診察に来た同じ上海出身の女医や地元の学校長や荷物運びの業者ら10人ほどで学校に向かう。ところが、その道のりが想像を絶する険しさ。道なき道を歩くというレベルではない。数日をかけてのまさにヒマラヤ登山! 絶壁、沼地、渓流越えが続く。何人もが危険な目にあい、怪我をする。一人は崖から転落して命を落とす。そうする中、現地の人になじもうとしなかった上海出身のわがままな女医を含めて、ぎくしゃくしていた人々も仲間意識を持ち始める。

 次々と起こるトラブル、襲いかかる自然の危機。それによって初めは亀裂が広がるが、徐々に心を合わせていく、というよくあるパターンのお話。しかも、それぞれのトラブルや危機が定型化されているので、あまりリアリティを感じない。

 ただ、そうした中で、しばしば語られるのが、教育の大事さだ。上海の老人は教育の大事さを知って学校を建てた。学校長はそれを信じて教育に尽くそうとして学校に向かう。校長の娘も迷っていたが、老人の建てた学校の教師になろうと決意する。タイトルの「赤い鞄」とは、記者が生徒たちに送ろうとしているランドセルのような鞄のことだ。映画の最後になっても、老人は登場せず、学校も映し出されないが、「学校の重要性」がこの映画の隠れテーマとしてある。

 ただ、どうなのだろう。チベットの状況をいくらかでも知ってみると、この物語は複雑な問題を孕んでいる。上海の老人が建てた学校なのだから、きっとそこでは中国政府の政策に基づく中国語の教育が行われるのだろう。そして、子どもたちは中国の教養を身に着けて市民になっていくのだろう。それはメンパ族の言葉も、チベットの文化も捨てることにつながるだろう。強権的な中国政府によって中央の教育が強制されているわけではなく、善意の人々がそれを後押ししているという面が間違いなくある。そして、おそらく、それを一つの文明開化として望んでいる現地の人もいるのは間違いない。監督がこの状況をどう考えてこの映画を作っているのか気になった。

 

「ココシリ」(原題:可可西里)2004年 陸川(ルー・チュアン)監督

 チベット高原北部のココシリが舞台だ。ココシリとは「美しい山」「美しい娘」を意味するという。この地域にはチベットカモシカが生息しており、密猟者が絶えない。今回も密猟が行われ、取り締まりの見張り役が殺される。それを知ったマウンテン・パトロールのリーダー、リータイ(デュオ・ブジエ)は、十数名のボランティアの隊員を率いて密猟者を捕らえるために命がけの探索に出る。北京から来た記者ガイ(チャン・レイ)が同行を許されて取材する。

 それだけ聞くと、これまで映画で何度か見たような話に思えるし、話の作りは、記者の同行と言い、過酷な状況の連続といい、「紅い鞄」と似ている(「ココシリ」の方が2年前に作られているが)。あるいは、西部劇でも同じような趣向の映画を見たような気がする。だが、この映画は過酷さが尋常ではない。

 何しろ、ここは海抜4000メートルを超す地域で、雪が降り、砂嵐が起こる。15日をかけて車で追いかける。「ネタバレ」になるのでくわしくは書かないが、ハッピーエンドではなく、次々と悲惨な事態が生じ、何人もが命を落とし、この上なく悲劇的な結末を迎える。しかも、これは実話に基づいているという。圧倒的に美しい高原を背景に、生と死のあまりに壮絶なドラマが展開する。

 一言で言って、チベットの生命の過酷さを実感する。みんなが命懸けで生活している。生と死が隣接している。そして、パトロール隊は、500頭近いチベットカモシカを殺す密猟者たちを絶対に許さないという信念のもと、自分たちの命が危機に陥ることよりも密猟者を追いかけることを優先する。そこで強く感じるのは、生への慈しみ、故郷を守ろうとする思いだ。密猟者の手先となって働いているのは、ほかの生活手段を奪われてやむを得ずに手伝いをしている人たちだ。リーダーはその人たちの命もできるだけ同等に扱おうとする。

 ここではチベットの政治状況もこれまでの歴史も語られない。だが、想像を絶する過酷な世界で生きている人たちの生と死の営みがストレートに伝わってくる。これは大変な名作だと思う。

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