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コリンズ&礒絵里子率いる弦楽四重奏団によるブラームスのクラリネット五重奏曲に感動

 2025830日、37℃を超す中、ヤマハホールでマイケル・コリンズ(クラリネット)と礒絵里子率いる弦楽四重奏団(礒絵里子・瀧村依里・吉田有紀子・羽川真介)によるクラリネット五重奏曲を聴いた。前半にキュフナー作曲(ウェーバー作曲とされていたもの)の「序奏、主題と変奏 変ロ長調」とモーツァルトのクラリネット五重奏曲、後半にブラームスのクラリネット五重奏曲。実を言うと、モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲は私の最も愛する室内楽曲だ。楽しみにして出かけた。

 キュフナーの曲はもしかしたら初めて聴いたかもしれない。親しみやすいメロディにあふれた曲だった。モーツァルトの五重奏曲は、コリンズはさすがの演奏。清澄でありながらも渋みがあって、静かな悲しみを感じさせる。それにしても何と美しい音楽であることか! 名曲にあふれるモーツァルトの曲の中でもこれは飛び切りの名曲だと思う。だが、演奏には少し不満を覚えた。弦楽四重奏が遠慮しすぎだと思った。モーツァルトだからあまり力を込めまいとしたのか、それともコリンズに遠慮しようとしたのか。もちろん悪い演奏ではない。礒のヴァイオリンは本当に美しい音色だし、羽川のチェロも知的に支えている。だが、全体でどういう音楽を作りたいのか伝わってこなかった。

 後半のブラームスは、打って変わって冒頭から内にこもった感情の高まりが強く感じられる演奏だった。弦楽器が強い音で深い感情を描き、それが徐々に高まり、そこに暗い情感のこもったクラリネットが加わる。コリンズは技巧をひけらかすでもなく、感情を大袈裟に語るでもなく、しっかりと弦楽器と呼吸を合わせて諦観の世界を作り上げていく。堅実で地味だからこそ、この曲ではいぶし銀のような美しさを醸し出す。

 私はこの第2楽章はブラームスの全室内楽作品の中でも圧倒的な楽章だと思っている。いや、ブラームスに限らない。すべての室内楽作品の中でも最高の一つだと思っているが、見事な演奏だった。クラリネットが静かに自分の感情を吐露し、人生を顧み、静かに生きる悲しみを独白する。大袈裟に孤独を歌うわけではないのだが、ひしひしと人生のありようが伝わる。第3楽章も美しいメロディが静かに響き、終楽章は一つ一つの変奏が少しずつ雰囲気を変えながら、これまた人生を顧みていく。

 とても満足だった。久しぶりにモーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲を味わうことができた。

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METライブビューイングアンコール「オリー伯爵」「チェネレントラ」

 東劇のETライブビューイングアンコール上映「オリー伯爵」「チェネレントラ」をみた。「オリー伯爵」のライブビューイングをみるのは今回が初めて。指揮はマウリツィオ・ベニーニ、演出はバーレット・シャー。

 201149日に上演されたもの。今から14年前。オリー伯爵役のフアン・ディエゴ。フローレスもアデル役のディアナ・ダムラウもイゾリエ役のジョイス・ディドナートも若い!! そして、きっとこのころがフローレスもディドナートももっとも充実していた時期だっただろう。フローレスの声の輝きにはうっとりしてしまう。そして、何よりもダムラウの声の美しさに圧倒される。三人ともフランス語歌唱が見事。とりわけ、ダムラウはフランス語だからこその優美さがあって、とても魅力的だと思った。フローレスは開演の25分前に子どもが生まれ、対面してきたばかりで前日から寝ていないと語っていたが、それにしても気迫あふれる歌だった。

 ランボーを歌ったいるのは、近年大活躍のステファン・デグー。このころからしっかりと歌って見事。養育係のミケーレ・パルトゥージはもしかしたら少し不調なのかもしれない。声が十分に伸びない。

 ベニーニの指揮も溌剌としていてとてもいい。シャーの演出はとてもおもしろい。笑い出したくなるところがたくさんある。

 

「チェネレントラ」は2014510日上演されたもの。最初の上映時にみたが、あまりに素晴らしかったので、もう一度観たいと常々思っていた。念願がかなった。

 指揮はファビオ・ルイージ、演出はチェーザレ・リエーヴィ。

 幕間のインタビューで、デヴォラ・ヴォイトに尋ねられて、ルイージは、ロッシーニのクレシェンドのコツとして、「できるだけ抑制すること」と答えていたが、確かに序曲もストイックなまでに抑制している。その後、第一幕はずっと抑制気味。だが、そのためにしっかりした足取りで徐々に盛り上がり、生き生きしていくのがよくわかる。

 チェネレントラのディドナートと王子のフローレスがあまりに素晴らしい。第2幕の二人のアリアはただもう圧倒され、感動し、わくわくし、最後にはあまりの凄さに半ば唖然とするしかない。最後のディドナートの歌には感動のあまり涙が出る!

 ドン・マニフィコのアレッサンドロ・コルベッリもベテランぶりを発揮して、演技も歌も申し分なし。ダンディーニのピエトロ・スパニョーリもアリドーロのルカ・ピザローニも良い味を出している。二人の姉を歌う歌手も実にうまい。歌手陣に関して、これ以上は考えられない布陣だと思う。

 まさに心躍り、目くるめくようなロッシーニの世界を堪能した。

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ヴァルチュハ&読響の「メタモルフォーゼン」と「英雄」に感動!

 2025823日、東京オペラシティコンサートホールで読売日本交響楽団土曜マチネーシリーズを聴いた。指揮は読響の首席客員指揮者ユライ・ヴァルチュハ。曲目は前半にリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」、後半にベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。

 いうまでもなく、「メタモルフォーゼン」は第2次世界大戦末期に最晩年のシュトラウスが崩壊するドイツの状況を嘆いて作曲した曲であり、ベートーヴェンの「英雄」の第2楽章「葬送行進曲」に基づく響きが全体を覆っている。私のような素人が初めて聴くと、最後になって「葬送」のメロディが出てきて、この曲がこれに基づいていたことが種明かしされて納得した気になる。

 素晴らしい演奏だと思った。23台の弦楽器が尽きせぬ悼みの感情、無念の感情、痛恨の感情を描き出す。まるで海辺の波のように、無念が渦巻き、散ってはまた盛り上がっていく。弦楽器の音がからみあい、強く重なり合い、強く連なりあって無念の激しい響きの宇宙を作り上げていく。その絡み合いが痛々しくも美しい。楽器演奏者一人一人に力量もさることながら、それを束ねるヴァルチュハの手腕も見事。初めは、ゆっくりすぎるくらいゆっくりなのだが、徐々に高まり、「葬送」が示されてゆっくりと静まっていく。きっちりと統一感が生まれ、見事に終息する。

 あまり大きな拍手はなかったが、私は稀有な名演だと思った。

「英雄」も素晴らしかった。こちらはかなり個性的な演奏と言ってよいだろう。

 かなり快速で、アクセントが強く躍動的で、音楽の身振りが大きい。旋律性よりも音の重なりを重視しているようで、ちょっとバタバタした感じがある。とはいえ、読響メンバーの力量が確かなために音は乱れず、構成感もしっかりしているので、音楽の形が崩れない。

 私はこの曲の第1楽章は、破綻しかけるのを力づくでまとめているようなところが気になってしまうのだが、この演奏では、最初から力づくでまとめてしまおうというような演奏なので。むしろ不自然さを感じない。だが、この力感は心地よい。まさに英雄的! ぐいぐいと観客を引っ張り、強烈な音の世界に引きずり込む。

 第2楽章はコントラバスが大きな陰を作り出して、彫りの深い音楽になっていた。がっしりした構成で、深く沈潜。そして、第3楽章、第4楽章は大きく躍動。とりわけ終楽章はポリフォニックにスケール大きく展開していく。その音の広がりが素晴らしい。交響曲第5番の終楽章に劣らぬ、勝利の高まりのようなものを感じた。感動した。

「メタモルフォーゼン」と「英雄」を同時に聴けてとてもうれしい。私は、シュトラウス好きなので「メタモルフォーゼン」の実演を何度か聴いたことがあるが、今回ほど感動したのは初めてだった。ヴァルチュハは今後を注目すべき指揮者だと思った。

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映画「私たちが光と想うすべて」

 インド映画「私たちが光と想うすべて」をみた。監督はパヤル・カパーリヤー。初めての長編映画監督作品だという。

 看護師のプラバを中心にして、田舎から出てきて、ムンバイの病院で働く世代の異なる三人の女ともだちの状況を描く。プラバ(カニ・クスリティ)は親に決められた男と結婚した直後、夫はドイツに行って、そのまま帰ってこず、連絡も取れなくなっている。そのため、新しい道に踏み込めずにいる。プラバのルームメイトである年下の看護師アヌ(ディビヤ・プラバ)は、自分はヒンドゥー教徒でありながら、イスラム教徒の男性と恋している。病院の食堂で働く年上のパルヴァティ(チャヤ・カダム)は新しく建設されるビルのために、現在住んでいるアパートを立ち退かされる状況に陥っている。それぞれ苦しい岐路に立ち向かっている。

 パルヴァティがムンバイを出て、海辺の村に住み始めるのに付き合って、ほかの二人も村を訪れる。そこでアヌは追いかけてきた恋人と結ばれる。プラバは溺れかけた男を救い、その男の妻と勘違いされたことから、久しぶりに夫の幻影と対峙し、それがきっかけとなって夫との縁を断ち切る決意をする。大都会での苦しい選択から解放されて、三人は村の居酒屋で踊る。ストーリーはこのようにまとめられるだろう。

 ムンバイを描く場面では、都会の喧騒が大きな音でずっと響いている。電車、車、雑踏、機械音が絶え間なく聞こえてくる。人々は喧騒に追われて、自分にじっくりと立ち向かう余裕もなく日々都会に動かされている。場面が海岸の村に移ると、今度は海の音、風にそよぐ木々の音が大きく聞こえる。

 プラバに好意を寄せる地方出身のドクターやアヌの恋人であるイスラム教徒の男性を含めて、だれもが都会の喧騒の中、孤独な魂を抱きながら生きている。それぞれの心に共感できる。現世的な音にあふれ、機械音に囲まれた大都会と違って、村には海があり、洞窟があり、洞窟には女神像が彫られており、まさに神秘にあふれている。そこで三人は本来の生命を見つけ出し、絶望の暗闇の中に見える光を見出す。

 私が少し前にチベット旅行をしたために余計に感じるのかもしれない。私にはこの映画はその土地が本来持っていた神秘の生命力を失ってしまった現代の大都市に暮らす人々の懊悩を描く作品のように思えた。

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映画「美しい夏」 良い映画だったが、私のパヴェーゼとは異なる雰囲気だった!

 イタリア映画「美しい夏」をみた。

 原作はチェザーレ・パヴェーゼ。私は、50年ほど前、恩師であり、人生の大恩人であるイタリア文学者・米川良夫先生に教えていただいてパヴェーゼを知り、ひところ盛んに読んだ。今度、パヴェーゼの「美しい夏」が映画化されたという。これはみないわけにはいかない。監督はラウラ・ルケッティ。

 第二次世界大戦直前の1938年、イタリアのトリノが舞台になっている。ファシスト党が横暴をふるっている様子が描かれる。16歳の少女ジーニア(イーレ・ビアネッロ)は田舎から出てきて、兄と暮らしながら洋裁店でお針子として働いている。あるとき、絵のモデルとして働く年上の女性アメーリア(ディーバ・カッセル)と知り合い、彼女を通して画家たちと交流して、新しい世界を知るようになる。画家の一人グィドと恋をし、絵のヌードモデルになろうとし、アメーリアと同性愛的なかかわりを深める。

 従来の、田舎の道徳が崩れ、抑圧的な社会になろうとしている時代に、そこからはみ出して生きる芸術家たち。そのはざまを生きる少女の苦しくもさわやかな成長物語と言ってよいだろう。

 とても良い映画だと思った。演じている役者たちもとてもいい。イーレ・ビアネッロは純真でありながら大人の世界への好奇心を抱くジーニアを見事に演じ、ディーバ・カッセルは圧倒的な肉体美によって、奔放に生きるアメーリアを見事に具現する。ほかの登場人物も背景も、なるほど原作を読んでイタリア人がイメージするのはこのような人やモノなのかと納得する。

 映像も美しい。本当に今もこのような建物が残っているのか、街並みが残っているのか、どうやって撮影したのかと疑問を抱くほどに時代をしっかり描けていると思われるし、それぞれの画面がまるで美術品のような美しさを持つ。二人の女性が枯葉に埋もれる場面など息をのむほど美しい。

 ただ、好きな小説が映画化されるとそう思うのが宿命なのだとは思うが、やはりパヴェーゼを自分なりに読んできた人間からすると、「どうも、これはオレの読んできたパヴェーゼとは違うぞ」という気になってしまう。

 実を言うと、始まってから20分くらいたってもまだパヴェーゼの原作を思い出せなかった。かつて感動して読んだはずなのに、この映画の原作はどの物語だっけ? もしかして読んだつもりで読んでいなかったのだろうかと思っていた。画家たちが登場してからやっと、これがまぎれもなくパヴェーゼの原作だと確信を持った。それほどに、この映画の雰囲気は、私の原作から思い描いていた雰囲気と異なっていた。あとで読み返してみたら、細かいところを除いてほぼ原作に忠実に描いている。だが、本質的なところで私のイメージとは違う。

 どこが違うのか考えてみた。一つだけ思い当たった。

 映画では、ヒロインであるジーニアがおずおずとした態度をとる。引っ込み思案で、しばしば暗い表情をし、ためらいがちに行動する。もちろん原作でもそのような傾向があるが、映画ほどではないと思う。原作では、繊細でためらいがちで内向的な雰囲気が強いのは文体であり、話の進め方であって、ジーニアはもう少し屈託のない印象が強い。文体や描写、話の進み方から繊細で人間味にあふれた寂寥感と孤独感がにじみ出る。

 映画化するとすれば、文体を表現するのは至難の業であって、どうしても登場人物の表情を用いるしかないのだろう。だから、やむを得ないとは思う。しかし、私はやはりこれはパヴェーゼではないと感じてしまう。

 一言でまとめてしまえが、なかなか良い映画だった、だが原作には及ばなかった、という、文学作品を映画化した作品に感じる感想をまたも抱いたということになるだろう。

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新国立劇場 「ナターシャ」 通じ合えない多様な言語からの再出発!

 2025813日、新国立劇場で、大野和士芸術監督による日本人作曲家委嘱作品、多和田葉子台本・細川俊夫作曲によるオペラ「ナターシャ」を観た。指揮は大野和士、演出はクリスティアン・レート管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団、合唱は新国立劇場合唱団、合唱指揮は冨平恭平。

 きちんと理解できたとは言えないが、ともあれ大変おもしろかった。

 ストーリーとしては、ウクライナ人らしいナターシャと日本人らしいアラトが出会い、初めは互いに言葉が通じないが、互いに惹かれあうようになり、メフィストの孫に導かれて7つの地獄(森林地獄・快楽地獄・洪水地獄・ビジネス地獄・沼地獄・炎上地獄・旱魃地獄)をめぐるうち、愛を深めることになる、とまとめられるだろう。地獄をめぐる理由など心的要因はあまり説明されない。そして、日本語、ウクライナ語、ドイツ語、中国語など様々な言語が飛び交う。「ファウスト」、あるいは「神曲」のような構成による、いわば哲学オペラとでもいうべきもの。

 ステージにはプロジェクションマッピングというのだろうか、海中の映像が映り、録音による海の音が聞こえ、それに人間の声(合唱団によるため息のようなものや様々な言語による単語)が重なる。そして、音楽が始まる。豊かであるはずの海がプラスティックに汚染される様子が示される。そして、地獄めぐりが始まり、最後、バベルの塔がさかさまになって現れる。こののちも、様々な音がスピーカーによって聞こえてくる。

 要するに、生命の源としての海が汚染され、人間は自ら引き起こした快楽や洪水やビジネスなどによって苦しめられ、地獄を味わっている。そして、生命の源としての海は汚染され、生命そのものが脅かされ、多様な生物との共生が困難になっている。そうした中を二人はめぐって、最後「逆バベルの塔」を発見する。このオペラはその過程を描いたものと言えるだろう。

 バベルの塔は、不遜にも天に届くような塔を作ろうとした人類に対して神が怒り、人間の言葉を通じなくしてしまった・・・という旧約聖書に語られる出来事だが、多和田のメッセージは、逆に、人の言葉が通じ合うことができないというところから再出発しようということなのだろう。つまり、地球上には多様な言語がある。一つの言語に統一されているわけではない。それこそが言語の多様性であり、生命の多様性に通じるものなのだ。だから、むしろ、その多様性を出発点にして、相互理解を進めようとする。無理やり言語を一つにして通じ合おうとする必要はない。多様な言語があるからこそ、それぞれの生き方を許容し、地獄に陥らずに多様な生命を全うすることができる。ナターシャとアラトはメフィストに導かれて、そのことを発見する。そう解釈できるだろう。

 細川俊夫の音楽は、いわゆる「現代音楽」を好まない私にもすんなりと受け入れられるものであり、テーマに沿っていて、とても説得力があった。演出も、もちろん、意図不明なところはたくさんあったが、全体的にはとても魅力的に思えた。合唱団の動き、様々な背景も納得のいくものだった。

 歌手陣も充実していた。とりわけ、ナターシャのイルゼ・エーレンスとアラトの山下裕賀は見事というしかない。メフィストの孫のクリスティアン・ミードル、ポップ歌手Aの森谷真理、ポップ歌手Bの冨平安希子もとてもよかった。合唱も文句なし。大野の指揮についても、私にわかる限りでは、きわめて的確に思えた。

 現代オペラに疎い私には専門的なことはまったくわからないが、ともあれ、全体的に、私にはとても満足できる新作オペラの世界初演だった。

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チベット旅行 ライトアップされたポタラ宮

  2025728日から8月4日にかけて、大手旅行会社のツアーに参加してチベット旅行に出かけていた。

 帰国してかなり時間がたつが、PCの絶不調のため、ブログに旅行記を書く気力がなかった。そして、今度こそは写真入りにしたいと思っていたが、とりあえず今回も断念。PCが落ち着いてから、もし可能なら、写真入りヴァージョンを示す。今回は、ともあれ写真なしヴァージョンということになる。

 チベットにはずっと昔から関心を持っていた。訪れた経験のある人に話を聞いて、行きたい思いは募っていたが、高山病が怖くて踏み切れなかった。が、考えてみると、今のうちに行っておかないと、ますます体力が失われてしまう。そう思って、今回、思い立った。

 もちろん個人旅行をしたいが、今回に関してはチベットという土地にも健康にも自信がない。ツアーで多くの人とご一緒するほうが何かと安心だと判断した。

 

728

 添乗員付きのツアーでメンバーは私を含めて12名。87歳の男性が最高齢だと思う。ほかに80歳前後と思われる女性、そのほかは私よりも年下の人々。40歳前後と思われる人もおられるが、平均年齢は60歳を超えているだろう。一人での参加は私を含めて6名、ほかはご夫婦。夫婦でチベット参加だなんて、なんと趣味の合う夫婦なのだろう! のちに話をして知ったが、やはりほとんどの方がシルクロードにかかわる場所など50か国前後行かれている人たちだった! ちなみに私は、バチカン市国やモナコを含めればこれまで52か国を訪れている。

 四川航空で成田から成都天府国際空港へ。大きな新しい空港。空港内のホテルに宿泊(快適なホテルだった!)。

 

729

 朝6時に集合して、7時の国内線で西寧へ。直接ラサに乗り込むのではなく、チベットの入り口である青海省で準備体操をし、青蔵鉄道で25時間かけてラサに行くのが今回のチベット旅行のキモだ。チベット高原の風景が見られるし、軽度の「てっちゃん」である私の好奇心も満たせられるし、だんだん体を慣らして高地に向かえる。

 西寧空港内で麺料理の朝食を食べてから、さっそくバスに乗り込んだ。早朝、ホテルで渡してもらった朝食ボックス、機内で出された軽食に続いて、量は少ないとはいえ、3食の朝食を腹に入れたことになり、ちょっと苦しかった。

 バスに乗り込んで、二つの湖(青海湖と天空の湖チャカ塩湖)に向かった。晴れていて日差しが強い。30度近い暑さ。乾燥しているので、日本の暑さよりはずっとしのぎやすいが、日光が刺さるほど強い。

 西寧は青海省の省都。青海省は日本の2倍ほどの広さを持つが、人口は500万人ほどで、その半分近くがこの西寧で暮らすという。漢族、回族、チベット族、モンゴル族などが住む人口200万人ほどの都市だ。チベットへの入り口でもある。町の中心には、漢族とは異なる服装の人が歩いており、漢族とは異なる雰囲気の店があるが、街の雰囲気としてはほかの中国の都市と変わりがない。200万人とは思えないほど、ところどころにタワーマンションが林立している。投資目的のマンション? それとも計画に失敗して空き家になってる?

 都会を出ると、舗装された道路の両側には草原が続く。抜けるような青空の下、さわやかな空気の中に牛や羊の放牧がみられる。ときどき、観光客が集まって、乗馬体験をするようなコーナーもある。私たちは、酸素ボンベを渡され、苦しくなったら使うように指示されていたが、徐々に標高が高くなっていくので、酸素を使うメンバーはまだいなかったと思う。ただ、じわじわと空気が薄くなっていくのは私も感じていた。軽い頭痛も感じ始めていた。

 しばらくして青海湖が見えてきた。真っ青な湖が菜の花畑の向こうに広がっている。青海湖は中国最大の湖で、びわ湖の6倍ほどの面積を持つ塩湖だという。美しい! リゾートマンションのようなものがいくつか建ち、遊び場ができている。湖の見える豪華なレストランで食事。

 バスを乗り継いでチャカ塩湖へ。チャカ塩湖については、私はまったく知らなかった。塩の濃度の濃い湖で、浅い湖底に白い潮が堆積して、湖全体が白く見える。「天空の鏡」とよばれ、宮崎駿のアニメ「千と千尋の神隠し」に出てくるような光景に出会えるという宣伝文句で観光客をひきつけているらしい。チャカとはチベット語で塩の海のことだという。びわ湖と同程度の広さだと聞いた。

 確かに、湖が白く見える。浅い湖なので、そこに車や列車の車両を置くと海の上、あるいは空の上を列車が走っているように見える。夕日が白い湖面に映る。トロッコで周辺をめぐり、大勢の観光客とともに、赤いゴム長を靴の上から履いて、浅い場所を歩き回った。ただ、「千と千尋の神隠し」に特に思い入れのない私としては、確かに神秘的な風景だと思いながらも、さほど感動することはなかった。

 この地は標高3000メートルを超えている。それなりに行動しながらも、やはり息苦しさ、頭痛が続いていた。

 その晩、ホテルの部屋には酸素が供給されていた。ボンベも渡されていた。

 私は旅行前から、実はほんの少し風邪気味だった。ときおり軽い咳をし、喉の違和感があった。とはいえ、もちろんたいしたことはない。特にほかのメンバーにうつすのを心配するほどでもなかった。が、風邪の影響もあったのかもしれない。夜中、息苦しくなった。頭痛が我慢できないほどひどくなった。寒気がした。念のために持参した体温計で測ってみたら、38度を超えていた。いや、それ以上に割れるほど頭が痛い。

 

730

 最悪の状態で朝を迎えた。ともかく苦しい。頭が痛い。腹を決めてベッドを出たが、立っているのがやっと。旅を中断して、ここから帰国せざるを得ないかもしれないと思った。

 添乗員さんと話して、午前中の観光(チャカ塩湖再訪)をキャンセルさせてもらって、その間、ホテルで寝ていた。やっと気分がよくなって、昼過ぎにメンバーと合流。その後、近くのレストランで食事だったが、もちろん食欲はゼロ。が、ともあれ、旅を続けられそうなので安堵した。

 ツアーメンバーの中には明らかに私よりも年上の方がおられたが、恥ずかしながら、最も早くダウンし、その後も体調不良をつづけたのは私だった。長年の不摂生(暴飲暴食はしないが、何しろずっと机について仕事をし、最近では、一歩も家から出ない日も多い!)がたたってのこの状況だろう。

 バスで西寧に戻り、夕食をとって(もちろん、まったく食欲なし!)から西寧駅へ。新しいこぎれいな駅で、当然と言えば当然だが、ほかの中国の地方都市の駅の雰囲気と似ている。

 私だけでなく、おそらくツアー参加者のほぼ全員にとって、これまでの2日間は準備体操に等しい。目的はチベット見物、そして西寧からラサまでの青蔵鉄道による25時間のチベット高原の旅だ。

 チベット族出身の日本語ガイドさん(40代のきわめて有能で頼りになりそうな女性!)に合流。先導されて、ホームに降り、青蔵鉄道に乗り込む。濃いグリーンの車両。一等寝台車は4人のコンパートメントで上下の寝台席になっている。私はすでに親しくなっているツアーメンバーの方々と同じコンパートメントで過ごすことになった。この鉄道が開通して20年を超すので、真新しいという雰囲気はないが、コンパートメントはきちんと整備されている(ただ、鍵のかからないトイレなどはあった)。

 音もなく出発! 静かに列車は走っていく。レールの音もほとんどなく、揺れもない。時速50キロから60キロくらいの速度で滑るように走っていく。

 列車の両方の窓から草原が流れる。乾燥地帯だと思っていたら、どうやら湿地帯で、沼や小さな水たまりがあちこちに見える。豊かな草が生えているわけではない。うっすらと草が生えている。そこにときどきヤクや羊が見える。どうやら野生のヤクらしい。こんなに草が少ないところによくぞ暮らしている!と感心する。トラックも時々見える。開発中らしく、あちこちで工事がなされている様子がある。が、人影はほとんど見当たらない。

 消灯。私はじゃんけんをして下段で寝ることになった。

 

 

731

 7時過ぎ、食堂車に移動して、ツアーメンバーとともに朝食。表示によって海抜4500メートルを超える地域を走っていることがわかる。あいかわらず食欲なし。

 コンパートメントに戻って、外に風景に目をやる。絶景が広がっている!

 雲が低い! 抜けるような青空の下に、手が届くような錯覚を覚えるように雲が這っている。遠くに山が見える。ときどき、頂に雪が残っている。険しい山、岩山も見える。それらが通り過ぎていく。周囲はずっと草原だが、出発したときに比べてますます草が減っている。だが、裸の山というわけではない。うっすらとした緑の部分が多くなったり、むき出しの土の部分が多くなったりといった具合だ。ただし、きっとこれは今の時期だけで、すぐに秋になると裸の山になり、冬は雪山になるのだろう。

 しばらくして、長江の源流だというトト河の風景をみた。幅が数百メートルある広い河だが、水量は少なく、あちこちで土がむき出しになっている。水の流れているところも、草や水藻はほとんどなく、透明な水を通して底の土が見える。このあたりになると、家もほとんどない。車も通っていない。道路はあり、塀などはあるが、人影もない。

 世界最高海抜の駅であるダングラを通過。海抜5068メートル! 列車の中に酸素ボンベがあり、車掌さんにお願いしてチューブをもらえば、それをコンパートメントの窓の横にある差込口から酸素が吸えるようになっている。なるべく薄い空気に慣れようと思っていたが、やはり苦しくなって、酸素を吸った。

 崑崙山脈が見え、ツォナ湖が見える。薄い青の湖面の向こう岸に山が連なり、こちら側からはあいかわらずうっすらと緑の見える草原だ。

 ようやく車の通りが増え、建物が増えてきて、17時過ぎ、定刻にラサ駅到着。ラサ駅もほかの中国の地方駅と変わりがない。ホームからエスカレータでおり、改札口へ。標高3640メートル。そのままバスでホテルにむかった。

 ラサと言えば、チベット自治区の省都にして、チベット仏教の聖地。五体投地をする巡礼者などがバスからも見えるのかと思って目を凝らしていたが、そのような人は目に入らない。ほかの中国の都市と変わりはない。ただ、高層の建物はなさそうだ。

 街はチベット人が多く住む旧市街と、漢民族が住み始めた新市街に別れるという。確かに、バスで動くだけでその違いがはっきり分かる。新市街の店にはお店の看板はほとんどが漢字だが、その上か下にチベット文字が書かれている。それを除けば、中国のほかの都市と変わりがない。中国的な色遣いの店が並んでいる!

 標高の高い地域なので、すぐに観光に移るのではなく、ホテルでゆっくりする。

 ラサホテル宿泊。老舗の格式高いホテルだと思う。どういうわけか、私にあてがわれたのは、とんでもなく豪華な部屋だった。後で知ったが、私ともう一人だけ、このタイプの部屋だったらしい。

 単なるスイートルームというレベルではない。豪華な客間(ソファ、テーブル、テレビなど高級な調度が備えられている)と寝室(これも立派な調度)のほかに、なんと6脚の椅子が円卓を囲む会議室、そして、デスクと書架のついた執務室まであった。つまり、全部でかなり広めの4室! 浴槽はジャグジー付き、トイレや洗面台は2か所。客間には大きな習近平国家主席と歴代指導者の写真が架けられていた。どうやらVIP用の部屋らしい。

 ラッキー!とは思ったが、使い勝手はよくなかった。様々なスイッチが全部合わせてたぶん20くらいあり、どれがどれやらさっぱりわからない。ドアを入ってベッドにたどり着くまでもかなり歩かなければならない。ポットでお湯を沸かして、ベッドの横のテーブルでコーヒーを飲もうとするにも時間がかかる。ここに3連泊した。

 

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 数日後に、チベット自治区成立60周年記念式典があって、習近平国家主席をはじめとする中国共産党幹部が来訪するということであわててイベント会場が作られていた。立ち入りが制限されているところもあったようだ。

 まずは、世界遺産であるチベット仏教の総本山ボタラ宮見学。裏側の公園のようなところを通って、入口へ進んだ。公園のような場所ではいくつかのグループに分かれて、スピーカーで音楽を鳴らして踊ったり歌ったり。仏教の聖地で何と不純な・・・と思ったのだったが、ガイドさんに尋ねてみると、どうやら巡礼の人たちが地域ごとに別れて踊っているということだった。巡礼の疲れを癒し、交流を深めているということだろう。

 ポタラ宮の屋根の中央に中国国旗がはためいている。

 ポタラ宮は、観音菩薩の住む場所であり、観音菩薩の化身であるダライ・ラマの住まいとして、ダライ・ラマ5世のころ(17世紀中葉)に建てられた。丘の上に建てられており、まずは宮殿の入口まで外の石段を上らなければならない。360の段があるという。

 建物の外で、初めて五体投地をしている人物を見かけた。母親らしい女性と10歳前後の男の子ふたり。母親と上の子どもが五体投地をし、その後、少しサボり気味に小さな子どもがそれを真似ていく。周囲には大勢の観光客がいたが、少なくとも女性は一心不乱の雰囲気がある。この付近で見かけた五体投地はこの一組だけだった。

 ものすごい観光客の数だった。多いのはチベット人だろう。巡礼の人たちだと思う。漢民族の中国人もかなりいる。西洋人も見かける。日本人にはあまり会わなかった。多くの人がひしめきあって階段を上がる。なにしろ、標高約3700mの場所での360段だから、これはかなりきつい。息が切れるし、頭が痛くなる。酸素ボンベを鞄に入れているので、苦しくなったら日陰で休憩して吸引する。

 中に入ったら、これはもうラッシュ時の新宿駅のホーム並みの混雑だった。歴代のダライ・ラマの霊塔があり、釈迦や金剛仏の仏像があり、様々な壁画があった。チベット人ガイドさんのわかりやすい解説を聴きながら移動するが、そのためにますます人混みがひどくなり、大渋滞を巻き起こしていることは間違いない。

 観光客でごった返しているとはいえ、さすがに厳かな雰囲気だった。

 仏像などの前には賽銭というべきか、お布施というべきか、参拝者の残した紙幣が何枚か置かれている。中国の1元、5元札がほとんどだ。言うまでもなく毛沢東の肖像のお札だ。宗教を否定する共産党指導者であり、仏教を破壊した文化大革命の主導者である毛沢東の肖像画が仏像の前にあるのを見ると複雑な気持ちにならざるを得ない。

 

 チベット料理の店で昼食を済ませてから、午後はもう一つのラサの象徴的な存在であるジョカン(大昭寺)見学。ジョカンは、チベットを統一したガムポ王が7世紀に建てた寺院で、歴史的にはラサという町の中心としてポタラ宮以上に大きな役割を果たしてきた。

 こちらには12歳の釈迦像(これこそが実際の釈迦に最も似ているといわれているとのこと)がある。そのほか、仏像や装飾物が収められている。ここも立ち止まって見ることができないほどの観光客だった。

 ジョカン見学後は、バルコル(八廓街)を歩いた。ジョカンを囲む1キロほどの八角形の道で、両脇にはチベット風の白い壁、きれいに整えられた窓とバルコニーのある建物が並んでいる。きっと2階より上には人が住んでいるのだろうが、1階はお土産物屋、タンカ(チベット仏教の仏画)の店などになっている。

 バルコルは巡礼の道であって、五体投地をしている巡礼者が大勢いると聞いていたが、1時間近く散策している間、私が見かけたのはひとりだけだった。ほかは巡礼の前後に観光をする人々、そして純粋な観光客だったようだ。

 観光客は大勢いた。ここも漢民族を中心とする中国人らしい人とチベット系の人、そして稀に西洋人が見える。道路の真ん中で何やら交渉が行われているらしい。装飾品をいくつも身に着けた人が輪の中心にいる。どうやら、身に着けた装飾品は売り物であって、それの値段を交渉しているようだ。私も店に入って、ちょっとしたおみやげ物を買った。

 

 ところで、この国ではどこに行くにも荷物検査を受ける。もちろん、ポタラ宮に入るときもジョカンに入るときも、バルコルに入るときも、機械による荷物検査と公安(?)による身体検査を受けた。

 ツアーのメンバーはほとんどは何も問題なく進んだが、二人が厳しく取り調べられた。一人は後ろポケットに入れていたハンカチを調べられた。もう一人は添乗員さんだったが、どうやらツアーの目印のために用意していた先導のための旗が疑われたようだった。このことがあって、遅まきながらやっと気づいた。

 荷物検査の目的は、一つはもちろん爆発物や引火物、武器なのだろうが、もう一つは旗の発見だったのだ。そういえば、以前、チベットで騒動があったとき、チベットの旗を持った人が先頭に立っていた。旗にくるまれて焼身自殺をしたチベット僧も何人もいたような記憶がある。

 チベット自治区成立60周年ということだが、これはチベット独立主義者にとっては、チベットが中国政府に占領され、名前だけの自治権を与えられてから60年たつということに過ぎない。中国政府は騒動を警戒しているのだろう。

 

 夕食後、ポタラ宮の夜景をみることが予定されていた。本来はポタラ宮広場で観る予定だったが、チベット自治区60周年式典の準備と警戒のために夜の広場への立ち入りが禁止になったので、バスで高台まで行って見物することになった。

 まずチベットの夜景に驚いた。ビルの多くが電飾で覆われている! これまで訪れた広州や上海と同じように、極彩色のネオンで飾られ、ラサ川の水面にも鮮やかな光が映っている。道路の両脇の街頭には朱色の電飾された提灯風の飾りが並んでいる。まさに中華の世界! 

 近くに劇場のある高台のはずれの街角からポタラ宮の夜の様子を見た。ポタラ宮がライトアップされていた! さすがにほかの建物のようなきらびやかな電飾ではないが、きらびやかな電飾の建物の先に光に照らされてそびえたっている。

 

82

 ポタラ宮広場を散策後、ダライ・ラマの離宮・ノルブリンカを訪れた。18世紀に建てられ、歴代のダライ・ラマが夏に避暑地として利用し離宮だ。ポタラ宮が狭苦しくて息苦しいため、現在インドに亡命中にダライ・ラマ14世を含めて多くのダライ・ラマが離宮を好んだことが、様々な本に記されている。

 広い敷地にいくつもの建物があり、それぞれに由緒ある壁画や仏像があるが、それ以上に庭園に植えられた様々な花が目を引く。きっと歴代ダライ・ラマも、このような開放的な空間を喜んだのだろう。

 その後、サンゲ・ドウングを訪れた。チャクポリ(薬王山)の丘の裏にある巨大な岩に掘り込まれた磨崖仏をそう呼ぶらしい。私は大分県出身なので、何度か訪れたことのある臼杵の磨崖仏のようなものかと思っていたのだが、かなり雰囲気は異なる。

 巨大な岩のあちこちに彩色された仏像や、まるで涅槃図のような仏像群、そしてチベット文字の経文、「オムマニペメフム」という六文字真言などが彫られている。日本人の私たちからすると、ちょっと稚拙な感じのする仏像だが、素人が信仰心を込めて彫り、彩色したのが伝わるような仏の姿だ。全部を合わせると、数百の仏像が描かれているのではないか。

 磨崖仏の下に寺院があった。ある僧侶が中心になってマニ石を積み上げて作った寺院だという。地域の人々の信仰の場であるようで、この寺院の前で五体投地をしている人が大勢いた。そう、ここに来てやっと私が思い描いていたチベットの姿をみることができた。寺院の前に10名ほどの人が並んで、真摯にからだを地面に放り出し、一心に祈りをささげている。別の場所でも、五体投地をしている人が数人いる。

 ガイドさんによると、この周辺の道で多くの人が五体投地をして一周するという。ガイドさんもかつては親に連れられて、今は子どもを連れて五体投地を定期的にしているという。まさに市民の信仰の場として人々が集まっている。

 かつてはラサじゅうがこのような雰囲気だったのだろう。だが、今ではラサの中心街は観光と商売の場になり、片隅でこのような信仰の場が息づいている。 中国人観光客はほとんどいない。ほとんどが近隣住民なのだろう。きっとこのような場がいくつかあって、地域の信仰深い人たちが集まっているのだろう。

 昼食後、セラ寺を訪問。15世紀に建てられ、チベット仏教の研究の場でもあり、一時期は数千人の僧侶が所属した。日本人僧侶、河口慧海と多田等観が学んだ寺院でもある。この寺院での厳しい生活の様子は、私はこの二人の日本人僧侶の回想録で読んでいた。

 広い境内にいくつもの建物がある。日本の大きな寺院と同じような雰囲気で、参道があり、砂利道を参拝者が歩いている。子どもづれが異様に多く、多くの子どもの鼻に墨が塗られている。この寺院の本尊は馬頭観音だということで、安産や子どもの健康を願って人々がやってくるのだという。鼻の上の墨は魔除けらしい。

 ちょうど僧侶たちの問答が行われていた。というか、この時間に合わせて、予定時間を変更して早めにこの寺院を訪れたのだった。

 日本の都市の中にある児童公園のような広場。ただ、一般の児童公園よりはずっと広い。大きな木が何本も植えられて陰になるようになっている。そこにおそらく50人を超す赤い袈裟を着た若い僧侶がちらばっている。

 二人一組になり、一人が座り、一人が立って向かい合い、何やら大声で言い合っている。立っているほうが何か仏教的な問いを座っているほうに投げかけ、そのたびに大きな音で手をたたく。座っているほうがそれにこたえる。それを続けているようだ。内容はさっぱりわからないが、まるで口喧嘩しているように見える。それが広場のすべての組で行われている。周囲を観光客が取り囲んで写真を撮ったり見物したりしているが、きっとこれは真摯な問答なのだろう。観光用のパフォーマンスには見えない。確かにここには信仰が息づいている。

 その後、ツアーのイベントとして、少し離れた場所で、民家での食事を楽しみ、歌舞ショーを鑑賞するということになっていたが、これは「民家」というにはほど遠い、とある社長の大豪邸。そこで全員がマツタケ汁をごちそうになり、民族衣装を身に着けた奏者によって、チベット・ギター(おそらくダムニャンと呼ばれる楽器)伴奏による女性の歌を聴いた。西洋音楽に慣れた耳からすると起伏がなくて退屈だったが、チベットのゆったりした時間と人々の人生を感じさせるような音楽だった。

 

 

83

 実質的なチベット最終日。これまでと違って、曇り空。長袖を着て出かけた。曇ると途端に寒くなる。朝のうちは12~13℃だったと思う。

 バスで2時間ほどかけてヤムドゥク湖に出かけた。しばらく平地を通り、その後は山道を登っていく。ヤムドゥク湖はチベットの聖湖のひとつで、水面の標高は4400メートルを超す。バスは4000メートルを超えたところを走る。雲が眼下に見え、うっすらと緑に覆われているが、岩肌のあらわな山が続く。私を含めてすべてのメンバーは高地に慣れて、酸素ボンベを使う人もいない。

 この湖の湖畔で過ごしたという知人の話を聞いていたので、それを楽しみにしていたのだったが、近づくことはできず、展望台から見るだけだった。海抜4998メートル地点から湖を見下ろした。朝、出かける時には曇り空だったが、やっと晴れてきて、湖の全貌が見えた。水はあまり多くなく、そこの土が見える状態だった。

 そのままラサ空港に向かった。

 ところで、途中の昼食の際、チベット人のガイドさんに、私は「ツァンパを食べる機会がなかったのが残念」と話した。ツァンパはチベットの日常を語る文章の中には必ず出てくる食べ物だ。小説でも旅行記でも必ず登場する。一度食べてみたいと思っていた。前日、民家を訪れた際、ツァンパの話が出て、ガイドさんは「じゃあ、私が作って食べさせてあげる」と話していたのが、時間がなくてそのままになっていたのだった。

 私がそのことを話すとガイドさんは急に黙り込んだ。そして、帰りのバスの中、ガイドさんは途中でバスを降りて、どこぞに行った。しばらくして戻ってきた。そして、「ツァンパを皆さんに食べてもらう機会がなかったので、これからツァンパを食べていただく」と言って、お店で購入したツァンパと紅茶を混ぜて練り始めた。練りあがったものを少量ずつ全員に配った。

 ツァンパとは大麦の一種からとった粉で、チベット人の主食だ。一口食べて、突然、「はったい粉」という言葉を思い出した。まさにはったい粉の味! 「はったい粉」という言葉を久しぶりに思い出した! ネットで調べてみたら、ツァンパはほぼはったい粉と同じものだと書かれていた。70年近く前、私は母だったか祖母だったかにこれを作ってもらって食べていた。少なくとも九州の田舎では、貧しい時代の子どものおやつだった! うーん、チベット人と日本人は顔だけでなく、食べ物も似てる!と思ったのだった。

 そのままラサ空港へ向かい、成都へ。成都の空港内のホテルに宿泊。84日の朝、成都を出発して、15時過ぎに成田到着。

 

 

  • まとめ

・何しろツアーで実質4日間をチベットで過ごしただけなので、内部をきちんと見られたわけではない。チベットの実相を知ることができたかというと、あまり自信はない。。

・高地での旅は、やはりかなりこたえた。頭痛と吐き気と息苦しさに悩まされた。最後の2日間くらいでやっと慣れてきたが、それまではまったく食欲がなかった。帰国後、「チベット料理はどうだった?」と何人もに聞かれたが、「食欲がなくて、ろくに食べていない。薬を飲むためにいくらかでも食べておくべきだろうと思って、口に入れたに過ぎない。だから、味についてはなんともいえない」と答えるばかりだった。12名のツアーメンバーのおそらくは全員がそれなりに高所でのしんどさを感じていたようだが、中で最もひどく高山病に悩まされたのは私だったようだ。私よりも高齢の方がおられたが、それほど悩んでいるようには見えなかった。私がそもそも軟弱だということ、そしてちょっと風邪気味だったことも原因の一つかもしれない。

・列車やバスから見える風景は絶景そのものだった。空と陸が日本とはまったく違っていた。あの青空、あの低い雲。遠くに険しい山、近くに見えるのはなだらかな草原。

・チベット仏教について本を読み、それなりに知識を持って出かけたが、残念ながら、信仰深い光景はあまり見ることができなかった。少なくとも観光地を歩くだけでは、テレビや映画で見たチベット仏教の実相を目の当たりにはできなかった。

・ラサはほかの都市とあまり変わりのない中国の地方都市だった。チベット仏教施設は中国政府が管理する地域の一つの観光資源になっていた。青蔵鉄道の開通に伴って、漢民族がどっと押し寄せるようになったのもその原因だろう。

・とはいえ、地域のあちこちで仏教は生きており、人々は信仰に基づいて生活している。ガイドさんの話を聞いても、どうやら本気で転生を信じているようだ。その是非はともかく、チベット仏教は人々の心の中では生き続けている。

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沼尻&神フィルの「トゥランガリーラ交響曲」 興奮した!

 202588日、ミューザ川崎シンフォニーホールで沼尻竜典指揮、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏でメシアンの「トゥランガリーラ交響曲」を聴いた。ピアノは北村朋幹、オンド・マルトノは原田節。素晴らしい演奏だった。興奮する演奏だった。

 私は音楽に関してきわめて保守的人間であって、リヒャルト・シュトラウス以降の音楽をほとんど聴かない。ほとんど無知に等しい。40代のころまではたまに聴くことはあったが、近年は本当にご無沙汰している。ただ、「トゥランガリーラ交響曲」に関しては、レコードだったかCDだったか、その昔、小澤征爾指揮、トロント響の演奏を繰り返し聴いていた。誰の演奏だったか思い出せずにいるが、実演も聴いた記憶がある。フェスタサマーミューザで神奈川フィルがこの曲を演奏すると知って、久しぶりに聴きたくなった。

 神フィルについては、先日の「ラインの黄金」の演奏会形式の演奏が素晴らしかったの期待して出かけたのだったが、いやはや期待以上の凄さだった! 

 まず沼尻の指揮ぶりに圧倒された。初めのころこそ、少しだけ縦の線がそろわない面があったが、まさに縦横無尽の指揮ぶり! オーケストラをしっかりとコントロールしているのだと思うが、オーケストラの自発性を任せているような雰囲気がある。それでいて、躍動感があり、官能性があり、音の醍醐味があり、色彩感があり、実に的確な構成感があった。ものすごく複雑なリズムだと思うが、それが躍動して進んでいく。音が濁らず、しかしきらびやかになりすぎず、愛の賛歌の世界を繰り広げる。私はこの曲を、スクリャービンの「法悦の詩」(そういえば、この曲、この頃あまり演奏されないような気がする!)と同じような雰囲気を感じて大好きだったのだが、まさにそれを今日も感じた。ぞくぞくずるような官能性が楽器の洪水によって押し寄せてくる。それが見事に整理されている!

 石田泰尚をコンサートマスターとする神フィルのそれぞれの楽器にも感嘆した。弦楽器はもちろん、管楽器も美しい。そして打楽器も小気味いい。あれだけの音量なのに、まったく音が濁らない。

 北村朋幹のピアノのあまりの強靭さにも驚いた。打楽器のように弾きこなしながら、官能性も濃厚。原田のオンド・マルトノも特有の音がおもしろい。官能をくすぐる。

 私はとりわけ第5楽章の「星々の血の喜び」に興奮した。そして、終曲の熱狂的な終わりも圧倒された。

 神奈川フィルは凄いオケになったものだ!

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吉田志門&碇大知のリサイタル ブリテンの歌曲に震撼!

 2025年8月7日、中板橋のマリーコンチェルトで、吉田志門(テノール)、碇大知(ピアノ)のリサイタル「Ode to Joy leucos 光へ」を聴いた。

 7月28日から8日間にわたってチベット旅行をしていたので、久しぶりのコンサート(PCの絶不調もあって長い文章を書く余裕がなく、旅行の印象はまだブログにアップしていない)だった。素晴らしかった。感動した。

 吉田志門は日本が誇る世界的テノールだと思う。数年前にシューベルトのリートを聴いてそう思ったが、その後、歌曲を聴いても宗教曲を聴いても、その確信を深める。今回もそう思った。

 前半にブリテンがミケランジェロのイタリア語の詩に音楽をつけた「ミケランジェロの7つのソネット」を中心に、カヴァッリやカッチーニなどの16、17世紀のイタリアの作曲家の歌曲を配したプログラムだった。ミケランジェロが恋愛詩を書いていたとは知らなかった。ミケランジェロの同性愛についてはよく知られているが、吉田さんによるとこれは同性の愛する人を思い描いての恋愛詩とのこと。初めて聴いたが、これは素晴らしい曲、素晴らしい演奏だと思った。激しい思い、秘めた思いをまっすぐに歌う。とりわけ「私は甘美なる光を見る」にはまさに震撼した。

 ブリテンとピーター・ピアーズの同性愛関係は有名だが、確かに吉田さんの言う通り、ブリテンはミケランジェロの詩に自分のマイノリティの性愛を重ねあわせているのかもしれない。尋常ではない迫力をもって愛が語られる。

 後半は、レオンカヴァッロ、ルチアーノ・ベリオ、レスピーギなどの歌曲が歌われた。レオンカヴァッロの2曲だけは聴いたことがあった(きっと、私はCDを持っていると思う)が、ほかは初めて聴いた。どの曲も実におもしろい。逆にいうと、吉田はそれぞれの作曲家の魅力を私たちに教えてくれた。

 吉田は自然な発声で自然に歌う。そのために知的で気品にあふれている。しかも、持って回った歌い方ではなく、きわめて率直なので、まっすぐに私たちの心をゆすぶる。作曲家の思いもそのまま伝わる。それぞれの言語(今日はイタリア語)の響きを大事にし、歌詞の意味をしっかりとかみしめて歌う。私に唯一わかった(といっても、文字をみているからわかるわけだが)のはフランス語で歌われたレスピーギの「庭のただなかで」だけだったが、言葉の響きによって、情景が目に浮かび、ランボーが語ったように、まさに言葉が音楽になり、色彩になって広まっていく。それが実に見事だと思った。碇大知のピアノも決して出しゃばらないが、しっかりと歌に即し、歌の情景を描き出す。とてもよい伴奏だと思った。

 吉田志門はイタリアものも歌える! きっと、イタリアオペラも歌えるだろう、しかも、世界レベルで! うーん、ちょっとしたショックだった。うれしいことではある。だが、ドイツ音楽好きの私としては複雑な気持ちだ。

 まずはシューベルトとシューマンとブラームスとシュトラウスとヴォルフのリートを歌ってほしい! この人の「マゲローネのロマンス」をぜひ聴いてみたい! 「商人の鑑」全曲も聴いてみたい。フォーレやドビュッシーももっと歌ってほしい。往年のジェラール・スゼーのレパートリーをすべて吉田志門で聴いてみたい。宗教曲もバロックオペラもきっとこの人は最高の歌を聴かせてくれるだろう。勝手な願いだとはわかっているが、イタリアオペラはその後にしてほしい。

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