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ドーリック弦楽四重奏団 すさまじいヤナーチェク!

 20251029日、横浜市鶴見区民文化センターサルビアホールで、ドーリック弦楽四重奏団の演奏を聴いた。曲目は前半にメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番 とヤナーチェクの弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」、後半にブリテンの弦楽四重奏曲第3番。以前、この弦楽四重奏団を聴いてとても興味深く感じた記憶がある。今回は、客席が100前後の贅沢な空間を味わえるサルビアホールで聴いた。ただし、今回は以前とはかなりメンバーが変わっているらしい(今回は、マイア・カペザ、イン・シュー 、エマ・ヴェルニク、ジョン・マイヤースコー )

 メンデルゾーンについては、私は大いに疑問を抱いた。かなり大きな緩急をつけ、表情の味付けもかなり濃い。すべての音があまりに濃厚。過剰にロマンティックで起伏の激しいメンデルスゾーンになっている。小気味よいほどだが、こうなるとメンデルスゾーンの古典主義的な要素が消し飛んで、形式感が失われてしまう。もっとさっそうと演奏する中で、しみじみとした悲哀があってこそメンデルスゾーンだと思う。

 このような演奏タイプは次の曲目であるヤナーチェクにはうってつけだった。これはすごい演奏だった。研ぎ澄まされた濃厚な音で激しくうずく。まさに生命の疼きの音楽! 表情の変化もぴたりと決まり、聴く者の心の疼きと同調する。不快な不協和音がきりきりと私の魂を刺激する。私の中の煩悩がのたうち回る感じがする。なるほど、これが冷え切った仲の老妻を顧みず、27歳年下の人妻に欲望を燃やしたヤナーチェクの心の内だったのだろう。圧倒された。

 後半のブリテンについても同じようなタイプの演奏だった。私はこの曲を初めて聴いたと思う。とてもいい曲だと思った。死の直前に作曲された曲だという。そう思って聞くせいかもしれないが、ある種の諦観があり、研ぎ澄まされた感覚があるように思えた。ただ未熟者である私は、初めて聞いてもなんだか判断できない。

 演奏について気になったのは、これもメンデルスゾーンやヤナーチェクと同じような雰囲気の演奏になっていたことだ。メリハリが強く、緩急をつけて大きな味付けをしてロマンティックに演奏する。ブリテンの曲そのものがこうなのか、それともこの団体の味付けがこうなのか、私としては判断がつかなかった。

 アンコールはハイドンの作品64-3だとのこと。これはあまりメリハリのないしっとりした演奏だった。

 ともあれ、ヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」については間違いなくとびっきりの名演奏だった。満足した。

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オペラ映像「ローエングリン」「タンクレディ」「スペインの時」「子どもと魔法」

 朝晩、寒くなってきた。私はそこそこ平穏に暮らしているが、一昨日はパソコンがスリープ状態から目覚めなくなって焦った。電源を押してもオフにならないので再起動もできない。修理に出した。さて復活できるのか。いくらかかるのか? 現在、業者の返事を待っている。ともあれ、以前持ち運び用として使っていた小型のノートパソコンを探し出してきて、何とかしのいでいる。

 そんな中、何本かオペラ映像を見たので、簡単な感想を記す。

 

ワーグナー 「ローエングリン」 202455日 ウィーン国立歌劇場

 ティーレマンの指揮によるウィーン国立歌劇場の上演なので、もちろん音楽的にはきわめて充実。が、またしても、ヨッシ・ヴィーラーとセルジオ・モラビトによる演出に問題がある。

 これまで、「実はローエングリンは英雄でもなんでもない男権主義の弱虫だった」「ローエングリンは二人いた」などの演出をみたことがあるので、そのうちこのような演出が出てくるだろうとは思っていた。だから、ある意味であまり独創的ではないと私は思う。むしろ陳腐。

 一言で言って、どうやらエルザは本当に弟を殺していたということらしい。エルザは無垢の人ではなく、むしろ無垢で一本気なオルトルートとテルラムントを陥れ、ローエングリンと結婚してブラバントの国を支配しようとして失敗する・・・ということのようだ。しかも、ハインリヒ国王は専制国の王であるらしい。王も兵たちも第一次大戦を連想する軍服を着ている。民衆もその当時の服装をしている。ただローエングリンだけは中世的な服装。エルザは中世ドイツの理想を復活させて専制国の国王に取り入ってブラバントを支配しようとして失敗したと言いたいのだろう。オルトルートとテルラムントのおおらかでプリミティブな世界を肯定し、専制的な現代社会を批判するという演出意図が見える。

 しかし、どう考えても、そんな演出にすると音楽とかみ合わない。ワーグナーの音楽に浸れなくなる。ワーグナーを全否定することになる。もうそろそろそんなたわけた演出はやめにしてほしいと思うのだが。

 演奏については、ティーレマンのあまりに緻密な演奏にただただ驚く。ダイナミックさは少し弱まっている気がするが、すべての音がびしりと決まり、素晴らしい美音でうねっていく。この上ない完成度というべきだろう。冒頭のピアニシモの音ひとつとってもあまりの美しさに驚嘆し、うっとりするしかない。

 ローエングリンのデイヴィッド・バット・フィリップはヘルデン・テノールとはいいがたく、かなりリリックだが実に美しい声でしっかりとこの役を歌っている。少し前まであまりの大根役者ぶりに呆れていたが、演技もうまくなった! エルザのマリン・ビストレムはカトリーヌ・ドヌーヴ似の美形。底意地の悪い役をうまく演じており、歌唱的にもとてもいい。が、やはり圧倒的なのは、オルトルートを歌うアニヤ・カンペとテルラムントのマーティン・ガントナーだ。激情的で人間的には未完成だが、それはそれで魅力あるカップルを素晴らしい迫力で歌う。ハイリンヒのゲオルク・ツェッペンフェルトはいつも通りの最高度の歌唱! この人、ワーグナーのすべてのバスの役を最高の完成度で歌う。本当にすごい! 伝令のマーティン・ヘスラーは、きっと演出家の指示だろう、ずっと元気なく、下向き加減で歌う。演出によって損な役を演じさせられたのではないかと思った。

 ひとことで言って、最高の演奏と噴飯ものの演出、という近年のワーグナー上演ではおなじみのディスクだった!

 

ロッシーニ 「タンクレディ」 2024718日 ブレゲンツ音楽祭

 前もって言っておくと、私はこのオペラのストーリーに納得がいかない。アメナイーデがタンクレディに書いた手紙が敵将への手紙と誤解され、敵に通じたとみなされ死刑を命じられるところから、話が動き始めるが、アメナイーデは少しも弁明せず、そもそもこの手紙が敵に通じたものだという証拠は何一つ示されない。一人だけのいい加減な告発をだれもがなにも疑わずに信じてしまって、悲劇が起こっていく。・・・こんなストーリーは私の倫理感に反する。登場人物全員が愚かに見えてオペラについていけない。「おいおい、ちゃんと告発の真偽を検証しろよ。弁明の機会を与えて、証拠を探せよ」と叫びたくなる。「そんなこと言ってたら、オペラなんてみんなそんなもんだから、何もみられなくなってしまう。大目に見ようよ」という声も聞こえてきそうだが、どうにもならない。喜劇ならこんな内容でもいいだろうが、悲劇でこれでは、つらい。ついでに言うと、同じような意味で、私は「オテロ」が大の苦手なのだ!

 国王とその娘、そして英雄たちの話が、ヤン・フィリップ・グローガーの演出では、現代の都市のダウンタウンでシマ争いをするマフィアめいた集団の頭とチンピラたちの話になっている。アメナイーデは親分の娘でありながら、警察に仲間を売ったと疑われるという話になっている! 現代化し、王族たちの権威性を奪った舞台にする意図があるにしても、あまりに陳腐で卑俗すぎる。とはいえ、演奏はとてもいい。

 歌手の中ではアメナイーデのメリッサ・プティが圧倒的。高音のあまりの美声には感動するしかない。この役にふさわしい清純な声と容姿で、申し分ない。タンクレディのアンナ・ゴリャチョーワは丁寧に歌っており、プティとの二重唱は驚くほどの美しさだが、ズボン役としては少々迫力不足だ。アルジーリオのアントニーノ・シラグーザは相変わらずの美声。オルバッツァーノのアンドレアス・ヴォルフは迫力ある声だが、音程が少し不安定だと思う。

 ウィーン交響楽団を指揮するのはリン・イーチェン(漢字では林沂蓁と書くらしい)という台湾出身のかなり若い女性。溌溂としていてリズム感があって、とてもいい。ただ、若い女性だからというわけではないと思うが、どうにも迫力不足だと思う。こじんまりとまとまった感じがしてしまう。ロッシーニのオペラ・シーリアなのだから、もっとダイナミックで躍動感にあふれる音楽であってほしい。

 とはいえ、繰り返すが、二重唱が本当に素晴らしい!

 

ラヴェル「スペインの時」2025年3月27日 モンテカルロ歌劇場(モナコ)

 NHKBSのプレミアムシアターで放送されたもの。管弦楽はモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団、指揮は山田和樹、演出はジャン・ルイ・グリンダ。

 きわめて上質の上演だと思う。まず山田の指揮するオーケストラのラヴェルのしなやかで色彩的で、余裕のある音が見事。水彩画のような淡いタッチで描かれたたくさんの時計に囲まれた時計屋のコミカルな背景もとてもいいし、登場人物の演技もコミカルでおもしろい。

 ヴァンサン・オルドノーの歌う時計屋のトルケマダは、まるでチャップリンのような顔の化粧で登場。その時点でこのオペラのコミカルさを明確にする。みんなが道化師ふうの化粧をして、それが様になっている。

 コンセプシオンを歌うのはガエレ・アルキス。私はこの歌手をこれまで実演でも録音でも聴いたことがなかったと思うが、とてもいい歌手だ。色気たっぷりの声と容姿で、しかも憎めないところがある。見事な歌と演技だと思う。ラミーロのフロリアン・サンペイもコミカルでこの役にふさわしい。まさに至福の時を味わえる上演だと思った。

 

ラヴェル 「子どもと魔法」2025年3月27日 モンテカルロ歌劇場

「スペインの時」と同じ日に、同じ指揮、演出で上演された。少年役のガエレ・アルキス、柱時計や雄猫を歌うフロリアン・サンペイなど多くの役も重なっている。2本合わせても90分に満たないので、それほどの肉体的負はないとは思うが、出演者には苦労は多いと思う。

 台本では夢の中で室内の家具や庭の動物たちが少年に反旗を翻して不満を語りだすことになっているが、この演出では少年に手を焼いた召使たちが家具や動物たちに扮して脅すという設定になっている。私としては、台本に忠実なほうが楽しいと思うのだが・・・。

 そうはいっても十分に夢幻の世界が展開される。ダンサーも参加しているのだろう、肉体の動きも美しく軽やか。山田の指揮するオーケストラも色彩的でコミカルで美しい。ラヴェル特有の深刻になりすぎず、ユーモアがあり、毒があり、知的な鋭さにあふれた世界が展開する。

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ガードナー&読響 期待していたのだが・・・

 20251025日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団土曜マチネーシリーズを聴いた。

 ガードナーの録音はいくつか(「さまよえるオランダ人」「サロメ」)聴いた。とてもよかった。だから期待して出かけた。が、ちょっと期待外れだった。

 最初の曲目はディーリアスの歌劇「村のロミオとジュリエット」の「楽園への道」。私は実はイギリス音楽はよくわからない。エルガーもディーリアスもただただひたすら退屈! 改めて聴くと楽しめるかと思ったが、やはりこの上なく退屈だった!

 次にパヴェル・コレスニコフが加わってのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。シベリア出身の若い注目のピアニストだが、不思議なチャイコフスキーだった。この曲はしばしば派手に演奏されるが、きわめて内省的に始まる。ロシア的な雰囲気はなく、またチャイコフスキー特有の哀愁や感情の爆発もない。「あれ、この曲ってこんなんだっけ?」と思いながら聴いた。ピアノはきわめて繊細でしなやかで、この上なく美しい音。オーケストラも素直な音楽なのだが、盛り上がらない。あまり魅力を感じなかった。ソリスト・アンコールはショパンのマズルカ47番とのこと。これも繊細にしてしなやか!

 後半はブラームスの交響曲第1番。第1楽章は、溌溂としてとてもいいと思った。が、その後、なんだかずっと焦っている感じで、びしっと決まらない。地に足がついていないというか。せっかく読響が良い音を出しているのに、上滑りしていく。録音はまったくそんなことはなかったのだが。ちょっと残念だった。

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加耒徹のブラームスを堪能した!

 20251022日、恵比寿のKIRA HALLで「加耒徹 歌シリーズ ブラームスの歌曲 昼の部」を聴いた。これまで何度か聴かせていただいて常に見事な演奏だった加耒徹が「マゲローネのロマンス」の抜粋を歌うという。これは聴き逃してはならぬと思って出かけた。ピアノ伴奏は松岡あさひ。

 KIRA HALLを初めて訪れた。存在さえ知らなかった。30人程度収容の小さなホールで、「加耒徹 歌シリーズ」は今回が25回目だという。お客さんは年配の女性が大半で常連さんの雰囲気。いやいや、私の知らないところでこんな素晴らしいリサイタルがこれまで24回も行われていたのか!と衝撃を受けた。本当に素晴らしかった!

 前半は、ブラームスの歌曲を7曲。「民謡」「ことづて」「日曜日」「暖かい空気はじっとして」「雨の歌」「ひばりの歌」「メロディのように」。

 自然な発声、驚くほど正確な音程、美しいドイツ語の発音、細かいところまで神経の行き届いた声の処理、良く響くバリトンの美声! そのような声で見事に雰囲気を作り出す。残念ながら、私はドイツ語を解せず、今回歌われた歌曲もきちんと意味を理解しているわけではないのだが、しかし、言葉から詩の世界が広がっていく。弱音をうまく使い、繊細な心も描く。私は少し前、吉田志門のテノールによる歌曲に衝撃を受けたが、加耒の表現にも同じように衝撃を受けた。本当に素晴らしい演奏!

 後半は「美しきマゲローネのロマンス」から5曲。何を隠そう、私はこの歌曲集が「冬の旅」よりも「詩人の恋」よりも好きなのだ! 若きブラームスの情熱の迸りを聴くことができる。私はその昔、フィッシャー=ディスカウとリヒテルのレコードでこの曲を知り、感動して繰り返し聴いたのだった。

 で、今回思ったのは、「もしかしたら、フィッシャー=ディスカウよりもいいかも!」ということだった。フィッシャー=ディスカウはもちろん舌を巻くほどのうまさなのだが、やはり「おじさんが若作りして、若者のマネをして歌っている」といった雰囲気がある。それに対して、加耒の歌は本当に若者らしい! 若々しい情熱を率直に歌っている。まさに率直に、中世的、ゴシック的な素朴な雰囲気のある世界を歌う。ピアノもそれをしっかりと再現する。

 最後に「4つの厳粛な歌」。これも私の好きな歌だ。私はハンス・ホッターのレコードでこの歌を知り、その後、フィッシャー=ディスカウ、ミヒャエル・フォレなどで聴いてきた。ただ、これについては、加耒の歌はまだ若すぎると思った。「マゲローネのロマンス」とは逆に、これは加耒が無理やり年齢を重ねた雰囲気を出している。そのような雰囲気をしっかりと出していること自体、すごいことだと思うが、やはり本当に老成したホッターのあのしみじみとした、いかにも老年のブラームスらしい諦観と嘆きの味は出ない。もちろん致し方のないことではあるが。

 それにしても、「マゲローネのロマンス」も「4つの厳粛な歌」も、私がこれまで聴いた実演(滅多に演奏されないので、数回しか聴いていない)の中では最も感動したのは間違いない。

 昼の部の後、夜の部があり、そこでも「マゲローネのロマンス」の別の曲が歌われるという。大いに心惹かれたが、私は5日間連続してコンサートに通って、二世帯住宅でくらす孫たちと5日間、夕食をともにしていない。今晩は久しぶりに孫たちの顔をみられると思っていたので、急いで帰った。

 吉田志門さんも近々「マゲローネのロマンス」を歌われるという。加耒さんは、「マゲローネのロマンス」の全曲を近いうちに歌いたいを言っておられた。二人の「マゲローネのロマンス」が聴けたら、どんなに幸せだろう!

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ビシュコフ&チェコ・フィル ビシュコフのチャイコフスキーに深く感動!

 20251021日、文京シビックホール大ホールで、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演を聴いた。指揮はセミヨン・ビシュコフ、曲目は前半にスメタナの「モルダウ」と、チョ・ソンジンが独唱者として加わってラヴェルのピアノ協奏曲、後半にチャイコフスキーの交響曲第5番。

「モルダウ」は私の好きな曲ではないのだが、ビシュコフが指揮をすると実に生き生きと聞こえてくる。安定したリズム、そこにくっきりと音楽が築かれていく。音楽的な物語があり、しっかりとした土台の上にその物語が語られる。感情任せにならない。きわめて論理的で秩序だっており、そこに高揚があり、音楽の大きなうねりがある。まさにモルダウという大河の「人生」のようなものが見えてくるかのよう。すべての楽器が見事に重なり合っている。チェコ・フィルの音も本当にしみじみと美しい!

 ラヴェルの協奏曲も正攻法で音楽に挑んだかのような演奏だと思う。この曲はちょっとアメリカ的にしたり、フランス的にしたり、諧謔的な味をつけたりといった様々な味付けができると思うのだが。ビシュコフはそんな小細工はしない。真正面から楽譜に取り組み、そこから音だけを取り出したかのよう。だから、面白みはない。だが、そこから出てくる音は真摯で知的で研ぎ澄まされている。

 チョ・ソンジンのピアノも本当に一つ一つの音が輝いている!高貴で真摯。珠玉の作品という言葉にふさわしい演奏だと思った。

 ピアノのアンコールはショパンの有名なワルツ(だと思う。私はピアノはあまり聴かない。とりわけショパンに関心を持ったことがないので、恥ずかしながら、何も知らない)。これもとてもよかった。

 後半のチャイコフスキーは、まさにビシュコフらしい演奏だった。きっとチャイコフスキー好きには物足りないだろう。感情の爆発がなく、「泣き」がない。我をなくさない。大きく高揚するが、形は崩れない。リズムが崩れないのだろう、ここでも、しっかりとした足取りで大きく音楽が進んでいく。豊かな歌があり、大きな高揚があり、深い思いがある。そして、チェコ・フィルから本当に美しい音を作り出す。弦が素晴らしい! クラリネットもファゴットも実に美しい。金管の威力もすごい。そしてじっくりと大きな物語が完結に向かう。「運命の動機」が変貌し、最後に壮大なファンファーレになる様子が見事に語られていく。あんまりチャイコフスキーらしいチャイコフスキーを聴くとげんなりする私は、だからといってあまりにそっけないとつまらないと思うのだが、ビシュコフのチャイコフスキーが最も納得できる。最終楽章では私は深く感動した。

 アンコールは、まず「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲。この楽団でこの曲がアンコールに選ばれるとは思わなかったのでびっくり。が、冒頭のヴァイオリンの音に圧倒された。なんと美しい、なんと情感にあふれた音であることか! 涙が出そうになった。

 最後のアンコール曲がドヴォルザークのスラブ舞曲。先日、プラハ・フィルで聴いたのと同じ曲(確か第15番)。席のせいかもしれないが、プラハ・フィルのときには団子状の音に聞こえたのだったが、今回は楽器の音色がしっかりと聞こえ、しなやかで猥雑でしかも繊細な舞踏が聞こえてきた。

 4日連続のコンサート! 実は明日もコンサートに出かける予定。音楽業界に身を置いているわけではないのだから、ちょっとコンサートに行き過ぎているのを感じる。少々コンサート疲れというか、感動疲れがしてきた。

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ウィーン国立歌劇場公演「ばらの騎士」  感動の涙を流した!

 20251020日、東京文化会館でウィーン国立歌劇場来日公演「ばらの騎士」をみた。指揮はフィリップ・ジョルダン、演出はオットー・シェンク。素晴らしかった。興奮した。

 シェンクの演出はきわめてオーソドックス。ただ、すべての幕で舞台を狭く使っている。多くの演出では、すべての幕で奥まで使って、広い邸宅を示すが、今回はいずれも狭くして親密な空間を作っている。人物の動きについてはほぼ台本通りだと思う。

 ジョルダンの指揮はかなりアクティブというか、強い音でぐいぐいと音楽を進めていく。ロココ的な雰囲気は弱まって、かなりドラマティックになる。指揮者の要求によるのか、カミラ・ニールンドの歌う元帥夫人もかなり強い女性として描かれているように思う。オックスに対する怒りや年齢についての嘆きも、かなり強い感情を吐き出す。私としてはロココ的な雰囲気のほうが好きで、このようにすると遊び心というか、喜劇性というか、そのようなものが薄れる気がするが、これも一つのありかただろう。ただしもちろん、オーケストラの音は限りなく美しい。これがウィーンの音! 

 歌手陣は最高度に充実していた。とびぬけた歌手はいないが、アンサンブルがよい。いや、むしろみんなが突出した歌手というべきか。

 ニールンドは、このブログに何度か書いたが、武蔵野市民会館で20年以上前にリサイタルを聴いた時からのファンだ。2016年、縁あって、一度お会いして、オペラ関係者数人と一緒に飲んだこともある。今やワーグナー、シュトラウスの最大のソプラノと言って間違いない。気品があり、伸びがあり、しっかりとコントロールされた美声、しっかりした演技でこの役にふさわしい。

 オクタヴィアンのサマンサ・ハンキ―もこの役にふさわしい凛とした声で、演技的にも申し分ない。ゾフィーのカタリナ・コンラディも美しい声。この二人の二重唱は第二幕も第三幕もアンサンブルが完璧で、声の質も似ていて感動に震えるしかなかった。

 オックス男爵のピーター・ローズは、それほど喜劇性を強調せず、あまり下品ではない人物像を作っていた。あまり笑わせられないが、この方が本来のホフマンスタールやシュトラウスの意図に近いといえるのかもしれない。ファニナルのアドリアン・エレートは安定した歌で、老年の私としては身につまされる役を見事に歌う。この人は何をやっても本当にうまい!

 それにしてもよくできた台本と音楽だと改めて思った。本筋と関係がなさそうな場面でも、それがストーリー的にも音楽的にもその後の場面のある種の伏線となってつながっていく。娯楽性もあり、哲学的でもあり、ドタバタがあり、ほろりとさせる。すべての人物の心情が理解でき、感情移入できる。私はこのオペラを聴き始めた中学生のころは自分をオクタヴィアンと重ね合わせていた。その後、マルシャリンに、そしてオックスに重ね合わせ、近年はファニナルに重ね合わせている(さすがにゾフィーと重ね合わせたことはなかったと記憶する)。第3幕など、単に不倫をしていた年増女が若い男と別れるだけの話なのに、それぞれの人物の気持ちが痛いほどわかって涙なしにはいられない。

 いやあ、第1幕も第2幕もよかったが、第3幕は本当に素晴らしかった! 三重唱の美しさは別格だった。三人の女性の声がぴたりと合い、この上ないハーモニーをなし、それがまさに人生を歌う。舞台上の人物のあらゆる感情を追体験すると同時に、音楽的な美しさに至上の喜びを覚える。まさに至福の時間!! 私は三重唱、そしてその後の愛の二重唱の間、ずっと涙を流していた。

 ところで、第一幕冒頭の字幕についてちょっと問題を感じた。記憶に基づくので間違っているかもしれないが、冒頭のオクタヴィアンのセリフは字幕では、「かつてのあなたと今のあなたをだれもしらない」といったようになっていたと思う。だが、これでは意味が通じない。

 前にもこのブログに書いたことがあるが、この部分を補足して訳すと、以下のような意味だと私は思っている。「さっきのあなたがどうだったか、今のあなたがどうなのか、その両方を知っている人は、僕しかいない」。つまり、もっと率直にいうと、「さっきあなたはベッドの中であられもない姿で乱れていた。今は貴婦人らしく落ち着いている。その両方を知っているのは僕だけだ。ほかの誰も知らない」ということだと思う。いずれにせよ、もう少し状況がわかるように訳す必要があると思うのだが・・・。

 ともあれ、感動し、興奮した。満員の客だったが、スタンディングオーベーションが起こった。私も立ち上がって、涙を流しながら拍手した。

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BCJのカンタータ演奏 最高の演奏!

 20251019日、東京オペラシティコンサートホールで、バッハ・コレギウム・ジャパン「コラールカンタータ300年プロジェクト⑧」を聴いた。指揮とオルガン独奏は鈴木優人。2024年から25年にかけて作曲された40曲すべてのカンタータを演奏しようというプロジェクトの第8回だ。

 曲目は、すべてJ.S.バッハ。まずはオルガンによる《ああいかに儚き、いかに虚しきものよ》BWV 644 、《装いせよ、おお愛する魂よ》BWV 654。そして、カンタータ第26番《ああいかに儚き、いかに虚しきものよ》BWV 26、カンタータ第121番《キリストを誉め讃えよう、喜ばしく》BWV 121、カンタータ第139番《幸いなるかな、神に身を委ねる者》BWV 139、カンタータ第180番《装いせよ、おお愛する魂よ》BWV 180

 フィンランドから帰ったばかりの鈴木雅明さんと鈴木優人さんのお二人のプレトークのおかげで基礎知識を与えられて、とてもありがたかった。聴きどころがわかった。

 オルガン曲については、私が鍵盤楽器が苦手なこともあって、よくわからなかった。ピアノも苦手なのだが、どうもオルガンはもっと苦手だ。とても恥ずかしいのだが、これまでオルガン曲で感動したことが一度もない。

 カンタータについてももちろんあまりなじんでいない。わがやにはバッハのカンタータ全集のCDはあるが、おそらく10枚くらいしか聴いていない。今回の演目も私は聴いたことがなかったと思う。が、確かにおもしろい。私はよきバッハの聴き手ではないので、素人の聴き方しかできないが、信仰心が伝わり、バロック時代の技法の見事さを堪能できる。

 それにしても演奏の見事なこと! もちろん以前からバッハ・コレギウム・ジャパンの実力のほどは知っていたが、これほどまでの充実とは! 少し前まで、「バッハ・コレギウム・ジャパンは世界に通用する」だったが、今では、世界のトップレベルのバッハを聴かせてくれるといって間違いない。

 オーケストラのすべてのメンバーがまさに名手! そして、合唱も素晴らしく、独唱者もこの以上は考えられないほどの歌唱を聴かせてくれる。テノールの吉田志門は音程の良い美声でこの上なく安定したバッハの世界を作り出す。アルトの久保法之は、レチタティーヴォだけでアリアがないのがちょっと残念だが、これまた見事な歌唱。バスの加耒徹、ソプラノのクリステン・ウィットマーもバッハのカンタータにふさわしい声と歌いまわしで聖書の世界を作り出す。

 バッハのカンタータに不慣れな私もこの世界に入り込んで、深く感動した。これ以上に充実したカンタータの演奏は考えられない、最高の演奏だと思った。ただ、繰り返すが、何しろこの世界に疎いので、これ以上のことは言えない。もっとカンタータを聴きたいと強く思った。

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沼尻&神奈川フィルのブルックナー第8番 よい演奏だったが、興奮はしなかった

 20251018日、みなとみらい大ホールで神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴いた。指揮は沼尻竜典、曲目はブルックナーの交響曲第8番(Lノヴァーク版第2稿)。

 このところの沼尻と神フィルの充実ぶりはすさまじい。ブル8はどんなにすごいことだろう!と思って出かけたのだった。もちろん、とてもよい演奏だったが、もっとすごい演奏を期待していた私としては、ちょっとだけ期待外れだった。

 部分部分は感動に身を震わせた。小細工なしに、的確なテンポでじっくりと音楽を進めていく。そして、要所要所で大きく高揚する。だが、なんというのか、全体が大きな一つの物語を構成しないとでもいうべきか。じっくりじっくりと世界が形作られ、それが大きく飛躍し、爆発し、法悦へと至る・・・といった体験ができなかった。

 私は素人なので、この感想にどのくらい普遍性があるのか、そして、なぜ私がそう感じたのか、よくわからない。オーケストラは、出がそろわなかったりといった小さなミスがあったような気がするが、それはあまり気にならなかった。ただオーケストラ全体が一つになって盛り上がっていくといった雰囲気も感じられなかった。盛り上がり、感動し、わーすごいと思っていると、それが長続きせず、興奮が冷めていくのを感じた。それの連続だった。

 とはいえ、第3楽章のシンバルの後の高揚感、そして終楽章の最終部分の法悦は何とも言えない。ブルックナーの世界に心の底から浸ることができた。

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佐藤克彦リサイタル 素晴らしかったが・・・

 20251016日、古賀政男音楽博物館けやきホールで第4回佐藤克彦バリトン・リサイタル〈奏楽堂日本歌曲コンクール第一位受賞記念〉を聴いた。佐藤さんは大分県日田市出身だという。私も同じ日田市出身(数年前まで本籍は日田市だったが、実際に暮らしたのは5歳までで、そのあと、父の仕事の関係で同じ大分県内の中津市、大分市で過ごした)。同郷の人が日本歌曲コンクールで第一位を取ったのであれば聴かないわけにはいかない。

 ピアノは新井千晶、曲目は前半に北原白秋の詩による日本歌曲。山田耕筰の「六騎」、「かやの木山の」、「鐘が鳴ります」、「馬売り」、團伊久磨の歌曲集「三つの小唄」、木下牧子の「たんぽぽ」(畑中良輔、花岡千春編曲の「花林」のピアノ版)、後半にヘンデルの「オンブラ・マイフ」グルックの「パーリデとエレーナ」より「おお、私の優しい恋人よ」、ラヴェルの歌曲集「ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ」、ビゼー「カルメン」より「闘牛士の歌」、マネネの「エロディアード」より 「儚い幻」。

 音程の良い素晴らしい美声! ダイナミックレンジが広く、スケールが大きい。大きな世界が広がっていく。日本歌曲コンクールで第一位を取っただけのことはあると思った。独特の世界といってよいだろう。大ホールであったとしてもこの豊かな声は朗々と響き渡るだろう。目の前に大きな世界が広がっていく。

 大きな将来性のある歌手だと思った。きっとこれから大活躍するだろう。楽しみだ。

 ただ、私はちょっと疑問を持たないわけにはいかなかった。あまりにスケールが大きすぎる。「オンブラ・マイフ」もこれで素晴らしい。「闘牛士の歌」も素晴らしい。しかし、北原白秋の、時に悲哀にあふれ、親密でひそやかな世界と合わない気がした。木下牧子作曲の「たんぽぽ」なども、歌われる世界ははるかにたんぽぽの大きさを通り越して、広大な世界になっている。ラヴェルの世界とも異なる気がした。ラヴェルのこの歌曲集は、まさにラヴェルらしい、諧謔と皮肉を交えた真摯な叫びがあるはずなのだが、スケールが大きくなりすぎたために微細な点が見えなくなっているのを感じた。

 かつて私はハンス・ホッターの歌曲を聴いた。ジェシー・ノーマンの歌う歌曲も聴いた。この二人のダイナミックな声はすさまじかった。東京文化会館やNHKホールに響き渡った。佐藤克彦の歌もそれに近い声の威力を持っているといえるかもしれない。だが、ホッターやノーマンはもっと繊細でもっと親密でもっと心の襞をひそかに歌うような歌唱も示してくれた。佐藤の歌にはスケールの大きさはあったが、微細さはあまり感じられなかった。

 もちろん、曲によるだろう。ヴェルディなどのイタリア・オペラは今日の歌い方で素晴らしいと思う。ロシアの歌曲などもこの人に合っていると思う。きっと最高の歌を聴かせてくれるだろう。だが、もっと繊細で、言葉の響きによって心の襞までも伝わるような歌を聴かせてほしい。そのような面があると、スケールの大きな歌にももっと膨らみが生まれ、もっとドラマティックで豊かな世界が広がっていくだろうと思った。

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トリオ・アコードのメンデルスゾーン 第1番はまれにみる名演奏!

 20251014日、東京文化会館小ホールでトリオ・アコードの演奏会を聴いた。

 トリオ・アコードはヴァイオリンの白井圭、チェロの門脇大樹、ピアノの津田裕也の3人のトリオ。今回の曲目は、ファニー・メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲ニ短調とフェリックス・メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番、第2番。

 ファニーのこの曲は、実演でもCDでも何度か聴いたことがある。美しい旋律にあふれている。弟フェリックスに劣らない才能と言われるのが納得できる。とはいえ、この後にフェリックスの曲を聴くと、やはりその差の大きさを痛感しないわけにはいかない。ファニーの曲は旋律こそ美しいが、展開がシンプルで平板、ダイナミズムに欠ける。

 フェリックスの第1番はまれにみる名演奏だと思った。若々しいエネルギーにあふれ、躍動する。生命感があり、同時に生きる苦悩もにじみ出る。しかも気品があって古典的な均整美を保っている。メンデルスゾーンはお金持ちのボンボンで、作った曲は内容がなく、薄っぺら・・・などと言われることがあるが、この演奏を聴くと、まったくそうでないことがよくわかるだろう。私は大いに感動した。

 とりわけの津田のピアノの独特にリズムの刻みに導かれた第3楽章スケルツォと情熱的な終楽章は圧倒的だった。津田のピアノの音が鮮烈。しかも白井のヴァイオリンも小気味よく、門脇のチェロもそれを明快に支える。きわめてオーソドックスなアプローチだと思うが、音楽そのものが生命にあふれている。

 後半の第2番も同じようなアプローチだと思う。第1楽章のちょっと不思議なリズムに始まって、こちらも激しい情熱にあふれた演奏だった。終楽章ではバッハのコラールが現れるが、確かに宗教的な雰囲気も現れる! ただ、こうして聴いてみると、第1番のほうが名曲だなあ・・・とは思ってしまった。少なくとも私は第1番ほどの高揚は覚えなかった。

 アンコールは「歌の翼に」のピアノ三重奏版。明確で美しい演奏だった。

 メンデルスゾーンの室内楽は最近でこそやっと演奏機会が増えてきたが、まだまだ十分に真価が知られていないと思う。もっともっと今回のような名演奏を聴かせてほしいものだ。

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湘南シティ合唱団「ロ短調ミサ曲」 しっかりとバッハの音楽が聴こえた!

 20251013日、茅ケ崎市民文化会館で湘南シティ合唱団第19回演奏会、バッハの「ロ短調ミサ曲」を聴いた。指揮は松井眞之、オーケストラは篠原英和をコンサートマスターとするマイスター・シンフォニカ。

 湘南シティ合唱団というのはアマチュアの市民合唱団だ。小学生時代からの友人がこの合唱団で歌っているので、チケットをもらった。私はアマチュアの団体の演奏にはあまり関心を持たないのだが、小学生のころ、同時期にクラシック音楽を好きになり、レコードを貸しあって成長してきた友人がバッハを歌うというのが、なぜかとてもうれしくて、喜んで聴きに行った。彼は私と違って運動神経もよく、手先も器用、楽器もうまく、歌もうまく、勉強もできた! なんだか、何をしても下手な私の分も歌ってくれているような気がしたのだった。

 合唱団は総勢150名ほど。かなり高齢の方が多いと思う。後方の席だったのでよくわからなかったが、少なくとも男性は大半が70歳を超えており、80歳を過ぎた方もかなりおられるように見えた。

 合唱はプロに比べると確かに精度がよくない。音程が甘いので、ぼやけて聴こえるし、美しいハーモニーを作り出さない。初めのうち、合唱団の歌を聴くうち、船酔いに似た感覚を覚えた。合唱団の力量に合わせて指揮をしているのだろう、テンポが遅く、初めのうちはまさに安全運転。だが、徐々に合唱団も声が出るようになってきた。バッハの音楽になってきた! 後半はとてもよかった。

 オーケストラは臨時編成のプロ集団だろう。見事な演奏。独唱陣も阿久津麻美、鈴木美登里、布施奈緒子、谷口洋介、浦野智行という名の知れた面々。私は特に布施奈緒子と谷口洋介の歌唱に惹かれた。

 本当にバッハの音楽がしっかりと聴こえてくる! きっとバッハの時代の初演はこのようなものだったのではないか。バッハの時代の合唱団は信仰心を持って真摯に歌っていただろうが、それと同じくらいこの合唱団の人たちは必死に音楽に取り組んでいる。その真摯さが伝わってくる。観客も、ちょっとプログラムをめくる音がうるさかったり、補聴器のハウリングが少しの時間聞こえたりしたが、居眠りすることなく真摯に耳を傾けている。

 さすが湘南。さすが文化の地だと思った。この合唱団はこれまでモーツァルトやフォーレにレクイエム、バッハのマタイ受難曲やヨハネ受難曲を演奏しているらしい。おそれいった!

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ウィーン国立歌劇場来日公演「フィガロの結婚」 素晴らしいの一言!

 2025109日、東京文化会館でウィーン国立歌劇場来日公演「フィガロの結婚」をみた。指揮はベルトラン・ド・ビリー、演出はバリー・コスキー。突出した歌手はいなかったが、全員が高レベルの素晴らしい上演だった。

 実にくっきりした指揮だと思った。いたずらに煽ることなく、だからと言ってだれることもなく、明確に音楽を進めていく。輪郭がはっきりして。実に美しく、しかも安定している。興奮するような演奏ではないが、しみじみと美しさ、音楽の喜びを感じる。そして、オーケストラの音の何と美しいことか! これぞ音楽の喜び! 今更当たり前のことだが、モーツァルトはとてつもない天才であって、しかもこのオペラはまさに天才の作った奇跡の音楽の連続であることをつくづく感じる。音楽そのものの愉悦に浸って至福を味わう。

 歌手陣もそろっている。私がとりわけ心惹かれたのは、アルマヴィーヴァ伯爵のダヴィデ・ルチアーノと伯爵夫人のハンナ=エリザベット・ミュラーだった。ルチアーノはアンドレ・シュエンの代役だったが、張りのある強い声で見事にクセの強い伯爵を歌った。ミュラーは、絶望した伯爵夫人にしては少し元気すぎる気がしたが、美しい声が素晴らしい。

 スザンナのカタリナ・コンラディも溌剌として伸びのある声がとてもいい。この人も代役で、イン・ファンが歌う予定だったが、きっとイン・ファンに劣らぬ歌唱だっただろうと思う。

 そのほか、ケルビーノのパトリツィア・ノルツも美しい声でチャーミング。あまり少年らしくない演技で、いかにも女性らしい動きだったが、きっと演出家の指示によるのだろう。バルトロのマテウス・フランサは伯爵をしのぐほどの強い声が魅力的だった。今後、様々な役を演じるようになるのかもしれない。バルバリーナのハン・ヘジンも澄んだ声がとても魅力的だった。ただ肝心のフィガロ役のリッカルド・ファッシが少し不調だったのか、あまり声が出ていなかった。もちろん、ほかの歌手に比べて劣るということはないのだが、主役なのだからもっと突出した声がほしいと思った。

 バリー・コスキーの演出は、基本的に現代に舞台を移したものだった。ほとんどの人物は現代の服装で登場する。第1幕は舞台の前方だけで展開し、ケルビーノが隠れるのは椅子ではなく、吊り下げられたシーツだった。第4幕では、庭の草むらではなく、舞台全体が板張りで、もぐらたたきのように穴の中から登場人物が現れてかわるがわるに演技した。歌手たちは複雑な動きを覚えるのが大変だったのではないかと余計な心配をした。元通りのほうがずっとわかりやすくて面白いのに、なぜわざわざ変更する必要があるのだろうかと疑問を覚えた。どうせ台本から離れるのなら、もっと大胆な解釈を示してほしいが、なんだか中途半端だと思った。それとも深い意図があったのだろうか。

 とはいえ、音楽を邪魔せずにわかりやすく楽しめる演出ではあった。「音楽は素晴らしい! オペラは素晴らしい! モーツァルトは素晴らしい」と心の底から叫びたい気持ちになった。

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スワロフスキー&プラハフィル 宮田大のチェロはよかったが、納得できなかった

 2025108日、東京芸術劇場でプラハ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演を聴いた。指揮はレオシュ・スワロフスキー、曲目は前半にスメタナの交響詩「モルダウ」と、宮田大がソリストとして加わってドヴォルザークのチェロ協奏曲、後半にドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。言ってみれば、お国ものの超有名曲を並べたプログラム!

「モルダウ」はあまり好きな曲ではないので、実演は数回しか聴いたことがない。録音を含めても10回くらいだろう。だから自信を持って言えないのだが、冒頭のフルートはもっときれいでもっとふくよかで、まさに川の源流を思わせるような音だったと思う。だが、なんだか音が濁っていてぎくしゃくしていた。

 私は最後までずっと疑問だった。もしかして席のせいだったかもしれない(1階のS席なのだが)。バランスが悪い。音が濁る。楽器と楽器の重なりが良くない。指揮も野放図に感じる。ぴしりと音が決まらない。威勢はいい。「モルダウ」でも、大太鼓が爆音を出し、シンバルも大きく鳴る。が、少なくとも私の席からは空回りに聞こえる。

 チェロ協奏曲は、宮田のチェロはとても良かった。のびのびとして自在でスケールが大きい。チェロの音についてはワクワクし、しっとりする。だが、オーケストラがずっと不定形でリズムが安定しない。ここでも音が濁って聞こえる。

 チェロのソリストアンコールはマーク・サマーというアメリカの現代作曲家の「ジュリー・オー」という曲。ピチカートで始まり、チェロの胴体をたたいたりといった様々な奏法を交えた曲だった。技術にも圧倒されたが、曲そのものも面白かった。

 後半の「新世界より」でも、私は違和感を覚えっぱなしだった。フレーズとフレーズの切り替えがのんべんだらりという感じがする。一つ一つの楽器の音は時々とても美しいと思う。イングリッシュホルン、クラリネット、ホルンはとても美しかった。が、それが重なるとどうも美しく響かない。第3楽章のスケルツォで、とりわけ音がびしりと決まらない。第4楽章も私はまったく高揚できなかった。

 アンコールはスラヴ舞曲第15番。これこそ、少なくとも私の席からはただうるさいだけの濁った音の塊に聞こえた。だが、終わった後、大喝采だったので、実際にはもっと澄んだ音だったのだろうか。

 最後まで納得できなかった。別の席で聴いた人に感想をきいてみたいと思ったが、知り合いはいなかった。ともあれ、宮田大のチェロを聴けたのはとてもうれしかった。

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都響&ストルゴーズ&エーベルレのベートーヴェンに驚嘆!

 2025105日、東京芸術劇場コンサートホールで東京都交響楽団第1028回定期演奏会を聴いた。指揮はヨーン・ストルゴーズ。曲目は前半にヴァイオリンのヴェロニカ・エーベルレが加わってベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、後半にシベリウスの交響曲第3番。

 ヴァイオリン協奏曲では、やはりエーベルレの音に圧倒された。いや、驚嘆したというべきか。音程のよい細身の音だが、香りがあり、勢いがある。ストルゴーズの指揮は、スケールが大きく、重量感があってアクセントが強い。低弦がかなり強く、ティンパニの音がドスンと響く。重みのあるオーケストラを背景にしたエーベルレの音はまた格別! 私は何度か彼女の演奏を聴いているが、そのたびに感動を深めてきた。

 今回、なんといっても、あっと驚くのが日本初演だというイェルク・ヴィトマンのカデンツァだ。ヴィトマンの曲もとても刺激的で説得力がある。現代奏法をたくさん取り入れ、しばしば現代音楽風ではあるが、確かにベートーヴェンの精神から逸脱していない。ヴァイオリンだけでなく、時折、コントラバスとティンパニが加わる。切れがよく、スケールが大きく、躍動感にあふれている。そして、エーベルレの超絶技巧も凄まじい。もしかして、ベートーヴェンの曲が初演されたとき、聴衆はこのような気持ちで聴いたのではないかと思わせてくれる。素晴らしかった! 凄い!と思った。

 ソリスト・アンコールはコンサートマスターの水谷晃が加わって、バルトークの2つのヴァイオリンのための44の二重奏曲 より No.43 ピツィカート。これも切れがよく、ぴたりと音があっていた。

 後半のシベリウスについては、第1楽章は素晴らしかった。こちらも重量感があるが、停滞しないので、スケールが大きく躍動感がある。ちょっと巨匠時代の演奏を思わせる。ただ第2楽章は少しもたついて聴こえた。内省的に積み上げていこうとしているのだと思うが、バランスが崩れた感がある。第3楽章の途中から活気を取りも出して、シベリウス特有のクライマックスを形作ったが、もたつき気味の箇所が尾を引いて、大きな盛り上がりにならなかったような気がした。悪い演奏ではなかったが、前半のベートーヴェンを聴いて期待していたわりには、ちょっと期待外れだった。

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オペラ映像「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ゴンドラ漕ぎ」「グラナダのゾライデ」「ロベルト・デヴリュー」

 やっと涼しくなった。特に急ぎの仕事もなく、毎日、マイペースで生活している。数本のオペラ映像をみたので、簡単に感想を記す。

 

ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 2025年7月25日 バイロイト祝祭劇場

 

 NHKBSで放送された映像。演出は「読み替え」というほどではなくて、とても納得のいく上演だと思う。それにしても、ひと昔前のこの楽劇の上演とはずいぶんと様子が変わったなあ・・とつくづく思う。

 まず、ダニエレ・ガッティの指揮についていうと、もちろんとても見事な演奏だと思う。色彩的で流麗で、エロティックと言ってもいいような気がする。言い換えれば、あまり壮大でも壮麗でもない。マティアス・ダーヴィッツの演出も、まるでおとぎ話か絵本から抜け出したような舞台を作り上げている。まったく重厚さがない。というか、重厚さを徹底的に排している。

 歌手陣も同じ傾向が徹底されている。ハンス・ザックスのゲオルク・ツェッペンフェルトは、まず見た目で重厚ではない! こんなに細身のハンス・ザックスをこれまで実演でも映像でも写真でも見たことがなかったような気がする。こんなに細い体でよくぞあんな声が出るものだとこの人の歌を聴くたびに思うが、ザックスを歌うと、この役から重厚さや安定感がなくなってしまう。それが狙いなのかもしれないが、ツェッペンフェルトの演技が達者なことも加わって、かなり神経質な感じがしてしまう。これはさすがにいきすぎではないかと思った。

 ワルターのマイケル・スパイアーズも、素晴らしい歌手だと思うが、ヘルデンテノールというよりも強めのリリックな声の持ち主。ベックメッサーのミヒャエル・ナジは大変演技力で、この厚顔無恥な書記を演じる。エヴァのクリスティーナ・ニルソンも美しくもしっかりした声だが、もちろんワーグナー歌手とはいいがたい。

 ポーグナーのパク・ジョンミンは深々とした柔らかい声で、これもワーグナー歌手という雰囲気はないが、このしなやかな声はとても魅力的だ。それにしても韓国人歌手の大活躍ぶりには驚く。韓国はいったい何人の世界的な歌手を輩出しているのだろう!

 そんなわけで、かつてのワーグナーの上演とは様変わりしているが、それはそれでとてもよい上演だと思う。

 この楽劇では、どうしても最後のドイツ芸術の称揚の部分をどう処理するかが問題になってくるが、今回の演出では、最後までヴァルターがマイスターを拒否し、ザックスやポーグナーが困り抜くところで舞台は終わる。要するに、一国の芸術を最高のものとして世界に君臨するという姿勢への演出家の意思表明だろう。

 

ギルバート&サリヴァン「ゴンドラ漕ぎ」20211028-30日 スコティッシュ・オペラ、エジンバラ・フェスティヴァル・シアター

 

 ギルバート(作家)とサリヴァン(作曲家)によるコミック・オペラ(オペレッタとは呼ばないらしい)は、オッフェンバックの英国版と私は認識している。日本を舞台にした「ミカド」はDVDでみたことがあったが、この作品は初めて。この「ゴンドラ漕ぎ」は1889年の作品だというが、英国内では今も人気と聞く。確かに舞台としてはなかなかのセンスだと思う。

 幼児のときに誘拐されたある国の王子がヴェネツィアのゴンドラ漕ぎとして育てられたらしいが、二人の兄弟のうちのどちらなのかわからない。しかも二人のゴンドラ漕ぎは結婚したばかりだが、王子は幼いころ、すでに王妃と結婚したことになっている。はて、どうする…というストーリー。おそらくセリフは現代に合わせていると思うが、それにしても、軽妙で知的なセリフ。さすがシェークスピアの国! 共和制と君主制、人間のアイデンティティの問題など、今日的問題にも絡むセリフがいくつも出てくる。当時のヴィクトリア女王の治世を風刺しているらしい。

 音楽のほうは、明るくて軽快で、それなりには楽しいが、オッフェンバックと比べるとやはりかなり精彩を欠く。逆にいうと、いかにオッフェンバックが偉大であるか改めて感じる。オッフェンバックがモーツァルトだとすると、サリヴァンは同時代の今では名前を忘れられた古典派作曲家といった感がある。

 演奏はなかなかのレベルだと思う。二人のゴンドラ漕ぎ(マーク・ネイサンとウィリアム・モーガン)、カルシダのカトリオーナ・ヒューイットソン、ルイスのダン・シェルヴィー、二人のゴンドラ漕ぎの結婚相手(エリー・ラーン、ショーネッド・グウェン・デイヴィス)、プラザ=トロ公爵夫妻(リチャード・スアート、イヴォンヌ・ハワード)、ドン・アルハンブラ・デル・ボレロのべン・マカティア。いずれも演技も歌も見事。公爵は年齢のためか声が出ないが、きっとベテランの名歌手なのだろう、この役はこれでいい。

 デレク・クラークの指揮、ステュワート・マウンダーの演出。華やかで楽しく、最大限にこの作品の魅力を出していると思う。

 

ドニゼッティ 「グラナダのゾライダ」20241116日 ベルガモ、テアトロ・ソチアーレ

 若きドニゼッティが作曲し、大成功を収めたというオペラ。これが世界初映像化だとのこと。15世紀スペイン、レコンキスタの時代、スペイン軍に包囲されたムーア人の内部での愛と抗争を描く。

 オペラとしてはあまり出来は良くないと思う。のちのドニゼッティのオペラのような名アリアはないし、歌の並列といった感じで、オペラ的な盛り上がりにも欠ける。登場人物一人一人が長々と心情を歌うので、かなり冗長な印象を受ける。これでは確かにドニゼッティの代表作として歴史に残らないだろうと納得する。とはいえ、さすがドニゼッティ。親しみやすい歌には事欠かない。見事なところはいくつもある。

 演奏については、見事の一言。歌手陣では、ヒロインのゾライダを歌うズザナ・マルコヴァーは、清純な声と容姿でとてもいい。歌いまわしも実に美しい。もう少しパンチがあったらものすごい歌手だと思う。ゾライダの愛する英雄アベナメットを歌うズボン役のチェチーリア・モリナーリは、歌は素晴らしいが、もう少し男っぽい演技をしてくれないことには、どうにも気に病む女性に見えてしまう。

 あっと驚くのが、悪役アルムジールを歌うキム・コヌだ。韓国系の歌手らしいが、見事な声と演技! 高音の伸びと威力はすさまじい。このところ世界的な韓国人歌手が次々と脚光を浴びているが、この人はその一人だろう(それにしても体格差はほとんどないと思うのだが、日本人とどんな差があるというのだろう。日本人としては世界で活躍する日本人歌手があまり登場しないのが寂しい)。もう一人の悪役アリを歌うヴァレーリオ・モレッリもドスの効いた声で素晴らしい。

 演出家ブルーノ・ラヴェッラは、15世紀のグラナダを1992年のサラエボになぞらえたという。確かに、登場人物はその時代の服装で、アルムジールの部下たちはボスニア紛争を思わせる戦闘服を着ている。現代に通じるドラマとして、わかりやすい演出だと思う。

 指揮はアルベルト・ザナルディ、オーケストラはオルケストラ・リ・オリジナーリ。ピリオド楽器のかなり強弱の強い演奏。これは好悪がわかれるかもしれない。きびきびとした良い演奏だと思うが、私としては現代楽器のほうが落ち着いて聞いていられると思った。

 

 ドニゼッティ 「ロベルト・デヴリュー」 20241115日 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 

 これはすごい映像! このオペラには、グルベローヴァがエリザベッタを歌ったバイエルン国立歌劇場の上演映像があるが、それに匹敵する。歌手陣が圧倒的。

 まず、エリザベッタのジェシカ・プラットが素晴らしい。高貴で強い美声で、弱音の使い方もとても精妙。ロベルト・デヴリューのジョン・オズボーンも相変わらずの強い高音が圧倒的な力を発揮する。ノッティンガム公爵のシモーネ・ピアッツォーラとサラのラッファエッラ・ルピナッチはともに強い声で、この二人の二重唱の迫力はすさまじい。ただ、この二人は声を前に出すことを重視しているので、私は少し疲れてしまう。もう少し、大声を出すことだけでなく、弱音を使って深みを出してほしいと思う部分もあった。

 指揮はリッカルド・フリッツァ。指揮についても、ちょっと攻めの演奏が続くので、もう少し余裕がほしいとは思ったが、オーケストラの説得力はすさまじい。演出はスティーヴン・ラングリッジ。目新しい解釈はないと思うが、エリザベス朝の時代に即して、わかりやすくて、それぞれの人物の心情がしっかりと伝わる演出だと思う。

 大変満足した。

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