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東京二期会オペラ劇場「こうもり」 音楽は楽しかった!

 20251128日、日生劇場で東京二期会オペラ劇場「こうもり」をみた。ベルリン・コーミッシェ・オーパーとの提携によるアンドレアス・ホモキ演出のこのプロダクションをみるのは、たぶんこれが三度目だと思う。私は「こうもり」が大好き! 年末になると、このオペレッタをみたくなる。

 今回の指揮はエリアス・グランディ。素晴らしい指揮者だと思った。細かいニュアンスもしっかりと表現しながら、躍動感があり、ウィーン情緒がある。三拍子をほんの少し遅らせる技も実に自然! 取り澄ました音楽でもなく、下品でもなく、とても勢いがあって楽しい。二期会合唱団も新日本フィルもしっかりと指揮に応えていた。

 歌手陣も、突出した人はいないがバランスがよかった。アイゼンシュタインの又吉秀樹はまさにはまり役。この人の声量にも圧倒される。ロザリンデの木下美穂子、フランクの 山下浩司、オルロフスキーの小林由佳、アデーレの清野友香莉、アルフレードの大槻孝志、ファルケの菅原洋平、ブリントの新津耕平(カーテンコールにブリントの格好で登場したのは高橋淳さんのように見えたのだが、目の錯覚だったか?)もしっかり歌っている。

 ホモキの演出については、細かいところでリアリティを殺さないように整合性を作り出しているところに特徴があると思った。アルフレートがアイゼンシュタインの部屋に入ってきたり出て行ったりと、確かに台本は曖昧だ。ホモキの演出では、洋服ダンスに隠れることになっている。確かにそう考えると辻褄が合う。オルロフスキーは、あまりに突拍子もない人間なので、確かにホモキ演出のように、実はファルケに雇われていた贋者と考えると、つじつまが合う。この演出では、最後になって冒頭部分に戻る。どうやらすべてが妄想だったということらしい。近年、よく見かけるタイプの演出だが、私は好みではない。

 歌はドイツ語、セリフは日本語で語られた。賢明な選択だと思う。ただ、日本語のセリフ部分に関しては、私はあまりセンスが良いとは思えなかった。ベルリンでも同じようなセリフだったのだろうか。第1幕、第2幕のロジーナ、アイゼンシュタイン、アデーレのセリフも、フロッシュの鹿野由之の語りも、私はあまりおもしろいとは思わなかった。一般に世界中で行われている公演のほうがずっと気が利いていてしゃれているのに、なぜわざわざ面白くなくするのか、理解に苦しむと思った。観客席から笑いは聞こえてきたが、一般の公演ではもっと大きな笑いが起こるのではないかと思った。

 それでも、「こうもり」の音楽は底抜けに楽しい。序曲冒頭から最後まで、私はずっとワクワクして聴いた。

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ツェートマイヤー&シュトゥットガルト室内管 余計なものをそぎ落とした名演奏

 20251127日、すみだトリフォニーホール 大ホールでシュトゥットガルト室内管弦楽団演奏会を聴いた。指揮はトーマス・ツェートマイヤー。

 ツェートマイヤーは以前に何度か聴いてとても感銘を受けた。現代を代表する大ヴァイオリニストだと思った。大いに期待して出かけた。ただ、観客の少なさにショックを受けた。五分の一も埋まっていなかったのではないか。ほかの演奏会と重なったのだと思うが、とても残念!

 曲目は、前半にメンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第10番とツェートマイヤーの弾き振りでモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番トルコ風、後半に、トーマス・ツェートマイヤー作曲の弦楽オーケストラのためのパッサカリア、ブルレスケ、コラールとモーツァルトの交響曲第29番。

 ツェートマイヤーらしい音楽づくりだと思う。モーツァルト中期やメンデルスゾーンの中期の曲にぴったりの演奏といえるだろう。明晰で躍動感があり、音楽に生命がある。余計なものはそぎ落とし、音楽的な喜びだけを残している。

 メンデルスゾーンの最初の曲は素晴らしかった。初々しくて鮮烈。名ヴァイオリニストの指揮によるだけにシュトゥットガルト室内管弦楽団の弦の音の重なりが本当に美しい。音程がよく、立体感があり、音に潤いがある。均整美を見事に表現する。

 モーツァルトの協奏曲については、実はツェートマイヤーのヴァイオリンに少し疑問を持った。ちょっと指のもつれや音程のずれを感じるところがあった。ちょっと衰えたかな?と思った。だが、徐々に調子が上がってきた。第三楽章はトルコ風なところなど、ヴァイオリンも含めて躍動感にあふれていた。カデンツァは、どの楽章も私にはなじみのないものだった。ツェートマイヤー自身によるものだったのだろうか。終楽章になると、カデンツァの指使いも素晴らしかった。

 ソリストアンコールとして、ツェツマイヤー作曲の「ロンド」。ツェートマイヤーとチェリスト(名前を言っていたが、聞き取れなかった。オフェル・カネッティ?)による二重奏曲。弦の絡みがおもしろかった。

 後半のツェートマイヤーの曲は、シェーンベルクの「浄夜」をもっと現代曲風にした雰囲気を感じた。ちょっと官能的でちょっと宗教的で、とてもおもしろい。

 モーツァルトの交響曲も颯爽としてわくわく感にあふれ、均整美を保ちながら躍動する音楽だった。これがツェートマイヤーの音楽の醍醐味だと思う。余計な「解釈」などを拒否し、音楽そのものとして疾走する。

 アンコールはメンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第2番第2楽章。潤いのある演奏だった。

 すべてにおいてとてもよい演奏だった。かえすがえすも観客が少なかったのが残念!

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2026年3月1日 吉田志門&碇大知リサイタルのお知らせ

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 202631日(日)14時から、霞町音楽堂(東京メトロ日比谷線「広尾駅」徒歩8分)で、吉田志門&碇大知(ODE to JOY)によるリサイタル「永遠の愛について」を開きます。

 吉田志門は、世界屈指のアンサンブル・RIAS室内合唱団(ベルリン)の史上初の日本人メンバーとしてベルリンを拠点に活躍しています。これまで日本でもバッハ・コレギウム・ジャパンの「マタイ受難曲」でエヴァンゲリストなどを歌ってきました。ドイツ歌曲、フランス歌曲、日本歌曲にも定評があり、日本国内でたびたびリサイタルを開いています。すでに、その声と発音、そして詩を深く表現する歌唱に多くの人が魅了されてきました。碇大知は、しなやかで詩情あふれるピアノによってこれまでも吉田志門を支えてきました。

 曲目は、ブラームスの歌曲集「美しきマゲローネのロマンス」から数曲と木下牧子の歌曲集「いちばんすきなひとに」のほか、ブラームスと木下牧子の歌曲が予定されています。

 霞町音楽堂は、都会の真ん中にある、素晴らしい音響のサロンのような場所。まさに都会のオアシスです。そこで、吉田志門と碇大知の歌曲の世界を味わうのは、最高の贅沢だと思います。

 

 私が、吉田志門と碇大知を知ったのは「水車小屋の娘」を聴いた時でした。私は、60年近く前、中学生のころにシュヴァルツコップに導かれる形で歌曲の魅力を知り、それ以来、ホッター、ヘフリガー、プライ、ノーマンをはじめとした名歌手たちの実演を含め、多くの歌曲を聴いてきましたが、吉田志門を聴いて驚きました。若くして、これまで聴いてきた世界的名歌手に匹敵する歌唱だと思ったのです。

 その後、フォーレや木下牧子、リヒャルト・シュトラウスの歌曲、そして「マタイ受難曲」のエヴァンゲリスト、ロ短調ミサ曲の独唱などを聴きましたが、ますますその凄さを実感してきました。ことに日本歌曲の日本語の発音の美しさには驚嘆します。こんなに聞き取りやすく美しく、詩の内容を鮮明に描いてくれる歌手はこれまでいなかった!と思ったのでした。

 その後、吉田さんと連絡を取り合うようになり、あれこれ企画するうち、202631日に私が中心となって小さなリサイタルを開く運びとなったのでした。

 多くの人にお聴きいただき、吉田志門、碇大知のブラームスと木下牧子の世界を味わっていただきたいと思います。

 

  •  ODE to JOY リサイタル「永遠の愛について」

 

出演 テノール 吉田志門  ピアノ 碇大知

曲目 ブラームス 永遠の愛について

         歌曲集《美しきマゲローネのロマンス》抜粋

   木下牧子  さびしいカシの木

         歌曲集 《いちばんすきなひとに》

 

202631日(日)  14時開演

全席自由  一般 5000円  学生 3500円  ワンドリンク付き

霞町音楽堂 東京メトロ日比谷線 広尾駅から徒歩8

チケットご予約は以下からお願いします

Mail  shimokariinfo@gmail.com

Tel   080-8332-4159

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METライブビューイング「夢遊病の女」

 東劇でMETライブビューング、ベッリーニのオペラ「夢遊病の女」をみた。

 ネイディーン・シエラがアミーナを歌うというのだから、これを見逃す手はない。今や、シエラはイタリア・オペラ代表する大プリマ・ドンナであり、すべての役で圧倒的な歌唱と演技を見せる。2024年のロイヤル・オペラの来日公演での「リゴレット」のジルダで私は初めて実演を聴いて、それまで映像でしか知らなかった実力を知って圧倒されたのだった。

「夢遊病の女」を実際にみてみると、期待に背かない圧倒的な歌と演技! しなやかな歌いまわしと絶世の美声、大柄で自由奔放な動き、豊かでありながらもけっして不自然ではない顔の表情など、どれをとっても素晴らしい。

 恋人役のエルヴィーノを歌うのはシャビエール・アンドゥアーガ。若いテノールで、ちょっと気まじめな感じのする好青年。声の美しさ、歌唱に丁寧さはほかのテノールを圧倒する。まだ若いこともあって、演技が硬い気がするが、すぐに大スターになるだろう。

 リーザのシドニー・マンカソーラ、ロドルフォ伯爵のアレクサンダー・ビノグラドフもとてもいい味を出していて、メトロポリタン歌劇場の上演にふさわしくきわめて高い水準にある。リッカルド・フリッツァの指揮も快活で旋律戦をうまく浮き立たせてとてもいい。

 ベッリーニのオペラの魅力は、あまりに気高く、あまりに美しい歌にある。オーケストレーションはかなりシンプルで、ワーグナーやシュトラウスに慣れた耳からすると、稚拙と感じざるを得ない。夢遊病であるためにふしだらと誤解されて、最後に誤解が溶けるというストーリーも現在からすると、あまりに他愛ない。しかも台本の組み立てが、歌の連続でドラマが盛り上がるようにはできていない。あれこれ不自然な展開もある。だが、そうした不満な点を払しょくして余りあるほどに、それぞれの歌があまりに美しい! イタリア・オペラの大半を軽視していたといわれるワーグナーもベッリーニの歌を愛していたといわれている。その気持ちはよくわかる。

 第1幕、第2幕と次々にアリアや二重唱などの歌が披露されるが、すべてが研ぎ澄まされ美しい。アリーナの歌は、とりわけ凛として気品に満ち、心を洗われる思いがする。夢遊病状態で歌う第二幕のアリアはまさに絶品。

 演出はロランド・ビリャソン。まだそれほどの年齢ではないだろうに、歌手は引退して演出に専念しているようだ。本人が本編の中で解説する通り、舞台となっている村を因習のために自由を許さない閉鎖的な空間とみなしている。アリーナと同じ衣装を身に着けたバレリーナがしばしば登場して、あちこちで踊りまわるが、それがアリーナの思い描く自由な自分だということのようだ。最後、誤解がとけた後、本来のオペラではアミーナとエルヴィーノは結婚するが、今回の演出では、アリーナは結婚を拒む。確かに、アリーナを信じず、邪険にし、よこしまなリーザにころりとだまされ、真実がわかったとたんにまたアリーナとのよりを戻そうとするエルヴィーノはあまりに愚か。しかも、村中があまりに閉鎖的で差別的。このような変更は現代社会では説得力がある。自由奔放な雰囲気のあるシエラの演技はこのような演出にぴったりだ。

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紀尾井ホール室内管&ウォード  若々しい元気なブラームス

 20251122日、東京オペラシティ コンサートホールで紀尾井ホール室内管弦楽団定期演奏会を聴いた。指揮はダンカン・ウォード、曲目は前半にブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」〜4つの海の間奏曲、ヴィクトリア・ムローヴァが独走に加わってベルクのヴァイオリン協奏曲、後半にブラームスの交響曲第1番。

 ブリテンの曲については、オペラは実演でも映像でもみたことがあったが、曲にほとんど覚えはなかった。が、とても良い曲だと思った。イギリス音楽は私には退屈なものが多いのだが、ブリテンはとてもおもしろい。

 ベルクの協奏曲は、私にはちょっとちぐはぐな感じがした。もしかしたら、ムローヴァと指揮者のめざすところが異なっているのではないかと思った。もっと鮮烈にするのか、ロマンティックあるいは悲痛にするのか、方向が定まっていない感じがした。ムローヴァのヴァイオリンについては、第2楽章に鮮烈な盛り上がりを聴かせてくれたが、そこもオーケストラがついて言っているようには思えなかった。

 そのせいか、ソリスト・アンコールのバッハのパルティータ第3番のサラバンドも、なんだかムローヴァらしい切れがなく、テンポにムラがあって、私にはよく理解できなかった。少々残念。

 後半のブラームスについては、ウォードの本領発揮といったところだろう。若々しい演奏で、エネルギーにあふれている。音楽に勢いをつけるテクニックは見事だと思った。ただ勢いに任せて突っ走る傾向があり、形式感が乱れたり、細かいところで雑になったりしているのを感じた。それを含めて、この若い指揮者の魅力だと思う。とりわけ、第3楽章から勢いが出てきて、最終楽章はどんどんテンポが速くなり、激しく高揚した。もう少し若い頃の私だったら熱狂したかもしれないが、老年の私としては、「おいおい、そんなに慌ててどこに行くんだい」と言いたくなった。

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新国立劇場「ヴォツェック」 代役・駒田の大健闘、素晴らしい演奏、演出!

 20251120日、新国立劇場でベルク作曲のオペラ「ヴォツェック」をみた。

 劇場に向かう少し前、新国立劇場からのメールが届いた。ヴォツェック役のトーマス・ヨハネス・マイヤーが健康上の理由で出演できなくなり、代わってカヴァーの駒田敏章が出演するとのこと。世界的スターであるマイヤーの代役に無名の日本人歌手が歌う! とても残念に思って会場に出かけた。が、結果から言うと、素晴らしかった。マイヤーよりも駒田のほうがヴォツェックにふさわしかったかもしれない。

 リチャード・ジョーンズの演出もきわめて刺激的だった。このオペラを階級対立として組み立てている。大尉、ドクター、鼓手長らの士官は赤い軍服を着ている。ヴォツェックやアンドレスらの一兵卒はみすぼらしい兵服を着ている。マリアが、マグダラのマリアに関する聖書を読む場面に黙役の牧師が登場する。その牧師も赤い服を着ている。要するに、支配階級はぬくぬくと暮らし、道徳を説いている。舞台転換は何人かの男が人力で部屋を押してなされるが、その人たちもみすぼらしい兵服を着ている。ヴォツェックは支配階級に与えられた粗末な食べ物、とくに豆の缶詰(?)を食べて暮らし、ナイフではなく、その缶詰の蓋でマリアを殺す。

 そして、最後、格差は遺伝する! 元の台本では、ヴォツェックとマリアの子供が木馬で遊ぶ場面で、この演出では、子供たちが冒頭の兵士たちの場面をそっくり同じように繰り返す。つまり、赤服を着た支配階級の子供たちにヴォツェックの子どもが仕えている! かなり衝撃的な結末だ。

「ヴォツェック」を階級問題に還元してしまうのはあまりに単純化といえなくもないが、原作者のビュヒナーは「ダントンの死」(昔、読んで、とてもおもしろかった記憶がある!)を書くなど、フランス革命に傾倒し、革命思想を持った作家だった。「ヴォツェック」の基底にこの思想があったのは間違いない。きわめて的確な演出だと思う。

 演奏も素晴らしかった。指揮の大野和士は、切れが良く鮮明でありながらも十分にロマンティックな、まさにベルクにふさわしい演奏をしてくれた。最後の、子供たちが出てくる前の間奏曲の迫力はすさまじかった。

 ヴォツェックの駒田は、おそらくは声の威力からするとトーマス・ヨハネス・マイヤーにかなり劣ったと思うが、しがない一兵卒のヴォツェックがあまりに声に威力があっても困る。それに、マイヤーを実演や映像で私は何度か見ているが、私の記憶によれば、この人はまさに昔ながらのハンス・ザックスにふさわしい体形をしているはずだ。今回の演出で言えば赤服を着るにふさわしい威厳と迫力を持っている。駒田だからこそ、少し貧相で惨めなヴォツェックを演じられたのではないか。そう考えると、まさに理想の歌唱だった。しっかりした声、まったくほかの外国人歌手に引けを取らない。カーテンコールでも大喝采だった。

 マリーのジェニファー・デイヴィスも、この役には立派すぎるほどの声だが、少し蓮っ葉で、しかし根はまじめな女を見事歌っている。大尉のアーノルド・ベズイエン、鼓手長のジョン・ダザックはいずれもこの役にふさわしい。アンドレスの伊藤達人、ドクターの妻屋秀和、マルグレートの郷家暁子もみごとだった。合唱もいつも通り、とてもいい。少年合唱もよかった。歌手陣に弱点はまったくなかった。

 私はこのオペラのテーマは「自然と人為」だと思っている。だからこそ、ベートーヴェンの「田園」の冒頭に似たモティーフが頻出するのだと思う。ただ、これまでこのテーマについて説得力ある形で何らかの解釈を明確に示してくれた上演に私はあったことがなかった。今回も同じだと思っていたのだが、しばらく考えて思い当たった。今回の演出では、「自然」が徹底的に排除されている。野原での作業の場面は靴磨きに変更され、海はプールに変更されている。「自然が人為でゆがめられている」というテーマがそこには、現在の環境論よりももっと心理学的な方向から示されている。とても興味深いと思った。ただ、今回の演出では、格差を前面に出したために、ヴォツェックの狂気を説得力ある形で描けず、中途半端になった感じがした。

 素晴らしい公演だった。代役が大活躍してスターの座を得る!というドラマを目の当たりにしたのかもしれない、と思った。

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ノット&東響 「子どもと魔法」 完璧なアンサンブルによる知的で軽妙なファンタジー

 20251115日、東京オペラシティ・コンサートホールで、東京交響楽団特別演奏会を聴いた。曲目は前半に、ドビュッシーの「夜想曲」より「シレーヌ」、デュリュフレの「3つの舞曲」op.6、後半にラヴェルの歌劇「子どもと魔法」(演奏会形式)

 フランス音楽にしては少し硬質と言えるだろう。しかし、きわめて精妙にして緻密。 昨日、NHKホールでデュトワ指揮のNHK交響楽団でラヴェルを聴いたばかりだったが、私は今日の演奏のほうに魅力をおぼえた。色彩的で香りにあふれている。一つ一つの楽器の色彩感が鮮明だと思う。とりわけ前半ではデュリュフレのオーケストレーションのおもしろさをたっぷりと味わうことができた。私はこの作曲家の作品はレクイエムしか聴いたことがなかったが、とても魅力的な作曲家だと思った。

 後半の「子どもと魔法」はまさに絶品だった。

 このオペラを演奏会形式にすると、一人が何役も歌うし、ファンタジックな内容なので、少々話がわかりにくいが、それ以上に楽器が見えて、音の組み立てがとてもよくわかる。改めてラヴェルのオーケストレーションの巧みさに驚く。そして、ノットの棒さばきに驚嘆する。知的で輪郭がしっかりして、精妙この上ない。ふだんは使われない木管楽器(イングリッシュホルンやバスクラリネットなどなど)の音色も美しい。それらの楽器を用いて、軽妙で悪戯心があり、やさしさのあるストーリーが展開する。

 歌手陣も全員が完璧にそろっていた。子どもを歌う小泉詠子はいたずらっ子を見事に造形。加納悦子はこの人にしか出せない味をしっかり出して素晴らしい。加藤宏隆、近藤圭、鵜木絵里、金子美香、糸賀修平も歌のすばらしさとともにあまりの芸達者に驚く。そして、三宅理恵の声の美しさにも改めて驚嘆! キハラ良尚の合唱指揮による二期会合唱団も文句なし。全員が朗々と歌うのではなく、ラヴェルの音楽を理解し、ノットの解釈を理解したうえで、全体のバランスの上で歌っているのがとてもよくわかる。最高のアンサンブルだと思った。ラヴェルの魅力を存分に味わうことができた。

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デュトワ&N響 「ダフニスとクロエ」 最後は感動に震えた!

 2025年11月14日、NHKホールでNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はシャルル・デュトワ、曲目はすべてラヴェルの曲で、前半に曲目は、「亡き王女のためのパヴァーヌ」。組曲「クープランの墓」、後半にバレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)。

 前半を聴いた段階では、少し不満だった。もちろん、精妙な美しい音、微妙な音の印影、ラヴェルらしい静かなうねり、いずれもとてもいい。N響もきれいな音を出しているし、デュトワの棒さばきも見事でまったく弛緩せず流麗に、しかも生き生きと流れていく。ただ、最後のほんの少しの香りの不足を感じる。食事をすませて、感動しながら「ああ、おいしかった!」と言わせるほんの少しの最後の香りを感じない。まあ、日本のオーケストラでは仕方がないのかな、あるいはこの大きなホールでは仕方がないのかなと思って後半に臨んだ。

 随分長い休憩時間だったが、何かあったのだろうか。20分の休憩とされていたが、たぶん、35分くらいの休憩があったような気がする・・・。

「ダフニスとクロエ」も、基本的には前半と同じような演奏だった。オーケストラに香りが不足すると言えば、やはり不足する。ただ、100人規模の合唱が入り、オーケストラが大規模になると、雰囲気が変わる。前半のような内省的な音楽でなくなり、もっと外に向かう音楽になったので、オーケストラに対して違和感がなくなった。同じように精妙な音、色彩的でしなやか。ギリシャの海や島々の情景が浮かぶ。人と人の影が音楽の中に見えてくる。そして、夜明け、鳥たちのさえずり、壮大な自然と人間の調和。それが見事な音で展開された。最後は感動に震えた。

「ダフニスとクロエ」については、私はとても満足だった。久しぶりにデュトワのフランス音楽を聴いたが、やはりとてもいい。

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ヤンセン&コジュヒン ロマンティックな歌心を満喫

 2025年11月13日、東京オペラシティ コンサートホールで、ジャニーヌ・ヤンセン&デニス・コジュヒン デュオ・リサイタルを聴いた。素晴らしい演奏だった。私はふだん、ピアノに感動することはめったにないのだが、今日は、ヤンセンのヴァイオリンだけでなく、コジュヒンのピアノにも深く感動した。

 曲目は、前半にシューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番とブラームスの第2番、後半にクララ・シューマンの3つのロマンス Op.22とブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番。

 実は私はシューマンの曲は少々苦手に感じている。妙にしつこくて、神経質で、「うーん、やっぱり精神疾患だ」と思うことが多い。それが魅力になってものすごい世界を感じることもあるが、だいたいにおいて私は苛立ちを覚える。ところが、ヤンセンとコジュヒンの手にかかると、なんと不思議なことに、まったくそのようなことがない。歌心にあふれ、ロマンティックで流麗。第2楽章の美しさたるや、ため息が出るほど。ヤンセンのヴァイオリンのニュアンスの変化も素晴らしいが、ピアノの粒立ちも素晴らしい。まったく、シューマンの神経質さを感じない。角が取れてしまいすぎている・・・という不満を感じる人もいるのかもしれないが、これほどロマンティックな歌心を聴かされたら、文句も言えない。

 ブラームスの第2番も素晴らしかった。これも第2楽章にピアノとヴァイオリンの掛け合いが見事。ニュアンス豊かでしっとりと美しい。完璧に構築され、音の細部まで神経が行き届き、静かにしっとりと大きな世界を作り出していく。

 後半のクララのロマンスは、まさに歌心を存分に聴かせてくれた。ブラームスの曲などの比べると少々物足りないが、歌心とともに精神の高貴さを感じさせる曲だと思う。これもとても良い演奏だった。

 第3番は、かつて私はオイストラフのレコードを愛聴していたせいか、スケールの大きな、言ってみればベートーヴェンの「クロイツェル」のような曲と認識している。その点からすると、ちょっと物足りなく思った。スケールは間違いなく大きくない。そもそもそのようにとらえていない。繊細にして、しっとりとして内省的、そうでありながらも内面が徐々に燃焼していく。そんな演奏だった。これも第2楽章の緩徐楽章が美しい。この二人の第2楽章はまさに絶品だと思う。終楽章で大きく盛り上がるが、気品と歌心は失わない。

 アンコールはドヴォルザークのソナチネ ト長調よりラルゲット(インドの歌)とブラームスの歌曲「野の寂しさ」のヴァイオリン版。いずれもしっとりとした演奏だった。

 決して誇張しない、無理やり感動させようとしない、ただ音楽のニュアンスをしっかりと示し、完璧に音の処理をして聴かせる、そうすると天女の舞いのようなこの世のものとも思えないような音楽世界が浮かび上がってくる…そんな演奏だった!

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園田&神奈川フィル 「羊飼いの王様」 ちょっと退屈だったが、素晴らしい演奏!

 2025118日、藤沢市民会館大ホールで、モーツァルトのオペラ「羊飼いの王様」(演奏会形式)を聴いた。藤沢市民オペラ連携事業とのこと。藤沢市民オペラは、かつて「セミラーミデ」(演奏会形式)を聴いて驚嘆したことがあったので、今回も期待して出かけた。期待にたがわぬ演奏だった。

「羊飼いの王様」はモーツァルト19歳のころの作品だという。部分的には聴いたことがあるかもしれないが、本格的に聴くの初めてだった。ひとことでいって、モーツァルトという大天才の凄まじい才能に驚きはするものの、やはり後年のオペラに比べると、かなり退屈だった。

 それぞれの歌はきれいな旋律にあふれているが、すべてのアリアや二重唱が同じような雰囲気、一つのアリアも同じような内容を繰り返し歌うばかりで展開が甘い。歌の連続でドラマティックな展開がない。

 とはいえ、演奏は見事としか言いようがない。管弦楽は神奈川フィルハーモニー管弦楽団、指揮は園田隆一郎。藤沢市民オペラだというので、市民による合唱が入るのかと思っていたが、合唱はなし。プロ中のプロの人たちによる演奏だった。

 躍動感のある切れの良い演奏だった。歌手陣も最高度に充実していた。アレッサンドロ大王の小堀勇介は輝かしい美声で音の処理も見事。アミンタの砂川涼子は澄んだ声で力感もある。エリーザの森麻季は清澄にしてリリック。タミーリの中山美紀とアジェーノレの西山詩苑も、ちょっと地味な歌が多いが、素晴らしい歌唱だった。このところの日本人歌手のレベルの高さには驚かされる。世界の一流劇場で通用する歌手陣だと思った。

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ヴィジョン弦楽四重奏団 ノリノリの弦楽四重奏団だった!

 2025114日、横浜市鶴見区民文化センター、サルビアホールで、ヴィジョン弦楽四重奏団の演奏を聴いた。曲目はウェーベルンの弦楽四重奏のための緩徐楽章とブラームスの弦楽四重奏曲第1番、後半にグリーグの弦楽四重奏曲作品27。サルビアホールは105席のまさに贅沢な空間。

 この四重奏団を聴くのは初めてだったと思う。2012年結成とのこと。4人ともドイツ人男性だと思うが、全員が黒髪で黒づくめの服装。奏でる音楽もかなり特異だと思った。

 一言でいえば、高校生の部活のノリとでも言うか。4人ともかなり音圧が強い。そして、とてつもなく上手で、歯止めがないほどにノリまくる。ただ、4人ともまさに「仲間」なので、同じ表現をする。弦楽四重奏で同じような音色なのはとても良いことだと思うのだが、音色だけでなく、同じノリで弾きまくるので、ちょっと単調になる。ロマンティックな楽想の後にアクセントが強く、音圧の強い音で激しく弾く、そんな表現が繰り返される。

 そして、舞踊的な箇所になると、いっそうノリノリになる。クラシック音楽っぽくないノリとでもいうか。それはそれで楽しいのだが、ちょっとガサツな気がする。

 当初の発表では、前半にグリーグ、後半にブラームスが予定されていたが、後半にグリーグに変更された。きっとグリーグの弦楽四重奏曲の第3楽章、第4楽章の民族舞踊的な音楽を最後に演奏したかったのだろう。ノリの音楽!

 こんな四重奏団があっていいし、このような演奏を好む人も大勢いるだろう。が、私はちょっと苦手だなあと思った。先に述べたが、やはりどうしても同じタイプのノリが続く。舞踊的な部分は確かに素晴らしいが、もっとロマンティックだったり、やるせなかったり、英雄的であったり、官能的であったりする部分がブラームスにもグリーグにも、いや初期のウェーベルンにもあるはずなのに、それがうまくいかされない。

 アンコールは、ヴィジョン弦楽四重奏団作曲の「スペクトラム」より「サンバ」とのこと。最初から最後までピチカートのサンバ。舞踊を得意にしていることがよくわかる。よくこれほど鮮明でリズミカルな音をヴァイオリンやヴィオラやチェロで出せるものだと感心するような見事な音でまさにノリノリの音楽を聴かせてくれた。これはこういう曲だと思うので、私はこの曲がいちばん楽しめた。

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オペラ映像「フィガロの結婚」「ホフマン物語」「白痴」

 修理に出していたPCがやっと戻って来て、私の書斎での作業も通常に戻った。電源がつかない、消えないだけのことなので安価ですぐに直ると思ったのだが、1週間ほどかかって費用も6万円弱。データは消えなかったのでありがたいと思うべきなのだろう。ただ、どういうわけか、デスクトップのいくつかの表示が以前と異なっており、新たに入れなおさなければならないソフトもあった。いやはや、PCは摩訶不思議な世界だ!

 いくつかオペラ映像をみたので、簡単に感想を記す。

 

モーツァルト 「フィガロの結婚」 20233月 ウィーン国立歌劇場

 先日(2025109日)、ウィーン国立歌劇場の来日公演で見たのと同じバリー・コスキーの演出。歌手陣も何人か重なっている。指揮はフィリップ・ジョルダンで、私が実演で聴いたド・ビリーよりもドラマティックでアクティブな演奏をする。時々、かなりドスがきいているというか、激しい表現も交える。どちらもいいが、私はこのジョルダンのほうが好みだ。

 歌手陣は日本公演以上の充実ぶりといえそうだ。全員が最高度に素晴らしい。とりわけ、アルマヴィーヴァ伯爵のアンドレ・シュエンと伯爵夫人のハンナ=エリーザベト・ミュラーが圧倒的。シュエンは強い音で傲慢な伯爵を見事に歌う。ミュラーは気品ある声でけなげな夫人を歌う。スザンナの演技はイン・ファンだが、声が出なくなったとのことで、オーケストラの横でマリア・ナザーロヴァが歌う。色気のある素晴らしい美声。それにしてもプロはすごい! 実演では声の方向で気づくのかもしれないが、映像を見る限り、演技と声が別の人だとはまず思えない。あれほどの動きの中でぴたりと重唱を含めて歌うなんて神業としか思えない。

 フィガロのペーター・ケルナー、ケルビーノのパトリツィア・ノルツ、マルチェリーナのステファニー=ハウツィール、バルトロのシュテファン・ツェルニ、いずれもこれ以上は考えられないほどの見事な歌唱。

 もちろん、実演のほうに大いに感動したが、きっと客観的に考えて、私の見た実演よりもこの収録された上演のほうがレベルが高かったといえそうだ。

 

オッフェンバック 「ホフマン物語」  20248月 ザルツブルク、祝祭大劇場

 バンジャマン・ベルナイムがホフマンを歌っている。この歌手の名前はどこかで聞き覚えはあったが、きちんとは認識していなかった。今回のホフマンを聴いてびっくり! ものすごい歌手だ! 高貴な美声で自在に歌う。自然でのびやか、しかもホフマンにふさわしい人間味。少なくともホフマン役にこれ以上の人がいるとは考えられない。

 ステラ、オランピア、アントニア、ジュリエッタのすべての役を歌うキャスリーン・リーウェックにも驚嘆する。もちろんこれまでにもすべてを一人で歌う歌手はいたが、これほど完成度の高かった歌手は稀だろう。ニクラウスやミューズを歌うケイト・リンジーはさすがの歌唱。ズボン役として男っぽくもあり、同時にきわめて色気があって、演技についても見事。リンドルフなどを歌うクリスチャン・ヴァン・ホーンも品位ある悪役がとてもいい。端役も含めて最高度に充実している。

 マルク・ミンコフスキの指揮するウィーン・フィルは、音色の美しさはもちろんのこと、躍動感があり、ドラマティックでもある。演出はマリアム・クレマン。どうやら、ホフマンをスター女優であるステラとの契約をとろうとする映画製作者(?)に見立てているようで、あれこれのパントマイムがなされるが、私はうんざりしてあまり熱心に見なかった。この頃、私は奇をてらう演出については、時間と労力の無駄だと考えて、あまり深く考えないようになった。よくない傾向だと思うが、やむをえない。

 

ヴァインベルグ 「白痴」20248月 ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ

 ドストエフスキーの「白痴」をヴァインベルグがオペラ化したもの。ヴァインベルグにこんなオペラがあることを知らなかった。ただ、ひとことで言って、やはりドストエフスキーの複雑な長編をオペラにするのは無理があると思った。ムイシュキン、ロゴージン、ナスターシャ・フィリッポヴナというクセの強い登場人物を描き切れていない。この三人がドストエフスキーの登場人物の特性を持っていない。とりわけ、ナスターシャが薄っぺらで、単にエクセントリックなだけの女性になってしまっている。要するに、私はこのオペラにドストエフスキーの魅力をまったく感じなかった。

 ただ、そんなものだと割り切ってしまって、ショスタコーヴィチのオペラと同じようなものだと考えれば、オペラとしての魅力にあふれ、音楽はとても魅力的、演奏もとてもいい。ムイシュキンのボグダン・ヴォルコフ、ロゴージンのウラジスラフ・スリムスキー、ナスターシャのアウシュリーネ・ストゥンディーテ、アグラーヤのクセニア・プスカシュ・トーマスなど、いずれもしっかりと歌っている。指揮をするのは、グラジニーテ=ティーラというかなり若い女性。切れが良いし、オーケストラのコントロールも見事だと思う。

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