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女流義太夫を楽しんだ

 2026年1月25日、なかの芸能小劇場で、女流の義太夫節演奏会を聴いた。誘ってくれる方がおられて、近年、文楽や義太夫に関心を持ち始めている。まったくの初心者だが、それはそれで楽しんでいる。

 演目は「恋娘昔八丈」鈴ヶ森の段(浄瑠璃:竹本越里、三味線:鶴澤弥々)、「由良湊千軒長者」山別れの段 (浄瑠璃:竹本佳之助、三味線:鶴澤賀寿)、「傾城恋飛脚」新口村の段(浄瑠璃:竹本京之助、三味線:鶴澤津賀花)、「新版歌祭文」野崎村の段(浄瑠璃:竹本土佐子、三味線:鶴澤三寿々、ツレ:鶴澤三響)。

 義太夫を聴くのは3回目だったと思うが、やっと三味線に耳が行き始めた。これまでは太夫の語りにしか耳が届かなかった。専門的なことはまったくわからないので、どう語っていいかわからないのだが、三味線が、まさにオペラにおけるオーケストラのように、太夫の語りを彩り、そこにアクセントや陰影をつけ、言葉では表現し得ない心を描くのをいくぶん理解できるようになった。三味線に西洋音楽で言われるようなメロディがあるわけではなく、むしろワーグナーの楽劇(歌劇ではなく、楽劇)のオーケストラと同じように、音による意味空間を作り上げる。それをたった3本の弦で、しかも和音もなく、西洋的な意味での楽譜がないのにやってのける。驚くべきことだ。「新版歌祭文」の最後のほうで、三味線が2本になっていっそう重層的になり、西洋音楽で言われるような転調がたびたびなされて、圧巻だった。

 高校卒業以来(つまり、半世紀以上前から!)、いわゆる「古文」にまったく触れていない私に語りを聴きとれるわけではなく、たびたび配布された床本に目を落として確認しなければならないが、4つの演目のストーリーもおもしろかった。竹本京之助の張りのある声による人物のキャラクターの語り分けもよかったし、竹本土佐子の味のある語りも見事だった。

 ただ、日本芸能に対する教養がないので、しっかりと理解してみることができないのが悔しい・・・。

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ヴァイグレ&読響 「スコットランド」に感動!

 2026年1月24日、東京芸術劇場で土曜マチネーシリーズを聴いた。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ、曲目は前半にエミーリエ・マイヤーの「ファウスト」序曲と、イザベル・ファウストがソリストに加わってシューマンのヴァイオリン協奏曲、後半にメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。

 マイヤーはファニー・メンデルスゾーンやクララ・シューマンと同時代の女性作曲家だという。ファニーやクララの曲は、ある意味、とても女性的だと思うのだが、この曲は、ゲーテの「ファウスト」を題材にしているせいか、きわめて男性的な雰囲気がある。低弦が強く、ブラームスを思わせるような音の厚みとメロディの運びだ。初めて聴いたが、とてもおもしろい曲だった。

 シューマンの協奏曲については、私はあまり感銘を受けなかった。私がこの曲をもともと好きではないせいかもしれない。ヨアヒムがこの曲の初演を断ったというのは有名な話だが、私はヨアヒムに共感する。第1楽章と第3楽章の執拗な繰り返しに私は苛立ってしまう。そんなわけで、ファウストのしなやかで内面をえぐるような熱演にもかかわらず、わが心はあまり反応せず。ファウストは好きなヴァイオリストなのだが・・・。

 後半の「スコットランド」は素晴らしかった。

 これまでに聴いたヴァイグレの演奏は、バランスがよく、しなやかで優美で繊細といった傾向が強かったが、「スコットランド」については、やや アグレッシブと言ってもよい演奏だった。低弦が強めに鳴り、金管も時に咆哮した。そこにクラリネットとファゴットを中心として木管楽器が憂いにあふれた音を出し、しばしばドラマティックに盛り上がった。しかし、そこはヴァイグレ。バランスがよく、大きなはみだしはなく、理性を失うことがない。それがメンデルスゾーンにふさわしい。古典的な均整を保ちつつ、深い人生への思いがにじむ。

 とりわけ、第2楽章の内面に潜む躍動感に、私は特に感動した。若々しい生命感があふれ出す。終楽章の高揚も素晴らしかった。金管が大きく鳴り、いくぶん祝祭的な雰囲気を出す。私は何度か感動に震えた。改めて、「スコットランド」はとびっきりの名曲だと痛感した。

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オペラ映像「ホフマン物語」「無口な女」

 五島列島の旅から帰宅してから、のんびりと過ごしている。疲れは十分に取れたが、まだ現実生活に復帰できずにいる。旅行の前後に何本かオペラ映像をみたので、感想を簡単に記す。

 

オッフェンバック「ホフマン物語」ロイヤル・オペラ・ハウス 2024年11月10,25,28日

 先日、ザルツブルク音楽祭での上演の映像をみたばかりだったが、こんどみたのはフアン・ディエゴ・フローレスがホフマンを歌うコヴェント・ガーデンでの上演。大喝采を浴びていたが、結論から言うと、私としては、ザルツブルク音楽祭の上演ほどの感銘は受けなかった。

 今回の上演は、フローレスひとりが突出していて、ほかの歌手はまずまず、そして、そのフローレスも、私の好みからすると、少し違和感が残る。

 そのなかでは、オランピアを歌うオルガ・プドワは容姿もこの役にふさわしく、演技もまさにロボット。声も美しくて、とてもよかった。アントニアのエルモネラ・ヤオ(かつて、神奈川県民ホールの「椿姫」でゲオルギューの代役としてヴィオレッタを第一幕まで、とても見事に歌ったものの、突然、声が出なくなって降板したことがあった。なつかしい名前だ!)はきれいな声で歌うが、少々インパクト不足。ジュリエッタのマリーナ・コスタ=ジャクソンは私にはかなり声が不安定に聞こえる。ニクラウスなどを歌うジュリー・ブリアンヌはもちろん悪くないのだが、ザルツブルク音楽祭でのケイト・リンジーのりりしいニクラウスウと比べると、魅力に欠けるといわざるを得ない。

 そして、フローレスについても、かつてほどではないとはいえ、まだまだ輝かしく強い声だ。フランス語もしっかりして、健闘しているとは思うのだが、少なくとも私の思うホフマンとはかなり異なる。ザルツブルク音楽祭でのバンジャマン・ベルナイムやかつてのニール・シコフの投げやりになり悄然としながらも真摯に恋の苦悩を歌うホフマンに比べると、ホフマンの苦しみが伝わってこない。フローレスが歌うとスターの歌になってしまう。

 演出はダミアーノ・ミキエレット。ニクラウス(というかミューズというか)は羽をつけた鳥(または変形キューピッド)?の姿だが、演出なのか、中年っぽい容姿と動きがめだって、何をしようとしているのか、私には理解できなかった。指揮はアントネッロ・マナコルダ。エネルギーにあふれる演奏だと思うが、これも私には違和感があった。逆に言うと、先日みたザルツブルク音楽祭の「ホフマン物語」が素晴らしかった、と改めて認識したのだった。

 

「ホフマン物語」 2002年1月4・9日 パリ・オペラ座(バスティーユ) 

 もう1本、「ホフマン物語」をみたくなってDVDを購入した。前にもこのブログに書いたが、ヨーロッパ旅行中、ホテルで休息中にひょいとテレビをつけたら、クラシック専門チャンネルで「ホフマン物語」が放送されていた。ホフマン役があまりに凄かったのだが、それが誰だかわからなかった。終了後のクレジットで、これが噂のニール・シコフだと知ったのだった。が、実はその公演の映像は、ホテルのテレビでみただけで、DVDなどは持っていなかった。先日、バンジャマン・ベルナイムの歌うホフマンを見ているうち、ぜひともシコフの歌をもう一度聴きたいと思ってこのDVDを探したのだった。

 このオペラの決定版の一つと言ってよいほどの上演だと思う。

 やはりシコフは素晴らしい。ベルナイムと双璧だと思う。見事なフランス語、しなやかな歌いまわし、リアリティにあふれ、等身大の苦悩が身に迫ってくる。シコフという歌手、少なくとも日本ではあまり有名にならなかったが、もう少し評価されてしかるべき大歌手だと思う。

 オランピアを歌うのはデジレー・ランカトーレ。チャーミングで、完璧な声でこの役を演じる。アントニアを歌うのはルース・アン・スウェンソン。透明な美声がこの役にふさわしい。私はこの歌手の名前を知らなかったが、強い印象に残った。ジュリエッタを歌うベアトリス・ユリア=モンゾンは、容姿については申し分ないが、歌はちょっと堅め。とはいえ、十分に説得力がある。リンドルフなどはブリン・ターフェル。ちょっと癖が強すぎるが、もちろん見事な歌。ミューズなどはスザンヌ・メンツァー。ちょっと華の不足は感じるが、文句なしの歌と演技と容姿。いずれも穴がなく、全員がそろっている。

 演出はロバート・カーセン。抽象化された場面だが、それぞれの場面が見た目に美しく、ホフマンの苦悩がじわじわと伝わる。指揮はヘスス・ロペス=コボス。ちょっとおとなしめの指揮だが、歌手に寄り添ってドラマを盛り上げているのがよくわかる。

 

「無口な女」 ベルリン国立歌劇場 2025年7月19・22・24日 NHK/BSで放送

 NHK/BSで放送された。私はこのオペラの実演を見たのは2002年に東京オペラ・プロデュース公演のみ。松岡究の指揮、松尾洋の演出だった。かなり以前に映像もみた記憶があるのだが、ネットで調べても映像の記録が出てこない。記憶違いだろうか。私はシュトラウス好きなので、CDはかなり前から聴いていたが、ちょっと退屈だと感じていた。実演や映像をみて初めて納得したのを覚えている。

 今回の上演は、まさに画期的というべきか。本当に楽しめる。改めてこのオペラが名作であることを痛感する。まさにロッシーニの「セヴィリアの理髪師」とドニゼッティの「ドン・パスクワーレ」を合体させたような楽しさ。

 まず何より、ティーレマンの指揮があまりに見事でほれぼれしてしまう。細かいところまで神経が行き届き、かっちりとしながらも、十分にしなやかでドラマティックで、歌心もある。昔は生真面目な感じが強かったが、ユーモアのセンスも増した気がする。ベルリン国立歌劇場管弦楽団もウィーンフィルなどにまったく劣らない見事な音でティーレマンに応えている。うーん、ティーレマンが指揮すると、楽器の一つ一つが生きた音を出して、それが目に見えるように絡み合っていく!

 ジャン・フィリップ・グロガーの演出も納得できる。舞台を現代に移しているが、大きな読み替えをしたわけではなく、うるさい世界を嫌悪する老人と、騒音を出す若者たちの交流を、嫌味なく、ユーモアたっぷりに描き、孤立して世間になじまなかった老人が周囲の人を許容していくさまが語られる。

 モロズス卿のピーター・ローズは、先日のウィーン国立歌劇場の日本公演「ばらの騎士」で見事なオックス男爵を歌った歌手だが、オックスに勝るとも劣らぬ存在感を示して素晴らしかった。理髪師のサミュエル・ハッセルホーンはしっかりした美声で軽妙な役を歌う。ヘンリー・モロズスのシヤボンガ・マクンゴはアフリカ系の若い歌手だが、高貴な美声。アミンタのブレンダ・レイ、家政婦のイリス・フェルミリオンもとてもいい。

 シュトラウスにはもっともっと名作がある。あまり上演されないオペラももっと取り上げて、映像に残してもらえると嬉しい。

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五島列島旅行

 2025年1月18日から21日まで、大手旅行社のツアーで五島列島旅行に出かけた。このところ潜伏キリシタンに関心を持っていた。何冊か本を読み、遠藤周作も何冊か読み返した。一昨年の秋、一度、別の会社のツアーを申し込んでいたが、事情があってキャンセルして、改めて60歳以上限定の今回のツアーに申し込んだ。海外の団体ツアーは何度か利用しているが、国内はこれが初めてだと思う。少なくとも初回は、五島列島旅行はツアーで回る方がよかろうと判断したのだった。

 

1月18日(初日)

 朝、羽田空港を出発、長崎空港から長崎港に向かい、14時発の九州商船ジェットフォイルで奈良尾港へ。到着は16:15。そのまま新上五島町のホテルへ。天気に恵まれていた。稀なほどの暖かさ。昼間は15度くらいあった。

 ジェットフォイル(時速80キロ前後で走行)の窓から青々とした海の上に濃い緑の島影が見える。右手に中通島を見ながら福江を経由し、その後、左右に小さな島々を見ながら奈良尾へ。その時点で、五島列島が単に5つの島ではなく、岩だけ突き出したような小さなものを加えると数百の島からなっていることを実感する。ベトナムのハロン湾を思い出す。その後、島をめぐって何度となく感じたことだが、まさに絶景! 遠浅の岸はほとんどなく、切り立った崖が多い。晴天の空のもと、透明な海の上にたくさんの緑豊かな島が突き出ている。

 奈良尾港到着、周辺には港の施設以外にはめぼしいものはない。バスで新上五島村のホテルへ向かう。山が迫り、しばしば入り江が見え、美しい自然の傍らに教会や学校、寺院などの施設が見える。美しい自然の中に息づく島だ。

 ツアーのメンバー全員で夕食。最初にどこに座ったかでかなり人間関係に影響が出るのがツアーの特性だろう。私は幸い、この時に近くに座った二人の高齢女性と一人の高齢男性と親しくさせていただき、ずっと楽しく過ごすことができた(私が最年少だった!)。日常生活では出会うことのないタイプの人と出会い、友となることの楽しさを味わった。

 食事については、高齢者ばかりのツアーだとはいえ、ちょっとこれでは量が少なすぎる、とは思ったが、魚も肉もとてもおいしかった。

 旅行初日は、移動と食事だけで終わった。

 

 19日(2日目)。

 朝食の後、近くをひとりで散歩。ホテルから海岸まで歩いて5分ほどだった。穏やかな入り江で、小さなボートが一艘浮かんでいた。

 9時前にバスが出発。海童神社(海難防止を祈願する神社で、鯨の顎骨の鳥居がある)を見物した後、祈りの龍馬像(龍馬が来て、亀山社中の専用船「ワイル・ウエフ号」が水没した場所に向かって祈ったという伝えを記念して10年ほど前に作られた像)へ。龍馬に関心のない私としては、こんな絶景の場所にわざわざ人寄せのために銅像を作って自然美と環境を破壊する必要はなかろうに!と思った。

 その後、頭ヶ島(かしらがしま)天主堂見学。30を超すという五島列島の教会の中でも最も歴史のあり、信徒に親しまれている教会らしい。もとは幕末に弾圧から逃れたキリシタンが作った木の教会だったが、1919年に現在の形になったという。石造りの小さな教会で、こじんまりとして美しい。中は船底をさかさまにした形だという。海に面した丘の中腹にひっそりとたたずんでいる。

 午前中は日が照って暖かかったが、曇り空が広がり、だんだんと寒くなってきた。

 五島地獄うどんと海鮮丼の昼食。海鮮丼はおいしかった。蛤浜ビーチ(夏の間はにぎわうらしい)で飲み物を飲んで、青砂ヶ関(あおさがうら)浦天主堂へ。赤い煉瓦の小さいながらも、凛とした風格のある教会。長崎県の多くの教会を手掛けた鉄川与助の設計になる。その後、矢堅目の駅で塩釜を見物(塩づくりの工程を見た)、その後、旧鯛ノ浦(たいのうら)教会見学。1880年代に建てられたのち、戦後になって、浦上天主堂の被爆した煉瓦を使って増築されたという、赤煉瓦のこじんまりした教会だ。

 ホテルで夕食、その後、暗くなってから、寒い中、有川神社にて「上五島夜神楽」をみた。五島列島では古くから神楽が舞われていたという。地域の有志が神楽を保存しようとし、おそらくそれに大手旅行会社がタイアップして、現在の状況が生まれているのだろう。1時間ほど、「座祓」「折敷舞」「恵比須舞」「獅子舞」「八饌花米舞」の5つの舞をみた。迫力ある太鼓、声もあって、退屈せずに見ることができたが、私に深く理解する能力がないのが残念。それにしても、保存に力を尽くしている有志には頭が下がる。素晴らしいことだと思う。

 

20日(3日目)

 若松港に向かい、五島旅客船で福江港へ。移動中もずっと絶景! もちろん観光客だけでなく、生活の脚として船を使っている人がたくさんおられる。島の移動は本当に大変だと思う。

 港近くのホテルでイタリアンの昼食。これも量は少ないが、なかなかおいしかった。その後、バスで井持浦(いもちうら)教会へ。

 丘の上に立つ赤煉瓦の教会で、こじんまりとして美しい。裏の崖に石で囲まれたマリア像があり、フランスのルルドを模して、「ルルド」と呼ばれて、ここから湧く清水も体に良いとされている。

 ルルドというのは、病を治す奇跡の水で有名な南フランスの村。年間、600万人が聖地めぐりとして訪れるという。40年以上前、南仏モンペリエに一か月ほど滞在したとき、一度、ルルドまで足を延ばそうかと計画したことがある。私は断念したが、実際に行った知人は、ちょうど何かの記念日だったとのことで、奇跡を願って集まった病人や障碍者のどこまでも続く長い長い列に圧倒されたという話をしていた。日本の教会に「ルルド」を作ると企画した人は純粋な信仰心なのかもしれないが、本格的な奇跡の村を真似て「ルルド」と呼んでありがたがるのには少々抵抗を感じる。とはいえ、100円で購入した小さなペットボトルに清水を入れて、食事の前後の薬を飲むのに使いはしたが。

 その後、島の高台に行き、福江島の西端の大瀬崎断崖展望台から海を眺める。突き出した小高いところに灯台があって、海を見守っている。寒かったが、海の美しさ、島の美しさには息をのんだ。

 そのまま、福江港近くのホテルへ。夕食はツアーにはついておらず、個人で食べることになっていた。ツアー仲間4人で魚料理を食べに出た。刺身、寿司など満腹するまで食べた。さすがに絶品だった。

 

1月21日(4日目

 朝のうち、徒歩で港に行き、フェリーで長崎港へ。到着後、すぐにバスで空港に向かい、昼食の時間もとれないまま、コンビニで買ったサンドイッチとおにぎりを搭乗口の前でほおばった。羽田空港に15時ころに到着。

 

まとめ

・何はともあれ、五島列島の自然の美しさは素晴らしいと思った。ハロン湾を思わせる小さな島々、海そのものの美しさ、入り江の佇まい、山々、海岸。私は文化的なものを目的として旅行することがほとんどで、自然美を求めることは少ないのだが、これまでに日本で見た景色の中で、五島列島に私は最も感動した。

・今回の旅の目的は潜伏キリシタンだった。教会、潜伏キリシタンの生活、遺品などを見たいと思っていた。ガイドさんにそのような話を聞くことを期待していた。が、教会をいくつか見ることはできたし、それはとても感銘を受けたが、ほんの一部の表面を見ただけで終わってしまった。

・大手旅行会社のツアーに参加しての旅行だったので、効率よく観光地をみることができたが、ホテルの質(3泊目のホテルは、大浴場はあったが部屋に浴槽はおろかシャワーもなかった)、料理の質と量にも少々不満を抱いた。物価上昇の現在、会社側ができるだけ料金を上げず、質を下げずにツアーを成り立たせようと最大限の努力をしているのはよくわかるが、観光客に島を満喫してもらうには、もう少し料金を上げるしかないのではないかと思った。

・ガイドさんはとても楽しくおもしろく五島を語ってくれたが、私向きではなかった。映画やテレビドラマのロケ地になったことやタレントさんの話などが長い時間をかけて語られたが、私はそんなことにはあまり関心がない。潜伏キリシタンについてもっと話を聞きたかった。が、まあ、これを言っても私のわがままというべきだろう。ともあれ、初めての五島列島で、列島の様々なことを知ることができ、その魅力を味わうことができただけで、今回のツアーはとてもよかった。

・私の旅の目的をかなえるために、個人でまた五島列島を訪れたいと思った。風光明媚、美しい教会、謎めいたキリシタンの生活、海鮮料理。五島は魅力にあふれている。

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ルスティオーニ&都響 色彩的な音の渦に興奮

 2026年1月17日、東京芸術劇場コンサートホールで東京都交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はダニエーレ・ルスティオーニ。曲目は、前半にヴァイオリンのフランチェスカ・デゴを迎えて、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲。後半にリムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」とレスピーギの交響詩「ローマの祭」。

 ルスティオーニという指揮者、私はロッシーニのオペラの映像で聴いて、とても良い指揮者だと思っていた。おおいに期待したのだったが、期待以上だと思った。

 ブラームスの協奏曲は、おそらくデゴの解釈を尊重した演奏だったのだろう。後半とかなり演奏の雰囲気が異なった。デゴはルスティオーニの奥様とのこと。ここは家庭円満のために奥様を立てた演奏をしたのではないかと勘繰った。デゴのヴァイオリンの音は、細身で透明で本当に美しい。遅めのテンポで深い感情を静かに奏でる。ちょっと平板になりがちな面もあるが、静かで抒情的なところが素晴らしい。第1楽章は初めて聴くカデンツァだった。ティンパニが大活躍。第2楽章はとりわけ美しかった。オーケストラについては、第一楽章冒頭の弦の精妙な音や音の重ね方が独特で、要所要所をしっかりと締めるが、かなり抑え気味だった。第3楽章でそれまで抑えてきたオーケストラが高揚してきた。それまでおとなしかったデゴのヴァイオリンも高揚していった。素晴らしいと思った。

 ソリストのアンコールはバッハの無伴奏パルティータ第2番のジーグ。少し草書風の演奏だったが、音の処理が美しいので、やや天上的な印象を与える。

 後半は、前半抑えてきたオーケストラの力量を思いっきりぶつけたかのような演奏だった。まさに色彩の祭典とでもいうか。「スペイン奇想曲」は色とりどりの音が宙に舞い、花火のように爆発し、渦巻く。ルスティオーニの指揮はきわめてエネルギッシュで躍動的。しかも、しっかりとリムスキーコルサコフの親しみやすい旋律をくっきりと描き出す。

 「ローマの祭」のほうは、それを輪をかけて色彩的でまさに音の花火が爆発する。都響の、豪華になり過ぎないしなやかな轟音が響き渡った。大きな音が渦巻き、躍動していく。オーケストラは乱れないし、音も濁らない。圧倒された。私は、レスピーギの曲をほとんど聴いたことがなかったが、これほどの音の祭典の音楽だったのか!と驚いた。まさに音響のアクロバットに興奮した。

 ルスティオーニは1983年生まれというから42歳だろう。素晴らしい指揮者だと思った。これからが楽しみだ。

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「フランス歌曲の小径」  フランス歌曲の難しさを痛感!

 2026年1月16日、旧東京音楽学校奏楽堂で「フランス歌曲の小径 vol.1 フランス歌曲の夜明け」を聴いた。

 フォーレ、ラヴェル、ドビュッシーの歌曲は時折演奏されるが、それ以前のサン=サーンス、グノー、ビゼーとなると滅多に演奏されない。美しい曲がたくさんある。私もきちんと聴いているわけではないが、たまにCDを聴くと、その美しさ、そのチャーミングさにうっとりする。それらの歌曲を歌うコンサートだというので大いに期待して出かけた。が、結果からいうと、あまり感銘を受けなかった。

 歌うのは東京室内歌劇場のメンバー8名。板倉修子、井上恵美、悦田比呂子、駒井ゆり子、富永美樹、村松織部、川口美和、木村槙希。ピアノは頼田恵。

 オペラを主として歌っている方たちなのだろう、健闘しているのはわかるが、やはりオペラ風の歌い方で、歌曲の繊細さがない。フランス語の言葉の美しさが伝わらない。そもそもフランス語に聞こえない。一所懸命に歌っているのはわかるが、一所懸命ではフランス歌曲の魅力は伝わらない。音程が大きく外れて発声がいかにも苦しい人もいた。改めて、日本人がフランス語の歌曲を歌うのがいかに難しいかを改めて認識させる結果に終わってしまった。

 その中で、ソプラノの駒井ゆり子は、さすがにそれぞれの歌をしっかりと表現してくれた。ただそれでも、もっとしなやかでニュアンス豊かな響きがほしいと思った。

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2026年の年はじめに思ったこと

 2026年になって9日がたつ。基本的には自宅でごろごろして過ごした。その間に思ったこと、したことを簡単に記す。

 1日の夕方、NHKEテレでウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの中継をみた。指揮はネゼ=セガン。私はこの指揮者を2011年にザルツブルグ音楽祭で「ドン・ジョヴァンニ」を観て圧倒され、それ以来、かなり贔屓にして聴いてきた。

 今回のニューイヤーコンサートも期待通り素晴らしかった! 私は熱心なニューイヤーコンサート・ファンではないが、カルロス・クライバー、ヤンソンスに匹敵する素晴らしさだったのではないかと思う。リズムにあふれ、これらの曲にふさわしい音楽の愉悦がほとばしる。知らない作曲家の知らない曲が多かったが、それも含めて楽しめる。それにしても、かつては男性ばかりだった団員に女性が増えている!

 3日には、先にこのブログに書いた通り、寄席を見たが、その後、NHKニューイヤー・オペラ・コンサートをテレビでみた。日本を代表するオペラ歌手たちの競演。世界の最高峰の歌手たちと比べると少々力量不足だが、大西宇宙、森麻季、山下裕賀、池田響、笛田博昭は見事だと思った。

 そんな時、アメリカによるベネズエラ攻撃のニュースが飛び込んだ。

 これは驚くべき暴挙! まさに帝国時代に逆戻りしてしまった! 自国民の被害を口実にして武力によって資源のある地域を分捕ろうとする。日本政府はどう対応するんだろう。武力を米軍に頼ってきた日本は、このような時にアメリカに追随するしか道がない。しかし、だからといってこのトランプの暴挙を正当化できるのか! 帝国主義への道を是とするのか! それにしても暗い時代に突入したものだ。

 7日、初詣には少し遅いが、内宮近くの神宮会館に早朝参拝できる宿泊プランがあると知って、しばらく前からの念願だった伊勢神宮に出かけた。子どものころから西洋好みだった私は、今回、行こうと計画して初めて、伊勢神宮が内宮(ないくう)、外宮(げくう)を中心にした125社から成ることを知った。

 7日には、名古屋まで新幹線で、その後、近鉄線に乗って伊勢市駅まで行き、外宮を少しだけ見物。その後、夫婦石のある二見興玉神社をみて、内宮に向かい、おはらい町どおり、おかげ横丁を歩いた。その日は神宮会館に宿泊して、8日の早朝参拝に参加。6時半にホテル内で集合し、ガイドさんについて内宮を歩いて参拝。天照大神を祀る正宮(しょうぐう)などの聖地をめぐった。宇治橋の鳥居の間に朝日が昇るのを見た。

 20年ごとにすべてを作り替えてしまうという式年遷宮の思想に圧倒される。人間の身体も細胞を入れ替え、古いものを新しいものに変えて生きている。新たに作り出すからこそ古いものがそのまま残っている。木の文化、森の文化であるからこそこれが可能であり、それこそが日本人の思想なのだと強く思う。

 その後、猿田彦神社などを回り、おはらい町どおりや五十鈴川の河畔を散策、昼食を済ませて、名古屋に向った。夕食にひつまぶしを食べたいと思ったが、まだ昼食を終えたばかり。愛知県立美術館でゴッホ展をみて(弟のテオ、その妻のヨーがいかに献身的にフィンセントを支えたか、そして、ゴッホがいかに浮世絵などの新しい様式、斬新な構図などを自分のものにしたかがよくわかった)、から、名古屋駅の地下のレストラン街でひつまぶしの早い夕食を済ませて、新幹線に乗った。

 毎年、メールで年賀のやり取りをしている60年来の友人から、今年は連絡がなかった。こちらから二度ほどメールしたが返事がない。6、7年前に二つの大病の手術をして今も病気を抱えている友人なので、大いに心配していた。それどころか、返事がないのでほとんど諦めていた。が、名古屋から帰宅後、その友人から電話があった。年末に風邪をひいて一時的に危険な状態になったが、健康を回復したという。安堵した!

 ああ、それにしても、アメリカのベネズエラ攻撃の後の世界情勢が危ぶまれる。2026年にはいろいろな心配事があるが、今、それが最も気になる!

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2006年新春 鈴本演芸場で寄席を楽しんだ

 2026年になった。

 このトシになると、大それた夢を持つこともなく、今年の目標を掲げることもない。まあ、ともあれ私の周りに不幸がなく、不快ができるだけ少なく生きていければよいと思う。そして、できればよい音楽、良い芸術に出会い、旅を楽しみたい。そして、このご時世を考えるに、世界平和、日本の平和が続くことを切に祈りたくなる(このブログには書かないことにしているが、私は民主主義の未来に大いなる危惧を抱いている!)。

 そんな中、今日、1月3日、上野に出かけて、鈴本演芸場で新春爆笑特別興行をみた。とても楽しめた。次々と芸人さんが現れ、次々と笑いをまき散らしていく。ちょっと芸の不足を感じる若手もいないではないが、それも含めてとても楽しい。帰宅後、プログラムで確認したところ、伊藤夢葉のマジック、岡大介のカンカラ三線、米粒写経の漫才、林家八楽の紙切り、カンジヤマ・マイムのパントマイム、柳家花飛、三遊亭鬼丸、三遊亭律歌、柳亭左龍、林家たけ平、柳家小里ん、柳家喬太郎、春風亭一之輔の落語をみたようだ。トリを務めるはずだった柳家さん喬が急病のため、春風亭一之輔がトリにまわり、代わりに喬太郎が出演したのだった。

 圧倒的に柳家喬太郎と春風亭一之輔がおもしろかった。喬太郎は「ウルトラマン落語」というべきもの。ウルトラマンについての薀蓄を落語のパターンに混ぜて語る。これが最高におかしい。私は、もちろんウルトラマンのテレビ番組はそこそこみていたが、ウルトラマン・ファンではなく、ウルトラマンに対してまったく思い入れはない。が、ナンセンスな喋りに笑いまくった! スピードに乗って畳みかける笑いの渦に飲まれた。

 一之輔の演目は「加賀千代」。女房に尻を叩かれて、ご隠居さんに20円を借りにいった間抜けな男の話。映像が浮かび、登場人物のキャラクターが明確で、しかも、毒気があり、しゃれっ気がありながら、きびきびと話を運ぶ。すごい! 涙が出るほど笑った。

 学生時代の一時期(つまり1970年代)、月に一、二度は新宿の末廣亭で寄席を楽しんだ。ホール落語にも通った。円生、小さん、小三治、志ん朝、馬生、談志、三平ら、今から考えると綺羅星のような名人たちの噺を聴いた。当時に比べると、今はかなり地味な時期ではあるが、やはり寄席は楽しい。充実した正月の3日だった。

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