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エレートのリサイタル もしかしたらあれも演技だったのでは!

 2026年3月28日、東京文化会館 小ホールで東京春祭歌曲シリーズ アドリアン・エレート&クリストフ・トラクスラーの演奏を聴いた。何はともあれ、エレートの恐るべきプロ魂にぶったまげた!

 エレートの歌は何度も聴いている。新国立劇場でも東京春音楽祭でも、そして、CDやオペラ映像でも。大スターではないが、確かな歌唱、味のある歌いまわし、軽妙な演技、どれをとっても超一流。歌曲は聴いたことはなかったが、きっと素晴らしいに違いないと思って、花見客でまるでラッシュ時の駅のホームのようにごった返す上野駅付近を歩いて文化会館に向かったのだった。

 エレートらしく、スマートな体型でさっそうと現れ、きびきびした動きで歌い始めた。シューベルトの「さすらい人の月に寄せる歌」。エレートらしいしっかりした声でしみじみと孤独が歌われる。次に、エゴン・ヴェレスの曲に移った。ヴェレスという作曲家、初めて知った。オーストリアで活躍したユダヤ人作曲家らしい。「海の月夜」、そして「異教よりの歌」から。無調の歌曲で、シューベルトの孤独を歌う歌曲と交互に歌われるにふさわしい・・・。そして、再びシューベルト「ヴィルデマンの丘をこえて」。

 その時だったと思う。突然、エレートの声がかすれた。おや?と思う間もなく、エレートがよろよろと前に出て倒れた。エレートはしばしばコミカルな演技をする人だ。もしかして演技?とも思ったが、顔が蒼白! 一度持ち直して歌おうとしたが、すぐにまた倒れた。

 トラクスラーも驚いて駆け寄っておろおろするばかり。裏からもスタッフが駆け寄って、エラートを連れて裏に戻った。一時、休憩。当然、コンサートは中止になると思った。大事にならなければいいがとだけ願っていた。ところが、10分か15分くらいして、コンサートを続行するというアナウンス。「いやいや、大事を取って、ここは辞めておく方がいいよ。金返せなんていいやしないよ」と、おそらく観客のほとんどが思っただろう。

 が、エレートは元気に戻って来て、続きを歌い始めた。おそるべし、プロ魂!

 チェロの加藤陽子が加わって、シューベルトの「流れの上で」。動きは、いかにもエレートらしく、きびきびしている。が、顔色はよくない。溌剌と歌おうとしているが、声にも元気がないのがわかる。間違いなく体調がよくないと思う。声がかすれる。音程はしっかりしているが、声のコントロールが甘い。もちろん十分に見事な歌だが、エレートらしい完成度には至っていない。

 再び、エゴン・ヴェレスの「時に(On Time)」。この第3曲はジョン・ミルトンの詩で、最後「この人の世の俗なるものはすべて消え失せ 星を身にまとい、我々は永遠に座ずだろう 死に打ち勝って 挑みゆくのだ、汝、おお時よ」と絶唱する。これまた粗っぽいながら、まさに魂のこもった絶唱!

 後半は、ブラームスの「4つの厳粛な歌」。エレートの明るめの声による「厳粛な歌」だが、これもやはりエレートらしい覇気がない。とはいえ、さすがエレート。聴いているうち、「いやいや、この曲はこれでいいのではないか」という気にさせられた。この歌曲集は、年配の男性が、疲れのたまった肉体によって死を間近に感じ、しみじみと人生を振り返り、死を思い、神に近づこうとする歌だ。そのような心がひしひしと伝わってくる。立派な声で朗々と歌われるよりもずっと音楽に説得力がある。

 ブラームスの後は、クルト・ヴァイル。「ロスト・イン・ザ・スターズ」より「ロスト・イン・ザ・スターズ」、「三文オペラ」より「快適な生活のバラード」、「セーヌ哀歌」、「三文オペラ」より「人間は何によって生きるか」、「ニッカーボッカー・ホリデイ」より「セプテンバー・ソング」。ふざけた雰囲気で、これまた孤独と死を歌う。ヴァイルなので、シューベルトやブラームスのように折り目正しく歌う必要はないだろう。ちょっとしたコントロールの甘さはむしろ曲の魅力につながる。

 アンコールは3曲。ブラームスの「セレナード」(作品106-1)、ヴァルター・ユルマンの「You and the Waltz and !」、最後にヴァイルの「マホガニー市の興亡」の「アラバマ・ソング」。ここでも、「I tell you,we must die」とたかだかと歌う。まだ少し粗いが、見事な歌声!

 今回のコンサートのテーマは、まさに「孤独と死」だった。シューベルトもヴェレスもブラームスもヴァイルも、そのようなテーマに沿った曲が選ばれていた。そうして考えると、エレートの今日の声の粗さはこのテーマにぴったりだった。

 エレートが倒れるというハプニングも、本当に芝居だったのでは?と思いたくなるほどテーマに沿っていた。

  が、ともあれ、エレートが今後、ずっと元気でいてくれることを願ってやまない。

 

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ニールンドの歌曲 感動に震えた!

 2026年3月27日東京文化会館小ホールで、東京・春・音楽祭歌曲シリーズ カミラ・ニールンド&ヨプスト・シュナイデラートを聴いた。

 カミラ・ニールンドは、今や押しも押されもしないバイロイト音楽祭をはじめとする主要な歌劇場でワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのヒロインを歌う大歌手だが、私は無名だった頃からの大ファンだ。武蔵野市民文化会館で、シベリウスの歌曲などを歌った。私は大感動してCDを購入、シベリウスの歌曲の魅力を知った。あれは何年のことだったか。2000年前後ではないかと思う。チェコ文学研究家であり、医師であられた故・関根日出男先生(以前から関根先生の訳された本を読んでいたが、ヤナーチェク友の会で先生と個人的に知り合いになり、音楽についてしばしばお話させていただいた)は同じ時、感動してコンサートの後、ニールンドにサインをもらいに行ったと話してくださったことがある。

 今回改めて聴いて、もっともっとすごい歌手になったのだと実感した。

 最初にワーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」。最初のうちは、ちょっとピアノとぎくしゃくした感じだったが、すぐにぴたりと合ってきた。

 歌曲の言葉を大事にした繊細な表現と大劇場で歌うようなドラマティックな大声の表現の幅に圧倒される。しかも、完璧に声のコントロールがなされている。正確な音程、美しい声、ワーグナーの楽劇(もちろん、「ヴェーゼンドンク」の場合は、「トリスタン」!)で培ったであろうとろけるような官能性とスケールの大きな広がり。凄い! 感動!

 次にシベリウスの歌曲。「夕べに」「海辺のバルコニーで」「日の出」「3月の雪の上のダイヤモンド」「そよげ葦」「逢引きからもどった娘」「黒いばら」。

 「逢引きからもどった娘」はまるでオペラのように劇的に盛り上げ、恋に破れた娘の悲嘆を歌う。「黒いばら」では、ドラマが一層進み、悲劇が爆発する。ピアノ伴奏の歌曲特有の親密さ、繊細さを十分に発揮しながら、最後には、そのような規模とは思えない大きな世界になっていく。

 後半はまずドヴォルザークの「ジプシーの歌」。これは、可憐な若い娘の初々しい歌としても歌うことができるが、ニールンドが歌うと、可憐でありながらも深い思いのこもる歌になる。が、決して重すぎない。第4曲「わが母の教えてくれた歌」の後、美しくも悲哀の潜む歌になっていく。ここでも歌が進むにつれてドラマが進展していく。

 リサイタルの最後はリヒャルト・シュトラウスの歌曲。「悲しみへの賛歌」「夜」「ダリア」「万霊節」「誰がしたの」「二人の秘密をなぜ隠すのか」。シュトラウスの名曲歌曲を並べただけに見えて、これもまたオペラのようにドラマが進んでいく。まさにニールンド劇場!

 アンコールは3曲。最初はヴォルフの歌曲。ニールンドが曲名を口にしたが、私に聞き取れたのは、「フーゴー・ヴォルフ」のみ。チャーミングな小曲だった。その後、「ルサルカ」の「月に寄せる歌」。これはまさに絶品! 月に向かって語るルサルカの心情、光景が見えるような歌声。月の光の色が見えるかのようだった。ホール内に響き渡る声に私の全身が法悦に震えた! 最後はシュトラウスの「献身」。お決まりのアンコール曲だが、最後のホール全体に響き渡る「Habe Dank」に、これまた私の心は揺り動かされた!

 バイロイトの主役を歌うソプラノ歌手の中で、これほど繊細に歌曲を歌える人が、これまでいただろうか。ニールンドは、フラグスタートやニルソンやベーレンスやシュテンメをしのぐ大歌手だ!と思ったのだった。

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ヴァンスカ&都響 とてつもないシベリウスの世界!

 2026年3月26日、東京芸術劇場コンサートホールで東京都交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はオスモ・ヴァンスカ、曲目は前半にシベリウスの交響曲第1番、後半に同じシベリウスの交響曲第4番。確信に満ちた演奏。素晴らしかった。

 第1番はしばしば感情的に煽った演奏がなされる。が、ヴァンスカはそのようなことはない。都響から透明で強い音を引き出して、情に溺れないしっかりした足取りのシベリウスを作り出していく。

 冒頭のクラリネットの音も実に美しい。徐々に楽器が広がっていくが、硬質でスケールの大きな音だと思う。澄み切った空にくっきりと自然が映し出されていくかのようだ。シベリウス特有の、短いモティーフをモザイク的に組み合わせてゆく手法も小気味よさを感じる。第4楽章の盛り上がりも、どこまでもクリア。我をなくして盛り上がっていくのではない。クリアなまま、スケールが大きくなり、なんだかまるで一つの宇宙を作り出すかのよう。

 第4番にも同じような印象を持った。この曲は、第1番よりも、もっとずっととっつきにくい。親しみやすいメロディはなく、まさにシベリウス特有というのか、細切れのモティーフの連続になる。メロディに感情移入する前に、そのメロディは消えてしまい、別のメロディが現れる。

 だが、ヴァンスカ&都響の演奏は、その部分部分があまりに美しい。研ぎ澄まされた音と音が重なり合い、精密でゆるぎない世界を作り出していく。まさに清澄にして深遠! ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲の達した境地と同じような孤高の境地とでも言おうか。第3楽章はとりわけ精妙。正直言うと、ちょっと退屈なのだが、緻密で緊張感あふれる音の展開。そして、終楽章。独特の音の宇宙が大きくひろがっていく。そして、なんだか唐突に終わる。

 実は私はシベリウスのこの曲がまだよく理解できていない。が、ヴァンスカによって、とてつもない世界を聴くことができたことは、十分に納得した。

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国宝十一面観音の旅

 2026年3月、大手旅行会社のツアーに参加して、関西の十一面観音を6体、拝観した。

 私は、昔から仏教や仏像に関心を抱きながら、ずっとクラシック音楽などの西洋文化の中で暮らしてきた。京都や奈良を訪れた折には、寺院などを見ようとしているが、なかなか仏教、仏像に触れる機会がない。そんな折、友人にこのツアーの存在を知らされて、喜んで参加したのだった。

 これまで十一面観音はいくつかみたことがある。観音菩薩なので、如来のようにすでに悟りを開いて仏陀になっているわけではない。いわばまだ修行中の身、だから、人間臭さを残し、煩悩を抑えようと闘っている。しかもそのうえ、観音は中性的であって、しばしば女性的な体型を見せてくれる。そこに様々な表情が宿る。

 そのうえ、観音には千手観音、馬頭観音頭など異形のものがあるが、そのなかでも十一面観音は基本的に頭の上に、衆生に目を向けて救おうとする10の小さな顔を持っており、それぞれに表情がある。

 実際に出かける前にちょっとした予習をして、十一面観音像にとりわけ信仰を持つ人が多いのもよくわかる気がした。

 ただ、何しろ見るためのポイントもわからず、知識もない。今回、6体を見たが、素人の悲しさで、見てすぐから、いくつかがごっちゃになる。そもそも、前に見たものとどこがどう違うのかもよく思い出さない。みているときには、それなりに感動したつもりだが、しばらくたつと、頭の中に像が結ばない。いや、そもそも見ているあいだも、感じたことをどう言葉にしてよいのかもわからない。写真を撮っていれば、それを見て思い出しながら思ったことを再現できるが、撮影禁止なので写真もない。ネット上の写真も少ない。

 よって、曖昧なことしか書けないが、備忘録として簡単なメモを記しておく。

 

向源寺 

 滋賀県、琵琶湖の湖北にある向源寺(こうげんじ)。渡岸寺観音堂(どうがんじかんのんどう)とも呼ぶらしい。736年に天然痘が流行した際、泰澄(たいちょう)が聖武天皇に除病平癒祈願を命じられて建立し、泰澄が十一面観音像を彫刻したとされている。しかし、ヒノキの一木造(いちぼくづくり)で、作風がもっと後のものであることから、泰澄の作とは考えられないとのこと。田園の中にある。195センチの高さ。

 渡岸寺十一面観音は両耳の後ろに大きめの小面があるところに大きな特徴がある。右足を少し前に出して立っている様子であるためか、見る方向によって顔も肢体も雰囲気が変わる。だが、どの方向から見ても、高貴で美しい。

 

大報恩寺 

 京都市上京区にある寺院。1221年義空上人によって開創。真言宗智山派の名刹。本堂(国宝)は1227年(安貞1)創建時のままで、京洛最古の古建築。

 本堂前に「おかめ塚」がある。おかめは寺院を立てた棟梁の妻で、その助言で寺院はうまく建ったが、夫の名誉を守るために自害。おかめ信仰がここから広まったとのこと。

 残念ながら、十一面観音像は展覧会に出品のために見られなかった(この件については前もって旅行会社から連絡があった)。国宝の観音菩薩像をいくつかと快慶作の十大弟子像などがあった。弟子像はすばらしかった。

 

大雲寺 

 京都市の民家の中の坂を上がったところにある寺院。335年ぶりの御開帳とのこと。戦火や災害などで何度も寺院は消失。十一面観音像も頭部が焼けるなどしたが、335年前に封印され、秘仏になった。ただ公開を禁じられていたわけではなく、数年前から公開の予定だったところ、コロナなどで時期が遅れたのだという。聖武天皇をモデルにして行基が作ったとされているという。

 1メートルくらいの大きさ。保存状態がよかったためか、金箔がかなり残っている。かなり男性的なお顔でいかつい感じがする。

 

道明寺 

 藤井寺市にある桜餅に使われる「道明寺粉(道明寺糒)」発祥の寺。菅原道真公が作った国宝十一面観世音菩薩像が御本尊。1メートルくらいの 檀像仏像とのこと。ほかの像ほどのしなやかさは感じないが、落ち着いていて気品にあふれている。かなり男性的な感じがする。本当に道真の作かどうかわからないが、確かにそういわれるだけの知性と品性と信仰心を持った作品だと思った。

 

聖林寺

 昨年だったか、一昨年だったか、足を運んだことがある。JR桜井駅からすこしいった丘の上にある寺院だ。渡り廊下の先にある収蔵館に十一面観音が収められている。これは実に美しい。中性的で気品にあふれ、優雅でもある。

 

室生寺

 この寺も、以前、訪れたことがある。高野山とは違って女性にも開かれた真言道場があったため、女人高野と呼ばれる。寺自体がとても美しい。1998年に台風で損害を受けた五重塔も修復され、今ではかつての風格を取り戻している。

 十一面観音像は寶物殿に収められている。これも実に美しい。かなり女性的で慈しみ深い感じ。

 

法華寺 

 聖武天皇の妃である光明皇后の建てた寺院であり、境内には日本最古の浴室がある(中には入れなかった)。十一面観音菩薩立像は光明皇后をモデルにしているという。

 美しかったという光明皇后をモデルにしているためだろう。女性的で、とても美しくて気高いお顔だと思った。暗くてよく見えないのが残念だったが、唇は赤みが差されている。

 

観音寺 

 京田辺市の道路沿いに菜の花畑があり、その中を歩いて観音寺に到着。天武天皇の勅願によって建立されたというが、消失などのために、今ではかつての威容は残っていない。「かんのんじ」ではなく、「かんおんじ」と呼ぶようだ。

 こちらの十一面観音もとても美しい。私などには、正直言って、室生寺、法華寺のものとどこがどう違うのか、曖昧になってきた。

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インキネン&都響 ともあれ圧倒された

 2026年3月19日、サントリーホールで東京都交響楽団第1039回定期演奏会Bシリーズを聴いた。指揮はピエタリ・インキネン。曲目は、前半にラヴェルの「ラ・ヴァルス」と、ソリストにキット・アームストロングが加わってサン=サーンスのピアノ協奏曲第4番、後半にプロコフィエフの交響曲第3番。

「ラ・ヴァルス」については、私は少々疑問に思った。少なくとも、私の好きな「ラ・ヴァルス」ではなかった。私は、色とりどりの断片がだんだんとワルツの形を成し、それがまるで色彩の龍のように飛翔し天空を舞って、最後に崩落していく・・・といったイメージを持っている。が、今回の演奏はいつまでたってもワルツの形を成して飛翔しない。音が断片のままでラヴェル風の粋でしゃれていて、しかも不気味な龍が現れない。どうやらインキネンはこの曲を私が考えるようにはとらえていないらしい。

 まるで音を分解させ、音の構築物を作り出しているかのよう。まさに20世紀後半の「現代音楽」として再構築したような「ラ・ヴァルス」だった。・・・もしかしたら、右の前方の座席の、やけにコントラバスの音が聞こえる席だったので、そのような印象を持ったのかもしれないが・・・。

 サン・サーンスの協奏曲はとてもよかった。アームストロングの恐ろしく粒立ちのよいクリアな音とインキネンの表現がぴたりと一致したのかもしれない。まるで20世紀後半の音楽のような響きだと思った。1875年に初演された曲とは思えない。情緒におぼれることなく、知的に音楽が展開し、あれこれと冒険しながらも整然と音楽が進んでいく。豪華絢爛な音の洪水があり、超絶技巧があるが、アームストロングがやすやすと弾いていることもあって、まるで映画のように最後にはめでたしめでたし。そんな感じを抱いた。アームストロング、若き天才として売り出されているようだが、確かにすごい!

 ソリストのアンコールはサン・サーンスの左手のための6つの練習曲OP135より第2番「フーガのように」だとのこと。ピアノ曲に疎い私は、最初はバッハかと思った。が、しばらくして現代曲だろうと思った。掲示を見るまでサン・サーンスとは思わなかった。そんな感じの演奏だった!

 後半のプロコフィエフは、これぞインキネンという演奏なのだろう。都響の音を存分に引き出し、見事なコントロールで音の洪水を整理し、爆発させ、飛び立たせる。私は、この曲をよく知らないので、ただ圧倒されて耳を傾けるばかりだった。オペラ「炎の天使」で使われたモティーフがいくつも出てくるとのこと。確かに、不気味で不吉な響きが充満し、それが次々と形を変えていく。それがきらびやかにならず、どこか深みのある音になるのは、都響の特質なのだろうか。

 本当のことを言うと、インキネンは私の好きな指揮者ではない。実は、「どうもよくわからん」と感じることが多い。今日も、そう思った。が、それでも、サン・サーンスとプロコフィエフには圧倒された。あと何度か聴くと、インキネンのやろうとしていることが理解できるようになるのだろうか。

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映画「センチメンタル・バリュー」 三世代にわたって続く苦悩

 映画「センチメンタル・バリュー」をみた。監督はヨアキム・トリアー。カンヌ映画祭グランプリ、アメリカのアカデミー賞2026年国際長編作品賞受賞(つまり、日本映画「国宝」よりも高く評価された!)のノルウェー・フランス・デンマーク・ドイツ合作ということらしい。

 とてもいい映画だった。

 離婚して家を出た父親と、残されて育ち、わだかまりを抱く姉妹が葛藤の末に理解しあうようになる、という大筋のなかに、様々な要素が組み込まれる。

 映画監督のグスタフ(ステラン・スカルスガルド)は、離婚後、家を出ていたが、妻の死後、家に戻る。グスタフの母はナチスへの抵抗のために拷問を受け、それが癒えずに、その家で自殺したのだった。グスタフは母をモデルにした15年ぶりの新作映画を撮ろうとして、その主役に一流の舞台俳優である長女のノーラ(レナーテ・レインスベ)を当て、ノーラの妹アグネスの息子も出演させようとする。だが、父親に複雑な感情を持つ姉妹はそれを断る。だが、互いの苦しみを理解しあうようになり、脚本がノーラにふさわしいことを誰もが理解して、ノーラと少年の出演がかなう。

 映画の冒頭で語られる通り、ノーラは幼いころに家を擬人化した作文を書き、しばしば家が家族をどう見守っているかを意識する。つまりは、この映画は、舞台となっている「家」がグスタフの母、グスタフ、ノーラの3世代をどのように見守ってきたかの物語でもある。

 この3世代は重なり合っている。グスタフの母は自殺、グスタフは母の自殺で大きな心の傷を負い、ノーラは両親の離婚で苦しんで自殺未遂らしい経験があるようだ。3世代が同じような苦しみを味わい、それを引きずっている。3世代が暮らした家は、当初からひずみがあったが、それが今も残っている。

 しかも、登場人物の全員が、自分なりに懸命に生きている。苦しみを抱えながら、なんとかそれを克服しようとし、自分なりに周囲のことも考えて生きている。だが、引きずる苦悩をどうすることもできず、関係がぎくしゃくし、誤解が生じ、悩みが生じる。まさに人生! まさに人間関係!

 そうした三世代における苦しみの様子を家は見つめている。そこには、タイトルにある「センチメンタル・バリュー」(「思い出の品」というような意味らしい)がある。思い出の品のたくさんある家、そこでの家族の葛藤。そして、最後、映画の中での「母親」は、どうやら自殺を思いとどまるらしい。苦悩からの脱出がほのめかされる。

 もしかしたら、この「家」というのは、ノルウェーという国のことかもしれないな、とも思った。いやいや、もっと普遍的に、ヨーロッパ世界、あるいは日本を含む全世界のことかもしれない。第二次大戦前から現代までの世代間に引き継がれた苦しみ、世代間の葛藤、そうしたものが形を変えながら引き継がれている。もうそろそろその苦悩から逃れられてもいいのではないか・・・。

 美しい映像。素晴らしい演技。ただ、とても良い映画だとは思いながらも、これが年で最高の大傑作かというと、それほどでもないかなあという気持ちにもなった。

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サトーミチヨ×エスプリ・ストリング・クァルテット 良くも悪くも仲良しの仲間たちの演奏だった

 2026年3月15日、ヤマハホールでサトーミチヨ×エスプリ・ストリング・クァルテットの演奏を聴いた。曲目は前半に、キュフナー作曲(ウェーバー作曲と伝えられていた)の「序奏、主題と変奏曲」、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番、後半にモーツァルトのクラリネット五重奏曲。

 キュフナーの曲は初めて聴いた。なんだか、モーツァルトやシューベルトを思わせるようなメロディで親しみやすい。きれいな曲だと思った。サトーミチヨのクラリネットはふくよかで柔らかみのある音がとてもいい。エスプリ・ストリング・クァルテット(礒絵里子・中原恭子・神谷未穂・高橋純子)もしなやかで美しい。

 ショスタコーヴィチの弦楽四重奏については、これまたしなやかな演奏。ショスタコーヴィチの怨念の爆発する第2楽章も、かなりおとなしめといっていいだろう。それはそれで強い感情がほとばしるが、柔和さを感じる。私としては、もっと強烈に爆発してほしい。ちょっと予定調和的すぎるのを感じた。これがこの人たちの解釈なのだろうが、もっと狂気じみ、もっと怨念に満ち溢れているのがこの曲なのではないかと思う。

 モーツァルトのクラリネット五重奏曲についても同じような印象を抱いた。第1楽章を聴いた時点で、素晴らしい!と思った。クラリネットの音は心にしみる。明るい雰囲気でありながらも愁いを帯びて、本当に美しい。弦楽器もこの曲特有の、長調でありながらも暗い情感があって見事。

 ただ、第2楽章も第3楽章も、そして最終楽章も同じ雰囲気が続く。仲良しの仲間たちが和気藹々と音楽を紡ぎ出している。それはそれでいいのだが、「いやいや、この曲はもっと緊張感があるべきだろう!」と思い始めた。メンバーみんなが自己主張せず、思いやり、和を大事にして、仲良く楽しく音楽を進めていくのだが、それでは物足りない! そう、ショスタコーヴィチも同じだったが、このモーツァルトの、「凄味」がなくなっている。私が聴きたかったのは、「凄味」なのだが、それがない。

 演奏後のトークで、5人が昔からの仲間であることが語られた。仲間同士で演奏する良さが確かに今回の演奏に現れていたが、その弊害も間違いなくあったと私は思った。

 アンコールはベールマン作曲のクラリネット五重奏曲の第2楽章とのこと。初めて聴いた。これもキュフナーの曲と同じような雰囲気の親しみやすい曲。しっとりしていてとてもよかった。

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東ティモール、バリ旅行

 2026年3月7日から11日まで、東ティモールとバリ島を訪れていた。

 東ティモールに行こうと思いたったのは、先日のブルネイと同じ。99歳の母の体調などのために長期間の旅行は難しい。アジア地域でまだ行ったことのない国に東ティモールがあるのを思い出した。2002年に独立した小さな国だ。もちろん、この国が生まれた時の報道はよく覚えている。つい数年前のことと思っていたが、もう20年以上たつ。この新しい国を見てみたいと思った。東ティモールへの直通便はなく、バリ島経由ということになる。

 30代の息子を誘って、二人で、これまでに何度か利用したことのある個人手配の旅行会社に現地ガイドなどを依頼した。

 

3月7日

 3月7日、成田を11時に出発のガルーダ・インドネシア機でバリのデンパサールに到着。前もってヴィザを取っていたので、すんなりと外に出た。27~28℃前後だと思う。清潔できれいで華やかな空港で、お土産物売り場も完備されている。空港の外に出ると、大勢のガイドさんらしい人たち(もしかしたら100人以上いるかも)が手に札をもって降りてくる客を待っている。が、どう探しても、私たちを待つガイドさんが見当たらない! あれこれ電話をするなどして、やっと連絡が取れて、ガイドさんは1時間遅れで到着。不安な時間を過ごした。

 どうやら日本の代理店と現地代理店の連絡不行き届きだったらしい。短いオプショナルツアーを依頼していたが、レストランでの食事だけになってしまった(ただ、ガイドさんがとても恐縮してくれて、その後、あれこれのサービスをしてもらい、とても快適に過ごすことができた)。海辺のレストランでおいしい海鮮料理を食べてから、バリ風のホテルへ。

 2017年以来、二度目のバリだった。以前訪れて、欧米人を含む大勢の観光客の集まる大リゾート地だと思っていたが、今回も印象は変わらない。ただ、以前来た時よりも西洋人が比較的少ない気がしたが、それは動き回った土地のせいかもしれない。

 

3月8日

 8時50分のシティリンク機で東ティモールのディリへ。バリの旅行代理店に便宜を図ってもらってすんなりと出国できた。2時間ほどの飛行だった。

 200人弱収容程度の飛行機で、三分の二くらい埋まっていた。観光客らしい人はあまり多くなかった。多くの人が仕事や何かの用ででかけている雰囲気を感じた。日本人らしい人は数人いるかいないかだと思う。

 飛行機の窓から見えるディリの町は、まさに海辺の小都市。私は10歳から18歳まで大分市に住んでいたが、当時の(ということはつまり、1960年代の)大分市を思い出すような風景だった。

 

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 東ティモール民主共和国。首都はディリ。国土面積15000㎡(つまり、四国より少し大きい程度)、人口は約135万人(首都ディリの人口は30万人強)。日本と時差なし。16世紀にポルトガルの植民地になり、1975年からはインドネシアの支配を受けていたが、2002年に独立。公用語はテトゥン語とポルトガル語だが、インドネシア語も広く使用されている。通貨は米ドル(つまり、独自通貨はない)。99パーセントがキリスト教徒で、そのほとんどがカトリック。大統領制。入国前の私の知識はそのくらいだった。

 空港到着。タラップを降りて、ヤシの木が何本も立ち、庭木の並ぶ通路に沿って赤茶色の屋根(もしかしたらトタン屋根?)の建物に入る。これが首都の空港とは思えない。村の公民館のような建物だ。気温は30℃前後。薄曇りの天気だった。

034df1faa1274afe87067a3df665ecd4ディリの空港(ただし、これは出国時に撮影したもの)

 窓口に並んでアライヴァル・ヴィザを取得(30米ドル)し、長い行列でパスポート検査。窓口ではかなりの部分が手書きなので、異常に時間がかかる。その後、入国審査申請書を空港内に4台置いてあるパソコンで順番を待って作成。これを前もって作成しておくべきだったが、勝手がわからずにいたため、空港内で作った。それでも何をどう書けばよいかわからない項目もあり、息子とともに悪戦苦闘(息子はロンドン滞在歴もあって、人並みよりはこの種のことには強いはずなのだが!)し、近くにいたお役人の手助けを得なければならなかった。

 飛行機では前方に座っていたので、早く外に出たのだが、結局、審査が終わって空港出口を出たのは、120~40人程度の客の最後になってしまった。1時間ほどを要していた。

 私は海外に出ると、docomoの「世界そのままギガ」でWi-Fiにつないでいるが、東ティモールでは接続できなかった。接続できるという情報だったので何とかなると思っていたのだが! 空港のフリーWi-Fiを探したが、これも接続できなかった。IT環境がかなり良くないことを、この後もしばしば感じた。

 ただ、もう一つ、軍人らしい人や警官らしい人も見当たらないことも感じた。どこの空港にもいかめしい人がいるものだが、ここにはいない。空港関係者らしい人物はいるが、権力を持っていそうな人は見えない。このことは、その後、町の中に出てからも感じた。

 ガイドさん(知的な日本人女性。JICA関係の仕事で東ティモールの男性と知り合って結婚してこちらに定住している方だった)と合流して、すぐに車で観光に出かけた。

 この国には観光地などはないに等しいが、ほとんど唯一のディリの名所はクリストレイ。リオの像に次いで大きいというイエス・キリスト像だ。今は雨期だが、幸い、雨は降っていない。いつ雨になるかわからないというので、今のうちに行こうということになった。

 車のほとんどが日本車。右ハンドルで左側通行。車が少ないせいもあるが、ドライバーはみんながきわめて穏やかな運転だ。先を争うこともない。バイクも走っているが、それほどの量ではない。ただ、私たちの乗る車の運転手さん(あまり運転は上手ではなかった)の特性なのかもしれないが、ほとんどウィンカーを出さないで車線変更をしていた! ただ、スピードは速くないし、交通量も多くないので、まったく危険を感じることはなかった。

 信号はほとんどない。だが、阿吽の呼吸というべきか、交通量の多い交差点でも、トラブルらしいものなしに動いている。この国の人は先を争ったりせず、相手に譲る。

 中心地の建物そのものは現代的だが、町の雰囲気は、まさに1960年代の大分市に近い。高い建物はない。高くても5階建てだという。中心街でも2階建てか3階建てがせいぜい。それも隣接して建物が建っているのではなく、広い敷地があり、緑が見える。大統領官邸や省庁の建物の前も通ったが、いかめしい様子はなく、公園やふつうのホテルのような雰囲気だ。

 海岸の道路を通った。テトラポットが海辺に置かれている。私は、別府と大分を結ぶ海岸の道路(国道10号線だが、別大道路と大分市民は呼んでいる)を思い出した。ただ、大分市の海辺は当時から岸壁があったが、ディリには岸壁のないまま海につながっているところも多い。道路の横には砂浜が広がっており、その先に海がある。車が海に転落しそうで怖くなる。

 ミャンマーなどの東南アジアの道路は、都市部に限らず田舎道でも、道端にゴミが散乱していることがある。散乱どころか、ゴミの連なりが途切れることなく、何十キロにもわたって続いていることがある。だが、この町にはゴミが見えない。きちんと掃除をしているのだろう。清潔な町だ。

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 クリストレイは、海に張り出した小さな岬になった小山の頂上に立っている。海岸に面した広場で車を降りて、遊歩道と階段を通って、キリスト像まで登る。ときどき日が差す程度の天気で、それほど暑くなかったので助かったが、74歳の私にはかなりきつかった。途中で諦めようかと何度も思った。何度か休憩し、左右を見渡す。風が吹き、右に左に海が見えて美しい。

 キリスト像は地球の上に乗っていた。キリストはポルトガルの方向を見ているとのことだった。東ティモールはカトリックの国で、ポルトガルの植民地だった。キリストの思いというよりも、ポルトガルからやってきた人たちの思いをこのキリスト像は表しているようだ。ただ、どこをみても、この像の建造年などの情報がみあたらない。

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 その後、モタエル教会(Santo Antonio de Motael)にも行った。白い壁に赤い屋根の美しい教会だ。1800年に建造されたが、現在の建物は1955年建造だという。薄曇りの下に白い教会が静かに立っており、とても美しい。人影はなく、超然とした雰囲気だった。

 その後、タイスマーケットへ。ディリで最も大きいショッピングモールだという。1階にスーパーや様々な小さな商店があり、2階では衣料品、電子機器、日用品などが売られている。東南アジアの市場の雰囲気は微塵もない。まず人が少ない。日本の地方都市のちょっと大型のスーパーのような雰囲気と言ってよいだろう。それこそ、大分市の郊外のちょっと大型のスーパーの雰囲気に近い。

 スーパーは日本や西洋の店と同じように、整然と商品が整列されている。値段は、すべてにおいて日本の商品よりも2、3割安いといったところ。たぶん、このような店は、少し高めなのだろうが、それにしても、初任給が月2万円程度だというから、現地の人は苦しいだろう。ほかの店でもそうだったが、ここではポルトガル製が高級品として売られている。ついでにいうと、優秀な若者の留学先はポルトガルだという。確かに、あちこちにポルトガル語の表示がある。

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 近くのカフェでコーヒーを飲んだ。おしゃれな店で、日本の一等地にあるカフェと雰囲気は変わらない。コーヒーは東ティモールの特産の一つとのこと。とてもおいしかった! コーヒー一杯2ドルだった

 その後、ホテルへ。Excelsior Resort Hotel。かなり広い敷地のホテルで、壁に囲まれた敷地内には門を入ってしばらくまっすぐの道があり、両側に薄い黄色の平屋が数軒並んでいる。バンガロー形式のホテルというべきか。そこには事務所も入っているようだ。木々が植わっていたり、花壇があったりするが、私は刑務所か収容所、あるいは兵舎を思い浮かべた。

 奥のほうに2階建ての母屋があって、そこの1階がフロントだった。かなり古びたホテルで、がらんとした雰囲気。Wi-Fiも含めて、設備はあまり良くなく、備品も完全ではなかったが、必ずしも不快ではなかった。スタッフの感じはよくて親切。日本式のサービスとは対極にある、質素でさっぱりした対応だった。

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 息子と二人で、ガイドさんに教えてもらったホテル近くのレストランに向かった。

 レストランへの道は、まさに貧しい地域の路地だった。

 車がやっとすれ違えるくらいのコンクリートを打っただけの道で片側には用水路があって水がちょろちょろと流れている。廃屋としか見えないような、土の上に、薄汚れたトタン屋根を載せただけの古い材木で組み立てた掘立小屋があり、木の台の上で、ココナツやバナナ、トマトなどの野菜を売っている。そうそう、こういう朽ちかけた小屋をバラックと呼ぶのだったと久しぶりに思い出した。

 ガラス戸の冷蔵庫を3つほど並べて、水や飲み物などを売っているだけの店もいくつかある。ところどころで店の表の出っ張りには洗濯物をひっかけている。魚を皿の上に10匹ほど載せて売っている人もいる。子どもたちが多い。はだしで歩く子どもたちもいる。野良犬なのか飼い犬なのか、犬があちこちでぶらぶらしている。鶏も放し飼いで家の周囲を歩いている。これまた、1960年代の九州の田舎の貧しい地域を思い出す。ただ、そんなところでも、何人かの子たちが固まってタブレットで遊んでいたりする。

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 レストランは、その区域ではお洒落に見えた。ビールを飲みながら、ナシゴレンや牛肉料理、デザートなどを食べた。息子と二人でちょうど50ドル。7500円前後! 日本で食べても同じくらいの料金だろうと思った。なかなかの物価だ!

 食べているうちに暗くなった。疲れていたので、ホテルに帰って、すぐに就寝。

 

 

3月9日

 ディリから車で海岸線を20分ほど西に進んで、マングローブの生える海岸に行った。その後、30分ほど西に進んで、海岸のレストランで昼食。海が美しい。道辺の道路のところどころで、野菜や魚を並べて売っている人がいる。魚を自分たちで釣って、売っている人が多いのだという。確かに、海の中に人がいて、魚を取っているらしい人もいる。ただ、組織的に漁をしている様子は見られない。漁業はあまり企業化されていないのだろうか。

 この国を見て思うのだが、商売の意欲があるのかないのか。その気になれば、もっと漁業を組織化して手広く儲けることができるだろうに、と思う。観光資源もたくさんありそう。ところが、国民はそんな気がなく、競争心もなく、儲けようという気もないようだ。あちこちの小売店にも商売気がなく、たくさん売ろうという工夫が見られない。拡大再生産をめざすのではなく、単純再生産を当然と思っている様子だ。

 ガイドさんによると、教育水準も高くないことが問題になっているという。数学の大学教授の数学の能力に日本からやってきたJICAボランティアが疑問を持った話も聞かせてくれた。小学校、中学校では教員の質が低くて、十分に成り立っていないことが考えられるようだ。だが、それでも特に大きな問題は起こることなく、平和に国家は動いているらしい。民主主義国であり、大統領制は安定しており、表現の自由もあり、国会も民主的に運営されているとのこと。内実はよくわからないが、ともあれ、町の雰囲気はまさに平和でのどかで、アジア的喧騒からかけ離れている。

 ディリに戻ってから、まず大聖堂へ。

 1980年代に作られたという。薄いベージュの壁のシンプルな雰囲気の聖堂で、落ち着いたたたずまいを示している。東ティモールの人々は敬虔なカトリックであって、多くの人が日曜日には教会のミサに出席するという。さすがにミサの際には近くの道路は大渋滞になるとのことだった。

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 次に、東ティモール抵抗運動博物館を見学。ポルトガルの植民地からの独立運動、インドネシアからの独立運動、弾圧と抵抗の歴史がパネルや写真、動画で語られている。ただし、広島原爆記念館や、カンボジアの博物館などに比べると、残虐な状況についての記述があまり多くない気がした。

 その後、サンタクルス墓地へ。

 1991年、東ティモール独立を求めて殺害された若者を弔うために集まった民衆に向けてインドネシア軍が発砲し、大量虐殺につながったのがこのサンタクルス墓地だ。これをきっかけに東ティモール独立運動が活発になったということらしい。

 ただ、東ティモールの様々な項目を見るに、どこにも統計らしいものが見当たらない。日本人としては、このサンタクルス事件で何人が殺されたのか大いに気になるのだが、その記述が抵抗運動博物館でも見つけられなかった(英語の表示が下の方にあるため、英語がけっして得意でない私は見つけられなかった可能性もないではないが)。数字をあまり気にしない国民なのかもしれない。(あとで調べたら、270名が殺害された、という記述をネットで見つけることができた)。

 墓地の手前のほうには、1991年の事件で殺された人々が埋められているという。キリスト教式のしっかりした墓が並んでいた。花が飾られている墓もたくさんある。

 

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 道路を挟んだ反対側に、インドネシア関係者の墓地があるというので、そちらに向かった。そちらは現地の人の墓と違って、もっと質素。しかも、工事中らしく、機材が置きっぱなしになっていた。東ティモールでのインドネシアを含む外国人の名前を記す石のパネルも建設中のようで、そこには数百人の名前が記されていた。その向こうに緑に囲まれて墓が並んでいる。

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B92208572a614019bf12eee9a4c1bc4a サンタクルス墓地の反対側の外国人墓地(工事用具の奥に墓石が並んでいるのが見える)

 一般的に、虐殺のあった墓地に虐殺した側の死者の墓も設けられるものだろうか。東ティモールの人々の墓地と比べて質素だとは言え、粗末にせずにきちんと弔っていることにある種の驚きを覚える。インドネシアから墓参りに来る人たちもたくさんいるという。

 ガイドさんに聞いても、周囲の雰囲気をみても、どうも東ティモールの人々はインドネシアを敵対視している様子はない。虐殺についてもそれほど大々的に扱おうとしない。

 その後、チェガ博物館を訪れた。インドネシア時代に刑務所として使われていた建物で、インドネシアに抵抗した人々の受けた拷問などについて解説するパネルなどがあった。

 ひどいことではあるが、ただアウシュビッツやカンボジアのクメール・ルージュの処刑場などと比べれば、まだしも穏やかだったとは言えるかもしれない。そして、ここでも、確かにインドネシア人による残虐な行為を告発はしているが、私がこれまで見たこの種の博物館の中では、加害者に憎悪をかきたてるような表示が少ない例の一つだと思った(広島や長崎の原爆関係の展示が最も顕著だと思う)。

 その後、夕食。東ティモール料理を食べた。と言ってもインドネシア料理とほぼ同じだろう。ナシゴレン、厚揚げのようなもの(名称をおしえてもらった、忘れた)。とてもおいしかった。

 ホテルで休息。前日にクリストレイを見るために階段を上がったせいだろう、かなり疲労がたまっているのを感じた。

 

3月10日

 10時30分頃、ホテルの用意してくれた車で空港へ。すんなりと出国審査を済ませて、アルコールなどを置いているちょっとした免税店の横の待合室で待機。入国するときには三分の二ほどの客がいたが、帰りはガラガラ。40~50人くらいの客しかいなかったかもしれない。

 1時間半ほどでバリに到着。前もってネットで入国のための手続きをしていたし、今回もバリの旅行会社の的確なサポートもあって、予定通り、14時ころには入国できた。東ティモールのディリから到着すると、この空港のあまりの大きさ、お店の多さ、その現代的なセンス、派手な広告などに圧倒される。色とりどりの商品が空港の売店を埋め尽くしている。

 今回は、空港を出てすぐにガイドさんに合流。

 成田行きの便は深夜0時50分。時間はたっぷりあるので、その間に短いバリ・ツアーをお願いしておいた。私の希望は、ケチャをみること。

 車でクタ地区をぐるっと回って車の中から見物。狭い道を車で動き回った。バイクが多い。私は二度目のバリだが、息子は初めて。海岸が見えた。前回、この海岸で波を見て過ごしたのを思い出した。

 東ティモールから来ると、とりわけ人の多さ、リゾート地としての施設の多さに目が行く。確かに東ティモールには、バリほどの文化遺産はないだろうが、十分にリゾート地になる要素を持っている。東ティモールの人の多くは、海外に出る時、このバリを経由するらしい。それに、東ティモールの人は海外に出稼ぎに出ているらしい。東ティモールの人々はこのような状況を見て何を思うのだろうか。気になった。

 渋滞を警戒して、そのままウルワツ寺院に向かった。11世紀に建てられた絶壁にあるヒンドゥー寺院で、現在の建物は16世紀のものだという。この寺院で行われるケチャダンスが世界的に有名らしい。私は、1980年前後だったか、最初はFM放送でケチャの歌を聴いて衝撃を受け、後にCDも購入して繰り返し聴いたものだ。前回、バリを訪れた時、ケチャを観たいと思っていたが、それはかなわなかった。今回、ようやく実現。

 ウルワツ寺院には大勢の観光客がいた。その多くは夕方からのケチャをみるのが目的らしい。それまではゆっくりと寺院内を見物する。

 この寺院にはサルが多い。ガイドさんと息子と三人で歩いているうち、二人がいないのに気付いた。迷子になったかと心配していたら、しばらくして二人がやってきた。聞いたところでは、息子は背後からやってきた猿に眼鏡を奪われ、慌てていたところ、ちょうど近くに餌をやる係の人がいて、餌を使って眼鏡を取り戻したという。私も眼鏡をかけているので、あわててバッグにしまった。

 周囲の断崖はまさに絶景。海が美しい!

 

 ケチャは18時からだったが、17時ころには席とりのために会場に入った。海を背景にして、ギリシャの野外の円形劇場のような造りになっている。席と言っても石段に座るだけで、座席があるわけではない。私たちは真正面の5段目ほどのところに座った。客がどんどんと入ってくる。最終的には通路まで埋まって満席になったので、おそらく2000人くらいの客が来たのではないか。

 東ティモールでは日本人はほとんど見かけなかったが、バリには日本人が多い。西洋人もたくさんいる。ロシア語らしいスラブ系の響きもあちこちで聴かれる。そういえば、バリ島の観光客にはロシア人が多いとのことだった。インドネシアはウクライナに関する制裁に参加していないのだろう。

 炎天下ではなかったが、それでも30℃を超す気温の中、背もたれもない石段の上で1時間近く開始を待つのはかなりつらかった。

 一人の男性が現地語と英語で開始を告げて、50人ほどの上半身裸の男たちが登場。ケチャの合唱が始まった。これはすごい! まさにチャチャチャの掛け声のオーケストラ! 最初に聴いた時に衝撃を受けたが、生で聴くと、これは大迫力。きっと楽譜があるわけではないと思う。音楽の才能のない私には、どういう仕組みになっているのか、合唱団がどのようなパートを受け持って、どう変化させているのかさっぱりわからないが、ともかく声の渦に圧倒される。

「チャチャチャ」の男声合唱に乗って、「ラーマーヤナ」の物語が展開される。衣装を着け、仮面をかぶった人物が登場して、基本的にパントマイムで物語が展開する。合唱団の声によってストーリーの展開がなされているのかどうか、私にはわからなかった。前もって、日本語訳のあらすじの書かれた紙が配布されたが、おそらくOCRを使ったのだろうが、そのあまりの誤字の多さのために読むのが苦痛だった。まあ、私としてはストーリーはあまり気にせずに音楽に耳を傾けた。

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 開始時は明るかったが、徐々に暗くなった。たき火の光のなかでのケチャはまさに壮観! 私は目を奪われ、耳を奪われ、時間を忘れて堪能した。芸術方面にかなり疎い息子もかなり熱心に舞台を見ていたので、きっとケチャは多くの人を引き付ける力を持っていると思う。ほとんどすべての人が圧倒されたのではないか。1時間ほどで終了。

 車でレストランに移動して、外国人のたくさん集まる、ビアホールのような造りのレストランで夕食。ここもおいしかった。その後、早めに空港に着いて休憩。

 予定通りの便で成田に無事に帰国した。

 

  •  東ティモールについてのまとめ

 たかだか正味2日間、日本人のガイドさんと首都のディリとその近郊を見て回っただけなので、正確なことはわからない。が、東ティモールの印象をまとめると、以下のようになる。

・首都ディリはアジア的喧騒からかけ離れたのどかな町だった。静かで整然としている。治安も悪くないという。泥棒、追剥、かっぱらいなどの心配はないらしい。

・少なくとも、観光客が見る限り、きわめて平和で民主的に見える。貧しそうな地域はあるが、食べるのに困っている様子はない。

・映画館は1軒だけ。テレビも娯楽らしいものはないようだ。ホテルでテレビをつけたが、娯楽らしい番組をやっているのはインドネシアの局らしい。ほかには、BBCの放送と面白みのないニュースのような番組(これがきっと国営放送だろう)しか映らなかった。国民は、友達とおしゃべりしたり、ネットでYouTubeをみたりして楽しんでいるらしい。

・のんびりしている。すべてに時間がかかる。食事もなかなか出てこない。あちこちで待たされる。

・旧宗主国ポルトガルがいまだに大きな力を持っているらしい。留学先などもポルトガル、おしゃれな店の高級品はポルトガル製らしい。この国ではポルトガルが第一級の国として認められている。この国の人は、世界的にはポルトガルはほとんど発言権を持っていないのを的確に把握していないのかもしれない。

・インドネシアにそれほどの敵意を持っていないように思える。寛大で平和的な国民ということなのだろう。

・資本主義的な考えが根付いていないというべきか。ともかく、ほかの東南アジアの国のような、がつがつしたところが見られない。

・それなのに、物価は日本と大差ない。日本よりも2、3割安い程度。もちろん、私たちが入ったのは高級店であって、きっともっと安いお店はたくさんあるのだろうが、それにしても高い。


 

 

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東京・春・音楽祭オープニング・ガラ メンデルスゾーンの八重奏曲に圧倒された!

 2026年3月13日、東京文化会館小ホールで東京・春・音楽祭オープニング・ガラ・コンサート 室内楽の夕べ第一夜を聴いた。3月7日から東ティモール旅行に出かけていたので、久しぶりのコンサートだった(旅行については、近日中にこのブログで少しくわしく書く予定)。

 チェロの原田禎夫さんが体調を崩されたとのことで、曲目が変更された。前半は、フェデリコ・アゴスティーニのヴァイオリンと加藤洋之のピアノでモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第17番K296、店村眞積のヴィオラ、加藤洋之のピアノでブリテンの「ラクリメ」、堀正文のヴァイオリン、辻󠄀本玲のチェロ、野平一郎のピアノでシューベルトのピアノ三重奏曲「ノットゥルノ」。後半に加藤洋之と津田裕也のピアノでシューマンの「6つの即興曲〈東洋の絵〉から、そして最後にメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲(郷古廉、周防亮介、水谷晃、横溝耕一、佐々木亮、篠崎友美、辻󠄀本玲、横坂源)。

 まさに日本の演奏家のトップクラスが終結したオールスターの競演! ただ、突然、曲目が変更になったせいかもしれない。前半の最初の2曲はきっと急遽合わせることになったのだろう。個々の楽器はよく鳴っているが、十分にリハーサルをしていないらしいのを感じた。息がぴたりと合わずに、音楽が自然に作られていかない。前半は、私は少々不満を抱いた。

 後半になって俄然よくなった。シューマンの曲は二人の息が合って、見事にロマンティックな世界を作り上げた。ただ、ピアノ曲をほとんど聴かない私としては、感心して聴いただけで、それ以上の感銘は受けなかった。

 最後のメンデルスゾーンは圧巻だった。メンデルスゾーン16歳の時の曲とされるが、あまりの完成度に改めて驚いた。同じころに作られたといわれる「夏の夜の夢」の序曲(昔は、この序曲は14歳のころの作曲と言われていたが、今では、それは間違いだったとされているようだ)とともに、メンデルスゾーンがモーツァルトをしのぐほどの天才だったことを示す曲と言えるだろう。まさに若々しくみずみずしい感性と情熱にあふれ、古典的に組み立てながらも実にロマンティック。

 八人の奏者はこの若きメンデルスゾーンの魂を目の前で再現してくれるように聴かせてくれた。まさに若々しい演奏! 力にあふれ、情熱的でみずみずしい。ヴァイオリンだけ取っても、郷古のきりりとした音、周防の香しい音、水谷の勢いのある音、横溝の落ち着いた音が重なり合い、うねり、迸っていく。第一楽章も若々しさの爆発が素晴らしかったが、私はやはり終楽章のフーガに圧倒された。まさに音の奔流! しかし、それがきりりと引き締まって、気品を保っている。八人の若き名手たちの本領発揮。

 前半は少し不満だったが、このメンデルスゾーンでその不満はすべて吹っ飛んだ。感動した。

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ノトス・カルテット ちょっと私には薄味すぎた

 2026年3月3日、王子ホールでノトス・カルテットの演奏を聴いた。

 ノトス・カルテットは創設から20年を超す常設のピアノ四重奏団。これまで、二、三度、聴いた記憶がある。今日、聴いているうち、そうだった、こんな演奏だった!と過去のコンサートを思い出した。

 曲目は、前半にモーツァルトのピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K493とブラームスのピアノ四重奏曲第3番、後半にシューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調Op.47。

 良くも悪くも、きわめてオーソドックスな演奏だと思う。モーツァルトは実に流麗にしてしなやか。ヴァイオリンのシンドリ・レデラーは切れの良い明確な音、アンドレア・ブルガーのヴィオラも美しい。新たに加入したベンジャミン・ライのチェロもふくよかでしっかりした音、アントニア・ケスターのピアノも自然で粒立ちが美しい。

 そして、ブラームスになると、とたんにブラームスらしくなり、深みのある男性的な音が響き、抑制した情熱が聴こえてくる。誇張せず、自然で的確。アンサンブルもいいし、格調高い。

 とてもよい演奏なのだが、私には、作曲家の、そして演奏者の思いが聞こえてこない。ただ弾いているだけではなく、様々な工夫をしていることはわかるのだが、私の心をゆさぶらない。作曲者や演奏者が訴えようとしている物語やら思想やらが私の頭の中で構築されない。もちろん、私が未熟なのかもしれないが。

 シューマンも同じように感じた。シューマンは私の好きな作曲家ではないので、よくわからないのだが、もう少しロマンティックな音のほうがふさわしいのではなかろうか。ちょっとそっけない音だと思った。あえてそうしているのだと思うが、それに代わる魅力的な何かが浮かび上がってくればともかく、それも私にはあるようには思えなかった。

 俗な言葉で印象をまとめれば、とてもいい演奏だけど、ちょっと味が薄すぎて物足りないなあ・・・ということになるだろう。

 アンコールはショスタコーヴィチの組曲「馬あぶ」の第7曲「プレリュード」のピアン四重奏曲版とのこと。まったく知らない曲なので、何とも言えないが、私はこれも、どう聴けばよいのかわからなかった。

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Ode to Joy(吉田志門&碇大知デュオ)の「マゲローネ」と「いちばんすきなひとに」に感動

 2026年3月1日、東京の広尾にある霞町音楽堂で、Ode to Joy(吉田志門&碇大知デュオ)のコンサートを聴いた。「聴いた」と言うより、実を言うと、私はこのコンサートのオーガナイザーにして共催者だった。かつてこの二人の演奏を聴いて感動し、吉田さんと知り合いになるうち、自分でコンサートをお手伝いして、この人たちの演奏するブラームスの歌曲を聴きたいと思うようになって話を進めるうち、今回のコンサートが実現することになった。

 ひとことで言って、自分の聴きたいコンサートを企画し、それを実現することができて、感無量! 素晴らしい演奏だった。

 曲⽬は前半に、ブラームスの「それは旋律の如く」「五月の夜」「永遠の愛について」「よろしいかいお嬢さん」「一本の菩提樹が」「わが愛初々しく」、そして、歌曲集「美しきマゲローネのロマンス」より7曲抜粋。

「永遠の愛について」もよかったが、やはり「美しきマゲローネのロマンス」が圧巻だった。吉田は、正確な音程、しなやかで繊細な歌いまわし、そして、情熱的で激しい声で若きブラームスの情熱を歌い上げる。発声もよく、声を完璧にコントロールしている。ピアノもしなやかに、そして激情的に背景を作り上げる。

 これまで吉田のシューベルトやシュトラウス、フォレなどの歌曲を聴いてきたが、ブラームスは初めて。トークの中で語っていたが、これまで低音中心のブラームスを歌う機会はなかったとのこと。しかし、この秘めた情熱、静かな爆発、安定した盛り上がりはまさにブラームスにぴったり。少なくとも、若い時代のブラームスの声が聞こえてくるかのようだ。

 この歌曲集は、ティークの小説に基づいており、長い朗読が入る。吉田自身の訳によるものを自分で朗読した。それも見事。朗読があるおかげで情景がわかり、歌の意味を捉えることができる。ただ、原作の問題点だと思うが、朗読がちょっと長すぎるのはいかんともしがたい。

 だが、ペーターとマゲローネのロマンスがまるでロマン派のオペラのように劇的に展開。本当に素晴らしかった。

 後半は、このほど発売になった吉田志門と碇大知の演奏するCDに含まれる木下牧子の歌曲が演奏された。「ほんとにきれい」「 足おと」「竹とんぼ」「ロマンチストの豚」「さびしいカシの木」「海と涙と私と」「犬が自分のしっぽをみてうたう歌」「いっしょに」、そして最後に歌曲集「いちばんすきなひとに」

 私はこれほど聴き取りやすい日本歌曲を聴いたことがない! 西洋音楽を学んだ歌手が歌うとどうしても発声が不自然になるが、吉田の日本語はまったく不自然なところがない。詩情にあふれ、言葉の美しさそのものが広がる。木下の歌曲に聞こえてくるやさしさ、繊細さ、深さが言葉から聞こえてくる。

 どの曲もいいが、私は「いちばんすきなひとに」に心惹かれる。谷川俊太郎の「わたしはいちばんすきなひとにつたえておくれ わたしはむかしあなたがすきになって いまもすきだと」という言葉と歌に涙したくなる。木下牧子さんが会場に来られて、登壇して短いトークが交わされた。

 碇のピアノも詩情豊か。私は日本人であるだけに、日本語から醸し出されることばのニュアンスがとてもよくわかる。ブラームスとはまったく雰囲気の異なる世界。フォーレに近い世界だと思う。吉田の世界の豊かさも痛感したし、同時に、木下牧子の歌曲の奥の深さもあらためて知ることができた。

 アンコールはブラームスの「子守歌」と木下牧子の「おんがく」。しみじみとしてとてもよかった。

 霞町音楽堂は客席80の贅沢な空間。響きがよく、センスの良い調度品に囲まれ、まるでサロンのような雰囲気。そこに満員の観客。おそらくほとんどすべての人がこの素晴らしい演奏に感動し、贅沢な時間を味わえたと思う。私は最後尾の席で客席全体の満足感を強く感じることができた。

 とても感動した。そして、コンサートに来てくださった何人もの知人に感動の言葉をいただいた。忘れられない日になった。

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