エレートのリサイタル もしかしたらあれも演技だったのでは!
2026年3月28日、東京文化会館 小ホールで東京春祭歌曲シリーズ アドリアン・エレート&クリストフ・トラクスラーの演奏を聴いた。何はともあれ、エレートの恐るべきプロ魂にぶったまげた!
エレートの歌は何度も聴いている。新国立劇場でも東京春音楽祭でも、そして、CDやオペラ映像でも。大スターではないが、確かな歌唱、味のある歌いまわし、軽妙な演技、どれをとっても超一流。歌曲は聴いたことはなかったが、きっと素晴らしいに違いないと思って、花見客でまるでラッシュ時の駅のホームのようにごった返す上野駅付近を歩いて文化会館に向かったのだった。
エレートらしく、スマートな体型でさっそうと現れ、きびきびした動きで歌い始めた。シューベルトの「さすらい人の月に寄せる歌」。エレートらしいしっかりした声でしみじみと孤独が歌われる。次に、エゴン・ヴェレスの曲に移った。ヴェレスという作曲家、初めて知った。オーストリアで活躍したユダヤ人作曲家らしい。「海の月夜」、そして「異教よりの歌」から。無調の歌曲で、シューベルトの孤独を歌う歌曲と交互に歌われるにふさわしい・・・。そして、再びシューベルト「ヴィルデマンの丘をこえて」。
その時だったと思う。突然、エレートの声がかすれた。おや?と思う間もなく、エレートがよろよろと前に出て倒れた。エレートはしばしばコミカルな演技をする人だ。もしかして演技?とも思ったが、顔が蒼白! 一度持ち直して歌おうとしたが、すぐにまた倒れた。
トラクスラーも驚いて駆け寄っておろおろするばかり。裏からもスタッフが駆け寄って、エラートを連れて裏に戻った。一時、休憩。当然、コンサートは中止になると思った。大事にならなければいいがとだけ願っていた。ところが、10分か15分くらいして、コンサートを続行するというアナウンス。「いやいや、大事を取って、ここは辞めておく方がいいよ。金返せなんていいやしないよ」と、おそらく観客のほとんどが思っただろう。
が、エレートは元気に戻って来て、続きを歌い始めた。おそるべし、プロ魂!
チェロの加藤陽子が加わって、シューベルトの「流れの上で」。動きは、いかにもエレートらしく、きびきびしている。が、顔色はよくない。溌剌と歌おうとしているが、声にも元気がないのがわかる。間違いなく体調がよくないと思う。声がかすれる。音程はしっかりしているが、声のコントロールが甘い。もちろん十分に見事な歌だが、エレートらしい完成度には至っていない。
再び、エゴン・ヴェレスの「時に(On Time)」。この第3曲はジョン・ミルトンの詩で、最後「この人の世の俗なるものはすべて消え失せ 星を身にまとい、我々は永遠に座ずだろう 死に打ち勝って 挑みゆくのだ、汝、おお時よ」と絶唱する。これまた粗っぽいながら、まさに魂のこもった絶唱!
後半は、ブラームスの「4つの厳粛な歌」。エレートの明るめの声による「厳粛な歌」だが、これもやはりエレートらしい覇気がない。とはいえ、さすがエレート。聴いているうち、「いやいや、この曲はこれでいいのではないか」という気にさせられた。この歌曲集は、年配の男性が、疲れのたまった肉体によって死を間近に感じ、しみじみと人生を振り返り、死を思い、神に近づこうとする歌だ。そのような心がひしひしと伝わってくる。立派な声で朗々と歌われるよりもずっと音楽に説得力がある。
ブラームスの後は、クルト・ヴァイル。「ロスト・イン・ザ・スターズ」より「ロスト・イン・ザ・スターズ」、「三文オペラ」より「快適な生活のバラード」、「セーヌ哀歌」、「三文オペラ」より「人間は何によって生きるか」、「ニッカーボッカー・ホリデイ」より「セプテンバー・ソング」。ふざけた雰囲気で、これまた孤独と死を歌う。ヴァイルなので、シューベルトやブラームスのように折り目正しく歌う必要はないだろう。ちょっとしたコントロールの甘さはむしろ曲の魅力につながる。
アンコールは3曲。ブラームスの「セレナード」(作品106-1)、ヴァルター・ユルマンの「You and the Waltz and !」、最後にヴァイルの「マホガニー市の興亡」の「アラバマ・ソング」。ここでも、「I tell you,we must die」とたかだかと歌う。まだ少し粗いが、見事な歌声!
今回のコンサートのテーマは、まさに「孤独と死」だった。シューベルトもヴェレスもブラームスもヴァイルも、そのようなテーマに沿った曲が選ばれていた。そうして考えると、エレートの今日の声の粗さはこのテーマにぴったりだった。
エレートが倒れるというハプニングも、本当に芝居だったのでは?と思いたくなるほどテーマに沿っていた。
が、ともあれ、エレートが今後、ずっと元気でいてくれることを願ってやまない。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- 濱田芳通&アントネッロの「マタイ受難曲」 ドラマティックな人間ドラマ・群衆ドラマ!(2026.10.04)
- オペラ映像「ラ・ボエーム」「ナブッコ」「ドン・パスクヮーレ」「ばらの騎士」(2026.09.24)
- サーナ・テクセレの「メサイア」 加耒徹は指揮者としても素晴らしかった!(2026.09.22)
- ハチャトゥリアン、ヴァルチュハ&読響 興奮した!(2026.09.15)
- ピノック&紀尾井室内管のドイツ・レクイエム よい演奏だが感動しなかった(2026.09.12)

コメント