METライブビューイング「トリスタンとイゾルデ」 確かにセンセーショナル!!
東劇でMETライブビューイング「トリスタンとイゾルデ」をみた。気に入るかどうかはともかく、これは確かにセンセーショナルだと思った。メトロポリタン歌劇場としては珍しくかなり思い切った演出だ。演出はユヴァル・シャロン。
ただし、特に「読み替え演出」というほどのものではない。最後の最後まで、それほどストーリーの変更はない。
演奏は見事と言って間違いない。ヤニック・ネゼ=セガンの指揮は何かの魔術ではないかと思われるほどに雄弁! 生き生きとして色彩的で躍動し、時にきわめて官能的! 歌手陣もイゾルデのリーゼ・ダヴィドセンを筆頭にみんなが圧倒的! トリスタンのマイケル・スパイアーズもダヴィドセンに負けない声の威力を持っている。そして、クルヴェナールのトマシュ・コニエチュニも文句なしの歌唱。マルケ王のライアン・スピード・グリーンもきっとこれからワーグナーのバスの主要な役を歌う大歌手になるだろうと思わせる。
ただ、第一幕への前奏曲から、確かに結末への予感があった。なんだか妙に明るい! 暗くて陰鬱な表現が薄い。ネゼ=セガンらしく溌剌として音楽の愉悦にあふれている。エロスとタナトスの間を行き交う幽玄で浮遊して不定形な雰囲気がない。素晴らしい演奏で、第一幕の愛の妙薬を飲むところも、第二幕の愛の二重唱も感動的なのだが、タナトスが現前しない。
そして、第3幕。イゾルデは妊婦の姿で登場! そして、「愛の死」の前になんとイゾルデは出産し、最後、マルケ王はイゾルデの産んだ子どもに接吻する! つまり、「トリスタンとイゾルデ」は、二人が死んでそれぞれの個体を失い、大自然の中に解消していくのではなく、新しい生命を生み出し、まさに愛が再生するドラマだというわけだ。
最後まで見て、なるほどそういうことだったのか、だからこんな音楽だったんだ! と納得できたのだった。そうだとすると、これは演出と音楽がぴたりと合った名演といえるだろう。
ただ、この楽劇の生と死の合一、個の解消、宇宙的な一体感といったものを何よりも好む私としては、やはりこれは「間違っている」と思う。
いや、そもそも、どういう仕掛けになっているのか私にはまったくわからなかったが、プロジェクトマッピングだか何だかの技術によって舞台上に円形の穴がたびたび作られ、その穴の中で人物たちが演技し、歌うために、「個別」的になっているのを強く感じた。ワーグナーの無限旋律的要素が弱まり、個体性、個別性が際立ってしまう。
私は、ワーグナーの試みを一言でいえば、「一つであることの希求」だと思っている。すなわち、個体化を否定し、二元論を解消し、すべてを統一し、一つになろうとするのがワーグナーの音楽であり、彼の生涯をかけての試みだと考えている(そうした私の考えは、春秋社刊「ヴァーグナー 西洋近代の黄昏」にまとめている)。今回の上演は、私の考えるワーグナーに反していた。
そんなわけで、今回の上演は、素晴らしい演奏であり、間違いなく観るべき価値のあるものであるにせよ、私の愛するワーグナーではないと強く思ったのだった。
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