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ディドナートのリサイタル 最高の声の表現者!

 2026年5月31日、サントリーホールでジョイス・ディドナートのメゾソプラノ・リサイタルを聴いた。初の来日リサイタルだという。ピアノ伴奏はクレイグ・テリー。

 ディドナートを最初に知ったのは、メトロポリタン歌劇場ライブビューイングでの進行役としてだったかもしれない。とても知的な話しぶりだと思っていたが、その後、「チェネレントラ」を観て、その歌声に圧倒された。いっぺんでファンになり、CDや映像に触れて、そのたびに感動した。そして、今回、初めて実演を聴いた。期待通りの、いやそれ以上のすばらしさだった!

 曲目は前半に、ジョルダーニ「カロ・ミオ・ベン」、パイジエッロ「もはや私の心には感じない」、トレッリ「あなたは知っている」、ハイドンのカンタータ『ナクソス島のアリアンナ』。

 まず、声の美しさに圧倒された。何と澄み切った声! しかも、強い声から柔らかくて優しい声まで表現の幅が広い。それを完璧にコントロールして歌う。同じメロディを繰り返すのでも、微妙なニュアンスをもって盛り上げていく。そして、ハイドンの長大なカンタータ(これ、実演だったか映像だったかで一度だけ聴いた記憶がある!)の劇的な高揚にも圧倒された。近年、あまり大きな役をオペラ劇場では歌っていないと聞いたが、どうしてどうしてまったく衰えないどころか、相変わらずの凄さ! とりわけ、強い声の威力に呆然とするほどだ。

 ピアノのクレイグ・テリーも、しなやかな音で、しゃれっ気がある。息がぴったり合っている。

 後半はオペラ・アリア。ロッシーニ『アルジェのイタリア女』より「ひどい運命よ!」、サン=サーンス『サムソンとデリラ』より「私の心はあなたの声に開く」、ハッセ『アントニオとクレオパトラ』より「恐ろしい顔をした死神は」、ビゼー『カルメン』より「ハバネラ」。

 ロッシーニは躍動感にあふれている。『サムソンとデリラ』は前半、あまり色気がないので、この人にはあまり合わない歌なのではないかと思った。考えてみると、私の知る限り、ディドナートはあまり妖艶な役を歌わないのではないか。少し違和感があった。が、これでよかった! 後半になると、まさに清純な声。このアリアは、デリラ(というかフランス語読みではダリラ)がサムソン(フランス語読みでは、サンソン)を色気で誘惑する歌なのだが、確かにダリラはサンソンに本当に心惹かれているという解釈も十分に成り立つ! 清純なダリラが目の前に現れた! 私は大いに感動した!

「カルメン」の「ハバネラ」も、カルメンの妖艶さよりも、その躍動感を表に出した歌だったと思う。それにしても、何と美しくて強い声! 知的に組み立てられている。

 アンコールは5曲くらいだった。ただ、残念ながら、いわゆるクラシックの歌は『フィガロの結婚』の「恋とはどんなものかしら」くらい(これも、わざとカマトトぶって、すまして歌って、最高!)で、あとはジャズっぽかったり、ジャズ風アレンジだったりした。クラシック以外の歌についてほとんど完璧に無知と言ってよい私は、聞き覚えはあるものの曲名を知らない曲ばかりだった。ディドナートが英語でコメントしたが、英語の聞き取りの苦手な私には恥ずかしながら何を言っているのかわからなかった。歌については、これらもほんとうにうまい! なじみのない曲だが、私も大いに楽しんだ。ピアノ伴奏もみごと。しゃれていて、気品があって、遊びがあって、とてもいい。

 最後は最初に歌われた「カロミオ・ベン」のジャズ風アレンジ版。アンコールの間、観客席は大喝采。最後にはスタンディング・オーベーションになった。

 ディドナートは、素晴らしい声の持ち主というだけでなく、声の表現者として最高の存在だと思った。

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カンブルラン&読響 私にとって理想の「悲愴」

  2026年5月30日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団土曜マチネーシリーズを聴いた。指揮はシルヴァン・カンブルラン、曲目は前半にベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」と、 シモン・ネーリングが独奏者に加わってサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番ト短調、後半にチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。隅々までコントロールできたとてもよい演奏だった。

「ローマの謝肉祭」は、オーケストラの機敏な動きが見事だと思った。ベルリオーズ特有のおどろおどろしさはないが、弦の音が美しく、しなやかでダイナミック。音がまさにまざまざと目に見えるような錯覚に陥る。そのリアリティだけで素晴らしいと思った。

 サン=サーンスの協奏曲もとてもおもしろかった。もともと私はかなりサン=サーンス好きなのだが、改めて作曲の手腕に驚いた。というか、メロディもきれいだし、オーケストレーションも見事だし、展開の仕方も申し分ないし、「いいなあ・・・!」とつくづく思う。サン=サーンスはもっともっと大作曲家として取り上げられてしかるべきだと思うのだが。

 ネーリングはポーランド出身の若いピアニスト。ダイナミックで私は大いに好感を持った。ただ、少し気まじめすぎて、ちょっと一本調子のような気がした。作曲者はもっと多様な表現を求めているように思う。サン=サーンスはもっと一筋縄ではいかな複雑さを持った作曲者だ。3つの楽章の表情の違いも十分に感じられなかった。

 ソリストのアンコールはショパンのホ短調作品17-2だとのこと。しみじみとした表情を聴かせてくれたが、やはり私はこれも少し単調だと思った。

 後半の「悲愴」は素晴らしかった。私は、タクトが下りた後、興奮の大喝采になると思ったのだが、それほどではなかったので、もしかしたら、私だけの好みなのかもしれないが、私にはこれは理想的な「悲愴」だ。ロシア的ではないと思う。チャイコフスキー特有ののめりこむような情緒にも少し欠けているのかもしれない。もっと客観的で知的。だが、すべての楽器が絶妙のバランスで、過度になることなくむせび泣き、悲しみを歌い上げる。私はこんな「悲愴」が好きだ。

 第1楽章は弦楽器のしなやかさ、クラリネットなどの管楽器の憂い、チューバなどの金管楽器の咆哮が見事に絡み合ってドラマを最高潮に導く。第2楽章は、この不思議なリズムを強調し、新たな世界にいざなう。第3楽章はまさに「運命」のモティーフが繰り返されて激しく高揚し、爆発する。そして、終楽章では、第3楽章の爆発の後の静かな鎮魂の時。それが物語を作って完結している。一つ一つの音が生き生きとして重なり合い、うごめきあっていく。うーん、すごいと思った。カンブルランも素晴らしいし、読響も素晴らしい! 満足だった。

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新国立劇場「ウェルテル」 最終幕後半はぞくぞくする感動を味わった

 2026年5月28日、新国立劇場でマスネ作曲「ウェルテル」を観た。

 演出はニコラ・ジョエル。このプロダクションをみるのは、これが二度目か三度目だと思う。かなりオーソドックな演出と言ってよいだろう。私はこのオペラに詳しいわけではないので、正確にはわからないが、きっと基本的に台本通りだと思う。存在感があり、リアルでわかりやすい演出なので、とてもありがたいし、感情移入しやすい。

 今回の公演の外国人歌手は、タイトルロールのチャールズ・カストロノーヴォひとり。さすがの歌唱だと思う。絶好調とは言えないのかもしれない(第一幕の前半、ちょっと不安定だった!)が、声の美しさ、声の伸び、この役らしい知的で格調高い歌唱と言い、申し分ない。第三幕に自殺を決意しての有名なアリアはまさに絶唱。シャルロットの脇園彩も世界で大活躍するだけあって、伸びのある美しい声で会場を圧倒した。

 ただ、私はフランス語のオペラを観るといつも思うのだが、どうも二人ともフランス・オペラの雰囲気が伝わってこない。私のわかる限り、かなり正確なフランス語の発音だと思うのだが、ちょっとした母音の響きがイタリア語っぽいのかもしれない。おそらくフランス語らしく歌うと、イタリア語で歌うほどの声の迫力を出しにくいのだろう。

 その点、ソフィーの砂田愛梨は、声もこの役にふさわしく清純で軽やか、そしてフランス的響きを十分に聴かせてくれてすばらしかった。本当にいい歌手だと思った。アルベールの須藤慎吾、大法官の伊藤貴之、シュミットの村上公太、ジョアンの駒田敏章、ブリュールマンの水野優も健闘。世田谷ジュニア合唱団もきれいな声でしっかりと重要な子どもたちの役を歌っていた。

 指揮はアンドリー・ユルケヴィチ。ウクライナの指揮者だとのこと。かなり濃厚な味を出す指揮者だと思った。ワーグナー的に重厚であったり、まるでプッチーニのように甘ったるかったり、時にシュトラウスのように官能的であったり。おかげで最終幕後半では、私はぞくぞくするような感動を覚えたが、同時に、ときどき安っぽいメロドラマを見せられた時のしらじらしさも感じた。もう少し味付けは薄くして、それよりはフランス的な情感がある方が、このオペラにふさわしいと、勝手ながら私は思った。

 とはいえ、昨日の「愛の妙薬」、今日の「ウェルテル」と2日連続して新国立劇場で世界的なレベルのオペラを見ることができて、とても満足。このところの新国立劇場の充実ぶりはとてもうれしい。

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新国立劇場「愛の妙薬」 ヴィターレとロマーノにほれぼれした

 2026年5月27日、新国立劇場でドニゼッティ作曲「愛の妙薬」を観た。

 とても楽しかった。素晴らしい上演だった。

 歌手陣がまず充実している。アディーナのフランチェスカ・ピア・ヴィターレは高音が美しい。張りのある声で自在に歌う。低音がちょっと苦しいところがあったが、このくらいの瑕疵はまったく気にならない。容姿も文句なし。演出意図なのか、マリリン・モンローを意識しているように見える。ドゥルカマーラのマルコ・フィリッポ・ロマーノはまさにこの役にふさわしい軽妙で躍動感ある歌。第二幕のこの二人の二重唱は聴きごたえがあった。ほれぼれした。

 ネモリーノのマッテオ・デソーレも丁寧に歌って、もちろん悪くない。「人知れぬ涙」ではもう少し声の威力がほしいと思ったが、愚直で誠実な男をしっかり歌っていた。ベルコーレのシモーネ・アルベルギーニは不調なのか、声が伸びていなかった。ジャンネッタの今野沙知恵は細めの声だが、この役にはこれがぴったり。とてもよかった。新国立劇場合唱団もいつものことながら調和のとれた勢いのある声が見事。

 指揮のマルコ・ギダリーニも緩急自在というか、熟練の演奏で、ドニゼッティの音楽の楽しさを存分に聴かせてくれた。巨匠の演奏というタイプではないが、ドニゼッティの音楽としては、このように軽やかで躍動感があるのがいい。東京フィルハーモニー交響楽団もとてもきれいな音を出していた。私は第一幕の途中からぐんぐんと引き込まれていった。今日が最終日であえるせいか、すっかりこなれた音になっている。

 演出はチェーザレ・リエヴィ。このオペラの肝になる、愛の妙薬の登場する「トリスターノとイゾッタ」の書物をモティーフにして、あちこちに書物や、そのタイトル、表紙が現れる。遊び心あふれた演出だった。「人知れぬ涙」をネモリーノが歌う時、上から10枚程度(?)のA4くらいの大きさの紙が舞い落ちてきたが、あれは本のページを象徴したものだったのだろうか。まさに本の世界を舞台化したようなおとぎ話の世界だった。明るい色彩もとても楽しかった。

 そういえば、「トリスターノとイゾッタ」のタイトルがセリフで語られるとき、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の和音がハープシコードで聞こえたが。これはよくやる遊びなのだろうか。私は初めて聴いたような気がする。

 私はドイツ系のオペラが好きで、10数年前までイタリアオペラはほとんど観なかった。ドニゼッティにも特に関心はなかった。が、だんだんとドニゼッティ好きになってきた。肩の凝らないエンタメ・オペラとして、最高におもしろいと思う。今日も世界最高レベルとは言わないまでも、世界的レベルのドニゼッティのオペラを堪能できた。

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北欧4か国旅行(写真入りヴァージョン)

北欧4か国旅行

 2026年5月17日から24日まで、大手旅行会社のツアーで北欧4か国旅行に出かけていた。

 北欧には、海外旅行をするようになってから、ずっと訪れたいと思っていた。1970年代の私の海外旅行は、行き当たりばったりに行き先を決めて、1か月、2か月、一人でぶらぶらする形のものだったが、フランスで出会った同じような旅をする男性と情報交換をするうち、その人が北欧の物価の高さのために早々の体で逃れてきたと聞いて、私もしばらくは行けそうもないと諦めたのだった。

 それから50年以上たち、後期高齢者になったので、今さらケチっても始まらないと思って、腹を決めてツアーに申し込んだ。今さら広くて人口密度の低い北欧の個人旅行はつらい。北欧に行くなら、少なくとも初回はツアーにしようと思っていた。しかし、99歳の母の健康状態がいくぶん落ち着いたとはいえ、まだそれほど長期間、日本を留守にするのは不安だ。8日間の旅を見つけて、申し込んだ。

 が、結論から言うと、8日間で北欧4か国を回るのは無理があると痛感した。日本との行き帰りに時間を要するので、実質6日間、時差を加えると、実際には5日間。しかも広い北欧! まさに駆け足でほんの表面をかすっただけだった。が、それでも行った価値はあったと思う。

 

5月17日

 早朝に自宅を出て羽田空港へ。11:05発のSAS便でコペンハーゲンに17:25着、グリーンランドなど北極圏を通過するルート。揺れもなく、それなりに快適だったが、何しろ長い!

 コペンハーゲン・カストロップ国際空港は、ガラス張りの近代的な空港ビル! 着後、バスが迎えに来て、空港と市街地の中間にあるというホテルに入ったが、その日はそれだけ。気温は10℃程度だった。綺麗に晴れた気持ちの良い夕方だった。21時過ぎまで明るい。

 

5月18日

 この日は、午前中にコペンハーゲン市内を観光し、飛行機でベルゲンに移動して、フィヨルド地区をバスで通過することになっている。

 朝の8時に出発して、バスで1時間半のコペンハーゲン市内観光。

 車窓から見える光景は、実に清潔で整然としている。建物も美しく、ビルはきちんと清掃され、個人の家も彩が美しく、デザインもしゃれている。

 自転車に乗る人が多い。自転車専用レーンも整備されている。前輪部分に大きなボックスをつけている自転車が目立つ。小さな子どもや荷物を運ぶのだろう。天気が良く、澄んだ空。車も整然と走る。日本車も見かけるが、それほど多くない。10台に1、2台といったところ。緑が多く、花をつけた木も多く、花壇もあちこちにあり、花が咲き乱れている。

 ローゼンボー城、人魚姫の像、ゲフィオンの泉、アマリエンボー宮殿などを見て回る。アマリエンボー宮殿はこじんまりした王宮で、毛皮の帽子をかぶった衛兵が建っている。その後、小さな船の停泊する運河沿いの色とりどりの建物の並ぶニューハウンを見た。アンデルセンが住んでいた赤い建物の家もあった。明らかに日本と異なる色づかいだと思う。



 コペンハーゲン観光はそれだけで、バスはそのまま再び空港へ。そして、ノルウェーのベルゲンに向かう。

 ベルゲンはノルウェー西部にある第二の都市で、人口は30万人ほど。13世紀のころにはノルウェーの首都だったという。フィヨルド観光の入り口ともいえる。

 私は、小学生のころ、すでにクラシック好きだったが、小学校の音楽鑑賞の時間にグリーグの「ペール・ギュント」を聴いて以来、特に好きな作曲家というわけではないものの、グリーグには関心を持ってきた。高校生のころだったか、地理の時間にベルゲンという都市名を聴いて、「あ、グリーグの生まれたところだ」と思った記憶がある。それ以来、私はこの都市をグリーグの故郷として認識してきた。

 ベルゲン到着前、飛行機の窓から小さな島が連なり、無数の入り江が複雑に入り組んでいる。ベルゲン空港到着。周囲を野原や小高い山に囲まれた静かな空港だった。様々な花が咲いて、季節は春を謳歌している。

 

 そのまま、バスでベルゲン市内散策。雨が降り出した。10℃に満たない気温で少々寒かった。こじんまりした地方都市で、コペンハーゲンほど新しいモダンな建物は少ないが、ここも整備されて清潔。ここも緑が多い。

 ブリッゲン地区が見えた。中世にハンザ同盟の商人たちが使用していた木造の建物が残っている。ユネスコの世界遺産に認定されている。干し鱈で現地の商人が栄えているのにハンザ同盟の商人が目をつけて進出してきたとのこと。バスを降りて、雨の中を歩いた。後ろにフロイエン山があり、ロープウェイで山頂に登れる。



 その後、バスで美術館やグリーグホールなどを巡ってから、ハダンゲルフィヨルド地区に向かった。

 そもそもフィヨルドとは、「内陸に入り組んだ湾」という意味だそうで、100万年ほど前に覆われていた氷河によって徐々に浸食されて海水が侵入した入り江を意味する。ハダンゲルフィヨルドは世界で三番目の規模のフィヨルド。その周辺をバスで移動。周辺には雪の残る山がそびえており、バスの右に左にフィヨルドによる海や湖が見える。

 ノールハイムスンの滝で下車。気温は6℃前後。

 ウルヴィクのホテルに到着。ホテルから見えるフィヨルドは絶景!

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  ホテルで夕食。

 ビジネスクラス・エコノミークラス合わせて30名のメンバーによるツアーだったが、一人参加は私だけで、ほかの人はご夫婦、家族、友人での参加だった。以前、同じようなツアーで、一人参加が私ともう一人の二人きりだったことがある。その時、もう一人の一人参加の客が私とはウマの合わない人物であって、食事のたびに不快な気持ちだったので、一人参加が私だけであることにむしろほっとしたのだったが、食事の際、どこに座って食べるのかには困った。幸い、私より少し年下に見えるご夫婦が親しくしてくれたので、助かった。しかし、席の指定されているテーブルの場合、お友達3人で参加した女性のグループに加わることになり、せっかくの三人の水入らずの席を邪魔する形になって申し訳なかった。

 ところで、食事そのものはツアー料金に含まれているが、飲み物は各自支払うことになる。何気なくビールを注文。500ミリリットルの缶ビールがグラスに注がれて提供されたが、その値段にびっくり! なんと152ノルウェー・クローネ。ネットで調べたら、1クローネが17円と少し。日本円に換算すると2500円ほどになる! ビールの小グラス1杯2500円!!

 その後、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドを回ることになるわけだが、ずっとこのくらいの物価だった。すなわち、日本の5倍前後。初めのうちは、毎回日本円に改めて計算していたが、しばらくして考えるのはいやになった。いったん日本円に換算すると、あまりの高さに呆れてしまって何も買えなくなってしまう。しかも、こちらはほぼキャッシュレス社会であって、すべてクレジットカードで決算するので、それをいいことに、日本円は考えないことにした。が、後になって、500ミリリットルの水が500円近くしたり、チーズバーガーが4000円以上だったりという途方もない値段なのに改めて驚くことになった! 日本よりも給料が高いとはいえ、現地の人がどうやって暮らしていけるのか不思議に思った。

 

5月19日

 朝、バスでヴォスに行き、そこからベルゲン鉄道とフロム山岳鉄道に乗って、世界最大のフィヨルドであるハダンゲルフィヨルドを回るのがこの日の日程。今回のツアーの最も重要な一日だ。いわゆる「てっちゃん」ほどではないが、子どものころから列車好きで、ヨーロッパやアジアのあちこちを鉄道で回った経験のある私としてはとてもうれしい!

 小高い山のふもとにあるヴォス駅は煉瓦でできた現代的な建物。しばらく待って、ベルゲン鉄道の電車に乗った。意外とヨーロッパでよく見るタイプのふつうの列車だった。






 山のほとんどには雪が積もっている。小さな滝がいくつも見える。このような険しい山では、すべての水の流れが滝になっているわけだ。ところどころで大きな滝も見える。

 ミュルダール駅で下車し、フロム山岳鉄道に乗り換え。こちらもふつうの列車だ。

 途中、ショースの滝で5分停止。その間、突然、大きな音楽がかかって、山中に白い長髪を垂らした赤い服の妖精があらわれて舞いを始めた。余興ということだろう。

 フロムで下車。自由時間を過ごした後、遊覧船に乗り込み、全長204キロのソグネフィヨルドのうち、グドヴァンゲンまでソグネフィヨルドまでの2時間ほどかけてクルーズ。これは壮観だった。数年前に参加した桂林のクルーズを思い出した。桂林も圧倒されたが、フィヨルドも圧倒される。次々と切り立った山が現れ、その中を船で進む。途中、落差600メートルのサーグ滝、幅の狭いナーロイフィヨルドなどを通過。




 

 グドヴァンゲンで下船し、バスに乗り換えて、また山々を通って、ソグネフィヨルド地区のラルダールに到着。童話に出てくる妖精の町のような、こじんまりした美しい街だった。

 

5月20日

 この日は、朝、バスでラルダールのホテルを出発して、昼過ぎにオスロに到着し、市内観光をした後にそのままスウェーデンのストックホルムに向かうというハードな一日。

 バスで5時間かけてオスロに向かう途中、ボルグンドという場所でスターヴ教会に立ち寄った。

 

スターヴ教会とは支柱と梁でできた中世の教会のこと。支柱のことをノルウェー語でスターヴというらしい。スターヴ教会はノルウェーを中心にかなりの数が残されているというが、ボルグンドのものは13世紀に建てられ、保存状態がよいので有名らしい。独特の趣がある。当時の信仰心が伝わってくる。

 その後、雪の残る草原を車で走り続けた。スキー場として有名なヘムセダル付近を通過。バスを降りて、雪山の絶景をみた。

 

  徐々に平地になって、雪が見えなくなり、緑の多い草原になっていく。

 

午後になって、オスロ到着。

 広大な敷地に彫刻が立ち並び、チューリップが花開くフログネル公園、高台にある簡素な王宮を見た後、オペラハウスへ。

 オスロのオペラハウスについては、オペラ好きの私もあまり聞き覚えがなかった。それもそのはず。2008年に建設された、デザイン性で目を引く建物だった。音楽面ではなく、観光面で目を引く存在らしい。ガイドブックを見てちょっとがっかり。

 が、オペラハウスの前の通りをバスで通り過ぎる際、大きな女性の石像が見えた。ブリュンヒルデのような扮装をしている。あれ? もしかして・・・! 

 オペラハウスで自由時間が20分ほどあった。中に入ってみたが、ポスターもなく、チケット販売所もなく、音楽的な情報はまったくなかった。ムンク美術館が近くにあるが、みている時間はない。バスで通り過ぎた女性像が気になったので、一人でその場に戻った。

 やはり、それはキルステン・フラグスタートの像だった! おそらくブリュンヒルデの扮装をしたフラグスタート! 

  フラグスタートは、私の音楽歴の中で特別の存在であるフルトヴェングラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団の「トリスタンとイゾルデ」全曲盤でイゾルデを歌っている。この絶唱に圧倒され、その後、私はフラグスタートのレコードやCDをかなり集め、ひどい音質のものも含めて、一時期、ずいぶんと聴きまくったものだ。30歳までの私にとって、シュヴァルツコップとフラグスタートが歌の神様だった。フラグスタートがオスロの歌劇場で歌っていたことは知っていたが、ここに石像があるとは知らなかった! フラグスタートに再会できて感激! ツアーのメンバーを探して、フラスタートの横に並ぶ私の写真を撮ってもらった! 

 オスロの街はコペンハーゲンと同じように、清潔できちんと整備されている。センスの良い色使いの建物が並び、歩道、自転車専用道路も整然として気持ちがいい。この都市も緑が多い。自転車のほか、電動キックボードというのか、その種のものに乗っている人がかなりいる。レンタルらしく、道路のあちこちに並べられている。

 ノルウェーは水力発電に恵まれていて、電気料金が安いとのこと。そのせいで電気自動車が多いらしい。半分程度が電気自動車とのこと。テスラも多く見かける。

 夕方、そのままオスロ空港へ向かい、飛行機でストックホルムへ。ホテルに直行した。

 オスロを十分にみられなかったのが残念。

 

  • 5月21日

 この日もハード。ストックホルムを観光した後、クルーズ船でヘルシンキに渡る。

 朝からバスでストックホルム市内観光。海辺にあるノーベル賞授賞式の行われる堂々たる市庁舎などを見た後、ヴァーサ号博物館を見物。

 ヴァーサ号というのは、1628年に処女航海に出たとたん、原因不明のまますぐに沈没し、近年になって引き上げられて展示されているもの。当時の船の状況がよくわかる。現地の小学生らおおぜいが行列を作って見学に来ていた。小学生はさまざまな人種が混じっているのがよくわかる。

 その後、中世からの旧市街地ガムラ・スタンで昼食、その後、自由行動。私は、ノーベル博物館、大聖堂、ドイツ教会を一人で見てまわった。ガムラ・スタン地区から少し離れたオペラハウスまで足を延ばしたが、工事中だった。

 ストックホルムもコペンハーゲンやオスロと雰囲気が似ている。私には区別がつかない。スウェーデンではヴォルヴォがたくさん走っているのかと思っていたが、ほかの国と変わりがない。日本車の率と同じくらいではないかと思う。せいぜい、10~20パーセントではないか。ドイツ車、日本車、韓国車が多く走っている。いたるところに緑があり、公園が見え、草木が見える。気持ちの良い都市だ。

 

 その後、バスで港へ行き、16時30分発の⼤型客船シリヤ・シンフォニー号でヘルシンキに向かった。3000人収容の大型船によるバルト海クルーズ。

 私は、神戸・別府間を関西汽船を利用して帰省したことが何度かあり、またギリシャからイタリアにも船で渡ったが、このような豪華客船の個室で移動したのは初めて。このようなクルーズのCMをテレビなどで見たことがあったが、自分が乗船しようと思ったことがなかった。ツアーのありがたみというべきか。






 出港後、しばらく外を見ていたが、数時間、ずっと小さな島々が周囲に見え、そのうち、四方が大海原になった。

 12階建てで、私の個室は10階にあった。8階から11階までが客室だったようだ。6階、7階にレストランや免税店などが並んでいた。私は観なかったが、ショーなどのイベントも行われていたらしい。スパやナイトクラブ、サウナなどの設備があったようだが、もちろん私は使用しない。ただ船内で少し買い物をしたが、そのあまりの値段にあきれた。北欧はどこでも高いが船内は格別。日本円に換算すると、頭が痛くなる。が、せっかくなので、お土産物などいくつか購入。

 時間を決められて夕食会場に行き、様々の国籍の団体やら個人やらと混じって、食事。私たちのグループの場所は割り当てられていたが、ほかのグループの人も入り乱れていた。数時間に分けられてだろうが、数千人の客が食事に訪れるのだから、大混乱! 一度に数百人が会場にやって来ていた。バイキング形式だったが、どのコーナーも長蛇の列。スモーク・サーモンなどの海鮮物もとてもおいしかった。狭いながらも、個室でぐっすり眠った。

 個室で快眠。細かい揺れはあるが、ほとんど気にならない。

 

  • 5月22日

 実質的な最終日。ヘルシンキを見た後、コペンハーゲンに戻って夕方、翌日の帰国に備えて空港近くのホテルに入る予定になっている。

 10時30分に船はヘルシンキに到着。すぐにバスでヘルシンキ市内観光。

 これまで3国の首都コペンハーゲン、オスロ、ストックホルムを見てきた。3つの都市はよく似ていた。いずれも現代的でセンスがよく、清潔でおしゃれ。3つの首都について、私はほとんど差異がわからなかった。

 ところが、ヘルシンキは雰囲気が異なる。あまりおしゃれではない。ロシア的というか、まるでソ連時代のロシアのような雰囲気がある。機能美やデザインではなく、がっしりとして無機的な建物が目立ち、色彩も淀んだ感じがある。

 まずはシベリウス公園へ。シベリウスを記念した公園だが、特に由来はないらしい。中心部にシベリウスの顔の像があったので、同時に訪問して大勢で記念写真を撮りあっている中国人のグループに混じって添乗員さんに写真を撮ってもらった。

  そのあと、岩をくりぬいて作られたテンペリアウキオ教会を見学。1968年に建設というから、古い教会ではないが、デザイン性に優れているということで有名らしい。コンテストが近づいているということで、オルガン演奏の練習をしている人がいた。音響は素晴らしい。客席でくしゃみをしたら、ビンビンと響いた。

 その後、港付近のマーケット広場を見て、すぐに空港に向かい、そのままコペンハーゲンへ。到着後、空港直結のホテルへ。

 

 ホテル到着後、添乗員さんにくっついて電車で市街地へ。デパート(マガジン・デュ・ノルド)付近を歩いて、ニューハウンの運河沿いに立ち並ぶレストランの一つの屋外の席で添乗員さんを含む6人で軽食。私はフィッシュアンドチップスとビール。これで6500円を超えた! 周囲に盛り上がって酒を飲み、大量に祝辞をしている現地の若者がたくさんいたが、いったいこの人たちは一晩にどのくらいのお金を使っているんだろう!と気になった。日本で友人との会食の時のような食事をしたら、一人一食、確実に3万円は超すだろうと思った。

 

  • 5月23日

 ホテルから空港に徒歩で移動し、12時45分発の便で羽田へ。

 搭乗手続きを済ませ、後は搭乗口に行くだけと甘く考えてゆっくりしていたのだったが、搭乗口がABCDと分かれているところ、Cの方向に行こうとしてく途中で出国審査の長蛇の列があったので焦った。

 出発の30分前に搭乗口の前に行けばよいと考えて、45分くらい前に着こうとしたのだったが、なんと数百人、ことによると千人近くが並んでいる。近くに同じように並んでいるツアーメンバーが数人いたので、みんなで係官に声をかけ、時間が迫っているのでスタッフ専用の窓口に案内してもらって審査を受けた。

 そのおかげで出発時刻よりも少し前に搭乗口に着けたが、そうしたことが原因なのだろうか、出発時間は1時間以上遅れて出発。南に進み、ポーランド、ハンガリー上空を通過し、黒海、トルコを抜けるルートだった。翌朝、羽田に到着したが、2時間ほどの遅れだった。

 

 

まとめ

・ツアーについて

 8日間で4か国を回るというツアーだった。13時間程度の日本から北欧までの飛行時間と時差もあって、実質5日間。ノルウェーについてはベルゲンやフィヨルドを見ることができたが、それ以外の国については駆け足の観光。コペンハーゲン、オスロ、ストックホルム、ヘルシンキのいずれも、市内観光はそれぞれ2時間前後だけで、ほとんどの建物も中に入らずに外から見ただけだった。結局、「行った」というだけで十分に観光したとはいえず、いわんやその国、その都市を理解したというのは程遠い。せめて一つの都市に一日か二日は滞在して、もう少し観光したいと思った。

その点では不満が残るが、この時間で四か国を回るのだから、やむを得ないだろう。全体を見渡して、次にもっと詳しく観たいところを重点的に訪れるヒントにするにはよいだろう。

 このツアーで最も充実していたのは、フィヨルド観光だった。ベルゲン鉄道とフロム鉄道、そしてソグネフィヨルド・クルーズは一生の記憶に残るだろう。北欧旅行のすべてのツアーが同じようなものであるかどうかはわからないが、私が参加したツアーについては、メインはフィヨルドで、ほかの地域は付録という扱いだった。

 

・北欧4か国

 表面だけしか見えることができなかったので、実は、4か国の相違も十分に理解できなかった。ただ、私たちの回ったところだけの印象で言えば、ヘルシンキだけが少しロシアっぽさがあって異質な感じがしたが、ほかの都市はよく似た雰囲気を感じた。きっともっとよく知れば、その違いが見えてくるのだろうが、数時間、外から眺めただけでは、それ以上理解するのは無理だった。

 4か国すべてについて最も強く感じたのは、あまりに卑俗なことで残念だが、物価の高さだった。実感として日本の5倍くらいだと思った。昨年だったか、ロンドンに行き、日本の2倍から3倍の物価だと思ったのだったが、北欧はそのまた2倍くらいだった! やはり北欧旅行の壁は厚いと思った。同時に、なぜ日本は北欧のような豊かな福祉国家にできないのだろうかと、長年の疑問を再び抱いた。

 とはいえ、ストックホルムとヘルシンキはもう一度訪れたいと思った。シベリウスの生まれた土地にも行ってみたい。

 

・個人参加のこと

 よく気の付く感じの良い添乗員さんに恵まれたし、ツアーに参加しておられたのは、とても良い方たちばかりだったので、私はひとりだけ個人参加だったが、それほど不都合なくすごすことができた。が、私が横に座ったために迷惑に思ったメンバーがいたのではないかと気になった。

 これまで私の参加したツアーには個人参加の方が多かったのだが、今回はそうではなかった。一人参加の方が多いツアーのほうがありがたいが、前もって知るのは難しいと思う。致し方ないだろう。

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ヴィオッティ&東響  近景の「ダフニスとクロエ」だった!

 2026年5月17日から本日(24日)まで、北欧旅行に出かけていた(これについては近日中に印象をまとめるつもりだ)。さすがに帰国当日のコンサートはつらいと思っていたが、どうしてもロレンツォ・ヴィオッティの東京交響楽団音楽監督就任披露コンサートを聴きたくてチケットを購入。いったん帰宅してからミューザ川崎に向かうつもりだったが、今朝、7時55分に羽田に到着予定だったところ、2時間ほど遅れた。そのため、家に戻る時間がなくなり、駅のコインロッカーに荷物を預けて会場に向かった。

 が、やはり時差ぼけのせいで眠くてたまらない。目をつむるとそのまま眠りの世界に真っ逆さまに落ちていきそう。

 そんなわけで、前半の、マリーナ・レベカの歌うリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」はところどころしか覚えていない。大好きな曲で、これこそが目当てだったのに!! ただもちろん、ロレンツォ・ヴィオッティの勢いのある音、レベカのドラマティックで強い歌声は心に残った。80歳を超えたシュトラウスの諦観の歌というよりは、生命力にあふれた音楽だった。

 後半のバレエ音楽「 ダフニスとクロエ」では、完全に目が覚めていた。これまたドラマティックな音! 東響の音は色彩感にあふれ、大きく躍動する。東響の楽器もとても美しい。とてもよい演奏と言ってよいだろう。だが、実は私は少々違和感をおぼえざるを得なかった。

 私の勝手な思い込みかもしれないが、私はこの曲を遠景の音楽だと思っている。かなり遠くからダフニスとクロエの恋を見守り、遠くで牧歌的な周りの風景をみている、そんなイメージを抱きながら音楽を聴いてきた。近代的な、複雑な心理を持った男女ではない。大自然の中の素朴な若い男女の恋の営みがこのラヴェルの音楽だと思っている。

 ところが、ヴィオッティの指揮はまさに近景。複雑な近代人の心の中をえぐり、人物の近くからドラマを盛り上げる。激しい音が鳴り、初々しい感覚が渦巻く。映画で言えば、登場人物が顔をゆがめ、クローズアップでそれを追いかける。ヴィオッティの指揮する音楽を聴くと、苦悩する人間の顔の表情が見えるかのようだ。

 私としては、クローズアップではなく、離れたところからひそかに恋を描いてほしい。まさに顔の表情ではなく、バレエのように、遠くから、身体のちょっとした動きで苦悩が見える程度にしてほしいと思う。そうしてこそ、最後の場面、大自然に人間が溶け込み、大きな宇宙になる部分が聴く人々を感動に導くと思うのだ。

 今日は、私の求める音楽ではなかったが、きっと次には私の求める音楽を作ってくれそうな気がする。

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「シンプル・アクシデント」追記、そして「熊は、いない」「君は行き先を知らない」

 先日、「シンプル・アクシデント」についての感想を記した。少し、書き忘れたことがあった。

 砂漠の中で主人公はかつて自分を拷問したと思われる男を生き埋めにしようとする。がらんとした砂漠の真ん中に大きく枝分かれした一本の木がある。その場面を見て、なんとなく既視感をおぼえた。あとで、登場人物のやり取りから、それがベケットの舞台「ゴドーを待ちながら」の有名な舞台(Wikipediaによると、1978年のアヴィニョン演劇祭の舞台らしい)だった。登場人物の二人は、かつて恋人同士であったころ、「ゴドーを待ちながら」を見たとのことだった。

 いうまでもなく、この戯曲は不条理劇として評判になったもので、1970年代にフランス文学に関心を持った人間は、間違いなくベケットの洗礼を受けているだろう。私は夢中でベケットの戯曲や小説を読んだものだ。

 この戯曲は、ゴドーという正体不明の存在を待つ二人の男が、あれこれしゃべるが、結局ゴドーは現れず、ゴドーが何者なのかもわからないという話しだが、ゴドーGodotはGodではないかという解釈がある。いずれにせよ、何か希望のようなものを象徴しているだろう。

「シンプル・アクシデント」は、イラン世界、そして国際世界の和解という幻想を待ちながら人々が右往左往する映画なのだと思う。

 

 そのほか、パナヒ監督の映画をPrimevideoを探して観た。感想を記す。

「熊は、いない」 2023年 ジャファル・パナヒが監督

 パナヒ監督自身が主演している。

 イラン政府から映画製作を禁じられたパナヒ監督は、国境の村に滞在し、携帯電話やパソコンを通して遠隔で監督をしてトルコでドキュメント風の映画を撮影している。そんなとき、村の恋愛のいざこざの果てに愛し合う村の若い男女が殺害される事件に巻き込まれてしまう。

 村人の口を通して語られる村のバカげた因習に多くの人が囚われ、そのために身動き取れなくなり、いがみ合って、自由に行動できなくなっている。実際には熊などいないのに、みんなが熊がいると恐れている因習社会! そのために殺人まで起こっている。

 トルコで撮影中の映画でも、主役女性が映画の中に真実そのものを描かれておらず、未来が見えないことに絶望し、トラブルの挙句自殺してしまう。ここでも、ありもしないものに阻まれているということらしい。

 実は、トルコで撮影されているという映画の内容、主役女性の怒りなどについて、私はよく理解できなかった。そのため、なんだかよくわからないのだが、それでも、さすがパナヒ監督の作品! 置かれた状況、その中の人々の苦しみが伝わる。

 

「君は行き先を知らない」 2023年 パナー・パナヒ監督

 巨匠ジャファル・パナヒ監督の息子さんであるパナー・パナヒの監督作品。息子さんの作品とは知らず、Primevideoでパナヒを検索したら出てきたので巨匠の作品だと思い込んでみはじめたが、どうもあまりおもしろくない。その時点で調べてみて、息子さんの監督作品だと気づいた。何度も中断しながら、我慢して最後までみた。

 レンタカーで小学生くらいの子どもと青年、その両親が国境に向かっている。どうやら青年が密出国するということらしいが、子どもはそれを知らない。だんだんと状況が明らかになっていく・・というロードムービー。だが、道中で起こるいろいろなことが唐突に感じられる。

 私がイランの状況を理解していないからかもしれないが、なんだか意味不明。子どもも可愛げがないし、車の中でみんなで何度もポピュラーソングらしい歌を歌う意味もよくわからない。映像は異様に美しいのだが、登場人物に共感もできず、意味も分からずに終わってしまった。

 しばしば、シューベルトのピアノソナタ第20番D.595の第2楽章の断片が流れる。イラン映画でクラシックが流れるのは珍しいと思った。孤独な魂を描きたかったのだろう。が、どうもこの映画はそれがうまくいっているようには思えなかった。

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文楽「生写朝顔話」 桐竹勘十郎の人形の表現が絶妙!

 2026年5月15日、シアター1010で国立劇場文楽公演を見た。国立劇場が建て替え中、ほかの劇場で公演が行われている。いつまでも国立劇場の再開場のめどが立たないとのこと。日本の古典芸能については壊滅的なことだと思われる。早急な対応が必要だと、日本芸能の部外者の私も強く思う。

 みたのは、第二部、通し狂言「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」から、「薬売りの段」「浜松小屋の段」「嶋田宿笑い薬の段」「宿屋の段」「大井川の段」。

 私は日本の古典芸能に、ごく最近になって関心を寄せているだけの、まったくの初心者。ただ、「生写朝顔話」については、いくつかの場面をNHK発売のDVDで見たことがあったので、油断していたのだが、やはり字幕なしで太夫の語りを聞いても、セリフの部分はともかく、地の部分は聞き取れない。自分の教養不足を痛感。とはいえ、ともあれ、ストーリーにはついていける。そして、通の方とは比べようもないが、十分に楽しんでみることはできる。

 まだ私は人形遣いや太夫、三味線の巧拙については語れない。ただ、人形遣いについては常に圧倒され、語りについては、素晴らしいと思ってほれぼれすることがある。あまりよろしくないのではないかと思うこともある。特に私は語りの音程の不安定さが気になる。日本芸能の世界ではそのような言葉は使わないようだが。三味線の叙情や見事なタイミングでの音の破裂に心打たれることもある。

「生写朝顔話」のストーリーはきわめて荒唐無稽。「いくらなんでもそんなことはあり得ないだろ!」「こんなストーリー展開は、ご都合主義も甚だしい!」「そんなとんでもないことをしなくても、もっと簡単で害のない解決法がいくらでもあるだろうに!」と思うところがたくさんある。ただし、まあ、オペラ好きの私は荒唐無稽なストーリーには慣れっこなので、ムズムズしながらも許容できる。

 今回、「浜松小屋の段」の最後、深雪と死にゆく浅香のやり取りの部分にはぐっと来た。そして、「宿屋の段」の後半、琴を弾いた後の深雪に寄り添う下女お鍋の表情も素晴らしいと思った。

 が、やはり圧巻だったのは「嶋田宿笑い薬の段」の茶をたてる時と笑い薬を飲んでしまって笑い転げる場面。竹本千歳太夫の笑いもすごいと思ったが、なんといっても桐竹勘十郎の人形の表現が絶妙! 真面目腐って茶をたてるが、実は粋人でもなく、しびれ薬を入れようとする悪意が見え透いてぎくしゃくするさま、そして、すり替えられた笑い薬を飲んで、笑い転げるさま。多くの人の笑いを誘っていたが、まさに絶妙。リアルと抽象化のバランスなのだろう。文楽というのはものすごい芸能だと思った。

 そのほか、深雪が琴を弾く場面も、人形がちゃんと琴を弾いている! これも驚きだった。ちゃんとほとんど正しい音が出ているように思えた。

 まだ初心者だが、このようなものを見ると、文楽にひきつけられていく。

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パナヒ監督の映画「シンプル・アクシデント」 最後の場面は和解への希望か?

 イランの映画監督・ジャファル・パナヒの新作映画「シンプル・アクシデント」をみた。

 パナヒ監督は、「チャドルと生きる」「これは映画ではない」「人生タクシー」をみたことがある。いずれも刺激的で、とてもおもしろい映画だった。イラン社会の矛盾を真正面から描き、いくつかの映画では、ノンフィクションとフィクションを織り交ぜて、イラン政府から映画を撮ることを禁止されながらも映画を撮ろうとすることの苦労を描いていた。さて今回はどうだろうと思って観に出かけた。今回は完全なフィクションだった。

 自動車整備工のワヒドは、かつて反政府とみなされて投獄され、拷問を受けた過去があった。ある時、故障をして持ち込まれた車を運転する義足の人物をみて、それが、自分を残虐に拷問した「エグバル」だと確信する。目隠しをされていたのでエグバルの顔はよくわからないが義足の音から間違いないと思う。男を拉致して殺そうとするが、男は人違いだと訴える。ワヒドの確信は揺らぎ、義足の男を閉じ込め、引き回しながらも、同じようにエグバルにひどい拷問を受けた仲間たち四人に判断してもらおうとする。そうして、反政府とみなされて投獄された人々の苦しみがあらわになっていく。

 かつて拷問された五人の反応がとても興味深い。ワヒドは義足男を見つけた時には興奮して一方的な行動をとるが、いったん疑い始めてからは冷静になっていく。一人の暴力的な男(現在、ネットで排斥的なことを声高に主張している人々の典型的な考えを代表していそう!)だけが、間違いないと決めつけて、強硬に殺してしまえと激しく主張するが、ほかの人々は拷問に深く傷つき、復讐したいと強く願いながらも、無実の人間をあやまって傷つけることを恐れる。

 ワヒドは、義足の男の妊娠中の妻が倒れて、幼い娘が助けを呼んでいるのに気づいて病院に連れていき、妻は赤ん坊を出産。ワヒドらはあわてて妻を救助しているうちに、徐々に気持ちを軟化させていく。だが、もちろん拷問者を許すことはできない。

 終盤になって、義足男はワヒドらになぶり者にされつつも、妻と赤ん坊が助けられたことを知らされ、それに対して感謝の意を示す。そして、拷問を受けた者たちの苦痛の激しさを知って、自分が拷問者であったことを告白する。ワヒドは義足男に無理やり謝らせるだけにして、それ以上の復讐はしないで、郊外に置き去りにして去る。

 最後の場面、ワヒドが仕事をしているとき、背後で義足の音。ワヒドは振り返らずに怯えて立ち止まる。もしかしたら、義足男がワヒドを見つけて復讐に来たのか、それとも和解の言葉をかけに来たのか。だが、足音はそのまま去っていく。

 イランの体制派と反体制派の憎みあいや、イランの社会の現状が映される。それほど宗教の縛りが強そうに見えず、どこの国でもありそうな結婚前の写真撮影、ご祝儀のお金の取り立てなどが描かれる。まさにイラン社会のリアル!

 タイトルは、「シンプル・アクシデント/偶然」。もっと俗に言い換えれば、「ほんのちょっとしたこと」というような意味だろう。

 映画の冒頭、ちょっとした事故で犬が車に轢かれて死ぬ場面がある。ちょっとしたことで車が故障し、たまたま車はワヒドのいる修理工場に運ばれる。そして、終盤で語られる通り、そもそも義足男が政府側の立場になったのも、まさにちょっとしたことによる。ちょっとしたことで、運命が分かれ、人生が狂わされて、敵対し、憎みあっていく。

 最後の場面、ワヒドの背後を義足の音が通り過ぎていく。様々に解釈できるだろう。私は、これを監督の和解への希望だと思う。きっと、義足の男は和解を申し出に来たのだと思う。そして、何も口にしないまま去った。

「イランの人々は、ちょっとしたことで立場が分かれてしまい、憎みあうようになってしまった。だが、実は、誰もが家庭を大事にし、他者を思いやる人間だ。その差はちょっとしたことでしかない。だったら、和解しあえるのではないか」。

 この映画はそんなメッセージを伝えていると思った。

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ミュンヘン・フィル&シャニ&チョのベートーヴェンの協奏曲第3番 重心が低いながらも圧倒的な躍動感!

 5月12日のミュンヘン・フィルのチケットを購入したつもりだった。だから、ブラームスの4番をメインとするコンサートのつもりだった。ところが、今朝、明日の予定を明確にするためにチケットを確認してみたら、なんと手元にあるのは今日(11日)のチケットだった。悪い予感がして曲目を調べてみたら、なんとメインはマーラーの「巨人」。大嫌いなマーラーの大嫌いな「巨人」! しばらくどうするかを考えたが、ともあれ前半だけでも聴くことにした。指揮はラハフ・シャニ。このところの大活躍は日本にも届いている。

 曲目はまずモーツァルトの「後宮からの誘拐」、次にピアノのチョ・ソンジンが加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。

 欧米の名門オケの音を聴くたびに思うのだが、最初の1音からして、独特の香りがあり、深みがある。どこでも同じような中性的な音のする日本のオーケストラとはまったく異なる。具体的にどこが違うのかわからないのだが、きっと誰もがこの音の違いは感じるのではないか。

「後宮からの誘拐」は若々しい演奏。シンバルと大太鼓とティンパニでくっきりと縁取りをして、重心の低い、ややドスンとくるような音。しかし躍動感がある。弦の音の深みが素晴らしい。シャニの指揮はきびきびして、アクセントが強く、音に弾力がある。このオペラの序曲にふさわしく、わくわくさせながら見事に終わった。

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲も、「後宮からの誘拐」と同じように、躍動にあふれる音楽だった。このところ、東京春音楽祭のブッフビンダーとラ・フォル・ジュルネのフレデリック・ギィの弾き振りでこの第1番の演奏を聴き、実はどちらもよい演奏だと思いながらも、オーケストラがバタバタしているというのか、地に足がついていない雰囲気を感じたのだった。ところが、今日の演奏は、じっくりと地に足がついている。

 ちょっと遅めのテンポだが、「後宮からの誘拐」と同じように、縁取りに明確な音で、若々しく躍動的。弦楽器が本当に美しい。管楽器もニュアンスにあふれている。おそらく、チョ・ソンジンの解釈なのだと思うが、第2楽章で異様に遅くなり、しっとりとゆっくりと抒情を奏でた。チョのピアノは一つ一つの音に芯があるような美しさ。ぐいぐいと引き込まれた。

 ピアノのアンコールでベートーヴェンの「悲愴」の第2楽章。ただ。これについては、私はあまり魅力を感じなかった。ピアノをあまり聴き慣れない私の聴く耳がないのかもしれないが・・・。

 ここで前半が終了。マーラーを聴くのは私にとって拷問に等しいので、ここで退散した。前半だけで、ミュンヘン・フィルを十分に堪能した。

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タバシュニク&新日フィル  彫りの深いブラームス

 2026年5月8日、サントリーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はミシェル・タバシュニク、曲目は前半にラヴェルの「ラ・ヴァルス」と、アンドレイ・イオニーツァのソロが加わって、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番、後半にブラームスの交響曲第2番。

 タバシュニクは作曲家でもあると聞いていたので、ブーレーズのような緻密な指揮をするのかと思っていたら、きわめて男性的というべきか、ちょっと荒っぽい、剛腕で彫りの深い指揮ぶりなので、意外だった。「ラ・ヴァルス」は、流麗でしなやかなところがあまりなく、時に低音の効いた激しい音が鳴る。少なくとも私の考えるラヴェルの音楽とはかなり違うが、それはそれでとてもおもしろかった。重ったるくて、ドスの効いたワルツとでもいうか。重ったるいとはいえ、勢いがあって、オーケストラが激しくうごめく。

 ショスタコ―ヴィチのチェロ協奏曲第1番は久しぶりに聴いた。イオニーツァはかなり颯爽としており、ショスタコーヴィチ特有の内にこもった激しさはない。第3楽章のカデンツァなどきわめてクリアで繊細。これはこれで新鮮なショスタコーヴィチだと思った。ただ、指揮者がどのように思って音楽を作っているのか、よくわからなかった。イオニーツァに合わせたのだろうか。

 ソリストのアンコールの曲は何だったのだろう。イオニーツァが英語で作品名を言ったようだったが、聞き取れなかった。超絶技巧の現代曲。凄い! テクニックに圧倒され、その舞踊的な音楽性に魅了された。

 後半のブラームスの第2番の交響曲もまたきわめて男性的な演奏だった。個性的と言ってよいだろう。しばしばテンポが遅くなり、重くなり、低音の効いた激しい音になる。かつての巨匠風の演奏と言えるかもしれない。しなやかさや繊細さはあまり感じないが、これはこれできわめてロマンティック! ちょっと恣意的な感じがしないでもないが、それはそれできわめて勢いがあり、スケールの大きなうねりがあり、激しく高揚するので、聴いている者としては音楽に身をゆだねて感動する。ただ、新日フィルの音はちょっとバタついているような気がする。指揮者がこれで良しとしているのかどうか・・・。

 よい演奏かどうか私には判断しかねるが、私はとてもおもしろい演奏だと思った。特にブラームスは大いに楽しんだ。

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ラ・フォル・ジュルネ2026 3日目

 2026年5月5日、ラ・フォル・ジュルネ2026の3日目、3つのコンサートを聴いた。簡単に感想を記す。

・トリオ・オウオンによるシューベルトのピアノ三重奏曲D897「ノットゥルノ」とドヴォルザークのピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」

 トリオ・オウエン、すなわち、オリヴィエ・シャルリエ (ヴァイオリン)、ヤン・ソンウォン (チェロ)、エマニュエル・シュトロッセ (ピアノ)のベテランによる安定した演奏。華やかさはなく、若々しさもないが、独特の味わいがあり、しみじみと音楽の楽しみを感じさせる。「ノットゥルノ」は優しさにあふれており、「ドゥムキー」は、「人生あれこれあるけれど、ともあれ踊って楽しもうよ」といった大人の雰囲気があふれている。おじさんたちがちょっと酔っ払って人生を語っているかのような雰囲気。とてもよかった。

 

・クララ・シュミット (メゾ・ソプラノ)とアンサンブル・マニェティス (指揮・セバスティアン・ブヴェイロン)による「詩人の恋」「ヴェーゼンドンク歌曲集」より

 アンサンブル・マニェティスというのは、第一ヴァイオリンのセバスティアン・ブヴェイロンをリーダーとする弦楽六重奏団ということらしい。いずれも、弦楽六重奏の伴奏による歌曲。初めに、ブヴェイロンによる「詩人の恋」についてのかなり長い解説があってから演奏が始まったが、通訳の方の入る切れ切れの説明だったので、私はよく理解できなかった。

 シューマンの「詩人の恋」から、「美しい5月に」「僕のあふれる涙から」「君の瞳を見つめると」「ラインの聖なる流れに」「僕は恨まない」「若者が娘を恋し」「僕は夢の中で泣いた」が歌われたが、弦楽器が情緒たっぷりにあまりに遅いテンポで演奏された。しかも、弦楽器の音程がよくないような気がしたが、気のせいだっただろうか。メゾ・ソプラノのシュミットも、とてもきれいな声なのだが、低音になると音程が怪しくなった。

 次に、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と、「ヴェーゼンドンク歌曲集」から「天使」「温室にて」「夢」。半音階的な曲想にあふれている。音程の良くない音であまりに情緒たっぷりに半音階が演奏されるので、私はなんだか悪酔いしたような気分に襲われた。

 

・辻彩奈(ヴァイオリン)、横坂源(チェロ)、伊藤恵 (ピアノ)によるシューマンのピアノ三重奏曲第1番とメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番。

 

 私の好みの問題だと思うが、シューマンに関しては私は少々退屈だった。とてもよい演奏で、ロマンティックな香りを出しているのだが、どうも私はシューマンとは相性がよくない。シューマンの好きな人は、これをロマンティック、あるいは夢想的と感じのだろうが、私は「とりとめない」と感じてしまう。第2楽章についてはとても美して魅力的だと思ったが、ほかの楽章はあまり面白くなかった。

 メンデルズゾーンはとてもよかった。きびきびしていて、この作曲家らしい均整美のとれた若々しい抒情が聞こえてくる。三つの楽器が見事に絡み合い、音楽の美しさ、人間の心の叫びを聴かせてくれる。

 

 ラ・フォル・ジュルネ2026は、全部で9つの有料コンサートを聴いた。これで、これまで549のコンサートを聴いたことになる。

 2005年にラ・フォル・ジュルネが日本で始まったころ、まさに熱狂の演奏が続いた。信じられほど素晴らしい演奏の連続だった。ヨーロッパの大御所や期待の新人が次々と熱にあふれる演奏を聴かせてくれた。

 それから21年。円安のせいもあるだろう。外来のオーケストラが来日せず、すべて日本のオーケストラで演奏されている。大御所の独奏者も来日しない。あっと驚く新人もそれほどたくさん来日しているわけではないようだ。私が9つのコンサートしか行かなかったのは、私が年齢のせいで集中力がなくなったということもあるが、もちろん、ぜひ聴きたいと思うコンサートが少なかったせいもある。

 そのためだろう。客の数も以前に比べてかなり減っている。今回、空席が目立った。演奏についても、「熱狂の日」と言えるほどに熱狂したコンサートは少なかったのではないか。私自身は、良い演奏にいくつも出会えた。5月4日のフォーレのピアノ四重奏曲には興奮した。だが、考えてみると、かつてはこのような興奮を一日にいくつものコンサートで味わっていたような気がする。

 ラ・フォル・ジュルネの創始者であるルネ・マルタン氏はトラブルを起こしてナント市との間でもめているらしい。来年以降、このイベントがどうなるか、継続されるかどうか大いに気になる。イベント関係者は最大限の努力を払っているのだとは思うが、外にいるものとしては少々残念に思ってしまう。

 私としては、2005年当時の活気を取り戻してほしいと強く思う。難しいことだらけだとは思うが、何とかならないだろうか。

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ラ・フォル・ジュルネ2026 2日目

 ラ・フォル・ジュルネ2026の2日目、4本のコンサートを聴いた。簡単に感想を記す。

・トリオ・オウオン シューベルトのピアノ三重奏曲第2番

 オリヴィエ・シャルリエ (ヴァイオリン)、ヤン・ソンウォン (チェロ)、エマニュエル・シュトロッセ (ピアノ)の3人のベテランによる味のある演奏! 息がぴったり合っており、晩年のシューベルトの悲劇的な情感にこもる曲を抒情的に、そして抑制的でありながらも情熱的に演奏。第2楽章の抒情がとりわけ素晴らしい。

 

・フランソワ=フレデリック・ギィ (指揮・ピアノ)&横浜シンフォニエッタ (オーケストラ)によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番・第2番

 昨日のギィの演奏が素晴らしかったので期待していたのだが。どういうわけか、今回の演奏はちょっとバタバタした感じだった。昨日はふくらみのある美音による地に足の着いた演奏だったのだが、今回は快速で、まるで切羽詰まったような演奏。若々しいエネルギーを示したかったのか、それとも、弾き振りにあまり慣れていないのか。横浜シンフォニエッタもギィの指揮とピアノについていくのに精いっぱいという感じがした。きっと十分なリハーサル時間が取れていないのだろうと思う。

 

・オリヴィエ・シャルリエ (ヴァイオリン)、アンヌ・ケフェレック (ピアノ)

 モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第40番K.454、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」

 最初の1音が鳴った時、独特の典雅で熟成した香りが広がるのを感じた。まさにフランスの香り! かぐわしいという言葉がぴったりくる。二人のそれぞれの音に味わいがある。シャルリエのヴァイオリンは細かいところまで神経の行き届いたニュアンス深い音。刻む音が独特で経験豊かな人間の人生観のようなものが伝わってくる。ケフェレックのピアノは重すぎず、静かな気品がある。

 とはいえ、実をいうと、私はモーツァルトはちょっと退屈に感じた。特に第2楽章。曲のせいかもしれない。終楽章はとてもよかった。「春」は素晴らしかった。冒頭のメロディは抜けるように美しく、春の息吹が天にまで広がっていきそう。均整がとれており、しみじみと美しい。

 

・神尾真由子 (ヴァイオリン)、瀧本麻衣子 (ヴィオラ)、横坂源 (チェロ)、パク・ジェホン (ピアノ) ラドミローのピアノ三重奏曲 ホ長調「大河」、フォーレのピアノ四重奏曲第1番 。

 ラドミローはフォーレの弟子筋のナント出身の作曲家だという。この作曲家の名前を初めて知った。「大河」は、川のせせらぎがロワール川になって海にそそぐまでを描いているという。フォーレとよく似た雰囲気の曲だと思った。とても魅力的な曲だ。

 フォーレのピアノ四重奏曲は圧倒的に素晴らしい演奏だった。悲劇的でありながらも内省的で、心の内で煮えたぎる思いを、半ば諦めながら吐露する。神尾のヴァイオリンの強い音が何とも胸を打つ。瀧本のヴィオラ、横坂のチェロも深い思いを描き出す。パクのピアノが時に激しく訴えかける。私は何度か感動に震えた。

 

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ラ・フォル・ジュルネ2026初日

 2026年5月3日、東京国際フォーラムでラ・フォル・ジュルネ2026の初日を聴いた。

 私は2005年、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの初年以来、フランスと日本を合わせて有料コンサートだけで540のコンサートを聴いている。ひところは一日に5つや6つ、時には7つのコンサートを聴いていたが、さすがに寄る年波には勝てず、そんなに集中できなくなってきた。しかもここ数年プログラムも地味になってきたので、今年の初日はコンサートは二つだけにとどめた。

 

・神尾真由子 (ヴァイオリン)、佐藤晴真 (チェロ)、フランソワ=フレデリック・ギィ (ピアノ)のコンサート。

 初めに、神尾とギィによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第1番。素晴らしい演奏だった。神尾のヴァイオリンは若々しいエネルギーと勢いにあふれている。思い切りが良く、ぐいぐいと音楽に迫っていく。ギィのピアノもとても深みのある音色がとても美しい。しっかりとした足取りで知的に音楽を進め、ぴたりとヴァイオリンをサポートする。若きベートーヴェンの初々しい精神が迫ってきた。二人の音楽性がぴたりと合っていると思った。

 次に佐藤が加わってベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」。これもとても良い演奏だった。三つの楽器、それぞれがとても美しく、音の重なりも見事。名演奏か3人が集まると、こんなに素晴らしい音楽が出来上がるのだ!と納得する。おそらく、ギィが音楽全体を作っていると思うが、きわめて構築的で知的。ただ、ほんの少しリハーサル不足なのか、もっと盛り上がりを見せてもよかったのではないかと思った。とても良い演奏だったが、最終楽章で、あまり高揚しないまま終わってしまったのが、少し残念だった。

 

・アブデル・ラーマン・エル=バシャ (ピアノ)とエルミール弦楽四重奏団によるドヴォルザークのピアノ五重奏曲イ長調 op.81。

 とても良い演奏だった。エル=バシャ のピアノは知的で孤高な感じ。エルミール弦楽四重奏団は音程の良いシャープな音で機能的な音。小気味よいほど音楽がぴたりと決まって進んでいく。ただ、私としては、ちょっと違和感を抱いた。ドヴォルザークのこの曲をこのように演奏すると、よそよそしく都会的になりすぎて、この作曲家特有の人懐っこくて抒情的な要素が薄れてしまう。第1楽章と第2楽章の切なくも美しいメロディも、第3楽章の躍動的なスケルツォも、終楽章の高揚も、シャープになりすぎて、私はしみじみとした感慨を共有することができなかった。好きな曲なのだが、その点、物足りなかった。

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