台湾映画「霧のごとく」 懸命に生きた市井の人たちへの愛!
台湾のチェン・ユーシュンの監督「霧のごとく」をみた。
1950年代、戒厳令下の台湾・嘉義で暮らす15歳の少女阿月は、反政府運動のために逮捕され、銃殺刑になった兄の遺体を引き取るため、一人で台北に行く。ところが、到着したとたん、悪い男たちに騙されて売春宿に売られそうになり、たまたま助けてくれた人力車の車夫・趙公道と行動を共にする。そうして、離れて暮らす踊り子の姉(9m88という不思議な芸名を持つ有名な歌手が演じている)のもとを訪ね、公安の刑事たちに追われ、天下の大泥棒(実在の人物らしい!)とも顔を合わせて、どうやら解剖のために医院に回されていた兄の遺体と対面する・・。
車夫・趙公道が魅力的に描かれている。隙あらば人を出し抜こうとしているすれっからしだが、根からの悪人ではなく、阿月に同情し、あれこれと手助けする。それどころか、最後には自分の危険も顧みず阿月を助ける。自身も過去に傷を持ち、歴史に翻弄されながら、図太く生きている。
公安の刑事たちも、それはそれで魅力的だ。幹部刑事は権力をかさに着て他人の弱みに付け入る卑劣漢だが、女性を愛し、子どもをかわいがっているようだ。その部下は幹部を憎み、車夫に幹部を殺させ、どうやらそののちに車夫を殺して、女性を自分のものにしようとしている。
戒厳令下を生きたこすからくて悪にあふれ、しかも、生命にあふれ、善良なところも併せ持った人たち。その人間模様が展開する。
まさに、霧のごとく生きた人たちだ。つまり、兄の書いた物語で語られる通り、雲になれず、したがって雨になって大地を潤すことができなかった霧のような人間たち。歴史の表面には表れず、時代を作ったわけでもないが、その時代を確かに生き、翻弄されながらも、何とかよい未来を切り開こうとして懸命に生きた市井の人たち。この映画はそのような庶民への愛にあふれている。
医院の下働きの男が、ほかの解剖のための遺体とともにプールを漂う兄の遺体を棒で引き寄せる場面がある(私は大江健三郎の「奇妙な仕事」を思い出した)。阿月は姉とともに、常に未来に希望を託そうとした兄を思い出しながら、その様子を祈るようにしてみている。悲惨な歴史の中にも明るい未来があることを信じようとする。壮絶な、そして感動的な場面だった。
最後に、舞台は現代になって、阿月は病院でたまたま老いた趙公道と再会する。趙公道は銃殺されてはおらず、25年の監獄生活を送った後、無事に生きていた。趙公道は阿月の兄の形見の時計(=未来への希望)を阿月に託す。子どもを持つ阿月に未来への希望を託そうとしているのだろう。
実をいうと、台湾史に無知のため時代背景がよくわからず、登場人物たちの過去の行動がうまくつかめないところもあった。少し調べてみる必要がある。だが、この映画を作った人たちの熱いメッセージはしっかりと伝わってきた。
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