オペラ映像「トリスタンとイゾルデ」「ユダヤの女」 改めてニール・シコフの凄さを痛感!
オペラ映像を数本みた。簡単に感想を記す。
ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 2024年1月 ドレスデン、ゼンパーオーパー
まずクリスティアン・ティーレマン指揮のドレスデン国立歌劇場管弦楽団の音楽に圧倒される。緻密にしてゆるぎなく、一つ一つの音があまりに美しく含蓄があり、官能的にしてダイナミック。私はこの「トリスタンとイゾルデ」の本質を「海」であり「揺らぎ」だと思っているので、その意味では私の理想とする演奏とはかなり異なるのだが、しかし、それはそれで本当に言葉をなくすほど素晴らしい。
歌手陣もそろっている。トリスタンのクラウス・フロリアン・フォークトは持ち前の柔らかく自然な声で穏やかに歌う。いわゆるヘルデンテノールとは対極の声なので、初めのうちは違和感を覚えたが、だんだんとこちらの方がトリスタンにふさわしいと思うようになった。イゾルデのカミラ・ニールンドも、かつてのフラグスタートやニルソンなどと違って、しなやかで繊細な歌いぶり。この二人の歌は、巨匠時代の英雄的な男女の歌というよりも、まさしく恋に悩む等身大の現代人に思える。マルケ王のゲオルク・ツェッペンフェルトも相変わらずの見事な声だが、やはり繊細で柔和な歌いぶりだ。
クルヴェナールのマルティン・ガントナー、ブランゲーネのターニャ・アリアーネ・バウムガルトナーも申し分なし。メロートのセバスティアン・ヴァルティヒ、牧童のアッティリオ・グレーザー、舵取りのローソン・アンダーソン、若い水夫のアッティリオ・グレーザーまで完璧な歌唱だと思った。
演出はマルコ・アルトゥーロ・マレッリ。第一幕も船内という感じがしない。第一楽章の魔酒の場面でトリスタンとイゾルデを囲む、文字通りの帳(とばり)とでもいうか、巨大な蚊帳のようなものが下りてきて、第二幕の愛の場面でも、それが続いて、覆いが二人の世界を包む。最後の愛の死の場面では、背後に黒い太陽が昇る。
黒い太陽が何を意味するのかよくわからないし、この映像ではちらりと見えるだけだ。シンボル辞典などにはあれこれの記述があるが、いずれにせよ、死が世界を覆ったということだろう。まさに、死の帳が下りてくるということなのだろう。
読み替えでもなく、突飛な行動があるわけではないので、現代演出としては私は抵抗なく観ることができた。ともあれ、オーケストラと歌唱によって、これは最高の「トリスタンとイゾルデ」の映像の一つだと思う。
フロマンタル・アレヴィ 「ユダヤの女」 2024年7月11,14日 ドイツ、フランクフルト歌劇場
私が「ユダヤの女」を知ったのは、2003年のウィーン国立歌劇場の圧倒的名演を記録したDVDによってだった。あの感動をもう一度味わいたいと思って、フランクフルトのこのソフトを購入。ウィーンのものに比べると、感銘度はかなり劣る。だが、なかなか良い上演だと思う。
歌手陣はそろっている。私が最も驚嘆したのは、ウドクシ役のモニカ・ブツコフスカだった。初めて名前を聞いたが、何と美しくてしなやかな声! 高音の艶が素晴らしい。容姿も申し分ない。
ヒロインのラシェルを歌うアンバー・ブレイドの名前も初めて聞いた。演出のせいなのだろうか、共感を拒絶するような憎々しげな悪役の顔つきをしている。「ローエングリン」のオルトルートにぴったりの容姿なのだが、もしこの人が、この後、清純な役をそれらしく歌ったとすると、これはすごい歌手だと思った。表情や役にふさわしいドスの効いた声でとてもいい。エレアザルのジョン・オズボーンはさすがの歌唱で大健闘。ただ、以前観て、圧倒されたウィーンの上演のニール・シコフほどの圧倒的感銘は受けなかった。
レオポールのジェラール・シュナイダー、ブロニ枢機卿のサイモン・リムは、ほかの三人に比べるとちょっと弱さを感じた。
演出はタチアナ・ギュルバカ。舞台は現代に移されており、全員が現代の服装で登場する。ヒロインのラシェルもウドクシも台本では愛する人を思う健気な女性だったはずだが、この演出では、近年のジェンダー論の影響か、ともに挑戦的で気性の激しい女性として描かれている。
とりわけラシェルは社会を敵に回してふてぶてしく生きてきた、かなり毒々しい女性として描かれる。おそらく、そのような演出意図に合致する歌手としてブレイドがこの役に選ばれたのだろう。ただ、そうなると、なぜレオポールがこのような女性を愛したのか納得できないし、せっかくのドラマが盛り上がらないような気がするのは、私が十分にジェンダー問題を理解していないせいだろうか。
指揮はヘンリク・ナナシ。このオペラをよく知らない私としては、演奏についてあれこれ言えないが、ドラマティックでリアリティのあるとてもよい演奏だと思った。
アレヴィという作曲家、もっと知られてよいはずなのに、映像も録音も少ないのが残念。
アレヴィ 「ユダヤの女」 2003年5月15日 ウィーン国立歌劇場
フランクフルト歌劇場の映像をみているうち、かつての名演をもう一度観たくなって、部屋の奥からDVDを引っ張り出してきた。
うーん、これはやはりすごい。なにより、エレアザル役のニール・シコフに驚嘆する。最初の登場からまさにエレアザル以外の何者でもない。フランクフルトのオズボーンはやはり「歌手」が歌っているのを強く感じるが、このシコフは迫害に苦しみぬいて復讐を誓うユダヤの初老の男その人だ! この複雑な人物の複雑な心境を見事に歌う。性格俳優としてこれほどの演技力を見せるオペラ歌手を私はほかに知らない。第4幕のアリア、第5幕のフィナーレでは、あまりの激しい苦悩の表現に息を飲む。息を飲むだけでなく、涙が出てくる。私は音楽に感動して涙を流すことはよくあるが、映画や芝居で登場人物の心情に同情して涙を流すことはめったにない。が、不覚にも、エレアザルの運命と思いに同化して涙を流してしまった。それほどすごい歌と演技だ!
ラシェルのクラッシミラ・ストヤノヴァも素晴らしい。芯の強い美しい声で、宗教と愛の間で引き裂かれて苦しむ健気な女性を歌う。枢機卿ブロニのウォルター・フィンクもしっかりした声。ただ、ウドクシのシミーナ・イヴァンとレオポールのジャンニ・ザンはかなり弱い。
演出はギュンター・クレーマー。2024年のフランクフルトの上演と違って台本に忠実なので、違和感はない。舞台を斜めに仕切って、分断された社会と不安定な心理を描いているのも説得力がある。指揮はヴィエコスラフ・スーテイ。ドラマティックでとてもよい。
「ユダヤの女」は1835年の作品だという。ワーグナー以前にこれほどまでにドラマティックで台本と音楽がぴたりと合ったオペラがあったなんて! もっと評価されてしかるべきオペラだと思う。そして、シコフのものすごい演技と歌! もっともっと評価されるべき歌手だと思う。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- ヴァン・カイック弦楽四重奏団 音楽そのものの醍醐味!(2026.10.09)
- 新国立劇場「イタリアのトルコ人」 演出の工夫に感心!(2026.10.07)
- カルテット・アマービレ&今井信子のブラームスの感動!(2026.10.06)
- 濱田芳通&アントネッロの「マタイ受難曲」 ドラマティックな人間ドラマ・群衆ドラマ!(2026.10.04)
- オペラ映像「ラ・ボエーム」「ナブッコ」「ドン・パスクヮーレ」「ばらの騎士」(2026.09.24)

コメント