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三島・パゾリーニ展、そしてレーピンのリサイタル

 2026年7月22日、昼間、35℃を超す中、陰のない九段下の靖国神社の横を歩いて、イタリア文化会館に行き、展覧会「三島由紀夫 ― ピエル・パオロ・パゾリーニ 対峙の⼿がかり 沈黙せず、⽬をそらさずに」をみた。

 パゾリーニは、高校生の時(1968年か69年)に「アポロンの地獄」をみて、圧倒的な影響を受けた映画作家だ。パゾリーニの映画をみていなかったら、恩師である米川良夫先生に出会うこともなく、大学院に行こうなどと思うこともなく、ほかにどうしようもなくなって今の仕事を選ぶこともなく、まったく別の人生を歩んでいただろう。

 もちろん、三島も大好きな作家だ。誰に言われるでもなく、最初にパゾリーニを知ったときから「三島由紀夫に似てる!」と思った。二人が並べられて原稿や書籍や写真などが展示されるのはとてもうれしい。ただ、意識が朦朧とするほどの暑さの中に訪れた割には、思ったより展示物は少なかったなとは思った。

 その後、一休みして、サントリーホールで、ワディム・レーピンリサイタルを聴いた。曲目は、前半にドビュッシーのヴァイオリン・ソナタとプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第1番。後半にフランクのヴァイオリン・ソナタ。ピアノ伴奏はワディム・ルデンコ。

 レーピンの名が神童として世界中に知れ渡ったのが40年前。レーピンもほかの人と同じように初老の男性になっていた! 前回聴いた時には、あまり感銘を受けなかったが、近年、また評判を取り戻しているというので、期待して出かけたのだった。

 最初のドビュッシーのソナタは、私には、レーピンが迷っているように聞こえた。ふだん時速300キロくらい出るスポーツカーを乗りまわしている人が、小型車に乗って、どう運転すればいいのかわからずにいるといった感じ。本人としては、ニュアンスを込めてフランス音楽風にしようと思っているのだろう。音の一つ一つは磨き抜かれて美しいのだが、音に表情がなくて、ぶっきらぼうに聞こえる。私はずっと違和感を覚えた。

 2曲目のプロコフィエフの第1番はドビュッシーよりもずっとよかった。が、私はまだ不満だった。おそらく意識的なのだろう、かなり抑制気味なのだ。神童と呼ばれたころの演奏をなんとなく覚えているのだが、もっと自由奔放で覇気にあふれていたと思うのだが、今回の演奏は、丁寧に弾くことを重視しているようで、高揚しない。玄人好みと言えばそのとおりなのだが、この曲に関しては、それほど抑制する必要もないと思うのだが・・・。

 後半のフランクは、前半よりはずっと納得できた。ただ、それでも、私にはまだ抑制気味というか、あまり高揚を聴かせてくれない演奏に聞こえた。もちろん、むやみに高揚すればいいわけではない。だが、フランクに関しては、第2楽章以降、内なる情熱がじわじわと燃え出すのではないか。煮えたぎる思いをぐっと抑えようとしながらも、やはりふつふつと心の奥から生きることの情熱が膨れ上がってくるのがこの曲ではないのか。とてもよい演奏であり、音の処理が美しいのだが、不満を禁じえなかった。そして、私はあまりピアノを聴かないので、あまり偉そうなことは言えないのだが、ルデンコのピアノにも不満を抱いた。音にムラがあるような気がした。少なくとも私は音の響きの美しさを感じなかった。

 アンコールはラヴェルのツィガーヌだった。この曲がアンコールとは! 今回のコンサートでこの曲が最も納得できた。美しい音、超絶技巧。大喝采が起こった。スタンディングオーベーションも起こった。ただ、私は、ヴァイオリンに音程の怪しいところがあったように感じた。私の耳のほうがおかしいのかもしれないが。そして、この曲でもピアノがちょっと及び腰のように聞えたのだった。

 もちろんかなり高度な演奏だと思う。が、私は、世界を揺るがした神童レーピンの40年後の演奏なので、もっともっとものすごい演奏を期待していたのだった。

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