戸隠のこと、喜連川のこと
2026年8月と9月、小旅行をした。コンサートの感想などは、その日のうちに書いてブログにアップすることにしているが、それ以外のことだと、後回しになってしまう。そんなわけで、遅くなったが、これらの小旅行についての感想を簡単に記す。
8月21日から22日にかけて戸隠を訪れた。長野県立歴史館で「戸隠の至宝-守り継がれた信仰と由緒-」展が行われていることを知り、ついでに戸隠を訪れようと思い立ったのだった。ツアーの仲間が同行してくれた。
戸隠は、かつて修行僧や参拝者の訪れる霊験所であり、戸隠山顕光寺として栄えたが幕末明治初期の廃仏毀釈によって戸隠神社に改まった。戸隠神社は、奥社、中社、宝光社、九頭竜社、火之御子社の五社から成る。すべて回ると徒歩で2時間半かかるという。
まず、長野駅に向かい、そこからしなの鉄道に乗り換えて、屋代駅で降りて、県立歴史館へ。展示で戸隠神社の持つ歴史的な書類や長泉寺所蔵の聖観音菩薩坐像、寶界寺所蔵の阿弥陀世来坐像をみることができた。
その後、長野駅前から路線バスで1時間ほどかけて戸隠に向かい、神社の入口にあたる宝光社付近の宿坊で一泊。夕食は蕎麦尽くしのコースだった。とてもおいしくいただいた。翌朝、宿坊内にある別棟の神殿で朝拝を体験した。厄払いをしてもらった。
宿坊の車で奥社参道入口まで送ってもらい、奥社まで歩いた。大鳥居を過ぎて、巨大な杉が両側に並ぶ細い道を歩く。そのうち、杉並木はなくなり、山肌になっていく。行列というほどではないが、三々五々、人が歩いていく。熊よけの鈴を鳴らしている人もいたが、次々と歩いていくので、熊も襲ってはこないだろうとともあれ安心して歩いた。
歩きにくい岩肌の坂道なので、かなり疲れた。往復で1時間近く歩いたと思う。奥社の横にある九頭竜社で参拝。厳かな社だったが、人だかりになっており、列を作って柏手を打った。
中社まで歩いて、拝殿や宝物館を見物。拝殿の脇から、狩野派の流れをくむ川鍋暁斎に手になる龍の天井画(デジタル復元)をのぞいた。その後、鳥居や神体となっている二本杉などを見物。足の疲れのために、近くの喫茶店で休憩。その後、バスで長野に戻って、新幹線で帰途へ。
翌朝、筋肉痛に苦しむかと思っていたが、案外、痛みを感じなかった。
9月2日には、喜連川(きつれがわ)地区を訪れた。ツアー仲間のお一人がこの地区の観光ボランティアをなさっているので、ガイドをしてもらって、ほかのツアー仲間と町の観光をさせていただいた。
喜連川は栃木県のさくら市にあり、宇都宮線の氏家駅が最も近い。昔、この地区を流れている荒川周辺にキツネがたくさん住んでいたので、喜連川と呼ばれるようになったという。奥州街道の宿場町であり、江戸時代には喜連川藩があった。5000石の小さな藩でありながら、治めていた喜連川足利氏は大大名と同格の地位を与えられていたという。
それというのも、簡単にいえば、喜連川足利氏が源氏の流れをくむ家柄であり、足利尊氏の子孫であるため、徳川の家臣でなく、客としての扱いだったからだということのようだ。
鎌倉時代からの喜連川の歴史についての説明を受けながら、喜連川神社、璉光院、龍光寺、足利家の墓などをみた。その後、明星漁業生産組合で、鮎づくしのコースをいただいた。これは絶品だった! 刺身も塩焼きも一夜干しも甘露煮も鮎飯もおいしかった!
その後、車で町のあちこちを見せていただいて、氏家駅から宇都宮経由で帰途についた。
鮎もおいしかったし、町の雰囲気もとても良かった。わかりやすいガイドをしてもらったが、私の日本史の知識が不十分なためによく理解できないことも多かった。もう一度、きちんと下調べしてから、改めて鮎料理を食べに行きたいものだと思った。
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