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スリランカ3日目 キャンディ・アヌラーダプラ・シーギリヤ

 昨日書いた文章を読んで、あまりに推敲されていないことを反省。が、生のままに書くのもいいだろうと思って、そのままにする(明らかな間違いだけを後でただすことにする)。

 キャンディアン・ダンスについての感想をほとんど書かなかったので、少し付け加える。ドラムを使った音楽とダンスだった。ドラムにはいろいろにリズムがある。が、トンツクテンテン・トンツクテンテンというパターンが最も多かった。踊りは色気ある女性と躍動感のある男性が中心で、腰のひねり、首の回し方がおもしろい。ただ、芸術的に高レベルというものではなかったし、宗教的な儀式という雰囲気もなかった。軽いショーということだろう。その後、屋外で火のショーが行われた。燃え盛るたいまつを体に近づけたり、燃えている木炭(?)の上を5メートルほど歩いたり。確かに恐るべき力だとは思ったが、この種のものに対する感受性は、私はあまり強くない。感心してみただけだった。

 

20171014

 朝、起きてみたら、キャンディの私が泊まったホテルは高台にあり、実に良い見晴らしだった。素晴らしい風景。

8時半にキャンディのホテルを出て、マータレー、ダンブッラを車から見物して、アヌラーダプラに向かった。

ガイドさんの運転はかなり丁寧。安全運転といっていいだろう。ほかの人も、渋滞時には割り込みがあるが、それを除けば無謀なことはしない。道もかなり整備されている。幹線道路ということもあるのだろうが、周囲の建物もきれいに整えられたものが多い。植民地風というのか、西洋風な建物も多い。緑が多く、その中に家がある。

途中、食事をしたりして、13時ころにアヌラーダプラに到着。2500年前にスリランカの都があった場所だ。

まず岩肌を掘って作った寺院(イスルムニヤ精舎)に行った。ここもはだしになって、岩に上った。もちろん、ほとんどがその後修復されたものだというが、紀元前から残っている部分もあるらしい。中には、寝釈迦像もあった。

次に、そのすぐ近くにあるスリー・マハー菩提樹に足を運んだ。釈迦はブッダガヤにある菩提樹の木の下で悟りを開いたが、その木からとった若木をアショーカ王の娘がこの地に持ち運んだという。現在のその木を中心に小さな寺ができており、今も多くの人を集めている。大勢の現地の人が菩提樹を取り囲んで念仏を唱えていた。

その後、歩いてルワンウェリ・サーヤ大塔に行った。白い巨大なストゥーパ。仏舎利が収められているとされており、世界で最も信仰を集めている施設だという(スリランカの人は少なくともそう信じている)。到着したときは観光客だけでがらんとしていたのだが、白い服を着たスリランカ人が次から次へと長い旗を持って現れた。先頭に、キャンディで見たダンスショーと同じような紛争をした人がドラムをたたいて先導し、その後に村人が続く。私は三組見たが、最も多い列は2、3百人いたのではないか。その人たちは念仏を唱和して歩いてストゥーパに向かい、敷地内の座って講話を聴くようだ。あちこちの村人たちがこのようにして人を集めて参拝に来ているのだという。とりわけ、満月の日は大勢の参拝客であふれるらしい。年寄りから子供までたくさんいる。子供はあまり信仰心が強いようには見えない。遊び半分といったところ。

参拝客の中には、足腰が弱くて二人ほどに支えられている高齢の女性がいた。車いすは禁止されているという。きっと子供たちが支えて、母の願いをかなえようとしているのだろう。かなりの距離をこうして歩いて参拝に来たのだろう。

アヌラーダプラを出て、シーギリヤに向かった。幹線道路から周囲を緑に囲まれた整備された細い道路に入って30分ほどで、私の泊まるシーギリヤ・ホテルに到着。シーギリヤ(かつて王宮のあった岩山)がホテルから見えた。みるからの異様。夜になっていたので、そのまま宿泊。ホテルはバンガロー形式で、これもまたとても瀟洒で雰囲気がいい。

今は20171015日のスリランカ時間の午前7時前。そろそろ朝食を取りに行く。写真を載せようと思ったが、接続の関係か、私の技術不足なのか、うまくいかない。ともあれこのままブログにアップする。

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スリランカに来ている

   一昨日、つまり2017年10月12日からスリランカに来ている。今年6回目の海外旅行。今回はスリランカにした。もちろん個人旅行は無理そうなので、前回のモンゴルと同じようにガイド付きツアー。3泊5日の弾丸ツアー。
  とはいえ、今回もメンバーは私だけ。日本語のできるガイドさんが運転して、ガイドしてくれる。
 今、14日のスリランカ時間の早朝。早く寝て、早く目が覚めたので、これまでのことをブログに書く。
 
日本を朝に出てキャセイパシフィックに乗って香港を経由、スリランカには夜中に着いた。   到着時、夜中なので空港は閑散としているかと思っていたら、かなり大きな空港なのにごった返していた。免税店がまるでアメ横のように広い通路の真ん中に列を作って電化製品や化粧品や日曜人の小さな店が並んでいた。サリーを着た女性が売り子に何人もたっていた。
  ガイドさんと顔を合わせてそのままホテルに入った。 ガイドさんは30代の元気な男性。感じがよく、日本語もうまい。ただ、正式に日本語を勉強したことはないとのことで、字はほとんど読めないとのことだった。字を読めないのに、これほど流ちょうに話すことに、外国語会話の苦手な日本人としては信じられない。
    外は夜中だけに車も少なく、すんなりとホテルに到着。暑いといえば暑いが、26~27度といったところだろう。残念ながら、観光にふさわしくない雨季だということで、コロンボに向かう間も時々雨がぱらついた、真新しいホテルだった。シャワーを浴びてすぐに寝た。
10月13日、
 朝の8時40分にガイドさんと待ち合わせて、ホテルを出発して、フォート駅に向かった。道路は大渋滞。日本車が多い。車の割り込みも多い。ただ、このところ途上国を旅行している身からしてみれば、それほど驚くほどではない。マニラ、カイロ、ウランバートルはこんなものではなかった。
  駅付近は屋台が出て、人々が歩き、タクシーやトゥクトゥク(ただ、こちらでは別の名前で呼ぶようだ)が並んで、バンコクの駅などと同じような雰囲気。 駅に到着するころになって、突然大雨になった。しばらく待って、小降りになったところで、ガイドさんの運転する車を降りた。雨はすぐに上がった。 大きな駅で、通勤客でごった返していた。通勤客とはいっても、スーツを着ているわけではないので、私たち日本人は異様に思える。普段着と思える服を着たスリランカ人が列車から降りて出口に向かう。
  列車には一人で乗り込み、ガイドさんはこれから車で目的地に向かうという。目的地で合流してまた行動を共にすることになる。
  私は「てっちゃん」というほどではないが、海外に行くとできれば列車に乗ることにしている。今回も列車に乗れるツアーを選んだのだった。エクスプレスで3時間ほどかけてペラデニアに向かうことになっていた。
 30分ほど待ってやってきた列車に乗り込んだ。1等の指定席のようだが、列車は薄汚れた茶色出し、中に入ってもエアコンはない。椅子はガタピシし、えんじ色のカーテンは汚れが目立つ。窓も汚い。すぐに窓を開けた。私の周囲の客はほぼ全員が観光客のようだった。5,6人の家族でやってきているグループもいた。西洋人が数人いる以外は、インド人か、スリランカ人なのではないか。日本人や中国人は見かけなかった。
 列車で素晴らしい時間を過ごすことができた。
 沿線には低層のさびたトタン屋根の貧し気な家が並んでいる。洗濯物があり、子供の遊び道具があり、生活の道具がある。その周囲にはヤシやバナナなどの熱帯の植物が生い茂っている。バナナがなっており、ヤシが実をつけている。大自然の中に人間が暮らしているのがよくわかる。経済的には貧しいだろうが、自然に恵まれ、大自然の中で生きている。時々、小さなお寺やストゥーパが見える。また、森になる。こんなに緑の多い首都は初めて訪れた。
 しばらく行くと泥色に流れる川があった。周囲は木々でおおわれている。田んぼもあった。畑もあった。手作業で畑を耕す人も時々見える。農作業をする牛もときどき見かけた。トラクターは一台見ただけだった。そのような田や畑も野原に囲まれ、周囲には南洋植物の生い茂るジャングルがある。  時々、駅に近づくと家が増えてくる。だが、緑は相変わらず多い。自然を壊して都会を作ったという印象がない。駅で降りる人もゆっくりしている。50年ほど前の大分県の久大線での光景を思い出す。大きな荷物を持っている人も多い。
 列車に乗って2時間くらいしたころだろうか。列車が坂を上り始めた。それがずっと続いた。1時間以上、ずっと上り坂だった。周囲はそれまで以上に緑が深くなり、まさしく山になった。トンネルをいくつか通った。まれに人家が見える以外は高原が広がるようになった。絶景だった。
 3時間ほどでペラデニア到着。そこでガイドさんと待ち合わせることになっていた。それほど大きな駅ではないのですぐにわかると聞いていた。確かに、小さな駅だったが、乗換駅らしく客がごった返していた。探してみたが、ガイドさんはいなかった。渋滞していると車のほうが遅くなるかもしれないので、待ってくれと言われていたので、ベンチに座って待った。
 乗り換えホームが決まっていないらしく、駅員さんが何かを大声で言うと、人々の群れがどっと移動してホームに行き、しばらくして大きな音を立てて列車がやってきて、混乱が起こりながら客が乗り込む。そこで降りてきた客が今度はここで別の方面に乗り換えるらしくて、人があふれる。ホームには大きなテレビ画面があって何かを放送していたが、もちろんデジタル放送ではなく、しかも写りが悪くて、見るに堪えなかった。もちろん、どうせ見ても何が話されているかは全く分からないわけだが。
 駅のホームに2,3匹の野良犬がいた。客たちは何も注意を払わないが、それなりに居場所になっているようだ。ブータンほどではないが、あちこちに野良犬がいる。おとなしくて危険はなさそうだ。  駅で待つうちにまた雨が降り出した。かなりの大雨になった。 しばらくしてガイドさんがやって来て、合流。車でキャンディーに向かった。途中で遅めの昼食をとった。川の見える店で、外国人の集まるレストランになっているようだった。ガイドさんはあちこちに顔が利く。多くの人と親しげに話しをかわし、よい席を用意してもらえる。
 その後、キャンディに到着。落ち着いた古都と聴いていたので、京都のようなたたずまいを想像していたら、大渋滞が起こっており、割り込みがあり、日本人からするとガサガサした様子が見える。ただ、コロンボのようなごった返した様子はない。
  キャンディ湖(王宮があったころに作られた人口湖)付近は王宮の跡があり、高台に趣のある家が並んでいて、とても美しい。  すぐ近くに仏歯寺がある。仏歯寺というのは、釈迦が火葬にされた時に拾われた釈迦の歯が祀られた世界で唯一の寺だとのこと。インドにあったものがスリランカに移され、その後、敵からもイギリスからも守って現在に至るという。 雨が続いていた。
  公園のようになった境内を歩いて、本殿に入った。はだしでなければならないというので、雨が降っているのにはだしになって、濡れた廊下を渡って中に入り、仏歯が収納されている祠をみた。観光客がたくさんいた。インド系の人々(スリランカ人かインド人か区別がつないので、このように書かせてもらう)が多いが、そのほかは中国人、西洋人(英語、ドイツ語、スペイン語、フランス語が聞こえた)。日本人には一人も会わなかったかもしれない。今の時期、日本人観光客は少ないのか。 その後、キャンディ・マーケットを見物し、キャンディアン・ダンスを見に行った。マーケットは果物、野菜、肉、衣類を売る小さな店が軒を連ねていた。ダンスは私としては、あまり面白いとは思わなかった。
 朝食の時間になったので、ここでいったんブログを書くのをやめる。 時間があったら、また書く。

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ウランバートル(モンゴル)旅行のまとめ

たかだか34日のモンゴル旅行なので、たいしたことはわからなかったが、今回の旅についての印象をまとめておく

・ウランバートルはかなり近代的な大都市だ。きれいな建物があり、20階建て程度のビルもたくさんある。ロシアの雰囲気。ソ連時代ふうの無味乾燥な監獄のような建物も目に入る。おしゃれな建物もロシア風。ただし、売られているものは多くが中国製のようだ。チンギス・ハーン広場に市が立っていたが、文房具、服、機械類のほとんどは中国製のようだった。モンゴル製らしいものは、農業製品以外にはなさそうだった。

 

・ホテルのすぐ隣にスーパーがあったのでのぞいてみた。ヨーロッパでよく見かけるタイプのスーパーだった。果物や野菜は自分で袋に詰めてレジに持っていくようになっている。倉庫のように品物がざっと並んでいる。中国製が多い。ラーメンやうどん、調味料など日本製もある。スコッチなどもある。品ぞろいはとても良かった。夕方、ほんの短い時間だったが、ホテルの周囲を歩いてみた。コンビニを見つけた。小さめの日本のコンビニと同じような雰囲気で、セブンイレブンと似たマークだった。品ぞろえも日本に似ていた。英国製ウィスキーなどは日本と大差ないが、一般の商品については、日本よりもかなり安かった(半額か三分の一くらい?)。

 

・正直言って、3日間食べた料理は、あまり私の口には合わなかった。ただ、私の食べたものが、モンゴル料理かどうか怪しい。西洋風にかなりアレンジされたものだったように思う。とはいえ、きっと、日本人にも抵抗のないように気をつかってくれているのだろうから、実際には、本格的なモンゴル料理はもっと日本人には食べづらいものなのかもしれない。一言で言えば、どれも大味で胃にもたれる。

 

・草原の風景は素晴らしい。ほんの少し郊外に行くと草原が広がり、そこで放牧がなされている。モンゴルの人は見慣れた風景だろうが、まさに絶景。もう少し郊外に出ると、見渡す限りの草原になる。これを見ただけで幸せを感じる。そして、星空。私は本来、天体にほとんど関心のない人間だが、ゲルからトイレに行こうとして、空を見上げてびっくり。もっと暗いところに行ったら、もっと美しかった。ガイドさんと顔を合わせたので、そのことを言うと、ガイドさんは、このくらいの星空できれいだということが不思議らしく、「本当に晴れていたらこんなもんじゃありませんよ」といっていた。よほどすごいのだろう。

 

・ともかく渋滞がすごい。ウランバートル市内は、どこもかしこも大渋滞。電車、地下鉄はない。新学年直前だからいつもよりもひどいというが、それにしても、凄まじい。幹線道路はまったく動かないといってよいほど。朝夕のラッシュ時でなくても、中心道路のどこもが大渋滞だった。左折する場合など、一回の信号で1台か2台しか進めないことも多い。大通りごとに左折車線に長い列ができている。ところが、その列の後方にいた車が、列から抜けるので、左折をあきらめて直進でもするのかと思っていたら、左折車線の前のほうに行って割り込もうとする。そんな車が何台もある。そのためによけいに渋滞する。

 

・交通マナーは、割り込みを除けば、それほど乱暴ではない。まあ、乱暴に運転しようにも渋滞なので、しようがないとも言えるだろ。ただ、割り込みと車線の奪い合いは凄い。少しでも先に行こうとする。気持ちはわからないでもない。少しでも先に行けば、先に大状態から抜け出せる。

 

・チンギス・ハーンの騎馬像付近もホテル付近も、階段の破損や道路の陥没などが気になった。また、道路の破損もあちこちにあった。昔、東ヨーロッパに行ったとき、建物そのものは立派に見えるものの、中に入るとあちこち故障していたり、機能していなかったりするのを経験したことがあるが、それに似たものを感じた。外見はそれなりに整っているが、手抜き工事なのかメンテナンス不足なのか、その両方なのか、きちんと機能していない。これでは、地下鉄などの公共交通システムが完成させ、メンテナンスを続けるのは難しそうだ。

 

・とても有能なガイドさん(日本人とまったく変わらない日本語だった。ただ、現在の日本の言葉などについてはよくわからない様子だった)だったが、約束の時間に少し遅れてきたり、モノを紛失したりということがあった。また、ホテルにバスタブ付きの部屋を申し込んだはずなのに、シャワーしかなかったり、フロントにモーニングコールを頼んだのに何の連絡もなかったりというホテルの不手際もあった。多くの面でザツさを感じた。これだけで決めつけることはできないが、街の雰囲気などから考えて、緻密にきちんと行うことが苦手な人が多いという印象を受けざるを得ない。

 

・人の顔を識別するのが苦手な私は、モンゴルの人の顔を見分けるのに苦労した。モンゴル人はみんな似ている! これほどみんなが似ている国民は少ないのではないか。男性は、8割くらいの人が、白鵬か朝青龍か旭鷲山にそっくり。とりわけ、朝青竜に似ている人が多いと思った。さっきの人と今の人が同一人物なのかどうか、たびたびわからなくなった。私についていたガイドさんは白鵬に似ていたが、(たぶん目印として)ニューヨークヤンキースの野球帽をかぶっていたので識別できたものの、帽子を脱いだとたん、どの人がガイドさんなのかわからなくなっていた(ガイドさん、ごめんなさい!)。モンゴル人はみんな兄弟のようだと思った。

 

・ゲルというのはモンゴルの誇るべき伝統文化なのだと思っていたら、現実にはそうでもなさそうだった。ガイドさんの話をつなぎ合わせて考えると、モンゴルの市民はゲル地域の人とマンション地域の人の二つの階層に分かれているようだ。ゲル地域の人は貧しくて、暖房に石炭を使うために、その周辺は空気が悪い。マンション地域では水蒸気を使ったセントラルヒーティングになっており、空気を汚さない。そのため、経済的余裕のある人は空気の汚れていないマンション地域に移り住んでいるようだ。

 

・韓国人観光客が異様に多かった。テレルジのゲルの私の周辺は韓国人の若い男女や中年男女でいっぱいだった。そのほかは中国人が多かった。西洋人(フランス人が意外と多かった)、日本人もしばしば見かけた。韓国人が多いのは、北朝鮮のミサイルへのサード配備の問題で韓国人は中国に行けなくなったため、その周辺地域への旅行客が増えているのだろう。

 

・都市全体が世俗的だと思った。寺院もあまりに現世利益的。厳かさや精神的な深さが感じられない。ブータンとはかなり異なる。社会主義の時代のために、過去のモンゴルの文化は失われてしまったのだろうか。それとも、私の選んだツアーがそのような傾向だったのだろうか。

 

・帰りの飛行機のエコノミー席には180人近くの客が乗っていたと思うが、トイレが二つしかなかった。5時間ほどの飛行時間で、しかも、朝の出発(つまり、家やホテルを朝の6時くらいに出て、朝食を機内でとっている)のだから、一人一回程度はトイレに行くし、かなりの人が短時間で済まない。トイレの前にはずっと長い列ができていた。この飛行機を海外の長距離に用いるのは無理があると思った。

 

・ガイドさんがつきっきりのツアーだった。ホテルでの朝食以外は、朝、昼、晩とガイドさんととった。とても優秀なガイドさんだったが、ひとりで散歩したり、自由に食事したりする時間がなくて少々きつかった。ガイドさんから離れた時には、私の体力ではかなり疲れきっていて、もう外に出る気力を失っていた。私のようなわがままな人間は好き勝手に街の中をふらふら見たいと思う。言葉も文字もまったくわからず、一人で観光地を回る自信がないので、ガイドさんにはいてもらいたいが、もう少し余裕がほしかった。もしかしたら、大渋滞のために予定通りの時間が取れずに、このような過密スケジュールになったのかもしれないが。

 

・ウランバートルがどんなところを知っただけで、とても有意義だった。ゴビ砂漠ツアーがあるとガイドさんに聞いた。そのうち行ってみたい。ただ、私のような体力も根性もない人間には少々つらいのかもしれない。

 

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ウランバートル(モンゴル旅行)3日目

 一昨日(2017822日)、ウランバートルから帰国した。昨日は、体調もよくなかったため、ゆっくり休養。本日(824日)、活動開始。ウランバートル3日目(821日)かkらの行動について記しておく。

 

ウランバートル3日目(2017821日)

 

 テレルジの国立公園内のキャンプ場にあるゲルで宿泊。

テレルジを朝のうちに出発し、ガイドさんに連れられて車でエルデネ村に行き、チンギス・ハーン像テーマパークをみた。高さ12メートルのステンレス製のチンギス・ハーンの騎馬像。展望台があり、お土産物がある。周囲に様々な施設を建設予定だという。ただ、正直なところ、私には少しも魅力的には見えない。像そのものも何の変哲もない、芸術性など全く感じられないものだし、娯楽施設も何もない。先ごろ大統領になったバトトルガ氏の会社が行った事業だというが、観光客もそれほど訪れているように見えない。しかも、できてから10年しかたたないというのに、階段があちこち壊れ、道路にもへこみや水たまりが多い。

 その後、ウランバートルに戻って、まずザイサン・トルゴイという丘に行った。ソ連とモンゴルの友好を記念するためものらしい。頂上に行くとウランバートルを一望できるとのことで、ここがウランバートル市内観光の出発点として選ばれたのだろうが、残念ながら、頂上まで階段を歩く体力の不足を感じて、中ほどでめげた。ただ、あまり芸術性も歴史性も感じられそうもないと思った。

 その後、一般家庭での昼食がツアーに含まれていた。スープとチャーハンをお年を召した女性が出してくれた。これはおいしかった。1LDKのこぎれいなマンションで、とても趣味のよい清潔な部屋だった。ただ、これが本当の一般家庭かどうか少々疑わしい。生活感があまりにないし、この年配の女性はツアー・スタッフの関係者らしい。もしかしたら、このような場所にビジネスとして使っているのかもしれないと思った。ま、もちろん、それでも一般家庭の雰囲気を味わえるのはありがたい。

 その後、ガンダン寺にいった。19世紀にたてられたチベット仏教の寺院。社会主義政権の初期には弾圧されたらしいが、その後、復権されて、現在に至っているという。市民の信仰の場になっているようで、多くの市民が参拝に来ていた。堂内ではたくさんの僧侶が一堂に会して読経をし、若い見習い層のような人たちが読経の練習をしているようだった。

 ただこれも、ブータンで実際に見たり、チベットの映像を見たりしたのと比べると、あまり信仰心が強いようには見えない。塀が壊れていたり、草がぼうぼうに生えていたり、コンクリートで簡易的にあちこちを修復したような跡があったりで、威厳がない。念仏を唱えている僧侶たちも、あまり熱心に見えなかった。居眠りしている年配の僧侶やおしゃべりしている少年僧もいる。

 その後、デパートを見た後、大渋滞を縫って、民族舞踊コンサート(たぶん、トゥメン・エフ民族アンサンブル)鑑賞。これは、とてもおもしろかった。ホーミーを初めて聴いた。確かに一人の男性が重音を出し、それが不思議な和音を作っている。そのほか、馬頭琴もいくつかの金管楽器も大変おもしろかった。歌も見事。モンゴル人のオペラ歌手が注目されてきているが、なるほど、オペラが盛んなのが納得できる。オペラの歌唱とはかなり異なるが、力強くよく響く声。中心地域にオペラ劇場があって、オペラ好きが多いというのも頷ける。

 その後、またまた大渋滞の中、チンギス・ハーン広場に行った。ウランバートルの中心をなす広場。スフバートル広場と呼ばれる時代も長かったようだ。私の泊まるホテルがこの広場のすぐ近くなので、初日にホテルの部屋から見えていた風景だが、この時初めて足を踏み入れた。広い広場の周りを政府関係の建物、オペラ座などがある。モンゴルの威信をかけているかのようなきれいで威容のある広場と建物だ。

 ざっと周囲を散歩して、そのまま大渋滞の中、レストランに行き、食事をしてホテルに戻った。

 翌日、朝6時にホテルを出て、空港に向かって帰国。

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ホテルの部屋から見たチンギス・ハーン広場

 

 

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ウランバートル駅

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駅付近で馬乳酒などを売る人

 

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草原

 

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テレルジの山とゲル

 

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チンギス・ハーンの騎馬像

 

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ガンダン寺

 

 

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ウランバートル

以下の文章を書いたのは、今朝(2017821日)だった。が、ネット環境が悪く、アップできなかった。ウランバートルのホテルに到着して、やっとアップできそう。この続きは、日本に帰ってからにする。

 

今、私はウランバートル近郊の国立公園テレルジ内のキャンプ場のゲルの中にいる。

ウランバートルに到着したのは昨日、2017819日。モンゴル観光を専門にする旅行代理店のツアーを申し込んだ。何人かのツアーかと思っていたら、カイロ、ブータンに続いて客は私1人だった。今年、10回計画している海外旅行の6回目。

 チンギス・ハーン空港でガイドさんに会ってそのまま車でホテルに向かった。ホテル近くのガイドさん(20代のとても日本語の上手な男性。子どもの頃、日本に住んでいたとのこと)とレストランで食事を終えたらもう夜だった。治安が悪いので夜は外に出歩かないようにガイドさんに厳しく言われていたので、急ぎの雑用を済ませただけでそのまま寝た。ウランバートルの何も見ていない。

 歩いているのは日本人とほとんど顔の区別のつかないモンゴル人だが、建物はロシア風。あちこちが広々としている。看板の文字もキリル文字が多い。車は圧倒的に日本車が多い。しかもプリウスが目立つ。

 

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朝ガイドさんに連れられて車で駅まで行った。途中、小さな朝市が開かれている場所に寄った。馬乳酒、果物、野菜が並んでいる。酸っぱいものが苦手な私は馬乳酒は一口で懲りた。

 ウランバートル駅は新しいが、駅舎は小さい。東京の私鉄の駅と大差がない。だが敷地は広大。駅の中は人でごった返していた。9月からの新入学の前の時期だということで、若い人やその親に見える人たちがたくさんいた。ウランバートル駅の列車を使うのはほとんどが遠距離客らしい。通勤に列車を使う人はごくわずかだと言う。

ロシア製の列車に乗って出発。シベリア鉄道の一部だとのこと。1970年代にフランスやイタリアンで乗っていたコンパートメント式の列車によく似ている。懐かしい! そのコンパートメントのひとつにガイドさんと乗り込んだ。2段式の寝台車になっていた 実は私は、この列車に乗るというスケジュールがあるために、このツアーを選んだのだった。列車好きの人間には、ほんの少しでも列車に乗るのはうれしい。数年前、ハバロフスクからウラジオストクまで乗っていらいのシベリア鉄道。

 

 ウランバートル駅を出ると、すぐにゲルがたくさん見えるようになる。マンションで暮らすことのできない人がゲルで暮らしていると言う。そのうちに草原が見えてきた。牛や馬や羊が草を食んでいる。ウランバートル駅から数キロのまだ道で車がたくさん通っているところに草原があり牛や羊や馬が放牧されていることにびっくり。徐々に草原が多くなり、動物の数が多くなった。そして見渡す限りの草原になった。

 ウランバートルから50分ほど乗ってホンホル駅で降車。ウランバートル駅まで送ってくれた車に乗ってテレルジ国立公園に向かった。車はガイドさんと私をウランバートル駅でおろしてホンホル駅で待っていた。

 しばらくなだらかな草原を走った。放牧されており、牛や馬や羊やヤクがあちこちにいる。しばらく行くと、それまでの草原と雰囲気の異なる風景が遠くに見えてきた。岩山が多く、切り立った山も見える。それがテレルジ国立公園だった。道は舗装されていないところもある。しかも雨たまりや雨でできた溝が出ている。車は、それらの溝を避けながら、ゆっくり走る。

 キャンプ場に到着して、ゲルに入った。要するにキャンプ場のテントの代わりにゲルが並んでいる。ゲルは個室になっていて、私にも一室が与えられた。その時点で、快適な一日が過ごせることはあきらめた。ストーブとベッドと椅子があるだけ。洗面台はあるが、水道が通っていない。自分でバケツでくんでくるしかない。共同シャワーはあるが、そこまで寒い中を100メートルほど歩かなければならない。夕方、すでに15度くらい。夜は5度前後になるらしい。

 その後、すぐにゲルを出て、牧場を経営している農家に行き、乳製品(馬乳酒やお菓子)を少し食して、次は乗馬体験。列車に乗るということばかり考えてこのツアーに申し込んだのだったが、後で乗馬体験が含まれていることに気付いた。断ることもできたようだが、まあこれも経験だと思って、馬に乗ることにした。

少女の乗る別の馬に先導してもらって、ゆっくりと進む。初めはバランスを取るのが難しかったが、すぐに慣れて、そこそこ乗れた。見る風景が素晴らしい。岩がせり出してた山々。人が乗せたとしか思えないような石が山頂や尾根に見える。亀石と呼ばれている、まるで亀のような形をした岩山まで行って馬を降りた。

 その後、寺などを見て、ゲルに戻った。

 寒い。乗馬には持ってきたすべての服を着こんで臨んだが、それでも寒かった。たぶん。温度は10度そこそこだと思う。しかも、天気が不安定で、しばしば小雨が降る。ズボンがしっとりとぬれている。ゲルのベッドにもぐりこんだ。ストーブがあり、薪があるが、ストーブに火を入れるのは夕食後だという。なんとか寒さをしのいで、キャンプ場のレストランでガイドさんと食事。その後、ゲルのストーブに火を入れてもらった、なんとか寒さをしのいだ。

 ところが、夜になって、ストーブの火が消えそうになっていた。薪は1時間程度で燃え尽きてしまうことを知らなかった。消えかかった火に手持ちの紙(旅行の日程表の既に不要な部分)や、地球の歩き方の今回使用しない部分をストーブに入れて、なんとか火を元気づけようとしたが、無駄だった。仕方なしに、22時過ぎにガイドさんを呼んで、スタッフに再び火を起こしてもらった。その日は5、6度くらいの温度になりそうだということで、石炭を入れてもらった。

 ただ、それで安心かと思っていたら、朝の4時ころ、寒くなって目が覚めた。石炭の火力が弱くなっていた。あわてて薪をくべた。薪をどうくべるかで、火が強まったり、そのまま消えたりする。当たり前のことだが、まきを使った経験がないと実に困る。

 トイレに行きたいが、そこに行くには5度の寒さの中を歩かなければならない。できるだけ我慢するしかない。8月中旬だから、まだ温かいと思っていたが、ちょっと時期が遅すぎた。

 今、朝の7時前。6時ころ、薪の火力が弱まってきたので、目を覚まして、ゲルの中でこれを書いていた。今日はこのくらいにする。

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天津旅行まとめ

 一昨日、2泊3日の短い天津旅行を終えて帰国した。天津で特に何をしたわけでもないのに、かなり疲労を感じて、昨日は一日ぐったりしていた。天津の3日間をまとめてみる。

 

天津3日目(2017721日)

 とても涼しい。最高気温が26度という予報だった。前日は38度だったので、10度以上の差。実際、朝食のために外に出てみたら、むしろ肌寒いほど。冷たい風が吹いている。雨の予報だが、いつ雨が降り出してもおかしくない状況。あれこれ店を探すのは面倒なので、昨日と同じ「李先生」で朝食をとることにした。このチェーン店、あちこちで見かけた。ネットで調べたら牛肉麺が売り物らしい。それを食べることにした。これはなかなかうまかった。

 セブンイレブンで買い物をしてホテルに戻り、日本のテレビ番組をみたり、出発の準備をしたりして過ごした。

 出発は一時間遅れたが、JAL機で中部空港到着。その後、夜の飛行機で羽田へ。帰宅は2330分ころだった。

 

天津旅行のまとめ

・私は民度の目安の一つとして交通マナー、タクシー料金の公正さを考えている。上海よりは少しよくない気がした。最終日にホテルから空港まで乗ったタクシーの運転手さんはかなり乱暴な運転だった。ぎりぎりまで接近し、追い越し、割り込み、あおって運転する。後部座席にはシートベルトがないので、少々こわかった。

ただ、料金はメーター通りに52元だった。考えてみると、空港とホテルを結ぶ道は迷いようのないわかりやすい道。東京で言えば、おそらく羽田から表参道の交差点に行くようなものだ。それなのに、初日、空港からホテルに向かうタクシーは何度も細い道を通り、ぐるぐる回り、料金も70元ほどした。きっとごまかそうとしたんだろう! 私はmaps.meでフォローしながらタクシーに乗っていたので、時々、ナビの指示とは異なる道に入りこむのには気づいていた。あまりにひどいようなら抗議しようと思っていた。許容範囲内なので黙っていたが、帰りのタクシーに乗った後になって、行きのタクシーが明らかに意図的に遠回りしたことに確信を持った。

天津はまだまだ交通マナー、タクシーマナーについては先進国レベルではない。

 

・暑い地域での民度の目安として私が考えているのは、上半身裸の男だ。途上国に行くと必ず見かける。本当の途上国では、子どもが素っ裸でいたりする。上海では見かけなかった気がするが、天津では上半身裸の男は何人か見かけた。上半身裸とまではいかないまでも、シャツをたくし上げて胸近くまで上げて歩いている男は何人も見かけた。まだ、そのような文化が残っている。

 ただ、私はこのような姿を見るとホッとする。近代化されずに残っている人間身を感じる。昭和のころ、私も私の父も友人たちもそのような格好で外を歩いていたのだから。

 

・あちこちでプロ意識の不足を感じた。市内観光のガイドさんもその典型。それ以外に、タクシーの運転手にも感じた。空港とホテルの間以外にも何度かタクシーを使ったが、道を知らずにスマホのナビをセットする運転手が何人かいた。日本人観光客に行こうとするところなど、指折りの観光地に決まっているのに、その場所を知らなかった。ホテルのフロント、お店の店員も、まるで今日始めたばかりのアルバイトのような雰囲気の人が混じっている。あちこちで、「これで大丈夫なのだろか?」と思った。今回たまたまそんな場面に出会っただけなのか? 伝統的な職業がなくなって、多くの人が新しい時代に適応して新しい仕事を始めたということなのだろうか。そして、今、それに誇りを持てずにいるということだろうか。日本でもしばしば「研修中」という人を見かけるが、そんな人ももう少しまともな気がする。

 

・ホテルのすぐ近くに日本語で「成人の店」と書かれた小さな店があった。興味をもってのぞいてみたら、いわゆる「大人のおもちゃ屋」だった。自動販売機に怪しげな道具がぎっしりと並ぶ無人の店だった。日本人向けなのだろうか。こんな店があちこちにあるのだろうか。中国政府はこのようなものを許しているのだろうか。もちろん私には用のない品物ばかりなので、何も購入しなかった。だいぶ前に、私は夜の街の探索を卒業したが、そのあたりの状況がどうなっているのか気になった。

 

・文化的に見るべきものがないという印象も抱いた。市内観光をお願いしたガイドさん特有のキャラクターによるのかもしれないが、連れていかれた場所のいずれも美術的、芸術的にかなりレベルの劣るものに思えた。日本人なら、どんなに芸術についての素養のない人でも一目で、それが芸術と呼ぶものに値しないとわかるような絵画や陶器を中国の人は人だかりを作ってみている。中国人は、長い間、お金儲けにばかり気を取られて、芸術に目を向けることを怠ってきたのだろうか。それとも、行くべきところに行けば優れた芸術に出会えるのだろうか。それともたまたま天津があまり文化的な土地ではないのだろうか。

 

・上海ほど国家資本主義によって無理やりに大躍進を遂げた大都市という雰囲気はなかった。古いものと新しいものがそれなりに折り合いをつけながら発展しているのを感じた。路地に昔ながらの、ちょっと不潔そうな店があり、そこに庶民がやってきて総菜を買ったり、おしゃべりしたりしているのは、とても健全なことに見えた。上海はそれが見られなかった(もちろん、たまたま私がそのようなところに行かなかっただけかもしれないが)。

 

・制限した内部での無秩序をあちこちに感じる。国家自体がそのようなシステムなのだろう。空港から出るにも、地下鉄に乗るにも、時には大きな店に入るにも荷物検査を受ける。どこにも大勢の制服を着た管理側の人間がいて管理している。だが、そのわりに内部は無秩序で、混乱している。国が枠組みを作り、それに違反する人は厳しく罰し、強権で一部の市民を排除するが、一般社会では人々が思い思いに金儲けに邁進し、時には汚いことをしても他人を出し抜こうとし、それほど規律だって生活しているわけではない。これが中国の原動力なのだろう。もう少し成熟すると、もっともっと文化的に世界をリードするものが生まれてくるのだろう。しかし、そうなると、制限そのものを否定するようにもなるだろう。

 

とりたてて大観光地があるわけではなかったが、私個人としては天津旅行を十分に楽しんだ。あといくつか中国の都市に行ってみたいと思った。

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 天津の二日間

 昨日(2017719日)から天津に来ている。今年に入って月に一回程度の海外旅行をしているが、今回は天津にした。

 旅の場所に天津を選んだ理由は三つある。第一の理由、それはマイレージを消化するのに最も都合がよかったということだ。思い立ったのが遅かったためか、ほかの都市はすでに予約でいっぱいだった。中部空港経由の天津だけはまだ予約できた。

第二の理由は、多摩大学で天津財経大学の交換留学生と何人も付き合ってきたことだ。私のゼミに入ってくれた留学生もいた。天津ってどんなところだろう、天津甘栗と天津丼くらいでしか知らないけれど・・などと思っていた(ついでに言うと、甘栗も丼も実際には天津が名物ということではないらしい)。三つ目の理由というのは、昨年は広州、先月は上海に行って中国の躍動を目の当たりにしたが、もう少しほかの都市を見てみたいと思った。

 

1日目(719日)

 19日の朝、羽田を出て中部空港経由で、午後、天津濱海空港についた(飛行機の中では、「君の名は。」を初めてみた。中国語字幕がついていたので煩わしかったが、とてもおもしろいと思った)。空港から出て中国国内に入るときにも赤外線の荷物検査を受けた! もしかして空港出口ではなく、出発口に迷いこんでしまったのかと思った。おそろしく厳重な検査!

 空港は上海や広州に比べると客も少ない。時間帯によるのかもしれないが、入国審査も列を作ることもなくスムーズに進み、外に出た。地理的な無知をさらすようで恥ずかしいが、私は天津というのは少なくとも東京よりは涼しいのだろうと思っていた。ところが、このところ37度くらいまで温度が上がっていたらしい。覚悟していた。覚悟していたほどではないが、暑い。33~3度はあるようだ。

中国ではタクシー料金が安いので、少し離れたところにあるタクシー乗り場に急いだ。若い運転手さんのタクシーに乗りこんだ。上海の時と同じように、エクスペディアで予約したホテル名を英語で口にして、印刷した用紙を渡しても運転手さんは理解してくれなかった。英語の文字を読めないようだ。ワン・ツー・スリーといったレベルの英語もまったく通じない。運転手さんは車を降りてタクシー乗り場の守衛のような人に尋ねて、やっと出発。しかし、到着といわれて、料金を支払って外に出てみると、私の予約したホテルではない。ただ、私のホテル(日航ホテル)はそこからすぐだったし、私もmaps.meというアプリ(wifiなしで使える地図。ナビにもなる)で確認していたので、それを運転手さんに見せて、500メートルほど余計に走ってもらった。その分、10元追加料金を取られた。

英語が全く通じない人がかなりいる。「ハウマッチ」さえも通じない。内気というわけではない。中国語でガンガンとしゃべっており、なんとか話をしようと思っている人が、基本的な英語を知らない。どういうわけだろう。中国ではしっかりと英語教育をすると聞いていた。私が教えた中国人留学生たちも英語がかなりできていた。

タクシーから見えた光景は、上海や広州を少し小規模にした感じとでもいうか。近代的、あるいは未来的な高層建築物があり、高層マンションがあり、道路は整備され、良い車がたくさん通っている。交通マナーは東南アジアに比べれば悪くない。特に貧しい地域は目に入らない。取り残された雰囲気のある街もあるが、それでもそれほどの貧しさは感じない。

チェックインの時間になっていなかったが、部屋に入って一休みして、ホテルの日本人スタッフ(少々古い作りで、室内のエアコンが一括管理であるために温度調節ができないなどの不便がないでもないが、感じのよいホテル。日本人スタッフもとても親切)に地図をもらって周辺を歩いてみた。南京路から近くの道に入ってみた。日本語にはない漢字なので、変換できない。似た漢字を当てておくと、歩いたのは、管口道や浜江道、西宇道だ。ブランド店や百貨店やチェーン店(マクドナルドやユニクロなどの店がある)があり、人々が買い物を楽しんでいた。上海や広州に比べるといくらか静かな雰囲気がある。人もそれほど多くないし、みんながそれほど大声で話しているわけでもない。おしゃれな人が多く、30年ほど前とは逆に、化粧の薄い人、あまり大胆な色合いの服を着ていない人をみると、日本人ではないかと感じる。スマホを見ながら自転車、バイクに乗っている人が異様に多い。赤信号を堂々と渡っている歩行者(ほとんどが高齢者)が多いのにもびっくり。これも一つの文化なのだろう。

1時間半ほど歩きまわったが、あまりに暑くて冷房に当たりたくなった。セブンイレブンでお茶(甘いかどうかを確かめて買おうとしたが、店員さんはまったく英語が通じなかったのであきらめて買ったが、やはり甘い緑茶だった)などを買って、ホテルに戻り、また休憩。

ついでに言うと、セブンイレブンがやたらと多い。上海は確かファミリーマートが多かったが、何かの事情でそうなっているのだろう。品ぞろえは日本とさほど変わらない。日本の製品、日本でもよく見かける品も多いが、そのようなものは日本と同じかそれ以上に高い。中国製品になると、日本の半額か三分の一くらいになる。それなのに、多くの人が日本で見かけるのと同じような商品(ポテトチップ、チョコレート、お菓子など)を買っている。

夕方からタクシーで鼎泰豐(ディン タイ フォン)という有名レストランに食事に行った。多くの客が車で集まるような有名店らしい。日本人の客もいるようで、日本語も聞こえてきた。小籠包などをお腹いっぱい食べた。とてもおいしかった。

何はともあれ、海外の初めての街を歩くのは楽しい。観光地に行くまでもない。人々が歩いているところを歩くだけで、ほんの一端かもしれないが、その土地を感じることができる。それが好きでこれまで旅をしてきた。

 

2日目

朝、早く目が覚めた。しばらくぐずぐずしていたが、8時近くになってホテルの外を歩いてみた。

まず、全体が煙っている感じ。大気汚染だろうか。霞がかかっているようで、少し離れたところにある高層建築物がうっすらしている。通勤客が大勢歩いている。自転車(レンタル自転車を使っている人が多いようだ。なかなか便利そう。スマホをかざすとカチッという音がして鍵が外れるシステムのようだ)の人も多い。

繁華街の裏道を歩いてみた。小さな庶民的な店が並んでいた。パンや惣菜、ミルクなどを買う人が大勢押し掛けている。現代的な建築物の裏でこのような生活が行われているのがよくわかる。小さな公園があったので入ってみた。お年寄り(といったも、私よりも年下の人のほうが多かったのかもしれない)が、太極拳のようなことをしたり、フォークダンスのようなものを踊ったり。ジョギングをしている人もいる。

ホテルでの私の宿泊プランは朝食なしだった。中国ですごすのに朝食をホテルで食べることもあるまい、外でいくらでもおいしい地元の料理を食べられるだろうと思って、あえてそのプランにしたのだった。が、いざ、歩いてみると、庶民的な店に食欲をそそられながらも、中に入る勇気がない。不衛生なもの、危険なものが使われているかもしれないという思いがある。やはりホテルで食事をししようかと思っていた時、町の一角に「李先生」という中国人らしい男性の顔の入ったロゴマークのチェーン店らしい店を見つけた。ケンタッキー・フライド・チキンやマクドナルドの「パクリ」といえば、その通りだが、日本も一昔前はパクリばかりしていたのだから、それは当然のことだろう。チェーン店ならともあれそれほど不潔なことはしていないだろうと思って、粥と肉まんのセット(9元。日本円で150円程度かな?)だった。味のほうは特に美味しいわけではなかった。

いったんホテルに戻って、10時からある旅行会社を通じて依頼した半日観光ツアーに参加。といっても、今回も私一人だけ。ガイドさんは若い中国人男性。とても感じのよい、おとなしくて真面目な青年だったが、いかんせん日本語がうまくない。というか、ほとんど通じない。会話が成り立たなかった。しかも、あまり天津の地理や歴史にも詳しくなく、私が質問をしても、語学的な問題とともに知識的な問題もあってほとんど答えてもらえなかった。また、道に迷ったり、博物館があると知らなかったり。しかも、これまで経験した市内観光はすべて専用車だったのだが、今回はタクシーを使ってのツアー。タクシー代はすでに支払ったツアー料金(中国の半日ツアーとしてはかなり高額!)に含まれているということで新たに請求されることはなかったが、そのせいか、どうもガイドさんはタクシー代金を節約しようとしているようで、「どこか行きたいところはありますか」と尋ねてくれたのはいいが、私が行きたい場所を答えると、「そこはちょっと遠いので」と渋る始末だった。

 それでも古文化街、静園(溥儀が過ごした館。表示の英文を読んだところ、溥儀は西洋かぶれの人物として批判的に解説されていた)五大道(旧イギリス租界の5つの通りの走っていたところ)、天津外国語大学を訪れ、庶民的なおいしいレストランにも連れていってくれた。

 しかし、あまりに暑く、観光に疲れた。それに、このガイドさんではらちが明かないと判断して、早めにツアーを切り上げてもらってホテルで休憩した。

 1時間半ほどホテル内で涼んで、気を取り直して、一人で出発。朝、ホテル近くを歩いている時、地下鉄の行き先に「天津財経大学方面」という表示を見つけた。「天津財経大学」という駅があるらしい。この大学の留学生を何人も教えてきたので、ついでだから大学まで行ってみようと思い立った。

ホテルを出ると、ますます暑くなっていた。16時過ぎに中心部の地下鉄駅の「現在の気温」の表示が38度になっていたので、おそらく私がホテルを出た時はもっと暑かっただろう。天津財経大学駅から大学まで歩こうと思っていたが、ちょっと大げさに言うと命の危険を感じるほどの暑さだった。これまで一度も経験したことのない暑さというか。40度は超えていたのではないか。すぐに地下鉄で引き返して、今度は天津駅に行ってみることにした。

 ところで、地下鉄内でちょっとしたことが起こった。

 私は66歳。日本では、一度だけ電車の中で席を譲られそうになったことがある。その時は、丁寧にお断りした。ところが、中国でたかだか合計で1時間ほど地下鉄に乗っている間(しかも、私が電車の中で立っていたのは合計15分くらいだと思う)に二度も席を譲られた。外国人だから席を譲られたわけではない。私はどこでも中国人に見られる(日本人の多い日航ホテルでも、ほかの日本人はスタッフに「おはようございます」と声をかけられているのに私は「ニーハオ」と声をかけられる)。だから、間違いなく私は老人と見られて席を譲れられたのだろう。大変心外だ。しかし、中国の人はなんと心優しいんだろう! 日本人となんという違い。中国人はマナーが悪く、席を奪い合うと一部で言われているが、まったくそんなことはないではないか! 心外に思いながらも、「中国人、あっぱれ!」と思ったのだった。

 地下鉄駅に入るにも荷物検査を受けなければならなかった。天津駅に到着したが、国鉄の駅に入るにも荷物検査を受ける必要があるようで長蛇の列ができていた。駅を見物したいと思っていたが、恐れをなして、そのままホテルに戻った。

 ホテルで一休みして、夕食に外出しようと思っていたが、暑い中を歩く気力がなくなって、ホテル内で食事した。天津の料理があるかと思っていたら、日航ホテルだけあって、和食が中心。牛丼を食べた。

 ちょっと夏バテ気味。明日はほとんど観光はしないで、日本に帰る予定。

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無事帰国したが・・・

 昨日2017623日、上海からともあれ帰国した。ただ、昨日のうちには自宅に帰れなかった!

 が、順を追って書こう。

 午前中、魯迅公園に行き、魯迅記念館を見学した。

魯迅公園は地下鉄の虹口足球場駅付近にあるかなり大きな公園。遊園地があり、その先では、多くの市民が散歩したり、体操したり。奥の方では催しが行われていたようで、音楽をかけながら多くの中年男女がフォークダンスをおどっていた。どこに行っても人の渦のような上海で、少し落ち着く場所ではあった。が、あちこちでフォークダンスの音楽が聞こえたり、遊具の音がしたりで、静かな場所とは言いがたい。

魯迅記念館には魯迅の原稿、写真、著書などが展示されていたが、日本語の解説もなく、日本での活動についてもあまり大きな紹介がなかったので、私としてはそれほど楽しめなかった。

その後、地下鉄で陸家嘴駅に行き、高さが300メートル、400メートルを超す巨大ビルを間近にした。宇宙船のような形をした東方明珠の展望台に行こうかと思ったが、チケット売り場らしいものがあるもののどこでなんといって買えばよいのかわからなかったのであきらめた。というか、近くで見て、あまり登りたいという意欲がわかなかった。

あまりゆっくりしていられないので、その後、昼食をとり、ホテルに戻って荷物を引き取って、地下鉄で浦東国際空港に向かった。ケチったわけではないが、地下鉄で空港まで行くのもおもしろいと思った。かなり時間がかかったし、直通だとばかり思っていたら、途中で列車を乗り継がなければならなかった。乗客全員が降りたので焦った!

その後は、空港でずっと待ち続けて、飛行機に乗って東京に戻った。

私が予約していたのは、中国国際航空の1720分出発の便だったが、18時半ころになってやっと搭乗が始まった。その間、アナウンスは一切なかった。搭乗後も、お詫びの言葉も一切なし(もしかしたら、英語のアナウンスを私が聴き逃したのかもしれないが)。1時間30分以上遅れて出発し、1時間35分ほど遅れて成田到着。そこでも、お詫びがないどころか、遅れたということさえも一切アナウンスがなかった。当たり前のように1時間35分遅れで到着。

CAさんは税関申告書を配ってくれなかった(私は窓側のシートだったのでわざわざ持ってきてもらうことはできなかった)ので、空港に到着してから書いていたら、そのような時間の無駄もあって、出口の到着したのは2240分を過ぎていた。スカイライナーもすでに運転を終了していた。自宅に帰れなくなった。京成線特急で都内に行き、やむを得ず仕事場で一夜を明かした。

私以外にも、電車がなくなって家に帰れなくなった人は大勢いただろうと思う。ネットで調べると、中国国際航空は遅延が日常的だとのこと。知っていれば、もっと早い便にするんだった!! 今後、よほどのことがない限り、この航空会社は使いたくないと思った。

上海について、中国について、少々考えたことがある。が、実はまだ忙しい。少し暇になってから書く。

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上海に来ている

上海1日目(2017年)

 

 621日から上海に来ている。多摩大学を定年退職した後、ほぼ毎月、海外旅行をすることにしている。しばらく大学に拘束される時間を過ごしたので、久しぶりに「自由人」として生きたいと思った。昔、あちこちを旅していたころに比べると、ずいぶんとしがらみがあり、義務を持ち、好き勝手をしていられない事情があるが、それでも少し息抜きしたい。今年に入って、カイロ、バンコク、ブータンを訪れたが、今回は上海にした。高齢の母の調子がよくないので、短い旅に甘んじている。4回目の中国だが、上海は初めて。

 上海浦東空港に到着後、すぐにリニアモーターカーに乗って市内へ。実は今回の旅の大きな目的がこれ。私はいわゆる「てっちゃん」ではないが、旅に出ると列車に乗りたくなる。列車に乗るために旅に出たくなる。

ただ、リニアモーターカー(中国では、「磁浮」と呼ばれている)は、私の乗った時間帯は最高時速300キロで、乗り心地も新幹線とほとんど変わりがなく、しかも乗車時間は7、8分で、ちょっと感動は薄かった。そのためか、それほど人気はないようで、かなりガラガラだったし、駅も閑散としていた。

龍陽路駅からはタクシーに乗ってホテルへ。リニアモーターカーやタクシーから見える光景は日本と変わらない。同じような自動車専用道路、同じようなシステムになっており、道路からは東京と同じような建物が見える。ただ、日本よりも奇抜なデザインのものが多いように感じるのは、単に見慣れていないだけのことなのかもしれない。

 今回はちょっと贅沢をしてかなり高級ホテル(でも、かなり安い!)にした。東京の高級ホテルには泊まったことがないので比べようがないが、先日、バンコクで泊まったホテルに異様に似ている。建物もスタッフも。ただ、不安なので日本語の通じる、日本人客の多いホテルにしたので、そのあたりは雰囲気が異なる。ホテルの周辺もそっくり。日本では言えば港区のようなところ。おしゃれな高い建物がいくつもあり、おしゃれな人たちが歩いており、宴会場や高級なレストランがある。今はまさしくグローバル化して、アジアの大都市の一律化を感じる。

 ホテルで一休みして、レストランへ。コンシェルジュの教えてくれたホテル近くのレストランに行った。小籠包と蟹(上海蟹だろうと思う)と野菜炒めと麺を頼んだつもりだった。味はよかったが、蟹は手が汚れ、しゃぶりついた割には食べられるところが少なかった。野菜炒めはあまりに大量だった。麺と思ったものは麺ではなかった。切り干し大根のような味がした。何だったんだろう? 大量に残した。皿はいずれも2人分か3人分だったということだろう。それでも、日本に比べればかなり安い。

 

2日目

 午前中は市内半日観光のオプショナル・ツアーに参加した。とはいえ、参加者は私だけ。豫園、外灘、南京東路、南京西路を見物。小籠包やシューマイなどをお腹いっぱいに食べた。とてもおいしかった。その後、ホテルに戻って一休みし、今度は一人で地下鉄に乗って南京東路まで行き、外灘などを2時間ほど歩きまわった。夕方、ホテルに戻って、また一休みして夕食に行った。昼間たくさん食べたので軽く済ませようとして、「麺」と書いている店に行ったら、おそらく日本のラーメン屋をまねた店だった。ほとんどとんこつと味噌を合わせたラーメン。まあおいしかったけれど、上海で食べなくてもよかったと思った。

 気づいたことをいくつか挙げる。

・まさしく浦東地区は未来都市。このところ雨が続いているということで、私が外灘を訪れた時も雨だった。雨の中、外灘から見える未来都市を形作る巨大な摩天楼群の上部は雲に隠れていた。

・昨年、広州に行って、中国が大躍進の真っ最中であることを実感した。巨大な権力が資本を集中するとこれほどのことができるのかと驚いた。だが、同時にあちこちに古い中国、貧しい中国が残っているのを感じた。だが、上海はすでに大躍進を終えている。古い中国、汚い中国は、少なくとも中心部では見当たらない。

・「ミサイル問題で韓国の人が観光に来なくなって、上海の人も困っているでしょう」とガイドさんに言ったら、ガイドさん(かなり完璧な日本語を話す若い男性)は、大真面目に「中国は豊かですから、韓国の人が来なくなったくらい、何でもないですよ」と答えた。

・上海の豊かさなどについて考えていることがないではないが、もう少し見てみないことには何も言えない。明日、もう少し見物してから、またこれについて書こう。

・電気バイクが多い。音もなく、通り過ぎる。

・交通マナーは広州よりもずっといい。比較的、安全運転。ただ、車は横断歩道に人が歩いていても平気で走ってくる。

・あまりに人が多い! 日本の駅で、ライブなどのイベントが終わった直後、駅に大勢の客がどっと押し掛けるが、こちらの主要駅ではずっとそんな感じの人の行列。人に酔ってしまう! 電車では、降りる人を待たずに、我先にと乗りこんでくる。中国の人は、日本で思われているほどマナーが悪くはないが、これには閉口する。

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 実は、上海にいながら、夜は仕事をしている。東京から仕事のメールが届く。ブログを書いている余裕はない。このくらいにしておく。

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ブータン旅行 その2

 ブータン旅行の3日目は朝のうちしかパロには滞在していない。朝の8時にホテルを出て、10時35分発のブータン・エアラインズの飛行機でコルコタ(かつてのカルカッタ)経由でバンコクに到着。そこで、7時間ほど待って、22時45分発(ただし、遅れて23時30分ころに離陸)のタイ航空の便で帰国。羽田到着は午前7時少し過ぎたころだった。自宅に帰ったのは9時半過ぎだった。待ち時間を合わせて移動に22時間30分ほどかかったことになる。移動は確かに大変だ。

 ブータン旅行記というほどではないが、昨日に続いて、簡単に感想をまとめておく。ごく短い滞在であり、しかもパロとティンプーしか訪れていないので、ブータンを見たうちには入らないが、ともあれ、短い滞在の中で気づいたことを書く。

 

・私はブータンという国がとても気にいった。大好きな国になった。私はブータンをずっと自分の育った大分県日田市と重ね合わせていた。私は田舎者だ! 親も田舎者だった。10歳で大分市という「都会」に出て、その後、18歳で東京に出た。うーん、俺は本当はブータンみたいなところで、静かに暮らすべき人間だったんだ、無理に都会人になろうとして、ずっと無理して生きてきたんだ! そう思った。

・幸福度ナンバーワンのブータン人。たぶん、本当に彼らは幸せなのだと思う。ガイドさんとも話した。もちろん私はお人よしではないので、すべてを真に受けない。ガイドさんは公務員なので、国王への尊敬も語り、国のよさを語る。もちろん、正直に、国の欠点も話してくれる。彼らの様子、話から、幸せでしかありえないと思った。私の祖父母も両親も、田舎で幸せに過ごしていた。細かい不満はたくさんあっただろうが、都会に出てお金儲けしようとも思わず、身の程知らずに成功しようとも思わず、先祖からの土地でそれなりに毎日生きて、それでよいと思っていた。それと同じことなのだろう。国中の人がそのような感覚なのだろう。大変失礼な言い方をすれば、国中の人が私の故郷の田舎者のような人たちなのだろう。そう考えれば、彼らは本当に幸せなのだというしかない。

・スラムがない。貧しい人々を見かけない。格差が少ないのではないか。目に見える人はみんなが楽しそう。外で遊んだり、学校に行き来している子どもたちも実に楽しそう。

・まるでスイスのよう。美しい山の風景、窓のきれいな建物。それがきちんと整理されている。勝手に建てるわけにはいかず、制限があるらしい。そのため、整然として落ち着いている。独自の生き方をする別天地。そのような意味でスイスを手本にしているのかと思ってガイドさんに聞いてみたが、そんなことはないという。ブータンでスイスが話題になることはないそうだ。山国で独自の道をめざすとこのようになるのが必然なのかもしれない。

・ともかく、ブータンの人々はがつがつしていない。どこにも客引きの音楽がかかっていない。ホテルもレストランも空港も一般の店も音楽がない。呼び込みもない。商業主義の行き過ぎがない。

・墓がないことに気付いた。九州の山道を車で走るとあちこちに墓が見える。どこにも墓がある。だが、ブータンでは一切墓を見ない。尋ねてみたら、祖先を祀ることはないという。葬式と49日の法要はするが、その後、祖先を祀ることはなく、どの家にもある仏壇も祖先供養のものではないという。本来の大乗仏教の教えに基づいた仏壇らしい。

・本当にブータンの人は輪廻を信じ、転生を信じているらしい。仏教の教えが身についている。だから、欲望を抑制することに慣れている。欲望がかなわないこともやむを得ないことと考える。そして、それに基づき、家族を大事にし、自分の生活を大事にするという。仕事のために家族を犠牲にすることはないらしい。

・とはいえ、必ずしも、ブータンの人たちがみんなしっかりしたまじめな人というわけでもなさそうだ。いろいろなところでザツさが見える。ブータン航空のCAさんは、投げるように昼食を渡してくれた。愛想もよくない。とても感じのよいホテルなのだが、客室ではもちろん、ロビーでもWiFiはしばしば切断されるし、私が室内にいる時にスタッフが黙って入ってくるし、シャワー室には前日にあった足ふきがいつの間にかなくなっている。行き届かないところが多い。必ずしも、他人に心配りをする人とは言えないようだ。まあ、要するに、これも「田舎者」ということなのだろう。

・料理はなかなかおいしいものもあった。そば粉で作った餃子は特に美味しかった。中に、たぶんナスとズッキーニと豚肉が入っていた。アスパラを炒めたものも絶品だった。ただ、実はこれらもブータン料理として定着しているものではないらしい。これといったブータンの名物はないとのことだった。確かに、タイ料理、ベトナム料理、インド料理ほどの存在感はないし、驚くべきおいしさは感じない。まあ、要するに田舎料理には違いない。

・近代化の状況がおもしろい。ティンプーやパロの中心地には4、5階建てのマンションはいくつもある。だが、お店はせいぜい3階建てくらいではないか。人口が少ないので、大規模店を作っても利益が出ないのかもしれない。小さなスーパーはあったが、それがせいぜいだった。

・中心街以外は、山のあちこちに家がいくつか見える程度。農業を営んでいるらしい。西岡チョルテンに行く途中、棚田が見えた。ちょうど田植えをしているところもあったが、このようにして山に田畑を作って作物を作っているようだ。

・水力発電と観光が最大の産業ということだが、観光はまだまだ課題が多そうだ。先ほど書いたようにホテルには不備がかなりある。現在、観光については観光局が管理し、客から一日300ドル弱のお金を取ってガイドをつけて国内を案内している。そのような観光のあり方もよいと思うが、もっと自由に見たいと思う。そのような観光が許可されることはないのかもしれないが。

・本当に国王は尊敬されているようだ。ガイドさんは公務員だったので当然だろうが、しばしば国王に対する尊敬の言葉を語った。月に何度か国王を見かける機会があるらしい。国のあり方を作った第三代の王様、先代の王様への尊敬も語っていた。本などで読む限り、確かにこれらの国王は国民優先に考え、自ら民主化を打ち出すなど、優れた王であるとは言えそうだ。

・旅行に行くと、その土地が好きになる。昨年から訪れている中国、韓国、エジプト、タイが好きになった。だが、ブータンは別格だと思った。ちょっと空港の離着陸や崖の道が怖いし、いたるところにウロウロしている野良犬には閉口するが、ここにはまた来たいと強く思った。「心のふるさと」だという気さえした。ゴ服が私に似合うということは、きっとこの地域の人の祖先も私の祖先も同じようなところで同じように暮らしていたのだろうと思った。

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