旅行・地域

桂林旅行中に考えたこと

 今回は、桂林の言葉をなくすような絶景を嘆賞し、世界有数の観光地を回っただけなので、中国について、その社会についてあまり見たり考えたりしなかった。ありふれたことしか考えなかったが、ともあれ、桂林旅行中に考えたことのいくつかを書く。

 

騒音社会・中国

 日本社会の音に対する鈍感さについては中島義道氏がしばしば書いている。私も全面的に賛成する。私も、日本の街の雑踏の騒音、不必要な音楽、不必要なアナウンスに辟易する。映画館やパチンコ屋の前や渋谷などの繁華街の大音響に悩まされている。そのため、カバンの中に耳栓を持ち歩いている。

 が、中国の騒音たるや、日本の比ではないと今回強く思った。もちろんずっと前から中国人同士の会話の声が凄まじく大きいことはよく知っている。知り合いの日本在住の中国人夫婦は、中国語で話すと疲れるので家庭では日本語を使っていると聞いたことがある。中国語で話をするのにエネルギーを要することは、中国人自身が気づいていることのようだ。同じレストラン、同じ船に中国人の集団がいると、日本人同士の会話が聞こえなくなるほど騒音がひどくなる。

 そして、今回、大音量の音楽、大音量のアナウンスを何度か経験した。観光船の中と雑技団公演の際、司会者が大音量のスピーカーを通して、元気いっぱいの声でしゃべりまくっていた。よどみなく、ジェスチャーを交え、息つく暇もないほどに語っていた。そして、雑技団公演では、そのあと大音量の音楽が続いた。大瀑布ホテルの屋上から大量の水が流れ落ちる時にも大音響の音楽。

 中国の人は日本人以上に騒音に無神経だと思う。彼らの喋り自体が大きいために、大音響に慣れっこになっているのが、その大きな原因なのかもしれない。そして、音に関してあまり敏感ではないので、スピーカーの音が割れていても、それほど気にならないのだと思う。

 

「大きいことはいいことだ」主義

 「大きいことはいいことだ」主義を感じた。大規模な資本を集中的に投入して、巨大なものを作る国家資本主義。あらゆるものを大規模化し、大勢の人を呼び、それが好ましいこと、正しいことになっていく。それが都市の形にも表れている。大音響にするのも、その表れだろう。きっと大音響にすることは、彼らにとって良い音楽にすることなのだと思う。必要以上の大きな音にして、大勢の人間を集め、良い音楽、みんなで楽しめる音楽にしようとしているのだろう。

 

「なんでも商売」主義

 観光船に乗る。雑技団の公演を見る。美術館のようなところに行く。日中友好協会のようなところに行く。初めは案内がついて観光や芸術や日中友好の説明がなされる。私たち観光客は商売気のない公的な機関かと思って、話を聞いている。ところが、どこもすぐにそれが「商売」に移っていく。観光船で土産物や香水の販売が始まる。美術館だとばかり思って案内を聞いていると、工芸品やお酒やお茶の販売会になってしまう。

 もちろん、観光ツアーに参加しているからそのような仕組みになっているといえば、それまでだが、それがあまりに露骨だ。どこに国でもツアーに参加すると、確かに「工場見学」などと称して作業場を見学して、その後、その品物の販売会になることがよくある。それでツアーは成り立っている面がある。が、これまで私がツアーで訪れたところでは、それらはあまり公的な臭いのしない小さな「作業場」だった。が、中国では立派な建物を構え、それなりにきちんと公的な仕事もしているような組織がそうしたことをする。そのような「商売」が堂々と成り立っている。

 そのせいか、社会主義と拝金主義によって、現代中国人の芸術意識はかなり薄れているように思った。美術館らしい場所に飾られている絵画があまりにお粗末に見えた。私は美術についての鑑定眼はまったくないが、さすがにこれほど凡庸だと私にもわかる。これらは、日本人を中心とした観光客だけを相手にした建物なのかもしれないが、それにしても、このような「美術品」を飾るセンスに私は疑問を持つ。また、雑技団の演技にしても、それに盛大な拍手を送っている中国人がたくさんいることに驚いた。

 ただし、誤解しないでいただきたい。ここに書いたことは、中国批判に見えるかもしれないが、私は反中国ではない。むしろ、中国びいき。ここに書いたことこそが、中国の原動力であり、その強みだろうと思う。このように組織的に大量に大規模な事業をされると、小規模なところは勝てない。電気自動車の部門でも、AIの部門でも、近いうちに中国が世界をリードするようになるだろう。そして、そのうち、中国も成熟していくだろう。

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桂林旅行

 2018315日から18日まで、ツアーに参加して桂林旅行をした。桂林に1人で行くのはつらい。ツアーに参加するほうが確実だと思った。そこで、昨年、ツアーに申し込んでいたが、最低催行人数に達しなかった。今回は、二度目の申し込みで、めでたく行けた。14名のツアーで、私は一人参加。ただ、ツアーの場合、早朝にモーニングコールで起こされ、7時台や8時台、早い時には6時台に観光に出発する。そんなわけで、ブログの文章を書く時間がなかった。帰国後、落ち着いた今、簡単に記す。

 

1日目(3月15日)

 午前中に羽田を出発して、全日空便で広州に到着。広州は一昨年、当時の勤務先だった多摩大学と提携している広東財経大学での特別授業のために、1週間ほど滞在したので、なじみのある土地。空港からバスに乗って南駅に到着。そこから高速鉄道に乗って桂林に向かった。

 高速鉄道は日本の新幹線に似ている。乗り心地もいい。1時間ほどたって、賀州駅に到着したころから、周囲の景色が変わってくる。山がまさに水墨画のような形になる。切り立った山が連なっている。しかも、周囲の雰囲気が異なる。ここは中国の広西チワン族自治区。漢民族中心の社会ではない。外は暗い。列車から人家はあまり見えないし、人家が見えても、光がついていない。1時間40分ほどで桂林に到着。駅は薄暗かった。駅のエスカレーターが、私が乗ろうとする直前、故障して急停車。まだまだインフラは未整備のようだ。

 その後、レストランで食事をとった後、ホテルへ。なかなかの大都市。桂林市内に暮らすのは70万人程度、周辺を合わせると500万人程度だという。大観光地で、中国国内のほか、各地から観光客が押し寄せている。大型観光バスが連なっている。圧倒的に中国人観光客が多い。

私の部屋は西洋のホテル以上に暗い以外には特に問題はなかったが、ほかのメンバーの部屋ではブレーカーが落ちたりトイレの水が詰まったりといったアクシデントがあったらしい。

 

2日目(316日)

客船に乗って念願の漓江下り。

漓江は桂林を南北に流れる川幅50メートルから100メートルくらいの川だ。私たちの乗り込んだ船の客は私たち日本人の一団のほかはほとんどが中国人(北の方の人たちがかなりいるらしい)と西洋人が数人。全部で7080人ほどの乗客がいたと思う。同じような観光船が次々と川を下っていく。

船に乗ってすぐから、中国人男性が先頭に立ってマイクをもって大音量でしゃべり始めた。観光案内かと思ったら、土産物の売り込み。これが20分以上続いた。これまで日本の映画館やカイロのナイトクルーズなどで大音量に悩まされているので耳栓を持ち歩いている。すぐに耳栓をした。しばらくしてデッキに出た。

外はあまりの絶景。あいにくの曇天だと思ったが、これがなかなかよかった。雲が山の中腹にかかって、まさしく幻想的な風景。墨絵の世界が見渡す限り続いている。右も左も切り立ったいびつな形の山があり、それが折り重なっている。本の数か所が墨絵の世界というのではない。桂林全体、それどころか、広西チワン族自治区のかなりの部分がこのような土地なのだと思う。行けども行けども絶景。船で4時間くらい、川下りをするが、その間、目に見える風景はすべてが絶景。さすが、世界的な観光地だけのことはある。

見どころとされているところがあって、ガイドさんが何か所か説明してくれたが、それらは山が何かの形に似ているとのことで名所とみなされているのだった。タケノコ、こうもり、観音様、羊の蹄、りんごなどなど。が、私にとって、山が何かに似ていることはあまり説得力を持たない。すべての山がいびつな形をしているのだから、こじつければなんにでも見えるだろう。そういえばそう見えないでもないが、そんなことよりも、いびつな形そのものが圧倒的な存在感で迫ってくる。何かの形に例えるよりは、その形そのものを味わうほうが面白い。

こうして、4時間ほどかけて陽朔にて下船。船から降りた客と客引き、道の両側の土産物売りでごった返す中を歩いて、陽朔の古い町並みや新しくできた繁華街(陽朔西街)を歩いた。

その後、バスで移動。途中、バスを降りて、道路から、月亮山という、満月のような穴がぽっかりあいた山を見物。そのまま桂林に戻った。桂林市内で穿山岩という鍾乳洞を見物。

夜は、桂林市内の両江四湖ナイトクルーズのオプショナル・ツアーに参加。ひとつながりになった四つの湖を遊覧船でめぐるもの。いくつかのツアーの日本人客が集まって、日本語の解説(私たちのツアーのガイドさんが担当。日本語の達者な、そしてユーモアのある50代の男性だった)。次々と遊覧船が走り、客に向けて、外で音楽が演奏され、踊りがなされている。船内でも二胡の演奏が披露された。

ただ、演奏、踊りはいずれもかなりお粗末。外で踊りがあり、銅鑼や太鼓の演奏がなされていることになっていたが、明らかに音源に合わせてそのふりをしていただけ。スピーカーから聞こえてくる音と目の前の楽器の動きがあっていない! 二胡の演奏はかわいらしい10代の女性。日本の歌謡曲や季節外れの「ジングル・ベル」を交えての演奏だったが、しばしば音程がくるっていた。

その後、船着き場の近くにある第瀑布ホテルで20時に始まる滝のショーを見た。交差点にある10階建てくらい屋上から水が吹き出し、滝のように水が落ちてくる。その間、大音響でラフマニノフのピアノ協奏曲風の音楽が鳴り続けている。水と電気の料金が一日日本円で100万円ほどかかるという。10分間そのショーが続いたが、道路で百人程度が見物していたようだ。これで100万円かかっているとすると、コストパフォーマンス的にはあまりよくないといえそうだ。

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3日目 (3月17日)

雨の中、七星公園を見学。そのほか、ツアーなので、いくつかのお土産物屋、工芸品展などに連れていかれた。その後、桂林の繁華街・正陽の歩行街を歩いた。食べ物屋さんが多く、そのほかは土産物やファッションの店などが続いていた。

その後、オプショナル・ツアーに申し込んで、桂林民族雑技ショーをみた。ショーが始まる前、観客を相手に競りのようなものが行われているのにびっくり。ここでも男性が前に出て、大音響で司会をして掛け軸のようなものを競りで売っている。少なくとも私にはまったく価値のなさそうなつまらない字や絵に見えるのだが、買い手がいるらしいのにも驚いた。

その後、ショーが始まった。少数民族の歌や踊りが披露されるのかと思って申し込んだのだったが、レベルの低いサーカスのようなものだった。中学生のような子供たちが出て、日本の中学の体操部の生徒でもできそうなバク転やら前転やら、ひもにぶら下がっての回転やらを披露。歌芝居があったが、これも明らかな口パク。大音響の音楽が鳴り、しかもスピーカーの音が割れているので、不愉快極まりない。背景にダイナミックなCGが映し出されて、自然と人間の一体性のようなものが描かれているが、歌と演技のレベルの低さのせいで私は見るに堪えなかった。

最後にオートバイショー。輪の中にオートバイが入って回転する。2台、3台と入って、最後には5台入った。これは凄い。ほかのパフォーマンスはすべて子どもだましだが、これは圧倒された。

その後、ホテルで食事。

4日目は、朝の6時半にホテルを出て、高速鉄道を使って広州経由で日本に戻った。

そのほか、桂林について、中国について考えたことがある。できれば、明日、ブログに書く。

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京都と姫路 「美濃吉」、映画「幸せな人生の選択」、智積院、姫路城

 京都駅前の新阪急ホテル地下にある京料理の店、美濃吉。ここの料理が私は大好きだ。美濃吉は東京を含め、各地にあるが、私は新阪急ホテルの味がもっとも好きだ。時々感動的なほどおいしいと思う。しばらく行く機会がなかったので、機会を探していた。たまたま姫路に住む友人T君が手術をして自宅療養中だというので、それを口実に(T君、ごめん!)、20182月7日、京都を訪れることにした。ついでにちょっと観光もするが、目的は美濃吉での食事。京都に泊まって、姫路まで足を延ばす。

 

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 京都についてすぐに、新阪急ホテルに直行して、美濃吉で昼食。いつものように手ごろな京懐石「鴨川」を食した。うまい! 白味噌仕立てが相変わらず最高にうまい。鰆のみそ焼きもくみ湯葉あんかけご飯もすばらしい。食べに来た甲斐があったと思った。

私は料理についての語彙を持たないし、料理法もろくに知らず、素材についても無知だ。だから、うまく説明できない。ただ、うまいかどうかしか言えない。ともあれ、ここの料理は、ただ単に「おいしい」の先に絶妙のものがある。毎回、私はそれを感じる。「ああ、本当においしい…」とつくづく思う。ミシュランの星付きのお店にも時々行く機会があるが、私はこの美濃吉の料理のほうをおいしいと思うことが多い。

 四条付近のホテルにいったん寄って、荷物を置き、京都シネマで映画を見た。

 東京では私好みのミニシアター系の映画館は新宿、渋谷、銀座などあちこちに点在している。が、京都では京都シネマでそのほとんどが見られる。そんなわけで、時間があったら、京都シネマで映画を見るつもりでいた。「幸せな人生の選択」とモーパッサン原作の「女の一生」のどちらにするか悩んだが、今さらモーパッサンでもなかろうと思って、「幸せな人生の選択」にした。

カナダから、中年の男のトマスが故郷であるマドリッドにがんによって死を間近にしたかつての親友フリアンをはるばる訪ねる。最期の時間を共に過ごすためだ。トマスは4日間、フリアンと行動を共にしている。フリアンは延命治療をしないことを選び、安楽死をしたいと考えていることが明かされる。フリアンの心配事の一つは老犬トルーマン(この「トルーマン」が映画の原題)を自分の死後、だれに託すかなので、それにもトマスは付き合う。アムステルダムに留学している息子を突然訪れる。そのような交流を描く。死を前にした人間のあきらめ、悲しみ、親子の情、そうしたものを情に溺れることなく、淡々と、しかししみじみと描いていく。かつての舞台のスターで、今もわがままを通すフリアン、友情をもってそれを支える寛大で常識人のトマスという組み合わせ、そして二人と微妙な関係を持ってきた女性たちの存在によって、そうした状況を描く設定ができ上がっている。

フリアンに無理やりおしつけられて、トマスはトルーマンをカナダに連れ帰ることになる。親友だったフリアンの身代わりとして、トマスはトルーマンを死までかわいがるのだろう。生と死、友情、社会における市の意味。そうしたものがすべて描かれる。

人生の最期を垣間見るためにとても良い映画だと思う。私は今、東京新聞・中日新聞で「65歳になったら〇〇しなくていい宣言」を連載している。高齢者についてあれこれと考える状況にある。そのための参考にもなる映画だった。

ただ実は、私は翌日、がんの手術をした友人を見舞うのだった。そもそも私は東京からはるばるかつての親友を見舞うために姫路に向かう途中なのだった。「しまった。縁起でもないものを見てしまった。明日、これと同じようなことにならなければいいが!」と心から思った。

映画をもう一本みようかと思ったが、映画館内が寒くて気力を失った。京都の夜の街を散歩しようとも思っていたが、寒さのために、これも諦めた。さっさとホテルに戻って風呂に入って温まってすぐに寝た。

 

2月8日

 京都まで来てどこも観光しないのはあまりに残念。かといって、寒いのであちこちウロウロしたくない。そんなわけで、私の大好きな場所、智積院に行くことにした。

 私は2006年から数年間、京都産業大宅で客員教授を務めていた。京都市内に寝泊まりする場所も確保し、週に2日間通っていた。その間、京都のあちこちを回った。その中でもっとも好きだったのが、智積院だ。そこでみた長谷川等伯の襖絵に驚嘆した。その後、折に触れて智積院を訪れている。今回もそこにだけは顔を出すことにした。

 ちょうど本堂で何事かの儀式が行われていた。念仏が唱えられ、20名ほどのお坊さんが集まっていた。どのような儀式なのかわからなかった。堂内に入ってしばらく見ていたが、携帯に仕事の電話が入ったために堂を出た。その後、等伯とその息子・久蔵の描いた襖絵を見た。見るごとに感動する。生命、ほとばしり、死、美。そうしたものの奥深くにあるものを鮮やかに描き出して見せていると思う。

 京都駅まで歩いて、その後、新快速で姫路へ。姫路に到着してからは、まずは姫路城を見物に行った。姫路在住の友人T君に連れられてかつて内部も見たが、大修理が行われてからは、新幹線から眺めるだけで、訪れる機会がなかった。駅から歩いて、周囲を見物。

 その後、タクシーでT君宅を訪れ、楽しく歓談。手遅れになるところをいくつかの幸運が重なって早期発見につながったとのことで、もちろん前日見た映画のようなことにはならない(ただ、映画の話はしなかった)。高校時代からの友人だが、彼は理系、私は完璧な文系なので、進む方向は違ったが、50年近くにわたって交流を続けている。孫が何人かいて、家族にも恵まれ、定年退職後も自分なりの研究を続けて静かに生活している。素晴らしい人生だ。あと少し療養が必要だということだが、元気になったら、また昔のように一緒に遊びたいと思った。

その後、新幹線で京都に戻り、ちょっと時間があったので、駅の周辺(東寺付近)を歩き回った。寒くなったので、駅に引き上げ、夕方からまた新阪急ホテル地下の美濃吉で食事。

またも鴨川。白味噌仕立てを再び食べずに東京に戻るわけにはいかない。お店の人が、二日連続の同メニュと知って少しアレンジしてくれたのはうれしい。でも、同じものでも、これほどおいしいと何度も食べたくなる。海老芋も最高においしかった。そして、別に注文した一品料理「鯛の兜煮」も絶品だった。骨にしゃぶりついて食べつくした。

 満足して京都を後にして、その日のうちの都内多摩地区の自宅に帰った。

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ミャンマー旅行 その2

 昨日に引き続き、ミャンマー旅行の感想を書く。

 なお、「ミャンマー旅行 その1」に写真を挿入しようとしたのだが、先日、スマホを買いなおしたせいか、それができなかった。技術を身に着けたら、後ほど写真を加えることにする。

 

4日目 130

 朝、6時過ぎに起きて、チャイティーヨの頂上付近にあるホテル付属のレストランで647分の日の出を待った。そのテラスは絶壁に建てられており、眼下に山や平原が広がるのを見ることができる。そこは、日の出を見る絶好の場所とのことだった。

620分ころからだんだんと明るくなり、35分ころに日の出。なぜか、ネットなどで予告されていた時刻よりも10分以上早かった。どういうわけか。まさか、ここは物理法則が当てはまらない聖地であるため、岩は落ちそうで落ちず、時間もゆがみが生じているというわけでもあるまい。

それにしても絶景。朝焼けになって、だんだんと光が広がっていく。はるか遠くの山並みから太陽が顔を出す。そして、朝になる。

その後、トラックバスで下山。下り坂のほうが上り坂よりもスピードが緩く、それほどのスリルはなかった。その後、バスに乗り換えて、途中、食事をマジながら、またまた5時間以上かけてヤンゴンへ。

ヤンゴンでは、まずボージョーアウンサン・マーケットへ。要するに、大きな外国人向けのお土産物屋さんだ。宝石、特産品などの店が並び、外国人(西洋人、中国人、日本人)やそれぞれの言葉を話す客引きが大勢いた。が、私はそのようなお土産物には関心がないので、ガイドさんに近くのデパートに連れて行ってもらって、そこに入っているスーパーをのぞき、民族音楽のCDを購入した。私はアジア地域に行くと、必ず、少なくとも一枚は民族音楽のCDを購入することにしている(ただし、帰国後聴いてみたら、あまりおもしろくなかった。選択失敗だった!)。

日本企業などが入っている商業ビル、サクラ・タワーの上層階にあるレストランでコーヒータイムを過ごし、高みからヤンゴンを見た後、シュエダゴン・パゴダを訪れた。ヤンゴンの最大の寺院であり、聖地ということらしい。大きな仏塔があり、その周囲に小さな仏塔や建物が林立している。仏塔は大小すべて金箔に包まれており、金色に輝いている。

ここでも私は既視感に襲われた。いくつも同じような寺院を見たような気がするが、とりわけ、タイのチェンマイのワット・プラシンに似ている。いや、似ていること自体は構わない。お寺なんてそんなものだろう。私が気になったのは、ワット・プラシンでは私はかなり感動したのに、ここではそれを感じないことあd。すでに似たようなものを見たことがあるがゆえに、新鮮さの欠如というだけではなさそうだ。タイの寺院には仏塔だけでなく、急な角度の反った屋根と赤茶色の瓦を特徴的なお堂がある。そこで静かにお参りしている人がいる。ところが、こちらにはそれがない。金ぴかの仏像、時にはディズニーの人物のような神々や釈迦の弟子たちの像がある。そして、ここでもいくつもの仏像の背後にネオンが取り付けられており、後光がピカピカと光るような仕掛けがある。少々白けてしまった。峻厳さ、生と死のかなたに肉薄しようとする厳しさ、現世の生きる苦悩から逃れて救いを求めようとする真摯さ・・・そのようなものが感じられない。

これでヤンゴン見物は終わり、夕食をとって、空港に向かった。

 これでは、銀座にちょっと寄って、そのあと浅草寺をみただけで東京観物を終えるに等しい。もう少しヤンゴンの深みを見てみたかった。

 

旅のまとめ

・ツアーであるから仕方がない。が、やはり見たいところを見られなかったという思いは残る。表面だけほんの少し見たに過ぎない。ツアーのよいところもたくさんあるが、限界があることを改めて痛感。

・ツアーというのは、ガイドさんやツアー客によって、よくなったり悪くなったりする。今回のガイドさんは大変良かった。あれこれと気を使い、何かが起こったらすぐに的確な対応をし、客の一人一人を気遣っていた。お客さんもよい方ばかりだった。そのおかげで楽しく過ごせた。

・自分でミャンマーを歩き、じかに人に接したわけではないので、これまでの旅行以上に曖昧なことしか言えないが、ミャンマーの人々の穏やかさをしばしば感じた。殺気立ったところや険しいところがない。物売りが近づいてくるが、しつこくない。

・聖地チャイティーヨに行くとき、トラック・バスに大きな物は入らないのでスーツケースはふもとに残して、頂上のホテルで一泊するだけの分を持っていくように言われていた。が、私はもともと荷物をかなり小さくまとめているので、そのまま持ち込んだ。トラックバスでは問題なかったが、それを降りてホテルまで行くときに、少々重さを感じたので、ポーターに運ぶよう頼んだ。ポーターの存在はガイドさんに聞いていたが、実際に見てびっくり。トラックバスの終点の近くに何人もポーターが待ち受けていた。屈強の男性だとばかり思っていたら、ポーターのほとんどが若い女性だった。高校生くらいの年齢の子もいる。中年女性もいる。籠のようなものを背負って、その中に荷物を入れて運ぶ。数百メートルだったが、6ドル取られた。ガイドさんによると、ほかの何人かに声をかければ、もっとずっと安く済んだだろうという。

・あちこちで中学生くらいにしか見えない子どもがレストランのボーイなどをして働いているのを見た。小さな子どもが物売りをしているのも当然の風景として溶け込んでいる。

・ミャンマーの道の最大の印象、それは「汚い」ということだ。中心街から外れると、途端に歩道や道の両端には、ごみが続く。バスで数十分、それどころか、数時間進んで郊外に行ってもごみが途絶えることがない。ほとんど人の通らない田舎道まで来て、やっとごみが見えなくなる。ごみのほとんどは買い物のポリ袋、ペットボトル、商品の包装、紙切れだ。人家の前にも、ごみがある。人家の庭にもごみが散乱している。ごみが土の上にあるだけでなく、土に埋まって、あちこちからポリ袋などが顔を出している。ちょっとした空き地があると、その多くがごみ溜めになっている。川にもごみが流れ、時にごみが停滞している。カイロに行ったときも同じような光景を見たが、さほど差がない。おそらくミャンマーの人はごみを汚いと思わず、平気でいるのだろう。だが、これは間違いなく汚染だ。この国が途上国から脱するには、まず道端のごみをなくすことから始めるべきだと思った。つまり、衛生観念、公共意識、自分の周りをきれいにしておこうという自尊心の醸成が必要だと思う。

・ミャンマー料理はとてもおいしかった。私は東京でも何度かミャンマー料理を食べたことがあるが、ずっと不満に思っていた。インパクトがなく、雑駁な味だと思っていた。が、今回のツアーでの食事はすべておいしかった。ただ、ごみためのようになった川のすぐそばで、魚を取ったり、農作業をしたりしている人を見た。出てくる食事があんなごみのようなところでとれた食材だと、少々健康が心配になる。

・結論として、私はミャンマーを、ブータンやスリランカやタイのチェンマイほど大好きにはならなかった。バガンには大いに惹かれたが、十分に見ることができなかった。ツアーでミャンマー旅行をしたおかげで少しw事情がわかったので、次にはバガンを中心に個人旅行をしたいと思った。

 

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ミャンマー旅行 その1

 2018127日から31日まで、ミャンマー旅行に出かけていた。ミャンマーを個人で動くのは難しそうなので、クラブツーリズムのツアーを選んだ。個人的な制約から、今回も35日の弾丸ツアー。とても良い旅だったが、私には少々ハードすぎた。あまりにハードなため、ブログを書く時間を持てなかった。遅くホテルに到着し、一休みしてすぐに寝て、翌朝早朝に出発するというパターンだった。ただ、入門者にとっては最高の旅だと言えるかもしれない。

 

1日目 2018127

 27日の午前中に成田を出て、ANAの直行便で、夕方、ヤンゴン国際空港着。空港は真新しい。日本車が送迎に並んでいる。車の85パーセントが日本車だという。ただし、もちろん中古車。

 その後、日本の温泉地のホテルの名前が車体にそのまま残っているかつての温泉客送迎バスの中古車でネピドーに向かった。ミャンマーでは、車に日本語などの表示が残っているほうが、性能がよいとのことで喜ばれるという。ネピドーは2006年からミャンマーの首都となっている。

 8時間飛行機に乗った後なので、すぐにホテルに入りたいところなのだが、ネピドーまでバスで5時間かかる。バスから見た感じ、マニラなどと大きな違いを感じない。小さな店があり、屋台があり、車やバイクが行きかっている(ただ、バイクはヤンゴンの中心街には乗り入れ禁止だという)。違うのは、男女ともにロンジーという腰巻をしている人が圧倒的に多い。そして、多くの女性が顔にタナカと呼ばれる木の粉を塗っている。男性にも塗っている人がかなりいる。頬っぺたや額、時には鼻の頭まで白いペンキ状の跡がある。ガイドさんももちろんタナカを塗っている。日焼け止めであり、化粧の一種だというが、正直言って、日本人としてはこの美意識は信じられない。

 温泉客の送迎バスなので、数十分の移動を前提にしたものなのだろう。椅子の感覚が狭くて窮屈。20年くらいたっている車だろう。乗り心地も悪い。しかも、途中でタイヤがパンクして1時間半のロス。ネピドーのホテルに着いたのはなんと夜中の12時過ぎだった。

 夕食はバスの中で弁当が配られた。唐揚げ2つ、アジの塩焼き一切れなどの入った、日本式の弁当。日本人が経営する弁当屋さんのものらしい。うーん、ヤンゴンまで来て、ぼろバスの中で日本式の弁当を食べるなんて! ツアーは八人。高齢者が多い。そのうちの四人は高齢のご夫婦。

 1日目は移動しただけで終わった。高速道路を通ったが、かなり暗かった。道はかなり凸凹がある。途中、サービスエリアに二回寄った。ネオンがあちこちにあり、大きな音で音楽がかかり、現地の人が焼き鳥などを楽しそうに飲み食いしていた。大型バスが何台もやってきていた。ガイドさんの説明によると、列車はバスの1.5倍くらいの時間がかかるので、バスを使う人が多いという。

 ガイドさんは30代?の女性。日本語もかなり上手。熱心で、きわめて有能。この人がいなかったら、トラブルに多かった今回のツアーはひどいものになっただろう。ツアーコンダクターの重要性を改めて認識した。

 寒い。ミャンマーは暑いのだと思っていたら、それほどではない。昼間は30度を超すようだが、ネピドーは15度くらい。厳寒の日本から出かけてきたので、冬用の服はたくさん持っているので問題はないが、意外だった。

 軍事政府の影、ロヒンギャ問題など、少なくとも私にはほとんど感じられない。

 

2日目 128

 朝の515分モーニングコール、6時朝食、7時出発。朝が苦手で、スケジュールに追われるのが大嫌いな私には大いにつらい。

まずネピドー見物。ただ、首都といってもまるでゴーストタウン。政治的な中心として建設されたようだが、少なくとも今のところ、機能しているようには見えない。真新しいビルや立派な建物、整備された道路はあるが、人影が見えない。車もめったに通らない。ここには300を超すかなり高級なホテルがあり、もっとカジュアルな宿泊所もたくさんあるとのことだが、客がいるようには見えない。政治的な何かのイベントが行われるときには人が集まるのかもしれないが、ふだんは人気がないようだ。

 国会議事堂を外から見学。その前に、片側10車線の道路もみた。車もほとんど通らない(1分に1台も通らないのではないかと思う)ので、まるで滑走路。実際、有事の時には滑走路として活用できるように考えられているらしい。

 その後、ウッパタタンティ・パゴダをみた。ヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴダのレプリカだという。金ぴかの仏塔。周囲に八曜にまつわる仏像がある。生まれた曜日(西洋暦による曜日)をミャンマーの人は大事にするということで、自分が生まれた曜日の守り仏を信仰しているらしい。ガイドさんが渡してくれた早見表によると私は月曜日に生まれたようなので、月曜日の人を守ってくれて、健康と幸運をもたらしてくれる仏様にとりあえずお参りした。が、キリスト教起源の曜日が、なぜ仏教と結びつくのか納得いかない。

 その後、4時間ほどかけて、大観光地バガンに行った。

 しかし、それにしても・・・。わざわざ長い時間をかけて、ネピドーにまで来る意味があったのだろうか。たいして見どころはなく、ただ疲れただけ。ヤンゴン到着後、すぐに飛行機でバガンに向かっていれば、もっと楽でもっと楽しかっただろう。おそらく、国策として、ミャンマー政府が今はガラガラのネピドーのホテルに客を呼び込んでいるのだろう。ネピドーの存在を世界に紹介したい意味もあるのだろう。仕方がないと思うことにした。

 

 バガンは素晴らしかった。バガンは仏教建築群のある町だ。11世紀にこの地を都として王朝が栄え、多くの寺院が建てられた。数千の大小の仏塔があり、オールド・バガンでは至る所に宗教遺跡が見える。灌木がはえただけの乾いた茶色の土地に、古い石造りの仏塔が次々と現れて、まさに壮観。京都の伏見稲荷には朱色の鳥居がずっと続くが、それを散らばらせたな感じで、古い石造りの仏塔が数キロ平方メートルの間に点在している。聖なる空間を感じる。

11世紀に建てられたアーナンダー寺院見学。東西南北に金箔を施された仏の立像があり、周囲に古い壁画がある。南北の二体の仏像は王族が近くから見ると厳しい顔に見え、庶民が遠くから見ると温和な顔に見えるという。シュエジゴン・パゴダもみた。

ただ、これらを見ているうち、既視感に襲われた。スリランカやチェンマイでみた仏塔ととても良く似ている。仏塔も似ているし、様々なデザイン、寺院のいわれなどもそっくりだったりする。そして、後に少し詳しく書くが、スリランカやチェンマイの寺院よりも厳かさに欠ける気がする。

各地に仏教遺跡があり、それぞれに釈迦の髪やら歯やら骨やらを祀り、その地に寺院を建てた由来を示す伝説がある。建物の様式、素材も少しずつ違うが、素人目には区別がつかない。仏教がインターナショナルに広まっていったということだが、おそらくそれぞれの土地の特質があるのだろう。もう少し、しっかりと勉強してしっかりと見なければ、私にはもったいない気がした。

夕方、高台に行って、バガンの日没を見た。近くの空き地に合計数十台の観光バスやミニバスや乗用車が停車しており、丘の上にはたくさん人(200人程度?)の人が集まっている。意外と英語は聞こえてこない。中国語も多くない。フランス語が多く聞こえる。日本人も多い。

日没は壮観だった。灌木がぽつぽつと立ち、草が生える乾燥地帯に数十、数百の仏塔が立ち並び、その向こうに太陽が沈んでいく。神聖にして壮大。太陽と仏塔と平原。日没後の夕焼けも美しかった。

その後、ライトアップされた遺跡を見てホテルに戻った。

素晴らしかった。とはいえ、これでは京都に行って、清水寺と西本願寺だけを見たに等しい。バガンは数日かけてゆっくり見るべき場だと思った。近いうち、また来たいと強く思った。

この日も朝からほとんどずっと長袖を着ている。昼間は半袖でもよいが、夜になると、上着が必要。

 

3日目

 バスでバガン・ニャウンウー空港から飛行機でヤンゴンに向かった。FMI AIRの飛行機。小さな空港で、時刻表示もなく、出発便の表示もない。時計もない。客は、現地語と英語のアナウンスをきいて行動しなければならない。が、ともあれ、無事にヤンゴン到着。

 そして、すぐにまたバス(パンクしたのとは別のバス)で聖地チャイティーヨに向かった。

 ところが、途中でトラブル。また、バスが故障。今度はブレーキがきかなくなったとのこと。有料道路の路肩にバスを停めて1時間半以上、待った。トラックなどにぶつけられたら大変なことになると思って、少々怖かった。ガイドさんが携帯電話であれこれ手配してくれたおかげで、昼食を食べたレストランが特別に日本製のハイエースを出してくれることになった。このハイエースも新車ではないらしいが、まだ新しい車なので、なかなか快適。

 5時間ほどで、麓の町キンプンに到着。そこでトラックバスに乗り換えた。聖地チャイティーヨに行くには、このトラックバスしか方法がない。トラックの荷台に席が設けられている。一列5人から6人の席がベンチ状になっており、それが7列ほどぎっしりと前後に作られている。客は前の手すりをもって席に座る。スーツケースなどは持ち込まないように前もって注意を受けている。席が埋まったら出発。次々とトラックバスが待っており、次々と人が埋まっていって、出発する。客のほとんどはミャンマーの人だ。

 トラックバスが出発。海抜1000メートルを超す山頂までトラックバスが細い曲がりくねった道を全速力で走る。まるでジェットコースターのよう。身体が左右に動くので、手すりを持っていなければならない。シートベルトがついているが、ほとんどが壊れているようだ。そうした状況で、離合による待ち時間を入れて45分くらいで頂上近くに着いた。この日はこの近くのホテルで宿泊することになっていた。

 はたして事故はなかったのか、少々心配になる。こんな急な坂道をこのようなスピード(時速80キロくらい出ているのではないか)で、しかも10分おきぐらいに走っていると、絶対に事故が起こると思うのだが、事故が起こったことはないという。にわかには信じられない。

 

 チャティーヨーはゴールデン・ロックで有名な場所だ。

 山頂にある巨大な岩の上に小さな仏塔が建てられている。そこには釈迦の髪が収められているという。そのために、岩は今にも山から転げ落ちそうでありながら、均衡を保って、落ちないでいると言われる。確かに、なぜこれで落ちないのか不思議だ。大きな地震などがあったが、それでも落ちなかったという。そうしたことから、ここは聖地としてミャンマーの人々の信仰の地になっている。事実、ゴールデン・ロックを中心に大きな寺院になっており、岩の前で大勢人が線香をたいたり、お祈りをしたりしている。小さな子供たち、若者、大人、お年寄りも大勢いる。

 ただ、日本人からすると、あれこれと信じられない場面が多い。

 まず、岩が金粉で黄金色に塗られていることに違和感を覚える。これでは岩とは思えない。リアルに感じられない。まるでおもちゃのような気がしてしまう。バチ当たりな精神を持つ私としては、大きな棒を持ってきててこの原理を応用して、この岩を落としてみたくなる。それでも落ちなかったら、奇跡を信じてもいいような気がする。私以外にも、同じようなことを考える人はこれまでいなかったのだろうか。

 来ている人たちも、信仰心にあふれている感じではない。まるで日本の初詣か花見の雰囲気。大きな音でポップ調の音楽がかかり、寺院内のあちこちにネオンが取り付けられ、人々が楽しそうに笑っている。祈っている人もいるが、賽銭箱にお札がたくさん入っており、仏像やら伝説の出来事を紹介する人形のあちこちにもお札が挟まっている。しかも、人形や仏像は、肌色に黒で顔を書いたまるで子供の人形のようなものが多い。

 それ以上にびっくりなのは、多くの仏像の頭にネオンが取り付けられていること。後光だということだが、ネオンが頭から発してチカチカしている。

 ガイドさんは、「ミャンマーの人たちは信仰心が篤いので、ここにきて、熱心に自分に福が舞い込むように、お金持ちになるように、受験などが成功するように祈る」と、疑問を感じることもなさそうに力説していた。いうまでもなく、そのような煩悩をこそ、仏教は否定したと思うのだが、ミャンマーの人はそうは思わないようだ。

 厳かさのほとんどない、現世利益の仏教。宗教が庶民に根付くということはこういうことだとは思うのだが、それにしても、ここまで現世利益だとあきれるというしかない。

 夜の間、ずっと歌声が聞こえていた。お経のような歌。どうやら、24時間かかっていたようだ。翌朝、5時過ぎに目が覚めたが、まだなり続けていた。どうやら、お寺の前のカフェでこの音楽を鳴らしていたらしい。

 

 続きは明日、または明後日書くことにする。今朝、日本に帰ったばかりで、少々疲れた。

 

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チェンマイ旅行 簡単なまとめ

 2泊しただけ(ただし、最初の日は午前中に到着、最終日は夜中の出発だったので、3日間まるまる使えた)だが、私はチェンマイがとても気に入った。

35年ほど前に訪れて以来、タイは大好きな国だ。近年のバンコクは近代化しすぎて、少々寂しかった。チェンマイに来てみると。昔のバンコクの雰囲気が残っている。しかも、チェンマイはもっと穏やかでもっと落ち着いている。「ここなら、運転できる」と日本人が感じる、アジアでかなり少ない都市なのではないか。静かで壮麗な寺があり、落ち着いた住宅街がある。歴史が残り、タイの歴史の中に世界の人が集まっている都市。

ただなんといっても観光地、保養地だ。大勢の外国人がいる。短期の旅行者だったり、少し長期の滞在者だったり。リタイア後、チェンマイで暮らす西洋人が多いようだ。日本人にもそのような人がいると聞いた。たしかに、私もここで暮らしたくなる。おいしい食事、穏やかな人、安くて上手なマッサージ。言葉が通じ、何らかのコミュニティがあれば、私もここで暮らしたい気持ちになってくる。

このところ、アジアのあちこちを回ったが、ブータンとスリランカとここチェンマイがとても気に入った。住んでみたい候補地になった。いずれも仏教国。やはり、私は仏教国が性に合うようだ。

ただ、観光地であるため、ここでは現地の人のなまの生活はあまり見えない。その点、ほっつき歩いてその都市の生活をぼんやりと眺める旅行が好きな人間としては、十分にその土地を見られなかったという不満は残る。

繰り返しになることも多いが、チェンマイについて気づいたことをいくつか挙げる。

 

・私は車の運転をその都市の民度の基準にしているが、チェンマイはかなり整然としており、みんな交通ルールを守っている。信号も横断歩道も少ないので、車の切れ目がなく、歩行者が道路を渡るのは大変だが、それでも無理にわたろうとすると、車は停止してくれる。

・旧市街を囲む道路はほとんど一日中、多くの車が走っている。堀の両側にそれぞれ一方通行で、車が音を立てながらぐるぐる回っている。だが、その内部の旧市街では車はごく少ない。制限があるようには見えないが、多摩に車が入ってくるくらい。堀の周りをまるでサーキットのように回る車はいったい何のようでどこに行っているんだろうと不思議になってくる。

・私が出会った人のほとんどが何らかの形で観光にかかわっている人たちだ。少なくとも、旧市街地は観光で成り立っている。路地にも観光客、外国人滞在客向けの店が並んでいる。

・言われることだが、まさしくタイの京都という雰囲気。ともかく寺が多い。ふつうの都市だったら観光の目玉になりそうな寺院なのに、人影がないことも多い。

・「チェンマイ美人」という言葉をよく聞く。が、実感はなかった。ガイドさんに聞いてみたら、「その言葉は知ってるけど、僕の友だち、ブスばっかり」と話していた(現代社会にふさわしくない表現はあるが、ガイドさんのニュアンスを伝えるため、あえてオリジナルのままに書き記す)。

・新しい王様の写真があちこちに飾られている。幹線に横断幕があり、寺院の仏像の横に写真がある、いずれも新しい王様をたたえている。ただ、その軍人気質の厳しさを多くの人が警戒しているようだ。ガイドさんによると、新しい国王はタイでの生活経験が少なく、基本的にヨーロッパで育った人だという。それも心配の種らしい。

・寺院に僧侶の写真があった。その寺の昔の住職か何かと思ったら、先日亡くなった国王が剃髪した時の写真だった。

・チェンマイでは久しぶりに物価の安さを感じた。まるまる3日間をチェンマイで過ごしたが、昼と夜の食事をし、毎日マッサージを受け、飲み物を飲み、時にタクシーやトゥクトゥクに乗って、日本円で合計7000円くらいしか使っていないと思う。

・日本人観光客にほとんどで会わなかった。ナイトマーケットで3回ほど日本語を耳にした程度。それ以外では一切、日本語は聞こえてこなかった。日本人らしく思えても、近づくと中国語を話していた。チェンマイを訪れる若い日本人はほとんどいないとガイドさんも語っていた。

・実はチェンマイの歴史について、良く知らない。大まかには理解したが、王様の名前も王朝もよくわからない。今度訪れるときには、しっかりと勉強したい。また訪れたいと思った。

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チェンマイ旅行その3

 20171211日、チェンマイ3日目。朝の9時ころホテルを出て、旧市街地を一周した。ターペー門を起点にして西に向かって堀沿いに歩いた。

旧市街はかつて1辺が2.5キロほどのほぼ正方形の城壁に囲まれていたらしい。現在では、ターペー門のほか、ところどころに古いレンガが積まれた城壁が残されているにすぎない。四方を歩くと、合計10キロほどになる。途中、寺院を見かけたら、中に入って見物した。小さな、特に有名でない寺院もあった。ワット・ロークモーリーも訪れた。ガイドブックに出ている有名な寺だ。そのようにして歩いたので、周囲を回るのに3時間以上かかった。

 堀があり、その両側に3車線の道路が走っている。ただし、そのうちの1車線は駐車車両がぎっしりと停まっているところが多い。堀の内側には芝生が植えられ、遊歩道のようになっている。あまりきれいな水ではない。よどんだ水。車がかなりのスピードで音をたてて走っている。旧市街のどの側面もとてもよく似ている。堀と道路だけ見たのでは、市街地のどのあたりにいるのか迷いそう。現地の人は迷わないのだろうか。だが、歩いてみると、位置によって町の持つ表情はかなり異なる。

 ターペー門付近は観光客が大勢歩いている。朝方は西洋系の人々が中心だ。一人、あるいはカップル、友人同士で朝食を食べに行ったり、散歩していたり。店も観光客向けのレストランなどが多い。タイ料理、中華料理、そしてピザの店、カフェが多い。道路はひっきりなしに車が走る。信号がほとんどないので、車の列に切れ目がない。横断歩道もほとんどない。車の運転は決して乱暴ではないのだが、歩行者が道を渡るのはかなり危険。車のちょっとした切れ目を見つけて渡らなければならない。遊歩道にベンチはあるが、ばい煙や車の音のせいで、そこに座っている人はいない。

 西側の側面に差し掛かる部分に残された城壁跡に上ってみた。13世紀に作られたものだという。レンガが積み重ねられているが、今にも崩れ落ちそう。私のほかに、西洋人の男性が登ろうとしていた。私はすぐ後について上った。

 ところが、ちょうどその時、通りかかったトゥクトゥクの運転手に怒鳴られた。「カム・ダウン」と叫んでいるようだ。「降りろ!」ということだろう。そうか、遺跡であって、ここには登ってはいけないんだ。そう思って、あわてて降りた。

 旧市街の西側の側面になると、観光客ではなさそうな人も大勢見かける。休日のせいか、現地の人もセメント張りの床にテーブルと椅子を置いただけの小さな食堂で食事をしているようだ。観光客もみかけるが、長期滞在型の安めの部屋がたくさんあるので、そんなところに滞在している人なのだろう。このあたりにいる観光客のほとんどが西洋人だ。観光をしているというよりも、生活している風な雰囲気だ。この側面にもお寺が多い。

 南側の側面になると、かなり交通量が減る。現地の人向けの店が多い。葬儀屋などの葬儀関係のお店、ペットショップが何軒か並んでいた。目の不自由な人が行うマッサージの店や喫茶店があった。現地の人が普通の生活している。ただし、ここにも西洋人の姿を多く見かける。定住しているのかもしれない。東側の側面には大きめの市民公園があり、子どもを連れた母親や高齢者、カップルが遊んだり、散歩したりしていた。南側の側面以上に交通量が少ない。私も公園のベンチに座って、しばらく休憩した。そこでも西洋人が何人か見かけた。その少し北の方には大きな市場があった。野菜や果物や魚や肉が売られ、大勢の客でにぎわっていた。私が子どものころの、まだスーパーができる前の市場を思い出した。

 特に何かを見るわけではない。ぶらぶら歩くだけ。考えてみると、30年ほど前、あちこちと貧乏旅行をしていたころ、私の旅の流儀というのはこんなものだった。つまり、あてもなく歩き、街をぼんやりと眺め、自分の孤独をかみしめ、人生を振り返り、おもしろそうなところがあったら中に入っていく・・・というものだった。昔の旅を思い出した。

ただ、昔と違って、今は運動不足のためにすぐにくたびれて歩けなくなる。それに、昔は危険な場所があると、とりあえず足を踏み入れていたのだが、今は逆に危険な臭いのするところには近づかなくなった。その違いはあるが、久しぶりに昔ながらの旅をした。

その土地について特に何かを得ているわけでもないのだが、私はこのように街をほっつき歩くことをとても心地よく感じる。それが好きで旅をしていたのだった。

 旧市街を一周すると、昼になっていた。が、ホテルでお腹いっぱいに朝食を食べたので、まだお腹がすかない。またマッサージを受けようと思って、2日連続で通った寺の中のマッサージ店に行ってみたらすべての席が客で埋まっていた。以前にレストランを探している時に、その寺の向かい側のイートインのようになっている敷地(そこには、日本のラーメン店もあった!)にもオープンスペースのマッサージ店があるのを見つけていたので、そこに行ってみた。20代の若い女性にマッサージしてもらった。とても上手だった。180バーツだったが、私がいつも日本で受けている贔屓のマッサージ師さんに匹敵する腕だと思う。疲れが取れた。

 その後、旧市街地内のわき道に入り、揚げ魚と赤米のチャーハンを食べた。まずまずの味。食後、旧市街地をまたぶらぶらと歩いて、ホテルに戻り、シャワーを浴びて、一休みしてチェックアウト。タクシーを呼んでもらって空港に向かって帰途に就いた。

 

 帰りはチェンマイから中国国際航空で北京を経由し、そこから全日空で羽田に帰る便だった。そこで感じたことがあるので、ここに書き記す。

チェンマイでは北京までの搭乗券しか出してもらっていなかった。チェンマイの係の女性に「ベイジン→ハネダの搭乗券はベイジンで出る」といわれていた。で、北京に予定よりも早く到着。ほっとしながら、「インターナショナル・トランジット」という表示に従って進んだ。「搭乗券を持っていない人はここで手続きを」と中国語と英語で書かれたカウンターの前まで来た。ところが、そこに係官がいない! 早朝の4時過ぎだからかもしれないが、これでは困る! 仕方なしに、搭乗券を持っている人についていったが、スタッフにつっけんどんに「搭乗券をもらって来い」といわれた。「向こうには誰もない」ととびっきり拙い英語とボディランゲージで事情を説明したが、まったく相手にしてくれない。仕方なしに元のカウンターに戻ろうとすると、別の空港スタッフがいた。また下手な英語で説明をしたが、さっきのところに行くようにといわれただけ。私だけでなく、何人もの客が同じ状況のようで、右往左往している。いや、状況はよくわからなかったが、チェンマイからの飛行機で隣の席にいたアメリカ人男性はアメリカまでの搭乗券は持っているということだったが、やはり「別のところに行け」といわれたようで、あちこちをウロウロしていた。

 しばらくしてやっとカウンターに係官が現れて長蛇の列。しかも、私の搭乗券を印刷しようとしたら紙が詰まって、かなりの時間待たされた。それがすんだら、荷物検査。おそろしく感じの悪い若い女性スタッフが顎をしゃくって客に荷物について指示をし、そのあと、猛烈に厳しくて、何度も機械を通される荷物検査。長い長い列。そこまでで1時間半ほどかかっていた。

 待ち時間が十分にあったからよかったものの、もし、時間がなかったら焦りまくっただろうと思った。同時に、インフラはそろってもソフトの面で不備の残る中国の問題点も感じた。

 ともあれ、こうして20171212日の午後、無事に自宅に帰った。

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チェンマイ旅行その2

2017年12月10日、チェンマイ旅行2日目。

日本で半日市内観光を予約しておいた。8時にガイドさんがやってきて出発。今回の旅は一人でぶらぶらするつもりだが、ガイドさんがいてくれる方がありがたいことも多い。ひとりだと目的地にたどり着けなかったり、歴史的な建物もさっぱりわからなかったりする。

とても感じのいいガイドさんだった。正確な年代などはどうも知らないようで、「古いものです」とか「15世紀ころにできました」などとテキトーだが、多くのチェンマイに暮らす人、しかも知的な階層の人が、大まかにどのようにとらえているかがとてもよくわかった。

まずはワット・チェン・ユーンに行った。チェンマイで最初にできた寺だという。ミャンマースタイルらしい。30過ぎのガイドさんが子供のころまでは整備されておらずほとんど廃墟だったという。次にすぐ近くのワット・パーパオ。そして、昨日みた旧市街地内のワット・プラ・シンとワット・ディー・ルアン。ともに一人で見た時にはわからなかった歴史的由来、そして、「実は古いものではなく、最近改修されたもの」「これが最も古いもので、多くの人が信仰している」といったことを聞くことができた。ワット・プラ・シンでは日曜日だけの市が開かれていた。ラッキーだった。

その後、有名ではなく観光には含まれないが、現地の人に親しまれているというワット・ジェット・ヨドに連れて行ってもらった。近くに幹線が通っているために車の音はうるさいが、それを除けば静かで落ち着いた寺。通常のタイのお寺とは異なってスリランカの影響下にあるという。とてもいい雰囲気。美しい仏塔、古めかしいレンガ、木陰が心地いい。ゆっくりと時間が流れている。一人で少しだけ自由に散歩させてもらった。

その後、チェンマイ国立博物館に行ったら、今日は国民の休日ということで閉鎖されていた。そこで、明日、一人で行こうと思っていた郊外の山の上にある寺ワット・プラ・タート・ドーイ・ステープに行ってもらえないかと交渉。電話で責任者ともお話しして少々の追加料金によって行ってもらえることになった。ありがたい。車で40分ほどかけ、坂道を登った。イメージとしては東京郊外にある箱根の上にある寺院といった感じ。標高1080メートルだという。国民の休日で三連休ということもあって、車が混んでいた。寺まで行くと、人がごった返していた。

ロープウェイがあったが、待っていると30分くらいかかるということで、階段を上った。スリランカから届いた仏舎利が収められているという金色のストゥーパの周りに人が大勢いた。下りだけロープウェイを使った。お参りをしている人がたくさんいた。正式のお参りの仕方をガイドさんに教えてもらった。少々足がくたびれる参り方だったが、何度か実践した。

しばらく寺院を見た後、市街地に戻った。食事時だったので、ガイドさんに現地の人に人気のタイ料理の店を教えてもらって、そこで車を降りた。昨日と同じような魚の料理を食べたが、今日のほうがおいしかった。今日もあれこれ欲張って注文したために、半分ほどしか食べきれなかった。一人旅がこれがつらい。

満腹になって動けなくなって、ホテルに戻り休憩。

 

夕方、再び、町の見物に出かけた。

まず、カート・ルアンまで歩いた。ビン川付近にある大きな市場だ。まさしく東南アジアの市場といって想像する通りの市場。小さな店がいくつも並んでいる。最初に目についたのは花屋さんだった。休日で、仏教的な意味があるのだろう。菊の花やそのほか、お供えにする感じの花がずらりと並んでいた。花屋さんだけで10軒以上並んでいたのではないか。そのほか、果物や野菜屋、雑貨屋、洋服屋、かばん屋、お菓子屋などが並ぶ。買い物をする人々も大勢集まっていた。ぐるりと歩き回った。

その後、ビン川を渡ってみた。仏教寺院のすぐ横にモスクもあった。雰囲気がかなり異なる。すぐにまた市場に戻って、トゥクトゥクでターペー門まで行った。前もって値段交渉をし、「50バーツ」と約束していたのに、100バーツ札を出すと、20バーツしか釣りをくれない。「50バーツのはずだ」と強く言ったが、相手はなんだかわからないタイ語で主張している。30バーツ(150円くらいかな?)程度で争うのもばからしいので、すぐに折れた。本当はこちらが折れるから、のさばるのだろうが、まあ仕方がない。

 ターペー門には人だかりができていた。今日は日曜日なので、ラーチャダムヌーン通りはナイトマーケット(要するに夜市)が開かれる。しかも、今日はタイの祝日で三連休だという。まだ暗くなっていなかったが、すでに多くの人が集まっていた。

 通りに、様々な屋台が出ている。洋服、民芸品、食器、食べ物などなど。寺院も解放され、その多くでは食べ物の屋台が出ている。ソーセージ、果物、飲み物、焼きそば風のもの、焼き鳥風のものなどなど。楽器を演奏している人もいる。あちこちで音楽がかかっている。

 昨日マッサージを受けた寺(ワット・サンパオ)に行ってみたら、今日もマッサージ店が開いていたので、またタイマッサージを受けた。山の上の寺院に上ったので、足に違和感があった。かなり年配の女性マッサージ師さんだったが、昨日よりもずっと効き目があった。

 1時間、同じようにマッサージを受けた後、夜市を歩いた。1キロ以上にわたって、ものすごい人だかり。ラッシュ時の新宿駅のホーム以上の状態。中国語、タイ語があちこちで聞こえる。さすがに日本語も何度か耳にした。30分ほど歩いたが、あまりに喧騒に疲れて、ホテルに戻った。戻る途中、レストランで夕食。

 ともあれ、楽しい。東南アジアの一人旅を満喫している。

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チェンマイ旅行 その1

 昨日(2017129日)から、タイのチェンマイに来ている。8日の夜に飯田みち代ソプラノ・リサイタルを聞き終えてすぐに羽田空港に向かい、タイ航空でバンコクを経由してチェンマイに着いた。今年9回目の海外旅行。退職後、アジアの海外旅行を楽しんでいる。

 今回のチェンマイ旅行には35年ほど前のリベンジの意味がある。当時、私は行き当たりばったりの旅でバンコクにおり、チェンマイに行こうとして中央駅まで行った。ところが、駅の窓口には、今と違って英語の表記がほとんどなかった。インフォメーションで尋ねようと思ったが、いくら待っても係員が来なかった。しばらく待つうち、チェンマイに行くのが怖くなって中止したのだった。それ以来、ずっと気になっていた。たまたまマイレージを消費しないと消えてしまうので、これを機会にチェンマイ旅行を思い立った。

 チェンマイに着く前に一つの事件があった。

 実は私はかなり異常なほど忘れ物の多い人間だ。あちこちにいろいろなものを忘れてくる。今回、またバンコクまで乗った飛行機に本とアイポッドを忘れてしまった。飛行機から降りてしばらくして気づき、近くにいた係官にそのことを伝えた。すると、あれこれ手をまわしてくれて、ぎりぎりではあったが、チェンマイ行きの搭乗口で手渡してくれた。自分のドジさに改めてあきれるとともに、バンコク空港の方々に感謝。感謝するだけでなく、連絡網がしっかりしていることにも感嘆。

 朝の9時半頃にチェンマイ空港に到着。アジアの雰囲気のこじんまりした空港。ただ、ほかの空港のように「タクシー?」などと客引きしてくるものはいない。こちらから「空港タクシー」に声をかけ、料金を決めて出発。運転は乱暴ではない。道もそれほど混んでいない。

トゥクトゥクがあちこちにある。これもそれほど乱暴な運転ではない。

ホテルに着いたのは10時ころだった。おしゃれな植民地風のホテル。チャックインの時間までまだ間があったがすぐに部屋に入れてもらえた。一眠りして12時前から活動開始。雲は多いが、ともあれ晴れの天気。気温は30度になるかならないかくらい。暑いのは暑いが、耐えられないほどではない。

 このところのモンゴル、スリランカ、インドネシアではガイドさんをつけての旅行だったが、タイなら個人でもなんとかなると思うので、ともあれ昔ながらの一人旅。行き当たりばったりに歩き、疲れたら店に入って休み、また歩く。

 ホテルから出てすぐのところに寺があった。バンコクでもよく見かける堂とストゥーパがあり、数人の観光客と散歩中らしい現地の人がいる。有名な寺院ではないが、生活に根付いているし、とても雰囲気がいい。

 街の雰囲気は、先日訪れたデンパサールに似ている。日本人からすると、ちょっと汚い感じの現地の店とおしゃれな観光客向けのカフェやお土産物店が並んでいる。そこを白人観光客が歩いている。個人で歩いている人のほとんどが短パンにTシャツの白人。若い人も高齢の人もいる。中心街に行くにしたがって、そこに中国語を話す人が増えてくる。集団旅行の人もいるが、そのほぼ100パーセントが中国人だ。ただ、デンパサールと違うのは、異様にマッサージ店が多いこと、そして、道のあちこちに果物(ココナツやドリアンなど)や料理を出す屋台があること。

ホテルはターペー通りの近くにあった。そのままターペー門という旧市街地を囲っていた門をくぐった。現在も観光客でにぎわい、ハトが集まっている。

そのままダーチャダムヌーン通りを進んで、旧市街内を歩いた。いたるところに寺がある。通りの右にも左にも、ほとんど連続しているかのように寺院が見えてくる。有名な大きな寺院もあれば、小さな寺院もある。どれもがとても美しい。とがった屋根、赤い瓦、白かったり金色だったりのストゥーパ、きらびやかな金色の仏像。初めのうちは地図で寺院の名前を確認していたが、だんだんとどうでもよくなった。歴史などについて知るのは後にして、まずは風景を味わいたい。

ある寺院の内部でマッサージ屋さんが店を開いていた。マッサージの店はあちこちにあるが、店の内部に入るのには少々抵抗がある。なんだかちょっと怪しい感じがしないでもない。が、そこは寺のお堂で、外からも見えるところでマッサージをしている。中国人らしい男性と女性、西洋人、そして現地の女性が客としてマッサージを受けていたので、私も受けることにした。いわゆるタイ式マッサージで、ストレッチっぽいことをさせられた。私を担当したのは、中年の女性。男性マッサージ師さんも何人かいた。1時間150バーツ。450円くらいだろう。かなり安い。私のかなり頑固な肩こりにはあまり効き目なかったが、1時間、外の風にもあたりながら、ゆっくりとマッサージを受けられたのはとても快適だった。

その後、ワット・パンタオとワット・チェーディー・ルアンを見た。タイの寺院は本当に素晴らしい。30数年前に初めてバンコクでいくつもの寺院を見た時の感動を思い出す。

少々疲れたので、ラチェマンカ通りを通ってホテルに戻って、一休み。

1時間ほどしたら、元気が回復したので、こんどはターペー通りを反対の歩いてチェンマイ駅まで行ってみた。かなり交通量が多い。ばい煙はかなりひどそう。だんだんと観光客は少なくなる。食堂、金物屋、宝くじ屋、自動車修理工場などが並んでいる。大きな川を渡った。その向こうには十字架が見えた。キリスト教系の施設があるようだ。30分以上歩いてチェンマイ駅に到着。

小さな駅だった。人も少ない。列車が見えたが、乗る人も降りる人も確認できなかった。日本の、たとえば私の故郷である日田駅と大差ない。時間帯によるのかもしれないが、白人の客が数人、中国人らしい人が数人、あとは現地の駅員やお店の人ばかり。駅前にタクシーの列もない。

歩くのには疲れたので、近くで休憩していた運転手に声をかけてトゥクトゥクでワット・プラシンまで行った。ちょっと値切って130バーツにしてもらった。ワット・プラシンは旧市街の最も西にある大寺院。巨大な金色のストゥーパがある。大きな金色の仏像もある。中国人が大半を占める客に交じって、しばらく観光した。壮麗で本当に素晴らしい。聖なるものを感じる。日本の寺院のような厳粛な世界というよりも、もっと現世に近く、軽やかでしかも崇高な世界。そんな極楽の存在を信じたくなってくる。

とはいえ、有名な寺もいいが、観光客のいない小さな寺院でゆっくりと本を読んだり、風に吹かれたり、考え事をしたりする方が性に合いそうだと思った。3日目の帰国する日はそうして過ごすことにしたい。

飛行機内での食事が続いた(羽田・バンコクでも、バンコク・チェンマイでも朝食が出た)ため、昼食を抜いていた。17時ころだったが、おなかがすいたので、タイ料理屋を見つけて、魚料理とチャーハンっぽいものを頼んだ。一人では多すぎて半分以上残した。おいしかったが、もったいなかった。

その後、ホテルに戻り、夜、少しだけ街を歩いてみた。セブンイレブンで買い物。セブンイレブンはところどころにある。「砂糖抜きか」と尋ねて、確認して買ったのに、帰って飲んでみたら、緑茶は甘かった。夕食が早かったので、夜、おなかがすいた時のために海老せんべいのようなものも買って、少しだけ食べてみたが、これも甘かった。タイの人は甘いもの好き?

もう一つ感じたこと。ホテルでテレビをつけた。BSも含めてかなりの数がチャンネルに登録されている。中国語の放送が4つくらいある。韓国語らしいものも1局ある。ドイツ語もある。もちろん英語はいくつかある。が、日本語がない! ホテルのスタッフは誰もが必ず私に「ニーハオ」と声をかけてくる。

日本人観光客が多くないせいかもしれないが、日本の存在感の欠如をあちこちで感じる。少し前まで、日本の物価と東南アジアの物価の大きな開きを感じ、なんでもすごく安かったが、今は「日本と大差ない」と感じる。東南アジアを成長しているということでもあるだろうが、日本が特別の先進国でなくなったということだろう。日本人として意識を変える時に来ているのを強く感じる。

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インドネシア旅行 その3 旅のまとめ

 昨日(20171121日)、無事、インドネシアから帰国。

 インドネシア旅行は、ともあれ満足だった。

 ほんの数日間の、しかも一人だけの客だったとはいえ、基本的にツアー旅行なので、詳しく現地を理解できたわけでも観察できたわけでもない。表面だけしか見ていない。その視点から、気づいたことを記す。

 

 ブータンやスリランカほどではないが、ここにも野良犬がかなり多く見られた。車道にも野良犬がまよいこんでいた。ブータンやスリランカでは、犬に出会うと車はそっとよけて、犬を轢かないように誰もが細心の注意を払っていたが、インドネシアではそんなことはない。私の乗った車は、道端に寝ている犬の上を車で通りすぎたりもした。もちろん、上を通過するのだから、犬を轢くわけではないが、安全ともいえない。轢かれた犬らしい跡を路上にいくつも見た。仏教国と、イスラム・ヒンドゥー地域の違いか。

 

ベトナムほどではないが、オートバイが多い。オートバイは125CCの、それなりの値段のするものが大半。二人乗り、三人乗りも多い。次々と割り込んできて、きわめて危険。オートバイのマナーはよくない。が、その割には、車の運転マナーは悪くない。信号機が少ない。混雑する道路も信号がない。それなりに、なんとか機能しているのが不思議だ。阿吽の呼吸で、割りこんだり、逆に道を譲ったりしている。フィリピンなどでは大混乱だったが、そうなっていないのは見事だと思う。

 

 笑い声やくしゃみの音も国によって異なる。ある種の学習によってその民族特有の笑い声やくしゃみの音を習得していくのだと思う。これまで、どの国に来ても、「あ、ここの人の笑い声は、やはり日本人とは違うな」と思ってきた。ところが、インドネシアに来て、「あ、この笑い声は、日本人だ」と思って振り返ると、現地の人だということが何度かあった。インドネシア語圏(ただし、スワヒリ語、ジャワ語、バリ語はかなり異なるらしいので、もしかするとそれらの言語のうちのいずれかかもしれない)の笑い方は日本人に似ている!

 

 今回の旅の最大の目的はボロブドゥール寺院だった。素晴らしかったが、思ったよりも狭かった。アンコールワットのような広大な敷地で、一日では見切れないほどかと思っていたら、1時間余りでほぼ全体を見ることができた。しかし、日本とは異なる仏教の形を見ることができた。

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 ジョグジャカルタの裏町は、まさしく途上国の趣きがあった。安っぽい商品を並べた小さな道が並び、ごみが散乱し、腐敗臭の漂うところもあった。そこに貧しそうな人々が集まって生活している。道路は舗装されているが、あちこちで水たまりができており、インフラの不備が感じられる。しかし、人間の活力が感じられ、そこに生きる人の生命が感じられる。

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 観光客が接する限りでは、物価はそれほど安くない。万単位のために、すべてが大雑把な値段設定になり、端数を切り上げた感じ。何でもかんでも「10万」と要求される。

 

 バリ島には、海辺を中心としたリゾート地と、島内部の伝統的で宗教的な地域でかなりの雰囲気の違いがありそう。リゾート部分は、海があり、サーフィンや泳ぎを楽しむ人々が世界からやってきている。高級ホテルがあり、きれいなビーチがあり、ディスコがあり、西洋人がラフな服装で歩き回る。同時に、大都市でもあり、多くの人が常に行き来し、人々が密集し、夜中も騒ぐ人たちがいて、道路は常に大渋滞をしている。それに対して、島の内部は静かで、緑が多く、伝統にあふれ、宗教的な生活をしている。もちろん、私は伝統的な部分に大いに惹かれた。

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 ペンジョールと呼ばれる竹の飾りが多くの家の前に立てられている。日本のお盆のような時期に立てられるものだという。宗教が息づいているのを感じる。

 

バリ島、特に私の泊まったホテルの近くはコンビニが異様に多かった。ミニマート、サークルK、アルファ・マートなどが並んでいる。多いところには100メートルおきくらいにこれらがある。私の泊まったホテルの出口から右に100メートルほど行ったところにも、左に100メートルほど行ったところにもミニマートがあった。いずれの店もごく小さい。すべてが日本の最も狭いコンビニくらいの大きさ。飲み物、スナック菓子、日用品が並んでいる。それほどに観光客が多いということか。

 

タトゥーを入れた人が多い。現地の人にも多いし、西洋人にも多い。タトゥーを入れる店も多い。あちこちに看板がある。ここの売り物の産業の一つなのだろう。

 

鼻歌を歌う人が多い。考えてみると、このごろ日本では、道路で鼻歌を歌う人を見かけなくなったが、とりわけバリでは何人にも出会った。鼻歌を歌いながら歩いている。あけっぴろげというべきか。

 

とても親切な人が多いと思った。デンパサールの中心街で雨宿りしている時に、タクシー乗り場を尋ねたら、そこにいた多くの人が、あれこれと相談してくれた。そして、その中の一人がスマホでタクシーを予約してくれたのだった。その人は私のために何度もスマホをいじり、運転手に連絡を取り、車が来てからも雨の中、一緒に来てくれてあれこれと説明してくれた。40歳前後の男性だった。あちこちのお店の人たちもとても丁寧で親切だった。日本のようなマニュアル通りの丁寧さではなく、親身になってくれる。これも一つの文化だと思った。

 

 ともあれ、私はバリ島のヒンドゥー教に強く惹かれた。インドやマレーシアでみたヒンドゥー寺院と違って、もっとずっと厳かで壮麗。インドやマレーシアでは聖なるものが宿っているとは少しも感じなかったが、ここでは聖なるものを感じる。バリは聖なる島だと思った。

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