旅行・地域

チェンマイ旅行 簡単なまとめ

 2泊しただけ(ただし、最初の日は午前中に到着、最終日は夜中の出発だったので、3日間まるまる使えた)だが、私はチェンマイがとても気に入った。

35年ほど前に訪れて以来、タイは大好きな国だ。近年のバンコクは近代化しすぎて、少々寂しかった。チェンマイに来てみると。昔のバンコクの雰囲気が残っている。しかも、チェンマイはもっと穏やかでもっと落ち着いている。「ここなら、運転できる」と日本人が感じる、アジアでかなり少ない都市なのではないか。静かで壮麗な寺があり、落ち着いた住宅街がある。歴史が残り、タイの歴史の中に世界の人が集まっている都市。

ただなんといっても観光地、保養地だ。大勢の外国人がいる。短期の旅行者だったり、少し長期の滞在者だったり。リタイア後、チェンマイで暮らす西洋人が多いようだ。日本人にもそのような人がいると聞いた。たしかに、私もここで暮らしたくなる。おいしい食事、穏やかな人、安くて上手なマッサージ。言葉が通じ、何らかのコミュニティがあれば、私もここで暮らしたい気持ちになってくる。

このところ、アジアのあちこちを回ったが、ブータンとスリランカとここチェンマイがとても気に入った。住んでみたい候補地になった。いずれも仏教国。やはり、私は仏教国が性に合うようだ。

ただ、観光地であるため、ここでは現地の人のなまの生活はあまり見えない。その点、ほっつき歩いてその都市の生活をぼんやりと眺める旅行が好きな人間としては、十分にその土地を見られなかったという不満は残る。

繰り返しになることも多いが、チェンマイについて気づいたことをいくつか挙げる。

 

・私は車の運転をその都市の民度の基準にしているが、チェンマイはかなり整然としており、みんな交通ルールを守っている。信号も横断歩道も少ないので、車の切れ目がなく、歩行者が道路を渡るのは大変だが、それでも無理にわたろうとすると、車は停止してくれる。

・旧市街を囲む道路はほとんど一日中、多くの車が走っている。堀の両側にそれぞれ一方通行で、車が音を立てながらぐるぐる回っている。だが、その内部の旧市街では車はごく少ない。制限があるようには見えないが、多摩に車が入ってくるくらい。堀の周りをまるでサーキットのように回る車はいったい何のようでどこに行っているんだろうと不思議になってくる。

・私が出会った人のほとんどが何らかの形で観光にかかわっている人たちだ。少なくとも、旧市街地は観光で成り立っている。路地にも観光客、外国人滞在客向けの店が並んでいる。

・言われることだが、まさしくタイの京都という雰囲気。ともかく寺が多い。ふつうの都市だったら観光の目玉になりそうな寺院なのに、人影がないことも多い。

・「チェンマイ美人」という言葉をよく聞く。が、実感はなかった。ガイドさんに聞いてみたら、「その言葉は知ってるけど、僕の友だち、ブスばっかり」と話していた(現代社会にふさわしくない表現はあるが、ガイドさんのニュアンスを伝えるため、あえてオリジナルのままに書き記す)。

・新しい王様の写真があちこちに飾られている。幹線に横断幕があり、寺院の仏像の横に写真がある、いずれも新しい王様をたたえている。ただ、その軍人気質の厳しさを多くの人が警戒しているようだ。ガイドさんによると、新しい国王はタイでの生活経験が少なく、基本的にヨーロッパで育った人だという。それも心配の種らしい。

・寺院に僧侶の写真があった。その寺の昔の住職か何かと思ったら、先日亡くなった国王が剃髪した時の写真だった。

・チェンマイでは久しぶりに物価の安さを感じた。まるまる3日間をチェンマイで過ごしたが、昼と夜の食事をし、毎日マッサージを受け、飲み物を飲み、時にタクシーやトゥクトゥクに乗って、日本円で合計7000円くらいしか使っていないと思う。

・日本人観光客にほとんどで会わなかった。ナイトマーケットで3回ほど日本語を耳にした程度。それ以外では一切、日本語は聞こえてこなかった。日本人らしく思えても、近づくと中国語を話していた。チェンマイを訪れる若い日本人はほとんどいないとガイドさんも語っていた。

・実はチェンマイの歴史について、良く知らない。大まかには理解したが、王様の名前も王朝もよくわからない。今度訪れるときには、しっかりと勉強したい。また訪れたいと思った。

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チェンマイ旅行その3

 20171211日、チェンマイ3日目。朝の9時ころホテルを出て、旧市街地を一周した。ターペー門を起点にして西に向かって堀沿いに歩いた。

旧市街はかつて1辺が2.5キロほどのほぼ正方形の城壁に囲まれていたらしい。現在では、ターペー門のほか、ところどころに古いレンガが積まれた城壁が残されているにすぎない。四方を歩くと、合計10キロほどになる。途中、寺院を見かけたら、中に入って見物した。小さな、特に有名でない寺院もあった。ワット・ロークモーリーも訪れた。ガイドブックに出ている有名な寺だ。そのようにして歩いたので、周囲を回るのに3時間以上かかった。

 堀があり、その両側に3車線の道路が走っている。ただし、そのうちの1車線は駐車車両がぎっしりと停まっているところが多い。堀の内側には芝生が植えられ、遊歩道のようになっている。あまりきれいな水ではない。よどんだ水。車がかなりのスピードで音をたてて走っている。旧市街のどの側面もとてもよく似ている。堀と道路だけ見たのでは、市街地のどのあたりにいるのか迷いそう。現地の人は迷わないのだろうか。だが、歩いてみると、位置によって町の持つ表情はかなり異なる。

 ターペー門付近は観光客が大勢歩いている。朝方は西洋系の人々が中心だ。一人、あるいはカップル、友人同士で朝食を食べに行ったり、散歩していたり。店も観光客向けのレストランなどが多い。タイ料理、中華料理、そしてピザの店、カフェが多い。道路はひっきりなしに車が走る。信号がほとんどないので、車の列に切れ目がない。横断歩道もほとんどない。車の運転は決して乱暴ではないのだが、歩行者が道を渡るのはかなり危険。車のちょっとした切れ目を見つけて渡らなければならない。遊歩道にベンチはあるが、ばい煙や車の音のせいで、そこに座っている人はいない。

 西側の側面に差し掛かる部分に残された城壁跡に上ってみた。13世紀に作られたものだという。レンガが積み重ねられているが、今にも崩れ落ちそう。私のほかに、西洋人の男性が登ろうとしていた。私はすぐ後について上った。

 ところが、ちょうどその時、通りかかったトゥクトゥクの運転手に怒鳴られた。「カム・ダウン」と叫んでいるようだ。「降りろ!」ということだろう。そうか、遺跡であって、ここには登ってはいけないんだ。そう思って、あわてて降りた。

 旧市街の西側の側面になると、観光客ではなさそうな人も大勢見かける。休日のせいか、現地の人もセメント張りの床にテーブルと椅子を置いただけの小さな食堂で食事をしているようだ。観光客もみかけるが、長期滞在型の安めの部屋がたくさんあるので、そんなところに滞在している人なのだろう。このあたりにいる観光客のほとんどが西洋人だ。観光をしているというよりも、生活している風な雰囲気だ。この側面にもお寺が多い。

 南側の側面になると、かなり交通量が減る。現地の人向けの店が多い。葬儀屋などの葬儀関係のお店、ペットショップが何軒か並んでいた。目の不自由な人が行うマッサージの店や喫茶店があった。現地の人が普通の生活している。ただし、ここにも西洋人の姿を多く見かける。定住しているのかもしれない。東側の側面には大きめの市民公園があり、子どもを連れた母親や高齢者、カップルが遊んだり、散歩したりしていた。南側の側面以上に交通量が少ない。私も公園のベンチに座って、しばらく休憩した。そこでも西洋人が何人か見かけた。その少し北の方には大きな市場があった。野菜や果物や魚や肉が売られ、大勢の客でにぎわっていた。私が子どものころの、まだスーパーができる前の市場を思い出した。

 特に何かを見るわけではない。ぶらぶら歩くだけ。考えてみると、30年ほど前、あちこちと貧乏旅行をしていたころ、私の旅の流儀というのはこんなものだった。つまり、あてもなく歩き、街をぼんやりと眺め、自分の孤独をかみしめ、人生を振り返り、おもしろそうなところがあったら中に入っていく・・・というものだった。昔の旅を思い出した。

ただ、昔と違って、今は運動不足のためにすぐにくたびれて歩けなくなる。それに、昔は危険な場所があると、とりあえず足を踏み入れていたのだが、今は逆に危険な臭いのするところには近づかなくなった。その違いはあるが、久しぶりに昔ながらの旅をした。

その土地について特に何かを得ているわけでもないのだが、私はこのように街をほっつき歩くことをとても心地よく感じる。それが好きで旅をしていたのだった。

 旧市街を一周すると、昼になっていた。が、ホテルでお腹いっぱいに朝食を食べたので、まだお腹がすかない。またマッサージを受けようと思って、2日連続で通った寺の中のマッサージ店に行ってみたらすべての席が客で埋まっていた。以前にレストランを探している時に、その寺の向かい側のイートインのようになっている敷地(そこには、日本のラーメン店もあった!)にもオープンスペースのマッサージ店があるのを見つけていたので、そこに行ってみた。20代の若い女性にマッサージしてもらった。とても上手だった。180バーツだったが、私がいつも日本で受けている贔屓のマッサージ師さんに匹敵する腕だと思う。疲れが取れた。

 その後、旧市街地内のわき道に入り、揚げ魚と赤米のチャーハンを食べた。まずまずの味。食後、旧市街地をまたぶらぶらと歩いて、ホテルに戻り、シャワーを浴びて、一休みしてチェックアウト。タクシーを呼んでもらって空港に向かって帰途に就いた。

 

 帰りはチェンマイから中国国際航空で北京を経由し、そこから全日空で羽田に帰る便だった。そこで感じたことがあるので、ここに書き記す。

チェンマイでは北京までの搭乗券しか出してもらっていなかった。チェンマイの係の女性に「ベイジン→ハネダの搭乗券はベイジンで出る」といわれていた。で、北京に予定よりも早く到着。ほっとしながら、「インターナショナル・トランジット」という表示に従って進んだ。「搭乗券を持っていない人はここで手続きを」と中国語と英語で書かれたカウンターの前まで来た。ところが、そこに係官がいない! 早朝の4時過ぎだからかもしれないが、これでは困る! 仕方なしに、搭乗券を持っている人についていったが、スタッフにつっけんどんに「搭乗券をもらって来い」といわれた。「向こうには誰もない」ととびっきり拙い英語とボディランゲージで事情を説明したが、まったく相手にしてくれない。仕方なしに元のカウンターに戻ろうとすると、別の空港スタッフがいた。また下手な英語で説明をしたが、さっきのところに行くようにといわれただけ。私だけでなく、何人もの客が同じ状況のようで、右往左往している。いや、状況はよくわからなかったが、チェンマイからの飛行機で隣の席にいたアメリカ人男性はアメリカまでの搭乗券は持っているということだったが、やはり「別のところに行け」といわれたようで、あちこちをウロウロしていた。

 しばらくしてやっとカウンターに係官が現れて長蛇の列。しかも、私の搭乗券を印刷しようとしたら紙が詰まって、かなりの時間待たされた。それがすんだら、荷物検査。おそろしく感じの悪い若い女性スタッフが顎をしゃくって客に荷物について指示をし、そのあと、猛烈に厳しくて、何度も機械を通される荷物検査。長い長い列。そこまでで1時間半ほどかかっていた。

 待ち時間が十分にあったからよかったものの、もし、時間がなかったら焦りまくっただろうと思った。同時に、インフラはそろってもソフトの面で不備の残る中国の問題点も感じた。

 ともあれ、こうして20171212日の午後、無事に自宅に帰った。

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チェンマイ旅行その2

2017年12月10日、チェンマイ旅行2日目。

日本で半日市内観光を予約しておいた。8時にガイドさんがやってきて出発。今回の旅は一人でぶらぶらするつもりだが、ガイドさんがいてくれる方がありがたいことも多い。ひとりだと目的地にたどり着けなかったり、歴史的な建物もさっぱりわからなかったりする。

とても感じのいいガイドさんだった。正確な年代などはどうも知らないようで、「古いものです」とか「15世紀ころにできました」などとテキトーだが、多くのチェンマイに暮らす人、しかも知的な階層の人が、大まかにどのようにとらえているかがとてもよくわかった。

まずはワット・チェン・ユーンに行った。チェンマイで最初にできた寺だという。ミャンマースタイルらしい。30過ぎのガイドさんが子供のころまでは整備されておらずほとんど廃墟だったという。次にすぐ近くのワット・パーパオ。そして、昨日みた旧市街地内のワット・プラ・シンとワット・ディー・ルアン。ともに一人で見た時にはわからなかった歴史的由来、そして、「実は古いものではなく、最近改修されたもの」「これが最も古いもので、多くの人が信仰している」といったことを聞くことができた。ワット・プラ・シンでは日曜日だけの市が開かれていた。ラッキーだった。

その後、有名ではなく観光には含まれないが、現地の人に親しまれているというワット・ジェット・ヨドに連れて行ってもらった。近くに幹線が通っているために車の音はうるさいが、それを除けば静かで落ち着いた寺。通常のタイのお寺とは異なってスリランカの影響下にあるという。とてもいい雰囲気。美しい仏塔、古めかしいレンガ、木陰が心地いい。ゆっくりと時間が流れている。一人で少しだけ自由に散歩させてもらった。

その後、チェンマイ国立博物館に行ったら、今日は国民の休日ということで閉鎖されていた。そこで、明日、一人で行こうと思っていた郊外の山の上にある寺ワット・プラ・タート・ドーイ・ステープに行ってもらえないかと交渉。電話で責任者ともお話しして少々の追加料金によって行ってもらえることになった。ありがたい。車で40分ほどかけ、坂道を登った。イメージとしては東京郊外にある箱根の上にある寺院といった感じ。標高1080メートルだという。国民の休日で三連休ということもあって、車が混んでいた。寺まで行くと、人がごった返していた。

ロープウェイがあったが、待っていると30分くらいかかるということで、階段を上った。スリランカから届いた仏舎利が収められているという金色のストゥーパの周りに人が大勢いた。下りだけロープウェイを使った。お参りをしている人がたくさんいた。正式のお参りの仕方をガイドさんに教えてもらった。少々足がくたびれる参り方だったが、何度か実践した。

しばらく寺院を見た後、市街地に戻った。食事時だったので、ガイドさんに現地の人に人気のタイ料理の店を教えてもらって、そこで車を降りた。昨日と同じような魚の料理を食べたが、今日のほうがおいしかった。今日もあれこれ欲張って注文したために、半分ほどしか食べきれなかった。一人旅がこれがつらい。

満腹になって動けなくなって、ホテルに戻り休憩。

 

夕方、再び、町の見物に出かけた。

まず、カート・ルアンまで歩いた。ビン川付近にある大きな市場だ。まさしく東南アジアの市場といって想像する通りの市場。小さな店がいくつも並んでいる。最初に目についたのは花屋さんだった。休日で、仏教的な意味があるのだろう。菊の花やそのほか、お供えにする感じの花がずらりと並んでいた。花屋さんだけで10軒以上並んでいたのではないか。そのほか、果物や野菜屋、雑貨屋、洋服屋、かばん屋、お菓子屋などが並ぶ。買い物をする人々も大勢集まっていた。ぐるりと歩き回った。

その後、ビン川を渡ってみた。仏教寺院のすぐ横にモスクもあった。雰囲気がかなり異なる。すぐにまた市場に戻って、トゥクトゥクでターペー門まで行った。前もって値段交渉をし、「50バーツ」と約束していたのに、100バーツ札を出すと、20バーツしか釣りをくれない。「50バーツのはずだ」と強く言ったが、相手はなんだかわからないタイ語で主張している。30バーツ(150円くらいかな?)程度で争うのもばからしいので、すぐに折れた。本当はこちらが折れるから、のさばるのだろうが、まあ仕方がない。

 ターペー門には人だかりができていた。今日は日曜日なので、ラーチャダムヌーン通りはナイトマーケット(要するに夜市)が開かれる。しかも、今日はタイの祝日で三連休だという。まだ暗くなっていなかったが、すでに多くの人が集まっていた。

 通りに、様々な屋台が出ている。洋服、民芸品、食器、食べ物などなど。寺院も解放され、その多くでは食べ物の屋台が出ている。ソーセージ、果物、飲み物、焼きそば風のもの、焼き鳥風のものなどなど。楽器を演奏している人もいる。あちこちで音楽がかかっている。

 昨日マッサージを受けた寺(ワット・サンパオ)に行ってみたら、今日もマッサージ店が開いていたので、またタイマッサージを受けた。山の上の寺院に上ったので、足に違和感があった。かなり年配の女性マッサージ師さんだったが、昨日よりもずっと効き目があった。

 1時間、同じようにマッサージを受けた後、夜市を歩いた。1キロ以上にわたって、ものすごい人だかり。ラッシュ時の新宿駅のホーム以上の状態。中国語、タイ語があちこちで聞こえる。さすがに日本語も何度か耳にした。30分ほど歩いたが、あまりに喧騒に疲れて、ホテルに戻った。戻る途中、レストランで夕食。

 ともあれ、楽しい。東南アジアの一人旅を満喫している。

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チェンマイ旅行 その1

 昨日(2017129日)から、タイのチェンマイに来ている。8日の夜に飯田みち代ソプラノ・リサイタルを聞き終えてすぐに羽田空港に向かい、タイ航空でバンコクを経由してチェンマイに着いた。今年9回目の海外旅行。退職後、アジアの海外旅行を楽しんでいる。

 今回のチェンマイ旅行には35年ほど前のリベンジの意味がある。当時、私は行き当たりばったりの旅でバンコクにおり、チェンマイに行こうとして中央駅まで行った。ところが、駅の窓口には、今と違って英語の表記がほとんどなかった。インフォメーションで尋ねようと思ったが、いくら待っても係員が来なかった。しばらく待つうち、チェンマイに行くのが怖くなって中止したのだった。それ以来、ずっと気になっていた。たまたまマイレージを消費しないと消えてしまうので、これを機会にチェンマイ旅行を思い立った。

 チェンマイに着く前に一つの事件があった。

 実は私はかなり異常なほど忘れ物の多い人間だ。あちこちにいろいろなものを忘れてくる。今回、またバンコクまで乗った飛行機に本とアイポッドを忘れてしまった。飛行機から降りてしばらくして気づき、近くにいた係官にそのことを伝えた。すると、あれこれ手をまわしてくれて、ぎりぎりではあったが、チェンマイ行きの搭乗口で手渡してくれた。自分のドジさに改めてあきれるとともに、バンコク空港の方々に感謝。感謝するだけでなく、連絡網がしっかりしていることにも感嘆。

 朝の9時半頃にチェンマイ空港に到着。アジアの雰囲気のこじんまりした空港。ただ、ほかの空港のように「タクシー?」などと客引きしてくるものはいない。こちらから「空港タクシー」に声をかけ、料金を決めて出発。運転は乱暴ではない。道もそれほど混んでいない。

トゥクトゥクがあちこちにある。これもそれほど乱暴な運転ではない。

ホテルに着いたのは10時ころだった。おしゃれな植民地風のホテル。チャックインの時間までまだ間があったがすぐに部屋に入れてもらえた。一眠りして12時前から活動開始。雲は多いが、ともあれ晴れの天気。気温は30度になるかならないかくらい。暑いのは暑いが、耐えられないほどではない。

 このところのモンゴル、スリランカ、インドネシアではガイドさんをつけての旅行だったが、タイなら個人でもなんとかなると思うので、ともあれ昔ながらの一人旅。行き当たりばったりに歩き、疲れたら店に入って休み、また歩く。

 ホテルから出てすぐのところに寺があった。バンコクでもよく見かける堂とストゥーパがあり、数人の観光客と散歩中らしい現地の人がいる。有名な寺院ではないが、生活に根付いているし、とても雰囲気がいい。

 街の雰囲気は、先日訪れたデンパサールに似ている。日本人からすると、ちょっと汚い感じの現地の店とおしゃれな観光客向けのカフェやお土産物店が並んでいる。そこを白人観光客が歩いている。個人で歩いている人のほとんどが短パンにTシャツの白人。若い人も高齢の人もいる。中心街に行くにしたがって、そこに中国語を話す人が増えてくる。集団旅行の人もいるが、そのほぼ100パーセントが中国人だ。ただ、デンパサールと違うのは、異様にマッサージ店が多いこと、そして、道のあちこちに果物(ココナツやドリアンなど)や料理を出す屋台があること。

ホテルはターペー通りの近くにあった。そのままターペー門という旧市街地を囲っていた門をくぐった。現在も観光客でにぎわい、ハトが集まっている。

そのままダーチャダムヌーン通りを進んで、旧市街内を歩いた。いたるところに寺がある。通りの右にも左にも、ほとんど連続しているかのように寺院が見えてくる。有名な大きな寺院もあれば、小さな寺院もある。どれもがとても美しい。とがった屋根、赤い瓦、白かったり金色だったりのストゥーパ、きらびやかな金色の仏像。初めのうちは地図で寺院の名前を確認していたが、だんだんとどうでもよくなった。歴史などについて知るのは後にして、まずは風景を味わいたい。

ある寺院の内部でマッサージ屋さんが店を開いていた。マッサージの店はあちこちにあるが、店の内部に入るのには少々抵抗がある。なんだかちょっと怪しい感じがしないでもない。が、そこは寺のお堂で、外からも見えるところでマッサージをしている。中国人らしい男性と女性、西洋人、そして現地の女性が客としてマッサージを受けていたので、私も受けることにした。いわゆるタイ式マッサージで、ストレッチっぽいことをさせられた。私を担当したのは、中年の女性。男性マッサージ師さんも何人かいた。1時間150バーツ。450円くらいだろう。かなり安い。私のかなり頑固な肩こりにはあまり効き目なかったが、1時間、外の風にもあたりながら、ゆっくりとマッサージを受けられたのはとても快適だった。

その後、ワット・パンタオとワット・チェーディー・ルアンを見た。タイの寺院は本当に素晴らしい。30数年前に初めてバンコクでいくつもの寺院を見た時の感動を思い出す。

少々疲れたので、ラチェマンカ通りを通ってホテルに戻って、一休み。

1時間ほどしたら、元気が回復したので、こんどはターペー通りを反対の歩いてチェンマイ駅まで行ってみた。かなり交通量が多い。ばい煙はかなりひどそう。だんだんと観光客は少なくなる。食堂、金物屋、宝くじ屋、自動車修理工場などが並んでいる。大きな川を渡った。その向こうには十字架が見えた。キリスト教系の施設があるようだ。30分以上歩いてチェンマイ駅に到着。

小さな駅だった。人も少ない。列車が見えたが、乗る人も降りる人も確認できなかった。日本の、たとえば私の故郷である日田駅と大差ない。時間帯によるのかもしれないが、白人の客が数人、中国人らしい人が数人、あとは現地の駅員やお店の人ばかり。駅前にタクシーの列もない。

歩くのには疲れたので、近くで休憩していた運転手に声をかけてトゥクトゥクでワット・プラシンまで行った。ちょっと値切って130バーツにしてもらった。ワット・プラシンは旧市街の最も西にある大寺院。巨大な金色のストゥーパがある。大きな金色の仏像もある。中国人が大半を占める客に交じって、しばらく観光した。壮麗で本当に素晴らしい。聖なるものを感じる。日本の寺院のような厳粛な世界というよりも、もっと現世に近く、軽やかでしかも崇高な世界。そんな極楽の存在を信じたくなってくる。

とはいえ、有名な寺もいいが、観光客のいない小さな寺院でゆっくりと本を読んだり、風に吹かれたり、考え事をしたりする方が性に合いそうだと思った。3日目の帰国する日はそうして過ごすことにしたい。

飛行機内での食事が続いた(羽田・バンコクでも、バンコク・チェンマイでも朝食が出た)ため、昼食を抜いていた。17時ころだったが、おなかがすいたので、タイ料理屋を見つけて、魚料理とチャーハンっぽいものを頼んだ。一人では多すぎて半分以上残した。おいしかったが、もったいなかった。

その後、ホテルに戻り、夜、少しだけ街を歩いてみた。セブンイレブンで買い物。セブンイレブンはところどころにある。「砂糖抜きか」と尋ねて、確認して買ったのに、帰って飲んでみたら、緑茶は甘かった。夕食が早かったので、夜、おなかがすいた時のために海老せんべいのようなものも買って、少しだけ食べてみたが、これも甘かった。タイの人は甘いもの好き?

もう一つ感じたこと。ホテルでテレビをつけた。BSも含めてかなりの数がチャンネルに登録されている。中国語の放送が4つくらいある。韓国語らしいものも1局ある。ドイツ語もある。もちろん英語はいくつかある。が、日本語がない! ホテルのスタッフは誰もが必ず私に「ニーハオ」と声をかけてくる。

日本人観光客が多くないせいかもしれないが、日本の存在感の欠如をあちこちで感じる。少し前まで、日本の物価と東南アジアの物価の大きな開きを感じ、なんでもすごく安かったが、今は「日本と大差ない」と感じる。東南アジアを成長しているということでもあるだろうが、日本が特別の先進国でなくなったということだろう。日本人として意識を変える時に来ているのを強く感じる。

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インドネシア旅行 その3 旅のまとめ

 昨日(20171121日)、無事、インドネシアから帰国。

 インドネシア旅行は、ともあれ満足だった。

 ほんの数日間の、しかも一人だけの客だったとはいえ、基本的にツアー旅行なので、詳しく現地を理解できたわけでも観察できたわけでもない。表面だけしか見ていない。その視点から、気づいたことを記す。

 

 ブータンやスリランカほどではないが、ここにも野良犬がかなり多く見られた。車道にも野良犬がまよいこんでいた。ブータンやスリランカでは、犬に出会うと車はそっとよけて、犬を轢かないように誰もが細心の注意を払っていたが、インドネシアではそんなことはない。私の乗った車は、道端に寝ている犬の上を車で通りすぎたりもした。もちろん、上を通過するのだから、犬を轢くわけではないが、安全ともいえない。轢かれた犬らしい跡を路上にいくつも見た。仏教国と、イスラム・ヒンドゥー地域の違いか。

 

ベトナムほどではないが、オートバイが多い。オートバイは125CCの、それなりの値段のするものが大半。二人乗り、三人乗りも多い。次々と割り込んできて、きわめて危険。オートバイのマナーはよくない。が、その割には、車の運転マナーは悪くない。信号機が少ない。混雑する道路も信号がない。それなりに、なんとか機能しているのが不思議だ。阿吽の呼吸で、割りこんだり、逆に道を譲ったりしている。フィリピンなどでは大混乱だったが、そうなっていないのは見事だと思う。

 

 笑い声やくしゃみの音も国によって異なる。ある種の学習によってその民族特有の笑い声やくしゃみの音を習得していくのだと思う。これまで、どの国に来ても、「あ、ここの人の笑い声は、やはり日本人とは違うな」と思ってきた。ところが、インドネシアに来て、「あ、この笑い声は、日本人だ」と思って振り返ると、現地の人だということが何度かあった。インドネシア語圏(ただし、スワヒリ語、ジャワ語、バリ語はかなり異なるらしいので、もしかするとそれらの言語のうちのいずれかかもしれない)の笑い方は日本人に似ている!

 

 今回の旅の最大の目的はボロブドゥール寺院だった。素晴らしかったが、思ったよりも狭かった。アンコールワットのような広大な敷地で、一日では見切れないほどかと思っていたら、1時間余りでほぼ全体を見ることができた。しかし、日本とは異なる仏教の形を見ることができた。

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 ジョグジャカルタの裏町は、まさしく途上国の趣きがあった。安っぽい商品を並べた小さな道が並び、ごみが散乱し、腐敗臭の漂うところもあった。そこに貧しそうな人々が集まって生活している。道路は舗装されているが、あちこちで水たまりができており、インフラの不備が感じられる。しかし、人間の活力が感じられ、そこに生きる人の生命が感じられる。

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 観光客が接する限りでは、物価はそれほど安くない。万単位のために、すべてが大雑把な値段設定になり、端数を切り上げた感じ。何でもかんでも「10万」と要求される。

 

 バリ島には、海辺を中心としたリゾート地と、島内部の伝統的で宗教的な地域でかなりの雰囲気の違いがありそう。リゾート部分は、海があり、サーフィンや泳ぎを楽しむ人々が世界からやってきている。高級ホテルがあり、きれいなビーチがあり、ディスコがあり、西洋人がラフな服装で歩き回る。同時に、大都市でもあり、多くの人が常に行き来し、人々が密集し、夜中も騒ぐ人たちがいて、道路は常に大渋滞をしている。それに対して、島の内部は静かで、緑が多く、伝統にあふれ、宗教的な生活をしている。もちろん、私は伝統的な部分に大いに惹かれた。

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 ペンジョールと呼ばれる竹の飾りが多くの家の前に立てられている。日本のお盆のような時期に立てられるものだという。宗教が息づいているのを感じる。

 

バリ島、特に私の泊まったホテルの近くはコンビニが異様に多かった。ミニマート、サークルK、アルファ・マートなどが並んでいる。多いところには100メートルおきくらいにこれらがある。私の泊まったホテルの出口から右に100メートルほど行ったところにも、左に100メートルほど行ったところにもミニマートがあった。いずれの店もごく小さい。すべてが日本の最も狭いコンビニくらいの大きさ。飲み物、スナック菓子、日用品が並んでいる。それほどに観光客が多いということか。

 

タトゥーを入れた人が多い。現地の人にも多いし、西洋人にも多い。タトゥーを入れる店も多い。あちこちに看板がある。ここの売り物の産業の一つなのだろう。

 

鼻歌を歌う人が多い。考えてみると、このごろ日本では、道路で鼻歌を歌う人を見かけなくなったが、とりわけバリでは何人にも出会った。鼻歌を歌いながら歩いている。あけっぴろげというべきか。

 

とても親切な人が多いと思った。デンパサールの中心街で雨宿りしている時に、タクシー乗り場を尋ねたら、そこにいた多くの人が、あれこれと相談してくれた。そして、その中の一人がスマホでタクシーを予約してくれたのだった。その人は私のために何度もスマホをいじり、運転手に連絡を取り、車が来てからも雨の中、一緒に来てくれてあれこれと説明してくれた。40歳前後の男性だった。あちこちのお店の人たちもとても丁寧で親切だった。日本のようなマニュアル通りの丁寧さではなく、親身になってくれる。これも一つの文化だと思った。

 

 ともあれ、私はバリ島のヒンドゥー教に強く惹かれた。インドやマレーシアでみたヒンドゥー寺院と違って、もっとずっと厳かで壮麗。インドやマレーシアでは聖なるものが宿っているとは少しも感じなかったが、ここでは聖なるものを感じる。バリは聖なる島だと思った。

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インドネシア旅行 その2

 2,017年、1120日。インドネシア旅行4日目。

朝のうちに、デンパサール(といっても、レギャン、クタ地区)のホテル付近の海岸を見に行った。昨日は一日中、バリ島ツアーだったので、すぐ近くに海があるのに、見に行かなかった。青空に美しい海、観光客は西洋人が多い。朝なのに泳ぐ人もいるし、サーフボードを持った人もいる。パラソルの下で飲み物でも飲んでゆっくりしようかと思ったが、ともかく近くを歩き回った。無国籍のリゾート地という雰囲気。立派なホテルもある。が、路地を入ると、雑多な小さな店がひしめいており、現地の人が歩いている。

 タクシーでデンパサールの中心街に行った。10キロ強の距離があり、40分ほどかかった。それで料金は7万8000ルピア(日本円で600円程度?)。

 まず、ジャガッナタ寺院に行った。中に入ろうとすると、門のところにいた老人(といっても私よりも年下かもしれない)が近づいてきた。寺院の関係者なのか、それとも部外者なのか、もしかして詐欺師なのか乞食なのかわからない。老人は、中に入るには、それなりの服装が義務だと英語で言った。それについては知っていたし、昨日のツアーの際に準備していた(残念ながら、雨のために寺院には入れなかったので使わなかったが、手元に残していた)ので、それでよいのかと思ったいたら、黄色い帯も必要だという。そういいながら、服を着せてくれた。それで終わりかと思ったら、「私がガイドをする。10万ルピアだ」という。振り切って一人で中に入ることもできると思ったが、まあ10万ルピア(800円くらいかな?)くらいなら、かな法外とはいえ、日本人としてはそれほど懐は痛まないので、頼んでみることにした。あれこれ説明してくれた。写真も撮ってくれた。

 デンパサールで最も大きな寺院で、信仰の中心地だという。満月の夜には影絵芝居やガムランが演奏され、宗教儀式が行われるということだった。とても雰囲気の良い寺院で、建物が美しかった。シヴァ、ヴィシュヌ、ブラーフマの神の彫像もおもしろかった。

 次に隣にあるバリ美術館を訪れた。料金(5万ルピア)を支払っていると、料金所の横に男性が現れたので、それについて歩いて、英語によるその人のガイドを受けた。初めは少し疑ったが、料金を払っている横で、私は支払いをするのを待って私についてくるように促したので、当然、博物館の職員だと思ってついていった。

 ところが、最初の建物の説明が終わると、「ここまでの説明が10万ルピアに当たる。これから先全部の説明だと20万ルピア」といわれた。こちらは当然、この説明は入場料に含まれると思って聞いていたので、そこまでにして、あとは断った。頑張って、「いや、払う義務はない」と突っぱねることもできるが、それも面倒くさい。しかし、それにしてもこれまた法外な値段!

 このようにして、職員と「ガイドまがい」が結託して暮らしているのだろう。あるいは、見て見ぬふりというか。バリ島の誇りを汚すものであるような気がするが、このような目に合うのも旅の楽しみの一つではある。

 しばらく、ププタン広場で休憩。市民の憩いの場のようで、ベンチに市民が座っている。

 その後、周辺をぶらぶら。ところが、にわかに空が暗くなり、強い雨が降り始めた。スコールの始まりだ。私は例によって100均で買ったレインコートを持参していたので、慌てて着た。が、昨日同様、すさまじい雨。しばらく雨宿りしていたが、いつまでもやまない。周囲に靴屋さん、服屋さん、雑貨屋さんなどはあるが、喫茶店のような座って休めるところはない。雨の中、店を探したが、雨脚は強まるばかり。

考えを変えてタクシーでホテルに戻ることにした。が、今度はタクシーが見つからない。ププタン広場に戻ればタクシーが見つかるかと思って、雨の中を歩いて戻ったが、そんな気配もない。広場の中の屋根のある場所に20人くらいが雨宿りをして立ち尽くしていた。私もそこに立っていたが、それでもやまない。待ちきれずに、近くの人に「タクシーはどこで捕まえられますか」と尋ねたところ、すぐ近くにいた別の男性がウーバーのようなシステムでタクシーを呼んでくれた。それに乗ってホテルに戻った。

 到着したとき、ホテル(今日の夕方まで部屋を使える)の近くでは雨が降っていなかったので、濡れた服が乾いたら、朝、歩いた海岸を、今度はゆっくり味わおうと考えていた。ところが、雨が降り出した。やむのを待ちながらブログを書いたのだった。

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インドネシア旅行 その1

1日目

2017年11月17日からインドネシアに来ている。初めてのインドネシア旅行だ。今回も3泊5日の弾丸ツアー。ただし、例によって客は私だけ。ガイドさんと運転手さんがつく。

17日の午前中にガルーダ・インドネシア航空でジャカルタ経由でジョグ・ジャカルタに到着。出発が1時間ほど遅れた。ガイドさんに会って、すぐにボロブドゥール遺跡の近くのボロブドゥール史跡公園の敷地内にあるマノハラ・ホテルに車で向かった。ホテル到着は23時過ぎ。バンガロータイプの感じのいいホテルだった。道中はずっと夜だったので、何も見えなかった。ただ、オートバイが異様に多い。学生が多いので、オートバイに乗っているのはかなりが学生らしい。大学が市内にかなりあるとのこと。寝たのは24時近くだった。

 

2日目

翌2017年11月18日、朝、6時半からボロブドゥール寺院観光。

さすがというしかなかった。アンコール・ワットの仏教版というべきか。アンコール・ワットによく似ている。黒ずんだ石の塔があり、それぞれの石に彫刻が施され、仏像や仏教にまつわる様々な形が描かれている。釈迦の出生、悟りなどが描かれていた。買いが上になるにしたがって、地獄から現世、極楽を描いているらしい。最上階にあるストゥーパに上った。スリランカのジシーギリヤに比べればそれほどの高さではなく、思っていたほど疲れなかった。

観光客がたくさんいた。その中にはインドネシアの人が多かった。子どもたちもたくさんいた。学校単位で来ているらしい。制服姿の超学生や中学生が多い。帰りに、小学生らしい集団に出会った。なんだか声を合わせて何かを叫んでいる。ガイドさんに何を語っているのかを聞いたら、「受験を頑張ろう」と叫んでいるとのこと。どうやら、塾か何かのイベントとしてボロブドゥールのぼりが敢行されているらしい。

それはそれで、ボロブドゥールが国民に根付いていることであって、悪いことではないと思った。何しろ、ボロブドゥール寺院は仏教遺跡であって、インドネシアの大半を占めるイスラム教徒からすれば異郷の遺跡だ。邪魔者扱いされ、アフガニスタンのバーミヤンのような扱いを受けるようになっては大変だと思っていたが、そんなことにはなりそうもない。十分にインドネシアのイスラム教徒はボロブドゥール寺院を誇りに思っているようだ。

その後、一旦ホテルに戻ってシャワーを浴び、朝食をとってからチェックアウト。ガイドさんに連れられてジョグジャカルタの市内観光に出た。パオン寺院、ムンドゥット寺院、クラトン(王宮)を見た。王宮では影絵が行われ、それに合わせてオペラのような楽器淘汰の演奏が行われていた。すぐにその場を立ち去らねばならなかったが、とても楽しい経験だった。もっときちんと見たいと思った。DVDCDを探してみよう。

ジョグジャカルタ市内は古いものが多く、それなりには落ち着いた街だとのことだが、オートバイが多く、その多くが乱暴な運転をするので、どうしてもがさついているように見える。赤信号でも危険がないとみると、どんどん違反してくる。子どもを二人抱えて三人乗り四人乗りをしているオートバイも多い。オートバイ・タクシーもあるらしい。ウーバーのようにネットで予約して、拾ってもらうものもあるという。そのユニフォームを着たライダーをかなり見た。

その後、食事を済ませてから、パランバナンを見物。ヒンドゥー教の遺跡だ。ボロブドゥール寺院よりも少し後の時代に作られたらしい。これはボロブドゥール寺院よりももっとアンコールワットに似ている。ヒンドゥーの神々やその偶像が描かれている点で、釈迦や仏教にまつわる物語が語られているボロブドゥール寺院と異なる。が、遠くから見ると、少なくとも私のような門外漢には全く見分けがつかない。

パランバラン遺跡を見ているうちにスコールに襲われた。突然の大雨。が、私はそのようなこともあろうと、100均で購入したレインコートを用意していた。みんなが慌てふためく中、私は悠々と歩いた。ただ、そのせいでガイドさんは濡れてしまったが。

ガイドさんは中尾彬をもっと人相を悪くしたような男性だが、とても知的で気が利く。私よりはいくらか年下だろうと思っていたが、父上が私よりも若いと知ってびっくり。インドネシアの人は老けて見える! ガイドさんにいろいろなことを教えてもらったが、それは後程書く。

ジョグジャカルタは一日で観光して、夜の便でバリ島デンパサールにわたった。

時間よりも少し早く到着。とても快適な空の旅だった。晴れていたので、しばしば夜の地上が見えたが、ジャカルタはもちろん、その後もずっと人家の明かりがたくさん見える。改めてインドネシアの人口の多さを感じる。

10分ほど予定より前にデンパサール到着。すぐに出口に行った。ところが、来てくれているはずのガイドさんがいない。焦った。正規の到着時間になれば来るかと思って待っていたが、それでも来なかった。緊急連絡先に電話してみたが、通じなかった。が、正規の時間よりも15分から20分遅れでやっと到着。しかも、遅れたことで焦る様子も詫びる様子もない。私が文句を言ったら、「すみません」と一言言っただけ。しかも、日本語がよく通じない。ガイドさんの運転する車でホテルに行ったが、まさしくあおり運転。無理な追い越しを何度もし、前の車が遅いとぴったりついて、しばしばパッシング。

そのガイドさんに帰りに空港まで送ってもらうことになっていたが、ホテルに到着後、キャンセルした。また遅刻されてもかなわないし、こんな運転の車に乗りたくない。

ホテルもあまりよくない。「スーペリア・ルーム」ということだったのだが、場末の小さな、そしてあまり設備もよくなく、がやがやしてかなりうるさいホテル。スタンダード以下のレベルではないか。今更仕方がないが。

ホテルまでの車で行きながら、ここが大都会だと知った。リゾート地だと思っていたが、それ以上に大都会だ。道は夜中なのにぢ亜渋滞し、人でごったがえし、建物が並んでいる。私のバリ島のイメージは30年以上前のものなのかもしれない。

 

3日目

 この日は、私が参加したツアーでは自由日となっていたので、別の業者のバリ島観光を予約しておいた。ガイドさんと7時45分にホテルのロビーでの待ち合わせだったが、kん回のガイドさんも5分近く遅刻。まあ、5分は許容範囲だろう。遅れるのはお国柄なのかもしれない。

 今回のガイドさんも日本語が達者ではない。質問したことの多くに的外れな答えが返ってくる。時々説明してくれるが、半分くらいしかわからない。善良な人だとは思うが。

 車でタバナンに向かったが、まず、バリ島がとてもきれいだということに気付いた。ジョグジャカルタの裏町のような不潔さがない。貧しい様子も見えない。ほとんどすべての家には必ず木が植えられており、道も整備されている。左側通行でもあり、日本を車で走っている気分に陥る。交通マナーも、オートバイ以外はかなりよい。

 タバナンに行く途中、ガムランの楽器を作る作業所と木の彫刻を作る作業所に寄った。バリの村々はその村ごと職能があるらしい。織物を作る村、石像を作る村、楽器を作る村、彫刻を作る村、銀細工を作る村などがあるという。いくつかを訪れる予定になっていたようだった。

「お土産は買う気はない。作業所見学という名前のお土産物屋には連れて行かないでくれ。音楽が好きなので、それに関するところだったら見たい」と強く言ったら、ガムランの作業所に連れて行ってくれたのだった。打楽器や管楽器、鐘を作っていた。これは楽しかった。彫刻の作業所は、「買わなくていいから」と無理に連れていかれた。確かに、手の込んだ見事な彫刻。芸術性のありそうなものも多い。ヒンドゥー教に基づくのかエロティックな題材も多かった。もちろん、何も買わなかった。

 タバナンの棚田をみた。美しい棚田。景色そのものが美しい。緑が多く、実に落ち着く。そのあと、キンタマーニに行き、バトゥール山とその横のバトゥール湖を見下ろすレストランで昼食。作業所を断ったせいで、11時ころからの昼食。腹がすいていないので困った。

 道中、田舎の家々を見ることができた。ちょっとした家には、敷地内に祠がある。お寺の銅のような建物が一つの敷地にいくつもある。ヒンドゥー寺院かと思っていたら、一般の民家だという。5つも6つも敷地内に建てられている。赤い美しい瓦の屋根、神々などの彫刻された木や石によるお堂だ。特に素封家に限らないらしい。そのようないくつもの堂を持った家が何軒も続く。バリ島の豊かさと信仰心を強く感じる。

 その後、ウブドで散策。ウブドは軽井沢のような街。おしゃれな店が並び、観光客が歩いている。西洋人が多い。何も予備知識なしに、プリ・ルキサン美術館に入ってみた。緑の多い公園内にいくつかの西洋式の建物があって、実に雰囲気がいい。バリ人の画家たちの作品を集めている。素晴らしかった。宗教画風のものが多い。地獄絵のようなものもたくさんあった。ヒンドゥー教に基づくので、官能性が隠されずに真正面から描かれる。人間の業、愛、苦しみを細密に描く作品が多かった。素晴らしいと思った。

その後、タマン・アユン寺院に向かったが、豪雨になった。タマン・アユン寺院に入ろうとしたら、駐車場も、その先の寺院へ行く道も水があふれており、警備員に入場しないように指示された。確かに、奥の方の人たちは、ズボンをまくり上げ、くるぶしの上まで水につかって歩いていた。あきらめて、次の目的地タナロット寺院に向かった。ところが、あちこちで水路や小川が氾濫して、道が水浸しになっている。交通止めになるほどではなかったが、インフラの不備を感じた。

タナロット寺院は、海の神がまつられる海辺の寺院だ。陸地から、満水時には隠れてしまう道を通って寺院に行く。モンサンミシェルや江の島と同じような作りの寺院だ。到着したが、雨がやまない。カッパと傘で進んだ。しばらく待って、少し小降りになったので近くまで行った。

が、それでバリ島巡りのプログラムは終わり。あとは夕食。あれこれパスしたので、16時半頃の夕食になった。そして、ホテルに戻って一休み。

詳しいことは後日、書くことにして、そろそろ本格的に休憩する。

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スリランカについて考えたこと

 スリランカを旅行しながら考えたことをまとめる。もちろん、35日の、しかもガイド付きのツアーなので、ほとんど何もわからなかったに等しい。が、旅行者であるがゆえの視点もあるだろう。ともあれ、素直な感想を記す。

 

・私は、スリランカが大変気に入った。移住しなければならないようなことになったら、ここがいいと思った。ブータンも素晴らしいと思ったが、そこに住むと息苦しくて退屈でたまらなくなるだろうことは目に見えている。スリランカはそんなことはなさそう。気温も思ったほど高くない(少なくとも、私のいる間は20度から30度の間くらいだった)し、治安もいい。食べ物もおいしい(基本的にカレーばかりだけど)。

・物価は意外に高い。観光客向けの店が多かったせいもあるかもしれないが、何度か入ったスーパーでも日本の8割くらいの感じ。小さなバナナ3本とイチゴ10粒、板チョコ、円筒形の筒に入ったポテトチップ(どう呼べばいいのかわからない)を買って1400スリランカルピーだった。日本円で1000円を超す。日本より高いのではないか。ヤシ酒の360ミリリットルが1000ルピー(800円くらい?)、現地のものらしいペットボトル入りのジュースが120ルピー程度(100円くらい?)。ガソリン代がレギュラーで117ルピーだった。税金が含まれているとはいえ、かなり高額。マッサージ40分で4000ルピー(3000円以上!)。

・スリランカは日本人が思っているほど「遅れた国」ではない。少なくとも、今、猛烈な高度成長の時期にあるようだ。あちこちで工事が行われている。物価はインフレ状態にあるという。道には日本車があふれている。バスやトラックにはインド製のTATAのものが多いが、乗用車はほとんどが日本製。時々、韓国製や西洋の車がある。

・私がその国の「民度」を計るのに、一つには交通マナーを意識しているが、全体的には決して悪くない。信号が少ないために割り込みなどが起こるし、トゥクトゥクがとりわけマナーのよくない運転をしているようだが、それを除けば、かなりマナーはよい。

・私がもう一つ「民度」を図るために考えているのは、熱帯地域における上半身裸の男の存在だ。もちろん、スリランカでも農業地域で上半身裸で作業をしている人は見た。だが、都市部にはほとんど見かけない。

・宗教対立に根深さについては感じないでもなかった。表面的には、驚くほど多宗教が併存している。仏教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒を見かける。違和感なく歩いている。が、ガイドさん(穏やかで社交的なシンハラ人の30代男性)の様子を見ていると、他民族、他宗教の人と交流しているようには見えない。「ここはタミール人の多い地域だから・・・」「ここにはイスラムの人が多いので・・・」などと、自分の立ち入るべき地域ではないことをほのめかす。2009年まで、スリランカでは、スリランカ政府と一部のイスラム教徒の間で内戦が起こっていた。スリランカ政府にも行き過ぎがあり、罪のないイスラム教徒も被害に遭ったが、政府が勝利して集結した。だが、火種はあちこちにありそう。

・植民地風の建物が多い。つまり、かなり西洋風。小さくて汚い家ではなく、しっかりした作りの家が多い。小さくても西洋の田舎の家のようなしゃれた雰囲気がある。

・かなりの日本びいきの国のようだ。ガイドさんとドライブインのような店(ただし、屋台をきれいにしたような店。国営だという話だった)に行った。紅茶とおいしいパンをお食べていると、社交的なガイドさんが売り子の女性に話しかけた。二人のうち一人は、「姉の夫は日本人」といい、もう一人は「弟が日本に仕事に行っている」と語っていた。

・信心深い仏教国であり、あちこちに寺院があり、ストゥーパがある。寺院にお参りに行くときには白い服を着るのが習わしらしく、寺院の近くには白い服の集団が見える。寺院ではなんだか歌が歌われている。ちょっと不思議な流行歌化、もしかしたら「コーラン」なのかと思っていたら、仏様への感謝を歌っているという。

・念仏を聴いた。尼僧の念仏だった。流麗な歌のようだった。日本の念仏のような厳かさはあまりない。念仏はシンハラ語のほか、元通りのパーリ語で唱えられることもあるという。

・仏教国とはいえ、ブータンとはかなり雰囲気が異なる。スリランカでは仏教が息づいているのだろうが、ブータンのように仏教のただなかで生きているようには見えない。しかも、仏教はかなり現世利益的な雰囲気がある。生命の原初に仏を考えるというよりは、お釈迦様に自分の無事や成功をお願いしているようだ。

・アジア地域に行くと、これまで、しばしば夜のツアーに誘われた。ナイトクラブやもっといかがわしい看板などもよく見かけた。だが、スリランカではそのようなことはなかった。せいぜい、ちょっと怪しさのあるマッサージ店があったくらいだ。何らかの規制が行われているのだろう。そのため、猥雑さがなく、困った客引きもいない。行くところに行けば、それなりに不健全なところはあるのかもしれないが、日常の中にそれが見えないのはとても慶全なことだ。それだけ安心して暮らせる国だということだろう。

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ホテルから見たコロンボの街 工事中の建物、インド洋

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リワンウェリ・サーヤ大塔の前で行列を作る村人

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スリランカ最終日

 今日は20171018日。16日にスリランカから帰国して2日たつが、スリランカの最終日についてまだ書いていなかったので、ここに記す。疲労と仕事のために、これまで書く時間を見つけることができなかった。

 

 20171015日、朝、ホテル・シーギリヤを出て、シーギリヤの岩山に向かった。

5世紀。カーシャパは王の長男だったが、母は平民だった。王族の血を受け継ぐ腹違いの弟がいた。父を殺し、王位を奪って、シーギリヤの平地に突き出した一枚岩の山に王宮を建てて、そこで暮らした。しかし、11年後、インドに逃れていた腹違いの弟の攻撃を受けて自害した。そのような歴史物語の展開された岩山だ。

 いかにも狂気の王にふさわしい不気味な岩山だ。ホテルのテラスからはっきり見えていた。車でふもとまで行って、そこから山に向かった。

 1000段を超す階段が作られ、頂上まで登れるようになっている。大学の授業のために3階まで階段で上がっただけで息切れがしている運動不足の私には、頂上踏破は無理だろうと思ってガイドさんに途中棄権をほのめかしたが、ガイドさんは取り合ってくれなかった。仕方がないので、腹を決めて歩き出した。ガイドさんとはいったん分かれて、途中で合流することにして、一人で登り始めた。

上りと下りが一人ずつ行き違えるくらいの狭い階段を観光客が行列を作って上る。観光客の半分以上が中国人。ほかはスリランカ人、インド人、西洋人。日本人はほとんどいないようだ。近年になって鉄の手すりがついているので、それほどの危険はないが、すぐ下は岩の崖なので、体力に自信のない私はかなり不安を覚える。ところどころに休憩できる踊り場のようなものもあったので、休み休み進んだ。高齢者もかなりいる。そのためもあって、全体的にかなりゆっくりの歩みになる。私は、自分のせいで列が停滞するのを恐れて、明らかに85歳は過ぎたであろう西洋人を見つけて、その後を歩いた。が、驚いたことに、その御老人は、むしろ私よりも健脚のようで、長く休むことなく歩き続けていた。

岩山の中腹にらせん階段が作られている。それは洞窟に続いていた。そこには色彩豊かな壁画が残されている。シーギリヤ・レディと呼ばれる美人画で、妙になまめかしい5、6人の半裸の女性が描かれている。5世紀に描かれたことは間違いないようだが、この絵の意味は謎のままだという。

洞窟からいったんおりて、ガイドさんと合流し、中腹で一休み。

 シーギリヤとは、「ライオンの喉」という意味で、かつては大きなライオン像があったとされているらしい。ライオンの左右の爪痕の像が残されており、その間を通って頂上に向かった。ここからは踊り場はなく、ずっと上り続けるしかない。またしても、高齢者を見つけて、その後を歩いた。ゆっくりゆっくりだが、ともあれ頂上に到着。かつて王宮があり、カーシャパが自害した場所だ。周囲には平原があり、山がある。風が吹いて心地いい。

 しばらくたって岩山から降りた。足が棒のようになった。つまずきそうで怖かった。

 ガイドさんの車でコロンボに向かった。

足が疲れたことを話すと、「近くにいいマッサージの店がある」とのこと。もちろん、外国人向けの高いマッサージ店なのだろうが、一人で危険なところに行くよりは安心だと思って、誘いに乗った。ホテルの敷地内にマッサージ専用のコテージのようなものが10軒ほどあり、それぞれにベッドがあってマッサージを受けられるようになっている。妙齢の女性によるオイルを使った全身マッサージを勧められたが、私は屈強の男性による足だけのマッサージを選んだ。が、まったく屈強ではないなよなよとした感じの男性がふくらはぎを中心にやさしくマッサージしてくれた。あまり効き目のないやわなマッサージだと思ったが、効果があったのだろう、その後、太腿にかなり強烈な筋肉痛を覚えるが、ふくらはぎは痛くない。

 途中、タンブッラで仏像を見たり、食事をしたり、休憩のお茶を飲んだりしながら、コロンボに到着。コロンボの市内観光。

 夕方、いったんガイドさんと別れて、知人の知人であるコロンボ在住の日本人二人とインディペンデント・スクエア付近にある有名なスリランカ料理の店カーマ・スートラで食事をとった。カレー料理だったが、きわめて洗練された上品な味。驚嘆するべきおいしさだった。とても楽しいスリランカの話を聞いた。

 再びガイドさんと合流。空港にいって、キャセイパシフィックの深夜の便にて香港経由で帰国。日本到着は16日の15時半過ぎだった。

 スリランカについて考えたことについては、そのうちにまた書こうと思う。

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スリランカ3日目 キャンディ・アヌラーダプラ・シーギリヤ

 昨日書いた文章を読んで、あまりに推敲されていないことを反省。が、生のままに書くのもいいだろうと思って、そのままにする(明らかな間違いだけを後でただすことにする)。

 キャンディアン・ダンスについての感想をほとんど書かなかったので、少し付け加える。ドラムを使った音楽とダンスだった。ドラムにはいろいろにリズムがある。が、トンツクテンテン・トンツクテンテンというパターンが最も多かった。踊りは色気ある女性と躍動感のある男性が中心で、腰のひねり、首の回し方がおもしろい。ただ、芸術的に高レベルというものではなかったし、宗教的な儀式という雰囲気もなかった。軽いショーということだろう。その後、屋外で火のショーが行われた。燃え盛るたいまつを体に近づけたり、燃えている木炭(?)の上を5メートルほど歩いたり。確かに恐るべき力だとは思ったが、この種のものに対する感受性は、私はあまり強くない。感心してみただけだった。

 

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 朝、起きてみたら、キャンディの私が泊まったホテルは高台にあり、実に良い見晴らしだった。素晴らしい風景。

8時半にキャンディのホテルを出て、マータレー、ダンブッラを車から見物して、アヌラーダプラに向かった。

ガイドさんの運転はかなり丁寧。安全運転といっていいだろう。ほかの人も、渋滞時には割り込みがあるが、それを除けば無謀なことはしない。道もかなり整備されている。幹線道路ということもあるのだろうが、周囲の建物もきれいに整えられたものが多い。植民地風というのか、西洋風な建物も多い。緑が多く、その中に家がある。

途中、食事をしたりして、13時ころにアヌラーダプラに到着。2500年前にスリランカの都があった場所だ。

まず岩肌を掘って作った寺院(イスルムニヤ精舎)に行った。ここもはだしになって、岩に上った。もちろん、ほとんどがその後修復されたものだというが、紀元前から残っている部分もあるらしい。中には、寝釈迦像もあった。

次に、そのすぐ近くにあるスリー・マハー菩提樹に足を運んだ。釈迦はブッダガヤにある菩提樹の木の下で悟りを開いたが、その木からとった若木をアショーカ王の娘がこの地に持ち運んだという。現在のその木を中心に小さな寺ができており、今も多くの人を集めている。大勢の現地の人が菩提樹を取り囲んで念仏を唱えていた。

その後、歩いてルワンウェリ・サーヤ大塔に行った。白い巨大なストゥーパ。仏舎利が収められているとされており、世界で最も信仰を集めている施設だという(スリランカの人は少なくともそう信じている)。到着したときは観光客だけでがらんとしていたのだが、白い服を着たスリランカ人が次から次へと長い旗を持って現れた。先頭に、キャンディで見たダンスショーと同じような紛争をした人がドラムをたたいて先導し、その後に村人が続く。私は三組見たが、最も多い列は2、3百人いたのではないか。その人たちは念仏を唱和して歩いてストゥーパに向かい、敷地内の座って講話を聴くようだ。あちこちの村人たちがこのようにして人を集めて参拝に来ているのだという。とりわけ、満月の日は大勢の参拝客であふれるらしい。年寄りから子供までたくさんいる。子供はあまり信仰心が強いようには見えない。遊び半分といったところ。

参拝客の中には、足腰が弱くて二人ほどに支えられている高齢の女性がいた。車いすは禁止されているという。きっと子供たちが支えて、母の願いをかなえようとしているのだろう。かなりの距離をこうして歩いて参拝に来たのだろう。

アヌラーダプラを出て、シーギリヤに向かった。幹線道路から周囲を緑に囲まれた整備された細い道路に入って30分ほどで、私の泊まるシーギリヤ・ホテルに到着。シーギリヤ(かつて王宮のあった岩山)がホテルから見えた。みるからの異様。夜になっていたので、そのまま宿泊。ホテルはバンガロー形式で、これもまたとても瀟洒で雰囲気がいい。

今は20171015日のスリランカ時間の午前7時前。そろそろ朝食を取りに行く。写真を載せようと思ったが、接続の関係か、私の技術不足なのか、うまくいかない。ともあれこのままブログにアップする。

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