日記・コラム・つぶやき

久しぶりに美濃吉の白味噌仕立てを食べた

 2019528日、久しぶりに京都に出かけた。

 私が塾長を務める白藍塾では、いくつかの中学校、高等学校の小論文教育のサポートをしている(関心がおありの方は、白藍塾のHPをご覧ください)。その関係で、京都産業大学付属中学校での研修に講師として参加したのだった。とても気持ちよく仕事ができた。

 贔屓の店、新阪急ホテル地下の京懐石の店・美濃吉で昼食をとった。ゆっくり食べたかったが、時間がないので京弁当にした。

  が、やはりここに来たからには、大好物の「白味噌仕立て」を食べないわけにはいかない。相変わらずのおいしさ。美濃吉の、とりわけこの新阪急ホテル店の白味噌仕立ては最高においしい。久しぶりに食べて、まさに絶品。食べ物について知識がないので、くわしく描写できないし、そもそも素材が何なのかもよくわからないのだが、ともかく本当においしい。これはぜひ多くの人に食べて味わってほしいものだ。

 鯛のかぶと煮もいただいた。私が魚を食べると、お店の人も驚くほど徹底的に食べつくす。つまり、どうしても食べられない骨以外はすべて食べてしまう。実にうまかった。上品な味付けで、鯛そのものの味がしっかりと味わえる。最後の最後まで味わった。

 ところで、朝、京都に向かう途中、新幹線のぞみ号の中でスマホを見て、登戸の殺人事件を知った。帰りにも、その続報を読んだ。

   何といういたましい事件であることか。亡くなった方、関係者の嘆きはいかばかりだろう。かける言葉を思いつかない。カリタス学園に子でもを通わせているという知り合いが何人かいた。他人事とは思えない。

  それにしても、引きこもりの中年の人間が増えているという。私の旧友の中にも二人、引きこもっていた人間がいた。私自身もかつて引きこもり寸前の状態だった。その陰惨さはよくわかる。様々な要因があるだろうが、これが社会のゆがみと結びついていることは間違いあるまい。このような事件が今後起きないための抜本的対策も思い浮かばないがゆえに、いっそう悲しい。

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心外だったこと

 心外なことがあった。過去の心外だったこともいくつか思い出した。

第一話

 電車の中でのこと。向かいの席にミニスカートをはいた女性がいた。何度か目があった。私のほうを気にしている様子だった。私は300冊近い数の本を出しており、その中には写真を載せているものもある。映像授業も行っている。有名人というほどではないが、ごく稀に店に入ったときなどに「樋口先生ですか」と声を掛けられることもある。もしかしたら私のことを知っているのかな?と思いながら本を読み始めた。しばらくしてふと目を上げると、向かいの女性は着ていたコートを脱いでミニスカートの脚に巻いていた。・・・どうやらその女性、私がスカートの下をのぞき込みそうだと警戒したようだ。・・・心外!! 

 

第二話

 バンクシーの作品と思われる「落書き」が見つかったとのことで話題になっている。それで思い出したことがある。

数年前のことだ。東京の都立高校で「人間と社会」という科目が始まるにあたって、多くの高校の先生方がどのように授業を展開するか困っておられるようなので、そのヒントになるようにと、ある教育企業の企画で研修会が開かれ、私が高校の先生方の前で話をすることになった(ご存じない方も多いと思うが、私の専門は文章教育・小論文指導であって、私は一部の方からは「小論文の神様」と呼ばれ、しばしば講演などを行っている)。

要するに、この科目は、高校生に「よい社会にすることをまじめに考え、社会活動に参加しましょう」と訴えかけるかなり道徳的な目的をもっている。ふつうに授業をすると、道徳的な押し付けになってしまって生徒は自分で考えなくなると思い、私はおもしろくて活発な授業にするための方法、生徒に考えさせる課題などを提案した。

そのような課題の一つとして「あなたの知り合いに、商店街のシャッターや公園にスプレーで落書きをする人がいます。その人を説得して、やめるように言い聞かせてください」という問題を取り上げた。そして、高校の先生方にワークショップとしてこの課題を考えてもらうことにした。

私としては、まず落書きをしている人の言い分(「誰にも迷惑をかけていない」「アートとして行っている」「喜んでいる人もいる」「もっとおおらかな社会のほうが楽しい」などが考えられるだろう)を推測し、それを一つ一つつぶして、一部の人の行動が社会にどのような影響を及ぼすか、社会と人間のあり方はどうあるべきか、人間は社会にどうかかわるべきなのかについて根本的に考えるきっかけにしたいと思った。そのことを研修に参加している先生方に説明した。

ところが、高校の先生のおひとりが、この課題に異議を唱え、ワークショップを拒否なさった。その先生の言われることをまとめると、「落書きをするなんて悪いに決まっている。悪いに決まっていることを説得する必要などない。落書きをする人の言い分なんていうふざけたことを考えるなんてばかげている。そんな不届きなことは考えたくもない。問題はどうやって落書き犯を捕まえて、どうやってやめさせるかだ」ということらしい。しかも、このような不届きなことを考えるように促す私に怒っておられるようだった。しかも、その先生はそれをかなり強く主張なさるので、私の意図しているワークショップがスムーズに進まなくなってしまった。

私に言わせれば、「悪いに決まっている」と決めつけたのでは何も説得できない。どんな問題であれ、たとえどんなに不届きな考えであれ、相手の言い分を考え、それがいかに間違っているのかを根拠を示して説得する必要がある。それをしないことには、誰も説得できないし、思考することもできない。考えを深めることもできない。論拠を示して説得しなければ、相手を力で屈服させることしかできなくなってしまう。理性的に思考するということは、とりもなおさず、相手の論拠が間違っていることを理解させることだ。「人間と社会」という科目は、そのような問題を取り上げて、社会はどうあるべきかを考える科目のはずだ。

いや、それ以前に「悪いに決まっている」といってしまったら、すべての学が成り立たないのではないか。文学や哲学は、「人は生きる必要があるのか」「自殺してはいけないのか」「なぜ人を殺してはいけないのか」などの根本的な問題を考える領域だ。さすがに高校生にこれらのことを考えさせるのは少し無理があるにせよ、そのようなことを考えるための基礎力をつけるのが教育であるはずだ。私には、「悪いに決まっているので説得する必要はない」という考えは教育の放棄、思考の放棄、学の放棄に思える。いや、もっと言えば、頭から決めつけて相手の言い分を考えないことは誠実に生きることの放棄にさえ思える。

グループワークが終わった後で私の考えを示し、異を唱えた先生にわかってもらいたいと思っていた。いや、それ以前に、その先生のお考えによれば、そもそも反対意見の根拠を考える必要がないと思われる根拠は何か、相手を説得する必要はないと考える根拠は何か、その先生は教育とは、学問とはどのようなものと考えておられるのかくわしくうかがってみたいと思っていた。が、その先生は怒って途中で帰られたようだった。

 あれからかなりの時間がたつが、今でも、大変心外に思っている。

 

第三話

 大学での出来事。狭い階段を歩いていたら、後ろから速足が聞こえた。50歳前後の後輩教授だった。私はその教授を先に行かせようと思って、「年齢相応にゆっくり行きますから、お先にどうぞ」と謙遜していった。ところが、その教授、「気を付けてくださいね」と大真面目に言いおいて、すたすたと追い抜いていった。うーん、私は半ば冗談で言ったつもりだったのに・・・

 同じ教授と話した。「トシのせいか、車の運転が怖くなって、このごろ、あまり運転をしないんですよ」と話したら、その教授は、「今までできてたことができなくなりますから、お気を付けくださいね」と真顔で言った。

これからこの教授の前では、年齢で自虐的なことは言わないことにしよう!

 

第四話

 数年前のこと。以前から少しだけ付き合いのある講演仲介の会社から講演依頼のメールが届いた。ある地方の団体の会合で講演をしてほしいとのことで、先方の希望する候補日、演題、講演時間、講演料などが書かれている。そして、「ご質問がありましたら、以下に連絡をください」とのことでその会社の担当者の携帯番号が書かれていた。私がメールをみたのは土曜日の昼過ぎ。その12時間前に送信されたものだった。疑問点があったので、すぐに指定された番号に電話をした。

 すると、明らかに不愉快そうな声。声からして、おそらく20代か30歳そこそこの若い男。電話の向こうでは確かに店内だか繁華街だかの音がしている。仕事が終えて私的に行動しているのだろう。が、ともあれ、私は名前を名乗って講演についての疑問点を質問しようとした。すると、相手がそれを遮って、つっけんどんに「月曜日にご連絡いただけますか」と返してきた。おいおい、質問があったらここに電話するようにとあんたがこの番号をしらせたんだろうに!

 仕方がないので、私はメールでかなり皮肉を交えて、「先ほどは、お休みのところ、お電話を差し上げまして、大変失礼いたしました」などと必要以上にお詫びを前置きにして質問をした。講演を依頼している「先生」にそのようなメールをもらったら、その社員はきっと恐縮するだろう、きっと自分の非礼に気付いてあわてて詫びの電話かメールをくれるだろうと思っていた。

 が、まったくそんなことはなく、そのことには何も触れない返事が来た。

 結局、その社員とは顔を合わせる機会はなかったが、いったいどんな社員なんだろう。今でも心外に思っている。

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拙著3冊刊行 「受かる小論文の絶対ルール 改訂版」「頭のいい文章術」「バカ部下を使いこなす技術」

 12月になって拙著が3冊刊行された。が、実はいずれも新刊というよりも、再刊。

51yevhkgzl_ac_us200_ 「受かる小論文の絶対ルール 改訂版」(青春出版)は電車の中でさらっと読んで小論文とは何かを知る入門書だ。2005年刊行のものを時代に合わせて改訂した。

51h8uhebiml_ac_us200_ 「頭のいい文章術」(だいわ文庫)は大和書房から出していた「伝わる文章力がつく本」の文庫化だ。社会人が文章術を高めるためのノウハウを記している。紹介している「型」を用いて文章を書けば、すっきりと論理的に、しかも簡単に知的な文章ができる。

41avm62v2l_ac_us200_ 「バカ部下を使いこなす技術」(KADOKAWA)も既刊本の再編集だが、バカな部下を上手に操縦する方法を説明している。挑発的なタイトルだが、単にノウハウを語る書というよりは人間観察の本として読んでほしい。

 いずれも、それを求めている人には間違いなく役立つ本だと思っている。

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拙著「65歳から頭がよくなる言葉習慣」、「小論文 これだけ!Q&A編」、「小論文これだけ! 模範解答 医学・看護・医療 編」(共著)刊行

拙著が数冊刊行されたので、紹介させていただく。

6551diazonbhl_sx341_bo1204203200_65歳から頭がよくなる言葉習慣」(さくら舎)は、毎日、楽しみながらちょっとした言葉の体操をすることでボケを防いで知的になろうとするための本。気楽に読めて、それなりにためになる本にしたつもりだ。「語りおろし」の本であるため、話し口調でわかりやすく、私の言葉についての考えを披露している。また、「おぬし、できるのう。拙者と手合わせ願おうか」という言葉を現代語に訳そう・・・というような簡単な問題を考えながら、語彙を増やすためのノウハウを示し、この種の問題を提示している。言葉による頭の体操に役立つ本だと思っている。

51dbeptulml  東洋経済新報社からも、大学受験生向け「小論文 これだけ!」シリーズの2冊を新たに出した。「Q&A編」は、しばしば寄せられる小論文についての質問、疑問に丁寧に答えた1冊だ。小論文とは何か、どう書けばよいのか、どう勉強すればよいのかについて、これまで私が受けてきた質問に答えたつもりだ。わかりやすく使いやすい参考書になっていると思う。

51se64so4pl 小論文これだけ! 模範解答 医学・看護・医療 編」(共著)は、医学・医療系でしばしば狙われる問題10題について模範解答と悪い解答を示して、この分野を志望する受験生に必要な知識を増やし、どのような小論文を書けばよいかを示している。この本もすぐに役立つ本になっていると思う。

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さらば、長年使用した机よ

 この数日間、猛烈に忙しかった。来週に予定している海外旅行の準備(ビザを取ろうとして、先日、本籍地を変更したためにパスポートも取り直さなければならないことに気付き、あわて手続きをした)をしたり、大阪に仕事に行ったり(強烈な台風の翌日だったため、私の仕事にも少々支障があった)、あるいは予定通りにオペラやコンサートに出かけていたり、そのうえ、予定していなかった仕事が入ってゆっくりしていられなくなったりという事情もあるのだが、忙しさの最大の原因は机の買い替えだった!

 10日ほど前のこと、40年以上使ってきたスチール製の机の中央にある大きな引き出しの開け閉めがスムーズでなくなった。ガタピシやったが、うまくいかない。全部を引き出して、中を見てみたら、左側のスライドレールが折れ曲がり、しかも半分ほどスチールのレールが割れていた。折れているのを元に戻して何とかもう一度、引き出しを差し込んだが、歪んでいるし、ぐらついている。あと少しの寿命なのは目に見えている。

 大学院生だったころ、「ドクターコースに行かないので、もう机は必要ない」と宣言した後輩に無料でもらった机だった。屈強な男だったその後輩が私の住む部屋まで車で運んでくれたのを覚えている。頑丈で重くて大きな机だ。それまでも、たしか私は友人にもらった机を使っていた。考えてみると、これまで一度も自分で机を買ったことがない!

それから40年以上、私はこの机に向かって仕事をしてきた。本を読むときには私は基本的に寝転がるので、机は使わないが、文章を書くときには必ずこの机を使う。30代のころまでは手書きだった。その後、3、4台のワープロ専用機を使った。そのあとはパソコンをおそらく7、8台、この机で使った。私の最初の小論文の参考書である「ぶっつけ小論文」も、かなりのベストセラーになった「読むだけ小論文」シリーズも、そして、250万部のベストセラーになった一般書「頭がいい人、悪い人の話し方」も、そして何冊かの翻訳も、小論文の課題も模範解答もこの机を使って書いた。メールもこのブログももちろんこの机を使っている。

 買い替えなければいつ引き出しが脱落するかわからないと気づいた翌日、さっそく近くの家具店に行った。木製の、これまでのスチール製のものよりは少し上品で少し高級なものを購入した。その搬入予定日が今日の午前中だった。

 この数日間、仕事やコンサートから帰っては、足の踏み場もないように散らかっている私の部屋を少しずつ片づけていた。まず、業者の方が入れる場所を作った。次に、その人たちが作業をできるように部屋の空間を広げた。そして、昨日からは本丸である机の中の整理にかかった。机の奥の方から、10数年ぶりに目にする書類が出てきた。なぜ大事そうにしまっていたのか今となってはわからない不思議な手紙やノートも出てきた。この際だから、かなり大量に書類を捨てた。机にはべったりと40年の汚れがこびりついていた。

 そして、なんとか整理を終わった時、机が届いた。まず、これまで使っていたスチール製の机を運び出してもらった。机は大きすぎてそのままでは部屋から出せないので、私の部屋で無残に分解された。薄汚れた引き出し、台座、枠になって運ばれていった。ちょっとだけ感慨にふけった。

 新しい机はきれいで軽くて引き出しの滑りがよくて使いやすい。ともあれ、仕事を再開できるまでには片付いた。

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拙著「何もしない勇気」(幻冬舎)、「発信力」(ゴマブックス)発売

E2100039572461  本日(201883日)、幻冬舎より拙著「何もしない勇気」が発売された。今年の1月から3月まで、3か月にわたって東京新聞・中日新聞で連載していた「65歳になったら、○○しなくていい 宣言」に加筆してまとめたものだ。

 65歳を過ぎても、以前と同じように、「しなければいけない」と考えて、あれこれしようとする人が多すぎると思う。だが、65歳を過ぎたら、生産を考える必要はない。そもそも時代そのものが成長の時代でなくなっている。成長の時代に培われた価値観を崩して、もっと気楽になって、何もしないでいよう、好きなことだけしようということを提唱した本だ。

連載中、たくさんの方から好意的なお便りをいただき、とても励ましになった。書籍としてまとめることで、多くの人の手に取りやすくなると、こんなうれしいことはない。

Lw14 また、「発信力 頭のいい人のサバイバル術」(ゴマブックス)もローソン限定で発売されている。これは、かつて文春新書の1冊として刊行されていたものに加筆修正したものだ。現代社会において発信することの大事さ、その方法などを解説している。これも現代社会の必須のスキルを身につけるのに役立つ本だと考えている。

ご覧になっていただけると、ありがたい。

ところで、近況を少し付け加える。

730日から81日まで福岡を訪れていた。学研と、私が塾長を務める白藍塾が作成して展開している教育システム「クリティカル・シンキング」のセミナーでの講演のためだ。多くの中学校、高等学校でこのシステムを採用いただいているが、九州ではまだ十分に知られていないため、紹介を中心に行った。多くの中高の先生方に熱心に聞いていただいた。

ついでに故郷である大分県日田市を訪れた。72122日に祇園祭を見るために訪れたばかりだったが、今回は観光ではなく、父が残してくれた土地家屋の整理のためだった。

祇園祭の際には福岡空港から日田に直行したのでバスを使った。今回は福岡駅付近のホテルからの移動だったので、行きは「ゆふ号」、帰りは「ゆふいんの森」号を使った。昨年の豪雨で鉄橋が破壊され、久大線は不通になっていたのが、約1年ぶりに復旧された。

暑さのせいか、まだ観光が以前のように活況化していないためか、列車は空席が多かったが、ともあれ、復旧はとてもうれしい。

ただ、母の実家のあった大鶴駅を通る日田彦山線は復旧の見込みが立っていない。このまま廃線になる可能性も高いという。廃線になると過疎化が一層進み、かつて炭鉱と林業でにぎわった地域が陸の孤島になってしまう。日田彦山線に特別の思い入れを持つ者として、復旧を切に願う。

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拙著「ひとつ上の日本語ドリル」「日本の名作 出だしの一文」、そして「65歳 何もしない勇気」のこと

 かつてのオウム真理教の主要メンバーの死刑が執行され、西日本が大雨に襲われて、日本全体がざわざわとしている。広島で暮らす息子が、本日、東京に来る予定になっていたが、それができなくなるなど、私の生活への影響もある。ざわざわした気分だが、この数日で2冊、拙著が販売になったので紹介させていただく。

5136neaul_ac_us160_  201874日、拙著「ひとつ上の日本語ドリル」(ブックマン社)が発売になった。若い人の国語力強化という意味合いもあるが、それ以上に中年から高年にさしかかった人のぼけ防止の頭の体操としての日本語トレーニングという意味合いもある。魚の部位を示す言葉などの知識問題もあるが、ほとんどが言葉をひねってうまく表現したり、嫌味をオブラートに包んでうまく話したりといったトレーニングだ。なお、本書成立には多くの一般の方に協力いただき、問題を解いてもらった。その解答例も載せている。漢字の熟語を覚えるよりも、クロスワードよりも実際の社会に役立ち、ボケ防止にもなるトレーニングだと思う。

Fm 「日本の名作 出だしの一文」はしばらく前にある出版社から刊行したものだが、時代に合わせて加筆修正して、装いも新たに、このたび全国のファミリーマート6000店で販売されることになった。広めのファミマに行くと並べられていると思う(私はまだ確認していないが)。

 漱石、芥川、太宰などの名作の出だしの一文の意味、効果をわかりやすく分析し、それを一般のビジネスパーソンが日常生活で言葉を使うときにも応用できるように解説している。日本を代表する名作や私の愛する佳作のあらすじも加えている。ファミリーマートを訪れた時、のぞいていただけると嬉しい。

 なお、今年の1月から3月まで東京新聞・中日新聞に連載して大好評をいただいた「65歳を過ぎたら、○○しなくていい宣言」は、幻冬舎より「65歳 何もしない勇気」というタイトルで、来月8月3日に発売されることが決定した。65歳を過ぎたら、これまでのように、「しなければならない」と考えて努力したり、気を使ったり、いわんや年寄りらしくしたりする必要はなく、気楽に流されながら、怠けて生きていいのだということをあれこれの事例に基づいて書いたものだ。なお、書籍化にあたって10本ほどの原稿を加筆したので、連載を読んでくださった方にも楽しんでもらえると思う。

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京都の美濃吉での食事、拙著2冊、そして日大アメフト部のこと

 この数か月、とても忙しかった。もちろん、忙しいのは、コンサートや旅行に行っているからであり、引き受けなくてもよい仕事を引き受けているからでもあるので、人のせいにする気はないのだが、それでも忙しくて嘆きたい気持ちになっていた。が、ようやく5月末締め切りの本の原稿を書き終えつつある。5月、6月は少しのんびりできそう。

 一昨日(2018年5月22日)と昨日は京都にいた。京都産業大学付属中学の小論文教育を私が塾長を務める白藍塾がサポートしているので、その研修のために出かけたのだった。研修はきわめて順調。気持ちよく仕事を進めることができた。

 実際には日帰りでもよかったのだが、前日に京都に入って一泊した。なぜそうしたかというと、京都駅前の新阪急ホテル地下にある京料理の店、美濃吉で夕食を取りたかったからだ。京都に行くとき、この美濃吉での食事を何よりも楽しみにしている。美濃吉の中でも、私はとりわけ新阪急ホテルの店の味が好きだ。

 期待通りのおいしさ。私はいつものように、最も手ごろな値段の鴨川という京懐石をいただいたが、白味噌仕立てはいつも通りの絶品。丸茄子の田楽、茄子の鉢物、ちりめん山椒ご飯も実においしかった。そして、鯛の兜煮を注文したが、味のしっかりしみ込んでいる部分と鯛そのものの味の残っている部分のバランスがとてもよく、これまた絶品。

 私はこの店で食べるたびに、「ああ、幸せだなあ・・・」と感じる。それを感じたくて、この店に来る。

 5月23日、研修を終えて、雨の中、新幹線で東京に戻った。

51fkerxfqjl_ac_us200_351gofyqivcl_ac_us200_  ところで、5月中に拙著2冊が刊行された。『頭のいい人は「答え方」で得をする 』 (だいわ文庫)と、『小3までに伸ばしたい「作文力」』(青春出版社 なおこちらは白藍塾との共著)。

前者は、質問された時、何かを答えなければならない時に、どのような心構えでどのようなことを答えるべきなのかを、下手な答え方の例などを交えながら解説したものだ。

 後者は、白藍塾での小学生作文教室で行っている新たな作文指導の方法を紹介したものだ。空想作文を基軸に据えながら、そこに経験や知識を加えて、2020年の大学入試改革に対応する力をつける方法を説明している。付録に最近増加傾向にある中学入試作文問題の例題を示して、そのた対策も解説しているので、きっと役立つと思う。

数日前から、日大アメフト部の悪質プレー、退場させられた日大選手の会見、それを受けての前監督とコーチの会見がテレビで盛んに報道されている。大学に身を置いた人間として関心を持たずにはいられない。それにしても、ひどいプレーであり、ひどい監督、コーチだとつくづく思う。退場になった日大選手の腹を決めた会見は立派だと思う。私もまた、多くの日本人と同じように日大の対応に怒っている。

 私が最も気になるのは、日大の教員たちはどうしているのかということだ。今、表に出てきているのは、日大職員であり、サークルのコーチだ。アメフト部の学生はあまり学業に身を入れておらず、教員との付き合いがなかったのかもしれないが、それにしても教授陣、その代表である学長の明確な発言が聞こえてこないのは不思議だ。日大での教授陣と職員との関係はどうなっているのだろう。私は大学を代表するはずの教授陣の発言をききたいと思う。

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中日新聞・東京新聞の連載「65歳になったら、○○しなくていい宣言」が無事終了

 昨日、2018年3月31日をもって、1月4日から始まった中日新聞・東京新聞での「65歳になったら、○○しなくていい宣言」の連載が終わった。3か月、60回の連載だった。

 お読みいただいた方、気にかけていただいた方にお礼を申し上げたい。おかげで、とても好意的な便りが寄せられ、私としては大変励みになった。

 東京新聞からお話をいただいたのは昨年の夏ころだった。実はそれよりも前に、まったく別のテーマによる短い連載のお話を東京新聞からいただいていた。が、ちょうどそれは高齢の両親が東京の老人施設で暮らし始め、父が急激に体調を悪化させていた時期だった。連載どころではなかったので、残念ながらお断りするしかなかった。

その後、父が亡くなり、東京新聞に機会を与えていただいて、父の死を契機にして考えた高齢者の生き方の問題をコラムに書いた。そして、その流れで、今回、高齢者の生き方にかかわる60回の連載の話になったのだった。

 私はまだ66歳。高齢者の仲間入りをしたばかりで、高齢者の生き方をまさしく模索している時期だ。だから、高齢者に向かって生き方を説くことはできない。これまで大学受験生や小学生や若い社会人に向けて、文章術を教えたり、ちょっと戦略的な生き方を提唱したりしてきたが、まさか高齢者の戸口にいる私が本物の高齢者に向かって、そのようなことをするわけにはいかない。する能力もなければ、その度胸もない。

 ただ、私は65歳になってからではなく、もっと前から、「できるだけ、しなければならないことを減らそう」「産業社会にどっぷりつからずに、質素でいいので、自分らしい人生を貫こう」「好き勝手に生きよう」と考えて生きてきた。そもそも、この私のブログのサブタイトルにしている「すべての道がローマに通じるなら、ドン・キホーテよ、デタラメに行け!」という新居格というアナキストの言葉は、私のそんな生き方を表わしたものだ。受験勉強もろくにしなかったし、企業で働いた経験もない。ほとんどの時期をフリーランスとして暮らし、56歳になってやっと大学という組織に属した。40歳代のころだったか、小さな会社を設立したが、私は社長なので、気分はフリーランスのままだった。もちろん、必死に働かなくてはならない時期はあったが、ずっと音楽を楽しみ、本を読み、旅行をしてきた。自分を抑えて「・・・しなければならない」とはほとんど考えなかった。したくないことはしなかった。

 私は常々、多くの人が社会的義務に駆られて必死に生きているのを不思議に思っていた。自分の人生や社会の様々なことから距離を取って、余裕をもって生きれば、もっとずっと気楽に楽しく生きていけるだろうにと思っていた。壮年の働き盛りの人は仕方がない。だが、高齢者になってもまだ同じことを続けている人がいる。考え方さえ変えれば、もっとずっと気楽に生きることができるのに、自分を追い込んでいるように見える。

 私は65歳を過ぎ、高齢者になっていくが、今までの生き方を改める気はない。いや、ますます、私のような考えが高齢者にとっては意味を持つはずだ。そのような私の考えを書けば、もしかしたら、高齢の方々への私からのメッセージになるかもしれないと思った。

 こうして連載を引き受けた。私のメッセージがいくらかでも役に立てば、私としてはとてもうれしい。なお、この連載は今年の夏までには書籍化される予定になっている。関心がおありの方には、書籍をぜひ読んでいただきたいと思う。

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東京新聞・中日新聞の夕刊で連載開始 「65歳になったら、○○しなくていい宣言」

 本日、201814日から、東京新聞・中日新聞の夕刊でエッセイ「65歳になったら、○○しなくていい宣言」の連載を開始した。これから3月末まで、60数回にわたって夕刊での連載を続ける予定だ。

 私も66歳になった。高齢者の中では「ひよっこ」だが、高齢者であることには違いがない。大学も定年退職し、年齢を感じることも多い。そんな中、これからどのようなことをして、どう生きていくか。それについての私なりの考えをエッセイとしてまとめたものだ。

 なお、エッセイには、かなざわまこと氏の楽しいイラストが添えられている。とても魅力的なイラストで、これを見るだけで楽しい。イラストには私の似顔絵が描かれているが、たぶん実際の私よりも50パーセント増しくらい(あるいはそれ以上?)の「感じのよさ」だと思う。このイラストで想像した人が本物の私を見て、あまりの感じの悪さに落胆するのではないかと心配になってきた。

 今日の第一回の文章にも書いた通り、これから連載するつもりのことを簡単にまとめると、「しなければならない」という意識をできるだけ棄てて、タイで言われる「マイペンライ」、つまり「なんとかなるさ」「気楽にいこう」という気持ちで生きようということに尽きる。そのためにはどんなことをすればよいのか、どういう心構えが必要なのかをまとめた。

 できるだけおもしろく、できるだけ役に立つようにまとめたつもりだ。東京新聞と中日新聞を読まれる機会があったら、お読みいただけると、私としてはとてもうれしい。

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