日記・コラム・つぶやき

拙著「その一言で信用を失う あぶない日本語」(青春新書インテリジェンス)発売

 このほど、拙著「その一言で信用を失う あぶない日本語」(青春新書インテリジェンス)が発売になった。4つの章でそれぞれ、「コンプラ違反につながる日本語」「教養がない日本語」「過剰な日本語」「思考停止な日本語」について語っている。

 思っていることを口にしてしまうとコンプラ違反になりそうなとき、どう言い換えればいいか、どんな日本語表現がバカっぽく思われるかなどなどについて、私の考えを語った。

 これは、日本語の権威、マナーの権威が正しい日本語を講義した本ではない。私という、現在73歳(あと数日で74歳になる!)で、まあそれなりに本を読み、それなりに教育活動、執筆活動をしてきた人間が、現代人の使う日本語をどう考えているかを語ったものだ。かなり思い切ったことも語っている。おそらく、私がこれまで書いたものの中で最も近いのは250万部のベストセラーになった「頭がいい人、悪い人の話し方」だろう。「こんな日本語を使う人、いるいる」「この日本語の使い方、バカっぽいなあ」「なるほど、こうすれば知的になるのか」と、気楽に楽しんで読んでいただきたいと思って書いた。

 偏見だ、偏屈だという批判は覚悟の上。ともあれ、多くの人の読んでいただけると、うれしい。

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拙著『70過ぎたら「サメテガル」』(小学館新書)発売

 2025年4月1日、拙著『70過ぎたら「サメテガル」』(小学館新書)が発売になる。

「サメテガル」(Ça m’est égal.)とはフランス語でよく用いられる表現で、「どちらでもいい」の意。カミュの『異邦人』にも繰り返し出てくるので、ご存じの方も多いだろう。

 こうでなくてはならない、と思い込んで暴走する高齢者がしばしば話題になる。それほどではなくても、こうでなくっちゃなどとこだわったり、懸命に頑張ったりして、むしろ自分を苦しめている高齢者は多い。

 本書は、そのような人に対して、「70過ぎたら、こうでなくちゃなどと思わず、どちらでもいい、と思って生きてきましょうよ」と呼びかけた本だ。同時に、これは、暴走して老害化する高齢者の心の内を明らかにして、なぜそのような行動に走るのかを、高齢者の一人として解説した本でもある。

 そしてまた、サメテガルの考え方こそが、実は、効率主義、生産至上主義を乗り越えて、多様性を尊重し、最終的には「善悪もない」「生と死も同じこと」というある種の悟りのような考え方に達するまじないの言葉であろうことにも触れている。

 サメテガル(「どっちでもいい」)と口にすれば、すべてのことが楽になる。考えてみると、世の中のほとんどのことはどっちでもいい。この言葉が高齢者の生き方を楽にする。

 今年に2月刊行の「頭のいい人が人前でやらないこと」(青春文庫)ともども、お読みいただけると、うれしい。

 

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2025年1月の出来事

 2025年も2月になった。1月に起こったことについて、いくつか感想を書く。

 

118日に藤井一興さんが亡くなった。私は、10日ほど前の18日に豊洲シビックセンターホールでコンサートを聴いたばかりだったので、とても驚いた。そのコンサートの様子はこのブログにも書いたが、実は、少し遠慮がちな書き方をしたのだった。やはり、藤井さんは異様なほど元気がなかった。藤井さんが登場したとき、観客の誰もがそのやつれように驚いたと思う。やせ細り、ゆっくり歩き、まさにやっと立っている状態。マイクを使ってお話をしたが、その声は見た目よりはお元気だったが、それでも、元気があるとはいえず、舞台から退場しながら、ドアのところで観客に背を向けたままおしゃべりするなど、その振舞も異様だった。

 ただ、ピアノを弾かれると、その音は驚異の響き! ご本人は最後のメッセージの思いで弾いておられたのだろう! 私はピアノ演奏をあまり聴かないので、藤井さんの演奏を目的にコンサートに出かけたことはないに等しい。曲目やほかの演奏者をめあてに行くと、藤井さんが弾いておられることが多かった。が、聴くたびに藤井さんの本当にフランス的なピアノの響きに感嘆した。素晴らしいピアニストだった。合掌!

126日に秋山和慶さんが亡くなった。その数日前に、転倒して大怪我をなさったために指揮者を引退するというニュースが流れて、大変残念に思っていた。その数日前には、広島交響楽団を指揮したベートーヴェンの6枚組CDを注文したばかりだった。

 秋山さんの指揮については、おそらく10回は聴いていない。聴くたびに、オーソドックスで細部まで神経の行き届いた気品ある演奏に感動したが、この10年間くらいは、どんな演奏をなさるかわかるような気がして、あえて足を運ばなかった。最後に秋山さんの指揮を聴いたのは、2022年、都響とブラームスの交響曲第1番の演奏だった。これも素晴らしい演奏だった。こんなことなら、もっと聴いておくべきだった!

・中居問題についてのフジテレビの10時間を超すという127日から28日にかけての記者会見の中継をちょこちょこと見た。ひとことで言って、あの会見に出席していたフジテレビ役員に私は大いに同情した。肝心の日枝会長に出席を促したが拒否されてしまった、記者に質問されても答えられないこと、言ってはならないことがあるが、言い方を間違うと大顰蹙を買ってしまう、同じような質問ばかりでウンザリして疲れもたまっているが、それを表に出すわけにもいかない・・・。そんな気持ちだっただろう。役員にも落ち度はもちろんある。会社の風土にも大きな問題がある。だが、私が役員と同じ立場だったとしても、その時その時でどうすればいいかわからず、とりあえずもっとも無難な方法を選んで、この役員たちと同じような態度をとるしかなかっただろうと思った。

 それにしても多くの質問者たちの不勉強、マナーの悪さ、居丈高ぶりにはあきれた。それに文春の訂正記事がきちんと示されなかったというではないか。訂正前の記事に基づいて役員を一方的に攻撃する記者も多かった。

 そして、おお遠藤龍之介! そういえば、芥川賞を取ったので息子には龍之介という名前を付けた、というのは有名な話だった。遠藤周作のエッセイの中で息子さんの話を読んだ記憶がある。これがあの息子さんか!

・トランプ大統領の次々と打ち出す政策が恐ろしい! 世界の危機が訪れなければいいが!

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ちょっと思ったこと

 盛山文部科学大臣は旧統一教会の人と出会ったことを覚えていないと語って、そんなはずはないと非難されている。大臣を擁護するわけではないが・・。

 私は、人と会って、それについてまったく覚えていなかったことが何度かある。雑誌記者に「前にお目にかかってインタビューしたことがあります」と言われて、インタビューの場所や内容を教えてもらっても、まったく覚えていないことがあった。記事を見て、たしかに私がしゃべったことになっており、写真もあるので、じゃあきっとそのようなことがあったのだろうと思った。

 20年ほど前、本が売れて週に何本もインタビューをされていた。多いときには、1日に3つのインタビューを受けたことがあった。そのころのインタビューの半分くらいについては覚えていない気がする。

 予備校や大学の授業の中でしゃべったこと、本の中に書いたこともろくに覚えていない。後で人に聞いたり本を読んだりして、驚くことがたくさんある。間違いなく感動して聴いたコンサートでさえ、覚えていないことがある。

 だから、大臣が会見についてまったく覚えていないということも、ありえないことではないと思う。私がぼけ老人というわけではないと思う。忙しいとどうしてもそうなると思う。

 ついでに言うと、私も盛山大臣と同じ昭和20年代生まれだが、私もまたハグなんて、相手が男女にかかわらず、一度もしたことがない。「ハグをした」と言われると、私がそんなことをしたはずがないと思うだろう。

 繰り返すが、もちろん盛山大臣を擁護するつもりはまったくない。統一教会の人間と懇意にしているだけで、覚えていようといまいと批判してよいと思う。が、「覚えているはずだ」と非難されているのを見ると、私としては同情したくなる。

 逆に言うと、私以外の人々は、それほどに何年も前のことをはっきり覚えているのだろうかと疑問に思う。そんなに自信をもって過去をすべて把握しているといえるのだろうか。私にはむしろ多くの人が自分についてすべて把握している気でいることのほうが不思議でならない。

 

 もう一つ気になっていること。20244月から運送業武者の働き方改革のために、宅配便が遅れるといわれている。まだ、4月になっていないが、その状況が起こっているのではないか。

 雪の日だったから、26日だったと思うが、午前中にアマゾンで購入したものが届く予定だった。夕方まで待って届かず、出かける用があったので、8日の午前中に再配達を依頼した。雪だから仕方がないだろうと思った。ところが、それも届かなかったので、同じ日の夕方にまた延期した。が、それでも届かず、結局、確実に自宅にいる時となると数日先になってしまって、その品物を買う意味がなくなるのでキャンセルした。快くキャンセルに応じてくれたので助かった。

 佐川急便も同じように、午前中指定なのに、14時になっても届かなかった。ヤマト運輸も同じようなことがあった。私としては早く届けてくれる必要は必ずしもない。むしろ、指定した時間通りに届いてほしい。何とかならないだろうか。

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拙著「凡人のためのあっぱれな最期 古今東西に学ぶ死の教養」(幻冬舎新書)発売

 拙著「凡人のためのあっぱれな最期 古今東西に学ぶ死の教養」(幻冬舎新書)が131日に発売になる。一昨年に亡くなった妻・紀子の生き方、死に方についての私の考えをまとめたものだ。私はこれまでほとんどの一般書で、社会に対して斜に構えて書くスタイルをとってきたが、本書では真摯な思いを書いている。

 本のカバーなどに以下のような文章が添えられている。これは私自身の書いたものではないが、本書の内容をとても的確にまとめてくれているので、そのまま引用する。

 

『妻ががんで逝った。61歳、1年あまりの闘病生活ののちの早すぎる死だった。家族が悲しみ、うろたえるなか、妻は、嘆かず恨まず、泰然と死んでいった。それはまさに「あっぱれな最期」だった。決して人格者でもなかった妻が、なぜそのような最期を迎えられたのか。そんな疑問を抱いていた私が出会ったのは、「菫ほどな小さき人に生まれたし」という漱石の句だった。そうか、妻は生涯「小さき人」であろうとしたのか――。妻の人生を振り返りながら古今東西の文学・哲学を渉猟し、よく死ぬための生き方を問う、珠玉の一冊。』

 

 妻の死というこの上なく私的なことを本にするのにためらいはあったが、これから死を迎える多くの人のヒントになるのではないかと考えて刊行を決めたのだった。多くの人に読んでいただけると嬉しい。

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やっとコロナから回復!

 今月(2023年7月)のはじめに都内の仮住まいに引っ越し、その直後に九州、関西に所要があって出かけていたため、疲れが出たのかもしれない。18日から喉の痛みを感じ、熱を感じていたが、19日に熱が上がって、夜についに39.5度になった。あわてて夜間診療の病院で診てもらって新型コロナウイルスに感染していることが判明。友人、知人がコロナに次々と感染していることは知っていたが、ついに私にもそれがやってきた! それからしばらく自宅マンションに閉じこもっていた。当然のことながら、予定していたコンサートにも行けなかった。

 病院で診てもらう前、念のために以前ネットで購入した抗原検査キットで陰性だったし、もちろん以前よく言われた「三密」にもなっていないので、きっと風邪かインフルエンザだろうと思っていたのだが、なんとコロナ。ネット購入のキットはあてにならない!

 とはいえ、もちろんワクチンは6回摂取している。重症化の恐れはあまりなさそう。お医者さんもそれほど心配している様子はなく、とくに感染者の私に対して警戒している様子もなく、薬を処方してくれた。

 初日は39.5度の熱に苦しみ、翌日は39度前後になり、3日目には38度前後になり、4日目に37度前半になって、今ではほぼ平熱に戻った。のどの痛みもほとんど消えた。食べ物を口に入れても以前と同じ味を感じるので、味覚障害もなさそう。ただ、昨日まではエアコンの設定を28度にしていると寒くて仕方がなく、29度でも時に寒さを感じていたが、今はこれも正常に戻った気がする。

 コロナ判明前に、家族や友人にも会ったので感染させてしまったのではないかと心配して、あれこれ連絡を取ったが、今のところ誰にも感染させていない模様。ともあれよかった。その関係もあって、家族、友人とも連絡を取り合ったが、会うことはできないとはいえ大きな支えになった。

 幸か不幸か現在、独り暮らしなので、家庭内感染の心配はしなくて済む。食料の買い置きもあるので食べ物についてはしのぐことができた。39度を超してはいても、それなりには活動できたので、通常通りに飲み食いはしていた。3日目からは本を読んだり、テレビを見たりもしていた。ただし、そのころには、まだ音楽は聴けず(音楽を聴くのもエネルギーが必要!)、読む本は読みやすいミステリーばかり(このところ、東野圭吾を読み続けている。50冊くらい読んだと思う。今更ながら、この人、大天才!)。きのうからやっとモーツァルトを聴き(ただし、仮住まいなので実に貧弱な音で我慢している!)、読みなおそうとして置いていたドストエフスキーを読んでいる。

 私の計算によれば、発症日をゼロとして、昨日が5日目。本日から外出自粛期間を終えて、晴れて外に出られる。念のため、昼過ぎまで自宅で過ごし、その後、しっかりマスクをして外に出ようと思っている。できるだけ人には接触せずに過ごすが、ともあれ外に出られるのはうれしい。買い物もしたい。

 教訓1,今では、三密などとは関係なく、誰でもコロナに感染する! 教訓2、ワクチンを6回摂取していれば、ほとんどの人はそれほど重症化しない。 教訓3、ネット販売の抗原検査キットはあてにならない。 教訓4,今では多くの人が無防備になっているが、新型コロナウイルスは間違いなく大流行している。

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大雨警報の中の九州行

 2023年7月10日から13日まで、大雨が警戒される中の九州を巡った。

 これまでにもこのブログに何度か書いた記憶があるが、大分市の岩田高校で私が塾長を務める白藍塾が小論文サポートを行っている。その関係で年に一、二回岩田学園を訪れて特別授業などを行っている。今年の夏は、それが7月11日に予定されていたので、10日に大分入りをした。大分市は私が小学5年生から高校3年生まで過ごした土地なので、もちろんなじみがある。

 今回は、大分で仕事をした後、生まれ故郷であり、何人ものいとこが暮らしている同じ大分県の日田市に足を伸ばして、妻の葬儀の際にお気遣いいただいたお礼をしたいと思って、12日に昼に会食を行う予定でいた。ところが、出発前から九州北部に線状降水帯がかかって、豪雨が続いていることは報道されていた。すでに冠水、がけ崩れが起こり、その後も警報などが出されていた。しかも、先月の豪雨でJR久大線の一部が不通になっており、大分から日田まで列車で移動することができなくなっていた。仕方がないので、もう一つの移動手段である高速バス(日田での停留所の場所があまりに不便なので、できれば避けたい!)を使う予定にしていた。

 羽田を出発するとき、「大分空港付近で雷が予想されている。場合によっては引き返すことがあるので了承してほしい」とのアナウンス。が、10分ほど遅れただけで、揺れることもなく到着。不穏な雰囲気ながら、何とか乗り切れそうとの感触を持った。

 10日の午後に大分市に移動。午前中、一時的に豪雨だったというが、私が着いた時には晴れて、気持ちのよい青空が広がっていた。雨のせいか、30℃は越しているが、それほど暑くない。高校時代からの友人とフグを食べた。

 日田までの高速バスについて調べてみたところ、なんと豪雨のために高速道路で何か起こっているようで、運休とのこと。しかも、翌日、私は会食後、日田から福岡にバスで移動して福岡空港から羽田に戻る予定でいたが、そのバスも止まっている。どうやら、大分市が晴れている間も、久留米、朝倉、東峰村、日田付近で大雨が続いているようだ。いわば、この地域はどうやら孤立状態になっている。2017年に大被害を受けたのだったが、その再現とでもいうべき状況らしい。

 11日は予定通り、岩田学園で高校生に小論文の特別授業をした。とても優秀な生徒さんたちに対して、気持ちよく話をすることができた。

 仕事を済ませた後、確認してみたが、やはり久大線、大分→日田、日田→福岡の高速バスともに運休は解除されていない。日田行きはほぼ絶望的と思ったが、ともあれ日田のホテルはキャンセルして、新たに福岡空港付近のホテルを予約して、急遽、特急ソニック号で博多に向かった。12日に万一、日田と福岡の間で交通が確保できたら、予定通りに日田に行こうと思った。

 福岡空港付近のホテル(「空港すぐ近く」とネットで見て予約したのだったが、確かに直線距離は大したことはなかったが、ぐるっと回っていかなければならず、タクシーで990円、歩いて10分以上かかった! しかも、周囲においしそうな店はなく、いったんホテルに入った後、博多駅付近まで夕食を食べに出かけた! こんなことなら福岡駅付近のホテルを取ればよかった!)で夜のテレビニュースをみていると、まさに日田周辺は洪水! あちこちで冠水し、川は氾濫したり、氾濫寸前だったりしている。がけ崩れが起こり、高速道路はトンネルが土砂で埋まっているという。高速バスが動かないわけだ! 行方不明者、死者も出ている模様だ。のんびり日田に行っている場合ではない。日田行きはほぼ諦めて、12日は夕方の羽田行きの便までどうやって過ごそうかと考えていた。

 

 12日朝、5時ころに目が覚めて、ネットを調べてみると、なんと福岡から日田に向かうバスが開通している。これは行くしかない。日田で連絡を取りあっていたいとこたちにも知らせて、日田に行く用意を整えた。外は小雨だった。日田行きの始発は10時過ぎだとのことで、空港内でコーヒーを飲むなどして過ごしてから日田に向かうことにした。

 バスで出発。さすがに客はまばら。基山インターを通る前後、バスは豪雨に出会った。これはまずい、この様子だと日田に行ったがいいが、帰ってこれなくなるかもしれない、いっそのこと、ここで降りようかとも思った。が、降りたら降りたで、いっそう厄介なことになる恐れがある。腹を決めて日田に向かうことにした。豪雨になったり、小雨になったり。

 田主丸、朝倉、杷木など、大雨について報道されていた土地を通る。途中、川が氾濫して、護岸がえぐれている箇所が目に入った。茶色く濁った道がある。被害を受けた人も多いのだろう。ただ、数年前に大洪水の直後に訪れた時に比べれば、それほど大きな傷跡は見えなかった。川も確かに激しく流れているが、あふれ出しそうというほどではない。ただ、恐ろしいのは、まだ大雨が終わったわけではなく、これからも続くかもしれないと予報官が語っていたことだ。

 高速道路(大分道)はまだ閉鎖されているので、バスは途中で一般道におりて、30分ほど遅れて日田に着いた。その時はまさに豪雨。いとこが車で迎えに来てくれており、レストラン秋子荘(ときこそう)に向かったが、市街地の道路でも少し前が見えない。ただ、レストランに到着し、いとことその配偶者を含めて7人(もちろん全員がかなり高齢)で会食しているうちに雨は上がった。ただ、会食中、お店にいた客全員の携帯から突然、避難指示の警報が鳴りだした。どうやら、このところ慣れっこらしく、だれも驚く様子はない。その地域は避難地域に含まれていなかったので、安心して食事をつづけた。

 食事は、繊細な和食・フレンチ・イタリアンを取り入れたもので、とてもおいしかった。なお、秋子荘というのは、日田の偉人・広瀬淡窓の妹、広瀬秋子(ひろせ・ときこ)にちなむとのこと。日田にはおいしいものが多いが、これは格別だった。楽しい時間を過ごすことができた。

 ゆっくりしていられないので、食事後、すぐに日田のバスセンターから福岡空港に行くバスに乗った。さすがにこのような危険な天候では客は少なく、日田から空港まで全線で私を入れて4人が乗り込んだだけだった。途中、小雨になることはあったが、基本的には薄曇りの天気で空港に到着。帰りも一般道を通るので、30分ほど遅れた。あまり時間的余裕がなく、あわてて搭乗口に行った。30分ほどの遅れで羽田到着。無事に帰りついた。

 ともあれ、私は何とか豪雨をかき分けて、大分市の岩田高校での仕事、日田市でのいとこたちとの会食という今回の九州行きの目的を果たすことができた。それにしても、毎年のように九州は大雨に襲われ、数年おきに大きな被害が出るようになった。過疎化し、高齢化した地域に災害が襲うという悲劇が繰り返されている。私は通りすがりだったが、深刻な状況を改めて知ることになったのだった。

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「私は怒っている」番外編  自動音声に怒った!

 昨年9月、「私は怒っている」(バジリコ株式会社)という本を出した。売れ行きが芳しいとは聞いていないので、きっとご存じない方が多いだろう。そこには、私の日々の怒りを書いた。今回、また怒りを覚えることがあったので、番外編としてここに書く。

 

 430日のこと、まずショートメールで、私の利用しているクレジットカード会社から、「あなたのカードが不正使用されたようなので確認してくれ」といった内容の通知が来た。この種の怪しいショートメールはしばしば届くので、放置していた。ところが、少しして、ほぼ同じ内容のメールも届いた。しかも、こちらは私のハンドルネームが書かれている。え、もしかして、さっきのショートメールはほんものだった?

 あれこれ調べた。どうやら、メールは本物らしい。それに、しばらく前にHMVに音楽ソフトを注文していたのだが、そこからも「カードが決済できない」という連絡が来た。どうやら、本当に私のカードが使用停止になっているようだ。

 あわててカード会社からのメールに書かれていた指示に従って対応した。ショートメールの届く10分ほど前に私のカードで15000円弱の買い物がなされようとしていた。もちろん、私にそのような覚えはない。何らかの不正が感知されたようで、引き出されずにすんでいた。ともあれ、メールの質問に答えて、正式に私のカードをしばらく使用停止にした。

 この時点で、私が怒ったのは、①怪しいメールがたくさん来て、本物がまぎれてしまうこと、②私のカードを不正使用するけしからん輩がいること、③どうやら1、2週間、最もカードが有効なゴールデンウィークの時期にメインに使っているカードが停止になっている、という3点だった。不正使用に気づいてくれて、停止してくれたカード会社にはともあれ感謝した。

 

 連休を終えた。その間にカードを使いたかったが、我慢した。

 連休明け、新しいカードはまだ届かない。今、カードはどうなっているのだろう、新しいカードが来たら、登録しなおす必要があるのだろうか、いや、そもそも本物の通知だと思って手続したが、本当にそうしてよかったのか。まさか大掛かりな詐欺だったのではあるまいが。心配になってカードに記載されている番号に電話をしてみた。

 話が入り組んでいるので、きちんと担当者と話をしたい。話をして、できれば親身になって私のカードの状況を調べてほしい。ところが、電話は自動音声で4つか5つか6つくらいからの選択になっている。該当のところを選択していくと、「オペレーターとは話ができない。ネットで見てくれ」というような音声が流れる。仕方がないので、ネットの相談コーナーを探してみた。これも選択になっているが、私に該当する項目は見つからない。自由書き込みのような欄があったので、そこに質問を書いたのだが、それはそのまま先方に届くのではないらしい。自動的に私の質問したいこととは異なる選択項目に導かれて、結局、答えにたどり着かない。

 ネットでは埒が明かないので再び電話。あれこれしているうちに、「2番を押すと、後ほどこちらから電話いたします」という声が聞こえたので、そこに申し込んだ。14時から16時の間に電話をくれるという自動音声が流れた。

 で、2時間ほど待って1430分ころに電話がかかってきた。そのカード会社からだった。やれやれこれで担当者と話ができる、と期待した。ところが、またまた自動音声が聞こえてきた。「〇〇のかたは1を押してください。それ以外の方は2を押してください」と言っているようだったが、最初の部分の音が途切れていてよく聞き取れなかった。もう一度聞きなおそうとした。ところが、自動音声は待ってくれない。正確な表現は忘れたが、「確認が取れませんでしたので、申し込みはキャンセルさせていただきます」と自動音声の女性の声が勝手に言って、電話は切れてしまった。

 慌てて、また同じ操作をして、もう一度、電話をもらおうとした。ところが、またまた自動音声。「お客様はすでに申し込まれています。重複してのお申し込みはご遠慮ください」というような内容(正確な表現は違っているかのしれない)の声。だったら、またかかってくるかなと思って待ったが、そのまま音沙汰なし。

 腹立たしかったが、しばらくたって、三度目の申し込みをしたら、早くても電話をもらえるのは明日の午前中ということになった。

 そして、三度目。今度はスマホにかかるように設定していた。時間通りにスマホに電話があったので操作したのだが、なぜかすぐに切れてしまった。そして、そのまままたも音沙汰なし。

 4回目の手続きをして、しばらくしてようやく電話が通じて、オペレーターと話ができた。そこでやって私のカードの状況などを知ることができたのだった。

 その後、新しいカードは届いた。これからいくつかの機関から引き落としができなかったという通知が来て面倒なことをしなければならないのかもしれないが、まあ一安心。

 しかし、私は自動音声に対して大いに怒りを覚えてている! いくつかの項目にまたがる質問をしたいから電話をかけている。それなのに、いくつかの項目を示して、そのどれかを選択しろと自動音声が迫る。どこまで行っても人間が出てくれず自動音声でたらいまわしにされる。自動音声は私の声を聴いてくれず、一方的に語るだけ。

 今回の件について、私にはまったく落ち度はない。私のクレジットカードが不正利用されたのも、もとはといえばカード会社の不備だろう。私はカード会社のせいでカードを使用停止にされ、私の財産の一部がどうにかなってしまうのではないかと不安に感じている。本来なら、カード会社の方で私に謝罪してくれるべきところだ。それなのに、自動音声でたらいまわしにされ、いつまでたっても人間と話ができない。何たることだ!

 いやいや、私はこのカード会社に対して怒っているわけではない。どの会社も同じようなシステムだろう。何もかも自動音声にしてしまい、利用者のなまの相談に乗ってくれない。以前、マッサージを予約しようとして電話をしたら、これまた自動音声だった。私としては、「もし…なら、…だけど、この場合はこうしたい」といった要望をしたかったのだが、それができずに切ってしまったことがあった。

 人手不足でこうなっているのだろう。これがデジタル化なのだろう。だが、これがデジタル社会だったら、こんなひどい社会はないではないか。まさに人間の悩みを理解できない社会、ニュアンスを無視する社会、人間をロボットにしてしまう社会。もたつく高齢者(たぶん私もその一人!)は置いてけぼりにされてしまう社会。

 無事にクレジットカードが使えるようになったからいいようなものの、私としては何とも腹が立つ。

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拙著「私は怒っている」発売

 拙著「私は怒っている」(バジリコ)が発売になった。帯にある通り。

70代、日々の生活は理不尽なことばかり。とかくこの世は腹立たしい」ということを書いている。「小論文指導のオーソリティにしてベストセラー作家ヒグチ先生がソンタクなしで書き下ろした、一読三嘆のスーパーエッセイ」という名物編集者に手になる売り文句もついている。

 そのように思っていただけると、うれしい。私としては、それなりに力を入れたエッセイ集だ。

 政治的なことについても、もちろん怒りはある。ウクライナ、国葬、欧米の選挙などなど。しかし、そのような大きな問題については書いていない。まさに日常の些細な出来事への個人的な怒りのみを書いている。

 どの年代の方にも共感してもらえる部分、反発を覚える部分があると思う。多くの人に読んでいただけると嬉しい。

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 実を言うと、永井荷風の「断腸亭日乗」のようなものを書きたいと思って書き始めたのだったが、やはりそうすると、改めて荷風の偉大さを思い知るばかりだった。が、まあ、荷風とは比べようもないが、私らしい文章には、ともあれなっているだろう。

 ただ、コロナ禍のため、三密での行動、飲食、旅行などを書けなかったのが残念。狭い範囲の怒りになってしまった。

 今は亡き妻の様子を描いた部分がある。本書の発売時にすでにその妻がいなくなっているとは思ってもみなかった。感慨を覚えずにはいられない。

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野田一夫先生、ラルス・フォークト、ジャン・リュック・ゴダール 合掌

 9月3日に野田一夫先生が95歳、5日にラルス・フォークトが51歳、13日にジャン・リュック・ゴダールが91歳で亡くなった。私の妻が先月19日に61歳で他界して以来、お世話になった方、影響を受けた芸術家の訃報が続く。

 野田先生は多摩大学の初代学長であって、私が多摩大学で仕事をするようになってからお話を伺う機会が多かった。かなり前のことだが、雑誌「いきいき」で連載をしていた関係で、野田先生をお招きして「対談」をしたことがある。だが、「対談」というのは看板だけで、編集者が気を遣ってくれて、編集の段階で私の話した部分をたくさん残してくれたのであまり目立たなくなったものの、私はもっぱら聞き手。98パーセントくらい野田先生がお話になった。私が口をはさむ必要のない、野田先生がご自分の人生、人生観、その魅力を語る最高におもしろい「独演」だった。90歳を超えてからも矍鑠として、お会いするごとに面白い話を大声でなさってくれた。野田先生の理念は多摩大学に受け継がれている。私の中にも、少しだけかもしれないが、受け継がれている。偉大な教育者であり、偉大な経済理論先駆者だった。合掌。

 ラルス・フォークトの凄さを初めて知ったのは、2018年、日本のラ・フォル・ジュルネにおいてだ。ピアノの独奏曲をあまり聴かない私は、それまであまりこのピアニストには注目していなかった。日本でベートーヴェンの協奏曲を「弾き振り」した演奏を聴いて仰天。その後、注目していくつかのCDを聴いて、ますます好きになった。音楽に表情を付け、細かいニュアンスを強調するが、バランスが取れており、音楽に勢いがあるので、それがまったく不自然ではない。繊細にしてバランスがとれており、音楽が生きている。まさに魔法の音楽だと思った。近日中に来日が予定されているということで、楽しみにしていた。51歳、ガンでの病死だという。私の妻もガンだった。今でも、まだガンは見くびることができない恐ろしい病気だ。合掌。

 ゴダールは、言わずと知れたフランスの映画監督だ。私は高校生まで大分市で過ごしたので、ゴダールの名前を知り、批評を読んで憧れるばかりで、ゴダールの映画を見たことがなかった。1970年に東京に出て立て続けに「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」などの映画をみた。当時の映画青年としてはやはり衝撃だった。私はゴダール派ではなく、「パゾリーニ派」に属す人間だったが、ゴダールの映画は必ずみて、仲間たちと語り合った。ゴダールが映画の文法を変えたのは間違いない。いや、当時の若者の生き方を変えたのも間違いない。九州の田舎の権威主義に反発しながらも権威主義の中に生きていた私にもっとしなやかで自由な精神を教えてくれたのはゴダールだったといえるかもしれない。合掌。

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