日記・コラム・つぶやき

拙著「私は怒っている」発売

 拙著「私は怒っている」(バジリコ)が発売になった。帯にある通り。

70代、日々の生活は理不尽なことばかり。とかくこの世は腹立たしい」ということを書いている。「小論文指導のオーソリティにしてベストセラー作家ヒグチ先生がソンタクなしで書き下ろした、一読三嘆のスーパーエッセイ」という名物編集者に手になる売り文句もついている。

 そのように思っていただけると、うれしい。私としては、それなりに力を入れたエッセイ集だ。

 政治的なことについても、もちろん怒りはある。ウクライナ、国葬、欧米の選挙などなど。しかし、そのような大きな問題については書いていない。まさに日常の些細な出来事への個人的な怒りのみを書いている。

 どの年代の方にも共感してもらえる部分、反発を覚える部分があると思う。多くの人の読んでいただけると嬉しい。

https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AF%E6%80%92%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B-%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E8%A3%95%E4%B8%80/dp/4862382517/ref=sr_1_1?crid=39BOM2N7DK134&keywords=%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E8%A3%95%E4%B8%80+%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%B3&qid=1664490328&s=books&sprefix=%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E8%A3%95%E4%B8%80%2Cstripbooks%2C194&sr=1-1

 

 実を言うと、永井荷風の「断腸亭日常」のようなものを書きたいと思って書き始めたのだったが、やはりそうすると、改めて荷風の偉大さを思い知るばかりだった。が、まあ、荷風とは比べようもないが、私らしい文章には、ともあれなっているだろう。

 ただ、コロナ禍のため、三密での行動、飲食、旅行などを書けなかったのが残念。狭い範囲の怒りになってしまった。

 私個人の思いとしては、今は亡き妻の様子を描いた部分がある。本書の発売時にすでにその妻がいなくなっているとは思ってもみなかった。感慨を覚えずにはいられない。

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野田一夫先生、ラルス・フォークト、ジャン・リュック・ゴダール 合掌

 9月3日に野田一夫先生が95歳、5日にラルス・フォークトが51歳、13日にジャン・リュック・ゴダールが91歳で亡くなった。私の妻が先月19日に61歳で他界して以来、お世話になった方、影響を受けた芸術家の訃報が続く。

 野田先生は多摩大学の初代学長であって、私が多摩大学で仕事をするようになってからお話を伺う機会が多かった。かなり前のことだが、雑誌「いきいき」で連載をしていた関係で、野田先生をお招きして「対談」をしたことがある。だが、「対談」というのは看板だけで、編集者が気を遣ってくれて、編集の段階で私の話した部分をたくさん残してくれたのであまり目立たなくなったものの、私はもっぱら聞き手。98パーセントくらい野田先生がお話になった。私が口をはさむ必要のない、野田先生がご自分の人生、人生観、その魅力を語る最高におもしろい「独演」だった。90歳を超えてからも矍鑠として、お会いするごとに面白い話を大声でなさってくれた。野田先生の理念は多摩大学に受け継がれている。私の中にも、少しだけかもしれないが、受け継がれている。偉大な教育者であり、偉大な経済理論先駆者だった。合掌。

 ラルス・フォークトの凄さを初めて知ったのは、2018年、日本のラ・フォル・ジュルネにおいてだ。ピアノの独奏曲をあまり聴かない私は、それまであまりこのピアニストには注目していなかった。日本でベートーヴェンの協奏曲を「弾き振り」した演奏を聴いて仰天。その後、注目していくつかのCDを聴いて、ますます好きになった。音楽に表情を付け、細かいニュアンスを強調するが、バランスが取れており、音楽に勢いがあるので、それがまったく不自然ではない。繊細にしてバランスがとれており、音楽が生きている。まさに魔法の音楽だと思った。近日中に来日が予定されているということで、楽しみにしていた。51歳、ガンでの病死だという。私の妻もガンだった。今でも、まだガンは見くびることができない恐ろしい病気だ。合掌。

 ゴダールは、言わずと知れたフランスの映画監督だ。私は高校生まで大分市で過ごしたので、ゴダールの名前を知り、批評を読んで憧れるばかりで、ゴダールの映画を見たことがなかった。1970年に東京に出て立て続けに「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」などの映画をみた。当時の映画青年としてはやはり衝撃だった。私はゴダール派ではなく、「パゾリーニ派」に属す人間だったが、ゴダールの映画は必ずみて、仲間たちと語り合った。ゴダールが映画の文法を変えたのは間違いない。いや、当時の若者の生き方を変えたのも間違いない。九州の田舎の権威主義に反発しながらも権威主義の中に生きていた私にもっとしなやかで自由な精神を教えてくれたのはゴダールだったといえるかもしれない。合掌。

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拙著『「確かに、しかし」で生き方上手』(さくら舎)発売

 さくら舎より、拙著『「確かに、しかし」で生き方上手』が発売になった。

 私は30年以上前から大学入試の小論文指導を行ってきた。その中で、「確かに、しかし」という表現を第二段落に用いると、反対意見を取り込みながら自説を語ることができて、説得力が増すと指導してきた。これは、「小論文はイエスかノーかを答えるものだ」「小論文には型がある」とともに、「樋口式小論文」の基本をなしている。

 私自身も「確かに、しかし」を用いてあれこれの文章を書くうち、この表現は驚くほど多様な効果があり、様々な威力を発揮することに気づいた。単に反対意見を取り込むだけではない。ほかにも様々な用法がある。しかも、それは文章を書く時だけに限らない。読むときも、話をするときも、批評をするときも絶大な力を持つ。言ってみれば、「確かに、しかし」は魔法の表現ともいえるものなのだ。

「確かに、しかし」がいかに威力を発揮するか、この表現をどのように使えばうまくいくのかをまとめたのが、本書だ。この本はまるまるすべて「確かに、しかし」の用法について説明している。それほど、この表現には多様な威力がある。きっとこの本を読めば、この表現のあまりの威力に驚かれるだろう。

 私自身、「確かに、しかし」の表現を多用するようになる前、「しかし」だけを多用する人間だった。「感じが悪い」「傲慢」「独りよがり」とよく言われていた。人間関係を築くのも苦手だった。ところが、この表現を多用するようになったとたん、複眼的にものを考えることができるようになった。その結果、「人の話をよく聞く」「バランスが取れている」と評価されるようになった。人間関係もうまくゆくようになった。この表現を多用して文章を書くと、次々と本が売れ始めた。250万部のベストセラーになった「頭がいい人、悪い人の話し方」(PHP新書)を注意深く読んでくだされば、すぐに気づかれるだろう。まさに、「確かに、しかし」のオンパレード!

「確かに、しかし」は、文章作成のテクニックであるだけではない。実は生き方のテクニックでもある。この表現を用いれば、たちまち生き方上手になる。

 この本を多くの人の読んでいただき、「確かに、しかし」の用法をマスターして、文章を書くとき、読むとき、話をするとき、生き方に迷ったときに役立てていただけると嬉しい。

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葬儀を終えて

 妻・紀子が819日に永眠した。故人の遺志により、親族だけによるこじんまりとした通夜を昨日(2022823日)、葬儀を本日(824日)行った。

 昨年4月にがんが発見され、6月に手術。その後、抗ガン治療などを行ったが、今年の1月に再発。その後も治療を続けたが、副作用が激しく、しかも効果はあまり見られなかった。標準治療はもちろん、代替治療も試みたが、効果がなく、最終的に88日に緊急入院、12日にホスピス棟に移動した。

 私たち家族は818日午前1時ころに病院から連絡をもらい、その後、交代で付き添ったが、家族・親族の前で19日の夕方に息を引き取ったのだった。

 めそめそ、べたべたが大嫌いな妻だった。執着したり、感傷的になったりすることを拒んだ。自分の命に関することでも、めそめそしなかった。無理をして平静を装っていたわけではないだろう。もちろん、先の長くない病であることを知って外にはわからぬ苦しみを抱き、悩んだには違いないが、きっと彼女らしく、きっぱりと諦めたのだと思う。家族が何とかほかに治療がないかと模索しているときも、余計なことをしないことを望んだ。愁嘆場になることを嫌って、親族との面会さえもあまり望まなかった。未練を残さず、きれいさっぱり世を去ることを望んだ。ある意味であっぱれな最期だったと思う。

 思うところはたくさんある。だが、今、私がここに文章を書くと、感傷になる。彼女の内面を憶測して、人様にさらすことになる。それは最も妻の嫌ったことだ。だから、これ以上書かない。

 ただ、私のブログを読んでくれている人の中に妻を知っている人もいるだろう。そして、妻の死は私の人生にとって最も大きな出来事だ。それを報告するために、ここに書いた。

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拙著『「嫌い」の感情が人を成長させる』(さくら舎)発売

 拙著『「嫌い」の感情が人を成長させる』(さくら舎)が発売になった。

「嫌う」という感情は、「好き」という感情とともに人間にとって根本的なものだ。しかも、人は何かを嫌うことで自分を築き、成長してゆく。自分の「嫌い」を知ることは自己省察にもつながる。それなのに、この感情は現代社会では不当に軽視されているのではないか。「嫌い」という感情はあるべきではない感情として扱われている。社会全体が、「みんな仲良し」「みんながすべて好き」を推奨し、それを押し付け、それを嫌ってはみ出そうとする人を排除しようとしている。

 もちろん、何かを嫌い、それを表明することは、一つ間違えると、排除になりかねない。自分が逆に嫌われ、孤立することにもなる。だから、上手に嫌い、それが排除にならないように気を付ける必要がある。しかし、「嫌い」を大事にしてこそ、社会人として自分らしく生きていける。

 この本では、そのような問題意識に基づいて、「嫌い」の重要性、上手な嫌い方、嫌いを排除に結びつけない方法などを説明し、「嫌い」というキーワードに基づいて「みんな仲良し」という押し付ける抑圧の強い日本社会のあり方についての私の考えを記している。

 私が「嫌い」ということについて本を書きたいと思い始めたのは、10年ほど前のこのブログがきっかけだった。マーラーが大嫌いだということをこのブログに書いたところ、それをとがめるようなコメントをもらった。マーラーを理解しない私を批判するのならわかる。マーラー好きの人がマーラーの良さを教えてくれようとするのならわかる。だが、そのコメントは私がマーラー嫌いを公言したことを非難していた。私はその不寛容に驚いた。そのころから、「嫌い」ということ、「嫌い」を表明することについて、いつか考えをまとめたいと思っていた。この本を出して、10年来の宿題を果たした気分でいる。なお、ブログでの顛末についても本の中に書いている。

 関心がある方は読んでいただけると嬉しい。

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新刊『イヤなことはしない!』発売

 拙著『イヤなことはしない!』(清流出版)が発売された。

 私は、いやなことはなるべくしないで、人付き合いもほどほどにし、肩ひじ張らずに気楽に生きている。この本の中に、その私の、日々の生活や世の中の様々なこと、趣味や老後のことなどについての考えをまとめた。大したことは書いていないが、中には、あれこれと考えるきっかけになるような項目も含まれているかもしれない。気楽に読んでいただけると、こんなうれしいことはない。

 また、昨年の11月に刊行された、『「頭がいい」の正体は読解力』(幻冬舎新書)も、刊行が、OECDが行っている学習到達度調査で日本が15位の下落したことが報道され多時期と重なって、ネット上でも話題になっているようだ。この本では、読解力の重要性を説明し、効率よく読解力をつける方法を解説、読解力を養成する練習問題も加えている。これについても、読んでいただけると、うれしい。

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久しぶりに美濃吉の白味噌仕立てを食べた

 2019528日、久しぶりに京都に出かけた。

 私が塾長を務める白藍塾では、いくつかの中学校、高等学校の小論文教育のサポートをしている(関心がおありの方は、白藍塾のHPをご覧ください)。その関係で、京都産業大学付属中学校での研修に講師として参加したのだった。とても気持ちよく仕事ができた。

 贔屓の店、新阪急ホテル地下の京懐石の店・美濃吉で昼食をとった。ゆっくり食べたかったが、時間がないので京弁当にした。

  が、やはりここに来たからには、大好物の「白味噌仕立て」を食べないわけにはいかない。相変わらずのおいしさ。美濃吉の、とりわけこの新阪急ホテル店の白味噌仕立ては最高においしい。久しぶりに食べて、まさに絶品。食べ物について知識がないので、くわしく描写できないし、そもそも素材が何なのかもよくわからないのだが、ともかく本当においしい。これはぜひ多くの人に食べて味わってほしいものだ。

 鯛のかぶと煮もいただいた。私が魚を食べると、お店の人も驚くほど徹底的に食べつくす。つまり、どうしても食べられない骨以外はすべて食べてしまう。実にうまかった。上品な味付けで、鯛そのものの味がしっかりと味わえる。最後の最後まで味わった。

 ところで、朝、京都に向かう途中、新幹線のぞみ号の中でスマホを見て、登戸の殺人事件を知った。帰りにも、その続報を読んだ。

   何といういたましい事件であることか。亡くなった方、関係者の嘆きはいかばかりだろう。かける言葉を思いつかない。カリタス学園に子でもを通わせているという知り合いが何人かいた。他人事とは思えない。

  それにしても、引きこもりの中年の人間が増えているという。私の旧友の中にも二人、引きこもっていた人間がいた。私自身もかつて引きこもり寸前の状態だった。その陰惨さはよくわかる。様々な要因があるだろうが、これが社会のゆがみと結びついていることは間違いあるまい。このような事件が今後起きないための抜本的対策も思い浮かばないがゆえに、いっそう悲しい。

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心外だったこと

 心外なことがあった。過去の心外だったこともいくつか思い出した。

第一話

 電車の中でのこと。向かいの席にミニスカートをはいた女性がいた。何度か目があった。私のほうを気にしている様子だった。私は300冊近い数の本を出しており、その中には写真を載せているものもある。映像授業も行っている。有名人というほどではないが、ごく稀に店に入ったときなどに「樋口先生ですか」と声を掛けられることもある。もしかしたら私のことを知っているのかな?と思いながら本を読み始めた。しばらくしてふと目を上げると、向かいの女性は着ていたコートを脱いでミニスカートの脚に巻いていた。・・・どうやらその女性、私がスカートの下をのぞき込みそうだと警戒したようだ。・・・心外!! 

 

第二話

 バンクシーの作品と思われる「落書き」が見つかったとのことで話題になっている。それで思い出したことがある。

数年前のことだ。東京の都立高校で「人間と社会」という科目が始まるにあたって、多くの高校の先生方がどのように授業を展開するか困っておられるようなので、そのヒントになるようにと、ある教育企業の企画で研修会が開かれ、私が高校の先生方の前で話をすることになった(ご存じない方も多いと思うが、私の専門は文章教育・小論文指導であって、私は一部の方からは「小論文の神様」と呼ばれ、しばしば講演などを行っている)。

要するに、この科目は、高校生に「よい社会にすることをまじめに考え、社会活動に参加しましょう」と訴えかけるかなり道徳的な目的をもっている。ふつうに授業をすると、道徳的な押し付けになってしまって生徒は自分で考えなくなると思い、私はおもしろくて活発な授業にするための方法、生徒に考えさせる課題などを提案した。

そのような課題の一つとして「あなたの知り合いに、商店街のシャッターや公園にスプレーで落書きをする人がいます。その人を説得して、やめるように言い聞かせてください」という問題を取り上げた。そして、高校の先生方にワークショップとしてこの課題を考えてもらうことにした。

私としては、まず落書きをしている人の言い分(「誰にも迷惑をかけていない」「アートとして行っている」「喜んでいる人もいる」「もっとおおらかな社会のほうが楽しい」などが考えられるだろう)を推測し、それを一つ一つつぶして、一部の人の行動が社会にどのような影響を及ぼすか、社会と人間のあり方はどうあるべきか、人間は社会にどうかかわるべきなのかについて根本的に考えるきっかけにしたいと思った。そのことを研修に参加している先生方に説明した。

ところが、高校の先生のおひとりが、この課題に異議を唱え、ワークショップを拒否なさった。その先生の言われることをまとめると、「落書きをするなんて悪いに決まっている。悪いに決まっていることを説得する必要などない。落書きをする人の言い分なんていうふざけたことを考えるなんてばかげている。そんな不届きなことは考えたくもない。問題はどうやって落書き犯を捕まえて、どうやってやめさせるかだ」ということらしい。しかも、このような不届きなことを考えるように促す私に怒っておられるようだった。しかも、その先生はそれをかなり強く主張なさるので、私の意図しているワークショップがスムーズに進まなくなってしまった。

私に言わせれば、「悪いに決まっている」と決めつけたのでは何も説得できない。どんな問題であれ、たとえどんなに不届きな考えであれ、相手の言い分を考え、それがいかに間違っているのかを根拠を示して説得する必要がある。それをしないことには、誰も説得できないし、思考することもできない。考えを深めることもできない。論拠を示して説得しなければ、相手を力で屈服させることしかできなくなってしまう。理性的に思考するということは、とりもなおさず、相手の論拠が間違っていることを理解させることだ。「人間と社会」という科目は、そのような問題を取り上げて、社会はどうあるべきかを考える科目のはずだ。

いや、それ以前に「悪いに決まっている」といってしまったら、すべての学が成り立たないのではないか。文学や哲学は、「人は生きる必要があるのか」「自殺してはいけないのか」「なぜ人を殺してはいけないのか」などの根本的な問題を考える領域だ。さすがに高校生にこれらのことを考えさせるのは少し無理があるにせよ、そのようなことを考えるための基礎力をつけるのが教育であるはずだ。私には、「悪いに決まっているので説得する必要はない」という考えは教育の放棄、思考の放棄、学の放棄に思える。いや、もっと言えば、頭から決めつけて相手の言い分を考えないことは誠実に生きることの放棄にさえ思える。

グループワークが終わった後で私の考えを示し、異を唱えた先生にわかってもらいたいと思っていた。いや、それ以前に、その先生のお考えによれば、そもそも反対意見の根拠を考える必要がないと思われる根拠は何か、相手を説得する必要はないと考える根拠は何か、その先生は教育とは、学問とはどのようなものと考えておられるのかくわしくうかがってみたいと思っていた。が、その先生は怒って途中で帰られたようだった。

 あれからかなりの時間がたつが、今でも、大変心外に思っている。

 

第三話

 大学での出来事。狭い階段を歩いていたら、後ろから速足が聞こえた。50歳前後の後輩教授だった。私はその教授を先に行かせようと思って、「年齢相応にゆっくり行きますから、お先にどうぞ」と謙遜していった。ところが、その教授、「気を付けてくださいね」と大真面目に言いおいて、すたすたと追い抜いていった。うーん、私は半ば冗談で言ったつもりだったのに・・・

 同じ教授と話した。「トシのせいか、車の運転が怖くなって、このごろ、あまり運転をしないんですよ」と話したら、その教授は、「今までできてたことができなくなりますから、お気を付けくださいね」と真顔で言った。

これからこの教授の前では、年齢で自虐的なことは言わないことにしよう!

 

第四話

 数年前のこと。以前から少しだけ付き合いのある講演仲介の会社から講演依頼のメールが届いた。ある地方の団体の会合で講演をしてほしいとのことで、先方の希望する候補日、演題、講演時間、講演料などが書かれている。そして、「ご質問がありましたら、以下に連絡をください」とのことでその会社の担当者の携帯番号が書かれていた。私がメールをみたのは土曜日の昼過ぎ。その12時間前に送信されたものだった。疑問点があったので、すぐに指定された番号に電話をした。

 すると、明らかに不愉快そうな声。声からして、おそらく20代か30歳そこそこの若い男。電話の向こうでは確かに店内だか繁華街だかの音がしている。仕事が終えて私的に行動しているのだろう。が、ともあれ、私は名前を名乗って講演についての疑問点を質問しようとした。すると、相手がそれを遮って、つっけんどんに「月曜日にご連絡いただけますか」と返してきた。おいおい、質問があったらここに電話するようにとあんたがこの番号をしらせたんだろうに!

 仕方がないので、私はメールでかなり皮肉を交えて、「先ほどは、お休みのところ、お電話を差し上げまして、大変失礼いたしました」などと必要以上にお詫びを前置きにして質問をした。講演を依頼している「先生」にそのようなメールをもらったら、その社員はきっと恐縮するだろう、きっと自分の非礼に気付いてあわてて詫びの電話かメールをくれるだろうと思っていた。

 が、まったくそんなことはなく、そのことには何も触れない返事が来た。

 結局、その社員とは顔を合わせる機会はなかったが、いったいどんな社員なんだろう。今でも心外に思っている。

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拙著3冊刊行 「受かる小論文の絶対ルール 改訂版」「頭のいい文章術」「バカ部下を使いこなす技術」

 12月になって拙著が3冊刊行された。が、実はいずれも新刊というよりも、再刊。

51yevhkgzl_ac_us200_ 「受かる小論文の絶対ルール 改訂版」(青春出版)は電車の中でさらっと読んで小論文とは何かを知る入門書だ。2005年刊行のものを時代に合わせて改訂した。

51h8uhebiml_ac_us200_ 「頭のいい文章術」(だいわ文庫)は大和書房から出していた「伝わる文章力がつく本」の文庫化だ。社会人が文章術を高めるためのノウハウを記している。紹介している「型」を用いて文章を書けば、すっきりと論理的に、しかも簡単に知的な文章ができる。

41avm62v2l_ac_us200_ 「バカ部下を使いこなす技術」(KADOKAWA)も既刊本の再編集だが、バカな部下を上手に操縦する方法を説明している。挑発的なタイトルだが、単にノウハウを語る書というよりは人間観察の本として読んでほしい。

 いずれも、それを求めている人には間違いなく役立つ本だと思っている。

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拙著「65歳から頭がよくなる言葉習慣」、「小論文 これだけ!Q&A編」、「小論文これだけ! 模範解答 医学・看護・医療 編」(共著)刊行

拙著が数冊刊行されたので、紹介させていただく。

6551diazonbhl_sx341_bo1204203200_65歳から頭がよくなる言葉習慣」(さくら舎)は、毎日、楽しみながらちょっとした言葉の体操をすることでボケを防いで知的になろうとするための本。気楽に読めて、それなりにためになる本にしたつもりだ。「語りおろし」の本であるため、話し口調でわかりやすく、私の言葉についての考えを披露している。また、「おぬし、できるのう。拙者と手合わせ願おうか」という言葉を現代語に訳そう・・・というような簡単な問題を考えながら、語彙を増やすためのノウハウを示し、この種の問題を提示している。言葉による頭の体操に役立つ本だと思っている。

51dbeptulml  東洋経済新報社からも、大学受験生向け「小論文 これだけ!」シリーズの2冊を新たに出した。「Q&A編」は、しばしば寄せられる小論文についての質問、疑問に丁寧に答えた1冊だ。小論文とは何か、どう書けばよいのか、どう勉強すればよいのかについて、これまで私が受けてきた質問に答えたつもりだ。わかりやすく使いやすい参考書になっていると思う。

51se64so4pl 小論文これだけ! 模範解答 医学・看護・医療 編」(共著)は、医学・医療系でしばしば狙われる問題10題について模範解答と悪い解答を示して、この分野を志望する受験生に必要な知識を増やし、どのような小論文を書けばよいかを示している。この本もすぐに役立つ本になっていると思う。

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