映画・テレビ

映画「ペルセポリス」「チキンとプラム」「彼女が消えた浜辺」「別離」「ある過去の行方」

 急ぎの仕事がないため、久しぶりにゆっくりしている。イラン出身の監督の映画を数本みたので、感想を書く。

 

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「ペルセポリス」 マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・バロノー共同監督 
2007

 イラン出身の女性マルジャン・サトラピの漫画をもとに、サトラピとヴァンサン・バロノーが共同監督して完成させたアニメ。とてもおもしろかった。イランの上流階級の家庭に生まれたマルジャンが息苦しさに耐えられず、オーストリアに留学、そこで挫折していったんイランに戻るが、再び出国してフランスに移り住むまでを描く。

パーレビ国王時代の圧政、その崩壊、民主化されると思われたところに起こり、いっそう抑圧的な社会になっていったイラン革命が、マルジャンの目を通してユーモラスに、そして鋭く描かれる。子どもの目を通すことによって、マジック・リアリズムとして戯画化しながら深刻な社会状況を描くことができる。しかも、ういういしくて茶目っ気があって、素直なマルジャンがとても魅力的。なんと、フランス語版の声はカトリーヌ・ドヌーヴやダニエル・ダリュー、そしてキアラ・マストロヤンニが担当している! 

 

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「チキンとプラム」 マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・バロノー共同監督 2012年

 「ペルセポリス」に続いて、同じ二人によって作られた実写の映画。中東のどこかの国に住む天才ヴァイオリニスト(マチュー・アルマリク)が横暴な妻(マリア・デ・メディロス)にヴァイオリンを壊され、死ぬことを決心して実際に死ぬまでの8日間の出来事を漫画的に描く。死を決意する少し前にたまたま街で出会った女性イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)が、実はかつて熱烈な恋をした女性だったこと、街で出会ったときに孫を連れていたのでヴァイオリニストを覚えていないと答えたが、実はずっと思い続けていたことが明らかになる。

 他愛のない恋愛ドラマだが、メルヘン風、漫画風でとてもおもしろい。「アメリ」を思い出す作風。ヴァイオリニストの母親役をイザベラ・ロッセリーニ(なんてったって、ロベルト・ロッセリーニの娘!)、成長後の娘の役をキアラ・マストロヤンニ(なんてったって、ドヌーヴとマストロヤンニの娘!)が演じている。華麗なる二世女優の共演!

 

「彼女が消えた浜辺」  アスガー・ファルハディ監督 2009年

 先ごろ、「セールスマン」でアカデミー賞外国語賞を獲得したファルハディ監督の2009年の映画。23年前だったか、DVDでこの映画をみたが、もう一度みたくなった。改めて素晴らしいと思った。

 イランの大家族が車でカスピ海沿岸の避暑地に向かう。リーダー格の女性セピデ(ゴルシフテェ・ファラハニ)が最近知り合った女性エリを大家族の中の男性に紹介するために仕組んだバカンスだった。ところが、エリは海辺で行方不明になる。そこにいた誰もエリについて何も知らなかったこと、全員の善意が空回りしていたことがわかってくる。それぞれの立場で考える人全員にそれなりの言い分がある。どれも正しい。しかし、家族は言い争いをはじめ、エリの状況がわかるにつれて混乱してくる。

 ずっと昔のアントニオーニ監督の「情事」を思い出した。主人公と思われた女性が孤島で行方不明になり、それを探す様子が映画の中心に描かれるが、最後まで女性の行方はわからない。見ているものは心の中に空虚を残すことになる。それと同じような雰囲気がある。女性がいなくなって、人間存在のあやふやさが浮き彫りになっていく。人間てなんだ? 人間関係てなんだ? という根底的な疑問が湧きあがってくる。同時に、イスラム社会独特の問題点も見えてくる。

 最初にみた時、登場人物の顔の区別ができずに困ったが、今回見直して、やっと識別しながらみることができた。異世界の映画の登場人物を識別するのは難しい!

 

「別離」 アスガー・ファルハディ監督 2011

 同じファルハディ監督の作品。これも、正真正銘の名作。

テヘランの中流階級の夫婦の別離の物語。みんなが少しずつ嘘をつき、みんながそれぞれの言い分を持っている。誰かが悪いわけでもない。みんながよかれと思って行動するが、徐々に深みにはまっていく。相手のことを思いやりながらも、他人に責任を押し付け合う。人間としての性(さが)があり、イスラム社会の宿命があり、それぞれの社会的役割があって、どうにもならない。徐々に真実が明らかになり、人々の関係に深淵が広がっていることがわかってくる。それをサスペンス・タッチでスリリングに描いていく。子どもを含めたすべての登場人物があまりにリアル。特典映像で監督自身が語る通り、ドキュメンタリー風のリアルな演出、出来事を観客に想像させる作風。それが見事。まったく無駄がない。

それにしても、イラン社会の男女関係は私がこれまで思っていたものとはかなり異なる。ほとんど、日本と変わらないのではないかとさえ思える。「妻」は日本の我が家と同じように夫を振り回しているし、自分から離婚を申し出ている。かなり自由に見える。イラン社会の女性はどういう地位にあるのか。それに、テヘランの都市も、女性がスカーフをしていることを除けば、アジアの都市と大差ないように思える。一度、イランにも行ってみたくなった。

 

「ある過去の行方」 アスガー・ファルハディ監督 2013年

 私が劇場で最初に見たファルハディ監督の映画がこれだった。これに感動して、私はこの監督の大ファンになったのだった。改めてみてみたが、やはり圧倒的。「彼女が消えた浜辺」「別離」「セールスマン」も素晴らしいが、この「ある過去の行方」は別格。

 元の妻マリー・アンヌ(ベレニス・ベジョ)に求められて、イラン人の男アーマド(アリ・モッサファ)が正式に離婚をするためにイランから久しぶりにパリに戻ってくる。ところが、元妻は別の男サミール(タハール・ラヒム)と再婚しようとしていた。そして、マリー・アンヌの連れ子リュシーは母親の新しい夫を拒絶している。アーマドが現れたことによって、それまで隠されていたことが次々とあらわになり、人間関係の真実が見えてくる。

 心理サスペンスとして、実におもしろい。ハラハラドキドキの展開。まるでピランデッロの戯曲のように、真実があやふやになってくる。それぞれの人物の抱える問題がリアルで、それぞれに真実がある。一人一人に悪意はない。幸せでありたいと願い、周囲を幸せにしたいと願っている。だが、ちょっとしたエゴが混じるために、関係全体が歪んでくる。そのような人間の真実が真正面から描かれる。パリで暮らすイラン人の置かれている状況も垣間見える。

ベートーヴェンの交響曲が一つ一つの音のゆるぎない組み合わせから成っているように、ファルハディの映画も一つ一つの画面の緊密な構成によって成り立っている。私は一つ一つの画面の色、登場人物の動き、表情、セリフの見事さに酔う。子どもたちの表情の自然さにも驚嘆する。

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ゴバディ監督の映画 「サイの季節」「酔っぱらった馬の時間」「わが故郷の歌」「亀も空を飛ぶ」「ペルシャ猫を誰も知らない」に圧倒された

 ものすごい映画監督を初めて知った。バフマン・ゴバディというイラン出身のクルド人監督。イラン映画を何本か見ていくうちに、「サイの季節」をみて、とてつもない映画だと思った。ゴバディ監督の映画をたて続けに見た。どれも素晴らしい。世界の名匠の一人だと思った。感想を書く。

 

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「サイの季節」 2012年

 冒頭からあまりの映像の美しさに圧倒された。ポエジーにあふれている。すべての画面の映像美に酔いしれる。私がこれまで見たすべての映画の中のベストテンに入るかもしれない。

 セリフが少ない。少ないセリフから何が起こっているのかを推測するしかない。しかも、どこまでが現実でどこからが幻想なのか曖昧なところもある。

ともかく、イラン革命期、反体制的な詩を書いたという理由で投獄されていた詩人サヘル(ベヘルーズ・ヴォスギー)が30年ぶりに解放されたところから始まる。イスタンブールに暮らす妻ミナ(何とモニカ・ベルッチが演じている!)を探し当てるが、自分は死んだことにされており、妻には二人の子供がいるので名乗り出ることができない。革命前に若きミナに横恋慕していた運転手アクバル(ユルマズ・エルドガン)が革命の混乱で権力者になり、ミナを手に入れるために、サヘルを陥れたことが徐々にわかってくる。しかも、アクバルは夫と同時期に投獄されていたミナに目隠しをし、夫サヘルだと思わせて性交渉をする。その時に受胎したのがミナの双子の子供だった。サヘルは娼婦になったミナの娘と交流を持ち、それと知らずに交わってしまう。あとになってそれに気付く。アクバルを見つけ出し、車に乗せてともに死を選ぶ。

三人の主人公の目の演技が凄まじい。とりわけ、サヘルを演じるヴォスギーの存在感が半端ではない。少ないセリフと表情ですべてをわからせる、しかも、それが少しも不自然ではない。ヒルや亀やサイが登場する。その不気味な形状や動きが生々しい生命を強く感じさせる。生きる者の業、悲しみ、社会の混乱に翻弄される人々の生きざまが詩的に描かれる。モニカ・ベルッチの美しさにも改めて感嘆した。

 

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「酔っぱらった馬の時間」 2000年

 イランとイラクの国境の荒れ果てた山岳地帯に住んで、イラクへの密輸で暮らしを立てるクルド人の家族。母はお産で死に、父は地雷で死ぬ。子どもたち5人が残される。しかも、子どもの一人には障害がある。しっかりした男の子が密輸の荷物運びで働き、一家を支える。

 極寒の中での馬(字幕ではラバとなっていた)を使っての密輸なので、ラバが凍えないように酒を飲ませる。そこからこのタイトルができている。警備兵に追われて、酔っぱらったラバたちが雪の中をよたよたと動く場面は滑稽であり、悲惨であり、しかも生命を感じさせる。

 初めに字幕が出る。これがクルドの現実らしい。過酷な現実が描かれる。少年と、その妹が中心に話が展開するが、お涙頂戴の感傷的なかわいそうな映画ではなく、過酷な現実の中に生きる子どもたちの真実の映画。障害のある子どもは過酷な現実を十分に理解せず、しかも過酷さに直面すると苦しみを表に出す。おそらく演技ではないのだと思うは、実に凄まじい場面だ。

 ポエティックで圧倒的な映像美だった「サイの季節」とはまったく作風が異なって、あくまでリアルに徹しているが、これもまた名作だと思った。

 

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「わが故郷の歌」 2002年

 クルド人の誰もが知る有名な老歌手ミルザが自分を裏切って出ていった元妻ハナレから助けを求められ、二人の中年の息子とともに難民キャンプにいるというハナレに会いに行く様子を描くある種のロードムービー。

しかし、アメリカのロードムービーなどと違って、三人が進むのは、イラン・イラク戦争中にイラクからの攻撃を受ける戦場となっている国境付近の山間部であり、雪の岩山でもある。まさに過酷。しかも、これが作りごとではなく、クルド人の現実らしい。

三人の珍道中にはユーモアがあり笑いがあるが、強盗に襲われて身ぐるみはがされたり、爆撃にあったり、虐殺された死体を掘り起こす現場に居合わせたり。しかも、ハナレの願いというのは、戦争で夫を亡くし、化学兵器のために容姿を失い、声が出なくなったために育てられなくなった娘をミルザに託すことだった。生と死が隣り合うところで必死に生きる人々の悲しみと喜びと怒りの入り混じった生そのものが伝わってくる。

「サイの季節」や「酔っぱらった馬の時間」ほどの感銘は受けなかったが、映像は美しく、クルドの人々の生きざまを目の当たりにでき、しかも歌もふんだんに聴ける。これをクルド人の映画監督が作ったことに驚く。描かれるのは殺伐とした世界だが、その映像美と手法は斬新でしかもきわめて芸術的。ゴバディ監督はとてつもない天才だと思う。

 

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「亀も空を飛ぶ」 2005年

 岩波ホールで公開されたらしいが、私は今回、DVDで初めてみた。いやはや凄まじい映画。

少女が断崖から身投げする冒頭の場面から衝撃的。イランのクルド人の住む荒れ果てた山間部の子どもたちが描かれる。まるで大人のように生きる孤児たち。そこに三人のきょうだいにみえる子どもたちがいる。両手のない少年とその妹アグリン、そして幼児。幼児は実はアグリンがイラク兵にレイプされて産んだ子供だった。アグリンは自分の子どもを憎み、かわいがろうとしない。そのアグリンに少年たちのリーダー格のサテライトが恋をして、何かと助けようとする。だが、アメリカがイラクへの攻撃を開始し、サダム・フセイン政権が倒れてアメリカ兵がやってきた日、少女は息子を池に投げ込み、自らも自殺する。

 両手のない子は未来を予言する能力を持っているという設定になっている。監督自身が魔術的リアリズムを使いたかったことをメイキング映像で明かしている。そのような非リアルな状況設定を行うことで、魔術的なリアリズムが拡大鏡のように働いて、いっそう過酷な現実がリアルになる。

 実際のクルド人の村人や孤児たちを使って撮影されたらしい。両手のない子も実際にそのままの姿だ。それだけに本当にリアル。単なる反戦映画でも、かわいそうでけなげな子どもたちの物語でもない。人間のリアルそのもの、クルド人のリアルそのものをたたきつけてくる。なお、「亀も空を飛ぶ」というタイトルは、不可能なことはないという意味らしい。平和を祈り、子どもたちの将来の幸せを祈ることばだろう。

 

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「ペルシャ猫をだれも知らない」 2009年

 大都会テヘランでインディー・ロックを演奏する若者たちを描いた作品。これまで見たゴバディの映画とまったく雰囲気が異なる。

青年アシュカンとその恋人ネガルはイラン国内では演奏の許可が出ないのでロンドンに出ようとしている。あれこれ手をまわして、偽造パスポートの作成を依頼し、ロンドンに出る間際となるが、偽造パスポート作成者は逮捕され、アシュカンが立ちよったパーティが警察の手入れを受けて、アシュカンは窓から逃げ出そうとして転落し、命を失う。

実際のミュージシャンが演じているという。音楽を演奏できず、映画も自由に作ることができず、犬や猫が室外に出ることも禁止されたイラン社会の閉塞感とそこから脱出しようとする衝動がよくわかる。重いテーマを扱っているが、昔のアメリカ映画「イージーライダー」にも似て、古い社会に穴をあけて新しい社会を築こうという意志が明確に描かれるので、これを見る者は決して暗い気分にはならない。タイトルは、ペットの室外への持ちだしさえもが禁じられているイラン社会において、室内にいるペルシャ猫が外からは知られていないことを意味しているという。これもなかなかの名作だと思った。

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ジャリリ監督の映画4本

 時間的な余裕ができて、自分のペースで仕事を進めている。9月中旬からは週に一日だけ多摩大学で非常勤の仕事をするが、それまでは週に一、二回の割合で大学の入試関係の仕事をするくらい。今年中にあと4冊の本を完成させる必要があるが、焦る必要はなさそう。

 イランの映画監督アボルファズル・ジャリリの映画DVD4本セットを購入して、見た。いずれも10歳前後の少年を主人公にした映画。簡単な感想を書く。

 

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「スプリング ~春へ」 1986年

 名作だと思った。イラン・イラク戦争の真っただ中。イラク軍に攻められた地域に住む少年が家族と別れて森の中で見知らぬ老人に引き取られて二人で暮らし始める。冬の森の中で暮らすうち、少年は徐々に自然の生活に慣れ、老人になじんでいくが、両親への思いを捨てきれない。冬の状況と、戦争の終わりとしての春が重なり合う。森が春になり、戦争が終わるのを待つ少年の気持ちが痛いほど伝わる。孤独な老人の少年への思いもよくわかる。そして、どこをとっても絵画になりそうな美しい映像。

 画面の右から左、左から右へと登場人物が移動する場面が多い。それをじっくりと撮影していく。自然の中での人間の営みという事実が印象付けられる。迷子になった少年を老人が見つけ出す場面、そして、最後の少年の育った地域がイラクにもどったラジオ放送を聴く場面は感動的だった。

 

「ぼくは歩いていく」 1998

 父親が薬の中毒でしかも兵役逃れようと子どもの出生届を出さなかったために戸籍を持たないまま育った9歳の少年を主人公にした映画。生活のためにいろいろな仕事をしているが、学校にも行けずにいるために読み書きもできず、身分証がないために仕事を続けられない。父は牢獄に入り、母も収容され、兄弟も助けてくれずに一人で仕事を求めてさまよう。時々、ドキュメンタリータッチになって監督が登場人物にインタビューする場面が入る。起承転結のある物語というよりも、けなげに生きる少年をずっと追いかけていく。

 イラン社会の現実、大人の犠牲になって苦しむ少年、大人と同じように過酷な労働をする子供たちが描かれる。とても良い映画だと思うが、主人公の少年が垢ぬけており、しかもセンスの良い色彩の服を着ているために、私はあまりリアリティを感じられなかった。感じのよい少年であり、演技も見事だが、あまりにお坊ちゃんぽい。

 

「ダンス・オブ・ダスト」 1998

 ほとんどセリフのない映画。しかも監督の要望により字幕を付けないという断り書きが初めに示される。昔の新藤兼人監督の「裸の島」に似た雰囲気。ただ、舞台は砂漠の中で、主人公は少年と少女。字幕がないだけでなく、説明のほとんどない映画なのでわかりにくいところがある。主人公の少年は孤児のようだ。大人に混じってレンガ作りの仕事をしている。季節労働者の娘である同年代の少女と心を通わせ、少女の手形の残ったレンガを大事にするが、雨期が来て少女は去っていく。孤児である少年は心の支えを失ってしまう。それを貧しく過酷な自然を背景に描く。

埃だらけの世界。ぼろをまとった子供たちが、大人に構われることなく、おもちゃもなしにただ走り回って遊んでいる。大人たちも砂だらけの世界でひたすら生活する。それだけで圧倒的な存在感がある。生命の原型を示しているかのよう。とても良い映画だと思った。

 

「トゥルー・ストーリー」 1996

 ジャリリ監督はある劇映画を作ろうとするうち、ある少年に出会って映画への出演を誘うが、その少年は足が不自由で出が必要だと知り、映画の方針を変更して、その少年のドキュメンタリーを作り始める。父親を亡くし、子どものころからたくさんの仕事をしてきた少年が、監督の力で手術を受けるまでが描かれる。どのくらい現実そのままなのかはよくわからない。そうした手法で、イランの現実、貧しい人々の生活、人間の生きざまを描いていく。

 ただ私としては、おもしろい試みだとは思いながらも、この少年を選んで出演を誘おうとすることについても、手術を撮影しようとすることについても、なぜ監督がこだわるのかよくわからなかった。最後に、手術が成功したことが字幕で知らされるが、やはりこれは大事なことなので映像で出してほしいと思った。私としては少々消化不良の一本だった。

 

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ベロッキオ監督「甘き人生」 生身の人間の存在感

 有楽町スバル座でマルコ・ベロッキオ監督の最新作「甘き人生」をみた。大変な傑作だと思った。

 ジャーナリストのマッシモ・グラメッリーニの原作を映画化したものだという。母親は重病を苦に自殺するが、真相を知らされないまま育てられ、母の死を受け入れられずにいる少年。後年、ジャーナリストになって様々な死を目撃するが、母への思いから逃れられず、しばしば精神的に追い詰められる。新聞への読者の悩み相談への回答を書いたことから、母の死の真相を知ろうとし始める。

 私はまったくもって「マザコン」ではないので、実はこの主人公の気持ちがよくわかるわけではない(ついでに言うと、プルーストの「失われた時を求めて」は大好きな小説なのだが、どうも主人公のマザコンぶりには違和感を覚えて仕方がない。フランス文学、イタリア文学に親しみながら、しばしば描かれるマザコンや、それと重なり合う聖女マリア信仰に対して私はずっと納得できずにいた)のだが、映画を見ていくうちに主人公の気持ちを追体験していく。喪失感、代替物依存、死の誘惑がリアルにじっくりと描かれていく。まさしく生身の人間の心の中までが肉体の重みのような存在感を持って迫ってくる。

 主人公(大人になってからはヴァレリオ・マスタンドレアが演じている)の幼少期を演じるニコロ・カブラスマッシモの演技の見事さ(つまりは、ベロッキオの演出の見事さということでもあるだろう)に舌を巻く。幼少期の母と息子のツイストやかくれんぼなど、息をのむほどに美しい。

 相談に乗ってくれた女医(ベレニス・ベジョ)と愛し合うようになり、二人でツイストを踊る。母親の死から逃れられずにいた主人公が少しだけ吹っ切れかける。その場面が実に感動的。そして、真相を知る場面もまた実に切実でリアリティがある。すべての俳優がすばらしい。

原題は「Fai bei sogni」。映画の中で、母親が死を決意した後、眠っている息子に語り掛ける「よい夢を見なさい」という言葉がタイトルになっている。なぜ、フェリーニの「甘い生活」(ドルチェ・ヴィータ)を思い起こさせるような「甘き人生」というタイトルにしたのか、私には納得できない。甘い生活などどこにも描かれていないような気がするのだが。

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ワイダ 「残像」 ワイダらしい圧倒的なリアリティ

アンジェイ・ワイダの遺作「残像」をみた。みたのは天津旅行前だったが、旅行に紛れて感想を書かなかった。このままでは忘れてしまいそうなので、今のうちに書いておく。

 ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキという実在の画家(演じるのはボグスワフ・リンダ)が主人公。革命を支持した有名画家の一人であり、美術大学の教授として生活し、多くの学生の支持を集めているが、政治が硬直して芸術に「社会主義リアリズム」が強制されるようになるにしたがって、政府の方針に反抗している。それを問題視した大臣や学長によって職を終われ、芸術協会の会員資格も取り消されて表現の手段も生活の手段も奪われていく。街の広告を描く仕事をせざるを得なくなるが、それさえままならない。慕ってくる女子学生(ゾフィア・ヴィフワチ)、別れた妻との間の娘で孤児ニカ(ブロニスワヴァ・ザマホフスカ)の間で逡巡しながらも、最後まで信念を曲げずに不遇の中で死ぬ。

 多少の脚色はあるにしても、実話に基づくという。実際にはもっと悲惨だったかもしれない。「灰とダイヤモンド」も「ダントン」も「カティンの森」も、ワイダは主人公の光の当たる面だけでなく、裏の面も描いている。だからリアリティがある(「ワレサ 連帯の男」については少し英雄視しすぎだと思った)。観客は、まさに生きて、逡巡し苦悩し人生という、そして芸術という深みの中をさまよう主人公とともに生きることになる。社会のあり方に怒り、迷いながらも埃を失うまいとする主人公をリンダは実に見事に演じる。そして、それ以上に画面の一つ一つの美しさ、そのリアリティを実現するワイダの力に圧倒される。

 冒頭のハンナ(ソフィア・ヴィフラチュ)と出会う野原の場面、娘とのやり取りの続く雪の場面、別れた妻の墓に青の色彩をつけた花を献じる場面など、人生の深みをひしひしと感じさせる場面がいくつもある。90歳の年に公開された最後の作品でさえもこれだけの力感にあふれ、激しいリアリティを持っているのは驚くべきことだ。それほどの執念で社会主義時代の矛盾を描きたかったのだろう。

 ワイダは私のもっとも好きな監督の一人だ。日本未公開の映画も含めて、私はかなりの数のワイダ作品を見ている(まだ見ていないものが何本かある。DVDなどでぜひ見たいものだ。発売してほしい)。パゾリーニ、アントニオーニに続いて、最後まで残ったワイダも亡くなった。私が大学時代に心の底から感動した映画監督はみんなが亡くなったことになる。「一つの時代の終わり」というのは、偉大な人物が亡くなった時の決まり文句だが、ワイダの死に対して私はそれをとても強く感じた。

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トルナトーレの映画「教授と呼ばれた男」「明日を夢見て」「シチリア!シチリア!」「天文学者の恋文」

 忙しさからやっと解放された。数日前から少しずつ時間が作れるようになり、今日はかなりのんびりできた。明後日にはまた札幌に行き、その後もあれこれと仕事はあるが、これまでのように時間に追われることはなくなりそう。

 この数日間にみた映画DVDの感想を書く。トルナトーレ監督の映画を4本みた。

 

「教授と呼ばれた男」 1986年

 トルナトーレの処女作。姉をからかった男を衝動的に殺して刑務所に入り、そこで頭角を現してマフィアのトップに上り詰めた男(ベン・ギャザラ)の死までを描く。後のトルナトーレの映画からは考えられないような暴力的な場面が続出する。マフィアに支配されるイタリア世界の状況がよくわかる。知的で残酷な男の人間性を見事に描いて、最後まで飽きないし、見ている者に不思議な感情移入をさせてしまうところはさすが。処女作とは思えないほどの演出力に舌を巻く。

 

「明日を夢見て」 1995年

 映画の新人発掘だと称してシチリアを回り、市民を募ってお金を取って紹介フィルムを取る詐欺師(セルジオ・カステリット)を中心に描く。カメラの前では誰にも言えない真実を語る市民の描写が素晴らしい。女優を夢見て男を追いかけ、その愛人になる孤児役のティツィアーナ・ロダトがとても初々しい。小悪党を狂言回しにしたロードムービーというよくあるタイプの映画なのだが、庶民への愛と人物描写、シチリアの風景がみごと。かつてのデ・シーカを思わせる作風。とても良い映画だと思う。

 

「シチリア!シチリア!」 2009年

 原題は「バーリア」。シチリアのバーリアという町で暮らすペッピーノ(フランチェスコ・シャンナ)の一代記。貧しい家に生まれ、共産党員になり、議員になり、家族を養う。1930年代から戦争が始まり、戦争が終わり、豊かになっていく時代を背景にしている。起承転結のある物語というよりも、様々なエピソードを並べ、シチリアの町の人間模様、家族の葛藤、ペッピーノの成長、時代の変遷を描いていく。実にリアリティがあり、生き生きとしている、作りごとではない、人間が生きてきた歴史、そして世代から世代へと受け継がれていく精神が感じられる。愛があり、死があり、いたずらがあり、哀しみがある。これが人生だと強く感じる。映像の美しさ、あらゆる俳優の魅力的な動き、そして何よりもトルナトーレ監督の演出手腕を強く感じる。ただちょっとわかりにくいところがあった。「卵が割れる」エピソードが出てくるが、これって「死産」を意味するのだろうか。

 

「ある天文学者の恋文」2016年

 トルナトーレの最新作。昨年、劇場でみようと思っていたが、行く前に終わってしまったのでDVDでみた。天文学を学ぶ女子学生(オアルガ・キュリレンコ)は天文学の権威である教授(ジェレミー・アイアンズ)と恋に落ちる。だが、教授は病死。ところが、死後も教授からメールが届き、プレゼントが届く。考えられないような設定だが、それはそれでとても納得できる。教授は死後も女子大生を過去の重みから解放させようとする。年の差のある男女の恋を美しく描いている。確かに考えてみれば、私たちは星々という数億光年前の光をみている。星の中にはずっと昔に死んでしまったものも混じっている。天空という無限の世界を前にしての生と死というテーマが男女の恋という形で描かれるというか。素晴らしい映画だと思った。

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北海道出張 そして映画「22年目の告白」のこと

 2017630日から一泊二日で北海道に出かけていた。30日はすっきりとした良い天気。25度くらいあってとても快適だった。

私が塾長を務める白藍塾が江別市にある立命館慶祥中学の小論文指導をサポートしているため、研修が毎年行われている。私も10年間近く前から毎年訪れている。革新的な教育を行っている立命館慶祥のお手伝いをできることは大変楽しい。今回も有意義な研修だった。研修後、立命館慶祥の小論文担当の先生方と新札幌駅付近の魚鮮というお店で小さな懇親会。魚がとてもおいしい。札幌駅付近のホテルに宿泊した。

 考えてみると、615日に鹿児島、21日に上海、30日に札幌と、このところあちこちに足を運んでいる。再来週にはまた別の仕事で札幌に行く。上海は完璧な観光だったので文句は言えないが、少々疲れた。

 71日、帰りは夕方の飛行機だったので、少し観光をしようと思っていた。登別か室蘭にでも行ってみようかとも計画した。が、朝、起きてみると、その元気がわかない。駅付近のマッサージ店を見つけて午前中にマッサージを受け、昼食後、映画を見て時間をつぶすことにした。予告編をみて興味を引かれていた「22年目の告白 私が殺人犯人です」をみることにした。入江悠監督。出演は藤原竜也、伊藤英明、夏帆、仲村トオル。

 とてもおもしろかった。はらはらしながら最後まで見た。さすがに途中で(つまり、登場人物よりはだいぶ早く)真相にたどり着いたが、それまでは意外な展開に目を見張ってみていたし、その後も十分に説得力を覚えた。宮部みゆきの「模倣犯」ととても良く似た発想だと思った。ちょっと言いたいことがないでもないが、それを言い出すと完全に「ネタバレ」になってしまう。このタイプの映画ではそれはルール違反だろうからこのくらいにしておこう。

私は日本のエンターテインメント映画をあまり見ないが、テレビドラマなどでかけだしのころからみていた俳優たちが堂々たる演技をする名優となっているのに驚いた。

 その後、新千歳空港に向かった。映画を見ているうちに、札幌は雨になっていた。22時半ころに帰宅した。

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ファルハディ監督の「セールスマン」 監督の手腕に驚嘆

 アスガー・ファルハディ監督の映画「セールスマン」をみた。本年度アカデミー賞外国語映画賞受賞作だが、素晴らしい傑作だと思う。

 数年前、京都を訪れた際にたまたまみた「ある過去の行方」に心から感動した。とてつもない傑作だと思った。その後、「彼女が消えた海辺」「別離」のDVDをみて、この監督が驚くべき傑作を何本も作っていることを知って、大ファンになった。圧倒的な力量だと思う。一分のスキもない構成、一人一人の登場人物の立場と心情、やむにやまれぬ状況、そして背後にあるイラン社会、現代文明への批判、すべてに説得力がある。イラン映画は20本ほど見たと思うが、私のナンバーワン監督はこのファルハディだ。

 今回の映画にも最初から引き込まれた。サスペンスとしても最上。無計画で、人権無視の都市開発のために古いアパートが倒壊しそうになるところから映画は始まる。最初のごたごたの中で主人公の人格、近代化の矛盾を描くとともに、倒壊しそうで一刻を争うという場面に観客を巻きこんでいく手腕はすさまじい。

新しいアパートを借りなければならなくなった夫婦が演劇仲間の知る部屋を借りることにするが、前に借りていた女性がどうやら娼婦だったらしい。妻が一人でいるとき、前の住人を訪れた客が現れて暴行する。夫は犯人捜しを行う。そのようなストーリーの中に、のっぴきならない一人一人の事情、イラン社会の性暴力への考え方、女性の置かれている状況が盛り込まれる。夫婦の所属する劇団はアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を上演するが、そのテーマと暴行事件の犯人である行商人の死が重なり合う。その手腕にも畏れ入る。

前の住人が最後まで登場せず、浴室で実際に何が起こったのかも最後まであかされない。あちこちに謎が残る。全体に語られない部分があり、人によって誤解しあっている部分がある。そして、何より抑圧的なイラン社会の状況が背景として示されるが、それについてもあからさまには語られない。語られないことが実はこの映画の中心にある。

実は、これほど監督の鮮やかな手腕に圧倒されながら、この映画の中で一つだけ納得のゆかないところがあった。「ネタバレ」になってしまうので、多くは言えないが、暴行犯があまりに意外だった。なぜ、あのような人にそんなことができるのだろう、もっと別の人物像の犯人のほうがよかったのにと思っていた。

が、ふと気づいた。もしかしたら、あの犯人は冒頭に崩れそうになっていたアパート、つまりは古きイラン社会そのものではないのか、抑圧的で暴力的で、しかし本人たちはいたって善良な従来のイラン。そう思えば納得できる。

私は映画としては、「別離」や「ある過去の行方」のほうに感動した。「ある過去の行方」は涙を流してみた記憶がある。「セールスマン」に関しては、むしろ監督の手腕に圧倒された。そして、語られなかったことがらについて考えさせられた。

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パナヒ監督とトルナトーレ監督の数本の映画DVD

 大学をやめたら時間を持て余すだろうと思っていたのだが、いつまでたっても暇にならない。5月初めまでは本の締め切りに追われていたし、その後は東進ハイスクールでの収録の準備や講演などで忙しかった。しかもその間にブータン旅行をしていた。先週あたりからやっと締め切りに追われなくなって、映画やオペラの映像を見る時間が取れた。

 イランのジャファル・パナヒ監督とイタリアのトルナトーレ監督の映画を数本みたので感想を記す。


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ジャファル・パナヒ監督「これは映画ではない」 2011年

 京都でたまたまこのパナヒ監督の「人生タクシー」をみて、関心を持った。これは「人生タクシー」よりも前の作品。イランで反体制的な映画を作ったかどで逮捕され、映画製作禁止を言い渡され、控訴審の判決を待っている間の監督自身の状況を描いている。映画撮影が禁じられているために、カメラはマンションから一歩も出ない。ほとんどがパナヒ監督の室内。登場人物も監督自身のほかには撮影する友人と、最後ごみを集めに来る学生くらい。ただ、映画を撮れずに室内でシナリオを読んだり、煩悶したりする監督を追いかけただけの映画。なるほど、「これは映画ではない」と当局に申し開きできるかもしれない。

しかし、そのような八方ふさがりながら、このような映画を撮ることによって現状を生々しく描いている。その力量たるやすさまじい。ただ、おもしろかったかといわれると、それほど楽しんだわけでも感動したわけでもない。

 

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ジャファル・パナヒ監督 「チャドルと生きる」 1995年

 「人生タクシー」「これは映画ではない」よりも前にパナヒ監督が作った、これはいわば世界への出世作。一言で言えば、イラン社会で女性として生きることの苦しみを描いているといってよいだろう。

生まれた子供が女の子ということでみんなが落胆する場面に始まり、映画は刑務所を脱獄して来たらしい三人の女性を追いかけながらイラン社会を描いていく。戦後イタリアのネオ・リアリスモ映画を思わせるところがある。演じている人たちのほとんどが素人らしい。だが、イタリア映画以上にリアリズムに徹している。

脱獄した女性たちの人生をドラマとして描くのではなく、一人の撮影者=監督が脱獄した三人を追いかけるうちに、そこにかかわった別の女性へと関心を移し、今度はその女性を追いかけるというように進行していく。しかも、登場するのが、あまりきれいでない女性たちであり、刑務所仲間の女性たちが中心であるだけにいらついていたり、禁煙の場所でタバコをほしがったりするので、見ているものは感情移入できない。監督は情緒に訴えるのではなく、もっと突き放してイラン社会の真実を見つめようとしている。

女性たちがどのような罪を犯したのか、なぜ、どのように脱獄したのかは明かされない。が、女性たちのおかれている状況を見ていると、おそらくほかの社会では罪とみなされないようなことで罪を問われたのだろうと推測される。

決して好きな映画ではないが、かなり衝撃的な映画だ。

 

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ジュゼッペ・トルナトーレ「海の上のピアニスト」 
1998

「ニュー・シネマ・パラダイス」のトルナトーレ監督の映画。「ニュー・シネマ・パラダイス」はとてもおもしろかったが、私の好きな作風の監督ではないと勝手に思い込んでこれまで敬遠してきた。

豪華客船の中で育ち、世界の名手としてのピアノの腕を持ちながら、船の中で演奏するだけで、一度も陸に上がらなかった男の物語。以前、テレビで見た記憶がある。前にみた時も思ったが、私はどうもリアリティを感じない。まずこんなピアノの技巧を自己流で身に着けられるわけがないだろう、というきわめて現実的な疑問を抱いてしまう。それに、陸に上がらない名ピアニストという設定に人生の深みをあまり感じない。そして、トランぺッターを狂言回しにした物語展開も古臭い気がする。よくできた映画だと思うが、私はそれほどの名画とは思わない。

 

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ジュゼッペ・トルナトーレ 「マレーナ」 
2000

同じトルナトーレ監督の映画だが、これは名作だと思った。

 シチリアの小さな町でとびっきりの美人で色気たっぷりのマレーナ(モニカ・ベルッチ)。町中の男が欲望を抱き、主人公の少年も憧れる。少年から大人になろうとしている若者の目を通して、イタリアの第二次世界大戦への参戦から戦後までのシチリアの状況を背景に、時代に翻弄されるマレーナの姿を描く。ファシスト政権、その敗北、ドイツによる占領を経て連合軍を歓迎するという、イタリアの歴史的経緯のままに流される庶民、男心をそそる女性に嫉妬する女たち、それに抗して孤高を守ろうとしながらも、夫の戦死の報によって身を滅ぼしてしまう女性、女性に欲情しながら見守る少年。ユーモア交じりに語られるが実にリアル。戦死とされていた夫が帰還し、最後には誇り高く生きようとする夫婦の姿も感動的。トルナトーレ監督の語り口のうまさに圧倒された。

 それにしても、モニカ・ベルッチはすばらしく「いい女」! その昔、イタリアのどこかの町(たぶんローマのどこかだと思う)で2階のレストランから外を見下ろしていたら、マレーナのような「いい女」が歩いてきた。その近くにいたイタリア男たち10人ほどがその女性にすぐに気づき、次々と5人ほどが近寄って声をかけ、「ナンパ」していた。話には聞いていたが、イタリア男は本当にそのように行動するのに驚いた。映画の中の場面は必ずしも大げさな表現ではないのだと思う。

 

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トルナトーレ監督 「題名のない子守唄」 2006年

「マレーナ」に続いて、これもとてもおもしろかった。ただ、見ていてちょっと辛い。「マレーナ」はヒロインのマレーナの人生はかなり辛くても、ユーモラスなタッチと、マレーナを見つめる少年の存在に救いがあるが、「題名のない子守唄」はずっと深刻な状況が続く。しかも、息を詰めるようなサスペンスもある。これまで見たこの監督の映画とかなりタッチが異なる。とはいえ、それぞれの場面が実にリアルで、監督の語り口があまりにみごとなので、ぐいぐいと引き込まれ、ヒロインのイレーナにいやおうなしに感情移入させられる。ラストシーンではかなり感動した。

 性の奴隷として地獄のような日々を送ったウクライナ女性イレーナが生き別れた自分の娘を探してイタリアに来て、何とか娘のそばで暮らそうとする。イレーナを演じるクセニア・ラパポルトがとても美しく、とても魅力的。演出力でもトルナトーレ監督の手腕は素晴らしい。

 

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トルナトーレ監督 「鑑定士と顔のない依頼人」 
2013

 アッという結末が待ち受けているとのことなので、期待してみたが、かなり予想通りの結末だったので、ちょっと拍子抜け。しかも、いくらなんでも無理があるような気がする。

 とはいえ、さすがトルナトーレ監督。主演のジェフリー・ラッシュも、主人公の友人役のドナルド・サザーランドも実にいい味を出している。映像も魅力的で、最後まで引き付けられてみる。また、屋敷の向かい側にあるカフェで聞こえてくる数字の羅列が最後に意味を持ってくるところなど、語り口の巧みさには脱帽。

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河瀬直美監督「光」とソンタルジャ「草原の河」 「光」に涙した!

 河瀬直美監督の「光」をみた。素晴らしいと思った。カンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得できなかったが、河瀬監督の最高傑作の一つだと思う。

前作の「あん」と同傾向の映画といえるかもしれない。

 かつての父の失踪という苦い思いをもつ女性(水崎綾女)が、障害者のモニターの協力を得て新作映画の視覚障碍者向け音声ガイドを作成しようとしている。ところが、かつてカメラマンとして活躍しながら目の病に冒されて、失明寸前の状態にある男性(永瀬正敏)が女性の作るガイドに不満を漏らす。それを契機に二人の触れ合いが深まり、対立をしながらも惹かれ合っていく。そして、最後には見事な音声ガイドが完成する。

大まかにはそのようなストーリーだが、まず河瀬監督のドキュメンタリー的な演出が素晴らしい。あまりに日常的で、あまりにリアル。そして、女性が故郷に帰るごとに描かれる、まるで精霊でも宿っているかのような木々、森などの自然。そして、生命そのものを宿すかのような光。その描き方に感動を覚える。

 この映画のテーマはタイトル通りに「光」だと思う。視覚的な「光」を失ってしまった男性が過去を振りほどき、未来に向かって生命の光を取り戻そうとする。それが、新作映画のラストシーンの音声ガイドを作ろうとして苦労し、やっと「光を浴びている」という言葉を見出す女性の状況と重なる。ともに自然の中の精霊の宿る光を見出そうとしている男女がすれ違いながら、最後に重なり合う。男性が女性の顔をいじりまわす場面に私は涙した。

 二人の主人公が心の動きを自然に表現している。実に魅力的。そして、作中で取り扱われる新作映画の主演と監督の役を演じる藤竜也の演技もあまりに自然で感動的。音声ガイド作成のリーダー役の神野三鈴も魅力的。そのほか、きっと素人と思われる視覚障害の方たちの語り、表情もなんと生き生きとしていることだろう。

 自然の中に聖なるものが宿り、その聖なるものが利己的でありながらも生を懸命に求めている一人一人の人間に分け与えられている。そのような河瀬監督の世界観が、かつての映画のように真正面からではなく、人間ドラマとして語られる。大いに感動した。

 ただ、不満だったのは私が見た新宿バルト9の音量。以前、何かの映画を見たときにも感じたが、あまりに音量が大きい。耳をつんざくような音。以前の経験を覚えていたので耳栓を持参した。この映画館は耳栓なしでは、私には耐えがたい。なぜほかの人はこんな大音量に耐えられるのか、日本人はそれほど音に鈍感になってしまったのかと嘆きたくなる。

 

 岩波ホールでチベット映画「草原の河」をみた。チベット人の監督ソンタルジャの作品。父親が行者になって(おそらく若いころ、中国政府の強制によって僧でいられなくなり、その後、許可されたために再び僧にもどったということだろう)母の死に目にも会おうとしなかったことを許せずにいる男とその妻子を中心とした物語。父親に対するわだかまりから、自暴自棄になり、周囲の反対を押し切って冬のうちから夏場の牧草地に行き、妻子を巻き込んで羊の世話を始める。6歳の子どもの演技が光る。チベットの大自然の中でのテント生活の過酷な日常が描かれる。映像美とゆっくりした時間は心地いい。

 とはいえ、実は私は男の後先を考えない行動にも、子どもの無邪気な行動にもあまり共感できなかった。ラストに語られるクマのぬいぐるみについての子どもの語りも少々陳腐に感じた。私のこれまで経験、そして現在の生活実感からはあまりに遠い。映像美とチベットの生活の描写に惹かれながらも少々退屈した。

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