映画・テレビ

映画「沈黙」「1911」「イラクの煙」「バビロンの陽光」

 9月の最終週から非常勤講師としての大学の授業が始まるが、それまでは夏休み。コンサートに行く以外は、自宅で原稿を書いている。そして、疲れたら休憩して、DVDで映画やオペラを見る。何本か映画DVDをみたので感想を書く。

 

「沈黙」 篠田正浩監督 1971

 先日、スコセッシ監督の「沈黙」をDVDでみた。久しぶりに、封切当時にみて大いに感動した篠田正浩監督の「沈黙」をみたくなって、DVDを入手した。

篠田監督は私の大好きな映画監督だった。「心中天網島」「はなれ瞽女おりん」「瀬戸内少年野球団」「少年時代」は日本映画史に残る名作だと思う。

 あらためてみて「沈黙」も素晴らしいと思った。私はスコセッシ監督作よりもこちらのほうが好きだ。神の沈黙と人間の性(さが)の相克をこちらのほうが強く抉り出していると思う。そして、マコ石松の演じる下品で一癖もふた癖もありそうなキチジローの描き方がみごと。奉行役の知的な岡田英二もいい。岩下志麻の存在も大きい。あまりに美しく、あまりに無残。最後の場面は衝撃的だ。それに、スコセッシ監督の映像と異なって、背景がしっかりと日本の江戸時代になっている。

 フェレイラを演じるのが丹波哲郎。今回みて、封切時に違和感を覚えたのを思いだした。封切時ほどではなかったが、今回みても、やはり少々無理があると思った。丹波哲郎は好きな役者だし、「第七の暁」という映画(私は中学生のころにこの映画を見て、いっぺんに丹波ファンになったのだった!)や「007は二度死ぬ」で見事な英語を耳にした。しかも、確かに日本人離れした容貌ではある(「第七の暁」では、確かベトナム人青年を演じていた)。当時の日本の低予算映画では、これほどの演技のできる外国人俳優に出演させることは資金的に難しかったのだろう。

 

「1911」 チャン・リー監督 ジャッキー・チェン総監督

 辛亥革命を描く「アクション・スペクタクル巨編」。昨年、広州に行った際、孫文を記念する博物館に行ったが、辛亥革命について知識がないことに思い当たってネットをみているうちにこの映画DVDを見つけた。広州から帰ってすぐに購入したのだったが、ようやく見た。孫文の片腕となって戦闘を率いた黄興(ジャッキー・チェン)の活動を描く。

 とはいえ、歴史と人物をくっきりと描けているとは言い難い気がする。特に孫文にも黄興にも感情移入することなく、ただ歴史の表面を知っただけで終わってしまった。

 

「イラクの煙」 アウレリアーノ・アマディ監督 2010

 2003年、イラク戦争の現場でイタリア軍が攻撃され、多数の死傷者が出る事件があったという。ノンフィクション映画撮影のために訪れていたイタリアの監督や助手も巻き込まれた。奇跡的に生き延びた映画助手アウレリアーノ・アマディが後日、実際の自分の体験を映画化したのがこの作品だ。愛煙家であるアマディがイランで20本しかタバコを吸わないうちに被害に遭ったことから、原題は「20本のタバコ」となっている。

 実体験に基づいているだけあって、被害に遭った後の場面は驚異的なリアリティだ。突然爆撃された人間はきっとこのような意識を持ち、このように感じるだろうと納得する。とぎれとぎれの映像に迫力がある。ただ、私はどうもこの主人公に感情移入できないし、イラクの状況、世界の状況をえぐっているとは思えない。いくつもの映画祭で高い評価を得たとのことだったが、私はあまり面白いとは思わなかった。

 

「バビロンの陽光」 モハメド・アアルダラジー監督 2010

 イラク人監督による映画。サダム・フセイン政権崩壊の3週間後、クルド人の老女が孫とともに行方不明になった息子(つまり、孫の父親)を探しまわるロードムービー。トラック運転手、タバコ売りの少年、クルドの村の破壊に加わった元兵士たちと出会いながら息子を探すが、刑務所にも墓場にも結局見つからない。最後、トラックの中で老婆は死に、孫が一人残される。

 フセイン政権崩壊後のイラクの状況はこの通りだったのだろう。町は崩壊し、フセイン政権によって殺害された人々の遺体が掘り起こされている。人々は刑務所や墓場に息子や夫を探しまどう。孫と男の子を中心に据えて、このようなイランの状況を描いている。当時のイランの人たちの苦しさが伝わってくる。

 子どもが中心の一人であることから、お涙頂戴の映画なのかと思っていたが、そうではなく、かなり客観的に子供たちの置かれた状況を描いている。ただ、これまで見てきた戦後映画と大差ないような気もしないではない。

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ジャームッシュの映画「パーマネント・バケーション」「ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ダウン・バイ・ロー」「ミステリー・トレイン」「ナイト・オン・プラネット」

 原稿の締め切りの谷間にあたる。来週からまた気合を入れて原稿を書かなければならないが、今は少しゆっくりしたい。そんなわけで、数日前から、仕事の合間合間にDVDで映画を見ていた。邪道かもしれないが、20分か30分映画を見て、仕事にかかり、仕事に疲れたら、続きを見る・・・というふうにしている。

先日、「パターソン」を映画館で見て、ジム・ジャームッシュに強く惹かれたので、初期の5本を見てみた。簡単な感想を書く。

 

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「パーマネント・バケーション」 
1980

 大学院での卒業制作映画とのこと。ゴダールの影響を強く感じる。主人公二人がアパルトマンで話すところなど、「勝手にしやがれ」のベルモンドとジーン・セバーグを思い出す。「マルドロールの歌」が読まれたり、サックス吹きのエピソードが唐突に現れたり。ベトナム戦争の傷跡というテーマまでもがゴダール風。しかし、風景も感性もアメリカらしい。「永遠の休暇(バケーション=空っぽ)」を強く感じさせる。

 

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「ストレンジャー・ザン・パラダイス」 
1984

 モノクロ映画だが、今見ても実に斬新。ニューヨークに住むハンガリー出身の青年ウィリー。狭いアパートにハンガリーから来たばかりの従妹エヴァを10日間預かることになる。初めはぎくしゃくするが、じょじょに親しむようになる。10日が過ぎてエヴァは去った後、ウィリーはぽっかりと心に空虚を感じるようになる。1年後、いかさまポーカーで儲けた金をもって友人エディーとエヴァの住むクリーブランドを訪ねるが、寒さに耐えかねて三人でフロリダをめざす。が、二人の男はドッグレース金をすってしまい、エヴァはふとしたことで犯罪がらみのお金を手に入れて、ブダペストへの飛行機に乗ろうとするが、結局、三人がバラバラになってすれ違いになりそうなところで終わる。

 ストレンジャー、すなわち「よそ者」、フランス語で言えばエトランジェ(異邦人とも訳せる)。心の空虚、心のすれ違い。場面が終わるごとに画面全体が暗くなって暗転。音楽で言えば、ブルックナー終止のような雰囲気。ぶつ切れの唐突さを感じる。そこがまたいい。

 

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「ダウン・バイ・ロー」 
1986

 もとDJザック(トム・ウェイツ)とチンピラのジャック(ジョン・ルーリー)、イタリア男ボブ(ロベルト・ベニーニ)の三人が、ひょんなことから罪を犯し、同じ刑務所に入り、脱獄に成功する話。軽妙でユーモアにあふれているが、人生の寂しさ、生きる悲しさ、孤独を映像や役者たちの仕草、カメラワークにひしひしと感じる。モノクロの映像はとても美しい。フェリーニの初期の映画を思い出す。が、もっと静謐で静かなユーモアがある。内向的で洗練された独特の世界。大傑作だと思う。

 ベニーニがいい味を出している。ザックとジャックというよく似た二人の対称性を際立たせ、道化の役割を果たして、物語を推進している。

 

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「ミステリー・トレイン」 
1989

 テネシー州メンフィスでの出来事。エリヴィス・プレスリーのゆかりの街であるメンフィスを列車で訪れた日本人カップル(永瀬正敏と工藤夕貴)と、夫を亡くしたばかりのイタリア人女性、メンフィスに住む男達のグループの三つのエピソードから成るオムニバス映画。それぞれがエルヴィス・プレスリーとかかわりを持ち、それぞれすれ違いながら同じ晩に同じホテルに泊まる。

三つのエピソードの重なり具体が実におもしろい。そこに人生の絡みを感じ、やるせない人生を感じ、人間の孤独を感じる。しかし、それが少しも重くならず、深刻にもならない。当たり前のことのように孤独があり空虚がある。考えてみれば、それこそが人生なのだろう。これもまた傑作だと思った。

 

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「ナイト・オン・ザ・プラネット(原題 ナイト・オン・アース)」 
1991年 

 ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキのそれぞれ同じ時間にそれぞれの地域のタクシー運転手の体験を描いている。5つのエピソードによるオムニバス映画。

いずれも皮肉な視点から人生の機微を描いている。映画スターへのスカウトを断るロサンゼルスの女性運転手のエピソードとサーカスの道化をしていたドイツ人のニューヨークの新米運転手のエピソード、そして、ヘルシンキの不幸な運転手のエピソードが私はとてもおもしろかった。

 ヘルシンキのエピソードが特徴的だが、子どもの死という不幸な話でも、ジャームッシュは登場人物に密着しすぎない。クールに人間を描く。だからこそ、いっそう登場人物の心の中の空虚がリアルに感じられる。淡々とドライに抒情を描くとでもいうか。

 有名俳優が次々と出演する。とはいえ、封切り当時はそれほど有名ではなかったのかもしれない。ハリウッド映画と異なって、等身大の人物を俳優たちは演じている。そのような演出に圧倒される。

 

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映画「エル Elle」と「ダンケルク」

 2本の新作映画をみたので、感想を書く。

 

「エル Elle」 ポール・バーホーベン監督

 最後まで面白く見たが、実をいうとしっくりいかなかった。もうひとひねりあるのかと思っていた。私の主観的な印象から言えば、中途半端で終わった気がした。結局何が言いたかったんだろうと思った。

 ゲーム会社を経営しているかなり年配のきれいな女性ミシェル(イザベル・ユペール)が覆面をした男にレイプされる。女性はかつて大量殺人をした男性の娘なので警察不信であるため、警察に届けずに自分で犯人探しをする。そうする間に、会社内部や近隣住民の人間関係が浮き彫りになってくる。「ネタバレ」を避けて語るとこういうことになるだろう。

 登場人物の全員がフィクションとしての愛を生きている。金だけでつながっていたり、誤解でつながっていたり、思い込みでつながっていたり。そこに宗教が大きな意味を持つ。ミシェルの父親が大量殺人を犯したのも宗教的な思い込みが原因だったらしい(ただ、映画を一度見ただけでは、そのあたりのことはよくわからなかった)し、レイプ犯が暴力的な形でしか愛をかわせなくなっているのも宗教に原因がありそうなことがほのめかされる(レイプ犯は割礼されているらしいが、レイプ犯の妻は間違いなくその宗教ではない)。

ミシェルがレイプされたのをきっかけに嘘をつくのをやめて本音で生きようとしたことによってあれこれの真実があぶりだされる。そのような状況を監督は描きたかったのだろうか。

 離婚をし、次々と愛人を変え、元夫婦が二人の間の子どもとかかわるときに顔を合わせてそれなりに付き合っていく。自分の子どもと思っているのが別の男との間の子供であることも珍しくない。友人のパートナーとも性的な関係を結ぶ・・・。映画の中で描かれるそのような状況は、必ずしも非現実的なことではなく、フランスでは日常的なことなのかもしれない。この映画は、そうした社会での愛のあり方をえぐり、愛が脆弱なフィクションから成っていることをあからさまにしている。

 

「ダンケルク」 クリストファー・ノーラン監督

 第二次大戦初期、ドイツ軍の攻撃によってフランスとイギリスの軍隊はダンケルクの海岸に追い詰められてイギリスへ逃走するしかなくなる。ところが、軍に使える船では40万人の兵士のうち3~4万人ほどしか運べない。その時、イギリスの漁民が危険を顧みずに立ち上がり、自分たちの漁船を使って兵士を運んで、多くの兵士を救出する。有名な実話だ。

ダンケルクを題材にした映画を以前見たことがある。今回もそんなものかと思ってみにいったらこれは素晴らしい映画だった。

 映画が始まってすぐ、「陸1週間  海1日  空1時間」というクレジットが出る。初めは何のことかわからないがフランスでドイツ軍に攻撃されて逃げ惑う陸軍の兵士たちを扱う「陸」のエピソードと、漁船を出してイギリス・フランスの兵士を助けようとする海の男たちを扱う「海」のエピソード、そして、空軍の3人のパイロットを扱う「空」のエピソードが交互に描かれていることがわかってくる。この映画は一つの時間軸で描かれているのではなく、「陸・海・空」がそれぞれ別の時間軸で描かれている。「陸」編はドイツ軍に追われて敗走し、イギリス本土に逃げようとした船を待ちながらも爆撃を受ける絶望的な1週間の陸軍の動きを追いかける。「海」編は、英仏軍の窮地を知って船を出す漁民の一日を追う。「空」編はダンケルクに軍を助けに行く空軍の1時間を追う。

クライマックスの部分で三つのエピソードが重なり合う。そこで高揚を味わうように作られている。以前に起こっていたことが、別の視点から描かれることも何度かある。こんな時間軸の映画をこれまで見たことがなかった! 感服!

 登場人物の描き方にも恐れ入った。「陸」編では、逃げることに必死の若い兵士、「海」編は英雄的に立ち上がる民間人、「空」編は英雄的な軍人が中心的に描かれる。しかし、いずれもが突出した人間ではなく、その場にいた全員が同じように行動しただろうことを納得させられる。それぞれの編で一人の人物に焦点を当て、一人一人の心の中まで描かれるが、その場にいた多くの人がおそらく同じようない気持ちを抱いていただろう。

 すべての場面で必死感が伝わり、観客もまたいつ爆撃されるかわからないという危機感を共有し、しかも端役に至るまでの人物の行動(とりわけ、海編)に説得力がある。

 ドイツ軍の姿が一切描かれないのも見事。彼方から爆撃され、戦闘機がやってきて攻撃される。わけもわからず、理不尽に攻撃される兵士の置かれた状況がよくわかる。また、音、そして音楽の使い方のうまさにも驚いた。少々いきすぎな気がしないでもないが、恐怖や脅威を感じさせる音楽や音が充満する。CGは一切使っていないという。

 兵士たちは、敗走したために世論にひどく非難されていると覚悟していたのに、むしろ生きて帰ったことを国民は大歓迎する。人命を大事にし、そうであるがゆえに故国を守ろうと多くの人が立ち上がる国の偉大さ(当時のドイツや日本との違い)を印象付ける。

 私はミニシアターで上映される「芸術映画」のたぐいを見ることが多いのだが、娯楽超大作の質の高さも改めて実感したのだった。

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映画「危険な関係」「沈黙 サイレンス」「暗殺のオペラ」「ボーダレス」

 DVDVHSで映画を何本かみた。感想を書く。

 

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「危険な関係」 
2003年 フランス ジョゼ・ダヤン監督

 ラクロ原作によるテレビ映画。監督はジョゼ・ダヤン。時代は1970年代(?)に移されている。このブログにも書いた通り、ヴァイオリニストのパパヴラミの自伝を読んで、この映画の存在を知った。

「危険な関係」は45年ほど前に一度、翻訳で読み、その後、フランス文学を勉強していたころに、フランス語でほんの一部を読んだことがある。とてもおもしろいと思ったが、詳細はまったく記憶にない。映画を見て、改めておもしろいと思った。悪の権化のような男女が理性によって人々の感情をコントロールしようとして自滅してしまう物語とでもいうべきか。映画を見ながら、その昔、二人の悪の魅力にしびれたことを思い出した。

 メルトゥイユ夫人をカトリーヌ・ドヌーヴ、ヴァルモンをルパート・エレヴェット、そのほかにナスターショ・キンスキー、ダニエル・ダリュー、リリー・ソビエスキーが出演するという超豪華キャスト。それにまじって、パパヴラミがダンスニーを演じている。上手な演技とは言えないが、メルトゥイユ夫人とヴァルモンに手玉に取られる実直なヴァイオリニストをきちんと演じている。バッハの無伴奏パルティータやパガニーニのカプリースやブラームスのコンチェルトを弾いている場面がいくつもある。パパヴラミはこれ以外には映画に出演していたらしいのが残念。

 そういえば、「クレーヴの奥方」も「マノン・レスコー」も「アタラ」「ルネ」も40年以上前に読んだっきりだ。老後の楽しみにと思っていたので、そろそろ読み返したくなった。

 

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「沈黙 サイレンス」 マーティン・スコセッシ監督 

 封切時に映画館で見ようと思っていたが、時間が合わなかった。1970年代に遠藤周作の原作を読んだ。その数年後、篠田正浩監督の映画「沈黙」もみた。そして、今度のスコセッシ監督の映画。

 初めのうち、少し違和感を抱いた。日本の農民たちが髷を結っていない! 何人かの日本人がたどたどしいとはいえ英語を話す! ここでの英語はポルトガル語とみなされるものであるにせよ、かなり違和感がある。明らかに西洋から見た「沈黙」にほかならない。日本が舞台のはずなのに日本とは思えない、そんな映画が多いが、それと同じ印象を受ける。

 初めのうち、キチジローを演じる窪塚洋介がハンサムすぎるのにも違和感を抱いた。が、みていくうち、おそらくキチジローとロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)とフェレイラ神父(リーアム・ニーソン)がそれぞれ分身をなしているのだと気づいた。だったら、キチジローも二人の西洋人に負けないほどのイケメンである必要がある。

後半はなかなかの迫力だった。「苦しみを引き受けて、棄教することこそがキリスト者の生き方ではないのか」というテーマが重くのしかかる。ロドリゴがキチジローと頭を重ね合う場面は感動的だった。

とはいえ、篠田正浩監督の「沈黙」を見た時の感動はもっと大きかった記憶がある。ロドリゴの苦悩がもっとひしひしと伝わってきた。神の沈黙というテーマも一層リアルだった気がする。篠田監督のDVDをさがしてみよう。

 

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「暗殺のオペラ」 
1970年 ベルナルド・ベルトルッチ監督

 オペラ演出家の三浦安浩さんにすすめられてみた。1970年代の封切時に見たつもりでいたが、どうやら勘違いだったようで、今回初めてみた気がする。今見ても、衝撃的。原作はボルヘス(確実に読んだはずだが、内容を覚えていない)。

 反ファシストの英雄だった父親が暗殺された町を訪れた青年。父に縁のあった人々が現れ、過去と現在の交錯する異世界へと導かれる。そうして、町全体を舞台にした壮大なフィクションが真相として浮かび上がってくる。

 ストーリーもとてもおもしろいし、映像も美しい。美術作品のような映像が続き、主人公とともに観客も異世界に入りこむ。オペラ劇場で「リゴレット」上演中に父親が殺されたという設定なので、「リゴレット」などのヴェルディのオペラが流れる。そして、シェーンベルクの室内交響曲第2番が異世界を描く音楽として用いられている。私は高校時代、この曲が大好きでよく聴いていた。今でも、ほとんど唯一の私の好きなシェーンベルクの曲だ。ベルトルッチの音楽的センスにも脱帽。素晴らしい映画だと思った。

 

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「ボーダレス ぼくの船の国境線」 アミールフセイン・アシュガリ監督 
2015

 イラン映画の傑作だと思う。

 イランとイラクの国境付近で暮らすイラン人少年。どうやら孤児らしい。国境付近の廃船をねぐらにして魚を取り、装飾品を作って生活している。ところが、そこにイラク人少年兵が入りこんでくる。初めは場所争いをするが、少年兵と思えたのが実は少女であり、赤ん坊を育てていることがわかる(その赤ん坊が少女のきょうだいなのか子どもなのかは最後まで明かされない)。少年はいつのまにか少女と一緒に赤ん坊の面倒を見るようになる。ところが、そこに今度は米兵が現れる。少年たちは米兵を捕らえて部屋に閉じ込めるが、悪い人間ではないとわかって解放し、赤ん坊を含む4人で生活するようになる。だが、数日後、少年が船を離れて戻ってみると、船は荒らされ、3人の姿は消えていた。

 イランとイラクは戦争状態にあり、アメリカはイラクを攻撃している。つまり、イラン人、イラク人、アメリカ人が廃船の中で対峙するということは、被害者、加害者を成す三人が顔を合わせたことになる。しかも、三人はそれぞれ言葉が通じない。その三人がたまたま同じ場に居合わせて心を通じ合わせるようになる。しかし、無残な結末に終わる。

ある意味で実にわかりやすい図式を描いているが、人物それぞれが置かれた不遇な状況の中で必死に生きている様が伝わってくるのでリアリティがある。米兵が赤ん坊をあやす場面はとても感動的だった。

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映画「ペルセポリス」「チキンとプラム」「彼女が消えた浜辺」「別離」「ある過去の行方」

 急ぎの仕事がないため、久しぶりにゆっくりしている。イラン出身の監督の映画を数本みたので、感想を書く。

 

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「ペルセポリス」 マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・バロノー共同監督 
2007

 イラン出身の女性マルジャン・サトラピの漫画をもとに、サトラピとヴァンサン・バロノーが共同監督して完成させたアニメ。とてもおもしろかった。イランの上流階級の家庭に生まれたマルジャンが息苦しさに耐えられず、オーストリアに留学、そこで挫折していったんイランに戻るが、再び出国してフランスに移り住むまでを描く。

パーレビ国王時代の圧政、その崩壊、民主化されると思われたところに起こり、いっそう抑圧的な社会になっていったイラン革命が、マルジャンの目を通してユーモラスに、そして鋭く描かれる。子どもの目を通すことによって、マジック・リアリズムとして戯画化しながら深刻な社会状況を描くことができる。しかも、ういういしくて茶目っ気があって、素直なマルジャンがとても魅力的。なんと、フランス語版の声はカトリーヌ・ドヌーヴやダニエル・ダリュー、そしてキアラ・マストロヤンニが担当している! 

 

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「チキンとプラム」 マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・バロノー共同監督 2012年

 「ペルセポリス」に続いて、同じ二人によって作られた実写の映画。中東のどこかの国に住む天才ヴァイオリニスト(マチュー・アルマリク)が横暴な妻(マリア・デ・メディロス)にヴァイオリンを壊され、死ぬことを決心して実際に死ぬまでの8日間の出来事を漫画的に描く。死を決意する少し前にたまたま街で出会った女性イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)が、実はかつて熱烈な恋をした女性だったこと、街で出会ったときに孫を連れていたのでヴァイオリニストを覚えていないと答えたが、実はずっと思い続けていたことが明らかになる。

 他愛のない恋愛ドラマだが、メルヘン風、漫画風でとてもおもしろい。「アメリ」を思い出す作風。ヴァイオリニストの母親役をイザベラ・ロッセリーニ(なんてったって、ロベルト・ロッセリーニの娘!)、成長後の娘の役をキアラ・マストロヤンニ(なんてったって、ドヌーヴとマストロヤンニの娘!)が演じている。華麗なる二世女優の共演!

 

「彼女が消えた浜辺」  アスガー・ファルハディ監督 2009年

 先ごろ、「セールスマン」でアカデミー賞外国語賞を獲得したファルハディ監督の2009年の映画。23年前だったか、DVDでこの映画をみたが、もう一度みたくなった。改めて素晴らしいと思った。

 イランの大家族が車でカスピ海沿岸の避暑地に向かう。リーダー格の女性セピデ(ゴルシフテェ・ファラハニ)が最近知り合った女性エリを大家族の中の男性に紹介するために仕組んだバカンスだった。ところが、エリは海辺で行方不明になる。そこにいた誰もエリについて何も知らなかったこと、全員の善意が空回りしていたことがわかってくる。それぞれの立場で考える人全員にそれなりの言い分がある。どれも正しい。しかし、家族は言い争いをはじめ、エリの状況がわかるにつれて混乱してくる。

 ずっと昔のアントニオーニ監督の「情事」を思い出した。主人公と思われた女性が孤島で行方不明になり、それを探す様子が映画の中心に描かれるが、最後まで女性の行方はわからない。見ているものは心の中に空虚を残すことになる。それと同じような雰囲気がある。女性がいなくなって、人間存在のあやふやさが浮き彫りになっていく。人間てなんだ? 人間関係てなんだ? という根底的な疑問が湧きあがってくる。同時に、イスラム社会独特の問題点も見えてくる。

 最初にみた時、登場人物の顔の区別ができずに困ったが、今回見直して、やっと識別しながらみることができた。異世界の映画の登場人物を識別するのは難しい!

 

「別離」 アスガー・ファルハディ監督 2011

 同じファルハディ監督の作品。これも、正真正銘の名作。

テヘランの中流階級の夫婦の別離の物語。みんなが少しずつ嘘をつき、みんながそれぞれの言い分を持っている。誰かが悪いわけでもない。みんながよかれと思って行動するが、徐々に深みにはまっていく。相手のことを思いやりながらも、他人に責任を押し付け合う。人間としての性(さが)があり、イスラム社会の宿命があり、それぞれの社会的役割があって、どうにもならない。徐々に真実が明らかになり、人々の関係に深淵が広がっていることがわかってくる。それをサスペンス・タッチでスリリングに描いていく。子どもを含めたすべての登場人物があまりにリアル。特典映像で監督自身が語る通り、ドキュメンタリー風のリアルな演出、出来事を観客に想像させる作風。それが見事。まったく無駄がない。

それにしても、イラン社会の男女関係は私がこれまで思っていたものとはかなり異なる。ほとんど、日本と変わらないのではないかとさえ思える。「妻」は日本の我が家と同じように夫を振り回しているし、自分から離婚を申し出ている。かなり自由に見える。イラン社会の女性はどういう地位にあるのか。それに、テヘランの都市も、女性がスカーフをしていることを除けば、アジアの都市と大差ないように思える。一度、イランにも行ってみたくなった。

 

「ある過去の行方」 アスガー・ファルハディ監督 2013年

 私が劇場で最初に見たファルハディ監督の映画がこれだった。これに感動して、私はこの監督の大ファンになったのだった。改めてみてみたが、やはり圧倒的。「彼女が消えた浜辺」「別離」「セールスマン」も素晴らしいが、この「ある過去の行方」は別格。

 元の妻マリー・アンヌ(ベレニス・ベジョ)に求められて、イラン人の男アーマド(アリ・モッサファ)が正式に離婚をするためにイランから久しぶりにパリに戻ってくる。ところが、元妻は別の男サミール(タハール・ラヒム)と再婚しようとしていた。そして、マリー・アンヌの連れ子リュシーは母親の新しい夫を拒絶している。アーマドが現れたことによって、それまで隠されていたことが次々とあらわになり、人間関係の真実が見えてくる。

 心理サスペンスとして、実におもしろい。ハラハラドキドキの展開。まるでピランデッロの戯曲のように、真実があやふやになってくる。それぞれの人物の抱える問題がリアルで、それぞれに真実がある。一人一人に悪意はない。幸せでありたいと願い、周囲を幸せにしたいと願っている。だが、ちょっとしたエゴが混じるために、関係全体が歪んでくる。そのような人間の真実が真正面から描かれる。パリで暮らすイラン人の置かれている状況も垣間見える。

ベートーヴェンの交響曲が一つ一つの音のゆるぎない組み合わせから成っているように、ファルハディの映画も一つ一つの画面の緊密な構成によって成り立っている。私は一つ一つの画面の色、登場人物の動き、表情、セリフの見事さに酔う。子どもたちの表情の自然さにも驚嘆する。

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ゴバディ監督の映画 「サイの季節」「酔っぱらった馬の時間」「わが故郷の歌」「亀も空を飛ぶ」「ペルシャ猫を誰も知らない」に圧倒された

 ものすごい映画監督を初めて知った。バフマン・ゴバディというイラン出身のクルド人監督。イラン映画を何本か見ていくうちに、「サイの季節」をみて、とてつもない映画だと思った。ゴバディ監督の映画をたて続けに見た。どれも素晴らしい。世界の名匠の一人だと思った。感想を書く。

 

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「サイの季節」 2012年

 冒頭からあまりの映像の美しさに圧倒された。ポエジーにあふれている。すべての画面の映像美に酔いしれる。私がこれまで見たすべての映画の中のベストテンに入るかもしれない。

 セリフが少ない。少ないセリフから何が起こっているのかを推測するしかない。しかも、どこまでが現実でどこからが幻想なのか曖昧なところもある。

ともかく、イラン革命期、反体制的な詩を書いたという理由で投獄されていた詩人サヘル(ベヘルーズ・ヴォスギー)が30年ぶりに解放されたところから始まる。イスタンブールに暮らす妻ミナ(何とモニカ・ベルッチが演じている!)を探し当てるが、自分は死んだことにされており、妻には二人の子供がいるので名乗り出ることができない。革命前に若きミナに横恋慕していた運転手アクバル(ユルマズ・エルドガン)が革命の混乱で権力者になり、ミナを手に入れるために、サヘルを陥れたことが徐々にわかってくる。しかも、アクバルは夫と同時期に投獄されていたミナに目隠しをし、夫サヘルだと思わせて性交渉をする。その時に受胎したのがミナの双子の子供だった。サヘルは娼婦になったミナの娘と交流を持ち、それと知らずに交わってしまう。あとになってそれに気付く。アクバルを見つけ出し、車に乗せてともに死を選ぶ。

三人の主人公の目の演技が凄まじい。とりわけ、サヘルを演じるヴォスギーの存在感が半端ではない。少ないセリフと表情ですべてをわからせる、しかも、それが少しも不自然ではない。ヒルや亀やサイが登場する。その不気味な形状や動きが生々しい生命を強く感じさせる。生きる者の業、悲しみ、社会の混乱に翻弄される人々の生きざまが詩的に描かれる。モニカ・ベルッチの美しさにも改めて感嘆した。

 

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「酔っぱらった馬の時間」 2000年

 イランとイラクの国境の荒れ果てた山岳地帯に住んで、イラクへの密輸で暮らしを立てるクルド人の家族。母はお産で死に、父は地雷で死ぬ。子どもたち5人が残される。しかも、子どもの一人には障害がある。しっかりした男の子が密輸の荷物運びで働き、一家を支える。

 極寒の中での馬(字幕ではラバとなっていた)を使っての密輸なので、ラバが凍えないように酒を飲ませる。そこからこのタイトルができている。警備兵に追われて、酔っぱらったラバたちが雪の中をよたよたと動く場面は滑稽であり、悲惨であり、しかも生命を感じさせる。

 初めに字幕が出る。これがクルドの現実らしい。過酷な現実が描かれる。少年と、その妹が中心に話が展開するが、お涙頂戴の感傷的なかわいそうな映画ではなく、過酷な現実の中に生きる子どもたちの真実の映画。障害のある子どもは過酷な現実を十分に理解せず、しかも過酷さに直面すると苦しみを表に出す。おそらく演技ではないのだと思うは、実に凄まじい場面だ。

 ポエティックで圧倒的な映像美だった「サイの季節」とはまったく作風が異なって、あくまでリアルに徹しているが、これもまた名作だと思った。

 

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「わが故郷の歌」 2002年

 クルド人の誰もが知る有名な老歌手ミルザが自分を裏切って出ていった元妻ハナレから助けを求められ、二人の中年の息子とともに難民キャンプにいるというハナレに会いに行く様子を描くある種のロードムービー。

しかし、アメリカのロードムービーなどと違って、三人が進むのは、イラン・イラク戦争中にイラクからの攻撃を受ける戦場となっている国境付近の山間部であり、雪の岩山でもある。まさに過酷。しかも、これが作りごとではなく、クルド人の現実らしい。

三人の珍道中にはユーモアがあり笑いがあるが、強盗に襲われて身ぐるみはがされたり、爆撃にあったり、虐殺された死体を掘り起こす現場に居合わせたり。しかも、ハナレの願いというのは、戦争で夫を亡くし、化学兵器のために容姿を失い、声が出なくなったために育てられなくなった娘をミルザに託すことだった。生と死が隣り合うところで必死に生きる人々の悲しみと喜びと怒りの入り混じった生そのものが伝わってくる。

「サイの季節」や「酔っぱらった馬の時間」ほどの感銘は受けなかったが、映像は美しく、クルドの人々の生きざまを目の当たりにでき、しかも歌もふんだんに聴ける。これをクルド人の映画監督が作ったことに驚く。描かれるのは殺伐とした世界だが、その映像美と手法は斬新でしかもきわめて芸術的。ゴバディ監督はとてつもない天才だと思う。

 

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「亀も空を飛ぶ」 2005年

 岩波ホールで公開されたらしいが、私は今回、DVDで初めてみた。いやはや凄まじい映画。

少女が断崖から身投げする冒頭の場面から衝撃的。イランのクルド人の住む荒れ果てた山間部の子どもたちが描かれる。まるで大人のように生きる孤児たち。そこに三人のきょうだいにみえる子どもたちがいる。両手のない少年とその妹アグリン、そして幼児。幼児は実はアグリンがイラク兵にレイプされて産んだ子供だった。アグリンは自分の子どもを憎み、かわいがろうとしない。そのアグリンに少年たちのリーダー格のサテライトが恋をして、何かと助けようとする。だが、アメリカがイラクへの攻撃を開始し、サダム・フセイン政権が倒れてアメリカ兵がやってきた日、少女は息子を池に投げ込み、自らも自殺する。

 両手のない子は未来を予言する能力を持っているという設定になっている。監督自身が魔術的リアリズムを使いたかったことをメイキング映像で明かしている。そのような非リアルな状況設定を行うことで、魔術的なリアリズムが拡大鏡のように働いて、いっそう過酷な現実がリアルになる。

 実際のクルド人の村人や孤児たちを使って撮影されたらしい。両手のない子も実際にそのままの姿だ。それだけに本当にリアル。単なる反戦映画でも、かわいそうでけなげな子どもたちの物語でもない。人間のリアルそのもの、クルド人のリアルそのものをたたきつけてくる。なお、「亀も空を飛ぶ」というタイトルは、不可能なことはないという意味らしい。平和を祈り、子どもたちの将来の幸せを祈ることばだろう。

 

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「ペルシャ猫をだれも知らない」 2009年

 大都会テヘランでインディー・ロックを演奏する若者たちを描いた作品。これまで見たゴバディの映画とまったく雰囲気が異なる。

青年アシュカンとその恋人ネガルはイラン国内では演奏の許可が出ないのでロンドンに出ようとしている。あれこれ手をまわして、偽造パスポートの作成を依頼し、ロンドンに出る間際となるが、偽造パスポート作成者は逮捕され、アシュカンが立ちよったパーティが警察の手入れを受けて、アシュカンは窓から逃げ出そうとして転落し、命を失う。

実際のミュージシャンが演じているという。音楽を演奏できず、映画も自由に作ることができず、犬や猫が室外に出ることも禁止されたイラン社会の閉塞感とそこから脱出しようとする衝動がよくわかる。重いテーマを扱っているが、昔のアメリカ映画「イージーライダー」にも似て、古い社会に穴をあけて新しい社会を築こうという意志が明確に描かれるので、これを見る者は決して暗い気分にはならない。タイトルは、ペットの室外への持ちだしさえもが禁じられているイラン社会において、室内にいるペルシャ猫が外からは知られていないことを意味しているという。これもなかなかの名作だと思った。

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ジャリリ監督の映画4本

 時間的な余裕ができて、自分のペースで仕事を進めている。9月中旬からは週に一日だけ多摩大学で非常勤の仕事をするが、それまでは週に一、二回の割合で大学の入試関係の仕事をするくらい。今年中にあと4冊の本を完成させる必要があるが、焦る必要はなさそう。

 イランの映画監督アボルファズル・ジャリリの映画DVD4本セットを購入して、見た。いずれも10歳前後の少年を主人公にした映画。簡単な感想を書く。

 

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「スプリング ~春へ」 1986年

 名作だと思った。イラン・イラク戦争の真っただ中。イラク軍に攻められた地域に住む少年が家族と別れて森の中で見知らぬ老人に引き取られて二人で暮らし始める。冬の森の中で暮らすうち、少年は徐々に自然の生活に慣れ、老人になじんでいくが、両親への思いを捨てきれない。冬の状況と、戦争の終わりとしての春が重なり合う。森が春になり、戦争が終わるのを待つ少年の気持ちが痛いほど伝わる。孤独な老人の少年への思いもよくわかる。そして、どこをとっても絵画になりそうな美しい映像。

 画面の右から左、左から右へと登場人物が移動する場面が多い。それをじっくりと撮影していく。自然の中での人間の営みという事実が印象付けられる。迷子になった少年を老人が見つけ出す場面、そして、最後の少年の育った地域がイラクにもどったラジオ放送を聴く場面は感動的だった。

 

「ぼくは歩いていく」 1998

 父親が薬の中毒でしかも兵役逃れようと子どもの出生届を出さなかったために戸籍を持たないまま育った9歳の少年を主人公にした映画。生活のためにいろいろな仕事をしているが、学校にも行けずにいるために読み書きもできず、身分証がないために仕事を続けられない。父は牢獄に入り、母も収容され、兄弟も助けてくれずに一人で仕事を求めてさまよう。時々、ドキュメンタリータッチになって監督が登場人物にインタビューする場面が入る。起承転結のある物語というよりも、けなげに生きる少年をずっと追いかけていく。

 イラン社会の現実、大人の犠牲になって苦しむ少年、大人と同じように過酷な労働をする子供たちが描かれる。とても良い映画だと思うが、主人公の少年が垢ぬけており、しかもセンスの良い色彩の服を着ているために、私はあまりリアリティを感じられなかった。感じのよい少年であり、演技も見事だが、あまりにお坊ちゃんぽい。

 

「ダンス・オブ・ダスト」 1998

 ほとんどセリフのない映画。しかも監督の要望により字幕を付けないという断り書きが初めに示される。昔の新藤兼人監督の「裸の島」に似た雰囲気。ただ、舞台は砂漠の中で、主人公は少年と少女。字幕がないだけでなく、説明のほとんどない映画なのでわかりにくいところがある。主人公の少年は孤児のようだ。大人に混じってレンガ作りの仕事をしている。季節労働者の娘である同年代の少女と心を通わせ、少女の手形の残ったレンガを大事にするが、雨期が来て少女は去っていく。孤児である少年は心の支えを失ってしまう。それを貧しく過酷な自然を背景に描く。

埃だらけの世界。ぼろをまとった子供たちが、大人に構われることなく、おもちゃもなしにただ走り回って遊んでいる。大人たちも砂だらけの世界でひたすら生活する。それだけで圧倒的な存在感がある。生命の原型を示しているかのよう。とても良い映画だと思った。

 

「トゥルー・ストーリー」 1996

 ジャリリ監督はある劇映画を作ろうとするうち、ある少年に出会って映画への出演を誘うが、その少年は足が不自由で出が必要だと知り、映画の方針を変更して、その少年のドキュメンタリーを作り始める。父親を亡くし、子どものころからたくさんの仕事をしてきた少年が、監督の力で手術を受けるまでが描かれる。どのくらい現実そのままなのかはよくわからない。そうした手法で、イランの現実、貧しい人々の生活、人間の生きざまを描いていく。

 ただ私としては、おもしろい試みだとは思いながらも、この少年を選んで出演を誘おうとすることについても、手術を撮影しようとすることについても、なぜ監督がこだわるのかよくわからなかった。最後に、手術が成功したことが字幕で知らされるが、やはりこれは大事なことなので映像で出してほしいと思った。私としては少々消化不良の一本だった。

 

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ベロッキオ監督「甘き人生」 生身の人間の存在感

 有楽町スバル座でマルコ・ベロッキオ監督の最新作「甘き人生」をみた。大変な傑作だと思った。

 ジャーナリストのマッシモ・グラメッリーニの原作を映画化したものだという。母親は重病を苦に自殺するが、真相を知らされないまま育てられ、母の死を受け入れられずにいる少年。後年、ジャーナリストになって様々な死を目撃するが、母への思いから逃れられず、しばしば精神的に追い詰められる。新聞への読者の悩み相談への回答を書いたことから、母の死の真相を知ろうとし始める。

 私はまったくもって「マザコン」ではないので、実はこの主人公の気持ちがよくわかるわけではない(ついでに言うと、プルーストの「失われた時を求めて」は大好きな小説なのだが、どうも主人公のマザコンぶりには違和感を覚えて仕方がない。フランス文学、イタリア文学に親しみながら、しばしば描かれるマザコンや、それと重なり合う聖女マリア信仰に対して私はずっと納得できずにいた)のだが、映画を見ていくうちに主人公の気持ちを追体験していく。喪失感、代替物依存、死の誘惑がリアルにじっくりと描かれていく。まさしく生身の人間の心の中までが肉体の重みのような存在感を持って迫ってくる。

 主人公(大人になってからはヴァレリオ・マスタンドレアが演じている)の幼少期を演じるニコロ・カブラスマッシモの演技の見事さ(つまりは、ベロッキオの演出の見事さということでもあるだろう)に舌を巻く。幼少期の母と息子のツイストやかくれんぼなど、息をのむほどに美しい。

 相談に乗ってくれた女医(ベレニス・ベジョ)と愛し合うようになり、二人でツイストを踊る。母親の死から逃れられずにいた主人公が少しだけ吹っ切れかける。その場面が実に感動的。そして、真相を知る場面もまた実に切実でリアリティがある。すべての俳優がすばらしい。

原題は「Fai bei sogni」。映画の中で、母親が死を決意した後、眠っている息子に語り掛ける「よい夢を見なさい」という言葉がタイトルになっている。なぜ、フェリーニの「甘い生活」(ドルチェ・ヴィータ)を思い起こさせるような「甘き人生」というタイトルにしたのか、私には納得できない。甘い生活などどこにも描かれていないような気がするのだが。

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ワイダ 「残像」 ワイダらしい圧倒的なリアリティ

アンジェイ・ワイダの遺作「残像」をみた。みたのは天津旅行前だったが、旅行に紛れて感想を書かなかった。このままでは忘れてしまいそうなので、今のうちに書いておく。

 ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキという実在の画家(演じるのはボグスワフ・リンダ)が主人公。革命を支持した有名画家の一人であり、美術大学の教授として生活し、多くの学生の支持を集めているが、政治が硬直して芸術に「社会主義リアリズム」が強制されるようになるにしたがって、政府の方針に反抗している。それを問題視した大臣や学長によって職を終われ、芸術協会の会員資格も取り消されて表現の手段も生活の手段も奪われていく。街の広告を描く仕事をせざるを得なくなるが、それさえままならない。慕ってくる女子学生(ゾフィア・ヴィフワチ)、別れた妻との間の娘で孤児ニカ(ブロニスワヴァ・ザマホフスカ)の間で逡巡しながらも、最後まで信念を曲げずに不遇の中で死ぬ。

 多少の脚色はあるにしても、実話に基づくという。実際にはもっと悲惨だったかもしれない。「灰とダイヤモンド」も「ダントン」も「カティンの森」も、ワイダは主人公の光の当たる面だけでなく、裏の面も描いている。だからリアリティがある(「ワレサ 連帯の男」については少し英雄視しすぎだと思った)。観客は、まさに生きて、逡巡し苦悩し人生という、そして芸術という深みの中をさまよう主人公とともに生きることになる。社会のあり方に怒り、迷いながらも埃を失うまいとする主人公をリンダは実に見事に演じる。そして、それ以上に画面の一つ一つの美しさ、そのリアリティを実現するワイダの力に圧倒される。

 冒頭のハンナ(ソフィア・ヴィフラチュ)と出会う野原の場面、娘とのやり取りの続く雪の場面、別れた妻の墓に青の色彩をつけた花を献じる場面など、人生の深みをひしひしと感じさせる場面がいくつもある。90歳の年に公開された最後の作品でさえもこれだけの力感にあふれ、激しいリアリティを持っているのは驚くべきことだ。それほどの執念で社会主義時代の矛盾を描きたかったのだろう。

 ワイダは私のもっとも好きな監督の一人だ。日本未公開の映画も含めて、私はかなりの数のワイダ作品を見ている(まだ見ていないものが何本かある。DVDなどでぜひ見たいものだ。発売してほしい)。パゾリーニ、アントニオーニに続いて、最後まで残ったワイダも亡くなった。私が大学時代に心の底から感動した映画監督はみんなが亡くなったことになる。「一つの時代の終わり」というのは、偉大な人物が亡くなった時の決まり文句だが、ワイダの死に対して私はそれをとても強く感じた。

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トルナトーレの映画「教授と呼ばれた男」「明日を夢見て」「シチリア!シチリア!」「天文学者の恋文」

 忙しさからやっと解放された。数日前から少しずつ時間が作れるようになり、今日はかなりのんびりできた。明後日にはまた札幌に行き、その後もあれこれと仕事はあるが、これまでのように時間に追われることはなくなりそう。

 この数日間にみた映画DVDの感想を書く。トルナトーレ監督の映画を4本みた。

 

「教授と呼ばれた男」 1986年

 トルナトーレの処女作。姉をからかった男を衝動的に殺して刑務所に入り、そこで頭角を現してマフィアのトップに上り詰めた男(ベン・ギャザラ)の死までを描く。後のトルナトーレの映画からは考えられないような暴力的な場面が続出する。マフィアに支配されるイタリア世界の状況がよくわかる。知的で残酷な男の人間性を見事に描いて、最後まで飽きないし、見ている者に不思議な感情移入をさせてしまうところはさすが。処女作とは思えないほどの演出力に舌を巻く。

 

「明日を夢見て」 1995年

 映画の新人発掘だと称してシチリアを回り、市民を募ってお金を取って紹介フィルムを取る詐欺師(セルジオ・カステリット)を中心に描く。カメラの前では誰にも言えない真実を語る市民の描写が素晴らしい。女優を夢見て男を追いかけ、その愛人になる孤児役のティツィアーナ・ロダトがとても初々しい。小悪党を狂言回しにしたロードムービーというよくあるタイプの映画なのだが、庶民への愛と人物描写、シチリアの風景がみごと。かつてのデ・シーカを思わせる作風。とても良い映画だと思う。

 

「シチリア!シチリア!」 2009年

 原題は「バーリア」。シチリアのバーリアという町で暮らすペッピーノ(フランチェスコ・シャンナ)の一代記。貧しい家に生まれ、共産党員になり、議員になり、家族を養う。1930年代から戦争が始まり、戦争が終わり、豊かになっていく時代を背景にしている。起承転結のある物語というよりも、様々なエピソードを並べ、シチリアの町の人間模様、家族の葛藤、ペッピーノの成長、時代の変遷を描いていく。実にリアリティがあり、生き生きとしている、作りごとではない、人間が生きてきた歴史、そして世代から世代へと受け継がれていく精神が感じられる。愛があり、死があり、いたずらがあり、哀しみがある。これが人生だと強く感じる。映像の美しさ、あらゆる俳優の魅力的な動き、そして何よりもトルナトーレ監督の演出手腕を強く感じる。ただちょっとわかりにくいところがあった。「卵が割れる」エピソードが出てくるが、これって「死産」を意味するのだろうか。

 

「ある天文学者の恋文」2016年

 トルナトーレの最新作。昨年、劇場でみようと思っていたが、行く前に終わってしまったのでDVDでみた。天文学を学ぶ女子学生(オアルガ・キュリレンコ)は天文学の権威である教授(ジェレミー・アイアンズ)と恋に落ちる。だが、教授は病死。ところが、死後も教授からメールが届き、プレゼントが届く。考えられないような設定だが、それはそれでとても納得できる。教授は死後も女子大生を過去の重みから解放させようとする。年の差のある男女の恋を美しく描いている。確かに考えてみれば、私たちは星々という数億光年前の光をみている。星の中にはずっと昔に死んでしまったものも混じっている。天空という無限の世界を前にしての生と死というテーマが男女の恋という形で描かれるというか。素晴らしい映画だと思った。

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