映画・テレビ

ファハルディ監督の「セールスマン」 監督の手腕に驚嘆

 アスガー・ファハルディ監督の映画「セールスマン」をみた。本年度アカデミー賞外国語映画賞受賞作だが、素晴らしい傑作だと思う。

 数年前、京都を訪れた際にたまたまみた「ある過去の行方」に心から感動した。とてつもない傑作だと思った。その後、「彼女が消えた海辺」「別離」のDVDをみて、この監督が驚くべき傑作を何本も作っていることを知って、大ファンになった。圧倒的な力量だと思う。一分のスキもない構成、一人一人の登場人物の立場と心情、やむにやまれぬ状況、そして背後にあるイラン社会、現代文明への批判、すべてに説得力がある。イラン映画は20本ほど見たと思うが、私のナンバーワン監督はこのファハルディだ。

 今回の映画にも最初から引き込まれた。サスペンスとしても最上。無計画で、人権無視の都市開発のために古いアパートが倒壊しそうになるところから映画は始まる。最初のごたごたの中で主人公の人格、近代化の矛盾を描くとともに、倒壊しそうで一刻を争うという場面に観客を巻きこんでいく手腕はすさまじい。

新しいアパートを借りなければならなくなった夫婦が演劇仲間の知る部屋を借りることにするが、前に借りていた女性がどうやら娼婦だったらしい。妻が一人でいるとき、前の住人を訪れた客が現れて暴行する。夫は犯人捜しを行う。そのようなストーリーの中に、のっぴきならない一人一人の事情、イラン社会の性暴力への考え方、女性の置かれている状況が盛り込まれる。夫婦の所属する劇団はアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を上演するが、そのテーマと暴行事件の犯人である行商人の死が重なり合う。その手腕にも畏れ入る。

前の住人が最後まで登場せず、浴室で実際に何が起こったのかも最後まであかされない。あちこちに謎が残る。全体に語られない部分があり、人によって誤解しあっている部分がある。そして、何より抑圧的なイラン社会の状況が背景として示されるが、それについてもあからさまには語られない。語られないことが実はこの映画の中心にある。

実は、これほど監督の鮮やかな手腕に圧倒されながら、この映画の中で一つだけ納得のゆかないところがあった。「ネタバレ」になってしまうので、多くは言えないが、暴行犯があまりに意外だった。なぜ、あのような人にそんなことができるのだろう、もっと別の人物像の犯人のほうがよかったのにと思っていた。

が、ふと気づいた。もしかしたら、あの犯人は冒頭に崩れそうになっていたアパート、つまりは古きイラン社会そのものではないのか、抑圧的で暴力的で、しかし本人たちはいたって善良な従来のイラン。そう思えば納得できる。

私は映画としては、「別離」や「ある過去の行方」のほうに感動した。「ある過去の行方」は涙を流してみた記憶がある。「セールスマン」に関しては、むしろ監督の手腕に圧倒された。そして、語られなかったことがらについて考えさせられた。

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パナヒ監督とトルナトーレ監督の数本の映画DVD

 大学をやめたら時間を持て余すだろうと思っていたのだが、いつまでたっても暇にならない。5月初めまでは本の締め切りに追われていたし、その後は東進ハイスクールでの収録の準備や講演などで忙しかった。しかもその間にブータン旅行をしていた。先週あたりからやっと締め切りに追われなくなって、映画やオペラの映像を見る時間が取れた。

 イランのジャファル・パナヒ監督とイタリアのトルナトーレ監督の映画を数本みたので感想を記す。


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ジャファル・パナヒ監督「これは映画ではない」 2011年

 京都でたまたまこのパナヒ監督の「人生タクシー」をみて、関心を持った。これは「人生タクシー」よりも前の作品。イランで反体制的な映画を作ったかどで逮捕され、映画製作禁止を言い渡され、控訴審の判決を待っている間の監督自身の状況を描いている。映画撮影が禁じられているために、カメラはマンションから一歩も出ない。ほとんどがパナヒ監督の室内。登場人物も監督自身のほかには撮影する友人と、最後ごみを集めに来る学生くらい。ただ、映画を撮れずに室内でシナリオを読んだり、煩悶したりする監督を追いかけただけの映画。なるほど、「これは映画ではない」と当局に申し開きできるかもしれない。

しかし、そのような八方ふさがりながら、このような映画を撮ることによって現状を生々しく描いている。その力量たるやすさまじい。ただ、おもしろかったかといわれると、それほど楽しんだわけでも感動したわけでもない。

 

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ジャファル・パナヒ監督 「チャドルと生きる」 1995年

 「人生タクシー」「これは映画ではない」よりも前にパナヒ監督が作った、これはいわば世界への出世作。一言で言えば、イラン社会で女性として生きることの苦しみを描いているといってよいだろう。

生まれた子供が女の子ということでみんなが落胆する場面に始まり、映画は刑務所を脱獄して来たらしい三人の女性を追いかけながらイラン社会を描いていく。戦後イタリアのネオ・リアリスモ映画を思わせるところがある。演じている人たちのほとんどが素人らしい。だが、イタリア映画以上にリアリズムに徹している。

脱獄した女性たちの人生をドラマとして描くのではなく、一人の撮影者=監督が脱獄した三人を追いかけるうちに、そこにかかわった別の女性へと関心を移し、今度はその女性を追いかけるというように進行していく。しかも、登場するのが、あまりきれいでない女性たちであり、刑務所仲間の女性たちが中心であるだけにいらついていたり、禁煙の場所でタバコをほしがったりするので、見ているものは感情移入できない。監督は情緒に訴えるのではなく、もっと突き放してイラン社会の真実を見つめようとしている。

女性たちがどのような罪を犯したのか、なぜ、どのように脱獄したのかは明かされない。が、女性たちのおかれている状況を見ていると、おそらくほかの社会では罪とみなされないようなことで罪を問われたのだろうと推測される。

決して好きな映画ではないが、かなり衝撃的な映画だ。

 

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ジュゼッペ・トルナトーレ「海の上のピアニスト」 
1998

「ニュー・シネマ・パラダイス」のトルナトーレ監督の映画。「ニュー・シネマ・パラダイス」はとてもおもしろかったが、私の好きな作風の監督ではないと勝手に思い込んでこれまで敬遠してきた。

豪華客船の中で育ち、世界の名手としてのピアノの腕を持ちながら、船の中で演奏するだけで、一度も陸に上がらなかった男の物語。以前、テレビで見た記憶がある。前にみた時も思ったが、私はどうもリアリティを感じない。まずこんなピアノの技巧を自己流で身に着けられるわけがないだろう、というきわめて現実的な疑問を抱いてしまう。それに、陸に上がらない名ピアニストという設定に人生の深みをあまり感じない。そして、トランぺッターを狂言回しにした物語展開も古臭い気がする。よくできた映画だと思うが、私はそれほどの名画とは思わない。

 

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ジュゼッペ・トルナトーレ 「マレーナ」 
2000

同じトルナトーレ監督の映画だが、これは名作だと思った。

 シチリアの小さな町でとびっきりの美人で色気たっぷりのマレーナ(モニカ・ベルッチ)。町中の男が欲望を抱き、主人公の少年も憧れる。少年から大人になろうとしている若者の目を通して、イタリアの第二次世界大戦への参戦から戦後までのシチリアの状況を背景に、時代に翻弄されるマレーナの姿を描く。ファシスト政権、その敗北、ドイツによる占領を経て連合軍を歓迎するという、イタリアの歴史的経緯のままに流される庶民、男心をそそる女性に嫉妬する女たち、それに抗して孤高を守ろうとしながらも、夫の戦死の報によって身を滅ぼしてしまう女性、女性に欲情しながら見守る少年。ユーモア交じりに語られるが実にリアル。戦死とされていた夫が帰還し、最後には誇り高く生きようとする夫婦の姿も感動的。トルナトーレ監督の語り口のうまさに圧倒された。

 それにしても、モニカ・ベルッチはすばらしく「いい女」! その昔、イタリアのどこかの町(たぶんローマのどこかだと思う)で2階のレストランから外を見下ろしていたら、マレーナのような「いい女」が歩いてきた。その近くにいたイタリア男たち10人ほどがその女性にすぐに気づき、次々と5人ほどが近寄って声をかけ、「ナンパ」していた。話には聞いていたが、イタリア男は本当にそのように行動するのに驚いた。映画の中の場面は必ずしも大げさな表現ではないのだと思う。

 

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トルナトーレ監督 「題名のない子守唄」 2006年

「マレーナ」に続いて、これもとてもおもしろかった。ただ、見ていてちょっと辛い。「マレーナ」はヒロインのマレーナの人生はかなり辛くても、ユーモラスなタッチと、マレーナを見つめる少年の存在に救いがあるが、「題名のない子守唄」はずっと深刻な状況が続く。しかも、息を詰めるようなサスペンスもある。これまで見たこの監督の映画とかなりタッチが異なる。とはいえ、それぞれの場面が実にリアルで、監督の語り口があまりにみごとなので、ぐいぐいと引き込まれ、ヒロインのイレーナにいやおうなしに感情移入させられる。ラストシーンではかなり感動した。

 性の奴隷として地獄のような日々を送ったウクライナ女性イレーナが生き別れた自分の娘を探してイタリアに来て、何とか娘のそばで暮らそうとする。イレーナを演じるクセニア・ラパポルトがとても美しく、とても魅力的。演出力でもトルナトーレ監督の手腕は素晴らしい。

 

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トルナトーレ監督 「鑑定士と顔のない依頼人」 
2013

 アッという結末が待ち受けているとのことなので、期待してみたが、かなり予想通りの結末だったので、ちょっと拍子抜け。しかも、いくらなんでも無理があるような気がする。

 とはいえ、さすがトルナトーレ監督。主演のジェフリー・ラッシュも、主人公の友人役のドナルド・サザーランドも実にいい味を出している。映像も魅力的で、最後まで引き付けられてみる。また、屋敷の向かい側にあるカフェで聞こえてくる数字の羅列が最後に意味を持ってくるところなど、語り口の巧みさには脱帽。

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河瀬直美監督「光」とソンタルジャ「草原の河」 「光」に涙した!

 河瀬直美監督の「光」をみた。素晴らしいと思った。カンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得できなかったが、河瀬監督の最高傑作の一つだと思う。

前作の「あん」と同傾向の映画といえるかもしれない。

 かつての父の失踪という苦い思いをもつ女性(水崎綾女)が、障害者のモニターの協力を得て新作映画の視覚障碍者向け音声ガイドを作成しようとしている。ところが、かつてカメラマンとして活躍しながら目の病に冒されて、失明寸前の状態にある男性(永瀬正敏)が女性の作るガイドに不満を漏らす。それを契機に二人の触れ合いが深まり、対立をしながらも惹かれ合っていく。そして、最後には見事な音声ガイドが完成する。

大まかにはそのようなストーリーだが、まず河瀬監督のドキュメンタリー的な演出が素晴らしい。あまりに日常的で、あまりにリアル。そして、女性が故郷に帰るごとに描かれる、まるで精霊でも宿っているかのような木々、森などの自然。そして、生命そのものを宿すかのような光。その描き方に感動を覚える。

 この映画のテーマはタイトル通りに「光」だと思う。視覚的な「光」を失ってしまった男性が過去を振りほどき、未来に向かって生命の光を取り戻そうとする。それが、新作映画のラストシーンの音声ガイドを作ろうとして苦労し、やっと「光を浴びている」という言葉を見出す女性の状況と重なる。ともに自然の中の精霊の宿る光を見出そうとしている男女がすれ違いながら、最後に重なり合う。男性が女性の顔をいじりまわす場面に私は涙した。

 二人の主人公が心の動きを自然に表現している。実に魅力的。そして、作中で取り扱われる新作映画の主演と監督の役を演じる藤竜也の演技もあまりに自然で感動的。音声ガイド作成のリーダー役の神野三鈴も魅力的。そのほか、きっと素人と思われる視覚障害の方たちの語り、表情もなんと生き生きとしていることだろう。

 自然の中に聖なるものが宿り、その聖なるものが利己的でありながらも生を懸命に求めている一人一人の人間に分け与えられている。そのような河瀬監督の世界観が、かつての映画のように真正面からではなく、人間ドラマとして語られる。大いに感動した。

 ただ、不満だったのは私が見た新宿バルト9の音量。以前、何かの映画を見たときにも感じたが、あまりに音量が大きい。耳をつんざくような音。以前の経験を覚えていたので耳栓を持参した。この映画館は耳栓なしでは、私には耐えがたい。なぜほかの人はこんな大音量に耐えられるのか、日本人はそれほど音に鈍感になってしまったのかと嘆きたくなる。

 

 岩波ホールでチベット映画「草原の河」をみた。チベット人の監督ソンタルジャの作品。父親が行者になって(おそらく若いころ、中国政府の強制によって僧でいられなくなり、その後、許可されたために再び僧にもどったということだろう)母の死に目にも会おうとしなかったことを許せずにいる男とその妻子を中心とした物語。父親に対するわだかまりから、自暴自棄になり、周囲の反対を押し切って冬のうちから夏場の牧草地に行き、妻子を巻き込んで羊の世話を始める。6歳の子どもの演技が光る。チベットの大自然の中でのテント生活の過酷な日常が描かれる。映像美とゆっくりした時間は心地いい。

 とはいえ、実は私は男の後先を考えない行動にも、子どもの無邪気な行動にもあまり共感できなかった。ラストに語られるクマのぬいぐるみについての子どもの語りも少々陳腐に感じた。私のこれまで経験、そして現在の生活実感からはあまりに遠い。映像美とチベットの生活の描写に惹かれながらも少々退屈した。

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感動的だった美濃吉の鯉濃汁、そして映画「人生タクシー」「娘よ!」

 昨日、2017523日、日帰りで京都。私が塾長を務めている白藍塾は京都産業大学付属中学校の小論文教育をサポートしている。その研修講師として訪れた。京都産業大学には、多摩大学に赴任する前の数年間、専任タイプの客員教授として籍を置いていた。マンションも用意して、週に2日、授業を担当していた。その関係で付属中学でも小論文指導を行うことになり、現在に至っている。先生方はとても優秀なのでスムーズに研修が終わった。

 夕食は新阪急ホテルの地下にある美濃吉でとった。私の贔屓の店。京都に行く機会があったら、よほどのことがない限り、一度はここで食事をとる。大好きなのは、「鴨川」という懐石料理。手ごろな値段ながら、実に充実している。私はとりわけ「京の白味噌仕立て」が最高においしいと思う。美濃吉は東京にもいくつか支店があるが、私は京都で食べるとまったく味が違うのを感じる。とりわけ、私は京都駅前の新阪急店が最もおいしいと思っている。

久しぶりだったせいか、いつも以上のおいしさを味わえた。白味噌仕立ても絶品だったし、「芋 玉ねぎ 湯葉あんかけ」もおいしかった。そして、昨日は、「鴨川」のほかに特別に「鯉濃汁」を注文した。今の時期にしか食べられないメニュだという。しかも、大分県日田市という山の中の育ちの私は子どものころから鯉は日常的に食べてきて、大の鯉好き。ただ、東京に住んでいると、鯉こくを食べる機会がほとんどない。この機会を逃すまいかと思って食した。白味噌味のまさしく絶品。京都の一流料理人が鯉を料理すると、これほど洗練されるのかと驚いた。臭みがなくなっているが、確かに鯉のうまみがしっかり出ている。

 あまりにおいしいので、もう一皿か二皿、何かを注文したくなったが、さすがに満腹になった。その後、すぐに新幹線で東京に戻った。

 ところで、美濃吉に行く前、京都シネマで映画を見た。研修が早めに終わったので、夕食までに時間があった。30度近い中を観光する元気がなかったので、京都シネマで時間の合う映画を見ることにした。イラン映画「人生タクシー」。監督はジャファル・パナヒ。

 予備知識がなかったので、初めはドキュメンタリー映画かと思った。監督がタクシー運転手になりすまして、客の様子を取っている映画だとばかり思った。実に自然な庶民のやりとり。演技しているとは思えない話しぶり。カメラは一切外に出ず、ずっとタクシー内に取り付けられたカメラで車内外を撮り続ける。そうこうするうち、イラン社会の抑圧的な状況、抑圧されながらそれなりに生きていくイランの人々の姿、その人間模様、そして人々の善意とエゴイズムと不思議なエネルギーが垣間見えてくる。

 徐々に疑いを抱き始めたが、中間くらいで、やっとこれは綿密に計算したうえでの映画だと気づいた。しかし、それにしても演出がすごい。とりわけ、運転手=パナヒ監督の姪の女の子の表情としゃべりには感服。実際のパナヒ監督の姪だというが、それにしても自然すぎる。この子だけは自由にしゃべっているのだろうか。

 パナヒ監督は反体制映画を作ったために映画製作を禁止されているという。この映画はその禁止をかいくぐって作られたらしい。そのため、イラン国内では上映されていない。その精神、才能、努力に感服。この監督のほかの映画も見たくなった。

 ところで、半月ほど前、岩波ホールで「娘よ」というパキスタン映画を見た。ブログに感想を書こうと思っていたが、仕事の忙しさ、そして私のスマホに起こった奇怪な現象に時間と気持ちを取られて、書くのを忘れていた。ここに簡単に感想を記す。

 とてもおもしろい映画だった。エンターテイメントとしてよくできている。部族抗争に巻き込まれたため10歳の少女ゼナブ(サーレハ・アーレフ)が敵の部族長である老人の妻にされることが決まる。娘の母親アッララキ(サミア・ムムターズ)は娘の運命に過去の自分を重ね合わせて、娘を連れて脱走を図る。その結果、敵の部族からも自分の家族からも追われて命を狙われることになってしまう。そこに過去のあるトラック運転手が通りかかって、混乱に巻き込まれるうちに、アッララキに恋心を抱くようになり、二人を助け始める。アッララキが殺され、夢想の中で自由に生きようとするところで映画は終わる。

 わけある女性の逃避に、ちょっとお調子者でありながらどこか影のある男性がかかわって助けていくうちに恋が芽生え・・・というよくあるタイプの映画。ただ、そこにパキスタンののっぴきならない家族関係、部族関係がからみ、美しい自然の風景が加わっているために、そこに強いリアリティが生じる。しかも、これは実話に基づくという。監督は女性のアフィア・ナサニエルだという。これだけのスケールで娯楽作としながらも、これだけパキスタン社会に肉薄できるのは素晴らしい。

 

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オリヴェイラ監督の映画3本「夜顔」「コロンブス 永遠の航海」「ブロンド少女は過激に美しく」

 先日来、少し時間的余裕がある。大学での残りの仕事もあるし、原稿も書いているが、昨日から映画DVDを何本か見た。100歳を過ぎても意欲的な新作を発表していたポルトガルの映画監督マノエル・ド・オリヴェイラの名前は知っていたが、映画はこれまで見たことがなかった。3本立て続けにみたので感想を書く。

 

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「夜顔」  
2006

 オリヴェイラが9798歳のころの作品。ルイス・ブニュエル監督の1967年の映画「昼顔」の続編として作られている。もちろん、封切から少したった頃に、私は「昼顔」(Belle de jour)をみた。ただ、実はブニュエルは好きな監督ではなく、「昼顔」についても特に強い感銘は受けなかった。「夜顔」(原題はBelle toujours 「いつも美しい」とでも訳すのか?)は「昼顔」の主人公二人が30年以上後に再会したという設定。男のほうは同じミシェル・ピコリ(大好きな役者だった。昔、かなりの数の出演作をみた)、女のほうは「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーヴ(もちろん、大好きな女優だった。今でも世界一魅力的な美人女優だと思っている)ではなく、ビュル・オジエ(ブニュエルの「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」に出演していたらしいが、覚えがない)が演じている。

 特に何かが起こるわけではない。そもそも、なぜ「昼顔」の続編にしたのかもよくわからない。美しい映像、意味ありげな、しかもおかしみのある雰囲気。ドヴォルザークの交響曲第8番のコンサートで始まり、その後もこの曲が何度も聞こえてくる。そのせいもあって、親しみやすく、懐かしみのある独特の雰囲気が漂う。

飽きずに最後まで見てしまうが、結局たいしたことは起こらず、何か起こりそう・・・という予感の雰囲気だけで終わってしまう。もしかしたら、そもそもそういう映画なのかもしれない。70分ほどの映画なのでおもしろく見たが、90分もあったら、途中で退屈しただろう。

 

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「コロンブス 永遠の航海」 
2007

 1940年代、第二次大戦後にポルトガルからアメリカに移住した青年マヌエルが高齢になるまで、コロンブスの出生地を探し求める物語。地理的ではなく歴史的なロードムービーといった雰囲気。コロンブスはポルトガル人だったという説をマヌエルは追い求める。ただ、それだけの話。映像は美しいし、とても芸術的ではあるが、私としてはあまりおもしろいと思わない。熱烈なファンがいるのは承知しているが、私はあまり惹かれない。「ポルトガルは偉大な国だった」と語っているだけの、やはり100歳近い老人の時代離れした映画に思える。

 たびたび赤と緑にコロンブス時代らしい服を着た人物が幻想として現れるが、誰なんだろう。これは男性? それとも女性? それすらわからない。着ている服はポルトガルの国旗の色ということなのだろう。これはコロンブスということなのか? それとも守護天使? 私は小説や映画の謎については、解くのを得意としている人間なのだが、この映画については謎が謎のまま終わった。・・・というか、まったくおもしろいと思わず、しばしば映画から意識が離れたことを告白しておく。

 

 

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「ブロンド少女は過激に美しく」 
2009

 100歳の監督の作った映画とは思えない。青年がブロンドの女性に恋をし、苦労の末に結婚しようとするが、その女性は結婚指輪を買おうとしている時に万引きをしたために青年は結婚を取りやめる。それだけの話を芸術作品としか思えないような美しい長回しの映像によって描いていく。それなりにはおもしろいが、私としてはやはり物足りない。1時間ほどの映画なので、これ以上のことを描くのは難しいとは思うが、それにしても肩透かしにあった気がする。

 オリヴェイラの映画を3本みたが、私の好きなタイプの映画監督ではなさそうだ。あと数本見てみようかと思っていたが、これから先、惹かれる映画に出会いそうな気がしない。

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最後の卒業式、そしてジョルダーナ監督の映画4本「輝ける青春」「ペッピーノの百歩」「13歳の夏に僕は生まれた」「狂った血の女」

 2017320日、多摩大学経営情報学部の卒業式(正確には、「卒業のつどい」と呼ばれている)が行われた。私が指導したゼミ生5名(そして、かつてのゼミ生1名)がめでたく卒業した。今回の卒業生は新居由佳梨ピアノリサイタル、海治陽一フルートリサイタル、戸田弥生・野原みどりデュオコンサート、石田泰尚・山本裕康・諸田由里子コンサートなどいくつものコンサートを企画運営し、成功に導いてくれた。3月で退職する私には最後の卒業式であるだけにいっそう感慨深い。ゼミ卒業生に花束をもらった。ありがたいことだ。

式の後のパーティで、私たちのゼミは今年度顕著な成果を上げたということで学部長賞をいただいた。これもありがたい。

1週間ほど前から少し時間的余裕ができて、DVDで映画を見ていた。ジョルダーナ監督の映画4本の感想を記す。

 

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「輝ける青春」 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督 2003

 オペラ演出家の三浦安浩さんに薦められてみた。6時間を超すイタリア映画。ストーリーとしては、マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」を思い出す。下敷きにしているのかもしれない。

中産階級の兄弟を中心にした物語。精神障害の女性と触れ合った経験を契機に二人は別の道を歩み始める。兄は真面目な優等生で医者になる。社会の理不尽に怒りつつも現実社会と折り合いをつけながら生きていく。弟は人生に疑問を持ち、社会の理不尽への怒りをうまくコントロールできずに苦しむ。映像があまりに美しい。そして、監督の演出力によるのだろうが、すべての役者の演技が素晴らしい。泣く表情、笑う表情、感情をコントロールできなくなる仕草がリアルで心に刺さる。とりわけ、弟(マッテオ)の自殺したあたりから、私は胸を打たれ、涙を流し、息をのみ、登場人物とともに人生を感じながら見入った。

いろいろなことが起こる。世代にまたがって時代は動く。人はそれに翻弄されながら時代を作っていく。そして、世代が変わり季節が変わる。人生は悲しいことだらけ。しかし、人生のすべてが美しい。それをしみじみと感じる。

 

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「ペッピーノの百歩」 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督 2000

「輝ける青春」があまりに素晴らしかったので、同じジョルダーナ監督の映画を見てみた。これもとてもいい。シチリアのマフィアの一家に生まれたジュゼッペ(愛称がペッピーノ)が、マフィアの抗争で殺されたのを機会に反マフィアの共産党員になって活動し殺されるまでの物語。1970年代の実話だというが、イタリア国内でも有名な人物ではないらしい。「輝ける青春」の兄を演じたルイジ・ロ・カーショの主演。英雄視するのでなく、悩み、傷つき、青春の行き過ぎもあった青年を等身大に描く。演出も大げさではなく、抑制的。映像がとても美しい。マフィアを単に悪者として描くのでなく、それなりの言い分のある人間的存在として描いているところも素晴らしい。

 

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13歳の夏に僕は生まれた」 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督 2005

 これも傑作。中産階級の何不自由なく育った13歳の少年サンドロは父やその友人とギリシャの海でヨット・クルーズをしているとき、海に投げ出され、九死に一生を得る。その時、助けてくれたのが不法移民の乗る密航船であり、その船で力を貸してくれたのがルーマニア人の若者ラドゥと少女アリーナだった。それを機会にサンドロは別の世界を知り、きれいごとではいかない社会を垣間見る。サンドロの両親は息子を助けてもらったお礼に二人を手助けしようとするが、裏切られる。サンドロはアリーナから電話をもらって愛に行くが、そこでみたのは娼婦として暮らしているらしいアリーナだった。・・・・

 恵まれた少年が理不尽な社会に痛めつけられる人間を知って目覚めていく・・・というのは「輝ける青春」とも「ペッピーノの百歩」とも共通する。純粋な少年の目から見た社会のゆがみが鮮烈に描かれる。映像が実に美しい。誰も必死に生きようとするし、誰もがそれなりに誠実なのだが、社会のゆがみの中ではどうにもならない。

 

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「狂った血の女」 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督 2008

 1930年代に活躍した実在のスター俳優オズワルド・ヴァレンティ(ルカ・ジンガレッティ)とその愛人であり人気女優でもあるルイザ・フェリーダ(モニカ・ベルッチ)がファシスト政権に協力し、パルチザンに処刑されるまでを描く。第二次大戦前後のイタリアの混乱の中、権力に巻き込まれながら、愛とエロスとドラッグにまみれながらも、必死に生きるが、ファシスト政権下のねじれた状況の中ではどうにもならない。「輝ける青春」のマッテオ役のアレッシオ・ポーニ演じる映画監督ゴルフィエロ(ルキノ・ヴィスコンティをモデルにしているが、架空の人物らしい)がとても魅力的。

 B級映画風のタイトルだが、むしろ本格的な現代史映画だ。時代に翻弄される人間の生きざまとしてとても刺激的でおもしろい。ルイザを演じるモニカ・ベルッチは肉体派女優として有名だが、確かに魅力的。ただ、主役のヴァレンティを演じるルカ・ジンガレッティは演技は見事ながらスター俳優らしいオーラを感じない。演出上の意図があるのか、それとも実在のヴァレンティがこのような雰囲気の人物だったのか。これについては納得できなかった。

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映画DVD「シェルタリング・スカイ」「無常」「曼荼羅」、ちょっとオリンピックのこと

 2016822日。午前中出かけて夜かなり遅くまで都心ですごすつもりでいたら、台風のために自宅を出られなくなった。腹を決めて、DVDをみたり、テレビをみたりして、久しぶりにゆっくり過ごした。

ところで、昨日BSで放送された「ペレアスとメリザンド」の録画をみようとしたら、「予約を中断しました」という表示が出て、第一幕の途中までしか録画されていなかった。残念。一体、何が起こったんだろう。

数日前から見ていた映画DVDの感想をまとめる。

 

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「シェルタリング・スカイ」 ベルナルド・ベルトルッチ監督 1990年

 前半、少し退屈だった。映像は素晴らしい。北アフリカの風景、そこで暮らす人々。パゾリーニの「奇跡の丘」や「アポロンの地獄」を思い出すような現地の人々の動き。それらは心惹かれる。ただ、北アフリカを訪れたデブラ・ウィンガーとジョン・マルコヴィッチの演じるアメリカの夫婦の心情、行動を共にする男性(キャンベル・スコット)の関係が

わかりにくく、途方に暮れた。

だが、夫の死んだのちの展開はさすがベルトルッチ。一人で北アフリカをさまよい、現地の男の身を任せ、激しく愛されるが、現地の人々の拒否にあう。その空虚感、虚脱感の描き方が素晴らしい。最後の場面で、北アフリカに到着したばかりに立ち寄ったカフェに戻る。北アフリカの持つ呪術、生きることの不思議を感じさせる。

 

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「無常」 実相寺昭雄 監督  
1970

 実相寺昭雄の映画がDVDで発売されているのを知って購入。封切時に新宿のATGでみて衝撃を受けた映画だ。私は学生時代、仏教に興味を持ち、仏典を読み、京都・奈良に仏像を見に行き、仏教的なことを人にしゃべったり書いたりしていたが、それがこの映画の影響だったことを久しぶりに思い出した。

 今見ても衝撃的な映画だ。もちろん、あまりに全共闘的、あまりに文学的で、ある意味であまりに「ベタ」だが、それでも改めてみてまた感動した。

実の姉と交わり、仏像つくりの恩師の妻と交わり、何人もの人間を死に追いやり、煩悩の限りを尽くし、そうでありながら仏像を愛し、仏師に弟子入りして自分の煩悩のすべてを観音様の中に昇華しようとする青年(田村亮)の生きざまを描く。

きっと当時の私はこの青年のような目つきをしていたのだろうと思う。社会を敵視し、その俗物性を憎みながらも、煩悩に身を焦がし、その衝動に身動きが取れずにいた。この映画は当時の若者の意識そのものを反映していた。実相寺監督は私よりは20歳ほど年上だと思うが、その鋭い目に感服。お寺のお子さんだけあって仏教に対する理解も深そう。

 モノクロの映像も美しい。大胆な性描写。そして新鮮な構図によって仏像、寺院、石段が描かれる。バッハの無伴奏パルティータ第1番が効果的に、衝撃的に使われる。

 たぶん、パゾリーニの「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「王女メディア」とともに私の人生にもっとも大きな影響を与えた映画がこれだったのだと思い当たった。・・・ただ、今となっては私もかつての牙を失ってしまったことを改めて思う。間違いなく、当時軽蔑していた俗物の大人になっている!

 

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「曼荼羅」  実相寺昭雄 監督 1971年

「無常」に感動した私は、封切られてすぐにこの映画を見た。「無常」ほどの感動を覚えずに失望した記憶がある。今見ても、映画の出来としてはよくないと思う。まるで学生の作った映画のような雰囲気。学生運動から脱落した若者(まさしく私と同世代)が宗教や哲学、歴史についての生硬な議論を交わす。確かに、当時、私もこのようなことを考え、話し、書いた記憶がある。オンナの子とのデートでも喫茶店でこんな話をしていた。そんな時代だった!

 ただし、当時、あまりに荒唐無稽と思ってみたのだったが、オウム真理教事件が起こった後で見ると、予言的といえるかもしれない。単純再生産=農業=生殖信仰(エロチシズム)=死姦・神との性交への憧れ=無時間の渇望を唱える小さなカルト集団。「立川流」がヒントになっているのかもしれない。主人公の若者二人がたまたまその集団とかかわり、そのうちの一人(清水紘治)はその集団にのめりこむ。もう一人(田村亮)はそこから距離を置く。

 おそらくマルクス主義を奉じた全共闘運動が、実は無時間に憧れるユートピア主義でしかなかったこと、このカルト集団のように自滅するしかなかったことを語っているのだろう。同時に、実相寺は、現代社会の進歩主義への強い抵抗(最後の場面の時計の音と新幹線に象徴される)も訴えかけている。

 全共闘運動は、マルクス主義運動などではなく、実は当時の俗物の大人たち(つまりはブロジョワを理想とする社会人)、そしてそれを支える進歩主義への反抗にほかならなかったと改めて思う。

 

 ついでにオリンピックについてほんの少し。

 ニュースや特集番組を中心にリオ・オリンピックの放送をテレビで見ている。時々涙を流している。前から水泳や柔道は好きだが、レスリング、バドミントン、卓球がなかなか面白いことを知った。400メートルリレーの銀メダルもよかった。

 ただ、シンクロナイズド・スイミングは私にはどうもよくわからない。演技者が登場するときの腕を大きく上げ、みんな同じような明るい表情の顔を上に向けて歩く姿勢、水の上でのカクカクした動きに大きな違和感を覚える。新体操もさっぱりわからない。リボンを投げたり輪っかを投げたりして何が楽しいんだろう、ふつうの踊りのほうがずっと楽しいのに・・・という感想を抱いてしまう。そして、競歩。いくらなんでもあの歩き方は不自然だろう。・・・でもまあ、これはすべて偏屈な老人の独りよがりの感想なんだろうが。

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「シアター・プノンペン」と「帰ってきたヒトラー」

 映画を2本みた。岩波ホールで「シアター・プノンペン」、TOHOシネマ新宿で「帰ってきたヒトラー」。簡単に感想を書く。

 

「シアター・プノンペン」はソト・クォリーカーという女性監督の作ったカンボジア映画。

 プノンペンに住む女子大学生ソポンは目的もなくやや自堕落な生活を送っているが、あるときプノンペンの壊れかけた映画館で自分の母が出演した映画を見る。完結編が失われたというその映画を完成させようとするうち、クメール・ルージュの時代の様々な事実が明らかになっていく。そして、様々な立場でクメール・ルージュの時代を生き抜いてきた日々との融和を訴える。

そんなストーリーだが、過去と現在が交錯し、どんでん返しがあり、人々が生きがいを取り戻すというテーマもありで退屈はしない。それにカンボジアの田園風景を描く映像が美しい。その心意気は素晴らしい。とはいえ、盛りだくさん過ぎて、ストーリー展開に無理がある。また、「ニューシネマ・パラダイス」など、これまで見た覚えのあるたくさんの映画のつぎはぎに思えるようなところも少なくない。おもしろくは見たし、魅力を感じたが、感動するほどでもなかったし、名画というほどでもなかった。

それにしても、プノンペンの変わりように目を見張った。私がプノンペンやシェムリアップ、アンコールワットなどを訪れたのは1992年だった。内戦は終わっていたが、時々銃声が聞こえ、小競り合いが続いていた。クメール・ルージュによる破壊から立ち直りつつあるとはいえ、焼け跡時代の日本と重なる風景だった。裸同然だったり、ぼろきれをまとっただけだったりの子どもたちがたむろし、バラックのような建物があちこちにあった。

ところが、この映画の中のプノンペンはネオンが輝き、高層ビルがたくさん立っている。もちろん途上国らしさは裏町には残っているが、近代的な大都会に見える。プノンペンのこの25年の変化は大きそうだ。久しぶりにカンボジアにいきたくなった。

 

「帰ってきたヒトラー」は、デヴィット・ヴェンド監督のドイツ映画。これは最高におもしろく、しかも刺激的だった。

突然、ヒトラーが2014年にタイムスリップする。本人は大まじめに自分がヒトラーであることを訴えるが、周囲は本気にしない。テレビ局をクビになったディレクターがヒトラーを題材に番組を作ろうとするうち、ヒトラーはお笑い芸人とみなされ、人気を得ていく。初めのうちはみんな笑ってみているが、徐々にヒトラーの扇動に乗っていく。ヒトラーは大衆の心の奥にある排他的で暴力的な本音を代弁したのであって、ヒトラーを生み出す状況は現代社会にも十分にある。そのような状況をこの映画は描き出していく。

しかも、ドキュメンタリー映画ふうにヒトラー役の役者がヒトラーになりきって街に出て人と話したり、現実と虚構が入り混じったりする。映画として実に手が込んでいる。なんでも利用して視聴率を取ろうとしているうちに、むしろ抜き差しならなくなっていくテレビというメディアの危険性も描かれる。そうしながら、まさしく虚構と思われていたものが現実になっていく様子が展開される。

ぞっとするようなリアリティをもった映画だった。

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オルミ監督の「緑はよみがえる」、IBM管弦楽団、京都観光のことなど

岩波ホールでエルマンノ・オルミ監督の「緑はよみがえる」をみた。 

 昔、「木靴の木」を見て感動した。これまで見たすべての映画の中でベスト20に入る映画だった。オルミ監督の映画はほかに「ポー川の光」を見ている。それもなかなかいい映画だった。だが、「緑はよみがえる」については、期待が大きすぎたせいか、それほどの感動は覚えなかった。

第一次大戦中、オーストリアとの戦いで雪に囲まれ、風邪やインフルエンザに襲われながら、塹壕の中での理不尽な戦いを強いられるイタリア軍の兵士たちの物語。大きな英雄譚があるわけでもなく、何かのミッション達成が描かれるわけでもなく、ただ兵士たちの苦難の日々と、多くの兵士の死が描かれる。

 私は実はほとんど人物を識別できなかった。もちろんカラー映画だが、意識的にモノクロに近い色遣いがなされている。みんなが軍服を着ており、みんなが厳寒の中で体中を衣服で覆っているうえ、塹壕の中なので薄暗い。未知の俳優たちを見分けるのはかなり難しい。が、これは群集劇なので、きちんと識別しなくても映画を理解するのにそれほどの問題はないといえるかもしれない。

 私が感じたのは、監督の慈愛の視線だ。兵士たちは理不尽に命令されて殺し合い、理不尽に苦しみ、理不尽に故郷や自然が破壊されていく。弱い人間たちが必死に尊厳を守り、なんとか生き抜こうとする。そして、苦難から生き残ったものがまた新たな歴史を作っていく。そのような人間の悲劇と宿命を淡々と、しかも哀切と愛情を込めて描いている。「木靴の木」とは比べようもないが、これはこれでとても良い映画だと思った。

 ところで、疑問に思ったことがある。

 1980年代前半だったと思う。イタリア映画祭か何かで今回と似た雰囲気の映画を見た。男たちがスイスの奥地で雪に囲まれて過ごす物語だった。「木靴の木」に感動した後、同じオルミ監督がずっと以前に撮った映画だということで見にいった記憶がある。モノクロの静謐な映画だった。ところが、それらしい題名がオルミ監督の作品リストにないような気がする。今回購入したプログラムにも、それらしい映画の記述がない。私の記憶違いなのだろうか・・・。

 ところで、ここ数日の出来事を書いておく。

 2016522日、文京シビックホールで日本IBM管弦楽団第27回定期演奏会を聴いた。日本IBMの関係者で作るアマチュア・オーケストラだ(ただし、賛助メンバーもかなり含まれているとのこと)。日本IBM出身の先輩に誘われた。指揮は松尾葉子。曲目はシャブリエの狂詩曲「スペイン」、ビゼーの「アルルの女」第2組曲、ムソルグスキー作曲・ラヴェル編曲の「展覧会の絵」。アマチュア・オケながらフランス的な軽やかで澄んだ響きを出しているのでびっくり。もちろん、しばしば音が濁るが、なかなか見事だった。

 524日、仕事で京都に赴き、京都産業大学付属中学校で小論文研修を行った。大変実りの多い研修だったが、15時までに仕事が終わったので、少し観光をして、おいしい京料理を食べてから東京に戻ろうと思った。

駅にカバン(私は研修の講師なのでそれなりに重い荷物を持っている)を置いて観光しようとしたところ、サミットのために京都は厳戒態勢でJRのすべてのコインロッカーが使用禁止になっていた。30度を超す暑さの中、あちこち探したが、JR以外のコインロッカーはすべて使用中。諦めて、カバンを持ったまま国立京都博物館にタクシーで行った。博物館ならカバンを預けて見学できると思った。ところが、なんと京都博物館もテロを警戒して展示物は見られない状態だった。そのままタクシーで駅に引き返した。きっとどこに行っても同じ状況だろうと考えて新幹線で東京に戻った。徒労だった!

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ベロッキオ監督の映画「夜よ、こんにちは」「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」「眠れる美女」

 5月3・4・5日はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで過ごした。その後、6・7・8・9日と家で過ごすことができた。その間、先日に続いて、ベロッキオ監督の映画をDVDでみた。感想を書く。いずれもとてもおもしろかった。とりわけ、「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」には感動した。

 

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「夜よ、こんにちは」 2006年

 1978年に起こったイタリアのテロリスト集団「赤い旅団」によるモロ元首相誘拐殺人事件を題材にした映画。メンバーの一人である女性キアラは、モロ氏監禁し、その状態を見て話を聞いているうちに自分の行動に疑問を持ち始める。キアラの考えの揺れを非現実的な映像も含めて描いていく。

「赤い旅団」によるモロ氏誘拐殺人事件についてはよく覚えている。私自身を含む当時かなり左翼的だった若者の左翼離れを加速させた事件だった。

 当時の独善的な過激派集団の意識、生きること、愛することへの根本的な問いが描かれてとてもおもしろい。映像も美しい。ただ、私としては「ポケットの中の拳」や「肉体の悪魔」ほどの衝撃は覚えなかった。

 

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「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」 
2009

 すべてを犠牲にしてムッソリーニ(フィリッポ・ティーミ)を愛し抜き、その息子を生みながら、のちにムッソリーニに捨てられ、存在を抹殺された女性(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)の自分と息子を認めさせようとして敗れていく物語。ムッソリーニが国民への演説で勝利を語り、国民を鼓舞し、国民の自由を訴える裏で、女性は人権を奪われ、精神病院に閉じ込められ、自由を失っていく。その不条理が絵画のように美しい画面によって語られる。事実に基づくようだ。

 狂おしい愛のあり方、生命をかけた激しい闘いに圧倒される。画面全体に激しい生命があふれている。この映画にも圧倒的な美しい場面がいくつもある。絵葉書的に美しいのではなく、画面全体に生命が宿り、エロスにあふれている。大いに感動してみいった。

 

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「眠れる美女」 
2012

 2009年、イタリアで植物人間として生きていた「眠れる美女」の尊厳死を認めるべきかどうかが政治的な問題になり、国論を二分する大騒動になったらしい。その騒動を背景にして、それぞれ尊厳死や自殺をめぐる三つのエピソードが描かれる。自殺や尊厳死を認めるべきか、それとも命を何よりも重視するべきか。重いテーマだが、映像があまりにリアルであまりに美しいために、つらい気持ちにならずに目を引き付けられて見入る。それぞれの人物の心の葛藤が真に迫っている。

様々な解釈が可能であり、様々な暗示が映画の中で示される。ベロッキオ監督自身の立場がどちらなのかもそれほど明確ではない。だが、監督が語ろうとしている大枠は、「人間の生命こそが何よりも大事だ。それを支えるのが人と人の絆であり愛である」というきわめて単純なことだと思う。単純だからつまらないというのではない。このような骨太のテーマががっしりとあるからこそそれぞれのディテールがリアルであり、それぞれの人物の感情に移入でき、登場するすべての人間が愛おしくなる。素晴らしい映画だと思った。

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