かなり前に10枚組DVD1980円のイタリア映画コレクションを購入。1本目からみていったが、1本目をみたころ、妻はまだ家にいた。妻の入院中、そして、葬儀の後も、家にいる時には、音楽を聴いたり、このDVDをみたりしていた。10枚みおわったので、簡単な感想を記す。
「外套」アルベルト・ラトゥアーダ監督 1952年
ゴーゴリの「外套」に基づいているが、ゴーゴリ特有のロシア的な得体のしれない不気味なユーモアではなく、イタリア的なユーモアになっている。ゴーゴリの場合、マスとしての貧しい人々はあまり強く描かれないが、この映画ではいかにもイタリア的なエネルギッシュで騒がしくて集団的な庶民が描かれる。まあそれなりにはおもしろいが、とてもおもしろいわけではなかった。
「ローマの太陽の下で」 レナート・カステラーニ監督 1948年
戦後すぐのネオレアリズモ映画。ローマの育ちのよくない若者たちの戦中戦後の無軌道な行動を描く。自分のしでかしたことが原因で母と父を失ってしまい、やっと自分の行動の愚かさに気づく。ただ私としては、ロッセリーニやデ・シーカのような貧しい子どもたちのやむにやまれぬ行動ではなく、パゾリーニの初期の小説や映画のような不良たちのむき出しの激しい生でもなく、中途半端な不良たちの軽率な行動なので、あまり共感できずあまりおもしろいとも思わない。つまらないことを騒がしくしているだけに思えた。
「百万あげよう」マリオ・カメリーニ監督 1935年
大富豪の青年(ヴィットリオ・デ・シーカ)が、周囲の人々が本心で接してくれないのを苦にした青年が貧しい浮浪者になりすましてサーカス団に紛れ込み、心から心配してくれる女性(アッシア・ノリス)と恋に陥る。他愛のない話をコメディタッチで描いている。
デ・シーカの軽妙な演技はとても魅力的だが、あまりに都合よく話が進むので、現代人としてはリアリティを感じられない。
「永遠のガビー」 1934年 マックス・オフュルス監督
「みんなの恋人」として人気絶頂の女優ガビー(イザ・ミランダ)が自殺を図った。手術台でのガビーの回想で映画が始まる。ガビーは女学校で教師に一方的に愛されたために退学になり、親の厳しい管理下に置かれる。そんなとき、近所の大富豪の息子ロベルトに憧れるが、ついに愛し合うようになる。ロベルトの母親にも信頼されるが、大富豪の父親にも愛されるようになり、それが発覚。母親を自殺に追い込んでしまう。ロベルトの父親と結婚するが、良心の呵責から、ともに暮らすことに耐えられずに別れ、女優になって成功。その後、ロベルトと再会するが、ロベルトはガビーの妹と結婚していた。
男に愛され、そのために不幸になって、いつまでも精神的に満たされないガビー。見ていて辛いが、名誉と富を得ても愛の渇望に苦しむ様子がリアルに描かれており、よくできた映画だといえるだろう。ただ、今となってはありふれていると感じてしまう。
「スペイン広場の娘たち」 1952年 ルチアーノ・エンメル監督
昼になるとローマのスペイン広場に集まる仲良しの美しい三人娘(ルチア・ボゼー、コゼッタ・グレコ、リリアナ・ボンファッティ)の恋模様をコメディタッチで描いている。ローマの庶民の生活の状況を含めてとても興味深く見ることができる。近所の人たちとわいわいがやがやと騒ぎ、自分の感情を表に出しながらも他人を思って生きているローマっ子たち。三人はそれぞれに恋をし、失恋したり、修復したり。リアリティがあり、共感してみることができる。
最後の方に気のいいタクシー運転手の役で若きマルチェッロ・マストロヤンニが登場。三人の一人と恋に陥る。いやあ、このころからマストロヤンニにはオーラがある!
それにしても三人ともとても美しい! ボゼーはとびっきり魅力的。いや、それだけでなく、その恋敵役をする女性もものすごい美人だと思う。今の私から見ると、その母親の世代の人たちも美しい。
ただ、スペイン広場で見かけて三人と親しくしている大学教授の語りで物語が展開するが、この人が知るはずもない内容なので、その点、現代のナレーションの常識からすると、少し違和感を覚える。
「田舎女」 1953年 マリオ・ソルダーティ監督
モラヴィア原作。大学教授夫人ジェンマ(ジーナ・ロロブリジーダ)が自宅で食事中、客の女性をナイフで刺そうとして錯乱するところから映画が始まる。呼ばれた医師パオロ、母親、夫の大学教授、ジェンマ本人の回想によって映画が進んでいく。最初に恋したパオロは実は腹違いの兄だった。自暴自棄になって教授と結婚するが、田舎暮らしに退屈し、ある女性人と知り合いになって、うまく丸め込まれて売春まがいのことをさせられそうになる。そこでその女性を刺したのだった。ジェンマは夫にそのことを告白し、許しを得る。
ちょっとできすぎの感がある(モラヴィアの小説の多くにそのような傾向があると思う)が、リアルな映像、俳優たちの見事な演技によって、とても良い映画になっている。
私は映画を見始めたころからジーナ・ロロブリジーダのファン(知ったときには、すでにかなりの年齢だったが!)。本当に魅力的だと思う。
「タッカ・デル・ルーポの山賊」 1952年 ピエトロ・ジェルミ監督
19世紀後半、ガリバルディによるイタリア統一後、国民の生活は必ずしも好転したわけではなかった。南イタリアの貧しい人たちの一部は山賊となってブルボン朝の残党と結びついて新政府を攻撃していた。そのような時代に、新政府の兵士たちが国民の無理解に直面しながら山賊を鎮圧する姿を描いている。社会矛盾を諸見の側から描く映画の多いジェルミ監督としては珍しいのではないかと思うが、兵を率いる厳しい大尉(アメデオ・ナザーリ)が主人公として描かれる。
イタリア史に関心を持っている人には面白いかもしれないが、そうでない現代の日本人にはあまり面白さがわからない作品だといって間違いなさそうだ。
「道化師の晩餐」 1942年 アレッサンドロ・ブラゼッティ監督
15世紀のフィレンツェ。義理の兄たちにいじめられ、恋人を奪われ、辱めを受けた男が復讐をして、兄たちを滅ぼす物語。1942年には目新しかったのかもしれないが、今から見ると、どうということのない物語。復讐の方法も現在から考えるとリアリティを感じない。まったく感銘を受けなかった。
「修道院のガリバルディ部隊兵」 1942年 ヴィットリオ・デ・シーカ
さすが、デ・シーカの映画というべきか、これはおもしろい! 娯楽作品としての常套手段をうまく取り入れ、センス良く話を進める。ユーモアあり、ほろりとさせるところあり、サスペンスありで飽きさせない。
二人の孫を連れて、老婦人カテリネッタが侯爵夫人マリエッラの館を訪れ、昔話を始める。若かったころ、台頭するブルジョワ家庭に生まれたカテリネッタと没落貴族の家に生まれたマリエッラは、隣同士でありながらも家庭が敵対していたので、初めはぎくしゃくするが、同じ女子修道院の寄宿舎に入り、仲良くなる。そこにガリバルディ部隊の将校が負傷して修道院に逃げ込み、二人で助けようとする。ところが、実は、その将校はマリエッラの恋人だった。
ガリバルディの独立戦争の時代背景に女性二人の友情をうまく描いている。ブルボン側からガリバルディ側に移ろうとする市民の状況もよくわかる。高貴なマリエッラと、活発で自然児のカテリネッタの対比もとてもおもしろい。ガリバルディ軍の隊長役にデ・シーカ本人が登場。それだけで画面がしまる。
「十字架の男」 1943年 ロベルト・ロッセリーニ監督
ロッセリーニの戦争三部作の一つ。イタリア軍のソ連戦線。ウクライナが舞台だろう。イタリア軍に加わる従軍司祭の活動を描く。負傷した兵士とともに戦場になる村に残り、砲撃を受けながら現地の農民と合流し、ソ連軍の兵士に対しても分け隔てなく接する。そして、最後、個人的感情から仲間を撃ったソ連兵を助けようとして自分の命もなくす。
1943年というから、まだ戦争中。しかも、イタリア軍はファシスト政権下にある。そのさなかにこれほど迫真力のある戦争場面を作り上げたこと自体に驚く。しかも、そこで人道主義を訴える。さすがロッセリーニ!
恋人を殺されたソ連軍の女性兵士が自分の過去を話して従軍司祭がそれを慰める場面。ソ連兵がイタリア語で話をしていることに違和感を覚えるし、突然、改心したように共産党を批判的な立場から自分の人生を語り始める女性の態度も説得力不足だが、そこで語られる司祭の「神は見捨てない。イエスはすべての死者が生きるために死んだ」という慰めの言葉はなかなかに説得力がある。これが当時のカトリックの従軍司祭の理念だったのだろう。
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