書籍・雑誌

ウエルベックの小説「服従」

 最近の私はかつてほどの大の読書家ではないが、もちろん仕事柄かなりの本を読む。ただ、書物はまさしく仕事そのものなので、それらについて書くと、手の内を明かすことになってしまって仕事に差し支えが出そう。そんなわけで、このブログを始めた時から、準備中の原稿の内容とともに、読んだ本の感想は書かないことを原則にしている。

 が、話題のミシェル・ウエルベックの小説「服従」(河出書房新社 大塚桃訳)を読んだので、少しだけ感想を書く。ウエルベックの小説は、以前、衝撃的という評判の「素粒子」を読んだだけだった。ぐいぐい引きこまれて読むというわけではなかったが、着想に驚嘆し、作者の思索の深さを感じた。今回、フランスのテロとの関係で「服従」が話題になっているので、先に「プラットフォーム」も読んでみたが、同じ印象。そして「服従」。

 ごく簡単にストーリーをまとめると、2022年、フランス社会がイスラム化し、選挙によってイスラム党が政権を握ったため、もっとも非イスラムと思われる19世紀の作家ユイスマンス(退廃的な人工楽園を描いていたが、晩年、宗教に目覚めてカトリックに帰依した)を研究していた優秀な大学教授も、だんだんと自ら社会に服従するようになり、「服従」を美徳とするイスラム教に改宗する・・・ということになるだろう。

 ニュースなどで取り上げられていたので、政治抗争をリアルに取り上げ、イスラム教の浸透の危険性を警告する小説かと思っていたら、むしろこれまでのウエルベックの小説と同じように一人の男の精神生活を描きつつ、人間のあり方、生きることの究極の意味について、ドストエフスキー的といってよいほどに掘り下げた小説といえそうだ。キリスト教や服従についての語り手とルディジェとの会話などは「悪霊」などの主人公たちの議論を思わせる。

そして、厄介なことに、ウエルベックのほかの小説と同じように「異化効果」が用いられている。作者は読者が語り手に同化するのではなく、語り手の行動に違和感を持ち批判を感じるように仕組む。読者は語り手に共感と批判を同時に持たなければならない。しかし、読み進むうち、どれがウエルベックの本音なのか、イスラムへの語り手の考えはどこまでウエルベック自身のものなのかわからなくなる。

ウエルベックの考えを読み解くための手がかりになりそうなのが、語り手のユイスマンスへの解釈なのだが、私はユイスマンスの小説のよい読者ではない。きちんと読んだのは「さかしま」だけで、ほかは必要があって飛ばし読みした程度。「服従」の中の語り手のユイスマンスへの言及には、私にはついていけないところ、判断に迷うところが多々あった。

少しユイスマンスの小説を読んでみて、「服従」を再読する必要があると思った。

いずれにしても、ウエルベックは政治状況、精神状況をからめたうえで、これまでの「個」を中心とする西洋的な価値観の崩壊について語っている。ヨーロッパの人間のみならず、世界の人間と考えなければならない問題だろう。

それにしても、最初からイスラム党が政権を握って強圧的な政策を進めていくという展開ではなく、国民の多くが反動勢力である国民戦線を警戒するからこそイスラム党が政権を握り、しかも、その指導者は温厚で知的であって国民の信頼を得ている・・・という近未来的な政治状況が実に恐ろしい。おそらくそうはならない(フランスではイスラムへの抵抗が強い)と思うが、なるほどこのような状況だったら十分にあり得るだろう・・・と思ってしまう。

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拙著「読んだつもりで終わらせない名著の読書術」刊行

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 10日ほど前、拙著「読んだつもりで終わらせない名著の読書術」(KADOKAWA)が発売になった(その後、様々な家庭の事情などもあって、このブログに報告するのが遅れた)。

 名著、とりわけ文学作品を読みたいと思いながらなかなか手に取れずにいる人に向けて、古典作品の読み方を紹介して、もっと古典に親しんでいただくように勧める本だ。

 本書の第一部では、どのように名著に向かえばよいのか、どのように味わえばよいのかを文学の初心者向けに説明している。

 もちろん、名著の正しい読み方などない。人それぞれの読み方、味わい方がある。いいかえれば、それぞれの人が自分の思いを仮託しながら読むことのできる書物こそが名著だといえるだろう。だからから必然的にすぐれた文学作品はわかりにくい。様々な解釈が可能であるがゆえに、エンターテインメントのようにわかりやすく書かれていない。そのために、多くの人が古典の名著に少し触れて、「わからない」「つまらない」と思ってしまう。そうした状況を少しでも変えたいと思って、この本を企画したのだった。

 まずは、様々な読みがあるのだから正解探しをするべきではないこと、しかし、そうはいっても文学作品を読む場合には目の付け所があること、そして何よりも、繰り返し読み返したりすることによってだんだんと理解が深まってくることを実例を挙げながら紹介している。

 第二部では、第一部で紹介した方法を取りながら、具体的に太宰治「人間失格」、夏目漱石「こころ」、カフカ「変身」、ドストエフスキー「罪と罰」、パスカル「パンセ」を題材に私なりの読み方、私なりの解釈を紹介している。

ここに取り上げたのは、日本文学とドイツ文学、ロシア文学、そしてフランス思想関係の書物だ。私のもともとの専門は20世紀フランス小説と、現代アフリカ小説なので、本書で取り上げたのはいずれも専門外のものばかり。専門家ではない私が自分なりの読みを紹介するのは少々おこがましくはないかという思いもあったが、専門家ではないがゆえに自由な読みができるのではないかと考えて、あえて以前から親しんできたこれらの作品を選んだのだった。専門家ではないがゆえの弱点もあるかと思うが、逆に強みもあると信じたい。

多くの人に本書を読んでいただけるとうれしい。そして、私の読みを参考にして、自分なりにもっと深い読みを見つけ出していただきたい。

 少し私の近況を記す。

 今年は、6月に義父、10月に実父、12月に我が家の飼い犬が亡くなった。そして、12月18日には、大分県杵築市で暮らしていた叔母が89歳で息を引き取ったとの知らせが入った。幼かったころ、しばらくの間同じ家で暮らした叔母だった。急な葬儀が大学のAO入試と重なったので私は出席できなかった。合掌。

 大学の授業が終わり、あれこれの雑用が終わって、やっと一昨日から新しい本の原稿の執筆を再開。8月に両親の状況の悪化のためにそれまでの施設にいられなくなってから執筆はまったく捗らなくなり、10月に父が亡くなってからはぴたりと止まっていた。私には兄弟がいないので、ふだんはかなり気楽に生きていけるのだが、親の面倒、親の死、その後の様々な儀式や手続きとなると、すべて私と妻にかかってきて、どうにも動きが取れない。締め切りを過ぎた原稿。事情が事情だけに編集者も理解してくれてはいるが、責任を感じる。正月明けまでには何とか完成させないと!

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拙著3冊の紹介

 何冊か、私の著書が刊行された。いくつか紹介したい。

 

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「教養」を最強の武器にする読書術 (大和書房)

 教養が見直されてきている。私も大学で教えながらつくづく思うのは、若者の教養不足だ。教養がないと、広い思考ができない。どうしても浅くて狭いものになってしまう。

私は若いうちは、受験勉強もろくにせず、就職もしないで、音楽に夢中になり、本ばかり読んでいた。中年以降は若者の教養を付けるための教育関係の仕事をしてきた。つまり、私は教養だけには自信がある。この本はそんな私が教養のためにどのような本を読むべきかを説明したものだ。前半にはノンフィクション、後半には文学作品をまとめ、その読み方などについて解説した。

 

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バカ上司を使いこなす技術 (中経の文庫)

 先ごろ、「バカ部下を使いこなす技術」(中経の文庫)を出し、大変好評だったが、本書はその続編だ。前著は、「性愚説」にもとづいて、部下というものは本来バカであることを前提にして、どのようにしてバカな部下に上司の意図をわからせるべきか、どうすれば部下を動かせるのかを皮肉な視点から解説したものだった。本書もまた、上司というものは本来的にバカでしかあり得ないということを前提にして、上司に対してどのように話をし、どのように対応して、上司をうまく操縦するかについて解説した。にんまりしながら読めて、きちんと役に立つことを目指している。

 

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わかりやすい文章を書く技術 (フォレスト出版)

 本書は以前ビジネス社から出されていた「できる人の書き方、嫌われる人の悪文」に加筆をしたものだ。わかりやすい文章にするにはどこに気をつけるか、どう構成し、どう説得力を持たせ、どのように面白くするかについて解説している。文章を書くことに苦手意識を持つビジネスマンのための文章入門書だ。

 

 

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二人の大先輩の著作 「翔べよ源内」と「悔しかったら、歳を取れ」

 二人の大先輩の著作を立て続けに読んだので、感想を書かせていただく。

519dbvcmdcl__sl500_aa300_  一つは小中陽太郎先生の「翔べよ源内」(平原社)。小中先生とは、このところ、親しくさせていただいている。小中先生の話術とエッセイの語り口の面白さについて常々感服していたが、本書はそれが一層際立っている。

 平賀源内を扱った小説だが、自由で楽しくてハチャメチャな源内の生き方を、まさしく源内にピッタリの自由な語り口で書きつづっている。遊びが多く、脱線が多い。下ネタもあちこちに出てくる。まさしく融通無碍の文体。

従来の小説で多用される描写が極めて少ない。自然や人物、状況について、必要不可欠な情報だけしか与えられない。にもかかわらず、いや、むしろそうだからこそ、登場人物は自由に飛翔する。時代小説愛好者は、時代特有のにおいがないと言うかもしれない。が、それこそが源内の在り方であり、小中先生の生き方でもあるのだろう。良い意味で、実に軽やか。司馬遼太郎に近い歴史的アプローチだが、読後感は全く異なり、もっとずっと自由ですがすがしい。

小中先生は、まさしく現代の平賀源内とでも呼ぶべき存在だと、改めて思った。

 

41ty9guypyl__sl500_aa300_  もう一冊は、野田一夫先生の「悔しかったら歳を取れ! わが反骨人生」(幻冬舎 ゲーテビジネス新書)。野田先生は、私の勤める多摩大学の初代学長であり、現在の寺島学長が就任する前の学長代行だった。「和をもって貴しとなす」という言葉を何より嫌い、反骨を貫いた半生を描いている。

 野田先生は現在85歳。先月だったか、久しぶりに先生にお会いしたが、80歳代とは思えない。お世辞でも何でもなく、60歳以下に見える。背筋をぴんと伸ばし、元気な声で話をされ、速足で歩く。話の内容も、大学生などよりもずっと若々しい。私はこれまでの人生で、野田先生ほど若々しかったことは、20代のころを含めて一度もないだろう。

 本の中身は、私は既に聞いたことのある話が中心だったが、改めて野田先生のスケールの大きさに感服。私が気に入っているのは、足の悪い学生のエピソードだ。

 ある時、教室に遅刻して足を引きずる学生が入ってきた。野田先生は「何だ、その歩き方は」と怒鳴った。野田先生はこのようにしてしょっちゅう怒鳴る。ところが、その学生は生まれつき足が悪かった。学生がそのことを伝えると、先生はこういったという。「ああ足か。足でよかったな。世の中には頭の悪い奴がいっぱいいるが、見えんから、本人も気がつかん。足なんか気にするな。むしろ、頭の悪い奴のことを同情してやれ」

 これぞ野田流。頑固一徹。頭の回転が速く、当意即妙に警句を吐く。必ずしもだれもが賛同する価値観ではない。反発を覚える人もいるだろう。だが、そこには深い人間観察と温かい人間愛が含まれている。だから、話が面白い。このレベルの警句は、野田先生と話していると、5分に一つくらいは出てくる。この本の中にも、このようなエピソードが現れる。

 この本はとてもおもしろい。しかし、正直言うと、野田先生と話をしていると、もっともっとおもしろい話がたくさん出てくる。野田先生にはこれからももっとたくさんの本を出してほしいものだ。

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