安田純平さん解放について思うこと
このところ音楽と映画と旅行についてばかり書いているが、たまには政治についても書いてみよう。
シリアで拘束され、3年以上にわたってテログループの人質になっていた安田純平さんが解放された。思っていた通り、大きなバッシングが起こり、「自己責任論」(もっとわかりやすく言うと「自業自得論」ということだろう)が飛び交っているようだ。
私は安田さんを存じ上げているわけでもないし、中東問題に詳しいわけでもない。まったくの素人だが、素人ながら(あるいは、素人だからこそ?)不思議に思っていることがある。それについて書いてみたくなった。
「危険なのだから立ち入るべきではないといわれている場所に安田さんは自分から立ち入り、しかも政府に頼まれたわけでもなく、むしろ政府に対立する行動をとっていた。その安田さんが人質になったのは自己責任であって、その解放のために日本政府は国民の税金を使うべきではない。英雄扱いするべきでもない」というのが自己責任論だろう。
私はこの自己責任論を間違った考えだとは思わない。安田さんは好き好んでいって人質になったのだから、そういわれても仕方がない面もある。そのような自己決定論は、少なくとも中国程度の民度の低い国や韓国程度のGDPの国では当然のことだろう。私が中国人であるか韓国人であるかだったら、間違いなく「自己責任論」の立場を取るだろう。
中国人であれば世界の民主主義を考える必要もなく、韓国人であれば、経済力が不十分なために、志はあってもそれを実行するべきではない。中東などに首を突っ込まず、無駄な税金を使わずに国内の利益のことだけ考えていればよい(誤解のないように付け加えますが、私は中国人、韓国人の友人も多く、中国、韓国の国民を尊敬しています)。
しかし、日本は先進国なのだ。少し光が失われたとはいえ、大きな経済力を持ち、世界での発言力を持っている。これから、もっと発言権を持って発信していくべきなのだ。その日本が中国や韓国と同じように考えていては恥ずかしいと私は思うのだ。
フリー・ジャーナリストが世界の各地に行き、時に危険な場所に行って真実を報道することを人類の義務とは私は思わない。ジャーナリズムの宿命だとも思わない。だが、それは民主主義を担う先進国の義務だとは思う。安田さんは先進国のジャーナリストの代表として危険地帯に立ち入って報道していたのだと思う。安田さんにももちろん軽率な行動もあっただろうし、判断の間違いもあっただろう。しかし、ともあれ先進国グループのジャーナリストとして、政府とは離れたところで真実を報道しようとしていた。これは極めて意義のある大事な仕事だと思う。
私が不思議に思うのは、「自己責任論」をかざしている人々と、ふだん「反中・嫌韓」を唱えている人が重なるらしいということだ。ネットで見る限り、そのような傾向があるように思う。私はむしろ「反中・嫌韓」の人こそ、「中国、韓国のような国では安田さんをバッシングするだろう。だが、日本は中国や韓国などと違い民主主義の定着した世界の先進国だ。だから、安田さんの仕事を高く評価する。そこが我々日本人が中国人とも韓国人とも異なって優れたところなのだ」と考えるはずだと思うのだ。なぜそうならないのだろう。私が今回の問題でもっとも不思議に思うのは、このことなのだ。
私は安田さんが英雄だとは思わない。安田さんを日本人として誇りに思ったりもしない。ただ、安田さんは先進国のジャーナリストとしてするべきことをした。先進国の人間として極めて大事なことをしていた。安田さんの無事を喜び、その仕事ぶりをきちんと評価するべきだと思う。安田さんをあしざまに言う人々は、「日本は先進国であるべきではない。日本は世界への発言権を持つべきではない。日本は二流国になってしかるべきだ」と主張しているように私には聞こえる。
| 固定リンク
| コメント (14)
| トラックバック (0)
最近のコメント