音楽

METライブビューイング「エフゲニー・オネーギン」最後には大感動

 東劇でMETライブビューイング「エフゲニー・オネーギン」を みた。第三幕は涙を流した。

 このオペラが私は中学生のころから大好きだ。その後、チャイコフスキーという作曲家には一定の距離を置くようになったが、このオペラについては今も愛せずにはいられない。多くの人が「オネーギンがあまりに傲慢」「オネーギンよりもタチアナに惹かれる」という中で、私はオネーギンという人物が大好きだ。初めてオペラを知ったころ、中学生ながら岩波文庫だったか原作を読んだ。韻文が多くて読むのに苦労したのを覚えている。が、生意気で多感な中学生だった私は、「ふさぎの虫」(確か、このような訳語が使われていたと思う)に襲われる世をすねたオネーギンをカッコイイと思った。そのオネーギンに惹かれ、最後にはねつけるタチアナを可憐だと思った。オネーギンの分身としての素直な心の持ち主であるレンスキーにも共感した。オペラの最初の30分の陰鬱な田舎の雰囲気でオペラの世界に没入した。それから50年以上たつが、いまだに同じ思いでいる。

 そして、今回のライブビューイング。ホヴォロストフスキーが体調不良とのことでペーター・マッテイがオネーギンを歌った。マッテイのオネーギンは、前半は傲慢で嫌味な部分を強調し、後半は真摯さを示す。うまい演技、最高の声。これまで確か2回ほど、この人のオネーギンの映像を見た記憶があるが、現代最高のオネーギンだと思う。ネトレプトのタチアナももちろん素晴らしい。

ただ、今回の演奏や演出も含めて、ネトレプコのタチアナは中学生のころから私が愛してやまない「エフゲニー・オネーギン」とは少し違う。私が大好きなのは、チャイコフスキーの内向的でメランコリックで地味な部分が現れたこのオペラだ。つまり、タチアナはもっと暗く内向的でうちに秘めていてほしい。演奏ももっとけだるく、陰鬱で切なく、そして田舎風であってほしい。ロビン・ティチアーティの指揮はあまりにヴィヴィッドで鮮やか、ネトレプコが歌うとどうしても華麗になる。

とはいえ、第三幕は素晴らしい。劇的な場面になると、ティチアーティの指揮が実にさえる。幕切れは切なく悲しく悲劇的。マッテイもネトレプコも実に素晴らしい。

歌手陣の中で目だったのはグレーミン公爵を歌ったシュテファン・コツァン。若手だが、見事な低音。レンスキーを歌ったアレクセイ・ドルゴフは健闘していたが、主役二人に比べると力不足、魅力不足を感じた。オリガを歌ったエレーナ・マクスモワはとても魅力的な若手歌手だが、前半、少し音程が不安定だった。

さすがメトロポリタン歌劇場の公演だけあって、最後には満足させ感動させてくれる。次回は「ばらの騎士」。今から楽しみでならない。

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ツェートマイヤーの無伴奏バッハ 2日目

 2017513日、トッパンホールでトーマス・ツェートマイヤーのバッハの無伴奏ヴァイオリン曲の連続演奏2日日を聴いた。前半に無伴奏パルティータ第3番とソナタ第3番、後半にパルティータ第2番。

 初日に引き続いて素晴らしい演奏。鮮烈な音。男性的で鋭く、潔い。確信をもって強く表現する。振幅の大きな表現だが、きわめて理にかなっているので、一つ一つの音のつながりに納得がいく。感動する。

 この人は、ひとまとまりのフレーズを一つのフォルムとみなし、それを自在に配置して全体の構成を作っているようだ。まるで美術におけるキュービズムのよう。シャコンヌはとりわけ絶品だった。各所にクライマックスを作るのではなく、フォルムを重ね、スケールを大きくとって徐々に盛り上げ、最後には静かに終息していく。言語を拒絶をしているがゆえに美しい一つの非言語の物語が展開されていく。とてつもないヴァイオリニストだと思った。

 アンコールはビーバーのパッサカリアとツィンマーマンのソナタだという。ツェートマイヤーが何やら語って弾きだしたが、私には聞き取れなかった。曲名はあとでネットで確認した。これも素晴らしい演奏。

 多摩大学を退職すると仕事が楽になるかと思っていたが、いつまでたっても時間ができない。仕事が立て込んでいるので、雨の中、急いで帰った。

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ツェートマイヤーの無伴奏バッハに興奮!

 2017511日、トッパンホールでトーマス・ツェートマイヤーの無伴奏バッハ連続演奏の初日を聴いた。今日は前半に無伴奏ソナタ第一番と無伴奏パルティータ第1番、後半に無伴奏ソナタ第3番。驚異的な名演奏だと思う。自宅に帰った今もまだ興奮している。

 ツェートマイヤーの名前はもちろんずっと前から知っていた。が、なぜか聴かず嫌いだった。ところが、一昨年だったか、武蔵野市民文化会館でカプリースを聴いて驚嘆。いっぺんに大ファンになって、その後、CDを買い込み、繰り返し聴いてきた。そして、今回バッハの無伴奏曲が演奏されるというので、大いに期待してトッパンホールに行ったのだった。そして、期待以上の感動を得た。

 この人の演奏をどう表現すればよいのだろう。きわめて自由な表現。奔放な演奏といってもよいかもしれない。今まで聴いてきたどのヴァイオリニストとも違って、アクセントが強かったり、異常に弱音だったりする。だが、まったく形が崩れない。きわめて正確な音程。きわめて知的な構築。だから、これほど自由に演奏しながら、まったく下品でなく、むしろきわめて高貴な雰囲気が漂う。一つ一つの音に勢いがあり、それが前後の音と絡まって自然に音楽が流れていく。聴くものとしては、ただただ感動し、音の世界に魂を動かされる。

 パルティータ第1番のドゥーブルの表現に驚いた。アルマンドのドゥーブルはまるで囁くようにずっと弱音で演奏した。クーラントのドゥーブルではうってかわって明るく演奏し、サラバンドではふたたび囁くように。そしてブーレではむしろ前半よりも華やかに。そのあたりの構築の仕方が実に理にかなっている。突飛なことをしているように見えて、ひとつひとつにうなずける。単におそろしく上手なヴァイオリニストというだけでなく、おそろしく知的な思想家でもあることがよくわかる。何人もの現代作曲家がツェートマイヤーのために曲を書いているというが、ツェートマイヤーには現代作曲家を引き付けるだけの力があるのだろう。

 私はバッハの無伴奏曲が大好きだが、時に退屈することがある。きっと良い演奏なのだろうと思いつつ、私にはついていけないと思うことがある。だが。ツェートマイヤーの演奏は波乱万丈でスリリングでまったく退屈しない。そうでありながら決してロマンティックというわけではなく、むしろ真正面からバッハを演奏している。これこそがバッハの世界なのだろうと納得させられる。

 アンコールはパルティータ第3番のガヴォット(私は昔々、いやいやヴァイオリンを習わされていたころ、この曲の初心者ヴァージョンを弾いていた!)とソナタ第2番のアンダンテ。これらも素晴らしかった。

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2017年ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 勝手にベスト5

 昨日、2017年の「熱狂の日」音楽祭 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが終わった。今年のテーマは「ダンス」。運動神経が鈍くて踊りが好きではない私は、テーマとは関係なく、ただ聴きたい音楽を聴いた。

 2005年から昨年まで、私が聴いたのは有料のものだけで451のコンサートだった。今年18個のコンサートを聴いたので、これまでに合計469のコンサートを聴いたことになる。もちろん、その中には、東京のラ・フォル・ジュルネだけでなく、ナント、びわ湖、今はなくなった鳥栖のコンサートも含まれる。

 私が聴いた18のコンサートに勝手にベスト5を選ぶと以下のようになる。ただし、言うまでもないことだが、私はまったくの素人であって、しかも鍵盤楽器をあまり好まないという傾向がある。また、こてこてのクラシック音楽好きであって、ふだんはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、ワーグナー、シュトラウスあたりのドイツ系本流ばかりを聴いている。ここに選んだのももちろん偏りがある。

 

① フランス国立ロワール管弦楽団 、パスカル・ロフェ (指揮) 

ラヴェル「古風なメヌエット」、 ストラヴィンスキー バレエ「春の祭典」

 最終日の最後のコンサートで聴いた。しなやかな音のリズムと爆発が素晴らしかった。

 

➁ テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、グザヴィエ・フィリップ(チェロ)、フランソワ=フレデリック・ギィ(ピアノ) 

ベートーヴェン ピアノ三重奏曲変ロ長調「大公」

 繊細で高貴でありながら最後には躍動に達する素晴らしい「大公」だった。三人の演奏者の音の美しさにも驚嘆した。

 

③ テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、フランソワ=フレデリック・ギィ(ピアノ)

ベートヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、ファリャ「スペイン民謡組曲」、バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」

 パパヴラミの音と音楽表現に圧倒された。

 

④ 竹澤恭子(ヴァイオリン)、フランス国立ロワール管弦楽団、パスカル・ロフェ(指揮)

シベリウス「悲しきワルツ」 シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47

 ロマンティックな情熱と構築性を兼ね備えた理想のシベリウスだと思った。立沢さんの力量に改めて驚嘆。ロフェの指揮もオケも素晴らしかった。

 

⑤トリオ・エリオス ドヴォルザーク ピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」、ブラームス(モファット編) ハンガリー舞曲第1番、第6番

 若いトリオの精妙で躍動感ある演奏に惹かれた。活動を続ければ、きっと世界を代表するトリオになると思う。長く追いかけたい。

 

番外 ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソヴィアのメンバー、ダニエル・ロイス(指揮)など。

オネゲル オラトリオ「ダヴィデ王」

 曲の価値を理解できた。最後の「ハレルヤ」には本当に感動した。

 

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 なお、昨日も書いたが、林田直樹著「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテス・パブリッシング)がおもしろい。林田さんがあとがきで書いているように、実は今、ラ・フォル・ジュルネは岐路にある。もう東京のラ・フォル・ジュルネはやめにしようという声も日本側から起こったという話も聞いている。そんな時、この本は意味を持つ。初心を知ることができる。改善点のヒントにもなる。いや、ここからもっと素晴らしい企画をする人物が現れてくれたら、私としてはそれもうれしい。

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2017年ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン最終日

2017年5月6日、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭最終日の感想を簡単にまとめる。

 

・オリヴィエ・シャルリエ(ヴァイオリン)、豊嶋泰嗣(ヴィオラ)、アレクサンドル・クニャーゼフ(チェロ)、アレクセイ・ヴォロディン(ピアノ)

 ハイドン ピアノ三重奏曲第25番ト長調 「ジプシー・ロンド」、ブラームス ピアノ四重奏曲第1 ト短調 op.25

 

 ジプシーつながりの曲を二つ。ハイドンの曲は初めて聴いた。なかなかおもしろいが、クニャーゼフが手持ち無沙汰に見えたのは、気のせいか。ブラームスのほうは私の好きな曲の一つ。ただこれは終楽章に至るまで飽きずに聴かせるのはかなり難しい。急ごしらえのメンバーではどうしても推進力に欠ける。やはり、この名人たちも例外ではなかった。どのような音楽を作りたいのかよくわからなかった。

とはいえ、第4楽章は勢いに乗り、素晴らしかった。それでもまだ不満らしく、アンコールでまた第4楽章。凄まじい演奏。さすが。アンコールには興奮した。

 

・横坂源 (チェロ)
、藤井一興 (ピアノ) 

フランソワ・クープラン「演奏会用小品集」から プレリュード、シシリエンヌ、悪魔の歌    ヨハン・セバスティアン・バッハ ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第3 ト短調 BWV1029 チャイコフスキー「懐かしい土地の思い出」から「メロディ」 ドビュッシー チェロ・ソナタ

 今注目の若手チェリストのドビュッシーのソナタを聴いてみたいと思った。伸びやかな音。屈託なさそうな音なのだが、美音なので、魅力的に響く。ただ、バッハもチャイコフスキーも同じように聞こえるのが、私としては不満。藤井一興のピアノはとても安定していて、絶妙にチェロを支えている。

アンコールの無伴奏組曲1番のプレリュードは素晴らしかった。横坂のよさが存分に発揮されていると思った。

 

・クリストフ・バリサ(語り)、ロランス・アミー(巫女)、リュシー・シャルタン(ソプラノ)、マリアンヌ・ベアーテ・キーランド(メゾ・ソプラノ)、エンドリク・ウクスヴァラフ(テノール)、ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソヴィアのメンバー、ダニエル・ロイス(指揮) 

オネゲル オラトリオ「ダヴィデ王」

 改訂版が初演時の小規模なオーケストラによって演奏された。もちろん、私は初めてこの曲の実演を聴く。録音も数回しか聴いたことがない。おもしろいとも思わなかった。いや、実を言うと、そもそもオネゲルの曲を数曲しか聴いたことがないし、これまでおもしろいと思ったことがない。

 が、今回聴いて、とてもおもしろかった。歌手や語りの役者がそろっていたためかもしれないが、音楽は美しく、詩的で、ドラマティック。最後の「ハレルヤ」のコーラスは感動的だった。ただ、語りが多いので、CDで聴くと物足りなく思うのも当然だろう。

語りの見事さ、巫女の役者の迫力、ソプラノのシャルタンの清澄な声、合唱の美しさにとりわけ感嘆した。

 

  ・リチェルカール・コンソート、フィリップ・ピエルロ(指揮)

ディエゴ・オルティスやサンティアゴ・デ・ムルシア、マレ、ラモーなどの作品。

 バロック音楽に特に強いわけではない私はもちろん知らない曲ばかり。しかし、この団体が演奏すると、私は強く惹かれる。ピエルロのヴィオラ・ダ・ガンバの技術の凄まじさもさることながら、その温かみ、親密さに心から満足する。狭いホールで仲間たちとゆっくり聴くのにふさわしい。しみじみと人の心、音楽の素晴らしさを感じる。

ナントでこの団体に出会ってからすっかりファンになり、ほとんどすべてのCDを購入し、時々聴いている。今回も心から満足。

 

・テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、グザヴィエ・フィリップ(チェロ)、フランソワ=フレデリック・ギィ(ピアノ) 

ベートーヴェン ピアノ三重奏曲変ロ長調「大公」

 

 最高の演奏だった。繊細にして緻密。だが、内にこもるのではなく、じわじわと情熱、喜びが外に伝わっていく。三人が心を一つにして音楽を作っているのがよくわかる。音楽を推進しているのはきっとピアノのギィだと思うが、フィリップの繊細さ、パパヴラミの音の強さがそれぞれに一つの世界を築いていく。躍動があり、高貴でしなやか。最終楽章は、躍動し、愉悦が爆発し、苦しみを知った後の人生の喜びが胸に迫ってくる。まさしく圧巻。感動した。

 

・フランス国立ロワール管弦楽団
、パスカル・ロフェ (指揮) 

ラヴェル「古風なメヌエット」、 ストラヴィンスキー バレエ「春の祭典」

「春の祭典」はまさしく名演。このオーケストラ、実に素晴らしい。しなやかで香りがあり、しかも、機動力も爆発力も持っていることを今日、知った。パスカル・ロフェも素晴らしい指揮者だ。この複雑な曲の魅力を最大限に発揮して聴かせてくれる。音楽を手際よく整理しているだけでなく、生き生きとして、しかもわざとらしくなく、爆発力もあり、ワクワク感もある。後半、ずっと圧倒されっぱなしだった。

 

 本日の最後の四つのコンサートは実に素晴らしかった。興奮して家路についた。ラ・フォル・ジュルネはまさしく驚異の祭典だと思う。人々を興奮させてくれる。音楽のよさを教えてくれる。知らなかった曲を味わうことができる。

 

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林田直樹著のラ・フォル・ジュルネ公式本「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテス・パブリッシング)を読み始めた。ラ・フォル・ジュルネの精神が語られている。これまで私がラ・フォル・ジュルネのコンサートを聴きながら感じていたことが林田さんの手によって的確にまとめられている。理想論に聞こえる部分もあるが、マルタンはこれをまさしく実行し、成功させている。驚くべきことに、マルタンの考えが正しかったことがすでに証明されている。その音楽観の基本にあると思われる家族について、セックスについてのマルタンの考えもとても興味深い。

 私は多摩大学のゼミでクラシックコンサートの企画運営を指導していた。客に来てもらうのにとても苦労した。この本をもう少し前に読んでいれば、学生の読ませ、私もこれで勉強し、もっと根本的なところからコンサート企画を、それどころか様々な企画を考え直すことができたのではないかと思った。ちょっとこの本を知るのが遅すぎた!

 

 明日から日常に戻る。あと数日、4月末締め切りだった原稿を仕上げるまで猛烈に忙しい。

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2日目

2017年5月5日、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2日目の感想を簡単に書く。

・アレクサンドル・クニャーゼフ(チェロ)、アレクセイ・ヴォロディン(ピアノ)

シューマン「民謡風の5つの小品」、ストラヴィンスキー(ピアティゴルスキー編)「イタリア組曲」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、ピアソラ「ル・グラン・タンゴ」

 

 今回のラ・フォル・ジュルネのテーマは「ダンス」。テーマがあまりに広すぎるので、あまり気にせずに聴いていたが、このコンサートは舞踊風の音楽を集めている。クニャーゼフはかなり思い入れたっぷりの音楽づくり。ロマンティックというのとは違うが、独特の思い入れ。シューマンとラヴェルがとてもよかった。ストラヴィンスキーも躍動感があった。ヴォロディンのピアノもぴたりと合っている。とても良い演奏。満足。

 

・テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、フランソワ=フレデリック・ギィ(ピアノ)

ベートヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、ファリャ「スペイン民謡組曲」、バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」

 素晴らしかった。パパヴラミの弓全体を使った思いのこもった音が何とも感動的。ただ、音楽の作りは、パパヴラミの体型(筋肉隆々が外から見えるような服を着ている!)と同じようにきわめて筋肉質で無駄がない。万感の思いをぐっとこらえてさりげなく弾く。そんな雰囲気。ファリャとバルトークの民族性を表に出した踊りの曲も、そこに民族の悲しみ、怒り、そして日々の喜びが込められていることがよくわかる。感動した。

 

・メキシコ民俗音楽演奏団体による演奏

 曲目については省略

 

 「テンベンベ」というメキシコの民俗音楽とバロック音楽の演奏を続けている団体の演奏。バロック楽器のようなものが中心。ヴァイオリン、マンドリン、タンバのような楽器と歌による演奏。メキシコ民俗音楽はバロック音楽の発展だという。なるほど、聴いてみるとよくわかる。メキシコ民俗音楽はとても楽しい。逆に言うと、バロック音楽も当時、メキシコ民俗音楽のようなノリで演奏されていたのかも。とても楽しかった。子のような曲はめったに聴けないので、このような機会を得たのがありがたい。

 

 

・ボリス・ベレゾフスキー (ピアノ) アレクサンドル・ギンジン (ピアノ)

アレンスキー 2台のピアノのための組曲第1 、シューベルト「幻想曲」 ヘ短調 D940 ブラームス ワルツ集「愛の歌」op.52aから ストラヴィンスキー(バビン編)「サーカス・ポルカ」、 コープランド「キューバ舞曲」

 2人のピアノのテクニシャンによる演奏。アレンスキーの曲は初めて聴いた。ロマンティックでとてもおもしろい。ちょっとCDを探してみたくなった。あまりに素人じみた感想だが、それにしても2人の音がぴたりと合っているのにびっくり。息が合っているというレベルを超えている。名ピアニストというのはこれほどまでに即妙に音を合わせることができるのかと驚嘆した。二人ともシャープでヴィヴィッドな音だが、嫌味でなく、とても楽しい。舞曲っぽいものを集めた曲集。「サーカス・ポルカ」も「キューバ舞曲」も初めて聴いたが、まったく飽きず、楽しさと二人の名人の技の見事さに聞きほれた。

 

 

・アレクサンドル・クニャーゼフ(チェロ) J.S.バッハ 伴奏チェロ組曲第2番、第5

 

 ひとつひとつの音に魂を込め、たっぷり鳴らしながらゆっくりと演奏する。初めのうちは、あまりの思い入れの強さに「ついていけないなあ」と思っていたが、他人がどう思おうが自分を貫く迫力に押されて、いつの間にか納得して聴いていた。信仰の世界というよりきわめて人間的。しかし、ロマンティックというのとも違う。日々生きる感情のエッセンスを音に込めようとしているのだろう。独特の思い入れだと思う。感動する・・・ということはなかったが、大変面白い演奏だった。 

 

・竹澤恭子(ヴァイオリン)、フランス国立ロワール管弦楽団、パスカル・ロフェ(指揮)

シベリウス「悲しきワルツ」 シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47

 

 素晴らしかった。感動した。竹澤のヴァイオリンに酔った。情熱的な演奏。しかし、我をなくしてのめりこむという感じではなく、知的に構築されているのを感じる。音色の切り替えが見事。映画のスクリーン上に遠景が広がったり、クローズアップになったりするように、音の世界が外に広がっていったり、うちに集中したりする。それが実に自然。

オーケストラも素晴らしかった。冒頭の弦のトレモロが凍てついた北欧の中に佇む人の呼吸のよう。そこにヴァイオリンのソロが現れるところは圧巻だった。

竹澤さんがアンコールにバッハの無伴奏ソナタ第三番のラルゴを演奏。これもよかった。

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2017年ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン初日(5月4日)

 2017年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが始まった。私は、初期のころこの音楽祭の「アンバサダー」を仰せつかっていたため、2005年の最初の年から昨年まで、フランスのナントの本場のラ・フォル・ジュルネを含めて、有料のものだけで451のコンサートを聴いている。きっと日本一だと思う。今年も記録更新中。

 そんなわけで、今年の初日である5月4日も朝から6つのコンサートを聴いた。簡単に感想をまとめる。

 

・テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン)、グザヴィエ・フィリップ(チェロ)、フランソワ=フレデリック・ギィ(ピアノ)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、廖國敏(指揮)

メンデルスゾーン「夏の夜の夢」から 結婚行進曲、べートーヴェン ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲

 

 朝、945分からのコンサート。まだ、十分に目が覚めていない。聴いている側も演奏者も、そして楽器も。そのせいか、パッとしない演奏だった。オーケストラはきれいな音。弦はとてもしなやか。ソリストもさすが。私はとりわけパパヴラミのヴァイオリンに惹かれた。素晴らしい美音で、しかも勢いがある。ピアノのギィもきれいで知的。ただ、どうも盛り上がらない。指揮の廖がちょっと一本調子のせいかも。

 とはいえ、初日の最初のコンサートとしては、特に不満はない。

 

・ローザンヌ声楽アンサンブル、ダニエル・ロイス(指揮)

ブラームス「2つのモテット op.74」から 何ゆえ悩む者に光が与えられたのか、「愛の歌」 op.52、「運命の歌」 op.54

 

 初めはかなり不安定だったが、モテットの途中から、ぴたりと音が合い、ニュアンスも豊かになった。ローザンヌ声楽アンサンブルはやはり素晴らしい団体だと思う。「愛の歌」は、もしかしたら、録音も含めて初めて聴いたのかもしれない。ブラームスがヨハン・シュトラウス2世を高く評価していたことはよく知られているが、これはまさにヨハン・シュトラウスを連想させる。楽しい曲。「運命の歌」は特に素晴らしかった。

 

・ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ) グリーグ「4つのノルウェー舞曲」op.35、ヒンデミット 組曲「1922年」 op.26、ラヴェル「ラ・ヴァルス」

 

 初めは少しザツさを感じた。ベレゾフスキーはしばしば酔っ払って演奏すると聞いたことがあるが、まさにそんな感じ。ちょっと悪い予感がした。だが、ヒンデミットの途中から、まったくそのような雰囲気はなくなった。ラ・ヴァルスは圧巻。きわめて男性的な音。ワルツの流麗な流れではなく、ハガネのような音の塊。それがワルツのリズムによって命の塊を作ってゆく。アンコールもチャーミングにして壮大。ただ、ピアノ曲に疎い私は曲名はわからなかった。

 

 ・トリオ・エリオス ドヴォルザーク ピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」、ブラームス(モファット編) ハンガリー舞曲第1番、第6番

 

 このトリオを聴くのは初めてだと思う。2015年結成の若いトリオ。シャープな音。音程がよく、アンサンブルも完璧。ドヴォルザークがまるでシェーンベルクのように響く。ドヴォルザーク特有の郷愁のようなものはほとんどない。都会的で現代的。しかし、踊りのリズムはそれはそれで賑やかで猥雑に盛り上がる。私は大いに気に入った。ハンガリー舞曲もよかった。私は情緒的な演奏よりも、このようなシャープな演奏のほうが好きだ。あと少しこの団体の演奏を聴いてみたいと思った。

 

梁美沙(ヴァイオリン) J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番、イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5 op.27(曙光、田舎の踊り)

 

 イザイが始まるとばかり思っていたら、バッハが先に演奏されたのでびっくり。素晴らしい演奏だった。このヴァイオリニストは数年前から注目していた。躍動感があり、ヴィヴィッドな雰囲気がある。シャコンヌなどスケールが大きて、小柄な彼女の弓とともに私の魂も振り回されそうな気持ちになってくる。イザイも鮮烈。といいつつ。バッハのサラバンドまでは実はちょっと退屈だった。ジーグあたりからぐいぐい引きこまれた。私の体調のせいもあるのかもしれないが、、十分にバッハを自分のものにしていないのかもしれない。

 

 ・盛田麻央(ソプラノ)、下園理恵(メゾ・ソプラノ)、又吉秀樹(テノール)、与那城敬(バリトン)、東響コーラス(合唱)、シンフォニア・ヴァルソヴィア、廖國敏(指揮)

ベートーヴェン:交響曲第9

 

 廖の指揮に注目していた。若い東洋人なのに第一楽章はあまりにドイツの巨匠風なので驚いた。壮大に鳴らそうとしているようだ。昔、モノラル時代にレコードで聴き馴染んだスタイルの演奏。しかし、私としてはかなり好感を抱いた。大時代的とはいえ、私はこのような演奏が大好きだ。ただ、第2楽章、第3楽章はやはりオケを十分にコントロールできていないところが見受けられた。音が少しずれたり、団子状の音になったり。しかも一本調子になってきた。第4楽章も所々ひやひやするところがあった。が、とはいえ、スケール大きく人類の大賛歌を演奏しようとしているところは実に頼もしい。高揚感もなかなかいい。バリトンの与那城は、予定されていたガスパール・コロン体調不良のための代役だったが見事に歌い切った。今や日本を代表する、いや間違いなく日本一のバリトン歌手だと思う。そのほかの歌手もいいし、合唱も見事。

 第九を聴くとほかの曲を聴く気持ちがうせてしまったので、そのまま帰宅。ともあれ、充実した一日だった。

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ウィーン・アカデミー管弦楽団のベートーヴェン4・5 私は感動できなかった

2017421日、前日に引き続いて、武蔵野市民文化会館リニューアルオープン記念特別公演、ウィーン・アカデミー管弦楽団のベートーヴェン交響曲全曲演奏の2日目を聴いた。指揮は、このオーケストラの創設者であるマルティン・ハーゼンベック。曲目は前半に第4番、後半に第5番〔運命〕。

4番の第一楽章を聴いた時点で、昨日の印象は間違っていたと思った。勢いのある見事な演奏。だが、第2楽章以降、昨日と同じような印象を抱いた。

楽器の音は古楽器特有のくすんだ音で、それはそれでとても雰囲気がある。しなやかで勢いがあってとても感じの良い演奏、ホルンの音程はよくないが、古楽器の特性としてやむを得ない。私はオーケストラにはまったく不満はない。とても良い楽団だと思う。

だが、何しろ一本調子だと私は思う。陰影が感じられない。ずっと機嫌よく音楽を鳴らしているような雰囲気を私は感じる。指揮をするハーゼンベックはオルガニストだというが、まさにオルガンのような演奏。つまり、音の強弱が弱い。ダイナミック・レンジが狭いというか、表現の幅が狭いというか。これでは私の好きなベートーヴェンにならない。音楽に狂気がない。怒りがない。必死の苦悩がない。だから、突き抜けた喜びも感じない。私の最も苦手なタイプの演奏だ。

会場で以前バイロイト音楽祭をご一緒した知人に会った。家が近いので、一緒に帰った。その方は演奏をとても楽しんだようだった。私は欲求不満を抱えたままだった。

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ウィーン・アカデミー管弦楽団 私には丁寧すぎるベートーヴェンだった

 2017420日、武蔵野市民文化会館リニューアルオープン記念特別公演、ウィーン・アカデミー管弦楽団のベートーヴェン交響曲全曲演奏の初日を聴いた。ピリオド楽器を使用するオーケストラだ。指揮は、このオーケストラの創設者であるマルティン・ハーゼンベック。曲目は前半に「田園」、後半に第7番。

 それぞれの楽章が始まった時には、毎回はっと驚いた。とりわけ「田園」は素晴らしいと思った。しなやかで柔らかく歌にあふれている。古楽器の場合、ガサガサした感じになり、快速の音楽になりがちだが、このオケはゆっくりじっくり丁寧、そしてしなやかに音楽を作っていく。とりわけ第二楽章冒頭には息をのんだ。だが、そうは言いながら、実は私はどの楽章も曲が進むうちに少々退屈してしまった。

 先ほど書いた通り、ゆっくりじっくり丁寧。ずっと同じ調子なので、一本調子に感じてしまう。部分を聴くと、どこを取っても素晴らしいのだが、続けて聴くと盛り上がりがなく、スリリングさが不足する。とりわけ「田園」は、素晴らしくしなやかで美しい演奏であるにもかかわらず、私は平板さを感じた。

7番は、コンサートマスターが変更(第二ヴァイオリンの首席と交代した)になって音楽の雰囲気がずいぶん変わったせいで、しなやかさ、繊細さよりも勢いのよさが前面に出てきた。だが、やはり同じように私は一本調子を感じた。確かに第7番にふさわしくリズムが激しくなり、音も大きくなる。だが、どこを取っても同じ丁寧さ。どの楽器も同じ丁寧さ。どうも私としては音楽に乗れない。

アンコールは交響曲第4番の第2楽章。私は今日の演奏でアンコールに一番感動した。しなやかでニュアンスに富んでおり、退屈する前に終わった。

私が俗っぽすぎる人間なのかもしれないが、もうすこし音楽にも狂気の部分がほしいと思ってしまう。とりわけベートーヴェンには狂気がほしい。真面目で丁寧すぎるベートーヴェンだと思った。

 

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METライブビューシング「椿姫」 見事だったが、私好みではなかった

 東銀座の東劇でMETライブビューシング「椿姫」をみた。

 ヴィオレッタはソニア・ヨンチェヴァ。話には聞いていたが、私は初めて聴いた。かなり厚めの、どちらかというと「ドスのきいた声」。豊満で魅力的な容姿とともに一つのヴィオレッタ像を作っていると思う。演出によるのだろうが、第一幕では投げやりな表情、その後もずっと暗い顔をしているが、私としては少なくとも第二幕の途中までは可憐で華やかな表情であってほしい。そうでないと、観客としては第一幕のヴィオレッタの歌に乗れない。

 アルフレードのマイケル・ファビアーノもとてもいい。端正な声と若々しい容姿で役がらにぴったり。強い声も素晴らしい。

 私は前半、今回の上演をあまり楽しめなかった。ジョルジュ・ジェルモンを歌うトーマス・ハンプソンらの主役以外の人たちの歌唱がかなり不安定で、主役を盛り立てられなかった気がする。ハンプソンにはこれまで何度も見事な声を聴かせてもらったが、歳に勝てないと見えて、声は伸びず、低音の音程も不安定。とても悲しい思いがした。

 演出はヴィリー・デッカー。以前、ザルツブルク音楽祭でネトレプコとヴィリャゾンの出演で話題になったのと同じ演出だ(もちろん、私はDVDを持っている)。人生の残り時間を象徴する大きな時計、生命を象徴する赤、死を象徴する白、生と死の両立を象徴するピンクの椿、ワルツを示す円形(ワルツとかかわることは本編内部のデッカーのインタビューで初めて気づいた)、死神のように第一幕から黙役として登場するグランヴィル医師。ただ、この演出についても、白い舞台の上で礼服を着た合唱団が抽象的な動きをして、生と死のせめぎ合いを行うのは、舞台の華やかさを消してしまうので、第一幕の華やかさを出せない。もちろん、演出意図によってそうしているのだろうが、私としては、やはり第一幕は華やかでないと、生と死というテーマも薄れてしまうように思うし、薄幸のヒロインへの感情移入というイタリア・オペラには大事な要素がそがれる気がする。

 とはいえ、第三幕はさすがに感動的。おそらく演出は最後にすべてを結集するつもりでこのように組み立てたのだろう。第一幕では厚みのありすぎるヨンチェヴァの声に違和感のあった私も、ここでは涙を流して聴いた。

 指揮はニコラ・ルイゾッティ。時々、ぞっとするほど精緻でドラマティック。ただ、全体としてはまとまりの悪さを感じたのだが、私だけだったのか。時々、妙に力が入りすぎる気がした。

 全体として、さすがMETというべきレベルの高さで素晴らしい上演だった。だが、華やかさを抑制し、死を真正面から取り上げようとする異化効果的な演出であるせいもあって、私の好きなタイプの「椿姫」ではなかったように思う。

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