音楽

イブラギモヴァ&ティベルギアンのブラームス 魂が震えた!

 2019年横浜みなとみらい小ホールでアリーナ・イブラギモヴァとセドリック・ティベルギアンによるブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を聴いた。素晴らしい演奏だった。魂が震えた。

 一昨日、さいたま芸術劇場で聴いたシューマンと同じようなアプローチだと思う。誇張せず、過度な抒情を排して、楽譜そのものを再現しようとしている。が、私自身がシューマンよりもブラームスのほうがずっと好きなためなのか、あるいはシューマンのソナタよりもブラームスのソナタのほうが名曲であるためなのか、あるいはまた二人の演奏がブラームスのほうに向いていたのか。これらのどれなのかはわからないが、一昨日は少し欲求不満に思った私も今日は心の底から感動し、二人の音楽に酔いしれた。

 実に鮮烈にして繊細。イブラギモヴァのヴァイオリンの音は音程がよく、透明で美しい。しかもスケールが大きく、魂をゆすぶる。表現が多彩で、フレーズによる音色の変化がとても微妙。少しも誇張していないのに、音が魂を揺り動かす。そして、ティベルギアンのピアノの何と美しいこと。繊細でしなやかで、時々はっとするほどの新鮮な響きがする。しかも二人の息がぴったり。音楽観も似ているのだと思う。

 前半は抑え気味。だんだんとブラームスの抑制的でありながら、ロマンティックな心を秘めた世界を形作っていく。そして、後半の第3番で最大限に盛り上がる。第一楽章からスケール大きく、しなやかに演奏。音楽の構成も明確、しかもすべてが自然でクリアで鮮烈。テクニックも最高。いうことなし。理想的な第3番のソナタだった。私は昔、オイストラフとリヒテルのとてつもない第3番の演奏をレコードで聴いて感動に震えていた。それとはまったく違うタイプの演奏。昔のソ連の巨匠たちに比べると、ずっと現代的でずっと洗練されている。そして、確かにずっと小粒でずっとおとなしい。だが、私は同じくらいに感動した。とりわけ第3番のソナタには何度も魂が震えた。

 アンコールはクララ・シューマンのロマンスだとのこと。しみじみとよかった。

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イブラギモヴァ&ティベルギアン 素人の私としてはもう少し娯楽的要素がほしい

2019217日、彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールで、アリーナ・イブラギモヴァとセドリック・ティベルギアンのデュオ・リサルを聴いた。

曲目は、前半にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3番とヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタ、後半にジョン・ケージの「6つのメロディ」とシューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番。かなり鮮烈な演奏。ただ、気にいったかというと、そうでもなかった。

抒情を排した演奏といってよいのではないかと思う。あるいは、「物語性を排した」といってもよいかもしれない。楽譜そのものを大事にし、沈黙の中に音を作りだしていこうとする。とても真摯で見事な演奏。

ヤナーチェクのソナタなど、この音楽だけでは何のことやらさっぱりわからないので、多くの演奏家は、ヤナーチェクのオペラを頼りにそれぞれの曲想に何らかの意味を見つけ出し、特有の音に物語性を加えて演奏しようとするだろう。ところが、おそらくこの二人は、あえてそのようなことをしないで、音そのもので勝負しようとする。そうすると、聴き手にも何だかわからない曲になる。それでよいのだと二人は思っているのだろう。音と沈黙だけが残る。それを二人は提示そうとしているのだと思う。物語性のようなものを不要なものとして遠ざけているようだ。

ケージの音楽は、まさにそもそもがそのような曲なのだろう。無機的で意味性を避ける音が続いていく。シューマンも同じような演奏だった。一般には過度にロマンティックに盛り上げようとするのだが、イブラギモヴァとティベルギアンはそのようなことをしようとしない。過度な思い入れのない音そのものを提示する。清潔で明確でクリアな音。それによって音響世界を作り出す。それはそれで見事だと思った。二人とも音楽性が似通っており、とても説得力がある。

だが、実は私としては、これだとヤナーチェクもシューマンもおもしろくならないと思った。もう少し娯楽的要素がないと、素人の私としては楽しめない。もっと楽しませてほしいと思ったのだった。

ただ、もう少しこの二人の演奏を聴いてみたいとも思った。とても魅力ある演奏家たちであることは間違いない。

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コンチェルト・ケルン 清新な音!

2019211日、武蔵野市民文化会館でコンチェルト・ケルン、ヴァレア・サバドゥス(カウンター・テナー)の演奏を聴いた。

曲目は、ヘンデル、ヴィヴァルディ、カルダーラ、ポルポラらの作品。見事な演奏。コンサート・マスターのマルクス・ホフマンさんは急病のために来日していないとのことで、代わってコンサート・ミストレスの平崎真弓さんがオーケストラをリードする。この楽団は基本的に指揮者はおかないので、平崎さんは事実上の指揮者だ。平崎さんはこの素晴らしい古楽オーケストラをしっかりとリードしてくれた。とりわけヴィヴァルディの2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調のソリストも兼ねた演奏は素晴らしかった。まさしく清新な音がする。今生まれたばかりのような音が積み重なっていく。

ただ、ラ・フォル・ジュルネで聴いた時の印象と少し異なる。以前はもっと疾風怒濤でもっと起伏が大きかった気がする。選んだ曲のせいなのか、コンサート・ミストレスの個性なのか、この種の音楽に特に詳しいわけではない私には判断できない。とはいえ、十分に勢いがあり、流れがよく、緊密で明確な演奏だと思う。

サバドゥスに関しては、前半はカウンターテナー特有の暗めの音色と音程の不安定さが少々気になった。私がこれまで聴いた世界的カウンタテナー(ジャルスキーやカルロス・メナ)に比べると、音の「抜け」がよくないように感じた。どうしてもくぐもってしまう。最初の曲「オンブラ・マイ・フ」では、とりわけそれを感じた。

が、後半になってとてもよくなった。とてもきれいな声が豊かに響くようになり、音程もよくなった。プログラムの最後のポルポラ作曲のオペラ「ポリフェーモ」のアリア「至高のジョーヴェ」と「おお、これが運命か」、そして最後のアンコール曲(ヘンデルの「背る世」の中のアリア)は、いずれも技巧を聴かせた曲でとてもよかった。

ただ、慣れの問題かもしれないが、やはり高音は女性の声の方が安定しているし、より美しく響くとは思ったのだった。そして、アンコールの2曲目に日本語で歌われた石川啄木の詩による「初恋」は、私には「はつこい」という言葉以外、ほとんど聞き取れなかった。もちろん、私にもっと教養があれば聴きとれたのだろうが、やはり、発声に無理があるのではなかろうかと思わざるを得なかった。

 18世紀に大カストラートであるファルネッリのような歌声が聴けるのではないかと思って足を運んだのだった、私はむしろ、歌のつかなかったダッラーバコの合奏協奏曲ニ長調 Op.5-6やヴィヴァルディの協奏曲イ長調 RV158、ヘンデルのシンフォニア「シバの女王の到着」、カルダーラのシンフォニア へ短調(オラトリオ「アベルの死」)のほうに心惹かれたのだった。

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クルレンツィス+ムジカエテルナ まさに別格!

 2019210日、オーチャードホールでテオドール・クルレンツィス指揮、ムジカエテルナのコンサートを聴いた。宣伝文句は正しかった。まさに別格の演奏。

 前半はパトリツィア・コパチンスカヤのヴァイオリンが加わって、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。コパチンスカヤらしいきわめて個性的な演奏。チャイコフスキーがチャイコフスキーに聞えない。抒情性がなく、まるで現代音楽のよう。切り込みが鋭く、鋭角的に演奏。

驚くべきなのは、クルレンツィス指揮のムジカエテルナが、コパチンスカヤの演奏にぴたりと合わせて演奏することだ。冒頭のしなやかで研ぎ澄まされた音に驚いた。コパチンスカヤと顔を見合わせながら、最高のタイミングでヴァイオリンの演奏にふさわしいオーケストラの音が出てくる。まるでヴァイオリンとオーケストラの二匹の豹が絡み合っているかのように、スリリングで生き生きとしている。楽器の一つ一つが豹の一つ一つの筋肉のように精妙に、そしてダイナミックに動く。第3楽章のピチカートにびっくり。これまでこの曲でこんなピチカートを聞いた覚えがなかったが、スコアはどうなっているんだろう!

 コパチンスカヤのアンコールは3曲。すべて知らない曲だった。あとで表示を見て知った。1曲目はオーケストラのクラリネット奏者とともにミヨーの「ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための組曲OP.1576の第2曲とのこと、2曲目は、コンサートマスターとともにリゲティの「バラードとダンス」よりアンダンテ、3曲目はコパチンスカヤ自身の叫び声を交えてホルヘ・サンチェス・チョンの「クリン」。最後の曲はコパチンスカヤに捧げられた曲のようだ。どれもとてもおもしろかった。

 後半はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。オーケストラの団員のほとんどが立ったまま演奏。すべての楽器に強いニュアンスがある。しかも、まったく不自然ではなく、音楽全体が激しく律動する。これまで聴いたことのない音がしばしば聞こえてくる。それが有機的につながっていく。動物がのたうち回るような強烈な演奏だが、無理やりに音楽をゆがめるのではなく、躍動的に音楽が推進されていくので納得できる。しかも、オーケストラ・メンバーの力量が凄まじい。第3楽章はとりわけ圧巻だった。ここまで力感にあふれ、アンサンブルも見事な演奏をこれまで聴いたことがない。息を飲み、音楽に引きこまれ、音楽に振り回されているうちに、曲が終わった。凄い!

 クルレンツィスに初めて注目したのは、特に指揮を意識せずにみた「イオランタ」の映像だった。イオランタが自分の盲目に気付く悲嘆の凄まじい表現に圧倒され、この指揮者の名前を頭に刻み付けたのだった。その後、モーツァルトのオペラのCDを何種類か聴いて、その実力のほどを知ったのだった。今日、初来日の演奏を聴いて、まさにその凄みを実感。末恐ろしい指揮者が現れたものだ!

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小泉+都響の「冬の日の幻想」 第二楽章が美しかった!

 201929日、サントリーホールで東京都交響楽団の演奏を聴いた。指揮は小泉和裕。曲目は前半に川久保賜紀が加わってシベリウスのヴァイオリン協奏曲、後半にチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。

 シベリウスの協奏曲については、私はあまり感銘を受けなかった。川久保のヴァイオリンはとても気品にあふれ、音の処理が素晴らしい。が、きれいに鳴らすことに神経を向けすぎて平板になってしまい、ダイナミズムに欠ける気がした。とりわけ第1楽章はもっと情熱的に盛り上げてよいと思うのだが、川久保はずっと抒情的に美しく奏でる。きっとこのようにシベリウスを捉えているのだと思うが、そうなると、音楽が立体的に構成されなくなってしまうと私は思う。また、ほんのちょっとの間だったが、少し音程が怪しくなったところがあったような気がしたのだが、私の耳のせいだろうか。

 チャイコフスキーのほうは、とてもよい演奏だったと思う。マエストロ小泉らしく、けっして大袈裟にならず、しっかりと音楽を作り上げていく。ひたひたと盛り上がっていき、納得のゆくドラマになる。都響の音もアンサンブルが美しく、弦楽器の柔らかさが見事。最後にはチャイコフスキーらしく抒情が爆発する。

 ただ、チャイコフスキー好きではない私にしてみると、この若書きの交響曲は、やはりちょっと曲そのものが物足りない。実演を聴くのは初めてだと思う(録音はもちろん何度か聴いている)が、作りの単純さが気になってしまう。ただ、第二楽章のメロディはとても美しい。この部分の都響はとりわけ美しかった。今日の演奏は、物足りなさの残る曲のわりに素晴らしい演奏だったといえるだろう。

 雪の予報だったが、幸い、昼間のコンサートが終わっても、雪はちらつく程度だった。その後、天気予報が訂正されたようで、大雪にはならない模様。明日もコンサートに出かける予定なので、このまま雪にならないでほしい!

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METライブビューイング『椿姫』 ダムラウ、フローレス、ネゼ=セガンがあまりに凄い

 東劇でMETライブビューイングの『椿姫』をみた。2018年12月15日に上演された舞台とのこと。音楽監督就任したヤニック・ネゼ=セガンの指揮、ディアナ・ダムラウのヴィオレッタ、フアン・ディエゴ・フローレスのアルフレード、クイン・ケルシーのジョルジョ・ジェルモンという超豪華キャストによる上演。このキャストにふさわしい圧倒的名演だった。

 演出はマイケル・メイヤー。第一幕の序曲の部分でヴィオレッタは舞台中央のベッドに横たわっている。第一幕以降は、死を前にしたヴィオレッタの回想ということだろう。豪華で美しい舞台、存在感のある衣装。オーソドックスだが、説得力がある。

 まずはフローレスの「乾杯の歌」が見事。ベル・カントを歌うときのような輝かしい声の威力を発揮するわけではないが、躍動感にあふれている。そして、もちろんダムラウの透明で芯の強い声に圧倒された。「ああ、そはかの人か」の声の美しさもさることながら、「花から花へ」の歌の演技と声があまりに素晴らしい。ヴィオレッタの心の揺れ動きが歌によって、そして演技によって伝わってくる。しかも透明で美しい声がビンビンと響く。

 第二幕、第三幕と進んでいくにつれ、二人とも凄みを増してきた。フローレスの怒り、苛立ちの表現はまさしくリアル。ヴィオレッタの哀しみ、絶望もひしひしと伝わる。そして、ジェルモンのケルシーも切々と訴え、その父性が伝わる。舞踏にまったく関心のない私はバレエの場面ではいつも音楽だけを聴いているのだが、今回ばかりは第二幕第二場のバレエに目を奪われた。さすがメトロポリタン。まったくの素人も楽しませてくれる。

それにしても、第三幕でヴィオレッタの歌う「過ぎし日よ、さようなら」はあまりに切ない。ダムラウの歌唱に酔った。メロドラマの類が嫌いな私もこれほど美しく伸びる声で悲しい愛を想いながら絶望するヴィオレッタの心情を歌われては涙を流すしかない。「パリを離れて」の二重唱、そして、最後の場面もあまりに素晴らしい。

それにしても、ネゼ=セガンの指揮ぶりにも圧倒された。私は初めてネゼ=セガンを知ったのは2011年のザルツブルグ音楽祭だった。『ドン・ジョヴァンニ』の中身の詰まった雄弁な音に深く感動したのを覚えている。それ以来、私の大好きな指揮者の一人だ。その知的で魅力的な指揮ぶりは、ライブビューイングで映し出されたダムラウとのリハーサルの場面でもよくわかる。ますますの充実。彼がメトロポリタン歌劇以上の音楽監督になったのを私はとてもうれしく思う。

ますます、これからのメトロポリタンの演目が楽しみになってきた。

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新国立「タンホイザー」 第三幕に魂が震えた

201922日、新国立劇場で「タンホイザー」をみた。素晴らしい上演だった。

歌手はきわめて高いレベルでそろっている。タンホイザーを歌うトルステン・ケールは前半抑え気味だったが、第三幕の「ローマ語り」の場面ではさすがの力感あふれる声。ただ、バイロイトでこの人の声を聞いた時にはもっと圧倒的だった気がする。ヴォルフォラムを歌ったのはローマン・トレーケル。私はこの歌手のファンの一人なのだが、ちょっと不調だったのかもしれない。これまでバイロイトや日本で聴いた時に比べて、声の輝きや深みがない。しかし、「夕星の歌」はまるでリートのように繊細に歌って素晴らしかった。声が出ない分をテクニックで補って、役柄にぴたりの歌を聴かせてくれた。

女声陣も素晴らしかった。エリーザベト役のリエネ・キンチャはとても澄んだ声で、しかも声に威力がある。「歌の殿堂にて」はちょっと硬い歌い回しだったが、第三幕の祈りの部分は文句なし。声を張り上げないのに、会場全体に透明な声が静かに響き渡る。容姿も美しく、まさにエリーザベトそのもの。ヴェヌスのアレクサンドラ・ペーターザマーもしっかりした声と肉感的な容姿によってこの役にぴったり。

そしてもう一人圧倒的に素晴らしいと思ったのが牧童の吉原圭子。これまでにも何度かこの人の牧童を聴いたが、美しい声としっかりした音程に毎回ほれぼれする。

ヘルマン役の妻屋秀和もさすがの貫禄。ヴァルターの鈴木准、ビーテロフの萩原潤、ハインリヒの与儀巧、ラインマンの大塚博章も見事。ただの一つも穴がなかった。東京交響楽団の演奏もとても美しかった。弦楽器の響きに特に惹かれた。三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団ももちろんいつも通り素晴らしい。

ただ私の期待と少し違っていたのはアッシャー・フィッシュの指揮だった。フィッシュの指揮は「ワルキューレ」のCDを聴いたことがある。鮮烈な指揮ぶりだった記憶があるのだが、今回の「タンホイザー」は何よりも手堅さを感じた。もっとドラマティックに、もっと官能的に盛り上げ、うねりのある音楽を作ってほしいと思うのだが、じっくりとして繊細。それはそれで美しいオーケストラの音を引き出し、最後には納得させるのだが、「タンホイザー」はもっと推進力のあるロマンティック・オペラだと思う。

演出についても、私にはあまり納得できなかった。第一幕でヴェヌスが途中で着替えたり、エリーザベトが聖母マリアのように見えたりといった工夫はあるが、全体的に何を訴えようとしているのかわからなかった。

とはいえ、第三幕には心から感動し、魂が震えた。「いやあ、ワーグナーは最高だなあ!」とワーグナーに触れるたびに思う!

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ベルチャ弦楽四重奏団 メンデルスゾーンの悲しみを最高のアンサンブルで再現

 201921日、紀尾井ホールでベルチャ弦楽四重奏団の演奏を聴いた。とてつもない演奏。こんな凄まじい弦楽四重奏団は初めて聴いた。

 曲目は初めにモーツァルトの弦楽四重奏曲第22番「プロシャ王第2番」とバルトークの弦楽四重奏曲第6番、後半にメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番。

 ともかくアンサンブルが驚異的。そもそも音が絶妙の美しさ。第一ヴァイオリンのコリーナ・ベルチャの音程のよい繊細でやわらかい音が素晴らしい。弱音のニュアンスにうっとりする。そして、第二ヴァイオリンのアクセル・シャハーが絶妙に第一ヴァイオリンに重ねる。同じ音色で、同じニュアンスで、そして音色の変化も同時に起こる。ヴィオラのクシシュトフ・ホジェルスキーも、そしてチェロのアントワーヌ・レデルランも言葉をなくすようなアンサンブルをなす。確かに噂通り、この団体は弦楽四重奏曲のあり方を変えるように衝撃力を持っている。

 ぴたりと合った音程のよい音、しかもそれが豊かさをと繊細さを持っている。そのうえ、きわめて現代的に音楽が展開する。四人ともタブレットに楽譜を写して演奏。足でページを更新しているようだ。そのような現代的なスタイルにぴったりの演奏。

モーツァルトは限りなく繊細。柔らかい音であえて珠玉のものを大事に扱うように静かに演奏する。バルトークはもっと鋭く、切れよく、しかも深く沈潜する。

メンデルスゾーンはユダヤ人として差別を受け、深く傷つき激しい悲しみを抱きながらも、それを押し隠し、古典的で育ちのよい音楽を書き続けていた。ところが、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲の影響を受けて、自らの哀しみのすべてを弦楽四重奏曲の中に叩きつける。その典型的な曲が第6番の弦楽四重奏曲だ。そうした哀しみ、怒り、心の中の屈折をベルチャ弦楽四重奏団は最高のアンサンブルでニュアンス豊かに再現する。メンデルスゾーンの悲しみや怒りが渦巻く。

 アンコールはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番第5楽章「カヴァティーナ」とショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番の第3楽章。「カヴァティーナ」は緻密で緊張感にあふれる演奏。ショスタコーヴィチは魂の怒りをたたきつけるような強烈な演奏。ただただ圧倒された。

 30年以上前になるだろうか、アルバン・ベルク四重奏団の演奏をCDで聴いて、「弦楽四重奏の演奏法がこれまでと変わった!」と思った。それと同じことが、今、ベルチャ弦楽四重奏団によって起こっているような気がする。

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札響の東京公演 派手さなはないが、素晴らしい音楽

 2019130日、サントリーホールで札幌交響楽団東京公演を聴いた。指揮はマティアス・バーメルト。曲目は前半にモーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」と岡田奏が加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、後半にブラームスの交響曲第2番。

 とても良い演奏だった。とても繊細でアンサンブルの美しいオーケストラだ。とりわけ弦楽器の音がとても美しい。音の重なりがしっかりと聞こえるような透明な音。「セレナータ・ノットゥルナ」の第1楽章の前半こそ少しバランスがよくなかったが、すぐに立て直して、第2楽章以降は素晴らしかった。

 ピアノの岡田奏も透明な音。やや硬質な音といえるかもしれない。一つ一つの音の粒立ちが美しい。第1楽章前半は少し集中力が欠けているように思えたが、カデンツァあたりからぐんぐんと乗ってきて、硬質でありながら、とても繊細に奏でられるようになった。第2楽章も実に繊細で、しかもそこに強い音も交じり、また柔らかい音も加わって、しなやかな音楽が構成されていった。ただ、もう少し第3楽章をダイナミックに弾いてもよいのではないかと思ったが、繊細な音で通し、そこに美を見つけ出そうとするのがこのピアノストの美学なのだろう。ピアノのアンコールにラヴェルの小曲(あれ、曲名を忘れた!)。これも硬質な音による繊細な音楽が構築されていった。素晴らしいピアニストだと思った。。もっと大喝采が起こるかと思ったのだが、客の入りが満員ではなかったこともあって、ちょっとおとなしめだった。

 後半のブラームスの交響曲もよかった。ただ、バーメルトはあまり自分を押し出さないタイプの指揮者のようだ。ところどころで独特のリズムでメロディを鳴らすが、それほど極端ではなく、あくまでも自然な音楽の流れを重視する。強い味付けはしないで、音楽の本質を静かに作りだす。もう少し自己主張してくれてもよいのではないかと思うのだが、これがこの指揮者の考えるブラームスなのだろう。最後まで抑制をきかせ、しなやかで繊細に演奏し、第4楽章の最後の最後で静かに感情が爆発する。なるほど、とても説得力のある音楽づくりだと思う。ただ、実を言うと、あまりに地味なので、第2楽章ではちょっと退屈したのだった。

 アンコールはモーツァルトのディヴェルティメント(何番だったか忘れた)。見事な演奏。弦のアンサンブルが美しい。札響の実力がよくわかるアンコール曲だった。

 札幌交響楽団、マティアス・バーメルト、岡田奏。いずれも派手ではない。だが、とても素晴らしい音楽家たち。本質を見据えた音楽を存分に聴かせてもらった。

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バッハ・コレギウム・ジャパンの「第九」 第1・2楽章に違和感

2019124日、東京オペラシティ・コンサートホールでバッハ・コレギウム・ジャパンによるベートーヴェン「第九」コンサートを聴いた。指揮は鈴木雅明。

もちろん悪い演奏ではない。第4楽章は素晴らしかった。これがマエストロ鈴木雅明の考えるベートーヴェンなのだろう。だが、私は第3楽章まではずっと違和感を覚え続けた。少なくとも私の考えるベートーヴェンとは隔たりがありすぎた。

もちろんピリオド楽器だから音の響きに限界があるということもあるだろう。が、それだけではないと思う。私は素人なので、具体的にどこがどうなのかは言い難いのだが、ベートーヴェン特有の激情的なうねりがない。いや、むしろとってつけたような激情があるというほうが正しいかもしれない。盛り上がっていくのだが、それが機械的で一本調子になってしまうのを感じた。とりわけ、第12楽章はそのように感じた。ベートーヴェンはもっと多様な人間感情や思想が盛り込まれているように思うのだが、それが十分に描かれていないように思えた。

3楽章は第12楽章よりもずっとよかった。音と音の絡みが美しく描かれていた。が、ここでもやはり多様な思いが十分に伝わらなかった。

4楽章になって声楽が入ってからは俄然よくなった。まずソリストたちが素晴らしい。とりわけソプラノのアン=ヘレン・モーエンの美しく芯の強い声に圧倒された。アルトのマリアンネ・ベアーテ・キーラントもテノールのアラン・クレイトンもバスのニール・デイヴィスも見事。そして、もちろんバッハ・コレギウム・ジャパンの合唱も素晴らしい。

声が入ると、さすがBCJというべきか、広がりが生まれ、厚みができ、音楽に深みが出る。ともあれ、最後には感動した。

鈴木雅明はもちろん尊敬する指揮者の一人なのだが、少なくともベートーヴェンの器楽曲については、私は十分に納得できない・・・というのが今日の偽らざる感想だった。

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