音楽

ピレシュとブロムシュテットのベートーヴェンに興奮した

 2018420日、NHKホールでヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団の定期演奏会を聴いた。曲目は前半に、マリア・ジョアン・ピレシュが加わって、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、後半にベートーヴェンの交響曲第4番。どちらの曲も素晴らしかった。興奮した。

 ピレシュ(というか、日本ではずっとピリスと呼ばれてきた)は今年限りで引退を宣言したので、これが最後の来日。20年ほど前のことだったと思うが、ピアノにあまり関心のない私はデュメイのヴァイオリンを目当てに聴きに行ったら、ピアノ伴奏のピレシュがあまりに凄くて圧倒されたのを覚えている。それ以来、数少ない私の好きなピアニストなのだが、そもそもピアノをあまり聴かないので、ピレシュを聴くのはこれが三度目くらい。

 それにしても素晴らしい。一つ一つの音があまりに美しい。ちょっとしたメロディも深みを帯びて響く。私はピアノに疎いので、どういう仕掛けなのかよくわからないが、なぜかピレシュの音はジーンと心に響く。とりわけ、第一楽章のカデンツァがあまりに素晴らしかった。これほど高貴でこれほど繊細でこれほど自然なピアノの音は聴いたことがない。音は必ずしも大きくない(NHKホールが響かないせいではないだろう)が、心の奥にふかぃ深く入り込んでくる。第2楽章もとてもよかった。オーケストラの強めの音とピレシュの静かな音の対比が見事。しなやかで繊細なピアノに痺れた。ただ、第3楽章についてはもっと高揚して、もっとダイナミックでもいいような気がした。その点では少しだけ不満だったが、これがピレシュの作るベートーヴェンなのだろう。しなやかで高貴で深く心に入り込むベートーヴェン。それはそれで素晴らしい。

 ピアノのアンコールとしてベートーヴェンの6つのバガテル作品1261曲だという。一つ一つの音の美しさに驚嘆した。

 前半はどうしてもピレシュに耳を奪われたが、後半はブロムシュテットとN響の素晴らしさを堪能した。

 交響曲第4番は大好きな曲だ。とりわけ、第1楽章の冒頭、霧の中で手探りで歩いて行ったあと、フォルティシモになってみるみる視野が開けていく部分にいつも感動する。ワクワクして躍動感を覚える。それどころか、私は第1楽章をよい演奏で聴くと、ほとんど躁状態になる。ブロムシュテットはきびきびして躍動する音楽を作る。まったく無駄がなく、余計な遊びも誇張もない。だが、実にダイナミックで躍動し、若々しい。私の心の中に躁状態を作ってくれた。第4楽章はもっとすごかった。第1楽章以上にワクワク感を作り出す。私は叫びだしたくなるのを抑えるのに苦労した。身体も動きだしそうになった。N響も実に見事にブロムシュテットの音楽を作り出していた。木管管楽器がとりわけ切れがよく、美しい。ブロムシュテットが指揮をする時、とりわけ素晴らしい音になる

 興奮した。家に帰り着くまで興奮がさめなかった。

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METライブビューイング「セミラーミデ」 歌手たちの超絶技巧に酔い、ロッシーニの躍動する音楽に心躍らせた

東銀座の東劇でMETライブビューイング、ロッシーニ作曲「セミラーミデ」をみた。驚異的な名人たちの競演に酔いしれた。

まず、指揮のマウリツィオ・ベニーニが素晴らしい。序曲からしてドラマティックで力感にあふれ、高揚感がはちきれそう。やはり、ロッシーニのオペラはこうでなくちゃ! 

歌手たちも、まさに超絶技巧の連続。イドレーノのハヴィエル・カマレナの強靭な超高音に度肝を抜かれた。セミラーミデのアンジェラ・ミードも技巧も素晴らしいし妖しい魅力の悪女の役作りも見事。アルサーチェのエリザベス・ドゥショングも確かに青年に見えてくる。ミードとの二重唱も声がぴたりと合って圧巻。アッスールのイルダール・アブドラザコフも悪役を演じて素晴らしい。この主役四人はいずれも技巧といい声の力といい、演技といい申し分なし。よくぞ、ここまでの歌手が集まったものだと感心した。

高僧を歌うライアン・スピード・グリーンは貧しいアフリカ系アメリカ人だったとインタビューで答えていた。少年院に入るようなぐれた少年だったのが、若手育成プログラムによってMETの舞台に立つようになったという。立派な声と立派な体格。そのうち、もっと大事な役を歌うようになるだろう。このようにして次々と優秀な歌手が育っているようだ。頼もしい。演出はジョン・コプリー。とてもわかりやすく、しかもドラマティックで美しい。これも文句なし。またしてもメトロポリタン歌劇場の底力を見せつけられた。

それにしても、ロッシーニのオペラは本当にワクワクする。とりわけ、この「セミラーミデ」はドラマとしてもおもしろいし、とてもよくできている。もちろん、ストーリー的には話がうまく出来すぎているし、急展開がはなはだしいし、急展開のわりに歌の部分ではいつまでも話が進まなくて同じことばかりをずっと歌い続けている・・・というようなオペラ特有の問題点はあるが、音楽があまりに楽しく、美しく、ドラマティックなので、そのような欠点を吹き飛ばす。歌手たちの超絶技巧に酔い、ロッシーニの躍動する音楽に心躍らせているうちに、あっという間にオペラが終わってしまった。これぞロッシーニ醍醐味。満足。

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東京・春・音楽祭 ロッシーニ「スターバト・マーテル」 私がロッシーニに退屈するなんて!

2018415日、東京文化会館で東京・春・音楽祭、スペランツァ・スカップッチの指揮、東京都交響楽団によるロッシーニ「スターバト・マーテル」のコンサートを聴いた。本曲の前にモーツァルトの交響曲第25番が演奏された。

率直に言って、私はスペランツァ・スカップッチの指揮に強い不満を抱いた。遠目にはかなり若くてきれいな女性指揮者。大喝采が起こっていたので、私のきわめて個人的な趣味かもしれないが、私は不満という以上に、むしろ「不快」を感じたのだった。

まず、交響曲第25番の第1楽章で私は不快に思った。たびたびテンポを極端に落として、メリハリをつけようとする。モーツァルトの、しかも若書きの曲にそれをやってしまうと、まったく疾走感がなくなり、音楽が停滞してしまう。第2楽章以降も、かなり遅めのテンポであれこれいじる。ロマン派の曲ならともかく、古典派の曲でこのような演奏をされると、私としてはかなり違和感を覚える。

めあての「スターバト・マーテル」では、そのような傾向がいっそう目立った。ロッシーニのこの曲をかなり大袈裟に大仰に演奏。全体的にテンポが異様に遅い。ロッシーニ特有の軽やかさがなく、重くなる。生気がなく、エネルギーがない。しかも、ずっと同じように遅いテンポであれこれいじるので、むしろ一本調子になる。

「スターバト・マーテル」とはいえ、ロッシーニのこの曲はほとんどオペラのようにそれぞれの歌手や合唱の歌の披露という面がある。曲想によって、速いテンポを求めている部分があるはずだ。それをずっと同じような調子で演奏されると、むしろ退屈してしまう。ロッシーニ好きの私がロッシーニの曲に退屈するなんて! 私は退屈しながらも眠ることはなかったが、私の周りでも居眠りしている人が大勢いた。

 終曲ではかなりもりあげた。このような荘厳な盛り上がりを求めて、遅いテンポにしたのかもしれない。だが、全体が遅いと、むしろ盛り上がらない。私がロッシーニに求めている生気あふれる快活さ、快活さの中の明るい信仰心はまったく感じられなかった。今年の初め、ジェームズ・ジャッド指揮、新日フィルの素晴らしい演奏で聴いたのとは同じ曲とは思えないほどのつまらなさだった。

歌手陣は文句なく素晴らしい。ソプラノのエヴァ・メイとメゾ・ソプラノのマリアンナ・ピッツォラート、バスのイルダール・アブドラザコフはこれ以上はないと思われるほどの最高の歌声。テノールのマルコ・チャポーニはちょっと音程が怪しいところを感じたが、もちろん見事な声。そして、東京オペラシンガーズの合唱も音程がよく、声も伸びていて見事。都響もしっかりした音。演奏については、指揮以外はまったく不満はなかった。

もういいトシになったので、なるべくいろいろなことに寛大になりたいと思い、様々な音楽の解釈を許容したいと思うのだが、今日のような演奏をされると、私としてはやはり「我慢ならん」に思ってしまう。なかなか「いいジイさん」になれない。

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ブロムシュテット「幻想」 音楽美にあふれ、律動にあふれた演奏に感動

 2018414日、NHKホールでヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団による定期演奏会を聴いた。曲目は前半にベルワルト作曲の交響曲第3番「風変わりな交響曲」(ブロムシュテット校訂版)、後半にベルリオーズの「幻想交響曲」。

 ベルワルトは1796年生まれの作曲家。シューベルトと同じくらいの生まれだ。今からすると、さほど「風変わり」ということもないが、確かにシューベルトの時代にこのような曲を作ったとすると、確かに先進的だろう。あれこれ不思議な工夫がある。楽器のつながりが妙だったり、ユーモラスなリズムだったり。ただ、やはりそれ以上に、「ちぐはぐ」という感じがして、古典派好きの私としてはついていけなかった。

 後半の「幻想」は素晴らしい演奏だった。ブロムシュテットは90歳のはず。驚くべき若さ。音楽も生命力にあふれ、まったく緊張感が途切れない。

きわめて正攻法の演奏だと思う。先日のインバル+都響のような「妖しい幻想」ではない。かといって、ベルリオーズ的な何でもありの燃え上がる大仰な幻想でもない。もっとずっと気品にあふれ、音楽美にあふれ、律動にあふれた演奏。精妙な音、激しい音、強い音のバランスが見事。冒頭や第五楽章の始まりなど、得も言われぬ美しさを出すNHK交響楽団の見事さも特筆するべきだろう。コンサートマスターがライナー・キュッヒルだということも関係があるかもしれない。

 とりわけ、第45楽章に盛り上がりは素晴らしかった。純音楽的な盛り上がりといってよいのではないか。もしかすると、何かブロムシュテットの意図があるのかもしれないが、私としては、インバルの指揮で聴く時のように、「この楽器、このメロディで何を表現しているか」をあまり気にしなかった。インバルでは、あれこれと意味ありげな音がするので、どうしても考えてしまう。が、ブロムシュテットの音楽は、何を表現しているにせよ、音が美しく、音の連なりが感動的で、音の爆発が素晴らしかった。すべての音に緊張感があふれており、生命にあふれている。音自体に感動する。

 特に何かを工夫しているようには見えないのだが、最高の音楽が作られていく。まさしく名人の音楽だと思った。

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ラ・フォル・ジュルネ2018が楽しみになってきた

 先日、このブログに5月の東京でのラ・フォル・ジュルネに出演予定のラルス・フォークトとロイヤル・ノーザン・シンフォニアのことを書いた。その続きを書く。

 その後もフォークトの録音をいくつか聴いてみた。テツラフ兄妹と演奏したブラームスのピアノ・トリオ2枚組、そしてモーツァルトのピアノ・ソナタや幻想曲を録音した2枚組がどちらも素晴らしい。とりわけ、ニ短調とハ短調の幻想曲にびっくり。弦楽器好きの私がピアノに惹かれることなんてめったにないのだが! イタリア・オペラ嫌いだった私がネトレプコに導かれてヴェルディやベッリーニやドニゼッティのオペラを楽しむようになったのだが、フォークトに導かれて今度はピアノの世界に入り込む予感がしないでもない。いよいよもってラ・フォル・ジュルネが楽しみになってきた。

 その勢いで、今年のナントのラ・フォル・ジュルネでライブ録音されたヴァイオリニスト数人の演奏を関係者にお願いして聴かせてもらった(Tさん、ありがとうございます)。

 まず、アレーナ・バーエワによるコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。曲の冒頭のソロ・ヴァイオリンの深みのある妖艶さに耳を引き付けられた。鮮烈な音なのだが、不思議な色気がある。腰がどっしりと落ち着いており、じっくりとコルンゴルト特有のロマンティックな世界を展開してくれる。その後も、堂々たる演奏。大演奏家の風格と初々しさがいりまじっている。写真で見ると、かなり若い、しかもとびっきりの美人。ますます楽しみ。

 もう一人、女流ヴァイオリニストのアレクサンドラ・コヌノヴァも楽しみだ。サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」を聴いた。バーエワに比べるとずっと若々しくて躍動的。音の処理がとても清潔。このヴァイオリニストも写真で見ると、とんでもない美人。もちろん楽器の演奏家にとって容姿は大きな意味を持たない(オペラ歌手の場合には、とても大きな意味を持つ!)が、男性の一人として、やはりきれいな演奏家だと嬉しい。

 もう一人、5月のラ・フォル・ジュルネのプログラムに含まれているシュポルツルと伝統ロマ音楽団体によるジプシー音楽も聴いてみた。これも実におもしろい。シュポルツルはこれまでラ・フォル・ジュルネでも、それ以外のコンサートでも何度か聴いてきた。青いヴァイオリン(!)を弾く魅力的なヴァイオリニストだ(こちらは女流ヴァイオリニストではなく、中年男性)。

 シュポルツルのヴァイオリンは、私がジプシー音楽といって想像したような情熱的な演奏ではない。もっと軽やかで、悪く言えば無表情。よく言えば天衣無縫。あっさりとさりげなくとてつもないテクニックが披露される。シュポルツルはジプシーの人生の苦しみや喜びを音楽に込めようとはしない。ただただ音楽の楽しみを軽やかに歌い上げる。それが重めのロマの楽器と相まって独特の雰囲気を作り出す。おもしろい。どんどん盛り上がっていく様子が音からわかる。が、実際のコンサートを見てみないと何が起こっているのかよくわからない。

 そのほか、今回のラ・フォル・ジュルネにはジュリアン・ラクリンもヴァイオリンと指揮を披露するらしい。かなり前になるが、ラクリンのヴァイオリンを聴いて、最初に聴いた時は凄まじいテクニックと深い音楽性を感じさせる名演、二度目に聴いた時には最初の名演が信じられないような凡演だった記憶がある(曲目に記憶はない)。さて、今回の日本での演奏はとどちらだろう。これも楽しみの一つだ。

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カンブルラン+読響のベートーヴェン7番 何度か感動が身体を走った

 201847日、東京芸術劇場でシルヴァン・カンブルラン指揮による読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。曲目は前半に、ラモー作曲の歌劇「ダルダニュス」組曲からと、佐藤俊介のヴァイオリンが加わって、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、後半にベートーヴェンの交響曲第7番。「生と死の舞踏」をテーマにしたコンサートの一環。とても良かった。

 ラモーの曲もなかなかおもしろかった。古楽奏法を取り入れているのだと思う。メリハリがあり、きびきびした中にも歌があり、舞踏があって、良い雰囲気。ただ、この時代の音楽のさしたる興味のない私としては、特に言うべきことを持たない。

 モーツァルトの協奏曲の佐藤俊介のヴァイオリンも素晴らしかった。肩の力を抜いた、いわゆる「草書」的な弾き方を時折織り交ぜる。それがとても魅力的に響く。力んで音楽に立ち向かうのでなく、軽やかに、まさしく舞踏的に。しかし、もちろん雑な感じにはならない。むしろ天国的な音に聞こえる部分もある。カンブルランもそれに合わせて、見事にオーケストラを操る。読響もそれにうまくついていく。がっちりと合わせたというよりも、少し即興的な雰囲気がある。それがこの曲にぴったりと合っている。

 佐藤さんには10年以上前、私が多摩大学で働いていたころ、多摩大学創設25周年コンサートに菊池洋子さんとともに演奏をお願いしたことがある。その時も素晴らしい演奏に圧倒されたが、今回、以前よりもずっと表現の幅が広がっているのがきけて、とてもうれしく思った。

 後半の交響曲第7番は圧巻だった。とはいえ、これも力んでダイナミックに演奏するわけではない。むしろ、細身で、無駄なものはすべてはぎ取ったかのように音楽が進んでいく。先日、千葉で聴いたバッティストーニ+東フィルのダイナミックで豊穣な、まるでオペラのような第7とは正反対の演奏。もっと厳しく、もっと論理的。テンポを動かすわけでもなく、タメを作るわけでもなく、早めのテンポできわめて論理的に音楽を構築していく。しかし、そこに本質的な音のドラマが作られていく。ものすごい力感。読響も実に美しい音を出している。特に第4楽章で何度か感動が身体を走った。

 カンブルランの指揮はとてもわかりやすい。観客にも、どのような音楽を作りたいのかとても良く理解できる。そして、確かにその通りの音が出てくる。舞踏にあふれ、リズムにあふれ、生気にあふれた音楽。

 モーツァルトもベートーヴェンももっと盛り上がっていいと思ったのだが、今日の観客はかなりおとなしかった。私は大変満足した。

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東京・春・音楽祭2018の「ローエングリン」 素晴らしい歌手陣

201845日、東京文化会館で、東京・春・音楽祭の「ローエングリン」(演奏会形式)を聴いた。

歌手陣が世界最高のワーグナーを聴かせてくれた。その中でもやはりローエングリン役のクラウス・フロリアン・フォークトが圧倒的。やわらかい自然な声。少しも力んでいないのにホール中に響き渡る。あまり英雄的ではなく、やさしく人間的な声だが、これも一つのローエングリンのあり方だろう。第三幕の語りの部分はとりわけ素晴らしかった。

オルトルートのペトラ・ラングも声の迫力もさることながら、演技力も圧倒的。強靭な声でありながら、色気もあり妖艶さもある。まさしくふてぶてしく不気味なオルトルート。素晴らしい歌手だと思う。そのほか、律義な悪役テルラムントをエギルス・シリンスが最高の声で歌い、ハインリヒ王のアイン・アンガーも威厳ある王を歌って見事。これらのベテラン歌手たちの中では、エルザのレジーネ・ハングラーはやや若さを感じたが、それでも初々しく、しかも清澄な声で、まったく不満はなかった。伝令役の甲斐栄次郎もほかの主役格にまったく引けを取らなかった。

 ライナー・キュッヒルがコンサートマスターを務めるNHK交響楽団もよかった。第一幕の前奏曲の精妙さはとりわけ感動的だった。第三幕の前奏曲もさすがの迫力。

と言いつつ、実は私はあまり感動できなかった。ウルフ・シルマーの指揮に少々不満を覚えた。シルマーはとてもよい指揮だと思っているのだが、今回は、手際よくオーケストラをコントロールして、小気味よいほどに切り込んでいくものの、ワーグナー特有のうねりや豊かさや官能性を感じなかった。かなり快速で、余裕のないワーグナー。「ローエングリン」なんだから、もう少し音楽に酔わせてほしい。テキパキ進みすぎて、少しも酔うところがなかった。

 感動できなかったのには、もう一つ原因があった。私から近い席の男性(三人組でやってきて、中国語で話していたようだ)が第三幕の演奏中、何度もスマホをいじっていた。どうやらずっと録音していたようだ。しばしばスマホに明かりがつくので気が散った。注意をするには少し席が遠かったが、何度かやめるように言おうかと思った。そう思っていると、ますます音楽に集中できなくなった。

 中国人のマナーはなっていない、などと決めつける気はないが、中国の人がこのような行為をすると、いっそう中国人が誤解されてしまうと思う。

 しかし、私の不満はないものねだりのうちだろう。素晴らしい歌手たちの声を聴けただけでもとても満足な時間を過ごすことができた。

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METライブビューイング「ラ・ボエーム」2018 さすがMET!

  東銀座の東劇でMETライブビューイング「ラ・ボエーム」(2017-18シーズン)をみた。素晴らしい上演だった。プッチーニを大の苦手とする私が見ても納得できる見事さだった。

演出はこれまで何度も映像化されてきたフランコ・ゼフィレッリのもの。いまさらながらに、その規模の大きさ、その圧倒的なリアリティに驚く。第二幕の二階建てのパリの街の再現など、まさに本物の持つ存在感。コンピュータを使ったデジタル映像ではこうはいかない。

今回は、昔のパヴァロッティやドミンゴやミレッラ・フレーニのような傑出した大歌手はいないが、そうであるがゆえに、むしろとてもまとまりがとてもいい。ミミのソニア・ヨンチェヴァ、ロドルフォのマイケル・ファビアーノ、ムゼッタのスザンナ・フィリップス、マルチェッロのルーカス・ミーチャムがまさしく役柄そのものになり切ったかのよう。パヴァロッティ級の大スターが登場すると、ロドルフォが歌っているというよりも、パヴァロッティがロドルフォを歌っているのを承知で見ることになるが、ファビアーノが歌うと、ロドルフォその人が歌っているかのように感じられる。

ショナールのアレクセイ・ラブロフ、コルリーネのマシュー・ローズも役柄にぴったり。さすがMET。しかも、ラブロフはMETの新人発掘プログラムの研修によって能力を開発した歌手とのこと。こうして次々と名歌手が生まれてくるシステムに驚く。

指揮はマルコ・アルミリエート。かなり手堅い演奏だと思う。しっかりとプッチーニの抒情を聴かせる。一つの演出が時代を通して、その劇場の歴史そのものになり、大きな売り物になっている。そこに登場するすべての人が、スターも、そうでない人も完璧にその役割を演じる。劇場の伝統とはこのようなものなのだろう。

といいつつ、やはり私はどう聴いても、プッチーニの甘いオーケストレーションに違和感を抱き続ける。最終幕、感動的な場面なのだが、私はオーケストレーションが気になって感動に心をゆだねることができない。どうやら、私はプッチーニに感動できない体質のようだ。

 

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今年のラ・フォル・ジュルネに出演するラルス・フォークトのこと

 ラルス・フォークト。

もちろん、ピアニストとしての名前は知っていた。このフォークトが今年のラ・フォル・ジュルネでロイヤル・ノーザン・シンフォニアを指揮し、いくつかのピアノ協奏曲で「弾き振り」することが予定されているというので、久しぶりにサイモン・ラトル指揮、バーミンガム市立交響楽団によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、第2番(この2枚組CDにはグレン・グールドによるカデンツァのついた第1番が含まれる!)を聴きかえしてみた。

驚くほどの素晴らしさ! ラトルもいいが、フォークトの若々しくて鮮明でダイナミックなピアノが素晴らしい。

私はオーケストラ好き、弦楽器好き、声楽好きであって、ピアノはあまり聴かない。その私がフォークトの自在でダイナミックでしかも自然なピアノに痺れた。恥ずかしながら、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアを弾き振りしているベートーヴェンのピアノ協奏曲集のCDが発売されていることを初めて知って、まず第2番と第4番が収録されている1枚を聴いてみた。すごいのなんの!

アクセントが強く、切れがよくて、バリバリ弾いて音楽を推進していくタイプのピアノなのだが、抒情性も豊かでふくらみがあって、音の一つ一つの粒だちが最高に美しいので、不自然さがまったくない。オーケストラもとてもいい。ピアノについているというだけでなく、あちこちでピアノに対抗した音が出てくる。単にピアニストがピアノを弾いて、オケがそれに合わせているという音楽ではない。別に個性的な指揮者がいるかのよう。第4番の第2楽章は様々なアプローチのできる曲想だが、力強さと繊細さの入り混じったこの演奏に私は心の底から納得した。

あわててほかのCDも注文して聴いてみた。「皇帝」も素晴らしい。もしかしたら、第4番よりもこちらの方がいっそう名演かも知れない。テツラフと共演したブラームスの3つのヴァイオリン・ソナタも名演だと思う。

今年のラ・フォル・ジュルネで、フォークトとロイヤル・ノーザン・シンフォニアのコンサートがいくつも聴ける。5月3日にはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、4日には第4番、5日にはショパンのピアノ協奏曲第1番の弾き振りを聴くことができる。また、フォークトはハイドンやモーツァルトの交響曲、そして、ショスタコーヴィチの室内交響曲作品110a(原曲はあの弦楽四重奏曲第8番!)を指揮する。これも私は大いに関心を惹かれる。間違いなく、指揮者としても一流なのだと思う。

来月開かれるラ・フォル・ジュルネが俄然楽しみになってきた!

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インバル+都響の「幻想」 熱くならない盛り上がり

 2018326日、サントリーホールで東京都交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はエリアフ・インバル、曲目は前半にアレクサンドル・タローが加わってショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番、後半にベルリオーズの「幻想交響曲」。素晴らしい演奏。

 まず、タローの音色にしびれる。タローはCDを何枚か持っている。とてもいいピアニストだと思っていたが、実演は初めて聴いた(何かのフランス映画をみていたら、タローが出てきて驚いたことがあった)。研ぎ澄まされた音。切れがよくクリアでシャープだが、不思議に温かみがある。第三楽章の高揚も見事だったが、第二楽章の静謐で高貴な音の連なりが何ともいえず美しかった。都響もとてもアンサンブルがよく、美しい音を出していた。とりわけ、木管楽器の美しさにうっとりした。

 後半の「幻想」はもっと素晴らしかった。もし私の記憶が確かなら、私が初めてインバルの録音を聴いたのは、「幻想」だったと思う。それまでしばしば演奏されていたおどろおどろしくて熱狂的な「幻想」とは異なった、繊細で精密で、しかしそうであるだけにいっそう不気味な「幻想」に驚いた記憶がある。その後、インバル的なアプローチが増えてきたので、今聴くと、それほど特異ではないが、やはりインバルらしい精密さがある。ところどころ拡大鏡で除いたように、いびつな時間が現れる。予定調和的ではなく、まさしくアヘン中毒者の夢想のような、いびつでゆがんだ世界。それがとても魅力的だ。熱く盛り上がったりしない。盛り上がりはするが、けっして熱くならない。そこがおもしろい。

 ほかの指揮者ではどうしても退屈になってしまう第三楽章の微妙で繊細な表現にはとりわけ驚嘆した。スリリングで、息をのむような楽章になっていた。ベルリオーズの残した解説では、この楽章で殺人が行われるはずなのだが、まさしくそのような不気味な雰囲気。

 都響は素晴らしいのだが、実を言うと、インバルはもっともっと微妙に、繊細に演奏したいのではないかと思わないでもない。そうすれば、もっと怜悧でもっと幻想的なのではないかと思った。とはいえ、私は十分に満足した。

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