音楽

フルシャ+N響の「ツァラトゥストラ」「シンフォニエッタ」 苦手な曲はやはり苦手だった

 2019414日、NHKホールでNHK交響楽団の演奏会を聴いた。指揮はヤクブ・フルシャ。曲目は、前半にシュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」と、ソプラノの ヴェロニク・ジャンスが加わって、ベルリオーズの叙情的情景「クレオパトラの死」、そして、後半にヤナーチェクの「シンフォニエッタ」。

 実は私はシュトラウスもベルリオーズも、そしてヤナーチェクも大好きだ(一時期、日本リヒャルト・シュトラウス協会にも、ヤナーチェク友の会にも入会していた)。ところが、ここに選ばれた3曲は実はいずれもあまり聴かない曲。というか、はっきり言って、いわゆる「好きな作曲家の苦手な曲」。3曲すべてが私にとって同じような曲なので、これを機会に聴いてみたいと思った。で、結論から言うと、やはりあまり面白いと思わなかった。

「ツァラトゥストラ」の冒頭はもちろん圧倒的な音楽だ。が、その後が退屈。今日聴いてもやはり退屈だった。フルシャの指揮はしっかりと音楽をまとめているのだが、それ以上ではない。空虚な音楽が続くだけで終わった。この曲では致し方ないだろうと思う。昔、カラヤン指揮、ベルリン・フィルの来日公演でこの曲を聴いたが、それでも感動には至らなかった記憶がある。

「クレオパトラの死」はとてもよかった。ジャンスはかなり明晰な語り口で、しかもとてもドラマティック。だが、これについて、私としてはどうということなく終わった。

 フルシャはチェコのブルノ出身だという。ヤナーチェクの故郷フクバルディからすぐの土地で、ヤナーチェクは長くブルノで暮らした(ついでに言うと、私は10年ほど前、ブルノを訪れ、フクバルディまで足を延ばした!)。だから、もっと地方色豊かな音楽を作り出してくれると思っていたのだが、私の耳には意外とインターナショナルに聞こえた。明るめの音で、ヤナーチェク特有の屈折したもの思い、そして肉体の内側から湧き上がってくるかのような名付けようのない生命の力のようなものが聞こえてこない。これもどうということなく終わった。

 きっととても良い演奏だと思うのだが、やはりこれらの曲は私とは性が合わないと再認識したのだった。

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高関+森麻季+シティフィルの「四つの最後の歌」 人工美の極致としての彼岸の音楽!

 2019413日、東京オペラシティ・コンサートホールで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団定期演奏会を聴いた。指揮は高関健、曲目は前半に、モーツァルトの「魔笛」序曲と、ソプラノの森麻季が加わってシュトラウスの「四つの最後の歌」、後半にブルックナーの交響曲第1番(1868年リンツ稿、新全集による日本初演)。

 マエストロ高関の評判はもちろん知っていたが、恥ずかしながら今回初めて聴かせていただいた。噂にたがわぬ見事な演奏だった。「魔笛」の後半のしっかりした盛り上がりに、まずびっくり。オーケストラから厚みのあるしっかりした音が聞こえてくる。構成感もあり、メロディの表情もしなやか。

「四つの最後の歌」も素晴らしかった。森さんは音程の正確な透明な声でしっとりと歌う。オーケストラとともに声の色彩も刻々と変わる曲なのでとても難しいと思うのだが、そうしたニュアンスの違いを見事に歌い分けていく。オーケストラを圧するのでなく、そのなかに入って静かに歌う。私はこの曲を聴くと、「浄土」を思い浮かべる。この世のものではない色とりどりの「イデア」にあふれた人工美の極致としての彼岸。第3曲「眠りにつくとき」のヴァイオリン・ソロから最後まで魂の震える美しさの極致だった。森さんも抑えられたきれいな声、オーケストラもニュアンスにあふれている。

 後半の交響曲第1番については、恥ずかしながら、私は少々退屈だった。もちろんブルックナーは大好きな作曲家だが、第1番はそれほど聴いているわけではない。それを別ヴァージョンで聴くと、素人の私としては、分析的に聴くこともできず、ただ聞き覚えのある音楽と少し違う雰囲気の楽想に戸惑うばかりだった。結局、よくわからないまま終わってしまった。ただ、オーケストラはしっかりと鳴り、マエストロは確信を持って音楽を作り出していることはよくわかった。

 マエストロ高関の音楽をまた聴きたいと思ったが、ともあれ、今日は「眠りにつくとき」のあの美しい楽想を聴けただけで幸せだ。

 コンサートの後、多摩大学でかつて教えた中国人留学生4名、元多摩大学の同僚の中国人教授1名とマレーシア料理の店で会食をした。私以外は全員が中国人なのだが、日本語で会話をしてくれた。楽しい時間だった。二人は現在、日本企業で仕事をし、二人は大学院の進学準備をしている。まだ20代の若者だが、意欲にあふれ、日本語を使って社会に貢献したいと思っている。教え子という以上に、素晴らしい友人たちだと思った。

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ハーガー+新日フィルの「スコットランド」はちょっと退屈だった

 レオポルド・ハーガー。実に懐かしい名前だ。30年以上前、CDを何枚か聴いていた記憶がある。特に好きな指揮者というわけではなかったが、久しぶりにその名前を新日フィルの定期演奏会のチラシに見つけて、聴きたくなった。そして、今日(2019411日)、サントリーホールで聴いたのだった。曲目は前半にメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」、後半にドヴォルザークの交響曲第8番。

 前半のメンデルスゾーンは少々退屈だった。「スコットランド」は私の大好きな曲だ。1970年代だったかドホナーニ指揮、ウィーンフィルのCDを聴いてから、この曲の魅力に取りつかれ、それ以降、この曲のCDが発売されるたびに購入して聴いていた。が、ハーガーの指揮は、誠実でしっかりした音楽づくりなのだが、形式感が希薄で、行き当たりばったりな感じがして、私には受け入れがたかった。緊密に構成され、その中に生き生きとした感性や悲しみ、喜びが息づいているこの曲が、しまりのない、部分部分が妙に強調された音楽になっていた。ハーガーという人、形式を重視する人ではなく、かなりロマンティックな盛り上がりを作るタイプの人のようだ。私の好きなメンデルスゾーンではない。

 後半のドヴォルザークはそれに比べればずっと良かった。ドヴォルザーク特有の美しいメロディが浮かび上がるし、木管楽器の美しさが際立つ。自然に盛り上がる。終楽章はとても情熱的になった。新日フィルも本領発揮。

 ただ、この曲についても、私はやはり形式感の弱さを感じた。もともとこの曲は構成が弱い気がするのだが、ハーガーの指揮は部分と部分が緊密に構成されない気がしてしまう。素人なので説明はできないのだが、なんだかしっくりこない。びしりびしりと決まらない。そんなわけで、心から感動するというわけにはいかなかった。

 昨日は冬の寒さだったが、今日はかなり暖かくなった。そのつもりで薄着していったら、帰りは寒くなった。

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新国立劇場「フィレンツェの悲劇」と「ジャンニ・スキッキ」を楽しんだ

 2019410日、新国立劇場で、ツェムリンスキー作曲のオペラ「フィレンツェの悲劇」とプッチーニ作曲の「ジャンニ・スキッキ」の2本をみた。とてもおもしろかった。

「フィレンツェの悲劇」は、音楽を聴くのも初めて。そもそもツェムリンスキーの曲自体、これまで実演で聴いたのは2、3曲程度。CDも数枚しか聴いていない。で、初めて聴いてみて、シュトラウスにとても似ているのを感じた。出だしなど、「エレクトラ」を思い出す。

 原作はシュトラウスの「サロメ」と同じオスカー・ワイルド。倒錯的な愛の物語という点でも共通する。ただ、やはりツェムリンスキーの音楽はシュトラウスに比べると物足りない。もっともっと強烈にできると思うのだが、あまり起伏なく音楽が進む。が、最後はなかなかの迫力。シュトラウスとだったら、初めからもっと不気味に、もっと蠱惑的に、もっと戦慄的に音楽を作っていくだろうと思った。

 歌手陣は充実していた。シモーネのセルゲイ・レイフェルクスがやはり圧倒的。グイードのヴゼヴォロド・グリヴノフもまったく文句なし。二人の掛け合いの迫力は素晴らしかった。ビアンカの齊藤純子も日本人離れした歌唱と容姿。二人にまったく引けを取らなかった。この歌手をまったく知らなかったが、世界に通用する日本人歌手だと思う。

 演出は粟國淳。傾きかけ、まるでアンコールワットのように植物に浸食された館のうらぶれた中庭が舞台になっており、世紀末的雰囲気が濃厚に出ていた。指揮は沼尻竜典。これまた世紀末的で雰囲気のある演奏。

「ジャンニ・スキッキ」も楽しめた。このブログにも何度か書いた通り、私はプッチーニ嫌いなのだが、このオペラはまったく不愉快さを感じない。どうやら私がプッチーニを聴いて不愉快に思うのはメロドラマ的な部分らしい。

 ジャンニ・スキッキを歌うカルロス・アルバレスがやはり圧倒的な歌唱と芝居。自在に歌いまくる。リヌッチョの村上敏明も素晴らしい。ラウレッタの砂川涼子も可憐でなかなかいい。そのほか、すべての歌手に満足。芝居も実にうまい。日本人歌手たちのオペラの演技も板についてきたのをつくづく感じる。一昔前まで、目をそむけたくなるような下手な演技がなされたものだが、このごろ、まったくそんなことはなくなった。ブオーゾの死体役の俳優さんの見事な演技にも脱帽!

 拡大されたブオーゾの書斎が舞台になっており、巨大な万年筆や手紙などが配置されている。そこに卑小な人間たちが遺書を探し手右往左往する。一人一人の動きが滑稽で、しかも不自然でなく気が利いている。粟國淳のこなれた演出に驚嘆。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏ものびのびとしていてよかった。

 4月だというのに真冬のような冷たい雨。しかも、あれこれとめっぽう忙しい。チケットを購入した時にはぜひみたいと思ったものの、なじみのないオペラと嫌いなプッチーニのオペラ。でかけるのをちょっと億劫に思ったのだったが、実際にみた後はとても幸せな気分で帰途に就いた。

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望月哲也+松尾俊介のシューベルト歌曲集リハーサル もっと聴きたかった!

 20194月6日、HAKUJUHALLでの望月哲也(テノール)+松尾俊介(ギター)の「白鳥の歌」を中心としたシューベルト歌曲のリサイタル。聴くのを楽しみにして、私が「水先案内人」の一人として担当しているWEB版「ぴあ」のコーナーでも取り上げていた。ところが、突然、仕事上のトラブルが起こって、ちょうどコンサートの時間帯にほかの場所で人と会わなければならなくなった。無理を言ってリハーサルをのぞかせていただいた。望月さん、松尾さん、そして関係者の皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

 望月哲也の実演はかなり聴かせてもらっている。常に安定した素晴らしい歌。松尾俊介についても驚くべきテクニックと繊細な音を何度も聴いてきた。望月さんのシューベルトをギター演奏で歌うという企画にはずっと惹かれていたが、今回松尾さんが伴奏とあってはぜひ聴かないわけにはいかないと思ったのだった。

 まだリハーサルの段階だったので、本番では一層全開されるのだろう。が、リハーサルを聴いても素晴らしかった。望月さんのシューベルトはとても丁寧。声を張り上げるのではなく、静かに語るように歌い上げる。それを支える松尾さんのギターもとても繊細でしなやか。

 ギター伴奏は、シューベルトの世界にぴったりだと思う。親密な空間で作曲を続け、小さな場所で演奏された本来のシューベルトの味わいが伝わる。仲間が集まって、心の内を音楽に託して打ち明ける、そんな味わいがある。

 とりわけ「白鳥の歌」はシューベルトが歌曲集として編んだわけではなく、死後に遺稿が集められたもの。しかも、今回のコンサートはそのほかにも有名なシューベルトの歌曲が歌われる。だからこそギター伴奏が生きる。ピアノで取り澄まして演奏すると、脈絡がなくなるが、ギター伴奏によると親密感が出て、音楽の連なりも自然になる。

  二人の演奏は実にしみじみとしていてよかった。ただ実をいうと、「魔王」については、これをギターで弾くと迫力不足になると思った。三連符の迫力はやはりピアノのものだと思った。それ以外は、「野ばら」も、「白鳥の歌」の中のいくつもの曲も素晴らしかった。ロマンティックにしすぎず、悲劇的にもしすぎず、さらりと語るように歌いながら、そこにシューベルトの哀しみと孤独が浮かび上がる。そのような演奏だった。

 もっと聴きたかった。いや、本番を聴きたかった! が、時間切れになって電車であわてて次の待ち合わせの場所に向かった。ぎりぎりで間に合った。

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東京・春・音楽祭、「さまよえるオランダ人」 素晴らしい演奏に魂が震えた!

 201945日、東京文化会館で東京・春・音楽祭、「さまよえるオランダ人」の演奏会形式による演奏を聴いた。背景に海や部屋の映像が映る。余計な演出がないだけに音楽に集中できた。素晴らしい演奏だった。魂が震えた。

 なんといってもオランダ人を歌うブリン・ターフェルが凄まじい。声の威力、声の演技力、存在感、すべてにおいて圧倒的。まさしく呪われたオランダ人の魔力を持っている。エリックのペーター・ザイフェルトもさすがの歌。自在に歌い、声が伸びる。世界の超一流が演奏会形式で歌うとこれほどまでにすごいのかと改めて思う。私はこの二人の実演を聴いたことがあるはずだが、これほど感銘を受けたのは初めてだった。

 ゼンタを歌うのはリカルダ・メルベート。私はこれの歌手は何度か聴いているが、さすがの歌唱。第二幕のバラードはちょっと抑え気味に思えたが、第三幕の最後は素晴らしかった。声が美しくて張りがある。マリーのアウラ・ ツワロフスカもしっかりと歌っているし、舵手のコスミン・イフリムも、ちょっと低音がかすれることがあったが、全体的にはとてもよかった。

 ダーラントはアイン・アンガーが予定されていたが、イェンス=エリック・オースボーに変更。若い歌手のようだ。ちょっと不安定なところがあったが、これほど歌ってくれれば十分。第一幕はとりわけ見事だった。トーマス・ラングと宮松重紀の合唱指揮による東京オペラシンガーズも素晴らしかった。

 管弦楽はNHK交響楽団、コンサート・マスターはキュッヒル。指揮はダーヴィト・アフカム。インド系の若手指揮者ということで話題になっているらしい。初めのうちは硬い感じだったが、だんだんとしなやかさが増していった。第二幕の糸紡ぎの合唱はとても美しかった。このあたりから徐々にドラマティックになって、ワーグナーらしい音楽になっていった。第3幕はオーケストラも最高に鳴り響き、素晴らしい音楽世界が展開された。

 ワーグナーの音楽を満喫。「さまよえるオランダ人」はちょっと物足りないと思っていたが、実演を聴くと、やはり感動する。

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戸田弥生の室内楽「浄夜」 心をえぐる音楽

 201942日、東京文化会館小ホールで「戸田弥生の室内楽」を聴いた。曲目は前半にストラヴィンスキーの弦楽四重奏のためのコンチェルティーノとチャイコフスキーの弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」、後半にシェーンベルクの「浄夜」。演奏は、第一ヴァイオリンが戸田弥生。そのほかは第二ヴァイオリンは伊藤亮太郎、ヴィオラは店村眞積と村松龍、チェロは横坂源と上森祥平。素晴らしい演奏だった。

 ストラヴィンスキーのこの曲は初めて聴いた。鮮烈さに驚いた。次の「フィレンツェの思い出」は、まったく甘ったるさのないチャイコフスキー。確かにチャイコフスキーらしい甘美なメロディが聞こえるが、あくまでも厳しく緊張感にあふれている。すべての楽器が絶妙に絡み合い、強く心の奥深くにしみいる。戸田さんの個性なのか、とりわけ第一ヴァイオリンの音の芯が強く、そして美しい。自己主張の強い音だ。名手ぞろいなだけに、弦の重なりに素晴らしい雰囲気がある。単に美しいだけでなく、深みを感じる。

 後半の「浄夜」はもっと素晴らしかった。この曲はしばしば官能的でエロティックで甘美になるが、戸田さんが第一ヴァイオリンを務めると、そのようには聞こえない。もっと表現主義的になり、厳しくなり、スリリングになり、感動的になる。そして、最後、デーメルの詩によると、男が他人の子供をはらんだ女性を受け入れ、自分の子として育てようと決意する場面。その部分の清澄さは素晴らしい。前半がスリリングで必死感があるだけに、最後にカタルシスが訪れる。まさに目の前に宿命を前にした男女の真剣なやり取り、そして最後のカタルシスが描かれる。

 アンコールはブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第2楽章。ロマティックで甘美な音楽としてしばしば演奏される。が、ここでももっと切実な音楽になる。この深くて心をえぐる音を聴くと、私は「宿命」という言葉を思い出さずにはいられない。

 私は戸田さんのヴァイオリンを聴くと、昔の巨匠シゲティを思い出す。シゲティはあまり美しい音ではなかった。だが、聴衆の心をわしづかみにした。戸田さんのヴァイオリンにも同じようなところがある。もちろん、戸田さんのヴァイオリンの音はシゲティよりもずっと美しいしく、しかも素晴らしいテクニックだが、それでも美音やテクニックよりも心をえぐる表現に真骨頂があるのは間違いないだろう。戸田さんのヴァイオリンを聴くごとに心をえぐられ、感動する。華麗なテクニックでさらりと演奏するヴァイオリニストが増えている中、戸田さんのような心の奥をえぐってくれるヴァイオリニストは実に貴重だと思う。大好きなヴァイオリニストだ。心から満足。

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藤原歌劇団「フランチェスカ・ダ・リミニ」 良い上演だったが、少々退屈した

 2019327日、テアトロ・ジーリオ・ショウワで藤原歌劇団公演メルカダンテ作曲のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」をみた。

 チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は中学生のころにレコードでよく聴いていたので、このタイトルにはなじみがあるが、メルカダンテのこのオペラはもちろん初めてみる。メルカダンテについても、ロッシーニと同時代に活躍していた作曲家としてものの本で読んだくらいの知識しかない。

 歌手陣は充実していた。とりわけフランチェスカを歌うレオノール・ボニッジャとパオロのアンナ・ペンニージは素晴らしかった。ボニッジャは、音程のいいきれいな声。ペンニージも音程がよく、声に深みがある。

 ランチョットのアレッサンドロ・ルチアーノは美声だが、声が弱く、悪役には迫力不足。日本人歌手たちは健闘。グイードの小野寺光、イザウラの楠野麻衣、グエルフォの有本康人、いずれもしっかりした声と演技。合唱は藤原歌劇団合唱団、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団。とてもよかった。

 ただ、実は私はかなり退屈だった。メルカダンテの曲自体、あまりに平板。きれいな旋律があり、ロッシーニのようなおもしろい展開がある。なかなかいい曲。ドニゼッティ風なところもある。だが、それなのに、盛り上がらない。台本にも難がありそう。夫の弟を愛してしまって、夫に死に追いやられるフランチェスカの悲劇を描く。「ペレアスとメリザンド」によく似たストーリー。だから、ドラマティックなはずなのに、いつまでも同じことを歌ってなかなか話が進まない。ずっと同じ雰囲気。メリハリがない。ドラマ的な展開にならない。もっと端折るところがあってよいのに、話が少しずつ進んでいく。このオペラがあまり上演されないのも理由があってのことだと納得。

 平板になったのには、指揮のセスト・クワトリーニにも責任があるのかもしれない。普通に考えれば盛り上げようとするところなのに、そうしない。意図的にロッシーニ風になるのを避けたのだろうか。あるいは、そのような盛り上げを許さないような楽譜なのだろうか。私としては、退屈にならないようになんとかしてほしかった、

 演出のファビオ・チェレーザは、かなり穏当。歌だけだと退屈になるとわかっていると見えて、歌手たちの周りでダンサーが踊る。踊りに無関心な私としては、これは邪魔だった。もっと演奏面で退屈しないようにしてほしいと思った。

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ウルバンスキとエーベルレ 若い才能に圧倒された

 2019325日、サントリーホールで東京交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はポーランド出身の若き指揮者クシシュトフ・ウルバンスキ。曲目は前半にヴェロニカ・エーベルレのヴァイオリンが加わってモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、」後半にショスタコーヴィチの交響曲第4番。エーベルレも若い女性。

 前半はウルバンスキはちょっと控えめ。エーベルレの最初の音に驚いた。弱音が素晴らしい。聴くものを引き付ける。音程の良い美しい音で生き生きとした音楽を作っていく。しかも、第2楽章はしっとりと、まるで晩年のモーツァルトのように深みのある音楽を築いた。ところどころにカデンツァ(というか、正確には「アインガング」というらしい)が入る。アメリカのピアニスト、ロバート・レーヴィンの作だという。鮮烈でよかった。ヴァイオリンのアンコールはプロコフィエフの無伴奏ヴァイオリン・ソナタより。これも音程の良い勢いのある演奏。

 後半のショスタコーヴィチはウルバンスキの世界が炸裂した。1982年生まれだというから、まだ30代。切れがよく、バランスも良く、このヒステリックで狂気じみており、しかも知的で抒情的で複雑な音楽を見事に構成していく。音が澄んでいるし、しかも重層的。東響のメンバーも素晴らしい。管楽器の美しさに驚いた。

 ただ、私はマーラー嫌いの私にはこの曲はあまりにマーラー臭くて、素直についていけなかった。ショスタコーヴィチの交響曲の中では最も苦手な部類に属す。そんなわけで、演奏のすごさに圧倒されながら、マーラーを聴くときのような居心地の悪さを感じたのだった。

 が、それにしてもこの指揮者、おそるべし! エーベルレも素晴らしい。若い二人に圧倒された。

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カンブルラン 読響常任指揮者としての最後の「幻想」 感動した!

 2019324日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団の「日曜マチネシリーズを聴いた。指揮はシルヴァン・カンブルラン。カンブルランの常任指揮者としての最後のコンサート。曲目は、前半にベルリオーズの歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲と、ピエール=ロラン・エマールのピアノが加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、後半にベルリオーズの「幻想交響曲」。素晴らしい演奏。感動した。

 カンブルランらしく緻密で色彩的。しかも、無駄なものがなくきびきびしている。誇張なしに音楽の本質を取り出し、オーケストラの良さを引き出して音楽にしていく。本当にすごい指揮者だと思う。

 エマールのピアノもよかった。とりわけ第2楽章の繊細さは格別。カンブルランと音楽的に近いと思う。ただ逆にいえば、指揮者とソリストの激しいせめぎあいのようなものは感じられなかった。素晴らしい演奏だったが、予想した通りに進んでいった気がする。ピアノのアンコールが演奏されたが、なんだかよくわからない曲だった。後で掲示を見たら、クルターグという作曲家の「遊戯 第6集より」とのこと。

 後半の「幻想」はまさに名演。ただ好き嫌いはあるかもしれない。あまりおどろおどろしくない演奏。スマートで形式感があり、品格のある「幻想」。ドイツ音楽的な感じがする。なりふり構わずに鳴らしまくるのでなく、知的にコントロールされている。オーケストラも素晴らしい。とりわけ、木管楽器が美しかった。私はこのような演奏が大好きだ。

 私は「幻想」を聴くと、第3楽章をどう演奏するかが気になる。誰が演奏しても退屈してしまう楽章だ。さすがカンブルランというべきか、精妙な音で何事かが起こっている雰囲気を高めていく。牧歌的でありながらも、不気味。特に大きな事件(つまり、「幻想」のストーリーからすると殺人?)が描かれているわけではなさそうだが、田園風景の中でただならぬ雰囲気がある。なるほどベルリオーズはこのような意図でこの楽章を作ったのか!と納得させるような演奏だった。そして第4・5楽章も、躍動し、魑魅魍魎の世界でありながらも随所に繊細な美しさにあふれた世界が出現した。

 演奏後、オッフェンバックの「地獄のオルフェウス」のカンカン踊りの部分が、おそらくはオーケストラ団員の発意で演奏され始めた。「ありがとう、マエストロ・シルヴァン・カンブルラン。日本でまた会いましょう」という横断幕がだされ、何人かの団員が踊り、カンブルランも指揮をしながら踊り・・・といった楽しくも感動的な感謝のパフォーマンスが行われた。観客も大喝采。

 私もカンブルランの指揮する読響の演奏を聴くたびに深く感動した。そして、カンブルランが巨匠であることを痛感したのだった。最後のコンサートを聴けて本当に良かったと思った。

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