音楽

新国立劇場「ファルスタッフ」 素晴らしい演奏!

2018126日、新国立劇場で「ファルスタッフ」をみた。演奏に関しては素晴らしかった。

カルロ・リッツィが指揮をすると東京フィルハーモニー交響楽団もぐっとしまる。力感にあふれ、精妙な部分も見事に表現されていた。ちょっと粗いところもないではなかったが、初日の演奏としては出色ではないか。とてもまとまりがよく、音色もしっかり出せて、エネルギーのある演奏だった。やはりオーケストラがいいと全体がしまる。

歌手陣も素晴らしかった。やはりアリーチェを歌うエヴァ・メイが声も演技も、そして容姿も素晴らしい。しなやかで色気があって気品がある。ほれぼれするような美しさ。ファルスタッフのロベルト・デ・カンディアも見事なファルスタッフぶり。声もしっかりしている。フォードのマッティア・オリヴィエーリは絵にかいたような二枚目。ちょっと声に一本調子の部分があったが、きっとまだ若いのだろう。これからが楽しみ。クイックリー夫人のエンケレイダ・シュコーザも伸びのある声で深みがあって素晴らしかった。

 日本人歌手も外国人勢にまったく引けを取らなかった。全員がきわめて高レベルだった。本当に素晴らしい。メグの鳥木弥生は伸びのある声でアリーチェに劣らなかった。ナンネッタの幸田浩子もとても美しい声。フェントンの村上公太も若者らしい率直な美声。カイウスの小山陽二郎、バルドルフォの糸賀修平、ピストーラの妻屋秀和はいずれも見事な声と演技。そして、三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団はいつも通りの見事さ。常に高いレベルで舞台を支えている。

 ジョナサン・ミラーの演出はいかにも手慣れた感じ。フェルメールの絵画を思わせる室内。スムーズに、そして的確にストーリーが展開される。ただ、喜劇性は少ない。もっと笑える部分があってもよかったのではないか。そうしてこそ、最後の場面がもっとワクワクしたのではないか。その点、少し物足りなかった。

 とはいえ、本当に素晴らしい舞台だった。新国立劇場のレベルの高さをまたも痛感した。

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「哀しみのモーツァルト」 珠玉の哀しみ!

201812月4日、サントリーホールブルーローズで第1回「哀しみのモーツァルト」を聴いた。モーツァルトの短調の曲を集めたコンサート。モーツァルトの短調の曲をこれほどまとめて聴く機会はめったにないし、演奏は仲道郁代(ピアノ)、小林沙羅(ソプラノ)、崔文洙(ヴァイオリン)、崔文洙弦楽四重(五重)奏団、そして三枝成彰さんの解説付きとあっては悪かろうはずがない。そう思って出かけた。

 曲目は、ピアノ・ソナタ第8番、「フィガロの結婚」のバルバリーナのカヴァティーナ「 失くしてしまって・・・あたし困ったわ!」、「魔笛」のパミーナのアリア「 ああ、私は感じる、愛のしあわせが」、そして、歌曲「希望に」「魔術師」「老婆」「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき」、そして、「泉のほとりで」の主題による6つの変奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第21番、弦楽四重奏曲第15番第一楽章、弦楽五重奏曲第4番第一楽章、アダージョとフーガ ハ短調、ピアノ協奏曲第23番第二楽章など盛りだくさん。

「老婆」はかつてシュヴァルツコップのレコードをずいぶんと聴いたものだ。確か、実演でもシュヴァルツコップの歌を聴いた気がする。とてもおもしろい曲だと改めて思った。

 とりわけ、弦楽四重奏曲第15番と弦楽五重奏曲第4番、アダージョとフーガは私の大好きな曲だ。この3曲は一時期、繰り返し聴いた。悲痛であり、人生の深みが込められており、しかしそうでありながら重くならない。哀しみを珠玉の作品に変えたのはモーツァルトの功績といえるのかもしれない。三枝さんが繰り返し言われていた通り、まさしく「疾走する哀しみ」tristesse allant「トリステス・アラン」! 演奏に関しては、初めのうちは「安全運転」という感じがしたが、徐々にモーツァルトの哀しみが乗り移ったかのようになった。

 短調の曲はモーツァルトの曲全体の5パーセント程度だという。交響曲や協奏曲は時々聴く機会があるが、室内楽を聴く機会は少ない。それをこれほどまとめて聴けて、実にうれしい。短調について、とりわけモーツァルトの短調の特徴について三枝さんのお話もうかがえた。第2回も来年の12月5日に開催されるとのこと(今年はモーツァルトの命日の12月5日言開かれなかったのは、会場が取れなかったためとのこと)。楽しみだ。

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フェルメール展とウィーンピアノ四重奏団、そしてM1グランプリ

 2018123日、午後に少し時間ができたので、上野の森美術館でフェルメール展をみた。

オランダにも何度か行って美術館巡りをしたし、デルフトを訪れたこともあるので、フェルメールの絵はかなり見ている。今回見た絵も、すべてこれまでに見たことがあったはずだ。が、改めて見ても、やはり圧倒的に素晴らしい。ほかの画家の作品も展示されているが、やはりフェルメールの絵の存在感はすさまじい。

「牛乳を注ぐ女」の静謐さ、存在の豊かさには言葉をなくす。そのほか、「ワイングラス」「リュートを調弦する女」「真珠の首飾りの女」「手紙を書く女」「手紙を書く夫人と召使」も素晴らしかった。「赤い帽子の娘」は人気がないようで、ほかの絵の前で人だかりができているのに、この絵の前だけはがらんとしていた。が、よく見てみると、これもとてもいい絵だと思った。娘の顔が緻密に描かれていないのでフェルメールらしくないが、帽子の色彩感はとてもいい。ただ、私は美術には疎いので、それについて語る語彙を持ち合わせていない。よって、くわしくは書かない。

 フェルメール展を見終えた後、銀座である出版社の編集の方と打ち合わせ。その後、日経ホールに場所を移して、ウィーンピアノ四重奏団の演奏を聴いた。

 曲目は、前半にモーツァルトのピアノ四重奏曲 第2番 変ホ長調とドビュッシーのピアノ三重奏曲 第1番、ショパンのバラード第1番(ピアノ四重奏版)、後半にコレッリの合奏協奏曲 第8番 ト短調「クリスマス協奏曲」より「パストラーレ」、そしてブラームスのピアノ四重奏曲 第3番。

 ウィーンピアノ四重奏団はウィーン在住のピアニスト、フォゥグ・浦田陽子さんとウィーンフィルのメンバーによる四重奏団。ただ、私は期待ほど楽しむことができなかった。

ピアノの音にちょっと癖があり、指が少しもつれた感じになるのを感じたが、気のせいだっただろうか。それに、なんだか音楽が一本調子で、初めて音合わせをしているような雰囲気。音楽が構築されていかない。常設のピアノ四重奏団とは思えなかった。私の最も嫌いなタイプの演奏。このブログで私が「けなす」のはだいたいにおいてこのようなタイプの演奏だ。演奏者には申し訳ないが、ずっと退屈だった。

 音楽は楽しめなかったが、その分、フェルメールが素晴らしかったので、今日はこれで満足。

 ところで、ついでに昨日テレビで見た「M1グランプリ」について少し書く。私は小学生のころからの漫才ファン。大学生のころには末広亭に通っていた。三球・照代の地下鉄漫才に何度笑い転げたことか! 今回は和牛とジャルジャルがともに最高におもしろいと思った。優勝した霜降り明星もおもしろかったが、和牛とジャルジャルにはかなわないと思う。テクニックとしては和牛。が、ジャルジャルのシュールなおもしろさはほかの人にはまねできない。どちらかに優勝してほしかった。が、ともあれ、昨日はテレビで彼らの芸を十分に見られたことに満足だった。

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調布市民オペラ「アイーダ」 素晴らしい演奏、衝撃の演出

 2018年12月1日、調布グリーンホールで調布市民オペラ第21回公演「アイーダ」をみた。素晴らしい演奏、そして衝撃の演出だった。

 歌手陣の素晴らしさにまず驚いた。アイーダの江水妙子(旧姓石原)、アムネリスの大賀真理子、ラダメスの小野弘晴、アモナズロの小林大祐の四人の主役格はいずれも音程のよい伸びのある声。エジプト王の狩野賢一、ランフィスの後藤春馬、伝令の工藤翔陽もとてもよい。これまで日本人によって上演された「アイーダ」でも最高レベルの歌唱なのではないかと思う。市民オペラを見くびってはいけないと思いつつ、実はこれほどの高いレベルの歌唱が聞けるとは思っていなかった。市民オペラのレベルの高さに脱帽!

ステーファノ・マストランジェロの指揮による東京ニューシティ管弦楽団もさすが手慣れたもので、しっかりとした音楽を聞かせてくれた。もちろん、ときどき歌とずれるところもあった。だが、だんだんと調子がでてきて、第34幕は見事だった。

谷茂樹指導による調布市民オペラ合唱団もしっかりと歌っていた。かなりの高齢の方々のようだ。もしかしたら、80歳を超す方がかなりおられるのではないか。よくぞここまで歌えると思った。私は、高齢の合唱団の方々が楽しそうに、そして必死に歌っている姿を見て、心から感動した。これこそが音楽の楽しみだと思った。オペラというのは本来このようなものだと思う。近所のおじさんやおばさんが合唱団やオーケストラに所属していて、親しみやすいものとしてみんなで楽しむのがオペラなのだと思う。まさにそれをこの市民オペラは実践している。

そして、特筆するべきは三浦安浩の演出。実は、きわめてオーソドックスなわかりやすい演出だと思う。目立った解釈は少しもない。何度も見てきた「アイーダ」の物語。ただ、1点を除いては。が、その1点があまりに衝撃的だった。

その1点というのは、ミカン箱で作ったかのような粗末で安づくりの山鉾が2台舞台上に置かれ、それが階段になったり、2台が組み合わされてピラミッドのようになったりすることだ。豪華な舞台とは対照的な安っぽい装置! 

これは、「アイーダ」を豪華絢爛な大スペクタクルにすることに対する三浦流のアンチとしての仕掛けなのだと思う。こうすることで、「アイーダ」は王や王女や英雄たちの豪華で壮大な物語ではなく、市井の男と女の物語になる! 戦争に翻弄された男女の普遍的な悲劇になる。私たちの心の中の出来事になる。

実は私は「アイーダ」はあまり好きではない。先日、ムーティ指揮のザルツブルク音楽祭2017年の「アイーダ」の映像をみたが、その思いを強くした。私が「アイーダ」が好きでない理由、それはこれが市井の人間からかけ離れた王や王女や英雄たちのあまりに壮大な物語だということだ。これほど壮大だと私はむしろ空々しさを感じてしまう。こけおどしのようなものを感じてしまって、リアリティを感じない。

ところが、三浦演出は、そのような豪華絢爛な壮大さを、たった一つの仕掛けによって打ち崩す。ほかは何もいじらず、オーソドックスな演出をしながら、安っぽい装置をさりげなく使うだけで、根底から「アイーダ」のあり方を変えてしまう。しかも、このようにすることで、市民オペラが手作りであること、市民がみんなで作っていることを強調することにもつながる。これはすさまじいことだと思った。

三浦さんとは親しくさせていただいているので、終演後、ご本人にこのことについて問いただしたいと思った。が、そうするとここに勝手な私の感想を書けなくなる。それもあって、あえて三浦さんには何も聞かないままここに書きつけることにした。

私が「アイーダ」に心から感動したのはこれが初めてだ。このような市井的な面を強調した「アイーダ」なら私は大好きなのだ。素晴らしいオペラだと改めて納得した。

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ダンテ弦楽四重奏団 派手さはないが、とてもよい演奏

20181126日、武蔵野市民文化会館小ホールでダンテ弦楽四重奏団の演奏を聴いた。曲目は前半にハーバート・ハウエルズという20世紀前半に活躍したイギリスの作曲家の「オードリー夫人の組曲」とショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番、後半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番(ラズモフスキー第3番)。派手なごことはないが、とても良い演奏だった。

ダンテ弦楽四重奏団は1995年に結成されたロンドンを中心に活動する団体とのこと。ヴィオラを担当するのは日本人の井上祐子さん。この団体についてこの度、初めて知った。

ハウエルズの曲は、いかにもイギリス音楽。ディーリアスやエルガーと同じように、メリハリがなく、どうということなく進んでいく。イギリス音楽を好きな人がいるのは承知しているが、私は少々退屈に思う。が、この団体のアンサンブルはとてもきれいなのはよくわかった。

ショスタコーヴィチの第3番もとてもよかった。あまり激しくない。私はもっと強烈でもっと激情的なショスタコーヴィチを聴きたいと思っていたが、むしろ抑制が効き、バランスがとてもいい。とはいえ、第3楽章は圧巻。アンサンブルがよいので心の奥までショスタコーヴィチの激しい心が伝わってくる。

後半のベートーヴェンも、抑制されており、生のままに感情をたたきつけるような音楽ではない。形は崩れず、明確に音楽が進んでいく。アンサンブルが美しい。かなり現代的な音がするが、それが行き過ぎていない。絶妙のバランスだと思う。素晴らしい。終楽章も派手ではないが、大きく盛り上がった。

アンコールはチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。これも、情緒に流されない、抑制のきいた、しかし十分にロマンティックな音楽。

第一ヴァイオリンはクリシア・オソストヴィッチという女性だったが、ショスタコーヴィチとチャイコフスキーではオスカー・パークスという若い男性に交代。とてもキレのよい美しい音のヴァイオリンだった。

とても満足した。

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METライブビューイング「サムソンとデリラ」 第二幕に陶酔

札幌に初雪が降った日の翌日(20181121日)、札幌駅ビルのシネコン札幌フロンティアでMETライブビューイング「サムソンとデリラ」をみた。遅くなったが、簡単な感想を記す。

サン=サーンスは好きな作曲家の1人だが、残念ながら日本でオペラの実演に接する機会はほとんどない。METがこの演目を上演し、ライブビューイングで取り上げられると知ってみたいと思ったが、東京での上映期間は時間が合わなかった。仕事で立ち寄った札幌で「サムソンでデリラ」(フランス語読みして「サンソンとダリラ」と呼ぶべき時期に来ていると思う。英語でインタビュするスーザン・グラハムも明らかに「サンソン」「ダリラ」と発音している)が見られることに気付いて、出かけたのだった。素晴らしい上演だと思った。

ただ第一幕は少し退屈だった。古代の宗教世界へと観客を巻き込むことが目的の幕であって、山場がないので致し方ないところだろう。だが、第二幕からは息を飲む凄さ。有名なダリラのアリア以降の場面は、「トリスタンとイゾルデ」の第二幕の二重唱に匹敵する濃密な愛の世界が渦巻くと思った。ただし、サンソン(ロベルト・アラーニャ)とダリラ(エリーナ・ガランチャ)は愛し合っているわけではなく、いわばハニートラップでダリラはサンソンを陥れようとしている。そのエロティシズムとサンソンの心の揺れが音楽に微妙に表現されて、男の1人としてはやるせない。

しかし、それにしてもアラーニャとガランチャの声の素晴らしさ! そしてガランチャの美しさと色っぽさ! スーザン・グラハムも案内の中で語っていたが、ガランチャのあの美しさとあの歌での誘惑に負けない男なんていないだろうと心から思う。しばし、私自身が蠱惑されているかのような不思議な時間を過ごした。

第三幕は圧巻。大スペクタクルとなり、異教の都市が崩壊する。その中で悲惨な状況の中で神を求めるサンソン、サンソンへの愛を振り切れず後ろめたく思うダリラの心の交錯も指揮のマーク・エルダーが細かに描いていく。ロラン・ナウリのしっかりとした声による悪役ぶりも素晴らしい。まるでハリウッド映画のようなリアリティと豪華さで幕を閉じた。

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東京二期会オペラ劇場「後宮からの逃走」 オペラの魅力を殺す演出だった!

 20181122日、日生劇場で東京二期会オペラ劇場「後宮からの逃走」をみた。大いに期待して出かけた。11月から私はアプリ版ぴあの「水先案内人」としてコンサートやオペラのおすすめの演目を紹介しており、もちろんこのオペラを推薦していた。が、残念ながら期待外れだった。

 つまらなかった最大の原因はギー・ヨーステンの演出だと思う。もちろんこのオペラはトルコにとらわれになったヨーロッパ人が主人公なのだが、この演出では、トルコ、そしてイスラム教という点は強調されない。ベルモンテらは抑圧的な警察国家にとらわれになったという設定になっている。オスミンは抑圧的な警察隊のとりわけ横暴な隊長、太守はそのような世界の権力者ということになっている。イスラム教世界に気をつかってこうしたのか、それとも、イスラム国家のいくつかが警察国家だと暗に告発しているのか。

だが、そうなると、若きモーツァルトの若々しい躍動に満ちた音楽がまったく聴かれなくなってしまう。舞台上に展開されるのは委縮した世界。序曲でも印象的な、そしてモーツァルトが得意にするあのトルコ風のリズムを歌うのが抑圧的な警察国家の、しかも警官の制服を着た人々なので、まったく躍動の音楽にならず、萎縮の音楽になってしまう。このオペラが本来持つ最大の魅力をこの演出は殺してしまっている!

オスミンは愛嬌ある敵役でなく単なる抑圧者になり、その魅力も半減する。しかも、ペドリッロにホモっけがあったり、ブロンデが蓮っ葉だったりするが、そのような要素を加えたためにますますオペラが複雑になり、重くなって、若い生命力がなくなる。

 これではどんなに名演奏でも観客は白けてしまう。ところが、残念ながら、名演奏というわけでもなかった。

 下野竜也の指揮はいつも通り素晴らしいと思った。躍動感があるし、まとまりも感じる。が、東京交響楽団の音が時々貧弱に響く(全体的にはよいところもたくさんあったが)。歌手に関しては、オスミンの加藤宏隆がとてもよかった。ベルモンテの金山京介もきれいな声で見事だったが、ときどきオーケストラと合わないのを私は感じた。ペドリッロの升島唯博は美しい声だが、ちょっと音程が不安定な部分があった。コンスタンツェの松永知史とブロンデの冨平安希子については声そのものがかなり弱いと思った。二重唱、四重唱などもきれいなアンサンブルにならなかった。

 太守セリムを演じるのは大和田伸也。歌わない役なので適役だと思うが、日本語とドイツ語が入り混じったセリフになっていた。しかも、ドイツ語がまったくドイツ語に聞こえなかった。歌の部分やほかの歌手との兼ね合いでドイツ語を残したのだろうが、いっそのこと大和田のセリフはすべて日本語にしてもよかったのではないか。それにしても、大和田があの調子でセリムを演じると、最後の崇高な決定にも裏がありそうに響く。もう少し違う演技のほうがよかったのではないか。

 東京二期会の実力を私はよく知っている。素晴らしい舞台を何度もみてきた。が、今回の上演はいただけない。元のオペラの魅力を殺してしまうような演出ではなく、もっと刺激的でもっとモーツァルトの魅力を味わわせてくれるような演出を見たかった。

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レクチャ―コンサート「ロッシーニの魅力再発見」 ロッシーニの世界を満喫した!

20181117日、東京文化会館小ホールで、レクチャ―コンサート「ロッシーニの魅力再発見」を聴いた。水谷彰良氏の解説も大変面白く、演奏もきわめてレベルが高く、まさしく「ロッシーニ再発見」をした。

前半は器楽曲、後半はオペラからのアリアと重唱。ふだん聴き慣れたオペラ・ブッファではない、あまり演奏されることのないロッシーニの音楽を集めたコンサートだ。

器楽曲は、岸本萌乃加、山田香子のヴァイオリン、ピーティ田代櫻のチェロ、白井菜々子のコントラバス、アレッサンドロ・ベヴェラリのクラリネット、西村翔太郎のピアノによる。

 弦楽のための6つの四重奏ソナタ第1番、チェロとコントラバスのための二重奏曲第3楽章、クラリネットとピアノのための幻想曲、パガニーニへの一言。四重奏ソナタはCDではときどき聴いている(通勤中に車の中でかけることが多い)が、もしかしたら実演は初めて聴いたかもしれない。初々しい名曲。水谷さんの話によって、12歳の時の作曲とされていたが、実はロッシーニ自身の嘘であって、16歳の時の作曲だと知った。もちろん私もずっと12歳のころの曲だと信じていた。

クラリネットの曲もおもしろかった。とはいえ、器楽曲もおもしろいが、やはりロッシーニはオペラのほうがいい。器楽曲は物足りない。ウィットに富み、楽しいが、やはりベートーヴェンなどと比べるとコクがないし、手抜きの感じがする。

後半は、天羽明惠による「タンクレディ」の「恭しく崇める正義の神よ」からして素晴らしいロッシーの世界が広がる。ロッシーニ歌いとは言えない大歌手だが、ロッシーニを歌っても叙情豊かで、しかも声の力が強い。

「リッチャルドとゾライデ」を歌った小堀勇介のフアン・ディエゴ・フローレスを思わせるような輝かしい高音に驚嘆。見事な技巧。渡辺康もよかった。そして、メゾ・ソプラノの富岡明子にも驚嘆。「マオメット2世」の歌は圧倒的な技巧と見事な声の力に息を飲んだ。日本のロッシーニ歌いもここまでレベルが上がったことに驚いた。バリトンのヴィタリ・ユシュマノフも若いながらしっかりした声で見事。ピアノ伴奏の藤原藍子も躍動感あるロッシーニを作り出していた。

最後の「チェネレントラ」の六重唱も、アンコールの『ギヨーム・テル』のフィナーレも実に素晴らしい。まさしくロッシーニ再発見。もちろん私はロッシーニのオペラ・セーリアもかなり聴いた(DVDは入手できる限りのすべてをみた!)が、やはりオペラ・ブッファのほうが好きだった。が、こうして聴くと、オペラ・セーリアもドラマティックで深みがあって素晴らしい。

センスのいいオヤジ・ギャグを交え、ロッシーニの生涯、そしてその少々ちゃらんぽらんな生き方を浮かび上がらせ、しかも魅力的な曲を構成する水谷さんに感服。素晴らしいレクチャーコンサートだった。

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金沢歌劇座「リゴレット」リハーサル、そしてフォスター+新日フィルのブラームス

 20181115日にミューザ川崎でウィーン・フィルを聴いたことはすでにこのブログに書いた。その前のことを少し書く。

 その日の午後、東京芸術劇場のリハーサル室で1125日金沢歌劇座公演「リゴレット」のリハーサルを演出家の三浦安浩さんのご厚意により見学させていただいた。演出の現場を見るのは初めての経験だった。これを「立ち稽古」というのだろうか。歌手陣が集まって、山田ゆかりさんのピアノ、副指揮者の辻博之さんの指揮のもとに、第一幕冒頭から三浦さんが演出しながら動きを決めていく。

 実は私はひそかに「そのうちオペラ演出をしてみたい」という野望を抱いていたのだが、三浦さんのリハーサルを見て、その野望はもろくも崩れ去った。三浦さんはイタリア語で歌いながら、その意味を歌手たちに理解するように促し、それにふさわしい動きを指示し、それぞれの歌手に音楽面にいたるまでアドバイスする。しかも、マントヴァ公爵役のアレクサンドル・バディアに流暢な英語で指示しているではないか。三浦さんの指示の後、全体の動きは見違えるようにリアルになり、ダイナミックになる。

 そして、このリハーサルの音楽的なレベルの高さにも圧倒された。バディアはまだ本気では歌っていないものの実に美しい声。立ち居振る舞いもカッコイイ。女好きの貴公子にぴったり。リゴレット役の青山貴さんの声の威力にも驚いた。扮装をしていない柔和なお顔なのに、まぎれもなくリゴレットの声がするではないか。まだ動きに関して完成していない段階ながら、マッダレーナの藤井麻美さん、モンテローネ伯爵の李宗潤さん、ボルサの近藤洋平さん、マルッロの原田勇雅さんの歌と演技も実に見事。ジルダの森麻季さんはおいでにならなかったが、私はこれまで何度か実演を聴いてその素晴らしさはよく知っている。

 きっと1125日本番は素晴らしい舞台になることを確信した。私はその日、東京で仕事があるために金沢にはいけない! 何とも残念!

 

 20181116日、トリフォニー・ホールで新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はローレンス・フォスター。曲目は前半にヨーゼフ・モーグのピアノが入ってブラームスのピアノ協奏曲第2番、後半にブラームスの交響曲第2番。

 前日にウィーン・フィルを聴いたばかりだったので、はじめのうちは音の豊かさに欠けるのを感じざるを得なかった。正直言って、ウィーン・フィルまでの距離は大きいと思った。とはいえ、先日聴いた上岡敏之指揮のブルックナーの交響曲第9番の演奏の時よりもずっとアンサンブルがよく、精度が高かった。ウィーン・フィルが凄すぎたということだろう。

 モーグという若いピアニストが、私の大好きな第2番の協奏曲を弾くので期待したのだったが、ピアノがあまりに一本調子。きっと意識的なのだと思うが、フレーズが変化しても音色を変えようとしない。本人はそこに美を感じているのだろう。が、そうされると、メリハリがなく、単調で硬く聞こえる。ピアノに合わせたのか、オーケストラも音色がずっと同じ調子で構成感がなく、のっぺらぼうになった。第3楽章もせかせかした感じ。もっとじっくりと聴きたかった。

 交響曲のほうは協奏曲よりはずっと良かった。フォスターの演奏もあまり音色を変えようとしない。同じような音色を通す。が、音の厚みによって音楽に勢いができ、時に大きく流動するので心に訴えかけてくる。ただ、交響曲もかなり快速で、じっくり聞かせてくれない。もっとオーケストラをコントロールして歌いあげてほしいと思う部分が何か所もあった。とはいえ、最後には十分に盛り上がった。

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ウィーンフィルの音そのものに陶然とした

 201811月15日、ミューザ川崎シンフォニーホールでフランツ・ウェルザー=メスト指揮、ウィーン・フィルハーモニーの公演を聴いた。曲目は前半にドヴォルジャークの序曲「謝肉祭」とブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲。後半にワーグナーの「神々の黄昏」よりの抜粋。期待通りの素晴らしさ!

 いきなりフルオーケストラのフォルテで始まったが、あまりの美しさにびっくり。それほど親しんでいない曲なので指揮がどうこう言えないが、ともあれ音そのものがあまりに美しい。どの楽器の音も素晴らしいが、ほとんど生まれて初めてコントラバスの音に酔った!私の席(右前方)からコントラバスがよく聞こえたせいもあるのだが、なんという厚みと深みとふくよかさのある音であることか! 

 二重協奏曲もとてもよかった。長い間聴く機会がなかったが、実はかなり好きな曲だ。ずっと昔、携帯電話の呼び出し音をこの曲の冒頭にしていた時期がある。第一楽章の盛り上がりは素晴らしかった。ただ、曲自体のせいもあるのだが、第三楽章はやや盛り上がりに欠けた。だが、フォルクハルト・シュトイデのヴァイオリン、ペーテル・ソモダリのチェロはとても堅実でいかにもブラームス。

 後半、せっかくのウィーンフィルなのに、ウェルザー=メスト編のワーグナーの管弦楽ヴァージョンなのですこしがっかりしていた(もっと本格的な曲を聴きたい。ワーグナーはやはり楽劇としてみるのが一番と思っていた)が、実際に聴いてみると、あまりのすごさにびっくり。オーケストラの音そのものに感動する。「ジークフリートのラインへの旅」で始まり、「ブリュンヒルデの自己犠牲」「ジークフリートの葬送」、そして楽劇の最後の部分が連続して一つながりとして演奏される。楽劇をみる時には舞台に神経を集中させているので、オーケストラをじっくり聴かない。が、こうしてオーケストラを聴くと、音の絡み合い、ワーグナーのテクニック、音の広がりに圧倒される。それにしても、ウィーンフィルはなんという美しい音を出すのだろう。フルオーケストラでも音が濁らない。一つ一つの楽器が鮮明に聞こえて、しかも全体が融け合っている。まさに魔法の音。ホルンがちょっとミスした気がしたが、そのようなことは気にならないほど全体が素晴らしい。音の快楽に恍惚となり陶然となった。

 アンコールはヨハン・シュトラウス2世の「レモンの花咲くところ」と「浮気心」(聴いたことはあるけれども曲名は知らなかった。掲示で知った)。これも音の重なりが最高に美しい。

 ウェルザー=メストは大好きな指揮者だが、今日の演奏では指揮がどうこうという前にオーケストラの音そのものに心を奪われた。今さら言うまでもないことだが、ウィーンフィルは凄い!と思ったのだった。

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