音楽

ゼフィルス・ピアノ五重奏団 ドヴォルザークに感動

 2021727日、東京文化会館小ホールで、ゼフィルス・ピアノ五重奏団第2回定期演奏会を聴いた。曲目は、尾池亜美(vn)、森山涼介(vc)、兼重稔宏(pf)によるハイドンのピアノ三重奏曲第39番「ジプシー」と、山田麻実(vn)と湯本亜美(va)が加わってのエネスクのピアノ五重奏曲 Op.29、後半に山田麻実、湯本亜美(vn)、尾池亜美(va)、森山涼介(vc)、兼重稔宏(pf)によるドヴォルザークのピアノ五重奏曲第2番。噂には聞いていたが、素晴らしい団体だと思った。一人一人の技量が確かで、音の重なりに揺るぎがない。日本の団体にありがちな、遠慮して自己主張を抑制する様子も聞こえてこない。みんながしっかりと自分らしく弾きながらそれがスケールの大きなまとまりを持っている。

 ハイドンの「ジプシー」は、きれいな音で構成の明確なくっきりした演奏だった。第3楽章のジプシー的なリズムを強調しすぎることなく、気品が崩れない。よどみなく音楽が流れていく。

 エネスクの曲もとてもおもしろかった。私はたぶんこの曲を初めて聴くと思うが、シェーンベルクの「浄夜」を思わせるような、ちょっとエロティックで心の奥から盛り上がるような音楽だと思った。それを思いのこもった強い音で表現している。音の重なり合いが目に見えるようで美しかった。ただ、トークの中で兼重さんが語っていた通り、すぐに聴いてもわかりにくい曲だと思う。CDを探して何度か聴いてみる必要があると思った。

 とはいえ、やはりドヴォルザークの五重奏曲が圧倒的だった。ドヴォルザークらしい郷愁にあふれた親しみやすいメロディが続出する。各楽器がメ ロディを豊かに歌う。豊かに歌うが、しかし、決して情緒には流されないし、平板にもならない。立体的に楽器が積み重なって音楽が出来上がっていることがよくわかる。第3楽章のスケルツォも躍動感にあふれ、第4楽章のドラマティックな盛り上がりも素晴らしい。

 定期的に演奏してほしい団体だ。この団体が日本の室内楽をリードしてくれると、こんなうれしいことはない。

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オペラ映像 「エレクトラ」「フォルテュニオ」「復活」

 コロナ禍と酷暑の中の無観客オリンピックが開始されたようだ。ソフトボール、女子サッカーがテレビ中継されているのを少しみた。ともあれ、私としては音楽も楽しみ、テレビでオリンピックも楽しもうと思うが、新型コロナウイルスに関しての心配は尽きない。

 3本のオペラ映像を楽しんだので、簡単な感想を記す。

 

リヒャルト・シュトラウス 「エレクトラ」 2020年 ザルツブルク音楽祭(フェルゼンライトシューレ)

 2020年、コロナ禍の中で上演された「エレクトラ」。合唱も含まれず、上演時間も短いということで急遽このオペラが上演されたのだったと思う。

 私は演奏面においては素晴らしいと思う。歌手陣はそろっている。エレクトラのアウシュリネ・ストゥンディーテはきれいな済んだ声で芯の強さも持ち合わせている。容姿も含めてこの役にふさわしい。この歌手、初めて知ったが、これからが楽しみだ。クリソテミスはアスミク・グリゴリアン。サロメなどの役で声の美しさと同時に容姿の美しさで注目を集めた歌手だが、この役も実に素晴らしい。この二人の掛け合いは本当に見事。昔のような力任せの声ではなく、透明で繊細で、ちょっとリート的でさえある歌い方だ。ヴェルザー=メストの音楽づくりのせいなのだろうか。クリテムネストラのターニャ・アリアーネ・バウムガルトナーはかなり悪の強い歌い方で、それはそれでこの役らしくて良い。

 そのほか、オレストのデレク・ウェルトンは高貴でしなやかな、エギストのミヒャエル・ローレンツはいかにも小物っぽい歌と演技でとてもいい。

 それにしても、ヴェルザー=メストの指揮は端正でキレがよい。ロマン派の音楽というよりももっと後の時代の音楽を聴いているような怜悧さがある。音の紡ぎ具合がとても美しく、室内楽的な響きがする。しばしばこのオペラは分厚くて強烈な音が用いられるが、この指揮者の手にかかると、繊細で知的になる。ただ、そのためのすばらしさもあるが、このオペラの強烈な音響が薄れて、私としては少し不満を覚えないでもない。

 私がもっと不満を覚えるのはクリストフ・ワリコフスキの演出だ。現代を舞台にしているのはいいが、冒頭、長い長いクリテムネストラの自己弁護のセリフが加えられている。5分間くらいあるのではないか。オペラの前に、オリジナルにはないセリフを語ることに私は強い抵抗を感じる。もしかしたら、ホフマンスタールの原作にはこのセリフがあるのかもしれない(確認していない)が、オペラには含まれていない。

 また、エレクトラは心の病を抱えた人間であるかのように描かれるのも、私は納得できない。マネキン人形が舞台上に数体置かれているが、おそらくエレクトラの不安定な精神を表すものだろう。また、三人の主役格の女性が盛んにタバコを吸うが、これは三人が実は同類であることの象徴だろうか。それもあまりに撮ってつけたようで、私はセンスを感じない。

 最後、この演出では、クリソテミスがエギストを殺すことになっている。ことが成就した後、エレクトラは「踊ろう」と歌うが、この演出では、踊らない。踊ろうとして足が動かないということのようだ。エレクトラは親殺しを夢想し、憎み、呪い、不平を口にしただけで実行はできなかった。実行したのは現実と折り合いをつけて生きているクリソテミスのほうだった。現実と折り合いをつけながら生きているクリソテミスこそが現実を変革でき、現実を拒否して変化を拒むエレクトラは何もできない。それが演出家のメッセージなのだろうか。このような解釈が、変化を拒む人間と、現実を受け入れる人間との対比をしばしば描いてきたホフマンスタールのテーマにどうかかわるのか、私には納得ができない。

 ひとまとめに言うと、演奏面では大満足、演出に関しては、意欲的な演出であることは認めるが、疑問だらけだった。

 

メサジェ 「フォルテュニオ」 2019年 パリ、オペラ=コミック座

 メサジェの名前は知っていたが、この作曲家のオペラを観るのも聴くのも初めてだと思う。たまたま見つけて購入したが、とてもおもしろい。

 メサジェは1853年の生まれというから、フォーレとドビュッシーの間の世代の作曲家だ。とても感じのいいオペラだと思った。

 公証人アンドレの弟子になった田舎出の純朴な青年フォルテュニオは、アンドレの妻ジャクリーヌにひそかに思いを寄せるが、ジャクリーヌによって、愛人であるクレヴァロシュ隊長を隠すためのカムフラージュに使われる。だが、ジャクリーヌはフォルテュニオの純粋な愛に心打たれて愛するようになる。ブールヴァール劇と呼ばれるパリの他愛ないメロドラマの系列に含まれるようなオペラだ。

 フォルテュニオを歌うシリル・デュボワはこの気弱な青年をうまく演じ、美しい声で歌う。ジャクリーヌのアンヌ=カトリーヌ・ジレも揺れ動く人妻をきれいな声で歌い、クレヴァロシュ隊長のジャン=セバスティアン・ブーは女たらしの中年男をしっかりと歌う。間抜けな公証人アンドレを歌うフランク・ルゲリネルも見事。

 特にドラマティックなわけではないが、フランス語の流れが美しく、市井の人々の心理もわかりやすく、まるで1930年代のジャン・ルノワールやデュヴィヴィエやルネ・クレールらのフランス映画を見ているような気分になって楽しめる。

 ルイ・ラングレの指揮も輪郭が明確で、しかもしなやかでとてもいい。ドゥニ・ポダリデスの演出もわかりやすく、音楽とぴったり。好感が持てる。ともかく、とても楽しめた。

 

アルファーノ 「復活」 2020年 フィレンツェ、五月音楽祭劇場

 アルファーノは1875年生まれのイタリアの作曲家。プッチーニの「トゥーランドット」を補作完成させたことで名前の知られた人らしい。原作はトルストイの「復活」。中学生のころに原作は読んだ。当時の私にどのくらい理解できたかわからないが、ネフリュードフ公爵と自分を重ね合わせてとてもおもしろいと思ったのを覚えている。

 最後になって、トルストイらしいキリスト教的な復活のメッセージが現れるが、全体的にかなりメロドラマになっている。ネフリュードフの葛藤と決意という点に焦点は絞られず、カチューシャの苦しみと愛がテーマになっている。しかも、演出のせいもあるのかもしれないが、やはり全体的にシベリアの寒々とした雰囲気はない。一言で言って、イタリア式メロドラマの「復活」。

 演奏はとてもいい。カチューシャを歌うアン・ソフィー・デュプレルがまさに体当たりの歌と演技。公爵を慕う娘、妊娠して途方に暮れる女性、自暴自棄になった女囚、愛によって生きる希望を取り戻す女性を見事に演じている。ネフリュードフ公爵のマシュー・ヴィッカーズは貴族というよりも気のよい青年に見えてしまうが、しっかりと歌っている。

 指揮はフランチェスコ・ランジロッタ。演出はロゼッタ・クッキ。初めてみるオペラなので、解釈についてあれこれ言えない。とても良い演奏とわかりやすい演出だと思う。

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ノット&東響のシベリウスに魂が震えた!

 2021718日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はジョナサン・ノット。曲目は前半に、チェロの伊藤文嗣、ヴィオラの青木篤子が加わってリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」、後半にシベリウスの交響曲第5番。とても良い演奏だった。

「ドン・キホーテ」については、しなやかで透明な音による絵巻物が繰り広げられた。しばしばこの曲の演奏で行われるようなゴージャスで厚みのある音響による音楽物語ではない。雄弁で色彩的だが、風通しがよく、一つ一つの音の積み重ねが目に見えるよう。二人のソリストもとても雄弁で清潔な鳴らし方をして、ノットの指揮にぴたりと合っていた。

 私は高校生のころ(つまり、55年ほど前)、カラヤン指揮、フルニエのチェロ、ベルリン・フィルによるこの曲のレコードを繰り返し聴いていた。特に名曲とは思わなかったが、好きな曲ではあった。特に、ハチャメチャな行動をとった後の、晩年のドン・キホーテを描く楽想がとても感動的だと思っていた。

 その点、今日聴いた演奏は、前半にしなやかで抑え気味に演奏しているために、前半と最後の部分の対比が鮮明ではなく、ちょっと物足りなく思った。とはいえ、やはりシュトラウスのオーケストレーションにほれぼれし、音の描写力に驚いて十分に堪能できた。

 後半のシベリウスに関しては、私は大いに感動した。何度か魂が震えた。

 シベリウスの交響曲を聴くのは久しぶりだった。中学生のころからなじんだ好きな作曲家の一人なのだが、そういえば、このごろ自宅の装置でもヴァイオリン協奏曲以外はめったに聴かなくなった。久しぶりに聴いてみると、すごい曲ではないか! 何度も何度も感動が押し寄せた。もちろん、ノットと東響の演奏のおかげだろう。

 第一楽章、断片的な楽想が少しずつ少しずつまとまりを持ち始め、小さな渦が徐々に大きな渦になって、一つの大きな流れになってオーケストラ全体に広がっていく。その様子をノットは丁寧に美しく描いていく。まったくハッタリも誇張もなく、ただ丁寧に音楽を進めていく。だが、どういうわけか、それが生きた音になって流動する。音が重なっても濁ることなく、ドスンと魂に落ちかかってくる。私の肉体のリズムと音楽のリズムが合体していくような感覚を覚えた。こんなに自然でありながら、こんなに高揚するシベリウスを久しぶりに聴いた気がする。素晴らしい。心の底から満足した。

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東京二期会「ファルスタッフ」 ペリーの演出に幻惑された

 2021717日、東京文化会館で東京二期会オペラ劇場「ファルスタッフ」をみた。テアトロ・レアル、ベルギー王立モネ劇場、フランス国立ボルドー歌劇場との共同制作公演。

 昨日(16日)が初日だったが、新型コロナウイルス」感染者が出たとのことで、急遽、中止。今日の公演も開催されるかどうか、当日の朝、東京二期会の、HPで発表とのことで、11時過ぎに掲載されるまで予定が立たずに困った。ダブルキャストなので、主要メンバーは昨日予定されていた人たちと異なる。なお、指揮はド・ビリーが予定されていたが、来日が不可能になり、レオナルド・シーニという若い指揮者に変更になった。

 幕が上がってすぐから、演出家ロラン・ペリーの世界に引き込まれる。一人一人の歌手たちの動きがコミカルでおしゃれで軽快。ペリーの演出はこれまで映像でかなりの数みてきたが、いずれも西洋人の仕草なので、日本人がまねをしても、このような雰囲気は出せないのではないかと危惧していたが、そんなことはない。動きの一つ一つが音楽にぴったり合い、楽しく、おもしろく、全体が一つのダンスになっている。幻惑されるといってもよいほど。

 ガーター亭は、現代の住宅地区の片隅にあるバー。ファルスタッフはそこにたむろする、ちょっとガラの悪い常連。フォードは実直な銀行マン風の男性、アリーチェは品の良い婦人。特に大胆な解釈はないが、動きがリズミカルで漫画的でとても楽しい。歌手陣がそのような動きを完璧に自分のものにしており、実に自然。

 歌唱についても全員がとても良かった。いつもは二枚目役の多い黒田博がだらしのない太っちょのファルスタッフを見事に演じ、しかも声にも余裕がある。フォードの小森輝彦も実直なこの役を見事にこなして、嫉妬の歌唱も様になっている。フェントンの山本耕平も恋人に振り回される気の弱い男をそれらしく演じてすばらしい。カイウスの澤原行正、バルドルフォの下村将太、ピストーラの狩野賢一もこれ以上は考えられないほどに完成されている。

 女性陣も見事。その中でも私はアリーチェの大山亜紀子に惹かれた。初めてこの歌手を聴いたが、演技も声も堂に入っている。まさにアリーチェにぴったりの魅力的な声だと思った。ナンネッタの全詠玉も澄んだ美声がとてもよかった。クイックリーの塩崎めぐみもメグの金澤桃子も完成度が高かった。

 そして、私がもう一人注目すべきだと思ったのが指揮のシーニだった。1990年生まれというから、30歳そこそこ。くっきりとメロディを流して、統率力もある。東フィルをしっかりまとめているように聞こえた。突然の代役で大変だったと思うが、私にまったく不満はない。

 全体的にとても素晴らしい上演だと思った。カーテンコールにロラン・ペリーも登場。素晴らしい演出家。素晴らしい上演。東京二期会の上演を見るたびに、日本人のオペラのレベルもこれほどまでに上がったのだと感慨にふけりたくなる。

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ヴァイグレ&読響 ブラームスの第2番 しなやかで丁寧な音楽が飛躍する

 2021710日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団の演奏会を聴いた。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。曲目は前半にロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」序曲と、若き筝奏者LEO(またの名は今野玲央)が加わっての藤倉大作曲の箏協奏曲、後半にブラームスの交響曲第2番。

「セビリアの理髪師」序曲では、ヴァイグレの語り口のうまさに舌を巻いた。かなり遅めのテンポで音楽は始まった。弦楽器の音の美しさを存分に聞かせて、しなやかに美しく音楽を繰り広げる。音の隅々にまで配慮が行き届いている。本当に美しい。そして、後半ぐんぐんとエネルギッシュになり、猥雑感も出て快活に音楽を終える。素晴らしい。

 現代音楽にも和楽器にも疎い私は箏協奏曲については、実はよくわからなかった。様々な奏法がなされ、不思議な音が聞こえる。華麗であると同時に、寂寞感もあり、宇宙的な広がりも感じる。箏のテクニックについてもどのような意味があるのかわからなかった。

 ブラームスも素晴らしかった。先日、チョン・ミョンフンの指揮する東フィルでこの曲を聴いたばかりだが、まったく印象が異なる。何よりも、私は音のしなやかさに惹かれる。なんというしなやかな音であることか。楽器の一つ一つの音が透明で、その重なりがとても美しい。一つ一つの音が息をしているのを感じる。ヴァイグレはそのような音を丁寧に紡ぎ、重ねあい、絡ませて音楽を進めていく。その様子が目に見えるようにわかる。

 ただ、実をいうと、第1楽章はあまりに音楽の作りが丁寧なために、私はちょっと退屈した。もう少し、力任せのところがあってもよいような気がした。だが、第2楽章以降、音楽がますます深みを増し、強度を増してきた。ヴァイグレはあわてず騒がず、じっくりと音楽を構築していく。楽章が進むごとに、それまで丁寧に作られてきた音楽世界がいっそう深まり、聴き手を深い世界に誘い込む。終楽章はまさに躍動。これまで丁寧に作られてきた世界がそれまでの枠からはみ出し、大きく飛躍し、より高いところに向かっていく。感動した。

 実に完成度の高いブラームスの世界だと思う。読響のメンバーの実力を改めて知ることもできた。満足!

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鈴木雅明&新日フィル ベートーヴェン第4番・第3番 一気呵成に音楽世界が

 202179日、すみだトリフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。指揮は。曲目は、前半にベートーヴェンの交響曲第4番、後半に第3番「英雄」。私の理想とするすばらしい演奏だった。

 いうまでもなく、ヴィブラートの少ない古楽風の演奏。金管楽器がまるで打楽器のように扱われて勢いはじける。その効果が素晴らしい。誇張もなく、テンポを動かすこともない。だが、まぎれもなくベートーヴェンの音楽世界が現れ、それがスケール大きく展開されていく。第4番は第1楽章から最後まで、まさに一気呵成に音楽世界が畳みかけられる。若々しいエネルギーにあふれている。打楽器めいた金管が輪郭を明確にし、低弦がしっかりとした陰影を作り出す。

 第4番は、シューマンによって「乙女」と呼ばれたことは有名だが、私はむしろこれを第3番の進化形だと思う。第3番で肩に力を入れて独自の表現を獲得したベートーヴェンが肩の力を抜いて、いっそう発展させたのがこの曲だ。わざわざこけおどしをしなくても、形式を壊す寸前まで行かなくても、激しい情念が音楽の奥底にうずき、静かに爆発する。それを鈴木の演奏はとてもよく表している。

 第3番は、いっそう感動的な演奏だった。これまで聴いてきた様々な演奏では、私は「英雄」の第1楽章にあまりの力みのゆえの形式の崩壊を感じていた。だが、今日の演奏を聴くと、決してそれを感じない。形式は崩壊せず、ギリギリのところでとどまってベートーヴェンの精神がはちきれそうになっている。第3楽章まで速いテンポで演奏、そして第4楽章で突然、テンポが遅くなった。これまで走ってきた経緯を振り返るようにして、再び大きく展開し、エネルギーにあふれた若々しい世界が広まった。

 アンコールは、掲示をみるのを忘れたが、たぶん「プロメテウスの創造物」の終曲。「英雄」の第4楽章でベートーヴェンが再利用した元の曲。とても雰囲気のある演奏。田舎のダンスの雰囲気があってとてもいい。

 鈴木兄弟、ご子息、まさに恐るべし。

 

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オペラ映像「ワルキューレ」「雪娘」「死の都」

ワーグナー 「ワルキューレ」 2011年 ソフィア国立歌劇場

 先日発売になった「ラインの黄金」に続いて、ソフィア国立歌劇場の「指環」第二弾。「ラインの黄金」があまりよくなかったので、今回も期待していたわけではなかったが、やはり予想通り、水準以下の上演だと思う。

 やはり、私の耳には耐えられないほど、パヴェル・バレフ指揮のソフィア国立歌劇場管弦楽団の精度が良くない。情けない音を出すし、そもそも音程があっていない。これは本当にプロのオーケストラだろうかと疑ってしまう。

 歌手陣はそれに比べれば健闘していると思う。ジークリンデのツヴェタナ・バンダロフスカはしっかりした綺麗な声。ブリュンヒルデのマリアナ・ツヴェトコヴァは堂々たる声。ただ、それ以外のジークムントのマルティン・イリエフ、フンディングのアンゲル・フリストフ、ヴォータンのニコライ・ペトロフ、フリッカのルミャーナ・ペトロヴァは、いずれも声のコントロールが不十分なところを感じる。一生懸命歌っているのはよくわかるが、余裕がない。聴いているほうとすれば、少々苦しくなる。

 演出はプラメン・カルタロフ。コンピュータグラフィックスによって鮮やかな原色を多用した舞台。登場人物たちは突起物のたくさんついた宇宙服のようなものを着ている。フンディングにいたっては、服の上に貝殻のようなものがいくつも服についていてまるでウツボのよう。ワルキューレたちは宙づりされたカヌーのようなものの上に立って歌う。ゲームか漫画の世界。私としては、どういう世界観をこの舞台で現出させたいのかよくわからない。

「ラインの黄金」を見たときにも思ったが、凝った演出にして目立とうとするよりは、まずはオーケストラの精度を上げてワーグナーの音楽を聴かせてほしいものだ。

 

リムスキー=コルサコフ 「雪娘」 2017年 パリ、オペラ・バスティーユ

 私がリムスキー=コルサコフのオペラの真価を知ったのはごく最近のことだ。「雪娘」の映像が発売になったので早速購入。このオペラの映像はもちろん、音楽も初めて聴いた。

 初めてみるオペラなので、できれば台本通りの演出であってほしいが、どうもそうではなさそう。オリジナルでは、森の精やら太陽神やらの話だが、ドミトリー・チェルニャコフの演出では、高校生?くらいの雪娘が両親としばらくの別れを告げ、森にキャンプ(林間学校のようなものだ)に行く話になっている。そこで出会いがあるが、雪娘であるがゆえに心は冷たいままで愛を感じることができない。男女の愛のいさかいに巻き込まれ、ようやく愛を知るとき、春が訪れ、雪娘は溶けてしまう。そんな話になっていた。

 私としては、今回みただけでは、オペラ自体何がテーマなのかよくわからないし、演出意図もよくわからずにいる。もう少し勉強する必要がありそう。ただ、美しい森が再現され、生き生きとして人々が登場して、それはそれで退屈せずに見ていられる。そして、やはり音楽は素晴らしい。しなやかに音楽が流れ、美しいメロディがあり、音楽にもドラマにも無駄がなく、とても論理的。

 歌手陣は充実している。何よりも驚くのは雪娘役のアイーダ・ガリフッリーナ。高校生くらいの可愛らしい女の子にしか見えない。初めは黙役だとばかり思っていたら、なんのなんの。歌いだしたら、透明なしっかりした声で見事に歌う。この歌手を初めて知ったが、これは驚くべき逸材だ。レーリを歌うカウンターテナーのユーリ・ミネンコも音程の良い深みのある声、クパヴァのマルティナ・セラフィンも香りのある声で恋に破れ、新たな恋を見出す女性を見事に演じる。雪娘の母のエレナ・マニスティナも、娘に試練を与える複雑な役をしっかりと歌っている。ミズギールを歌うのはトーマス・ヨハネス・マイヤー。日本の新国立劇場にも何度も登場したおなじみの歌手で、もちろん悪くないのだが、少し声が伸びていないのを感じた。

 ミハイル・タタルニコフの指揮するパリ・オペラ座管弦楽団はとても雄弁。リムスキー=コルサコフの音楽らしくとても色彩的でしなやかで、じわじわと盛り上がる。とても良い演奏だと思う。

 改めて思う。リムスキー=コルサコフのオペラはとてもいい。実演の機会も、映像ソフトやCDも少ないのがとても残念。

 

コルンゴルト 「死の都」(NHKBS放映) 2019年 バイエルン国立歌劇場

 すべてがそろったすばらしい上演だと思う。

 まず、キリル・ペトレンコ指揮のバイエルン国立管弦楽団の音に惹かれる。しなやかでふくよかで妖艶な音。楽器の絡みも美しく、香りのある後期ロマン派の世界が展開する。まさに音楽だけで、現実と幻想が入り混じり、主人公が夢幻の世界で情欲と宗教的な祈りの世界に入り込む様子がよくわかる。

 歌手陣も最高度に充実している。とりわけ、パウルのヨナス・カウフマンとマリエッタのマルリス・ペーターゼンの二人が言葉を絶するすばらしさ。カウフマンは亡き妻と目の前の女の間で揺れ動き狂気の世界に入り込む様を見事に歌う。ペーターゼンは透明な美しい声で複雑なマリエッタと亡き妻を歌いわける。これ以上の配役は考えられない!

 サイモン・ストーンの演出も狂気の世界に入り込むパウルをリアルに描く。観客は亡き妻と、妻にそっくりの踊り子との間で揺れ動くパウルとともに狂気の世界に入り込む。舞台は動き、分身が次々と登場する。時代はおそらく1960年代から70年代に設定されているようだ。ゴダールの「気狂いピエロ」やアントニオーニの「欲望」の映画ポスターが飾られている(この二つの映画は、いずれもまさに狂気の世界に入りかけた人間を描いていた!)。パウルの部屋は趣味の良い色づかいの現代的な部屋であり、踊り子たちもスタイルの良い、決して品の悪くないので、とてもスタイリッシュな狂気といってよいだろう。亡き妻と距離をとろうとする最後のパウロの決意もとても納得できる。大いに感動した。

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井上道義&新日フィル ショスタコーヴィチ第8番 深い憤りを共有している気になった

 202173日、サントリーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。曲目は前半にショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番よりの5曲と、後半にショスタコーヴィチの交響曲第8番。指揮は井上道義。

 私は特にショスタコーヴィチに思い入れを持つ者ではない。この二つの曲も実演を聴くのは初めて(ただもちろん、ワルツ第二番は単独で何度か聴いた記憶がある)。第8番の交響曲は録音ではもちろん何度か聴いているが、あまりに陰鬱で、あまりに深刻なため、これまで好んで実演を聴こうとは思わなかった。そんなわけで、今回ほとんど初めて聴いたわけだが、とても良かった。

 まず、濁らない轟音にしびれた。瞬発力のある音が響く。澄んだ音だが、そこはショスタコーヴィチだけあって、奥に激しい魂の葛藤があり、人生への怨念めいた憤りがあり、何かしら割り切れない鬱積した思いがある。だが、それが重くのしかかるのでなく、すがすがしさのようなものがある。そして、メロディ線が美しく、深い思いのこもった歌になっている。井上道義の心持の清潔さのようなものが現れているとでもいおうか。私はシンバルの響く轟音に何度かしびれた。ショスタコーヴィチの深い憤りを共有している気になった。

 ショスタコーヴィチ・マニアでなく、この曲についても初心者の近い私としてはこんなことしか言えない。しかし、井上道義のショスタコーヴィチたるやすさまじいものだと改めて思った。新日フィルの精度の高さにも確認できた。これからも聴きたい。

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チョン・ミョンフン&東フィルのブラームス 円熟のチョン・ミョンフン

 202172日、サントリホールで東京フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴いた。指揮はチョン・ミョンフン。曲目は、ブラームスの交響曲第1番と第2番。

 久しぶりのチョン・ミョンフン。20年ほど前、チョンが東フィルのスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーになり、ベートーヴェンの全交響曲が演奏された。私は全曲に足を運び、興奮した。ものすごい演奏だった。エネルギッシュでダイナミック。しかも構築性はゆるぎなかった。今回もそんなつもりで出かけた。

 第1番冒頭、肩の力の抜けた音にびっくり。多くの指揮者が悲劇的に重々しく演奏する。チョンの演奏も十分に厳粛で深みがある。だが、無理のない、自然体の音。素晴らしいと思った。この後、徐々に盛り上がり、ダイナミックになっていくのだろうと思っていた。

 ただ、実をいうと、第1番に関しては私は少し不満だった。もちろん良い演奏だと思う。東フィルから生きのよいきれいな音を引き出し、まったく誇張がなく、しっかりと整理されて自然に流れる音楽。ただ、かつてのチョンを知っている私は、きっと爆発があるはずだと思って待っていたのだったが、最後までなかった。どんでん返しがあるに違いないと思っていたのに、ふつうの終わり方をした映画をみた気分だった。あのエネルギッシュだったチョン・ミョンフンも円熟したものだと思った。

 第2番は、第1番よりはずっとダイナミックになった。彫りが深くなり、音に厚みが増し、流れがうねるようになった。曲そのものが明朗で流動的であるためでもあるだろうが、ワクワク感があふれ出す。ホルンの音が美しく、ブラームスらしい人間的温かみがあふれ出す。第3楽章は弦の刻み方がとても美しかった。第4楽章は明るく盛り上がった。

 私は第1番には少し不満を覚えたのだったが、第2番にはとても満足した。素晴らしい演奏だった。しかし、それにしても、チョン・ミョンフンも円熟したものだと改めて思った。肩の力を抜いて自然体で音楽を導きだしてくる。第34番が楽しみだ。

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オペラ映像「ドン・カルロス」「ドン・カルロ」「ファルスタッフ」「ラ・ボエーム」

 数日前に、2回目のワクチンを接種した。374度の熱が出て、しばらくかなり強い疲労感を覚えた。私は日常的に倦怠感をかかえて生きている人間なのだが(「面倒くせえなあ」「やれやれだなあ」「しんどいなあ」「(大分弁でいうと)よだきいのう」といつも思っている)、今回の疲労感はその比ではなかった。が、2日半ほどたって、突然、それが消えた。これこそが副反応なのだろう。とはいえ、これで少し安心して外出できる。

 オペラ映像を数本みたので、簡単な感想を書く。

 

ヴェルディ 「ドン・カルロス」(フランス語5幕版) 1996年 シャトレ座

「ドン・カルロ」ではなく、カルロスとエリザベートの出会いの場のある第一幕を含むフランス語5幕版の「ドン・カルロス」。手持ちのこの上演のDVDの画質・音質があまり良くなかったので、BDを見つけて購入。残念ながら画質・音質ともにBDになったからと言ってあまり変わっていないような気がする。しかし、改めてこの上演を見て、やはり素晴らしい。「ドン・カルロ」「ドン・カルロス」の四幕版、五幕版すべての中で私の知る限り、これがベスト映像だ。

 まず、ドン・カルロスのロベルト・アラーニャが、この役にふさわしい。ちょっと弱々しく、しかもしっかりした美声で不遇の王子を歌い上げる。ロドリーグのトーマス・ハンプソンが堂々たる正義漢を歌う。二人の二重唱は本当に感動的だ。フィリップ2世のホセ・ファン・ダムも悪辣な王ではなく、愛されずに苦悩する王を見事に演じる。

 女性陣も魅力的だ。エリザベートを歌うカリタ・マッティラは気品があり、透明な色気がある。そして、エボリ公女を歌うのがヴァルトラウト・マイアー。私はワーグナーを歌うマイヤーばかり聴いてきたので、ヴェルディを歌うのを意外に思ったが、どうしてどうして。この役にふさわしい迫力。「私の美貌が憎い」というセリフが素直に納得できる。

 指揮はアントニオ・パッパーノ。パリ管弦楽団を躍動感で率いていく。リュック・ボンディの演出もわかりやすく美しい。全体的に最高度に満足できる映像だ。

 

ヴェルディ 「ドン・カルロ」(4幕 1884年イタリア語版)2016年 パルマ王立歌劇場

 悪い上演ではないが、1996年のシャトレ劇場の映像のあとだと、どうしても色褪せて見える。まず、オーケストラに大きな差がありそう。パッパーノの指揮するパリ管と比べて、ダニエル・オーレンの指揮するオーケストラはかなり色彩感に欠ける。

 歌手陣については、ドン・カルロのホセ・ブロス、ロドリーゴのウラディーミル・ストヤノフ、フィリッポ2世のミケーレ・ペルトゥージは健闘しているが、今一つの輝きが感じられない。エリザベッタのセレナ・ファルノッキアとエボリ公女のマリアンネ・コルネッティはともにその役にふさわしい個性を表現できていないと思う。演出はチェザーレ・リエヴィ。簡素な舞台で、特に新たな解釈はなかったようだ。

 

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 2018年 ベルリン国立歌劇場

 ドイツの劇場でバレンボイムが指揮すると、ヴェルディのオペラがまるでドイツオペラのように聞こえる。深みがあり、渋みがある。ドイツオペラ好きの私からすると、これはとてもありがたい。

 演出はマリオ・マルトーネ。全員が現代の服装で現れる。ファルスタッフはジーンズに革ジャンスタイル。第1幕と第3幕は現代の場末の落書きだらけのパブ、第2幕のフォードの家はプール付きの金満家の庭。第4幕の森の場面は、仮装した秘密クラブめいた怪しい場所という設定。音楽との違和感はない。とてもおもしろい。

 歌手陣はオールスター。やはり、ミヒャエル・ヴォッレのファルスタッフが素晴らしい。ただ、あまり太っておらず、醜くもない。ノリのいいちょっと太り気味のおじさんといったところ。バルバラ・フリットリのアリーチェは本当に気品があってしとやかで、しかも色気があって実にすばらしい。ダニエラ・バルチェッローナのクイックリー夫人もさすがの歌唱。ナンネッタのナディーン・シエラの澄んだ美声はとても魅力的。アルフレッド・ダザのフォードもしっかりした声。全員が声楽的にも演技的にも文句なし。

 バレンボイムの指揮は抑制気味であまり派手に鳴らさない。しみじみと滑稽さをかみしめ、人生の悲哀を感じ、最後にそこから抜け出して、「すべては喜劇」と歌うような演奏になっている。

 バレンボイムが指揮者として活動し始めたころから、録音や実演で繰り返し聴いてきた。駆け出しの下手な指揮者だと思っていたら、とんでもない。大指揮者になり、今や円熟の指揮者になった。この人と同時代を生きたことをうれしく思う。

 

オペラ映画「ラ・ボエーム」2008年 ロバート・ドーンヘルム監督 (NHK放映)

 存在は知っていたが、プッチーニ好きではない私は、今回NHK放映で初めてこのオペラ映画を観た。

 とても良くできていると思う。プッチーニの時代のパリの雰囲気をうまく描いている。第二幕の街の様子はとてもリアル。舞台と異なって時間軸が自然で、室内と外の世界を自在に行き来できる。音楽の流れと映像がうまくマッチしている。

 やはりミミを歌うアンナ・ネトレプコが素晴らしい。容姿も含めて理想的なミミだと思う。ロドルフォのローランド・ビリャソンは声に関しては、絶好調なころのビリャソンであってすばらしいと思うが、この人の表情豊かな演技を映画というメディアで間近にすると、少なくとも日本人にはあまりに芝居じみて、鬱陶しく見える。ムゼッタはニコル・キャベル。当たり役だが、容姿的に私の考える小柄で可愛らしいムゼッタとは少し違う。そのほか、仲間たちのキャストと演技は理想的。ベルトラン・ド・ビリー指揮によるバイエルン放送交響楽団も文句なし。

 といいつつ、プッチーニのオペラを観るごとに思う。情緒たっぷりの歌が聞こえてくると私はなぜか居心地が悪くなる。難病もののお涙頂戴のメロドラマを見るときのような警戒感を覚える。そして、心から楽しめない。第二幕のさっぱりした部分だけ、素直に感動できる。

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