音楽

アントニーニ+ムローヴァ+読響 とても良い演奏だったが・・・

 20181016日、サントリーホールで読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はジョヴァンニ・アントニーニ。曲目はハイドンの歌劇「無人島」序曲、ヴィクトリア・ムローヴァが加わってのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、後半にベートーヴェンの交響曲第2番。アントニーニは古楽の指揮者だという。そのため、読響もきわめて古楽的な演奏だった。とてもダイナミックでスリリングなよい演奏だった。

「無人島」序曲は録音も含めて初めて聴いた。なかなかおもしろい曲。ともあれ、アントニーニがかなりダイナミックな演奏をすることはわかった。そして、ヴァイオリン協奏曲。

アントニーニはムローヴァに遠慮したのかもしれない。指揮は少々中途半端だった。古楽系の指揮者にありがちな強弱の激しい疾風怒濤風の音楽で、ティンパニが小気味よく出てくる。ほかの楽器もしっかりと指揮に即している。だが、もっと強調したそうなのに一歩手前で終わっている感じ。ムローヴァはとても繊細で美しく、しかも厳しい音。時々かなりアグレッシブに音の強弱をつける。

それはそれで大変おもしろかったのだが、感動したかというと、それほどでもなかった。ムローヴァが何度か音を外したような気がしたし、かつてのムローヴァの凄みのようなものを感じることができなかった。かつてのムローヴァはもっと張り詰めた切迫感のようなものがあったのだが、そのような緊張感を少なくとも私はあまり感じることができなかった。指揮者の盛り上げ方もあまりに古楽にありがちでワンパターンに思えた。

カデンツァはオターヴィオ・ダントーネという現代作曲家のものだという。初めて聴いたと思う。ところで、ムローヴァはときどきオーケストラの第一ヴァイオリンと一緒に同じ旋律を時々弾いていた。そのような版があるのだろうか。それとも、手持ち無沙汰だから弾いたのか。ネマニャ・ラドゥロヴィチがそのようなことをしているのを見たことはある(ネマニャだったら、何をしても許される!)。あ、それからテツラフも同じようにしていたような気がしてきた。もしかしたら、最近の流行なのだろうか。

ムローヴァのアンコールはバッハのパルティータの「サラバンド」。これも同じ印象を抱いた。もちろん、とてもいい演奏。素晴らしい演奏といっていいと思う。弱音が美しく、深みを感じさせる。が、感動に震えるには至らなかった。

交響曲については、協奏曲と異なって指揮者が思うがままに振った感じがした。協奏曲よりもオーケストラはずっと刺激的でダイナミック。やはりティンパニがバシッと出てくる。おそらくほかの指揮者の場合よりもほんの一瞬早く出るのだと思う。ヴァイオリン協奏曲と同じように、やはり古楽にありがちな演奏なのだが、遠慮なしに演奏しているので、ビシビシと決まっていく。弦を強く響かせスケール大きく演奏する。とりわけ終楽章の音の重ね方がとてもダイナミックだった。

とても良い演奏だと思いながらも、ただ実を言うと深く感動したわけではなかった。確かにダイナミックで振幅の大きな演奏で、とても躍動感がある。とてもスリリングでエクサイティング。だが、古楽の指揮者だったらこのように演奏するだろうな・・・という予想通りに進んでいくという思いを拭いきれなかった。このような演奏は、これまで何度も聴いてきたような気がしたのだ。いずれにせよ、もう少しこの指揮者を聴いてみたいと思う。

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ブロムシュテット+N響のブルックナー第9番 自然な中に崇高なものが現れた!

 20181013日、NHKホールでNHK交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット、コンサートマスターはライナー・キュッヒル、曲目は前半にモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」、後半にブルックナーの交響曲第9番。

 実は前半の「プラハ」にはいつものブロムシュテットとは違って躍動感を感じなかった。反覆を省略しなかったせいもあるのかもしれないが、いつまでも終わらず、聴いていて退屈した。が、ブルックナーは素晴らしかった。奇跡の91歳だと思った。

 前日もインキネン指揮、日フィルの演奏で同じ曲を聴いたばかりだった。サントリーホールの席がよくなかった(音のバランスが悪く、金管楽器ばかりが浮き上がって聞こえた)せいもあるかもしれないが、実に落胆したのだった。だが、今日は満足。なんという違いだろう! インキネンもブロムシュテットもともに誇張しないで音楽を進めていくタイプだと思うが、ブロムシュテットはリズムが生き生きしており、音楽の構築に破綻がなく、ぐいぐいとオーケストラを推進していく。N響の音の重なりも見事。透明で張りのある音。管楽器もとても美しい。音楽がうねりを成し、自然に高揚して、崇高なものが現れる。少なくとも私の席(2階R席)からはオーケストラ全体がまとまりよく聞こえた。

昨日、インキネンの指揮を聴いて、ただ音の交通整理をしているだけのように感じ、崇高なものをまったく感じなかったが、ブロムシュテットで聴くと、宗教的とは言えないにせよ、何かしら崇高なものがそびえたつ。しかも、まったく誇張せず、力まず、無理やり崇高にしようとしないのに、崇高になる。ただ実を言うと、第3楽章はもっと悲痛にもっと劇的に演奏するのが私の好みなのだが、ブロムシュテットの素直な演奏に納得する。あっさり目の作りだが、これがブロムシュテットの持ち味だろう。何度も感動に身が震えた。

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インキネン+日フィルのブルックナー第9番 退屈だった

20181012日、サントリーホールで日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はピエタリ・インキネン。曲目は前半にシューベルトの交響曲第5番、後半にブルックナーの交響曲第9番。インキネンはプラハ交響楽団を指揮した演奏を聴いて、一度日フィルの演奏も聴いてみたいと思っていた。

 客は三分の二も入っていない状態。なぜこんなに人気がないのだろう・・・と不思議に思って聴き始めたが、曲が鳴り始めて、確かにこれでは人気の出ようがないことに納得した。

 シューベルトについては、特にどうということのない演奏。ただ鳴っているだけだった。さすがにブルックナーになったらそんなことはないだろうと思っていたが、ブルックナーも同じだった。いや、まだシューベルトのほうがよかったかもしれない。

 インキネンがどのような意図でこのような演奏をしているのか、私にはよくわからない。シューベルトに関しては、きれいに鳴らすことを心がけているのだろうか。ブルックナーについては、できるだけ力まないように、できるだけ激しい音を出さないように心がけているとしか思えなかった。かといって、抒情的なわけでもないし、論理的にぴしゃりと決まっているわけでもない。とりとめもなく音楽が流れていく。きっとそのような演奏をしたいのだろうと思う。とりとめのなさに、きっとインキネンはブルックナーの美しさを感じているのだろう。世の中にはそのような美意識の人もいるだろう。が、やはり私は、それではあまりに退屈だった。とりわけ、第3楽章にいたっては、平板でのっぺりで、まったく盛り上がりなく終わった。日フィルについては安定した音を出しており、とりわけ金管はよかったが、指揮がこれではどうにもならない。インキネン指揮のブルックナーについては少なくとも、もう足を運ぶのをやめようと思った。

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新国立「魔笛」 大きな感銘は受けなかった

 2018108日、新国立劇場で「魔笛」をみた。

 歌手陣については特に傑出した歌手はいなかった。タミーノのスティーヴ・ダヴィスリムはとてもきれいな声。パパゲーノのアンドレ・シュエンもまじめな歌いっぷり。ただ、二人とも歌の表情も演技も少々硬い。味わいや面白みを十分に感じなかった。ザラストロのサヴァ・ヴェミッチもとてもいい声なのだが、自在に歌っているようには思えなかった。

日本人歌手は外国人歌手たちにまったく引けを取らない歌と演技だった。夜の女王の安井陽子はきれいな高音をしっかりと出した。パミーナの林正子も色気のある歌い回しはとてもよかった。日本人歌手のレベルの高さを改めて感じた。そのほか、増田のり子・小泉詠子・山下牧子の三人の侍女、モノスタトスの升島唯博、パパゲーナの九嶋香奈枝もとてもよかった。

 映像やアニメやドローイングを多用したウィリアム・ケントリッジの演出(新国立劇場では新演出ということになるが、この演出自体は2005年以来ヨーロッパのいくつかの劇場で上演されてきたらしい)。それはそれで変化はあるのだが、何を主張しているのが私にはとらえきれなかった。幾何学的、科学的なドローイングが多かった。ザラストロの語る理智主義を象徴しているのだろう。だが、それにどういう意味があるのか、このオペラをどうとらえているのかははっきりしなかった。映像で銃によって犀が殺される場面があった。理智主義の行きつく先としての武器の開発と殺戮について語っているのかと思ったが、そうでもなさそうだった。結局、新しさはアニメとドローイングだけで、解釈的に踏み込んだところはなかったように思う。むしろ、映像やドローイングのために演技のタイミングが合わせづらくなって間延びしているところが何か所かあったように思えた。

 今回の上演で私が最も不満に思ったのはローラント・ベーアの指揮だ。ミラノ・スカラ座でも振っている人らしいが、私はオーケストラに勢いを感じなかった。それなりにまとめているだけで少しも踏み込もうとせず、オーケストラを推進していかない。これではモーツァルトの音楽にならないと思った。東京フィルハーモニーの責任ではないと思うが、私にはオーケストラも間延びしているように聞こえた。いつもは素晴らしい新国立劇場合唱団の歌声もびしりと決まらなかった。

 一言で言えば、今日の「魔笛」は、日本人歌手もなかなかのものだということを改めて認識させてくれただけで、残念ながらさほど大きな感銘を与えてくれなかった。

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ネマニャの音楽にまたも魂を揺り動かされた

2018107日、浦安音楽ホールでネマニャ・ラドゥロヴィチのヴァイオリン、ロール・ファヴル=カーンのピアノによるリサイタルを聴いた。4日に浜離宮朝日ホールで聴いたのと同じプログラム。すなわち曲目はフランス系のヴァイオリン曲。前半にサン=サーンスの「死の舞踏」とフランクのソナタ、後半にドビュッシーのソナタとショーソンの詩曲、そしてラヴェルの「ツィガーヌ」。 ホールが小さくて響きがよいせいか、私は前回以上に興奮した。

 精緻な演奏。しかもいっそうダイナミック。前回はネマニャ が伴奏者との掛け合いをかなり気にしている様子が見えたが、今回は完全に信頼した様子。聴いている私は何度心を掻き乱されたことか! 音楽が躍動し、魂が躍動する。細くて鋭い音が聴くものの魂を揺り動かす。細くて鋭くて怜悧といえるような音なのだが、熱い魂がのっているので、けっして冷たくは感じない。

 フランクのソナタの第2楽章が終わったところでネマニャが舞台袖で引っ込んで何かを手に持ってきた。松ヤニらしい。第3楽章が始まってから、ちょっとした合間に松ヤニを弓に塗った。ネマニャが激しく弓をうごかすと松ヤニの粉が煙のようには空中に何度か広がった。音楽もそれと同時に大きく広がった。

 前回よりはフランクの出来はかなり良かったと思う。まだちょっとピアノの弱さを感じるが、それでもしっかりとネマニャを支えている。第2楽章と終楽章の盛り上がりは素晴らしかった。

 ドビュッシーのソナタも前回同様、ドビュッシーの心の動きをそのままたどるような初々しくて感受性豊かなヴァイオリン。きっとドビュッシーは意識の流れそのものをこのヴァイオリンの音に託したのではないか。そう思った。「詩曲」もよかったが、「ツィガーヌ」が圧倒的だった。前回も凄かったが、今日はもっと凄かった。私の全身が揺り動かされた。感動した。

 2年ぶりのネマニャはいっそう凄さを増していた。来年もまた来日するとのこと。今から楽しみでならない。

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ネマニャのヴァイオリンに酔った!

2018104日、浜離宮朝日ホールでネマニャ・ラドゥロヴィチのヴァイオリン、ロール・ファヴル=カーンのピアノによるリサイタルを聴いた。素晴らしかった。

曲目はフランス系のヴァイオリン曲。前半にサン=サーンスの「死の舞踏」とフランクのソナタ、後半にドビュッシーのソナタとショーソンの詩曲、そしてラヴェルの「ツィガーヌ」。

「死の舞踏」ですでに多くの観客がネマニャの音の虜になったのではないか。聴いている人の心を鷲掴みにするような躍動する音楽。しかもこの上なく繊細で美しく透明な音。まさしく不気味で妖しく、しかも華麗な死の舞踏が繰り広げられる。この曲の冒頭、私の知らないメロディが出てきたのだが、ふだん演奏されるのとは別のヴァージョンなのだろうか。

 フランクのソナタはまさしく正攻法。

 私は10年ほど前ナントのラ・フォル・ジュルネでこの若いヴァイオリニストの驚異の音楽を知ってからネマニャを追いかけている。ファンクラブ結成を呼び掛け、ファンクラブ・プレピスカの初代会長を務めたのも私だ。

以前は20歳そこそこの男の子の演奏する怖いもの知らずの躍動する音楽だった。鬼気迫るものがあったが、音楽そのものの楽しさが心の底から爆発するような音楽でもあった。ところが、今ではネマニャも成熟し、外面的な効果を追いかけるのでなく、もっと真摯に深い音楽を創り出そうとしている。以前のネマニャだったらもっと派手に情熱を表に出すところをあえて抑え気味にしている。とりわけ第一楽章は抑え気味にして、徐々に盛り上げていく。

 ただ、この曲に関しては私はファヴル=カーンのピアノがヴァイオリンとかみ合っていないように思えた。バランスよくぴしりと決まらず、バタバタする感じがした。フランクのソナタはピアノの役割が大きい。ちょっと力不足を感じた。

 後半のドビュッシーはピアノも含めて素晴らしいと思った。これも、いじろうと思えばいくらでもいじれる曲だと思うが、ネマニャは正攻法で演奏する。透明な音でドビュッシーの音符の奥にある内向的で静かな心をえぐりだすかのよう。フランクよりも拍手が少なかったが、私はこの曲の演奏のほうが素晴らしいと思った。このように内部まで突き刺さるような初々しいドビュッシーのソナタを初めて聴いた。まさしく生きた音楽だと思った。

 その後の「詩曲」と「ツィガーヌ」についてはまさにネマニャの独壇場。詩曲はロマンティックの極致を描く。透明で美しい音。だが、けっして感情過多にはならない。形が崩れない。私は何度も感動に身を震わせた。

「詩曲」があまりに素晴らしく、ネマニャが動きを止めたままだったこともあって拍手は起こらず、そのままネマニャは「ツィガーヌ」を弾き始めた。ファヴル=カーンはそれを予期していなかったようで、あわてて譜めくりの男性に指示、男性は一度舞台から離れて楽譜を持って戻ってきた。

 最高の「ツィガーヌ」だった。華麗で透明で音程がびしりと決まり、まさに躍動する。ダイナミックで情熱的。だが、構成感が抜群なので、まったくゆるぎない。本当に素晴らしい演奏。この曲でも私は何度も感動に震えた。アンコールはモンティのチャルダッシュとドヴォルザークの「母が教えてくれた歌」。何という美しい音。

 久しぶりにネマニャの音楽を聴くことができた。満足だった。

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アトミヴォーカルアンサンブル第1回演奏会 とてもよかった!

 2018925日、日本福音ルーテル東京教会で、アトミヴォーカルアンサンブル第1回演奏会を聴いた。アトミヴォーカルアンサンブルというのは、跡見学園女子大学マネジメント学部マネジメント学科イシカワゼミの学生中心の女声合唱団。この合唱団を指導するイシカワカズ氏とは40年来の知己であり、氏の息子さんである石川星太郎氏が指揮の道に入ったころから噂には聞いていた。ぜひ、この若き指揮者の演奏を聴きたいと思っていた。今回、その演奏が聴けるとあって、雨の中、アマチュアのコンサートに足を運んだのだった。

 この合唱グループの最初の曲、フォーレの「アヴェ・マリア」でびっくり。正直言って、合唱に関してはあまり期待していなかったのだが、なかなかどうしてきれいな声ではないか! それどころか、ちゃんとフォーレになっている! フォーレの音楽は実は難しい。元気よく歌いすぎると壊れてしまう。繊細にやさしくしっかりと演奏しなければならない。指揮がよいためだと思うが、それがしっかりとできている。最後の曲、フォーレの小ミサ曲もとてもよかった。もちろん、時々音程が怪しくなるし、自信なげなところもある。だが、アマチュアでこれだけできれば大したもの。見事な頑張りだと思う。

 音大でもなく、芸術学部でもない学部の学生たちがここまでの仕上がりを見せるのは、本人たちの努力もあっただろうが、指導のたまものといえるだろう。そして、指揮の見事さによるだろう。もちろん、技術的な未熟さが目立たない曲をうまく選んでいるが、なかなかこれほどできるものではない。

 そして、もう一人素晴らしかったのはソプラノの岡田愛だ。バッハの「マニフィカト」の第3曲とフォーレの「レクイエム」の「慈悲深いイエスよ」を透明で抜けのよい美声で歌ってくれた。宗教音楽にぴったりの清澄な声。久しぶりに日本人のこのような美しい声を聴いた! アンコールの木下牧子の歌曲も素晴らしかった。日本語の発音もきれい。石川のピアノ伴奏も味わいがあってよかった。

 石川星太郎。この指揮者の演奏をまた是非聴きたいものだ。

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鈴木優人+BCJのモーツァルトのレクイエム 素晴らしかった!

2018924日、東京オペラシティ コンサートホールで、バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会を聴いた。指揮は今回、首席指揮者に就任した鈴木優人、曲目は前半にモーツァルトの交響曲第25番と、ソプラノのモイツァ・エルトマンが加わっての演奏会用アリア「私があなたを忘れるだって?…おそれないで、恋人よ」KV505、後半に「レクイエム」と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。

前半を聴いた時点では、実は少し不満を覚えた。いくら鈴木優人でもバロック音楽のようにはいかないな、と思ったのだった。私の不満を一言で言えば、「モーツァルトらしく歌わない」ということに尽きる。もちろん、ト短調の交響曲なので、悲劇的でドラマティックな表現が強くなるのはわかるが、それでも第2、3楽章は歌ってほしい。が、古楽器であるせいなのか、奏でられない。とりわけ第2楽章はぶつ切れのようになって、私は退屈に感じたのだった。

エルトマンについては、清楚で美しく、しかも強い声。ロマンティックになりすぎずに、抑制をもって、しかし的確に表現している。モーツァルトにぴったり。先日、リサイタルでその力量を知ったのだったが、改めて素晴らしい歌手だと思い知った。

後半の「レクイエム」は冒頭から陰影が深くて悲劇的、しかもこの上なく美しい。最初から最後まで、前半とは打って変わって、彫りの深い最高に美しい音楽が繰り広げられた。やはり、バッハ・コレギウム・ジャパンは合唱が素晴らしい。一つ一つの音が豊かでありながらも決して過剰ではない表情を持っている。オーケストラだけの交響曲では不満を感じたのだったが、合唱が加わった途端に最高の音楽になった。エルトマン(ソプラノ)のほか、マリアンネ・ベアーテ=キーラント(アルト)、櫻田亮(テノール)、クリスティアン・イムラー(バス)も全員が素晴らしい。

決して過激な表現ではない。少し前、NHKBSで放送されたクルレンツィス指揮、ムジカエテルナのような先鋭的で個性的な演奏を聴いたが、それとはまったく異なるずっと正統的な音楽。小細工はしないで真正面からモーツァルトの最期を表現しようとしているかのよう。「ラクリモザ」の部分など、何度も涙が出そうになった。

「レクイエム」が終わった後、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。これも素晴らしかった。

 鈴木優人が首席指揮者に就任して、ますますこの団体の演奏が楽しみになった。

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東京オペラプロデュース「ルイーズ」を楽しんだ

 2018922日、新国立劇場中劇場で東京オペラプロデュース公演、ギュスターヴ・シャルパンティエ作曲「ルイーズ」をみた。指揮は飯坂純、演出は馬場紀雄。

 実演はもちろん映像もこれまで見たことがなかったと思う。有名なアリアだけは何度か聴いたことがあった。初めてみて、とても興味深いオペラだと思ったが、同時に作品としての限界も感じた。

 両親にがんじがらめにされて愛する人との交際も禁じられたパリの娘ルイーズが束縛から自ら逃れる物語。それをパリの市井の人々の生活と絡めて描く。作曲者ギュスターヴ・シャルパンティエ(ドビュッシーやシュトラウスと同時代のフランス人)の意図はよくわかる。まさしく自然主義文学のオペラ版だ。だが、この台本だったら、ヤナーチェクのような、もっと鋭利な音楽にすべきではないか。台本のわりには、かなり平凡で、時に甘ったるい音楽が歌われる。市井の人の生活感も音楽によってはさほど伝わらない。もちろん、しばしばきれいな音楽が聞こえてくるが、描かれている世界とそぐわない。

 いや、台本自体、市井の人々と主役四人の描き方が中途半端だと思う。さほど刺激的でもなく、かといってさわやかなわけでもなく、現実をえぐりだすわけでもない。また、シュトラウスの「インテルメッツォ」のように徹頭徹尾、下世話な形而下的夫婦話を描こうとするわけでもない。もう少し徹底してくれないと、インパクトを感じない。

 歌手陣はとてもよかった。とりわけ、ルイーズの菊地美奈は声も伸び、音程もよく、素晴らしかった。ジュリアンの高田正人、父の米谷毅彦、母の河野めぐみもしっかりした声で見事に歌っていた。そのほかの歌手たちもとてもレベルが高かった。これまでこの団体のフランス・オペラを見ると、どうしてもフランス語の発音の不正確さが気になったが、今回はかなりこの面に気をつかったと見えて、私はまったく気にならなかった。

 指揮については知らない曲なので何とも言えない。ただ、オーケストラ(東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団)については、しばしば精妙さを欠いたが、おそらく練習時間をあまりとれなかったのだろう。

 演出の馬場はシャルパンティエの時代と現代の日本の状況と重ね合わせたかったのだろう。台本からすると、ルイーズの一家も、そしてお針子たちももっと貧しく描くべきだろうが、そうなると現代の日本とかけ離れてしまう。そのため、少し階層を上げて描いたのだと思う。だが、そのためにルイーズの父の絶望的な気持ちが伝わらないし、閉塞状況とそこからの解放の願望が弱まってしまった。熟慮の結果、このような形を選択したのだと思うが、私としては、もっと貧しく描くべきだったと思う。

 とはいいつつ、ともあれ前から一度見たいと思っていた「ルイーズ」を見ることができて、とてもうれしかった。これからもこのような珍しいオペラを上演してくれることを切に願う。

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カンブルラン+読響のブルックナー4番に興奮

 2018921日、サントリーホールで読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。曲目は前半にモーツァルトの「後宮からの逃走」序曲とピアノのピョートル・アンデルシェフスキが加わって、ピアノ協奏曲第24番。後半にブルックナーの交響曲第4番(2004年版コーストヴェット校訂版)。素晴らしい演奏。

 まず、「後宮からの逃走」の最初の音にびっくり。なんとしなやかで柔らかくて美しい音! 読響はこれほど素晴らしいオーケストラになっていたのかと改めて驚いたのだった。序曲は本当に見事な演奏。疾走感があり、しなやか。

 ピアノ協奏曲もよかった。アンデルシェフスキの演奏を初めて聴いたと思うが、実に繊細。外面的な効果を狙わずに、内省的に音楽を進めていく。美しい音を連ね、しみじみと演奏。短調のこの曲の悲劇性を誇張するわけでもなく、まさしく音そのものを浮かびあげるような演奏。大変好感を持ったが、ただもう少しドラマがないと、深い感動をしないとも思ったのだった。

 後半のブルックナーは圧倒的だった。まずオーケストラの見事さに感服。とりわけホルンが素晴らしい。日本のオーケストラでホルンに感服することなどないのだが、今回はホルンの音の美しさに何度もほれぼれした。そのほかの管楽器も、そして弦楽器も素晴らしかった。

 カンブルランの指揮については、何と形容してよいのかわからない。これまで私が聴いてきたブルックナーとあまりに違う。これまでの指揮者たちは、ブルックナーの魅力的な様々な面をあえて無視して一つの面だけを強調して演奏してきたのだとつくづく思った。クナッパーツブッシュはもちろん、ヨッフムにしてもヴァントにしても、崇高でスケールの大きなブルックナーを表に出し、それ以外のブルックナーは陰に隠れていた。カラヤンだって、バレンボイムだって、ヤングだって、崇高さは強調しないにしても、何らかの一つのトーンを前面に押し出すことで力任せに統一を取っているきたように思える。ところが、カンブルランはこれまで多くの指揮者が顧みなかった様々な魅力をブルックナーの音楽から引き出してくれる。一つ一つの部分があまりに美しい。万華鏡を見るように、ブルックナーの音楽が持つ様々な表情を聴かせてくれる。だが、カンブルランがすごいと思うのは、様々な表情をブルックナーの音楽の中から引き出しながら、完璧に統一が取れており、最後には納得させてしまうことだ。

 第2楽章はゆっくりと繊細に管楽器の美しさを描き出し、ブルックナーのしなやかな面を聴かせてくれた。第3楽章はもっとダイナミックな世界を展開してくれた。そして、第4楽章で、これまでの楽章を踏まえながら、曲折を経て高みに上っていく。その構築感も見事。

 私はカンブルランの魔法にかけられたように、ブルックナーの世界を生きた。まさに魔法だと思った。何度か感動の涙を流した。カンブルランの演奏を聴くと毎回思うが、本当にすごい指揮者だ!

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