音楽

バイエルン国立歌劇場公演「タンホイザー」 あまりに沈潜した音楽

 2017921日、NHKホールでバイエルン国立歌劇場公演「タンホイザー」をみた。今年最高の感動を得られると期待して出かけたのだったが、実は期待したほどではなかった。

 とはいえ、素晴らしい演奏。やはり、タンホイザーを歌うクラウス・フロリアン・フォークトが圧倒的に素晴らしい。ヴァルターとローエングリンはバイロイトや日本でも聴いたが、タンホイザーは初めてだった。柔らかい自然な声。音程ももちろんしっかりしているし、まさしくタンホイザーの苦悩もよく伝わる。領主のゲオルク・ツェッペンフェルトを太くて柔らかい声で見事。ウォルフラムのマティアス・ゲルネも実に繊細で柔らかく、しかも温かい声でヴォルフラムにぴったり。それに比べると、エリーザベトのアンネッテ・ダッシュ、ヴェーヌスのエレーナ・パンクラトヴァは少し弱いかもしれない。もう少し声の輝きがほしいと思った。

 とはいえ、私は歌手陣にはまったく不満はない。そして、もちろんオーケストラは素晴らしい。なんという美しい音! 

私がまず不満を覚えたのはキリル・ペトレンコの指揮だった。

 ペトレンコは素晴らしい指揮者だとは思った。なんと柔らかい音色。しなやかでとぎすまされ、心の底に陣割と伝わる深い音。それはそれで素晴らしい。しかし、「タンホイザー」をこのように深く沈潜する音楽にしてしまったら、おもしろくなくなるではないか! 「トリスタン」や「リング」や「パルジファル」をこのような音色で演奏されると、それはそれは魅力的だろう。しかし、「タンホイザー」にはもっとナマの音がほしい。こんなに深くて、こんなに洗練された音では、「タンホイザー」の生々しいエロスや邪教的な宗教を描けないではないか。

 いつか生の音が鳴り響くだろうと待っていたが、最後まで沈潜された音だった。私はこの音に人工性を感じた。もっと生々しさがほしい。本音を叫んでほしい。私のような俗っぽい人間にはこれではものたりない。

 演出については、実はよくわからなかった。私はまったく事前の知識なしにこの演出を見たのだったが、理解の糸口さえつかめなかった。いや、何度か演出を理解したような気がしたが、全幕を通して考えると矛盾してくる。いくつか仮説はあるが、自信がない。

だが、それ以上に、せっかく歌手たちが素晴らしい歌を歌っているときに、後ろで小芝居をして音楽の邪魔をしているとしか思えなかった。とりわけ、「ローマ語り」の際に、後ろでモルグのように死体が次々と運び込まれ、徐々にそれが古びて、ついには土地になっていくが、それに気を取られてしまった。

 たとえ、ワーグナーの音楽の本質に触れる思想をこの演出が語っているにしても、音楽を邪魔する演出を私は認めたくない。小芝居で音楽の邪魔されたくない。

 そんなわけで、満足できる上演ではなかった。残念。

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P.ヤルヴィ+N響の「レニングラード」 凄まじい演奏に興奮

 2017916日、NHKホールでNHK交響楽団定期公演、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団の演奏でショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を聴いた。凄まじい演奏だった。まだ興奮している。

 きびきびして、しかもすべての音が生きている。音の一つ一つに推進力があり、しかもきわめて緻密。とりわけ弦楽器の威力に圧倒された。N響も見事。ほぼ完璧にバランスがとれていた。

 とりわけ、私は第三楽章冒頭の弦楽器の痛ましい音に心を打たれた。そうか、ショスタコーヴィチはこのような音を出したかったのか!と納得できた。

私はショスタコーヴィチの室内楽は大好きなのだが、交響曲は特に好んで聴くわけではない。「レニングラード」も好きな交響曲ではない。納得できないところがたくさんあった。あの有名な「戦争のテーマ」が何ともちゃちで、どう考えていいのかわからなかった。が、ヤルヴィで聴くと、初めは大したことではないと思われていた愚劣で理不尽で不条理な戦争なるものがだんだんと力を増してついには人間に対して暴虐をふるっていく様子を描いているのだと納得できた。これがショスタコーヴィチのとらえた「戦争」なのだろう。まさしく戦争の理不尽。その恐ろしさも伝わる。

 ヤルヴィはまさしく戦争と人間のドラマを真正面から描いているようだ。まったく緊張感が途切れない。最初から見事だったが、第二楽章、第三楽章、第四楽章とますますドラマが盛り上がっていった。最後、絵にかいたような勝利のファンファーレになる。あまりに決まりきった展開にこれまで鼻白むことが多かったが、今日のように衒いもなく真正面から演奏されると、心の底から感動してしまう。最後は魂が震えた。

 先日の「ドン・ジョヴァンニ」にも満足した。今回はそれ以上の満足だった。

 

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NHK音楽祭 パーヴォ・ヤルヴィ+N響の「ドン・ジョヴァンニ」に興奮した

20179月9日、NHKホールでモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式)を聴いた。NHK交響楽団、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。NHK音楽祭の一環。演奏会形式とはいえ、ちょっとした寸劇が入り、ドラマとして十分に堪能できた。

すべてにおいて現代最高水準。歌手陣は粒ぞろい。私はとりわけドンナ・アンナを歌うジョージア・ジャーマンとドンナ・エルヴィーラを歌うローレン・フェイガン、そしてドン・オッターヴィオのベルナール・リヒターを素晴らしいと思った。いずれも若くて容姿も美しい。ジャーマンはとても透明な声。フェイガンは成長でありながらもスケールが大きい。リヒターは、ドラマの流れとあまり関係のないアリアを歌うので影が薄くなりがちだが、これほど見事な声で歌われると説得力がある。ドン・オッターヴィオには悪の化身であるドン・ジョヴァンニの対比としての重要な意味があるのではないかと思った。

 レポレッロのカイル・ケテルセンもとてもよかった。見事な太い声、そして軽妙な演技。もちろん、ドン・ジョヴァンニのヴィート・プリアンテもよかったが、どんなドン・ジョヴァンニ像なのかがはっきりしなかった。悪を表に出すのか、それとも別のドン・ジョヴァンニ像なのかを明確にするほうが魅力が出ると思った。

 そのほか、騎士長のアレクサンドル・ツィムバリュク、マゼットの久保和範、ツェルリーナの三宅理恵も見事な歌。日本人二人は特筆するべきだと思った。これらの超一流の西洋の歌手たちにまったく引けを取らず、美しい声で歌っていた。三宅さんには10年ほど前、多摩大学の私のゼミの主催したコンサートで歌っていただいたことがある。そのころから素晴らしい歌手だったが、いまや日本を代表する大歌手だと思った。

そして、やはりオーケストラと指揮の素晴らしさについて語らぬわけにはいかない。

N響の実力を発揮してくれた。弦も管楽器も実に美しい。そして、ヤルヴィの指揮も躍動感にあふれ、ドラマティック。序曲からして、人間の暗部を抉り出すかのよう。ドンナ・アンナがドン・ジョヴァンニの「さらば」の声で犯人だと気づく場面ところや最後の地獄落ちの場面など、怖気を覚えるほどのシリアスでリアルな音だった。

ただ、音楽に強さがありすぎるために、レポレッロの軽みやおかしみが出ていないように思えた。父ネーメだったら、もっといたずらっ気を発揮してくれるのではないかと思った。おそらくパーヴぉは意識的にそのような遊びの部分を排除しているのだと思うが、私としてはそのような部分もほしい。

しかし、これほどの素晴らしい演奏を東京で聴けてとても満足。ザルツブルク音楽祭並みの名演奏だと思った。本日もまた大いに感動した。

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サントリーホール Reオープニング・コンサート 「小ミサ・ソレムニス」のほうが好みだと思った

 サントリーホールのリニューアル記念のReオープニング・コンサートを聴いた。第1部はオルガンと金管アンサンブルの演奏で、バッハ、ヴィドール、デュリュフレ、ヨハン・シュトラウスの作品。要するに、オープニング・セレモニー。演奏はとても良かった。ただ、どういう事情でこれらの曲が選択されたのか、これらの曲の間にどのような連関があるのか、私にはよくわからなかった。

2部はロッシーニの「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」。よく知られた小編成の「小ミサ・ソレムニス」のロッシーニ自身による管弦楽編曲版。指揮はジュゼッペ・サッバティーニ、オルガンはダヴィデ・マリアーノ、そのほか、吉田珠代(ソプラノ)、ソニア・プリーナ(コントラルト)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、ルベン・アモレッティ(バス)、合唱は東京混声合唱団、サントリーホール オペラ・アカデミー、管弦楽は東京交響楽団。

 演奏は素晴らしかった。サッバティーニの指揮は、ドラマティックで抑揚があり歌がある。最後まで飽きさせなかった。合唱も素晴らしかった。張りのあるフォルテもいいが、静かな声も見事。歌手陣もそろっていた。吉田珠代(静岡県民オペラでイリスを歌った歌手)もほかの外国人勢にまったく引けを取らず、音程のよい美声を聞かせてくれた。

 とはいえ、実は大編成のこの曲を初めて聴いたので、かなり違和感があった。私の知っているこの曲はピアノとハルモニウムの伴奏で、大合唱も付かない。こじんまりとしてしっとりとして室内楽的でちょっぴり宗教的。引退したロッシーニが、晩年、ちょっとしたいたずら心で宗教的な曲を作りたくなり、気楽に演奏できる身近な、いかめしくない宗教曲を作った…。宗教心を表には出したくなく、敬虔さを売り物にしたくない。大袈裟ではない宗教心をさりげなく歌いたい。私はそのようなロッシーニの心の表れとしてこの曲をとらえていた。

 だが、今日の演奏は大規模で壮大でドラマティック。それはそれで、オペラティックで悪くないが、この曲のこじんまりとした、そしてほんのちょっぴり宗教的なところが好きだった私としては、これほどドラマティックに演奏されると、どう考えてよいかわからなくなる。ロッシーニ自身の編曲だというが、これだとこの曲のよさが消えてしまうような気がしてしまう。

 ロッシーニの人生、芸術観についてきちんと研究しているわけではないので、あまり大層なことは言えない。とてもおもしろかったと思いつつ、私の好きな演奏ではなかったと確認した。

 サントリーホールのリニューアルについては何とも言えない。私の席(LB席)からは、オルガンの指や足が見えるのはうれしかった(初めてオルガン演奏が丸々見える位置で聴いた。指だけでなく、足であちこちを踏んで音を出しているのを見てびっくり!)が、やはり歌手の声は聞こえづらかった。当たり前だが、リニューアルによってすべての席で満足できる音響になったわけではなさそうだ。

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ジャームッシュ監督「パターソン」 日常の中の詩としての映画

 ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」を見た。ニュージャージー州パターソン市に住むパターソンという名前の男(アダム・ドライバー)。バスの運転手として平凡な生活を送りながら、毎日、ノートに詩を書きつけている。美しい中東系の浮世離れした妻(「彼女が消えた浜辺」のゴルシフテ・ファラハニ!)と愛嬌のある犬、そして行きつけのバーでの平凡な日常が描かれる。しかし、その日常の奥底、日々の平凡な生活の中に詩があることが、静かな映像によって観客に伝わる。善良で優しい主人公。日常の向こうに非日常の声を聴きながらも、日常を生きている。バス運転手というきわめて日常的な仕事をしながら、人々の声に耳を傾け、自然を見ている。

 とりあげられる詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩と人生がとても魅力的だ。そして、何度も出てくる双生児のイメージもおもしろい。パターソンに暮らし、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズという名前を重ねたパターソン出身の詩人、パターソンに住むパターソンという名の主人公、時代を超えた二人の双生児としてのイメージが膨らんだのだろうか。よくわからないが、ともあれ微笑ましくて、ちょっと神秘的な双生児というイメージに私は心惹かれた。

 最後、書き溜めた詩を愛犬に食いちぎられて、主人公は途方に暮れて滝の前のベンチに座っている。そこに日本人の詩人(永瀬正敏)が現れ、突然話しかけて、死について話を交わす。主人公はそれに元気づけられ、また日常を取り戻す。

 素晴らしい映画だと思った。まさしく日常の中の詩そのものといえるような映画。役者たちも素晴らしい味を出している。永瀬さんも素晴らしい。ジャームッシュの名前はずっと昔から知っていたが、ヨーロッパ贔屓だった私は、いかにもアメリカ的な題名の映画の多いこの監督を敬遠していた。昔、一作を見た覚えがあるが、それほど惹かれることなく、タイトルも忘れてしまった。

これから何作か見てみよう。

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松尾俊介ギターサロン「バッハから武満まで」 限りなく繊細に武満を演奏

 2017825日、現代ギター社のサロンで松尾俊介ギターリサイタルを聴いた。前半に、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番とシャコンヌ(ともに、松尾自身の編曲)、後半に「ロンドンデリーの歌」(武満徹編曲)、武満徹「森のなかで」、アルベニス「アストゥリアス」(松尾編曲)、トゥリーナ「ギターのためのソナタ」。

 多摩大学在職中、ゼミのコンサートで松尾さんには何度も出演していただき、素晴らしい演奏を聴かせていただいた。軽妙なトークと、そのトークの雰囲気とまったく異なる繊細で知的で、しかもとてつもないテクニックによるギター演奏に私は惹かれてきた。

 猛烈に蒸し暑い日だった。夕方になってもまだ30度を超して、むしむししていた。おそらく、そのためにギターが松尾さんの思うように鳴らなかったのだと思う。前半、音を出すのにてこずっている様子が見えた。相変わらずの松尾さんの凄まじいテクニック。実は、私はギターを弾く指をみていることができない。あちこちに行ったり来たりしている指をみていると、頭の中が混乱してくる。だが、それほどのテクニックをもってしても、チェロやヴァイオリンの弦を長く弾くことによって成り立っている曲をギターで弾くのが至難の業であることを感じた。

が、後半、ギターが鳴りだしてからは本当に素晴らしかった。これらは基本的にギターのために作られている。武満の「森のなかで」を初めて聴いたと思うが、武満の世界に触れることができた。実に繊細、一つ一つの音のどれもが心をそっとなでるよう。それを松尾のギターが完璧に再現していく。

最後にスペインの音楽。ご自身がトークで語った通り、松尾さんはギターの本場であるスペインの曲をあまり弾かない。「後にとっておいた」とのことだが、実は、ギターで内面をしっとりと繊細に表現する松尾さんには、どうしても外面的になってしまうスペインのギター曲を遠ざけておきたいという意識があったのだろう。確かに、いつもの松尾さんらしくない演奏。しかし、これも素晴らしかった。外面性と内面性が見事にマッチ。松尾さんが外面的な曲を弾いてもこけおどしにはならない。

アンコールの最後は「愛の賛歌」。しみじみと終った。さすが。

ウランバートル旅行は私には負担が大きかったようで、まだ疲労感が残っている。帰りに最寄りの駅付近でマッサージを受けて(とはいえ、帰国後2度目のマッサージ)、やっと元気を回復した。

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ファビオ・ルイージ+読響 知的躍動の「英雄の生涯」に感動

 2017824日、東京芸術劇場で読響サマーフェスティバル2017「ルイージ特別演奏会」を聴いた。ファビオ・ルイージの指揮。素晴らしい演奏。まれに見る名演奏だと思った。

 前半はシュトラウスの「ドン・ファン」とハイドンの交響曲第82番「熊」、後半に「英雄の生涯」。要するに、描写性を持つ音楽を集めたプログラム。以前、ドレスデン・シュターツ・カペレの来日公演でファビオ・ルイージの「英雄の生涯」を聴いて感動した覚えがある。再び感動したいと思って足を運んだ。

「ドン・ファン」の最初の音からしなやかで研ぎ澄まされていて、しかも躍動的。それが知的に構築されていく。とてもわかりやすい指揮だと思う。どのような音を出したいのか、どのように音を重ねたいのか観客にも良くわかる。オケもそれにぴったりとついていく。読響はもちろんとても良いオケだが、それにしてもルイージの手にかかると、これほど研ぎ澄まされるとは! ドレスデン・シュターツ・カペレほどではないかもしれないが、とても透明で色彩的。あまりロマンティックではない。むしろ、論理的に音を重ねて、きわめて知的に音のドラマを作っていく。聴いているものとしては知的に興奮する。

 ハイドンの「熊」も、曲芸を描写するような第4楽章を山場に持ってきて、とてもおもしろかった。第3楽章までは少し抑え気味にしておいて、古典音楽らしく、しなやかに、おとなしく、しかも気品にあふれた演奏。そして、第4楽章でおもしろさを全開にする。聴くものとしては、最後に種明かしをされたような気分になる。ハイドンのユーモアも聞こえてくる。

 そして、やはり「英雄の生涯」がすごかった。まさしく音の絵巻が展開される。しかし、それほど豊穣な感じはしない。むしろ、引き締まっていて、無駄なものがない。無駄なものはないが、音がしなやかで色彩的で表情があるので、音楽に躍動感があって推進力がある。

 昔、よく「シュトラウスは砂糖づけのように甘ったるい」という言葉を聞いた。それを聞くごとに私には不思議だった。高校生のころにクレメンス・クラウス指揮のレコードでシュトラウスの交響詩をずっと聴いていた私にとって、シュトラウスの音楽は知的でしなやかで引き締まったものだ。ルイージの作りだす音楽も、甘ったるさはまったくなく、知的でしなやかで引き締まっている。これぞシュトラウスだと思った。無意味に感情移入するのでなく、音を完璧にコントロールし、音の織物を作り上げていく。

 ソロ・ヴァイオリンの長原幸太も素晴らしかった。これもあまりロマンティックではなく、むしろもっと現代的で知的なアプローチ。心にぐいぐいと食い込んでくるような音だった。

 ソロ・ヴァイオリンとホルンの2台の楽器で静かに終わる。舩木篤也さんの解説によると、これは初稿に基づくという。ホルンも素晴らしかった。

 大いに感動し、興奮した。

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オペラ映像「ローエングリン」「ダナエの愛」「パルジファル」

 パソコンに向かって原稿を書き、疲れたら映画やオペラのDVDBDをみる。このところ、そのような生活をしている。これが私には一番合っている。最近購入したオペラ映像についての感想を書く。

 

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「ローエングリン」2016年 ドレスデン、ザクセン州立歌劇

 

 ティーレマン指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏。最高の演奏。近年のティーレマンの充実ぶりはすさまじい。

 エルザを歌うのはネトレプコ。私としては待ちに待ったネトレプコのエルザだ。ただ、だんだんと調子が上がってくるものの、前半は気負いすぎてちょっと不安定な感じ。とはいえ、第三幕は絶唱。ゼンタやエリーザベトやエファ、そしてできればイゾルデやジークリンデを歌ってくれないだろうか。ローエングリンを歌うピョートル・ベチャワはネトレプコ以上に役にはまっている。私はこの人の歌は実演では「ラ・ボエーム」のロドルフォを二度(一度はフリットリのミミを相手にしたメトロポリタン歌劇場の来日公演、もう一度はネトレプコがミミを歌ったザルツブルク音楽祭)聞いているし、映像では何度も聴いている。素晴らしい歌手だと思っていたが、ローエングリンまでもこれほど見事に歌うとは! 張りのある強い声。ヘルデン・テノールといえるほどの強靭さ。カウフマンやフォークトに決して劣らないと思う。

 テルラムントのトマス・コニエチュニーも素晴らしい。この役は影が薄くなりがちだが、コニエチュニーが歌うと人間味が増し、強い陰影を帯びる。そして、特筆するべきはオルトルートのエヴェリン・エヴェリン・ヘルリツィウス(もしかしてイヴリン・ハルリチアス  ハーリッチアスという発音なのか?)。何度か実演を聴いて素晴らしい歌手だとは十分に認識していたが、改めてすごさを実感した。魔女オルトルートの凄みがビンビンと伝わる。ハインリヒのゲオルク・ツェッペンフェルトも威厳のある堂々たる声と演技、素晴らしいと思う。

 そして、それにもまして圧倒的なのがオーケストラと指揮のティーレマン。言葉をなくす凄さ。濃密でダイナミックで表情豊かで力感にあふれている。とてつもない名演。ただ、演出については、とてもまとまりがよいとはいえ、特に新しい解釈は示されない。

 

 

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シュトラウス 「ダナエの愛」2016年 ザルツブルク祝祭大劇場

 

 NHKBSで放送されたもの。演奏は見事というしかない。私はこのオペラは最初から最後までずっと同じ調子で豊穣な音楽が鳴り続けている点で苦手意識を持つのだが、さすがフランツ・ヴェルザー=メストの指揮というべきで、そのような弱点を感じさせない。精緻で知的でしかも豊穣。いや、豊穣すぎないところがいい。

 歌手はそろっている。クラッシミラ・ストヤノヴァのダナエは、声も伸びているし、声の演技も見事。そして、何よりもトマシュ・コニエチュニーのユピテルが素晴らしい。威厳のある強い声で意地悪なユピテルを見事に演じている。ゲルハルト・ジーゲルのミダスも、冴えない純朴なオタクという感じで、容姿的には恵まれないが、それはそれでとてもいい。

 演出に関しては、めったに上演されないオペラをわかりやすく、おしゃれに、そして華麗に見せてくれている。「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」と比べるとやや劣るのは間違いないと思うが、シュトラウスのオペラとしてとてもおもしろい。一度だけ東京二期会の公演を見たことがあるが、もっと上演してほしいオペラだ。

 

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ワーグナー 「パルジファル」2012年 アムステルダム音楽劇場

 

 細身で鋭利な「パルジファル」。かつてクナッパーツブッシュ指揮のレコードでこの楽劇を繰り返し聴いた人間からすると、改めてワーグナー演奏の時代的な変化を感じる。イヴァン・フィッシャーの指揮によるコンセルトヘボウ管弦楽団はクナッパーツブッシュのようにどっしりとして重心の低い演奏をしない。繊細で幻想的。それはそれでとても素晴らしい。

 歌手たちは超一流。パルジファルを歌うクリストファー・ヴェントリス、クンドリのペトラ・ラングともに熱演。二人ともちょっと不安定なところを感じないでもないが、声は伸びているし、現在、これ以上の声を聞かせる人はそれほど多くないだろう。とりわけ、ラングの第二幕の不気味さはとても説得力がある。グルネマンツはファルク・シュトルックマン。久しぶりに見る顔だが、声の輝きは失っているものの老人らしい渋みがあってとてもいい。  ミハイル・ペトレンコの中性的で異様なクリングゾル(私の知る限り、ペトレンコはかなり荒々しくて男性的なので、これは演出によるものだろう)、むしろキリストを思わせるアレハンドロ・マルコ=ブールメスターのアンフォルタスは、ちょっと声楽的には弱さを感じたが、不満に思うほどではなかった。

 ピエール・オーディの演出は、赤や青のライト、いびつに映る鏡、異教的な衣装を使って幻想性を高めている。ティトゥレルやアンフォルタスらのキリスト教社会も、またそれに対立するクリングゾルの側の社会もともに狂信的で偏狭でいびつだ。それをパルジファルが救済する。そのようなメッセージに見える。

とてもおもろしろかった。ただ、私としては名演として感動するには至らなかった。

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東京二期会「ばらの騎士」(7月29日)、素晴らしかった!!

 2017729日、東京文化会館で、東京二期会公演「ばらの騎士」をみた。一昨日(727日)に別キャストで見たばかりなので、二度目ということになる。素晴らしかった。一昨日よりもずっと良かった。

 私はとりわけ元帥夫人の林正子とオクタヴィアンの小林由佳に圧倒された。世界のトップレベルに決して引けを取らないと思う。林さんの声はヴィブラートの少ない澄んだ声。小林さんも音程のよい強い声。二人の掛け合いの部分は心が痺れた。オックス男爵の妻屋秀和とゾフィーの幸田浩子ももちろん素晴らしい。そして、二人とも演技も見事。とりわけ妻屋のオックスは、下品で滑稽なところを実にうまく描いている。ファーニナルの加賀清孝も張りのある見事な声だった。そして、私はアンニーナを歌った石井藍の深い声にとても魅力を感じた。これだけの歌手がそろえば、素晴らしい舞台になるにきまっている。東京二期会は世界最高の劇場に劣らない実力を持っていることを示してくれた。これほどのレベルの上演を一体世界のいくつの劇場ができるだろう。

 一昨日は不満に感じたヴァイグレの指揮と読売日本交響楽団もとてもよかった。ヴァイグレはしばしばオケを煽り、音楽に勢いをつけようとする。一昨日はそれが不自然で不発であるように感じたのだが、今日はオケがしっかり対応して見事な音を作りだしているのを感じた。第三幕は圧巻だった。オケが違って聞こえたのは、もしかしたら席の違いなのかもしれない。実は前回はちょっとお金を節約して3階で見た。今回は1階前方。音がまとまって聞こえた。

 第三幕はとりわけ絶品。三重唱の三人の声が見事に溶け合っていた。オーケストラも声をしっかりと支え、精妙なアンサンブルを聴かせてくれた。

 演出については、私はやはり中途半端だと考える。DVDでみたグラインドボーンの上演では、もっとグラン・ギニョールを意識した演出だったと思う。だからこそ、あのような衣装だった。東京公演では人形らしさ、グラン・ギニョールらしさはない。だから、元帥夫人の衣装があまりに不自然。結局、ふつうの演出になってしまっている。東京の観客を考えて少々手加減したのだと思うが、かえすがえすも残念。

 もう一つ感じたのは、観客のマナーがあまりよくないこと。何か理由があったのだろうか。私の左前の男女は上演中も身体を寄せ合って時折おしゃべりしていたし、前に座っていた高齢の女性はハンドバッグを何度もガサガサさせていた。右前の人はしばしば居眠り。左隣の二人組(きっと母と娘)は上演中に何度かお茶を飲み、右隣の人は大きく舟をこいで居眠り。その右隣の人はしばしば扇子でバタバタ。後ろの人は配布されたパンフレットの入ったビニール袋をいじっているために上演中もカサカサ音を立てていた(この人には幕間に袋を下に置くようにお願いした。問題なく理解していただいた)。「ばらの騎士」がポピュラーな演目になって、ふだんオペラに足を運ばない人も来ているということなのだろうか。それならそれで、めでたいことではあるが。

 ともあれ、演奏については最高だと思った。このところの東京二期会公演のレベルの高さに驚く。これからが楽しみだ。

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二期会公演「ばらの騎士」はグラインドボーンの演出とかなり異なっていた

2017727日、東京文化会館で二期会公演「ばらの騎士」をみた。

今回のリチャード・ジョーンズによる演出は、グラインドボーンで上演されたもの。私はグラインドボーン音楽祭のDVDを見て衝撃を受け、このブログに感想を書いた覚えがある。DVDでみた演出は、表現主義的で、しかも、それ以上にグラン・ギニョール的だった。つまり、どぎつく煽情的で挑戦的な演出だった。グラン・ギニョールというのは、19世紀末から20世紀前半にパリのグラン・ギニョール劇場で演じられたたぐいの見世物劇を言う。もともとはギニョール(人間芝居)だった。ここで上演された、血なまぐさく不気味な見世物をグラン・ギニョール風という。とりわけ第三幕はまさしく不気味な人形劇の世界が展開され、マルシャリンらの登場人物も人形劇風の動きをしていた。

ところが、今回見た二期会公演では、そのような様子はなかった。第二幕の初めのゾフィーが人形のような動きをしただけだった。むしろ、かなりまともな、つまりはあまり刺激のない演出だった。グラン・ギニョール的な激しい表現がみられると期待していたので、少々残念だった。グラン・ギニョールの伝統のない日本にそのような演出をしても好まれないという判断を演出家がしたのかもしれない。

歌手についてはとても高レベルだと思った。とりわけ、私はオクタヴィアンの澤村翔子に惹かれた。あまり男っぽい演技はしていなかった(演出家に従ったのだろう)が、芯の強いきれいな、そしてよくとおる声。元帥夫人を歌う森谷真理も、容姿を含めて満足のいくものだった。ゾフィーの山口清子もとてもきれいな声で好感を持った。「ばらの騎士」の三人の女性の役を日本人がこれほどのレベルで歌えるようになったことにある種の感慨を覚えた。そのほか、オックス男爵の大塚博章、ファーニナルの清水勇磨もとても健闘していた。マリアンネの岩下晶子、ヴァルツァッキの 升島唯博、アンニーナの増田弥生もとてもよかった。

ただ、実は私が少々不満を感じたのは、セバスティアン・ヴァイグレ指揮による読売日本交響楽団だった。ヴァイグレと読響がよくないはずがないので、きっとリハーサル不足なのだろう。精妙でもなく、かといってダイナミックでもなく、ちょっとバタバタした感じで、私にはどのような音楽を作ろうとしているのか良くわからなかった。びしっと決まらないまま最後の三重唱と愛の二重唱になった。もちろん、第三幕の後半はとても美しい音楽だったが、もっともっと感動させてもらえるつもりだった。ちょっと残念。

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