音楽

トリオ・アコードのベートーヴェン ピアノ三重奏曲全曲演奏 真摯な音楽!

 20203192021日、3日連続で、東京・春・音楽祭のトリオ・アコードによるベートーヴェンのピアノ三重奏曲の全曲演奏を聴いた。トリオ・アコードは、白井圭(Vn)、門脇大樹(Vc)、津田裕也(Pf)の注目されている若手演奏家の結成したグループだ。場所は旧東京音楽学校奏楽堂。

 新型コロナウイルスの影響で多くのコンサートが公演中止になっている。私自身もこれまでひと月ほどコンサートには足を向けなかった。が、さすがに我慢できなくなって、3日間、足を運んだ。

 19日はピアノ三重奏曲第1番と第5番「幽霊」を中心に演奏された。新型コロナウイルスの影響か、客はまばら。客席の5分の一も入っていなかったと思う。演奏も十分にリハーサルを行っていないようで、ただ合わせているだけの感じだった。私は少々不満を抱いた。

 20日は、ピアノ三重奏曲第2番、4番「街の歌」、「仕立てやカカドゥの主題による変奏曲とロンド」、ピアノ三重奏曲第6番だった。客は19日の2倍以上入っていたと思う。会場の半分近く埋まっているように見えた。演奏についても、やっと本領発揮だと思った。

 スケールの大きな演奏ではない。あざとさのない、きわめて誠実な音楽。「ここを強調したら、音楽が決まるのに!」と素人が考えるような箇所がたくさんあるのだが、そんな小細工はしない。誇張せずに、真摯に音楽に向かっていく。そうして集中力あふれた音楽を作り出す。だんだんとそのような音楽が作り出されるようになった。

 後半の第6番は素晴らしいと思った。ただ、それでも、私としてはちょっと合わせることに気を使いすぎているような気がしてならない。それぞれの演奏者がもっと自由であってくれないと、音楽がおもしろくならない。律儀でまじめで、少しもはみだしがなく、各人の表現がない。とりわけ、ピアノに自己主張がまったく感じられなかった。

 そして、21日。8割から9割くらい席が埋まっていた。19日、20日に比べるとかなりの客の入りだ。演奏も日に日によくなっていくのを感じた。

 前半にピアノ三重奏曲第10番と、第3番、そして後半に第7番「大公」。

 第3番がまずとても良かった。はったりのない真摯な音楽。若きベートーヴェンの、しかし十分に後年のベートーヴェンを思わせる深く重みのある音楽を、気負いもなく自然にのびのびときかせてくれる。前日に感じた不自由さも感じず、各自が自分らしく自然に弾いているのを感じた。やっと三人の息が合い、「合わせているだけ」という雰囲気ではなくなった。「大公」も素晴らしかった。だが、演奏の印象は前日と変わらない。真摯で誠実な音楽だと思う。無理にドラマティックにしないし、あざとくもしない。むしろ自然体で明確な音によって緊密な音楽を作っていくタイプだと思う。「大公」では見事にそれが実現されていた。

 これからしばらく、新型コロナウイルスのため、外国人演奏家の来日公演はほとんど期待できない。大変残念だが、やむを得ない。私としては、十分に感染に用心しながら、これからコンサートを楽しみたいと思っている。ああ、それにしてもやはりなまの音楽は素晴らしいと改めて思った。

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オペラ映像「死の家より」「アフリカの女」「アンジュのマルガリータ」「火刑台上のジャンヌ・ダルク」「ラ・ドンナ・セルペンテ」

 新型コロナウイルス警戒中の戒厳令下ともいえるような状況の中、行く予定だったオペラやコンサートも中止になり、仕事の打ち合わせもキャンセルされて、仕事場に週に2度ほど出かける以外は自宅で仕事をしたり、音楽を聴いたりしている。政府のウイルス対策の甘さに呆れ、突然の休校要請にも驚き、あれこれ言いたいことはあるが、ともあれ、政府の対応が間違いなかったと示してくれることを祈るしかない。

 この間にみたオペラ映像について簡単な感想を記す。

 

ヤナーチェク 「死の家から」2018年 ミュンヘン、バイエルン国立歌劇場

 ヤナーチェクは大好きな作曲家なのだが、この映像については噴飯ものというしかない。私の最も嫌いなタイプの演奏と演出だ。

 指揮はシモーネ・ヤング。穏やかで鋭さのないヤナーチェク。私はヤナーチェクの、心の奥底を抉り出し、人間の宿命を呪いたくなるような生の音が好きなのだが、それがまったくない。気の抜けたヤナーチェク。これでは、ヤナーチェクの良さが少しも感じられない。ドストエフスキー原作の、シベリアに流刑になった囚人たちの絶望と呪いと憎しみと生への執着とはかない憧れがまったくない。ヤングは好きな指揮者なのだが、この柔和さはいただけない。

 演出は悪趣味この上ない。舞台上に撮影隊がいて、登場人物たちを舞台中央に据えられた大画面に大写しにする。そこで登場人物が何やらパントマイムをして本来のオペラとは異なる小芝居がなされる。無声映画のように大げさな動きで口をパクパク言わせ、何かを語り、それが字幕で示される。しかも、その小芝居やせりふはほとんど意味不明。

 そして、少年犯罪者であるはずのアリイエイヤを美形のエフゲニア・ソトニコワが美しい鳥の扮装で登場。このオペラでは、鳥が自由に象徴として登場するが、その鳥の役をアリイエイヤがいわば二役で演じているわけだ。しかし、そんなことをするとこの悲惨な囚人たちの死の家がまったく違ったものになってしまう。

 もとのオペラとはまったく無関係な自己主張を行う演出家の自己満足のおふざけでだただにぎやかなだけ舞台と、腑抜けた音楽によるオペラに仕上がってしまっていた、

 期待していただけに大変残念。

 

マイアベーア 「アフリカの女」1988年 サンフランシスコ歌劇場

 先日に続いて、マイアベーアのオペラ映像を見た。かなり古い映像だが、まさに伝説的名演といってよいだろう。マイアベーアのオペラそのものもなかなかおもしろい。ヴァスコ・ダ・ガマと二人の女性をめぐる物語。マイアベーアがユダヤ人だったせいか、虐げられ、差別されているアフリカ女への共感が音楽にも表れている。

 ヴァスコ・ダ・ガマを歌うのはプラシド・ドミンゴ。さすがというか、輝かしい声が素晴らしい。ただ、ちょっと訛りの強いフランス語といった感じ。だが、そうであるがゆえに、このような輝かしくも強さのある声が出せるのだろう。それ以上に、ヴァスコを愛するアフリカ女セリカを演じるシャーリー・ヴァーレットが素晴らしい。ドミンゴにまったく引けを取らず、芯の強い、しかも魅力的なセリカを歌っている。イネスを歌うルース・アン・スウェンソンも清楚で美しくて可愛らしい。この歌手、これまで注目したことがなかったが、とてもいい歌手だ。ネルスコのフスティーノ・ディアスも怒りを心の奥に秘めた男を見事に演じている。

 マウリツィオ・アレーナの指揮もドラマティックでとてもいい。ルトフィ・マンソーリの演出も、極めて古典的ながら、わかりやすくていい。

 

マイアベーア 「アンジュのマルガリータ」2017年 マルティナ・フランカ、第43回イトリアの谷音楽祭

 まるでロッシーかドニゼッティのオペラのよう。とりわけ、ガウマッティはフィガロのような役割を果たし、アジリータを駆使したアリアもある。マイアベーアがロッシーニの後を継ぐ作曲家だったことを思い出した。

 オーケストラは、イタリア国際管弦楽団。音楽祭のための臨時編成のオーケストラなのだろう。最初のうち、情けない音を出す場面があるが、だんだんとしっかりした音が出るようになる。ファビオ・ルイージの指揮のおかげなのか、引き締まっていながらも色彩的な音楽になっている。

 ばら戦争が舞台だが、アレッサンドロ・タレヴィの演出は現代に移し替えられている。しかし、それほど違和感はない。

 マルガリータを歌うジュリア・デ・ブラシスが自在な演技と歌でとてもいい。あけっぴろげな権力者の未亡人を見事に歌いだしている。夫をマルガリータに奪われたイサウラ役のガイア・ペトローネも見事。男に変装して裏切った夫に近づき、最後には夫の元に戻るという複雑な役を自然に演じている。メゾ・ソプラノの声も歌もしっかりしている。ガマウッテのマルコ・フィリッポ・ロマーノも声が安定し、芸達者。とてもいい歌手だ。ただ、ラヴァレンヌ公を歌うアントン・ロシツキーは、きれいな高音を出すが、声のコントロールが粗い。ちょっと残念。

 とはいえ、全体的に歌手陣は充実しており、とても楽しめた。

 

オネゲル オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」2012年 バルセロナ、サラ・パウ・カザルス

 この曲は何度かCDで聴いたり、映像で見たりしたことがあったが、おもしろいと思ったことがなかった。私はかつてクローデルをフランス語で何冊か読んだ(翻訳もした)が、そのあまりの難解さに頭を抱えたものだ。この台本もわかりにくい。しかも、音楽もとらえどころがない。そう思っていた。

 が、今回聴いてみて、初めて感動した。演奏会形式なので、歌手たちは演技するわけでもなく、それらしい服装をしているわけでもない。もちろん舞台装置もない。だが、ジャンヌを歌うマリオン・コティヤールがとてもいい。清楚で美しい声。完全にジャンヌに見えてくる。コティヤールが何度か涙を流す。まさにそれはジャンヌの涙だ。無理解な周囲に悲しみを抱きつつ、神の世界に入ろうとして火刑になる。生きながら焼かれることで神に近づく。抽象化されたクローデルの台本に、緻密で繊細で知的で、しかも情熱的な音楽が付されていることに初めて気が付いた。

 ドミニク神父を歌うグザヴィエ・ギャレも誠実な歌で見事。そのほかの歌手たちもいいし、いくつかの混声合唱団らしいが、合唱もいい。マルク・スーストロの指揮を初めて聴いたが、真摯で静かに盛り上がる。

 一度だけでなく、これから何度か聴いて、もう少し深く理解したいと思った。

 

カゼッラ 「ラ・ドンナ・セルペンテ」 2016年 トリノ、レッジョ劇場

 カゼッラは1883年に生まれたイタリアの作曲家。このオペラは1932年の作曲だという。もちろん、初めてこのオペラを知った。「ラ・ドンナ・セルペンテ」を日本語に訳すと、「蛇女」。とてもおもしろかった。

 ストーリー的には、ドヴォルザークの「ルサルカ」に似ている。人間世界のアルティドール王に恋をした妖精ミランダが、永遠の愛を条件に人間になろうとするが、王は試練に耐えきれずミランダを呪ってしまう。そのため、罰としてミランダは蛇の姿に変えられるが、最後には愛の力が勝ってミランダは人間になる。そのような物語がコミカルでモダニズム風の音楽によって展開される。音楽的には、プロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」を思わせる。抒情性はなく、からりとしてちょっとハチャメチャ。それがなかなかおもしろい。

 ミランダを歌うカルメラ・レミージョがとてもいい。ちょっと色気があって、しかも十分に清楚。アルティドール王のピエロ・プラッティは、外見はこの役にぴったりだが、声は少し不安定。そのほかの歌手たちはかなりレベルが高い。

 アルトゥーロ・チリッロの演出はとても楽しい。道化芝居風の衣装やら妖精たちの衣装など、色とりどり。バレーが多用され、帽子や仮面を身に着けた妖精たちの踊りも楽しい。色鮮やかな舞台の上で様々な登場人物が動きまわって、ファンタジックな世界が繰り広げられる。指揮はジャナンドレア・ノセダ。ダイナミックでリズミカル。とてもいい演奏だ。

 初めて知る作曲家の初めてみるオペラだったが、とても楽しめた。

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マイアベーアのオペラ映像「ユグノー教徒」「悪魔のロベール」

 テレビでニュースを見るごとに、新型コロナウイルス感染者の数が増えている。実は、報道されているよりはずっと多くの感染者がいて、すでに危機的状況になっているのではないかと恐怖を覚える。私の周囲には妊婦がいて、90歳を過ぎた高齢者がいる。間違っても、私が媒介になって病気をうつすわけにはいかない。

 そんなわけで、予定していたコンサートにも映画にもいかず、できるだけ自宅で過ごしている。だいぶ前に購入してみないままになっていたマイアベーアのオペラ映像を取り出してみはじめた。

 マイアベーアには、もちろんあまりなじみはない。アリア集などで数曲知っている程度。オペラ全曲のCDは何枚か持っているが、最後まで聴いたという自信がない。実演には一度も接したことがない。ものの本には、きまって「マイアベーアは熱狂的人気を博したが、芸術的価値がない」と書かれていた。ともあれ、自分の耳で確かめてみようと思って見始めたのだったが、これがなかなかおもしろい。簡単な感想を記す。

 

マイアベーア 「ユグノー教徒」(ドイツ語版)1991年 ベルリン・ドイツ・オペラ

 この映像をみるのは初めてのつもりだったが、途中から既視感(既聴感!)を覚えた。とりわけ、マルセルの不安定な声を聴くうち、これとそっくりのマルセルを聴いた気がしてきた。たぶん、昔LDで発売されていたのと同じ映像だろう。

 この映像はかなりカットされているようだが、ストーリーはありきたりとはいえ、聖バルテルミーの戦いを題材にとって、とても現代的だし、魅力的な旋律も多い。

 ジョン・デューの演出は、現代の宗教的不寛容と重ね合わせられるようになっている。登場人物は現代の服を着ている。イスラエルとパレスチナの壁を思わせる。

 ラウルのリチャード・リーチ、マルグリット王妃のアンジェラ・デニング、ヴァランティーヌのルーシー・ピーコックは、突出はしていないが、しっかりとしたアンサンブルで歌って、とてもいい。ウルバンのカミュ・カパッソは少し弱い。もう少し、声の輝きが欲しい。マルセルを歌うマルティン・ブラシウスが不調なのか、あまりに不安定。

 ステファン・ゾルテスの指揮については、このオペラになじんでいない私としては何もコメントすることはない。特に不満は感じなかった。ただ、ぐいぐい引き込まれることもない。

 なお、私の購入したDVDは、時々画像が乱れ、1時間8分のころから10数分、視聴できなかった。別のプレーヤーで試してみたが、そこでも同じ結果だった。数年前に購入してみないままでいたので、今更交換してもらうことはできないと思うが、少々残念。

 

マイアベーア 「ユグノー教徒」(仏語) 1990年 シドニー・オペラ・ハウス

 以前、サザーランドの6枚組DVDを購入したものの、画質・音質ともにあまりよくなく、字幕も英語しかついておらず(私は、日本語字幕がない時にはフランス語字幕でみる。英語字幕はかなり苦手)、しかもなぜか画面が横に広がって見える(つまり、実際以上に歌手たちが太目に見える!)ので、そのままみないでいたのだが、「ユグノー教徒」が含まれているのを思い出して、引っ張り出してかけてみた。ベルリン・ドイツ・オペラのものよりは、こちらのほうがずっとドラマティックでよかった。

 マルグリットをサザーランドが歌っている。最盛期を過ぎており、声のコントロールが十分ではないが、高音の美しさは圧倒的。世界のプリマの声の威力は格別だ。そのほかの歌手たちはずぬけた人はいないが皆がそろっている。ヴァランティーヌのアマンダ・セインは可憐、ラウルのアンソン・オースティンは実直な雰囲気でなかなかいい。そしてそれにも増して、ヌヴェール伯爵のジョン・プリングル、サン・ブリ伯爵のジョン・ヴェーグナー、マルセルのクリフォード・グラント、ウルバンのスザンヌ・ジョンストンの四人がしっかり脇を固めて、堅固な世界を作り出している。

 リチャード・ボニングの名前は、サザーランドの夫として認識していたが、改めて聴くと、とてもいい指揮者だと思う。ドラマティックで躍動感があり、ぐいぐいとドラマを進めていく。ロトフィ・マンスリの演出も、豪華で、いかにもグランド・オペラ。ヴァランティーヌの動きなど、まさに可憐でか弱い女性の動きとして、1980年代によく見かけたものだった。それはそれでなかなか説得力がある。とても楽しめた。

 

マイアベーア 「悪魔のロベール」 2012年 ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 これをみると、マイアベーアが大作曲家だと納得する。もちろん、ワーグナーとは比べるべくもないが、フランス・グランド・オペラの魅力が存分に味わえる。ぞくぞくするような蠱惑的な音楽、ドラマティックな音楽が全体を貫き、ストーリーもおもしろい。悪魔ベルトランも魅力たっぷり。

 上演も素晴らしい。私はとりわけベルトランを歌うジョン・レリエに驚嘆した。豊かな声量で、凄味がある。ロベールのブライアン・イーメルは芯の強い美声で、二つの心の間で揺れ動く姿をリアルに歌う。イザベルのパトリツィア・チオーフィはさすがの歌唱。大写しになると恋する乙女に見えないのが残念だが、致し方ないだろう。アリスのマリーナ・ポプラフスカヤは可憐な声でとてもいい。ランボーのジャン=フランソワ・ボラも純朴な青年らしくて好感が持てる。フランス語の発音も私にわかる限りとても正確で美しい。

 ダニエル・オーレンの指揮も、観客をドラマの世界に巻き込んで、見事。修道女たちのバレーも場面など、蠱惑的で不気味。こんなにいい指揮者だったとは。

 そして、何よりもロラン・ペリの演出に圧倒される。舞台全体に動きがあり、それがまったく無駄がなく、しかも邪魔ではない。そうして、わかりやすく舞台が進行する。修道女たちの踊りも出色。マイアベーアってすごい作曲家ではないか!

 

・サザーランド・パヴァロッティ・ボニング コンサート 1983年 シドニー・オペラ・ハウス

 サザーランドの6枚組DVDのなかに、1983年のシドニー・オペラ・ハウスでのガラ・コンサートが含まれていたので、聴いてみた。イタリア・オペラ、フランス・オペラのアリアや二重唱が含まれている。まさしく圧巻。サザーランドはトマの「ハムレット」の有名なアリアあたりから全開になっていく。「ルチア」の二重唱も素晴らしい。そして、それ以上にパヴァロッティがすごい。「衣装を着けろ」や「人知れぬ涙」は言葉をなくす。パヴァロッティの濁りのない軽やかな声を聴くと、まさに稀代のテノールだったと痛感する。

 

 それにしても、早く新型コロナウイルスが終息してほしい。大ごとにならないでほしい。政府の対応に期待したい。

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オペラ映像「トリスタンとイゾルデ」「ルサルカ」「見棄てられたディドーネ」「追い出された亭主」

 新型コロナウイルスが騒ぎになっており(中国の友人は大勢いるので他人ごとではない。日本国内で実はすでに蔓延しているのではないかと心配だ!)、ミレッラ・フレーニ(彼女が活躍していたころ、私はイタリアオペラをほとんどみなかったので、実演には接していないが、その後、CDなどで聴いてその声に驚嘆した)と野村克也氏(一度だけ、紹介されて言葉を交わしたことがある)が亡くなったことが報道されて、心がざわついている。

 何本かオペラ映像をみたので、簡単な感想を記す。

 

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 2016年 ローマ歌劇場

 不思議な演奏だと思った。ダニエーレ・ガッティがイタリアのオーケストラを振るとこのような音になるということなのだろう。ドイツ系のオーケストラの音とかなり異なる。重心が少し上のほうにある感じがする。じっくり、しっとり、厳かというのではなく、官能的で生命的で蠱惑的。まるで万華鏡で美しい音響を見ている(聴いている)かのよう。そういう意味では素晴らしい。うっとりし、時にぞくぞくするほどに感動し、時に躁状態になる。もちろん私は純ドイツ的なワーグナーのほうが好きだが、これはこれで素晴らしいと思う。

 歌手陣も充実している。トリスタンのアンドレアス・シャーガーはのびやかな声で歌いきる。今や随一のヘルデンテノールだろう。イゾルデのレイチェル・ニコルズは、私の好みからすると少し線が細いが、とてもしなやかで魅力的な声だ。クルヴェナールのブレット・ポレガート、ブランゲーネのミシェル・ブリートもしっかりとした声。そして、圧倒的に豊かな声を聞かせてくれるのがマルケ王のジョン・レリエ。ものすごい声の持ち主だ。まだ若いと思うが、これからが楽しみ。

 演出はピエール・オーディ。メロートが杖をついて、まるで障碍があるかのように、ひざを曲げて歩いたり、ブランゲーネも第三幕で殺されるなど、意図のよくわからない読み替えはあるが、さほど突飛ではない。夜へのあこがれと昼への憎悪を遮光の衝立を用いて描き出す。最後、イゾルデ自身は暗く見える逆光の中で「愛の死」を歌う。これぞ光と闇の二項対立の解消だ!と思ったのだったが、私の考えすぎだろうか。

 あまりドイツっぽくない「トリスタンとイゾルデ」だが、魂を震わせる名演であることはまちがいない。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」2015年 ポーランド、ブィドゴシュチュ、オペラ・ノヴァ

 私はふだん、旧式のアンプを通してテレビとスピーカー(それほど高級なものではないが、1本数十万円はした記憶がある)につないでオペラを楽しんでいるが、なぜかこのBDはスピーカーから音が出ない。仕方なしに、テレビ受像機で音を聞いた。そのせいかもしれない、音が薄っぺらで、まるでミュージカルのように聞こえる。

 歌手全員がきれいな声で歌う。だが、あまりにあっさりと歌うので、感銘を受けない。マチエイ・フィガスの指揮するブィドゴシュチュ・オペラ・ノヴァ管弦楽団も、さくさくと進んでいく。まさにミュージカル。しかも、ルサルカのマグダレーナ・ポルコフスカは映画女優のように美しく、魔女のダリナ・ガピッツも魅力的。王子役のタデウシュ・シュレンキェルも好感の持てる容姿。

 演出もミュージカル風。市内の橋の下で物語は展開される。非日常の形而上学的な世界ではなく、まさに日常的な風景の中のおとぎ話となっている。

 これはこれで親しみやすくて楽しいと思うが、私の趣味ではなかった。ただ、繰り返しておくが、もしかすると、いつも聴いているスピーカーを通して聴いていれば、印象は違ったかもしれない。

 

メルカダンテ 「見棄てられたディドーネ」2018年 インスブルック、チロル州立劇場

 メルカダンテのオペラをみるのは2本目だ。昨年「フランチェスカ・ダ・リミニ」の藤原歌劇団公演をみた。この「見棄てられたディドーネ」のほうがおもしろいと思った。

 要するに、ディドとエネアスの物語。ドラマティックで親しみやすいメロディもふんだんにある。とてもいいオペラだと思う。ただ、「フランチェスカ・ダ・リミニ」をみた時も思ったが、台本に緊迫感がなく、ドラマティックに盛り上がらない。並列的に物語が継起していく印象を抱いてしまう。台本さえもっとよくできていれば、きっともっと魅力あるオペラになっているだろうにと残念に思う。

 突出した歌手はいないが、全員の歌のレベルがそろい、視覚的にも満足できる舞台を作り上げている。

 それにしても、この上演の女性陣の容姿の美しさに驚嘆する。ディドーネのヴィクトリア・ミシュクーナイテは絶世の美女といってもいいほど。歌もみごとだが、誇り高い女性を見事に演じる。セレーネのエミリ・ルナールも美しい。エネアスを歌うのは女性のカトリン・ヴントサムだが、この人も整った顔立ち。オペラというのは視覚芸術でもあるので、やはり美男美女が演じるのは大事なことだ。敵役のジャルバを歌うカルロ・ヴィンチェンツォ・アッレマーノも存在感のある歌と演技。

 これはこれでとてもありがたいことだが、オペラまでもがこれほど容姿が重視されるようになってしまったら、容姿の良くない人間の居場所はどこにあるのだろうかと、容姿に自信のない人間の一人として暗い気持にもなる。

 アレッサンドロ・デ・マルキの指揮するアカデミア・モンティス・レガリス管弦楽団は独特の雰囲気を作り出している。ドラマティックでありながら、古風でひなびており、音楽にリアリティを感じる。

 演出はユルゲン・フリム。登場人物は19世紀の服を着ているが、特に違和感はない。平板な台本をドラマティックにする工夫をしているのが見える。先日みた「フランチェスカ・ダ・リミニ」よりも楽しめたのにはこの演出のおかげもあるのかもしれない。

 

オッフェンバック オペレッタ「追い出された亭主」(ルカ・G・ロージによる管弦楽版)

2019年 フィレンツェ、テアトロ・デル・マッジョ・ムジカーレ・フィオレンティーノ

 45分に満たないオペレッタ。オッフェンバックのオペレッタ好きとしては、このような映像が発売されたとなれば、みないわけにはいかない。

 女性が二人でいた部屋の煙突から若い男性が転がり落ちてきたために起こるドタバタを描く。亭主は、妻の部屋に男がいるらしいと気づくが、中に入れもらえない。最後はめでたしめでたしになる。

「追い出された亭主」という邦題になっているが、「un mari  à la porte」というフランス語題名なので、むしろ「扉で立ち尽くす亭主」という意味にとらえるべきだろう。

 アンリ・マルテル役のパトリーツィオ・ラ・プラーカ、シュザンヌ役のマリーナ・オッジ、ロジータ役のフランチェスカ・ベニテス、フロレスタン・デュクロケ役のマッテオ・メッツァーロともにとても芸達者で歌も安定している。ヴァレリオ・ガッリ指揮のフィレンツェ五月祭管弦楽団も不足はない。ルイージ・ディ・ガンジとウーゴ・ジャコマッツィによる演出も、十分に分かりやすく、楽しく作られている。

 ただ、とてもおもしろいかというと、それほどでもなかった。私はオッフェンバックのオペレッタが大好きなのだが、ストーリー的にも音楽的にも、このオペレッタ自体、あまり面白みがわからなかった。オッフェンバックにはもっとたくさん楽しいオペレッタがある。是非とも映像化してほしいものだ。

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ピノック&紀尾井のレクイエム 端正で深みのある演奏

 202029日、紀尾井ホールでトレヴァー・ピノック指揮、紀尾井ホール室内管弦楽団の演奏を聴いた。曲目は、前半にモーツァルトの交響曲第40番と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、後半に「レクイエム」(ジュスマイヤー補訂版)。

 ピノックの実演を聴いたのは初めて。ハイドンの交響曲のCDはかつて何度か聴いて、とてもいい指揮者だと思っていたが、実演を聴いて、まさにその通りの印象を抱いた。テンポをいじったり、どこかのパートに思い入れをしたりしない。端正で高貴でまとまりの良い正統派の演奏。しかし、さっそうとしており、音楽が深く流れていく。ただ、ちょっと当たり前すぎる気がするが、聴いているうちに納得していく。紀尾井ホール室内管弦楽団は現代楽器を使ったオーケストラだが、古楽的な奏法を取り入れているのだろう、古楽の響きがする。

 とりわけ、レクイエムはよかった。無理やり厳かさを際立たせるわけではない。音楽がおのずと語るように演奏していく。そうであるがゆえに、しみじみと深い音楽があふれてくる。

 ソリストは大いに健闘していると思う。望月万里亜やボーイソプラノのような清純な声でとても魅力的だし、アルトの青木洋也は特有のきれいな音色、テノールの中島克彦もバスの山本悠尋もしっかりした声。紀伊おいホール合唱団も見事だと思った。

 ただ、心の底から感動したかというと、実はそうでもなかった。オーケストラとソロについては、ピノックの理想通りに行っていないのではないかと思う部分が時々あった。健闘はしているが、ぴたりと決まって魂が震える…という場面は、私にはなかった。きっとあと少しの精度が不足したのではないかと思う。

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新国立劇場「セビリアの理髪師」を楽しんだ

 20202月8日、新国立劇場で「セビリアの理髪師」をみた。とても楽しめた。

 歌手陣は突出した人はいないが、全体的に充実している。もっともよかったのは、フィガロのフローリアン・センペイだろう。声量も豊かで、たくましくて元気なフィガロを見事に演じている。ロジーナの脇園彩もそれにまったく引けを取らない。堂々たる歌いっぷり。声も強く、躍動感もある。アルマヴィーヴァ伯爵のルネ・バルベラはきれいな声だが、初めのうち抑え気味で物足りなかった。徐々に声が出るようになった。バルトロのパオロ・ボルドーニャもはじめのうちは弱さを感じたが、徐々に芸達者さを際立たせていった。ドン・バジリオのマルコ・スポッティは、時々声がかすれたのが気になったが、スケールの大きなこの役らしい歌いっぷり。ベルタの加納悦子は独特の味を出して、とてもよかった。

 ただ実を言うと、アントネッロ・アッレマンディの指揮には少し不満を覚えた。とても丁寧で抒情的な指揮ぶりだと思った。オーケストラもしっかりと演奏。きれいな音を出していた。アルマヴィーヴァ伯爵のアリアなどとても美しい。しかし、歌と歌が並列的に演奏されるだけで、盛り上がっていかない。ロッシーニらしい躍動感がなく、そもそもテンポが遅め。やはり、ロッシーニはクレシェンドをきかせて、躍動させてほしい。

 演出はヨーゼフ・E.ケップリンガー。フランコ独裁時代のスペインを舞台にしているのだろうか。1960年前後の雰囲気の舞台(ただ、音楽教師や神学生はもっと古い時代の服装だと思う。複数の時代が入り混じっているのかもしれない)。娼家がバルトロの家の目の前にあって娼婦たちが舞台上を動きまわる。そして、何とベルタはその娼家の支配人でもあるようだ。独裁時代を強く生きようとしたフィガロやロジーナやベルタや娼婦たちをたたえているともいえそうだ。

 ただ、そのような舞台にしたために、全体的に少々下品になっているのを感じざるを得ない。育ちの良いロジーナが箱入り娘として半ば監禁され、そこから抜け出そうとしているというテーマが薄れている。そもそも、ロジーナは強い女であって、あちこち自由に動き回る。

 細かいところでは不満に思うところ、疑問に思うところもあったが、全体的には大いに満足。やはり、このオペラはおもしろい。高校生がたくさん来ていたが、喜んでくれたのだったら、オペラファンの一人としてとてもうれしい。

 

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ネマニャのハチャトゥリアン 研ぎ澄まされた音による躍動の音楽

 202021日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団土曜マチネーシリーズを聴いた。指揮は山田和樹、曲目は、前半にマーラーの「花の章」と、ネマニャ・ラドゥロヴィチが加わってハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲。後半に「巨人」(ただし、私は後半は聴かなかった)。

 私はマーラー嫌いだ。よって、「花の章」(当初、「巨人」に加わるはずだった楽章だとのこと)を聴いても、いったい何のことやら?としか思えない。他愛のないだらしのないメロディがトランペットで演奏され、妙に思い入れたっぷりの音が続いて、なんだかわからない展開をなされる…としか私には思えないのだが、これに感動する人がいるのだろうか。

 その後のハチャトゥリアンは、なかなか面白かった。私はネマニャ・ラドゥロヴィチのファンだ。細身で透明で研ぎ澄まされたヴァイオリンの音。切れの良い刻みによってスケールの大きな音楽が躍動する。まさに鮮烈。クラリネットとの掛け合いがある。まさにオーケストラとの間で対話がなされ、観客との間でも対話がなされる。

 ただ、実をいうと、私はハチャトゥリアンの音楽にそれほどなじんでいない。このヴァイオリン協奏曲も、数えるほどしか聴いたことがない。そして、聴くたびに、不完全燃焼を覚える。音楽が私の心の上を通り抜けていく。私の心の奥を揺り動かさないし、私の心を爆発させない。三つの楽章が有機的につながっているとは思えない。もしかしたら、第二楽章はアルメニアの音楽にふさわしくもっと悲痛に演奏するべきではないのか、そうすれば全体がもっと有機的に結びつくのではないかなどと考えてみる。山田和樹の指揮については、ともあれ、とても明快でメリハリがあって、しっかりとネマニャのヴァイオリンをサポートしているといえるだろう。

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ドニゼッティ13枚組DVDを楽しんだ

 武漢で発生して世界に広まりつつある新型コロナウイルスのニュースが気になる。私は、日本語学校の校長を務めている(ただし、認可申請中)。その関係もあって、3月以降、何度か中国に足を運ぼうと思っていたが、見通しが立たない状況だ。日本人の健康のためにも、世界の健康のためにも、そして学校の運営のためにも、ウイルスが広まらずに、できるだけ早く終息してくれることを祈るばかりだ。

 そんななか、今年の初めから、時間が空いた時に「ドニゼッティのヒロインたち」というタイトルの13枚組のDVDをみていた。そのうち、初めて見た映像について、簡単な感想を記す。

 数年前まで、イタリア・オペラは、いくつかのロッシーニとヴェルディをのぞいて、一切みたり聴いたりしなかったのだが、少し心を広くしてみると、イタリア・オペラもとてもおもしろい。ワーグナーやシュトラウスほどの芸術性は感じないが、ドニゼッティやベッリーニもとても楽しいし、感動する。

 

「アンナ・ボレーナ」 2006年 ベルガモ

 ほかの歌手たちのほとんどは「なかなかいい」という程度なのだが、アンナ・ボレーナを歌うディミトラ・テオドッシュウが圧倒的に素晴らしい。ファブリツィオ・マリア・カルミナーティの指揮もフランチェスコ・エスポージトの演出も、特にどうということはない。だが、イタリア・オペラは主役一人がずぬけていれば、それだけで十分満足できる面がある。悲劇の王妃の気品と悲しみの伝わる絶唱。

 ところで、ペルシを歌っているのはジャンルカ・パゾリーニという人。私の人生を変えた映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニを思い出した。何か関係があるのだろうか。

 

「ランメルモールのルチア」2006年 ドニゼッティ劇場

「アンナ・ボレーな」とほとんど同じ印象を持った。アントニーノ・フォリアーニの指揮もフランチェスコ・エスポージトの演出もきわめて標準的といえるのではないか。特に大きな感銘は受けなかった。そして、ほかの歌手陣についても、なかなかいいのだが、それ以上ではない。ただ、ルチアを歌うデジレ・ランカトーレだけが素晴らしい。美しくて音程の正確な声。とりわけ高音が素晴らしい。容姿も美しく、ルチアにぴったり。それだけで、狂乱の場はうっとりしてしまう。

 

「ケニルワース城のエリザベッタ」2018年 ベルガモ

 ドニゼッティにこのようなオペラがあること自体知らなかった。エリザベス1世を題材にしたスコット原作のドニゼッティ初期のオペラだとのこと。芸術的な深みはないかもしれないが、オペラとしてもとてもおもしろかった。ストーリーはわかりやすく、しかもそれぞれの登場人物の心情は理解でき、音楽も起伏があり、ドラマティック。

 今回の上演はきわめて高水準で全体的にそろっている。歌手陣が素晴らしい。エリザベッタのジェシカ・プラットは貫禄のある演技と深みのある美しい声。アメーリアのカルメラ・レミージョは線は細いが、とても可憐で、か弱い女性を見事に歌っている。狂乱の場は見事。レスターのサビエル・アンドゥアーガは歌いまわしの清潔な美声、悪役のヴァーニーを歌うステファン・ポップも憎々しくも人間的なこの役をみごとに造形している。

 リッカルド・フリッツァの指揮のドニゼッティ・オペラ管弦楽団については、特に感銘を受けなかったが、このようなオペラではこれだけ歌手陣がそろえば、感動してみていられる。演出はマリア・ピラール・ペレス・アスパ。色彩も鮮やかで、小さな檻でアメーリアの悲しみを浮き彫りにし、鉄格子によってエリザベッタの孤独を強調する。

 ともあれ、とてもおもしろいオペラを知ることができて、満足。

 

「ファヴォリータ」(フランス語版)2018年 フィレンツェ、テアトロ・コムナーレ

 フランス語版なのに、ほとんどの歌手のフランス語の発音があまりにめちゃくちゃ。ほぼ全員が、語尾のeを「エ」と発音して朗々と歌う。これでは、まったくフランス語に聞こえない。いっそのことイタリア語版でやってほしい。なぜ、わざわざフランス語版の上演にしたのか疑問に思う。

 そのなかでレオノールを歌うヴェロニカ・シメオーニだけがフランス語らしく歌う。フェルナンのチェルソ・アルベーロはきれいな声だが、フランス語の発音があまりにひどい。アルフォンス11世のマッティア・オリヴィエリはフランス語の発音はもちろん、声自体あまりに不安定で聴いていられない。なぜこんな歌手を抜擢したのか。

 ファビオ・ルイージの指揮はドラマティックで、きびきびしているのだが、私は全く楽しめなかった。フランス語に無関心だったら、楽しめるのだろうか。

 

「ピグマリオーネ」 2017年、テアトロ・ソチャーレ・ディ・ベルガモ

 初めてこのオペラを知った。40分に満たない短いオペラで、登場人物も二人きり。自分の作った彫像に恋をするピグマリオンの物語だ。

 ピグマリオーネを歌うのはアントニーノ・シラグーザ、ガラテイアは脇園彩。登場人物は二人と書いたが、30分近く、ピグマリオーネがずっと一人で歌い続ける。ほとんどモノオペラといったところ。シラグーザは素晴らしい歌と演技で一人舞台をこなすが、プーランクの「人間の声」やシェーンベルクの「期待」のようには状況の変化や感情の起伏がなく、ただ状況を語り、彫像への思いを語るだけなので、少々退屈だった。彫像ガラテイアが言葉を話し始めてから、やっとおもしろくなった。脇園もとてもしっかりと、しかも不思議な魅力で歌うが、出番が少ないのが残念。

 ジャンルカ・カプアーノ指揮のアッカデミア・スカラ座管弦楽団はとてもいい。ロベルト・カタラーノの演出は、舞台中央に、向こう側が透けて見えるアクリル板(?)を置いて、前方でピグマリオーネが歌い、奥でガラテイアが神秘の彫像として動くというもの。最後にガラテイアが前方に出てきて歌い始める。変化のない演出だが、このオペラではやむを得ないだろう。それなりには魅力的な演出だと思った。

 

「ロベルト・デヴリュー」 2016年 カルロ・フェリーチェ劇場

 エリザベットを歌うマリエッラ・デヴィーアとサラを歌うソニア・ガナッシ、そして、ロベルト・デヴリューのシュテファン・ポップの三人は素晴らしい。伸びのある美声で、音程もよく、演技力も見事。この三人が絡む場面は緊張感にあふれてすばらしい。

 が、ノッティンガム公爵を歌うキム・マンスーは、徐々に声が出てくるようになるものの、ほかの三人に比べるとかなり弱い。また、フランチェスコ・ランツィロッタの指揮するジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ劇場管弦楽団もときどき頼りない音を出す。アルフォンソ・アントニオッツィの演出も工夫のないもので、とりわけ後半にドラマが盛り上がらないのを感じた。

 ただ歌を味わうだけの舞台だと思った。

 

「イングランドのロズモンダ」2016年 ベルガモ、ドニゼッティ歌劇場

 このオペラの存在を初めて知った。この上演は、歌手陣がそろっていて、とても楽しめた。もちろん、不自然なところは多々あるが、ともあれストーリーもおもしろい。

 ロズモンダのジェシカ・プラットと王妃レオノーラのエヴァ・メイの二人が素晴らしい。プラットは清純な美声。とりわけ高音が美しい。うっとりしてしまう。メイはこの悪役を迫力ある美声で見事に歌う。悪役を歌う名を見る(聴く)のは初めてだが、さすがの名歌手だと思う。王妃レオノーラを捨てて、ロズモンダを愛してしまうエンリーコを歌うダリオ・シュムンクも見事な美声だ。恋に溺れたわがままな中年の王という雰囲気(原作とは雰囲気が異なるのかもしれない)で歌う。それはそれで説得力がある。ロズモンダの父クリフォードを歌うニコラ・ウリヴィエリも、若そうに見え、しかも細身なのにみごとな貫禄。そして、ロズモンダにひそかに恋する小姓役のラファエッラ・ルピナッチもけなげに歌う。すべての歌手がそろっている

 セバスティアーノ・ロッリの指揮するドニゼッティ歌劇場管弦楽団は、それほど素晴らしいわけではない。が、歌手たちがこれほどそろっていれば、楽しむのに支障はない。演出はとても分かりやすい。登場人物は目の周りにメイクをしているが、どうやらよこしまな人々は黒っぽいメイク、そうでない人は金色などの明るめのメイクのようだ。ちょっと単純すぎはしないかと思う。

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宮田大&田村響のベートーヴェン・チェロ・ソナタ のびやかでスケールの大きな演奏!

 2020128日、雪の予報だったが、雨になった。

 浜離宮朝日ホールで、宮田大&田村響ベートーヴェン・チェロ・ソナタ全曲演奏会の第一回を聴いた。曲目はベートーヴェンの「魔笛による演奏曲」、チェロ・ソナタ第5番、第4番、第2番。とてもいい演奏だった。

 二人の音楽性はかなり似ているのではないかと思う。ロマンティックに思い入れをするのでなく、素直に、のびやかに演奏。思い切りのよい切れの良い音でスケールの大きな音楽になる。細かいニュアンスをつけるよりは、勢いで演奏する。だが、確かな技巧があり、しっかりした構成感があるために、むしろニュアンスが素直に表現されて、深く心に入り込む。とりわけ、若々しいベートーヴェンが現れる。

 ともかく、チェロとピアノの両方の音が明瞭で美しい。ただ、ちょっと不満を言うと、それぞれの曲の違いが明確にならない。もっと、曲と曲の雰囲気の違いを強調してもよかったのではないかと思う。

 とはいえ、とても素晴らしい演奏だった。とても気持ちがいい。

 強い雨の中を帰宅した。

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N響オーチャード定期 オポライスもルイージも素晴らしかった

 2020125日、N響オーチャード定期を聴いた。指揮はファビオ・ルイージ。曲目は、前半にウェーバーの「オイリアンテ」序曲と、ソプラノのクリスティーネ・オポライスが加わって、シュトラウスの「四つの最後の歌」、後半に「英雄の生涯」。コンサート・マスターはライナー・キュッヒル。

「オイリアンテ」序曲で腕慣らし。しなやかでありながらもドラマティック。まさにルイージの音。ただ、とても残念なことに、私は1階後方の席だったが、音がくぐもって聞こえた。どうもこのホール、音のバランスが悪かったり、こもったりする場所が多いような気がする。これまでの記憶では、ルイージはもっと一つ一つの楽器が透明に聞こえた気がしたのだが、今日は団子状に聞こえてきた。

 が、それでも「四つの最後の歌」は素晴らしい音。研ぎ澄まされているのだが、十分に官能的。オポライスの声も美しく、音程もしっかりした強い声。私は「眠りにつこうとして」のヴァイオリン・ソロから後の部分が大好きだ。陶然としてくる。今日も涙が出てきた。キュッヒルの音もしなやかで美しい。オポライスの声も静かに高みに上昇していく。ただ、「夕映えの中で」のオーケストラが少しもたついて、人生の最期の思いが十分にホールに広がっていかなかった。そうはいっても、最後のヴァイオリン・ソロとホルン・ソロの音の重なりは最高に素晴らしかった。

「英雄の生涯」は、まさにルイージの世界を十分に味わうことができた。本当に素晴らしい。しなやかな音、それが大きく盛り上がったり、官能的なささやきになったり、音の爆発になったり。場面場面違った表情を見せてくれるが、音色が美しく、全体に一体性があるので、そこに不自然さは感じない。先ほど書いた通り、席が後方だったために、音の一つ一つの輝きを聞き分けることができなかったのが残念だが、それでもNHK交響楽団の実力がよくわかった。切れ味の良い、鮮明な音がしばしば響きわたった。感動した。

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