音楽

YAMATO String Quartetのラズモフスキー1・2・3番 もっとはっちゃけたベートーヴェンを聴きたかった!

 202085日、神奈川県立音楽堂でYAMATO String Quartetによるベートーヴェンの中後期弦楽四重奏曲連続演奏の初回を聴いた。演奏者は第1ヴァイオリン・石田泰尚、第2ヴァイオリン・執行恒宏、ヴィオラ・榎戸崇浩、チェロ阪田宏彰。初めてこの音楽堂を訪れたが、真昼間、35℃くらいある中、マスクをつけて坂を上った。かなり急な坂だった。客に高齢者の方が多かったので、みんな大変だったのではないか。いや、かくいう私も十分に高齢者。

 曲目は、ラズモフスキー第1・2・3番(すなわち弦楽四重奏曲第7・8・9番)。第1番は、正直言って期待外れだった。音にまとまりがない。第1ヴァイオリンの石田さんの音もぴしりと決まらない。今まで何度か石田さんの演奏を聴いたが、たぶんスロースターターなのだと思う。

 それに、ちょっとベートーヴェンに遠慮しすぎている気がする。まるでおさらいをしているようで、おそるおそる音を鳴らしている感じがある。自分なりの音楽を作るというよりも無難に合わせようとしているように聞こえる。

 私がベルチャ四重奏団やエベーヌ四重奏団のような凄まじすぎる演奏を好んで聴いているせいもあるのだが、あまりに微温的に思えた。

 だが、第2番になってから、私はかなり音楽に乗ることができた。石田さんが意識的にリードするようになったように思った。特に第3楽章の独特の雰囲気を石田さんのヴァイオリンが見事に演奏した。細身の独特の美音でキレがよく、諧謔的でもあり大真面目でもある。

 第3番もそれに続いて、しっかりした演奏になった。

 ただ、アンコール(何の曲か知らない。ミニマルミュージックっぽい現代曲)を聴いて、ベートーヴェンでももう少しこんな味を出してほしかったと思った。これは素晴らしい演奏。音楽を自分のものにし、自在に弾きまくる。楽しいし、躍動的だし、音楽の楽しみがいっぱい。ベートーヴェンでまじめにお勉強の曲を弾いた後、そこから解放されて思いっきり演奏した感じ。でも、ベートーヴェンをもっと思いっきり演奏してほしかった。私はそれを期待して足を運んだのだった。

 この団体独特のベートーヴェンを聴きたいと改めて思った。もっとはっちゃけたベートーヴェンを聴きたかった。

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神フィル再開公演 「運命」の第4楽章に圧倒された

 2020年723日みなとみらいホールで神奈川フィルハーモニー管弦楽団再開公演を聴いた。指揮は川瀬賢太郎。曲目は前半にリヒャルト・シュトラウスの13管楽器のためのセレナード作品7とチャイコフスキーの弦楽セレナードハ長調作品48。後半にベートーヴェンの交響曲第5番(運命)。

 別の曲のつもりでチケットを購入したような気がする(ラヴェルやバルトークが予定されていたはず)が、新型コロナ対策のために、楽器が少なくて済むこれらの曲に変更になったようだ。神奈川フィルも4か月ぶりの公演だということ。隣の席を空けて、全席でせいぜい500名くらいの聴衆だっただろうか。帰りも、一斉に席を立つのではなく、エリアごとに順番に退席するように指示があった。

 私自身も新型コロナウィルスのために3ヶ月ほどコンサートに足を運べなかった。3ヶ月もの間、なまの音楽を聴かないということは、おそらくこの20年くらいなかったと思う。コンサート禁断症状が出かかっていた。

 ただ残念ながら、やはり演奏は精妙さに欠ける。リハーサル不足を感じないわけにはいかない。逆に言えばそれほどオーケストラは普段からの顔合わせても演奏が重要だということだろう。

 もちろん、しっかりした音にはなっている。だがシュトラウスもチャイコフスキーも、きちんと音が合うだけでは、その魅力は立ち現れない。川瀬の指揮ぶりによってどういう音にしたいのか、オーケストラ団員がどのような音楽を目指しているのかが想像できるのだが、オーケストラからはしなやかにうねってロマンティックな香りのある精妙な音は出てこなかった。

 ベートーヴェンの交響曲第5番も同じような雰囲気を感じた。もちろん盛り上がる。気迫が伝わってくる。だが、気迫が空回りしているところがある。

 とはいえ、第4楽章になったら、もうそんなことは言っていられない事態になった。突如、団員たちの音楽を演奏したいという気持ちが爆発したかのように、音楽が生きてきた。ちょっと粗いところもあるし、音がずれている感じがしないでもないが、そんな小さなことはどうでもよくなる。

 1947年のフルトヴェングラーのベルリンフィル復帰公演で演奏された第5を思い出した。ミスも多く、アンサンブルもめちゃくちゃ。しかし、ものすごい気迫で押しまくり、聴く者を圧倒させずにはいない。神奈川フィルの演奏にもそれと同じようなものを感じた。怒涛の音楽になって曲は終わった。

 やっぱり音楽は素晴らしい。やっぱりベートーヴェンはすごい。やっぱり人間は音楽なしには生きていけない。聴きながらそう思った。

 コンサートの後、拍手の中で川瀬さんがマイクを握って客席に向かって語り始めた。「音楽がなければ生きていけない」といいたかったようだ。が、言葉に詰まった。しばらく言葉が出てこなかった。私ももらい泣きしかけた。客席の多くがそうだっただろう。

 完璧な演奏ではなかった。だが、何はともあれ、なまの音楽は人の心を高揚させる。生きる力を心の奥底から引きずり出してくれる。少々の欠点なんて、なまの音楽の圧倒的な力に比べたらたいしたことではない。そう思った。

 

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オペラ映像「イル・トロヴァトーレ」「シモン・ボッカネグラ」「サンドリヨン」

 ウナギが好きだ。そのほかの魚料理も大好きだ。友人とウナギやら魚料理やらの店に行こうと約束をしていたのだが、いずれも感染者増加のために二の足を踏んでいる。私はかろうじて70歳以上ではないので、致死率が高いといわれる年齢に含まれていないが、危険であることに変わりはない。

 そんななか、オペラ映像を数本見たので感想を書く。

 

ヴェルディ 「イル・トロヴァトーレ」 2019年 アレーナ・ディ・ヴェローナ

 レオノーラを歌うアンナ・ネトレプコを目当てに購入。で、予想通り、ネトレプコが圧倒的に素晴らしい。高音の響きの美しさ、全体の声のコントロール、けなげで気高いレオノーラの造形、すべてにおいて完成度が高い。容姿も含めてほれぼれし、感情移入できる。マンリーコを歌うユシフ・エイヴァゾフ(確か、現在のネトレプコの結婚相手)も、ルーナ伯爵のルカ・サルシもフェルランドのリッカルド・ファッシもとてもいいが、コントロールの完璧さという点では、やはりネトレプコには及ばない。アズチェーナのドローラ・ザジックは少し年齢を重ねすぎて声が伸びず、イネス役のエリザベッタ・ツィッツォは若すぎて声が硬い。

 アレーナでの上演なので、オーケストラの精度はあまり高くないが、ピエル・ジョルジョ・モランディの指揮するアレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団は、なかなかにドラマティック。演出はなんとフランコ・ゼフィレッリの古いもの。しかし、さすがに定番というか、豪華にして絢爛。リアリティもある。動きの一つ一つも音楽にぴたりと合っている。

 ただこのオペラを見るたびに思うのだが、私はやはりこの荒唐無稽さについていけない。設定の不自然さはまだ許容できるのだが、アズチェーナが取り違えて実の息子を殺してしまい、敵の子供を育ててしまったと、当の息子であるマンリーコに語って聞かせるあたりから、私の心はドラマから離れる。そのあとは音楽の迫力も空虚に感じられる。「物語は荒唐無稽だけど、音楽が素晴らしい」と多くの人が言うので、私もたびたび挑んでみるのだが、結局は自分が音楽人間ではなく、やはり根っこのところで文学人間なのだと納得して終わる。

 

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 2019年 ザルツブルク祝祭大劇場

 大変な名演だと思う。すべてが充実している。

 シモンを歌うルカ・サルシがまず素晴らしい。観たばかりの「トロヴァトーレ」でルーナ伯爵を歌って、ところどころ声をコントロールできていないところを感じたが、もしかしたらそれは野外劇場だったせいかもしれない。こちらでは安定した見事な歌いっぷり。そして、フィエスコのルネ・パーペがまさに圧倒的。凄味がある。サルシとパーペの場面は凄さにぞくぞくしてくる。悪役パオロを歌うアンドレ・エイボエールもまったく引けを取らない。このオペラはバス・バリトンの低音の凄味が魅力だが、それを最高レベルで作り出している。

 テノールのガブリエーレ役を歌うチャールズ・カストロノヴォも素晴らしい。見事な美声でコントロールもしっかりされており、容姿もいい。これからの時代を作る「イケメン」テノールの代表だろう。アメーリアのマリーナ・レベカもこれらの名だたる男たちに交じって紅一点。清澄で高貴で強い声。物語の中心になる女性を見事に演じている。

 ウィーン・フィルを指揮するのはワレリー・ゲルギエフ。さすがの指揮ぶり。緊迫感にあふれ、どす黒い欲望と清らかな愛と人間と愛憎の世界を緻密に描く。

 演出はアンドレアス・クリーゲンブルク。現代の服装で、無機的な総督の館を中心に舞台が作られている。民衆はスマホばかりをみて政治にかかわろうとせず、一体感を作ろうとしない。そうした民衆の中で政治に携わる権力者たちの血なまぐさい闘争が行われている。現代を風刺しているのだろう。

 このオペラは物語としても面白く、私はヴェルディの大傑作の一つだと思う。私はイタリアオペラを聴くようになって日が浅いので、まったくもって素人の好みでしかないのだが、愛するものを思おうとする男たちの物語に心が熱くなる。私はヴェルディの作品の中で、「ドン・カルロ」「椿姫」「ファルスタッフ」と並んで、このオペラが好きだ。

 

マスネ 「サンドリヨン」 (1899) 全曲 2019年 グラインドボーン音楽祭

 マスネの「サンドリヨン」は、ディズニーなどの「シンデレラ」と異なって、孤独なサンドリヨンを名付け親の妖精が救い、悩める王子をサンドリヨンが救うという要素が強調され、夢の中のようなファンタジックな愛の世界が展開される。王子を歌うのがメゾ・ソプラノなので、聞こえてくる声のほとんどが女声。すべてが不確定で、曖昧で、まさに夢の中。そんなオペラだ。

 この映像をみると、このオペラがこのような夢の中の世界を描くものだったことに改めて気づく。

 三人の女性歌手が本当に素晴らしい。サンドリヨンのダニエル・ドゥ・ニースはしっかりした声で美しく歌う。シャルマン王子役のケイト・リンジーは、悩める王子をしなやかに繊細に歌う。音程のしっかりした清澄な美声。それにも増して、驚くほどの美声なのが、名付け親の妖精を歌うニーナ・ミナシヤンだ。妖精にぴったり。神々しいまでに澄み切っている。

 そのほか、頼りない父親パンドロフを歌うライオネル・ロートも、憎々しい継母を歌うアグネス・ツヴィエルコも芸達者でしっかりと歌って見事。二人の姉も含めて穴がない。

 ジョン・ウィルソンの指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団も、豊饒で繊細な音。マスネの求めていたのもこのような音なのだろう。

 オリジナル演出はフィオナ・ショウ、再演新演出はフィオナ・ダンという。ローラン・ペリーの演出として私たちが知っているような雰囲気。舞台全体にしなやかな躍動があり、奇抜な動きがある。フランス的なエスプリにあふれ、おしゃれでファンタジックな世界が展開される。

 かなり女性的な世界だと思う。実をいうと私の趣味ではないが、それはそれで素晴らしい上演だと思った。

 

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オペラ映像「こびと」「チェネレントラ」「セヴィリアの理髪師」「影のない女」

 新型コロナウイルス感染者の東京の感染者が数日間、200名を超し、今は少し減ったが、それでも100名を超す。9月に地方に行く仕事が入ったので、その地の友人にLINEで連絡したら、すぐに電話がかかってきた。どうも、「今は来るな」ということらしい。さて、どうしたものか。

 何本かオペラ映像をみた。簡単な感想を記す。

 

ツェムリンスキー「こびと」 2019年 ベルリン・ドイツ・オペラ

 演奏会形式で聴いたことはあったが、オペラ上演の映像をみたのは初めてだ。とてもおもしろかった。

 演出はトビアス・クラッツァー。序曲の部分で、ツェムリンスキーと思しき男性がアルマ(のちのマーラー夫人)らしき女性に邪険にされながらも執着する様子が黙劇で演じられる。ツェムリンスキーがアルマとの関係を意識して、この「こびと」を作曲したというのは有名な話なので、きわめて納得のゆく演出。あのクラッツァーにしてはむしろありきたりに感じるほど。

 こびとをプレゼントとして与えられた王女は、鏡を見たことがなく、自分の醜さを知らないこびとに真実を知らせ絶望させる。こびとを実際の小人症の人が演じ、横で歌手が歌う。音楽的にも演劇的にも極めて充実している。王女役のエレーナ・ツァラゴワは明晰な美声で残酷な美しい王女を見事に歌い、演じる。こびとを歌うデイヴィッド・バット・フィリップも高貴な声、演じる男性も見事。侍女のギータを歌うエミリー・マギーもこびとに同情的でありながらも侍女としてふるまう役をうまく演じている。真実を知る場面などツェムリンスキーの音楽が悲劇的に響いて、とても感動的だった。

 指揮はドナルド・ラニクルズ。なるほど、この先鋭的でありながらも抒情的な音楽がツェムリンスキーなのだろうと納得できた。

 

ロッシーニ 「チェネレントラ」  1995年、ヒューストン・グランド・オペラ

 チェチーリア・バルトリ ロッシーニ・エディション(15CD+DVD)を購入。その中から、これまでみたことのないDVDをみた。その一つが「チェネレントラ」。

 なんといっても、アンジェリーナ役のバルトリが図抜けている。いかにもバルトリらしい躍動的で生き生きとして重みのある声。可愛らしい声ではないが、圧倒的な力感がある。

 ドン・ラミロ役のラウル・ヒメネスも高貴な声で声もしっかり出ている。ドン・マニフィコのエンツォ・ダーラとダンディーニのアレッサンドロ・コルベッリはともにベテランの味を出して、歌も見事で、しかも芸達者。ただ、アリドーロのミケーレ・ペルトゥージの歌がかなり硬い。

 ブルーノ・カンパネッラの指揮は現在のロッシーニ演奏からするとかなりおとなしいが、当時としてはこんなものだったのだろう。

 

ロッシーニ 「セヴィリャの理髪師」 1988年、シュヴェツィンゲン音楽祭

 1988年というから、30年以上前の上演。私の世代の人間が「セヴィリアの理髪師」として思い浮かべる通りの扮装、仕草での上演。懐かしい。とても楽しい。

 歌手陣は最高度に充実している。往年の名歌手たちだ。フィガロはジーノ・キリコ、アルマヴィーヴァ伯爵はデイヴィッド・キューブラー、バルトロはカルロス・フェラー、ドン・バジーリオはロバート・ロイド。そして、もちろんロジーナはチェチーリア・バルトリ。みんなすばらしいが、私はバルトリとロイドに驚嘆した。バルトリは一筋縄ではいかない強いロジーナを演じている。ロイドは滑稽で不気味で、しかも実に声量豊かな深い声。

 ガブリエーレ・フェッロ指揮によるシュトゥットガルト放送交響楽団。いかにも1980年代の演奏だが、歌手たちは個性的で、オーケストラの音もふくよかで、演出もわかりやすく、それはそれでとても楽しい。

 

シュトラウス 「影のない女」 ウィーン国立歌劇場 2019年 (NHK/BS放送)

 2011年のザルツブルク音楽祭でティーレマン指揮の「影のない女」をみて、驚嘆した記憶がある。ただこの時は、クリストフ・ロイの意味不明の演出だった(新人歌手がレコーディングをするという設定だった。何のことやら?)が、今回は同じティーレマンの指揮ながら、演出はヴァンサン・ユゲで、かなり原作に則している。

 圧倒的名演だと思う。三人の女性歌手、皇后のカミッラ・ニールント、乳母のエヴェリン・ヘルリツィウス、バラクの妻のニナ・シュテンメが最高の力演。私は武蔵野市民文化会館でまだ無名のころのリサイタルを聴いて以来のニールントの大ファン(一度、数人で飲食をご一緒したことがある!)。美しい声で強靭に歌い、しかも威厳ある美しい容姿に改めて圧倒された。皇后にぴったり。ヘルリツィウスはザルツブルクではバラクの妻を歌ったが、乳母もまた素晴らしい。ドスのきいた声で裏のある性格を見事に描いている。シュテンメもイゾルデ並みの声で複雑な女ごころを歌う。皇帝のステファン・グールド、バラクのヴァルフガング・コッホも女性陣に劣らず、心をえぐる歌だった。

 このオペラは超名曲だと思うが神秘的寓話であるため、観客はキツネにつままれた気持ちになる。そうなると歌も一本調子に聞こえてくることがある。だが、この五人の名歌手たちはニュアンスを歌いわけ、張りのある、しかも余裕のある声で表現する。凄い!

 ティーレマンの指揮についても、まさに縦横無尽、快刀乱麻、しかもニュアンス豊か。ザルツブルク音楽祭でかなり良い席で実演を聴いた時ほどの切れ味は感じなかったが、それはテレビ放送の録画を自宅の装置(低級ではないが、高級でもない)で聴いたせいだろう。演出については、皇后がバラクに恋愛感情を抱くふうを見せるのを除けば、私の理解できる限りではそれほど大胆な解釈はないようだ。わかりやすくこのオペラの荘厳で神秘的で不可思議でエロティックな雰囲気を作り出す。久しぶりにこれほどの高レベルの「影のない女」をみて実に満足。

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METライブビューイング「さまよえるオランダ人」 ちょっと盛り上がりに欠けたが、最後には感動した

 METライブビューイング「さまよえるオランダ人」をみた。2020310日、メトロポリタン劇場で上演されたもの。前もって予告されていた314日の上演でなかった。いうまでもなく、この後の公演はすべて新型コロナウイルスによって公演中止になっている。

 指揮はヴァレリー・ゲルギエフ。さすがに蠱惑的なところもあり、ドラマティックな盛り上がりもある演奏。特有の音が聞こえてくる。ただ、ちょっと精妙さに欠ける気がしたのは気のせいか。もともとこのオペラは並列的に音楽が連なっていくとはいえ、ゲルギエフが指揮したら、もっとドラマとしての大きなうねりがあるだろうと期待していたが、第一幕、第二幕では意外と盛り上がらなかった。合唱もいつものすばらしさに少し欠ける気がした。第三幕になってやっと大きく盛り上がっていった。最後には、私も感動に震えた。

 歌手陣は充実している。とりわけ、ゼンタを歌うアニヤ・カンペが伸びのある美しい声で全体を圧倒していた。第二幕のバラードでは少し粗かったが、第三幕はまさに絶唱。そして、エリックを歌うセルゲイ・スコロホドフも素晴らしかった。どうしても存在感が薄くなってしまうこの役をリリックでしかもかなり強い美声で歌う。今後、様々のワーグナーの大きな役を歌うようになるだろう。そのほか、もちろんオランダ人のエフゲニー・ニキティンもダーランドのフランツ・ヨーゼフ=ゼーリヒも、そして、マリーの藤村実穂子もしっかりと歌っていて、特に不満はない。

 演出はフランソワ・ジラール。きわめてオーソドックス。第二幕でオランダ人の絵の代わりに大きな目が描かれていたり、糸車の合唱の場面で、糸が数本垂れ下がって、運命のもつれを暗示していたり、幽霊船の船員たちは登場しなかったりといった工夫はあるが、基本的にはこれまで見慣れてきたこのオペラの展開と大差はない。ただ、合唱団の人数が異様なほど多いのを感じた。船にあれほどたくさんの人が乗っていると、むしろ不自然に感じた。

 客席がどのような状態なのか知りたかったのだが、大歓声は聞こえてくるものの一切映し出されなかった。何か事情があったのだろうか。予定されていた日の上演ではないというのも事情の一つだろう。きっと、ニューヨークもコロナ騒ぎで大変だっただろう。

 ワーグナーに触れるといつも思う。やっぱりワーグナーは素晴らしい。最後には心から感動させてくれる。

 

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METライブビューイング「アグリッピーナ」 ディドナート、レイ、リンジーの三人の女性歌手に圧倒された

 METライブビューイング「アグリッピーナ」をみた。

 ヘンデルのオペラは、ちょっと聴くととてもいいのだが、途中から退屈してしまうことが多い。そんなわけで、「アグリッピーナ」に心惹かれながらも、今回はお休みしようと思っていた。が、「ポーギーとベス」をみたとき、予告として紹介されているディドナートの歌唱を聴いて、これはみないわけにはいかないと思った。2020229日にメトロポリタン劇場で上演されたもの。

 で、やはり歌手たちの歌と演技については本当に素晴らしかった。まずディドナートの悪女ぶりがすさまじい。声の技巧ももちろん素晴らしく、まさに悪漢の語り口。エネルギッシュに欲望と嫉妬と色気をぶつけつつも、策略家らしい知性や傲慢さも見事の造形している。

 そして、ディドナートに勝るかのような圧倒的な歌を聞かせてくれたのが、ポッペア役のフレンダ・レイだ。たぶん、私は初めてこの歌手を聴いたと思うが、声の美しさ、伸び、音程、技巧、すべてが素晴らしい。アグリッピーナの策略に気づいて、それ以上の策略家になっていく様子を見事に演じる。容姿もいい。素晴らしい歌手だと思う。

 そして、ネローネのケイト・リンジーもとてもいい。かなり若く華奢な感じの女性だが、のちの暴君ネロになる、ドロップアウトした精神不安定な青年を実に見事に歌いきっている。片腕で体を支えながらの歌は、ただもう驚くしかない。

 クラウディオ役のマシュー・ローズは、見た目よりも若いようで、どうも新人らしいが、皇帝の貫録を見せる。深い声で、的確に歌う。とぼけた雰囲気もとてもいい。オットーネ役のカウンターテナーのイェスティン・デイヴィーズもしっとりした声でとても良かった。

 ただ、実をいうと、歌手たちに圧倒されながらも、やはり私は退屈したのだった。せっかちな私は、情報量が少ないわりに同じことを繰り返しながら長々と続くヘンデルのオペラの(というか、この時代のオペラの)歌そのものが私は苦手なのだが、それ以上に、どの歌も同じような雰囲気なのが、私には気になる。

 これにはハリー・ビケットの指揮の影響もあるのかもしれない。キレの良い、アグレッシブな古楽的な演奏はとてもいいのだが、このような演奏をすると、すべての歌が同じようになって一本調子になってしまう。第1幕では、最後のオットーネの歌だけが、しっとりと嘆きを歌うもので、それ以外はいずれも怒りや嫉妬や欲望をエネルギッシュに歌うものだった。私は最後のオットーネの歌でやっと少し気が落ち着けたのだった。

 私はヘンデルのオペラについても、バロックオペラ全般についても、特に知識があるわけではないが、もう少し緩急自在な演奏であってほしいと思った。

 デイヴィッド・マクヴィガーの演出については、物語の普遍性を強調するために現代の服装で上演される。まったく違和感がない。わかりやすい演出だと思う。ただ、司会のデヴォラ・ボイトが盛んに「軽妙な喜劇」と強調しているほどには、おかしみはなかった。演奏がアグレッシブなせいもあるのかもしれないが、深刻で余裕がなくなってしまう。もっと笑いの漏れる演出のほうが楽しかっただろうと思う。

 とはいえ、オペラは楽しい。今年の229日にはまだこれほど多くの客を集めてオペラ上演がなされていた。今からすると、夢のようだ。

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METライブビューイング「ポーギーとベス」 人間臭いドラマを堪能した

 METライブビューイングが再開され、「ポーギーとベス」をみた。202021日にメトロポリタン劇場で上演されたもの。素晴らしかった。大いに感動した。

 私はアメリカ音楽にはあまり惹かれないのだが、これは別格。最初から最後までぐいぐいと惹かれていく。オペラそのものがまさしく名作であるとつくづく思う。ストーリーもドラマティック。しかも黒人世界の猥雑な生のありようもとても魅力的。その中で聞こえる「サマータイム」も感動的。ガーシュウィンの音楽がいい。台本もよくできている。今回の上演も原作の力を十分にわからせてくれるすばらしいものだった。

 ポーギーを歌うのはエリック・オーウェンズ。幕が上がる前にゲルブ総裁が登場してオーウェンズが風邪をひいていることが伝えられたが、数か所、少し声が詰まった程度で私はそれほど気にはならなかった。持ち役のひとつなので、まさにぴったり。ベスはエンジェル・ブルー(武蔵野市民文化会館で公演予定だったが、新型コロナウイルスで中止になった!)。大柄でダイナミックな歌いっぷり。もっと可憐な方がこの役にふさわしいと思うが、こんなベスもあっていいだろう。クララのゴルダ・シュルツは南アの出身だという。若くてリリックな歌手でとても清純な声。「サマータイム」が状況に応じてニュアンスを変えて見事に歌う。そのほか、善良な黒人たちも悪い黒人たちも、みんな歌も演技も素晴らしくて、まさに黒人のコミュニティに巻き込まれる。

 指揮はデイヴィッド・ロバートソン。アメリカ音楽に疎い私はこの指揮者についてはまったくの無知だった。風貌のせいでそう感じられるのかもしれないが、ちょっとスリムで洗練されすぎた演奏に感じた。もっと猥雑でもよいのではないか。ただ、演出のジェイムズ・ロビンソンとともに、猥雑さを強調しないように気を付けたのかもしれない。

 ただ気になるのは、すべてが木造の大きな建物の中で行われる設定になっていることだ。一つのコミュニティという点を強調しているのだろうが、こうなると、一つの大きな構築物のように感じられて、自然とともに生きるコミュニティの人々の生きざまが曖昧になるし、バラックのような建物でなくなってしまう。

 とはいえ、ともかく音楽に酔い、一人一人の人物の生のありように触れ、人間臭いドラマをたっぷりと味わうことができた。久しぶりに大画面でオペラをみたが、やはり、これは格別。我が家のテレビ画面で見るのとは、全く別物だ。

 とはいえ、ライブビューイングもいいが、生の舞台を見たいものだ。再開はいつになることか!

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オペラ映像「ナクソス島のアリアドネ」「さまよえるオランダ人」「二人のフォスカリ」「ファルスタッフ」

 緊急事態宣言が全国で解除され、私の仕事もかなり日常に戻りつつある。今日も、午前中は日本語学校、午後は大学で仕事をした。明日以降も、外に出ての仕事になる。感染の第二波が心配だし、それ以上にコロナ禍後の社会のあり方が不安だが、ともあれ、仕事をこなしていくしかない。

 この間に見たオペラ映像についての感想を簡単に記す。

 

リヒャルト・シュトラウス 「ナクソス島のアリアドネ」2014年 ウィーン国立歌劇場

 見覚えがあるので、NHKBSで放映されたものだろうかと思っていたが、どうやら2016年のウィーン国立歌劇場日本公演と同じ演出のようだ。そのとき、あまりに残念なことに、バッカス役のボータが急死して代役が立ったことを思い出した。この映像はボータが歌っている。

 素晴らしい上演。時代を代表するこの役の最高のキャスティングだと思う。序幕の作曲家のソフィー・コッシュはまさに適役。声は伸びているし、初々しいし、姿かたちも作曲家にぴったり。音楽教師のマルクス・アイヒェも見事。

 オペラの部分では、私はアリアドネのソイレ・イソコスキの歌に感動した。完璧にコントロールされた声。表現力も豊か。清澄でしかも奥深い歌を聞かせてくれる。バッカスのヨハン・ボータも、これ以上ないほどの美声と声のコントロール。この二人が視覚的にアリアドネとバッカスに見えないのが残念だが、歌唱の見事さは欠点を補ってあまりある。イソコスキは現代最高のシュトラウス歌いだと思う。

 ツェルビネッタのダニエラ・ファリーも華やかで躍動的でとてもいい。容姿の面でも説得力がある。ただ声の輝きという面では、アリアドネとバッカスの充実には少し劣ると思う。 ニンフたちも道化の面々も見事な歌と演技で申し分ない。

 指揮のティーレマンはさすがに自在な棒さばきというべきか。以前、CDだったかDVDだったかでティーレマンの指揮するこのオペラを聴いたとき、ユーモアのセンスがなく生真面目過ぎるという印象を受けたのを覚えているが、今回はそのようなことはあまり感じない。ユーモモラスな演奏ではないが、繊細で緻密で躍動するので、何かの不足があるとはまったく思わない。しなやかさが増して、音の一つ一つ、響きの一つ一つに力がある。

 スヴェン=エリック・ベヒトルフの演出については、最後に作曲家とツェルビネッタが抱き合うことを除けば、特に新しい解釈はない。人物の動きが音楽にぴたりと合っているので、歌手たちは歌いやすいだろうし、自然に感じるが、ちょっと物足りない。

 

 

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 2019年 フィレンツェ五月音楽祭劇場

 なんといっても、ファビオ・ルイージの指揮が素晴らしい。切っ先鋭く、しかも大きくうねり、ドラマティックで疾風怒濤。このオペラにふさわしい。息つく暇もないほどに緻密に構成され、次々と音が挑みかかってくる。緊張感とドラマに酔う。

 歌手陣もそろっている。オランダ人を歌うトーマス・ガゼリはドスのきいた深い声で、この役にふさわしい。ダーラントを歌うミハイル・ペトレンコも深く歌う。ただ、ゼンタ役の マージョリー・オーウェンズについては、私はヴィブラートが気になった。それに悪く言えば、ちょっと間延びした歌唱に思える。バラードはあまりにゆっくり。これは本人の意思なのかルイージの指示なのか。きれいな声で歌おうとして、ドラマ性が失われているように思えた。合唱もそろっていないように思えた。

 ポール・カランによる演出については、特に新しい解釈はないが、おどろおどろしさを前面に出しており、なかなかの迫力。コンピュータマッピングによって荒れた海や幽霊船を作り出し、おぞましいといえるような薄汚れた空間を作り出している。第二幕は、薄汚れたミシンの並ぶ工場という設定。第三幕の最後でオランダ人は救済されるが、(こう言っては大変失礼だが、)オランダ人もゼンタも美男美女ではなく、うらぶれた感じが漂う。そうであるがゆえに、リアルであり、ハードボイルド的な凄味がある。

 

 

ヴェルディ 「二人のフォスカリ」2019年  パルマ、レッジョ劇場 ヴェルディ音楽祭

 イタリア・オペラにはあまりなじんでおらず、しかもヴェルディの初期作品となると、数えるほどしか聴いたことがないのだが、どういうわけか私は「二人のフォスカリ」がかなり好きだ。「アイーダ」や「オテロ」よりも実はずっと感動する。

 フランチェスコ・フォスカリを歌うウラディーミル・ストヤノフが圧倒的に素晴らしい。最後の歌には胸を打たれる。まさに、息子を失い、地位を失って絶望する老人の呪いと悲しみにあふれている。気品ある容姿もこの役にふさわしい。ヤコポ・フォスカリを歌うステファン・ポップも伸びのある美声。ルクレツィアを歌うマリア・カツァラヴァは、声楽面ではとても見事。張りのあるしっかりした声。

 パオロ・アリヴァベーニという指揮者を私は知らなかった(たぶん、一度も演奏を聴いたことがないと思う)が、切れが良く、しっかりと鳴らして、とてもいい指揮者だと思った。アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団にも文句はない。レオ・ムスカートの演出については、とりわけ何かが起こるわけではないが、音楽を邪魔しないので、私としては好感を持った。全体的に、しっかりとまとまっており、とても良い上演だと思った。

 

ヴェルディ 「ファルスタッフ」2019年 マドリード王立歌劇場

 ダニエーレ・ルスティオーニの指揮が恐ろしく元気。ドラマティックでメリハリがあり、激しい。まるでヴェルディの「リゴレット」や「運命の力」のよう。しかも、歌手たちも元気いっぱいに激しく、怒りや悲しみを込めて歌う。このような演奏を好む人も多いのかもしれないが、私としては、もう少しこのオペラはおとなしくていいのではないかと思う。もっと、ニンマリして、「こいつ、しょうがねえなあ」と思ってファルスタッフの人間臭さを笑いたい。ところが、この演奏では、ファルスタッフはエネルギーにあふれたかなりの悪漢。

 歌手たちのほとんどを私は知らない。が、とても充実している。ファルスタッフのロベルト・デ・カンディアは、たぶん自前の巨大な腹なのだと思う。見事な声。アリーチェ・フォード夫人のレベッカ・エヴァンス、メグ・ペイジ夫人のマイテ・ボーモンともに、とても魅力的な中年女性で歌もそろっている。フォードのシモーネ・ピアッツォラも芸達者でしっかりした声。クイックリー夫人がやけに大柄だと思ったら、なんとダニエラ・バルチェッローナではないか! さすがの歌唱と演技。今回のキャストの中で唯一のよく知る歌手だった。

 演出はロラン・ペリー。ペリーにしては、コミカルさがあまりない。全員が現代の服装で街の居酒屋めいた場所で始まる。ファルスタッフは街にたむろする少し下層の太った爺さんといったところ。だが、こうすると、妙にリアルになってしまって、騎士のプライドを持って自分がモテると信じているファルスタッフの滑稽さが現れない気がする。私はペリー・ファンなのだが、今回はいつもほどには感心しなかった。

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オペラ映像「ホフマン物語」「修道院での結婚」

 検査数が少ないので実数はわからないとはいえ、新型コロナウイルスの感染者数がかなり減ってきた。外出自粛の効果が出てきたのだろう。

 少し前まで、我が家に赤ん坊の声が聞こえていたが、赤ん坊はもう若夫婦の暮らすマンションに移った。今、家族のことで気になるのは、母だ。新型コロナウイルス感染拡大のために、母のいる老人ホームはもう3か月近く面会禁止になっている。今年93歳になる母は認知症が進みつつあった。家族と会えなくて寂し上がっているのかもしれない。認知症が進んでいるのかもしれない。だが、会うことができない。私と同じような状況にいる人は大勢いるだろう。もっと深刻な人も大勢いるだろう。早く収束に向かってほしい。

 そんななか、家ではオペラ映像を見たり、映画を見たり。オペラ映像を数本見たので、簡単な感想を書く。

 

「ホフマン物語」2018年 オランダ国立歌劇場

 あまりに斬新なバイロイトの「タンホイザー」演出で名をはせたトビアス・クラッツァーの演出による「ホフマン物語」。読み替え演出に好意的でない私は、今回の演出も不快になった。

 舞台上にいくつもの区画が作られ、3つ以上の小舞台に分けられている。それぞれで演技が行われる。ホフマンとミューズは同棲する若い芸術家の男女とされているようだ。全員が現代の服装をしている。ホフマンが過去に関係を持った女たちの話をするということなのだろう。だが、オランピアは機械人形ではなさそうだし、アントニアは喉を自分で切って自殺する。私にはそのような行為にどんな意味があるのか、よくわからなかった。わざわざこんなに複雑な舞台にして、意味ありげな行為を取る意味があるのだろうか。

 演奏的にはかなり良いと思う。ジョン・オズボーンのホフマンは、声に威力は見事。ただ、フランス的な雰囲気がなく、いかにもアングロ・サクソン的。アイリーン・ロバーツのミューズは声も美しく、しっかりと演じていた。ニーナ・ミナシャンのオランピアは個性的な声だが、頭抜けてはいない。アントニアを歌ったエルモネラ・ヤオ(名前に覚えがあったので確かめてみたら、2010年に神奈川県民ホールで「椿姫」のヴィオレッタを第一幕まで歌って、声が出なくなって途中交代したソプラノだった!)は素晴らしい。ジュリエッタのクリスティーヌ・ライスも蠱惑的でなかなかいい。

 ただ、リンドルフやコッペリウスなどを歌うアーウィン・シュロットがめちゃくちゃなフランス語で歌うのが興ざめ。また、フランツなどを歌うサニーボーイ・ドラドラ(南アフリカ出身の黒人歌手。それにしてもSunnyboy Dladlaという名前にどのような由来があるのだろう?)も音程が不安定で、私は聴くのがつらかった。

 カルロ・リッツィ指揮のロッテルダム・フィルは勢いはあるのだが少し直情的すぎてガサツな気がした。もっとしなやかなほうがこの複雑なオペラにふさわしいと思うのだが。

 

 

オッフェンバック 「ホフマン物語」1981年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 読み替え演出の「ホフマン物語」に辟易したので、古いDVDをひっぱりだして古典的な上演をみた。ジョン・シュレシンジャー演出の名演として知られるもの。指揮はジョルジュ・プレートル。しなやかでフランス的エスプリがある。

 すべての役が素晴らしいが、その中でもホフマン役のプラシド・ドミンゴが圧倒的。このころのドミンゴの声の威力たるやすさまじい。オランピアのルチアーナ・セッラも美しい声。アントニアのイレアナ・コトルバスも薄幸の女性を美しく歌って素晴らしい。ただ、ジュリエッタ役のアグネス・バルツァは声は魅力的だが、めちゃくちゃなフランス語の発音にびっくり。シュロットのフランス語よりももっとすさまじい。その昔、ドイツ語の達者な知人がバルツァのドイツ語の歌(何の曲だったか忘れた)を聴いて、発音があいまいで聞き取れなかったと語っているのを思い出した。プレートルがよくもこのようなフランス語を許したと思う。

 それを除けば、本当に時代を代表する名演奏だと思った。

 

プロコフィエフ 「修道院での婚約」1997年 マリインスキー劇場

 NHKの放送だったか、あるいは別の機会だったか、この映像を、昔、一度みたことがあるような気がする。

 有名になる前のネトレプコがルイザを歌っている。とびぬけて綺麗でほれぼれする。古今東西歴代のオペラ歌手の中で第一位の美貌だと思う。ただ、歌のほうはまだ硬く、声も伸びていない。この少し後に大化けするとは思えないほど。

 とはいえ、全体的には素晴らしい上演だと思う。指揮はヴァレリー・ゲルギエフ。ゲルギエフらしく切れが良く、色彩的で、魂をざわざわさせる力を持っている。歌手もそろっている。クララ役のマリアンナ・タラーソワも容姿が美しく、声もしっかりしていて清純。付添人のラリッサ・ディアドコヴァも凄味があり、おかしみもある。いい味を出している。そして何よりも、ドン・ジェローム役のアレクサンダー・ゲルガロフが自由自在な歌いっぷりと見事な演技。このころからゲルギエフ率いるマリインスキー劇場の声望が世界中に響くようになったが、その力量がよくわかる。演出も、愉快で豪華で色彩的。

 嫌な相手と結婚させられそうになった娘が計略を用いて愛する男性と結ばれ、そのさなかにあれこれの誤解やごたごたが起こって、別の男女も結ばれる・・・というまるでドニゼッティの喜歌劇のような内容。だが、プロコフィエフだけあって、聞こえてくる音楽は斬新でクールでしかもとぼけていて、なかなかおもしろい。

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オペラ映像「アニェーゼ」「ボルゴーニャのエンリーコ」「運命の力」

 緊急事態宣言が出てから2週間。病院の集団感染が伝えられている。医療崩壊が起こらないのか、そもそも前からわかっていたはずなのに、医療その他の面で準備できていなかったのか。不安が高まる。不安は尽きないが、私としては、自宅で粛々と仕事をし、合間合間に芸術を楽しむしかない。そんな中、オペラ映像をみたので、簡単な感想を記す。

 

パエール 「アニェーゼ」 2019年 トリノ、レッジョ劇場

 パエールは1771年、つまりベートーヴェンの翌年に生まれたイタリアの作曲家。「モーツァルトとロッシーニの間をつなぐオペラ作曲家」だという。私は、作曲家の名前も、この「アネェーゼ」というオペラも初めて知った。

 確かに、モーツァルトやロッシーニと雰囲気が似ている。第一幕を見ているうちには、「モーツァルトとロッシーニを足して3で割って、そこから天才性を取り除いたような音楽だ」と思っていた。快活で耳当たりの良い音楽が続く。ただ、あまり魅力的な音楽ではないと感じていた。

 が、第二幕になってがぜんおもしろくなった。モーツァルトともロッシーニとも異なる、この作曲家特有の生き生きとした音楽が聞こえてきた。確かに二人の大天才には劣るかもしれないが、とても楽しいオペラ。まったく退屈せずに、最後まで楽しんだ。

 最愛の娘アニェーゼが恋人エルネストと駆け落ちしてしまったため、父親ウベルトは狂気に陥り、「娘は死んでしまった」と思い込んでいる。アニェーゼは娘を産んだもののエルエネストに捨てられ、実家に戻るが、娘が死んだと思い込んでいる父はアニェーゼを娘と気づかない。周囲の人たちの努力によってやっと父は正気を取り戻し、恋人エルベストも後悔してアニェーゼに元に戻って、めでたしめでたしでオペラは終わる。

 演奏も素晴らしい。すべての役がしっかりした声で、演技もうまいし、まさに堂に入っている。とりわけウベルト伯爵のマルクス・ウェルバ、アニェーゼのマリア・レイ=ジョリー、エルネストのエドガルド・ロチャが素晴らしい。ディエゴ・ファソリスの指揮によるトリノ・レッジョ劇場管弦楽団も生き生きしていて文句なし。レオ・ムスカートの演出も、色彩的で楽しくて、わかりやすく躍動的。

 

ドニゼッティ 「ボルゴーニャのエンリーコ」(アンダース・ヴィクルントによる比較校訂版) 2018年 ベルガモ、ソシアーレ劇場(ライヴ)

 

 ドニゼッティ21歳の作だという。先輩であるロッシーニの若い時期の作品に、やはりよく似ている。音楽はメリハリがあり生き生きとして楽しい。

 ストーリー的には、かなり無理がある。エンリーコ(メゾ・ソプラノで歌われる)は王の息子だが、王が殺害されたため、身分を偽って育てられている。一方、王を殺害したグイードはその後、暴虐の限りを尽くし、エンリーコと愛を交わしているエリーザと婚礼を挙げようとしている。エンリーコは立ち上がり、エリーザを奪い返し、民衆の助けによってグイードを追い払う。

 エンリーコ役のアンナ・ボニタティブスが素晴らしい。途中、ちょっと音程が不安定に感じるところもあるが、最後の独唱は言葉をなくす凄さ。声の勢いもアジリータの技巧も圧倒的。エリーザのソニア・ガナッシ、ジルベルトのルカ・ティットートはさすがの円熟。声は伸びているし芸達者。グイードのレヴィ・セクガパーネ(アフリカ系のテノール)は美しい高音を出すが、発声が不安定。あと少しの鍛錬が必要だと思う。

 アレッサンドロ・デ・マルキの指揮だが、オーケストラの精度が高くないので、生き生きとしたリズムなのだが、少しもたついて聞こえる。

 演出はシルヴィア・パオリ。舞台の中に、もう一つ舞台が作られ、劇中劇という形になっている。ストーリーがあまりに他愛がなくプリミティブなので、あえてこのような方法をとったのだろう。もしみんなが大真面目にこのストーリーを演じたら、確かにリアリティをなくして観客は白けてしまうだろう。劇中劇にしたために、面白く、舞台から距離を置いてみることができる。とてもセンスのいい演出だと思った。

 全体的に、とても楽しめた。ドニゼッティは、イタリアで人気のわりに日本では軽んじられている。私も大作曲家だと思っているわけではないが、愛すべきオペラ作曲家だと思う

 

「運命の力」 2019年 英国ロイヤルオペラ

 NHK/BSで放送されたものをみた。目くるめくような大スターたちの饗宴。何しろ、レオノーラがアンナ・ネトレプコ、ドン・アルヴァーロがヨナス・カウフマン。その二人だけでもアッと驚くのに、ドン・カルロがリュドヴィク・テジエ、プレチオシッラがヴェロニカ・シメオーニ、グァルディアーノ神父がフェルッチョ・フルラネット、そして、なんとカラトラーヴァ侯爵がロバート・ロイド、フラ・メリトーネがアレッサンドロ・コルベッリ、そしてクーラがロベルタ・アレクサンダー。昔の大スターまでが勢ぞろい。しかも、みんなが圧倒的な声を聞かせてくれている。

 ただでも話がドラマティックなので、もうそれ以上音楽でドラマティックにしなくてもいいと思うのだが、パッパーノの指揮がいやがうえにもドラマを盛り上げる。クリストフ・ロイの演出も、リアリティを重視したもので、説得力があった。ともかく、これ以上は考えられない上演だと思った。

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