音楽

アトミヴォーカルアンサンブル第1回演奏会 とてもよかった!

 2018925日、日本福音ルーテル東京教会で、アトミヴォーカルアンサンブル第1回演奏会を聴いた。アトミヴォーカルアンサンブルというのは、跡見学園女子大学マネジメント学部マネジメント学科イシカワゼミの学生中心の女声合唱団。この合唱団を指導するイシカワカズ氏とは40年来の知己であり、氏の息子さんである石川星太郎氏が指揮の道に入ったころから噂には聞いていた。ぜひ、この若き指揮者の演奏を聴きたいと思っていた。今回、その演奏が聴けるとあって、雨の中、アマチュアのコンサートに足を運んだのだった。

 この合唱グループの最初の曲、フォーレの「アヴェ・マリア」でびっくり。正直言って、合唱に関してはあまり期待していなかったのだが、なかなかどうしてきれいな声ではないか! それどころか、ちゃんとフォーレになっている! フォーレの音楽は実は難しい。元気よく歌いすぎると壊れてしまう。繊細にやさしくしっかりと演奏しなければならない。指揮がよいためだと思うが、それがしっかりとできている。最後の曲、フォーレの小ミサ曲もとてもよかった。もちろん、時々音程が怪しくなるし、自信なげなところもある。だが、アマチュアでこれだけできれば大したもの。見事な頑張りだと思う。

 音大でもなく、芸術学部でもない学部の学生たちがここまでの仕上がりを見せるのは、本人たちの努力もあっただろうが、指導のたまものといえるだろう。そして、指揮の見事さによるだろう。もちろん、技術的な未熟さが目立たない曲をうまく選んでいるが、なかなかこれほどできるものではない。

 そして、もう一人素晴らしかったのはソプラノの岡田愛だ。バッハの「マニフィカト」の第3曲とフォーレの「レクイエム」の「慈悲深いイエスよ」を透明で抜けのよい美声で歌ってくれた。宗教音楽にぴったりの清澄な声。久しぶりに日本人のこのような美しい声を聴いた! アンコールの木下牧子の歌曲も素晴らしかった。日本語の発音もきれい。石川のピアノ伴奏も味わいがあってよかった。

 石川星太郎。この指揮者の演奏をまた是非聴きたいものだ。

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鈴木優人+BCJのモーツァルトのレクイエム 素晴らしかった!

2018924日、東京オペラシティ コンサートホールで、バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会を聴いた。指揮は今回、首席指揮者に就任した鈴木優人、曲目は前半にモーツァルトの交響曲第25番と、ソプラノのモイツァ・エルトマンが加わっての演奏会用アリア「私があなたを忘れるだって?…おそれないで、恋人よ」KV505、後半に「レクイエム」と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。

前半を聴いた時点では、実は少し不満を覚えた。いくら鈴木優人でもバロック音楽のようにはいかないな、と思ったのだった。私の不満を一言で言えば、「モーツァルトらしく歌わない」ということに尽きる。もちろん、ト短調の交響曲なので、悲劇的でドラマティックな表現が強くなるのはわかるが、それでも第2、3楽章は歌ってほしい。が、古楽器であるせいなのか、奏でられない。とりわけ第2楽章はぶつ切れのようになって、私は退屈に感じたのだった。

エルトマンについては、清楚で美しく、しかも強い声。ロマンティックになりすぎずに、抑制をもって、しかし的確に表現している。モーツァルトにぴったり。先日、リサイタルでその力量を知ったのだったが、改めて素晴らしい歌手だと思い知った。

後半の「レクイエム」は冒頭から陰影が深くて悲劇的、しかもこの上なく美しい。最初から最後まで、前半とは打って変わって、彫りの深い最高に美しい音楽が繰り広げられた。やはり、バッハ・コレギウム・ジャパンは合唱が素晴らしい。一つ一つの音が豊かでありながらも決して過剰ではない表情を持っている。オーケストラだけの交響曲では不満を感じたのだったが、合唱が加わった途端に最高の音楽になった。エルトマン(ソプラノ)のほか、マリアンネ・ベアーテ=キーラント(アルト)、櫻田亮(テノール)、クリスティアン・イムラー(バス)も全員が素晴らしい。

決して過激な表現ではない。少し前、NHKBSで放送されたクルレンツィス指揮、ムジカエテルナのような先鋭的で個性的な演奏を聴いたが、それとはまったく異なるずっと正統的な音楽。小細工はしないで真正面からモーツァルトの最期を表現しようとしているかのよう。「ラクリモザ」の部分など、何度も涙が出そうになった。

「レクイエム」が終わった後、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。これも素晴らしかった。

 鈴木優人が首席指揮者に就任して、ますますこの団体の演奏が楽しみになった。

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東京オペラプロデュース「ルイーズ」を楽しんだ

 2018922日、新国立劇場中劇場で東京オペラプロデュース公演、ギュスターヴ・シャルパンティエ作曲「ルイーズ」をみた。指揮は飯坂純、演出は馬場紀雄。

 実演はもちろん映像もこれまで見たことがなかったと思う。有名なアリアだけは何度か聴いたことがあった。初めてみて、とても興味深いオペラだと思ったが、同時に作品としての限界も感じた。

 両親にがんじがらめにされて愛する人との交際も禁じられたパリの娘ルイーズが束縛から自ら逃れる物語。それをパリの市井の人々の生活と絡めて描く。作曲者ギュスターヴ・シャルパンティエ(ドビュッシーやシュトラウスと同時代のフランス人)の意図はよくわかる。まさしく自然主義文学のオペラ版だ。だが、この台本だったら、ヤナーチェクのような、もっと鋭利な音楽にすべきではないか。台本のわりには、かなり平凡で、時に甘ったるい音楽が歌われる。市井の人の生活感も音楽によってはさほど伝わらない。もちろん、しばしばきれいな音楽が聞こえてくるが、描かれている世界とそぐわない。

 いや、台本自体、市井の人々と主役四人の描き方が中途半端だと思う。さほど刺激的でもなく、かといってさわやかなわけでもなく、現実をえぐりだすわけでもない。また、シュトラウスの「インテルメッツォ」のように徹頭徹尾、下世話な形而下的夫婦話を描こうとするわけでもない。もう少し徹底してくれないと、インパクトを感じない。

 歌手陣はとてもよかった。とりわけ、ルイーズの菊地美奈は声も伸び、音程もよく、素晴らしかった。ジュリアンの高田正人、父の米谷毅彦、母の河野めぐみもしっかりした声で見事に歌っていた。そのほかの歌手たちもとてもレベルが高かった。これまでこの団体のフランス・オペラを見ると、どうしてもフランス語の発音の不正確さが気になったが、今回はかなりこの面に気をつかったと見えて、私はまったく気にならなかった。

 指揮については知らない曲なので何とも言えない。ただ、オーケストラ(東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団)については、しばしば精妙さを欠いたが、おそらく練習時間をあまりとれなかったのだろう。

 演出の馬場はシャルパンティエの時代と現代の日本の状況と重ね合わせたかったのだろう。台本からすると、ルイーズの一家も、そしてお針子たちももっと貧しく描くべきだろうが、そうなると現代の日本とかけ離れてしまう。そのため、少し階層を上げて描いたのだと思う。だが、そのためにルイーズの父の絶望的な気持ちが伝わらないし、閉塞状況とそこからの解放の願望が弱まってしまった。熟慮の結果、このような形を選択したのだと思うが、私としては、もっと貧しく描くべきだったと思う。

 とはいいつつ、ともあれ前から一度見たいと思っていた「ルイーズ」を見ることができて、とてもうれしかった。これからもこのような珍しいオペラを上演してくれることを切に願う。

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カンブルラン+読響のブルックナー4番に興奮

 2018921日、サントリーホールで読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。曲目は前半にモーツァルトの「後宮からの逃走」序曲とピアノのピョートル・アンデルシェフスキが加わって、ピアノ協奏曲第24番。後半にブルックナーの交響曲第4番(2004年版コーストヴェット校訂版)。素晴らしい演奏。

 まず、「後宮からの逃走」の最初の音にびっくり。なんとしなやかで柔らかくて美しい音! 読響はこれほど素晴らしいオーケストラになっていたのかと改めて驚いたのだった。序曲は本当に見事な演奏。疾走感があり、しなやか。

 ピアノ協奏曲もよかった。アンデルシェフスキの演奏を初めて聴いたと思うが、実に繊細。外面的な効果を狙わずに、内省的に音楽を進めていく。美しい音を連ね、しみじみと演奏。短調のこの曲の悲劇性を誇張するわけでもなく、まさしく音そのものを浮かびあげるような演奏。大変好感を持ったが、ただもう少しドラマがないと、深い感動をしないとも思ったのだった。

 後半のブルックナーは圧倒的だった。まずオーケストラの見事さに感服。とりわけホルンが素晴らしい。日本のオーケストラでホルンに感服することなどないのだが、今回はホルンの音の美しさに何度もほれぼれした。そのほかの管楽器も、そして弦楽器も素晴らしかった。

 カンブルランの指揮については、何と形容してよいのかわからない。これまで私が聴いてきたブルックナーとあまりに違う。これまでの指揮者たちは、ブルックナーの魅力的な様々な面をあえて無視して一つの面だけを強調して演奏してきたのだとつくづく思った。クナッパーツブッシュはもちろん、ヨッフムにしてもヴァントにしても、崇高でスケールの大きなブルックナーを表に出し、それ以外のブルックナーは陰に隠れていた。カラヤンだって、バレンボイムだって、ヤングだって、崇高さは強調しないにしても、何らかの一つのトーンを前面に押し出すことで力任せに統一を取っているきたように思える。ところが、カンブルランはこれまで多くの指揮者が顧みなかった様々な魅力をブルックナーの音楽から引き出してくれる。一つ一つの部分があまりに美しい。万華鏡を見るように、ブルックナーの音楽が持つ様々な表情を聴かせてくれる。だが、カンブルランがすごいと思うのは、様々な表情をブルックナーの音楽の中から引き出しながら、完璧に統一が取れており、最後には納得させてしまうことだ。

 第2楽章はゆっくりと繊細に管楽器の美しさを描き出し、ブルックナーのしなやかな面を聴かせてくれた。第3楽章はもっとダイナミックな世界を展開してくれた。そして、第4楽章で、これまでの楽章を踏まえながら、曲折を経て高みに上っていく。その構築感も見事。

 私はカンブルランの魔法にかけられたように、ブルックナーの世界を生きた。まさに魔法だと思った。何度か感動の涙を流した。カンブルランの演奏を聴くと毎回思うが、本当にすごい指揮者だ!

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オラモ+ロイヤル・ストックホルム・フィルの第九 全体的にとても良かった

 201894日、サントリーホールでロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニーのコンサートを聴いた。スウェーデン皇太子夫妻と高円宮妃殿下が列席なさっての特別演奏会。曲目は前半に「ノーベル賞組曲」(ノーベル賞の授賞式に演奏されるビョルリン、モーツァルト、ドヴォルザーク、シベリウス、ラーション、アルヴェーンらの作曲した曲)、後半にベートーヴェンの交響曲第9番。指揮はサカリ・オラモ。この指揮者もこのオーケストラも実演を聴くのは初めて。

 全体的にはとてもよい演奏だと思った。オーケストラの精度もなかなか。全体的にバランスがよいし、弦の音も美しい。よくコントロールされている。指揮もメリハリがあり、高揚するところは実に見事。第九の第1楽章と第4楽章は素晴らしかった。何度か魂が震えた。オーケストラを畳みかけて盛り上げていく。ただ、第2楽章と第3楽章には少し不満を抱いた。緻密さを欠く部分が散見される気がした。少なくとも、今日の演奏を聴く限り、この指揮者はドラマティックで盛り上がる表現を得意にしているが、繊細な表現には少し難がありそう。とはいえ、終わった時には私は大いに感動したのだった。

 独唱は素晴らしかった。ソプラノのカミラ・ティリング(ザルツブルクでこの人の「四つの最後の歌」を聴いて感動した覚えがある!)、メゾ・ソプラノのカティヤ・ドラゴイェヴィッチ、テノールのミカエル・ヴェイニウスもよかったが、とりわけバスのヘイング・フォン・シュルマンにびっくり。若い歌手だが、深くて美しい声で声量も豊か。合唱は新国立劇場合唱団。これも実に見事。声楽面では最高レベルの演奏だった。

 関西は台風の直撃を受けているようだ。関東は被害は出ていないと思うが、風が強い。空席が目立ったのは台風の影響もあるのかもしれない。列車があちこちで遅延していたり、運休していたりで、いつもとは違うコースで自宅に帰った。

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クオーレ・ド・オペラ公演「道化師」を楽しんだ

201892日、イタリア文化会館でクオーレ・ド・オペラ公演、レオンカヴァッロの「道化師」をみた。この団体が若手中心にレベルの高いオペラ上演をしていることは耳にしていた。「道化師」は私の好きなオペラなので足を運んでみたのだった。期待以上にレベルの高い上演だった。

歌手たちは大健闘。カニオの安保克則はとてもしっかりした声。トニオの小林昭裕も癖のある役を太い声で歌っている。ネッダの今状華乃子もきれいな声。ただ、三人とも演技も歌い回しもあまりに優等生的で育ちがよさそうなのが気になった。演出意図によるのかもしれないが、カニオはもっと荒くれであり、トニオはもっと屈折しており、ネッダは蓮っ葉なのだと思う。そうでないとストーリーや音楽がいきてこない。私は最前列だったので歌手たちの顔の表情までよく見えたが、目の演技も含めて、もう少し演じることを考えてほしいと思った。シルヴィオの上田隆晴、ペッペの江頭隼は歌唱的には少し弱さを感じたが、演技面では主役三人よりも真に迫っていたかもしれない。

特筆するべきは、村人たちを歌った合唱の面々だ。歌も演技も見事だと思った。そして、澤村杏太朗の指揮、山口佳代(ピアノ)、清岡優子(ヴァイオリン)、平田昌平(チェロ)の演奏もとてもよかった。小編成ながらドラマティックで明快な音楽を創り出していた。私はとりわけ清岡のヴァイオリンのクリアな音に惹かれた。

飯塚励生の演出は簡素な舞台装置ながら十分にドラマティックな世界を創り出していた。無駄なくドラマをわからせ、ほとんど何もない舞台上にイタリアの村を感じさせる手腕は見事だと思った。ただ、特に強い自己主張は感じられなかった。

ともあれ、全体として90分ほどの舞台の間、息を飲み、時折感動しながらオペラを楽しむことができた。このような団体がこれほど高いレベルのオペラ上演をしているのはとてもうれしいことだ。

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オレグ・クリサ 枯れた味わいのヴァイオリン

201891日。四谷区民ホールでオレグ・クリサ ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。

 オレグ・クリサの名前は知らなかった。たまたまネットで告知を見つけた。オイストラフの高弟だという。ウクライナ出身だという。現代作曲家の多くが曲を献呈しているという。世界の巨匠として知られているという。かつてオイストラフの録音に熱狂し、このところ旧ソ連に大いに関心を惹かれている私としては聴かないわけにはいかない。

 ヴァイオリンが始まる前に、客席にいた人たち4、50人のア・カペラによる合唱でウクライナの古い歌が歌われた。アマチュアの方たちらしいが、素晴らしかった。

 ヴァイオリンの曲目は前半にブラームスのF.A.E.ソナタの第3楽章とブラームスおヴァイオリン・ソナタ第3番。後半にシューマンのソナタ第1番と、スタンコーヴィチという現代作曲家がクリサのために書いた「Almost Serenade」の世界初演、そしてヴィエニャフスキの小曲。

 オイストラフのようなダイナミックでロマンティックで厚い音のヴァイオリンを期待していたのだが、まったく正反対。悪く言えば、メリハリがなく、一本調子で元気のない音楽。見かけもかなりの高齢者(76歳だとのこと)だが、音楽は見た目以上に若さがない。音も美しくない。しばしば音が濁り、音程もよくない。初めは「なんてひどい演奏だ!」と思った。かつてのテクニックを失ってしまったのだろうと思った。

 が、聴き進めるうち、枯淡の境地に心地よさを感じてきた。これはこれで一つの芸だと思った。肩の力を抜いた脱力系の音楽。あまり美しくない音でメリハリなく弾くのだが、ちゃんと音楽になっている。しみじみとブラームスの、そしてシューマンの音楽が形作られていく。もしかしたら、ふだん私たちが聴いている音楽こそが、厚化粧の、大げさに表現した音楽なのではないか。クリサの音楽のほうが、ブラームスやシューマンの作りだそうとした世界に近いのではないかとさえ思った。

 ただ、そうは思いながらも、ずっとこれだと少々退屈するとは思ったのだった。

 ピアノはバリー・スナイダー。とてもきれいな音でうまくヴァイオリンに合わせている。スタンコーヴィチの曲ではもうひとり、クリサのお弟子さんだという澤田智恵が加わった。とてもきれいな音だった。

 リサイタルが終わった後、また最初と同じメンバーによる合唱で、またウクライナの曲。これもしみじみと味わいのある歌。

 クリサはほとんど毎年のように来日してヴァイオリンを披露しているという。固定客が多いようで、親密な空間ができている。これはこれでとてもいいコンサートだと思った。

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NHKで放映された2018年バイロイトの「ローエングリン」の演出に怒りを覚えた!

 さきごろNHK・BSで放映された2018年バイロイト音楽祭の「ローエングリン」をしばらく録画したままにしていたが、今日、やっとみた。近年のバイロイト音楽祭でよくあることだが、演奏の素晴らしさに圧倒されつつ、演出のあまりのひどさに怒るしかなかった。

 私が最後にバイロイト音楽祭に行ったのは2012年だった(高齢の母の体調が万全ではないので、その後、1週間以上の海外旅行を見合わせている)が、その時はノイエンフェルス演出のネズミの出てくる「ローエングリン」に呆れて、怒りをこのブログに書いた。今年のバイロイト音楽祭もそれと同じほど、いや、それ以上にひどい。

 先に演奏について感想を言うと、これは素晴らしいの一言。なによりもティーレマンの指揮があまりに凄まじい。近年のティーレマンの指揮については毎回、ただひたすらその音の威力に痺れるしかない。明確な強い音が鮮明さを保ったまま渦まき、うねる。時に魂をえぐるような音になり、時に天国的な音になる。

歌手もそろっている。ローエングリンのピョートル・ベチャワとエルザのアニヤ・ハルテロスももちろん最高に素晴らしいが、それ以上の迫力なのが、テルラムントのトマシュ・コニェチュニとオルトルートのヴァルトラウト・マイヤ。言葉をなくす凄さ。悪役二人が主役を食うことはこのオペラではしばしば起こるが、この二人はそのレベルではない。悪に輝いている。ハインリヒのゲオルク・ツェッペンフェルトもほかの歌手たち同様に素晴らしい。

で、問題のユーヴァル・シャロンによる演出。ローエングリンもハインリヒも明るさがない。主役格の人たちがみんな背中に不気味な羽をつけており、どうやら彼らは電灯に群がる虫を表わしているらしいことがわかるが、第二幕まではさほど大きなことは起こらない。

ところが、第三幕。エルザがローエングリンの素性を尋ねる場面で、エルザが抗うにもかまわず、ローエングリンがエルザをひもで縛る。どうやら、ローエングリンは「女は黙って男のするとおりにしていればいい。夫の素性などを知ろうと思う必要はない」と考えて質問を禁じ、エルザはそれに納得ができずにいる・・・そのようなやりとりがパントマイムでなされるようだ。

そして、最後の場面。エルザはおそらくローエングリンに幻滅して暗い顔をしている。弟ゴットフリートが登場して、エルザはそのほうに歩み寄る。弟は緑のマントに身を包み、緑の光を持っている。そのとき、ローエングリンやハインリヒやブラバントの人々は全員が倒れ、エルザとオルトルートが生き残る。

どうやら、次のようなメッセージをこの演出は伝えているようだ。「愛する人の素性を知ろうとするのは人間として当然なのに、ローエングリンは妻にそれも許さない。つまり、ローエングリンは男権主義者であって女性を無知のままにしておこうとして束縛している。ハインリヒやローエングリン、そしてテルラムントが行っているのは、虫が電灯に向かって争っているような卑小な権力闘争でしかない。そうした権力闘争から離れていたエルザとオルトルートだけが政治権力とは無関係の緑=自然重視の社会を建設できる」。

私はまったく何の予備知識もなく、何も調べずに映像を見ただけだが、私の能力ではこの演出はこのようにしか読み取れない。

確かにワーグナーはかなり極端な男権主義者だろう。ワーグナーのオペラの中に女性蔑視があることは誰でも気づく。ワーグナーの英雄たちは女性に自己犠牲を押し付け、自分は好き勝手なことをしている。だから、私自身は、ワーグナーの女性蔑視を演出によって取り上げるのは、「源氏物語」の光源氏の女権軽視を指摘するのと同じくらいにあまりに凡庸、あまりに陳腐だと思うが、それでもまあ、そのようなことをしたがる演出家がいても仕方がないと思う。そして、同時にワーグナーを神聖化するのではなく、卑小化しようという動きもある。そのような演出があっても、それまたいいだろう。

しかし、鬼の首を取ったようにワーグナーの女性蔑視を中心に据え、しかも、あれほど勇壮な音楽や輝かしい音楽が鳴り響いている時に、ローエングリンやハインリヒを卑小な虫の集団として描くことは、あまりに無神経だと思う。この演出は、まったく冴えがなく、凡庸であるばかりか、音楽を邪魔している。これでは単に、ワーグナーとは何も関係のない演出家の思想であるフェミニズムと自然環境重視の思想をワーグナーを借りて語ったに過ぎない。オペラの持っている本質的な部分を現代の人間に視覚的に示すという演出の役割を放棄している。

バイロイトもそろそろこのような幼児的な目立ちたがり演出から卒業してほしいものだとつくづく思った。

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ストルゴーズ+読響には感動しなかったが、ラムスマのアンコールはよかった

 2018825日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団の演奏を聴いた。指揮はヨーン・ストルゴーズ。曲目は、シベリウスの「フィンランディア」、シモーネ・ラムスマが加わってシベリウスのヴァイオリン協奏曲、後半にドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。

 昨年、ラムスマのフランクのソナタを聴いて、その鮮烈でダイナミックな表現に深く感動した。ラムスマをぜひまた聴きたいと思って出かけたのだった。

 まず、「フィンランディア」はかなり身振りの大きい煽り気味の演奏。ティンパニが大きくなり、オーケストラも激しく大きな音を出す。オーケストラは、金管楽器を含めて、とても勢いのある美しい音を出している。さすが読響。だが、そのわりに私の心は躍動しない。音楽の冴えをあまり感じない。ハッとするところがなく、一本調子に煽っているように感じる。音の濁りも感じる。特に感動することなく、「フィンランディア」は終わった。

 次にラムスマ登場。私は大いに期待したし、ヴァイオリンの最初の音には強く惹かれた。さりげなくクールな音。だが、そのあと、いつまでたっても私は音楽に惹かれなかった。指揮とヴァイオリンがちぐはぐな感じがした。指揮は、熱く盛り上げようとしているようだ。だが、ラムスマのヴァイオリンはそのような熱さをむしろ拒否するタイプの演奏だ。だから、うまくかみ合わない。音楽が中途半端になって、どんな音楽にしたいのかが聞こえてこない。ラムスマも迷いながら弾いている感じ。昨年、聴いた思い切りのよいダイナミックな表現が影を潜めている。協奏曲の最後まで、私はそのような印象を持った。

 ラムスマのアンコールとして、イザイの無伴奏ソナタを弾いた。「怒りの日」が出てくるソナタ2番から。これは素晴らしかった。思い切りのよい鮮烈な音。クリアで鋭くて音程がよくて、音楽の躍動も見事。この日の演奏でこれが一番良かった。私が期待していた通りの演奏。こんな演奏が聴きたいと思って、足を運んだのだった!

 後半の「新世界より」も「フィンランディア」と同じような印象を持った。速めのテンポでかなり煽り気味。もちろん様々な表現をしているし、緩急をつけ、楽器の美しさを引き出しているのだが、なぜか私には一本調子に聞こえてしまう。新鮮さを感じない。第2楽章のイングリッシュ・ホルンはきれいなのだが、全体的に雰囲気というか香りのようなものを感じない。第3楽章も躍動せず、第4楽章も私の心は不発に終わった。

 しばらく心の底から感動するコンサートに出会っていない。

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ティアラこうとう「ドイツ・レクイエム」

2018819日、ティアラこうとうで飯守泰次郎指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、ティアラこうとう真夏のレクイエム合唱団(合唱指揮:四野見和敏)の演奏でブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴いた。ソプラノは安井陽子、バリトンは萩原潤。

合唱団は140人前後(横20人が7列並んでいたような気がする)。ただ、この合唱団の精度がよくなかった。どうやら市民合唱団のようだ。ブラームスのこの曲で合唱の精度がよくないと、聴いていてかなり苦しい。もちろん、市民合唱団としては大健闘しているし、それはそれで素晴らしいことだが、アマチュア合唱団と知らないで聴きに行った(臨時編成のプロの合唱団だと思っていた)人間からすると、少々がっかりした。もう少し人数を減らして精度を上げるほうが、結果的に迫力ある演奏になったのではないかと思う。

ただ、東京シティ・フィルはまったくだれることなく真摯に音楽を作っていたし、マエストロ飯守もドラマティックな音楽を創り出していた。とりわけ第二楽章の深みは圧倒的だった。

二人のソリストも見事だった。とりわけ安井陽子は音程のしっかりとした清澄な声で、しかも声量もたっぷり。これまで何度も安井の歌は聴いてきているが、改めて素晴らしい歌手であることに納得した。

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