音楽

ティツィアーナ・ドゥカーティの素晴らしい歌声

 20171020日、紀尾井ホールでティツィアーナ・ドゥカーティ、オペラ・コンサートを聴いた。共演はバリトンの井上雅人、ピアノ伴奏は山口研生。全体的にとても良い演奏だった。

 曲目は前半に「サンソンとデリラ」、「ハムレット」、「ルチア」などからのアリア、後半には「トスカ」のハイライト。山口によるピアノ・ソロ曲も演奏された。

ドゥカーティは、音程のしっかりした伸びのある声で見事。井上も日本人離れしたしっかりした声。二人の二重唱も聴きごたえがあった。二人の声はしばしば会場内に響き渡った。素晴らしい歌手たちだと思う。

 ただ、実を言うと、以前にドゥカーティの歌を聴いた時、もっと素晴らしいと思い、もっともっと感動したのだった。今回は少し欲求不満に終わった。

 もちろん、素晴らしい歌声、しっかりした歌唱。素材としては素晴らしい。だが、あれほど素晴らしいドゥカーティの声を十分に堪能できなかった。

 私はプログラムに不満を覚えた。前半の曲目に一貫性がなく、どのような理念でプログラムを組み立てているのかよくわからなかった。フランスものを組みあわせているのかと思うと、最後にはドニゼッティになった。後半は「トスカ」で統一されていたが、ハイライトとしてもドゥカーティを味わうにも中途半端だった。もっともっと堪能したかったのだが、それができずに終わりになってしまった。しっかりした理念に基づき、歌手のよさを発揮できるような曲目を選び、最後の感動させるように演出してこそ素晴らしいコンサートになると思うが、それが欠けているために、せっかくの素晴らしい演奏家がその素晴らしさを示せずに終わったように思った。

 それにしても、ドゥカーティの声は美しい。音程も歌いまわしも実にいい。素晴らしい歌手だと思う。近いうち、理想的なコンサートを聴きたいものだ。

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新国立劇場「神々の黄昏」最終日 初日以上の凄さ!

 20171017日、新国立劇場で「神々の黄昏」をみた。今回のプロダクションは初日(101日)にみたので、これが二度目。初日以上に、今回は素晴らしかった。

 第一幕の時点では、初日のほうがよかったのではないかと思った。オーケストラのミスは今回のほうがずっと少なかったが、厚みや緊密性が欠ける気がした。また、ペトラ・ラングの声が十分に出ていなかった。音程も不安定でかなり苦しげだった。が、ラングは徐々に回復。オーケストラも第二幕以降は厚みが増し、うねりだし、徐々にワーグナーの音になっていった。グールドも気品ある声が豊かに響き、ラングは強靭な声で表現力豊かに歌った。

 第三幕は第二幕以上に圧巻だった。もちろん、ところどころにミスはあったが、全体的には世界最高レベルだと思った。ラングとグールドの二人があまりに圧倒的。バイロイトのこれまでの最高レベルの人たちに匹敵すると思う。私が生で聞いたジークフリート歌手の中では、グールドはルネ・コロに劣らないと思う。ブリュンヒルデ歌手の中では、ラングは私が生で聴いたリゲンツァ、グィネス・ジョーンズ、ポラスキ、ヴォイト、テオリン、ワトソンに勝るのではないか。このレベルの二人が歌うのははなかなかないことだと思う。

 そして、日本人歌手たちも素晴らしい。脇役だとはいえ、主役に匹敵する歌をしっかりと歌っている。日本人歌手たちが新国立的情が世界トップレベルにいることを証明している。

 カーテンコールで、ラングに対して激しくブーイングしている人がいた。私には理解できないことだ。どこをどのように否定的にとらえるのか、ラング以上のブリュンヒルデをだれに求めるのか、私としては大いに気になった。

 ともあれ、素晴らしい上演だった。新国立劇場史上でもまれにみる名演だと思う。これほどの上演をしてくれるなら、わざわざバイロイトまで行って意味不明の演出のついた上演を見る必要はないと思った。

 スリランカから16日に戻ったばかり。夕方、自宅に到着。その翌日の「神々の黄昏」なので体調面で少々不安があったが、これほどの上演では、眠気を感じることもなく、体調の異変もなく、ともあれ最後まで感動してみることができた。

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ユロフスキ+ロンドン・フィルノチャイコフスキー 私の好みの演奏ではなかった

 20171011日、東京文化会館で を聴いた。実は会場を間違えてサントリーホールに行ったため、遅刻した。我ながら情けない! 年に一度くらいこんなことがある。そのため、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲は聴けなかった。前半は最後尾の席で聴いた。

 曲目は、そのほか、辻井伸行が加わってラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。後半にチャイコフスキーの交響曲第5番。

 しばらく前から、ユロフスキを聴きたいと思っていた。グラインドボーン音楽祭で上演されたDVDによるワーグナーを聴いて、実はあまり気に入らなかったのだが、途中に盛り上げ方などがとても気になった。一度、実演を聴きたいと思っていた。

 ところが、 残念ながら、やはり私の好きな演奏ではなかった。 ラフマニノフもチャイコフスキーも、私には求心力がないように聞こえる。時々、一本調子な感じがする。盛り上がっていくし、それはそれでダイナミックであり、情熱的なのだが、なんだかちぐはぐな感じがしてしまう。ロシア音楽風にもなっていないし、だからといってそれを超える魅力も感じることができなかった。

 グラインドボーン音楽祭のDVDを思いだした。同じような印象だった。じっくりと盛り上がっていかず、突然、盛り上がってしまって、私にはついていけない気がしてしまう。

 辻井伸行のピアノについても、私はあまりおもしろいとは思わなかった。ラフマニノフは私の好きな作曲家ではないので、もちろんよくはわからないのだが、もっと絢爛豪華にやるか、もっとロマンティックにやるか、あるいは内向的にやるか、何かしら自己主張してくれないと、聴いていてよくわからない。

 アンコールは「エフゲニー・オネーギン」の第三幕のワルツ。もちろんとても良い演奏。ロンドフィルの実力が良くわかる。だが、この曲についても、私には何をしたいのか、よくわからなかった。

 なんだかよくわからないままコンサートが終わった印象。もちろん、良い演奏だと思う。大喝采が続いていた。が、少なくとも私の好みの演奏ではなかった。

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風の丘HALL公演 オペラ「ヘンゼルとグレーテル」 大人の世界に対する子どもの世界の反乱

 2017109日の昼、千葉市の風の丘HALL公演、フンパーディンク作曲「ヘンゼルとグレーテル」をみた。

 この劇場は、85席ながらピアノ伴奏によって本格的なオペラを上演している。目の前で一流の歌手、一流の演出によるオペラを見られるのは、実に贅沢。今回もきわめて高レベルの上演だった。

 とりわけ、グレーテル歌った吉原圭子が素晴らしかった。音程がよく、澄んだ声が伸びている。演技も見事。容姿も含めてグレーテルにぴったり。かわいらしい女の子に見える。日本語もとても聞きとりやすかった。

 ヘンゼルの杉山由紀もしっかりとした歌唱と演技で見事だったし、魔女の小山陽二郎とペーターの飯田裕之は、ともに笑いを誘う演技とアドリブも含めて、とても楽しかった。ゲルトルートの斉藤紀子も張りのある声、眠りの精・露の精の藤井冴も神秘的な雰囲気を出してとてもよかった。ピアノの巨瀬励起も指揮者の役割を果たして、全体をコントロールしているのがよくわかった。風の丘HALLの主催する千葉ジュニアオペラ学校の子どもさんたちが出演。

 グリム童話では、子減らしのために母親が二人を捨てようとして森に追いやる。ところが、フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」は、ワーグナーの弟子にしては台本も音楽も毒がない。魔女を除けばみんなが善人。魔女にしたところで、なかなか愛嬌があって、間が抜けている。残酷な場面はない。

三浦安浩の演出も、表面的には無邪気でかわいらしい子どもたちの夢を描いている。表だって残酷なことを描かない。が、ゲルトルートはかなり過激な表情をし、まるで魔女のよう(もし、意図していなかったとしたら、斎藤さん、ごめんなさい!)だし、偶然かもしれないが魔女とペーターは顔も体型もよく似ている(もし、意図していなかったとしたら、もしかしたら、失礼にあたるでしょうか?)。つまり、魔女と母親・父親の相似性が現れている。そして、三浦さん自身がプログラムに書いている通り、魔女の家はヘンゼルとグレーテルの家にそっくり!(私はこれは単に経費節約のためだとばかり思っていたが、このような一石二鳥があったとは!)

最後、子どもたちが神様に感謝する。もちろん、フンパーディンクの頭にあるのはキリスト教の神様だろう。しかし、おそらく、三浦演出では、間違いなくもっと広い意味の、子どもが思い描くような「神様」だろう。お菓子を与えてくれ、元気を与えてくれ、エネルギーを与えてくれるような大きな存在。そして、大人の世界の論理をひっくり返してくれるような巨大なエネルギー。

私には、この「ヘンゼルとグレーテル」は、大人の世界に対する子どもの世界の反乱宣言のように思えた。

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リフシッツのベートーヴェン 壮大さと禁欲的リリシズム

 2017108日、武蔵野市民文化会館でコンスタンチン・リフシッツのピアノ・リサイタルを聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」、後半にピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」。長大な難曲2曲をリフシッツは見事に演奏。素晴らしい。

 すべての音がクリア。強い音はクリアな中に強烈さがある。弱い音はしなやかでリリシズムにあふれている。それをきわめて知的に構築していく。私にわかる限りでは、ミスはまったくないように思えた。完璧な技術、見事な音楽性。

 ただ実は、私はピアノ曲はあまり聞かない。今回のコンサートは、知人に勧められて聴いてみた。そんなわけで、「ディアベリ変奏曲」の実演を聴くのはこれが初めてだった。これまでLPCDで何度か聴いたことがあったが、何度聴いても、ディアベリのテーマをベートーヴェンがどう変奏しているのかつかめない。どこがどう変奏されているのかわからない。実演をじっくり聴けば納得できるだろうと思っていたが、やはりわからなかった。私の音楽的素養不足を痛感。

とはいえ、ある種の制限の中で独自の宇宙を展開しているのを聴くつもりになると、圧倒的で感動的な部分はたくさんある。何番目の変奏かは確かめていないが、何度かその禁欲的なリリシズムや壮大な音の躍動に酔った。

「ハンマークラヴィ―ア」も素晴らしい演奏。第一楽章の壮大さもさることながら、終楽章のフーガに圧倒された。これはとてつもない曲だと改めて思った。ただ、これも私の音楽的素養不足としか言いようがないが、有名な第3楽章について、演奏云々の前に、私は十分にベートーヴェンの音楽そのものを理解できない。もちろん、しばしば素晴らしいと思うが、ピアノの音だけで演奏されると、頭がついていかない。ピアノの独奏曲をめったに聴かないので、弦楽器か管楽器がほしくなってしまう。

 アンコールはベートーヴェンのバガテルの中の1曲とのこと。

 ベートーヴェンのすごさ、リフシッツのすごさを大いに感じながら、ピアノ曲を聴きなれない自分の音楽的素養の不足を痛感するリサイタルだった。

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幻のソプラノ歌手ティツィアーナ・ドゥカーティ・オペラコンサート迫る!

S_6804995296533  ティツィアーナ・ドゥカーティというイタリア人のソプラノ歌手がいる。私がその真価を知ったのは、昨年のことだ。そして、今年の4月、そのリサイタルを聴いて、改めてそのすごさを知った。澄んだ声。ドラマティックな歌いまわし。正確無比な音程。そして、華麗な容姿。すべてにおいて申し分ない。その時の感動については、このブログにも書いた(http://yuichi-higuchi.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-6a0f.html)。ソプラノ歌手として世界最高レベルの一人だと思う。

かつてイタリアの数々の声楽コンクールに入賞、ミレッラ・フレーニ、ニコライ・ギャーロフとも共演、フェニーチェ劇場でゲルギエフ指揮により「ドン・カルロ」のエリザベッタを歌うなど、イタリア各地でヴィオレッタ、ルチア、蝶々夫人などの主役を歌ってきた。

 ところが、事情があって、イタリアでのキャリアを振り切って来日したという。なんと、現在、日本で活動している。それなのに、多くの人に知られていない。こんな世界的なソプラノ歌手がすぐ近くにいるのに、知られずにいる。こんなもったいないことはない。

 そのティツィアーナ・ドゥカーティが、1020日(金)に紀尾井ホールでコンサートを開く。曲目はドゥカーティが得意とするイタリア、フランスのオペラからのアリアが中心だ。ピアノ伴奏は山口研生、井上雅人(バリトン)がゲスト出演する。

 私は、たまたまこの歌手の実力を知った人間として、応援している。ぜひ、多くの方においでいただきたい。そして、これほどすごい歌手が日本で暮らしていることを知っていただきたい。

 

日時:20171020日(金) 1900 開演 (1830開場)

会場:紀尾井ホール(東京)

入場料: 全席自由一般 5000円 /学生 3000円 (当日500円増し)

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シャイー+ルツェルン祝祭管の「春の祭典」に驚嘆

 2017106日、サントリーホールで、リッカルド・シャイー指揮、ルツェルン祝祭管弦楽団の演奏を聴いた。前半はベートーヴェンの「エグモント」序曲と交響曲第8番、後半にストラヴィンスキーの「春の祭典」。

「エグモント」序曲が始まった途端に、オーケストラのとてつもない音に驚嘆。日本のオーケストラもなかなかいいと思っていたが、こうして世界最高レベルの音を聴くと、日本のオケもまだまだだという気になる。それほどすごい。オーケストラの音って、こんなにきれいなんだったか! と改めて思った。弦の柔らかくて強靭で味わいのある音。管楽器も美しい。

 ただ、シャイーのベートーヴェンに関しては、私はかなり疑問に思った。とりわけ交響曲第8番に関しては納得いかないところだらけだった。構成感がなく、なんだか意味なく急いでいる感じがする。時々、「ぐしゃぐしゃ」という感じで突っ走る。第三楽章冒頭のテーマのリズムも私には少し不自然に聞こえた。シャイーは決して嫌いな指揮者ではない。実演も何度か聴いてかなり感動した記憶があるし、CDのボックスも購入し、気に入って聴いている。が。今回、なぜだか性急さが気になって仕方がなかった。

 が、後半の「春の祭典」になると、ただひたすら圧倒された。切れがよく、リズム感がよく、力感にあふれ、ダイナミック。そして、やはりオーケストラが素晴らしい。音に色彩感があり、きわめて鮮明で、音がまったく濁らず、あれほど速くて大きな音を出しているのに、まったくずれない。ただただビックリ。

 アンコールは「火の鳥」の一部。これもすさまじい。色彩的な音の洪水に酔った。

 ただ、感動したかといわれると、実はそれほどでもなかった。「春の祭典」はそれほど好きな曲ではない。私は古典派好き、ドイツ音楽好きであって、今日の目的はベートーヴェンだった。ちなみは、第8番は第4番、第5番、第9番とともに大好きな曲だ。ストラヴィンスキーはおまけみたいなものだった。ベートーヴェンに感動できなかったので、少々残念だった。

 しかし、凄まじいオーケストラの音を味わい、とてつもない「春の祭典」を聴けたので、もちろん不満はない。

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前橋汀子カルテットのベートーヴェン もっと殺気がほしいと思った

 2017102日、武蔵野市民文化会館小ホールで前橋汀子カルテットの演奏を聴いた。メンバーは、そのほか久保田巧(第二ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、原田禎夫(チェロ)。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番と第11番「セリオーソ」、後半に第16番。すべてベートーヴェンの弦楽四重奏。日本の名手たちなので、素晴らしいベートーヴェンの弦楽四重奏曲が聴けると思って、期待して出かけた。

 ただ、私は少々不満を抱いた。

 私は、1970年代、アルバン・ベルク四重奏団を聴いて、音程のよい、キレのある、ビシッと決まってヴィヴィッドなベートーヴェンに私は驚いた。とりわけ後期の四重奏曲は殺気だつほどの音楽だった。それ以前、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲に納得できずにいた私は、これを聴いて、なるほどこのように演奏してほしくてベートーヴェンは作曲したのかと納得したものだ。

 アルバン・ベルク四重奏団の後に出てきた団体は、すべてそれを踏襲したり、それに新たなものを付け加えた演奏をしてきたと思う。ベートーヴェンの死後、すべての作曲家がその偉大な存在を意識せざるを得なかったと同じように、アルバン・ベルク四重奏団の登場以降、それを意識しないでベートーヴェンの弦楽四重奏曲を演奏することはできなかったと言えるだろう。

 ところが、前橋汀子カルテットの演奏はまるでアルバン・ベルク四重奏団が存在しなかったかのような演奏だった。もちろん、アルバン・ベルクの演奏を乗り越えようとして、あえて1970年より前の様式で演奏しようとしているのなら、それでよいと思う。が、それならそれで、もう少し自己主張してほしい。私には、何をしようとしているのかよくわからなかった。

 名手たちの演奏なので、縦の線はぴたりと合っており、自然に音楽は流れる。が、メリハリがなく、ベートーヴェンの精神に肉薄するところがないように私には思えた。ベートーヴェンの、とりわけ後期の曲は殺気にあふれているのではないか。とりわけ、第16番は、殺気だった世界の後の、平明な達観した境地ではないのか。まったくそれが感じられなかった。いや、そうでなければなくていい。が、そのような解釈とは異なる別の解釈であれば、それを聴かせてほしかった。

 アンコールにチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。これが一番良かった。その後、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番の終楽章。これもよい演奏だった。が、全体として、私としては満足できなかった。

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新国立劇場「神々の黄昏」 すべてがそろった世界的名演に感涙した

2017101日、新国立劇場で「神々の黄昏」の初日をみた。指揮は飯守泰次郎、演出はゲッツ・フリードリヒ。「リング」のチクルスの最終回。素晴らしかった。第三幕後半はずっと興奮していた。

まず、ブリュンヒルデを歌ったペトラ・ラングに圧倒された。これまで、ジークリンデやオルトルートを聴いたことがあったが、ブリュンヒルデは初めて。清純な細めの声だが、よくとおり、芯が強い。第二幕は声量もたっぷりに音程の良い美しい声を聴かせてくれた。第三幕では、やや疲れが出た感じがしたが、それでも最後まで見事に歌い切った。しかも、この人、演技も素晴らしい。新妻らしい色気にあふれる場面、呪いに満ちた怒れる場面、最後の自己犠牲の場面、すべての面を自然に見せてくれた。そして、もちろん容姿も大変良い。素晴らしい歌手だと思った。このような可愛らしさのあるブリュンヒルデもとても魅力的だ。

ジークフリートを歌ったステファン・グルードももちろん素晴らしい。私は、バイロイトでも日本でも何度か彼のジークフリートを聴いてきたが、声が安定しており、輝きがある。そのほか、ハーゲンのアルベルト・ペーゼンドルファーも太いしっかりした声で、存在感のある悪役ぶりを発揮してくれた。グンターのアントン・ケレミチェフもこの役にふさわしい。しっかりした声。

 ヴァルトラウテを歌ったのはヴァルトラウト・マイヤーだった。かつての大歌手。私は、バイロイトでもベルリンでも日本でも、何度も感動に打ち震えた覚えがある。確かに声の輝きは以前ほどはないが、存在感、歌い回しはさすがというしかない。心にぐいぐいと迫ってくる。

 アルベリヒの島村武男は外国人勢にまったく引けを取らない歌唱。アルベリヒにぴったりの歌と演技。そして、グートルーネの安藤赴美子も、ちょっと声は小さいが、優雅で色気があって実に良い味を出していた。

 ヴォークリンデの増田のり子、ヴェルグンデの加納悦子、フロスヒルデの田村由貴絵、竹本節子、池田香織、橋爪ゆかのノルンたちも、世界最高の劇場にまったく引けを取らない。三澤洋史指揮の新国立劇場合唱団も時に震えがくるくらいすごかった。

 そして、特筆するべきは、飯守指揮による読売日本交響楽団だろう。前回の「ジークフリート」では、マエストロ飯守らしい「うねり」がないのが、私には少し物足りなかったのだが、今回はしっかりと「うねり」があり、厚いワーグナーの響きがあった。私は今回のオーケストラの音にしばしば酔った。もちろん、いくつかミスはあったが、全体的には実に精妙で芯のある音が続いていた。

 ゲッツ・フリードリヒの演出は、今となってはかなり常識的な解釈。すべて既視感がある。とはいえ、そうした現在、常識とされているような演出を作りだした一人がゲッツ・フリードリヒなのだから、その偉大さを味わうべきだろう。先月のバイエルン国立歌劇場の「タンホイザー」のような意味不明の演出に邪魔されず、しっかりとワーグナーの楽劇の世界に浸ることができた。第三幕は、やはり圧倒され、感動し、涙を流した。

 皇太子殿下が見えられていた。そのせいもあるのかもしれない。とても気合の入った演奏に思えた。まさしく世界最高レベルの「神々の黄昏」だと思った。

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レイ・チェンのバッハの無伴奏ヴァイオリン全曲演奏 何度か魂が震えた

 2017930日、サントリーホールでレイ・チェンによるバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、パルティータ全曲演奏を聴いた。素晴らしい演奏だった。

 レイ・チェンは1989年、台湾生まれのヴァイオリニスト。メニューイン・コンクール、エリザベート王妃国際コンクールで優勝して話題になっている。「若き貴公子」といわれているらしい。実際、女性客が圧倒的に多かった。

 きわめて正統派の演奏。バッハの無伴奏曲の演奏には、大きく分けて「楷書風」と「草書風」があると言われるが、チェンは「楷書」の典型。一音一音を無駄にせず、正確に的確に弾いていく。音そのものが美しい。どこかを特に強調したり、あるいは流したりしない。しかし、音が綺麗で、細かいニュアンスが豊かで、素直に率直に音楽を描くので、スケールが大きくなる。個性的なことは特にしないのだが、まったく無駄がなく、理詰めで音楽が進んで、しかもスケールが大きいので、聞き手を引き付ける。私の好きなタイプのバッハ演奏だ。細かいミスはいくつかあったが、たいした問題ではない。

 全体的には、私はパルティータよりもソナタのほうが気に入った。おおらかに真正面からぶつかるソナタのほうが、レイ・チェンには合っているように私には思えた。逆に言えば、まだ舞曲で遊ぶだけの精神的余裕がレイ・チェンにはないのかもしれない。が、率直に真正面からバッハの音楽を演奏しているのが、私には素晴らしく思える。

 最後にパルティータ第2番が演奏された。シャコンヌでは、これまで抑えてきた情熱を最後に叩きつけるかのよう。しかし、リズムも音色も崩れない。楷書のまま高揚していく。何度か魂が感動に震えた。

 日本人だけでなく、東洋系の優れた演奏家が次々と現れる。うれしいことだ。

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