音楽

札幌にて、トレーケルさんとお弟子さんたちのリハーサルに驚いた

78189_0


 2017715日、札幌のザ・ルーテルホールで「ドイツリートの調べ 
駒田敏章・尾崎佑里子ジョイントコンサート」のリハーサルをのぞかせてもらった。このコンサート、なんとゲスト出演はローマン・トレーケル。出演者のお二人はトレーケルの愛弟子とのこと。尾崎さんが札幌出身ということでこの企画が生まれたらしい。

 私は1999年のバイロイト音楽祭で「ローエングリン」の伝令を歌うトレーケルさんを聴いて以来のファンだ。その後、ベルリン・シュターツオパーでのバレンボイム指揮のワーグナー10演目連続上演の際にもヴォルフラムを歌うのを聴いてますますトレーケルさんのファンになった。2014年には武蔵野市民文化会館小ホールで「白鳥の歌」を聴いて深く感動した。映像でもCDでもトレーケルさんの演奏は何枚も聴いている。

数か月前、私が武蔵野で聴いたリサイタルの感想を書いたブログの記事を札幌のコンサートで配布したいという連絡があった。私としては光栄この上ないことなので、もちろん喜んで承諾し、ちょうど学研との共同事業で札幌を訪れることになったので、リハーサルだけでも聴かせていただきたいと思ってお邪魔したのだった。

トレーケルさんと少しだけ挨拶をして、三人の歌を聴かせていただいた。少し聴いただけで驚いた。繰り返すが、大変失礼ながら、本当に驚いた。トレーケルさんが素晴らしいのはよく知っている。少し声を出すだけで現在の声楽界をリードする最高のリート歌手だということがすぐにわかる。音程のしっかりとした深い声。堂々たる声量。改めてすごさを感じた。が、今回、驚いたのは、駒田さんと尾崎さんの歌の素晴らしさだ。日本人離れしたというと、日本人声楽家に大変失礼だが、まさしく日本人離れした発声と声量。無理のない安定した歌。

 トレーケルさんが声楽家として世界最高であるだけでなく、指導者としても大変優れていることを痛感。私はトレーケルさんと尾崎さんのデュオを聴いて本当に素晴らしいと思った。シューベルトの曲が多かったが、とてもきれいに、とても楽しく、しなやかに歌っていた。駒田さんについては、以前「アリアドネ」の音楽教師を歌ったのを東京で聴いてとても感銘を受けた記憶があるが、今回も素晴らしいと思った。日本人が歌っていると、すぐにそれとわかることが多いのだが、尾崎さんと駒田さんに関してはそんなことがない。ドイツ人の歌に聞こえる。

 そして、もう一人忘れてならないのはピアノ伴奏の新堀聡子さん。三人の歌手にぴたりと寄り添って見事な音で音楽を作っている。とてもしなやかで知的で、しかも情感豊か。いやはや本当に高いレベルのコンサート。

 昨日はPMFのコンサートを聴いて札幌の音楽のレベルの高さに驚いたばかり。リハーサルだけでなく、本番のコンサートを実に聴きたかった。が、明日の午前中から仕事なので、今日中に東京に戻らなければならない。夜まで札幌でコンサートを聴いていたら、間違いなく東京に戻れなくなる。残念ながら、途中で新千歳空港に向かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

札幌でPMFウィーンの演奏を聴いた

 2017714日、札幌のKitaraホールで、PMFウィーン(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団メンバー)による演奏を聴いた。

 午前中に東京を出て、午後、札幌市内で、私が塾長を務める白藍塾が学研と共同事業で行っているクリティカル・シンキングのセミナーを行い、そこで短い講演をした。大変実りあるセミナーだった。セミナー終了後、あわててタクシーでKitaraホールに駆けつけて、小ホールでのコンサートを聴いたのだった。

 PMF.(パシフィック・ミュージック。フェスティバル)には以前から関心を持っていた。最初にこの音楽祭でのコンサートを聴いたのは10年近く前だったように思う。シュミードルのクラリネットだった。今回が二度目のPMF。今回は、私はPMFの公式ガイドブックに原稿を寄せている(「ウィーンとベルリン、それぞれの街とオーケストラ」)ためもあって、ぜひ聴きたいと思っていた。たまたま仕事と重なったので、その機会を利用した。

 演奏は、第一ヴァイオリンがライナー・キュッヒル。そのほか、第二ヴァイオリンがダニエル・フロシャウアー、ヴィオラがハンス・ペーター・オクセンホーファー、チェロがロベルト・ノージュ。そして、コントラバスがミヒャエル・ブラーデラー。曲目は、最初にハイドン:の弦楽四重奏曲ニ長調「ラルゴ」、次に弦楽五重奏版のモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、前半最後にロッシーニ:のチェロとコントラバスのための二重奏曲 ニ長調。後半にドヴォルザーク:の弦楽四重奏曲 14番。

 さすがキュッヒルのヴァイオリンがあまりに美しい。独壇場とでもいうか。ただ、キュッヒルさんには大変申し訳ないが、第一ヴァイオリンが素晴らしくて、そこにばかり耳が行ってしまって、音楽が必要以上にホモフォニックに聞こえてしまう。ハイドンとモーツァルトはもともとそういう曲ではあるとはいえ、ヴァイオリンだけが旋律を奏で、それ以外はすべて完全な伴奏に聞こえてしまう。ドヴォルザークでもそのような感じがする。致し方ないとはいえ、もう少しほかの楽器に耳が行くほうがバランスがよいのではないかと思った。

 とはいえ、もちろんあまりに素晴らしい音。そして、もちろん最高に楽しい。こんなに見事な演奏なのだからキュッヒルのヴァイオリンに耳が行ってしまうのも仕方がないとつくづく思う。

 ロッシーニの曲はたいへんおもしろかった。以前、この曲の演奏を聴いたことはあるが、ウィーンフィルのメンバーで聴くと、これはまた格別。あらためてロッシーニの魅力を存分に味わった。

 アンコールは弦楽五重奏版のヨハン・シュトラウスの「春の声」と、ハープが加わっての「観光列車」。最高に盛り上がった。楽しい演奏。

 素晴らしいホール、素晴らしい雰囲気。札幌の人にPMFが、そしてクラシック音楽が根付いているのを感じる。

 ただとてつもなく暑い!! 今日の札幌の最高気温は36度を超したという話を聞いた。札幌は涼しいかと思っていたのだが、大違い。東京よりも暑かった。中島公園を歩いて地下鉄の駅に向かったが、21時を過ぎてもまだ暑かった。もちろん、昼間に比べるとかなり過ごしやすくなっていたが、北海道にしては異常に暑い。明日も同じように暑いのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドールのホルンによるモーツァルトのホルン協奏曲全曲、素晴らしい演奏

 2017711日、武蔵野市民文化会館小ホールで、シュテファン・ドールのホルン、アカデミッシェ・アンサンブルの演奏でモーツァルトのホルン協奏曲全曲と交響曲17番と33番を聴いた。素晴らしかった。

 ドールのホルンはまさしく超絶技巧。よくもまあホルンをこれほど歯切れよく演奏できるものだ。舌を巻いた。こんなホルンを初めて聴いた(バボラークがすごいという話だが、まだ聴いたことがない)。そして、それ以上に、音楽性が素晴らしい。交響曲2曲はドールの指揮だったが、実に自然で、しかものびのびとして躍動感がある。ホルン協奏曲では、いっそうホルンが躍動する演奏。

 もちろん私は今日演奏された曲については、これまで録音を何度か聴いたくらいで実演を聴くのは初めてだと思う(もしかしたら、一、二度聴いたことがあるかもしれないが、ほとんど記憶にない)。だから演奏についてどうこう言う資格はない。が、モーツァルトの音楽の美しさ、音楽そのものの楽しさを存分に感じることができた。これこそが最高の演奏なのだと思う。

 ところで、アカデミッシェ・アンサンブルってどういう団体なのだろう。この名称に覚えはない。プログラムには演奏者一人一人の氏名が出ているが、団体についての説明がない。今回のドールの来日に合わせて臨時に日本だけで作られた団体なのだろうか。それにしてもレベルが高い。ドールの指揮に即座に反応するし、とてもきれいな音。若い人が中心のようだが、音も若々しく躍動するし、弦のアンサンブルがとてもいい。

 モーツァルトのホルン協奏曲を素晴らしい演奏で聴けて満足。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シュテファン・ザンデルリンクの指揮 最も嫌いなタイプの演奏だった

 201774日、武蔵野市民文化会館でシュテファン・ザンデルリンク指揮、ハンブルク交響楽団の演奏を聴いた。私の最も嫌いなタイプの演奏だった。このごろ、年齢のせいか私もかなり「丸く」なってあまり人をけなさなくなったが、聴いているうち、口をきわめて罵りたくなった。それほど嫌いな演奏だった。

 オーケストラについては、特に悪いとは思わなかった。私がひどいと思ったのはシュテファン・ザンデルリンクの指揮だ。先ごろ、同じ武蔵野市民文化会館でミヒャエル・ザンデルリンク指揮、ドレスデン・フィルの素晴らしい演奏を聴いたばかりだったので、その兄であるシュテファンの演奏も期待していた。だが、失望した。それどころか怒りさえ覚えた。

 曲目は前半にブラームスの交響曲第4番、後半に第1番。

 第4番の冒頭からあまりにゆっくりした演奏。歌わせているのだろう。だが、あまりにのん気で天下泰平な歌わせ方。楽し気にあっけらかんと楽天的にすべての楽器を歌わせる。楽器演奏者は気持ちよく演奏しているのだろう。だが、ずっとそんな調子なので、一本調子になる。しかも、ゆっくりしているので、私には弛緩しているように聞こえる。曲の構成を熟慮しているとは思えない。オケをコントロールしているようにも聞こえないし、視覚的にもそうは見えない。そもそもブラームスのこの交響曲特有の諦観にあふれたロマンティックな感情など少しもない。まるでクリスマスコンサートか何かのお祝いコンサートのように、メリハリもなく、ただ楽しそうに演奏する。

 しかも、意識的なのか、それともこの指揮者の癖なのか、独特のリズムを刻む。踊るようなリズムというか。それが余計に楽天的に響く。ずっとそんな調子。まったく緊張感がなく、メリハリがない。私に言わせれば、これではブラームスにならない。

 前半を聴き終わった時点でもう帰ろうかと思った。が、まあせっかくだからと後半も聴いてみた。

 第1番は第4番よりは良かった。同じような演奏だが、若々しい交響曲なので、このようなリズム、このような楽天性もそれほど気にならない。

 第1番を聴きながら思った。おそらくこの指揮者はミンコフスキーのような指揮をしたいのだろう。確かにミンコフスキーも踊るような独特のリズムを刻む。ある意味で一本調子だ。ただ、ミンコフスキーはシュテファン・ザンデルリンクとちがってきびきびと、そしてぐいぐいと音楽を進めていく。しかも、もちろん構成をしっかりと作り出す。シュテファンは音楽を推進せず、ただ全体を掌握しないで、それぞれの楽器が歌うに任せている。

 耐え難いと思った。観客は大喝采していたが、私はアンコールを待たずに帰った。もちろん、私の勝手な言い分だが、こんな演奏に喝采するべきではないと思った。

 私は武蔵野市民ではないが、この市民会館を愛している。武蔵野文化事業団の企画によってたくさんの素晴らしい演奏家を知った。たくさんの素晴らしい演奏を聴いてきた。感謝に堪えない。が、このごろのオーケストラの演奏には多少疑問を感じるものが混じっているのを感じる。以前のようにレベルの高いものばかりではなくなった気がする。先ごろ、文化会館の階層のこけら落としに演奏されたベートーヴェンの全交響曲演奏も、今回と同じようなタイプの、あまりにあっけらかんとして一本調子の演奏だった。

 二日連続の武蔵野市民文化会館(昨日は小ホールでのチェドリンスのリサイタル)。昨日は素晴らしかったが、今日はがっかり。もちろん、これもまたコンサートの楽しみではある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チェドリンス 世界のスター歌手の力量に圧倒された

201773日、武蔵野市民文化会館小ホールで、フィオレンツァ・チェドリンス ソプラノ・リサイタルを聴いた。チェドリンスはいま第一線で活躍する世界オペラ界の大スターだ。私は彼女の歌うオペラの映像は何枚も見た記憶がある。いずれも素晴らしかった。初めて実演を聞けるとあって大いに期待した。

期待通りの凄まじい歌声が「ノルマ」の最初の声から聴かれた。ホール中に響き渡る美声。しかも、一声で「ノルマ」の高貴で狂気じみた世界を作っている。観客全員を引きつけ、異界に入りこませる。容姿も美しく、メヂカラがすごい。もちろん、音程はピタリと定まり、声の細部まで見事にコントロールされ、人物になり切って歌う。まさしく現在のソプラノ界の最高のパフォーマンス。

 そのほか、「オテロ」の「柳の歌」、「運命の力」のレオノーラのアリア、「ある晴れた日に」「私の名前はミミ」など。「オーソレミオ」「カタリカタリ」なども素晴らしい。プログラム最後の「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァのアリアはとりわけ絶品だった。

このような世界の第一線の歌手の歌を聴くと、日本人の歌手の線の細さを感じざるをえない。日本人はアリアを一つの旋律線として平ぺったく歌う。発声も無理をしていることが多い。だが、チェドリンスはダイナミックレンジが広い。小さな音、大きな音によって表現を広げる。日本人の歌は観客の目の前をメロディが横に通り過ぎていく感じがするが、チェドリンスの場合、歌によってチェドリンスの魂が目の前に圧力としてぐっと近づいてきたり、遠のいたりする。メロディが観客一人一人に迫ってくる。

 ピアノ伴奏はイネッサ・フィリストヴィチという女性だが、ピアノによって世界を作りだすことはできていなかった。ピアノソロの曲も持ち味を発揮していなかった。まさしく伴奏ピアニストという存在なのだろう。ピアニストにもっと力量があったら、もっとすごい世界を作り出せたのかもしれない。

 アンコールは、カルメンのハバネラ、越谷達之助「砂山」(私は歌ったことのない曲だが、チェドリンスの求めに応じて大勢の日本人客がともに歌った)、最後にアドリアーナ・ルクヴルールのアリア。まさしく絶品。大盛り上がり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミヒャエル・ザンデルリンク+ドレスデン・フィルのショスタコーヴィチ第5番に興奮

 2017626日、武蔵野市民文化会館でミヒャエル・ザンデルリンク指揮、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いた。前半に、ウェーバーの「オイリアンテ」序曲と、フランソワ=フレデリック・ギイのピアノが加わってのベートーヴェンの「皇帝」。後半にショスタコーヴィチの交響曲第5番。素晴らしい演奏だった。

 古楽的な演奏だが、ザンデルリンクの指揮はとてつもなくスケールが大きい。実を言うと、「皇帝」はギイとかみ合わないような気がした。ギイはどちらかという叙情と知性のピアニストだと思う。もう少しこじんまりとして繊細なオーケストラのほうがぴたりとくる。第二楽章は少し不発であるような気がした。抒情が空回りする感じ。が、第三楽章になると、大きく盛り上がり、華麗になった。素晴らしかった。そして、ピアノのアンコールに「月光」の第一楽章。知的で繊細で抒情的で素晴らしい。「皇帝」でできなかった自分だけの世界をアンコールで作ってみせたかったのではないかと思った。

 後半はザンデルリンクの持ち味を存分に発揮できる曲。父親のクルトもショスタコーヴィチが得意だった。きちんと聞き比べたわけではないが、昔聞いたクルトの録音もこんな印象だったと思う。スケールが大きく、巨匠風の音楽づくり。ヴォルコフの本が出て世界のショスタコーヴィチ観が大きく変化したわけだが、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮のこの曲には、そのようなことは一切お構いなしに聞こえる。

古めかしく聞こえる音響で壮大な世界を作っていく。とはいえ、ロシア風のけたたましい金管の彷徨や狂ったような木管の叫びではなく、そこはドイツのオーケストラであるだけあって抑制されている。第二楽章の諧謔も、第三楽章の抑圧された苦しみも実に説得力がある。緊張感が途切れない。そして、第四楽章になって大きく盛り上がり、堂々たる革命賛歌になっていく。ヒステリックなまでに革命を狂喜しているかのよう。これはこれで実にすがすがしい。感動した。興奮した。

 アンコールはエルガーの「エニグマ」からの曲。興奮を冷ますようなしっとりした曲。

 とはいえ、ショスタコーヴィチの興奮を抱いたまま帰った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ANCORA主催「オテロ」 簡素ながら工夫を凝らされた舞台

千葉市の新検見川駅から少し歩いたところにある風の丘HALLで「オテロ」をみた。主催はANCORA。風の丘HALLは84席のオペラ専門の小劇場。私はこの劇場で行われる公演のレベルの高さゆえにひいきにしている。今回は、とりわけ私の尊敬する三浦安浩さんの演出。見ないわけにはいかない。

 第1幕前半は多くの歌手の音程が不安定だったが、徐々に安定してきた。オテロを歌うのは上本訓久、デズデモーナは斉藤紀子。三浦演出のオペラ常連でこれまでも素晴らしい歌唱を聴かせてくれた二人だ。美声の上に張りがあってとてもいい。イヤーゴは大野浩司。太い声で演技も見事。そのほか、私はビアンカを歌った鈴木麻由の声と容姿にも大いに惹かれた。そのほかのメンバーもとてもレベルが高い。

 もう一人、ロドヴィーゴの松山いくおの演技にも目を見張った。前回、風の丘HALLで上演された「マノン」でも、あまりに達者な演技が目立っていたが、今回もまた素晴らしかった。この人の存在なしには今回の三浦さんの演出は成り立たなかっただろう。

 シェークスピアに基づく日本語のセリフとイタリア語によるヴェルディのオペラから成る。ピアノは村上尊志。日本語字幕はなし。

登場人物は扮装せず、男性はスーツ姿。オテロに好意を抱く人々は赤のシャツ、敵意を抱く人々は黒のシャツを着ている。登場人物たちは舞台にとどまらず、客席に自由に入ってくる。いや、初めから舞台と客席が分けられていない。松山さんを中心とした人物の日本語によるセリフの部分によってイマジネーションがかきたてられて、観客はオペラの世界の中に入りこむという仕掛けになっている。日本語字幕はつかず、細かいところは何が語られているかわからないが、日本語の台詞の場面によって、大まかには理解できるように組み立てられている。簡素ながら工夫のこらされた舞台だ。

 それにしても、シェークスピアの台詞の見事なこと。改めてほれぼれとする。お金をかけられないという状況を逆手にとって新たな試みをし、しかもシェークスピアの台詞まで再発見させてくれるところはさすが三浦さん。

 ただ、私は前から2列目で見たが、左右から音楽が聞こえて、音が1つにまとまらずに困った。もう少し後方の席で聴くほうが私の好みだった。

 ともあれ、この劇場で行われるオペラ公演の質の高さを改めて認識した。もっともっとこのようなレベルの高いオペラ公演を行ってほしい。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

 ヤング+読響+ネマニャのブルッフに感動

 2017年6月17日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団第198回マチネ―シリーズを聴いた。指揮はシモーネ・ヤング、ヴァイオリンはネマニャ・ラドゥロヴィチ。

 最初の曲は「さまよえるオランダ人」序曲。冒頭から実にしなやかな音。そして、フォルテになるとずしんと体中に響くような音。緩急をつけ、時にはゆっくりすぎるほどゆっくり。弦を歌わせ、絶妙に響きをコントロールして微妙な音色を作りだしながら音楽を展開していく。これほどテンポを動かしているのに、まったく作為性がなく、自然に音楽が広がっていく。素晴らしいと思った。

 私がヤングの実演に接したのは「ナクソス島のアリアドネ」二期会公演だけなので、CDはかなりの枚数持っているが、指揮姿を目の前で見るのはこれが初めてだ。きわめてわかりやすい振り方だと思う。なるほど、このようにするとこんな音が出るのかと納得のできる振り方。腕の振りもしなやかでかつ強靭だ。

 とはいえ、今日の目的はヤングではなく、ヴァイオリンのネマニャ。私は発足当時のファンクラブの会長だった。

いよいよネマニャ登場。黒ずくめで、長い髪を片方に長く垂らしている。もしかして、化粧をしている? が、この人は何をしてもいい。そんなヴァイオリニストだと思う。

ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番が始まった。オーケストラは相変わらず素晴らしい音。そして、そこにネマニャの研ぎ澄まされた美しい音が加わる。音程がビシッと決まったクリアな音。オーケストラの作りだす背景の中にスーッと一本の鋭い線を描き出される。だが、怜悧な音というのではなく、心の律動を音にしたかのよう。スケールが大きく自然で美しい。いつものように指揮者のヤングやコンサートマストレスの日下さんと会いコンタクトを取って目による対話をしながら音楽を進めていく。

私がネマニャのこの曲の演奏を聴くのは二度目だ。前回は2014年4月、大阪のフェスティバルホールで大フィルの伴奏だった。前回もネマニャの音は素晴らしかったが、今回はいっそう音が研ぎ澄まされ、ロマンティックな魂の躍動を描き出す。スケールが大きい。しかも、今回の指揮はシモーネ・ヤング。基盤がしっかりしているので、ネマニャが大きな世界の中で躍動しても、枠組みは揺らがない。

私は2007年にフランスのナントでネマニャのヴァイオリンに触れて虜になったが、その時に比べてネマニャの音楽は間違いなく成熟している。以前にようにヴァイオリンという楽器を使って魂の舞踏を踊るのではない。もっと落ち着き、研ぎ澄まされた音で大きな絵を観客の前で描いていく。第二楽章の繊細な音楽も第三楽章のダイナミックで華麗な音楽も躍動しながら揺るがない。本当に素晴らしい。

大拍手の中でアンコールが始まった。パガニーニのカプリースをつなぎ合わせた無伴奏曲。おそらく2014年に大阪で聴いたものと同じヴァージョンだろう。

これはブルッフ以上に凄まじかった。緩急を自在につけ、名人技を披露し、激しいところは激しく速いところ速く。しかし、音がぴしりと決まっているので、下品にならない。まさしくカプリース(気まぐれ)。途中、弦がネマニャの髪に引っかかって少しだけ音が途切れた。オーケストラとのプログラム曲の最中にこんなことが起こったら大ごとだが、アンコールでカプリースをネマニャが演奏しているのだから、これもネマニャの魅力の一つだ。笑いが起こった。なんという音楽の快楽、なんという躍動。ダイナミックに音が上下し、魂がゆり動かされる。カプリースというのは実は心の躍動の音楽なのだと納得する演奏だ。

10年間ネマニャを追いかけてきて、その順調な成熟を頼もしく思った。大人の音楽になっている。が、決してかつての躍動の美学を失っていない。ますます将来が楽しみだ。

後半はブラームスの交響曲第2番。大いに期待していたが、実は少し失望した。どういうわけだろう。ワーグナーやブルッフの場合と音楽の作りはそれほど変わらないと思うのだが、緩急をつけ、時にゆっくりと歌いだし、時に大きくうねりだすと、なぜか形が崩れてしまう。まるでブルックナーのようになってしまって、ブラームスの魅力が半減する。

第2楽章と第3楽章では私はかなり退屈した。繊細であるべき部分が不自然に響き、音楽が空回りしている印象を受けた。そういえば、私はハンブルク・フィルと録音したブラームスの交響曲全集もあまりおもしろいと思わなかった。もしかしたら、ヤングはブラームスが苦手なのかもしれない。少なくとも、私の好きなブラームスにはならないのかもしれない。とはいえ、第4楽章ではさすがにロマンティックに盛り上がった。

ブラームスには少々失望したとはいえ、前半は素晴らしい演奏だった。大満足。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 METライブビューイング「ばらの騎士」 第三幕で涙した

銀座の東劇でMETライブビューイング「ばらの騎士」をみた。2016-2017年のシーズンの最後の演目。豪華キャストなので、悪かろうはずがないのだが、それにしても素晴らしい。

ルネ・フレミングの元帥夫人、エリーナ・ガランチャのオクタヴィアン、ギュンター・グロイスベックのオックス男爵は、現在最強の布陣だろう。

ルネ・フレミングが元帥夫人を歌うのはこれが最後だという。私は2001年のメトロポリタン歌劇場の来日公演で彼女の元帥夫人をみて(オクタヴィアンはスーザン・グラハム、ゾフィーはバーバラ・ボニー。指揮はアンドリュー・デーヴィスだった。私の最上の「ばらの騎士」経験の一つだ!)大感激した記憶がある。「ばらの騎士」のテーマを一言で言えば、「あらゆることに終わりがある」。1990年代だったか、シュヴァルツコップの大ファンだった私はCDでフレミングの「四つの最後の歌」を聴いて、シュヴァルツコップのレパートリーをすべて最高レベルで歌える歌手が現れたと思ったのだったが、そのフレミングの元帥夫人も終わりを告げた。感慨深い。最後の三重唱は泣けてきた。

ガランチャは容姿も含めて、もしかしたら歴代最高のオクタヴィアンなのではないかと思った。強い声なのだが、それだけでなく、実にしなやか。グロイスベックの横暴でマッチョな絶倫男というべきオックスも実にいい。2012年のザルツブルクで彼のオックスに初めて接して、その人物像に驚嘆した。今回もその延長線上にある。町のあちこちにこんな人がいそう。実に説得力がある。声もいいし、演技もおもしろい。

もう一人、ゾフィーを歌ったエリン・モーリーも3人にまったく引けを取らない。それどころか、三重唱でももっとも目立っていたかもしれない。美しい高音。容姿もゾフィーにぴったり。

実は最後の三重唱でほんの少しバランスが崩れたように思った。が、すぐに立て直して精妙になった。そのあたりのライブ感も見ごたえがあった。愛の二重唱にも酔った。

ファニナルのマーカス・ブルックもよかったし、何と歌手を歌ったのはマシュー・ポレンザーニ。すごい存在感と素晴らしい美声。

演出はロバート・カーセン。時代は作曲された19世紀末から20世紀初頭に設定されている。オックスは軍服を着ており、軍人がしばしば現れる。第三幕は娼婦の館という設定で、そこにも大勢の軍人が客としている。どうやら元帥夫人はオクタヴィアンの後釜として巡邏隊の隊長を選んだらしいことがほのめかされる。そして、最後に舞台に現れる少年モハメッドは酔っ払っており、幕切れで背後に軍隊が現れる。古き良き時代が終わって血なまぐさい時代に突入することを暗示するのだろう。

指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。実はあまり好きな指揮者ではない。第一幕では、ちょっと納得できないところがあった。が、最後まで聞くと完璧に打ち負かされた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新国立「ジークフリート」 世界最高レベルの歌手たちに興奮

 2017610日、新国立劇場で「ジークフリート」をみた。

 歌手に関しては世界最高レベルだと思う。ジークフリートのステファン・グールド、ブリュンヒルデのリカルダ・メルベート、さすらい人のグリア・グリムスレイ、ミーメのアンドレアス・コンラッドに関しては、現代においてこれ以上は考えられないほど。本当に素晴らしい。声が伸び、音程も正確、役柄にピタリと沿っている。グールドは格調高く、メルベートは強靭で可憐、さすらい人は高貴、ミーメは嫌味たっぷり。いうことなし。

 アルベリヒのトーマス・ガゼリ、エルダのクリスタ・マイヤーも素晴らしかった。少ない出番がもったいない。二人とももっと聴きたいと思った。ファフナーのクリスティアン・ヒュープナーについては、ちょっと不安定なところがあった。森の小鳥は鵜木絵里、九嶋香奈枝、安井陽子、吉原圭子の四人が歌った。日本を代表する歌手たちだが、グールド、メルベート、グリムスレイといった世界最高レベルの歌手に比べると、やはり声の伸びに不足があるのを感じざるをえなかった。とはいえ、もちろん大健闘。

 指揮の飯守泰次郎は、第一幕では抑え気味だったが、徐々にドラマを盛り上げていった。小手先の盛り上げをしないで、じっくりとドラマを作っていく。ただ、かつてのマエストロ飯守の演奏するワーグナーはもっとうねっていたと思う。あまり「うねり」のない演奏だった。円熟の境地になったということか、それともオケのせいなのか。とはいえ、第三幕間で聴くと、最高に盛り上がって実に素晴らしい。

 ただ、東京交響楽団については、金管のミスが目立った。オーケストラ全体でも精妙さに欠けると思った。初日ならともかく、今日は最終日のはず。もう少しなんとかならないものか。

ゲッツ・フリードリヒの演出については、わからないところはたくさんあるが、今となってはあまり刺激的ではない。ミーメの持っていた赤い傘に何の意味があったのだろう。ミーメの防御的な姿勢を象徴しているのだろうか。あるいは、血しぶき? 小鳥が四人登場するのもそれほど意味があるとは思えなかった。

瑕疵はあるにせよ、ともあれワーグナーをみると興奮する。「ジークフリート」は「指環」の中では最も興奮度の低い楽劇だが、それでも第三幕になると感動に打ち震える。いやあ、ワーグナーっていいなあ・・と今日も思った。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧