音楽

日生劇場「ヘンゼルとグレーテル」、そして、アンサンブル・ラロのあっと驚くアンサンブル!

 2019615日、日生劇場で「ヘンゼルとグレーテル」をみて、その後、サントリーホールでアンサンブル・ラロの演奏を聴いた。

「ヘンゼルとグレーテル」の歌手陣は健闘。ヘンゼルの郷家暁子、グレーテルの小林沙羅、父の池田真己、母の藤井麻美、魔女の角田和弘、眠りの精・露の精の宮地江奈について、しっかりと声を出していた。とりわけ、郷家暁子と小林沙羅のしっかりした歌はさすが。

 ただ、広崎うらんによる演出は私にはよくわからなかった。

 このオペラには様々な謎がある。母親はなぜ子どもを外に出すのか、魔女の狙いは何なのか、そもそも魔女とは何者なのか。それを明確にしないで上演すると、あやふやになり、少なくとも現代の人間に納得させることはできない。いや、もし納得させなくてよいという方向をとるのであれば、それはそれでこのオペラをどうとらえるのかを明確にする必要がある。そのような「解釈」をするのが演出の役割だと思う。

 ところが、今回の舞台では、すべての歌手が大きな身振りで演技をし、たくさんの人が登場し、あれこれのジェスチャーをし、踊りを踊るのだが、母親の意図は何か、魔女とはどのような存在なのか、兄と妹について何を語ろうとしているのか、私にはわからなかった。だから、大きな身振り、つまりは大袈裟な演技が不自然に思えてくる。

 そのうえ、日本語のセリフが聞き取りにくく、しかも、「あそこに花があるわ」「そよ風が吹いているわ」などという、今の子どもが絶対に口にするはずのない(いや、昭和30年代の子どもも使わなかった!)語り口なので、いっそう大袈裟なジェスチャーのヘンゼルとグレーテルが子どもの真似をした大人にしか見えない。このような大時代の語り口にしたのには何か意図があるのだろうか。

 指揮は角田鋼亮。子供むけメルヘンというよりも、かなり強めの演奏でワーグナー的な音響を作り出していた。新日本フィルはしっかりとした音を出して、指揮者の要望を実現していたと思う。だが、私にはそれもまた舞台上で行われている芝居との距離を感じて、素直に納得できなかった。

 その後、一休みして、サントリーホール 小ホールでのチェンバーミュージック・ガーデンの一環であるアンサンブル・ラロのコンサートに出かけた。曲目はブラームスのピアノ四重奏曲第3番、後半にヴァスクスという現代作曲家のピアノ四重奏曲。

 アンサンブル・ラロの演奏は初めて聴く。2004年結成のピアノ四重奏団。ラトヴィア、ロシア、ルーマニア、そして日本の血を受け継ぐオーストリアの出身者がメンバー。

 最初の音が聞こえたとたんにびっくり。ブラームスの響きがまるでシェーンベルクのように聞こえるではないか。ロマンティックな情緒を排して完璧なアンサンブルで細部に至るまで緻密に演奏。ピアノのダイアナ・ケトラーが強い音で先制攻撃をしかけ、三人の弦楽器の男性陣がその後を緻密に押し進んでいく感じ。初めのうち、ブラームスらしくないブラームスに違和感を覚えていたが、これはこれで説得力がある。現代的な響き、音の絡まりなど実に見事。あっという間に音楽が終わった。

 後半のヴァスクスの曲は途轍もない曲だった。激しい祈りに救いを求め、狂気に至るかのような精神的な冒険を経て最後に究極の祈りにたどり着く様子を描いたかのよう。それをすさまじいアンサンブルによって演奏。ただ怠惰で享楽的で不真面目な精神を基本に持つ私としてはこのあまりに真摯な音楽についていけず、息苦しくなってきた。もっと遊びがないと私はついていけない(ただ、終演後、尊敬する知人と少し話したが、その方はそのようなぎりぎりの音の絡み合いを楽しんだという。なるほど、そのようにして聴くべきだったのか!と後で思った)。

 アンコールはエネスコのルーマニア狂詩曲の第1番のピアノ四重奏版。前半のブラームス以上にすさまじい演奏。攻撃的なピアノを先頭に完璧なアンサンブルでこの音楽を透明で波乱万丈で起伏の大きな音楽にしていく。スリリングで爽快。この曲ののんびりした雰囲気はそぎ取られ、現代曲に再構築されたような音楽になっている。あまりルーマニアの自然は目に浮かばないが、これはこれで感動的な音楽ではある。アンサンブル・ラロの演奏をもっと聴きたくなった。

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菊本・竹島・新居によるディスカバリー・ナイトを楽しんだ

 2019612日、サントリーホール ブルーローズでのチェンバーミュージック・ガーデン2019の一つディスカバリー・ナイトⅡを聴いた。演奏は、菊本和昭(トランペット)、竹島悟史(パーカッション)、新居由佳梨(ピアノ)。曲目は、前半に菊本と新居によりイウェイゼンというアメリカの現代作曲家のトランペット・ソナタと、竹島と新居によるクレストンというこれまたアメリカの現代作曲家によるマリンバ小協奏曲、後半に、菊本と竹島によるジョリヴェのトランペットと打楽器のための『エプタード』、三人によるプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」より(竹島悟史編曲)。

 とてもおもしろかった。予想以上におもしろかった。

 三人の名人芸に圧倒された。菊本のトランペットの神業にまず驚いた。室内楽としてトランペットを聴いたのはたぶん初めてだろう。様々な音色を出せる楽器だと初めて知った。機敏に動き、音程もいいし、リズムもいい。竹島のパーカッションも圧倒的。マリンバがとても良いと思ったが、ほかの楽器も見事。ジョリヴェの曲では、周囲にいくつもの打楽器を並べての演奏。よくもまあこんなたくさんの楽器を間違わずに叩けるものだ!という極めてプリミティブな驚きを覚えた。そして、新居のピアノの色彩的で繊細な音にも聞きほれた。

 私がこのコンサートを聴きたいと思ったのは、新居さんが演奏家の一人に加わっているからだった。多摩大学のゼミでコンサートを企画していたころ、新居さんに何度も参加していただき、素晴らしい演奏を披露していただいた。ショパンの曲や池田香織さん、飯田みち代さん、三宅理恵さんの歌の伴奏も素晴らしかったが、何といってもラヴェルの「ラ・ヴァルス」のあまりの色彩的で華麗でダイナミックでしかも繊細な演奏は今も耳に残っている。新居さんの活躍を聴きたいと思って足を運んだのだったが、予想通りの、いや、大変失礼ながら、それ以上に素晴らしい演奏だった。出しゃばらず、しなやかに、しかししっかりと派手な楽器を支えている。フランス音楽のような繊細な雰囲気が生まれ、色彩感が増す。新居さんのピアノの支えがなかったら、こんな素晴らしい演奏にならなかっただろう。

 どの曲も大変面白かった。豊穣な音に痺れた。満足。

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スジン、コレスニコフ、宮田によるブラームス 素晴らしかった

 2019610日、サントリーホール ブルーローズでチェンバーミュージック・ガーデン2019、アジアンサンブル@TOKYOと題されたハン・スジン(ヴァイオリン)、宮田大(チェロ)、パヴェル・コレスニコフ(ピアノ)の三人によるコンサートを聴いた。

 曲目は、前半にモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K454とショパンのワルツ第9番「告別」、幻想即興曲嬰ハ短調、ドビュッシーのチェロ・ソナタ、そして後半に三人がそろってブラームスのピアノ三重奏曲第1番。

 前半のハン・スジンは、とてもきれいな音だったが、少し硬かった。コレスニコフもまたとても澄んだ音だが、私にはちょっと自由すぎる気がした。が、宮田大が加わってドビュッシーが始まったころから、勢いが出てきた。さすが宮田大。

 後半のブラームスは素晴らしかった。厚みのある深い音でりながら、けっして重くならない。勢いがある。前半硬く思われたハン・スジンのヴァイオリンもきれいに決まる。コレスニコフのピアノも絶妙のタイミング。そして、おそらく音楽をリードしているのは宮田だろう。

 全体が緊密に構成され、そこに様々な感情が抑制されてうごめき、ブラームスの孤独な心のひだが克明に現れ、最終楽章では大いに盛り上がる。まさしくブラームス特有の世界を作り上げてくれた。これぞブラームスの室内楽の醍醐味だ。堪能した。

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東京二期会「サロメ」 歌手陣は素晴らしいと思ったが、指揮と演出の乖離を感じた

 201969日、東京文化会館で東京二期会公演「サロメ」(ハンブルク州立歌劇場との共同制作)をみた。今回の公演の最終日。

 歌手陣については素晴らしいと思った。日本人歌手のレベル向上を改めて感じる。やはりサロメを歌った田崎尚美が圧倒的に素晴らしい。声が伸びているし、音程も安定している。世界のひのき舞台でサロメを歌えるレベルだと思う。ヘロディアスの清水華澄ももちろん素晴らしい。そのほか、ヘロデの片寄純也、ヨカナーンの萩原潤、ナラボートの西岡慎介、小姓の成田伊美も穴がない。

 ただ私はウィリアム・デッカーの演出とヴァイグレの指揮にあまり惹かれなかった。そのためだろう、全体的に大きな感銘は受けなかった。

 大きな階段があるだけの舞台。登場人物はすべてグレーっぽい服で、女性も含めて禿げ頭。私はなぜこのような衣装にしたのか理解できない。こうすると、全体が抽象的になり、登場人物が匿名になり、一つの記号になってしまう。セリフの中で大きな意味を持つ「月」も現れない。そうなると、事象についての象徴性も薄れる。サロメやヘロディアスやヘロデやナラボートの個々の特殊性も薄れる。

 いや、そうであっても音楽がもっと表現主義的であったり、抽象的であったりすれば、それでよいと思うのだが、ヴァイグレの作り出す音楽はむしろ豊穣で甘美。読響もヴァイグレの指揮にこたえて、美しい音を出していた。オーケストラはサロメやヘロディアスの心の襞をロマンティックに歌い上げようとしているように聞こえる。私には目の前に見える光景と、聞こえてくる音楽の乖離が感じられて仕方がなかった。

 私の個人的な好みの問題かもしれないが、「サロメ」については、もっと先鋭的、もっとアグレッシブに演奏してくれるほうが嬉しい。官能的に豊かに美しく演奏されると、せっかくの表現主義的な魅力が半減してしまう。読響とのブルックナー演奏など、このところのヴァイグレの充実ぶりには感嘆していたのだったが、今回は少し不満に思ったのだった。

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リムスキー=コルサコフ 「五月の夜」「皇帝の花嫁」「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」「金鶏」のオペラ映像

 リムスキー=コルサコフのオペラの魅力を知って、また何枚かDVDやBDをみた。簡単に感想を記す。

 

「五月の夜」 2008年 モスクワ・アカデミー音楽劇場

 若い男女が町長に邪魔されながら、その土地で暮らす妖精の助けを借りて恋を成就させる物語。ロシアの田舎の雰囲気が出ていて、とても良い感じなのだが、この映像ではあまり真価は伝わらない。

 録音・録画の状態がかなり良くない。2008年の公演だというのにモノラル録音。映像も粗い。演奏もほどほど。最初から最後までオーケストラと歌が合っていないが、これはきっと録音によって生じたのだろう。観賞用に録画録音されたのではなく、記録のための映像なのではないかと思われる。いくらなんでも本当にこれほどずれていたら、拍手は起こらず、ブーイングになるだろう。

 レフコを歌うオレグ・ポルプディンは、遠目にも二枚目には見えないし、声はきれいなものの歌唱は不安定。ハンナを歌うナタリア・ウラディミルスカヤは容姿も声も可憐だが、あまり訴える力は感じない。村長のディミトリ・ウリヤーノフや村長の義理の姉のイリーナ・チスチャコワに存在感がある。指揮はフェリックス・コロボフ、演出はアレクサンドル・ティテル。

 

「皇帝の花嫁」 2013年 ベルリン、シラー劇場

 まず、オペラそのものがとても素晴らしい。「金鶏」や「皇帝サルタンの物語」以上の傑作といえるのではないか。「狂乱の場」といえるような場面があってきわめてドラマティックだが、イタリアオペラのように剥き出しではない。スラブ的な底知れぬ深みがあり、どす黒い人間の欲望があり、純愛があり、内省的で沈降する思考がある。それらがスリリングに、緊迫感にあふれて展開する。美しいメロディもあり、激しい思いをぶつける歌もあり、鮮やかなオーケストレーションにもあふれている。

 リムスキー=コルサコフという人、実によくオペラを知っている。見事に常套手段を使いこなし、物語に起伏をつけ、そこにオリジナリティを加え、大人のテクニックを用いてオペラを構成する。ヴェルディやシュトラウスに匹敵する手際の良さ。台本もよくできていて、ドラマをはらんで展開され、しかもストーリーがわかりやすい。

 歌手陣も現代最高の布陣だと思う。マルファを歌うオリガ・ペレチャトコがあまりに美しく、あまりに可憐。澄んだ美しい声と、まさに皇帝の花嫁候補に見える美しさ。そして、リュバーシャを歌うアニータ・ラフヴェリシヴィリの迫力も圧倒的。まるでエルザとオルトルートのような掛け合いが二人の名歌手の間で歌われる。

 ソバーキンのアナトリー・コチェルガも素晴らしい美声。そして、何と往年の名歌手アンナ・トモワ=シントウも出演して、しっかりとした歌を聴かせてくれる。

 ドミートリー・チェルニャコフの演出は現代に舞台を移したものだが、違和感はない。それほどまでにリムスキー=コルサコフの音楽が現代的だともいえるだろう。

 ベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮するのはダニエル・バレンボイム。さすがに緻密でドラマティックな演奏。そのほかの役も、まったく穴がない。

 

「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」 2008年 カリアリ・リリコ劇場

 

 あまりレベルの高い上演ではない。まず歌手たちが不安定。フェヴローニャ役のタティアナ・モノガロワは容姿は素晴らしいのだが、肝心の歌については音程がずっと不安定。私は、なんだか気持ちが悪くなって聴いていられなくなる。皇子のヴィタリー・パンフィロフも声が弱い。フョードル役のゲヴォルク・ホコブヤンが最も安定している。

 アレクサンドル・ヴェデルニコフの指揮するカリアリ・リリコ劇場管弦楽団もきれいに決まらない。エイムンタス・ネクロシウスによる演出はかなり穏当なのではないか。新しい発見はなかったが、わかりやすくて、きれいだと思う。この上演ではこのオペラの真価はよくわからない。

 

「金鶏」 1989712日、東京文化会館

 1989年の日本公演。この当時、もちろん私はこのオペラ公演について知っていたと思うが、まったく覚えがない。ドイツ系のオペラ以外にはほとんど関心がなかったし、私の人生の中でかなり忙しい時期だったせいだろう。

 歌手もそろっている。ドドン王のマクシム・ミハイロフ、ポルカンのニコライ・ニジェンコは見事な歌。シェマハの女王を歌うイリーナ・ジューリナはかなり特殊な声だが、この役にぴったり。アメルファのエレーナ・ザレンバ、金鶏の声のイリーナ・ウダロワもしっかりした声でとてもいい。

 指揮のスヴェトラーノフがやはり圧倒的に素晴らしい。とても雄弁なオーケストラ(ボリショイ劇場管弦楽団)で小気味よいほどに音が決まる。重みのある音だが、決して鈍重にはならない。ゲオルギー・アンシーモフによる演出もとても気が利いていておもしろい。特に新しい解釈はないと思うが、一つ一つの動きが音楽にあっているし、色彩的な衣装も音楽にぴったり。

 いやあ、「金鶏」は名作だなあと改めて思う。

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ネルソンス+ゲヴァントハウス管 意図はわかる気がするが、感動しなかった

 2019527日東京文化会館でライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートを聴いた。指揮はアンドリス・ネルソンス、曲目は前半にバイバ・スクリデのヴァイオリンが加わってショスタコヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、後半にブラームスの交響曲第1番。ゲヴァントハウス管弦楽団はよく言われるドイツ的な音といってよいのだろう。誠実で深みがあって実に美しい。

 ショスタコヴィチの協奏曲に関しては、もちろん悪い演奏ではないと思う。スクリデは誠実に音楽を作ってゆく。誇張のない的確な演奏。ただそういう演奏だと、ショスタコヴィチ特有の狂気に至るまでの心のざわめきが表現されない。正確でしっかりした音楽なのだが、それだけで終わった気がする。

 ヴァイオリンのアンコールはヴェストホフというバロック時代の作曲家の「鐘の模倣」という無伴奏ヴァイオリン曲。これも同じ印象。誠実で的確だが、少なくとも私はあまり感動しなかった。

 後半のブラームスについては、かなりの力演。ネルソンスはゆっくりと、しかも重くなりすぎずに鳴らして、スケール大きく音楽を構築していく。第2楽章はとりわけ独特のフレージングの取り方をしてしなやかに歌わせようとする。第3楽章では木棺を際立たせ、第4楽章では全体が収束していくように構築する。間を持たせ、タメをつくって、ダイナミックにしようとする。

 ただ、ネルソンスの意図はわかる気がするが、それが完全にうまくいっているかというと、そうでもないのではないかと思った。びしりと決まっていかない。第1楽章の始まりのゆったりしたテンポも、そこから出てくる音にあまり説得力を感じなかった。とはいえ、第4楽章の終盤はさすがに盛り上がった。

 アンコールはメンデルスゾーンの「ルイ・ブラス」序曲。この演奏はこの日、最もよかったのではないか。メンデルスゾーンにしてはちょっと無駄の多い曲だと思ったが、オーケストラは素晴らしい音でアンサンブルも見事。ブラームスではスケールを大きくしようとしているのが感じられたが、アンコールではそのようなことはなく、ひきしまっていた。

 このオーケストラはブロムシュテットやシャイーでこれまで何度か聴いて深く感動した覚えがある。もちろん、50年ほど前からレコードやCDでも随分と名演を聴いてきた。が、残念ながら、今回はこれまで程の感動を得ることができなかった。ちょっと残念。

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ネーメ・ヤルヴィ+N響 肩の力を抜いたブラームス

 2019517日、NHKホールでNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はネーメ・ヤルヴィ。曲目は前半にシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」とトゥビンの交響曲第5番、後半にブラームスの交響曲第4番。

 ネーメ・ヤルヴィの実演を聴くのは、たぶん4回目くらい。だが、かつてCDはかなり聴いた。老練で余裕のある演奏に惹かれる。そんなわけでかなり期待して出かけた。

 前半はとてもよかった。シベリウスもトゥビンもまったく知らない曲だが、響きはとても美しく、とても面白く聴けた。

 ブラームスも決して悪いとは思わない。息子パーヴォのようにエキサイティングに演奏するわけではない。ムキにならず、煽ることもなく、もちろん人と違ったことをあえてするでもなく、慣れた手つきで肩の力を抜いた音楽を進めていく。「ムキにならなくたって、ふつうにやれば、名曲はちゃんと素晴らしい音楽になるんだよ」と言いたげ。細かいところで小さな工夫はしているようだが、ともあれ平穏に、力まず焦らずに進んでいく。

 だが、それだけで終わった気がする。オーケストラにも集中力が感じられなかった。第一楽章で大きくホルンが外したし、そのほかの部分でも音楽に勢いがなかった。このような音楽をネーメ・ヤルヴィは望んだのだろうか。高齢になって、淡白になってしまったのだろうか。

 これまで私が聴いたネーメ・ヤルヴィの演奏は、もっと趣きがあり、勢いがあり、不思議な色気があった。今日ももっと趣きのあるブラームスを期待していたのだったが、ちょっと残念だった。

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ヴァイグレ+読響のブルックナー第9番 恍惚となった!

 2019514日、サントリーホールで読売日本交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮は先ごろ常任指揮者に就任したセバスティアン・ヴァイグレ、曲目は前半にヘンツェの「7つのボレロ」、後半にブルックナーの交響曲第9番。素晴らしい演奏だった。久しぶりに本格的なブルックナーを聴くことができた。感動した。

 ヘンツェの曲については、指揮者のオーケストラのコントロールが見事で、オーケストラの性能が極めて高いことが理解できたものの、それ以上のことは感じなかった。この種の音楽に対して、残念ながら私は無理解だ。

 ブルックナーについては、さすがというしかない。ヴァイグレのリズム感に少し特徴があると思った。ちょっとくしゃくしゃっとするところを感じた。が、それは決して嫌いではない。音楽に勢いがつく。

  それを除けばかなりオーソドックスな解釈だと思う。ゆったりと、しっかりとした足取りのブルックナーだ。重すぎもせず、知的にいじくりすぎもしない。このごろ、ハーディングやカンブルランやヤングやヤルヴィの、オールド・ファンである私からすると少々雰囲気の違うブルックナーを聴いてきた気がする。それからすると、ヴァイグレは私が昔からなじんできたブルックナーの音がする。宗教的な響きがあり、厳かで爆発力があり、知性をものともしない重厚さがある。頭でっかちでないので、心から感動して聴ける。

 第二楽章でちょっと停滞しているところを感じたが、第三楽章は圧倒的に素晴らしかった。とりわけ、後半は魂がしびれ、恍惚となった。そうだ、これを味わいたくてブルックナーを聴きに来てたんだ! そう思った。本当に素晴らしい。オーケストラも見事。金管楽器も勢いがある。ヴァイグレはすごい指揮者だと思った。

 ヴァイグレが常任指揮者になった。うれしいことだ。これから楽しみだ。

 

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METライブビューイング 「ワルキューレ」 声を上げて泣いた

 東銀座の東劇でMETライブビューイング「ワルキューレ」をみた。言葉をなくす凄さだった。第三幕では、私は声を上げて泣いた。

 まず第一幕への前奏のオーケストラの音に驚いた。すさまじい緊迫感。スピルバーグの映画のジョーズが近づいてくるときのようなすごみがある。低弦が強く、すべての音が生きている。フィリップ・ジョルダンの音楽性に痺れた。アルミン・ジョルダンの親の七光り指揮者どころでなく、世界を代表するワーグナー指揮者になっていた。芯の詰まった強い音でうねり、起伏して、奥深くドラマティックな世界を作っていく。

 これまでと同じルパージュの演出だが、少しも古びていない。木の板が動き、躍動感があり、ものまでも生命を持つかのような神話世界を作り出す。

 歌手陣も充実している。ジークフリートのスチュアート・スケルトンは美しい伸びのある声、ジークリンデのエヴァ=マリア・ヴェストブルックもまたのびやかで、ジークリンデらしい可憐さ、フンディンクのギュンター・グロイスベックはまさしく心の狭い悪役を強い声で歌う。この三人の声で歌と演技でうちに緊迫するやり取りを描き出す。この三人のこのところの充実ぶりは素晴らしい。

 ブリュンヒルデのクリスティーン・ガーキーも女性的な潤いのある声ながら、低音に迫力があり、豊かな声を出す。ヴォータンのグリア・グリムスリーも豊かな声量で人間臭いヴォータンを描き出す。フリッカのジェイミー・バートンも迫力ある声。一つとして穴がなく、圧倒的な神話世界を作り上げていく。

 第三幕は昔から感動していた。かつては形而上学的深みに触れて感動していた気がする。が、このごろ、ブリュンヒルデへの告別を歌うヴォータンの歌に、愛する娘を手放す親の気持ちを重ねて涙を流すようになった。とりわけ、今度は娘が私と同じ姓を名乗らなくなって初めてみる「ワルキューレ」だった。感極まって泣き出すしかなかった。

 大変満足した。

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ラ・フォル・ジュルネ東京2019最終日

 201955日、ラ・フォル・ジュルネ東京2019の最終日。私は今年のラ・フォル・ジュルネ東京で18の有料コンサートを聴いた。これで、2005年から現在まで、東京のほか、フランスのナント、びわ湖、鳥栖のすべてのLFJを合わせて合計508のコンサートを聴いたことになる。昨日(5月4日)に500回目のコンサートを達成したのだった。

 今日の感想を簡単に記す。

 

・リディヤ・ビジャーク&サンヤ・ビジャーク(ピアノ・デュオ)

リヒャルト・シュトラウス交響的幻想曲「イタリアから」op.16(連弾)

 

 オーケストレーションの名手シュトラウスのピアノ連弾版なので、シュトラウスのオーケストレーションに痺れる私は少々とまどった。シュトラウスの一番いいところがない! そのためもあって、前半やや退屈した。が、後半は、ビジャーク姉妹の驚くほどに息のあった音の洪水が押し寄せ、フニクリフニクラの陽気なメロディに乗って高揚して終わった。

 

・戸田弥生(ヴァイオリン) アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)

バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」、バルトークのヴァイオリン・ソナタ第1

 

 素晴らしい演奏。最初の音から聴くものをひきつける。民俗舞曲ではあるが、楽しく愉快な踊りと言うわけではなく、その民族の苦悩や歴史がこもった舞曲。戸田さんの演奏はそれをひしひしと感じる。音ひとつひとつに真剣な表情がある。エル=バシャのピアノも実に知的で明確でしっかりヴァイオリンを支える。

 バルトークのソナタ第1番はもっと凄かった。凄まじい集中力によってヴァイオリンの音が出てくる。無為の中に一つの剣を浴びるように音楽が響く。

 戸田さんの演奏を聴くたびに私は往年のヴァイオリニスト、シゲティを思い出す。シゲティはバルトークとも親交があった。シゲティのものすごい集中力、そこから出てくる魂をわしづかみにする音。戸田さんのヴァイオリンの音も同じような力がある。圧倒された。

 

・リオ・クオクマン指揮 ウラル・フィルハーモニー・ユース管弦楽団、

ドヴォルザークの交響曲第9番 ホ短調 op.95「新世界 より」

  オケは若い女性が3分の2を占めそう。弦楽器と木管楽器はほとんどが女性。ウラルフィルユースだが、本家夜もむしろ音がスマートで、私としては好感を持つ。しかし、指揮者はずっと全力投球。あまりに一本調子。それなりにオケをコントロールしているが、ニュアンスが生まれない。慌ただしいだけになる。

 

 ・梁美沙(ヴァイオリン)、ジョナス・ヴィトー(ピアノ)

ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第2番、ドヴォルザークのヴァイオリンとピアノのためのソナチネ

 

 梁美沙の演奏はこの数年間、ラ・フォル・ジュルネで聴いて、とても素晴らしいと思っていた。思い切りがよく、音に表情があって、生き生きとしている。ところが、ブラームスのほうは、かなり普通の演奏だったので、ちょっとがっかり。が、ドヴォルザークのほうはとてもよかった。生き生きとした表情が生まれ、躍動感が出てきた。こんな感じでブラームスも聴きたかった!

 

・ニキータ・ボリソグレブスキー(ヴァイオリン) ゲオルギー・チャイゼ(ピアノ)

イザイ「マズルカ」第1番、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ、エネスクのヴァイオリン・ソナタ 第3

 素晴らしい演奏!まずボリソグレブスキーのテクニックが圧倒的。軽々ととてつもない難曲を弾きこなす。熱することなく、情熱を表に出すことなく、きわめて正確な音程で怜悧バリバリと弾く。しかし、きわめて繊細で美しい音なので、そこに魂がこもる。凄いヴァイオリニストだと思った。ピアノのチャイゼも同じ雰囲気。テクニックは見事だが、とても繊細。二人が見事な世界を作り上げた。

 ラヴェルのソナタの軽妙でありながら、きわめて真摯な音楽をうまく表現していると思った。韜晦というべき奥深い精神が、この若い演奏家たちから確かに浮かび上がる。絵ネスクのソナタもおもしろかった。この曲は何度か聴いたことがあったと思うのだが、これまであまり印象に残らなかった。が、今回聴いてみると、これはとてつもない曲だ。

 

・トリオ・カレニーヌ(ピアノ三重奏)

シューベルト「ノットゥルノ」 シューベルトのピアノ三重奏第2

 トリオ・カレニーヌは3日のコベキナのチェロを伴奏したパロマ・クーイデルがピアノストを務めるトリオだ。素晴らしい演奏だった。ピアノ以外の楽器も素晴らしい。とてもいいトリオだと思う。ただ、私はシューベルトの室内楽曲のいくつかを大変苦手にしている。これもそのタイプの曲だった。あまりに長たらしいと思ってしまうのだ! 同じことを何度も繰り返し、これで終わりかと思うとまた前に聞いたメロディが出てきて、同じことが続く。私は、「とりとめがない」と感じて、いらいらしてくる。私はてきぱきと論理的に展開される曲が好きなのだ! シューベルトの全部の曲が嫌いなわけではないのだが、やはり今回は少々イライラした。

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