音楽

ヘンデルのオラトリオ「テオドーラ」 テオドーラの凛とした美しさ

 2018114日、浜離宮朝日ホールでヘンデル作曲のオラトリオ「テオドーラ」を聴いた。第15回ヘンデル・フェスティバル・ジャパンのイベントだ。

 このオラトリオを聴くのは初めて。そもそも、実はヘンデルを聴くこともほとんどない。が、数年前、ザルツブルク音楽祭でこのオラトリオが上演された時から、関心を持っていた。一度聴いてみたいと思っていた。

 第一部は少々退屈だと思ったが、第二部以降はとてもおもしろく聴くことができた。美しいメロディがたくさん出てくる。すがすがしかったり、抒情的だったり。深い信仰も示される。しかも、とてもわかりやすい。テオドーラの凛とした美しさが描かれている。確かに素晴らしい音楽世界だ。

ただ、あまりの長さにびっくり。ローマ時代、キリスト教徒の処女テオドーラは異教の神々を崇拝することを拒否したために、総督に娼婦になることを命じられる。テオドーラを愛する青年ディディムスは策を弄して助けようとするが、ついには、二人ともに死刑になる。それだけのストーリーなのだが、3時間半近くかかる。ワーグナーでもこれだけのストーリーなら1時間半くらいの一つの幕で終わるのではないかと、ヘンデル初心者の私は思ってしまう。同時に、きわめてプリミティブな感想だが、純潔に対するキリスト社会の強い思い入れに改めて驚いた。

 男声(バスの牧野正人、テノールの辻裕久)も健闘していたが、女声のほうがいっそう充実していた。アルトの山下牧子はとても安定した歌唱。じっくりと美しく歌った。ソプラノの阿部早希子はきれいな声で清澄に歌って、テオドーラの凛とした美しさを表現していた。

とりわけ素晴らしかったのは、メゾ・ソプラノの波多野睦美だ。英語の語り口が見事。ほかの歌手では聞き取れない発音も、波多野が歌うとしっかりと聞きとれる。この種の音楽で発音の明瞭さがいかに大事であるかが良くわかる。しかも、とても美しい声。この人がいたからこそ、このオラトリオが成功したのだと思う。

 キャノンズ・コンサート室内合唱団&管弦楽団もとてもよかった。初めのうちは合唱の音程が不安定なことがあったが、徐々にしっかりして来た。後半素晴らしかった、オーケストラはとてもよかった。ヘンデルの音楽を聞きこんでいるわけではないので、指揮については何も言えないが、三澤寿喜の指揮はめりはりもあり、リズムもよく、ヘンデルの素晴らしさを見事に引き出していると思った。

 ところで、会場が異様に寒かった。まるで野外コンサートのよう。私は第二部の間、コートにくるまって聴いていた。何か事情があったのだろうか。第二部の終わりころになってやっと暖房が入ったようで、第三部ではコートを脱ぐことができた。

 ヘンデルをもっと聴いてみたいと強く思った。

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見事な若手の弦楽四重奏団、そしてカウフマンの素晴らしい声

 201816日、午前中と夕方、二つのコンサートを聴いた。

 まず午前中に、上野学園石橋メモリアルホールで、「プロジェクトQ・第15章 若いクァルテット、ハイドンに挑戦する トライアル・コンサート1」を聴いた。クラルス弦楽四重奏団(周防亮介・福田ひろみ・島方瞭・森田啓佑)によるハイドン弦楽四重奏曲第67番「ひばり」とヴォーグ・クァルテット(城戸かれん・櫃本樹音・湯浅江美子・櫃本瑠音)による第77番「皇帝」。

 クラルス弦楽四重奏団は、第一ヴァイオリンの周防亮介が美しい音と見事な音楽性で引っ張っていくタイプの演奏を聴かせてくれた。それはそれで一つのあり方だと思う。ただ、ほかのメンバーももう少し個性を主張してもよいのではないかと思った。ヴォーグ・クァルテットのほうは誰かが強いリーダーシップで進めていくというよりは、四人が息の合ったアンサンブルによって一つの音楽を作り上げていくタイプ。それぞれが個性を示し、主張をしながらも明確なグループの音楽性があって、とても良かった。両方とも、若手と言いながらすぐにもプロで活躍できるレベルだが、私は今回の演奏に関しては、ヴォーグ・クァルテットのほうにいっそう共感を覚えた。だが、どちらも長く活動してほしい。頼もしい団体だと思う。

 夕方からは、サントリーホールで、ヨナス・カウフマンのコンサート。伴奏は、ヨッヘン・リーダー指揮による東京ニューシティ管弦楽団。

 曲目は、プッチーニの「トスカ」から「妙なる調和、「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」、ヴェルディ「アイーダ」より「清きアイーダ」、ビゼー「カルメン」より「お前の投げたこの花を」、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より「母さん、あの酒は強いね」など。イタリアとフランスのオペラのアリア。アンコールではタウバーとレハールのオペレッタのアリアが歌われたが、一曲もドイツものはなかった。

 プログラムの中に好きな曲がないので、ちょっとケチってB席を購入して、ホールに行ってみたらオーケストラの後ろの方の席だった。歌でこの席はつらい。しかも、私はイタリア・オペラのオーケストレーションの粗さが気になって仕方がないのだが、この席だと歌手の声よりもオーケストラが聞こえるので、いっそう気になる! とはいえ、やはり素晴らしい声だった。後ろの席でもビンビンと響く。カウフマンの何よりもの魅力はピアニシモの美しさだと思う。それを存分に味わうことができた。

 パヴァロッティなどのようなイタリアらしい明るい声ではない。どちらかというとくぐもった独特の声。しかし、知的な歌いまわし。訴える力が見事。素晴らしいと思った。

 とはいえ、私としては、ちょっとこの雰囲気にはついていけなかった。カウフマンは声だけでなく、容姿が抜群なので、女性客が目立つ。チケットが異様に高いためか、後ろの方は空席が目立つが、着飾った女性が前方に大勢押し掛けて、ある種、異様な雰囲気。しかも、イタリア・オペラ的な「ノリ」。オーケストラが鳴っている時の拍手が鳴ったり、歌い終わった直後にブラボーの声がかかったり。

 私はかなり前からのカウフマンのファンだ。が、私が好きなのは、フロレスタンやローエングリンやジークムントやパルジファル、そしてシューベルトなどの歌曲を歌うカウフマンだ。もちろん、イタリア・オペラもいい。それが求められているし、カウフマンのアンドレア・シェニモもドン・カルロもトゥリドゥもカニオもオテロもドン・ジョゼもウェルテルも素晴らしい。しかし、ドイツものを歌うときの知的な歌い回しが最高なのだ。今回のプログラムでは、それを聴くことができなかったのがまことに残念。ドイツ音楽好きからすると、カウフマンというドイツの宝をイタリアに取られた気分! 次の機会にぜひとも、ドイツモノのアリアを歌ってほしい。そして、ドイツ・リートのリサイタルをぜひ開いてほしい。

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2017年の「ベートーヴェンは凄い」も凄かった!

 20171231日、東京文化会館で、「ベートーヴェンは凄い」を聴いた。小林研一郎指揮、岩城宏之メモリアル・オーケストラ。コバケン10回目のベートーヴェン全国響曲演奏。昨年は風邪、一昨年は父の死から間のない大晦日に母を一人にするわけにはいかずに欠席したが、その前は数年連続して聴いていた。3年ぶりの「ベートーヴェンは凄い」ということになる。

 まず、オーケストラの素晴らしさに圧倒された。各オーケストラから名手が集まって結成された特別編性のオケだけに、研ぎ澄まされ、しかも厚みのあるオケになっている。管楽器の美しさにほれぼれした。金管も、もちろん弦楽器のこの上なく安定している。そして、ティンパニのすごさ。世界の一流オーケストラにまったく引けを取らない。

 マエストロは年齢を重ねているためか、3年前よりは少しおとなしめ。初めて聴いたときには第1番から凄まじいテンションに驚いたが、今回は最後まで力を温存するためか、第1番・第2番あたりまでほんの少し軽め。第1楽章・第4楽章ではコバケン特有の燃焼する音楽づくりだが、ほかの楽章は力で押さずにじっくり聞かせようとする。

が、第3番「エロイカ」あたりから、燃焼度がぐいぐい高まってきた。私は3番・5番・7番・9番に圧倒された。コバケンは奇数番号の交響曲が圧倒的。とりわけ第7番は奇跡的な名演だと思った。音の勢いが凄まじい。躍動し、音が絡み合う。実はあたしは奇数番組が好きだというわけではない。4番と8番は大好きなのだが、マエストロの演奏はこれらも奇数番号風で疾風怒濤の完全燃焼なので、私としてはもう少し違った表現を求めたくなる。

そして、第九。これもすさまじい。オーケストラも大編成。合唱は間違いなく200人以上いたと思う。まさしく大合唱だ。私は今年聴いたエッシェンバッハ+N響よりも、ゲッツェル+読響よりもずっと説得力を感じた。日本人指揮者は第九を知り尽くしているので、見事に演奏してくれる。新しい解釈は特にないと思う。かなりオーソドックスな解釈。だが、完全燃焼、全力投球なので、すべてが心に響く。最後の2分間のコバケンの燃焼は、ほかのどのような巨匠の演奏よりも圧倒的に人の心を動かす。

ソリストはスプラノの市原愛、アルトの山下牧子が素晴らしかった。テノールの笛田博昭、バリトンの青戸知はよく声を出していたが、意図的なのだと思うが、あまり第九らしからぬ歌い方。私には少し違和感があった。

年に一回、大晦日に完全燃焼のベートーヴェンの交響曲全曲を聴くというはいいものだ。自分もそれまでの一年を完全燃焼させて次に移れる気持ちになれる。

ただ、客席が明るかったために、マナーのよくない客が何人も目に入った。プログラムが充実し(とても役に立つ文章がたくさん出ている!)、しかも場内が明るいために、プログラムをずっと読んでパラパラ音を立てている客が何人もいた。

そして、もう一組、とてつもなく非常識な男女を見た。夫婦か友達か親子かはわからなかった。男性は60代か。女性はもう少し若く見えた。一階の中央前方の良い席。演奏が始まると女性は編み物を始めた! 近くの席の人は、編み物の手の動きが邪魔だろう。それ以前に「ながら聴き」は演奏家に対してあまりに失礼だと思う。それだけならまだしも、演奏中に2人でしばしば話をする。そのうえ、男性は演奏中に何度もペットボトルの飲み物を飲み、スマホをいじり、ガサガサ音を立ててパンフレットを読む。2人とも何度か演奏中に目薬をさしていた。まったくもって自宅でテレビを見ている感覚。公と私の区別の欠如とでもいうか。

久しぶりにこれほどマナーの悪い客を見た。誰か近くの被害を受けている人、あるいは一緒に来ていた仲間が注意するべきだと思う。本人たちはきっと自分が周囲が呆れるほど非常識だと気付いていないのだろう。私も注意したかったのだが、席が遠かったし、私自身は音の被害を受けているわけではないので、呆れてみていることしかできなかった。

というわけで、2018年になった。2017年にはラ・フォル・ジュルネを含めて87回のコンサートやオペラを聴いた。9回、海外旅行に行った。3月に定年退職して、あれこれ焦って遊びまくった感がある。2018年には少しペースを落としてあれこれをじっくり楽しみたいと思っている。

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エッシェンバッハ+N響の第九 私には感動をもたらさなかった

20171227日、サントリーホールで、クリストフ・エッシェンバッハ指揮、NHK交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第9番のコンサートを聴いた。その前に、勝山雅世のオルガンによってバッハの曲が4曲演奏された。ただ、勝山はバッハ演奏に定評のある人らしいが、オルガン曲をほとんど聴かない私としては、正直に言って良さがよくわからなかった。

第九についても、実は私はあまり納得できなかった。エッシェンバッハは、しっかりとオーケストラをコントロールし、しばしば「矯め」をつくって激しく、鋭く音楽を作ろうとしていた。私はそのような音楽は決して嫌いではない。だが、少なくとも第1楽章と第4楽章については、エッシェンバッハの工夫がことごとく私の感動に結び付かなかった。単に私のツボにはまらないだけかもしれないが、なんだかちぐはぐな感じがする。第2楽章については、私はとても良い演奏だと思って、かなりうきうきしたのだったが、第3楽章になると、大野+都響に比べて、音の精密さに不足を感じた。第4楽章の歌が入る前の部分については、あまりに無造作。もう少し丁寧に音楽を構築しないと、第3楽章までと第4楽章の接合がうまくいかないと思うのだが、エッシェンバッハは何の工夫もないように、私には思えた。

第4楽章のバリトン独唱が入った後については、とても良い演奏だったと思う。歌手(市原愛・加納悦子・福井敬・甲斐栄次郎)もそろっていたし、東京オペラシンガーズの合唱もよかった(ただ、少し合唱の声がオケに比べて大きすぎるように思った)。しかし、私には昨日の大野+都響の圧倒的な高揚感には及ばないように思えた。

エッシェンバッハは好きな指揮者の一人だ。だが、第九に関しては、期待ほどではなかった。もちろん、良い演奏だと思うし、N響は十分に実力を発揮していると思うが、もっと爆発的な感動を期待していた。ちょっと残念。

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大野+都響の第九 感動した!

20171226日、サントリーホールで大野和士指揮、東京都交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第9番を聴いた。素晴らしかった。感動した。

まず、大野の指揮が圧倒的だった。音楽の構成を明確にしたうえで、自然に音楽を作っていく。音に勢いがあり、メリハリがあるが、それがまったく不自然ではない。大時代的な巨匠風演奏ではないのだが、十分にスケールが大きい。第1楽章から深みに沈潜し、しかも大きく盛り上がっていく。第2楽章の躍動も素晴らしい。そして、第3楽章。ゆったりと歌わせる。各パートが最高に美しくからみあって得も言われる世界を作り上げる。もしかしたら、この数年で最高の第3楽章ではないか。感動のあまり涙が出そうになった。

4楽章の合唱が始まる前の部分も一つの物語として成り立たせているかのよう。陰影があり、高揚に向かう前兆として説得力がある。そして、そのままバリトンの独唱に突入。

歌手陣も充実していた。バリトンの大沼徹は実に立派な声。テノールの西村悟もこの難しい歌を見事に歌いこなした。そして、ソプラノの林正子も圧倒的。もちろん、メゾ・ソプラノの脇園彩も素晴らしい。二期会合唱団も少人数でありながら、高揚した祝祭の世界を作りだしていた。フィナーレの部分のすごいことといったら! 感動に体が震えた。

今年3回目の第九。もちろん、今日がもっとも素晴らしかった。

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ゲッツェル+読響の第九 4つの楽章のまとまりを考えた名演

20171223日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団による第九演奏を聴いた。指揮はサッシャ・ゲッツェル。エマニュエル・クリヴィヌが振るというので楽しみにしていたのだが、指揮者変更。しかし、もちろんゲッツェルの第九もぜひ聴いてみたいと思って、足を運んだ。

とてもいい演奏だった。ゲッツェルの指揮は自然で理にかなっていると思った。中庸のテンポで、おとなしめの音量。大袈裟な表現はない。無理やり煽るところもない。しかし、しっかりと音楽を作っていく。読響もさすがというべきか、美しい音を出す。

初めのうちはもう少しスケール大きく演奏してもよいのではないかと思った。だが、徐々に納得。この第九は第3楽章までと第4楽章の音楽性があまりに異なるために、どうしても不自然になる。おそらくゲッツェルは、それを見越して、全体で不自然にならない音楽を作ろうとしているのだろう。そのために、前半はやや抑え気味。じわりじわりと第4楽章に向けて少しずつ盛り上がっていく。

第3楽章はあっと驚くような美しい音で始まった。読響の実力が発揮される。しっかりと音楽を作って説得力がある。まさしく天国的。そして、第4楽章。バリトンが入るまでの導入がとりわけ見事だった。私はこの部分にどうしても不自然さを感じることが多いのだが、今日の演奏ではそれを感じなかった。見事に第123楽章と連結されて第4楽章に入ったのを感じた。

独唱が加わってからもとても素晴らしかった。祝祭感が高まっていく。とりわけ、ソプラノのインガー・ダム=イェンセンのテノールのドミニク・ヴォルティヒがよかった。さすが外国勢。もちろん清水華澄と妻屋秀和も健闘。

そして、何よりも際立っていたのが、三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団。声が出ているし、音程がいいし、アンサンブルが素晴らしい。合唱の出来でこれほどまでに音楽が違って聞こえるのかと改めて感嘆した。最後は圧倒的だった。4つの楽章がしっかりとまとまりのあるものに聞こえた。なかなかの名演だと思う。

1217日には、アンドレーエ指揮、新日フィルの第九に退屈したが、今日は、第九の素晴らしさを堪能。満足できた。

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アンドレーエ+新日フィルの第九 失望した

 20171217日、オーチャードホールでマルク・アンドレーエ指揮による新日本フィルハーモニー交響楽団の第九特別演奏会を聴いた。一言で言って、大変失望した。私がこれまで実演で聴いた第九の中で最も退屈したと言えるかもしれない。私が第九で退屈するなんてふつうは考えられないことなのだけど!

 前もって言っておくと、ソプラノの森谷真理とアルトの山下牧子は素晴らしかった。大槻孝志(テノール)と久保和範(バリトン)も安定した歌唱。栗山文昭の合唱指揮による栗友会合唱団もしっかりした歌唱だった。新日フィルも、素晴らしいとは言えないが、特に大きな失敗はなかった。

 私が大いに不満に思ったのは指揮だ。合わせているだけとしか思えない。勢いがまったくない。機械的に拍子をとっているだけで、しかも時々バランスの乱れを感じた。ベートーヴェンの苦悩も歓びも、音楽そのものの愉しさも伝わらない。そもそも音楽に表情もニュアンスもない。少なくとも私はまったく楽しめなかった。

 初めて第九を聴く人、初めてクラシックのコンサートを聴く人も大勢いるように見受けられた。第九を我慢して聞かなければならない退屈な曲と思う人がいないことを切に願った。

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デュトワ+N響のみなとみらい公演 しなやかでクリアな演奏に心惹かれた

 20171216日、みなとみらいホールでNHK交響楽団横浜定期演奏会を聴いた。シャルル・デュトワ指揮、前半はハイドンの交響曲第85番「女王」と、ソプラノのアンナ・プロハスカが加わって細川俊夫の「ソプラノとオーケストラのための『嘆き』」、後半はメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。

 ハイドンはしなやかでクリアな音で自然に音楽を作って見事。ただ、近年の古楽器による勢いのある演奏に慣れてしまった耳からすると、あまりにおとなしく、あまりに予定調和の世界であって、少々退屈してしまった。

 細川俊夫の名前はもちろんずっと前から知っていたが、実際に曲を聴いたのは初めてだった。現代曲をほとんど聴かないのでドシロウトの感想で恥ずかしいが、ともかくすごい曲だと思った。まったく退屈することなく、「難解だ」とも思うことなく、音の作り出す世界に圧倒されるばかりだった。プロハスカも素晴らしかった。声も美しく、張りがあり、この難解な曲を、私にわかる限りでは完璧に歌いこなしている。シェーンベルクの「期待」よりももっと心を揺り動かされた。遅ればせながら、細川俊夫ってすごい作曲家だったんだと思った! N響も素晴らしい演奏。実にクリアで、音の輪郭が明確。

「スコットランド」は私の大好きな曲だ。デュトワのこの曲を聴くのが今回のコンサートの目的だった。

期待通りの明晰で透明な音による演奏で、構成が明確で、論理的に音楽が展開していく。とりわけ、第2楽章は素晴らしかった。デュトワの本領発揮といえるのではないか。音の積み重ねが実に美しく、勢いがあり、生命力がある。ただ、私としては第3楽章が少し緊張感が不足しているように思った。ハイドンのような精緻でしなやかな音であってほしかったのだが、少し狙いがぼやけた気がする。が、第4楽章で再び勢いを盛り返して、大きく盛り上がって全体を締めくくった。

全体的にとても素晴らしい演奏だったし、すべての楽章を心の底から楽しんだが、大感動したかというと、それほどでもなかった。客が少なかった(三分の二くらいの入りだったのではないか。空席が目立った)せいかもしれないが、演奏家たちがノリノリで演奏しているようには見えなかった。

 現代曲を基本的に聞かない私であるにもかかわらず、今日のコンサートでもっとも感動したのは細川の「嘆き」だったかもしれない。

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石田泰尚ヴァイオリン・リサイタル 狂気の手前で踏みとどまった音楽

 20171215日、ムジカーザで石田泰尚ヴァイオリン・リサイタルvol.4

を聴いた。ピアノ伴奏は中島剛。

 曲目は前半にヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタとスークの4つの小品。後半にシーマンの3つのロマンスとヴァイオリン・ソナタ第2番。

 石田さんは初めは調子が上がらないタイプのようだ。これまで何度か聴かせてもらって毎回そうだった。最初の曲はあまり出来が良くない。今回も、ヤナーチェクのソナタの第1楽章がかなりぎこちなかった。第2楽章からだんだんと調子が上がってきた。石田さんの美音がヤナーチェクの心をかき乱す鋭い音になって響いた。ただ、ヤナーチェクの曲は最後まで本調子にならなかったのではないか。スークからまさしく本領発揮。ヤナーチェクとは違った、もっと抒情的で、もっと透明なリリシズムが歌われる。

 シューマンはもっと良かった。とりわけ、ソナタは絶品。これまでこのブログにも何度か書いてきたが、実はシューマンの曲の中にいくつか苦手な曲がある。とりわけ、ヴァイオリン・ソナタの第2番は情緒の不安定さを感じて、聴いていて気持ちが悪くなることが多い。

ところが、今日の石田さんの演奏は、荒々しく、研ぎ澄まされた音が激しく上下し、心をかき乱す音が動き回るが、ぎりぎりとところで不安定を世界には入り込まない。濃厚なロマンティシズムをもった鋭くて劇的な素晴らしい音楽の世界にぎりぎりで踏みとどまっている。なぜそんな音楽になるのかについて、技術的なことは素人の私にはまったくわからないのだが、石田さんの人徳というか、その特異な音、得意なキャラクターのおかげというしかあるまい。石田さんが演奏すると、独自のスタイルに貫かれ、かなり突出した音楽になるが、決して不安定にはならない。正気の世界の縁にいる。

最初のアンコール曲は「トロイメライ」。抒情的な名曲とされているが、実は私はこの曲も苦手だ。不思議な夢幻の執拗な繰り返しに、私はどうしても狂気めいたものを感じて苛立ってしまう。ところが、これについても石田さんが演奏すると、微妙なところで踏みとどまった美しいロマンティックな世界になる。今日は私は少しも苛立たなかった。

2曲目のアンコール(恥ずかしながら、知らない曲だった)も素晴らしかった。最後は「きよしこの夜」。本当に素晴らしい美音。

 ところで、隣の隣の席の女性が後半の演奏中、まるで指揮をするように、あるいはまるでヴァイオリンを演奏するように左手を動かすのには閉口した。気になって音楽に集中できなかった。隣の席だったら、間違いなく注意するのだが、その向こうの席では声をかけにくい。しかも、後半になって激しく動かし始めたので、休憩時間に注意するというわけにはいかない。「音を立てないように」という注意はあちこちでなされるが、「プログラムを扇子代わりに使ってバタバタさせたり、指揮の真似をしたりするのもほかのお客様に迷惑です」というような注意も必要ではないかと思った。

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飯田みち代 ソプラノ・リサイタルを堪能

2017128日、王子ホールで飯田みち代 ソプラノ・リサイタルを聴いた。とても良かった。飯田さんの表現力にも感服。しばしば感動した。ゲストの彌勒忠史(カウンターテナー)の力にも圧倒された。ピアノは前田佳世子。

飯田さんとは何度かお仕事をご一緒したことがある。私が飯田さんのコンサートを企画し司会をした。多摩大学のゼミのコンサートをお願いしたこともある。「ダメ元」でお願いしてみたら、快く引き受けてくださった。私は最初に飯田さんの歌を聴いた時からの大ファンだ。とりわけ、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」はまだ耳に残っている。芸術大賞をとった「メデア」のタイトルロールの素晴らしさも昨日のことのように覚えている。そして、今回、もう一つ上のレベルに達したことを実感した。

ほとんどはバロックの曲。カッチーニの「アマリッリ」「愛の神よ、何を待っているのですか」、ヴィヴァルディの歌劇「ポントの女王アルシリダ」より「私はジャスミン」など。飯田さんの声と表現力はロマン派にこそ発揮されると思っていたのだが、バロック曲を清澄でありながらもダイナミックに歌って、みごとに表現していた。清澄さの中に凄みを宿らせ、それを徐々に展開していく。こんなことを言うとあまりに僭越だが、飯田さんはバロックを深めることによって、ますます深い表現力を身に着けたと思った。彌勒さんとのデュオによる『ポッペアの戴冠』より「ただあなたを見つめ」はとりわけ素晴らしかった。

が、やはり、わたしは飯田さんのロマンティックな歌唱が好きだ。『ジャンニ・スキッキ』の「私のお父さん」もよかったし、ギュスターヴ・シャルパンティエの『ルイーズ』の「その日から」はまさしく圧巻。バロック曲で少し抑制してきた飯田さんの持ち味を全開! 私はワーグナーに反応するように、飯田さんの歌に反応する。時々ゾクッと魂が震える。私の心の奥にある「琴線」をかき乱される。後半の『セヴィリアの理髪師』の「今の歌声は」も素晴らしかった。

そして、彌勒さんの太いカウンターテナーによる「オンブラ・マイ・フ」にもしびれた。彌勒さんの声を聴くのは初めてではないが、こうしてソロやデュオを間近で聴くと、改めて音程の良さ、声の太さに圧倒される。

バッハのロ短調ミサのデュオも素晴らしかった。最後は、ヘンデルの『リナルド』から「私を泣かせてください」、そして、アンコールは「きよしこの夜」。堪能した。

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