音楽

尾高+東響のショスタコーヴィチの交響曲第5番に圧倒された

 2019812日、ミューザ川崎でフェスタサマーミューザ最終日、東京交響楽団のコンサートを聴いた。指揮は尾高忠明。曲目は前半にジャン・チャクムルが加わってシューマンのピアノ協奏曲イ短調、後半にはショスタコーヴィチの交響曲第5番。

 シューマンの協奏曲については、私は少々不満を抱いた。ピアノとオーケストラがかみ合わない気がした。チャクムルのピアノがあまりに個性的で、細かいニュアンスをつけるのだが、オーケストラがそれをフォローしないように思えた。なんだかずっとちぐはぐ。いや、もっとはっきり言えば、どうも私はこのピアニストの独特のニュアンスがどうも理解できない。私はシューマン好きではないし、ましてやピアノ好きでもないので、この協奏曲もめったに聞いたことがない。だから偉そうなことは言えないのだが、私にはむしろこのニュアンスが邪魔になったのだった。そんなわけで、最初から最後まで納得いかずに聴いていた。

 後半のショスタコーヴィチは素晴らしかった。前半のもやもやを吹き飛ばしてくれた。

 第1楽章は静かに始まって、だんだんと盛り上がっていく。オーケストラの音が美しい。しかも、瞬発力がある。第23楽章は研ぐ済まされた音で徐々に精神が鬱積してく。とりわけ第3楽章の緊張感は見事。そして、第4楽章で爆発する。だが、ショスタコーヴィチらしく、あけっぴろげな爆発ではない。これまでぐっと胸の内にため込んでいたものをやっと爆発させながらも、まだ鬱積したものが残り、不安が残り、いら立ちが残っているかのような音。尾高はそうした音を重層的に積み重ねていく。打楽器、弦楽器、管楽器すべてが明確な音で指揮者の指示にこたえているのがよくわかる。そのような音楽の構築が見事だと思った。一つ一つの音の重なりも、音色の変化も素晴らしい。ただただ圧倒されて聴いた。

 2日連続のミューザ川崎だった。今日は東響の実力を思い知った。

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エッティンガー+東フィルの「悲愴」 猛暑の中の「悲愴」は格別

 2019年8月11日、ミューザ川崎でフェスタサマーミューザ、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートに出かけた。20日ぶりくらいのコンサート。このところ、とても忙しくて、コンサートに行く時間も、家でオペラ映像や映画をみる時間もなかった。お盆の時期になってやっと少し余裕ができた。

 指揮はダン・エッティンガー。曲目は前半にワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第一幕の前奏曲と、高木綾子が加わってモーツァルトのフルート協奏曲第1番。後半にチャイコフスキーの「悲愴」。

 「マイスタージンガー」前奏曲は音にまとまりがないのを感じた。席のせいかもしれない。が、モーツァルトになってだんだん耳が慣れてきた。高木さんのフルートは切れが良くて音が美しい。エッティンガーの指揮もツボを心得ている。高木さんの演奏もエッティンガーの指揮も、もっと深みのある音楽を創ろうとしているようだ。私としては、もっとさわやかに鳴らすだけのほうがずっと魅力的なのに・・・と思わないでもなかった。ソリストのアンコールとして、ドビュッシーの「シランクス」。とても美しい音色だった。高木さんのフルートはモーツァルトよりもフランス音楽に向いているのでは?と勝手なことを思った。ふくよかで柔らかみのある音。

 後半の「悲愴」はとても良い演奏だった。エッティンガーは、情緒に流されるのでなく、ドラマティックな音の塊としてこの曲を演奏しているようだ。ドイツ音楽的なアプローチといえるだろう。第一楽章も「慟哭」といえるような音楽にはならない。エッティンガーは音楽に勢いをつけ、構成のしっかりした音楽に仕上げていく。もしかしたらチャイコフスキー・ファンには物足りない演奏かもしれないが、情緒たっぷりのチャイコフスキーが少々苦手な私としては、これは好ましい。ただ、エッティンガーの要求に東フィルは十分についていっていない面もあるのではないかと思った。管楽器を中心にとても良い音を出していたが、全体の爆発力が不足しているような気がした。エッティンガーはもっと爆発的なエネルギーを出したかったのではないか。

 猛烈な暑さの中、川崎まで出かけたが、こんな時の「悲愴」も、それはそれで格別だと思った。暑さを吹き飛ばす気がした。

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大野+バルセロナ響 三味線交響曲はおもしろかったが、第九に失望

 2019724日、オーチャードホールで大野和士指揮、バルセロナ交響楽団の演奏を聴いた。曲目は、前半にファビア・サントコフスキー作曲「2つの三味線のための協奏曲」、後半にベートーヴェンの交響曲第9番。

 三味線の曲はとてもおもしろかった。三味線の演奏は吉田兄弟。楽器の様々な奏法を駆使して、自然の生命体を描くかのよう。その中で強い音で二台の三味線が命の力を激しく伝える。吉田兄弟の三味線の力に圧倒された。大野の指揮、オーケストラの音色もとても魅力的だった。

 が、後半の第九に入ってからは、私は大いに失望した。

 冒頭からアンサンブルが崩れていた。とりわけコントラバスが少し遅れているような気がした。しかも音程が悪く、音がびしりと決まらない。リズムも崩れるし、音が濁るし、縦の線がそろわない。音楽が終止しているのに、まだ音の残っている楽器がある。すぐに立て直されるかと思っていたら、いつまでたっても同じ調子だった。

 もしかしたら、サントコフスキーの曲に全力を注いで、第九についてはリハーサルをしていなかったのではないかと思ったほど。前半とは同じオーケストラとは思えないほどの出来だった。後半だけ聞いたら、アマオケのレベルだと私は思ったかもしれない。

 第四楽章に入って歌手たちが登場して、多少は聴けるようになった。とりわけ、ジェニファー・ウィルソンはとても美しく強靭な声が魅力的だ。デヴィット・ポメロイもきれいな声。妻屋秀和、加納悦子も遜色ない。東京オペラシンガーズも迫力ある声。ただ、これについてもオーケストラが雑なので、精妙さに欠け、むしろ力任せに歌っているだけに聞こえる。

 最後まで、オーケストラが雑だった。いったいどうしたことだろう。大野さんともあろうものが、これで良しとしているのだろうか。大いに疑問に思った。

 疑問を抱きながら帰宅した。

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エベーヌ弦楽四重奏団の大フーガに興奮した

 2019716日、サントリーホール ブルーローズでエベーヌ弦楽四重奏団のコンサートを聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」と弦楽四重奏曲第13番。すさまじい演奏。興奮した。まだ興奮が残っている。

 エベーヌ弦楽四重奏団を知ったのは2006年のラ・フォル・ジュルネだった。あまりの素晴らしさに圧倒された。ヴィオラ奏者が若い女性に代わってからは、今回、私は初めて聴いた。

 完璧といえるようなアンサンブル。4台の楽器が同じ音色で、見事にこのカルテットの音を作り出す。精妙で鋭くて、まるで音楽全体が機敏に動き回る動物のような生命力を持っている。跳躍し、襲い掛かり、じゃれまわり、挑みかかる。まさに生命そのものの動き。第9番の終楽章など、時に奏者たちは椅子の上から飛び上がりそうになりながら、躍動して演奏する。本当に素晴らしい。エベーヌ弦楽四重奏団の独壇場というべき表現だと思う。

 第13番はもっともっと素晴らしかった。楽章ごとの性格をくっきりと描く。が、少しもわざとらしくない。「カヴァティーナ」を叙情的に歌った後、「大フーガ」。期待していた通り、すさまじい大フーガだった。鋭くて激しい音が重なる。まさに人間の魂の奥から響き渡る生命の叫びのよう。生命力が爆発し、抑えても抑えてもまた沸き起こる。老年になってもまだ熱く燃える。そのような激しい生命力をたたきつけ、それを生のまま描こうとする。まさにベートーヴェンの魂そのもののような激しい音。しかも、それが研ぎ澄まされ、清澄で美しい。余計なものをはぎ取られてただ剥き出しの人間の魂だけになったかのような音だと思う。圧倒されて涙が出てきた。

 この団体のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲をぜひ聴いてみたいものだ。

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またまたリムスキー=コルサコフのオペラ映像「皇帝の花嫁」「サルタン皇帝の物語」「金鶏」

 風邪気味のため、大事をとってこの数日、自宅でごろごろしていた。行く予定だったコンサートも2本、キャンセルした。重症というほどではないが、喉の痛みがひどかった。数年前、同じような痛みを感じて、声がまったく出なくなったことがあったので警戒したのだった。東進の収録授業など、声が出なくなると仕事にならない。そうなると、ほかの人にも迷惑をかけてしまう。ともあれ、やっと全快しつつあるようだ。

 その間、リムスキー=コルサコフのオペラ映像を3本みたので、簡単に感想を記す。改めて、リムスキー=コルサコフのオペラ作曲家としての実力に驚嘆した。

 

「皇帝の花嫁」 映画版 1964年 ソ連

 V.ゴリッケル監督による映画。モノクロでモノラル。俳優が出演し、歌手が歌っている。エフゲニー・スヴェトラーノフの指揮によるボリショイ劇場管弦楽団の演奏。

 音質はよくない。ノイズもかなり入る。カットされている場面もかなりありそう。だが、全体的にとても感銘を受けた。音楽が面白いし、ストーリーもおもしろい。歌手もそろっている。俳優が演じているので、役割的にもぴったりで、ぐいぐいと引き付けられる。映像も美しく、演技にも説得力がある。改めてこのオペラが名作であると確信する。

 

リムスキー=コルサコフ 「サルタン皇帝の物語」1978年 ドレスデン国立歌劇場

 ドイツ語ヴァージョン。1978年の公演記録だから、現在のレベルからすると、映像も音響も少々粗い。カットも多いと思う。だが、このような記録があるだけありがたい。

 演奏のレベルはかなり高い。出演は、リディア・ルシンスカヤ、ロルフ・ヴォーラートなど。指揮はジークフリート・クルツ(何の曲だったかまったく覚えていないが、かつて私は来日公演で、この人の指揮を聴いたことがあるはずだ。無名の指揮者のわりにとても良いと思った記憶がある)。ハリー・クプファーの演出もおもしろい。メルヘン性を強調し、漫画的に話が展開する。ただ、この映像には、英語を含めていかなる字幕もない。久しぶりに字幕なしのオペラ映像をみた気がする。しかし、漫画的な表情をしてくれるので、大まかなストーリーを知ってみれば、ありがたいことに、ほぼ何が語られているかわかる。

 

「金鶏」 2002年 パリ・シャトレ座

 ケント・ナガノ指揮、市川猿之助(三代目)演出、パリ管弦楽団、マリインスキー劇場合唱団による上演。歌舞伎風の衣装、演出。猿之助だけでなく、高島勲、朝倉摂などの有名な日本人スタッフの名前が並ぶ。猿之助のオペラ演出は、「影のない女」(実演をみた。とてもおもしろかった)以来、2本目。

 これは異界のオペラであり、とりわけ占星術師やらシャマハの女王やら金鶏やらの得体のしれない存在が登場するので、キモノふうの衣装、歌舞伎風の化粧というのはよいアイデアだと思うのだが、この上演から15年以上たった現在から見ると、やはりこの演出は「やりすぎ!」であり、まさしくキワモノと感じざるを得ない。

 異界の数人のみが歌舞伎風の衣装だったらわからないでもないが、合唱も含めた登場人物全員がこのような衣装では、大仰すぎる。舞台が大層なものになって、軽みがなくなってしまう。もしかしたら、指揮、演出ともに、重々しくおどろおどろしい世界を目指したのかもしれないが、そうすると、私にはこのオペラの最大の魅力がなくなってしまうと思われる。

 指揮についても、私は何をしたいのかよくわからなかった。もっと軽快でもっと諧謔的でよいと思うのだが、妙に重い。どういう意図があるのだろう。

 歌手についてはとてもよかった。とりわけ、占星術師のバリー・バンクスとシェマハの女王のオルガ・トイフォノヴァが素晴らしい。見事に異界の存在を歌っている。ドドン王のアルベルト・シャギドゥリンも見事。

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ミヒャエル・ザンデルリンク+ドレスデン・フィル 巨匠風演奏!

  20197月2日、武蔵野市民文化会館でドレスデン・フィルハーモニア管弦楽団のコンサートを聴いた。指揮はミヒャエル・ザンデルリンク。曲目は、前半にシューベルトの「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番(運命)と、後半にドヴォルザークの「新世界より」。要するに「未完成」「運命」「新世界」という有名交響曲3曲のコンサート。

 今時珍しい巨匠風の演奏だった。使用している版も昔聴きなれたものだと思う。1960年代に聴いていた雰囲気の音楽が聞こえてきた。スケールが大きく、巨大な音楽が作られる。もちろん、細かいところでもしっかりと音楽が息づいている。それはそれで見事な演奏だと思う。

 ただ、私としては、まず「未完成」で躓いた。シューベルトのこの曲をこれほど大袈裟に演奏してよいのだろうか。細かいニュアンスが消え去ってしまう。やるせなさのようなものが出てこない。「運命」も「新世界」も同じ感じだった。要するに、ちょっと大味。もちろん、それはそれでしっかりと音楽を盛り上げる。素晴らしいところはたくさんある。が、私はどうしても乗り切れない。いかにもウケそうなノリノリの演奏になってしまっている。もっと緻密に音楽を作ってほしいと思った。

 アンコールはスラブ舞曲の有名な曲(第何曲なのかは知らない)。これもやはりスケールの大きな、言い換えれば緻密さと繊細さに欠けた演奏だった。

 観客は大喝采だったので、これでよいのだと思うが、私としては少々不満だった。

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森麻季 リリックな歌声を堪能した

 2019630日、調布国際音楽祭として、調布市市立文化会館たづくり くすのきホールで、森麻季ソプラノリサイタルを聴いた。ピアノ伴奏は山岸茂人。素晴らしかった。まだ興奮している。

 2007年のドレスデン歌劇場来日公演「ばらの騎士」で、素晴らしいゾフィーを聴いて、森さんの実力を知ったのだったが、今回改めて聴いて、ますます凄みを増していると思った。本当に素晴らしい。世界のトップレベルを行く数少ない日本人歌手の一人だと思う。

 音程のしっかりした澄んだ輝かしい声。声そのものがまず素晴らしい。だが、それだけでなく、声の響かせ方など、テクニックも本当に見事。会場内全体に美しく響き渡る。ピアノ伴奏も澄んだ美音が声にふさわしい。

 最初の、メンデルスゾーンの「歌の翼に」やシューマンの「献呈」もよかったが、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」のなかの 「アヴェ・マリア」が絶品。本当に清澄で美しい声! 祈りの心が伝わる。

「コシ・ファン・トゥッテ」の「恋人よ、許してください」も「ドン・ジョヴァンニ」の「むごい女ですって!」も、細やかに女の心を歌って素晴らしい。フィオルディリージやドンナ・アンナの心が細かいところまで伝わるような歌だ。

 後半はフランスの歌曲やオペラ・アリア。アーンの「至福の時」の、まさに幸せを歌う清澄な声に痺れた。フォーレの「月の光」も「夢のあとに」も、フランス語の発音が実に美しい。言葉の響きの一つ一つをとても大事にしているのがよくわかる。

 が、やはりオペラのアリアで、森さんの輝かしい声はいっそう魅力的になる。「カルメン」のミカエラのアリア「何を恐れることがありましょう」も清純な心が込められていて美しかったし、シャルパンティエの「ルイーズ」の「その日から」も、まさに幸せの絶頂を可憐に歌い上げていた。カタラーニの「ワリー」のなかの「さようなら、ふるさとの家よ」もしっとりとして味わい深い。

 アンコールに日本歌曲「はつこい」と「からたちの花」。ともに、日本語の言葉も聞き取りやすく、しかもその響きが美しい。最後に、「ラ・ボエーム」のムゼッタのアリア。この躍動も見事。

 今回選ばれていたのは、いずれもリリックな歌だった。これこそ、森さんの声の美しさを存分に味わうことのできる歌だっただろう。声の美しさ、言葉の美しさを堪能できた。

 ただ、私としては、もっとダイナミックな歌やコケティッシュな歌、ユーモラスな歌も聴いてみたかったが、それはないものねだりでしかないだろう。次の機会には今回と違ったタイプの歌も是非聴きたい。

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新国立劇場オペラ研修所オペラ試演会「イオランタ」を楽しんだ

 2019629日、新国立劇場小劇場で、新国立劇場オペラ研修所オペラ試演会「イオランタ」をみた。

 私はこれからのオペラ界を背負って立つ若い歌手たちが出演する新国立劇場オペラ研修所オペラ試演会を毎回楽しみにしている。しかも、「イオランタ」は好きなオペラの一つだ。今回も楽しみにして出かけた。そして、期待通りに楽しめた。

 もちろん、海外のオペラ団体の来日公演や日本の大きな組織が総力を挙げる公演に比べると、力不足は否定のしようがない。歌手たち全員にそれなりに完璧といえない部分がある。舞台にもきっとお金もあまりかかっていないだろう。だが、全員が全力でオペラを作り上げようとするエネルギーが伝わり、多くの歌手たちの長所が見えて、とても頼もしい。

 イオランタを歌った和田悠花は澄んだ声で容姿も美しく、まさにイオランタにふさわしい。ロベルトの野町知弘は自在な歌いっぷりでとても美しい声。レネ王の松中哲平は声量のあるしっかりした声、ボデモンは後半、声に疲れが出て高音で声が割れたが、前半はなかなかの美声だった。すべての歌手は、ところどころ声が不安定になることはあったが、全体的にはとても大いに健闘。チャイコフスキーのオペラの魅力を味わわせてくれた。

 高田絢子と原田園美の二人のピアノを指揮するのは鈴木恵里奈。メリハリのしっかりした小気味よい指揮だったが、はじめのうち歌手とテンポが合わなかったのが残念。弦楽器や管楽器がないためにチャイコフスキー独特の情緒がだせないのはよくわかるが、もう少しじっくりと歌わせてくれてよいのではないかと思う部分もあった。

 演出はヤニス・コッコス。光の環が相撲の土俵のように舞台の中心に作られ、その中でイオランタが演じる。レネ王の束縛としての「鳥かご」のような円環なのだろう。最後、目が見えるようになってイオランタはその円から一歩踏み出す。

 ただ実をいうと、私は「イオランタ」の物語にはいくつも納得できない点がある。ここで描かれるキリスト教はかなり正統から外れているのではないか。中東の医師の二元論解消の考え方は実は中東的ではないのではないか。今日もオペラを見ながら、様々な疑問が頭をかすめた。が、それについては今は語らない。

 ともあれ、才能ある若い歌手たちの歌を聴くのはとても楽しい。今日も十分に楽しんだ。

 

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「ハチャトゥリアン・コンチェルツ」 まとめて聴けて満足

 2019628日、みなとみらい大ホールで神奈川フィルハーモニーによる「ハチャトゥリアン・コンチェルツ」を聴いた。池辺晋一郎氏の企画で、ハチャトゥリアンのチェロ協奏曲ホ短調とピアノ協奏曲変ニ長調とヴァイオリン協奏曲ニ短調の合計3つの協奏曲が演奏された。指揮は川瀬賢太郎。ゲスト・コンサートマスターは豊島泰嗣。

 私は特にハチャトゥリアンが好きなわけではない。半年ほど前、ジョージアとアルメニアを旅行することにして、はてこれらの国にはどんな出身者がいるんだったかと調べた時、最初に出てきたのがジョージア生まれのアルメニア人であるハチャトゥリアンだった。そんなときにこのコンサートが開かれるのを知ったのだった。

 最初に石坂団十郎のチェロが加わってのチェロ協奏曲。これを聴いた時点では、実は少々退屈だった。とても鮮烈な演奏であり、石坂団十郎はとても素晴らしいチェリストだとはよくわかったのだが、そうはいっても曲自体がつまらないと思った。なじめないメロディで、なんだかよくわからない展開だと思った。

 が、佐藤卓史のピアノが加わってのピアノ協奏曲はとてもおもしろかった。チェロ協奏曲と違って躍動があり、爆発があり、民族舞踊的な高まりがあった。佐藤のピアノのはじけ具合もとてもよかった。川瀬の指揮も佐藤のピアノもきわめて正統派だと思う。派手すぎることはしない。音楽を崩さない。だが、池辺さんがプレトークで語っていた通り、「ハチャトゥリアンの音は一つ一つが生きている」。

 郷古廉のヴァイオリンが加わってのヴァイオリン協奏曲もよかった。この曲は何度か聴いたことがある。これも同じように、誇張することなく、音楽を崩すことなく、正当にしっかりと、しかしそうであるが故に生き生きと音楽を展開させる見事な演奏だった。郷古の音楽性もとてもよく分かった。

 とはいえ、やはり私にはハチャトゥリアンの曲は退屈だと思わざるを得なかった。いろいろな音楽が上滑りに通り過ぎていく。やはり、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの曲のほうがずっとおもしろい。

 ただ、ちょっと思ったのは、もしかしたら、ハチャトゥリアンの曲というのはもっとねちっこく、もっと悲劇的なのではないかということだった。アルメニアで2、3日過ごし、アルメニア人のガイドさんの話を聞いたところでは、アルメニア人はもっと思い入れたっぷりでもっと怨念を持ち、もっと悲劇的な感性を持った人たちのようだ。そのような演奏だったらもっと退屈しないで聴けるのではないかと思ったのだった。

 ともあれ、ハチャトゥリアンの協奏曲をまとめて聴くことができて満足。

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読響シンフォニックライブ ヒナステラの曲にびっくり

 2019626日、東京芸術劇場で読響シンフォニックライブを聴いた。日テレの放送のための公開演奏。

 指揮は原田慶太楼。曲目は前半にコリヤ・ブラッハーのヴァイオリンが加わってブラームスのヴァイオリン協奏曲、後半にメゾ・ソプラノの杉山由紀が加わって、ファリャのバレエ音楽「恋は魔術師」とヒナステラのバレエ音楽「エスタンシア」組曲。

 私はブラームスの協奏曲を目当てで足を運んだのだったが、好みの演奏ではなかった。

 指揮は、輪郭のはっきりした明快でメリハリの強い演奏。ぐいぐいと押してくる。前半、ちょっとアンサンブルの乱れを感じないでもなかったが、ともあれ単純でわかりやすい枠組みの中に勢いのある音楽を創ろうとしている。それは決して私は嫌いではない。

 私が嫌いなのはブラッハーのヴァイオリンだった。どうやらブラッハーは、ヴァイオリン・パートを一つの流れのある「メロディ」と考えているようで、メリハリなくずっと歌わせる。まるで、たった一人だけでくどくどと歌を続けているかのよう。そうすると、構成が曖昧になり、勢いがなくなる。第三楽章でさえも同じ雰囲気を続け、ヴァイオリンは歌を歌い続けている。

 ヴァイオリンのアンコールとして、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番の第1曲が演奏されたが、それも私は同じように感じた。重層的な音の重なりではなく、一つの連続したメロディになっている。私には、これはおもしろく感じられない。

 後半のスペインの音楽になって、原田は自由に音楽を創れるようになったようだ。ただ、ファリャの曲は、杉山の声がオーケストラに埋もれてしまっていた。せっかくきれいな声なのに、もったいない。もう少しオーケストラが音を抑えるべきだろう。

 最後のヒナステラの曲は初めて聴いた。それどころか、ヒナステラという作曲家も初めて知った。オーケストラが躍動し、音が勢いを持って色彩的に鳴りまくるので、びっくり。とても楽しく、とてもダイナミック。原田は大きな身振りで、見事にオーケストラをコントロールし、読響のメンバーは見事に美しく勢いのある音を出す。明るくて明快。とりわけ最後の部分は心が躍動した。

 ブラームスは好みではなかったが、スペイン音楽は楽しめた。ともあれ、満足。

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