音楽

尾高&バンゼ&新日フィルのシュトラウスを堪能!

 2022103日、サントリーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮は尾高忠明。曲目はすべてリヒャルト・シュトラウス。前半に初期の作品「セレナード 変ホ長調」と最晩年の「四つの最後の歌」、後半に交響詩「英雄の生涯」。

「セレナード」は管楽器の中に1台だけコントラバスが加わるという編成。なぜコントラバスが含まれるのか、よくわからなかった。これまでCDで何度か聴いたことがあったが、ミミだけではコントラバスの音には気づかなかった。いや、それどころか、今回もコントラバスが演奏されていることは視覚的には確かめられたが、音ははっきりと認識できなかった。いずれにせよ、あまり名曲とは思わなかった。

「四つの最後の歌」を歌うのは、ユリアーネ・バンゼ。私は録音や映像で何度か聴いたことがあるので大いに期待していたが、まさに期待通り。ただ、あまりきれいな声とは言えないかもしれない。むしろ、「スッピン」の声とでもいうか。化粧なし、飾りなしに、生のままの声を出している雰囲気がある。オペラ的にベルカントで歌うというよりも、語るように、化粧っ気のない声で歌う。それが素晴らしい。死を前にした諦観、生と死への思いが深い思いを込めながら歌われる。生の声であるがゆえに官能的でリアルに感じる。何度か感動に震えた。これはリートの一つの歌い方の典型だと思った。素晴らしい。

 第3曲「眠りにつくときに」のヴァイオリン・ソロをコンサート・マスターの崔(チェ)さんがとても官能的に弾いて、歌と見事に合致した。オーケストラも官能的で色彩的で、見事にシュトラウスの世界を作り出した。

「英雄の生涯」も、マエストロ尾高らしい、丁寧でしなやかでツボを得た演奏だった。こけおどしがまったくなく、自然に音楽が流れる。細部までしっかりとコントロールできているのがよくわかる。ここでも崔さんのヴァイオリンが実に官能的。そして、音楽が高まるところで見事に高まり、しっかりと盛り上がりを作る。構成感もしっかりしていて、音楽が立体的に出来上がっていく。とても見事だと思った。

 ただ、やはりオーケストラの音が、きっと理想的ではないのではないのかとは感じた。音楽が素晴らしく高揚しているのだが、どうも音がクリアに響かない。あと少しの音の威力がほしいと思った。

 とはいえ、とても満足。セレナードでは若きシュトラウスの心を聴くことができ、「四つの最後の歌」では、シュトラウスらしい色彩的なオーケストラとバンゼのリアルな歌を聴くことができた。「英雄の生涯」では尾高指揮の力感にあふれ、知的で繊細な音を味わうことができた。シュトラウスを満喫できた。

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笹沼&上田のシュトラウスのソナタに感動

 2022930日、HAKUJUホールで、笹沼樹(チェロ)・上田晴子(ピアノ)のデュオリサイタルを聴いた。曲目は、前半にグラズノフの「吟遊詩人の歌」、ラフマニノフの「2つの小品」作品2、プロコフィエフのバレエ組曲「シンデレラ」より「アダージョ」、プロコフィエフのチェロとピアノのためのソナタ ハ長調 op.119、後半にブラームスの晩年の歌曲2曲とリヒャルト・シュトラウスのチェロとピアノのためのソナタ ヘ長調。

 前半のロシア、ウクライナの音楽については、私の守備範囲ではないので、批評家めいたことは何も言えないが、笹沼の歌心が伝わる演奏だったと思う。過度にロマンティックにならないのがいい。素直に歌い上げる。技巧的な部分も、歌心があるので、とても自然だと思う。上田のピアノも芯が強く、輝きがあってとても魅力的だ。プロコフィエフのソナタについては、天衣無縫という感じが出ていて、とてもおもしろかった。プロコフィエフはおもしろい!

 後半のシュトラウスはとりわけ素晴らしかった。若々しいシュトラウス。生命力にあふれ、意欲にあふれた作品だ。派手好きでちょっとこけおどし的な面があるのは、いかにもこの作曲家らしい。しかし、若々しいエネルギーにあふれているので、少しも嫌味ではない。それを笹沼と上田は真正面から描いていく。感動的なまでにまっすぐな高揚だと思う。衒いもなしに若い心をそのままぶつけている感じ。そこに好感が持てる。

 私は中学生のころから、つまり55年以上前からのシュトラウス好きなので、ひいき目かもしれないが、この若書きのチェロ・ソナタも素晴らしい名曲だと思った。こんなに素直に躍動感にあふれた若い心を描く音楽はほかにないではない。今日のような演奏で聴くと、とりわけそう思う。

 アンコール3曲。1曲目はシュトラウスの歌曲(たぶん「夜」?)。ほかの2曲は知らない曲。でも、とてもよかった。

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日本を代表する演奏家たちのモーツァルト、フルート四重奏曲に感嘆

 2022926日、東京文化会館小ホールで日本モーツァルト協会例会、フルート四重奏曲全曲を聴いた。演奏は上野星矢(フルート)、郷古廉(ヴァイオリン)、安達真理(ヴィオラ)、横坂源(チェロ)。素晴らしかった。

 先日、若いメンバーによる同じ曲を聴いたばかりだったが、やはり今回は一味違う。すべての音が完璧にコントロールされ、しなやかで、まさに典雅な演奏。音楽が自然に流れ、しかも初々しく美しい。しかも、変奏形式の部分のそれぞれの変奏の表現の変化が息をのむほどに鮮やか。

 まず、上野のフルートの音があまりに美しい。突き抜けた典雅さとでもいうか。心が洗われる気持ちになる。そして、肌触りを感じるかのような弦の音のしなやかさ。この三人のメンバーはしばしば共演しているのだろうか。まるで常設の団体のようなまとまりの良さ。

 やはり第1番と呼ばれているK298のニ長調の曲が素晴らしい。音楽そのものの美しさを感じる。晩年の人生の深みを感じさせる曲ももちろん素晴らしいが、若いころのモーツァルトの自然な音楽もまた素晴らしい。

 前半にオーボエ四重奏曲のフルート・ヴァージョンも演奏された。これもまさに名曲。

 このような音楽を聴いていると、だんだんと生きる気力がわいてくる。

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ヴァイグレ&読響の「ドイツ・レクイエム」 「人はみな草のようで」に涙した

 2022年9月20日、サントリーホールで読売日本交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。曲目は、前半にダニエル・シュニーダー作曲の「聖ヨハネの黙示録」(日本初演)。後半にブラームスの「ドイツ・レクイエム」。

「聖ヨハネの黙示録」は2000年に作曲された曲だという。黙示録の言葉を歌詞にしているようだ。「ドイツ・レクイエム」と同じようにソプラノとバリトンの独唱と合唱による30分ほどの曲。調性のある音楽だが、きわめて劇的で神秘的で音が渦巻いている。ヴェルディの「レクイエム」の「怒りの日」のような雰囲気で音楽が展開していく。とても面白く聴くことができた。バリトンの大西宇宙もいいが、ソプラノのファン・スミがことのほか素晴らしい。ヴィブラートの少ない澄んだ声だが、きれいに伸びて、声量も豊か。宗教音楽にはこれ以上の声は考えられないほど。

「ドイツ・レクイエム」は素晴らしかった。ヴァイグレらしいしなやかな音。読響もヴァイグレの要求をしっかりと満たして、深い響きを出している。冒頭のヴィオラの音が全体の音楽を決定づけているように思えた。深く沈潜し、心の奥深くにしみこんでくる。いたずらにドラマティックにするのではなく、じわじわと盛り上げる。

 私は第2曲「人はみな草のようで」が大好きなのだが、このじっくりとした盛り上がりはすさまじかった。合唱(冨平恭平合唱指揮・新国立劇場合唱団)もしっかりと声が出て、音程も安定している。人はみな草のようにすぐにしぼむ。人間のはかなさを思い知らせ、それを救う創造主をたたえる。歌詞を納得させる音楽だとつくづく思った。私は涙を流して聴いた。

 全7曲が有機的につながっていることも納得できるような演奏だった。大きく盛り上がって、死を前にした人間の悲しみを歌い。永遠の生を与える神をたたえる。そして、静かに終息していく。この「ドイツ・レクイエム」においても、ファン・スミのソプラノがあまりに素晴らしい。本当に美しい声。

 妻を亡くして一月ほど。レクイエムを聴くとやはりどうしても自分の状況と重ね合わせてしまう。他人事としてこの音楽を聴くことができない。私はキリスト教徒ではないので、永遠の神は信じない。だが、個々の人間の苦悩や悲しみの果てに、もっと普遍的な救いのようなものがあるのを信じたくなった。

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ルイージ&N響のシュトラウス 音響にやや不満

 2022916日、NHKホールでNHK交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はファビオ・ルイージ。曲目は、すべてリヒャルト・シュトラウス。前半に交響詩「ドン・ファン」と、エヴァ・スタイナーが加わってのオーボエ協奏曲、後半に「ばらの騎士」組曲。

 改修工事が終わって、久しぶりのNHKホール。外観が変わっているのかと思っていたが、私の気づく限りまったく違いがない。ステージも座席も天井も壁も床も以前のままだと思う。もしかしたらトイレは違っていたかもしれないが、定かではない。音響もまったく変化を感じない。改善されていないようだ。私は2階中央部分で聴いたが、やはり音が届かない、鮮明ではないといったストレスを感じる。

 ルイージは相変わらずのきびきびとして繊細な指揮ぶり。豊饒な音楽ではなく、むしろ細身の、機敏な音楽と言っていいだろう。音楽全体をきっちりと把握して、ニュアンスをつけながら音楽を推進していく。「ドン・ファン」の指揮ぶりは素晴らしいと思った。理詰めに展開されるが、勢いがあり、ニュアンス豊かなので、堅苦しくなく、わくわく感がある。ただホールのせいなのか、もう少し抜けるような響きがほしいと思うのだが、ちょっとよどんだ雰囲気がある。それが少し残念。とはいえ、私は大いに感動した。シュトラウスの音響世界に酔った。

 オーボエ協奏曲については、私自身あまりなじんだ曲ではないせいか、うまく整理して聴くことができなかった。冗漫でとりとめがないと感じた。スタイナーのオーボエは音がしっかりして、一つ一つの音がきれいだったが、残念ながら、それ以上には感銘を受けなかった。

「ばらの騎士」組曲の冒頭、私は少し違和感を覚えた。グシャッとした感じに聞こえたのだが、気のせいだったのだろうか。私の席からはよくわからなかったが、楽器の一つが音を外したか何かのことが起こったのではないかと思った。ただ、その後は取り戻し、ところどころ、とても繊細で甘美な音楽になった。ルイージの音楽の作りについては、私は完全に納得する。曲想の変化も素晴らしい。オペラの場面が目に浮かぶような音楽。

 ただ、これもホールのせい、あるいは席のせいかもしれないが、おそらくはルイージが求めていると思われるような音が、私の耳には届いてこない。生硬さを感じる。全楽器のうねりに濁りを感じる。もちろん、悪くはない。しばしば感動を覚えた。だが、もっともっと官能的でしなやかで輝かしい音が聞こえるはずなのに、そうではないと感じたのだった。

 全体的に、とてもいい演奏だった。ただ、最高に素晴らしい演奏ではなかった。

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カサロヴァの歌曲の夕べ 重々しい歌い方にちょっと退屈した

 2022914日、紀尾井ホールでヴェッセリーナ・カサロヴァの「名作歌曲の夕べ」を聴いた。久しぶりのカサロヴァ。2009年の新国立の「チェネレントラ」以来だ。ピアノ伴奏はチャールズ・スペンサー。

 最初のベルリオーズの「夏の夜」が始まったときは、ちょっと音程が不安定だと思った。声を十分にコントロールできていないようだ。だが、まるで男性のような凄みのある低音を響かせて、深く重々しく歌う。それはそれでものすごい迫力。しかも、まるでオペラのような振り付けをして、ゆっくりとドラマティックに歌う。ちょっと衰えは感じるものの、素晴らしいと思った。

 だが、聴き進むうちに、私は退屈してきた。「夏の夜」の6つの歌をすべて同じように歌う。それだけでなく、後半のシューベルト(「漁師の歌」「水の上で歌う」)もブラームス(「わが恋は緑」「ひばりの歌」「永遠の愛について」)もブルガリア民謡も同じように超スローペースで重々しく歌う。これでは一本調子になってしまう。そして、それよりなにより、男のような低音で深く重くゆっくり歌うと、音楽が流れなくなってしまう。切れ切れに深く、重く歌うので、まるでブルースのような重い音楽になってしまい、チャーミングさがなくなり、どの曲も同じように聞こえる。

 もちろん、これは意図的にしていることだろう。だが、きっとこれは、高音をコントロールできなくなって、やむなく選択したことではないのか。直球で勝負できなくなったピッチャーが変化球で勝負するように、声のコントロールができなくなって、重々しく低音を響かせてゆっくり歌う方法を選んでいるように思えた。それなりに見つけ出した表現の方法だとは思うが、やはりこれでは、ベルリオーズの「夏の夜」の、チャーミングで、しかも深みがあり、おどろおどろしさがあるという魅力が伝わってこない。そもそも、この曲も美しい旋律が流れてこない。シューベルトもブラームスも一様に重々しくなる。

 アンコールは「カルメン」の「ハバネラ」。これまた男のような声を出して、重く歌う。それはそれで、もちろん迫力ある見事な歌で、今日のリサイタルでは最も洗練されていたが、私としてはこの重々しい表現に対して、「もうあきたよ」と言いたくなってしまった。

 そんなわけで、期待して出かけたカサロヴァのリサイタルだったが、ちょっとがっかりして帰ったのだった。

 重々しい曲もあっていい。だが、軽快でチャーミングな歌もあってほしい。ベルリオーズもシューベルトもブラームスも、そのように歌うべき曲があったはずだ。私はそのような歌を聴きたかった。

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モーツァルトのフルート四重奏曲全曲を楽しんだ

 2022913日、ルーテル市ヶ谷ホールで、モーツァルトのフルート四重奏曲全曲演奏会を聴いた。

 モーツァルトはフルートをあまり好まなかったといわれるが、私は2つの協奏曲も4つの四重奏曲も大好きだ。ケッフェル200番代の、言ってみれば、あまり深みのない音楽ではあるが、音楽そのものの美しさにあふれている。若い人が4つの四重奏をすべて演奏するというので、ぜひ聴きたいと思った。

 フルートは森岡有裕子、そのほかはエウレカ・カルテット(森岡聡、廣瀬心香、石田紗樹、鈴木皓矢)の演奏。

 良くも悪くも若々しい演奏だと思う。最初に演奏された第3番の第1楽章は素晴らしかった。明るくて初々しくて溌剌。この曲にふさわしい。私はフルートの音はもっと突き抜けている方が好みだが、森岡のフルートはテクニックも十分、音楽の楽しさを味わわせてくれた。ただ、第2楽章になると、ちょっと音楽に迷いがあるように感じた。そして、それは2曲目の第2番になると、一層強まっているように感じた。フルートとほかの人の間で十分に音楽を詰めていない気がした。どんな音楽を作りたいのか、はっきりしない。弦楽器が、ただ合わせているだけになっている。特に変奏形式の部分で、それぞれの変奏をどのように演奏するか定まっていないのを感じた。この演奏を聴きながら、この団体は、このようなちょっと大雑把な演奏で良しとしているのか、それとも、リハーサル不足でこうなってしまったのか、どちらなのだろうと考えていた。

 前半の最後の、弦楽四重奏によるアダージョとフーガハ短調K.546は、それまでと違って、演奏意図がはっきりわかる見事な演奏だった。きっとこの団体は、フルート四重奏曲についても、このように練り上げた表現にしたかったのだと思う。ただ、きっとリハーサルの時間が十分に取れずに、練り上げられなかったのだと思った。

 後半の第4番は前半の第2番よりはずっと良かった。そして、最後に演奏された、最も有名な第1番については、素晴らしい演奏だった。この曲はこの団体にとって取り組みやすかったのか、それとも練り上げる時間が十分に持てたのか。

 まとめて言うと、第3番の第1楽章とアダージョとフーガと第1番が素晴らしかった。それだけでも私は満足だった。もちろん、アダージョとフーガの時代のモーツァルトは別格。だが、フルート曲を作曲していた時代のモーツァルトもやはり魅力的だ。

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メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲に感動

 2022年9月10日、サントリーホール ブルーローズで「~ベルリン便り~メンデルスゾーンが聴きたい」と題されたコンサートを聴いた。妻の葬儀の後、二度目のコンサートだ。もちろん、チケットを購入したとき、妻の病の重さはわかっていたが、まさかこのコンサートが開催されるときにすでにこの世にいないなどとは思っていなかった。これから、私が出かけるコンサートのいくつかは、そのような思いを抱きながら聴くことになる。そのようにして音楽を聴きながら、私は少しずつ社会復帰を進めることになる。

 演奏は、ベルリン芸術大学で学んだ(学んでいる)石原悠企(ヴァイオリン)、野上真梨子(ピアノ)、藤原秀章(チェロ)。曲目は、前半にヴァイオリン・ソナタ へ長調 とチェロ・ソナタ 第2番、後半に、無言歌集から3曲とピアノ三重奏曲 第1番。

 私の席(最前列のピアノの前!)のせいかもしれないが、ピアノの音が強くて、楽器のバランスが悪く、初めのうち戸惑った。しかも、ピアノが若々しくがんがんと攻めるので、私としては少しつらかった。若々しい躍動を重視しているのかもしれないが、このようにピアノを鳴らすとどうしても一本調子になってしまう。とはいえ、石原悠企のヴァイオリンからは躍動感とともに、メンデルスゾーンらしい初々しい感性、かすかな憂いが聞こえてきて、とても魅力的だった。チェロ・ソナタの方も、ピアノにはもう少しニュアンスがほしいと思ったが、チェロはとてもニュアンス豊かで、しかも響きがよく、大きな包容力があって見事だと思った。

 後半のピアノ独奏による無言歌集は、もう少しピアノの旋律に「歌」がほしいと思った。「無言歌」と題されている割には、せっかくのメンデルスゾーンの初々しくほとばしり出るメロディが浮かび上がってこなかった。

 ピアノ三重奏曲第1番は素晴らしかった。まず、曲そのものが素晴らしい。メンデルスゾーンの傑作の一つだと思う。屈折のない、まっすぐな精神を感じる。真摯に物事にぶつかっていく律義さが全体を覆っている。屈折がない分、ちょっと単調ではあるが、メロディが美しく、構成がしっかりしているので、ぐいぐいと心に入り込んでくる。とりわけ第1楽章は悲劇的な気持ちを美しいメロディに託して歌い上げる。まさに感動的。第4楽章は、同じような音型が執拗に繰り返されるが、沈鬱だった気分が徐々に開放的になっていく。ベートーヴェンのいくつかの曲と同じようなに、沈鬱な表情が徐々に明るくなって、開放的になって音楽が終わる。

 ピアノの音も、この曲では私は気にならなかった。三つの楽器がしっかりと絡み合って、緻密な世界を作り上げていく。ピアノの音に歌心が足りないとは思うが、ヴァイオリンとチェロが補って強い思いが迫ってくる。終楽章には興奮した。

 アンコールはメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第2番の第2楽章。しっとりしたよい演奏だった。

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大野&イブラギモヴァ&都響のブラームス 感動に震えた

 202293日、東京芸術劇場コンサートホールで東京都交響楽団定期演奏会を聴いた。妻の病状急変の少し前に聴いたコンサート以来、ほとんど一月ぶり。

 考えてみると、昨年、妻の病気が発見されて以降、かなりの数のコンサート・チケットを無駄にした。チケットの購入も、行けなくなる場合を考えてふだんの半分以下に減らしていた。妻の体調の良いとき、誰かほかの家族が妻のそばにいられるときに限ってコンサートに出かけていた。今回のチケットも妻の病状によっては行けなくなるかもしれないと思って恐る恐る買ったのだったが、妻が亡くなってしまったので、結局聴けることになった。複雑な思いで会場に向かった。

 指揮は大野和士。曲目は前半に、ヴァイオリンのアリーナ・イブラギモヴァが加わってブラームスのヴァイオリン協奏曲、後半にブラームスの交響曲第2番。

 イブラギモヴァのヴァイオリンは何度か聴いているが、期待していた通りに素晴らしかった。出だしはドラマティックに激しい音楽だった。だが、力任せに音楽を高めるのではなく、繊細に美しく展開する。弱音がとりわけ美しい。女性的な演奏といってよいだろう。第二楽章では、特にその印象が強い。その意味で、あまりブラームスらしくないといえるかもしれない。写真で残されているような、髭もじゃで骨太の男性の音楽という感じがしない。もっと現代的で知的で繊細。しかし、生き生きとしており、力感にあふれている。終楽章には知的な音が力感にあふれて激しく盛り上がっていく。大野もそれをしっかりと支えている。これがイブラギモヴァの音楽なのだろう。興奮した。

 後半の交響曲もよかった。ただ、第二楽章は少し停滞しているように感じたが、気のせいだったか。終楽章はとりわけ素晴らしかった。協奏曲と同じように、論理的な構成感がズバリと決まり、音楽を高めていく。最後の二分間ほど、私は感動に震えていた。

 やはり音楽は素晴らしい。音楽を聴くと、本来の自分に戻れる気がする。

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オペラ映像「イェヌーファ」「パサジェルカ」「ドン・ジョヴァンニ」

 妻の葬儀が終わって1週間ほどたつ。ふだんは少し離れたところで暮らす息子が、葬儀の後もしばらく一緒にいてくれたので気がまぎれたが、息子が去って一人になると、さすがにこたえる。これが弔うということなのだろうかとも思う。

 だが、そうはいっていられないので、あれこれの手続きに出かけたり、買い物をしたり、音楽を聴いたり、テレビを見たりしている。そうこうするうち、かなり元気が回復してきた。

 昨年、実演を聴いて感動したカヴァコスのヴァイオリンのCDを数枚、繰り返し聴いた。ロマンティックに盛り上がるのではなく、抑制的で知的で瞑想的な演奏はとても心地よい。

 そんな中、予約していた数枚のオペラのディスクが届いた。簡単な感想を書く。

 

ヤナーチェク「イェヌーファ」202110月 コヴェント・ガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 

 なんといっても、タイトルロールのアスミク・グリゴリアンが衝撃的な凄さ。音程のいい透明な声でありながら芯が強く、まさに清純な声が響き渡る。容姿の面も含めて、まさにイェヌーファにぴったり。最終幕の、嬰児の死体が発見されたときの歌はとりわけ印象的。コステルニチカのカリタ・マッティラもこの役にふさわしい圧倒的な存在感。グリゴリアンと歌うとちょっとコントロールの弱さにおいて分が悪いが、この二人の場面は舞台に戦慄が走る思いがする。

 シュテヴァのサイミール・ピルグ、ラツァのニッキー・スペンスも文句なし。ヘンリク・ナナシの指揮は、切れがよくドラマティックに鳴らす。とてもいいのだが、ただ、ヤナーチェクにはもっと悶々とした表情が欲しい。少し表現がまっすぐすぎる気がする。

 演出はクラウス・グート。「囚われ」ということを強調しているようだ。イェヌーファは常に多くの人の視線を浴びており、コステルニチカの家で暮らすイェヌーファのいる場所は、まるで牢獄のような鉄格子でかこまれている。イェヌーファは視線という囲いの中で暮らし、がんじがらめにされている。

 ローカル色は薄いが、このオペラの特色を見事についた演出と言えるだろう。大変満足な上演だと思う。

 

ヴァインベルグ 「パサジェルカ」 20212月 グラーツ歌劇場

 先日、2010年ブレゲンツ音楽祭でのこのオペラの上演の映像を見てすばらしいと思ったが、このグラーツ歌劇場での上演もそれに劣らない。オペラそのものもいいし、上演もいい。ナチスを題材にした映画はそれこそ山のようにあり、オペラ演出にナチスの軍服を着た人物が登場するのはほとんど常套手段と言えるほどだが、ナチスの蛮行を真正面から扱ったオペラには、これまでほとんどで会わなかった。これはその大傑作だと思う。

 ブラジルに赴任する外交官の夫人になったリーザは船の中で、かつて、リーザがSSとして看守を務めていたアウシュヴィッツの囚人マルタによく似た客を見かけ、収容所の残虐な現実がよみがえる…というストーリー。

 ローラント・クルティヒの指揮によるグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だが、まずこれが見事。この指揮者については初めて知ったが、決して一流とは言えないだろうオーケストラを率いて、切れの良い鋭い音を見事に重ねていく。スリリングで重層的。厚みのある深い世界に導いてくれる。

 リーザのシャミリア・カイザーは歌もさることながら、演技も見事。裏のある役をうまく演じている。ヴァルターのヴィル・ハルトマンも善良でありながらも一筋縄ではいかないドイツ男性を造形している。マルタのナージャ・ステファノフも澄んだ声で、絶望的な状況の中でけなげに生きるユダヤ女性をリアルに歌う。タデウスのマルクス・ブッターも収容所にいながらも自尊心を失わないユダヤ人をうまく演じている。そのほかわき役に至るまで、このオペラにふさわしい音程の良いシャープな声が選ばれている。まったくスキがない。

 演出はナジャ・ロシュキー。老いたリーザの分身が黙役で登場(イザベラ・アルブレヒトという女優さんが演じている)して、様々な動きをする。一つ一つの動きについては私には意味の分からないところがたくさんあったが、ともあれ、これは現在(2021年)におけるリーザということだろう。最後には、老いたリーザはナチスの軍服を着て、自分のナチス性を認める。要するに、現在、だれでもがナチスの側に立って無邪気に弱者を残酷な目に合わせることができるのだというメッセージを示しているのだろう。それにしても、この女優さんの立ち居振る舞いの一つ一つが決まっていて、見事。日本の田中泯のような人なのだろうか。

 ヴァインベルグという作曲家、この頃注目を浴びているようだが、確かにとてもいい作曲家だと思う。もっと聴いてみたい。

 

モーツァルト 「ドン・ジョヴァンニ」 19877月 ザルツブルク祝祭大劇場

 ヘルベルト・フォン・カラヤンによる伝説の映像がブルーレイ化されたので、購入してみた。画質・音質が向上していることを期待していたが、聴き比べてみたわけではないものの、おそらくDVDと大差ないと思う。これなら買い替えなくてよかったかな?と思った。

 とはいえ、やはりすごい上演。カラヤンの指揮は、さすがというか、ほかの指揮者とはレベルが違うのをひしひしと感じる。豪華で繊細で手の込んだ高級絨毯のように一部の隙もなく、ドラマティックに音楽を作っていく。このオペラの性格に基づくのだろう、カラヤンにしては少し珍しいくらいにおどろおどろしさがある。時に音を小さくしてピアニシモの美しさを際立たせるなど、様々な工夫のすべてに説得力がある。ウィーンフィルの音も実に美しい。私はカラヤン好きではなく、どちらかというフルトヴェングラー派なのだが、この手腕には舌を巻かざるを得ない。

 歌手陣ももちろん充実している。サミュエル・レイミーのドン・ジョヴァンニはすごみがある。チェザーレ・シェピに匹敵する悪の美とでもいうか。そのほかでは、フェルッチョ・フルラネットのレポレロとキャスリーン・バトルのツェルリーナがいい。フルラネットの芸達者ぶりとバトルの可憐さはうっとりするほど。ドンナ・アンナを歌うアンナ・トモワ=シントウもさすがの歌唱。ドンナ・エルヴィラのユリア・ヴァラディ、騎士長のパータ・ブルシュラーゼ、マゼットのアレクサンダー・マルタも悪くない。ただ、私はドン・オッターヴィオを歌うイェスタ・ヴィンベルイについては、少々不安定に感じた。

 ミヒャエル・ハンペの演出は今から見るとあまりに当たり前。ただ、第二幕の騎士長が迫ってくる場面では、宇宙空間の映像が使われており、音楽の雰囲気を鋭く描いていると思った。

「ドン・ジョヴァンニ」は不朽の名作であり、カラヤンは大指揮者だという、だれもが知っていることを改めて強く感じた。

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