音楽

東京二期会「ローエングリン」 読み替え演出も含めて世界レベルの上演

2018221日、東京文化会館で東京二期会オペラ劇場「ローエングリン」初日をみた。このところの東京二期会のレベルにふさわしい世界一流の劇場公演に匹敵する素晴らしい上演だった。

 指揮は準・メルクル。オーケストラは東京都交響楽団。第一幕への前奏曲の精緻で官能的な音の重なりからして見事。ところどころ歌手と合わないところ、盛り上がりに欠けるところはあったが、オペラ劇場常設のオケでないのに初日からこのレベルの演奏をしてくれればまったく文句はない。安心して聴いていられた。2日目以降、ずっと精度が上がるだろう。準・メルクルの指揮はツボを押さえて精緻で知的。ただ、もう少しダイナミックな爆発と強いうねりがほしい気はする。合唱は二期会合唱団。見事な声だが、ところどころアンサンブルが崩れるところがあった。これも2日目以降はもっと精度が増すに違いない。

 歌手も全員が大健闘。とりわけ、私はエルザの林正子とテルラムントの大沼徹に惹かれた。林はエルザにふさわしい清澄で清楚な声。しかも強靭。これまでこの歌手を何度も聞いてきたが、そのたびに素晴らしい。大沼も人間的な弱みもありながらプライドを保とうとするテルラムントを見事な美声で歌った。ハインリヒの小鉄和広も見事な声と存在感。伝令の友清崇もこの役にふさわしい立派な声。オルトルートの中村真紀はとてもきれいな声と魅力的な容姿なのだが、演出意図なのか、少々小粒で清楚すぎる。もう少しアクが強いほうがオルトルートらしいのだが、それほどの存在感はなかった。ローエングリンの福井敬はとてもしっかりした声であり、しかも演出によって、さほど英雄的である必要もないのだが、やはりローエングリンとしてはヘルデンテノール的な要素が少々弱い。日本人ではいかんともしがたいと思うが。

 演出は深作健太。前奏曲の間、ワーグナー?の扮装をした小柄な男が舞台の左側でルートヴィヒ2世の肖像画のもとで何やら「ローエングリン」の台本(あるいはスコア)をみている。幕が上がって、伝令、そしてハインリヒ、テルラムント、エルザが登場してからも、黙役として舞台に絡む。ワーグナーが「ローエングリン」を構想しているという設定で物語が進んでいくのかと思っていると、そのワーグナーと思われていた男(確かに、よく見ると、福井敬さんだった!)が初老のローエングリンに変身して舞台に参加する。意表を突かれた感じ。ローエングリンらしいさっそうとした騎士姿の人物が時々舞台上に現れていたが、それは幻視としてのローエングリンだったらしい。

 日本人の演出としては珍しく、まるでバイロイトでの演出並みの読み替え演出。舞台はルートヴィヒ2世の時代のバイエルンに設定され、ハインリヒの軍隊はプロイセン軍の軍服を着ている。オルトルートは片目に眼帯をつけており、時々槍のようなものを持つ。つまりは、ヴォータンの徴を持つ。しばしばリンゴが登場する。リンゴはもちろんユダヤ・キリスト教における知恵を意味すると同時に、ヴォータンの世界では命を意味する。第3幕でテルラムントはローエングリンに殺されず、むしろローエングリンが拘禁される。最後、しばしば黙役として舞台の登場していた少年(ゴットフリート)が中心に出て、未来に向けて時を刻む時計を前にする。

 演出については、細かいところはよくわからなかったが、きわめて大まかに理解すると、ブラバント公国をワーグナーの時代のバイエルン王国を重ね合わせ、ハインリヒ王のブラバントへの来訪をプロイセンによるバイエルンへの併合の動きとして描いているといえるだろう。

テルラムント、オルトルートはおそらくプロイセンの影響から離れて昔ながらの生活を送ろうとするバイエルン独立派だろう。ローエングリン=ルートヴィヒ2=ワーグナーは、プロイセンの拡大を苦々しく思いながらもプロイセンと交流を持ち、むしろバイエルンこそがリーダーシップをとって軍隊的ではない、もっと文化的な世界を作り上げようと夢見ている。だが、ルートヴィヒ2世は夢見るばかりで実際には動かないので、ルートヴィヒの庇護のもとでオペラを構想していたワーグナー自身が老いたローエングリンを演じて、エルザの救済、そしてバイエルンの救済に乗り出す。しかし、エルザ(国民?)はローエングリン(=ルートヴィヒ2世)を信用せず、テルラムン側の抵抗もあって、バイエルンはプロイセンへの従属を深めるだけになってしまう。ただ、平和で文化的なルートヴィヒの夢は未来の子どもに託すしかない。

私の解釈があっているかどうかわからない。が、日本人による演出がドイツの歴史にまで踏み込んでおり、観客が頭を使って考えなければならないようになったことに、多少の衝撃を覚えざるを得ない。新しい演出の試みをすることは大事だが、このような、いかにもドイツ的な読み替え演出をすることもないのではないかと思う。ただ、日本の声楽界に声も容姿もローエングリンにふさわしいローエングリンが登場するのは難しい。そのような状況を考えて、このような演出にせざるを得なかったのかもしれない。

なお、「ローエングリン」を見る前、東京国立博物館で「仁和寺と御室派のみほとけ」展をみた。40分待ちで館内に入ったが、中はごった返していた。仏像には素晴らしいものが多かった。このところ、スリランカ、タイ、ミャンマーの寺院でたくさんの仏像を見たが、やはりそれらは日本人の感覚からすると、「ありがたみ」の感じられないものが多かった。日本の仏様は本当に美しいと改めて思った。これこそ静かなところで見たかったが、今回は仕方がないだろう。

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新国立劇場「松風」 大変おもしろかった

 2018218日、新国立劇場で細川俊夫のオペラ「松風」をみた。私は「能」についてまったくの無知なので、詳しいことはわからないが、「松風」というのは有名な演目らしい。それに題材を得た細川のドイツ語台本によるオペラだ。現代オペラを見慣れているわけではないので、素人じみたことしか言えないが、ともあれ、大変おもしろかった。

 まず何よりも音楽に惹かれた。能を意識しているのだろう。幽玄な音。現代音楽に慣れていない耳にも違和感がない。説得力を持って迫ってくる。ドラマティックであり、官能的であり、しかも奥が深い。

 指揮はデヴィッド・ロバート・コールマン。オーケストラは東京交響楽団。この複雑な音楽を美しい音で、見事に聴かせてくれた。松風を歌うイルゼ・エーレンスも村雨を歌うシャルロッテ・ヘレカントも、そして旅の僧のグリゴリー・シュカルパも、これ以上は考えられないほどの素晴らしさ。須磨の浦人を歌う萩原潤も見事。新国立的情合唱団の歌手たちもとても良かった。音楽に関しては、私に理解できる限りでは、すべてにおいて素晴らしいと思った。

 演出・振付はサシャ・ヴァルツ。歌手のほかにほとんど常に、登場人物の分身(と思われる)ダンサーが、心の中を表現するような動きで舞う。松の木を模した人々も情動のうごめきを肉体によって表現する。登場人物が歌手、ダンサーたちへと増幅されて舞台いっぱいに広がっていく。松風と村雨が想う在原行平もダンサーによる情動として表現される。

「能」のような舞台を想像していたら、まったく違っていた。ベトナムの農民のような服装のダンサーが現れて、まるでベトナムの人形芝居のような動きをする。日本人としては、「能」とベトナムの人形芝居を一緒にしてしまうなんてなんという無理解!と感じて少々むっとしたが、おそらくヴァルツはそのことは百も承知でこのような演出を行っているのだろう。ただ、どういう意図があってそうしているのか、実はよくわからなかった。

 わからないところはたくさんあったが、ともあれ大変楽しむことができた。

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ヤルヴィ+N響のサン・サーンスとフォーレ 「レクイエム」に少々不満を覚えた

2018217日、NHKホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮による NHK交響楽団定期演奏会を聴いた。曲目は、前半にデュリュフレの「3つの舞曲 作品6」、 樫本大進のヴァイオリンが加わってサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番、後半にフォーレの「レクイエム」。全体的にとても良かったが、感動するまでには至らなかった。

デュリュフレのこの曲は初めて聴いた。とてもおもしろいと思った。N響の音も、時々ハッとするほど繊細で美しい。ヤルヴィの出す音は、フランス音楽にしては強靭。中身の詰まった音とでもいうか。しかし、それはそれであまりに美しいので、説得力がある。

サン・サーンスは素晴らしかった。樫本のヴァイオリンも含めて、あまりフランス的ではなく、むしろドイツ的だと思う。情熱的で鋭くて厚みがある。フランスのヴァイオリニストが弾くような色気のようなものは少々不足している。が、理詰めに音楽が重なり合うので、私としてはまったく不満はない。かなり興奮した。サン・サーンスの音楽はこのように演奏しても、その美しいメロディと熱い情熱、そして理知的な構成は伝わってくる。第二楽章は息を飲む美しさだった。

ちょっと不満だったのは、最も期待していたフォーレのレクイエムだった。もちろん、とてもよい演奏だと思う。静かな音を重ね、しかもひとつひとつの音が強靭。えもいわれぬ美しい部分がたくさんある。「サンクトゥス」の最後の部分の美しさには圧倒された。そして、終曲「天国に」はまさに天国的。素晴らしかった。N響の音の美しさ、東京混声合唱団の声の美しさは十分に味わうことができた。

が、私には音楽全体がちょっとカチッと決まりすぎている気がする。ふくよかさ、敬虔なぬくもりといったものが感じられない。フォーレのレクイエムの私のもっとも好きな部分がない。私の勝手な思い込みかも知れないが、わたしはもっと静かに包み込むような優しさにあふれていてほしいと感じてしまう。

そして、ソプラノの市原愛とバリトンの青山貴にも、私は少々不満を覚えた。ちょっとオペラ的すぎる歌い方だと思った。しかも、ちょっと音程が不安定なところもあったように思う。もっと敬虔でもっと清澄な声と歌い回しのほうが、この曲には合っていると思う。

そんなわけで、とてもよい演奏だったと思うのだが、私の求めるフォーレのレクイエムではなかった。その点で不満が残った。

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こんにゃく座「天国と地獄」 歌以外は素晴らしかった

 2018213日、俳優座劇場でこんにゃく座公演「天国と地獄」を見た。昔々、林光のオペラを見て以来、二度目のこんにゃく座。オッフェンバックのオペレッタは何を隠そう、大好きだ。おそらく、DVDで入手できるものはすべて持っている。CDもかなり聴いてきた。「天国と地獄」(もちろん原題は「地獄のオルフェ」)も大好きで、これまで実演も映像も何度か見ている。

 一言で言って、今回の上演(B組による上演)は歌以外はたいへん素晴らしかった。台詞・訳詩・演出を担当した加藤直のセンスと力量に感服。原作のセリフをそのまま上演しても、今の日本人にはあまり面白くない。変更してこそ、楽しむことができるし、そうしてこそオッフェンバックの精神を伝えることができる。それを加藤直は、現代の日本人が楽しめるように、しかもオッフェンバックの精神をしっかりと伝えられるように修正している。笑いのセンスも見事。

 そして、演出の面白さも特筆するべきだろう。気が利いているし、動きがあってあきないし、一人一人の歌手の演技も素晴らしい。顔の表情、手の動きなども見事。すべての歌手たちが、歌手という以上に役者であって、どの人も素晴らしい。

 オーケストラではなく、ほとんどの音楽をピアノとヴァイオリンとクラリネットとファゴットで演奏。か細い音になるが、経費節約を考えれば、これで十分にオッフェンバックは成り立つ。

 ただ、歌手たちの歌については、私は聞くのがつらかった。ほとんどの歌手の音程がかなりよくない。完璧に音程のずれることもかなりあった。声も出ていない。重唱などではきれいにハモらない。これではオッフェンバックのオペラは成り立たない。いくら芝居として面白くても、やはり歌こそがオペレッタの命なのだから。こんにゃく座はオペラ団体なのだから、やはりもっと歌に力を入れてほしいものだ。

 オッフェンバックのオペレッタをもっと上演してほしい。ただし、やはり音程だけはしっかりとした歌であってほしい。

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鈴木優人 BCJの『ヨハネ 』

2018212日、東京オペラシティ・コンサートホールで、バッハ・コレギウム・ジャパン定期演奏会「ヨハネ受難曲」を聴いた。鈴木優人初めてのBCJ定期での指揮。しかも、曲目がバッハの「ヨハネ」とあっては聴かないわけいにはいかない。超天才の凄まじい「ヨハネ」を聴けるものと期待して出かけた。

が、正直にいって、やはり「ヨハネ」は難物だった! もちろん、指揮は全体的にはとてもいいと思う。ものすごい才能! が、所々で停滞するのを感じるのは、私の耳のせいではないだろう。バランスがおかしくなったり、フレーズの整理ができていないのを感じたり。恐る恐る立ち向かっているのを感じるところもあった。

歌手はエヴァンゲリストのハンス・イェルク・マンメルとソプラノの松井亜希がとりわけ素晴らしかった。松井は素晴らしく美しい声で、音程も完璧。バスの加耒徹はとても美しい声だが、低音の音程がちょっと不安定。バッハ・コレギウム・ジャパンの合唱と管弦楽はもちろん素晴らしい。

ただ、実を言うと、「ヨハネ受難曲」は好きな曲で、たびたびCDでも聴いているので、対訳を見ないでも十分にわかって聴けると思っていたら、そうでもなかった。しばしば、何が歌われているのかわからなくなった。十分にバッハを聞きこんでいないことを自覚した。そういえば、最後に「ヨハネ」を聴いたのはいつだったか。この数年間、聴いていなかったような気がする。

また「マタイ」と「ヨハネ」のCDを何枚か聴きたくなった。

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ポンマー+札響のベートーヴェン6番5番 好きな演奏ではなかった

 201826日、サントリーホールで札幌交響楽団東京公演を聴いた。指揮はマックス・ポンマー。今年の3月で首席指揮者を務めたわけだが、私は、初めてこの指揮者の演奏を聴いた。曲目は前半にベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。後半に第5番(運命)。

 結論から言って、あまり好きな演奏ではなかった。

 オーケストラは素晴らしいと思った。とりわけ弦楽器と木管楽器はとてもいい。きれいな潤いのある音。オーボエが特に美しいと思った。尾高忠明やエリシュカと演奏するうち、札響は素晴らしいオーケストラになったのだと改めて思った。

 ただポンマーの指揮のリズムが私には理解しがたかった。リズムが安定せず、私にはきわめて恣意的に聞こえる。特有のリズムとして魅力的に響くところもあるが、リズムが崩れる感じがして、私はついていけない。「田園」ではまだ気にならなかったが、「運命」の、とりわけ第2楽章でリズムが安定しないと、音楽の構造が曖昧になり、ぐにゃぐにゃになるのを感じた。アンコールはバッハの「アリア」だったが、それも同じ感じ。メロディを強調するあまり、リズムが不安定になっているように私には思える。

 明日、私用で関西に行かなければならないので、早々に会場を後にした。

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慶児道代(ソプラノ)、石井里乃(ピアノ)のみごとなチェコ語のリサイタル

201822日、東京文化会館小ホールで慶児道代(けいこ・みちよ)のソプラノ・リサイタルを聴いた。すべてチェコ語による歌唱。ピアノ伴奏は石井里乃。ヤナーチェク友の会の誘いを受け、しかも「イェヌーファ」の抜粋が聴けるとのことで、出かけたのだった。とても良い演奏だった。

曲目は、前半はスメタナの歌曲集「夕べの歌」とドヴォルザークの歌曲集「聖書の歌」。後半はヤナーチェクの「イェヌーファ」、ドヴォルザークの「ルサルカ」からいくつかの場面。

ヴィブラートの少ない美しい声。長い間、チェコで暮らしてきた人なので、きっとチェコ語の発音は完璧なのだろう。ただ、実は歌曲については少し不満を感じた。丁寧に、そして「心を込めて」歌いすぎているために、平板になり、すべての歌が同じような雰囲気になっていると思った。スメタナの歌曲は初めて聴いたが、「聖書の歌」に関して、私がこれまでCDなどで聴いた演奏はもっとメリハリがあり、もっと躍動的でもっと振幅の大きさがあった。まるで日本の多くの人が「荒城の月」や「故郷」を歌うように心を込めて歌われると、チェコの音楽の本質からずれてしまうのではないかと思った。

だが、後半は素晴らしかった。とりわけ、「イェヌーファ」はよかった。これは「心をこめて歌う歌」にはなりにくい音楽なので、必然的に心の叫びになり、言葉そのものの爆発になる。イェヌーファの清楚さ、真摯な叫びが聞こえてきた。声のコントロールも見事だった。

「ルサルカ」もよかった。「月に寄せる歌」もとてもきれい。透明で伸びのある音で、発声がよく、音程がいい。こんなに美しい声で音程が見事で音楽も豊かな歌手は日本人にはなかなかいないと思う。

 そして、私はピアノの石井里乃に驚嘆した。スメタナの第一曲では歌とタイミングがずれたが、その後すぐに立て直して、クリアで清潔でしかも強さのある音の世界を繰り広げてくれた。前半を聴いた時点で、私は「歌はまずまずだが、ピアノが素晴らしい」と思っていたほどだ(後半に入って、歌も素晴らしいことがわかってきた)。

 フリー・アナウンサーの西田多江の司会が入った。音楽にはあまり詳しくない人のようで、音楽的な言い回しがたどたどしかった(「わが祖国」を「交響曲」を呼んだような気がした!)が、落ち着いた声でしっかりと役割を果たしていると思った。一人の歌手のリサイタルの場合、どうしても歌と歌の間に喉を休める時間が必要だ。その間に、このようなMCが入るのもよい方法だと思う。それぞれの作曲家の説明、オペラのストーリーの説明も見事だった。かなり入り組んでおり、しかも簡単にまとめるとどうしてもわかりにくいところが出てくるストーリーを見事にまとめていた。慶児さんの作った原稿なのだろうか。西田さんの語り口も見事だったために、オペラの世界に引き込まれた。

 ところで、「聖書の歌」の終曲のピアノ伴奏は、日本人には「雪やこんこ」にどうしても聞こえる。ある本の中で書いたことがあるが、このこととブラームスの「四つの厳粛な歌」の第1曲が「黄金虫」にそっくりに聞こえるのは偶然ではないと私はにらんでいる。明治の頃、これらの曲を間近で聴く機会のあった人(あるいは人々)が、意識的か無意識的か、童謡に使ったのではないか。ブラームスとドヴォルザーク、すなわち師弟関係の二人の、それぞれ珍しい宗教的な歌曲が、明治以降作られた童謡にあまりに似ているというのを偶然とみなすのは難しいと思う。

実は一時期、このような仮説のもとに、何か解明できないかと童謡作曲の際のいきさつなどを調べていたが、今は諦めている。

ミャンマーから帰ったばかりで、体調が完璧ではない。リサイタルに行くのも少しためらったが、とても良い歌を聴けて満足だった。

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ジャッド+新日フィルのロッシーニ「スターバト・マーテル」は超名演だった!

 2018126日、新日本フィルハーモニー交響楽団のアフタヌーンコンサートを聴いた。曲目は、前半にハイドンの交響曲第100番「軍隊」、後半にロッシーニの「スターバト・マーテル」。素晴らしい演奏だった。とりわけ、「スターバト・マーテル」は超名演といってよいのではないか。

 指揮はジェームズ・ジャッド。「軍隊」もよかった。きびきびしていてメリハリがあって、適度に古楽的。まったく退屈せず、ワクワクしながら最後まで聴いた。ハイドンのおもしろさを改めて知った。ただ、金曜日の昼間のコンサートとあって、客席が寂しい。高齢者がほとんどで、半分も埋まっていなかったのではないか。しかも、私の少し前のほうの席の人が、始終、ガサガサと音をたてていて、少々気になった。

 が、後半になると、マナーの悪い人がいることなど、どうでもよくなった。ただただ感動して聴いた。実にドラマティック。激しく、デモーニッシュなところもある。しかもロッシーニらしいオペラ的なおもしろさもあり、宗教的なおごそかな雰囲気もある。ジャッドはそれを手際よく、しっかりと歌わせながら進めていく。ロッシーニの魅力がたっぷり。改めてロッシーニの曲の力にも納得する。

オーケストラも厚みのある、潤いのある音を出して見事。そして、歌手陣が圧倒的にすごい。世界の一流のロッシーニ歌いにまったく引けを取らない。ソプラノの髙橋絵理は美しくて勢いのある声。テクニックも素晴らしい。メゾソプラノの谷口睦美も声の力もさることながら、その迫力も満点。テノールの宮里直樹にも高音の声の張りに圧倒された。バスはジョン・ハオ。もちろん素晴らしい歌手だが、今日に限ってはほかの三人のほうがよかったといえるかもしれない。が、それにしても、歌手陣の充実には目を見張るものがあった。

合唱は栗山文昭合唱指揮による栗友会合唱団。見事な合唱。厚みがあり、勢いがあり、指揮に素早く対応。合唱にも圧倒された。

すべてにおいて、最高レベルの演奏。ここまで素晴らしい演奏をしてもらえるとは、正直、期待していなかった。満足!! これほどのロッシーニがこれからも聴けると、こんなうれしいことはない。

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「ワルキューレ」「さまよえるオランダ人」「アラベラ」のオペラ映像

 原稿を書く仕事が一息ついたので、オペラのDVDを何本か見た。簡単な感想を書く。

 

766 ワーグナー 「ワルキューレ」2017年 ザルツブルク祝祭大劇場

 昨年の夏にNHKBSで放送されたものと同じ映像だと思う。

 やはり何よりティーレマンの指揮するシュターツカペレ・ドレスデンに驚嘆する。近年のティーレマンのワーグナーははずれがない。圧倒的な力感とうねり。しばしば陶酔と感動に襲われる。オーケストラの力が尋常ではない。

 歌手ではブリュンヒルデを歌うアニヤ・カンペがとりわけ素晴らしかった。美しくて張りのある声で、容姿も申し分ない。美しくて強いブリュンヒルデにぴったり。フンディングのゲオルク・ツェッペンフェルトも張りのある強い声。かなり痩せ型であることを初めて知った。よくこの体型でこんな声を出せるものだ。ジークリンデのアニヤ・ハルテロスも清楚で強い声。フリッカのクリスタ・マイアもとてもいい。ヴォータンのヴィタリー・コワリョフもいい。ちょっと高貴さに欠ける気がするが、こんなヴォータンがあってもいいだろう。ただ、どういうわけかジークムントを歌うペーター・ザイフェルトが絶不調。風邪でもひいていたのだろうか。声が伸びないし、音程もおかしいし、どうにもならない。

 演出はヴェラ・ネミロヴァ。読み替えなどない、ふつうの演出。ただ、第一幕のトネリコの木に空いた穴はまるで女性器のように見えるのは、必ずしも私がその方面に意識過剰であるというわけではなかろう。そこに名剣ノートゥング刺さっており、それをジークムントが抜き、その後、二人が性的な行為に及ぶのだから、考えてみれば至極当然の解釈だろう。

 全体的には本当に素晴らしい。ザイフェルトさえ本調子だったら、歴代最高レベルの「ワルキューレ」の映像になっていただろう。

 

599 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 2016年 マドリード王立劇場

 パブロ・エラス=カサドの指揮がかなり個性的。アクセントが強く、テンポも速い。木管楽器を強調し、まさしく疾風怒濤。それはそれでものすごい迫力だが、私としては、実はちょっとくたびれた。そんなに攻めまくられると、少々疲れてしまう。録音の仕方にも原因があるのかもしれないが、音が強すぎるのを感じた。

 歌手陣はそろっている。まず私はゼンタを歌うインゲラ・ブリンベルイに驚いた。初めて聞く名前だが、ワーグナー歌手として最高の部類に属すると思う。映像を見たところではあまり若くないように思える(しかし、遠目には、十分に若くて美しいゼンタだ)が、なぜ世界に名前が知られていなかったのか不思議だ。強靭で美しい声。バラードの歌やオランダ人との二重唱は素晴らしい。いっぺんでファンになってしまった。

サミュエル・ユンのオランダ人はちょっと音程が不安定だと思ったが、声の伸びは凄い。クワンチュル・ユンのダーラントも実に安定。この二人の韓国人歌手が世界のワーグナーのバスを引っ張っているのは、日本人としてはとてもうらやましい。もう一人、エリクを歌うニコライ・シュコフも強い声で見事。

アックス・オッレの演出意図はよくわからなかった。ダーラントが暮らすのは、どうやらイスラム教徒たちの村という設定らしい。女性たちはスカーフをかぶり、イスラム教徒らしい格好をしている。エリクはまるでイスラム戦士のような格好で銃を持っている。ただ、第三幕でイスラム教徒に見える人たちがワインを飲んでいるのには違和感がある。

最後に、ゼンタはイスラム戦士であるエリクに心変わりを責められ、オランダ人を救いたいと思いながら板挟みになる。どうやらオランダ人を救われないまま海に飲み込まれ、ゼンタは世界の救済を祈る・・・ということだろうか。

このごろ、イスラム教徒らしい姿がオペラに登場することが多いが、腰が引けていて、メッセージがはっきり伝わらない。曖昧なことをほのめかすだけだったら、初めからイスラム教徒など出さなければいいのに…と思うのだが・・・。

それにしても、このソフト、DVDBDの両方で3000円以下だった! こんなに安くていいのだろうか! と本気で思った。

 

619 リヒャルト・シュトラウス 「アラベラ」2012年 ウィーン国立歌劇場

 演奏、演出ともにとても素晴らしい。アラベラのエミリー・マギーがまさにこの役にぴったり。美しくてかわいらしくて、しかも気高い。トマシュ・コニェチュニのマンドリーカも圧倒的と言えるほど素晴らしい。声の力に驚嘆する。ゲニア・キューマイヤーのズデンカも、歌唱に関しては文句なし。ただ、演出のせいなのだと思うが、あまりに落ち着きのない動きが気になる。マッテオを歌うミヒャエル・シャーデも張りのある声が実にいい。ヴァルトナー伯爵のヴォルフガング・バンクル、伯爵夫人のゾリアナ・クシュプラーもとてもいい。

指揮はフランツ・ヴェルザー=メスト。きびきびしていて知的で、しかも十分に官能的。実にいい指揮者だと思った。演出はスヴェン=エリク・ベヒトルフ。場末のホテルの雰囲気がいい。第三幕では、倒錯的な雰囲気を出している。

このオペラを見るたびに思うのだが、愛するアラベラとベッドをともにしたと信じていたのに、実は相手になってくれたが親友だとばかり思っていたズデンカだったと知ったマッテオの気持ちはいったいどのようなものだろうか。すぐにズデンカと愛し合うようになるとは考えられない。もし私がマッテオだったら、1か月くらい心の整理がつかないと思う。この点について納得できる演出に出会ったことがない。今回の演出では、第三幕に女装の男性が何人か登場するので、ゲイ的な要素を強めた演出にするのかと思ったが、そうでもなかった。

ともあれ、心から満足できる「アラベラ」だ。

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新国立劇場「こうもり」を楽しんだ

 2018121日、新国立劇場で「こうもり」をみた。とても楽しかった。

 全体的に高い水準の上演だと思う。歌手陣もいいし、オーケストラもいいし、演出もおもしろかった。

 歌手陣では、私はロザリンデを歌うエリーザベト・フレヒルに惹かれた。「チャルダッシュ」など劇的に歌ってとてもよかった。このように大袈裟な歌い方がよく似合う歌手だ。アイゼンシュタインを歌うアドリアン・エレートを芸達者で実にいい味を出している。声も美しい。

アデーレを歌うジェニファー・オローリンもとてもきれいな声で、演技も容姿も魅力的だった。ただ、あの有名な「侯爵様、あなたのような方は」で何度かオケと合わないところがあったのが残念。第三幕の歌は素晴らしかったが。フランクのハンス・ペーター・カンマーラーもしっかりした声で演技もいい。オルロフスキー公爵のステファニー・アタナソフはせっかくのきれいな声なのだが、やや声量がなく、しかも棒立ち。とてもいい歌手だと思うが、惜しい(名前に覚えがあると思って調べたら、新国立「ばらの騎士」でオクタヴィアンを歌った歌手だ。確かにあの時も同じような印象を抱いた!)。ファルケ博士のクレメンス・ザンダーはまだ若いのだと思う。ちょっと歌が堅かった。

 日本人の歌手陣では、アルフレードの村上公太が素晴らしいと思った。美声が伸びている。ブリントの大久保光哉もよかった。

 指揮はアルフレート・エシュヴェ。バランスのとれた演奏。ウィーン風といってよいのだろうか。かなり上品。しかし、そうでありながら、取り澄ました感じはならない。東京交響楽団もとてもきれいだった。少し間違うと取りすましてつまらなくなったり、逆に下品になってしまったりしがちなこの曲を、本当に美しく、楽しく演奏してくれた。三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団も、演技も含めて見事。

 演出はハインツ・ツェドニク。かつて、私は何度かこの歌手の歌を実際に聴いた。映像でも何本も見ている。「こうもり」のツェドニク演出も二度目。だが、実に面白い。何度も声をたてて笑った。大人の娯楽を存分に楽しんだ。「こうもり」って名曲だよなあ・・・とつくづく思う。大人の楽しみの時間を味わえる。

 少し、「マナー」について触れる。

隣の席の男性がずっとガムを噛んでいた。かすかな音だが、ガムを噛む音が聞こえていた。視覚的にも、口をもぐもぐしているのが気になった。そもそも、クラシックを聴くときにガムをくちゃくちゃ噛むとは何事ぞ!と思わないでもない。とはいえ、本人はオペレッタを存分に楽しんでいるようだし、このくらいのことだったら、気にするほうが悪いのかもしれないと思って、特に注意はしなかった。しかし、ガムを噛んだり、大きく身動きしたり、帽子をかぶったり・・・といったことは、たとえ聴覚的に邪魔にならなくても、演奏中は遠慮してほしいと思う

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