音楽

ティツィアーナ・ドゥカーティにまたも魅せられた!

 20191013日、紀尾井ホールで、「ティツィアーナ・ドゥカーティ&崔宗宝チャリティーコンサート~子どもたちの未来のために」を聴いた。昨日(1012日)は関東地方を台風19号が襲い、午後はほとんどの電車がストップしていた。もしかしたら、このコンサートも開かれないのではないかとひやひやしていたが、予定通り開かれた。

 ドゥカーティは日本在住のイタリア人ソプラノ歌手だ。数年前に生の声を聴いて驚嘆。いっぺんでファンになった。世界トップレベルの歌手だと思う。そのような人が日本で暮らし、しかもその名前がファンの間に知られていないなんて信じられない!

 前半は、崔が「この道」「落葉松」「アメージング・グレース」「赤とんぼ」「万里の長城」を歌い、ドゥカーティが「カーロ・ミオ・ベン」「母もなく」(『修道女アンジェリカ』より)、グノーの「アヴェ・マリア」を歌った。崔はしっかりした張りのあるバリトンの声。ドゥカーティもよく通る声だが、しかも音程がぴたりと合い、表現も豊かでとても繊細。「カーロ・ミオ・ベン」の最初の一声で音楽の世界に引き込む。弱音がとても美しい。もちろん、強い声も最高に美しく、自然にドラマティックに盛り上がっていく。

 ピアノ伴奏は山岸茂人。とても雰囲気のある伴奏で、独唱者にぴたりと寄り添って世界を作り出していく。後半、ソロによる「月の光」も色彩的で、しかも静謐さをたたえていて、とてもよかった。

 後半は、オペラ・アリア。崔が「オンブラ・マイ・フ」「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」「おお、カルロ、お聞きください」(『ドン・カルロ』)を歌い、ドゥカーティが「憐みの聖母」(『運命の力』)、「ある晴れた日に」、「宵待ち草」「歌に生き、愛に生き」「私は神の卑しいしもべ」(『アドリアーナ・ルクヴルール』)を歌った。崔もいいが、やはり、ドゥカーティが圧倒的に素晴らしい。

 プッチーニ嫌いなのに、彼女が歌うと、「ある晴れた日に」も「歌に生き愛に生き」も魂が震える。女の喜び、悲しみ、情熱がじかに伝わる。正確な音程によるまったく無理のない発声の美しい声が魂にぐいぐいと食い込んでくる。

 素晴らしいコンサートだった。

 ただ、私がドゥカーティの紀尾井ホールでのコンサートを聴くのはこれが3回目だが、毎回、曲目に脈絡がないのが気になる。しかも、今回は、歌手がイタリアと中国の出身なのに、日本歌曲がたくさん選ばれているのも、私としてはあまりうれしくない。日本人が外国人の歌う日本歌曲を聴くと、やはりその発音が気になる。そこはやはり母国の歌を中心に歌ってほしい。

 もし私がこの二人の歌手のプログラムを作るのであれば、例えば前半にはイタリアと中国の歌を中心にして、最後に1曲か2曲だけを日本歌曲にする。そして後半はイタリア・オペラのみにする。そして、アンコールを1曲は日本歌曲、もう1曲はイタリア・オペラの二重唱にする。そしてそこに、プログラム全体が「愛」や「祈り」などのテーマで一つのつながりができるようにする。そうすれば、ストーリーができる。私はコンサートの曲目にはストーリーが必要だと思う。そうしたプログラムの工夫があったら、もっともっと盛り上がったと思う。

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テミルカーノフ+読響 ショスタコーヴィチ「バビ・ヤール」 満足した

 2019109日、サントリーホールで読売日本交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はユーリ・テミルカーノフ、曲目は前半にハイドンの交響曲第94番「驚愕」、後半に、バスのピョートル・ミグノフと冨平恭平合唱指揮による新国立劇場合唱団が加わって、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」。テミルカーノフを聴くのは、10年以上前に、サンクト・ペテルブルク・フィルの演奏以来。多分、3度目くらい。

「驚愕」はあまりおもしろくなかった。大柄なハイドンで、切れが良いわけでも、しなやかなわけでもなく、だからといってスケールが大きいわけでもなく・・・・。何をしたいのかよくわからなかった。正直いって、どう聞いてよいのかわからなかった。私としては少々退屈した。

「バビ・ヤール」はさすがに素晴らしかった。読響のメンバーも素晴らしい。テミルカーノフはオーケストラを完全に掌握している感じ。切れの良い音がストレートに出てくる。しかも音の重なりがとても美しい。そして、ショスタコーヴィチ特有の諧謔的で含みのある強烈な音楽が展開されていく。

 エフトゥシェンコの詩に基づくので、ショスタコーヴィチの音楽のわりにはわかりやすい。意味の仕掛けが理解しやすいといえるだろう。だが、詩と音楽のつながりがよくわからないところは多々ある。ショスタコーヴィチの交響曲を聴くときにはいつものことだが、なんだかよくわからないまま、ともあれ納得させられる。

 テミルカーノフは、その点でも確信に満ちた指揮ぶりで、揺るぎがない。音がびしりと決まって、濁りがない。しかも、重厚さや深みも備えている。本当に素晴らしい音だと思う。読響も見事というしかない。

 バスのミグノフは初めのころ、ちょっと音程が不安定に感じたし、声が十分に伸びていなかったと思う。が、徐々に良くなった。それにしても、この曲を歌い続けるのはあまりに過酷だと思う。ワーグナーのヴォータンだってこれほど長時間は歌わないだろうと思う。これだけ歌えるだけでもすごい。合唱もとてもよかった。

 2回連続のショスタコーヴィチだった。満足した。

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井上+N響 ショスタコーヴィチ11番 素晴らしかったが、ちょっとマーラー風?

 2019106日、NHKホールでNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮は井上道義、曲目は前半に植松透と久保昌一のティンパニが加わって、フィリップ・グラスの2人のティンパニストと管弦楽のための競争的幻想曲と、後半にショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」。とてもよかった。

 グラスの曲はもちろん初めて聴く。私は、「現代音楽」にはかなり無理解なのだが、これはそんな私にもとてもおもしろかった。まったく退屈せず、二人のティンパニストの競演をワクワクしながら聴いた。オーケストラ(コンサートマスターはライナー・キュッヒル)も見事。きっとそれを束ねる井上の指揮が的確なのだろう。ただ、最後の音はあれでよかったのだろうか?と少し気になった。ちょっとずれたような気がしたが、そもそもそんな曲なのだろうか。面白かったが、曲についてどうこう言うことはできない。

 ショスタコーヴィチのほうは正真正銘、素晴らしかった。井上の手にかかると、ショスタコーヴィチの音楽がヒステリックで鬱陶しい音楽ならない。それでいて、魂の爆発があり、ドラマがあり、ストーリーができる。実は私はまったくショスタコーヴィチ通ではないので、この曲にどのようなドラマがあるのか詳しくは知らない。引用される革命歌の元歌も知らないし、その引用にどんな意味があるのかもわからない。だが、音響に身をゆだねるだけで、ショスタコーヴィチの苦悩と闘いが伝わり、魂のストーリーらしいものをたどることができる。何度も何度も魂のこもった音に感動した。

 井上道義の指揮を聴くのは久しぶりだ。実をいうと、好んで聴く指揮者ではない。なぜかというと、やはりこのマエストロは間違いなくマーラー指揮者だと思うからだ。ショスタコーヴィチもきっとマーラーの延長線上にとらえているだろう。そして、それはきっと正しい解釈なのだと思う。だが、マーラー嫌いの私にはどうもそれが気持ち悪い。気のせいか、どうしてもマーラー臭さを感じてしまう。

 とはいえ、これほどの見事な演奏を聴くとそれはそれで納得する。もっとショスタコーヴィチを聴きたくなった。この作曲家、わからないことが多すぎる。もっと勉強しなければ、深く聴くことができない。

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新国立劇場「オネーギン」 抒情的情景としての名演!

 2019103日、新国立劇場で「オウゲニ・オネーギン」をみた。素晴らしかった。私の好きなタイプの演奏だったので、大いに興奮した。

 私はこのオペラをグランド・オペラとして演奏するのに強い抵抗を感じる。1960年代からレコードで抒情的情景としてのこのオペラに親しみ、初めて1970年代にボリショイ・オペラの来日公演に接して、あまりに豪華で大規模に上演されるのをみて、とてもがっかりしたのを覚えている。このオペラは「抒情的情景」なのであって、ものうげで抒情的な溜息のオペラなのだと私は頑なに思っている。大スペクタクル・オペラでは断じてない。

 今回の上演は、演奏も演出もまさに抒情的情景。

 私はこのオペラの第一幕が大好きだ。このオペラのものうげで夢見がちで内省的な雰囲気を決定づける。まさに抒情的情景! そうして徐々に盛り上がるが、決してチャイコフスキーの交響曲のような全身での感情表現にはならない。そこが素晴らしい。

 私はこの抒情的情景としてのオペラをしっかりと構成し、しなやかに美しく演奏してくれたアンドリー・ユルケヴィチの指揮が素晴らしいと思う。初めて聞く名前だが、見事な手腕だと思う。後半の鳴らし方も実にいい。深みがあって静かな叫びがある。東京フィルハーモニー交響楽団もまさしく抒情的で内省的な音をしっかり出していた。

 歌手陣のなかでは、タチヤーナのエフゲニア・ムラーヴェワが際立っていた。ヴィブラートの少ない澄んだ声で、音程がよく、美しく響く。手紙の場面の焦り、いら立ちもしっかりと表現している。立ち姿も美しい。オネーギンのワシリー・ラデュークは、前半、少し抑え気味に聞こえたが、最後の幕は声もよく伸びて素晴らしかった。ただ、もう少し斜に構えた拗ねた感じがないとオネーギンらしく見えない。レンスキーのパーヴェル・コルガーティンは美しい声で一途で神経質な青年を演じていた。グレーミン公爵のアレクセイ・ティホミーロフも朗々たる声で見事に歌って文句なし。

 日本人歌手たち(オリガの鳥木弥生、ラーリナの森山京子、フィリッピエヴナの竹本節子、トリケの升島唯博)も健闘していたが、やはり外国人勢とはかなり差を感じた。

 そして、いつもの通り、三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団が素晴らしい。歌もさることながら、動きも見事。これは外国人勢にまったく引けを取らない。世界最高レベルの合唱団に成長したとつくづく思う。

 ドミトリー・ベルトマンの演出については、オリガやラーリナ、フィリッピエヴナ、トリケ、そして合唱団の動きにコミカルな要素を加えて興味深かった。大袈裟な悲劇になってしまうのを防ぐ意味があるように思った。大袈裟なスペクタクルになっていない。

 決闘の場面では、酔っぱらったトリケが介添え人として登場。オネーギンが介添え人を紹介するときのセリフも「フランス人」と変更されていた。そこまでする必要があったのか大いに疑問に思った。

 第一幕第一場が終わって音が静まったとき、観客席から叫び声が上がった。「もっとしっかり演奏しろ」というようなことを言っているようだった。オーケストラ団員をどやしつけたつもりだったのだろうか。が、オケは音を外したわけでもなかったし、アンサンブルが崩れているわけでもなかった。もしかしたら、「抒情的情景」として、静かに演奏していたのを、まるで気合が入っていないとでも思ったのではないか。いずれにせよ、上演が終わる前にこのような声をかけるのは演奏者に対しても観客に対しても、そして音楽そのものに対しても失礼な行為だと思った。

 だが、いずれにしても素晴らしい上演。久しぶりに私の理想とするタイプの「エウゲニ・オネーギン」を見ることができて幸せだった。

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私の女神だったジェシー・ノーマンが亡くなった!

 ジェシー・ノーマンが亡くなったことを夕刊で知った。

 LPからCDに切り替わったばかりのころだっただろうか。シュトラウスの「四つの最後の歌」が大好きな私は、レコード店でジェシー・ノーマンの歌うこの曲のCDを見つけて、早速購入。それまでシュヴァルツコップのこの曲を愛聴していたのだったが、あまりのおおらかでスケールの大きな歌い方に圧倒された。いっぺんにジェシー・ノーマン・ファンになった。

 その後、来日時にも「四つの最後の歌」を聴いた。たびたび来日したが、私はほぼ毎回出かけ、毎回、感動でいっぱいになった。モノオペラ「期待」も素晴らしかった。シュトラウスのリートも素晴らしかった。アンコールでよく歌ってくれる「さくら」も大好きだった。

 ある時、リサイタルからの帰り道、話している人の声が聞こえた。「ノーマンの歌を聴いても、まったく参考にならないよね。おれたちともとからまったく違うもんな」といっていた。きっと声楽関係者なのだろう。その通り、技術も圧倒的だったが、それ以前に生まれ持ったものが凡人とはまったく違っていた。太くて柔らかい美しい声。文化会館全体が揺れるような声だった。

 多分、私は彼女の歌ったほとんどすべてのCDやDVDを持っている。そして、その中でも、「四つの最後の歌」が最も好きだった。私が死んだら、葬式の際には、ジェシー・ノーマンのこの曲をかけてくれるように妻に頼んでいた。

 また一人、私の女神だった人が亡くなった。合掌。

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プラッソン+新日フィルの「幻想」 美しく奏でられる美しくも狂気をはらむ音楽

 20191028日、トリフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はミシェル・プラッソン、曲目は前半にシャブリエの「スペイン狂詩曲」とバンドネオンの小松亮太が加わってのピアソラの「バンドネオン協奏曲」、後半にベルリオーズの「幻想交響曲」。素晴らしい演奏だった。

 まず、シャブリエの音楽が始まって、フランス的でしなやかで精妙なアンサンブルに心惹かれた。リズムもいいし、音楽に流動が素晴らしい。うきうきした。

 バンドネオン協奏曲もおもしろかった。バンドネオンの生の音を初めて聴いた。マイクを並べていたが、やはりこれは大ホールで演奏するのは辛い気がする。第三楽章をアンコール演奏。

 とはいえ、後半の「幻想」がやはり圧倒的にすごかった。

 あまりおどろおどろしくない「幻想」。精妙に始まり、徐々に盛り上がっていく。緻密に組み立てられ繊細な音楽によって美しく奏でられる美しくも狂気をはらむ音楽。リズム感が素晴らしい。まったくゆるぎない。ピタッと決まってひたひたとドラマが盛り上がる。

 私は「幻想」を聴くとき、第3楽章がどうしても気になる。第12楽章は誰が演奏してもおもしろい演奏になる。だが、第3楽章はよほどの演奏でないと、退屈してしまう。よほどの演奏であっても、しばしば退屈する。だが、今回、不安をはらみながら徐々にドラマが進行し、盛り上がっていく。その様子がとてもよく分かった(専門家なら、スコアを見て説明するところだが、残念ながらその能力がない)。第45楽章は大きく盛り上がり、狂乱の音楽が繰り広げられるが、リズムに揺るぎがないので、高貴さを失わない。だが、バタバタしていないだけにいっそう凄味がある。

 プラッソンは素晴らしい指揮者だと改めて思った。感動した。

 ところで、トリフォニーホールは好きなホールなのだが、今日はちょっと参った。隣の席にかなり大柄な人がいて、しばしば身動きする。かなり大きな身動きをする。音楽に合わせて体を揺らしたり、身を乗り出したり。すると、そのたびに席が揺れる。気になって仕方がなかった。

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日本の名手たちによる「フィレンツェの思い出」 素晴らしかった

 2019924日、ヤマハホールで「伊藤亮太郎と名手たちによる弦楽アンサンブルの夕べ Vol.2」を聴いた。

 演奏は、ふだんは別々のオーケストラで活動する日本を代表する弦楽器の名手たち(伊藤亮太郎・横溝耕一・柳瀬省太・大島亮・横坂源・辻本玲)。曲目は、シューベルトの弦楽三重奏曲 第1番(伊藤・柳瀬・横坂)とブラームスの弦楽五重奏曲第1番(伊藤・横溝・柳瀬・大島・辻本)、そして、チャイコフスキーの弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」。

 シューベルトの曲は第1楽章だけが完成され、未完に終わった作品だという。初めて聴いたが、とてもシューベルトらしい曲。親しみやすく魅力的で生き生きとしたメロディ。ただ、繰り返しが多くてとりとめがない。実をいうと、私はシューベルトのこの種の曲はかなり苦手。

 2曲目のブラームスが始まってほっとした。シューベルトの直後にブラームスを聴くと、もちろん三重奏曲と五重奏曲の違いはあるが、その重心の低さに改めて驚く。名手たちだけあって、とても良い演奏。音色がぴたりと合い、見事に溶け合っている。

 ただ、実をいうと、ブラームスに関しては、演奏者たちがどんなブラームス像を伝えようとしているのかよくわからなかった。第2楽章の表情についても、憂いにあふれた音楽にしたいのかそうでないのかはっきりしなかった。よくつかめないまま終わった。

 最後の「フィレンツェの思い出」は素晴らしかった。これも完璧に音が溶け合い、リズムがぴたりと合い、しかも生き生きとしたチャイコフスキーが浮かび上がってきた。あまり感傷的でもロシア的でもないチャイコフスキー。余分な思い入れは入れずにドイツ音楽のようなアプローチで演奏される。フーガ的な部分が先鋭的、重層的で見事に構築されていく。そうでありながら、もちろんとてもロマンティックで陰りがある。とても現代的なチャイコフスキーが浮かび上がってきた。

 アンコールにリヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」からの弦楽六重奏曲。これも素晴らしかった。シュトラウスのこの曲は大好きな曲だが、室内楽曲として聴いたのは初めてだった。後期のシュトラウスの市全体の打つ草をとてもよく表した曲だと思う。素子れ、それを少しも力まずに自然体に演奏。素晴らしい。

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ティツィアーナ・ドゥカーティ こんなすごいソプラノが日本にいるなんて!

  2019923日、帝国ホテルプラザ オータムフェア2019 アフタヌーンオペラロビーコンサートに出かけた。出演はソプラノのティツィアーナ・ドゥカーティ。ピアノ伴奏は山口研生。本当に素晴らしい。

 第一部はイタリア歌曲から、ジョルダーニ「いとしいひとよ」、トスティ「そうなってほしい」、ビクシオ「森の小道」、デ・クルティス「わすれな草」「とてもあなたを愛している」。

 最初の曲からその澄んだ美しい声に圧倒された。弱音が美しい。人々の耳をそばだてさせる。そして徐々に盛り上がり、美しい声が響き渡る。完璧な音程。長くのばしても音程が崩れない。「忘れな草」はとりわけ素晴らしい。

 15分の休憩をはさんで後半はイタリア・オペラから『蝶々夫人』の「ある晴れた日に」、『ジャンニ・スキッキ』の「私のお父様」、最後に『アドリアーナ・ルクブルール』から「私は神のつましいしもべ」。いずれも絶品。声が伸び、広がり、響いていく。蝶々夫人が、そしてラウレッタが、アドリアーナが目の前に浮かび上がる。見事な表現力。私は何度か心が震えた。

 ティツィアーナ・ドゥカーティは世界的ソプラノ歌手だが、日本で暮らしている。詳しい事情は知らないが、これほどの素晴らしい歌を聴かせてくれるのに、あまり演奏の機会がないようだ。こんなすごいソプラノ歌手が日本にいるなんて、何という幸運だろう。それにしても幻の名歌手としか言いようがない。

 この帝国ホテルプラザのロビーコンサートも、雑音などの彼女の歌にふさわしくない環境に足を引っ張られている。そうでありながら、これだけの素晴らしい声と表現を聞かせてくれる。あまりにもったいない。もっと大ホールで思いっきり彼女の歌を、できればオペラを聴いてみたい。

 1013日には紀尾井ホールでコンサートが予定されている。楽しみだ。

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アマリリス弦楽四重奏団 圧巻のラヴェル!

 2019919日、武蔵野市民文化会館でアマリリス弦楽四重奏団の演奏会を聴いた。素晴らしかった。

 実に精妙なアンサンブル。完璧に音があっている。音色が柔らかく、ニュアンス豊か。第一ヴァイオリンのグスタフ・フリーリングハウスの弓遣いのニュアンスに驚嘆。

 曲目は最初にハイドンの弦楽四重奏曲第67番「ひばり」。ハイドンのしなやかな精神を再現するような音楽。うきうきとし、しかもユーモアに富んでいる。下手な演奏だと硬直して聞こえることがあるが、むしろ全く逆に、実に自由に聞こえる。

 圧巻だったのが次のラヴェルの弦楽四重奏曲。これがラヴェルの音だ!と納得。これまで聴いてきたラヴェルの弦楽四重奏曲は、全部間違っていたのではないかとさえ思ったのだった。精妙でしなやかで生き生きとしていて、まるで感受性豊かな生命を持った小動物のような音楽。無理やりスケール大きく作らないが、そうであるだけに小さな躍動感が察知できる。ラヴェルというのは、このような生命を持つ作曲家だったのだろうと思った。

 最後のベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第13番は「大フーガ」のないヴァージョン。カヴァティーナも美しく、そして、それ以上に第2楽章のスケルツォと最終楽章のリズミカルな躍動は素晴らしい。偉大なるベートーヴェンというよりも、等身大で感受性豊かで傷つきやすくもしなやかなベートーヴェン。

 アンコールはハイドンの「鳥」の第4楽章。よく知らない曲だが、鳥のさえずりを模したようなアンサンブル。これも精妙なアンサンブルになり、ちょっとユーモラスでリズミカルで美しい。

 弦楽四重奏曲の魅力を堪能した。

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オペラ映像「清教徒」「ジョヴァンナ・ダルコ」「二人のフォスカリ」「沈鐘」

 締め切りの迫った原稿はなく、秋の授業のたぐいもまだ始まっていない(数日後に始まる!)ので、時間的、精神的に少し余裕がある。オペラ映像を何本かみた。簡単な感想を記す。

 

ベッリーニ 「清教徒」2018年 シュトゥットガルト州立歌劇場

 

 歌手陣はとてもいい。とりわけヒロインのエルヴィーラを歌うアナ・ドゥルロフスキは澄んだ音程に良い声でテクニックも見事。堪能できる。アルトゥーロのルネ・バルベーラもしっかりした強い声でとてもよい。外見的にはちょっと不満。リッカルドのガジム・ミシュケタも悪役ぶりがとてもいい。

 ただ気になるのは、マンリオ・ベンツィの指揮だ。第二幕からはだいぶ改善されるが、第一幕では、かなり騒々しくて慌ただしくてがさつ。歌手のことを考えずに自分勝手に突き進んでゆき、しかもオケをコントロールしきれていないように聞こえる。

 ヨッシ・ヴィーラーとセルジョ・モラビトによる演出は、さすがドイツの歌劇場というべきか、あれこれと読み替えがなされている。アルトゥーロが盲目になっていたり、エルヴィーラが狭い屋敷に閉じ込められていたり。私はベッリーニに詳しいわけではなく、そもそもこのオペラも実演でみたことはなく、映像を1、2本みたことがある程度なので、偉そうなことは言えない。この演出意図もよくわからない。が、いずれにせよ、あまり面白いと思わなかったし、演出について深く考えたい気持ちにもならなかった。

 

ヴェルディ 「二人のフォスカリ」2016年 ミラノ、スカラ座

 ヴェルディ初期のこのオペラを初めてみた。ベッリーニの後に聴くと、やはりオーケストレーションがよくできているし、歯切れがいいし、ドラマが整理されている。ハッとするような美しいメロディもたくさん出てくる。ただ、やはり中期以降のオペラに比べると、おもしろみに欠けるのは間違いない。

 フランチェスコ・フォスカリを歌うプラシド・ドミンゴがさすが。バリトンの役だが、まったく違和感がない。もちろんかつての輝きはないが、声は出ているし音程はいいし、風格はあるし。ドミンゴが出てくると、音楽がきりりとしまる。第三幕など圧巻。ヤコポ・フォスカリを歌うフランチェスコ・メーリも声が美しくて、とてもいい。ただ信じられないのは、ルクレツィアを歌うアンナ・ピロッツィ。あとになるといくらかよくなるが、それでもほかの歌手に比べるとかなり力量が落ちると思う。声は出ていないし、音程は不安定だし、演技もよくないし、外見的にもこの役に見えない。なぜこの人が使われているのだろう。

 ミケーレ・マリオッティの指揮はきびきびしていてメリハリがあって、とてもいい。アルヴィス・ヘルマニスの演出も踊りやジェスチャーがたくさん入るが、基本的にはオーソドックスで的確にまとまっている。暖色系に統一されていてとても風格がある。

 

 

ヴェルディ 「ジョヴァンナ・ダルコ」2016年 パルマ、ピロッタ宮殿ファルネーゼ劇場

 ヴェルディ初期のこのオペラを初めてみた。後のヴェルディのオペラに比べると、やはり面白みに欠ける。演出的にも、小さな丸い舞台を使っていて、あまり演劇的な動きがないために、まるでオラトリオのよう。

 ジョヴァンナを歌うのは韓国系のソプラノ、ヴィットリア・イェオ。澄んだ声で、しかもスケールの大きな歌唱。素晴らしい歌手だ。カルロ7世を歌うルチアーノ・ガンチもとてもいい。ちょっと音程の怪しいところを感じたが、よく声が伸びている。

 ラモン・テバールの指揮するオーケストラは悪くはないと思うが、私としてはとりわけ惹かれることはなかった。

 

 

レスピーギ 「沈鐘」 2016年 カリアリ歌劇場

 ハウプトマンの原作によるレスピーギ作曲のオペラ。初めてみたが、とてもおもしろい。ほかの作曲家のオペラで言えば、ストーリー的には「ルサルカ」や「ペレアスとメリザンド」を思い出す。音楽的にも「ペレアス」をイタリア語にした雰囲気とでもいうか。私はレスピーギの音楽を感動して聴いたことがなかったが、いい作曲家ではないか!と思った。

 ピエル=フランチェスコ・マエストリーニの演出もとてもおもしろい。背景に湖底が映像で示されるなど、わかりやすいし、美しい。ドナート・レンツェッティの指揮も明確でいい雰囲気。

 多くの歌手がとてもいい。ラウテンデラインを歌うヴァレンティーナ・ファルカスが澄んだ声で容姿もこの役にふさわしくかわいらしい。マグダ役のマリア・ルイージア・ボルシも必死感があっていい。魔法使いの老婆のアゴスティーナ・スミンメーロも貫禄がある。

 ただ肝心のエンリーコを歌うアンジェロ・ヴィッラーリが音程が狂いっぱなしで苦しげに、しかし大声で歌いまくる。ほとんど聴くに堪えない。なんとかならないものか。私には最悪の歌手に思えるのだが!

 

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