音楽

「隅田川」と「カーリュー・リヴァー」の連続上演 清澄で静謐な音

 20201018日、よこすか芸術劇場で、能「隅田川」とブリテンのオペラ「カーリュー・リヴァー」連続上演をみた。「カーリュー・リヴァー」は「隅田川」にヒントを得て作られたオペラであり、連続してみると、なるほどそっくりのストーリーと構造であることが確認できる。行方不明になった子供を探す狂女が隅田川(カーリュー・リヴァー)を渡る小舟に乗って話を聞くうち、息子がちょうど一年前のその日に、その地で死んだことを知り、涙を流し、供養をする。

 能は、狂女を観世喜正。ただし、私はこれまでの生涯、能をみたのはこれが二度目。しかも、私はふだんは居眠りしない人間(高校のころの授業中も、大学に勤めていたころの教授会の最中も居眠りしたことがない!)なのだが、最初にみたとき、不覚にも眠ってしまったのだった。そんなわけで、まったく能についての知識がないままにみたのだが、なかなかおもしろかった。能の決まりごとやら所作やら、わからないところだらけだが、ところどころ、鼓の音やら笛の音やら、地謡やらに感動を覚えたところがあった。ただ、所作についてはよくわからなかった。私が舞踊の類についてまったく関心が向かないということだろう。

 休憩後のブリテンの「カーリュー・リヴァー」は素晴らしいと思った。

 指揮とオルガンは鈴木優人、演出は観世喜正と彌勒忠史。

 全員がまるでイスラム教徒の女性のようにすっぽりと体中を覆った服。マスク代わりにしているという実際的な意味もあるのだろうが、これによって国籍不明の異空間での話ということになる。しかも、様式化されることにもなって、見事。

 狂女の鈴木准、渡し守の与那城敬をはじめとした歌手陣も最高度に充実している。まったく文句なし。みんな声もよく伸びているし、この様式化された芝居を見事にこなしている。オーケストラも見事。私は感動してみた。

 ブリテンのオペラの美しさについても改めて感銘を受けた。「隅田川」とは異なって、オペラではキリスト教信仰が強調される。狂女は祈り、子どもと自分の救いを求めるが、その清澄で静謐な音楽に圧倒された。息子の死を知るという極限状況を純粋な音楽で描く。多くの作曲家のようにドラマティックに騒ぎ立てるでもない。能の精神に倣っているとでもいうのか、ピンと切り詰めた音でそれを描く。先日、CDでこのオペラを聴いてみた際にはあまり面白くないと思ったのだったが、舞台で聴くと、この凄味に驚く。

 とても満足した。

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日本三大テノールを堪能した!

 20201013日、サントリーホールで「日本三大テノールの世界2020」を聴いた。出演は、日本三大テノールと呼ばれるにふさわしいジョン・健・ヌッツォ、樋口達哉、笛田博昭の三人。そして、六本木男声合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団。指揮は園田隆一郎。とても楽しかった。

 曲目はヴェルディ、プッチーニ、ジョルダーノのオペラ・アリアが中心。かつてのパヴァロッティ、ドミンゴ、カレラスの世界の三大テノールと同じように、ソロあり、三人の共演あり。遊び心たっぷり。三人の美声がホール内に響き渡る。

 三人三様の歌いまわしだと思う。このような大きな会場で最もはえるのは笛田だ。声量があり、ドラマティック。ヌッツォが意外と軽い声質だということに笛田の声と比べてはじめて気づいた。強靭な軽い声というべきか。このような大きなホールでは、リリックに歌うタイプの樋口はちょっと分が悪い。タイプでいうと、ヌッツォがパヴァロッティ、笛田がドミンゴ、樋口がカレラスに近い。

 イタリアオペラのアリアに交じって、このコンサートの主催者である三枝成彰さんの「レクイエム」と「Jr.バタフライ」からの暗い曲が演奏されたが、悲しみを歌う曲の存在感が示されて、コンサートを深いものにしていた。また、前半の終わりに岩井美貴のピアノ伴奏で「早春賦」(樋口)と「村祭り」(笛田)と「からたちの花」(ヌッツォ)がうたわれた。いずれも三枝成彰編曲のジャズ風にアレンジされたヴァージョン。これがとてもおもしろかった。これらの曲が現代曲に生まれ変わり、しかも十分に原典の味わいを残している。ピアノの演奏も見事。相当に演奏が難しかっただろう! 三枝さん(前にお会いした時、半月板損傷だといわれていたが、まだ治っておられないようだ!)と三人の愉快な話も加わって、なかなか楽しかった。

「乾杯の歌」を三人で歌った後は、これまた三人で「フニクリ・フニクラ」、そしてアンコールは「オー・ソレ・ミーヨ」。もちろんドイツ・オペラ好きの私の好みの曲ではないが、そんなことを言っている場合ではない。これはこれで実に楽しい。声そのものの醍醐味が存分に味わえる。会場内は大盛り上がり。

 声楽に関しては、西洋と日本には少し前まで大きな差があった。日本の歌手のほとんどは世界では通用しなかった。だが、この三人が現れて(いや、この三人以外にも、何人かこのレベルの歌手がいる!)、間違いなく世界レベルになった。そのことを痛感できた。

 ただ欲を言うと、せっかくロッシーニを得意とする園田さんが指揮をしたのだから、ロッシーニも曲目に加えてほしかったなあ!!

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下野+神戸市室内管のベートーヴェンに感動した

 20201011日、紀尾井ホールで神戸市室内管弦楽団のコンサートを聴いた。指揮は 下野竜也。曲目は前半に清水和音が加わってのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、後半のベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。素晴らしい演奏だった。

 清水のピアノについて、第1楽章はちょっともたつき気味に聞こえたが、カデンツァのあたりからまさにベートーヴェンの世界に入っていった。芯の強い、しかしニュアンスにあふれる音でリズム感も見事。第2楽章はオーケストラとの掛け合いに引き込まれ、そのまま第3楽章に突入した。

 下野の指揮も清水のピアノも、これといって個性的な解釈をしているようには聞こえない。ごく当たり前のベートーヴェンの4番の協奏曲。どこかを強調することもなく、テンポを動かすこともない。だが、新鮮な音に聞こえる。音が生き生きとして若々しい。素晴らしいと思った。

 初めて聴くオーケストラだが、うわさに聞いていた通り、素晴らしい。弦楽器も木管楽器も美しい。弦楽器6台の小編成のベートーヴェンだったが、その力感は大オーケストラにまったく引けを取らない。むしろ、等身大のベートーヴェンが立ち現れた。アンサンブルがとても美しい。もしかしたら、室内オケのほうが大オーケストラよりもコロナ禍の中でアンサンブルを作りやすいのかもしれない。

「英雄」にいっそうそれを感じた。出だしからして、躍動感にあふれている。弦に厚みがあり、音と音の絡みがぴたりと決まる。迷っている様子がなく、確信にあふれている。まさに30台のベートーヴェンはこうだったのだろう。

 この曲の特に第1楽章に私はしばしば強い違和感を覚える。音楽が自然に進まず、統一の取れていない音楽を無理やり強引に張り合わされているような感じがする。そこが魅力だという人もいるが、私は気になってならない。が、今回の演奏はそのような不自然さを感じない。これが下野の魔法だろう。ふだん違和感を覚える部分も、少々力づくながら、十分に説得力をもって音楽が発展しているのを感じる。

 第3楽章、そしてとりわけ終楽章の盛り上がりが素晴らしかった。息をつかせないような音と音の積み重ね。うむ、マエストロ下野はすでに巨匠ではないか!と思った。私は何度か感動に身を震わせた。

 ブザンソンで優勝してすぐのころ、ナントのラ・フォル・ジュルネで下野さんの演奏を聴いて、正統派の素晴らしい演奏だと思った。あれから10年以上がたって、マエストロ下野の音楽はもっとスケールが大きくなり、もっと揺るぎのない音楽になっていた。

 これからまたマエストロ下野を追いかけたいと思った。

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新国立劇場「夏の夜の夢」 オール日本人歌手の素晴らしい演奏

 20201010日、新国立劇場で「夏の夜の夢」を見た。新国立劇場もやっと再開された。新型コロナウイルスの影響で外国人アーティストが来日できないため、すべてが日本人のメンバー(ただし、デイヴィッド・マクヴィカーの演出に基づいて、レア・ハウスマンの演出・ムーヴメントとのこと)。

 ちょっと心配していたが、歌手陣は極めて高いレベルで充実していた。まったく外国人勢に引けを取らないと思った。素晴らしい上演だった。

 私がもっとも驚嘆したのは、ヘレナを歌った大隅智佳子だった。以前から素晴らしい歌手だったが、声の響き、伸び、そして愛されないとわかっていながら男に付きまとう女性を演じる力に、私はほれぼれした。ハーミアの但馬由香も可憐で美しい声。そのほか、ライサンダーの村上公太、ディミートリアスの近藤圭、オーベロンの藤木大地、タイターニアの平井香織、パックの河野鉄平(難しい役を体当たりの演技!)、シーシアスの大塚博章、ヒポリタの小林由佳。どこにも穴がない。TOKYO FM少年合唱団による児童合唱も素晴らしかった。日本の声楽界がここまで上がったことをとてもうれしく思った。

 飯森範親の指揮する東京フィルハーモニーもとてもよかった。静謐にして妙なる音が続いた。静かに、ゆっくりと聴かせる。清潔で高貴で芯の強いブリテンらしい音を聴かせてくれた。

 私はブリテンのオペラについては最近知ったばかりで、「夏の夜の夢」も、つい先日初めてDVDをみたばかり。だから、実はほとんど知らないに等しい。DVDを見た時点で、「ピーター・グライムズ」や「ルクレツィアの凌辱」や「ビリー・バッド」や「ヴェニスに死す」と比べるとちょっと退屈だと思った。そして、今回実演を見て、やはり同じように思った。

 喜劇のわりにあまりに静謐。シェークスピアの時代と現代が入り混じり、まさに普遍的な音楽世界が展開する。時代を超えた音楽とでもいうか。それは素晴らしいのだが、起伏なく、並列的に音楽が展開するので、盛り上がりを感じない。もう少しドタバタ感がほしいのだが、それがない。おそらくブリテンは意図的にそうしているのだろうが、根が俗っぽい私としてはもう少し何とかしてほしいと思ってしまう。

 たぶん、これは私の修行が足りないせいだと思う。もう少しブリテンのオペラを聴くと、考えが変わるのかもしれない。現在、大量にブリテンのオペラのDVDを注文している(ただし、入荷が予定よりかなり遅れているので、果たして入手できるかどうか不安を覚えている)。これらを見終えてから、再びこのおぺらについて考えてみたい。

 とはいえ、新国立劇場の再開はめでたい。それにふさわしい素晴らしい上演だったことは間違いない。

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澤クヮルテットの「ラズモフスキー第3番」 繊細過ぎない率直な音楽

 2020105日、横浜市鶴見区民文化センター「サルビアホール」で澤クヮルテットの公演を聴いた。

 サルビアホールは定員100名程度のホールだ。そこを新柄コロナウイルス対策として隣の席を空けているので、50名。なんという贅沢。

 曲目はモーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」、ドビュッシーの弦楽四重奏曲、そしてベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3」。

 繊細すぎず、工夫をしすぎない率直な演奏というべきだろう。細かいところにはあまりこだわらずに、ともかくスケール大きく音楽をつくっていく演奏だと思う。だが、もちろん繊細さがないわけではない。それよりも音楽の勢いを重視し、神経質にならないところがいい。

 とりわけドビュッシーにそれを感じた。フランス的な繊細さを強調しないで、バンバンと音を鳴らす。だが、そこにまぎれもないドビュッシーの音響が聞こえてくる。無理やり繊細にして遠慮するのでなく、率直に音を出すからこそ、その音が明確に聞こえてくる。そういえば、このごろ、とりわけ日本の室内楽は女性的な演奏が多い(実際に女性の演奏家が多い!)。その中にあって、この澤クヮルテットの演奏はきわめて男性的といってよいのかもしれない。久しぶりのこのような演奏を聴いた気がする。

 ベートーヴェンの第9番の弦楽四重奏曲はとりわけ素晴らしかった。もともとスケールの大きな曲なので、それがこの団体にぴったり。ただ私はこの曲の第2楽章を、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」のようなロシア的憂愁を描く音楽だと思っているのだが、そのような情緒は欠けているように思った。が、第3楽章のメヌエットはとても美しく、終楽章の盛り上がりも見事。構築的でスケールが大きく、白熱した演奏だった。曲の全体像をがっちりとつかんで率直に魂を描いてくれた。感動した。

 このような白熱した音楽を50人だけで間近で聴けて本当に幸せだった。

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大学での「ハイブリッド授業」、そしてオペラ映像「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」

 現在、私は多摩大学を非常勤講師として秋学期に週に1日、3コマ(つまり、4.5時間)の授業を受け持っている。25日にいよいよ授業開始。

 ところが、今年はコロナ禍のためにオンライン授業が行われている。ほかの先生たちは春からオンライン授業を体験しているが、私は春には授業を担当していないので、これがオンライン授業デビュー。しかも、困ったことに、秋は対面授業とオンライン授業の両方を同時に行ういわゆる「ハイブリッド授業」になった。Zoomを使いこなせず、オンラインと対面の両方に対応できず右往左往するばかり。私の窮状を察した教務職員や学生アシスタントに助けてもらって、とりあえず何とか授業を行ったが、いやはや疲れ果てた。

 授業日は、家に帰るなり、倒れるようにベッドに入って死んだように昼寝して、やっと気力がよみがえった。毎週これだとなかなかきつい。私のトシで3コマ連続はそれだけでもきついのに、ハイブリット授業とあってはなおのこと大変。少しは慣れるのだろうか。

 安売りのコヴェント・ガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウスでの公演を集めたBDをみたので簡単に感想を記す。

 

モーツァルト 「ドン・ジョヴァンニ」2014年 英国ロイヤル・オペラ・ハウス 

 数年前に、来日公演でみたのと同じカスパー・ホルテン演出。プロジェクション・マッピングを多用して、とても刺激的。ドンナ・アンナはドン・ジョヴァンニと以前から通じ合っており、憎からず思っていたが、ドン・ジョヴァンニがドンナ・エルヴィラにも手を出していたと知って敵に回る・・・という展開になっている。それはそれでおもしろい。

 歌手陣は全体的に見事。ドン・ジョヴァンニのマリウシュ・クヴィエチェン、レポレッロのアレックス・エスポジトともに適役だと思う。ふだんは影の薄いドン・オッターヴィオ役のアントニオ・ポーリが見事な美声。ドンナ・アンナのマリン・ビストレムもいい。ただドンナ・エルヴィラのヴェロニク・ジャンスがこの役にしては声が弱い。

 

モーツァルト 「コシ・ファン・トゥッテ」2016年 英国ロイヤル・オペラ・ハウス

 はじめ、ビシュコフの指揮にパッパーノのような躍動感がないのを不満に思っていた。だが、聴き進むにつれて、指揮の凄さに圧倒された。パッパーノ的な躍動感はないが、繊細にして味わい深く、決まるところはびしりと決まる。落ち着いた音楽だが、生き生きとして美しい。指揮の凄さに耳が引きつけられる。いやあビシュコフはとてつもない指揮者だ!

 演出はヤン・フィリップ・グローガー。現代とモーツァルトの時代が交差する。ドタバタ風の場面になると、18世紀になり、シリアスな場面は現代。劇中劇のような造りになっており、そのため、このオペラの「ありえない」展開が近代劇としてまったく違和感がなくなっている。第二幕後半に「コシ・ファン・トゥッティ」(男女問わず、「みんなこうしたもの」)の表示が大きく出る。確かにその通り!

 歌手陣に凄味は感じないが、全員が高いレベルでそろっている。私としては見た目も美しいフィオルディリージのコリンヌ・ウィンターズにうっとり。ドラベッラのアンジェラ・ブラウアーも張りのある美しい声。デスピーナのサビーナ・プエルトラスも高音がとてもきれいで、蓮っ葉なスーブレットではなく、魅力的な大人の女性を演じている。フェルランドのダニエル・ベーレ、グリエルモのアレッシオ・アルドゥイーニもしっかりした声と演技。そして、ドン・アルフォンソのヨハネス・マルティン・クレンツレは芸達者にモーツァルトの時代の一筋縄ではいかない男を演じて見事。

 全体的に良かったが、私としては、なにはともあれ、ビシュコフすごい!

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園田+日フィル 「ウィリアム・テル」序曲と「ジュピター」 ニュアンスと躍動

 2020年9月20日、東京芸術劇場で日本フィルハーモニー交響楽団サンデーコンサートを聴いた。指揮は園田隆一郎。曲目は、前半にロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲と、ヴァイオニストの石上真由子が加わってのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、後半にモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。

 園田のロッシーニはやはり素晴らしい。細かいニュアンスをきちんと描くが、それによって躍動感は少しも減じない。むしろ、ニュアンスが描かれれば描かれるだけ、動的になり、ダイナミックになる。平板なダイナミズムではなく、しっかりと躍動の刻印されたダイナミズムというべきか。日フィルの音も濁らずに、とても爽快。

 ただ、次のメンデルスゾーンについては、ちょっともたついた気がした。石上のヴァイオリンの音色がちょっと独特だと思う。重めの真面目な音色だとでもいうか。つまり、軽やかでなく、流麗でもない。それはそれでメンデルスゾーンの抑制された悲しみの世界を描くには悪くないと思うのだが、どうも音楽が流れない気がする。第一楽章では石上のヴァイオリンの細かい処理がちょっと雑だと思った(緊張していたのか?)。だんだん良くなったが、メンデルスゾーンのこの曲はもっと流れてほしい。オーケストラにも濁った音が混じった。

 ヴァイオリンのアンコールが演奏された。曲名を確認するのを忘れたが、パガニーニの24のカプリースの中の曲だったかな? ただ、この演奏もテクニックの確かさを知ることはできたが、感動するには至らなかった。

 後半の「ジュピター」はとても良かった。第2・3楽章は私にはちょっと退屈に感じる瞬間があった(演奏がよくないかどうかはわからない)が、終楽章は息をのむような瞬間が何度もあった。壮大にして躍動的。音が見事に重なり合っていった。しかも、あくまでも自然に流れる。ここでも細かなニュアンスが躍動につながっていく。

 初めの予定では、この日はロッシーニの「スターバト・マーテル」が予定されていた。コロナのせいで曲目変更になった。園田の「スターバト・マーテル」を聴きたかったと、改めて思った。

 

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広上+N響の「町人貴族」 きれいな演奏だったが、ちょっと香りが不足

 2020919日、東京芸術劇場でHK交響楽団定期公演を聴いた。指揮は広上淳一。曲目は、ウェーベルン(シュウォーツ編)緩徐楽章(弦楽合奏版)、リヒャルト・シュトラウス 歌劇「カプリッチョ」より六重奏(弦楽合奏版)、リヒャルト・シュトラウス組曲「町人貴族」作品60。ヴァイオリン・ソロを受け持つコンサートマスターは白井圭。

 かなりの空きの多い客席だった。新型コロナウイルス感染予防のためだけでなく、もしかしたら客の入りが悪かったのかもしれない。演奏も、もちろん悪くはないのだが、精妙に決まったかというと、そうでもなかった。芳醇なワインのような上質な香りの立ちのぼる演奏を期待していたが、ちょっと肩の力が入りすぎている気がした。ほんのちょっとリハーサルが不足しているのだろうか。

 ウェーベルンについては、かなり後期ロマン派的な演奏。「カプリッチョ」は、聴きなれた六重奏とは異なって、かなりドラマティックな盛り上がりがあった。マエストロ広上の判断なのだと思うが、私の個人的な好みからすると、弦楽合奏版にしても、六重奏と同じように、穏やかな演奏のほうがよかったのではないか。この曲で盛り上げても盛り上がる先がないような気がするのだが。

「町人貴族」は徐々にオーケストレーションが色彩感を増していった。シュトラウスらしいオーケストレーションの醍醐味を感じられるような演奏だった。ただ、これについても、私は、もっと軽やかで、もっと芳醇な、まさしく軽い上質のワインのような後味のある演奏が私の好みだ。今回の演奏は、ちょっと強すぎるというか、重すぎるというか。

 とはいえ、もちろん美しいオーケストラの音を味わうことができ、白井圭のしなやかで流麗なヴァイオリンを聴くことができて、幸せな時間を過ごすことができたのはうれしかった。

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オペラ映像「真夏の夜の夢」「シモン・ボッカネグラ」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」「ボリス・ゴドノフ」

 やっと秋らしい天気になった。今日(2020918日)は33℃を超す暑さが予報されているが、真夏ほどの酷暑の朝ではない。数本のオペラ映像をみたので簡単な感想を記す。

 

ブリテン「真夏の夜の夢」 2005年 バルセロナ、リセウ劇場

 シェークスピア原作によるオペラ。これまでみたブリテンのいくつかのオペラと違って喜劇なので、私がブリテンの魅力と思っていたもの、すなわち抜き差しならない差し迫った感情が前面に現れない。その点、少々不満だった。だが、シェークスピアの時代の音楽といわれても納得するような、つまり「現代音楽」的な要素が強くない、普遍的な音楽はとても魅力的だ。「前衛音楽」が全盛だった1960年代に、このような新古典主義的な音楽を書いて、しかも完璧な説得力を持たせるのは奇跡的だと思う。「現代音楽」の臭みもなく、もちろんロマン主義的な大時代的な要素もない。ドラマに寄り添い、無駄なく、誇張なく、登場人物の心を歌にしている。何よりブリテンのその手腕に驚く。

 私はカウンターテナーのオベロン役、デイヴィッド・ダニエルズに少し不満を覚えた。声が伸びないし、少々音程が不安定。カウンターテナーが登場するタイプの音楽に疎い私でも知っている名前なので、有名な歌手だと思うが、少し不調だったのか。

 それ以外の歌手たちについては、とても満足。タイタニアのオフェリア・サラ、ライサンダーのゴードン・ギーツ、ハーミアのディアンヌ・ミークなど、まさに適役。パック役のエミル・ワークもまさにこの役にふさわしい不気味さと愛嬌を兼ね備えている。

 演出はロバート・カーセン。イギリス人にはなじみのストーリーとはいえ、取り違え劇なので下手をすると、登場人物が混乱してしまう。それをこの演出はうまく処理をし、時代を超越した芝居に創り上げている。ハリー・ビケット指揮のバルセロナ・リセウ大劇場交響楽団については、ブリテン初心者の私には特に不満はない。

 私としては十分に楽しんだが、私はほかにこのオペラの実演も映像をみたことがないので、よくわからない。もしかしたら、別の上演であったら、もっと楽しいものであるかもしれないとは思う。10月にこのオペラが新国立劇場で上演されるのが楽しみだ。

 

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 2010年 パルマ

 レオ・ヌッチのタイトルロールがやはり素晴らしい。声と仕草の演技力に感服。決して心から善良な人間ではない。だが、心からマリアを愛し、その死後、娘を愛している。敵対に苦悩し決断を迫られる。そのような役をやらせると、これほど見事な歌でリアルに演じられる人は少ない。フィエスコのロベルト・スカンディウッツィも素晴らしい。この二人のやり取りはまさに絶品。

 ガブリエーレのフランチェスコ・メーリも強靭な美しいテノール、アメーリアのタマール・イヴェーリも率直で清純な声。二人の若い恋人の歌はとても気持ちがいい。ただ、パオロ役のシモーネ・ピアッツォラの声があまり出ていないようで、悪役としての存在感が弱かったのは残念。

 ダニエレ・カッレガーリの指揮もドラマティック(ただ、ちょっとドラマティックすぎる気がしないでもない)、ジョルジョ・ガッリョーネの演出もわかりやすく、簡素ながらも十分に総督府の豪華さを感じさせる。とても良い上演だと思う。感動しながらみた。

 

モーツァルト 「フィガロの結婚」 2006年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 安売りしていたので、OPUS ARTEのコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスで上演されたモーツァルトのオペラ3本の5枚組BDを購入。まず「フィガロ」をみた。とても楽しい上演。ウキウキして最後までみることができる。アントニオ・パッパーノの指揮も躍動している。かなりドラマティックな演奏。デイヴィッド・マクヴィカーの演出も楽しい。身振りが大きく、伯爵の悪漢ぶりを強調する。しかし、それが不自然ではなく、笑いが自然と沸き起こる。歌手陣も最高度に充実している。

 アーウィン・シュロットは大柄で精悍な野性的なフィガロを演じる。スザンナのミア・パーションはとてもチャーミング。アルマヴィーヴァ伯爵のジェラルド・フィンリーは憎々しさを全開。伯爵夫人のドロテア・レッシュマンもしとやかに歌う。隅から隅まで完璧にそろっている。躍動的に人物の動く活発なオペラになっている。

 文句なしに楽しく、最高の舞台と最高の音楽が楽しめる。モーツァルトはやっぱり素晴らしい!

 

 モーツァルト 「ドン・ジョヴァンニ」2008年 ロイヤル・オペラ・ハウス

「フィガロの結婚」をみて、あまりに素晴らしかったので期待したのだったが、それほどの感銘は受けなかった。もちろん、きわめて高いレベルのとても良い上演だと思う。

 サー・チャールズ・マッケラスの指揮に、私が乗れない原因があるのかもしれない。好きな指揮者なのだが、このオペラ演奏については、私には神経質で痩せた音楽に聞こえる。しかも、フランチェスカ・ザンベロの演出を含めてとてもリアルな造りになっているため、神話性を感じない。このオペラはドン・ジョヴァンニという人並外れた人物が主人公であり、亡霊が出るなどして、私には神話的なオペラに思われる。それがリアルに演じられると、違和感を覚えてしまう。

 サイモン・キーンリサイドのドン・ジョヴァンニは容姿も見事、声もよいのだが、これまたリアルすぎて神秘性がない。だから、悪の凄味も感じない。ドンナ・アンナのマリーナ・ポフラフスカヤ、ドン・オッターヴィオのラモン・ヴァルガスも、もちろん悪くないのだが、ちょっと魅力に乏しい。レポレッロのカイル・ケテルセンも道化としての役割を果たしていない気がする。

 ただジョイス・ディドナートは凄味のあるドンナ・エルヴィーラを聞かせてくれ、ミア・パーションは可愛らしいツェルリーナを歌ってくれた。また、ロバート・グリアドウのまマゼットも初々しい。この3人にとても感銘を受けた。

 

 モーツァルト 「魔笛」 2003年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 この映像はかつてみたことがある。テレビだったか、DVDだったか。その時も思ったが、改めてとても充実した上演だと思う。すべての配役が理想的といってよいだろう。

 タミーノのヴィル・ハルトマン、パミーナのドロテア・レシュマン、ザラストロのフランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ、パパゲーノのサイモン・キーンリサイドはとても素晴らしい。ハルトマンは高貴な声、レシュマンもとても魅力的な歌唱で、後半ますます声の美しさに磨きがかかっていく。ゼーリヒは深みのある美声。ドン・ジョヴァンニで惹かれることのなかったキーンリサイドもこの役ではみごとに愉快で人間的なパパゲーノを作り出している。

 しかし、そうしたベテランたちを押しのけて圧倒的な存在感を見せるのが、夜の女王のディアナ・ダムラウだ。私は初めてこの映像をみた時、ダムラウの歌に驚き、ものすごい新人が出てきたと感嘆したのだった。かつてグルベローヴァの夜の女王にも圧倒されたが、ダムラウはもっと勢いがあり、激しさがある。まさにこの役にふさわしい。

 サー・コリン・デイヴィスの指揮も素晴らしい。抑えるところは抑えて、勢いのある音楽を作り出している。デイヴィッド・マクヴィカーの演出は、夜の女王と三人の侍女をはじめから悪辣な扮装にして、弁者やザラストロを啓蒙主義時代の哲人に見立てているようだ。モノスタトスはまるで啓蒙主義や民主革命に歯向かう悪徳貴族を思わせる。旧来の価値観による夜の女王の世界をザラストロが改革し、民衆がザラストロを支持しているという構図が示される。「魔笛」のストーリーの持つ矛盾をこの解釈によってすべて解決できるだけではないが、それはそれで説得力のある解釈とはいえるだろう。とてもおもしろく感じた。

 

ムソルグスキー 「ボリス・ゴドノフ」 2019年 ボリショイ劇場 (NHKBS放送)

 楽しみにして、NHKの放送をみた。上演のレベルの高さに驚く。歌手陣全員が最高レベル。ボリスを歌うミハエル・カザコフもしっかりとして深い声、グリゴリーのティモフェイ・デュボヴィツキーは十分に王子を騙る美男の曲者に見え、しかも若々しい美声。マリーナのアグンダ・クラエワは絶世の美女に見えるうえ、声も美しい。シュイスキー公爵のマクスム・パスターも嫌味な役を見事に歌う。まさに全員が容貌も含めてまさにその役にしか見えない。

 ただそのわりに私はさほどの深い感銘は受けなかった。「散文的すぎる」という印象を抱いた。トゥガン・ソヒエフの指揮はきわめて輪郭のはっきりしたキレの良い音で論理的に音楽を展開していく。だが、その分、この難渋なオペラの不可解な部分が少なくなり、スラブ的な得体のしれない魅力が薄れている気がしてしまう。むしろ、イタリア・オペラなどとはまったく違った作劇法に基づく台本のわかりにくさ、まとまりのなさが前面に出てしまう気がする。イーゴリ・ウシャコフの演出についても、同じような印象を受けた。

 もちろん私はこのオペラに詳しいわけではないが、映像は何本かみて、素晴らしいオペラだと思っていた。これまでにみたものは、論理を超越した得体のしれない魅力があったような気がする。

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アンサンブル・ノマドと波多野睦美 土地の風が吹き、草のにおいがする演奏

 2020915日、東京オペラシティ リサイタルホールでアンサンブル・ノマドの第69回定期演奏会を聴いた。ゲストとしてメゾ・ソプラノの波多野睦美が出演。素晴らしい演奏だった。とても楽しい時間を過ごすことができた。

 曲目はまさしくこのアンサンブルの名称ノマドに示される通り、バロックから現代まで、ヨーロッパ、アジアなどの様々な時代の様々の国の音楽。いずれも、その土地の風が吹き、その土地の草のにおいのするような演奏だった。しかも、いずれもその民族の誇りが漂うような高貴な演奏。時代に迎合するのではなく、美しくすがすがしい世界を作り出してくれた。私はずっと感動して聴いた。

 バスケスの「旅の印象」(2016)より第3番、第8番は日本初演、高橋悠治(会場に来ておられた!)の「冷却の音(藤井貞和の回文詩による) (2020)と渡辺裕紀子の「ソングス 」は世界初演。いずれもちょっと不思議な曲だったが、言葉と音楽の絶妙のアンサンブルが際立っていた。これらの演奏には、波多野の音程の正確なヴィブラートの少ない清澄な声が不可欠だっただろう。言葉の響きがストレートに伝わる。私には、今日歌われた言葉のうち、それなりの判別できるのは日本語のほかは英語くらいだが、イタリア語もカタルーニャ語もベトナム語も韓国語もポルトガル語もきっと正確な発音だったのだと思う。そうでなければこれほど美しく言葉が響かないはずだ。波多野がいかに言葉を大事にしているかが伝わってくる歌唱だった。

 佐藤紀雄を中心とするアンサンブル・ノマドも、10名を少し超すメンバー一人一人の技量が確かで、とても美しいアンサンブルを聞かせてくれた。音程の取りにくい楽器も混じっているはずだが、しっかりと音が合って、清澄な雰囲気を作り出す。ヨルダン・マルコフの演奏するガドゥルカという楽器の奥深い音色にも驚いた。弦楽器も凛として美しい。

 隣の席を空けて座って、全員で100名程度の客だった。こんな素晴らしい演奏をこれだけの人数しか聴けないのがもったいないと思った。

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