音楽

オペラ映像「ローエングリン」「ダナエの愛」「パルジファル」

 パソコンに向かって原稿を書き、疲れたら映画やオペラのDVDBDをみる。このところ、そのような生活をしている。これが私には一番合っている。最近購入したオペラ映像についての感想を書く。

 

044007353196


「ローエングリン」2016年 ドレスデン、ザクセン州立歌劇

 

 ティーレマン指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏。最高の演奏。近年のティーレマンの充実ぶりはすさまじい。

 エルザを歌うのはネトレプコ。私としては待ちに待ったネトレプコのエルザだ。ただ、だんだんと調子が上がってくるものの、前半は気負いすぎてちょっと不安定な感じ。とはいえ、第三幕は絶唱。ゼンタやエリーザベトやエファ、そしてできればイゾルデやジークリンデを歌ってくれないだろうか。ローエングリンを歌うピョートル・ベチャワはネトレプコ以上に役にはまっている。私はこの人の歌は実演では「ラ・ボエーム」のロドルフォを二度(一度はフリットリのミミを相手にしたメトロポリタン歌劇場の来日公演、もう一度はネトレプコがミミを歌ったザルツブルク音楽祭)聞いているし、映像では何度も聴いている。素晴らしい歌手だと思っていたが、ローエングリンまでもこれほど見事に歌うとは! 張りのある強い声。ヘルデン・テノールといえるほどの強靭さ。カウフマンやフォークトに決して劣らないと思う。

 テルラムントのトマス・コニエチュニーも素晴らしい。この役は影が薄くなりがちだが、コニエチュニーが歌うと人間味が増し、強い陰影を帯びる。そして、特筆するべきはオルトルートのエヴェリン・エヴェリン・ヘルリツィウス(もしかしてイヴリン・ハルリチアス  ハーリッチアスという発音なのか?)。何度か実演を聴いて素晴らしい歌手だとは十分に認識していたが、改めてすごさを実感した。魔女オルトルートの凄みがビンビンと伝わる。ハインリヒのゲオルク・ツェッペンフェルトも威厳のある堂々たる声と演技、素晴らしいと思う。

 そして、それにもまして圧倒的なのがオーケストラと指揮のティーレマン。言葉をなくす凄さ。濃密でダイナミックで表情豊かで力感にあふれている。とてつもない名演。ただ、演出については、とてもまとまりがよいとはいえ、特に新しい解釈は示されない。

 

 

564


シュトラウス 「ダナエの愛」2016年 ザルツブルク祝祭大劇場

 

 NHKBSで放送されたもの。演奏は見事というしかない。私はこのオペラは最初から最後までずっと同じ調子で豊穣な音楽が鳴り続けている点で苦手意識を持つのだが、さすがフランツ・ヴェルザー=メストの指揮というべきで、そのような弱点を感じさせない。精緻で知的でしかも豊穣。いや、豊穣すぎないところがいい。

 歌手はそろっている。クラッシミラ・ストヤノヴァのダナエは、声も伸びているし、声の演技も見事。そして、何よりもトマシュ・コニエチュニーのユピテルが素晴らしい。威厳のある強い声で意地悪なユピテルを見事に演じている。ゲルハルト・ジーゲルのミダスも、冴えない純朴なオタクという感じで、容姿的には恵まれないが、それはそれでとてもいい。

 演出に関しては、めったに上演されないオペラをわかりやすく、おしゃれに、そして華麗に見せてくれている。「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」と比べるとやや劣るのは間違いないと思うが、シュトラウスのオペラとしてとてもおもしろい。一度だけ東京二期会の公演を見たことがあるが、もっと上演してほしいオペラだ。

 

833


ワーグナー 「パルジファル」2012年 アムステルダム音楽劇場

 

 細身で鋭利な「パルジファル」。かつてクナッパーツブッシュ指揮のレコードでこの楽劇を繰り返し聴いた人間からすると、改めてワーグナー演奏の時代的な変化を感じる。イヴァン・フィッシャーの指揮によるコンセルトヘボウ管弦楽団はクナッパーツブッシュのようにどっしりとして重心の低い演奏をしない。繊細で幻想的。それはそれでとても素晴らしい。

 歌手たちは超一流。パルジファルを歌うクリストファー・ヴェントリス、クンドリのペトラ・ラングともに熱演。二人ともちょっと不安定なところを感じないでもないが、声は伸びているし、現在、これ以上の声を聞かせる人はそれほど多くないだろう。とりわけ、ラングの第二幕の不気味さはとても説得力がある。グルネマンツはファルク・シュトルックマン。久しぶりに見る顔だが、声の輝きは失っているものの老人らしい渋みがあってとてもいい。  ミハイル・ペトレンコの中性的で異様なクリングゾル(私の知る限り、ペトレンコはかなり荒々しくて男性的なので、これは演出によるものだろう)、むしろキリストを思わせるアレハンドロ・マルコ=ブールメスターのアンフォルタスは、ちょっと声楽的には弱さを感じたが、不満に思うほどではなかった。

 ピエール・オーディの演出は、赤や青のライト、いびつに映る鏡、異教的な衣装を使って幻想性を高めている。ティトゥレルやアンフォルタスらのキリスト教社会も、またそれに対立するクリングゾルの側の社会もともに狂信的で偏狭でいびつだ。それをパルジファルが救済する。そのようなメッセージに見える。

とてもおもろしろかった。ただ、私としては名演として感動するには至らなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京二期会「ばらの騎士」(7月29日)、素晴らしかった!!

 2017729日、東京文化会館で、東京二期会公演「ばらの騎士」をみた。一昨日(727日)に別キャストで見たばかりなので、二度目ということになる。素晴らしかった。一昨日よりもずっと良かった。

 私はとりわけ元帥夫人の林正子とオクタヴィアンの小林由佳に圧倒された。世界のトップレベルに決して引けを取らないと思う。林さんの声はヴィブラートの少ない澄んだ声。小林さんも音程のよい強い声。二人の掛け合いの部分は心が痺れた。オックス男爵の妻屋秀和とゾフィーの幸田浩子ももちろん素晴らしい。そして、二人とも演技も見事。とりわけ妻屋のオックスは、下品で滑稽なところを実にうまく描いている。ファーニナルの加賀清孝も張りのある見事な声だった。そして、私はアンニーナを歌った石井藍の深い声にとても魅力を感じた。これだけの歌手がそろえば、素晴らしい舞台になるにきまっている。東京二期会は世界最高の劇場に劣らない実力を持っていることを示してくれた。これほどのレベルの上演を一体世界のいくつの劇場ができるだろう。

 一昨日は不満に感じたヴァイグレの指揮と読売日本交響楽団もとてもよかった。ヴァイグレはしばしばオケを煽り、音楽に勢いをつけようとする。一昨日はそれが不自然で不発であるように感じたのだが、今日はオケがしっかり対応して見事な音を作りだしているのを感じた。第三幕は圧巻だった。オケが違って聞こえたのは、もしかしたら席の違いなのかもしれない。実は前回はちょっとお金を節約して3階で見た。今回は1階前方。音がまとまって聞こえた。

 第三幕はとりわけ絶品。三重唱の三人の声が見事に溶け合っていた。オーケストラも声をしっかりと支え、精妙なアンサンブルを聴かせてくれた。

 演出については、私はやはり中途半端だと考える。DVDでみたグラインドボーンの上演では、もっとグラン・ギニョールを意識した演出だったと思う。だからこそ、あのような衣装だった。東京公演では人形らしさ、グラン・ギニョールらしさはない。だから、元帥夫人の衣装があまりに不自然。結局、ふつうの演出になってしまっている。東京の観客を考えて少々手加減したのだと思うが、かえすがえすも残念。

 もう一つ感じたのは、観客のマナーがあまりよくないこと。何か理由があったのだろうか。私の左前の男女は上演中も身体を寄せ合って時折おしゃべりしていたし、前に座っていた高齢の女性はハンドバッグを何度もガサガサさせていた。右前の人はしばしば居眠り。左隣の二人組(きっと母と娘)は上演中に何度かお茶を飲み、右隣の人は大きく舟をこいで居眠り。その右隣の人はしばしば扇子でバタバタ。後ろの人は配布されたパンフレットの入ったビニール袋をいじっているために上演中もカサカサ音を立てていた(この人には幕間に袋を下に置くようにお願いした。問題なく理解していただいた)。「ばらの騎士」がポピュラーな演目になって、ふだんオペラに足を運ばない人も来ているということなのだろうか。それならそれで、めでたいことではあるが。

 ともあれ、演奏については最高だと思った。このところの東京二期会公演のレベルの高さに驚く。これからが楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二期会公演「ばらの騎士」はグラインドボーンの演出とかなり異なっていた

2017727日、東京文化会館で二期会公演「ばらの騎士」をみた。

今回のリチャード・ジョーンズによる演出は、グラインドボーンで上演されたもの。私はグラインドボーン音楽祭のDVDを見て衝撃を受け、このブログに感想を書いた覚えがある。DVDでみた演出は、表現主義的で、しかも、それ以上にグラン・ギニョール的だった。つまり、どぎつく煽情的で挑戦的な演出だった。グラン・ギニョールというのは、19世紀末から20世紀前半にパリのグラン・ギニョール劇場で演じられたたぐいの見世物劇を言う。もともとはギニョール(人間芝居)だった。ここで上演された、血なまぐさく不気味な見世物をグラン・ギニョール風という。とりわけ第三幕はまさしく不気味な人形劇の世界が展開され、マルシャリンらの登場人物も人形劇風の動きをしていた。

ところが、今回見た二期会公演では、そのような様子はなかった。第二幕の初めのゾフィーが人形のような動きをしただけだった。むしろ、かなりまともな、つまりはあまり刺激のない演出だった。グラン・ギニョール的な激しい表現がみられると期待していたので、少々残念だった。グラン・ギニョールの伝統のない日本にそのような演出をしても好まれないという判断を演出家がしたのかもしれない。

歌手についてはとても高レベルだと思った。とりわけ、私はオクタヴィアンの澤村翔子に惹かれた。あまり男っぽい演技はしていなかった(演出家に従ったのだろう)が、芯の強いきれいな、そしてよくとおる声。元帥夫人を歌う森谷真理も、容姿を含めて満足のいくものだった。ゾフィーの山口清子もとてもきれいな声で好感を持った。「ばらの騎士」の三人の女性の役を日本人がこれほどのレベルで歌えるようになったことにある種の感慨を覚えた。そのほか、オックス男爵の大塚博章、ファーニナルの清水勇磨もとても健闘していた。マリアンネの岩下晶子、ヴァルツァッキの 升島唯博、アンニーナの増田弥生もとてもよかった。

ただ、実は私が少々不満を感じたのは、セバスティアン・ヴァイグレ指揮による読売日本交響楽団だった。ヴァイグレと読響がよくないはずがないので、きっとリハーサル不足なのだろう。精妙でもなく、かといってダイナミックでもなく、ちょっとバタバタした感じで、私にはどのような音楽を作ろうとしているのか良くわからなかった。びしっと決まらないまま最後の三重唱と愛の二重唱になった。もちろん、第三幕の後半はとても美しい音楽だったが、もっともっと感動させてもらえるつもりだった。ちょっと残念。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

札幌にて、トレーケルさんとお弟子さんたちのリハーサルに驚いた

78189_0


 2017715日、札幌のザ・ルーテルホールで「ドイツリートの調べ 
駒田敏章・尾崎佑里子ジョイントコンサート」のリハーサルをのぞかせてもらった。このコンサート、なんとゲスト出演はローマン・トレーケル。出演者のお二人はトレーケルの愛弟子とのこと。尾崎さんが札幌出身ということでこの企画が生まれたらしい。

 私は1999年のバイロイト音楽祭で「ローエングリン」の伝令を歌うトレーケルさんを聴いて以来のファンだ。その後、ベルリン・シュターツオパーでのバレンボイム指揮のワーグナー10演目連続上演の際にもヴォルフラムを歌うのを聴いてますますトレーケルさんのファンになった。2014年には武蔵野市民文化会館小ホールで「白鳥の歌」を聴いて深く感動した。映像でもCDでもトレーケルさんの演奏は何枚も聴いている。

数か月前、私が武蔵野で聴いたリサイタルの感想を書いたブログの記事を札幌のコンサートで配布したいという連絡があった。私としては光栄この上ないことなので、もちろん喜んで承諾し、ちょうど学研との共同事業で札幌を訪れることになったので、リハーサルだけでも聴かせていただきたいと思ってお邪魔したのだった。

トレーケルさんと少しだけ挨拶をして、三人の歌を聴かせていただいた。少し聴いただけで驚いた。繰り返すが、大変失礼ながら、本当に驚いた。トレーケルさんが素晴らしいのはよく知っている。少し声を出すだけで現在の声楽界をリードする最高のリート歌手だということがすぐにわかる。音程のしっかりとした深い声。堂々たる声量。改めてすごさを感じた。が、今回、驚いたのは、駒田さんと尾崎さんの歌の素晴らしさだ。日本人離れしたというと、日本人声楽家に大変失礼だが、まさしく日本人離れした発声と声量。無理のない安定した歌。

 トレーケルさんが声楽家として世界最高であるだけでなく、指導者としても大変優れていることを痛感。私はトレーケルさんと尾崎さんのデュオを聴いて本当に素晴らしいと思った。シューベルトの曲が多かったが、とてもきれいに、とても楽しく、しなやかに歌っていた。駒田さんについては、以前「アリアドネ」の音楽教師を歌ったのを東京で聴いてとても感銘を受けた記憶があるが、今回も素晴らしいと思った。日本人が歌っていると、すぐにそれとわかることが多いのだが、尾崎さんと駒田さんに関してはそんなことがない。ドイツ人の歌に聞こえる。

 そして、もう一人忘れてならないのはピアノ伴奏の新堀聡子さん。三人の歌手にぴたりと寄り添って見事な音で音楽を作っている。とてもしなやかで知的で、しかも情感豊か。いやはや本当に高いレベルのコンサート。

 昨日はPMFのコンサートを聴いて札幌の音楽のレベルの高さに驚いたばかり。リハーサルだけでなく、本番のコンサートを実に聴きたかった。が、明日の午前中から仕事なので、今日中に東京に戻らなければならない。夜まで札幌でコンサートを聴いていたら、間違いなく東京に戻れなくなる。残念ながら、途中で新千歳空港に向かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

札幌でPMFウィーンの演奏を聴いた

 2017714日、札幌のKitaraホールで、PMFウィーン(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団メンバー)による演奏を聴いた。

 午前中に東京を出て、午後、札幌市内で、私が塾長を務める白藍塾が学研と共同事業で行っているクリティカル・シンキングのセミナーを行い、そこで短い講演をした。大変実りあるセミナーだった。セミナー終了後、あわててタクシーでKitaraホールに駆けつけて、小ホールでのコンサートを聴いたのだった。

 PMF.(パシフィック・ミュージック。フェスティバル)には以前から関心を持っていた。最初にこの音楽祭でのコンサートを聴いたのは10年近く前だったように思う。シュミードルのクラリネットだった。今回が二度目のPMF。今回は、私はPMFの公式ガイドブックに原稿を寄せている(「ウィーンとベルリン、それぞれの街とオーケストラ」)ためもあって、ぜひ聴きたいと思っていた。たまたま仕事と重なったので、その機会を利用した。

 演奏は、第一ヴァイオリンがライナー・キュッヒル。そのほか、第二ヴァイオリンがダニエル・フロシャウアー、ヴィオラがハンス・ペーター・オクセンホーファー、チェロがロベルト・ノージュ。そして、コントラバスがミヒャエル・ブラーデラー。曲目は、最初にハイドン:の弦楽四重奏曲ニ長調「ラルゴ」、次に弦楽五重奏版のモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、前半最後にロッシーニ:のチェロとコントラバスのための二重奏曲 ニ長調。後半にドヴォルザーク:の弦楽四重奏曲 14番。

 さすがキュッヒルのヴァイオリンがあまりに美しい。独壇場とでもいうか。ただ、キュッヒルさんには大変申し訳ないが、第一ヴァイオリンが素晴らしくて、そこにばかり耳が行ってしまって、音楽が必要以上にホモフォニックに聞こえてしまう。ハイドンとモーツァルトはもともとそういう曲ではあるとはいえ、ヴァイオリンだけが旋律を奏で、それ以外はすべて完全な伴奏に聞こえてしまう。ドヴォルザークでもそのような感じがする。致し方ないとはいえ、もう少しほかの楽器に耳が行くほうがバランスがよいのではないかと思った。

 とはいえ、もちろんあまりに素晴らしい音。そして、もちろん最高に楽しい。こんなに見事な演奏なのだからキュッヒルのヴァイオリンに耳が行ってしまうのも仕方がないとつくづく思う。

 ロッシーニの曲はたいへんおもしろかった。以前、この曲の演奏を聴いたことはあるが、ウィーンフィルのメンバーで聴くと、これはまた格別。あらためてロッシーニの魅力を存分に味わった。

 アンコールは弦楽五重奏版のヨハン・シュトラウスの「春の声」と、ハープが加わっての「観光列車」。最高に盛り上がった。楽しい演奏。

 素晴らしいホール、素晴らしい雰囲気。札幌の人にPMFが、そしてクラシック音楽が根付いているのを感じる。

 ただとてつもなく暑い!! 今日の札幌の最高気温は36度を超したという話を聞いた。札幌は涼しいかと思っていたのだが、大違い。東京よりも暑かった。中島公園を歩いて地下鉄の駅に向かったが、21時を過ぎてもまだ暑かった。もちろん、昼間に比べるとかなり過ごしやすくなっていたが、北海道にしては異常に暑い。明日も同じように暑いのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドールのホルンによるモーツァルトのホルン協奏曲全曲、素晴らしい演奏

 2017711日、武蔵野市民文化会館小ホールで、シュテファン・ドールのホルン、アカデミッシェ・アンサンブルの演奏でモーツァルトのホルン協奏曲全曲と交響曲17番と33番を聴いた。素晴らしかった。

 ドールのホルンはまさしく超絶技巧。よくもまあホルンをこれほど歯切れよく演奏できるものだ。舌を巻いた。こんなホルンを初めて聴いた(バボラークがすごいという話だが、まだ聴いたことがない)。そして、それ以上に、音楽性が素晴らしい。交響曲2曲はドールの指揮だったが、実に自然で、しかものびのびとして躍動感がある。ホルン協奏曲では、いっそうホルンが躍動する演奏。

 もちろん私は今日演奏された曲については、これまで録音を何度か聴いたくらいで実演を聴くのは初めてだと思う(もしかしたら、一、二度聴いたことがあるかもしれないが、ほとんど記憶にない)。だから演奏についてどうこう言う資格はない。が、モーツァルトの音楽の美しさ、音楽そのものの楽しさを存分に感じることができた。これこそが最高の演奏なのだと思う。

 ところで、アカデミッシェ・アンサンブルってどういう団体なのだろう。この名称に覚えはない。プログラムには演奏者一人一人の氏名が出ているが、団体についての説明がない。今回のドールの来日に合わせて臨時に日本だけで作られた団体なのだろうか。それにしてもレベルが高い。ドールの指揮に即座に反応するし、とてもきれいな音。若い人が中心のようだが、音も若々しく躍動するし、弦のアンサンブルがとてもいい。

 モーツァルトのホルン協奏曲を素晴らしい演奏で聴けて満足。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シュテファン・ザンデルリンクの指揮 最も嫌いなタイプの演奏だった

 201774日、武蔵野市民文化会館でシュテファン・ザンデルリンク指揮、ハンブルク交響楽団の演奏を聴いた。私の最も嫌いなタイプの演奏だった。このごろ、年齢のせいか私もかなり「丸く」なってあまり人をけなさなくなったが、聴いているうち、口をきわめて罵りたくなった。それほど嫌いな演奏だった。

 オーケストラについては、特に悪いとは思わなかった。私がひどいと思ったのはシュテファン・ザンデルリンクの指揮だ。先ごろ、同じ武蔵野市民文化会館でミヒャエル・ザンデルリンク指揮、ドレスデン・フィルの素晴らしい演奏を聴いたばかりだったので、その兄であるシュテファンの演奏も期待していた。だが、失望した。それどころか怒りさえ覚えた。

 曲目は前半にブラームスの交響曲第4番、後半に第1番。

 第4番の冒頭からあまりにゆっくりした演奏。歌わせているのだろう。だが、あまりにのん気で天下泰平な歌わせ方。楽し気にあっけらかんと楽天的にすべての楽器を歌わせる。楽器演奏者は気持ちよく演奏しているのだろう。だが、ずっとそんな調子なので、一本調子になる。しかも、ゆっくりしているので、私には弛緩しているように聞こえる。曲の構成を熟慮しているとは思えない。オケをコントロールしているようにも聞こえないし、視覚的にもそうは見えない。そもそもブラームスのこの交響曲特有の諦観にあふれたロマンティックな感情など少しもない。まるでクリスマスコンサートか何かのお祝いコンサートのように、メリハリもなく、ただ楽しそうに演奏する。

 しかも、意識的なのか、それともこの指揮者の癖なのか、独特のリズムを刻む。踊るようなリズムというか。それが余計に楽天的に響く。ずっとそんな調子。まったく緊張感がなく、メリハリがない。私に言わせれば、これではブラームスにならない。

 前半を聴き終わった時点でもう帰ろうかと思った。が、まあせっかくだからと後半も聴いてみた。

 第1番は第4番よりは良かった。同じような演奏だが、若々しい交響曲なので、このようなリズム、このような楽天性もそれほど気にならない。

 第1番を聴きながら思った。おそらくこの指揮者はミンコフスキーのような指揮をしたいのだろう。確かにミンコフスキーも踊るような独特のリズムを刻む。ある意味で一本調子だ。ただ、ミンコフスキーはシュテファン・ザンデルリンクとちがってきびきびと、そしてぐいぐいと音楽を進めていく。しかも、もちろん構成をしっかりと作り出す。シュテファンは音楽を推進せず、ただ全体を掌握しないで、それぞれの楽器が歌うに任せている。

 耐え難いと思った。観客は大喝采していたが、私はアンコールを待たずに帰った。もちろん、私の勝手な言い分だが、こんな演奏に喝采するべきではないと思った。

 私は武蔵野市民ではないが、この市民会館を愛している。武蔵野文化事業団の企画によってたくさんの素晴らしい演奏家を知った。たくさんの素晴らしい演奏を聴いてきた。感謝に堪えない。が、このごろのオーケストラの演奏には多少疑問を感じるものが混じっているのを感じる。以前のようにレベルの高いものばかりではなくなった気がする。先ごろ、文化会館の階層のこけら落としに演奏されたベートーヴェンの全交響曲演奏も、今回と同じようなタイプの、あまりにあっけらかんとして一本調子の演奏だった。

 二日連続の武蔵野市民文化会館(昨日は小ホールでのチェドリンスのリサイタル)。昨日は素晴らしかったが、今日はがっかり。もちろん、これもまたコンサートの楽しみではある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チェドリンス 世界のスター歌手の力量に圧倒された

201773日、武蔵野市民文化会館小ホールで、フィオレンツァ・チェドリンス ソプラノ・リサイタルを聴いた。チェドリンスはいま第一線で活躍する世界オペラ界の大スターだ。私は彼女の歌うオペラの映像は何枚も見た記憶がある。いずれも素晴らしかった。初めて実演を聞けるとあって大いに期待した。

期待通りの凄まじい歌声が「ノルマ」の最初の声から聴かれた。ホール中に響き渡る美声。しかも、一声で「ノルマ」の高貴で狂気じみた世界を作っている。観客全員を引きつけ、異界に入りこませる。容姿も美しく、メヂカラがすごい。もちろん、音程はピタリと定まり、声の細部まで見事にコントロールされ、人物になり切って歌う。まさしく現在のソプラノ界の最高のパフォーマンス。

 そのほか、「オテロ」の「柳の歌」、「運命の力」のレオノーラのアリア、「ある晴れた日に」「私の名前はミミ」など。「オーソレミオ」「カタリカタリ」なども素晴らしい。プログラム最後の「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァのアリアはとりわけ絶品だった。

このような世界の第一線の歌手の歌を聴くと、日本人の歌手の線の細さを感じざるをえない。日本人はアリアを一つの旋律線として平ぺったく歌う。発声も無理をしていることが多い。だが、チェドリンスはダイナミックレンジが広い。小さな音、大きな音によって表現を広げる。日本人の歌は観客の目の前をメロディが横に通り過ぎていく感じがするが、チェドリンスの場合、歌によってチェドリンスの魂が目の前に圧力としてぐっと近づいてきたり、遠のいたりする。メロディが観客一人一人に迫ってくる。

 ピアノ伴奏はイネッサ・フィリストヴィチという女性だが、ピアノによって世界を作りだすことはできていなかった。ピアノソロの曲も持ち味を発揮していなかった。まさしく伴奏ピアニストという存在なのだろう。ピアニストにもっと力量があったら、もっとすごい世界を作り出せたのかもしれない。

 アンコールは、カルメンのハバネラ、越谷達之助「砂山」(私は歌ったことのない曲だが、チェドリンスの求めに応じて大勢の日本人客がともに歌った)、最後にアドリアーナ・ルクヴルールのアリア。まさしく絶品。大盛り上がり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミヒャエル・ザンデルリンク+ドレスデン・フィルのショスタコーヴィチ第5番に興奮

 2017626日、武蔵野市民文化会館でミヒャエル・ザンデルリンク指揮、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いた。前半に、ウェーバーの「オイリアンテ」序曲と、フランソワ=フレデリック・ギイのピアノが加わってのベートーヴェンの「皇帝」。後半にショスタコーヴィチの交響曲第5番。素晴らしい演奏だった。

 古楽的な演奏だが、ザンデルリンクの指揮はとてつもなくスケールが大きい。実を言うと、「皇帝」はギイとかみ合わないような気がした。ギイはどちらかという叙情と知性のピアニストだと思う。もう少しこじんまりとして繊細なオーケストラのほうがぴたりとくる。第二楽章は少し不発であるような気がした。抒情が空回りする感じ。が、第三楽章になると、大きく盛り上がり、華麗になった。素晴らしかった。そして、ピアノのアンコールに「月光」の第一楽章。知的で繊細で抒情的で素晴らしい。「皇帝」でできなかった自分だけの世界をアンコールで作ってみせたかったのではないかと思った。

 後半はザンデルリンクの持ち味を存分に発揮できる曲。父親のクルトもショスタコーヴィチが得意だった。きちんと聞き比べたわけではないが、昔聞いたクルトの録音もこんな印象だったと思う。スケールが大きく、巨匠風の音楽づくり。ヴォルコフの本が出て世界のショスタコーヴィチ観が大きく変化したわけだが、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮のこの曲には、そのようなことは一切お構いなしに聞こえる。

古めかしく聞こえる音響で壮大な世界を作っていく。とはいえ、ロシア風のけたたましい金管の彷徨や狂ったような木管の叫びではなく、そこはドイツのオーケストラであるだけあって抑制されている。第二楽章の諧謔も、第三楽章の抑圧された苦しみも実に説得力がある。緊張感が途切れない。そして、第四楽章になって大きく盛り上がり、堂々たる革命賛歌になっていく。ヒステリックなまでに革命を狂喜しているかのよう。これはこれで実にすがすがしい。感動した。興奮した。

 アンコールはエルガーの「エニグマ」からの曲。興奮を冷ますようなしっとりした曲。

 とはいえ、ショスタコーヴィチの興奮を抱いたまま帰った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ANCORA主催「オテロ」 簡素ながら工夫を凝らされた舞台

千葉市の新検見川駅から少し歩いたところにある風の丘HALLで「オテロ」をみた。主催はANCORA。風の丘HALLは84席のオペラ専門の小劇場。私はこの劇場で行われる公演のレベルの高さゆえにひいきにしている。今回は、とりわけ私の尊敬する三浦安浩さんの演出。見ないわけにはいかない。

 第1幕前半は多くの歌手の音程が不安定だったが、徐々に安定してきた。オテロを歌うのは上本訓久、デズデモーナは斉藤紀子。三浦演出のオペラ常連でこれまでも素晴らしい歌唱を聴かせてくれた二人だ。美声の上に張りがあってとてもいい。イヤーゴは大野浩司。太い声で演技も見事。そのほか、私はビアンカを歌った鈴木麻由の声と容姿にも大いに惹かれた。そのほかのメンバーもとてもレベルが高い。

 もう一人、ロドヴィーゴの松山いくおの演技にも目を見張った。前回、風の丘HALLで上演された「マノン」でも、あまりに達者な演技が目立っていたが、今回もまた素晴らしかった。この人の存在なしには今回の三浦さんの演出は成り立たなかっただろう。

 シェークスピアに基づく日本語のセリフとイタリア語によるヴェルディのオペラから成る。ピアノは村上尊志。日本語字幕はなし。

登場人物は扮装せず、男性はスーツ姿。オテロに好意を抱く人々は赤のシャツ、敵意を抱く人々は黒のシャツを着ている。登場人物たちは舞台にとどまらず、客席に自由に入ってくる。いや、初めから舞台と客席が分けられていない。松山さんを中心とした人物の日本語によるセリフの部分によってイマジネーションがかきたてられて、観客はオペラの世界の中に入りこむという仕掛けになっている。日本語字幕はつかず、細かいところは何が語られているかわからないが、日本語の台詞の場面によって、大まかには理解できるように組み立てられている。簡素ながら工夫のこらされた舞台だ。

 それにしても、シェークスピアの台詞の見事なこと。改めてほれぼれとする。お金をかけられないという状況を逆手にとって新たな試みをし、しかもシェークスピアの台詞まで再発見させてくれるところはさすが三浦さん。

 ただ、私は前から2列目で見たが、左右から音楽が聞こえて、音が1つにまとまらずに困った。もう少し後方の席で聴くほうが私の好みだった。

 ともあれ、この劇場で行われるオペラ公演の質の高さを改めて認識した。もっともっとこのようなレベルの高いオペラ公演を行ってほしい。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧