音楽

NISSAY OPERA「コジ・ファン・トゥッテ」 充実の歌手陣だが、好みの上演ではなかった

20181111日、日生劇場で「コジ・ファン・トゥッテ」をみた。NISSAY OPERA2018の2日目。

演出は菅尾友。フィオルディリージとドラベッラの姉妹はグリエルモとフェランドの二人の男が従順な自分好みに作った人造人間ということらしい。だが、二人の女性は男性を裏切る。女性たちは従順を強いられる人造人間であることを拒否する。全体的にはそのような読み替えがなされる。このオペラを現代劇、あるいはSFとみなして、ロボットやコンピュータを登場させるオペラに仕立てている。

気持ちはわからないでもないし、このような演出を評価する方が大勢おられることは承知している。そして、事実、第二幕は大いに楽しんだ。だが、これは私好みの演出ではない。私はこのオペラに関しては、もっとあっけらかんとした芝居にするほうを好む。ここに深い意味を加えるとオペラが壊れてしまいそうな気がする。

が、それについては後で少しふれるとして、歌手陣はとても高いレベルだった。とりわけドラベッラの杉山由紀が素晴らしかった。音程がいいし、声に力がある。容姿的にも理想的。ドン・アルフォンソの大沼徹は余裕の歌いっぷり。相変わらず美しい声とおもしろい演技。フィオルディリージの髙橋絵理、グリエルモの岡昭宏も好演。デスピーナの腰越満美はあまりの色気に悩殺された。フェルランドの村上公太は弱音で音程が不安定なところがあったが、素晴らしい歌声に圧倒されるところもたくさんあった。全員が一昔前では考えられなかったほどの高いレベルで歌っている。

 指揮は広上淳一。メリハリのある明確でしっかりとした指揮だが、テンポの遅さが気になった。読売日本交響楽団もいつものこのオーケストラに比べて少々音の香りに欠ける気がしたが、気のせいだったのだろうか。そして、レチタティーヴォの部分のチェンバロと歌唱に溌溂さが不足していると思った。

 私はこのオペラを近代劇として上演するのにとても強い抵抗を感じている。近代劇にしたてて女性蔑視を告発したり、人間心理を描いたり、哲学的な内容を扶養しようとすると、つまらなくなると私は思うのだ。このオペラでは人物が交換可能な木偶の坊のように描かれている。人物たちが心の葛藤を歌ったとしても、それは現代的個人の真に迫った苦悩ではなく、類型的な苦悩だと思う。そして、だからこそ音楽が生き生きとしていると思う。そこに近代的人間の心理などを加えてしまうと、溌溂とした前近代的な面白みがなくなって、ありふれた心理劇になってしまいそうだ。このオペラは、妙な深読みはしないで、コメディア・デッラルテのように描いてこそ面白い。このオペラが長い間無視されてきたのも、これが近代劇全盛の時代には受け入れられなかったからではないのか。

ところが、私のように考える人は少ないと見えて、理想とする上演に出会ったことがない。どの上演もあれこれの意味を付与し、複雑な近代劇にしている。今回の上演も、演出といい演奏と言い、その最たるものに思えた。その意味で不満だった。

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竹澤恭子のバルトーク無伴奏と「クロイツェル」 集中力のある真摯な演奏が素晴らしい

2018118日、紀尾井ホールで竹澤恭子のヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏はエドアルド・ストラッビオリ。曲目は前半にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番とバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、後半にブロッホの「バール・シェム」とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」。とても良い演奏だった。

意外とふつうの演奏で始まった。が、徐々に盛り上がって、曲が終わってみると、とてもよい演奏。逆に言えば、とても構成感のある演奏というべきか。集中力があり、密度が濃く、すべての音に意味がある。音色で聴かせるのではなく、音楽の緻密な組み立てで聴かせてくれる。とりわけ、バルトークの無伴奏ソナタにそれを感じた。凄まじい集中力。遊びを少しも入れず真摯にバルトークの魂に肉薄するような演奏。しかし、一部の女性演奏家のように神がかり的、巫女的な集中力ではない。もっと客観性を持っている。全体を見渡しながら音楽を作っていることがよくわかる。バルトークの苦悩や孤独が伝わってくる。

ブロッホの「バール・シェム」は初めて聴いた。とても魅力的な曲だと思った。竹澤にふさわしい音楽と言えるのかもしれない。祈りの音楽。だが、情にかられすぎないのがいい。

「クロイツェル」も素晴らしかった。ピアノのストラッビオリがとてもいい。品格のある音。とても清潔で高貴で力強い。強い音がとりわけ美しい。第3楽章は圧巻だった。

 アンコールはマスネ―の「タイスの瞑想曲」とクライスラーの「愛の悲しみ」、そして最後にワーグナーの「アルバムの綴り」という曲。まさかワーグナーとは思わなかった。あとで掲示を見て知った。これらも真摯な演奏。アンコール曲だということで遊びを入れるのでも、「小粋」にするのでもなく、また情緒を強めるのでなく、しっかりと美しく演奏。見事。

 19時に始まって終わったのは2145分くらいになっていた。

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小泉+都響のブラームス 心の奥から盛り上がる!

 2018117日、東京芸術劇場で都響定期演奏会を聴いた。指揮は小泉和裕、曲目は前半にレイ・チェンが加わってブラームスのヴァイオリン協奏曲、後半にブラームスの交響曲第4番。素晴らしかった。

 ともかく小泉の指揮による都響がとてもいい。本当に品格ある音。アンサンブルがとても美しい。

小泉の指揮は本当に久しぶりに聴く。相変わらず、見た目にも美しい指揮ぶり。大袈裟なことは少しもしない。手の動きも派手ではない。身振りと手の動きだけで音楽を作っていく。だが、ちょっとして手の動きで音楽の表情が変わる。それがだんだんと深い音楽を作りだしていく。大向こうをうならせるようなことは少しもない。極端なこともしない。あざといところもまったくない。じっくりと、しっかりと音楽を作っていく。じわじわと盛り上がる。まさに正攻法。しかし、最後になると心の奥から盛り上がっている。

しばらくぶりにこのような演奏を聴くと本当に素晴らしいと思う。私はこのような演奏が大好きなのだ! 長い間、このタイプの指揮に「飽き」を感じて、別の指揮を求めていた自分が少し恥ずかしくなった。

 前半の協奏曲は、このような小泉の指揮にレイ・チェンの情熱的で明確なヴァイオリンが加わる。情熱的だが、形が崩れない。音も明るい。情緒的ではないが、十分にロマンティック。小泉指揮のオーケストラと相性が良いと私は思う。このオーケストラがあるからこそ、いっそうレイ・チェンが生きる。第一楽章のカデンツァはテクニックの凄みを聴かせてくれた。そして、第2楽章の叙情、第3楽章の躍動も素晴らしかった。

 交響曲は、だんだんだんだんと盛り上がって、第3楽章から終楽章にかけていカニもブラームスらしい抑制された情熱が静かに燃えたぎった。

 11月からアプリ版「ぴあ」の首都圏版で「水先案内人」としてお薦めのコンサートを紹介している。「水先案内人」デビューに当たって、最初に書いたのが、このコンサートを紹介する文章だった。あまり良くなかったらどうしようと思っていたが、素晴らしい演奏でよかった。

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「ぴあ」水先案内人のこと、そしてオペラ映像「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「サンドリヨン」「ベンヴェヌート・チェッリーニ」「ベアトリスとベネディクト」

 11月から、アプリ版「ぴあ」の首都圏のクラシック音楽担当の「水先案内人」として、月に5本くらいの私の視点からのおすすめのコンサート、オペラを紹介している。出かける際のコンサート選択の参考になるように心がけている。私の視点を守りつつ、独りよがりにならないようにしようと思っている。

 このところ、締め切りのある大きな仕事がなかったので、自分のペースで仕事を進めている。何本かのオペラ映像を見たので、簡単な感想を記す。今回見た映像はいずれも高いレベルだった。

 

2017600 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」2017年 バイロイト祝祭劇場

 何よりバリー・コスキーの演出に驚く。読み替え演出だが、驚くべき説得力を持つ。よくぞここまで!とただただ感嘆する。ものすごい才能!

 確かに、ワーグナーはザックスに自分を重ね合わせていただろう。そしてポーグナーはリスト、エファはコジマの面影がある。ヴァルターもまたワーグナーの分身だろう。そして、ベックメッサーにユダヤ人を重ね合わせていることは、反ユダヤ主義者だったワーグナー自身が語っている。ワーグナーの弟子だったユダヤ人ヘルマン・レヴィと重なる部分がある。そうしたワーグナーにまつわる人々とこのオペラの登場人物を重ね合わせて、演出家のコスキーはドイツ民族の、そしてワーグナーの心の奥にあるユダヤ人迫害、偏ったドイツの歴史への愛を描いていく。その手際があまりに見事。

第三幕はニュルンベルク裁判の場面になる。ザックス(=ワーグナー)は証人席に立たされてドイツ民族の再興を訴える。まさしく、ワーグナーが第二次大戦の精神を代表したことへの批判に対する弁明を語る。ドイツ文明の偉大さを語る。本人は必死だが、背景には嘘くさいオーケストラが偽の音をかき鳴らすばかり。それは真実として国民に伝わることはない。そう語っているようだ。

 ハンス・ザックスのミヒャエル・フォレはまさに名人芸の域に達している。かつてハンス・ホッターが稀代のザックス歌いと言われたが、フォレも引けを取らない。ヴァルターのクラウス・フローリアン・フォークトの声も相変わらず自然な美しい声。エファのアンネ・シュヴァネヴィルムス、ベックメッサーのヨハネス・マルティン・クレンツル、ポーグナーのギュンター・グロイスベックもこれ以上は考えられないほどに役柄を歌っている。

 指揮はフィリップ・ジョルダン。メリハリのある明確な音でドラマを盛り上げる。演出にぴたりと合った明晰な音楽を作っている。近年にバイロイトの大きな成果の一つだと思った。

 

906 マスネ 「サンドリヨン」 2017年 フライブルク歌劇場

 サンドリヨン役のキム=リリアン・ストレーベルと妖精のカタリナ・メルニコヴァがいい。きれいな声で音程もいいし、共感できる。ド・ラ・アルティエール夫人のアニヤ・ユングも個性的に演じて楽しい。王子のアナト・チャルニーはちょっと不安定。父親役のホアン・オロスコは音程が悪く、フランス語の発音もめちゃくちゃ。不調だったのか、それとも突然の代役か何かで準備ができていなかったのか。ファブリス・ボロンの指揮によるフライブルク・フィルハーモニー管弦楽団(指揮者もオーケストラも初めて名前を聞いた!)は、全体のオケの精度はあまり高くないが、特にミスがあって気になるというほどではなかった。

 バルバラ・ムンデルとオルガ・モッタによる演出については、私はとてもおもしろいと思った。サンドリヨンと王子をともに内向的で人見知りで、外面に惑わされずに内面を見ようと二人として相似的に描かれている。周囲がパーティで騒いでいても、サンドリヨンと王子は離れたところで静かに語り合う。二人の歌手も、(ちょっと顔の大きさは異なるが)よく似た顔立ち。

 

988 ベルリオーズ 「ベンヴェヌート・チェッリーニ」2015年 オランダ国立歌劇場

 素晴らしい上演だと思う。まずテリー・ギリアムの演出が面白い。少々下品ではあるが、猥雑なローマの社会、そしてベルリオーズの音楽を見事に舞台に載せている。実におもしろいオペラだということを改めて知った。

 歌手陣も充実している。やはりベンヴェヌートを歌うジョン・オズボーンが圧倒的。女たらしでだらしのない人間を魅力的に演じているし、声はもちろん最高。バルドゥッチのマウリツィオ・ムラーロもフィエラモスカのローラン・ナウリも芸達者で声も見事。テレーザのマリアンジェラ・シチリアは歌も演技も少々硬いが、声はきれいだし、容姿もとてもよいので、見ている分にはまったく不満はない。マーク・エルダーの指揮も実に溌溂としてドラマティック。

 

886 ベルリオーズ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」2007年 ザルツブルグ祝祭大劇場

 オランダ国立劇場のものもよかったが、その8年前のザルツブルグのこの上演はもっと素晴らしい。すべての歌手がみごと。何よりビックリなのがテレサを歌うマイヤ・コヴァレヴスカ。恥ずかしながら、私はこの歌手の名前を知らなかったが、まず「美しすぎる」容姿に驚いた。ハリウッド映画の主演女優並みの美しさではないか! 声も透明でとてもいい。この上演から10年がたっている。いろいろな役を歌えるようになっていると、とてもうれしい。

そのほか、チェッリーニ役のブルクハルト・フリッツもふてぶてしいチェッリーニをうまく歌っている。フィエラモスカのローラン・ナウリはまさしく適役。バルドッチのブリンドリー・シャラット、教皇のミハイル・ペトレンコも申し分ない。アスカーニオを歌うのはケイト・オルドリッチ。「スター・ウォーズ」のロボットのような扮装なので誰かわからなかった。これも見事。

指揮のワレリー・ゲルギエフはまさにゲルギエフ。躍動的でドラマティックで情熱にあふれる。いかにもベルリオーズ。素晴らしい。演出はフィリップ・シュテルツル。意味なく「スター・ウォーズ」風で、無理やり現代的にしている趣きがあるが、退屈しないで見られるのは間違いない。ただ、特に新しい解釈があるわけではないような気がする。とはいえ、ともあれ終わった途端に「ブラヴォー」を叫びたくなるのは間違いない。

 

313 ベルリオーズ 「トロイアの人々」2012年 ロンドン ロイヤル・オペラハウス

 あまりなじみのあるオペラではないが、これまた素晴らしい上演。すべてがそろっている。まず歌手陣がいい。ディドンのエファ=マリア・ウェストブローク、カサンドルのアンナ・カテリーナ・アントナッチ、主役格の女性の強くて美しい声がドラマを作る。ともに悲痛な状態を歌い上げるが、その力に圧倒される。二人とも容姿も含めて最高の配役だと思う。コレーブのファビオ・カピタヌッチは初めのうちこそ硬かったが、徐々に力を発揮する。エネのブライアン・イーメルも強靭で美しい声。そのほか、すべての役がオペラの登場人物そのものに見える。

 デイヴィッド・マクヴィカーによる演出は、ギリシャ時代というよりはベルリオーズの時代、すなわちほぼナポレオンの時代。近代的な武器によって世界制覇が可能になりつつあった時代の悲劇としてこのギリシャの物語を描いている。木馬が機械仕掛けの不気味なロボットのように見える。まさにそれこそが近代帝国主義の象徴なのだろう。

 アントニオ・パッパーノの指揮も躍動して激しいドラマを作り出す。しかも、自然に音楽が盛り上がるので、わざとらしさがない。

 オペラ作曲家としてのベルリオーズもなかなかのものだと遅ればせながら再認識した。

 

126 ベルリオーズ 「ベアトリスとベネディクト」2016年 グラインドボーン歌劇場

 このオペラの存在は知らなかった。初めて映像をみたが、とてもおもしろい。シェークスピアの「空騒ぎ」に基づく。ベルリオーズにこんな愛すべき喜劇があったなんて!

 ベアトリスとベネディクトは互いに相手を憎からず思いながら、それを口に出せずに意地を張って喧嘩ばかり。周囲の人間が計略を用いて二人を結びつける。ベルリオーズの音楽がなかなか軽妙。大袈裟に描くだけがベルリオーズではないと知った。ローラン・ペリーの演出がまたおもしろい。ベルリオーズの、ちょっと面白みのない部分も演出によってエスプリに富み、ユーモアにあふれた舞台になる。喜劇をシンプルにわかりやすく、しかも軽妙な動きで見せてくれる。ただ、全員がグレーの服装なのが気になる。二人が結婚を決意した時に全体が色彩的になるのかと期待してみていたが、最後まで変わらなかった。最後まで続く人間の意固地な心をグレーに表したのだろうか。

 歌手陣も全員が、歌もさることながら演技が見事。ベアトリスのステファニー・ドゥストラック、ベネディクトのポール・アップルビー、クラウディオのフィリップ・スライ、エローのゾフィー・カルトホイザーが本当に素晴らしい。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するアントネッロ・マナコルダも音が生き生きしていて文句なし。全体的に素晴らしい映像だと思う。

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 ティーレマン+ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 シューマンの交響曲3・4番 しばらく興奮が醒めなかった

 2018111日、サントリーホールでドレスデン国立歌劇場管弦楽団によるシューマン交響曲全曲演奏の2日日を聴いた。昨夜以上の名演。興奮した。

 まず第3番「ライン」。第1楽章から大きなうねりがあり、楽器の軌跡が明確で、しかも楽器の混じり具合が絶妙。一つ一つの音の強弱などにとても納得がいく。とりわけ、第4楽章と第5楽章が素晴らしかった。第4楽章でそれまでとは異なる流れをきっぱりと作って、第5楽章でスケールの大きなフィナーレに突き進む。何という音楽!

 第4番は、「ライン」以上の凄まじい演奏だった。最初から最後まで息をつかせないような緊張感とダイナミズムにあふれた演奏。寸分の隙もなく音が重層的に、しかも論理的になだれ込んでいく。第2楽章、第3楽章と進んで、まさしく一気呵成に終楽章に進んでいく。快刀乱麻というべき棒さばきなのだが、巨匠風のスケールの大きさなので、単にテキパキしているだけでなく、そこに深みが刻み込まれて、聴くものはただただ圧倒される。

私はしばしば感動に身を震わせた。おそらく、私がシューマンの交響曲で感動に身を震わせたのは、生まれて初めてだと思う。私がシューマンにこんなに感動するとは予想もしていなかった。ティーレマンおそるべし!

ある楽器が一瞬ほかの楽器よりも早く出るように感じる場面が何度かあった。ミスなのかと思った。意図的なのか、あるいは事後にティーレマンがつじつま合わせをしているのか。いずれにせよ、しばらく聴き進むうち、それが勢いとしてとても魅力的に感じられた。そうしたテクニックも含めて圧倒的だと思った。

それにしてもオーケストラが素晴らしい。何という美しい音! とりわけ木管楽器に言葉を失う。ニュアンス豊かで、切れがよく、濁りがない。アンサンブルも完璧。もちろんホルンも最高に美しい。弦楽器もしなやかで美しい。

 オーケストラにこんなに興奮したのは、昨年のウィーンフィル以来だった。世界最高峰のオーケストラを聴くと心の底から幸せになる。しばらく興奮がおさまらなかった。

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ティーレマン+ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 シューマンの交響曲1・2番 名演奏!

 20181031日、サントリーホールでドレスデン国立歌劇場管弦楽団によるシューマン交響曲全曲演奏の初日を聴いた。いやはや、とてつもない名演奏。

 予想はしていたが、予想以上にオーケストラが素晴らしい。これほどのオーケストラを聴いてしまうと、やはりふだん聴いている日本のオーケストラはまだまだだと思わざるを得ない。まず、音合わせのオーボエの音からして、まったく別次元。その後、弦が加わると、そこでまた美しさに痺れてしまう。ウィーン・フィル並み、あるいはそれ以上かも。

 シューマンの交響曲を実は私はほとんど聴かない。20歳になるころまで(つまり、1960年代から70年代初め)、名盤とされていたフランツ・コンヴィチュニー指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団のレコードを繰り返し聴いていたので、もちろん曲はよく知っているが、その後、実演は数えるほどしか聴いていない。しかも、それはほかの曲(ほとんどがベートーヴェンやブラームス)を目当てに足を運んで、ついでに聴いた場合に限られる。よく言われる通り、オーケストレーションがうまくないし、時々妙にしつこい同じ音形の繰り返しが多くて、聴いていてすっきりしないので、だんだんとシューマンから関心が離れていた。

 そのようなシューマンをティーレマンはどう指揮するか、シュターツカペレ・ドレスデンはどれほどの音を聴かせてくれるか、その興味でサントリーホールに足を運んだのだった。

 まずオーケストラの響きにびっくり。なるほどこれがシューマンの音なのだ! ロマンティックでしなやか。木管の音がニュアンスたっぷり。弦はまさに歌うようでありながら、厚みもあり、律動もある。アンサンブルはまったく乱れず、一つの生き物のように形を成して動いていく。

 ティーレマンの指揮もまたあまりに鮮やか。私はまったくの素人なので、どういう仕掛けがあるのかまったくわからないが、なぜかシューマンのオーケストレーションの不器用さを少しも感じない。しなやかに響くし、確かにブラームスなどに比べるとずっと同じ楽器がメロディを受け持っていて変化がないのは感じるが、それはそれで魅力的に聞こえる。第1番の第4楽章は感動のあまり心が震えた。

 最も苦手な第2番。これこそあまりにしつこい繰り返しに、ふだんはうんざりする曲だ。事実、第1楽章、第2楽章では、同じ音形を繰り返し、いつまでもそこから脱出できないのに少々イライラした。が、最後の楽章になると、まるでベートーヴェンの曲のように、光が見え、かつての苦悩が昇華されていくではないか。ここでも私は深く感動した。いやあ、凄い名曲ではないか!と思ったのだった。

 明日は第3番と第4番。この2曲は実演でも何度か聴いた(カラヤン+ベルリン・フィルの来日公演で第4番を聴いた記憶がある)。シューマンの中では好きな曲に入る。明日もまた楽しみだ。

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上岡敏之+新日フィルのブルックナー9番と「テ・デウム」 あざといが、素晴らしい

20181027日、サントリーホールで上岡敏之指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴いた。曲目はブルックナーの交響曲第9番、そして休憩も拍手もなしで「テ・デウム」が続けて演奏された。ブルックナー自身が、第9番が未完成の場合には、「テ・デウム」を加えて、ベートーヴェンの第9のように合唱の曲を加えるという案を示していたという。

実を言うと、私はマエストロ上指揮をこれまで常に「あざとい」と感じて白けてしまっていた。今回ももしかしたら同じように感じるかもしれないと思って出かけた。

で、結論から言うと、今回もまた「あざとい」とは何度か感じたが、それが決して嫌味には感じなかった。素晴らしいと思って何度か感動した。全体的にはとてもよい演奏だった。

オーケストラは、特に金管群が不安定だった。つっかえるところも何度かあった。アンサンブルの乱れることもしばしばあった。上岡の意図している音ではないだろうと思われるところもあった。が、素晴らしいところも多かった。あざとい部分をしっかりと音にしている点に関してはコンサートマスターの崔さんの力が大きいと思った。

第1楽章の第一ヴァイオリンの弱音の精妙な響き、第2楽章のスケルツォの身振りの大きな独特の音の動き、第3楽章の弦の重なり。まさにあざといのだが、第1楽章前半でしっかりとブルックナーの音楽を作り上げた後にそのようなあざとさが満開になったので、私としては素直に鋭くて的確な切込みとして受け取ることができた。なるほど、ブルックナーはこのような音を欲していたのかもしれないと十分に思わせるほどに表情が豊かになった。そして、スケールが大きく彫の深いブルックナーになっていった。あざとさによって全体の統一が崩れるとも感じなかった。

交響曲の後に加えられた「テ・デウム」については、やはり私は交響曲と異質であることを感じざるを得なかった。曲想が異なるし、音楽の質があまりに異なる。連続してとらえることはできないと思った。が、別の曲として聴くと、もちろんとても良い演奏だった。歌手は、山口清子(ソプラノ)、清水華澄(メゾ・ソプラノ)、与儀巧(テノール)、原田圭(バリトン)ともにとても良かった。新国立劇場合唱団も厚みがあって素晴らしかった。ただ、これもオーケストラの精度が私には不十分に聞こえた。

上岡敏之という指揮者を私は苦手にしていたが、ともあれ今日は素直に納得し、しばしば感動した。ぜひまた聴いてみたいと思った。

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ティツィアーナ・ドゥカーティの素晴らしい歌声

20181026日、紀尾井ホールでティツィアーナ・ドゥカーティ・川畠成道・山口研生のチャリティコンサートを聴いた。収益金はチャリティのために使われるとのこと。

私はティツィアーナ・ドゥカーティのソプラノを目当てに出かけた。これまで4回ほど聴いてその素晴らしい歌声に圧倒されてきた。ドゥカーティは日本在住のイタリア人ソプラノ歌手だ。これほどの名歌手が日本にいるのが信じられない。これほど素晴らしい声と表現力を持つ日本在住のソプラノ歌手はほかにいないと思う。今回も期待通りの演奏だった。

最初に「セビリアの理髪師」のロジーナが歌う「今の歌声は」。つい数日前にグルベローヴァで聴いたばかりの歌。とても良かった。透明な声で発声がよく、ホール内に響き渡る。グルベローヴァとはまったく異なる表現。ちょっと落ち着きのあるロジーナだが、それはそれで本当に素晴らしい。

そのほか、前半にはドゥカーティは「浜辺の歌」、「赤とんぼ」。もちろん美しい声、見事な表現力で抒情にあふれていたが、ちょっと日本語の聴きとりにくいところがあった。もっとイタリア語の歌を聴きたかった。

後半は、シューベルトの「アヴェ・マリア」、「フィガロの結婚」の伯爵夫人の「楽しい思い出はどこへ」、「ジャンニ・スキッキ」のラウレッタの歌う「私のお父様」。とりわけ、伯爵夫人は見事だった。気品をもって愛を失った悲しみを歌いあげていた。ラウレッタについては、ちょっと落ち着きすぎていた気がしたが、もちろん声は最高に美しい。

アンコールでは、ドゥカーティは「アドリアーナ・ルクブルール」のアリアを歌った。これも素晴らしい。抒情がはじける。

ただ、私はソプラノとヴァイオリンとピアノの組み合わせによるコンサートがしっくりこなかった。三人による演奏も何曲かあったが、無理やり三人にしているとしか思えない。プログラムも一貫性を感じなかった。それぞれが演奏したい曲を持ちよって順番に演奏した感じ。やはりコンサートの曲目には何らかのメッセージがほしい。

私の大きな不満は、もっと私のひいきのドゥカーティの演奏を聴きたかったのに聴けなかったこと。川畠成道さんのヴァイオリンによる「タイスの瞑想曲」もきれいな音だったし、エルンスト作曲の「シューベルトの『魔王』による大奇想曲や「カルメン幻想曲」では、見事な技巧を聴かせてくれたが、やはり私にはドゥカーティが圧倒的に素晴らしかった。

もっと多くの人にこの歌手の真価を知ってほしい。一度聴いたら、きっとこれほどの世界レベルの歌手が日本にいることに驚かれると思う。

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グルベローヴァは70歳を超えても凄かった!

 20181024日、ミューザ川崎シンフォニーホールでエディタ・グルベローヴァのリサイタルを聴いた。ピアノはペーター・ヴァレントヴィッチ。素晴らしかった。奇跡のソプラノだと改めて思った。

 ただ、やはり往年の輝きは薄れている。一昨年、オペラシティと川口のリリアホールでも聴いたが、その時に比べても少し輝きが弱まったと思った。最初の曲、ヘンデルの「ジューリオ・チェーザレ」の「この胸に息のある限り」は声が出ず、音程が不安定だった。グルベローヴァもついに衰えた!と思った。だが、徐々に持ち直した。だんだんと素晴らしくなってきた。

 私は、1970年代にFM放送でグルベローヴァを初めて聴いて驚嘆。1980年のウィーン国立歌劇場公演によるベーム指揮の「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタを東京文化会館で聴いて本当に心の底から感動した。私は演奏家にサインをもらうことはまずないのだが、この時ばかりは興奮してプログラムのサインをもらったのだった。そのころと比べると、やはり声が少しくぐもり、完璧な音になるまでちょっと声がうろうろする傾向がある。時に声がかすれる。が、それでも凄まじい。こんなすごいソプラノを聴いたことがない。

 リヒャルト・シュトラウスの歌曲(「春の喜び」「万霊節」「セレナード」「黄金色に」「献呈」)の表現力も素晴らしい。80年代には、声の美しさだけで聴かせていたが、今で弱音のニュアンスで聴き手を惹きつける。「万霊節」「献呈」はとりわけ素晴らしかった。前半の最後はヨハン・シュトラウス2世の「春の声」。コロラトゥーラの声を堪能できた。

 後半はいよいよグルベローヴァの独壇場。ロッシーニ「セビリアの理髪師」の「今の歌声は」、ベッリーニ「異国の女」のフィナーレ、トマ「ハムレット」のオフィリーの狂乱の場。70歳を越えていると思うのだが、美しい高音がミューザ川崎全体に響き渡る。確かに、しばしば音がつっかえた感じのするところがないでもない。しかし、圧倒的な表現力で、すぐにそれを取り返す。観客を感動に巻き込む。

アンコールはもっと素晴らしかった。とりわけ、ドリーブの「カディスの娘」、最後の「こうもり」のアデーレのアリアはあまりに凄くて涙が出てきた。観客のほとんどがスタンディングオーベーション。もちろん、私も。アデーレのアリアは、CDでもDVDでも聴いてきた。余計に思い入れがある。素晴らしかった。

これが日本での最後のリサイタルだという(一昨年も確かそのように言われていた。それなのに、昨年も来日、今年も来日。でも、今度こそ最後だろう)。かつてのグルベローヴァ自身に比べると確かに衰えているのかもしれないが、これを超える人は世界にほとんどいない。これから日本で聴けないとすると、本当に残念だ。

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アントニーニ+ムローヴァ+読響 とても良い演奏だったが・・・

 20181016日、サントリーホールで読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はジョヴァンニ・アントニーニ。曲目はハイドンの歌劇「無人島」序曲、ヴィクトリア・ムローヴァが加わってのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、後半にベートーヴェンの交響曲第2番。アントニーニは古楽の指揮者だという。そのため、読響もきわめて古楽的な演奏だった。とてもダイナミックでスリリングなよい演奏だった。

「無人島」序曲は録音も含めて初めて聴いた。なかなかおもしろい曲。ともあれ、アントニーニがかなりダイナミックな演奏をすることはわかった。そして、ヴァイオリン協奏曲。

アントニーニはムローヴァに遠慮したのかもしれない。指揮は少々中途半端だった。古楽系の指揮者にありがちな強弱の激しい疾風怒濤風の音楽で、ティンパニが小気味よく出てくる。ほかの楽器もしっかりと指揮に即している。だが、もっと強調したそうなのに一歩手前で終わっている感じ。ムローヴァはとても繊細で美しく、しかも厳しい音。時々かなりアグレッシブに音の強弱をつける。

それはそれで大変おもしろかったのだが、感動したかというと、それほどでもなかった。ムローヴァが何度か音を外したような気がしたし、かつてのムローヴァの凄みのようなものを感じることができなかった。かつてのムローヴァはもっと張り詰めた切迫感のようなものがあったのだが、そのような緊張感を少なくとも私はあまり感じることができなかった。指揮者の盛り上げ方もあまりに古楽にありがちでワンパターンに思えた。

カデンツァはオターヴィオ・ダントーネという現代作曲家のものだという。初めて聴いたと思う。ところで、ムローヴァはときどきオーケストラの第一ヴァイオリンと一緒に同じ旋律を時々弾いていた。そのような版があるのだろうか。それとも、手持ち無沙汰だから弾いたのか。ネマニャ・ラドゥロヴィチがそのようなことをしているのを見たことはある(ネマニャだったら、何をしても許される!)。あ、それからテツラフも同じようにしていたような気がしてきた。もしかしたら、最近の流行なのだろうか。

ムローヴァのアンコールはバッハのパルティータの「サラバンド」。これも同じ印象を抱いた。もちろん、とてもいい演奏。素晴らしい演奏といっていいと思う。弱音が美しく、深みを感じさせる。が、感動に震えるには至らなかった。

交響曲については、協奏曲と異なって指揮者が思うがままに振った感じがした。協奏曲よりもオーケストラはずっと刺激的でダイナミック。やはりティンパニがバシッと出てくる。おそらくほかの指揮者の場合よりもほんの一瞬早く出るのだと思う。ヴァイオリン協奏曲と同じように、やはり古楽にありがちな演奏なのだが、遠慮なしに演奏しているので、ビシビシと決まっていく。弦を強く響かせスケール大きく演奏する。とりわけ終楽章の音の重ね方がとてもダイナミックだった。

とても良い演奏だと思いながらも、ただ実を言うと深く感動したわけではなかった。確かにダイナミックで振幅の大きな演奏で、とても躍動感がある。とてもスリリングでエクサイティング。だが、古楽の指揮者だったらこのように演奏するだろうな・・・という予想通りに進んでいくという思いを拭いきれなかった。このような演奏は、これまで何度も聴いてきたような気がしたのだ。いずれにせよ、もう少しこの指揮者を聴いてみたいと思う。

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