音楽

東京二期会「魔弾の射手」 噴飯物の演出だと思った

 2018718日、東京文化会館で東京二期会公演「魔弾の射手」をみた。

 私はドイツ系のオペラは大好きだが、多くの日本人と同じようにウェーバーにはなじみがない。「魔弾の射手」も実演は一度見た覚えがあるだけ。昔、レコードでなじんだという経験もない。それを読み替えを得意とし、しかも私の嫌いな演出家の一人であるペーター・コンヴィチュニーが演出するというので、恐る恐る出かけた。

 で、やはりこのオペラを楽しむことはできず、演出については何をかいわんや! まさに噴飯物だと思った。このオペラはどうしても学芸会っぽくなるが、コンヴィチュニーが演出して、台詞を日本語でやるものだから、ますます西洋を真似た学芸会のようになる。もしかしたら、おふざけのB級ホラーのパロディにしたかったのかもしれないが、それにしても、少なくとも私はセンスを感じない。あれこれのことが起こり、きっとそれはそれでコンヴィチュニーにしてみれば意味があるのだろうが、私には悪趣味としか思えないので、ここには書かない。改めて、私はコンヴィチュニーという演出家が大嫌いだということを確認した(念のために言っておくが、私は読み替えといわれる演出家全員が嫌いというわけではなく、カタリーナ・ワーグナーやシュテファン・グートについては、素晴らしい演出家だと思っている)。

 音楽的には、アレホ・ペレスの指揮する読売日本交響楽団はなかなかの健闘。時に素晴らしい音楽を聴かせてくれた。歌手陣では、オットカールを歌う大沼徹が実力を発揮して見事。ただ出番が少ないのが残念。カスパールの清水宏樹、クーノーの米谷毅彦、マックスの片寄純也はしっかりとした声だったが、時にコントロールし切れていない個所があるのを感じた。アガーテの嘉目真木子とエンヒェンの冨平安希子はともに、とてもきれいな声で容姿も素晴らしかったが、もう少し声量がほしいと思った。

 私はまったく知らなかったが、大和悠河という宝塚のスターがザミエルの役で登場。一部から大喝采を受けていた。とてもきれいな容姿で、身のこなしに魅力を覚えたが、演出的にあまり意味があるとは思えなかった。

 私は二期会のファンで、多くの上演に感動してきたが、今回については私には受け入れられなかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ヤング+新日フィルのブルックナー第4番(1874年初稿・ノヴァーク版)に驚いた

 2018714日、すみだトリフォニーホールで、シモーネ・ヤング指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴いた。曲目は前半にヴァイオリンの木嶋真優が加わって、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番、後半にブルックナーの交響曲第4番(1874年初稿・ノヴァーク版)。

 木嶋のヴァイオリンは流麗な音。ヤングが骨格のしっかりしたオーケストラで支える。もちろんとても良いのだが、私の考えるブルッフとは少々異なっていたので、戸惑った。ヴァイオリンがまるでコルンゴルトのような洗練された官能的な音になる。それはそれでよいのかもしれないが、私個人としては、もう少しブラームスふうに渋くて構成的な演奏のほうが好みだ。

 ブルックナーの第4番のこの版は初めて聴いた。この曲の最初の版はこのようなものだったのだとは驚きだ。通常耳にする曲とはかなり異なる。第124楽章については、聴き慣れた箇所が出てくるかと思うと、すぐに覚えのない展開になっていく。第3楽章はまったく別の曲。雰囲気や構成は似ているが、テーマそのものがまったく異なる。

 演奏に関しては見事だと思う。わかりやすい棒さばきで、構成感があり、しなやかで美しい。オーケストラも厚みのあるしっかりした音を出した素晴らしい。ホルンをはじめとした金管楽器が実に堂々たる音を出していた。

 知的にはとてもおもしろく感じたが、知っている曲になったり、知らない曲になったりして、落ち着いて感動していられない。いや、それ以前に、やはり通常耳にするものこそが「本物」で、その「できそこない」を聞かされているという気にどうしてもなってしまう。事実、改訂された版のほうがずっと完成度が高いと思う。

 とはいえ、このような珍しい版を素晴らしい演奏で聴くことができたことは、とてもうれしい。とても満足だった。ヤングの指揮者としての力量も改めて思い知らされた。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

東京シティ・フィルのブルックナーのミサ曲第3番 曲の弱さを感じた

2018713日、東京オペラシティ、コンサートホールで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の定期演奏会を聴いた。曲目は前半にブラームスの「ネーニエ(悲歌)」、後半にブルックナーのミサ曲第3番。指揮は飯守泰次郎。

実はどちらの曲にもあまりなじんでいるわけではない。「ネーニエ」もミサ曲第3番も、私の記憶に間違いがなければ、実演は一度聴いたことがあるだけだ。CDでも数回しか聴いたことがない。が、これまでの少ない回数では、とても感銘深かったので、マエストロ飯守の指揮できっと感動できると思って出かけたのだった。

が、期待ほど感動することはできなかった。「ネーニエ」についてはオーケストラと合唱がちぐはぐに感じた。清澄さも哀悼も感じられなかった。結局、この曲の魅力が伝わらないまま終わってしまった。

 それに比べると、後半はオーケストラに関してはびしりと決まった。だが、聴きながら、曲そのものの弱さを感じざるをえなかった。オーケストラの扱いについては後年のブルックナーに通じる素晴らしいところがあちこちにあるが、合唱や独唱の扱いについては納得できないところが多い。独唱者(ソプラノ:橋爪ゆか、メゾ・ソプラノ:増田弥生、テノール:与儀巧、バス:清水那由太)はいずれも素晴らしかったし、藤丸崇浩の合唱指揮による東京シティ・フィル・コーアも最高に素晴らしいところが多々あるのだが、ブルックナーの作曲そのものが、独唱や合唱とオーケストラが相乗的に高まるようにできていないように感じる。演奏がというよりも、ブルックナーの曲そのものがちぐはぐに感じられる。少々退屈してしまった。

 そんなわけで、これまでマエストロ飯守のブルックナーの交響曲には常に心の底から感動してきた私もミサ曲については納得できずに終わったのだった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

オペラ映像「エジプトのモーゼ」「スペードの女王」「見えざる都市キーテジの伝説」「セミョン・コトコ」

 ここ数日、3冊重なった8月刊行の著書の校正、加筆修正に追われていた。やっと片付いた。最近見たオペラ映像の感想を簡単に記す。

 

757 ロッシーニ 「エジプトのモーゼ」2017年 ブレゲンツ音楽祭

 あまりレベルの高い上演ではない。歌唱面では、むしろかなりひどいと私は思う。見事な歌をきかせるのは、アマルテアを歌うマンディ・フレドリヒくらいで、あとはかなり不満が残る。とりわけ、オジリデのサニーボーイ・ドラドラは音程が悪くて聴くに堪えない。なぜこのようなレベルの歌手が抜擢されたのか私には理解できない。モーゼのゴラン・ユーリッチはまずまず。エンリケ・マッツォーラ指揮のウィーン交響楽団は悪くないのだが、歌手陣がこのようなレベルだとどうにもならない。

ロッテ・デ・ビールによる演出も、私は意味があるとは思えない。オペラが始まると、片隅で人形劇が行われている。舞台上でその人形劇が展開されているという設定になっている。今さら聖書のエピソードを大袈裟に舞台上で展開するには、人形劇という形にせざるを得ないということなのだろうか。

 

115 チャイコフスキー 「スペードの女王」2016年 アムステルダム、オランダ国立歌劇場

 上演全体については、きわめてレベルが高い。ブレゲンツ音楽祭の「エジプトのモーゼ」とは段違い。ヤンソンスの指揮するコンセルトヘボウは舌を巻く美しさ。雄弁で切れがよく、繊細で潤いがある。歌に関してもそろっている。ゲルマンを歌うミーシャ・ディディク、エレツキー公爵のウラディーミル・ストヤノフ、トムスキー伯爵のアレクセイ・マルコフが特にいい。リーザのスヴェトラーナ・アクショーノワはとてもきれいな声で容姿も素晴らしいのだが、音程が所々で怪しくなるのが玉に瑕。

 ただ、ヘアハイム(私はこれまでヘルハイムと表記してきたような気がする)の読み替え演出については、私はかなり抵抗を感じる。リーザに婚約を解消されるエレツキー公爵をチャイコフスキーと重ね合わせている。公爵はチャイコフスキーそっくりの格好をして、同性愛者であるがゆえに女性を愛せずに苦しむ様子を舞台上の黙役としてパントマイムで演じる。脇役や合唱団にエレツキー公爵=チャイコフスキーと同じ服装にして、このオペラ全体がチャイコフスキーの愛の苦しみにあふれていることをほのめかす。舞台上にずっとチャイコフスキーらしい人物が登場してパントマイムを続けるのが私にはあまりに煩わしいし、そもそも同性愛者チャイコフスキーをここに示すのはあまりに安易だと思う。

 また、ヘアハイムの意図があるのかどうかわからないが、ゲルマン役のミーシャ・ディディクが、セリフで示されるような神経質で顔色が悪くて陰鬱な人間というよりも、むしろふてぶてしくて頑丈に見える。そうなると、このオペラ全体が説得力をなくしてしまう気がする。音楽的には素晴らしいが、オペラ全体としてみると、私はあまり大きな感銘は受けなかった。

 

160 リムスキー=コルサコフ 「見えざる都市キーテジの伝説」2012年 アムステルダム音楽劇場

 見えない都市キーテジは、ロシアでは有名な伝説の都市(要するに、天国につながる死者の都市ということだろうか?)らしい。このオペラ映像を初めてみた。このオペラの存在そのものもDVDを購入するまで知らなかった。きれいなメロディがたくさんあるし、ストーリーはわかりやすいし、この上演は演奏もそろっている。王子フセヴォロドを歌うマクシム・アクセノフとフェヴローニャを歌うスヴェトラーナ・イグナトヴィチはともに若くて容貌もよくて、歌唱もしっかりしている。名前から見て、スラヴ系の人らしいが、とても好感が持てる。グリーシカ・クテリマ:ジョン・ダスザックも立派な声で、酔っ払いを堂々と歌っている(ただ、演出家の意図かもしれないが、演技の上ではまったく酔っ払いに見えない)。マルク・アルブレヒト指揮のオランダ・フィルハーモニー管弦楽団もとても美しい。最終幕の幕切れはとりわけ素晴らしい。

 とはいえ、私はオペラそのものに少々退屈してしまう。台本があまりに冗長。このDVDの宣伝文句に「ロシアの『パルジファル』」とあったが、神秘的で長いのは、まさに「パルジファル」ばり。ただ、「パルジファル」にはワーグナーの魂を揺り動かす深くて巨大な音楽があるが、こちらはほとんどが美しく淡々と続く。「もう少しセリフを刈り込んでほしい」と現代人としては思ってしまう。

 

482 プロコフィエフ 「セミョン・コトコ」2013年 マリインスキー第2劇場

 素晴らしいオペラだと思った。音楽はもちろん台本もおしろい。演出も演奏も素晴らしい。「三つのオレンジへの恋」や「戦争と平和」に匹敵する傑作だと思う。

 ロシア革命直後のウクライナが舞台。ボリシェヴィキ政府はドイにウクライナを明け渡してしまう。セミョンはボリシェヴィキの兵士として戦った後、ソフィアと結婚しようとした矢先、ドイツ軍の侵攻に会う。反ボリシェヴィキのツァーリ派であるソフィアの父はドイツ軍に協力して、セミョンを殺させようとする。セミョンは逃亡し、ボリシェヴィキのパルチザンとともにドイツ兵たちを撃退する。

 まるでソ連の宣伝映画のようなストーリーだが、音楽は紛れもなくプロコフィエフであり、平和なオペラとは異なって、実にドラマティックでまさに革命的。1939年の作品だというが、ユーリ・アレクサンドロフの演出はメイエルホリドの時代の革命的演出を思わせる。操車場らしい場所を中心に抽象化され、戯画化された舞台でストーリーが展開する。これこそプロコフィエフがロシア革命の芸術として期待していたものだろう。プロコフィエフの書いた短編小説集(群像社ライブラリー)も確かに同じような味わいがある。

 セミョンを歌うヴィクトル・ルツュークは、若者には見えない容姿だが、声は素晴らしい。ソフィヤのタチヤナ・パヴロフスカヤ、ソフィヤの父のゲンナジー・ベズズベンコフ、村長レメニュクのエフゲニー・ニキーチンもこれ以上ないと思えるキャストだ。ワレリー・ゲルギエフの指揮するマリインスキー歌劇場管弦楽団ももちろん圧倒的。大変感銘を受けた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エルトマンの澄みきって知的なメンデルスゾーンとモーツァルトの歌曲

201873日、紀尾井ホールでモイツァ・エルトマンのリサイタルを聴いた。

ザルツブルク音楽祭でみた「ばらの騎士」でゾフィーを歌っていたのがエルトマンだった。歌も容姿も素晴らしかった。それ以来、ずっとリサイタルをききたいと思っていた。それが実現。期待通りに素晴らしい演奏だった。ピアノ伴奏はゲッツ・ペイヤー。ピアノもぴったりと寄り添ってとても良かった。

曲目は前半にメンデルスゾーンの歌曲(「新しい恋」「二人の心が離れてしまえ」「ズライカOp.34-4」「恋する女が書いていること」「葦の歌」「ズライカOp.57-3」「歌の翼に」「初めてのすみれ」「挨拶」「花束」「春の歌」)

澄みきった清らかな声、正確な音程、知的な歌い回し。メンデルスゾーンの古典的な面をしっかりと守って、ロマンティックにしすぎることなく、的確に歌う。「ズライカOp.57-3」などのドラマティックな歌も、激しすぎないが、要所を抑えているので、退屈させることなく聴くことができる。「歌の翼に」も、ロマンティックな気持ちを抑制して、静かに、しかし憧れが徐々に強まるように歌う。本当に素晴らしい。

後半はモーツァルトの歌曲(「満足」「すみれ」「寂しい森の中で」「魔法使い」「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき」「静けさはほほえみつつ」「歓喜に寄す」「春へのあこがれ」「ラウラに寄せる夕べの想い」、最後にコンサート・アリア「さらば我が麗しの恋人~とどまれ、いとしき人よ」)。

メンデルスゾーンと基本的に同じような歌い方だが、曲調が異なるので、おのずとモーツァルトの歌になる。とてもチャーミングでありながらも気高さを感じる。そして、それ以上に私は知性を感じる。細かいところまで神経が行き届いており、時に明るく、そして時に強く歌う。モーツァルトらしい遊び心も歌いきって、見事。

ただ、CDならともかく、リサイタルで、歌曲集として連なりがあるわけではないいくつもの歌曲を次々と10曲程度ずつ歌っていくと、どうしても盛り上がりに欠けてしまう。これまで私の聴いた歌曲のリサイタルのように、一人の作曲家につき5~6曲程度にして、目先を変えるほうが盛り上がったと思う。ところが、エルトマンはあえて、そのようにしないことを選んだ。おそらく、俗受けするのではなく、じっくりと1人の作曲家を味わって歌おうとしたのだろう。気持ちはよくわかるが、私としては、せっかくこれほど素晴らしい演奏なのに、どうしても曲想が一本調子になってしまうのをやはり残念に思った。

とはいえ、本当に素晴らしい演奏。アンコールはメンデルスゾーンの「夜の歌」。最後にもう一曲歌われたが、知らない曲だった。

NHKが収録していたので、そのうち放映されるのだろう。エルトマンは現代のリート界を代表する名歌手だと思う。これからももっと聴きたいものだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

オペラ映像「ノルマ」「アデルソンとサルヴィーニ」「椿姫」「ドン・カルロ」

 少し時間ができたので、DVDやBDのオペラ映像を数本みた。簡単に感想を書く。

 

564 ベッリーニ 「ノルマ」2016年 ロンドン、コヴェント・ガーデン

ノルマのソーニャ・ヨンチェヴァとアダルジーザのソニア・ガナッシはもちろんとても素晴らしい。が、そのほかの歌手たちはまずまず。ポリオーネのジョセフ・カレヤはあまりに不安定。音程がよくない。彼が歌うたびにげんなりして聴いていられなくなった(カーテンコールで大喝采を受けているのが信じられない)。

 指揮はアントニオ・パッパーノ。メリハリがあって生き生きとしていて、とてもいい。アレックス・オレの演出は、20世紀に舞台を移し、ノルマは十字架のペンダントをかけ。十字架の前で祈り、百を超えるような舞台いっぱいのイエス磔刑像を前にして銃殺される。ノルマが殉教者になっている。ノルマは異教の女のはずなのに、なぜキリスト教徒に変えてしまったのか、私には納得できない。

 

094 ベッリーニ 「アデルソンとサルヴィーニ」 2016年 イェージ、ペルゴレージ劇場

 ベッリーニの珍しいオペラなので、一度見たいと思ってDVDを購入したが、正直言って、あまりレベルの高い上演ではない。歌手陣はおそらく全員が若手だと思う。出てくる歌手出てくる歌手、音程が怪しく、歌唱そのものもぎこちない。そのなかでは、アデルソンを歌うロディオン・ポゴソフがしっかりしているといえそう。ホセ・ミゲル・ペレス・シエッラの指揮するオーケストラも情けない音を時々出している。私は途中で聴くのがつらくなってきた。ロベルト・レッキアの演出も背景に写真を写しただけに見える。

 アリアとセリフでつないだオペラ。だが、このような演奏では、良い曲なのかどうか判断できない。

 

884 ヴェルディ 「椿姫」 2011年 エクサンプロヴァンス音楽祭

 全盛期を過ぎているのかもしれないが、ヴィオレッタを歌うナタリー・デセイはやはり素晴らしい。少しだけ声のカスレが気になるものの、高音の美しさに酔いしれる。ジャン=フランソワ・シヴァディエによる演出で舞台を現代に移されているが、デセイはうぶな若者に心を奪われるちょっと年増の娼婦をリアルに演じている。名歌手は役者としても超一流であることを痛感する。アルフレードのチャールズ・カストロノーヴォはなかなかの「イケメン」なのだが、少し癖のある歌い方。デセイと歌うと聴き劣りするのはやむを得ないが、しっかりと歌っている。ジェルモンのルドヴィク・テジエはとても風格がある。アクセントの強いルイ・ラングレの指揮に、このドラマを過去の美しくも悲しい物語としてではなく、現代の女のリアルな悲劇として描く。私としては好きな演奏ではないが、最終幕ではこのような音楽も説得力を持つ。ヴィオレッタに悲惨な最期に暗澹たる気持ちになった。

 

535 ヴェルディ 「ドン・カルロ」(イタリア語5幕版)2013年 ザルツブルク祝祭大劇場

 今回見たほかのDVDとはまったくもってレベルが異なる。大スターたちの競演による最高レベルの「ドン・カルロ」。ウィーンフィルの音の凄さを改めて感じる。厚みがあり、しかも透明で、ダイナミックで繊細。素晴らしい上演だ。

 ドン・カルロのヨナス・カウフマンは張りのある深い声。エリザベッタのアニヤ・ハルテロスは最高の美声。この主役二人だけでも圧倒的なのに、エボリ公女のエカテリーナ・セメンチュクも強い声で見事。ロドリーゴを歌うトーマス・ハンプソンは、音楽的にはむらがあって全盛期を過ぎているのを感じるが、役を歌うと、この人以上のロドリーゴは存在しないのではないかと思えてしまうほどの説得力。同性愛的な要素も見せ、またもっと様々な豊穣も見せて演技に余裕がある。大審問官のエリック・ハルフヴァーソンも、この狂信的で凄みのある役をふてぶてしく演じている。

フィリッポ2世のマッティ・サルミネン、修道僧とカルロス5世を歌うロバート・ロイド。ともにかつての大スターだが、いまだ健在。この時点で二人とも70歳前後のはず。かつての声の輝きはないが、風格と存在感は圧倒的。

 アントニオ・パッパーノの指揮は、ドラマティックで切れがいい。ただ、私の趣味としては、第三幕以降はもっと凄みをきかせて戦慄するような音楽にしてほしいのだが、パッパーノは最後まで重くしないことを選択したようだ。演出はペーター・シュタイン。わかりやすくて美しい。特に個性的な解釈はなされていないようだ。

 いずれにせよ、これほどの大歌手たちがパッパーノ指揮のウィーンフィルで歌えば、そりゃこれほどすごくなるのは当たり前だよな・・・と思った。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

プレトニョフ+ロシア・ナショナル管弦楽団「イオランタ」 充実の歌手陣による見事な演奏

 2018612日、サントリーホールでミハイル・プレトニョフの指揮によるロシア・ナショナル管弦楽団のコンサートを聴いた。2018ロシア年&ロシア文化フェスティバルオープニングとのことで、最初にロシア、日本ぞれぞれの組織委員長(日本側は高村正彦自民党副総裁)の挨拶があった。

その後、演奏が始まり、まずは木嶋真優のヴァイオリンが加わって、チャイコフスキーの「セレナード・メランコリック」。オーケストラとしては、まずは小手調べといったところ。ヴァイオリンはとてもきれいな音だったが、まったくメランコリックという雰囲気ではなかった。どう捉えればよいのかわからないまま終わってしまった。

休憩後、「イオランタ」全曲の演奏会形式。これは素晴らしかった。

まず歌手陣が充実している。とびっきり素晴らしかったのが、イオランタを歌ったアナスタシア・モスクヴィナ。音程のよい美声がビンビンと響き渡る。歌い回しも見事。とても良い歌手だと思う。そのほか、ヴォテモン伯爵のイリヤ・セリヴァノフも端正な美声が見事だった。また、ムーア人医師役のヴィタリ・ユシュマノフも、金髪のいかにもロシア人風の男性だったが、太い声でこの役を歌ってとても良かった。

日本人の歌手陣もまったく引けを取らなかった。私はとりわけロベルト侯爵役の大西宇宙に驚いた。主役格としてまったく堂々たるもの。音程のよい美声だった。音量的には少しだけロシア人歌手よりは劣ったかもしれないが、素晴らしい。そのほか、ルネ王の平野和、アルメリックの高橋淳、マルタの山下牧子もそれぞれの訳を見事に聴かせてくれた。ベルトランのジョン・ハオ、ブリギッタの鷲尾麻衣、ラウラの田村由貴絵、そして新国立劇場合唱団もよかった。

ロシア・ナショナル管弦楽団はプレトニョフの創設したオーケストラとのこと。とてもいいオーケストラだ。ロシアのオーケストラらしく実にパワフル。金管の馬力はもちろん、弦楽器の音の強さはすさまじいし、木管(とりわけクラリネットがとても美しかった)もとてもしっかりした音を出す。イオランタの目が治ってからの光の賛歌。神への祈りの部分の響きは圧倒的だった。プレトニョフの指揮も実に手際がいい。

ただ、私の好きなタイプの「イオランタ」だったかというと、ちょっと違った。これは私の単なる個人的な思い入れだと思うのだが、「エフゲニー・オネーギン」や「イオランタ」はこじんまりと陰鬱に演奏してほしい。朗々と派手に大声で歌うのではなく、内省的に室内楽的に演奏してほしい。やるせない思いが静かに盛り上がっていくような演奏が、私の好みだ。「イオランタ」はとりわけ、盲目の王女を題材にした一幕ものの短いおとぎ話なのだから、大人のオペラにしないでほしい。ところが、実に堂々たるオペラになっていた。もちろん、それはそれでよいのだが・・・。

私は「イオランタ」を見るごとに思う。このオペラでは、ムーア人の医師(おそらくイスラム教徒)が、精神と肉体の二元論の解消を唱え、精神と肉体は結びついていること、そして、個人の意思によって肉体をコントロールできることを教えるという筋立てになっている。これは歴史的にどのような思想の変化を意味しているのだろうか。このような思想は本当にイスラム教に基づいているのだろうか。そのうち、時間ができたら考えてみたいテーマの一つだ。

ともあれ、大変満足できるコンサートだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ANCORA第5回公演ナイトメア・オブ MACBETH 生と死、虚と実の入り混じる不思議な世界

2018611日、角筈区民ホールでANCORA5回公演ナイトメア・オブ MACBETH をみた。鬼才演出家・三浦安浩の脚色・台本による「マクベス」だ。音楽監督・ピアノは村上尊志。大変レベルの高い上演だった。とても楽しんだ。

ヴェルディの「マクベス」がピアノ伴奏版で上演されるだけでなく、それに現代のドラマが加わっている。嵐の夜、ある山小屋に立ち寄った数人が不思議な小冊子を見つける。そこには「マクベス」のセリフが書かれている。それをみんなで読んでいくうち、現実と非現実が入り混じり、映画「バイオハザード」のような生と死が入り混じった世界が展開する。それが「マクベス」と交差していく・・・という趣向になっている。

主役のふたりの歌手は素晴らしかった。マクベスの清水良一は見事な声。ただお顔が温和な感じがするので、マクベスを演じるのにかなり苦労されている様子がうかがえた。しかし、声量といい声の美しさといいまさしく見事。マクベス夫人の斉藤紀子もまた強い声で見事に歌った。マクベス夫人になり切るためのメヂカラもすごい。高音もとても良かった。

そのほか、バンクォーの山田大智、マクダフの青柳素晴、マルコムの野村京右もとても魅力的な要素を持つ。そして、特筆するべきは、魔女たちのアンサンブルだろう。全員が素晴らしかった。そのほか、端役の一人一人まで、主役格の人たちと変わらない見事な歌唱だった、実にレベルの高い上演。この団体の実力と努力がよくわかる。

舞台上での全員の合唱の場面など、息がぴたりと合っていた。音も、私のわかる限りでは、大きな音程の揺れもなく見事だった。私は確かめなかったのだが、歌手たちのきっかけを示す指揮がどこかでなされていたのだろうか。指揮棒がどこにも見えないのに、歌手全員がぴたりと合うのに驚いた。

ただ、小さな劇場で聴くと、やはり歌手たちのちょっとした音程の不安定さ、そして、イタリア語の発音の不自然さ(いかにもカタカナ・イタリア語だとわかる気がする)を感じてしまう。そのあたりが日本の若手歌手たちの大きな課題かもしれない。

しかし、それにしても三浦マジック。一つの政権が純粋な意味で成り立っても、すぐにそれは権力闘争になり、人の心に闇と愛が棲みついていること、それが権力者だけでなく現代の一般人にもいえることを示して見せる。

・・・とはいえ、実は私はもともとイタリアオペラには弱く、ヴェルディの「マクベス」についても一度、ザルツブルク音楽祭(ムーティ指揮、ネトレプコ出演)で見たことがあり、DVD1枚持っている程度。内容を知悉しているわけではない。しかも、人間の顔の識別能力に難があるためもあって、イタリア語によるオペラの部分も日本語による現代劇の部分も、だれがどの役を行っているのか十分に理解しないまま見ていた。最後にはともあれ、「ああ、楽しかった。不思議な世界に入り込んだ!」という思いを作り出すところはさすがだが、細かいしぐさなど不明なところがたくさんあった。

もう一度見てみたいところなのだが、残念ながら、今日、明日ととても忙しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ムローヴァのメンデルスゾーン 感動はもたらされなかった

2018610日、武蔵野市民文化会館大ホールでえヴィクトリア・ムローヴァのヴァイオリン、デイヴィッド・グレイルザマーの指揮、ジュネーヴ・カメラータの演奏を聴いた。

私の好きなヴァイオリニストの1人であるムローヴァのメンデルスゾーンを聴けると思って期待して出かけたが、一言で言ってかなり期待外れだった。

 曲目は、最初にチャールズ・アイヴスの「答えのない質問」、次に、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、後半にケレン作曲「ガーシュインの主題による変奏曲」、そして、ベートーヴェンの交響曲第8番。

 ウェルザー=メスト指揮、クリーヴランド管弦楽団のベートーヴェン・チクルスを聴いた直後だったせいもあるかもしれないが、まず、オーケストラの音に大いに不満を抱いた。比べるほうが悪いとは思うのだが、それにしても、縦の線が合わないし、音程もあまりよくない。汚い音が混じることがある。とても上手な奏者が何人もいるのだが、アンサンブルとなると、うまく合わない。古楽的な奏法を取り入れているのだと思うが、それがマイナスになっている気がする。メンバーは全員がかなり若そう。まだまだこれからのオーケストラなのだろう。

 指揮についてはオーケストラ以上に問題を感じた。一本調子で、拍子に強いアクセントをつける。そのため、メロディが流れないし、ガサガサした感じになってしまう。あまりに落ち着きがないし、だからといって推進力があるわけでもない。現代曲もメンデルスゾーンもベートーヴェンも同じような雰囲気だった。かなり若そうな指揮者だ。ほとんど実績がないのではなかろうか。

 肝心のムローヴァだが、もちろん、オーケストラに比べると圧倒的に素晴らしい。が、なぜかこれまで何度か聴いた時のような透徹した音楽性を感じなかった。無用なものをそぎ取って、そこに残る清潔さのようなものが現れなかった。つまり、ふつうのヴァイオリニストのような音だった。もちろん、悪い演奏ではないのだが、私はもっと研ぎ澄まされた迫力のあるメンデルスゾーンが聴けるものと思っていたのだった。とはいえ、この指揮とオーケストラだったら、ヴァイオリンだけ名演奏するのも難しいだろう。

 ヴァイオリンのアンコールとしてミーシャ・ムローヴ・アバドの「ブラジル」が演奏された。未知の作曲家の未知の曲。なんだかよくわからなかった。

  そんなこんなで、期待していた感動を得ることができずに、雨の中を帰った。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ウェルザー=メスト+クリーヴランド管の第九 凄まじい名演奏!

201867日、サントリーホールで、フランツ・ウェルザー=メスト指揮、クリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェン全交響曲演奏の最終日を聴いた。最高の演奏だった。私はまだ興奮している。少なくとも、今年のこれまでのコンサートでは圧倒的にベストワン。私の人生の中でも最高の演奏の一つだと思う。

最初に弦楽オーケストラのための大フーガが演奏された。このオーケストラの弦楽器の素晴らしさを十分に示す演奏だったが、ただ私としては、「大フーガ」は弦楽四重奏版のほうがよいと思った。

休憩後の交響曲第9番については、私はただただ圧倒されるばかりだった。第1楽章冒頭からして、凄まじい集中力。やや速めのテンポで、矢継ぎ早に音が重なっていく印象だが、推進力があって、緊迫感にあふれ、劇的な感情が深まる。小手先の激しさではなく、心の奥底にある思想が音として宇宙に広がっていくのを感じる。第2楽章もすさまじい躍動。だが、しっかりと理性的にコントロールされている。そして、第3楽章。それにしてもオーケストラの音が圧倒的に素晴らしい。木管楽器の美しさのほれぼれする。何と美しい演奏だろう。第1楽章から第3楽章まで、まさしく完璧。私はしばしば感動に身を震わせた。何度か感動の涙が出てきた。

4楽章。歌手はラウラ・アイキン(ソプラノ)、ジェニファー・ジョンストン(メゾソプラノ)、ノルベルト・エルンスト(テノール)、ダション・バートン(バス・バリトン)、合唱は新国立劇場合唱団。ソリストたち全員素晴らしいが、四人のアンサンブルが甘いにように思えた。が、三澤洋史が指揮による新国立合唱団がみごとなので、ソリストのちょっとした瑕疵はまったく気にならなくなった。最後は最高度に高揚。ただ、高揚はするが、ディオニュソス的なおどろおどろしい高揚ではなく、きわめて理性的でアポロ的な高揚。これぞウェルザー=メストとクリーヴランド管の持ち味だろう。これほど完成度の高い第九はこれまで聴いたことがないような気がした。

終了後、多くの人が立ち上がっての「スタンディング・オーベーション」。私も立ち上がった。興奮した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧