音楽

園田&神奈川フィル 「羊飼いの王様」 ちょっと退屈だったが、素晴らしい演奏!

 2025118日、藤沢市民会館大ホールで、モーツァルトのオペラ「羊飼いの王様」(演奏会形式)を聴いた。藤沢市民オペラ連携事業とのこと。藤沢市民オペラは、かつて「セミラーミデ」(演奏会形式)を聴いて驚嘆したことがあったので、今回も期待して出かけた。期待にたがわぬ演奏だった。

「羊飼いの王様」はモーツァルト19歳のころの作品だという。部分的には聴いたことがあるかもしれないが、本格的に聴くの初めてだった。ひとことでいって、モーツァルトという大天才の凄まじい才能に驚きはするものの、やはり後年のオペラに比べると、かなり退屈だった。

 それぞれの歌はきれいな旋律にあふれているが、すべてのアリアや二重唱が同じような雰囲気、一つのアリアも同じような内容を繰り返し歌うばかりで展開が甘い。歌の連続でドラマティックな展開がない。

 とはいえ、演奏は見事としか言いようがない。管弦楽は神奈川フィルハーモニー管弦楽団、指揮は園田隆一郎。藤沢市民オペラだというので、市民による合唱が入るのかと思っていたが、合唱はなし。プロ中のプロの人たちによる演奏だった。

 躍動感のある切れの良い演奏だった。歌手陣も最高度に充実していた。アレッサンドロ大王の小堀勇介は輝かしい美声で音の処理も見事。アミンタの砂川涼子は澄んだ声で力感もある。エリーザの森麻季は清澄にしてリリック。タミーリの中山美紀とアジェーノレの西山詩苑も、ちょっと地味な歌が多いが、素晴らしい歌唱だった。このところの日本人歌手のレベルの高さには驚かされる。世界の一流劇場で通用する歌手陣だと思った。

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ヴィジョン弦楽四重奏団 ノリノリの弦楽四重奏団だった!

 2025114日、横浜市鶴見区民文化センター、サルビアホールで、ヴィジョン弦楽四重奏団の演奏を聴いた。曲目はウェーベルンの弦楽四重奏のための緩徐楽章とブラームスの弦楽四重奏曲第1番、後半にグリーグの弦楽四重奏曲作品27。サルビアホールは105席のまさに贅沢な空間。

 この四重奏団を聴くのは初めてだったと思う。2012年結成とのこと。4人ともドイツ人男性だと思うが、全員が黒髪で黒づくめの服装。奏でる音楽もかなり特異だと思った。

 一言でいえば、高校生の部活のノリとでも言うか。4人ともかなり音圧が強い。そして、とてつもなく上手で、歯止めがないほどにノリまくる。ただ、4人ともまさに「仲間」なので、同じ表現をする。弦楽四重奏で同じような音色なのはとても良いことだと思うのだが、音色だけでなく、同じノリで弾きまくるので、ちょっと単調になる。ロマンティックな楽想の後にアクセントが強く、音圧の強い音で激しく弾く、そんな表現が繰り返される。

 そして、舞踊的な箇所になると、いっそうノリノリになる。クラシック音楽っぽくないノリとでもいうか。それはそれで楽しいのだが、ちょっとガサツな気がする。

 当初の発表では、前半にグリーグ、後半にブラームスが予定されていたが、後半にグリーグに変更された。きっとグリーグの弦楽四重奏曲の第3楽章、第4楽章の民族舞踊的な音楽を最後に演奏したかったのだろう。ノリの音楽!

 こんな四重奏団があっていいし、このような演奏を好む人も大勢いるだろう。が、私はちょっと苦手だなあと思った。先に述べたが、やはりどうしても同じタイプのノリが続く。舞踊的な部分は確かに素晴らしいが、もっとロマンティックだったり、やるせなかったり、英雄的であったり、官能的であったりする部分がブラームスにもグリーグにも、いや初期のウェーベルンにもあるはずなのに、それがうまくいかされない。

 アンコールは、ヴィジョン弦楽四重奏団作曲の「スペクトラム」より「サンバ」とのこと。最初から最後までピチカートのサンバ。舞踊を得意にしていることがよくわかる。よくこれほど鮮明でリズミカルな音をヴァイオリンやヴィオラやチェロで出せるものだと感心するような見事な音でまさにノリノリの音楽を聴かせてくれた。これはこういう曲だと思うので、私はこの曲がいちばん楽しめた。

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オペラ映像「フィガロの結婚」「ホフマン物語」「白痴」

 修理に出していたPCがやっと戻って来て、私の書斎での作業も通常に戻った。電源がつかない、消えないだけのことなので安価ですぐに直ると思ったのだが、1週間ほどかかって費用も6万円弱。データは消えなかったのでありがたいと思うべきなのだろう。ただ、どういうわけか、デスクトップのいくつかの表示が以前と異なっており、新たに入れなおさなければならないソフトもあった。いやはや、PCは摩訶不思議な世界だ!

 いくつかオペラ映像をみたので、簡単に感想を記す。

 

モーツァルト 「フィガロの結婚」 20233月 ウィーン国立歌劇場

 先日(2025109日)、ウィーン国立歌劇場の来日公演で見たのと同じバリー・コスキーの演出。歌手陣も何人か重なっている。指揮はフィリップ・ジョルダンで、私が実演で聴いたド・ビリーよりもドラマティックでアクティブな演奏をする。時々、かなりドスがきいているというか、激しい表現も交える。どちらもいいが、私はこのジョルダンのほうが好みだ。

 歌手陣は日本公演以上の充実ぶりといえそうだ。全員が最高度に素晴らしい。とりわけ、アルマヴィーヴァ伯爵のアンドレ・シュエンと伯爵夫人のハンナ=エリーザベト・ミュラーが圧倒的。シュエンは強い音で傲慢な伯爵を見事に歌う。ミュラーは気品ある声でけなげな夫人を歌う。スザンナの演技はイン・ファンだが、声が出なくなったとのことで、オーケストラの横でマリア・ナザーロヴァが歌う。色気のある素晴らしい美声。それにしてもプロはすごい! 実演では声の方向で気づくのかもしれないが、映像を見る限り、演技と声が別の人だとはまず思えない。あれほどの動きの中でぴたりと重唱を含めて歌うなんて神業としか思えない。

 フィガロのペーター・ケルナー、ケルビーノのパトリツィア・ノルツ、マルチェリーナのステファニー=ハウツィール、バルトロのシュテファン・ツェルニ、いずれもこれ以上は考えられないほどの見事な歌唱。

 もちろん、実演のほうに大いに感動したが、きっと客観的に考えて、私の見た実演よりもこの収録された上演のほうがレベルが高かったといえそうだ。

 

オッフェンバック 「ホフマン物語」  20248月 ザルツブルク、祝祭大劇場

 バンジャマン・ベルナイムがホフマンを歌っている。この歌手の名前はどこかで聞き覚えはあったが、きちんとは認識していなかった。今回のホフマンを聴いてびっくり! ものすごい歌手だ! 高貴な美声で自在に歌う。自然でのびやか、しかもホフマンにふさわしい人間味。少なくともホフマン役にこれ以上の人がいるとは考えられない。

 ステラ、オランピア、アントニア、ジュリエッタのすべての役を歌うキャスリーン・リーウェックにも驚嘆する。もちろんこれまでにもすべてを一人で歌う歌手はいたが、これほど完成度の高かった歌手は稀だろう。ニクラウスやミューズを歌うケイト・リンジーはさすがの歌唱。ズボン役として男っぽくもあり、同時にきわめて色気があって、演技についても見事。リンドルフなどを歌うクリスチャン・ヴァン・ホーンも品位ある悪役がとてもいい。端役も含めて最高度に充実している。

 マルク・ミンコフスキの指揮するウィーン・フィルは、音色の美しさはもちろんのこと、躍動感があり、ドラマティックでもある。演出はマリアム・クレマン。どうやら、ホフマンをスター女優であるステラとの契約をとろうとする映画製作者(?)に見立てているようで、あれこれのパントマイムがなされるが、私はうんざりしてあまり熱心に見なかった。この頃、私は奇をてらう演出については、時間と労力の無駄だと考えて、あまり深く考えないようになった。よくない傾向だと思うが、やむをえない。

 

ヴァインベルグ 「白痴」20248月 ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ

 ドストエフスキーの「白痴」をヴァインベルグがオペラ化したもの。ヴァインベルグにこんなオペラがあることを知らなかった。ただ、ひとことで言って、やはりドストエフスキーの複雑な長編をオペラにするのは無理があると思った。ムイシュキン、ロゴージン、ナスターシャ・フィリッポヴナというクセの強い登場人物を描き切れていない。この三人がドストエフスキーの登場人物の特性を持っていない。とりわけ、ナスターシャが薄っぺらで、単にエクセントリックなだけの女性になってしまっている。要するに、私はこのオペラにドストエフスキーの魅力をまったく感じなかった。

 ただ、そんなものだと割り切ってしまって、ショスタコーヴィチのオペラと同じようなものだと考えれば、オペラとしての魅力にあふれ、音楽はとても魅力的、演奏もとてもいい。ムイシュキンのボグダン・ヴォルコフ、ロゴージンのウラジスラフ・スリムスキー、ナスターシャのアウシュリーネ・ストゥンディーテ、アグラーヤのクセニア・プスカシュ・トーマスなど、いずれもしっかりと歌っている。指揮をするのは、グラジニーテ=ティーラというかなり若い女性。切れが良いし、オーケストラのコントロールも見事だと思う。

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ドーリック弦楽四重奏団 すさまじいヤナーチェク!

 20251029日、横浜市鶴見区民文化センターサルビアホールで、ドーリック弦楽四重奏団の演奏を聴いた。曲目は前半にメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番 とヤナーチェクの弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」、後半にブリテンの弦楽四重奏曲第3番。以前、この弦楽四重奏団を聴いてとても興味深く感じた記憶がある。今回は、客席が100前後の贅沢な空間を味わえるサルビアホールで聴いた。ただし、今回は以前とはかなりメンバーが変わっているらしい(今回は、マイア・カペザ、イン・シュー 、エマ・ヴェルニク、ジョン・マイヤースコー )

 メンデルゾーンについては、私は大いに疑問を抱いた。かなり大きな緩急をつけ、表情の味付けもかなり濃い。すべての音があまりに濃厚。過剰にロマンティックで起伏の激しいメンデルスゾーンになっている。小気味よいほどだが、こうなるとメンデルスゾーンの古典主義的な要素が消し飛んで、形式感が失われてしまう。もっとさっそうと演奏する中で、しみじみとした悲哀があってこそメンデルスゾーンだと思う。

 このような演奏タイプは次の曲目であるヤナーチェクにはうってつけだった。これはすごい演奏だった。研ぎ澄まされた濃厚な音で激しくうずく。まさに生命の疼きの音楽! 表情の変化もぴたりと決まり、聴く者の心の疼きと同調する。不快な不協和音がきりきりと私の魂を刺激する。私の中の煩悩がのたうち回る感じがする。なるほど、これが冷え切った仲の老妻を顧みず、27歳年下の人妻に欲望を燃やしたヤナーチェクの心の内だったのだろう。圧倒された。

 後半のブリテンについても同じようなタイプの演奏だった。私はこの曲を初めて聴いたと思う。とてもいい曲だと思った。死の直前に作曲された曲だという。そう思って聞くせいかもしれないが、ある種の諦観があり、研ぎ澄まされた感覚があるように思えた。ただ未熟者である私は、初めて聞いてもなんだか判断できない。

 演奏について気になったのは、これもメンデルスゾーンやヤナーチェクと同じような雰囲気の演奏になっていたことだ。メリハリが強く、緩急をつけて大きな味付けをしてロマンティックに演奏する。ブリテンの曲そのものがこうなのか、それともこの団体の味付けがこうなのか、私としては判断がつかなかった。

 アンコールはハイドンの作品64-3だとのこと。これはあまりメリハリのないしっとりした演奏だった。

 ともあれ、ヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」については間違いなくとびっきりの名演奏だった。満足した。

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オペラ映像「ローエングリン」「タンクレディ」「スペインの時」「子どもと魔法」

 朝晩、寒くなってきた。私はそこそこ平穏に暮らしているが、一昨日はパソコンがスリープ状態から目覚めなくなって焦った。電源を押してもオフにならないので再起動もできない。修理に出した。さて復活できるのか。いくらかかるのか? 現在、業者の返事を待っている。ともあれ、以前持ち運び用として使っていた小型のノートパソコンを探し出してきて、何とかしのいでいる。

 そんな中、何本かオペラ映像を見たので、簡単な感想を記す。

 

ワーグナー 「ローエングリン」 202455日 ウィーン国立歌劇場

 ティーレマンの指揮によるウィーン国立歌劇場の上演なので、もちろん音楽的にはきわめて充実。が、またしても、ヨッシ・ヴィーラーとセルジオ・モラビトによる演出に問題がある。

 これまで、「実はローエングリンは英雄でもなんでもない男権主義の弱虫だった」「ローエングリンは二人いた」などの演出をみたことがあるので、そのうちこのような演出が出てくるだろうとは思っていた。だから、ある意味であまり独創的ではないと私は思う。むしろ陳腐。

 一言で言って、どうやらエルザは本当に弟を殺していたということらしい。エルザは無垢の人ではなく、むしろ無垢で一本気なオルトルートとテルラムントを陥れ、ローエングリンと結婚してブラバントの国を支配しようとして失敗する・・・ということのようだ。しかも、ハインリヒ国王は専制国の王であるらしい。王も兵たちも第一次大戦を連想する軍服を着ている。民衆もその当時の服装をしている。ただローエングリンだけは中世的な服装。エルザは中世ドイツの理想を復活させて専制国の国王に取り入ってブラバントを支配しようとして失敗したと言いたいのだろう。オルトルートとテルラムントのおおらかでプリミティブな世界を肯定し、専制的な現代社会を批判するという演出意図が見える。

 しかし、どう考えても、そんな演出にすると音楽とかみ合わない。ワーグナーの音楽に浸れなくなる。ワーグナーを全否定することになる。もうそろそろそんなたわけた演出はやめにしてほしいと思うのだが。

 演奏については、ティーレマンのあまりに緻密な演奏にただただ驚く。ダイナミックさは少し弱まっている気がするが、すべての音がびしりと決まり、素晴らしい美音でうねっていく。この上ない完成度というべきだろう。冒頭のピアニシモの音ひとつとってもあまりの美しさに驚嘆し、うっとりするしかない。

 ローエングリンのデイヴィッド・バット・フィリップはヘルデン・テノールとはいいがたく、かなりリリックだが実に美しい声でしっかりとこの役を歌っている。少し前まであまりの大根役者ぶりに呆れていたが、演技もうまくなった! エルザのマリン・ビストレムはカトリーヌ・ドヌーヴ似の美形。底意地の悪い役をうまく演じており、歌唱的にもとてもいい。が、やはり圧倒的なのは、オルトルートを歌うアニヤ・カンペとテルラムントのマーティン・ガントナーだ。激情的で人間的には未完成だが、それはそれで魅力あるカップルを素晴らしい迫力で歌う。ハイリンヒのゲオルク・ツェッペンフェルトはいつも通りの最高度の歌唱! この人、ワーグナーのすべてのバスの役を最高の完成度で歌う。本当にすごい! 伝令のマーティン・ヘスラーは、きっと演出家の指示だろう、ずっと元気なく、下向き加減で歌う。演出によって損な役を演じさせられたのではないかと思った。

 ひとことで言って、最高の演奏と噴飯ものの演出、という近年のワーグナー上演ではおなじみのディスクだった!

 

ロッシーニ 「タンクレディ」 2024718日 ブレゲンツ音楽祭

 前もって言っておくと、私はこのオペラのストーリーに納得がいかない。アメナイーデがタンクレディに書いた手紙が敵将への手紙と誤解され、敵に通じたとみなされ死刑を命じられるところから、話が動き始めるが、アメナイーデは少しも弁明せず、そもそもこの手紙が敵に通じたものだという証拠は何一つ示されない。一人だけのいい加減な告発をだれもがなにも疑わずに信じてしまって、悲劇が起こっていく。・・・こんなストーリーは私の倫理感に反する。登場人物全員が愚かに見えてオペラについていけない。「おいおい、ちゃんと告発の真偽を検証しろよ。弁明の機会を与えて、証拠を探せよ」と叫びたくなる。「そんなこと言ってたら、オペラなんてみんなそんなもんだから、何もみられなくなってしまう。大目に見ようよ」という声も聞こえてきそうだが、どうにもならない。喜劇ならこんな内容でもいいだろうが、悲劇でこれでは、つらい。ついでに言うと、同じような意味で、私は「オテロ」が大の苦手なのだ!

 国王とその娘、そして英雄たちの話が、ヤン・フィリップ・グローガーの演出では、現代の都市のダウンタウンでシマ争いをするマフィアめいた集団の頭とチンピラたちの話になっている。アメナイーデは親分の娘でありながら、警察に仲間を売ったと疑われるという話になっている! 現代化し、王族たちの権威性を奪った舞台にする意図があるにしても、あまりに陳腐で卑俗すぎる。とはいえ、演奏はとてもいい。

 歌手の中ではアメナイーデのメリッサ・プティが圧倒的。高音のあまりの美声には感動するしかない。この役にふさわしい清純な声と容姿で、申し分ない。タンクレディのアンナ・ゴリャチョーワは丁寧に歌っており、プティとの二重唱は驚くほどの美しさだが、ズボン役としては少々迫力不足だ。アルジーリオのアントニーノ・シラグーザは相変わらずの美声。オルバッツァーノのアンドレアス・ヴォルフは迫力ある声だが、音程が少し不安定だと思う。

 ウィーン交響楽団を指揮するのはリン・イーチェン(漢字では林沂蓁と書くらしい)という台湾出身のかなり若い女性。溌溂としていてリズム感があって、とてもいい。ただ、若い女性だからというわけではないと思うが、どうにも迫力不足だと思う。こじんまりとまとまった感じがしてしまう。ロッシーニのオペラ・シーリアなのだから、もっとダイナミックで躍動感にあふれる音楽であってほしい。

 とはいえ、繰り返すが、二重唱が本当に素晴らしい!

 

ラヴェル「スペインの時」2025年3月27日 モンテカルロ歌劇場(モナコ)

 NHKBSのプレミアムシアターで放送されたもの。管弦楽はモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団、指揮は山田和樹、演出はジャン・ルイ・グリンダ。

 きわめて上質の上演だと思う。まず山田の指揮するオーケストラのラヴェルのしなやかで色彩的で、余裕のある音が見事。水彩画のような淡いタッチで描かれたたくさんの時計に囲まれた時計屋のコミカルな背景もとてもいいし、登場人物の演技もコミカルでおもしろい。

 ヴァンサン・オルドノーの歌う時計屋のトルケマダは、まるでチャップリンのような顔の化粧で登場。その時点でこのオペラのコミカルさを明確にする。みんなが道化師ふうの化粧をして、それが様になっている。

 コンセプシオンを歌うのはガエレ・アルキス。私はこの歌手をこれまで実演でも録音でも聴いたことがなかったと思うが、とてもいい歌手だ。色気たっぷりの声と容姿で、しかも憎めないところがある。見事な歌と演技だと思う。ラミーロのフロリアン・サンペイもコミカルでこの役にふさわしい。まさに至福の時を味わえる上演だと思った。

 

ラヴェル 「子どもと魔法」2025年3月27日 モンテカルロ歌劇場

「スペインの時」と同じ日に、同じ指揮、演出で上演された。少年役のガエレ・アルキス、柱時計や雄猫を歌うフロリアン・サンペイなど多くの役も重なっている。2本合わせても90分に満たないので、それほどの肉体的負はないとは思うが、出演者には苦労は多いと思う。

 台本では夢の中で室内の家具や庭の動物たちが少年に反旗を翻して不満を語りだすことになっているが、この演出では少年に手を焼いた召使たちが家具や動物たちに扮して脅すという設定になっている。私としては、台本に忠実なほうが楽しいと思うのだが・・・。

 そうはいっても十分に夢幻の世界が展開される。ダンサーも参加しているのだろう、肉体の動きも美しく軽やか。山田の指揮するオーケストラも色彩的でコミカルで美しい。ラヴェル特有の深刻になりすぎず、ユーモアがあり、毒があり、知的な鋭さにあふれた世界が展開する。

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ガードナー&読響 期待していたのだが・・・

 20251025日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団土曜マチネーシリーズを聴いた。

 ガードナーの録音はいくつか(「さまよえるオランダ人」「サロメ」)聴いた。とてもよかった。だから期待して出かけた。が、ちょっと期待外れだった。

 最初の曲目はディーリアスの歌劇「村のロミオとジュリエット」の「楽園への道」。私は実はイギリス音楽はよくわからない。エルガーもディーリアスもただただひたすら退屈! 改めて聴くと楽しめるかと思ったが、やはりこの上なく退屈だった!

 次にパヴェル・コレスニコフが加わってのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。シベリア出身の若い注目のピアニストだが、不思議なチャイコフスキーだった。この曲はしばしば派手に演奏されるが、きわめて内省的に始まる。ロシア的な雰囲気はなく、またチャイコフスキー特有の哀愁や感情の爆発もない。「あれ、この曲ってこんなんだっけ?」と思いながら聴いた。ピアノはきわめて繊細でしなやかで、この上なく美しい音。オーケストラも素直な音楽なのだが、盛り上がらない。あまり魅力を感じなかった。ソリスト・アンコールはショパンのマズルカ47番とのこと。これも繊細にしてしなやか!

 後半はブラームスの交響曲第1番。第1楽章は、溌溂としてとてもいいと思った。が、その後、なんだかずっと焦っている感じで、びしっと決まらない。地に足がついていないというか。せっかく読響が良い音を出しているのに、上滑りしていく。録音はまったくそんなことはなかったのだが。ちょっと残念だった。

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加耒徹のブラームスを堪能した!

 20251022日、恵比寿のKIRA HALLで「加耒徹 歌シリーズ ブラームスの歌曲 昼の部」を聴いた。これまで何度か聴かせていただいて常に見事な演奏だった加耒徹が「マゲローネのロマンス」の抜粋を歌うという。これは聴き逃してはならぬと思って出かけた。ピアノ伴奏は松岡あさひ。

 KIRA HALLを初めて訪れた。存在さえ知らなかった。30人程度収容の小さなホールで、「加耒徹 歌シリーズ」は今回が25回目だという。お客さんは年配の女性が大半で常連さんの雰囲気。いやいや、私の知らないところでこんな素晴らしいリサイタルがこれまで24回も行われていたのか!と衝撃を受けた。本当に素晴らしかった!

 前半は、ブラームスの歌曲を7曲。「民謡」「ことづて」「日曜日」「暖かい空気はじっとして」「雨の歌」「ひばりの歌」「メロディのように」。

 自然な発声、驚くほど正確な音程、美しいドイツ語の発音、細かいところまで神経の行き届いた声の処理、良く響くバリトンの美声! そのような声で見事に雰囲気を作り出す。残念ながら、私はドイツ語を解せず、今回歌われた歌曲もきちんと意味を理解しているわけではないのだが、しかし、言葉から詩の世界が広がっていく。弱音をうまく使い、繊細な心も描く。私は少し前、吉田志門のテノールによる歌曲に衝撃を受けたが、加耒の表現にも同じように衝撃を受けた。本当に素晴らしい演奏!

 後半は「美しきマゲローネのロマンス」から5曲。何を隠そう、私はこの歌曲集が「冬の旅」よりも「詩人の恋」よりも好きなのだ! 若きブラームスの情熱の迸りを聴くことができる。私はその昔、フィッシャー=ディスカウとリヒテルのレコードでこの曲を知り、感動して繰り返し聴いたのだった。

 で、今回思ったのは、「もしかしたら、フィッシャー=ディスカウよりもいいかも!」ということだった。フィッシャー=ディスカウはもちろん舌を巻くほどのうまさなのだが、やはり「おじさんが若作りして、若者のマネをして歌っている」といった雰囲気がある。それに対して、加耒の歌は本当に若者らしい! 若々しい情熱を率直に歌っている。まさに率直に、中世的、ゴシック的な素朴な雰囲気のある世界を歌う。ピアノもそれをしっかりと再現する。

 最後に「4つの厳粛な歌」。これも私の好きな歌だ。私はハンス・ホッターのレコードでこの歌を知り、その後、フィッシャー=ディスカウ、ミヒャエル・フォレなどで聴いてきた。ただ、これについては、加耒の歌はまだ若すぎると思った。「マゲローネのロマンス」とは逆に、これは加耒が無理やり年齢を重ねた雰囲気を出している。そのような雰囲気をしっかりと出していること自体、すごいことだと思うが、やはり本当に老成したホッターのあのしみじみとした、いかにも老年のブラームスらしい諦観と嘆きの味は出ない。もちろん致し方のないことではあるが。

 それにしても、「マゲローネのロマンス」も「4つの厳粛な歌」も、私がこれまで聴いた実演(滅多に演奏されないので、数回しか聴いていない)の中では最も感動したのは間違いない。

 昼の部の後、夜の部があり、そこでも「マゲローネのロマンス」の別の曲が歌われるという。大いに心惹かれたが、私は5日間連続してコンサートに通って、二世帯住宅でくらす孫たちと5日間、夕食をともにしていない。今晩は久しぶりに孫たちの顔をみられると思っていたので、急いで帰った。

 吉田志門さんも近々「マゲローネのロマンス」を歌われるという。加耒さんは、「マゲローネのロマンス」の全曲を近いうちに歌いたいを言っておられた。二人の「マゲローネのロマンス」が聴けたら、どんなに幸せだろう!

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ビシュコフ&チェコ・フィル ビシュコフのチャイコフスキーに深く感動!

 20251021日、文京シビックホール大ホールで、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演を聴いた。指揮はセミヨン・ビシュコフ、曲目は前半にスメタナの「モルダウ」と、チョ・ソンジンが独唱者として加わってラヴェルのピアノ協奏曲、後半にチャイコフスキーの交響曲第5番。

「モルダウ」は私の好きな曲ではないのだが、ビシュコフが指揮をすると実に生き生きと聞こえてくる。安定したリズム、そこにくっきりと音楽が築かれていく。音楽的な物語があり、しっかりとした土台の上にその物語が語られる。感情任せにならない。きわめて論理的で秩序だっており、そこに高揚があり、音楽の大きなうねりがある。まさにモルダウという大河の「人生」のようなものが見えてくるかのよう。すべての楽器が見事に重なり合っている。チェコ・フィルの音も本当にしみじみと美しい!

 ラヴェルの協奏曲も正攻法で音楽に挑んだかのような演奏だと思う。この曲はちょっとアメリカ的にしたり、フランス的にしたり、諧謔的な味をつけたりといった様々な味付けができると思うのだが。ビシュコフはそんな小細工はしない。真正面から楽譜に取り組み、そこから音だけを取り出したかのよう。だから、面白みはない。だが、そこから出てくる音は真摯で知的で研ぎ澄まされている。

 チョ・ソンジンのピアノも本当に一つ一つの音が輝いている!高貴で真摯。珠玉の作品という言葉にふさわしい演奏だと思った。

 ピアノのアンコールはショパンの有名なワルツ(だと思う。私はピアノはあまり聴かない。とりわけショパンに関心を持ったことがないので、恥ずかしながら、何も知らない)。これもとてもよかった。

 後半のチャイコフスキーは、まさにビシュコフらしい演奏だった。きっとチャイコフスキー好きには物足りないだろう。感情の爆発がなく、「泣き」がない。我をなくさない。大きく高揚するが、形は崩れない。リズムが崩れないのだろう、ここでも、しっかりとした足取りで大きく音楽が進んでいく。豊かな歌があり、大きな高揚があり、深い思いがある。そして、チェコ・フィルから本当に美しい音を作り出す。弦が素晴らしい! クラリネットもファゴットも実に美しい。金管の威力もすごい。そしてじっくりと大きな物語が完結に向かう。「運命の動機」が変貌し、最後に壮大なファンファーレになる様子が見事に語られていく。あんまりチャイコフスキーらしいチャイコフスキーを聴くとげんなりする私は、だからといってあまりにそっけないとつまらないと思うのだが、ビシュコフのチャイコフスキーが最も納得できる。最終楽章では私は深く感動した。

 アンコールは、まず「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲。この楽団でこの曲がアンコールに選ばれるとは思わなかったのでびっくり。が、冒頭のヴァイオリンの音に圧倒された。なんと美しい、なんと情感にあふれた音であることか! 涙が出そうになった。

 最後のアンコール曲がドヴォルザークのスラブ舞曲。先日、プラハ・フィルで聴いたのと同じ曲(確か第15番)。席のせいかもしれないが、プラハ・フィルのときには団子状の音に聞こえたのだったが、今回は楽器の音色がしっかりと聞こえ、しなやかで猥雑でしかも繊細な舞踏が聞こえてきた。

 4日連続のコンサート! 実は明日もコンサートに出かける予定。音楽業界に身を置いているわけではないのだから、ちょっとコンサートに行き過ぎているのを感じる。少々コンサート疲れというか、感動疲れがしてきた。

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ウィーン国立歌劇場公演「ばらの騎士」  感動の涙を流した!

 20251020日、東京文化会館でウィーン国立歌劇場来日公演「ばらの騎士」をみた。指揮はフィリップ・ジョルダン、演出はオットー・シェンク。素晴らしかった。興奮した。

 シェンクの演出はきわめてオーソドックス。ただ、すべての幕で舞台を狭く使っている。多くの演出では、すべての幕で奥まで使って、広い邸宅を示すが、今回はいずれも狭くして親密な空間を作っている。人物の動きについてはほぼ台本通りだと思う。

 ジョルダンの指揮はかなりアクティブというか、強い音でぐいぐいと音楽を進めていく。ロココ的な雰囲気は弱まって、かなりドラマティックになる。指揮者の要求によるのか、カミラ・ニールンドの歌う元帥夫人もかなり強い女性として描かれているように思う。オックスに対する怒りや年齢についての嘆きも、かなり強い感情を吐き出す。私としてはロココ的な雰囲気のほうが好きで、このようにすると遊び心というか、喜劇性というか、そのようなものが薄れる気がするが、これも一つのありかただろう。ただしもちろん、オーケストラの音は限りなく美しい。これがウィーンの音! 

 歌手陣は最高度に充実していた。とびぬけた歌手はいないが、アンサンブルがよい。いや、むしろみんなが突出した歌手というべきか。

 ニールンドは、このブログに何度か書いたが、武蔵野市民会館で20年以上前にリサイタルを聴いた時からのファンだ。2016年、縁あって、一度お会いして、オペラ関係者数人と一緒に飲んだこともある。今やワーグナー、シュトラウスの最大のソプラノと言って間違いない。気品があり、伸びがあり、しっかりとコントロールされた美声、しっかりした演技でこの役にふさわしい。

 オクタヴィアンのサマンサ・ハンキ―もこの役にふさわしい凛とした声で、演技的にも申し分ない。ゾフィーのカタリナ・コンラディも美しい声。この二人の二重唱は第二幕も第三幕もアンサンブルが完璧で、声の質も似ていて感動に震えるしかなかった。

 オックス男爵のピーター・ローズは、それほど喜劇性を強調せず、あまり下品ではない人物像を作っていた。あまり笑わせられないが、この方が本来のホフマンスタールやシュトラウスの意図に近いといえるのかもしれない。ファニナルのアドリアン・エレートは安定した歌で、老年の私としては身につまされる役を見事に歌う。この人は何をやっても本当にうまい!

 それにしてもよくできた台本と音楽だと改めて思った。本筋と関係がなさそうな場面でも、それがストーリー的にも音楽的にもその後の場面のある種の伏線となってつながっていく。娯楽性もあり、哲学的でもあり、ドタバタがあり、ほろりとさせる。すべての人物の心情が理解でき、感情移入できる。私はこのオペラを聴き始めた中学生のころは自分をオクタヴィアンと重ね合わせていた。その後、マルシャリンに、そしてオックスに重ね合わせ、近年はファニナルに重ね合わせている(さすがにゾフィーと重ね合わせたことはなかったと記憶する)。第3幕など、単に不倫をしていた年増女が若い男と別れるだけの話なのに、それぞれの人物の気持ちが痛いほどわかって涙なしにはいられない。

 いやあ、第1幕も第2幕もよかったが、第3幕は本当に素晴らしかった! 三重唱の美しさは別格だった。三人の女性の声がぴたりと合い、この上ないハーモニーをなし、それがまさに人生を歌う。舞台上の人物のあらゆる感情を追体験すると同時に、音楽的な美しさに至上の喜びを覚える。まさに至福の時間!! 私は三重唱、そしてその後の愛の二重唱の間、ずっと涙を流していた。

 ところで、第一幕冒頭の字幕についてちょっと問題を感じた。記憶に基づくので間違っているかもしれないが、冒頭のオクタヴィアンのセリフは字幕では、「かつてのあなたと今のあなたをだれもしらない」といったようになっていたと思う。だが、これでは意味が通じない。

 前にもこのブログに書いたことがあるが、この部分を補足して訳すと、以下のような意味だと私は思っている。「さっきのあなたがどうだったか、今のあなたがどうなのか、その両方を知っている人は、僕しかいない」。つまり、もっと率直にいうと、「さっきあなたはベッドの中であられもない姿で乱れていた。今は貴婦人らしく落ち着いている。その両方を知っているのは僕だけだ。ほかの誰も知らない」ということだと思う。いずれにせよ、もう少し状況がわかるように訳す必要があると思うのだが・・・。

 ともあれ、感動し、興奮した。満員の客だったが、スタンディングオーベーションが起こった。私も立ち上がって、涙を流しながら拍手した。

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BCJのカンタータ演奏 最高の演奏!

 20251019日、東京オペラシティコンサートホールで、バッハ・コレギウム・ジャパン「コラールカンタータ300年プロジェクト⑧」を聴いた。指揮とオルガン独奏は鈴木優人。2024年から25年にかけて作曲された40曲すべてのカンタータを演奏しようというプロジェクトの第8回だ。

 曲目は、すべてJ.S.バッハ。まずはオルガンによる《ああいかに儚き、いかに虚しきものよ》BWV 644 、《装いせよ、おお愛する魂よ》BWV 654。そして、カンタータ第26番《ああいかに儚き、いかに虚しきものよ》BWV 26、カンタータ第121番《キリストを誉め讃えよう、喜ばしく》BWV 121、カンタータ第139番《幸いなるかな、神に身を委ねる者》BWV 139、カンタータ第180番《装いせよ、おお愛する魂よ》BWV 180

 フィンランドから帰ったばかりの鈴木雅明さんと鈴木優人さんのお二人のプレトークのおかげで基礎知識を与えられて、とてもありがたかった。聴きどころがわかった。

 オルガン曲については、私が鍵盤楽器が苦手なこともあって、よくわからなかった。ピアノも苦手なのだが、どうもオルガンはもっと苦手だ。とても恥ずかしいのだが、これまでオルガン曲で感動したことが一度もない。

 カンタータについてももちろんあまりなじんでいない。わがやにはバッハのカンタータ全集のCDはあるが、おそらく10枚くらいしか聴いていない。今回の演目も私は聴いたことがなかったと思う。が、確かにおもしろい。私はよきバッハの聴き手ではないので、素人の聴き方しかできないが、信仰心が伝わり、バロック時代の技法の見事さを堪能できる。

 それにしても演奏の見事なこと! もちろん以前からバッハ・コレギウム・ジャパンの実力のほどは知っていたが、これほどまでの充実とは! 少し前まで、「バッハ・コレギウム・ジャパンは世界に通用する」だったが、今では、世界のトップレベルのバッハを聴かせてくれるといって間違いない。

 オーケストラのすべてのメンバーがまさに名手! そして、合唱も素晴らしく、独唱者もこの以上は考えられないほどの歌唱を聴かせてくれる。テノールの吉田志門は音程の良い美声でこの上なく安定したバッハの世界を作り出す。アルトの久保法之は、レチタティーヴォだけでアリアがないのがちょっと残念だが、これまた見事な歌唱。バスの加耒徹、ソプラノのクリステン・ウィットマーもバッハのカンタータにふさわしい声と歌いまわしで聖書の世界を作り出す。

 バッハのカンタータに不慣れな私もこの世界に入り込んで、深く感動した。これ以上に充実したカンタータの演奏は考えられない、最高の演奏だと思った。ただ、繰り返すが、何しろこの世界に疎いので、これ以上のことは言えない。もっとカンタータを聴きたいと強く思った。

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