音楽

オペラ映像「後宮からの逃走」「コシ・ファン・トゥッテ」「リゴレット」「椿姫」「アイーダ」

 今日、111日がいわば私の「仕事始め」。実は元日の早朝(530分くらい)から起きだして、ずっと原稿を書くなどの仕事はしており、それはそれで久しぶりに驚くほど捗ったのだが、昨日まではマイペースで自宅にこもって仕事をしていればよかった。今日、多摩大学で今年初めての授業をした。一昨年に定年退職をして、今の私は秋学期に週1日、授業をするだけ。久しぶりに教えて疲れた。

 家にこもって仕事をしている間、疲れた時にはオペラ映像をみたり、DVDで映画をみたりしていた。その間に見たオペラ映像の感想を書く。

 

015 モーツァルト 「後宮からの逃走」2015年 グラインドボーン歌劇場

 衝撃的な上演だと思う。演奏、演出ともに素晴らしい。

 演出はデイヴィッド・マクヴィカー。今回の主役はベルモンテでもコンスタンツェでももちろんオスミンでもなく、太守(フランク・ソレル)! しかも、多くの上演で演じるような高齢者ではなく、壮年のたくましくエネルギッシュな男性でしばしば筋骨たくましい上半身をあらわにする。コンスタンツェを激しく愛し、なんとしてもわがものにしたい必死に迫るが、拒まれ、最後には諦めて紳士として振る舞う。それが中心的な物語になっている。

 そのため、第2幕のコンスタンツェのアリアは、レイプのように激しく迫る太守からやっとのことで逃れての激しい思いのこもった歌になっている。

 これだけでこのオペラの様相が全面的に変化する。確かにこのオペラはそんなオペラかもしれない。あっけらかんとしためでたしめでたしのオペラではなく、粗暴なエネルギーにあふれ、ギリギリのところで理性を守る、それを描いているのがこのオペラかもしれない。少なくとも、ロビン・ティチアーティの指揮するエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の演奏はそのような激しさ、生々しさをこの上なくリアルに伝える。メリハリがあり、ドラマティックであって、しかも舞台に沿って的確に音の表情を変える。圧倒的な指揮だ。映画のように緻密でリアルな舞台もまたそのような生々しさを強調する。こうして描かれると、太守が歌わないことに少しも違和感はなく、むしろこうであるべきだと感じる。

 このような舞台にするにはコンスタンツェを歌うサリー・マシューズの映画女優としても通用するような美しい容姿と演技力が不可欠だっただろう。「フィガロの結婚」の伯爵夫人ではさほど思わなかったが、これは素晴らしい歌手だと思った。

 そのほかオスミンのトビアス・ケーラーが素晴らしい。太い声で粗雑なトルコ人を歌う。 ベルモンテのエドガラス・モントヴィダス、ペドリッロのブレンデン・ガンネル、ブロンデのマリ・エリクスモーエンも申し分なし。いずれも声だけでなく、歌唱力、そして演技力、容姿まで本当に見事。

 黙役のアフリカ系の女性が登場する。初めはコンスタンツェらに反感を持っているかのようだが、死刑を宣告されても健気でいるコンスタンツェを見て涙を流す。この女性の存在が太守の最後の突然の決断を納得できるものにしている。演出家マクヴィカー、おそるべし!

大変満足し、息を飲んで最後までみた。グラインドボーン音楽祭の演劇としてのレベルの高さに驚嘆。

 

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」2006年 グラインドボーン歌劇場

「後宮からの逃走」よりも9年前の上演記録。エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団を指揮するのはイヴァン・フィッシャー。ティチアーティよりはオーソドックスでおとなしい音だが、十分に切れがよく、きびきびしてドラマティックで生々しい。要所要所では深く鋭く練り響く。奇をてらわないが、実に生き生きとした音楽になっている。

 歌手は最高レベルでそろっている。フィオルディリージを歌うのはミア・パーション。美人歌手として有名だが、確かに本当に美しいし、歌唱も素晴らしい。ドラベッラのアンケ・フォンドゥング、フェルランドのトピ・レティプー、グリエルモのルカ・ピサローニ、ドン・アルフォンソのニコラ・リヴァンク、デスピーナのアイノア・ガルメンディア。全員が最高にまさしくその約そのものを歌う。いずれも大歌手という歌い方ではないが、アンサンブルが素晴らし、声の質がそろっていて、実に気持ちがいい。

演出はニコラス・ハイトナー。映画的でリアルな演技と舞台。特に目立った解釈はない。きわめて穏当な解釈と言えるだろう。が、これほどきりりと引き締まって、全員の演技が見事だと、舞台世界に引き込まれて、何の不満もない。これとみても、グラインドボーン音楽祭のレベルの高さを改めて痛感する。

 

633 ヴェルディ「リゴレット」2008年 テアトロ・レッジョ(パルマ)

もちろん悪い上演ではないが、期待ほどではなかった。とはいえ、やはりリゴレットを歌うレオ・ヌッチはさすがに圧倒的。かつての声は失われていると思うが、リゴレットを生きていることに驚嘆させられる。ジルダを歌うニーノ・マチャイゼは、もう少し輝きがほしいと思うが、しっかりと歌っている。もちろん容姿的にはとてもいい。ただ、マントヴァ公爵役のフランチェスコ・デムーロについては、私はかなり聴くのがつらくなってくる。輝かしい声だが、あまりに音程が不安定。演技も不自然。

そして、それと同じほどに気になるのが、マッシモ・ザネッティの指揮だ。ドラマティックな場面ではあっというほどに素晴らしい盛り上がりを聴かせてくれるのだが、静かな場面(ただし、ドラマを内に秘めた場面)での音楽の停滞を私は感じた。

ステファノ・ヴィジオーリの演出は特に個性的な解釈はないが、かなりリアルで、リゴレットの怒りと悲しみが伝わってくる。

 

668 ヴェルディ 「椿姫」 2007 テアトロ・レッジョ(パルマ)

とてもドラマティックな「椿姫」。ユーリ・テミルカーノフの指揮もヘルマン夫妻の演出も、抒情をかきたてるのではなく、むごたらしいヴィオレッタの人生を描き出している。第3幕に至っては、演出も含め、あまりにリアル。ヴィオレッタを歌うスヴェトラ・ヴァシレヴァは、やつれ具合を含めて鬼気迫るというにふさわしい演技と歌唱。カーニバルの音が聞こえてヴィオレッタが窓を開けると赤い風船が入ってくる。それだけでヴィオレッタの無念が強調される。あまりのやつれ具合に、アルフレード(マッシモ・ジョルダーノ)は直視できない様子。そのような細かいところも含めて、実にリアル。かなり感動して観た。

ジョルジョ・ジェルモン役のウラディーミル・ストヤノフは、とてもよい雰囲気だが、ちょっと声が出ていない気がした。とはいえ、全体的には素晴らしい上演だと思う。

 

288 ヴェルディ 「アイーダ」 2009年 ブレゲンツ音楽祭

一体何が起こっているのだろうかと呆れるような演奏。ほとんど聴くに堪えない。湖を使って、しかもしばしば歌手たちが水の中に入る演出(グレアム・ヴィック)だが、もしかして、かなりの寒さだったのではないか。歌手の全員の声が出ていない。アイーダのタチアナ・セルジャンとラダメスのルーベンス・ペリッツァーリ、そして、アモナズロのイアン・パターソンはまだしもよいほうだが、それでも、私としては聴くのがつらい。アムネリスのイアノ・タマールほか、多くの歌手はそれに輪をかけて不安定。そろいもそろって音程が悪く、声が伸びない。クラクフポーランド放送合唱団も声がそろわない。それだけでなく、カルロ・リッツィ指揮のウィーン交響楽団もぼやけた音をしか出さない。野外でのオペラの限界なのか、あるいは、これまた寒さのせいなのか。

 青く塗られた自由の女神のようなものを背景にして、エジプトによるエチオピア支配の激しさを強く描く演出だが、そんなことよりも私としてはもっと良い環境で歌手たちに歌わせてあげたくなる。

 まったく楽しめなかった。途中から、BDの場面をときどき飛ばしながらみた。

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ニューイヤー・ワーグナー・ガラ 新春からワーグナーを堪能した

 201918日、紀尾井ホールでニューイヤー・ワーグナー・グランド・ガラコンサートを聴いた。ワーグナーの名場面がまとめて演奏された。新春からワーグナーを堪能できて、大満足。素晴らしい演奏だった。

 オーケストラはThe Opera Band。未知のオーケストラだと思っていたが、メンバーの顔を見ると、見覚えのある人たち。たぶん、N響中心のメンバーだと思う。どうりでうまいはず。ただ、最初の曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏ではバランスが最悪だった。指揮のホルヘ・パローディがオーケストラを掌握できていなかったのかもしれない。が、その後、とてもよくなっていった。「タンホイザー」序曲では素晴らしい演奏になった。パローディはかなり堅実にしっかりと土台を築いていくタイプの指揮者だと思う。最終的には見事だった。

 歌手も粒ぞろいだった。後藤春馬のザックス(「迷妄のモノローグ」)も深い声でとてもよかった。矢野敦子のエリーザベト(「歌の殿堂のアリア」)もよく通るしっかりした声が素晴らしい。青戸知のヴォルフラム(「夕星の歌」)も繊細で細かいところまでとてもニュアンス豊かな歌。青戸さんはこれまで何度も聴いてきたが、髪形を変えたせいか雰囲気がまったく違っていて初めは誰なのか識別できなかった。

 田村由貴絵のブランゲーネ(「見張りの歌」)はとりわけ素晴らしかった。ただ、この部分だけでは、ガラコンサートとしては盛り上がりに欠けてしまうのは致し方ないところだろう。ブランゲーネのこの歌はあくまでもトリスタンとイゾルデの愛の二重唱を盛り立てるための影の役割なのだから。

 宮里直樹のローエングリン(「はるか遠い国で」)は今回のガラコンサートの中でも最高の歌声だった。輝かしい芯のある声。やっと本格的な日本人ヘルデンテノールが登場したと言えるのかもしれない。

 最後の曲は「ワルキューレ」第三幕。ワルキューレたちもみんな実に高いレベルでそろっていた。全員がドレスを着ていたが、猛々しいワルキューレたちの姿が目に浮かぶようだった。ブリュンヒルデ(武井涼子)とジークリンデ(岩井理花)も感動的なやり取りを聴かせてくれた。前半に武井涼子はイゾルデ(「愛の死」)をしっとりと、しかも強く歌ったが、オーケストラに埋もれてしまうところがあったし、岩井理花のエルザ(「エルザの夢」)はヴィブラートが強すぎて声が伸びなかった。だが、「ワルキューレ」では、二人ともさすがというべきか実に感動的な歌を聴かせてくれた。ジークフリートの誕生を予告する場面では私は不覚にも涙を流したのだった。

 ともあれ、新春からオーケストラ伴奏で、とても高いレベルの歌唱でワーグナーを聴けてとてもうれしい。これが恒例になって、毎年、ワーグナー・ニューイヤーコンサートが開催されたらこんなうれしいことはない。

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ドゥネーヴ+N響 ラヴェルの音が聞こえなかった

201916日、オーチャードホールでN響オーチャード定期公演を聴いた。指揮はステファヌ・ドゥネーヴ。ドゥネーヴの実演は、かなり前、パリ国立オペラの「アリアーヌと青ひげ」の公演で聴いた記憶がある。今年初めてのコンサートにドゥネーヴが得意とするヴラヴェルを聴きたと思ったのだった。

曲目は、前半にシャブリエの狂詩曲「スペイン」と、韓国出身の若き女性ヴァイオリニスト、イェウン・チェが加わってメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、後半にラヴェルの「マ・メール・ロワ」組曲、「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ラ・ヴァルス」。

シャブリエの曲はまずは肩慣らしといったところ。しっかりした音を出しているが、もう少し色彩的であってほしいと思った。

メンデルスゾーンについては、あまりにさらさらとした演奏だった。イェウン・チェのキャラクターなのだろうか。タメもなく、流麗に弾こうとするでもなく、勢い良く弾いていく。が、これではあまりに素っ気ない。ロマンティックに歌い上げる必要は必ずしもないが、もう少しフレーズごとの表情の違いを聞かせてくれないとメンデルスゾーンの音楽が伝わってこない。どうということなく終わってしまって、拍子抜け。ヴァイオリンのアンコールはバッハの無伴奏ソナタ第2番アンダンテだが、これも何を弾こうとしているのか、私にはわからなかった。私としては、このヴァイオリニスト大いに期待していたのだったが、期待外れだった。このような音楽を作る人なのだろうか。

後半は前半よりはずっと良かった。が、それでも、私は心から楽しめたわけではなかった。NHK交響楽団から私の期待していたラヴェルの音が聞こえてこない。私がラヴェルを得意にするドゥネーヴに期待していたのは、精妙で知的で軽やかでしなやかな音だった。だが、かなり硬い音が聞こえてくる。これではフランス音楽に聞こえない。「亡き王女のためのパヴァーヌ」で朴訥としながらも優雅で高貴な音が静かに立ちあがると思っていたのだが、私にはきつい音に聞こえた。「ラ・ヴァルス」でワルツのメロディが沸き起こり、それが徐々に情念を増して、うねり、高まり、飛翔し、渦巻いていくのを期待していたのだが、そうした音楽の運動は聞き取れなかった。もっとずっと直線的な硬い音を重ねる演奏だった。もちろんこのようなラヴェルもあってよいと思うが、これが指揮者の求めている音なのかどうか私としては疑問を覚えた。

アンコールは「アルルの女」のファランドール。ここでやっと本領を発揮した。だが、それでもまだ色彩感が不足するように思った。ドゥネーヴの実力はこんなものではないはず。ドゥネーヴの求める音をN響は出せていないのではないかと思った。

久しぶりにラヴェルのオーケストラ曲を聴いた。静かな音に耳を傾ける場面が多かった。だが、どういうわけか今日の客席からは、プログラムをめくったり、飴玉をむいたりする音がずっと聞えていた。すぐ後ろの女性客はコートを下半身にかけて聴いていたが、生地の材質のせいだろう、服のこすれる音がしばしば聞こえた。そうしたことも含めて、今日はかなり不満が残った。

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2019年正月 オペラ映像「フィデリオ」「ヴォツェック」「ノルマ」「微笑みの国」「フィガロの結婚」

 2019年になった。今年もまた何事もなく過ごせることを願う。

 風邪気味だったため、年末年始に予定していた外出は控え、ほとんど家にこもって過ごした。幸い、風邪はこじらせずに済んで、すでに全快。大晦日も元旦もいつもと変わらず、マイペースで仕事をし、疲れたらオペラ映像をみたり、DVDで映画をみたり、昼寝したり。

 年末から今日までに見たオペラ映像の感想を簡単に書く。

 

969 ベートーヴェン 「フィデリオ」2018年 スイス、ザンクト・ガレン劇場

 レオノーレを歌うジャクリーン・ワグナーという歌手を初めて知った。大柄なパワーのある歌手。この役にぴったりの歌手だと思う。演出上の意図があるのかもしれないが、ノルベルト・エルンストはきれいな、悪く言えばパワーのない声。ドン・ピツァロのローマン・トレーケルはさすがにうまく悪役を歌っている。ロッコのヴォチェク・ギールラッハ、マルツェリーネのタチアナ・シュナイダーはとてもいい。総じて歌手陣のレベルは高いが、ただドン・フェルナンド役のマルティン・ゾンマーが不安定。

指揮のオットー・タウスクはかなり細かく工夫しているが、ちょっといじりすぎの気がする。歌手と合わないところ、音楽がドラマに乗っていかない箇所を感じる。オーケストラの性能は悪くはないと思うが、超一流ではなさそう。

演出のヤン・シュミット=ガレは映画監督だとのこと。レオノーレはほとんど男装せず、女性の姿のままで過ごす。四角の枠を移動させて視覚的には美しい。が、フロレスタンが異様にだらしないのをのぞけば、とりわけ新しい解釈があるようには思えない。

 

412 ベルク 「ヴォツェック」2017年 オランダ国立歌劇場

 音楽が始まる前に、5分近く黙劇がある。ヴォツェックとマリーの間の子ども(恐るべき演技力!)が中心人物で子どもたちが社交ダンスを踊る。が、このような演出家(クシシュトフ・ヴァリコフスキ)による改変は私には大変不愉快。このオペラの本質をえぐりだすのならよいが、別の話にすり替えようとしているのがありあり。腹立たしくてあまり熱心に見なかったせいもあるのかもしれないが、付け足したものをすべてカットしても大勢に影響はないのではないか。このオペラを残された子供の視点から見たところで、あまり意味はないように思うのだが。

 ヴォツェックを歌うクリストファー・マルトマンは下層の愚かな人間というよりは現代の狂気に至る知的な人間ヴォツェックをリアルに歌う。マリーのエヴァ=マリア・ウェストブロークは色気のある売春婦を熱演。大尉役のマルセル・ビークマンが演技・歌唱ともに素晴らしい。グロテスクな世界を見事に作り出している。医者を歌っているのはサー・ウィラード・ホワイト。これも見事。ほかの役もとてもいい。

マルク・アルブレヒトの指揮も鋭利でありながら、十分にロマンティックでとてもよいと思った。

 

053 ベッリーニ 「ノルマ」2017年 メトロポリタン歌劇場

 ライブビューイングで上映されたもの(私はみる機会がなかった)のようだ。

 METなので、もちろんすべてがそろっている。とりわけ、ノルマを歌うソンドラ・ラドヴァノフスキーとアダルジーザのジョイス・ディドナートが圧倒的。二人のデュエットはまさしく圧巻。ただ私はポリオーネを歌うジョセフ・カレヤに我慢がならない。この役を得意にしているようで、ほかのヴァージョンでもこの歌手が歌っていたが、どうも私には音程が外れているように聞こえる。なんでこんな歌手が主役を張るのか私には大いに疑問だ。

 カルロ・リッツィの指揮はメリハリがあってとてもいい。デイヴィッド・マクヴィカーの演出はきわめてオーソドックスだが、最終幕の後半、ノルマとポリオーネが愛し合う二人のように抱き合っているのがきわめて異様。台本と矛盾する気がしたが、なるほど最後のノルマの決断を愛情のあかしとして捉えようとしたのだろう。

 

133 レハール オペレッタ「微笑みの国」2017年 チューリッヒ歌劇場

 その昔、シュヴァルツコップの歌うこのオペレッタのCDを聴いたものだ。ルネ・コロの歌うオペラ映画もみた覚えがある。ただ、あまりおもしろいオペラではないと思ってきたし、今回もまた思った。東洋と西洋の文化の溝を描くオペレッタで、ハッピーエンドで終わらないところがある意味でおもしろいが、やはり音楽としてさほど楽しめない。

 ただ上演としてはとても充実している。スー・チョン殿下を歌うピョートル・ベチャワは素晴らしい声。今、世界最高のテノールと言えるのではないか。申し分なし。リーザのユリア・クライターも声も美しく、容姿も見事。ミーのレベッカ・オルヴェラ(まるで東洋人のように見える!)、グスタフのスペンサー・ラングも安定している。

 ファビオ・ルイージ指揮のチューリッヒ歌劇場管弦楽団ももちろん美しい。アンドレアス・ホモキの演出の演出は、東洋と西洋の断絶を象徴するかのように左右に分裂した作りになっている。退屈しない舞台になっている。

 

 

287 モーツァルト 「フィガロの結婚」 2012年 グラインドボーン歌劇場

 素晴らしい上演だと思う。まず何といってもロビン・ティチアーティ指揮のエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の鮮烈な音に驚嘆する。現代楽器よりもむしろずっと現代的に響き、実に雄弁。スリリングで躍動感があり、ドラマティック。しかも歌心はたっぷり。確かにこれこそがフィガロの世界なのではないかと思わせるだけの説得力がある。

 マイケル・グランデージの演出もおもしろい。1960年代のツイストが流行った時期に舞台設定をしている。このオペラの副題通り、最終幕はツイストで「狂った一日」になる。映画的なリアルな舞台だが、まったく違和感はない。動きの一つ一つが自然だし、舞台も美しい。『フィガロの結婚』がこの演奏と演出でまさしく現代の物語になっている。

 歌手もそろっている。とりわけ素晴らしいのが、スザンナを歌うリディア・トイシャーとケルビーノのイザベル・レナード。二人ともヴィブラートの少ない澄んだ声で表現力も豊か。しかも容姿も申し分ない。まさにスザンナとケルビーノに見える。

伯爵夫人のサリー・マシューズもきれいな容姿と美しくて柔らかい声、伯爵のアウドゥン・イヴェルセンもしっかりした声でとてもいい。フィガロを歌うのはヴィート・プリアンテ。演出によるのかもしれないが、かなり神経質なフィガロになっている。もっとおおらかでもっと余裕があってよいのではないか。歌はよいだけに演技が気になる。マルチェリーナを歌っているのはなんとアン・マレイ。70年代、80年代に活躍していた歌手だ。70歳を超えていると思う。声は失われているが、軽妙な演技といい、この役にぴったり。ほかの脇役や合唱団も含めて、グラインドボーン音楽祭らしく、演劇的にとても充実している。

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秋山+東響の第九  実にオーソドックス!

 20181228日、東京交響楽団の特別演奏会「第九と四季」を聴いた。指揮は秋山和慶。年末の第九を演奏するのはこれが最後だという。

第九の前に秋山和慶の指揮とチェンバロ辻彩奈のヴァイオリンでヴィヴァルディの「四季」から「春」と「冬」。辻彩奈のヴァイオリンを初めて聴く。噂には聞いていたが、とても清潔で若々しく、鮮烈な音楽。もうちょっとアクを強く演奏してもよいと思うのだが、ちょっと遠慮がちに思えた。マエストロ秋山の指揮のもとではなかなか思い切ったことはできないだろう。とはいえ、とてもよい演奏。

その後、第九。秋山の第九は、おそらく20年以上前に一度聴いただけだ。ほとんど記憶にないが、とてもよい、しかしごく当たり前の演奏だと思ったのは覚えている。そして、今日また、まったく同じように思った。もしかしたら、基本的なところではほとんど同じような演奏だったのかもしれない。私は55年くらい前から第九に熱狂しながらレコードで聴いてきたが、秋山の演奏は、これまで聴き慣れた標準的な第九そのままの感じだった。これが秋山の魅力なのだろう。とても生き生きしているし、ティンパニが活躍するし、盛り上がりは素晴らしいし、オケがちょっとバタバタしているが、ともあれ解釈は実にオーソドックス。このごろではむしろ珍しいほどのまともさ。無理な誇張はないし、速すぎもしない。見事。ただ私は本来オーソドックス好きなのだが、ここまでだと、正直言って少々退屈に感じた。

歌手陣(中村恵理・藤村実穂子・西村悟・妻屋秀和)はとてもよかったが、少しちぐはぐさを感じないでもなかった。音程がちょっと不安定な歌手もいた。そのためもあって四人のアンサンブルがきれいに重ならないところもあったように思う。東響コーラスの合唱も少しが鳴り気味に思えた。

アンコールは「蛍の光」。マエストロ秋山の年末恒例の第九との別れ。

 ウェルザー=メスト+ウィーンフィル、オラモ+ストックホルム響、ヴィット+新日フィル、小泉+都響、ザネッティ+読響、ヤノフスキ+N響に続いて、今年7回目の第九だった。いずれもとても楽しんだ。

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ヤノフスキ+N響の第九 第3楽章まで最高だった!

20181226日、NHKホールでNHK交響楽団の「第九」演奏会を聴いた。指揮はマレク・ヤノフスキ。第3楽章までは素晴らしかった。

始まった途端、ドイツの音がするのにびっくり。そういえば、前日聴いたザネッティの指揮はまったくドイツ風ではなかった。正統的なドイツのオーケストラの音の響き。昔よく聞いた響きだ。やはりドイツ風の音は素晴らしい。厚みがあり、深みがある。ヤノフスキの指揮はきわめて正統的。しかし、音は明るめで、テンポは速い。小気味よく音楽が推進され、深く響き渡る。それぞれの楽章が完璧。N響も見事。今年4回目の「第九」だが、さすがにヤノフスキだけあって、今まで聴いた第九とはレベルが違うと思った。

とりわけ第3楽章は素晴らしかった。妙なる音楽が奏でられる。管楽器が実に美しい。まさしく無我の境地とでもいおうか。それまでの自我にこだわってあくせくして来た世界から離れて、新たな境地に入る。音楽によって歌われる。管楽器がとりわけ素晴らしかった。

ところが、第4楽章。オーケストラの部分は素晴らしい。だが、バリトン独唱が始まった途端、私はかなり違和感を味わった。アルベルト・ドーメンの歌い回しがあまりに自由! くだけた歌い回しとでもいうか。ちょっとミスもあったような気がした。ほかの歌手たちも同じ雰囲気ならそれはそれでよいと思うのだが、ロバート・ディーン・スミスも藤谷佳奈枝も加納悦子も、そして合唱の東京オペラシンガーズも、むしろあまりに生真面目に歌う。その差がありすぎる。しかも四人のソリストの声がきれいなアンサンブルをなさない。歌う姿勢も、ドーメンだけゆらゆらと動き、ほかの歌手たちは微動だにしない。もしかしたら、ドーメンは酔っ払っているのだろうか?と疑いたくなったが、むしろ逆に、私としてはほかの歌手たちが生真面目すぎると思った。

とりわけ東京オペラシンガーズは、まっすぐ立ったまま強い声で歌う。だが、そうするとまるで軍隊調に聞こえて、「歓びの歌」に聞こえない。結局ちぐはぐなまま第4楽章は終わった。プログラムにヤノフスキ自身、インタビューに「第4楽章は重要ではない。第3楽章が最高」というようなことを語っている。その通り、第4楽章はあまりよくなかった。

とはいえ、これほどの第3楽章までを聴けることはめったにない。幸せだった。

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ザネッティ+読響の第九 第4楽章は素晴らしかった

20181225日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団「第九」特別演奏会を聴いた。

「第九」の前に三澤洋史指揮、新国立劇場合唱団によってバッハのモテット第1番「新しい歌を主にむかって歌え」が演奏された。素晴らしい演奏だった。第九でも思ったが、世界でもトップクラスの合唱団だと思った!

 そして、第九。指揮はマッシモ・ザネッティ。この指揮者の演奏は初めて聴くと思う。録音でも聴いた記憶がない。アクセントの強い演奏をする指揮者だと思った。すべての音がスタッカート風で出だしが強い。そのためにとてもキレがよく、きびきびしている。快速に、そしてメリハリをもって激しく音楽が進んでいく。爽快ともいえるし、疾風怒濤ともいえる。とてもドラマティック。オーケストラも指揮にしっかりとついていく。その意味で見事な演奏だと思った。私は基本的にはこのような演奏が好きだ(逆に言うと、のろくて大袈裟でひきしまっていない演奏が大嫌いだ)。ただ、ずっと同じ調子なので、私としては手の内がわかってしまう気がして、それほど感動できなかった。第2楽章はとりわけ機械的に響いているかのように感じられた。昨日の小泉和裕のハッタリのない正攻法の音楽のほうにずっと感動したのだった。

 とはいえ、第4楽章の盛り上がりは素晴らしかった。快速に音楽が進み、音が重層的に展開して小気味よく、しかも実に祝祭的。オーケストラも素晴らしかった。ソリスト(アガ・ミコライ、清水華澄、トム・ランドル、妻屋秀和)も高いレベルでそろっていた。そして、第4楽章については新国立劇場合唱団の力が大きいと思う。圧倒的な合唱だった。最後には心が感動で震えた。

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小泉和裕+都響の第九 理にかなった素晴らしい演奏

 20181224日、東京芸術劇場で都響スペシャル「第九」コンサートを聴いた。指揮は小泉和裕。

 小泉の第九を初めて聴いたが、素晴らしい演奏だった! まさしく正統の演奏。大袈裟に煽ることもない。テンポを動かすこともない。きわめて理詰めに、的確に音楽が進んでいく。楽器のバランスもとてもいい。指揮者はとりたてて何かをしているようには思えない。いつものようにうつむき加減で手を動かすだけ。だが、その手の動きによってオーケストラの音色が変化し、表情が生まれてくる。そのような表現がとても理にかなっているので、徐々に音楽が高まっていく。心の奥に響く。音色も素晴らしかった。弦も管楽器もとても美しい。アンサンブルが見事。何度も心の底から感動した。最後には涙が出てきた。

 とりわけ第1楽章が素晴らしいと思った。スケールが大きく、ダイナミック。しかし、もちろん細かなニュアンスもしっかりと伝わる。構成感もしっかりしているし、文句なし。第2楽章もティンパニの音が明確でメリハリがあって、まさに高貴な感じがする。

そして、第3楽章。実は少し不満だった。もっともっと精妙であってほしかった。が、今日、聴きながら、ちょっとした発見をした気になった。私はこれまで第3楽章の構造に納得できなかった。最高に美しい音楽だと思うのだが、突然のファンファーレは一体何なんだ?・・・などとこの曲を夢中で聴き始めた中学生のころからずっと疑問に思っていた。が、今日、聴きながら、「ああ、そんな曲だったのか!」と納得したのだった。ただ、それがどんな納得だったかをここに書くのはよそう。もう少しほかの演奏なども聴いてみることにする。が、ともあれ小泉の演奏を聴いて初めて納得できた気になったのだった。

 第4楽章も見事だった。納得のできる音楽の物語があってソロが始まった。歌手陣(安井陽子・富岡明子・福井敬・甲斐栄次郎)も全員とてもそろっていた。二期会合唱団も全体的にはとてもよかった(ちょっとだけ乱れがあった気がしたが、気のせいか?)。祝祭感が最高だと思った。決して大袈裟に煽るわけではないのに、音色が豊かで抑えていた音楽的方言が解放されるので心の底から歓びにあふれる。小泉の素晴らしい指揮者であり、都響も素晴らしいオケだと改めて思った。

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ヴィット+新日フィルの第九 感銘を受けなかった

 20181216日、オーチャードホールで新日本フィルハーモニー交響楽団の「第九」特別演奏会を聴いた。指揮はアントニ・ヴィット。独唱は盛田麻央(ソプラノ)、中島郁子(アルト)、大槻孝志(テノール)、萩原潤(バリトン)。

 ヴィットの演奏は、ナントのラ・フォル・ジュルネで何度か聴いたことがある。とても良かったこともあったし、そうでないこともあった。ナントでちょっとだけ話を交わしたこともある。私のへたなフランス語を辛抱強く聞いてくれて、ともあれ会話にはなった。昨年の新日フィルの第九(マルク・アンドレーエ指揮)は惨憺たるものだと私は思ったのだが、今年はヴィットが振るというのなら、聴かないわけにはいかない。そう思って出かけた。

 全体的にはかなりオーソドックスな指揮だと思う。が、強調するべきは強調する。ところどころハッとするようなところがあった。とりわけ、第4楽章の合唱のパートでかなり歌い方に工夫が加えられているようだった。きっと合唱指揮の栗山文昭ではなく、ヴィットの指示によるものだと思う。そのおかげで時折新鮮に響くところがあった。その意味ではとても興味深く聴かせてもらった。

 ただ、私はどうもリズムが不安定でバタバタしているように思えた。第1楽章はとてもよかったが、第2楽章でダイナミックでバタバタ感が強まり、第3楽章ではじっくりとした静寂が訪れずにファンファーレに部分も不発に感じた。第4楽章でもそれが続き、とりわけ合唱の始まる前の各楽章のテーマが出現する部分も平板だった。

 歌手陣については、私は萩原潤の自然な美声に惹かれた。大槻孝志もとても安定した歌唱だった。女声陣については、少し声を張り上げすぎているように思えた。栗友会合唱団による合唱も、ヴィットの指揮のせいかもしれないが、安定性に欠けると思った。

新日フィルについても、大きなミスなかったとはいえ、アンサンブルがビシッと決まらず、心もとなさを感じることが何度かあった。昨年に比べればずっと良かったとはいえ、全体的にはあまり感銘を受けなかった。

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ノット+東響の「英雄の生涯」 本格的で鮮烈な演奏!

 20181215日、サントリーホールで東京交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はジョナサン・ノット。曲目は、前半に主席フルーティストの甲斐さちが加わってヴァレーズの「密度21.5」、それに続けて「アメリカ」、後半にシュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。素晴らしい演奏だった。

 ヴァレーズの曲は、フルートの無伴奏も、その後の「アメリカ」も音が鮮明で、ときどき魂が震えるような広がりを持つ。かなり透明で濁りのない鮮烈な音。ただ、私はヴァレーズの曲にそれほどなじみがない(かなり前、「イオニザシオン」などの入ったレコードだったかCDだったかを1枚だけ持っていて何度か聴いた程度)ので、演奏についてはどうこういえない。

 後半の「英雄の生涯」は前半以上に素晴らしかった。

最初、何気なしに、あちこちに音楽が散らばったような始まり方をしたので、「あれ?」と思って聴いていたらぐいぐいと求心的になり、音楽に表情が生まれてきた。とても自由に楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。だが、そうであるのに音楽は生き生きとしてアンサンブルはしっかりとまとまっている。

 コンサートマスター水谷晃のソロは官能性を抑えたかなり攻撃的な音だった。指揮者の指示もあるのだろうか。特にロマンティックな演奏ではなく、大袈裟に強調するわけではないのだが、音が美しく、鮮烈に明確に音楽が作られていくので、それだけで音楽に表情が生まれて、豊かになっていく。まさに本格的な音楽。トランペットのミスがあったのは残念だったが、全体的にはオーケストラは素晴らしかった。

私はシュトラウス好きだが、もっぱらオペラが好きなのであって交響詩については実は心に響くことは少ない。ところが、後半、何度も感動に震えた。

 ジョナサン・ノットの指揮を聴くのは久しぶりだった。東響の首席指揮者に就任してから今回初めて聴く。それにしても、素晴らしい指揮者だと改めて思った。

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