音楽

オペラ映像「ナクソス島のアリアドネ」「さまよえるオランダ人」「二人のフォスカリ」「ファルスタッフ」

 緊急事態宣言が全国で解除され、私の仕事もかなり日常に戻りつつある。今日も、午前中は日本語学校、午後は大学で仕事をした。明日以降も、外に出ての仕事になる。感染の第二波が心配だし、それ以上にコロナ禍後の社会のあり方が不安だが、ともあれ、仕事をこなしていくしかない。

 この間に見たオペラ映像についての感想を簡単に記す。

 

リヒャルト・シュトラウス 「ナクソス島のアリアドネ」2014年 ウィーン国立歌劇場

 見覚えがあるので、NHKBSで放映されたものだろうかと思っていたが、どうやら2016年のウィーン国立歌劇場日本公演と同じ演出のようだ。そのとき、あまりに残念なことに、バッカス役のボータが急死して代役が立ったことを思い出した。この映像はボータが歌っている。

 素晴らしい上演。時代を代表するこの役の最高のキャスティングだと思う。序幕の作曲家のソフィー・コッシュはまさに適役。声は伸びているし、初々しいし、姿かたちも作曲家にぴったり。音楽教師のマルクス・アイヒェも見事。

 オペラの部分では、私はアリアドネのソイレ・イソコスキの歌に感動した。完璧にコントロールされた声。表現力も豊か。清澄でしかも奥深い歌を聞かせてくれる。バッカスのヨハン・ボータも、これ以上ないほどの美声と声のコントロール。この二人が視覚的にアリアドネとバッカスに見えないのが残念だが、歌唱の見事さは欠点を補ってあまりある。イソコスキは現代最高のシュトラウス歌いだと思う。

 ツェルビネッタのダニエラ・ファリーも華やかで躍動的でとてもいい。容姿の面でも説得力がある。ただ声の輝きという面では、アリアドネとバッカスの充実には少し劣ると思う。 ニンフたちも道化の面々も見事な歌と演技で申し分ない。

 指揮のティーレマンはさすがに自在な棒さばきというべきか。以前、CDだったかDVDだったかでティーレマンの指揮するこのオペラを聴いたとき、ユーモアのセンスがなく生真面目過ぎるという印象を受けたのを覚えているが、今回はそのようなことはあまり感じない。ユーモモラスな演奏ではないが、繊細で緻密で躍動するので、何かの不足があるとはまったく思わない。しなやかさが増して、音の一つ一つ、響きの一つ一つに力がある。

 スヴェン=エリック・ベヒトルフの演出については、最後に作曲家とツェルビネッタが抱き合うことを除けば、特に新しい解釈はない。人物の動きが音楽にぴたりと合っているので、歌手たちは歌いやすいだろうし、自然に感じるが、ちょっと物足りない。

 

 

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 2019年 フィレンツェ五月音楽祭劇場

 なんといっても、ファビオ・ルイージの指揮が素晴らしい。切っ先鋭く、しかも大きくうねり、ドラマティックで疾風怒濤。このオペラにふさわしい。息つく暇もないほどに緻密に構成され、次々と音が挑みかかってくる。緊張感とドラマに酔う。

 歌手陣もそろっている。オランダ人を歌うトーマス・ガゼリはドスのきいた深い声で、この役にふさわしい。ダーラントを歌うミハイル・ペトレンコも深く歌う。ただ、ゼンタ役の マージョリー・オーウェンズについては、私はヴィブラートが気になった。それに悪く言えば、ちょっと間延びした歌唱に思える。バラードはあまりにゆっくり。これは本人の意思なのかルイージの指示なのか。きれいな声で歌おうとして、ドラマ性が失われているように思えた。合唱もそろっていないように思えた。

 ポール・カランによる演出については、特に新しい解釈はないが、おどろおどろしさを前面に出しており、なかなかの迫力。コンピュータマッピングによって荒れた海や幽霊船を作り出し、おぞましいといえるような薄汚れた空間を作り出している。第二幕は、薄汚れたミシンの並ぶ工場という設定。第三幕の最後でオランダ人は救済されるが、(こう言っては大変失礼だが、)オランダ人もゼンタも美男美女ではなく、うらぶれた感じが漂う。そうであるがゆえに、リアルであり、ハードボイルド的な凄味がある。

 

 

ヴェルディ 「二人のフォスカリ」2019年  パルマ、レッジョ劇場 ヴェルディ音楽祭

 イタリア・オペラにはあまりなじんでおらず、しかもヴェルディの初期作品となると、数えるほどしか聴いたことがないのだが、どういうわけか私は「二人のフォスカリ」がかなり好きだ。「アイーダ」や「オテロ」よりも実はずっと感動する。

 フランチェスコ・フォスカリを歌うウラディーミル・ストヤノフが圧倒的に素晴らしい。最後の歌には胸を打たれる。まさに、息子を失い、地位を失って絶望する老人の呪いと悲しみにあふれている。気品ある容姿もこの役にふさわしい。ヤコポ・フォスカリを歌うステファン・ポップも伸びのある美声。ルクレツィアを歌うマリア・カツァラヴァは、声楽面ではとても見事。張りのあるしっかりした声。

 パオロ・アリヴァベーニという指揮者を私は知らなかった(たぶん、一度も演奏を聴いたことがないと思う)が、切れが良く、しっかりと鳴らして、とてもいい指揮者だと思った。アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団にも文句はない。レオ・ムスカートの演出については、とりわけ何かが起こるわけではないが、音楽を邪魔しないので、私としては好感を持った。全体的に、しっかりとまとまっており、とても良い上演だと思った。

 

ヴェルディ 「ファルスタッフ」2019年 マドリード王立歌劇場

 ダニエーレ・ルスティオーニの指揮が恐ろしく元気。ドラマティックでメリハリがあり、激しい。まるでヴェルディの「リゴレット」や「運命の力」のよう。しかも、歌手たちも元気いっぱいに激しく、怒りや悲しみを込めて歌う。このような演奏を好む人も多いのかもしれないが、私としては、もう少しこのオペラはおとなしくていいのではないかと思う。もっと、ニンマリして、「こいつ、しょうがねえなあ」と思ってファルスタッフの人間臭さを笑いたい。ところが、この演奏では、ファルスタッフはエネルギーにあふれたかなりの悪漢。

 歌手たちのほとんどを私は知らない。が、とても充実している。ファルスタッフのロベルト・デ・カンディアは、たぶん自前の巨大な腹なのだと思う。見事な声。アリーチェ・フォード夫人のレベッカ・エヴァンス、メグ・ペイジ夫人のマイテ・ボーモンともに、とても魅力的な中年女性で歌もそろっている。フォードのシモーネ・ピアッツォラも芸達者でしっかりした声。クイックリー夫人がやけに大柄だと思ったら、なんとダニエラ・バルチェッローナではないか! さすがの歌唱と演技。今回のキャストの中で唯一のよく知る歌手だった。

 演出はロラン・ペリー。ペリーにしては、コミカルさがあまりない。全員が現代の服装で街の居酒屋めいた場所で始まる。ファルスタッフは街にたむろする少し下層の太った爺さんといったところ。だが、こうすると、妙にリアルになってしまって、騎士のプライドを持って自分がモテると信じているファルスタッフの滑稽さが現れない気がする。私はペリー・ファンなのだが、今回はいつもほどには感心しなかった。

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オペラ映像「ホフマン物語」「修道院での結婚」

 検査数が少ないので実数はわからないとはいえ、新型コロナウイルスの感染者数がかなり減ってきた。外出自粛の効果が出てきたのだろう。

 少し前まで、我が家に赤ん坊の声が聞こえていたが、赤ん坊はもう若夫婦の暮らすマンションに移った。今、家族のことで気になるのは、母だ。新型コロナウイルス感染拡大のために、母のいる老人ホームはもう3か月近く面会禁止になっている。今年93歳になる母は認知症が進みつつあった。家族と会えなくて寂し上がっているのかもしれない。認知症が進んでいるのかもしれない。だが、会うことができない。私と同じような状況にいる人は大勢いるだろう。もっと深刻な人も大勢いるだろう。早く収束に向かってほしい。

 そんななか、家ではオペラ映像を見たり、映画を見たり。オペラ映像を数本見たので、簡単な感想を書く。

 

「ホフマン物語」2018年 オランダ国立歌劇場

 あまりに斬新なバイロイトの「タンホイザー」演出で名をはせたトビアス・クラッツァーの演出による「ホフマン物語」。読み替え演出に好意的でない私は、今回の演出も不快になった。

 舞台上にいくつもの区画が作られ、3つ以上の小舞台に分けられている。それぞれで演技が行われる。ホフマンとミューズは同棲する若い芸術家の男女とされているようだ。全員が現代の服装をしている。ホフマンが過去に関係を持った女たちの話をするということなのだろう。だが、オランピアは機械人形ではなさそうだし、アントニアは喉を自分で切って自殺する。私にはそのような行為にどんな意味があるのか、よくわからなかった。わざわざこんなに複雑な舞台にして、意味ありげな行為を取る意味があるのだろうか。

 演奏的にはかなり良いと思う。ジョン・オズボーンのホフマンは、声に威力は見事。ただ、フランス的な雰囲気がなく、いかにもアングロ・サクソン的。アイリーン・ロバーツのミューズは声も美しく、しっかりと演じていた。ニーナ・ミナシャンのオランピアは個性的な声だが、頭抜けてはいない。アントニアを歌ったエルモネラ・ヤオ(名前に覚えがあったので確かめてみたら、2010年に神奈川県民ホールで「椿姫」のヴィオレッタを第一幕まで歌って、声が出なくなって途中交代したソプラノだった!)は素晴らしい。ジュリエッタのクリスティーヌ・ライスも蠱惑的でなかなかいい。

 ただ、リンドルフやコッペリウスなどを歌うアーウィン・シュロットがめちゃくちゃなフランス語で歌うのが興ざめ。また、フランツなどを歌うサニーボーイ・ドラドラ(南アフリカ出身の黒人歌手。それにしてもSunnyboy Dladlaという名前にどのような由来があるのだろう?)も音程が不安定で、私は聴くのがつらかった。

 カルロ・リッツィ指揮のロッテルダム・フィルは勢いはあるのだが少し直情的すぎてガサツな気がした。もっとしなやかなほうがこの複雑なオペラにふさわしいと思うのだが。

 

 

オッフェンバック 「ホフマン物語」1981年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 読み替え演出の「ホフマン物語」に辟易したので、古いDVDをひっぱりだして古典的な上演をみた。ジョン・シュレシンジャー演出の名演として知られるもの。指揮はジョルジュ・プレートル。しなやかでフランス的エスプリがある。

 すべての役が素晴らしいが、その中でもホフマン役のプラシド・ドミンゴが圧倒的。このころのドミンゴの声の威力たるやすさまじい。オランピアのルチアーナ・セッラも美しい声。アントニアのイレアナ・コトルバスも薄幸の女性を美しく歌って素晴らしい。ただ、ジュリエッタ役のアグネス・バルツァは声は魅力的だが、めちゃくちゃなフランス語の発音にびっくり。シュロットのフランス語よりももっとすさまじい。その昔、ドイツ語の達者な知人がバルツァのドイツ語の歌(何の曲だったか忘れた)を聴いて、発音があいまいで聞き取れなかったと語っているのを思い出した。プレートルがよくもこのようなフランス語を許したと思う。

 それを除けば、本当に時代を代表する名演奏だと思った。

 

プロコフィエフ 「修道院での婚約」1997年 マリインスキー劇場

 NHKの放送だったか、あるいは別の機会だったか、この映像を、昔、一度みたことがあるような気がする。

 有名になる前のネトレプコがルイザを歌っている。とびぬけて綺麗でほれぼれする。古今東西歴代のオペラ歌手の中で第一位の美貌だと思う。ただ、歌のほうはまだ硬く、声も伸びていない。この少し後に大化けするとは思えないほど。

 とはいえ、全体的には素晴らしい上演だと思う。指揮はヴァレリー・ゲルギエフ。ゲルギエフらしく切れが良く、色彩的で、魂をざわざわさせる力を持っている。歌手もそろっている。クララ役のマリアンナ・タラーソワも容姿が美しく、声もしっかりしていて清純。付添人のラリッサ・ディアドコヴァも凄味があり、おかしみもある。いい味を出している。そして何よりも、ドン・ジェローム役のアレクサンダー・ゲルガロフが自由自在な歌いっぷりと見事な演技。このころからゲルギエフ率いるマリインスキー劇場の声望が世界中に響くようになったが、その力量がよくわかる。演出も、愉快で豪華で色彩的。

 嫌な相手と結婚させられそうになった娘が計略を用いて愛する男性と結ばれ、そのさなかにあれこれの誤解やごたごたが起こって、別の男女も結ばれる・・・というまるでドニゼッティの喜歌劇のような内容。だが、プロコフィエフだけあって、聞こえてくる音楽は斬新でクールでしかもとぼけていて、なかなかおもしろい。

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オペラ映像「アニェーゼ」「ボルゴーニャのエンリーコ」「運命の力」

 緊急事態宣言が出てから2週間。病院の集団感染が伝えられている。医療崩壊が起こらないのか、そもそも前からわかっていたはずなのに、医療その他の面で準備できていなかったのか。不安が高まる。不安は尽きないが、私としては、自宅で粛々と仕事をし、合間合間に芸術を楽しむしかない。そんな中、オペラ映像をみたので、簡単な感想を記す。

 

パエール 「アニェーゼ」 2019年 トリノ、レッジョ劇場

 パエールは1771年、つまりベートーヴェンの翌年に生まれたイタリアの作曲家。「モーツァルトとロッシーニの間をつなぐオペラ作曲家」だという。私は、作曲家の名前も、この「アネェーゼ」というオペラも初めて知った。

 確かに、モーツァルトやロッシーニと雰囲気が似ている。第一幕を見ているうちには、「モーツァルトとロッシーニを足して3で割って、そこから天才性を取り除いたような音楽だ」と思っていた。快活で耳当たりの良い音楽が続く。ただ、あまり魅力的な音楽ではないと感じていた。

 が、第二幕になってがぜんおもしろくなった。モーツァルトともロッシーニとも異なる、この作曲家特有の生き生きとした音楽が聞こえてきた。確かに二人の大天才には劣るかもしれないが、とても楽しいオペラ。まったく退屈せずに、最後まで楽しんだ。

 最愛の娘アニェーゼが恋人エルネストと駆け落ちしてしまったため、父親ウベルトは狂気に陥り、「娘は死んでしまった」と思い込んでいる。アニェーゼは娘を産んだもののエルエネストに捨てられ、実家に戻るが、娘が死んだと思い込んでいる父はアニェーゼを娘と気づかない。周囲の人たちの努力によってやっと父は正気を取り戻し、恋人エルベストも後悔してアニェーゼに元に戻って、めでたしめでたしでオペラは終わる。

 演奏も素晴らしい。すべての役がしっかりした声で、演技もうまいし、まさに堂に入っている。とりわけウベルト伯爵のマルクス・ウェルバ、アニェーゼのマリア・レイ=ジョリー、エルネストのエドガルド・ロチャが素晴らしい。ディエゴ・ファソリスの指揮によるトリノ・レッジョ劇場管弦楽団も生き生きしていて文句なし。レオ・ムスカートの演出も、色彩的で楽しくて、わかりやすく躍動的。

 

ドニゼッティ 「ボルゴーニャのエンリーコ」(アンダース・ヴィクルントによる比較校訂版) 2018年 ベルガモ、ソシアーレ劇場(ライヴ)

 

 ドニゼッティ21歳の作だという。先輩であるロッシーニの若い時期の作品に、やはりよく似ている。音楽はメリハリがあり生き生きとして楽しい。

 ストーリー的には、かなり無理がある。エンリーコ(メゾ・ソプラノで歌われる)は王の息子だが、王が殺害されたため、身分を偽って育てられている。一方、王を殺害したグイードはその後、暴虐の限りを尽くし、エンリーコと愛を交わしているエリーザと婚礼を挙げようとしている。エンリーコは立ち上がり、エリーザを奪い返し、民衆の助けによってグイードを追い払う。

 エンリーコ役のアンナ・ボニタティブスが素晴らしい。途中、ちょっと音程が不安定に感じるところもあるが、最後の独唱は言葉をなくす凄さ。声の勢いもアジリータの技巧も圧倒的。エリーザのソニア・ガナッシ、ジルベルトのルカ・ティットートはさすがの円熟。声は伸びているし芸達者。グイードのレヴィ・セクガパーネ(アフリカ系のテノール)は美しい高音を出すが、発声が不安定。あと少しの鍛錬が必要だと思う。

 アレッサンドロ・デ・マルキの指揮だが、オーケストラの精度が高くないので、生き生きとしたリズムなのだが、少しもたついて聞こえる。

 演出はシルヴィア・パオリ。舞台の中に、もう一つ舞台が作られ、劇中劇という形になっている。ストーリーがあまりに他愛がなくプリミティブなので、あえてこのような方法をとったのだろう。もしみんなが大真面目にこのストーリーを演じたら、確かにリアリティをなくして観客は白けてしまうだろう。劇中劇にしたために、面白く、舞台から距離を置いてみることができる。とてもセンスのいい演出だと思った。

 全体的に、とても楽しめた。ドニゼッティは、イタリアで人気のわりに日本では軽んじられている。私も大作曲家だと思っているわけではないが、愛すべきオペラ作曲家だと思う

 

「運命の力」 2019年 英国ロイヤルオペラ

 NHK/BSで放送されたものをみた。目くるめくような大スターたちの饗宴。何しろ、レオノーラがアンナ・ネトレプコ、ドン・アルヴァーロがヨナス・カウフマン。その二人だけでもアッと驚くのに、ドン・カルロがリュドヴィク・テジエ、プレチオシッラがヴェロニカ・シメオーニ、グァルディアーノ神父がフェルッチョ・フルラネット、そして、なんとカラトラーヴァ侯爵がロバート・ロイド、フラ・メリトーネがアレッサンドロ・コルベッリ、そしてクーラがロベルタ・アレクサンダー。昔の大スターまでが勢ぞろい。しかも、みんなが圧倒的な声を聞かせてくれている。

 ただでも話がドラマティックなので、もうそれ以上音楽でドラマティックにしなくてもいいと思うのだが、パッパーノの指揮がいやがうえにもドラマを盛り上げる。クリストフ・ロイの演出も、リアリティを重視したもので、説得力があった。ともかく、これ以上は考えられない上演だと思った。

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東京シティ・フィルの「緊急支援のお願い」

 Enoの音楽日記(https://blog.goo.ne.jp/eno1102)を読んで、東京シティ・フィルの「緊急支援のお願い」について知った。

 東京シティ・フィルは、敬愛するマエストロ飯守泰次郎が常任指揮者の時代、私はワーグナー、ブルックナーのコンサートにしばしば通ったものだ。大いに感動させていただいた。

 そのシティ・フィルが、新型コロナウイルスの影響で窮地に陥っているらしい。おそらく、日本中の、そして世界中の音楽家やコンサートにかかわる人たちが、現在、演奏活動を継続できず、それどころか日々の生活もままならなくなっていると思われる。東京シティ・フィルはきっと在京のプロのオーケストラの中でも特に経営状態が厳しい団体の一つだろう。力になれるというほどではないが、及ばずながら私も支援にほんの少しだけ協力させていただいた。

 自由席券の購入という形での応援募金なので、抵抗なく応じることができる。多くの人がほんの少しずつであれ、このような形の支援をすることが、日本のクラシック音楽文化を維持することにつながると思う。

 

 【緊急支援のお願い】東京シティ・フィル応援募金のお願いhttps://www.cityphil.jp/news/detail.php?id=149

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オペラ映像「チェネレントラ」「眠れる森の美女」「道化師」

 緊急事態宣言下、私は外出を自粛して、自宅で仕事をしている。これから医療崩壊が起こるのか、感染爆発が起こるのか。それとも、何とか食い止められるのか。重苦しい。

 私自身は、先日購入した電動機付自転車を乗り回したり、オペラ映像をみたり、DVDで映画をみたりして、重苦しさをそれなりに解消しているが、これがこれから先も続くと思うと実につらい。次々と予定していたコンサートの公演中止の連絡が舞い込む。

 ともあれ、この数日間にみたオペラ映像の感想を記す。

 

ロッシーニ 「チェネレントラ」 2016年 ローマ歌劇場

 全体的にはとてもよくまとまった上演。

 アンジェリーナを歌うセレーナ・マルフィは、可憐というよりはちょっとボーイッシュで迫力がある。王子役のフアン・フランシスコ・ガテルはやや陰りを感じる。ともに、ロッシーニのあけっぴろげの楽天性からは程遠い。なかなか良いのだが、二人ともつき抜けたものを感じない。もっと輝かしくあってほしい。

 アレッサンドロ・コルベッリのドン・マニーフィコがもっとも安心してみていられる。芸達者でおもしろい。ヴィート・プリアンテのダンディーニ、ウーゴ・グァリアルドのアリドーロも悪くないが、声の処理の雑なところを感じた。

 アレホ・ペレスの指揮するローマ歌劇場管弦楽団についても、歌手たちと同じような印象を受けた。悪くはないのだが、あと一歩突き抜けた表現がないので、心の底から満足することはできなかった。

 演出はエンマ・ダンテ。アンジェリーナを取り巻くネズミたちや王子の召使たちの背中に大きなネジが取り付けられている。彼らはネジ巻き人形という設定になっている。そして、悪役であるドン・マニーフィコと二人の娘が心ならずも従順になったとき、彼らも背中にねじを取り付けられる。どうやらネジは、権力に飼いならされて従順になった存在の印らしい。なかなかに皮肉な演出だと思う。

 もう少し突き抜けた「チェネレントラ」を期待していたのだったが、十分に楽しむことはできた。

 

レスピーギ 「眠れる森の美女」 2017年 カリアリ歌劇場

 ペローやグリムに取り上げられている「眠れる森の美女」に基づくファンタジー・オペラ。レスピーギにこのようなオペラがあるとは、今回の発売まで知らなかった。

 ただ、ペローなどでは、La Belle au bois dormant であって、文字通りに読むと、「眠っている森・の美女」という意味だが、このオペラのタイトルはイタリア語で、La Bella dormente nel boscoなので、「森の中の・眠っている美女」ということになる。なぜ、このような違いがあるのか気になるところだが、物語としてはどちらでも大差ないので、あまり気にしないことにする。

 妖精たちが登場してバロック風に歌う、まさにファンタジックなオペラ。ドラマティックに個人の感情を歌い上げるようなことがないが、それがむしろ心地よい。アンジェラ・ニシの王女は清純できれいで、王女にぴったり。そのほか、妖精たちもきれいな声。ドナート・レンツェッティの指揮によるカリアリ歌劇場管弦楽団の演奏も、私は特に不満を感じない。

 王女は300年眠ったとされ、王女を目覚めさせる王子は現代人という設定。現代の服装をしている。演出のレオ・ムスカートによる工夫かと思っていたら、音楽も現代的になって、王女が目覚めた場面ではバロック風の音楽と、ジャズ的な要素の混じった現代的な音楽が入り混じる。なかなかおもしろい。

 名作オペラとは思わなかったが、もっと取り上げられてもいいオペラだと思った。

 

レオンカヴァッロ 「道化師」2019年 フィレンツェ五月音楽祭劇場

 とても良い上演だと思うのだが、肝心のカニオ役のアンジェロ・ヴィッラーリがあまりに不安定。なぜ、こんな音程の狂った歌手が主役を張るのか、私には理解できない。この歌手、「沈鐘」でも同じような歌いっぷりだった。しかも、喝さいを浴びている。どういうことだ?

 ネッダを歌うヴァレリア・セーペが素晴らしい。ちょっと蓮っ葉で、でも清純で、しっかりした声。シルヴィオを歌うのはレオン・キム。韓国系の歌手だと思うが、とてもいい。この二人のデュオの部分が最も良かった。トニオのデヴィッド・チェッコーニは安定しているが、あと少しの迫力が欲しい。

 ヴァレリオ・ガッリ指揮のフィレンツェ五月音楽祭劇場管弦楽団は勢いがあって、とてもいい。

 演出はルイージ・ディ・ガンギとウーゴ・ジャコマッツィ。一人一人の動きや表情がとてもリアルで、集団の動きも躍動感があってよい。子どもが指揮の真似をするのも、とても自然。様々な色を使って生命にあふれた雰囲気を出している。ただ、私の趣味としては、もっと下品で、もっと差別的な雰囲気があるほうが望ましいが、現代社会ではそうはいかないのだろう。

 カニオ役がもう少し音程がしっかりしていたら、私は大いに感動しただろう。

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緊急事態宣言 そしてオペラ映像「ワルキューレ」「オイリアンテ」

 新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出された。

 東京の多摩地区に暮らす私は今回の宣言の影響をまともに受ける。このような経験は初めてなので、さて、これからどうなるのか。自分がどうすればよいのかも判断に迷う。

 ともあれ、自分が感染しないように、人に感染させないように最大限の注意をしようと思っている。

 誰もが思っていることだと思うが、新型コロナウイルスについて、私が考えていることをいくつか記す。私はややリベラル寄りの、つまりは反自民の人間なのだが、今回は挙国一致でのウイルスとの戦いなので、安倍政権のウイルス対策をことさら否定しようとは思わない。だが、いくつかの点ではどうにも納得できない。

・ 最も納得できないのは、PCR検査をなぜもっとしないのかということだ。色々と理由を聞かされてきたが、どれも納得できない。私は毎日でも検査したい。陰性だったら、安心して活動したい。そうでなかったら、すぐに最もふさわしい行動をとりたい。検査をすれば。それが判断できる。先進国日本でなぜそれができないのか。

・ 現在言われている「世帯に30万円現金給付」という案は愚策だと思う。手間ばかりかかって、今、お金を必要としている人にすぐに届かない。基準がわかりにくく、判断に困る人、クレームを言う人が殺到するだろう。全国民に10万円というのが、ともあれ最も現実的だと思う。本当に困っている人はそれを生活費にして何とか食いつなぐだろう。余裕のある層は、それを消費に回すので、経済活性化にいくらか役立つだろう。「アベノマスク」の費用もこの費用にあててほしい。そのあとに、所得制限付きの給付を考えてほしい。そうしないと、生活破綻する人が大勢出てしまうだろう。

 

 緊急事態宣言が出されようとしている中、オペラ映像をみた。簡単に感想を書く。

 

ワーグナー 「ワルキューレ」2018年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 素晴らしい上演だ。すべてがそろっている。

 まず何といっても、パッパーノの指揮に圧倒される。起伏の大きなダイナミックな演奏。しかもまったく不自然なところはなく、ぐいぐいとワーグナーの世界に引き込む。第三幕の高揚感もすさまじい。

 2000年前後にはかなり硬い歌いまわしだったスチュアート・スケルトンも随分とこなれてきた。とても魅力的なジークムント。エミリー・マギーのジークリンデもしなやかで魅力的。そして、アイン・アンガーのフンディンク、ジョン・ランドグレンのヴォータン、ニーナ・シュテンメのブリュンヒルデが言葉をなくす凄さ。ランドグレンの名前は初めて知ったが、ヴォータンにふさわしい余裕のある歌いっぷり。シュテンメとの第三幕後半は聴きごたえがあった。フリッカを歌ったサラ・コノリーも、ちょっと妖艶で貫禄があって、説得力がある。第二幕で、ヴォータンがフリッカの体を愛撫しようとするが、確かにそんな気にさせるフリッカではある。

 演出はキース・ウォーナー。第三幕でヴォータンがブリュンヒルデに対して女性としての愛情を抱いていることがほのめかされ、ブリュンヒルデはそれを知って驚きながら受け入れる・・・というパントマイムがなされる。確かにワーグナーの中にそのような要素があるとは思うが、わざわざそれを強調する必要があるのか、少々疑問に思う。全体的にはそれほど新しい解釈はない。

 

ウェーバー  「オイリアンテ」 2018年 アン・デア・ウィーン劇場

 大型の若い歌手たちが中心ののびやかなとても良い上演だと思う。

 歌手たちはきわめて高いレベルでそろっている。オイリアンテのジャクリーン・ワーグナーはヴィブラートの少ないきれいな声。清純でさわやでありながら、強靭さも持っている。アドラールのノルマン・ラインハルトも同じような印象。素晴らしい。この二人には、ジークリンデとジークムントを歌ってほしいと強く思った。二人とも見栄えもする。

 エグランティーネのテレサ・クロンターラーも芯の強い声で素晴らしい。悪役なので憎々しい表情をしているが、驚くほどの美貌だ。リジアルトのアンドリュー・フォスター=ウィリアムズも神経質で根性の良くない男を力演。そして、ルートヴィヒ六世のシュテファン・ツェルニーは素晴らしい美声で安定している。

 コンスタンティン・トリンクスの指揮するウィーン放送交響楽団も明晰でありながら、躍動し、生き生きとしており、とてもいい。

 演出はクリストフ・ロイ。最初から最後まで、遠近法のきいた室内で演じられる。登場人物は全員現代の夜会服を着ている。嫉妬が渦巻き、亡霊が登場し、一方的な情報をうのみにする愚かな思い込みがなされるこのオペラをあえて現代的に描こうという意図だろう。そして、それに成功している。とてもおもしろかった。

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トリオ・アコードのベートーヴェン ピアノ三重奏曲全曲演奏 真摯な音楽!

 20203192021日、3日連続で、東京・春・音楽祭のトリオ・アコードによるベートーヴェンのピアノ三重奏曲の全曲演奏を聴いた。トリオ・アコードは、白井圭(Vn)、門脇大樹(Vc)、津田裕也(Pf)の注目されている若手演奏家の結成したグループだ。場所は旧東京音楽学校奏楽堂。

 新型コロナウイルスの影響で多くのコンサートが公演中止になっている。私自身もこれまでひと月ほどコンサートには足を向けなかった。が、さすがに我慢できなくなって、3日間、足を運んだ。

 19日はピアノ三重奏曲第1番と第5番「幽霊」を中心に演奏された。新型コロナウイルスの影響か、客はまばら。客席の5分の一も入っていなかったと思う。演奏も十分にリハーサルを行っていないようで、ただ合わせているだけの感じだった。私は少々不満を抱いた。

 20日は、ピアノ三重奏曲第2番、4番「街の歌」、「仕立てやカカドゥの主題による変奏曲とロンド」、ピアノ三重奏曲第6番だった。客は19日の2倍以上入っていたと思う。会場の半分近く埋まっているように見えた。演奏についても、やっと本領発揮だと思った。

 スケールの大きな演奏ではない。あざとさのない、きわめて誠実な音楽。「ここを強調したら、音楽が決まるのに!」と素人が考えるような箇所がたくさんあるのだが、そんな小細工はしない。誇張せずに、真摯に音楽に向かっていく。そうして集中力あふれた音楽を作り出す。だんだんとそのような音楽が作り出されるようになった。

 後半の第6番は素晴らしいと思った。ただ、それでも、私としてはちょっと合わせることに気を使いすぎているような気がしてならない。それぞれの演奏者がもっと自由であってくれないと、音楽がおもしろくならない。律儀でまじめで、少しもはみだしがなく、各人の表現がない。とりわけ、ピアノに自己主張がまったく感じられなかった。

 そして、21日。8割から9割くらい席が埋まっていた。19日、20日に比べるとかなりの客の入りだ。演奏も日に日によくなっていくのを感じた。

 前半にピアノ三重奏曲第10番と、第3番、そして後半に第7番「大公」。

 第3番がまずとても良かった。はったりのない真摯な音楽。若きベートーヴェンの、しかし十分に後年のベートーヴェンを思わせる深く重みのある音楽を、気負いもなく自然にのびのびときかせてくれる。前日に感じた不自由さも感じず、各自が自分らしく自然に弾いているのを感じた。やっと三人の息が合い、「合わせているだけ」という雰囲気ではなくなった。「大公」も素晴らしかった。だが、演奏の印象は前日と変わらない。真摯で誠実な音楽だと思う。無理にドラマティックにしないし、あざとくもしない。むしろ自然体で明確な音によって緊密な音楽を作っていくタイプだと思う。「大公」では見事にそれが実現されていた。

 これからしばらく、新型コロナウイルスのため、外国人演奏家の来日公演はほとんど期待できない。大変残念だが、やむを得ない。私としては、十分に感染に用心しながら、これからコンサートを楽しみたいと思っている。ああ、それにしてもやはりなまの音楽は素晴らしいと改めて思った。

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オペラ映像「死の家より」「アフリカの女」「アンジュのマルガリータ」「火刑台上のジャンヌ・ダルク」「ラ・ドンナ・セルペンテ」

 新型コロナウイルス警戒中の戒厳令下ともいえるような状況の中、行く予定だったオペラやコンサートも中止になり、仕事の打ち合わせもキャンセルされて、仕事場に週に2度ほど出かける以外は自宅で仕事をしたり、音楽を聴いたりしている。政府のウイルス対策の甘さに呆れ、突然の休校要請にも驚き、あれこれ言いたいことはあるが、ともあれ、政府の対応が間違いなかったと示してくれることを祈るしかない。

 この間にみたオペラ映像について簡単な感想を記す。

 

ヤナーチェク 「死の家から」2018年 ミュンヘン、バイエルン国立歌劇場

 ヤナーチェクは大好きな作曲家なのだが、この映像については噴飯ものというしかない。私の最も嫌いなタイプの演奏と演出だ。

 指揮はシモーネ・ヤング。穏やかで鋭さのないヤナーチェク。私はヤナーチェクの、心の奥底を抉り出し、人間の宿命を呪いたくなるような生の音が好きなのだが、それがまったくない。気の抜けたヤナーチェク。これでは、ヤナーチェクの良さが少しも感じられない。ドストエフスキー原作の、シベリアに流刑になった囚人たちの絶望と呪いと憎しみと生への執着とはかない憧れがまったくない。ヤングは好きな指揮者なのだが、この柔和さはいただけない。

 演出は悪趣味この上ない。舞台上に撮影隊がいて、登場人物たちを舞台中央に据えられた大画面に大写しにする。そこで登場人物が何やらパントマイムをして本来のオペラとは異なる小芝居がなされる。無声映画のように大げさな動きで口をパクパク言わせ、何かを語り、それが字幕で示される。しかも、その小芝居やせりふはほとんど意味不明。

 そして、少年犯罪者であるはずのアリイエイヤを美形のエフゲニア・ソトニコワが美しい鳥の扮装で登場。このオペラでは、鳥が自由に象徴として登場するが、その鳥の役をアリイエイヤがいわば二役で演じているわけだ。しかし、そんなことをするとこの悲惨な囚人たちの死の家がまったく違ったものになってしまう。

 もとのオペラとはまったく無関係な自己主張を行う演出家の自己満足のおふざけでだただにぎやかなだけ舞台と、腑抜けた音楽によるオペラに仕上がってしまっていた、

 期待していただけに大変残念。

 

マイアベーア 「アフリカの女」1988年 サンフランシスコ歌劇場

 先日に続いて、マイアベーアのオペラ映像を見た。かなり古い映像だが、まさに伝説的名演といってよいだろう。マイアベーアのオペラそのものもなかなかおもしろい。ヴァスコ・ダ・ガマと二人の女性をめぐる物語。マイアベーアがユダヤ人だったせいか、虐げられ、差別されているアフリカ女への共感が音楽にも表れている。

 ヴァスコ・ダ・ガマを歌うのはプラシド・ドミンゴ。さすがというか、輝かしい声が素晴らしい。ただ、ちょっと訛りの強いフランス語といった感じ。だが、そうであるがゆえに、このような輝かしくも強さのある声が出せるのだろう。それ以上に、ヴァスコを愛するアフリカ女セリカを演じるシャーリー・ヴァーレットが素晴らしい。ドミンゴにまったく引けを取らず、芯の強い、しかも魅力的なセリカを歌っている。イネスを歌うルース・アン・スウェンソンも清楚で美しくて可愛らしい。この歌手、これまで注目したことがなかったが、とてもいい歌手だ。ネルスコのフスティーノ・ディアスも怒りを心の奥に秘めた男を見事に演じている。

 マウリツィオ・アレーナの指揮もドラマティックでとてもいい。ルトフィ・マンソーリの演出も、極めて古典的ながら、わかりやすくていい。

 

マイアベーア 「アンジュのマルガリータ」2017年 マルティナ・フランカ、第43回イトリアの谷音楽祭

 まるでロッシーかドニゼッティのオペラのよう。とりわけ、ガウマッティはフィガロのような役割を果たし、アジリータを駆使したアリアもある。マイアベーアがロッシーニの後を継ぐ作曲家だったことを思い出した。

 オーケストラは、イタリア国際管弦楽団。音楽祭のための臨時編成のオーケストラなのだろう。最初のうち、情けない音を出す場面があるが、だんだんとしっかりした音が出るようになる。ファビオ・ルイージの指揮のおかげなのか、引き締まっていながらも色彩的な音楽になっている。

 ばら戦争が舞台だが、アレッサンドロ・タレヴィの演出は現代に移し替えられている。しかし、それほど違和感はない。

 マルガリータを歌うジュリア・デ・ブラシスが自在な演技と歌でとてもいい。あけっぴろげな権力者の未亡人を見事に歌いだしている。夫をマルガリータに奪われたイサウラ役のガイア・ペトローネも見事。男に変装して裏切った夫に近づき、最後には夫の元に戻るという複雑な役を自然に演じている。メゾ・ソプラノの声も歌もしっかりしている。ガマウッテのマルコ・フィリッポ・ロマーノも声が安定し、芸達者。とてもいい歌手だ。ただ、ラヴァレンヌ公を歌うアントン・ロシツキーは、きれいな高音を出すが、声のコントロールが粗い。ちょっと残念。

 とはいえ、全体的に歌手陣は充実しており、とても楽しめた。

 

オネゲル オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」2012年 バルセロナ、サラ・パウ・カザルス

 この曲は何度かCDで聴いたり、映像で見たりしたことがあったが、おもしろいと思ったことがなかった。私はかつてクローデルをフランス語で何冊か読んだ(翻訳もした)が、そのあまりの難解さに頭を抱えたものだ。この台本もわかりにくい。しかも、音楽もとらえどころがない。そう思っていた。

 が、今回聴いてみて、初めて感動した。演奏会形式なので、歌手たちは演技するわけでもなく、それらしい服装をしているわけでもない。もちろん舞台装置もない。だが、ジャンヌを歌うマリオン・コティヤールがとてもいい。清楚で美しい声。完全にジャンヌに見えてくる。コティヤールが何度か涙を流す。まさにそれはジャンヌの涙だ。無理解な周囲に悲しみを抱きつつ、神の世界に入ろうとして火刑になる。生きながら焼かれることで神に近づく。抽象化されたクローデルの台本に、緻密で繊細で知的で、しかも情熱的な音楽が付されていることに初めて気が付いた。

 ドミニク神父を歌うグザヴィエ・ギャレも誠実な歌で見事。そのほかの歌手たちもいいし、いくつかの混声合唱団らしいが、合唱もいい。マルク・スーストロの指揮を初めて聴いたが、真摯で静かに盛り上がる。

 一度だけでなく、これから何度か聴いて、もう少し深く理解したいと思った。

 

カゼッラ 「ラ・ドンナ・セルペンテ」 2016年 トリノ、レッジョ劇場

 カゼッラは1883年に生まれたイタリアの作曲家。このオペラは1932年の作曲だという。もちろん、初めてこのオペラを知った。「ラ・ドンナ・セルペンテ」を日本語に訳すと、「蛇女」。とてもおもしろかった。

 ストーリー的には、ドヴォルザークの「ルサルカ」に似ている。人間世界のアルティドール王に恋をした妖精ミランダが、永遠の愛を条件に人間になろうとするが、王は試練に耐えきれずミランダを呪ってしまう。そのため、罰としてミランダは蛇の姿に変えられるが、最後には愛の力が勝ってミランダは人間になる。そのような物語がコミカルでモダニズム風の音楽によって展開される。音楽的には、プロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」を思わせる。抒情性はなく、からりとしてちょっとハチャメチャ。それがなかなかおもしろい。

 ミランダを歌うカルメラ・レミージョがとてもいい。ちょっと色気があって、しかも十分に清楚。アルティドール王のピエロ・プラッティは、外見はこの役にぴったりだが、声は少し不安定。そのほかの歌手たちはかなりレベルが高い。

 アルトゥーロ・チリッロの演出はとても楽しい。道化芝居風の衣装やら妖精たちの衣装など、色とりどり。バレーが多用され、帽子や仮面を身に着けた妖精たちの踊りも楽しい。色鮮やかな舞台の上で様々な登場人物が動きまわって、ファンタジックな世界が繰り広げられる。指揮はジャナンドレア・ノセダ。ダイナミックでリズミカル。とてもいい演奏だ。

 初めて知る作曲家の初めてみるオペラだったが、とても楽しめた。

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マイアベーアのオペラ映像「ユグノー教徒」「悪魔のロベール」

 テレビでニュースを見るごとに、新型コロナウイルス感染者の数が増えている。実は、報道されているよりはずっと多くの感染者がいて、すでに危機的状況になっているのではないかと恐怖を覚える。私の周囲には妊婦がいて、90歳を過ぎた高齢者がいる。間違っても、私が媒介になって病気をうつすわけにはいかない。

 そんなわけで、予定していたコンサートにも映画にもいかず、できるだけ自宅で過ごしている。だいぶ前に購入してみないままになっていたマイアベーアのオペラ映像を取り出してみはじめた。

 マイアベーアには、もちろんあまりなじみはない。アリア集などで数曲知っている程度。オペラ全曲のCDは何枚か持っているが、最後まで聴いたという自信がない。実演には一度も接したことがない。ものの本には、きまって「マイアベーアは熱狂的人気を博したが、芸術的価値がない」と書かれていた。ともあれ、自分の耳で確かめてみようと思って見始めたのだったが、これがなかなかおもしろい。簡単な感想を記す。

 

マイアベーア 「ユグノー教徒」(ドイツ語版)1991年 ベルリン・ドイツ・オペラ

 この映像をみるのは初めてのつもりだったが、途中から既視感(既聴感!)を覚えた。とりわけ、マルセルの不安定な声を聴くうち、これとそっくりのマルセルを聴いた気がしてきた。たぶん、昔LDで発売されていたのと同じ映像だろう。

 この映像はかなりカットされているようだが、ストーリーはありきたりとはいえ、聖バルテルミーの戦いを題材にとって、とても現代的だし、魅力的な旋律も多い。

 ジョン・デューの演出は、現代の宗教的不寛容と重ね合わせられるようになっている。登場人物は現代の服を着ている。イスラエルとパレスチナの壁を思わせる。

 ラウルのリチャード・リーチ、マルグリット王妃のアンジェラ・デニング、ヴァランティーヌのルーシー・ピーコックは、突出はしていないが、しっかりとしたアンサンブルで歌って、とてもいい。ウルバンのカミュ・カパッソは少し弱い。もう少し、声の輝きが欲しい。マルセルを歌うマルティン・ブラシウスが不調なのか、あまりに不安定。

 ステファン・ゾルテスの指揮については、このオペラになじんでいない私としては何もコメントすることはない。特に不満は感じなかった。ただ、ぐいぐい引き込まれることもない。

 なお、私の購入したDVDは、時々画像が乱れ、1時間8分のころから10数分、視聴できなかった。別のプレーヤーで試してみたが、そこでも同じ結果だった。数年前に購入してみないままでいたので、今更交換してもらうことはできないと思うが、少々残念。

 

マイアベーア 「ユグノー教徒」(仏語) 1990年 シドニー・オペラ・ハウス

 以前、サザーランドの6枚組DVDを購入したものの、画質・音質ともにあまりよくなく、字幕も英語しかついておらず(私は、日本語字幕がない時にはフランス語字幕でみる。英語字幕はかなり苦手)、しかもなぜか画面が横に広がって見える(つまり、実際以上に歌手たちが太目に見える!)ので、そのままみないでいたのだが、「ユグノー教徒」が含まれているのを思い出して、引っ張り出してかけてみた。ベルリン・ドイツ・オペラのものよりは、こちらのほうがずっとドラマティックでよかった。

 マルグリットをサザーランドが歌っている。最盛期を過ぎており、声のコントロールが十分ではないが、高音の美しさは圧倒的。世界のプリマの声の威力は格別だ。そのほかの歌手たちはずぬけた人はいないが皆がそろっている。ヴァランティーヌのアマンダ・セインは可憐、ラウルのアンソン・オースティンは実直な雰囲気でなかなかいい。そしてそれにも増して、ヌヴェール伯爵のジョン・プリングル、サン・ブリ伯爵のジョン・ヴェーグナー、マルセルのクリフォード・グラント、ウルバンのスザンヌ・ジョンストンの四人がしっかり脇を固めて、堅固な世界を作り出している。

 リチャード・ボニングの名前は、サザーランドの夫として認識していたが、改めて聴くと、とてもいい指揮者だと思う。ドラマティックで躍動感があり、ぐいぐいとドラマを進めていく。ロトフィ・マンスリの演出も、豪華で、いかにもグランド・オペラ。ヴァランティーヌの動きなど、まさに可憐でか弱い女性の動きとして、1980年代によく見かけたものだった。それはそれでなかなか説得力がある。とても楽しめた。

 

マイアベーア 「悪魔のロベール」 2012年 ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 これをみると、マイアベーアが大作曲家だと納得する。もちろん、ワーグナーとは比べるべくもないが、フランス・グランド・オペラの魅力が存分に味わえる。ぞくぞくするような蠱惑的な音楽、ドラマティックな音楽が全体を貫き、ストーリーもおもしろい。悪魔ベルトランも魅力たっぷり。

 上演も素晴らしい。私はとりわけベルトランを歌うジョン・レリエに驚嘆した。豊かな声量で、凄味がある。ロベールのブライアン・イーメルは芯の強い美声で、二つの心の間で揺れ動く姿をリアルに歌う。イザベルのパトリツィア・チオーフィはさすがの歌唱。大写しになると恋する乙女に見えないのが残念だが、致し方ないだろう。アリスのマリーナ・ポプラフスカヤは可憐な声でとてもいい。ランボーのジャン=フランソワ・ボラも純朴な青年らしくて好感が持てる。フランス語の発音も私にわかる限りとても正確で美しい。

 ダニエル・オーレンの指揮も、観客をドラマの世界に巻き込んで、見事。修道女たちのバレーも場面など、蠱惑的で不気味。こんなにいい指揮者だったとは。

 そして、何よりもロラン・ペリの演出に圧倒される。舞台全体に動きがあり、それがまったく無駄がなく、しかも邪魔ではない。そうして、わかりやすく舞台が進行する。修道女たちの踊りも出色。マイアベーアってすごい作曲家ではないか!

 

・サザーランド・パヴァロッティ・ボニング コンサート 1983年 シドニー・オペラ・ハウス

 サザーランドの6枚組DVDのなかに、1983年のシドニー・オペラ・ハウスでのガラ・コンサートが含まれていたので、聴いてみた。イタリア・オペラ、フランス・オペラのアリアや二重唱が含まれている。まさしく圧巻。サザーランドはトマの「ハムレット」の有名なアリアあたりから全開になっていく。「ルチア」の二重唱も素晴らしい。そして、それ以上にパヴァロッティがすごい。「衣装を着けろ」や「人知れぬ涙」は言葉をなくす。パヴァロッティの濁りのない軽やかな声を聴くと、まさに稀代のテノールだったと痛感する。

 

 それにしても、早く新型コロナウイルスが終息してほしい。大ごとにならないでほしい。政府の対応に期待したい。

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オペラ映像「トリスタンとイゾルデ」「ルサルカ」「見棄てられたディドーネ」「追い出された亭主」

 新型コロナウイルスが騒ぎになっており(中国の友人は大勢いるので他人ごとではない。日本国内で実はすでに蔓延しているのではないかと心配だ!)、ミレッラ・フレーニ(彼女が活躍していたころ、私はイタリアオペラをほとんどみなかったので、実演には接していないが、その後、CDなどで聴いてその声に驚嘆した)と野村克也氏(一度だけ、紹介されて言葉を交わしたことがある)が亡くなったことが報道されて、心がざわついている。

 何本かオペラ映像をみたので、簡単な感想を記す。

 

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 2016年 ローマ歌劇場

 不思議な演奏だと思った。ダニエーレ・ガッティがイタリアのオーケストラを振るとこのような音になるということなのだろう。ドイツ系のオーケストラの音とかなり異なる。重心が少し上のほうにある感じがする。じっくり、しっとり、厳かというのではなく、官能的で生命的で蠱惑的。まるで万華鏡で美しい音響を見ている(聴いている)かのよう。そういう意味では素晴らしい。うっとりし、時にぞくぞくするほどに感動し、時に躁状態になる。もちろん私は純ドイツ的なワーグナーのほうが好きだが、これはこれで素晴らしいと思う。

 歌手陣も充実している。トリスタンのアンドレアス・シャーガーはのびやかな声で歌いきる。今や随一のヘルデンテノールだろう。イゾルデのレイチェル・ニコルズは、私の好みからすると少し線が細いが、とてもしなやかで魅力的な声だ。クルヴェナールのブレット・ポレガート、ブランゲーネのミシェル・ブリートもしっかりとした声。そして、圧倒的に豊かな声を聞かせてくれるのがマルケ王のジョン・レリエ。ものすごい声の持ち主だ。まだ若いと思うが、これからが楽しみ。

 演出はピエール・オーディ。メロートが杖をついて、まるで障碍があるかのように、ひざを曲げて歩いたり、ブランゲーネも第三幕で殺されるなど、意図のよくわからない読み替えはあるが、さほど突飛ではない。夜へのあこがれと昼への憎悪を遮光の衝立を用いて描き出す。最後、イゾルデ自身は暗く見える逆光の中で「愛の死」を歌う。これぞ光と闇の二項対立の解消だ!と思ったのだったが、私の考えすぎだろうか。

 あまりドイツっぽくない「トリスタンとイゾルデ」だが、魂を震わせる名演であることはまちがいない。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」2015年 ポーランド、ブィドゴシュチュ、オペラ・ノヴァ

 私はふだん、旧式のアンプを通してテレビとスピーカー(それほど高級なものではないが、1本数十万円はした記憶がある)につないでオペラを楽しんでいるが、なぜかこのBDはスピーカーから音が出ない。仕方なしに、テレビ受像機で音を聞いた。そのせいかもしれない、音が薄っぺらで、まるでミュージカルのように聞こえる。

 歌手全員がきれいな声で歌う。だが、あまりにあっさりと歌うので、感銘を受けない。マチエイ・フィガスの指揮するブィドゴシュチュ・オペラ・ノヴァ管弦楽団も、さくさくと進んでいく。まさにミュージカル。しかも、ルサルカのマグダレーナ・ポルコフスカは映画女優のように美しく、魔女のダリナ・ガピッツも魅力的。王子役のタデウシュ・シュレンキェルも好感の持てる容姿。

 演出もミュージカル風。市内の橋の下で物語は展開される。非日常の形而上学的な世界ではなく、まさに日常的な風景の中のおとぎ話となっている。

 これはこれで親しみやすくて楽しいと思うが、私の趣味ではなかった。ただ、繰り返しておくが、もしかすると、いつも聴いているスピーカーを通して聴いていれば、印象は違ったかもしれない。

 

メルカダンテ 「見棄てられたディドーネ」2018年 インスブルック、チロル州立劇場

 メルカダンテのオペラをみるのは2本目だ。昨年「フランチェスカ・ダ・リミニ」の藤原歌劇団公演をみた。この「見棄てられたディドーネ」のほうがおもしろいと思った。

 要するに、ディドとエネアスの物語。ドラマティックで親しみやすいメロディもふんだんにある。とてもいいオペラだと思う。ただ、「フランチェスカ・ダ・リミニ」をみた時も思ったが、台本に緊迫感がなく、ドラマティックに盛り上がらない。並列的に物語が継起していく印象を抱いてしまう。台本さえもっとよくできていれば、きっともっと魅力あるオペラになっているだろうにと残念に思う。

 突出した歌手はいないが、全員の歌のレベルがそろい、視覚的にも満足できる舞台を作り上げている。

 それにしても、この上演の女性陣の容姿の美しさに驚嘆する。ディドーネのヴィクトリア・ミシュクーナイテは絶世の美女といってもいいほど。歌もみごとだが、誇り高い女性を見事に演じる。セレーネのエミリ・ルナールも美しい。エネアスを歌うのは女性のカトリン・ヴントサムだが、この人も整った顔立ち。オペラというのは視覚芸術でもあるので、やはり美男美女が演じるのは大事なことだ。敵役のジャルバを歌うカルロ・ヴィンチェンツォ・アッレマーノも存在感のある歌と演技。

 これはこれでとてもありがたいことだが、オペラまでもがこれほど容姿が重視されるようになってしまったら、容姿の良くない人間の居場所はどこにあるのだろうかと、容姿に自信のない人間の一人として暗い気持にもなる。

 アレッサンドロ・デ・マルキの指揮するアカデミア・モンティス・レガリス管弦楽団は独特の雰囲気を作り出している。ドラマティックでありながら、古風でひなびており、音楽にリアリティを感じる。

 演出はユルゲン・フリム。登場人物は19世紀の服を着ているが、特に違和感はない。平板な台本をドラマティックにする工夫をしているのが見える。先日みた「フランチェスカ・ダ・リミニ」よりも楽しめたのにはこの演出のおかげもあるのかもしれない。

 

オッフェンバック オペレッタ「追い出された亭主」(ルカ・G・ロージによる管弦楽版)

2019年 フィレンツェ、テアトロ・デル・マッジョ・ムジカーレ・フィオレンティーノ

 45分に満たないオペレッタ。オッフェンバックのオペレッタ好きとしては、このような映像が発売されたとなれば、みないわけにはいかない。

 女性が二人でいた部屋の煙突から若い男性が転がり落ちてきたために起こるドタバタを描く。亭主は、妻の部屋に男がいるらしいと気づくが、中に入れもらえない。最後はめでたしめでたしになる。

「追い出された亭主」という邦題になっているが、「un mari  à la porte」というフランス語題名なので、むしろ「扉で立ち尽くす亭主」という意味にとらえるべきだろう。

 アンリ・マルテル役のパトリーツィオ・ラ・プラーカ、シュザンヌ役のマリーナ・オッジ、ロジータ役のフランチェスカ・ベニテス、フロレスタン・デュクロケ役のマッテオ・メッツァーロともにとても芸達者で歌も安定している。ヴァレリオ・ガッリ指揮のフィレンツェ五月祭管弦楽団も不足はない。ルイージ・ディ・ガンジとウーゴ・ジャコマッツィによる演出も、十分に分かりやすく、楽しく作られている。

 ただ、とてもおもしろいかというと、それほどでもなかった。私はオッフェンバックのオペレッタが大好きなのだが、ストーリー的にも音楽的にも、このオペレッタ自体、あまり面白みがわからなかった。オッフェンバックにはもっとたくさん楽しいオペレッタがある。是非とも映像化してほしいものだ。

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