映画「国宝」 主人公二人がよく似ている!
映画「国宝」をみた。話に聞いていた通り、歴史に残る名作映画だと思った。
映画は吉田修一の原作とはかなり異なる。原作の主要な人物が何人か登場しない。小説の主人公・喜久雄(黒川想矢・吉沢亮)も、そして花井半二郎(渡辺謙)も映画の世界で活躍するはずだが、それもすべてカットされている。喜久雄と俊介(越山敬達・横浜流星)そして、駿介の父親である半二郎の関係に絞ってストーリーが展開していく。しかも、後半、原作にない場面も挿入され、別のエピソードが添えられる。原作の精神が映画の観客に伝わるように、きわめて巧妙に作り変えられている。原作に忠実にして全体が薄まるよりも、このような方法を選んだ台本は大成功していると思う。
芸を磨こうとする二人の青年の努力、そして、歌舞伎の血を受け継ぐ者とそうでない者の友情と葛藤。もうそれだけですべての場面が緊張感にあふれる。そこに女形の芸が加わり、華やかさが加わると、観客は夢中になって画面をみるしかなくなる。
これはまさに裏と表の物語だ。それがひっくり返ったり、元に戻ったり。
私は人間の顔の識別が苦手だ。映画をみてもしばしば混乱するし、日常生活でも困っている。そんなわけで、吉沢亮と横浜流星も見分けがつかずに困った。いや、それどころか、実を言うと、私はしばらく前、テレビ・ドラマで横浜流星をみて、その人物こそが大河ドラマで主役に抜擢され、CMでも見かける吉沢亮その人だとばかり思っていた。しばらくたって、二人が別人だと気づいて驚いたのだった。その後、ずっと私は二人の見分けがつかなかった。この「国宝」も、中盤になってやっと二人の区別がつくようになった。
(アメリカのアカデミー賞の候補作になっていると聞くが、日本人の私でも識別に苦労しているのに、外国人に識別できるのだろうか。ちょっと心配。もしかしたら、私の識別能力が特別に劣っているだけなのかもしれないが)。
この二人のキャスティングは、きっと二人がとてもよく似ているためになされたのだと思う。二人が似ているために、この二人が裏と表の関係であることが明確になる。そして、映画が進んでいくにつれて、それが裏表の関係ではなく、一体の関係に変化していく。そして二人が一体化することで歌舞伎の伝統が一つの国宝という生命になっていく。これはすべての人格を喰らい、一つの抽象的な国宝という芸術美が結晶することを描く残酷な物語なのだと思う。
残念ながら日本の古典芸能についての素養のない私には、映画に出てくる歌舞伎の内容を深く理解できない。その演目、その場が小説で、あるいは映画で選ばれり、変更されたりした理由もよくわからない(「曽根崎心中」については、足!にポイントがあるのは理解できるが)。もちろん登場人物たちの歌舞伎の仕草の巧拙を判断することもできない。それらを理解できたら、もっと楽しめただろうと思う。
それにしても李相日監督の演出力に感嘆した。冒頭の殴り込みの場面からして、リアルであるとともに様式美にもあふれている! 少年時代の二人の演技も見事。そして、もちろん、二人の芝居、踊り、舞台上で動けなくなった俊介を喜久雄がかばう場面など、息をのむ。いや、その二つの場面だけではない。そのような場面にあふれている。しかも、映像は洗練され、動きにあふれている。芸ということでいえば、小野川万菊を演じる田中泯、幸子の寺島しのぶの演技力にも圧倒される。
小説を先に読んでいたので、映画化には落胆するのではないかと危惧していたが、むしろ私は映画の力を再確認できた。私が小説を読んで少し違和感を覚えたところが上手にカットされ、同じような意味を持つ別の構成、別のエピソードに変えられ、それが違和感なく感動的な映像として展開していった。これは小説の映画化の見事な例だと思った。
このような良い映画が大ヒットするのはうれしいことだ。

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