映画

「オフィサー・アンド・スパイ」 とてもおもしろかった

 映画「オフィサー・アンド・スパイ」をみた。監督は、私が学生時代から親しんできたロマン・ポランスキー、原題は「J’accuse」(「われ、告発す」)。19・20世紀のフランス文学に関心のある人間にはこのタイトルはピンとくる。これは「ドレフュス事件」を扱った映画。J’accuseとはもちろん、文豪エミール・ゾラが国家スパイ罪で投獄されたユダヤ人の軍人ドレフュス大尉が無実であること、それを国家が隠蔽しようとしていることをロロール紙で告発したときに用いた言葉としてフランス文学史に残っている。

 私は大学院時代の指導教官である今は亡き渡辺一民先生がドレフュス事件に大きな関心を持っておられ、「ドレーフュス事件」という著書もあるので、45年ほど前から関心を持ってきた。

 初めに言わせてもらうと、それにしてもなんとセンスのない邦題だろう。「われ、告発す」でも「ドレフュス事件」でも、またはいっそのこと「ジャキューズ」でもいいのではないか。よりによって、いったい何のことかわからず、映画の内容を表しているわけでもなく、しかもまったくおもしろそうにも思えない「オフィサー・アンド・スパイ」などという題をつけるとは! 後で調べたら、これは映画の原作の英語タイトルだそうだが、そうだとしても、「オフィサー」を「士官」としなくて日本人には通じにくい。そのためもあるだろう、私は池袋HUMAXシネマズの午前の回で見たのだが、客は私を含めて4人だけだった! 

 映画はほんとうにおもしろかった。ゾラが参戦する前、ドレフュス大尉(ルイ・ガレル)が投獄され、その後、ピカール中佐(ジャン・デュジャルダン)が情報局の責任者になって局内の刷新をするうち、ドレフュスの無罪の証拠を見つけるところが中心に描かれる。ピカールは事実を公表するように上層部に迫るが、周囲は隠蔽を求め、よってたかってピカールを迫害する。結局ピカールは逮捕され、私生活も暴かれる。そこにゾラが参戦し、やっと世論が動くが、フランス全体が反ユダヤ主義で凝り固まっており、ユダヤ人であるドレフュスの無罪はなかなか勝ち取れない。そのような状況が克明にリアルに描かれる。

 偏狭な反ユダヤ主義に凝り固まって、一方的に攻撃する人々、自分の保身ばかりに関心を持つ人、無関心な人。ピカールをとりわけ美化するわけでもなく、その弱みも含めて、ポランスキーは描く。きっとこの通りだっただろうと思わせるだけの説得力がある。軍人たちの態度、パリの街の様子などもまさにリアル。一人一人の演技も見事。

 ポランスキーはユダヤ人で、しかも小児性愛の罪で逮捕され、本人は無罪を主張している(ただ、新聞報道などを見る限りでは、ポランスキーの主張はかなり分が悪そう)。そうした自分の体験を織り込もうとしているのかもしれない。もしかすると、自己正当化のための映画なのかもしれない。だが、やはり映画としてとても素晴らしい。「水の中のナイフ」「反撥」「袋小路」「テス」「戦場のピアニスト」などの名作に匹敵する代表作だと思う。

 世論が一方的になって一人のスケープゴートを見つけて攻撃し、冷静な人間が真実を明らかにしようとしてもこぞってそれを迫害する。それはもちろん前世紀末に起こっただけの事件ではない。今なお世界中で起こっている事件だ。

 渡辺一民先生はこの事件を、国家犯罪に対して、国民は、そしてとりわけ知識人はどのような立ち向かうべきなのかというモデルとして取り上げておられた。確かに、この問題は今もまったく古びていない問題だと再認識した。

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映画「単騎、千里を走る。」「SAYURI」「レッドクリフ」

 中国からみの映画を引き続き、数本みたので感想を記す。

「単騎、千里を走る。」 チャン・イーモウ監督 2005

 イーモウ監督、高倉健主演の日中合作映画。かなり前にテレビで一度みた記憶があるが、今回、みなおした。とてもいい映画だと思った。

 息子(中井貴一・声だけの出演)が不治の病だと知った父親(高倉健)は、息子のやり残した仕事を引き継ごうとして中国にわたり、雲南省に伝わる仮面劇「単騎、千里を走る」を撮影しようとして奮闘するロードムービー。様々な苦労をするうち、行き来のなかった親子に理解が生まれる。

 監督の意図はとてもよくわかる。ただ私は実はストーリーのあちこちに無理を感じる。それまで漁師をしていた初老の男性が、突然、中国に仮面劇の撮影に行こうとする決意がどうも納得できない。中国の官僚組織がこの父親に同情して刑務所内での撮影を許すことも、また、その父親が服役中の京劇役者の子どもを探しに行こうとするのも、よくわからない。

 しかし、そうであっても、そこは高倉健の圧倒的存在感とイーモウ監督の恐るべき演出力(登場した多くの人が素人だという!)と雲南省の絶景のおかげで、ともあれ納得させられてしまう。この父親役、高倉健でなければ成り立たなかっただろう。

 父親と、役者の子どもヤンヤンの交流は感動的。ヤンヤン役の子どもの演技も自然で素晴らしい。

 

SAYURI」 ロブ・マーシャル監督 2005

 日本の芸者さゆりの半生を描いている。この映画製作が発表された時、せっかく日本を舞台にして、日本の風俗を描く映画なのに、芸者の役を演じる女優の多くが中国系の女性であることを残念に思ったのを覚えている。それもあって、これまでみないでいたのだったが、チャン・ツィーの映画を何本かみているうちに、これもみたくなった。

 ヒロインのチャン・ツィー、先輩芸者のミシェル・コー、敵対する芸者のコン・リー。確かに魅力的。日本女性陣(大後寿々花・工藤夕貴・桃井かおり)もいいが、やはり中国系のビッグスターたちの存在感にはかなわない。日本男性陣(渡辺謙・役所広司)はさすが。色彩豊かな映像で芸者の悲しみと歓びが切々と語られる。

 ただ、私としては、10歳くらいの少女が、優しくしてくれた大人に恋して、その後、思い続けるというストーリーにあまり説得力を感じない。それに、中国人たちが演じるアメリカ映画がこれほどまでに日本を描いたということ、そして、中国女性の演じる芸者たちが見事に日本人風なのには感心するが、やはり街並みや群衆の動きが日本的ではないのが気になる。日本人同士が英語で語るのも、どうにも違和感を覚えてしまう。そもそも、英語で語ると、顔の表情や仕草が日本人らしくなくなる。

 まあ、「ラスト・サムライ」も同じようなものだったし、これまでみたアジアを舞台にした映画(「キリング・フィールド」「グッドモーニング、ベトナム」など)もきっと現地の人から見れば同じようなものだったのだろうから、致し方ないだろうが。

 なかなかいい映画だったが、感動するにはいたらなかった。

 

「レッドクリフ」 パート1・2 2008年・2009年 ジョン・ウー監督

 かつてさかんにテレビCMが流れていた。食傷気味だったので、関心を持たなかったが、ともあれこのところ中国関係の娯楽映画に触れたついでに観てみた。

「三国志」の中の赤壁の戦いを描いた大歴史ドラマだ。その昔、岩波文庫で「金瓶梅」「紅楼夢」と読み進めてとてもおもしろかったので、その後、「三国志」を読み始めたところ、誰が誰やら訳が分からなくなって、すぐに挫折した。次に「三国志演義」に挑戦したが、これも挫折。このタイプの読み物は私向きではないと思って、そのままになっていた。それもあって、今回も少々警戒してみはじめたが、何のことはない、かなり荒唐無稽な大スペクタクル映画だった。

 どのくらい「三国志」や「三国志演義」に基づいているのかわからないが、あまりにできすぎの話であり、戦場の場面もあまりに荒唐無稽。それなりによくできているので退屈することはないし、話もよくわかる(ただ、あとで調べて、脇役と思っていた人が関羽や張飛というビッグネームだったのでびっくり)し、ともあれ戦闘場面が派手でおもしろいのだが、何ということのない話だと思った。

 トニー・レオン(周瑜)、金城武(諸葛孔明)、張豊毅(曹操)はとても良い演技だと思う。周瑜の奥さん役の女優さん(リン・チーリン)をとてもきれいだと思った。調べてみたら、日本のドラマにも出演しているとのことなので、これまで知らなかった私のほうが世間から外れているのかもしれない。

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映画「MINAMATA」 外国人から見た水俣だからこそ成り立った映画

 映画「MINAMATA」をみた。名優ジョニー・デップが日本人になじみのあるユージン・スミスを演じて水俣病を扱っているのでみたいと思いつつ、機会を見つけられなかった。昨年まで東進ハイスクールでの仕事のために時折通っていた吉祥寺まで出かけて、みてきた。とてもよい映画だった。監督はアンドリュー・レヴィタス。

 かつて戦争写真で有名だった写真家ユージン・スミス(ジョニー・デップ)は今や妻子にも見棄てられ、仕事もうまくゆかずに飲んだくれている。そんなとき日系女性アイリーン(美波)に出会い、水俣の状況を知って、それを写真に撮りたい気を起こして、水俣に乗り込む。チッソ工場の妨害を受け、何度も弱気になり、何度も自信をなくし、再び酒に溺れそうになりながらも、現地の人と心を通わせるようになって、病気に苦しむ人々、その中での肉親の愛情などを撮影する。そして、水俣の名は世界に知られることになり、裁判も被害者側が勝利する。

 少々、切り込み不足は感じないでもない。水俣にはもっと悲惨な状況があっただろう。会社側の隠蔽工作もあっただろう。運動の担い手たちの苦労は映画で描かれているようなものではなかっただろう。いや、そもそも現地の人たちは映画ほどに美男美女たちではなかっただろう。もっと悲惨でもっとどろどろしており、もっと目をそむけたくなるものだっただろう。飲んだくれの写真家の再出発といったありきたりのドラマの中で、まるで付随物としてのように水俣が描かれる。凄惨な史実を扱う映画をみるとき、どうしてもそのような思いに駆られたくなる。

 だが、ふと考え直してみる。これは外国人から見た水俣だからこそ成り立った映画なのだ。日本人が作ると、もっと深入りしなければならなくなる。表面的なアプローチでは許されない。だからこそ何も語れなくなってしまう。一人の個人的な悩みを抱えた外国人が見た水俣という大枠があるからこそ、水俣の真実を外から描くことができる。一面の真実をリアルに描くことができる。その意味では、見事なアプローチと言えるだろう。

 被害者のリーダーを演じる真田広之とチッソ会社の社長を演じる國村隼の存在感がこの映画に深みを与えている。真田は苦しみの中で何とか理性的になろうと戦ってきた地域のインテリの生きざまが動きの一つ一つから伝わる。國村のふてぶてしい策士でありながら被害者の実態を耳にするといたたまれなくなる人物ぶりが実にリアル。

 被害女性がユージンを信頼して奇形の子どもを風呂に入れる様子を写真に撮らせる場面には涙を流すしかなかった。ユージンを主人公にしたからこそ、この場面をクライマックスにして、水俣病を告発すると同時に、人間の生きる姿を浮き彫りにすることができたともいえるだろう。

 ユージンが行き来する水俣の家々や風景があまり日本らしくなく、まるで東南アジアのような雰囲気だということは誰もが感じるところだろう。1970年前後の九州の田舎を私はよく知っているが、映画の中の雰囲気は私の記憶とはかなり異なる。そのあたりにもう少し気を遣ってくれていれば、私たちの世代の日本人はもっと強烈な感動を覚えただろうと思う。

 とはいえ、それにしても、名優ジョニー・デップがこのような形で日本の問題を描いてくれたことに感謝したくなる。そして、映画の最後で語られる通り、この後も水俣病は解決しておらず、世界のあちこちで同じような悲惨な被害が続いている。そのような訴えかけも私たちの胸にこたえる。

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ハイティンクのこと、そして「コンバット」のこと再び

 ベルナルト・ハイティンクの訃報をみた。グルベローヴァに次いで、また親しんできた名演奏家が亡くなった。

 私にとってハイティンクは大好きな指揮者というわけではなかったが、コンセルトヘボウ管弦楽団、ウィーン・フィル、ロンドン交響楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、ロイヤル・オペラ・ハウス来日公演でモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーを聴いて、そのたびに深く感動した記憶がある。じっくりと音楽の本質を聴かせてくれる演奏だった。若いころの録音は「特徴がない・生ぬるい」などと批評されることが多く、ヨーロッパでの名声のわりに日本では人気がなかったように思う。そして、実際、私も録音を聴いて、そのような印象を抱いた。だが、実演を聴くと、そのような低い評価を忘れてしまうだけの説得力があった。本当に素晴らしい指揮者だなあと何度も思った。合掌。

 

 先日、昔のアメリカのテレビ・ドラマ「コンバット」のDVDを購入して観始めたことをここに報告した。結局、シーズン1・2と6の合計73話をみた。全152話の中の半分弱ということになる。とてもおもしろかったが、さすがにちょっと飽きてきて、シーズン3・4・5はとばした。

 シーズン6からカラー放送になっているが、さすがにネタ切れになったようで、だんだんと設定が不自然になっていく。囚人兵を組織してならず者部隊にしたり、敵味方が入り乱れて洞窟に閉じ込められたり、敵の戦死者を味方の生きた兵士に見せかけて敵の攻撃をかわしたりといった、ちょっとふつうではありえないエピソードが続くようになった。それはそれで面白いし、ドラマとしてとてもよくできているのだが、初期のリアルな戦争の状況を描いていたのとは様変わりしている。

 それにしても、登場人物のキャラクター設定がおもしろい。ヴィック・モロー演じるサンダース軍曹は身のこなしも機敏、人間の心を知ったうえで、厳しく戦争の現実と向き合い的確に戦闘を進めていく。リュック・ジェイソン演じるヘンリー少尉は身のこなしこそサンダース軍曹に劣るが、知的な雰囲気はなかなか魅力的。6、7割はサンダース軍曹が主役、時にヘンリー少尉が主役だったが、中学生の私は、その回の主役がサンダース軍曹ではなくヘンリー少尉だとちょっとがっかりしたものだ。それから50年以上経った今も、やはり同じように私はヘンリー少尉よりもサンダース軍曹が登場する回を好む。

 ほかのレギュラー陣も実に人間的。このようなキャラクターであるからこそ、戦争ドラマが無理なく続いたのだと思う。カービーはきわめて優秀な兵士であり、他人思いで心優しいが、喧嘩っぱやくて、女にだらしがなくて、差別意識を強くて常に問題を起こす。ケーリー(アメリカ版ではケージという名前になっている)はフランス系のカナダ人で、フランス語通訳を務め、しっかりと自分の仕事をやり遂げる、いわば職人。リトルジョンは少し動作がのろく、あまり知的とは言えないが、しっかりした倫理観と常識を持っている。カーター衛生兵は、銃撃にはかかわれない中、衛生兵として人の命を何よりも大事にして、仕事を全うしようとする。そんな兵士たちの織り成すドラマは戦場という究極の場での人間ドラマになる。

 当時の映画スターたちやその後スターになる人たちが大勢出演しているのにも驚いた。以前、再放送などでみて、ジェームス・コバーン、リカルド・モンタルバン、ロバート・デュヴァル、デニス・ホッパーが出演していたのは認識していたが、エディ・アルバートとアリダ・ヴァリが(内縁の?)夫婦役で出たときには本当に驚いた。ただ、私のようなヨーロッパ映画ファンにとって、アリダ・ヴァリと言えば、オードリー・ヘップバーン級の大スターなのだが、あまり扱いが大きくないのが残念。

 しばらく休んで、また「コンバット」をみたくなり、そのころ、まだDVDが販売されていたら(できれば、それほど高くない金額で!)、その時、残りのシーズン3・4・5をみることにしよう。

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